街はふるさと
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著者名:坂口安吾 

       四

 青木はルミ子の遺書を読み終えて、長平に返した。
「可憐だよ」
 彼はつぶやいた。しかし、すぐ苦笑して、
「あなた、これを読んで、とる物もとりあえず、上京したのかねえ。長平さんともあろう水ムシがさ。水ムシは、時に、妙なことで慌てるのかねえ。人間はたかが白骨ではないですか。なにも、こんなバカなことを云いたくはないが、相手が長さんじゃア、小人はケツをまくりたくなるんだねえ。長さんや。ぼくら小人にとっては、人間はなかなかもって白骨じゃアありませんや。だが、長さんほどの水ムシともなれば、片言隻句、人生すべてこれ白骨ではありませんか。ねえ。長さん。あなた、なんのために、なぜ、上京したのさ。え? よく晴れた日に、か。やれやれ。雨の降る日、風の吹く日は、どうしてようてんだろうなア、この幽霊は」
 その幽霊の本体はすぐそこに横たわっていた。特に正装とも思われないが、見苦しくない和服を身につけ、お化粧もし、今は解かれているが、紐で二ヶ所膝をむすんでいたそうである。流行の毒薬や催眠薬ではなくて、かなり特殊な薬を用いたらしいということであった。死に方について用意をきわめるだけの落付いた心構えがあったのである。ねているような顔だった。ふだんと変りなく、虚心で、可愛く見えた。
 湯呑みに灰を入れ線香をたてた人があったらしい。
「君たちかい。線香を供えてやったのは」
「そうはコマメにいかないねえ。センチな気分にひたるヒマがなかったほど、労働が苛烈をきわめたんだなア。二三、回向(えこう)の方々があったらしいや」
 青木は腕時計をのぞいて、
「もう十二時すぎてやがら。帰る電車がなくなったわけではないが、ひとつお通夜をしてやるか。完全なるお通夜をね。オールナイトさ。二千円、包まなきゃアいけねえや」
 しかし青木はフッと溜息でももらしそうな、ベソをかきそうに沈みこんだ。
「なア。長さんや。彼女はたしかに、可憐ですよ。だけどなア。オレは同情できねえや。オイ、長さんや。これ、本当かい? 彼女は、なぜ、死んだのさ。彼女の遺書たるや、何物ですかい。ただ、死にゃア、まだ、わかるよ。兄さんが死んだから、生きていてもツマラないッて? しかし、毎日々々が幸福で、たのしく、不平を忘れていられましたとネ。甘えてやがら。元々、自殺ぐらい甘ッたるいことはないがさ。あたりまえだ。一番人生の甘えん坊が、自殺するのさ。だから、彼女が妙テコレンな夢をえがいて、それに甘えて死ぬことはまた可なりかも知れないが、甘え方が気に食わないんだよ。ねえ、長さん。パンパンが、精神的な愛情なんて、笑わせやがるよ。それはね、パンパンが精神的な何かにすがるのは当然あって然るべきかも知れないが、こと恋愛的な雰囲気に於て、精神的とは笑わせらアね。人をバカにしてるじゃないか。ぼくはパンパンを軽蔑してやしませんよ。むしろ、尊敬してるんだ。パンパンたる者は、精神的などゝいう怪しげなものを、ハッキリ土足にかけてくれなきゃア、こまるじゃないか。彼女はぼくを、泣き男だと云いましたよ。それでこそパンパンなんだ。パンパンでなくちゃア至り得ざる境地によって、泣き男を土足にかけてくれなくちゃア、ダメじゃないか。甘ッチョイ死に方なんぞしやがって、ざまアねえや」
 青木は押入からルミ子のフトンをひッぱりだして、くるまって、ねてしまった。

       五

 郊外の墓地の一隅に二人を一しょに埋めることになった。せつ子の家へ放二の遺骨をとりに行くと、せつ子は笑って、
「なんだか、変ね。御当人たち、生きてるときには、死んでこうなるなんてこと、考えたことがないのにねえ」
「生きてるうちは、人間みんなデタラメさ。死んでからも、デタラメでも仕方がないよ。なんとなく恰好がつけば、花なのさ」
 長平は無責任なことを放言して、二ツの骨壺をぶらさげた。青木はニヤリとして、
「オレは持ってやらないぜ。長さんの心事には甚しく同情を感じていないからさ。一人で重い目をするがいいよ」
「私も同感できないのよ。お供しませんから、ごめんなさい」
 せつ子は門前まで見送って戻ってしまった。
「悪縁だなア」
 青木はつぶやいた。
「君とこうして歩いていると、しみじみ感じるのは、悪縁ということだね。まったく、人生は悪縁だけさ。だから意地ずくで生きのびてやらアね。死んじまうと負けだというのが実にハッキリしていやがるなア。今にこうして君の骨を埋葬してやる日のことを考えると、いくらか生きがいを感じるな」
 青木はうまそうにパイプをくゆらした。
 しかし、いよいよ墓地に至り、埋葬の段になると、青木は甚しく労力をおしまず、又、親切であった。長平は何もすることがなかった。青木が一人で汗水たらしているからである。かつ、遺骨にたいする取扱いのいたわりは丁重をきわめ、ミジンも手をぬくような粗略なフルマイがなかった。その人相も一途に真剣である。埋葬し終えてホッと一息、それからも、気になるところをコマメに手を加えて、外観をととのえた。
「実に親切テイネイなもんだねえ」
「これが武士道さ」
 青木は皮肉な笑いをとりもどした。
「よく晴れた日じゃないか。やっぱり、ちょッと離れたところへ埋めてやって、背延びをさせた方がよかったらしいや。しょッちゅう鼻をつきあわしてちゃア、やりきれませんやね。長さんも、不粋な人さ。過ぎたるは及ばずと云うじゃないか」
 青木は口の中でクチャ/\と経文か何かせっかちに呟いて、ペコンと頭を下げた。そして二人の埋葬は終った。
「どう? 水ムシの御感想は? 意はみたされましたか」
 青木は皮肉な目をクルクルさせた。長平は答えなかった。
「フン。勝手に黙ってるがいいや。ぼくの感想は、たった一つあるだけですがね。え。長さんや。たった一ツ。ね。オレは長さんを憎む、憎む、憎む。それだけだよ」
 青木はベッとツバをはいた。
「骨の髄から、憎んでるんだ。恨み、骨髄に徹す、かね。だんだん、それが分ってくるよ。生きるにしたがって、それが分ってくるだけなのさ。明日はもっと憎むんだ。そして、来年は、その分だけ憎さがハッキリ増してるのさ。なんて、まア、なつかしい人だろう。イヤハヤ、実に、おなつかしい」
 青木は墓地をでるとたんに、ニッコリ立ち止って握手をもとめ、強く長平の手を握りしめた。
「殺していいか、抱きついていいか、分りゃしねえや。オレは、長さんが、心から、なつかしいよ。ともかく、生きているからね」
 青木の目にこもった微笑は、素直で、善良であった。




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