安吾巷談
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著者名:坂口安吾 

 先月号に散々悪口を弄したけれども、ストリップ・ショオというものは因果物なのである。あそこでも見物人はジッと睨んでいる。東京パレスの男の子もジッと睨んでいるけれども、ここには持てる者の余裕があるね。持てる者はいいもんだなア。
 ストリップの見物人は、持たざる者の悲しさを最も端的にあらわしている。息をこらし、眼は血走り、手を握ってギュッと拳をヒザに押しつけ、必死必殺、殺気がこもっているよ。そして、約三時間、女の子の裸の姿を睨みぬいたあげく、どうするかというと、椅子から立って振向いて、満員の同志をかきわけて、女の子のいる方の反対側の戸をあけて廊下を歩いて、ボンヤリ外へでるのである。なんたることだ。あんなにキチガイめいて女の子の裸体を睨んだあげく、彼は女の子にお尻を向けてポカンと反対側の戸外へでてボンノクボをさすって、アクビをしているのだ。持たざる者、難民の悲しき姿である。これを因果物というのである。
 東京パレスに於ては、アベコベだ。彼らの睨みは全的であるけれども、福徳円満である。持てる者は、どうしても、そうなる。しかも彼の前にヒラヒラ、サササッ、ヒラリ、蝶かの如くに舞い踊るのはイヴニングの美姫である、射的屋の蔭から襲いかかってシャッポを強奪したり、ムンズと組みつく女レスラーのたぐいではない。
 かの友人、ええと、誰かが何とか云ったッけ。ええと、その人が言ったように、よく揃えたもんだなア。まアね。彼の逆上的な観察にも狂いはあるようだが、まア、揃えるという精神はあるだろう。ダンサーたることを第一に、美というものを念頭においている方針の片鱗はわかるのである。たまたま目下予言者の宿命中で、閑古鳥はなき、美姫は立ち去り、事志とちがって、大いに困っているけれども、美神アロハの大魂胆が全然影を没するということは有りえない。かの人物が言うように、銀座のナンバーワンが二百人集っているというのは逆上的であるけれども、ストリップの踊り子ぐらい、ザラにいるなア。こッちの女の子をハダカにすれば、東京と大阪のストリップ劇場を占領して、オツリがくるほど人材がいるんだぞ。田舎まわりの因果物みたいな変な子はいないんだぞ。昨日までは、もッと、いたんだぞオ。だけど、だんだん、へるんだぞオ。
 美神アロハは復活した。そは実に、持てる者は幸いなるかな、という福音をひろめるためであったのである。
 それは又、ストリップや、射的屋の蔭に腕をさする女レスラーや、今か今かと男の子がさそいにくるのを陰にこもって待ちかまえている壁際のダンサーや、すべて異端の貧しく持たざるものを放逐するためでもあったのである。
 ダンス・ホールは八時半だか九時だか九時半だかに終る。茫漠として、私はその時刻が何時であったか記憶がないが。そのときに時計を見て時刻などを知るという落付きが、それほど賞讃されたことではないのであるな。
 そして、美姫の一人を恋人として、彼女の部屋へ行くのである。
 又、二百人の美姫が全部踊ることはできないから、四ツかの組にわけて、一晩に一組だけ踊る。他のホールに現れざる四分の三に恋人がいるかも知れぬと思う人は、彼女らの部屋の方をさがせばいい。
 彼女らのハレームは五ツの棟にわかれている。各々二階建である。
 さて彼女らの各々の部屋であるが、これが、ちょッと、こまるんだねえ。つまり、これは、一度はハリツケにかかるという宿命を行うためであるから、仕方がないように出来ているのだなア。
