街はふるさと
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著者名:坂口安吾 

       十

 青木は一ねむりして目ざめると、浴衣がけで京都の街々を散歩した。しかし彼には、街や人よりも、山や川が胸にしみてくるのであった。
 業平(なりひら)や小町や物語の光君という人などが花やかな貴族生活をくりのべていたころでも、古都は明るいものではなかった。賀茂の河原は疫病で死んだ人の屍体でうずまり、屍臭フンプンとして人の通る姿もなく、烏の群だけが我がもの顔に舞いくるっていたものだ。
 関ヶ原の畑をほると、今でも戦死者の骨がでゝくるそうだが、賀茂の河原からは、何も出てきやしないだろう。いっぺん洪水が起れば、すべては海へ流れて、河原は美しい自然の姿にかえってしまう。
 この古都では、山と川が、昔のままだ。山の中には七八百年来の建物があるし、川をさかのぼれば、遠い王朝のころと同じ自然の中で同じような生活をいとなんでいる農民たちがいる。
 古都の自然は美しいが、それが青木には暗く切なく見えるのである。千年来の古都の庶民の暗い生活が目にしみる。山々の緑の木々の一本ごとに千年来の人骨がぶらさがったり、からまったりしているような気がする。賀茂川が洪水ごとに山に向って逆流して、河原一面にすてられた屍体を山へ運んでまきちらし、山々だけがいつまでも変らぬ緑を悲しくとどめているような気がする。その骨の一本が自分だという気がした。
「京都の山の木の一本が、オレだったのさ。それを見てきたんだよ。なんのためにオレの心が京都へ行こう京都へ行こうと叫び立ったのかと思ったら、つまり、こんなことだったらしいや」
 青木はこう長平に語って、カラカラ笑いだしたが、
「なア、長平さんや。あんたが、又、昔のように、オレとユックリ酒をのんでくれるところを見ると、オレの心が、いくらか落ちついてきたのかなア。イヤ。こんなことを云ったって、君にへつらってるワケじゃアないのさ。オレはね、自分の迷いが自分だけじゃア防ぎとめられないことが分ってきたらしいのさ。だんだん、いろんなことに、あきらめるようになったのさ」
 青木は一ぱいごとにたのしんで何バイも酒をかさねた。
「君はいつも、仏像みたいに、だまっているなア。なんにも返事をしてくれねえや。しかし、君の人相は、いい人相だ。オレは安心して、なんでも喋っていられるよ。昔から、君は、そうだったよ。だが、あのときに限って、どうして、そうじゃなかったのだろう? え? ねえ、長平さん。オレにだって分ってるよ。決して人に愛されるようなオレの姿ではなかったことがね。しかし、オレは、真剣で、必死だったんだ。そんなことは、手前勝手なことには相違ないが、君だけは、そこを見てくれると思ったんだがなア。教えてくれよ。なぜ、怒ったのさ」
「知らないね。オレはお天気まかせだよ。しかし、真剣、必死というものは、自分ひとりでやるものだよ。だが、そんな話はよそうじゃないか」
「そうか」
 青木は、また、杯をかさねた。
「たしかに、いいことだ。こうして昔の友だちと静かに酒をのむことは、ね。いろんなことが、しみるように、分りかけてくるよ。まず、ひとつ、ハッキリ分ったことがあるよ。曰く、覆水盆にかえらず、ということだ。ありがたい。これで、オレは、ホッとしたなア」

       十一

「これが分っただけでも、オレは安心して、東京へ帰れるよ。覆水盆にかえらず。人倫は水のように自然のものなんだ。ひっくりかえって流れた水は、どう仕様もねえや。もっとも、自然に元へ集ってくれるなら、それも良しさね。とにかく、自然でなくちゃア、ダメなんだ。しかし、人間はミレンですよ。覆水を盆にかえそうとしたり、盆にかえりうるものと希望をすてなかったり、ね。思えば、ぼくはそのミレンとナレアイの遊びをしていたようなものさ。ねえ、長平さん。ぼくは老いて益々迷いに迷う人間になりましたよ。しかし、迷いのタネを過去に持ってはダメなんだね。白骨をさらすまで、水のように、迷いはただ盲メッポウ先へと流れるべきものですよ」
 青木の苦笑は明るかった。
「ぼくはちかごろ、三方損ということを考えていたですよ。ただ今、覆水盆にかえらず、を会得するに至って、三方損の考えが生きたものになりましたね。喧嘩両成敗はあたりまえのことでさア。両成敗、両方損、両名は当事者だから、文句なしに、成敗や損をあきらめるのさ。ところが、ここに、すべて物事には当事者ではない三人目がいて、三成敗や三方損というマキゾエをくらって、ついでに損の片棒だけをかつがされている運のわるい奴がいるものさ。まったくですよ。人生の諸事諸相には、かならずこのトンマな三人目が隅ッこでブウブウ言っているものさ。長平さんにあてつけるわけではないが、いつのまにやら、長平さんと梶せつ子がよろしく両成敗の当事者となっている隅ッこで、いつのまにやら三人目の一方損をひきうけてブウブウ言っているのがワタクシさ。御両氏を両成敗と言っては悪いが、しかし、人生、すべてはいずれ両成敗ですよ。それは分って下さるでしょう。ヒガミではありませんやね。だが、長平さん。オレみたいに、人生の大半を三方損の三人目で暮してきた奴はいないよ。三方損の運命に、甘んじるべきや、否や、これ実に、小生一生の大問題、面壁九年の一大事であったです。しかし、面壁、一週間足らずで、解決したね。三方損。よろしい。ねえ、長平さん。ハッキリ、よろしいのです」
「そう簡単には、いかないだろうよ」
 長平は机上から一通の封書をもってきた。
「この速達は、今、きたところだよ。北川が重病でねこんだそうだ。死ぬかも知れないらしいね。ルミ子というパンパンが知らせてくれたんだよ」
 青木は手紙を読んだ。簡単な文面だった。放二が病床について、四十度の熱がつゞいている。入院をすすめても、きいてくれない。入院の費用で困っているわけではなく、放二の頑固なのに困っているだけだが、入院して充分の手当をうけるようにすすめてくれないか、という依頼であった。
「ぼくは明朝上京するが、君は、ここにブラブラしていても、かまわないぜ」
「イヤ。ぼくも上京しよう。おもしろいことになりそうだ。君は主として北川君を見舞うらしいが、ぼくは記代子さんを見舞うとしよう。しかし、なア、長さんや。記代子さんが重病で放浪の旅から戻ってきてもビクともしないという心事も分るには分るが、北川君の病床には駈けつける。これも分るには分るが、一考を要するところだろうと思うね。アマノジャクでもあるし、理に偏してもいる」
 長平の答えはなかった。青木はやや苦笑して、
「フン。よかろう。タヌキかトラか、ただのネズミか知らないが、オレは長さんの正体を見とどけるのがタノシミさ。オレが来年も生きているとしたら、ミレンのせいではなくて、長さんの正体を見とどけたい一心だと思ってくれよ」


