街はふるさと
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著者名:坂口安吾 

       一

 数日すぎて、長平はルミ子から速達の手紙をもらった。ひらいてみると、遺書であった。長平はおどろいて、東京へ電話をかけて問い合してみると、ルミ子はやっぱり自殺していた。放二の葬儀が終えてのち、自分の部屋には一行の遺書も残さず、アッサリ自殺していたのである。
 長平は電話口で青木に云った。
「すぐ上京するから、あの子の屍体が行路病人みたいに扱われないように、かけあっておいてもらいたいね」
「え? 上京する?」
「左様。半日後には東京につく」
「オイ。笑わせるな。オレは今、ムシ歯が痛んでいるんだよ。今朝から下痢もしているぜ。何大公殿下の気まぐれか知れないが、いい加減にしてくれろよ。行路病人なみに扱わないようにしろッて、そもそもルミ子なるものは大公殿下の妃殿下ですかね」
「北川放二の女房だと云っとけばいいのさ。そのつもりで葬儀の支度をしといてもらいたいね。ナニ、葬儀たって、誰に来てもらう必要もないが、形だけのことをしてやりたいのさ」
「ハイ。ハイ。かしこまりました。ぼくも多少は縁につながる意味があるから、因果とあきらめて、やりますよ。どうだい。親類一同に焼香をねがったら。親類一同の住所姓名がわがらないから、新聞広告はいかがですか。親類代表、大庭長平。ルミ子儀かねて博愛の精神をもって、男子一切同胞の悲願をたて、よくその重責の一端を果し候も、身に限りあり……」
 長平は上京した。東京と京都は遠いようだが、青木と穂積が警察でゴテついている時間の方が、東海道の距離に負けない長さであった。まだ棺桶の用意もできてやしない。二人は屍体と差しむかいで、ヤケ酒をのみながら、ションボリお通夜をしていた。
「ヤ。おいでなすッたな。大公殿下。二人の哀れな葬儀人夫の悲しき様を、とくと見てくれよ。ついでに、自殺した妃殿下の太平楽な寝姿も見てやってくれ。オレたちが足すりへらして三拝九拝、ヘドモドしながら諸方を駈け歩いているのに、妃殿下は寝たッきり身うごきもしねえや。ありがとうとも言わないけど、太平楽がすぎると思うがね」
 駈け歩いて疲れきった二人は、酒の酔いがよくまわって、舌のスベリがよかった。秋の夜寒であるのに、それが癖の青木はハンカチで鼻の頭やヒタイをこすッている。いつも真白のハンカチを身につけている筈であるのに、黒々と垢にまみれているのを見ると、葬儀屋の足労というものが甚大だったと知れるのである。
「御足労をかけてすまなかったが、一刻も早く手をうってもらわないと、行路病人の墓地へ埋められても気の毒だからさ。第一、それからじゃア、尚さら手間がかかるだろうよ。しかし、御両氏が死人と差しむかいの酒モリも、沈々、ちょッと見かけないオモムキだね。酒が、うまかろう」
「まずくはないがね。ところで、君が電話で云ってきたときは、この子の自殺が発見されて二三時間直後のことだそうだよ。遺書を電報で送ったわけじゃアあるまいな」
「速達だが」
 長平はポケットからルミ子の遺書をとりだして示した。
「明日の朝にでも、読みたまえ。今夜は、ねむくなるまで、酒をのもうや」
「こんなものが、シラフで読めるかい」
 青木は無造作に遺書をひらいて、
「しかし、心ききたることをするよ。遺書を速達で届けるなんてね。屍体にだかれた遺書なんてのは、まったく下の下というもんだよ」

