街はふるさと
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著者名:坂口安吾 

       十一

 翌朝、青木は見知らぬ部屋で目をさました。ねているのは、彼だけだった。どうしてこんなところに居るのだか思いだすことができないうちに、襖があいて、現れたのはルミ子であった。
「千円札、目がさめてる?」
「ここは、どこ?」
「私は誰?」
 青木はようやく分ってきた。ルミ子の部屋には先客がいたのだ。彼はルミ子にみちびかれて、近所の宿屋へねかされたのである。
「私の部屋へくる?」
 青木はうなずいて、立上った。
 ルミ子の部屋は、客を送りだしたばかりであった。青木はそのフトンの上へころがりこんで、
「誰かの体温がのこっているよ」
「もっとタクサンのこってるのよ。私のからだの中にね」
「君だけだな。ぼくを締めださないのは」
「千円札のあるうちはね」
「そうだっけ。そんなこと、怒鳴ったのを覚えてら。どこかで、ひッぱたかれたッけ」
「そう。八重ちゃんにね」
「ちがう。オデン屋のオヤジだろう」
「八重ちゃんにもよ。覚えていないの?」
「どこで?」
「兄さんのお部屋でさ。私にお客があったから、八重ちゃんに世話してあげたら、お前なら百円札でタクサンだッて喚いたからさ」
「ひッぱたかれたのは、それだけかい」
「あんたが、ひッぱたいたわ」
「誰を?」
「兄さんを」
 青木は驚いてルミ子を見たが、とくに非難しているような顔付でもなかった。
「北川君をぶつなんて、妙だな。なぜ、ぶったろう?」
「酔っ払いだからさ」
「何か言ったかい? 女のことかなんか」
「あんた、なぜ、顔をあからめるの?」
「変な観察は、よせ」
「なぜさ。あんたぐらいの年になって、そんなことを言いながら顔をあからめるなんて、スッキリしてないね。救われないから」
「救われたかないんだから、いいやな」
「あんたのことじゃないのよ。救われない顔、見せられる方が因果だから。あんたぐらいの年配の人は、たのもしいような顔をするものさ。公衆衛生だから。街路美化週間なんていうわね」
「で、女のことを、言ったかい」
「誰のことを?」
「おい。ハッキリ、言えよ」
「あんた、シッカリ、しなさいよ」
 ルミ子は青木を見つめた。
「あんたぐらいの年になって、そんなことが気がかりなの? 女のことを言ったか、言わなかったか、なんて」
「おい。割りきったようなことを云うな」
「そう。でもね。その女の人が、気の毒だと思うのよ。年配のオジサンが、こう救われなくちゃアね」
「ま、いいやな。とにかく、女のことを、何か言ったかい?」
「言わなかった」
 また、ルミ子は青木を見つめた。
「それで、安心した? あわれじゃないの」
「バカな。人間とコンクリートをまちがえちゃアいけないよ。じゃア、失敬。可愛いお嬢さん」
 青木はアパートをとびだした。


     泣き男


       一

 穂積が京都へきて、話のついでに、青木と記代子のことを長平に語ってきかせた。記代子が長平の姪であることは百も承知のはずだが、千里距てた異邦人の噂をしているように、うっかりすると聞きもらしそうな話し方であった。
 長平は記代子のことに驚くよりも、穂積の悠長な話しぶりに心をひかれて、
「君、わざと気をつかってくれたのかい?」
「え?」
「ぼくをビックリさせないために、わざと悠長な話し方をしたのかと訊いているのさ」
「ハッハア」
 穂積は雲をつかむような笑い方をした。わざととぼけているのかと思うと、苦りきって、
「当節、人のことで気をつかっちゃいられませんよ」
「へえ。なぜだい?」
「ハッハア」
 また、雲をつかむような笑い方をした。
「ですが、人生は、事もなく、また、若干、多忙ですな」
「なんのことだい」
「とにかく、人間というものは人の噂をしたがるものですよ。他人の身の上は多事多端ですな。そして当人だけは、事もなく、わが身に限って何一つ面白いことが起らぬような気でいるものですよ。そのくせ、あらゆる人間が人の話題になるような奇妙な身の上をしているのですな」
「なるほど」
 まったく、人生はそんなものかも知れない。彼自身にしても、梶せつ子と関係をもつに至った一夜の出来事などは、人の絶好な話題になるものであろう。しかし当人には、さしたる事ではない。今後せつ子と同様な機会が起らなければ、あの一夜は、単に過去という無の流れに没し去っているにすぎない。似た機会が起るにしても、二つの夜は、その時に限って継続しているにすぎないのだ。せつ子のように多事多端な毎日をすごす人でも、当人の身には事もない一生であるかも知れない。
「すると、君自身の特に最近の実感だね。事もなく、又、多忙をきわめているらしいな」
「多忙を自覚する人と、自覚しない人に分類して、ぼくはやや自覚派に属していますよ」
「君がかねえ。そんなにとぼけてねえ」
「とぼけているのは顔だけですな」
「青木君と記代子の二人はどうですか。自覚派かも知れないな」
 穂積はちょッとうつむいて考えこんでいたが、ちょいととがめだてるように、
「ひどいねえ」
「なにが?」
「記代子さんは、先生の姪ですよ。まるで赤の他人の話のように」
「へえ。そうかい。ほくが君に訊きたかったのが、それなんだぜ。当人が姪の身の上を他人同様きき流すのは当人の自由なんだぜ。ところが、それをぼくに語ってきかせる君の場合は、世間なみの礼義みたいな気兼ねがありそうなものじゃないか。御愁傷様というような、ね。ぼくの目からは、君の方がトーチカのように見えるんだがね」
「ハッハア」
 穂積は明るく笑って、
「だから、人のことで気をつかっちゃいられないんです。その代り、自分のことじゃア、慟哭しますよ」
「バカに都合がいいんだね。それで安心しているわけじゃアなかろうね」