     明るい部屋


       一

 放二のやつれ方はひどかった。
 長平は知人の医師をともなって診てもらったが、ルミ子の部屋へしりぞいて話をきくと、彼は放二を生かそうとする情熱を起そうとしなかった。
「いますぐ入院というわけにはいきませんよ。うごかすと、死期を早めるだけのことです。三四日手当をしてみて、多少力がついたとき、病院へうつすことはできるかも知れませんが、どっちみち、長い命ではありません」
「どれぐらいの命ですか」
「うまくいって、二三週間」
「百に一ツも、望めませんか」
「百パーセントです。ここまできては、奇蹟は考えられません」
「会ったり、話を交したりしない方がよろしいですね」
「そう。ですが、どっちみち助からないイノチですから、親しい方々が心おきなく話を交しておかれることを止めるべきではないと思いますね」
 ルミ子は医師の冷淡な言い方があきたらないらしく、
「十分か十五分ぐらいの診察で、どうしても助からないなんてことが、ハッキリ分るんですか。そんなにハッキリ言いきるほど、自信がおありなんですか。診たて違いということが、よくあるでしょう。百パーセント死ぬなんて、そんな自分勝手な、自分だけ絶対に偉いようなことを仰有って」
 ルミ子は自分がとりのぼせているのに気がつくと、自分のノドを手でおさえて、あきらめたように沈黙した。又、ふと、顔をあげて、医師を見つめて、
「先生。奇蹟は、どこにでも、あります。情熱の中にあるのですわ。先生が治してあげようと信じて下されば、奇蹟はあるかも知れないのです」
「そう。ぼくの言いすぎでした。毎日きて、できるだけの手当をつくしますから、安心なさい」
 長平一人を相手のつもりで腹蔵ない意見をのべていた医師は、伏兵の爆撃におどろいたが、世なれた態度でルミ子を慰めてやることを忘れなかった。
 医師を送りだしてから、長平は放二を見舞って、
「あんまりガンコに、ひとりぎめに諦めちゃアいけないぜ。ノンビリとノンキな気持になるがいい」
 放二は童子のようにニコニコして、
「ぼくは、ノンビリと、ノンキな気持なんです。すべてに、満足しています」
「そうか。それに越したことはない。ぼくは東京にいるあいだ、ルミ子の部屋に泊っているから、用があったり、話相手が欲しいときには、よびによこしたまえ」
 放二は、又、童子のようにニコニコした。そして、うなずいた。
「先生、ぼくに看護婦をつけて下さるんですッて?」
「そうだよ。なれた者でなくちゃア、寝たきりの病人は扱えないものだよ」
 放二はうなずいて、
「それは、ありがたいのです。なれない女の子たちに、メンドウをかけるのは、気がひけていたのです。ですが、宿なしの女の子たちを、この部屋から追いださないで下さい。先生が気をきかせて下さって、あの子たちに他の部屋を世話して下さっても、こまるんです。あの子たちの身上は自由なんです。ここにいるのも、ここを去るのも、あの子たちの自由にまかせて下さい」

       二

 長平はルミ子の部屋へ泊りこむことになって、よいことをしたと思った。こんなに虚心坦懐に、女にもてなされたり、女を愛したりして、深間の感情というものをまじえずに、淡々とくらせるのが、ありがたい。ルミ子は魔性というものが少しもなくて、そのくせ、生れつきの娼婦というのかも知れなかった。
 ルミ子は長平から放二のよろこびそうな新刊書をきいて、それを買ってきて、一日中、放二に読んできかせていた。放二が疲れたりねむったりすると、自分の部屋へ戻ってきて、長平の邪魔にならないように、ねころんで、うたたねしたり、本を読んでいた。
「先生、童話すきですか」
「そう。すきだね」
 ルミ子は、どうも困ったという顔をした。
「兄さんも好きなんです。読んでくれッておッしゃるのよ。でもね。読みつづけられなくなってね。時々ね、よむのを止してボンヤリしていることがあるのよ」
「なにを読んだね」
「風の又三郎。兄さんが、それを読んできかせてッて。童話ッて、みんな、あんなに悲しいの」
「そうかも知れない」
「変な悲しさですもの。いらだたしくなるのよ。あれじゃア、助からないわ」
「どんな風に、助からないのかね」
「ほんとに悲しいッてことは、あんなことじゃアないでしょう。私、悲しいときにはね、ウガイをしたり、手を洗ったり、そんなことをして、忘れちゃうのよ。無い時にお金のサイソクされたり、叱られたり、ね。それが悲しいことでしょう。童話と怪談は似ているわ。なんだか、ついて行かれない。いつまでも、からみついてるようで、女々しくッて、イヤなんです」
「子供の時のことを、思いだしたくないことが有るんじゃないのか」
「いゝえ。そうじゃないんです。ウガイをしたり、手を洗ったりして、忘れられないようなことは、私たちの生活にはないのです。童話の中にあるだけなのです」
「なるほど。つまり、余計ものなんだな」
「お金で物を売ったり買ったり、身体を売ったりお金をもらったりでもいいわ。それから、借金したり、お金がなかったり。恋をしたり、しなかったり。私の毎日々々のくらしには、あんな変な悲しいこと、ないんです。童話や怪談は、いけないことだと思うんです。ウソですもの」
「どうも、ぼくには分らないが、パンパンの生活をそッくり書いても、童話になるぜ」
「なるんですか!」
「風の又三郎と同じような童話ができると思うけどね。しかし、君の考えていることが、ぼくには、まだ、分らない。君は、山や川や海の景色をみてキレイだと思わないのか」
「思わないことは、ありません。でも、つまらなくも見えます」
「人間は?」
「人間には善いことと、悪いことがあるでしょう。善いことよりも、悪いことの方が、もっとタクサンあるでしょう。人間は、そうなんです。悪い人間もいます。悪い心もタクラミもあります。童話のように善いことずくめじゃないのです。怪談のように悪いことずくめでもありませんけどね。小説ッて、もっと、人が悪くなくちゃア、いけないと思うんです。あんなに変に悲しい童話、助からないんです」