        二

 ルミ子の遺書は次のようであった。

 ゴキゲンいかがですか。
 先日お別れのとき、そのうちに一度だけお手紙しますとお約束しましたが、覚えていて下さいますでしょうか。これが約束のお手紙です。
 昨日、梶さんのお宅で兄さんの告別式がありましたが、先生は上京なさらないそうですね。青木さんから、おききしました。私も告別式には行きませんでした。
 野良猫のようにこの町にうろつくようになってからの短い月日は、私の一生にこの上もなく楽しい毎日でした。人のさげすむパンパンという境遇も、自分でみじめとも悲しいとも思いませんでした。むしろパンパンに安住していたのです。どこの奥さんがその家庭に安住するよりも、私はパンパンに安住していたと申せます。心にかかる小さな雲すらも、まずなかったと言いきれます。
 子供の私は、不平家で、ねたみ強くて、いつも人にたてついていましたが、この町へ辿りついて野良猫生活をはじめてからは、人が変ったように素直でした。どんな小さな不平も、忘れてしまったのです。
 先生はわかっていらッしゃると思います。私の心には、いつも兄さんがいて下さるので、私はどんな不平も忘れることができたのでした。好きになれないお客さんと枕を並べてねて目をさました朝でも、兄さんがいて下さると思うだけで、明るいキゲンになることができました。いいえ、かえッて、キライなお客さんほど大切にしてあげようと思いました。きめたお金を朝になって半分にねぎられても、我慢することができましたし、ぶんなぐられて、貰ったお金を取り戻されても、苦笑しただけで忘れることができました。くる朝も、くる日も、微笑して迎えましょうと思っていました。
 こう申し上げたとて、私は兄さんを恋していたのではありません。兄さんを恋すなんてセンエツなこと、どうしてできましょう。ヤエちゃんなどが、私がそうでもあるように皮肉なことを言うとき、兄さんに申訳なく思う気持で、そのときだけはヤエちゃんを殺したくなることがありました。私のようなものが兄さんを恋することは、兄さんを傷つけることです。兄さんを侮辱することです。私はどんな大罪人とよばれてもかまいませんが、兄さんを傷つけた罪に服すことは我慢ができません。
 兄さんは、私の心にともる灯でした。私の航路をてらして下さる燈台でした。兄さんが同じ屋根の下にいて下さると思うと、兄さんのお顔を見なくても、なんの心配もなかったのです。どんなときでも、一瞬の休みもなく、私のそばについていて下さることを信じることができました。いいえ、信じる必要などはありません。いつもいて下さいました。
 朝目をさますと、きっと私の前には、兄さんがいて下さるのです。私は兄さんにお早うを言います。私の心は晴れ晴れとします。私は明るく、働かなければなりません。パンパンという職業がどんな卑しいものであるかということも、考える必要はありません。兄さんがついていて、見まもっていて下さるのですもの、なんの不平がありましょう。私は、毎日々々が、たのしかったのです。どんなに苦しいとき悲しいときでも、自分が幸福な人間だということを疑ったことはありませんでした。

       三

 先日ヤエちゃんにお金をとられたとき、預金の方は手配をすれば人手にひきだされずにすむはずでした。いくらでもないから、私はそう云ってうッちゃらかしておきましたが、私はむしろ人に盗られてホッとした気持もあったのです。預金は卅六万円ほどありました。野良猫が預金していたことをおかしいとお思いになるでしょう。私もはずかしかったのです。
 野良猫にも、夢があったのです。ですが、どんな夢だか、おききにならないで下さい。自分でも知らないことなんです。夢というよりも、もっと実際的な不安だったかも知れません。いつまでもこうしていられないということ、いつか兄さんにお別れする時がくるだろうということ、そのときを考えてのことでしたが、兄さんとお別れしたあとでも、何やかやして生きるつもりの夢はあったのが今はフシギでございます。
 私が何より怖れていたことは、兄さんがおなくなりになる前に、私の今後の生き方について指図なさりはしないかということでした。めったになかったことですが、まれに兄さんが私の名をおよびになると、その怖しさで、私の胸はドキドキするのでした。私はいつも何食わぬ顔でニコニコと兄さんのお側についていましたが、ただその一つの怖れのためにいつも胸をいためていたのです。ですが兄さんは、やっぱり何のお指図もなさらずに、ねむるよりも安らかに、息をおひきとりでした。かすかに笑いながら――ウソではありません。きっと生きている私たちのことがおかしかったのでしょう。いつも、そうでしたもの。
 私の部屋に先生がお泊りのころから、兄さんが死んだら自殺しようと覚悟していました。自殺のフミキリに兄さんの死を使うことを咎めないで下さい。死ぬッてこと、私にはなんでもないことなんです。生きていることがなんでもなかったように。たゞ私にとっては、兄さんがいて下さること、いつもほほえんで私の生活を見守っていて下さることの喜びが全部でした。
 私はこの世になんの不平もありませんが、兄さんが生きていて下さらなければ、ムリに生きてることはないような気持なのです。兄さんが死んだから、私も死にたいのです。センエツかも知れませんが、兄さんと同じことがしたいだけです。兄さんが地の下へおはいりなら、私も地の下へ入れてもらいたいのです。けっして恋というものではありません。ただ兄さんのお側ちかくへ行かれるということ、これからも一しょに見守っていただけることを信じていたいだけです。そして、生れてきたことを胸いっぱい感謝して、一人のパンパンが死んだことを信じて下さい。
 お叱りをうけると困るんですけど、先生におねがいがあるのです。私、お線香一本たてていただきたいとも申しません。ですが、兄さんのお墓にいくらかでも近いところへ、埋めていただきたいのです。埋めていただくだけで結構です。お墓も葬式も欲しいと思いません。慾を云わせていただけば、よく晴れた日に私が背のびすると兄さんのお墓が見えるぐらいのところまで近づかせて下さいませ。怒らないで下さい。この希いをききとどけていただけたら、どんなにうれしいでしょうか。なぜって、私、これからお薬をのんで死ぬまでの短い時間、よく晴れた日に背のびして兄さんのお墓を見ていることを目に描きながら死にたいのですもの。おねがいです。
 先生の御多幸をいのります。