       二

「しかし、これに就ては、どうですか。五十がらみの男と二十の娘が恋仲になってですな。まア、一般的な感情として、男に好感がもてないのが自然だろうじゃありませんか。ところが案外にも、男の方は、なんとなく引き立ってみえるんですな」
 穂積はハッハアと笑って、
「しおれた野草のような青木さんが、一輪ざしの花のように生き生きと、ハッハ、まア、それぐらいに見える瞬間もなきにしもあらずです。それにひきかえて、二十の娘は徹底的にウスノロに見えるんですな。けだし、ぼくのヤキモチのせいでしょうかね」
 そして穂積は記代子の恋愛状態のウスノロぶりについて例をあげて語ってきかせた。
 そのことがあってから一月あまりすぎて、梶せつ子が京都へきた。
 十一二の男の子が二人、せつ子が紙キレに書いたものを長平の住居へ持ってきた。こッちへ旅行に来たから寄ってみた。別に用があるわけでもないし、在宅かどうかも分らないから、ボンヤリ外に遊んで待ってるが、ヒマだったら食事でもしませんか、というようなことが走り書きしてあった。
 子供の案内で、近所のお寺へ行ってみると、木立の中で、せつ子は子供たちと蝉をとっていた。
「お早う。まだ、十時半よ」
「ぼくは早起きだよ。荷物は?」
「ちょッと散歩にぬけだしてきたのよ。大阪から」
「じゃア、殿様のお供だね」
 せつ子は軽くうなずいてみせた。
「京都の子供ッて、東京の言葉がわからないのかしら?」
「どうして?」
「お手紙とどけてちょうだいッて頼んだんです。なかなか分ってくれないのよ」
「それは君の頼みが奇怪だから、理解できないのさ」
「いいえ。理解しようとするマジメな気持が顔にアリアリ現れているのよ。言葉が通じないらしいわ。京都にも気の短い子がいるのよ。言葉が通じなくッて、モシャクシャしたらしいのね。インデコ、だって。わかる?」
「インデコ?」
「もう、帰ろう、ッてことなの。さッさと逃げて行っちゃったわ」
 せつ子は板チョコを折って長平にくれた。子供たちがチョコレートをかじっているところをみると彼女が配給したのに相違ない。せつ子が手をふってサヨナラと叫ぶと、古都の子供たちは、サヨナラ、バイバイと言った。
「浩然の気を養うという大人の風格があるよ」
 と、感心したのか、ひやかしたのか、わけのわからないことを長平が言うと、せつ子はなさけなそうに苦笑して、
「ゴキゲンとりむすぶの、つらい。息苦しくなるのよ。でも、こんな、息ぬきに散歩にでたりして、とても一流じゃないわね」
 そして、道ばたの犬に、じれったそうに口笛をふいた。
「記代子と青木はどうしてる? まさか、死にもしないだろうね」
 せつ子は驚いて長平を見つめた。
「どうして、知ってらッしゃるの?」
「穂積君がきかせてくれたのさ」
「知られぬ先に、処分しようと思っていたのに」
「処分て?」
 せつ子はボンヤリ口をつぐんでいた。

       三

「処分とは、おだやかならんね」
 重ねて、こう問いかけると、せつ子はものうそうに目をうごかして、
「誰にも知られないうちにと思っていたのよ」
「だって、ぼくは叔父じゃないか」
「だから、尚さらのことよ。こんなこと、肉親は知る必要のないことよ」
「そういうもんかね」
「わかってるくせに」
 せつ子は悠々と歩いていた。
「記代子さんは見かけによらぬアマノジャクよ。ダタイなさいとすすめても、フンという顔よ。私を嘲けるような薄笑いを浮べるだけなの」
「じゃア、記代子はニンシンしたのかね」
 せつ子はうなずいて、
「私のほかには知られていないと思うけど」
「青木だろうね、男は?」
 せつ子は、又、うなずいた。
 考えてみたって、仕様がない。長平は観念した。人間はみんなそれぞれ一人前に動きだすのが当然なのだから。どこといって、ぬきんでたところもなく、一風変ったところも見えない記代子なのだが、お半だのお七だのと思いきったことをやらかす女は、平凡で取柄のない小娘にかぎるのかも知れない。
 それまでは予想もしないことであったが、恋をしたあとの記代子のふてぶてしさが、にわかに思い当るような気にもなった。
「なぜダタイしないのだろうね」
「なぜでしょう」
「よほど、頭がわるいんだろうな」
「平凡な子ほど気違いじみたことをしでかすわ。女の本能が気違いじみているのね」
「静かにさとしたらどうだろう。気が立っているだけじゃないかな」
「そうでもない。私の能力でできるだけの手をつくしてみた。青木さんの子供なんか、生ませたくなかったから」
 手を変え、品を変え、さとしたり、すかしたりした時のことを思いだすと、腹のたつことばかりであった。
 青木の口からダタイをすすめさせもしたし、青木もそれに不賛成ではなかったが、記代子はきかなかった。青木もあきらめて、
「結局ダタイをすすめることが、何よりダタイしないという決意をかたくさせるようなものさ。ねえ、社長さん。ほかに理由がありますか。ぼくには、てんで見当がつかない」
 彼は力つきて、こうせつ子に報告した。
「あなたは子供を育てますか」
 こうきくと、青木は決意の重さにおしつぶされそうな、蒼ざめた顔をひきしめて、激しすぎるほどキッパリ言うのだ。
「むろんですとも。ぼくの子供ですよ。考えてみると、ぼくの足跡はこれだけなんだ。そう考えてニンシンさせたわけではありませんがね。みじめな男は、足跡がのこるまでは、それを欲してやしませんからさ」
 カラカラと、目まいでもしているような笑いをたてるのであった。せつ子は顔をそむけた。思いだしても悪感がすると思うのだ。
「放二さんと記代子さんを、結婚おさせなさろうとお思いじゃないこと?」
 せつ子は長平をみつめて、
「先生のお考えはどうなの? 先生がそれを希望なさるなら、私、必ず記代子さんをダタイさせます。いいえ、むかしの処女にもどしてあげるわ」

       四

「近いうち、上京しよう。それまで、記代子のことは、そッとしておきましょうや」
 食事しながら、長平は言った。
「なに、ぼくが上京したからって、人の心をうごかすような力がそなわってるわけじゃなし、新しい希望や打開策が生れる見込みは有りゃしないさ。それでいいと思ってるのさ。色恋の世界には、先輩後輩はなさそうだ。子供はとつぜん大人になるし、大人になったときは、もう同列のものですよ。この道ばかりは、何十年かかったって、ムダはムダ、当人のことは当人だけしか分りゃしない」
「私はそれほど悟れないけど」
「それは、そうさ。ぼくは講壇派、ニセ達人だが、あなたは生活派の達人だ」
「私は常識的に考えているだけ。記代子さんが結婚前に子供を生むなんて、変だから。青木さんの子供なら、なお奇ッ怪でしょう。それだけのことなの。そうオセッカイでもないのよ。ただ目のふれるところで行われているから。目ざわりなのよ」
 久しぶりの対面であったが、せつ子の心はこだわりなく打ちとけて、のびのびしていた。それが長平に快よかった。こんなにこだわりなく、のびのび打ちとけてみせることができるのは、とにかく、すぐれたことだ。肉慾にこだわりがなく、それを没したようなスガスガしさがあった。
「記代子の話は、もう、よそう」
 長平は言った。百里離れて人の色恋を案じてみてもムダなことだ。
 長平は珍しく眼前の事実に充足するよろこびを味っていた。
「今日は珍しく、たのしいよ。風に乗って、たのしいことが運ばれてきたようなものさ」
 炎天の樹間をくぐって、いくらか涼風が通ってくるが、杯をあげているから、汗の量をへらすだけのタシにもならない。しかし、かがやく葉が草が、目にしみる。炎天の光も、時には、美しいものだ。
「君の気持は、わかるんだ。時々、風になりたくなるからね。ぼくら、風になると、むやみに酔っ払う。下賤なる風なんだね。誰も風の訪れをよろこんでくれないよ。女はお酒をのまないから、綺麗な風になるらしいや。自分が風になるよりも、よその微風が訪れてくれた方が、健康にもいいんだな。こんなソヨ風の訪れはめったに有るもんじゃないんだね」
 せつ子は長平のように浮いた気持にはなれなかった。
「お供はつらいのよ。社でアクセクしてるときは、なんとでもしてお金が欲しいと思うけど、ダメなのね。でも、つとめるのよ。今日までは、おッぽりだして来たことなんかなかったのだけど、ふらふら、とびだしちゃった。もっと娼婦になりきれる方が、立派なんでしょうね」
「そんなことは、クヨクヨ考えることじゃアないね」
「そう。立派だなんて、おかしいわね。誰かに、ほめられたいみたい。でも、そんな気持も、あるのよ」
「社長だものな」
「そうなのよ。社長でなければ、乞食になるのよ。そして、生きてるわ。今日は乞食の方の気持よ。微風の訪れでもなかったの」
 せつ子は胃が悪いから、酒をのむといけないのだと云いながら、かなり飲んだ。そしてテキメンに苦しみはじめた。長平が知人の医者へつれこむと、医者は顔をくもらせて、酒をのむと、ひどいことになるかも知れない、とせつ子を叱責するようにつぶやいた。
 せつ子は黙って、医者を見つめていた。顔色を微動もさせずに。そして、自動車をよんで大阪へ戻った。