       三

「お父さんやお母さんは、いるのかい?」
「ええ。それでパンパンは、おかしい?」
 ルミ子は笑った。いつもながら、あどけない笑顔である。そのせいで、ルミ子の部屋はいつも、明るい。長平は疲れた手を休めて、ルミ子と話を交すのがたのしかった。
「生れた家へ帰りたいと思わないかね」
「思いだすことはあるけど、帰りたいとは思わないわね」
「病気になったり、苦しいことがあってもか?」
「ええ。生れた家は、もう無いことにきめたの。私はね。街の女。街の子よ。今日があるだけよ。昨日も、明日もないわ。今のことしか考えない」
「ホウ。立派な覚悟だ」
「先生は?」
「そう見事には、いかないな。昨日のことも、明日のことも、考えるよ」
「私も、そうよ。でも、それじゃアこまるのよ。パンパンには、ね。昨日も、明日も、あると、こまる」
「なるほど」
「私だって、パンパンでなければ、昨日も明日もある方が都合がいいだろうと思うわ。その方が、自然だものね」
「そうかねえ。今のほかに、昨日も、明日もある方が、自然というものかねえ」
「冷やかしちゃア、ダメだわ。そんな風にいわれると、迷ってしまうわ」
「ほう。何を迷うの?」
「だって、誰だって、自分の今のこと、今考えていること、今の生活、信じたいのですもの。今のこと、後悔する日がくるなんてこと、苦しくッて、とても考えられないわ」
 なんとなく、まぶしそうに、笑う。思い切って切ないことを語っていても、それだけであった。
「いつか後悔する日が来そうな気がするのかい? ヤ。そんなことをきいて、わるかったかい」
「いいえ。ヤだなア。先生は。そんなにクヨクヨしそうに見える?」
「そこが、ぼくにも分らないよ」
「先生は、どうなのよ。後悔が、こわい?」
「後悔は、ムダだと思うよ」
「そうなのよ。ですけどね。私は、こう言えると思うわ。後悔する日なんて、もう、来ッこないの。私のところへは、ね。私は、そう信じることができるんです」
 言葉が、すこし、はずんでいた。彼女としては、精いっぱい力強い言い方である。明るい笑みの中に、瞳があくまで澄みきっていた。
 すさまじい確信であった。はずんだ言葉と、明るい微笑が長平の胸にくいこむ。この少女の心のめざましい安定というものが、正確に長平に移動して、彼の心まで安定させてくれるようだ。
 長平はこの安定の静かなことと美しいのに心を洗われずにはいられなかった。ステバチでもなければ、気負ったところもない。十九の少女が、その毎日の生活を正しく生きて、確実につかみとった安定なのである。そしてミジンも感傷がないのは、この少女の身辺を益々清爽なものにしているのであった。
 ただ一つ、この少女がムリをしていることはと云えば、放二に対する感情であるが、それがムリなく起伏をしずめて自然なものに見えるのは、パンパンという職業からくる特典のせいかも知れない。ルミ子の血が多くの男によって汚れているのは、そうでない場合よりも、長平にはかえって清らかなものに見えたのである。

       四

 長平は上京したが、まったく外出しなかった。ある日、青木が遊びにきて、
「君も乱暴なお方だな。上京して一週間にもなるのに、記代子嬢の病室を見舞わないのは、どういうワケです。君の心境がききたくなって、本日は、私製詰問使というわけさ」
 長平は忘れていたことを理不尽に思いださせる青木の言葉がうとましく思われた。
「君は、そんなことに、どうして、こだわるのだろうね」
「これは、おそれいった。こッちがインネンをつけられることになるとは思わなかったね。上京して一週間にもなるんだから、一度ぐらいは見舞ってやりなさいよ」
「そういうもんかね。上京と云ったって、こゝと病院には距離があるよ。京都から病院までの距離と、こゝから病院までの距離と、距離があるということじゃア、おんなじことじゃないのか。記代子の病室へ行く必要があれば、京都からでかけるさ。上京したから、ついでに用のないところへ行く必要があると、君は考えているのかね」
「益々おそれいりましたね。人生には、ツイデ、ということが、ないんですかい」
 ルミ子が屈託なく笑って、
「ツイデ、ッてことは、たのしいわね」
「ホレ、ごらん。この可愛いいお嬢さんが、証明してくれましたよ。ねえ、可愛いらしいお嬢さん。しかし、ツイデは、たのしいかねえ」
「用たしに行くでしょう。ツイデに、このへん、ぶらついてみましょうと思うわね。たのしいわ」
「ずいぶんジミなお嬢さんだね。そんなのが、たのしいかねえ。ほんとに」
「先生は、腰をあげるのがオックウなんでしょう。私は、そう。腰をあげなきゃならないと思うと、たいがいのことは、その値打も魅力もないように見えてしまうわね」
「意気投合していらせられるか」
 青木は苦笑して、ねころんだ。
「パンパン宿というものは、威儀を正して坐っていられない気分になるものらしいや。御免蒙って、失敬しますぜ。ところで、長さんや。重ねて、おききしますが、記代子さんの病室を見舞う必要はないのですか」
「先方が会いたがってもいなかろうよ」
「なるほど。しかし、なんとか、してあげる必要はないかねえ」
「君自身が何かの必要を痛感しているらしいな。ぼくに何をやらせようというのかね」
「君自身には、ないのか」
「ない。記代子がぼくを必要とするまでは。どうも、君は、妙にひねくれて、考えているね」
「そうかい」
 青木は素直に考えこんだ。理窟は、たしかに、そうでもある。しかし、これでは、隣人というものが助からない。
「なア。長さんや。記代子さんの放浪、恋愛、愛人の裏切り、輪姦、脱走、病気。よくもまア、これだけの困ったことを、たった一人で引きうけたものさ。隣人は不幸を分ちあうものさ。君は彼女の死んだ父母に代るべき最も近い肉親ですよ。最大の隣人ですよ。君が何かをしてやらなくて、誰が彼女の再生の支えとなる者があるのかね。え?」
 青木は改まって、起き上らずにいられなかったが、それが一そう長平に不興を与えたようであった。
「記代子にまかしておきたまえ」
 長平はソッポをむいで、つめたく答えた。

       五

 青木は長平の顔を見るのも不快な気がした。いつもながら、思いあがった冷めたさである。
 理窟を云えばキリがない。どんな非行も、理窟で筋を立てることはできるものだ。
 やりきれないのは、長平という男の独善的な暮しぶりだ。行い澄ました偽善者の方が、まだ、どれぐらい可愛いいか分らない。姪の病室を見舞いもしないで、パンパン宿でノウノウとしている悪どさ。その暮しぶりの独善的な構図が、あくまで逆説的だから、鼻もちならぬ毒気に当てられて、やりきれなくなってしまう。
 たかが小娘のパンパンを心の友であるかのように、一ぱし深処に徹して契りを結んでいるかのような、平静や落付きも、やりきれない。思いあがっている、という一語に全てがつきている。
 生活に不安のない人間が、彼によりすがる人々を突き放して勝手に安定するぐらい、容易なことはないのである。要するに、利己主義という一番平易な一語につきる。
 青木はつい皮肉の一つも言わずにはいられなかった。
「貧乏人のヒガミというものは怖しいやね。ねえ、長さんや。貧乏人はあなたのことをこう言うよ。大庭長平という人物は高利貸しと同じ性質の利己主義者にすぎない、とね。誰から何をしてもらう必要のない人間が、誰に何もしてやらないぐらい簡単なことはないやね。それを一ぱし尤もらしく筋を立ててみせる学の心得があるだけ、隣人の心を傷つけ、害毒を流す悪者である、とね。単純明快に、あなたは悪者であるですよ」
「そう。悪者というのかも知れないわね」
 青木の言葉をひきとって、感懐をもらしたのはルミ子であった。青木の皮肉な心をひきつがずに、言葉だけを平静にひきついだので、青木は虚をつかれて、ルミ子を見つめた。
「そう。彼は悪者以外の何者でもありませんよ。しかし、ルミちゃんや。悪者の定義を甘やかしちゃいけませんぜ。何故に彼は悪者であるですか」
「利己主義ということは悪者ッてことじゃないでしょう」
「ア。そうですか」
「隣人に冷めたいことも、悪者ッてことにならないわ」
「そのほかにも悪者がいるのかねえ」
「私はね。沙漠へ棄てられた夢をみたことがあるわ。誰が棄てたか知らないうちに、誰かに棄てられていたのよ。みると、お母さんが歩いて行くのよ。お母さん、助けてッて、叫んで追ッかけようとしても、足が砂にうずもれて進むことができないうちに、お母さんがズンズン歩いて行ってしまうの。とりつく島もないわね。でもね。ズンズン行ってしまうお母さんが悪者ッてことはないわ。誰も悪くはないのね。そんな夢を見ることが、悪いことなのよ」
「夢が悪者なのかい」
「私はね。大庭先生がね。人に夢を与えるようなところがあると思うのよ。だから、悪い人だと思うのよ」
 ルミ子は真顔でそう言ってしまうと、ふき出して、大そう、こまりながら、
「先生、ごめんね。私はね。人に夢を与えることが、悪いことだと思うんです。怖しいのです。私は人に夢を与えるような気持なんかなかったんですけど、何かしら夢をみて死んだ男の人があったんです。でも私は悪いことをしたとは思いませんでした。したツモリがないのですもの。先生も、そうかも知れません。でも、それは、きッと、悪い事かも知れません」
 ルミ子は睡たそうに、目をふせた。