       四

 青木はルミ子の遺書を読み終えて、長平に返した。
「可憐だよ」
 彼はつぶやいた。しかし、すぐ苦笑して、
「あなた、これを読んで、とる物もとりあえず、上京したのかねえ。長平さんともあろう水ムシがさ。水ムシは、時に、妙なことで慌てるのかねえ。人間はたかが白骨ではないですか。なにも、こんなバカなことを云いたくはないが、相手が長さんじゃア、小人はケツをまくりたくなるんだねえ。長さんや。ぼくら小人にとっては、人間はなかなかもって白骨じゃアありませんや。だが、長さんほどの水ムシともなれば、片言隻句、人生すべてこれ白骨ではありませんか。ねえ。長さん。あなた、なんのために、なぜ、上京したのさ。え? よく晴れた日に、か。やれやれ。雨の降る日、風の吹く日は、どうしてようてんだろうなア、この幽霊は」
 その幽霊の本体はすぐそこに横たわっていた。特に正装とも思われないが、見苦しくない和服を身につけ、お化粧もし、今は解かれているが、紐で二ヶ所膝をむすんでいたそうである。流行の毒薬や催眠薬ではなくて、かなり特殊な薬を用いたらしいということであった。死に方について用意をきわめるだけの落付いた心構えがあったのである。ねているような顔だった。ふだんと変りなく、虚心で、可愛く見えた。
 湯呑みに灰を入れ線香をたてた人があったらしい。
「君たちかい。線香を供えてやったのは」
「そうはコマメにいかないねえ。センチな気分にひたるヒマがなかったほど、労働が苛烈をきわめたんだなア。二三、回向(えこう)の方々があったらしいや」
 青木は腕時計をのぞいて、
「もう十二時すぎてやがら。帰る電車がなくなったわけではないが、ひとつお通夜をしてやるか。完全なるお通夜をね。オールナイトさ。二千円、包まなきゃアいけねえや」
 しかし青木はフッと溜息でももらしそうな、ベソをかきそうに沈みこんだ。
「なア。長さんや。彼女はたしかに、可憐ですよ。だけどなア。オレは同情できねえや。オイ、長さんや。これ、本当かい? 彼女は、なぜ、死んだのさ。彼女の遺書たるや、何物ですかい。ただ、死にゃア、まだ、わかるよ。兄さんが死んだから、生きていてもツマラないッて? しかし、毎日々々が幸福で、たのしく、不平を忘れていられましたとネ。甘えてやがら。元々、自殺ぐらい甘ッたるいことはないがさ。あたりまえだ。一番人生の甘えん坊が、自殺するのさ。だから、彼女が妙テコレンな夢をえがいて、それに甘えて死ぬことはまた可なりかも知れないが、甘え方が気に食わないんだよ。ねえ、長さん。パンパンが、精神的な愛情なんて、笑わせやがるよ。それはね、パンパンが精神的な何かにすがるのは当然あって然るべきかも知れないが、こと恋愛的な雰囲気に於て、精神的とは笑わせらアね。人をバカにしてるじゃないか。ぼくはパンパンを軽蔑してやしませんよ。むしろ、尊敬してるんだ。パンパンたる者は、精神的などゝいう怪しげなものを、ハッキリ土足にかけてくれなきゃア、こまるじゃないか。彼女はぼくを、泣き男だと云いましたよ。それでこそパンパンなんだ。パンパンでなくちゃア至り得ざる境地によって、泣き男を土足にかけてくれなくちゃア、ダメじゃないか。甘ッチョイ死に方なんぞしやがって、ざまアねえや」
 青木は押入からルミ子のフトンをひッぱりだして、くるまって、ねてしまった。