       五

 長平は上京した。
 その日の夜中に長平の住む茶室の戸をたたいたのは青木であった。
「そろそろ隠れ家を変えなきゃいけないぜ。ここは拙者につきとめられているんだから、アイビキなぞには不都合だし、第一、タカリが怖しいやね」
 青木は遠慮なく上りこんで、
「とんだ合邦(がっぽう)さね。やってきたのは娘じゃなくて、ジジイなんだとさ。ヤ、コンバンハ」
 いくらか酔っているようであった。どっかとアグラをかいて、
「いずれ呼びだしをうけて、お叱りを蒙るんだろうから、手間を省きにきたのさ。え?」
 長平の顔をのぞきこんだ。
 長平はウイスキーをとりだした。彼は夜中や暁方にウイスキーをのんで、うたたねする習慣であった。一日に何回もうたたねするが、まとめてねむるのは一週に一回ぐらいのものであった。
「君に会う必要もないと思っていたのだが」
 青木にウイスキーをつぎ、自分ものんでから、言った。その落付きが癪にさわったらしく、青木はジリジリして、
「ハア。そうですか。何等親だか知らないが、君の何かに当ろうというこのオジサンにね。会いたくないのかい?」
 青木は自分の言葉に含まれた毒気に興奮して、目をギラギラ光らせた。長平はそれをそらして、
「君は何かぼくに言いたいことがあるのじゃないか。言うだけ、言ってしまえよ」
「言うだけ言ったら、どうするのさ」
「ねむるよ」
「相変らず、自分の都合だけ考えている人だね。なんと言ったら、気がすむのかね。ワタクシが記代子嬢を誘惑しました、と言ったらいいのかい?」
「おい、よせよ。法廷とちがうのだ。だから、なにも、きいてやしないじゃないか。言いたいことだけ、言うがいいや。さもなきゃ、帰りたまえ」
「なア、長さんや。君は、ぼくがどうしたらいいと思う。子供が生れるんだぜ。ぼくは、どうしたら、いいのさ」
「君はどうしたいのだ」
「それが分らないんだよ。なア、長さん。オレをあわれんでくれよ。どうしていいのか、わからん男を。なア。いい年をして」
 記代子が青木にニンシンをうちあけたのは、伊豆の温泉宿だった。
「あなた、まだ、本当に、子供なかったの」
「本当になかったよ」
「子供、ほしい?」
 青木は答えることができなかった。自分の都合は問題ではない。自分のために子を生む記代子をあわれんだのだ。
「君は、欲しいのかい?」
「あなたは?」
 青木は記代子が後悔していないことを知った。どこに拠りどころがあるのだろうか。人生の敗残者、五十のおいぼれの子を宿して。その無邪気さが、あわれであった。
 しかし、青木が答えに窮していると、記代子は青木の顔を見つめて、
「殺しちゃう?」
 彼は記代子の目に追いつめられて、うろたえたのだ。あの目を青木は忘れることができないのだ。何を語っている目だろうか。
 子を殺す、生む、それだけのことではないのだ。暗い一生をあゆむたった一つの小さい窓。あんな目にさせたのが自分だと思うと、たまらなかった。

       六

「なア、長さんや。恋愛だの、結婚だのッて、太平楽なもんだと思うよ。記代子さんて人は、その太平楽な身分に似合った人なんだね。ところが、ぼくとのことで、そうじゃない立場に落ちたわけだね。それを記代子さんは知ってるんだよ。本能的にね。恋愛だの結婚だのという太平楽なものと戦争状態の立場になってしまったという現実をさ。彼女は襟首をつかまえられているよ。運命というものにね。そして、ただ決意を要求されているんだ。それがあの人の目にでているのさ。ほかにでやしないや。だって、どこにもギリギリの決意なんて、ありゃしないものな。あるのは特攻隊みたいな切なさだけなんだ。それを見るぼくは、うろたえますよ。ねえ。だって、悲しくなるじゃないか」
「気分的なことは、どうだって、いいじゃないか。もっと実際的にさばく手段をさがしたらどうだろうね」
「大人ぶったことを言いなさんな。実際的にさばくッたって、根は気分が心棒じゃないか」
「ほんとかい? とつぜん行動するとき、気分をふりすてるもんじゃないのか。まるで気分と似つかぬことをやるもんじゃないのか。気分屋は、特にそうだぜ」
「それは、まるで、愛情にひきずられるな、というみたいだね。あわれんでも、いとしがっても、ムダなのかな」
 青木はつぶやいた。そして、全身に敵意がこもった。
「わかったよ。長平さん。そして、ぼくは安心したよ。大庭長平という人は、自分勝手すぎるぜ。あなたは、自分の姪が、どうなっても構わない自分だけの人なんだ。たとえば、子をだいて、男にすてられようと、どうなろうとね。ねえ、長平さんや。ぼくはあなたにヒケメを感じていたんだ。記代子さんのようなウブで世間知らずの可愛い娘を、ぼくのようなオイボレ敗残者がいつまでも自分のものにしておくというイタマシサについてね。しかし、今はそうじゃない。あなたのような冷めたい人にくらべれば、ぼくの方がどれぐらいあの人の親身の友であるか知れないんだ。ぼくはもう、安心して、あの人を誰の手にもやらないよ。愛すことも、すてることも、ぼくの自由だ。いずれにせよあなたにくらべて、ぼくの胸に愛情がこもっているのだから」
 長平は返事をしなかった。ウイスキーを青木にさした。
「まア、のめよ」
「そろそろ、帰るとしよう」
「オレがどういう人間であろうと、オレのことが記代子を愛す愛さないの標準になるてえのは、どういうわけだね。君は、まるで落付いていないな」
「だからさ。全然、とりみだしでいるんだよ」
「オレは、まったく、記代子がどうなろうと構わないと思っているよ。君にすてられようと、愛されようと、それで記代子の一生が終るわけではなしね。どっちへどうなろうと、その又次にも、何かがあるものだよ。事がなければ幸せだというわけでもなしさ。亭主が立身しようと、貧乏しようと、そこに女の幸福の鍵があるわけでもなし、さ。幸福の鍵なんてものは、もし有るとすれば、一つしかないものだ。いつも現実の傷を手当てしろ。傷口をできるだけ小さく食いとめ、痛みを早く治せ。それだけの対症療法があるだけさ。君は、何か、手当てについて、考えたり、やってみたり、したかい?」