       六

 せつ子のような多忙な女は、かえってヒマがあるのである。時間を巧みに利用するからであった。
 青木と長平がとり交した「ツイデ」に関する論争などは、彼女には論議の因にならない。彼女自身は行えば足りて、他人のことはどうでもよかったからである。
 そのせつ子も、放二の病床を訪ねることと、そして長平に会うことには、気が滅入った。パンパン宿にすみついて、一向に外へも出たがらない長平がバカバカしいからであった。
 せつ子は青木から長平を訪ねてきての報告をきいて、
「そのパンパンは可愛いい子?」
 青木はモッタイをつけて、
「左様。戦後のプロスチチュートは、美貌と同時に学があるね。未熟な芸をひけらかして、古風な型にはまった芸者などにくらべると、身に即した独自な見解をもっていて、甚だイキのよい生物ですな。その中で特に傑出しているのがルミ子というパンパンで、美貌に於ても、独自の見解に於ても、各界の一流の女傑に比して遜色ないほど、一家をなしていらせられるです。あの子の十九という年齢について考えると、他の女傑は、大そうムダに時間を費したものだなと考えさせるところがあるね。女傑は貞操をすてることによって、頭脳的に成育する時間を甚だしく短縮すると見ましたが、どうですかな?」
 せつ子は顔をそむけて、青木を退散させた。
 彼女は特に長平が好きだというワケではない。長平とてもそうである。長いこと会わずにいても、なんということもない。しかし、会えば愉しい時間をすごすことができて、イヤな気分というものに患わされることが殆どなかった。つまり気質的になんとなくウマが合っていて、会うたびにあたたかい友情がよみがえるが、離れてしまうと思いださずにすむのであった。
 せつ子は十九の小娘を嫉妬するイワレをもたなかったが、まったくウンザリした。親友の行跡が、あんまり下らなくて、バカバカしいからである。マジメな顔をして、そんなところへ訪問できるものではない。
 今にこッちへ出向くだろうと思っていたが、青木のつたえるところによると、パンパン宿に居るということと、東京に居るということには、京都と東京と同じだけの距離があって、パンパン宿から東京の一地点へ出向くことは、特に京都から出向くことと同じ意味合いになるのだそうである。パンパン宿から一歩もでずに、そのまま京都へひきあげてしまいそうであったが、長平はたしかにそれをやりかねない性癖であった。
 せつ子はバカバカしくてやりきれなかったが、長平を訪問することにして、穂積をよんだ。
「あなたも一しょに行きましょうよ。バカバカしくて、一人じゃ行けやしないわ」
「ハッハ。ビックリ箱でも、ミヤゲに持ッてらッしゃい」
 しかし、せつ子は珍奇なミヤゲモノをズラリと並べて信長を呆気にとらせた秀吉の女房のような女であるから、放二の病床を慰めるもの、長平へのもの、ルミ子への手ミヤゲに至るまで、しこたま買いこんで、パンパンアパートへ高級車をのりつけた。
 ルミ子の部屋へ一足はいると、
「まア、可愛いいこと! あなた、ルミ子さんね。こんなに清楚で、明るくッて、美しいお嬢さんが、こんなアパートにねえ! あなたは、ほんとに、サンドリヨンね」
 長平には目もくれず、挨拶ぬきでルミ子をほめちぎったが、腹の中ではバカバカしくッて、ウンザリしているのである。

       七

 接客業の女というものは、交際なれているように思われがちだが、実際はアベコベである。彼女らが自由にふるまえるのは、自分の職域においてだけで、一歩出ると敵地の如く、特に同性との社交性を欠いている。女ということを売り物にしているのだから、同性に対しては、交際よりも、敵対感が先立つのはムリがない。
 せつ子は彼女らを心服させるコツを心得ていた。彼女らには敵対感が尖鋭で余裕がないが、一段高く冷静にみると、甘さや盲点がよく分る。心服させるのはワケがない。
 しかし、ルミ子は、ちがっていた。肩をそびやかして対するようなところもなく、狡猾な処世技術によって鋭角をかいているのでもないようであった。
「とても親切に看病して下さるんですッてね。放二さんが感謝していましたよ。若いうちは、親切だけでは、行き届かないものだけど、あなたはお利巧なのね」
 善悪いずれにもとれるような、妙に含みの多い言葉で、せつ子はルミ子をおだてたが、ルミ子は軽く笑っただけで、
「私はヒマなのよ。先生がズッと泊りのお客さんでしょう。ほかの子たちは生活しなきゃならないけど、私の生活は安定。ゴルフも、ダンスもできないし、魚釣りも、ビンゴも、キライだし、パンパンてものは、人並みに遊ぶことを知らないものらしいのね。生活が安定すると、こまるのよ。病人の看病ぐらいに適しているらしい」
 ルミ子の言葉には邪気がないのだが、せつ子は自身の気持にこだわるから、十九の女隠者の述懐を素直にうけとれないのである。
「じゃア、あなたの恋人には、病人が適しているのね」
「そうでしょうか?」
 あどけない目をクルクルさせて、せつ子の瞳をのぞきこんだ。
 せつ子は調子を変えて、
「あなた、学校は?」
「田舎の高等学校一年生の一学期まで。東京へとびだしてきましたの」
「あなたは利巧だから、何をやっても、成功するわね。何か、やってごらんにならない。私、後援してあげるわ」
 ルミ子は大そう困ったらしく、
「そう見えるんですか?」
「自信を持たなきゃダメよ。あなたは身に具った珍しい天分のある方だわ」
「そうですかア」
 ルミ子はくすぐったそうにニコニコしていたが、やがて、哀願するように、
「そんなこと、おッしゃらないで。世間には、いろんな望みをもっていて、誰かがお金を貸してくれないかなア、なんて考えてる人がタクサンいますわ。ですけどね。私は、そうじゃないんです。ほかに望みがあって、誰かの力をかりたければ、こんなこと、していませんわ」
 ルミ子の顔は平静であった。そして静かなる微笑にも変化はなかったが、語調がやゝ改まってきたようであった。
「私だって、人並みに、何かがやれるぐらいの自信はありますけどね。私は、やる気持がなくなっているのです」
 ルミ子は自分の気持が改まっているのを羞じて、笑いだした。
「こんな話、よしましょう。面白い話、教えて。女の社長さんて、どんなお仕事なさるんですか。お仕事の話、きかせて。私もパンパンの話、きかせてあげるわ。私は商売の話、すきなんです。それしか知らないのですもの」