       五

 郊外の墓地の一隅に二人を一しょに埋めることになった。せつ子の家へ放二の遺骨をとりに行くと、せつ子は笑って、
「なんだか、変ね。御当人たち、生きてるときには、死んでこうなるなんてこと、考えたことがないのにねえ」
「生きてるうちは、人間みんなデタラメさ。死んでからも、デタラメでも仕方がないよ。なんとなく恰好がつけば、花なのさ」
 長平は無責任なことを放言して、二ツの骨壺をぶらさげた。青木はニヤリとして、
「オレは持ってやらないぜ。長さんの心事には甚しく同情を感じていないからさ。一人で重い目をするがいいよ」
「私も同感できないのよ。お供しませんから、ごめんなさい」
 せつ子は門前まで見送って戻ってしまった。
「悪縁だなア」
 青木はつぶやいた。
「君とこうして歩いていると、しみじみ感じるのは、悪縁ということだね。まったく、人生は悪縁だけさ。だから意地ずくで生きのびてやらアね。死んじまうと負けだというのが実にハッキリしていやがるなア。今にこうして君の骨を埋葬してやる日のことを考えると、いくらか生きがいを感じるな」
 青木はうまそうにパイプをくゆらした。
 しかし、いよいよ墓地に至り、埋葬の段になると、青木は甚しく労力をおしまず、又、親切であった。長平は何もすることがなかった。青木が一人で汗水たらしているからである。かつ、遺骨にたいする取扱いのいたわりは丁重をきわめ、ミジンも手をぬくような粗略なフルマイがなかった。その人相も一途に真剣である。埋葬し終えてホッと一息、それからも、気になるところをコマメに手を加えて、外観をととのえた。
「実に親切テイネイなもんだねえ」
「これが武士道さ」
 青木は皮肉な笑いをとりもどした。
「よく晴れた日じゃないか。やっぱり、ちょッと離れたところへ埋めてやって、背延びをさせた方がよかったらしいや。しょッちゅう鼻をつきあわしてちゃア、やりきれませんやね。長さんも、不粋な人さ。過ぎたるは及ばずと云うじゃないか」
 青木は口の中でクチャ/\と経文か何かせっかちに呟いて、ペコンと頭を下げた。そして二人の埋葬は終った。
「どう? 水ムシの御感想は? 意はみたされましたか」
 青木は皮肉な目をクルクルさせた。長平は答えなかった。
「フン。勝手に黙ってるがいいや。ぼくの感想は、たった一つあるだけですがね。え。長さんや。たった一ツ。ね。オレは長さんを憎む、憎む、憎む。それだけだよ」
 青木はベッとツバをはいた。
「骨の髄から、憎んでるんだ。恨み、骨髄に徹す、かね。だんだん、それが分ってくるよ。生きるにしたがって、それが分ってくるだけなのさ。明日はもっと憎むんだ。そして、来年は、その分だけ憎さがハッキリ増してるのさ。なんて、まア、なつかしい人だろう。イヤハヤ、実に、おなつかしい」
 青木は墓地をでるとたんに、ニッコリ立ち止って握手をもとめ、強く長平の手を握りしめた。
「殺していいか、抱きついていいか、分りゃしねえや。オレは、長さんが、心から、なつかしいよ。ともかく、生きているからね」
 青木の目にこもった微笑は、素直で、善良であった。




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