       七

「君は太平楽な人さ」
 青木はしみじみ呟いた。
「対症療法だって、人間はみんな患者さ。すくなくとも、ぼくたちは、そうだぜ。みんな、とりみだしているだけなんだ。医者じゃないんだから、手当の仕様が分りゃしないじゃないか。この夜更けに君に会いにきたのだって、いわば手当の法を教えてもらいたいと思ったからだぜ。自分流儀じゃ、化膿してゆくばかりだからな」
 青木は涙をまぎらすような力のない笑い声をたてた。
 青木は今度のことについて、事の起りはどうあろうとも、責任を感じていた。それは年齢を考えてみれば、当然のことだ。
 一つにはヤケクソの気持があった。自分と長平との行きがかりから、こッちだって構うものかという気持がはたらいていたことは否めない。それをつとめて自制してきたことに多少の誇りはあるけれども、結局それがはたらいているのである。
 長平がそこを怒っているだろうと青木は考えていたのである。そこを怒られるのは、つらくもあるし、いくらか気のはれることでもあった。そして、怒られることによって、心が洗われ、二人の魂がふれ合うこともできるような、ひそかな愛情を感じてもいたのだ。恩讐の彼方に、という甘い友情に飢えていたのである。
 長年の仇敵がすべてを忘れて粗茶をくみ交し、四方山話にひたる。いかにも世捨人の慾のない交情を空想しているような甘さもあった。
 すべての空想は当て外れだ。長平は内々怒っているかも知れないが、彼が怒られるだろうと思ったところは、問題にしていないのだ。それは淡々として心が枯れているから、というようなせいではないのだ。
 なんて毒々しい男だろうと青木は思った。人間の毒気という毒気をすべて身につけているための、そして、あらゆる毒の上にアグラをかいているための落付きであり無上の寛容さであった。
 世捨人などとは以ての外の話である。およそ慾念のかたまりで、人生を毒と見ている鬼畜なのだ。
 青木は自分と長平との余り大きな距りに組み伏せられたようであった。共に通じ合う余地はなかった。避けて遠ざかるか、縋って甘えるか、どちらかしかないようだ。
 なんて傲慢な悪党だろう。青木はそう思う一方に、わが罪の切なさに、涙があふれてくるのであった。
「ねえ、長さんよ。どうしたら、いいのよ」
 青木はむせる涙に苦しんで、ころがって、頭をかかえた。涙のかわくのを待って、身を起して、
「ぼくは野たれ死んでも構わないし、自殺すりゃ、すむことなんだ。記代子さんを助けてやってくれよ。オレなんか、どうなったって、いいんだから。な。たのむよ」
「助かるッて、どうなることなんだい」
 静かな返事に、青木は目をまるくしたが、はげしい絶望に盲いて、
「なに言ってるんだ、君は! 君はハラワタからの悪党だね!」
「君の善意は分るんだよ。ぼくが悪党であることも、まちがいはないね。ただ、泣くのは止した方がいいぜ。涙から結論をかりてくるのも良くない。もっと静かな方がいいぜ。他人のことを処理するように、自分のことだって処理できるものだよ」

       八

 青木はしばらく考えていたが、首を横にふって、
「いや、ダメだ。ぼくは、いつも、それでやられるんだ。君はいかにも、ぼくの心を言い当てたり、それに同感してみせるようなことを言うね。それは易者が妄者の迷いを言い当てるのに良く似ているね。迷いの最大公約数みたいなものを、言いきるわけさ。そして輪をちゞめていくんだ。もっとも、易者との相似は君だけじゃアないがね。日本のインテリ一般の会話のコツかも知れないな。まるで謎々の遊戯みたいなものさね。ねえ。長さんや。易者ごッこはよしましょうや。なア。あなた。ハッキリ、答えてくれたまえよ。ぼくは記代子さんと結婚するぜ。それで、いいのかね」
「ぼくの返答をかりて、やる必要はなかろうさ」
「そうかい。わかった」
「まア、のみたまえ」
「もう、帰るよ」
「乗物がないぜ」
「夏はどこででも野宿ができるものさ」
「記代子も変な子だね。なんだって、君なんかが好きになったんだろうね。変な夢を見る奴さ」
「ふん。夢を、ね」
「ぼくは、ねるぜ。君、勝手にのんで、勝手に、ねたまえ」
 長平はタタミの上へころがって枕を当てた。
「君はフトンをしかないのか」
「そう。夏はね。たまに、グッスリねむるときだけ、フトンをしくのさ」
「じゃア、失敬するよ」
「そうかい」
「君とねたかアないからな。目がさめて、大坊主のねぼけ顔を見るなんざア、やりきれやしないからな。君は、今日、記代子さんに会ったろうね」
「会わん」
「なぜ」
「ぼくが上京するてんで、会社を休んだそうじゃないか」
「……」
 青木は顔色を変えた。思い直して、
「じゃア、帰ろう。このウイスキー、くれないかね。夜明けまで、どこかの焼跡でのんでるんだよ」
「もってきたまえ」
「記代子さんもオレみたいなことをやってるんじゃないかね。会社を休んで、行くところなんか、ありゃしないと思うんだがな」
「心配することはないだろう」
「そうかい。じゃア、失敬」
 青木はウイスキーのビンをぶらさげて、茶室をはなれた。
 その日、記代子が会社を休んだことは知っていた。長平の上京の日だから、迎えに行ったのだろうと思っていたのだ。
 どこをさまよっているのだろう。
 しかし、みんなバカげていると青木は思い直した。長平なんかが、もっともらしく悪党ぶるのは滑稽でもある。オレの本心は全然動揺してやしないのだ。ただオレの影がゆれているだけ。甘えてみせたり、苦しんでみせたり。みんな影法師の念仏踊りのようなものだ。
 まさしく演技者には相違ないが、そう考えてみたところで、とりわけユトリがあるわけでもなし、優越を納得することができるわけでもない。
「今に、なんとかなる。何かに、ぶつかるだろう。そして、ぶちのめされてみたいのさ」
 彼は苦笑して自分に言いきかせた。