       八

 せつ子はいつまでもルミ子を相手にしていなかった。
「食事はどうしてらッしゃるの?」
 長平にきいた。ルミ子の部屋には、炊事道具も、食器らしいものもなかった。コップと、小さなヤカンがあるだけであった。
「なんでも出前をするようになったからね」
 長平は不自由を感じていない様子である。
 せつ子は、食って生きれば足りる、という生活態度には賛成できなかった。それではミもフタもないし、生きるハリアイもない。
 ルミ子の心の安定などというものも、同じように乞食の心境にすぎないのである。生れたまま、手数をかけずに、ほッたらかしておけば、元々、人間はそれだけのものだ。それだけではミもフタもないから、いろいろの手間をかけ、ムダをする。人生は実用の如くであるが、ムダをたのしむことでもある。人為的なタノシミを発見すること。歴史の跡にしるされた人間の逞しさといえば、それだけである。
 ルミ子の安定が十九という年齢によって珍しいということすらもウソである。乞食や泥棒の心境は年齢に関係のあることではないのである。ジオゲネスは学問というムダを重ねたおかげで、老いぼれて乞食の心境を会得したが、ムダをしなければ、子供の時から誰でもがなれる心境だ。
 長平は乞食の安定に同感している人間ではない。人生は実用の如くで、実は、最もムダを活用すべきものだ、ということを骨の髄から会得している芸術家である。人為というものを自然の上におくことを天性としている人間であった。
 しかし、人間には郷愁というものがある。たまには、炊事道具もない部屋で、乞食の心境を会得した十九の娘のモテナシをうけることは、マンザラではないかも知れない。それは休養というものである。
 しかし、人生と休養をゴッチャにするのは、利巧な人間の為しうべからざることである。休養の場を、実人生の場の如くに、安定しきっているというのは、よくよくのバカのやることで、その安定が見るからにタノモシそうでも、実用の役に立つものではない。実用にならないものは、デクであり、バカバカしいの一語につきる。
「散歩もなさらないの?」
「そう云えば、このアパートから一歩も出たことがないね」
 デクは今さら一歩もアパートから出なかったことを発見した様子であった。
「たまには街へでてごらんなさい。復興途上の街というものは一ヶ月に三年ぶんぐらい変るものですよ。一夏で銀座もまるで変りましたよ。食事がてらブラついてごらんなさい」
 長平はオックウであった。彼は散歩というような気持にはなれなかった。街へでるときは、街の中へ、溶けこむ時である。街へ生死をなげうつ時だ。
 なにも、このアパートにいたいわけではない。しかし、とにかく、この一室にいる時はこの一室に溶けこんでいる。そして、さらに街へ溶けこむことが、今は必要でもないし、オックウであった。
「今は、オックウです」
 長平は気の毒そうに、つけたした。
「ぼくが上京していることを、見て見ぬフリをしてくれないかな。街へでる時には、京都から、街のために上京します」
 デクの気持が分らぬではないが、バカバカしいことには変りがない。とにかく見切りをつけるのが利巧だから、せつ子はこだわらなかった。

       九

 放二はその二三日いくらか元気をとりもどしたように見えた。せつ子と穂積が訪ねた日は、夜になっても、人々が心配したほど疲れを見せなかった。
 ルミ子が遊びに行くと、
「梶さんに会いましたか」
 と、放二がきいた。
「ええ。私の部屋へいらしたわ。ハンドバッグいただいたの」
「話をした?」
「ええ」
「どんな話?」
「そうねえ。面白い話じゃないわ。お世辞の多い方ですもの」
「フフ」
 放二は笑った。
 放二には、梶せつ子という女の像が、いつも目にしみて映じていた。放二の目に映じているせつ子の像を、人々は、せつ子には似ても似つかぬウソの像だと云うかも知れない。それは放二には問題ではなかった。
 せつ子は女らしい女でありすぎるのだ。女のもつ性質の一つ一つを、あまりに豊かに持ちすぎている。特に一つに恵まれるということがなく、全てに平均して恵まれているために、彼女は常に平凡であるが、同時に、停止することも、退くこともできないのである。家庭的でもないし、娼婦的でもない。浮気でもないが、中性でもなかった。特に何物でもない。ただ非常に平均しすぎた女。平均という畸型児であった。
 彼女は家庭婦人となるにしては、男性への洞察力が鋭すぎたし、虚栄心も、名誉慾も高すぎた。しかし、事業家として成功するには、あべこべに、潔癖でありすぎたし、好き嫌いが強すぎる。人を信頼するに過不足でありすぎる。
 彼女の事業も、すでにかなり衰運に傾いているのではないかと放二は思っていた。彼女は、どこへ行くだろうか? それを思うと、放二は暗い。
「お世辞を使わずに、思うことをハッキリ言える人は、強い人ですよ」放二はルミ子に語った。
「梶さんは、お世辞を使いすぎるし、無愛想でもありすぎるし、憎みすぎもするし、愛しすぎもするのです。一ツ一ツが強すぎて、めいめい、ひッぱりッこしているから、あの人の中心には、いつも穴があいているのです。一ツ一ツひッぱる糸が生きているけど、あの方には、中心がないのです。女というものを象徴した人形にすぎないのです」
 ルミ子はビックリして放二を見つめた。にわかにウワゴトを言いだしたのかと思ったのである。放二の言葉は、てんで意味がわからなかった。こんなにワケのわからないことは、今まで言ったことのない放二であった。
 放二はやつれて、目が大きく、頬がこけていたので、安らかな顔ではなかった。微笑しようとしても、吐く息が大きくて、思うようにはできない様子である。しかし、ウワゴトではないのであった。
「ルミちゃんは、梶さんの妹なんです」
「え?」
「気質のちがう姉妹があるでしょう。ルミちゃんは、気質のちがう妹なんです」
「そうですか」
「そうです。ですが、女らしい女ということでは、二人とも、似ています。ルミちゃんは、はじめから不幸を選んだのは、賢明だったかも知れません」
「そうですか」
「不幸を選ぶ事のできない人は」
 そう言いかけると、放二の目から一滴の涙がこぼれた。