 戦争中は二十人か三十人の白ハチマキがねていたと思われる大きな一部屋を、まず、横に二つに分ける。前方と後方に二分するわけだ。前方は、ちょッと喫茶店めいてイス、テーブルがあり、ちょッとした炊事場みたいなものもついている。後方を四ツか五ツに区切って、この広さが二畳半かな、ここが、彼女らの部屋だ。区切れ目がよくて、窓に当った部屋はいいけど、四分の一、ひどいのは五分の一ぐらいしか窓にかからんのが在るんだなア。
 巷談師は予言者の宿命を行うためらしく、五分の一しか窓に当らぬ部屋へ静々と招ぜられたのである。しかし美姫は巷談師がビールをのんでいる間というもの、扇風機よりも休みなくウチワであおぎつづけてくれました。全然辛苦をいとわんのだな。窓ぐらい、無くたって、なんだ! 東京の奴らは知らねえな。ウチワというものがあるんだぞオ。
 ダンスホールと五棟のハレムの間には、飲食店が五ツ六ツ並んでいる。スシ屋というのが一ツ。オシロコ屋というのが二軒だか三軒あったよ。オデン小料理、ビヤホールという男子用のものがなかったのさ。のぞいて歩いたら、オシロコ屋というのにビールがあったよ。オシロコを食わなくっても、チャンとビールをのませてくれた。第一安いや。いくらだと思う。もっとも、ここのビールはのむ場所によって値段がちごう。ダンスホール、ハレム、オシロコ屋、三ツとも違う。ホールで二百五十円、ハレムで三百円、オシロコ屋で二百円だったかな。女の子の部屋でのむのが一番高い。
「オデン屋ぐらい、ないのかな」
 と呟いたら、支配人が、
「ええ、手前どもは、できるだけ優美典雅に、又、できるだけ安直に、美とたわむれていただきますために、男子用の散財店をさけまして、実用品店と、女子必需品店、オシロコ屋でありますな、そういった気分であります。お客様がよけいなことで、気前よくあそばす、又、ギョッとあそばす、いずれも、当会社は、かたく慎しんでおります」
 バカに心がけがよいのである。理髪店が一軒ある。ここらあたりは、気がきいてるな。一人のオヤジサンが熱心に誰かの頭をかっていた。夜、頭をかって、美姫に対面に赴くべきや。朝、頭をかって、何食わぬ顔、会社へ出勤すべきや。ここへ遊びにきた男の子は、どうしてもこの難問題を考えなければならない。
 案内人(文春の誰かさん)はニヤリと笑って言いました。
「それは夜かるべきですよ。オールナイト八百円の時間まで、頭かって待ってるです。オシロコは胃にもたれるし、ビールは高いし、頭かるのは実用的で、全然もうかッとるですから」
 アプレゲールは全然エライよ。

          ★

 私は先月、南雲さんの病院へ入院していた。巷談に東京パレスを、という案はその前からあったので、南雲さんにきいてみた。
「東京パレス御存じですか」
「あれは武蔵新田と同じものだそうですよ」
 返答はアッサリしていた。南雲さんは、武蔵新田診療所長でもある。吉原の吉原病院と同じ性質の診療所だ。
 武蔵新田のパンパン街というものは、私の勇名なりひびいているところで、古い子で私を知らぬパンパンはいない。この入院中、病院の先生たちをムリにひッぱりだして、曾遊(そうゆう)のパンパン街へ酒をのみに行った。パンパンは私を見ると、みんなゲラゲラ笑いだすのである。私がかつて妙テコレンな病気の折に、ここをせッせと巡礼して、他の勇士の為しがたい多情多恨の業績をのこしているからである。向うにしてみれば、奇々怪々、しかし奇特なダンナではあるよ。だから、人気があるな。
 ここは鳩の町などゝは又ちごう。三ツのアパートを改造して、昔は一部屋ごとに一人の女が喫茶店を開業していた。今は喫茶店はやっておらんが、客はアパートの中を歩いて、一部屋ごとの女をながめて巡礼する仕組になっている。
 武蔵新田と東京パレスの似ているところは、そこだけなのである。女はアパートの一室をそっくり占めているから、部屋の点では、武蔵新田の方がいい。しかし、その本質に於ては雲泥の相違があるし、新田は要するに、ただのパンパン街にすぎない。