     失踪


       一

 記代子は長平の上京した金曜日から、会社にも姿を見せなかったし、下宿している遠縁の人の家にも戻らなかった。
 失踪がハッキリしたのは月曜日である。すねるのも程々だと、せつ子が宿先へ使いの者をやってみると、金曜以来、宿にも戻らぬことがわかった。
 記代子の外泊がめッきりふえて、宿先ではなれていたし、ちょうど土日曜にかかっていたので、不審を起さなかったのである。
 放二は社長室へよびつけられて、せつ子から記代子の失踪をしらされた。長平が部屋に来合わせていた。
「あなたの独力で、かならず探しだしていらッしゃい。誰に負けてもいけません。たとえ、警察にも、探偵にも。かならず、あなたが見つけなければいけないのよ」
 と、せつ子は命令した。
「このことは私たちのほかに、穂積さん、青木さんが知ってるだけです。ですから、行方を探すにしても、記代子さんの行方不明を人に気付かせてはいけません。たとえば、記代子さんのお友だちのところへ訊きに行ったとしますね。記代子さんが行方不明ですけど、なんて言っちゃダメなのよ。記代子さんに急用ができたんですけど、記代子さんがあいにく会社をサボッてとか、定休日でとか、そんな風に言うのよ。わかりましたね」
 かんで、ふくめるようである。
「それから」
 と、せつ子は放二をジッと見つめて、
「なぜ記代子さんが失踪したか、それを考えてはいけません。あなたの役目は記代子さんを探しだすことなんです。失踪の原因を探索するのは、あなたの役目ではないのです。妙な噂がありましたから、あなたも薄々きき知って、いろいろ推量していらッしゃるかも知れませんが、あなたの推量は、全部まちがいよ。噂は全部デタラメなんです。あなたは人の噂など気にかけませんね?」
 放二はかるくうなずいた。
「人間て、どうして人のことを、あれこれと、憶測したがるのでしょうね。自分のことだけ考えていればいいのに」
 せつ子は退屈しきった様子で、そう呟いたが、机上から一通の封書をとりあげて、
「これは大庭先生が記代さんの下宿の人に差上げるお手紙。この中には、あなたのことが書いてあるのです。記代子さんのお部屋の捜査をあなたに命じたから、部屋へあげて自由に探させてあげて下さい、ということが書いてあります。あなたは記代子さんのお部屋に行先を知らせるような何かゞないか探すのです。又、お友だちの住所とか、捜査の手がかりになりそうなものを見つけてらッしゃい。意外な事実を発見しても、捜査がすんだら、忘れなくてはいけません。記代子さんが失踪したことも、忘れなくてはいけません」
 放二はアッサリうなずいた。長平は笑いだした。
「ずいぶん器用なことを命令したり、ひきうけたりするもんじゃないか」
 放二も笑ったが、
「むしろ、いっと簡単なことなんです」
「ふ。君はそんな器用な特技があるのかい」
 放二はそれには答えなかった。
「では、行って参ります」
「手がかりになりそうなものがあったら、明日、会社へ持ってらしてね。記代子さんが見つかるまでは、会社の仕事はよろしいのです。穂積さんに言ってありますから。記代子さんを探すのが、あなたのお仕事よ」
 放二はうなずいて去った。

       二

 放二は記代子の部屋をさがした。
 室内を一目見たとき、記代子の覚悟のようなものが感じられでハッとした。部屋がキレイに整頓されていたからである。
「イエ、私がお掃除しましたの」
 と、下宿の人は、事もなげに云った。
「おでかけのあとは、毎日々々、それは大変な散らかしようですよ。おフトンだけは自分で押入へ投げこんでいらッしゃいますけどね。ホラ」
 押入をあけてみせた。くずれて下へ落ちそうだ。よくたたみもせずに投げこんである。放二は自分の万年床を思いだして、男女の差の尺度はこの程度かと、おかしくなった。
 一目見たときは整頓されていたようでも、しらべていくと、乱雑そのものである。ヒキダシの中も本箱も。
 日記帳を見出したとき、彼はいくらか安心した。覚悟の失踪なら、こういうものは焼きすてていくはずだ。たしかに今年の日記帳に相違ない。彼は中を見なかった。安心して、本棚の奥へ押しこんだ。
 社をでるとき、穂積のところへ挨拶にいくと、穂積は彼にささやいた。
「青木さんが悲愴な顔で出かけたがね。たぶん心当りへ探しにでたんだな。ぼくはさッき社長に呼びつけられてさ。噂をまいた張本人みたいにこッぴどく叱られたんだが、社長が君に独力で探してこいという気持は分るけど、ムリだな。青木さんは彼女の私事にも通じてるだろうし、君が先に見つかりッこないぜ。ぼくが青木さんに話しておいてあげるよ。彼女を見つけても、その功を君にゆずるように、とね。まア、あんまりキチョウメンに探しまわらずに、遊びがてらの気持で、ゆっくりやりたまえ」
 放二の健康を気づかってくれたのである。
 青木と記代子のことは、もとより放二も知っていた。当然なことであるから、穂積はせつ子のように見えすいた隠し立てはしなかった。
「ええ、一通り探してみようと思います」
 こう答えると、穂積は苦笑して、
「なに、生きてるものなら、探すこたアないよ。君のからだが大事だぜ。死んでるものなら、警察の領分さ。とびまわるのは、青木さんだけで、タクサンだ」
 哲学科出身のこの男は、日本式のプラグマチズムを身につけて、煩瑣なことには一向に動じなかった。
 死んでるものなら、たしかに手の下しようがない。しかし、生きていると、いつ死ぬかわからない。又、どう転落するかわからない。放二はこの部屋の中から記代子の足跡をどうしても見つけだそうと思った。
 捜査の手がかりになりそうなものを一つ一つとりだした。
 友だちからの手紙。みんな親しい女友だちからである。男からの手紙はなかった。
 手紙を一つ一つ読んでみても、手がかりになりそうなものはない、暢気な手紙ばかりであった。放二は差出人の住所を書きとった。
「やっぱし、日記かな」
 最後の日付の日記だけカンベンして見せてもらおう、と放二は思った。最後だけじゃア、まにあわないかな。あるいは、最後の一週間分ぐらい。
 放二は押しこんだ日記帳をとりだした。そして、頁をパラパラめくって最後の日付をさがした。最後の日が、どこにもない。ないわけだ。全部、白紙であった。元旦すらも。

       三

 しばらく笑いがとまらなかった。放二は再び日記帳を本棚へ押しこんで、ヒタイやクビ筋の脂汗をふいた。
「これで一応さがしたわけだが」
 ほかに捜す場所はなさそうだ。手紙の束をしまうついでにヒキダシをかきまわしてみると、ガラクタにまじってマッチ箱がタクサンあった。
「タバコを吸うのかしら?」
 ふだん吸ってるのを見たことはない。しかし机の上に小さなピンク色の灰皿があった。マッチ箱は軸がつまっていて、ほとんど新品だ。三ツ四ツ例外はあるが、大部分が同じ店のマッチであった。
「ノクタンビュール」
 たしか青木前夫人の働いているバーである。店の名だけはきいていたが、彼はそこへ行ったことがなかった。あんまり数が多すぎるのでザッと数えると、二十いくつあった。いつも青木と一しょだから、その店へ行くことがあるのにフシギはない。しかし、ずいぶん通ったものだ。それとも、まとめて貰ってきたのだろうか。放二はマッチ箱を手にとってボンヤリ見つめて考えた。しかし、思いつくことは何もない。
「とにかく、マッチ箱の店へ行った事実はあるのだから」
 と、放二はマッチ箱の店名を手帳に書きとった。箱根や伊豆の温泉旅館のマッチが三ツ。彼の知らない銀座のバーが一つであった。箱根、伊豆、そんなところをブラブラしてるんじゃなかろうか。なんとなく、そう考えておきたいような気持であった。
 捜し終って、放二は宿の人たちの話をきいた。
「金曜の朝は、いつもの出勤時刻に、おでかけでしたでしょうか」
「ええ、時刻にも態度やその他にも、いつもと違うところはちッともなかったようですよ。朝は忙しいので、特におかまいもしませんでしたけど、御食事中の御様子やなどでも、ね」
「特に親しくしてらした女友だちは?」
「そう。たまにね。遊びにいらした方もあるし、お噂をうかがうこともありましたが……」
 主婦が思いだした名は、放二の手帳に控えたものをでなかった。
「別に、それまで、変った様子はなかったのでしょうね」
「いえ。毎日変った様子でしたよ」
 主婦は大ゲサに身ぶりした。
「つまりね。金曜の朝はいつもと変りがなかったのですよ。ですけど、そのいつもがね、決して普通じゃないんですよ」
 放二が世間知らずに見えるので、主婦はコクメイな話し方をした。そして、言ってよいのか、どうか、と迷う様子であったが、
「もちろん、皆さん御承知でしょうが、ニンシンなさっていましたからね。いろいろと、そうでしょうね。思い悩んでいらしたんでしょうよ。とにかく、普通じゃなかったですよ」
「どんな風に、でしょうか」
「話の途中に知らんぷりして立っちゃったり、自分で話しかけといてプイと行っちゃったり、そうかと思うと、こっちで話しかけないのに、なアにイなんてね。そして時々高笑いしていましたね。今日は自動車にひかれるところだったなんて仰有ってましたが、そんなことも有ったでしょうよ。あれじゃアね」