       十

 放二の部屋には、五人の女たちが、まだ寝泊りしていた。
 重病人の部屋であるから、静粛、清潔ということを医師や看護婦にくどく言い渡されていたし、時々見舞い客もあることだから、万年床をしきッ放してヒルネもしていられない。シュミーズ一つ、ネマキ姿というわけにもいかない。
 以上のことを封じられると、彼女らの自由の大半は失われたようなものであるが、彼女らはこの部屋から立ち去ろうともしなかったし、日中もほとんど部屋にゴロゴロしていた。
 彼女らが泊りの客をつかまえるのは、困難な事業に属するものになっていた。五百円ぐらいでも外泊の客がひろえればよろしい方だ。すると宿へ二百円おいて手取りは三百円である。ママヨと思えば三百円でも客をひろった。すると翌朝手に残るのは百円であった。
「アア! 自分の部屋が欲しい!」
 五人の誰かが毎日そう呟いていたが、誰も真剣に部屋をもつための努力をしているものはなかった。
 五人はめいめい疑り合っていた。誰かが秘密に貯金しているのではないか、と。なぜなら、彼女らは貯金を持ちたいということが、何よりの念願だったからである。
「アア! お金がほしい!」
 毎日誰かが血を吐くような叫びをあげたが、すると一同ゲタゲタ笑ってしまうのである。
「いくら、たまった? 畜生!」
 ヤエ子は病人の枕元であるのもかまわず、自嘲の苦笑をうかべて、憎らしげにルミ子によびかけた。
「あの女が、ハンドバッグ、くれたんだって? 畜生! オレにくれろよ」
 ルミ子は答えなかったが、病人の足もとをゆっくり一と回りすると、ねそべっているヤエ子のクビをおしつけて、おしかぶさって、
「お前には、アドルムあげるよ。ねな!」
「畜生!」
 ヤエ子は牛のように跳ね起きた。ふりむきざま、右の拳に力いっぱいルミ子の顔に一撃をくれた。ルミ子は一枚の紙のようにフッとんだが、倒れた上へヤエ子がとびついたのは殆ど同時であった。馬乗りになってクビをしめたが、ウッと声をあげたのは、押しつけているヤエ子である。頬をつねった。目のフチをつねった。あとはメッタヤタラに顔面をなぐった。狂気のようである。
 他の女たちがようやくヤエ子を距てたが、ルミ子の唇がきれて血が流れている。
「殺せ! はやく、殺せ!」
 とり押えられたヤエ子は足をバタバタさせて叫んでいる。
「なにが、殺せ、さ。ルミちゃんを殺しかねないのは、あんたじゃないか」
「ヘッ。それが、どうした。お前だって、ルミ子が死んじまえばいいと思ってやがるくせに。アタイはアイツが憎いんだ。自分だけ、部屋をもって、羞しくないのかよ! アタイたちが宿なしで、うれしいだろう! 畜生!」
 ルミ子の顔色が変った。
「ここを、どこだと思うのよ」
「チェッ! なんだと。どこだって、かまうかい。お前が、ここの、何なのさ」
 ルミ子は語るにも叫ぶにも窮して、涙があふれた。ヤエ子はそれを憎々しげに見すくめた。
「フン。結構な御身分さ。自分だけがこの部屋のヤッカイ者じゃないと思ってやがる。オレたちは貧乏だよ。金がないんだよう。金がありゃ、誰だって、思うことができるんだ」

       十一

「思うことができるなら、静かにしたら、どうなのね」
 と、一人がたまりかねて、たしなめたが、
「よせやい。アタイ一人が悪いのかい。わるかったネ。お前たち、お金あるのかい。ヘソクリがあるなら、正直に言いなよ。アタイだけが、一文なしの、宿なしだと笑いたいのかよ。叩ッ殺してやるから、笑ってみやがれ。オイ。笑えよ!」
「勝手におしよ」
 一同はウンザリしてヤエ子を突き放した。部屋にいて喚きたてられては困るから、
「オフロへ行こうよ」
「そうしましょう」
 と、一同は仕度をはじめる。ヤエ子は腕ぐみをしてジロリと一同を見上げて、
「フン。アタイにオフロ銭もないのが、うれしいのか。見せつけたいのかよ」
「うるさいね。オフロ銭ぐらい、だしてやるよ。いつだって、そうしてもらッてるじゃないか」
「いつも、そうで、わるかったな」
「だまって、ついてくるがいいや」
「バカヤロー。オフロ銭ぐらいで、大きなツラしやがるな」
 一同はヤエ子にかまわず、オフロへでかけた。ヤエ子は目をなきはらして便所へとびこんだが、実は便所の窓から、道を行く彼女らの後姿をうかがっていた。
 ルミ子が自分の部屋へもどって、オフロ道具をかかえて、彼女らを追うて去る姿を見ると、ヤエ子はようやくホッとした。彼女らの姿が見えなくなり、しばらくしても戻ってこないのを認めて、ヤエ子は便所をでた。そしてルミ子の部屋の戸をあけた。
「ルミちゃんの着代え、とりにきたのよ。オフロ屋の前のドブへはまっちゃッたのさ。トンマなヤツなのさ」
 ヤエ子は長平の存在などは、眼中になかった。パンパン宿へ一週間も泊りこんでいるジジイに利巧な奴がいる筈はない。助平の甘チョロにきまっているのである。
 ヤエ子は押入をかきまわした。行李が一つある。彼女はそれを、ゆっくりと、五分ぐらいも、中身をしらべていた。
「なにをしてるんだ。早く着代えを持って行ったらどうだ」
 長平がジロリとふりむいて言っても、ヤエ子は平気であった。
「ちょッと中身を見ているのさ。あんまり、たくさん持ってるから、目がくらまア。コチトラは着たきり雀だから、ビックリすらアね。へ。ずいぶん派手に、買いこんでやがら。パジャマ三枚もってやがら。人をバカにしてやがるよ。コチトラ、シュミーズの着代えもありゃしないよ。ズロースもね。エッヘ」
 最後のワイセツな言葉と笑いは、長平にあびせかけたものである。
 とうとう虎の子のありかを探しだした。銀行の通帳と一万円余の現金であった。彼女は行李の中のものを片づけて、
「これがキモノか。これがジュバンだ。このフロシキに包んでやれ。ヘッ。ズロースと、お腰も持ってッてやろうかな」
 と、又、長平に嘲笑をあびせかけて、包みをかかえて悠々と消えてしまった。
 風呂から戻った一同は、これを知って、被害者のルミ子よりも顔色を失った。
 ヤエ子の宿命と自分たちの宿命が、遠く離れたものでないことを、彼女らは身にしみて知っていたからである。ヤエ子は追われて立ち去ったのだ。追われる圧力を彼女らも身にしみている。まだしもルミ子の物を盗んだヤエ子は賢明だ。彼女らの心にうごいたものは、羨しさであった。