 東京パレスは、今までのパンパン街と本質的にちごう。昔の吉原にもあったが、京都も伏見中書島(ちゅうしょじま)など、ちょッとしたダンスホールをそなえた遊廓はかなりあった。しかし娼家にホールが建物としてくッついているというだけで、誰も踊ってやしないし、誰かが踊っていたにしても、在来の娼家の性格を出ているものではなかった。
 東京パレスは、その恋人を選定する道程に於て、娼家的なものがないのである。意識的に、そこに主点をおいて、娼家的なものを取り去っているのだ。
 そこはダンスホールである。バンドもある。よく、きいてみろ。雑音とちがうぞ。ちゃんと曲にきこえるだろ。女はイヴニングをきている。そして、ともかく、一応の容姿の娘(年増は殆どいない)をとりそろえ、ストリップを観賞するように、踊る美女をながめて、恋人を選ぶ仕組なのである。
 ここへくると、ストリップの今の在り方の下らなさがよくわかる。芸のない、助平根性の対象としてのストリップ。裸の女を眺めて、それからモーローと反対側の方角へ劇場をでてしまうマヌケさ加減、東京パレスはアベコベだ、これから共に寝室へ行く目的がハッキリしているし、そして、それがハッキリしていると、彼女がハダカであるよりも、衣裳をつけ、楚々と踊りつつある方が、どれぐらい内容豊富だか分らない。裸体はそれを直接見るよりも、衣裳や動きによってその美しさを想像せしめるように工夫されたのを見る方が、心ゆたかであるし、たのしいものだ。
 見物中の男の子は、恋人の色々の秘密を想像し、その一々にまさしく恋人としての愛情をいだくことができる。そして、二百の美姫たちは彼女らが踊りつつあるときは美姫であってパンパンではない。ともかく、東京パレスというところは、そこを狙っているのである。去年はもッと良かったんだア。昨日だって、もっと、よかったぞオ。
 それで、金が高ければ当り前の話で面白おかしくもないけれども、さて美姫が恋人となり、ホールが終って、彼女らがパンパンとなると、とたんに彼女らの部屋は窓の小さな犬小屋となり、何から何まで、安直なのである。この精神が甚だよろしい。
 在来のパンパンは相当な金をまきあげられた上、女とねかされるというだけで、露骨で殺風景で、この道に一番大切な、恋人的な情趣をもつ余地がない。センチメンタルなダンナ方は老いも若きも、この荒涼風なまぐさしという雰囲気にはつきあえないに相違ない。
 芸者というのは踊るけれども、あの日本舞踊の動きというものは現代のセンスに肉体の美を感じさせはしなく、彼女らの唄うものが、益々現代の美から距離をつくってしもう。
 パンパンというものが在る以上は、もっと気のきいた、現代のセンスに直接な在り方がなければならぬ筈であった。東京パレスはそれに応えて、革命的な新風をおこしたのである。その上、ありきたりのパンパンよりも安直であるという大精神に於ては、窓の小さな犬小屋の非をつぐなって余りあるところ甚大な、一大業績だといわなければならぬ。美神アロハは実力の一端を示したのである。尚かつ世にいれられず、受難四年、閑古鳥がないたというのが愉快である。しかし、そうだろうな。東京から円タクをねぎって八百円かかる田ンボのマンナカの一軒屋へ、美姫二百人楚々と軽やかに踊らせた魂胆というものは、分るようでもあるし、全然分らないようでもある。よく考えると、分らんわ。
 私たちは見物席のメーンテーブルにドッカと腰かけ、ビールをのみ、美女をにらんでいた。
 私は従卒を三人つれていた。二人は志願兵であるが、一人は委託された教育補充兵で、ある人物にたのまれたのである。