       四

 女友だちは四人しか分らなかった。
 最初に訪ねた克子は、まだ海水浴から戻らなかった。往復している手紙からでは、克子が特に親しいようであった。
 二人目の修子の住所は学校の寄宿舎だ。記代子は罹災して京都へ疎開し、そこの学校をでたから、友だちは京都の娘たちなのだ。学校は夏休みだから、修子は寄宿舎にいる筈がなかった。
「ひょッとすると、京都へ戻っているのかも知れない」
 そう考えて、修子の本籍を調べようかと思いたったが、失踪の動機が、長平の上京を煙たがってのせいらしいと思われるのに、京都へ行くとは考えられない。
「京都なら安心だから」
 そう結論して、京都はほッとくことにした。
 三人目も京都。これも学生で、帰省中であった。
 四人目の敏子はまだ勤め先から戻らなかった。文化住宅街の中でもやや目立つ洋館であるが、居住者の標札だけでも違った姓のが五ツ六ツ並んでいて、内部はアパートの入口のように乱雑だった。
 敏子の母は神経質でイライラしていた。彼女は放二の言葉をウワの空できいていたが、
「まだ勤めから戻りませんよ」
 つめたい返事であった。ちょうど勤め人の帰宅する時刻であった。
「もうじきお帰りでしょうか」
 と、きくと、敏子の母は益々冷淡に、
「毎晩おそいですよ」
「幾時ごろですか」
「人の寝しずまるころですよ」
 そうおそくまで遊んでくるのでは、夜は会えない。
「ではお勤め先でお目にかかりたいと思いますが、お勤め先はどこでしょうか」
 敏子の母はとうとう怒りだした。
「女の子のあとを追いまわしてどうするの。いやらしい。お帰り。相手にしていられやしない。忙しいのに」
 ブツクサ呟きながら、さッさと振向いて去ってしまった。
 放二はそれ以上どうすることもできなかった。もう一度、克子を訪ねるほかに手段がない。社線、省線、社線と、又、一時間半ほど廻らなければならない。
 克子はまだ海から戻らなかった。
 克子の父母はフビンがって、彼を室内へ招じてくれた。
「こちらのお嬢さんも京都の女学校の御出身ですか」
「どうして?」
「今まで廻ったお友だちが、そうですから」
「克子は疎開前のお友だち。たしか、二年まで、ご一しょでしたわね」
 しばらく世間話をしているうちに、克子が疲れて、もどってきた。
 克子は、茶の間の青年が、記代子の行方をさがして、彼女の帰りを待っていたときいて、不キゲンであった。
 彼女は黙りこくッて、考えこんでいたが、
「ねえ。会社の御用なんて、嘘でしょう」
「いいえ。なぜですか」
 克子は薄笑いをうかべた。
「嘘にきまってるわ。記代子さんがサボッたのに、急用だなんて。昼間だったら、それで人をだませるけど、もう夜よ。会社はひけてるでしょう。サボッた記代子さんも家へ帰ってるわ。なぜ記代子さんちへ行かないの。家に居ないからでしょう。行方不明だからでしょう」

       五

「ずいぶん御心配らしいわね」
 克子の冷笑はするどかった。
「とうとう家出したのね。無軌道ね。記代子さんらしい結末だわ。ニンシンしていたんですものね」
 目をあげて、放二を嘲笑した。
「そんな失礼なことを」
 母親はハラハラして、
「あなた、記代子さんの行先に心当りはないのですか」
「知らないわ。十日ほど前に、会ったけど、お茶ものまずに別れたわ。最近は、そう親しくしていないのよ」
 これ以上きいてもムダだと放二は思った。
「ほかに記代子さんの親しいお友だちは、どなたでしょうか」
「どこを捜したんですの?」
 放二は今までの経過を説明して、
「京都へ帰省中の方が二人で、在京中の方はこちらと、木田敏子さんと仰有る方、お二人だけなんです。木田さんはお帰りがおそいそうで、お目にかかれなかったのですが、勤め先をおききしたのですが、教えていただけなかったのです。木田敏子さん御存知でしょうか」
 克子は冷淡にうなずいた。
「勤め先を御存知でしょうか」
 克子はプッとふきだして、
「あなたは、ダメね。とても、捜しだせないわ。私の部屋へいらッしゃい。説明してあげるわ」
 克子は放二を自分の部屋へ案内し、自分は茶の間で食事をしてから、お茶と菓子皿を持って上ってきた。
「家出したんでしょう?」
「ええ」
「なぜ、なんとかして、あげなかったの。無責任な方ね」
「ぼくは、会社の同僚にすぎないのです。あの方の愛人ではありません」
 克子は疑って、
「嘘つきには、教えてあげない。私、あなたの名、記代子さんにきいたことあるわ」
「ぼくはお友だちにすぎないのです」
 克子は疑わしげであったが、放二のマジメさを認めたようでもあった。
「じゃア、本当なのね。五十ぐらいの人だって。十日ほど前に会ったとき、ダタイのお医者知らないッて、きくんですのよ。教えてあげたの。お友だちにきいて」
「その病院は、どこですか」
「忘れました」
 克子は鋭い目をした。
「あなた、病院へ行くつもり? そして、どうなさるのよ。ダタイなら、もう、退院してるわ。すべてが、終了したんです。なくなったの。過去が」
 放二はうなずいた。
 ダタイして入院中なら、心配することはない。しかし、そうなら、青木が知っていそうなものである。
 克子も考えていたが、
「金曜日からなのね。三日、四日目。ダタイにしては長すぎるわ」
 克子はうかぬ顔だったが、気をとり直して、
「私の知ってるの、それだけだわ。最近は親しくしていなかったから。敏子さんにきいてごらんなさい。勤め先、教えてくれなかったの、当り前だわ。新宿でダンサーしてるんですもの。大胆不敵なのよ。会社とダンサーかけもちだったんですもの。今は会社クビになって、ダンサー専門らしいけど」
 と、ホールの名を教えてくれた。