       十二

 長平はヤエ子の泥棒ぶりに感心した。よほど天分があるようだ。痛快になめられたものであるが、腹をたてる余地がない。
 彼の存在を眼中になく、行李をあけて十分ちかく金品を物色した落付きというものは、水際立っている。このとき彼の存在というものは、地上で最もマヌケ野郎に相違ない。おまけに、ズロースや腰巻などゝ適切なカイギャクを弄して、マヌケの上に怪(け)しからぬ根性に至るまで心ゆくまで飜弄しつくして退散しているのである。
 しかし、考えてみると、今までにこういうことが起らなかったのがフシギなのだ。ろくに稼ぎもないくせに、ムダ食いやムダ使いがやめられない五人の宿なしパンパンが、今まで泥棒しなかったのが珍しい。
 放二をめぐる生活の雰囲気が、彼女らの情操を正しく優しくさせていたと見るのは当らないようだ。盗みをしない方が、確実に生活安定の近道だったからである。雰囲気などゝいうものは、その安定を見定めた上で現れてくるセンチな遊びにすぎない。
 盗みをはたらく条件をそなえている人間が、雰囲気の中で妙にセンチにひたっているよりも、盗みをした方が清潔かも知れない。ヤエ子の大胆不敵な盗みッぷりから判断しても、こう判定せざるを得ないのである。雰囲気などというものは、実際は無力なものだ。
 しかし、ついに雰囲気がくずれたこと、つまりは生活安定の見透しがくずれたということについては、それが人生の当然ではあるが、無常を感ぜずにもいられない。
 放二の息のあるうちに、それが行われるというのは、まことに皮肉でもあるし、滑稽でもあるが、これが放二の善意に対する当然な報酬かと考えると、悲痛な思いにうたれもした。
 彼の冷たい判断からでも、放二の善意を若気のアヤマチと言いきれはしない。感傷とは言いきれない。しかし、たとえば彼の善意が神につぐものであったにしても、その報酬がこんな結果に終るというのは、人間の世界では当然すぎるのだろう。そして、放二は、それにおどろくような男ではなかろう。彼はほぼ全てのことを知っていた。
 長平は放二のとこへイトマを告げにでかけた。
「どうだい。いっそ、御一統に自由に解散を願ったら。一葉落ちて、秋来れりさ。一葉ずつ、妙な落ち方をさせない方が、サッパリしてよかろう」
 こうズケズケ言うと、放二は笑って、
「先生は貧乏人の心境をお忘れですね」
「そうかい」
「宿がないということと、タヨリがないということは、やりきれないことなんです。ギリギリのところへきてしまえば、自然に何とかなるものですが、さもなければ、解散しても、結局ここを当てにすると思います」
「なるほど」
「人間は、すすんで乞食にはなれないのですね。三日やればやめられないと分っていても」
「なるほど。秋がきても、気にかからなければ結構さ。じゃア、帰るよ」
「御元気で。長らく有りがとうございました」
 長平が離京するとき、ルミ子が送ってきた。
「いい加減で帰りたまえ。別れ際の時間は短いほどよろしいものだよ」
 長平が彼女を帰らせようとすると、
「セッカチね。私の方が大人だなア。一度、手紙を差しあげるから、忘れないでね」
 ノンビリ手をふって、二人は別れた。


     新しい風

       一

 せつ子は退院後の記代子をひとまず自宅へひきとった。甚だ好ましくなかったけれども、隙あらばと記代子の病室をうかがっている青木を見ると、他に安全な保管所が見当らないから、仕方がなかった。
 記代子の顔を見ることが他にたぐいる物がないほど不快なことだということを、ひきとってから気がついた。
 記代子の入院中、ウワゴトの中で叫んだ言葉は「エンジェル!」という名にからむものばかりであった。
 せつ子に何より不快なのは、それだった。記代子が居ると、その背後に、エンゼルという動物めいた悪者がいつも一しょに影を重ねて居るようで、動物の匂いがプンプン漂ってくる気がする。記代子が住みこんだばっかりに、わが家に動物小屋の悪臭がしみついてしまったようであった。
 記代子を見ると、目をそむけたくなるのをこらえようとすると、冷めたくジッと見つめてしまうことになる。ある日、記代子が言った。
「憎んでらッしゃるのね」
 記代子は、退院の日、なんとなく希望がわきかけたような喜びを感じた。希望というものが全て失われたように、前後左右たちふさがれた切なさに苦しめられたアゲクであった。はじめて小さな爽やかなものに、すがりつくような喜びで、退院したが、それも再びどこかへ没してしまったようだ。この明け暮れ、人生の希望を知るのに骨が折れた。人々が、だんだん憎く見えるのである。
「私、憎まれるのは平気なんです。それが当然ですものね。ですけど、矛盾がイヤなんです。憎みながら、保護して下さるのは、なぜ? その『なぜ』にもっと早く気がつけば、私もマシな生き方ができたでしょうに」
 バカな人間に、尤も千万な言いがかりをつけられるぐらい、興ざめることはない。せつ子は自分の人生が、いつもそのことで悩まされているような気がするのである。結果の事実としては尤も千万であるけれどもツラツラ元をたずねれば当人がバカのせいだということを、全然忘れているのである。
 記代子の背に青木の影が重なっているだけでもイヤだったのに、エンゼルの影も重なっている。動物臭がプンプン匂っている。それはみんなバカのせいだ。
「あなた、今になって気がついたのは、そんなことなの? そのほかに、気づかなければならないことが、ないのかしら?」
「でも、憎んでらッしゃるでしょう。それに答えてよ」
「さア。憎んでいますか。あなたが憎まれてるンじゃないでしょうか」
「おんなじことよ」
「あなたの場合、憎まれているか、いないか、そんなことを考えるのが問題ではないのよ。人々に憎まれる原因について、考えなければならないのよ。あなたも散々苦労なさッたでしょう。そのアゲク、私に憎まれているか、いないか、ようやくそんなことだけ気がつくようになったとしたら、ずいぶん悲しいじゃありませんか。人々はあなたに期待しています。あの大きな試錬の中から、あなたが何をつかみとってきたでしょうか、と。あなたの場合、私という存在は、とるにも足らぬ問題よ。あなたは男性というものに、どんな新しい考えを、つけ加えるようになりましたか。青木さんについて、エンゼルについて、あなたが新しく知り得たことは、どんなことでしたか。それについて、真剣に考えたことがありましたか」

       二

 せつ子の言葉は利巧ではなかった。
 人は誰しも忘れたいことがあるものである。特に記代子の場合などは、悪夢のたぐいで、遺恨は骨髄ふかく血みどろに絡みついているのだ。遺恨の深さというものは、バカと利巧にかかわりなく、差のあるものではない。
 その経験を生かせ、というのは、理窟はそういうものではあるが、人間の実状に即したものではない。利巧でも、そうはいかない。
 まして男女関係というものは、ハタの目からは割りきれても、当人にとっては永久に謎という性質のものである。人間関係というものは合理化しきれるものではない。常に個々独特である。
 悪夢は忘れるにかぎる。バカは死ななきゃ治らない、というのはその人間の墓碑銘としては、よく生きた、という意味に当っているかも知れない。バカでなかった人間よりは、精いっぱい生きているのだ。精いっぱい生きて利巧であったという奴はまずいない。
 しかし、人間は、人のバカさ加減まで、いたわってやるほど、親切である必要もないにきまっているだろう。
 記代子はエンゼルを忘れようと思っていた。それはエンゼルを悪党と断定した意味でもないし、エンゼルを愛せなくなったという意味でもない。理論や感情を超えた一ツの気配がわかるからだ。エンゼルが自分を愛していないという気配、いくらエンゼルを思ってもムダだという気配がわかるからである。
 記代子が経験から得た結論はそれだけであった。彼女の考えも感情も、そこに突き当って、引き返す。つまり、その壁にぶつかって、新しく出発するのである。
 そして、壁にぶつかって引き返してきた新しい感情は、青木か、あるいは、そのほかの新しい何か、そう考えがちであった。それは逞しく、強い考えではない。ややヤケ気味の、絶望的なものでもあった。
 しかし、絶望的な考え方は、むしろ地道なものであった。彼女は時々空想的なことを考えた。人に使われる身から離れて、独立した職業についてみたい、という考えだ。会社員とか、ダンサーとかいうのではなく、自分がその店の主人公、というような空想であった。そのへんまでは、まだ地道かも知れなかったが、すると記代子はその次にこう考えている。お金持になりたい。そして、誰に気兼もなく、自由奔放に生きたい。
 その空想には、極めて現実的な限界があった。彼女の最も近い身辺に、そういう女が実在しているのである。あまり身近かなために、感情的にせつ子を過少評価することは容易であったが、彼女と自分との身にそなわった位の差というものを実感的に脱けだすことは、まず不可能なことであった。
 しかし、無理ムタイに脱出できるたった一つの口があった。それは、怒り、逆上である。
 記代子は半死半生の経験によっても、冒険や危険に怯える心を植えつけられはしなかった。むしろ、なつかしみさえした。彼女があの怖しい経験から教訓を得たとすれば、あのようなことを再びしたくないことではなくて、あのような場合に処する技法に対する期待であった。それも空想の一つである。かすかな期待はあっても、勇気はないし、自信もない。
 記代子はせつ子と睨み合った。彼女を言い負かす言葉はない。しかし、もうこんな家にいるのはイヤだ。今日かぎり、とびだすのだ、と考えた。むしろ閉じこめられていた陰気な空に青空がのぞけたような気がした。
 彼女は覚悟をきめると、だまって自分の部屋へゆっくり戻って、カギをかけた。