       六

 新宿はごったがえしていたが、もう二十二時であった。
 ダンスホールの切符売場で訊ねると、
「木田敏子? ダンサーですか? 誰かしら。本名じゃアわかんないわ。まって下さい」
 美青年の一得であった。女の子の一人は、イヤがる風もなく、気軽に奥へ走りこんだ。
 相当の時間またされたが、その償いのように、女の子は息をきらして戻ってきて、
「わかんない筈だわ。キッピイさんのことじゃないの」
 先ず同僚に向ってこう報告すると、キッピイさんは有名人とみえて、女の子たちは顔を見合せて笑いだした。そして、意味ありげに、放二の顔を見た。あらためて、放二に興味をもちだしたようである。
 駈け戻った女の子は窓口に首をのばして、
「その方はもう二ヶ月も前から居ないんです。もっと前になるかしら?」
「メーデーの翌日から」
「そう。忘れ得ぬ夜の出来事」
 彼女らは声をそろえて笑った。
「何かあったんですか」
 と、放二がきくと、駈け戻った子は目をふせて答えなかったが、ほかの一人はノドがムズムズする様子で、しかし直接放二には答えず、同僚に向って、
「あの人、共産党なのかしら?」
「うそよ。はじめはイタズラだったのよ。笑いながらデモ演説のマネしてたのよ。マダムが叱ってから、怒っちゃって、闘争演説はじめたのよ」
「そうでもないようよ」
「そんなことなくッてよ。ただの酔ッ払ッたアゲクよ。だけど、マスター行状記、バクロ演説、痛快だったわ」
「キッピイにとびかかったのね。あのときのマスター、ゴリラだわね。キッピイのクビ両手でつかんで、ふりまわしたのよ。フロアへ叩きつけちゃったわ」
「そのときサブちゃんが飛びだしたのね。ダブルの上衣グッとぬいでね。見栄をきったわね。ただの一撃。それからは入りみだれて、敵味方わかりゃしないのよ。てんやわんや」
「サブちゃん、凄いのよ。女を狙うと、あれですッて。キッピイ、もう捨てられたって話」
 話に一段落がついて、一同は口をつぐんだ。要をつくしたのである。あとは放二の質問は一つしかなかった。
「今でてらッしゃるホール、わからないでしょうか」
「ええ。それなんですけど」
 女の子は分別くさげに目をふせながら、
「それをききだすのに時間くッちゃッたんですけど」
 女は又、口をつぐんだ。それから、
「よした方がいいですわ」
 と、言った。
「どうしてですか」
 女はわざと困った顔をして、
「だってねえ。よくないことなの。きかない方がいいわ」
「ぼく、御迷惑はおかけしないと思いますが」
 女の子は思いきった顔をした。
「キッピイには悪いヒモがあるんですッて。グレン隊の中でも特別のダニ。とても悪性よ。ノサれちゃうわ」
 放二は笑って、
「ノサれるような用件ではないのです。あの方のお友だちの住所をきくだけですから」
 女の子は喫茶店の名と図をかいて、投げだすように放二にわたした。

       七

 放二は地図をたよりに喫茶店をつきとめた。同じような店が露路の両側にならんでいて、まよいこんだ放二を見ると、どの店からも女がでてきて、よびとめたり、手を握って引きこもうとした。
 めざす喫茶店で、よびとめた女に、放二はきいた。
「お店に、木田敏子さんという方、働いていらッしゃいますか」
「木田敏子? 誰のことかしら。ええ。探してあげるから、遊んでらッしゃいよ。私じゃ、いけないの?」
 同じ店から、三人の女がでてきて、放二をとりまいていた。一人がこう云って、敏子のことなど問題にしていないのを、他の二人も気にかけなかった。
「ビール一本、のんでよ。すると、あなたの恋人が出てくるわよ」
「木田敏子さんは、ぼくの知り合いではないのです。どんな方か、お目にかかったこともない方なんです」
「いいわよ。そんなこと。あなた、アプレゲールでしょう。わけの分らないこと、云うもんじゃないわ。ビール一本のんでるうちに、いろんな話ができるじゃないの。その人も、出てくるわよ」
 三人は放二のからだに手をかけて、つれこもうとした。放二はふと気がついて、
「その方は、ダンスホールにいらしたときは、キッピイさんと仰有ったそうですけど」
 それをきくと、三人は目を見合わせた。放二のからだにかけた手も、自然に力がゆるんだ。
「じゃア、よんできてあげるわ」
 一人が、こういって店へはいると、他の二人も放二から離れて、戸口の陰へ身をひいた。
 背の高い娘がズカズカと出てきた。気色ばんでいたが、放二の顔をみると、意外な面持であった。
「誰よ。あんたは?」
 放二は名刺をさしだした。
「大庭記代子さんと同じ社のものですが、社で、大庭さんに急用ができたのです。あいにく、大庭さんは休暇中で、家にも居られず、居どころが知れないのです。明日の朝までに、捜しださないと、困ることがあるんですけど、こちらへ立ち寄られなかったかと思いまして」
 キッピイは、さえぎって、
「ここ、どうして分ったのよ」
「樋口克子さんにおききしたのです。大庭さんのお友だちのみなさんに訊いてまわっているのです。どこにも立ち寄っておられません。ここでおききしてごらんなさい、という樋口さんのお話でした」
「あの人、ここ、知らないわよ」
「ええ。以前いらしたダンスホールで、ここをおききしたのです」
 キッピイは納得したようだった。記代子や克子にくらべれば大人びていたが、荒れ果てた感じの奥に、同じぐらいの幼いものは、まだ残っていた。
 キッピイは心持、一歩、放二に近づいた。
「どこを、探しまわったの?」
 放二に、ふと、疑いが閃いた。彼女は記代子の失踪を知っているのではないか、と。
「大庭さんの宿の方から、お友だちの名を四人おききして、きいて廻ったのですけど」
 キッピイは、よそよそしく、
「私も知らないわ。それじゃア、四人とも、知らないのよ。たぶん、五人目をさがすといいわ」
 そう呟いて、
「帰ってよ」
 小犬を追い出すような、無情な様子で睨みつけた。

       八

 放二はアパートへ戻ってきても、まだ考えつづけていた。キッピイが記代子の行方を知っているのではあるまいか、と。
 彼女の態度は、放二が記代子をさがしている理由について、あまり無関心でありすぎるように見うけられる。それは失踪という事実を知っているためのように思われた。
 克子は放二の言葉を疑って、記代子の失踪をかぎあてたが、キッピイは放二の言葉を問題にしなかった。
 彼はキッピイの言葉を一つずつ思い起した。彼女はこんなことを言ったのだ。「五人目の女が知っているかも知れない」と。
 本当にそんな女がいるのだろうか? キッピイはその人を知っているのだろうか? 冗談めいたところもあった。
 まさか、礼子のことではないだろう。しかし?……放二は一山のマッチを思いだして、キッピイの五人目の女が礼子のことではないにしても、彼女も何か知っているかも知れないと思った。ほかの人々が知らないような何かを。
 放二は疲れきっていた。そして、疲れすぎると、尚さら寝つかれなくなる今日このごろを考えて、あるいは、死期とまではいかなくとも、再起不能の状態に近づいているのではないかと思われるのであった。
 記代子の行方をさがしまわることは、さらに急速にその状態に近づくことを明確に示していたが、放二はむしろ捜しまわって疲れる方が楽だと思った。何もせずにジリジリ衰弱するのを見てわきまえている腹立たしさにくらべれば、何かのために物思うヒマもなく疲れる方が、かえって安らかなのだ。
 放二は明け方になって、よく眠った。
 おそく目をさまして、社へでる前に、キッピイの自宅を訪れてみようかと考えたが、一応報告を先にしようと思い直した。せつ子の非凡な目が、同じ材料から何かを見つけてくれるかも知れない、と思ったからだ。
 しかし、せつ子も彼のもたらしたものだけでは、手の施しようがないようだった。
「お友だちに、ダタイの病院、きいたということ、まちがいないことなのね?」
「まちがいないと思います」
「いつごろのことなの?」
「十日か、二週間ほど前。一度は十日前ぐらいと言い、一度は二週間前ぐらいと言ったのです。確かめて訊きませんでした」
「あんなにダタイはいやだと言っておきながらねえ……」
 せつ子は記代子の心理を考えているようであった。放二にも、記代子の心理はいろいろに考えられた。
 礼子に会って訊いたら、記代子の意外な心理を辿ることができるかも知れないと放二は思った。キッピイにもう一度会うことを急ぐよりも、礼子に会うことが先のようだ。すくなくとも「青木の子供」の問題にふれた何かが掴めそうな気がした。
「今度は、どこを捜すつもり?」
 案外にも、せつ子はおびただしく拠りどころない様子であった。
「ダタイの病院をさがす必要はないでしょうか」
 せつ子はクビをふって、
「それでしたら、捜す必要ないの。人間の過去は実在しないものなんです。あなた、それを信じられる?」
 放二はうなずいた。
「じゃア、さがしてらッしゃい。是が非でも、あなたが捜し出さなければ、ダメよ。大庭記代子という過去のない新しい女をね」

       九

 礼子のバーがひらくまでには間があった。キッピイの自宅を訪ねてみるには適した時間であったが、それをやめて、記代子の宿をもう一度訪ねることにした。
 キッピイが何かを知っているにしても、それを語らせるには、一度の足労では間に合いそうもない。あるいは、何も知らないのかも知れないのだ。複雑な私生活をもつらしい彼女の特殊な態度や言葉の表現が、たまたま思わせぶりに見えたのかも知れなかった。
 それよりも、記代子の宿から、捜査を出直してみようと思った。昨日は、記代子の足跡を直接さがしだす材料ばかり心がけていたが、一日の捜査の結果は、記代子の心理を知ることが重大なものに見えてきた。そして、心理を辿ると、足跡の方角を推量しうるかも知れないように思われた。
 宿の主婦は、記代子の態度がちかごろ変ったことばかりだと言った。懊悩する娘の混乱した状態などを根掘り葉掘り聞きたくはなかったので、すぐ打ちきって辞去したが、会社では誰にも見せなかった心の秘密を宿では思いあまって漏しているかも知れず、主婦の世なれた観察眼が、何かを嗅ぎ当てているかも知れない。放二はそこから出直そうと思ったのである。
 しかし、宿の主婦の観察からは、期待したものを得られなかった。
「あの方は、男の方に不満だったんですよ。五十ぐらいの年配だそうですものね。訪ねていらしたお友だちの方などと争論なさるんですよ。五十ぐらいの年配でなきゃ男はつまんないなんてね。ええ。ええ。私などにも、そんなことを仰有ることがありましたよ。それは、あなた、意地ずく、ヤケで力んでいらッしゃることですよ。そうですとも。そうでなきゃならないことですものね。どこに五十の年寄を好く娘があるものですか」
 まったく主婦の希望的観測にすぎなかった。自分の希望に当てはめようとしているだけで、個性というものを見ていないのだ。その観察を自分に合せてゆがめてあるので、多く訊いてもムダであるし、むしろ観点を狂わせる害があった。
 放二は主婦との対話を打ちきって、もう一度、記代子の部屋を捜させてもらった。心理を辿る何かが、どこかにひそんでいないかと思ったのだ。
 放二はヒキダシをあけたり、本箱の戸をひらいて何となく一冊の本をとりだして見たりして、彼女の心理について、何か今に思い当りはしないかと漠然と期待していた。しかし何一つ思い当るものはなかった。
 第一、何かを思い当て得るような根拠ある思考力を自覚することすらもできない。なんとなく空転し、いつまでも空虚なものを自覚しうるだけである。
 もしも、何か思い当ることがあるとすれば、一山のマッチが昨日から思い当っているだけなのだ。それに限定されているだけで、それ以外へ閃く思考の自由すらも失っているかのようだ。
「なんのために灰皿を買ったんだろう。タバコをすうようになったのかしら? それとも、来客のためだろうか?」
 マッチに限定された思考力は、そんなことだけ考えていた。彼はピンクの小さな灰皿を手にとって、空転する頭をもてあましていた。
「とにかく、礼子さんに会ってみよう」
 彼はあきらめて立ち上った。

       十

 バーで礼子に会った。放二の来意をきくと、皆まで言わせず、礼子は彼を近所の喫茶店へさそった。
「なんですッて? 一山のウチのマッチ?」
 礼子は笑った。
「そうね。いらッしゃるたび、テーブルのマッチはきッと持ってお帰りですのよ。あのお店は各テーブルに必ず二ツずつのマッチを置いとく習慣なんです。なんとなく持ち帰って、お使いにならなかったのね」
「使わないマッチを、なぜ持って帰ったのでしょうね」
 放二の思考はずッとマッチにこだわりすぎて、彼自身にもバカらしいと思われた。礼子は返事にこまって、
「いろんな場合がありうるわ。あの年配のお嬢さんには、どんな突飛なことも、御自分だけの歴(れっき)とした理由がありうるわ。あのバーでも、あの年配のお嬢さん女給がまとめて三人ぐらい揃うときがあると、バーのシキタリが狂っちゃって、お店全体が狂うんです。それが理窟は合ってるんですよ」
「一回に二ツのマッチですと、一つも使わなかったものとして、十二三回、遊びに行かれたわけですね」
 礼子はかるくうなずいただけで答えなかった。そして、考えこんでいたが、
「私、どちらかと云えば、青木に同情していたのです。ですが、失踪なさッたときいて、記代子さんがお気の毒ですわ」
「奥さんは、記代子さんの失踪を御存知のようでしたね」
「青木にきいたのです」
 さッきから放二はそこにこだわっていたが、礼子の答えは簡潔だった。
「北川さんは、このこと、どう思いますか。記代子さんは、十日間ほど、毎日欠かさずウチのバーへいらしたことがあるんです。失踪は金曜日だそうですね。すると、その十日ほど前までです」
 放二はあやしんで、
「青木さんとご一しょではなかったのですか」
「いいえ。青木と一しょは一回だけ。それから一ヶ月あまりたって、つづけさまに十日ほど、いらしたのです。いつも一人で。で、たいがい、とッつきの長椅子へお坐りなの。私にここへおかけなさいッて、隣へ並んで坐るように命令なさるのよ。そして私が坐りますとね。あなた、おもしろい? つまんないわね、ツて、挨拶代りに仰有る言葉が必ずそれなんですよ。
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