       三

 記代子はさっそく家出の仕度にとりかかった。子女の家出に熟慮断行などということは、めったにない。激情的であるから、当人は一時的に悲愴であるが、同時に冷静でもある。時間を失せず、今のうちに飛びださなければ、ということを充分に知りすぎているのである。今でなければ、家出の理由がないし、大義名分がない。今を失すると、再び踏み切るときがないかも知れない。平静の時には自信がないことを知っており、激情にまかせなければ実行不可能であることを知っているのである。
 それは家に甘えているせいではない。誰しも家をでれば、寄るべないのは当り前のことである。
 記代子は二度目のことであるから、なれているようであるが、こういうことは馴れるというものではないようである。必需品はなんであるか、それぐらいのことには気がつくが、特にこの際に必要な、そこまで冷静な計算ができない。血迷ってもいるし、先の目算がたたないせいもある。
 夜の家出というものはグアイがわるい。夜中トランクをぶらさげてブラ/\しているのは都合のわるいことが多いものだ。翌日せつ子の出勤をまって、ゆっくり脱出した方が万事によろしいけれどもそれまで待っている余裕が怖しかった。そこで記代子は、何も持たずに家をでることにきめた。
 せつ子はさすがに大人であった。家出癖のついた小娘を怒らせっぱなしに放ッとくのは穏当ではない。折れたり、なだめたりするのは愉快なことではないが、対等にみたてて意地をはるのは大人げない話である。折れてみせて優しい言葉の一つもかけてやれば、その場では打ちとける色をみせなくとも、内々鋭鋒はくじけているものだ。
 そこで、せつ子は程を見はからって記代子の部屋をノックして、
「どうしてらッしゃるの? あら、カギがかかってるのね。はいっちゃいけないこと?」
「もう、ねています」
「そう。じゃ、私も戻ってねましょう。さきほどは、ごめんなさいね。でも、あれぐらいのことで血相変えて怒るなんて、オコリンボね。もう、仲直りしましょうね。おやすみなさい」
 せつ子はそれで安心して自分の部屋へひッこんだ。これだけ手を打っておけば、記代子は安心して、ねて忘れてしまうだろう。
 しかし、こんな動物の匂いのプンプンする因果物のような小娘を、今後どう処置したらいいのだろうかと考えると、ウンザリしてしまう。放二も悪い時にねこんでしまった。記代子から必要以上の動物臭をかぎたてるのも、こういう間の悪るさのせいもある。
「男の方が利巧らしい」
 せつ子は苦笑した。吾関せずの長平が、憎らしいが、なつかしまれる。彼の冷淡さに理があるように思われるからであった。
「あんなことを言って、子供だましのようなお世辞なんか使ったって、だまされやしないわ。まるで悪るがしこい狐のよう」
 記代子の鋭鋒はくじけなかった。記代子はすでに覚悟がついてしまっていた。否、家出後の暫時の目鼻がほぼリンカクをなしていたのである。せつ子は程を見はからいすぎて、時を失したのである。
 せつ子の訪れは、却って落付きと、かたい決意を与えたようであった。まだ九時ちょッとすぎたばかりだ。記代子は人々の気配に耳をすまして、せつ子の家から忍びでた。

       四

 社がひけてから、二三ヒマをつぶして、青木はゆっくり宿へ戻ってきた。すると、一足おくれて訪ねてきたのが記代子であった。
 記代子は彼に笑顔すら見せなかった。突ッ立ったまま、
「ここにはいられないのよ。てもなく発見されてしまうわ。どこか、社の人たちに気づかれない旅館へ案内して」
 頭上から噛みつくようにイライラと命令する。
「慌てることはないでしょう。お茶でも召しあがれ。アッ。なるほど。どなたか、お連れの方が表に待たしてあるんですね。遠慮なく、よんでらッしゃい」
 青木はバカに察しがよい。敗北精神が骨身に徹しているのである。心にうちしおれたりとは言え、表には益々明るいホホエミをたたえて敵をもてなそうという志であった。
「連れなんか、ないわ」
「ヤ。失礼。すみません。ぼくは、ダメなんだ。すべての栄耀(えいよう)は人に具わるもの、そねむなかれ、という呪文を朝晩唱えるようになったからね。しかし、あなたが丈夫になって、ぼくも嬉しいです。世の大人物はあげてぼくを虐待するからね。陰ながら、病室の外まで見舞いに行っていたのを知っていますか」
 青木がなれなれしく話しはじめたので、記代子は苦々しくふりきって、
「つまらない話は、よして。見舞いにきたのが、どうしたッていうの。見舞いに来てほしいなんて、思ってもいなかったわ。私、こゝにグズグズしていられないわ。梶さんのおウチから、とびだしてきたんです」
「なアンだ。社長殿の邸宅にかくまわれていたのですか」
 記代子は舌うちした。
「卑しいわね。そんな興味を、いつも持っているのね。人の私生活に興味をもつなんて、卑しいわ。グズグズしないで、旅館へ案内しては、どう?」
「そうガミガミ云うことはないですよ。さッそく支度をしますけどね。人にはガミガミお金にはピイピイ、あわれなる宿命だね。しかし、あなた、社長邸をとびだして、旅館へ泊って、いかがなさるのですか」
「うるさい!」
 記代子はカンシャク玉をハレツさせて、一喝した。妙齢の女子が、かりそめにも男子に一喝をくらわせるとは、由々しいことである。女中や下男に向ってそんなことをするかも知れないが、同輩に対する習慣にはないことである。
 しかし、青木は怒らなかった。むしろ記代子をあわれと思った。その墓碑銘に「多難なる生涯を終りたる娘」と書くに価する悲しい人生を経てきた娘が数多くいるはずのものではない。記代子などは例外だった。
「カンシャクを起したくもなるだろうさ」
 青木は深い愛情をもって記代子を見ていた。それは同族に対するあわれみの念でもある。記代子のようなアワレな娘には、踏んだり蹴ったりされても、トコトンまでイタワリを果すユトリを彼は身につけていたのである。
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