「今日はちょッと難題をたのみますがな。今やわが社におきましては虫気のつかない困った人物がおりまして、ええッと、彼はなんと云ったッけな。ア、そうだ、君。編輯者は色々なものを見ておかなければならんぞよ。見るだけでタクサンだ。実行するに及ばん。実行の隣の線まで、よく見てこい。今夜はこの子をつれていって下さい」
「ムムム」
 大胆不敵の巷談師も、この時こまッたのである。自分にできないことを、人に押しつけやがるよ。しかしウシロは見せられない。
「よろしい。しかし、心細いな。ほかに然るべき心ききたる同行者が必要だが、この社の年寄りは酔っ払うと分別に欠けるところがあり勇みに勇む悪癖もあって、全然荷物になるだけだ。しかし、年寄に分別がないと、若い者に分別がつくもんだな。これが教育というもんだ」
 こう云って、よく自然教育された二人の志願兵、これで従卒三人、そろって美青年だったのが大失敗のもとでヒドイ目にあった。
 いつもの巷談では取材の終るまでお酒はのまなかったが、今度はそうはいかない。銀座で酔っ払って、見物席で、目玉をむきながらビールをのむ。
「いい子、いますか」
 分別ある兵隊の一人がきく。
「いる、いる。三人みつけた」
「どれ?」
 隣の女の子が私にきく。
「ええッと。まず、あすこの黒白ダンダラのイヴニング」
「あんなの好きなの? あの方がいいわよ。緑のイヴニング。腰の線がなやましい」
 隣の女の子がきいた風なことを言う。
「こちらは黒白ダンダラのイヴニングですね。林芙美子先生は緑のイヴニングと」
 分別のある兵隊がメニューを書きこむ料理屋の支配人のようなことを言う。そうか。隣の女の子は、林芙美子という名前なのか。銀座の酒場で、かち合った男と女が一緒にきたのである。
「ええッと、石川淳先生は? いい子いますか」
 分別ある兵隊が私の隣の男にきいたが、この男は、知らん顔して答えなかった。そうか。こッちの男は石川淳という名前か。
 ダンスが終った。
「石川先生を、どうしたらよろしいですか」
 と兵隊が心配して私にきくから、
「よろし。よろし」
 私は彼を安心させてやるために、いとも自信ありげにこう答えてやった。実際、自信があったのだ。
 この人、ええと、石川淳という名前か。この人はあの子が気に入ったなどゝいうことを、コンリンザイ、言いたいけれども、言えないというタチなのである。しかし、巷談師のとぎすまされた心眼には凄味がある。ジッと二百名の美姫をにらんだアゲクに、最も優美豊艶、容姿抜群、白百合のような気高い子を招きよせて、石川淳の肩をたたいて、
「この子が君と寝室に於てビールをのみたいと云っている」
 彼は心眼によってみんな見抜かれたバツの悪さをあらわさずに、とたんにニンマリと笑みをふくんで、
「や。ありがとう」
 と、言った。たった一語、この一語のほかの言葉は有りえないという充足した趣きがこもっていた。
 私は人の世話をやいてやって、大失敗したのである。さて、いよいよわが目ざす美姫、黒白ダンダラのイヴニング。ところが、人の世話をやいてるうちに、ほかの男と約束ができて、手オクレであった。
 そこで三人の従卒が同情した。
「ヤ、心配無用です。ホールへでていたのは四分の一にすぎんです。四分の三は各自の個室におり、この中に美姫あることは必定ですよ」
 そこで美姫をさがすことになったんだがね。アラビヤン・ナイトでも、美姫をさがすのは若い王子様ときまっていたな。ジジイはそういうことはしていなかったなア。思いだすのが、おそかった。
「あなたア!」
 といって、女の子がかけよってくる。女の子たちは三人の男の子の手をにぎる。誰一人、私に向って、同じことをする女の子がいないんだね。どの棟のどの部屋の前を通りかかっても、そうなんだ。すべて物事には例外があるということをきいていたが、例外というものは実に絶対にないもんだね。しかし、ここまでは、まだ、それほど深刻な事態ではなかったのである。
 三人の男の子は、女の子の手をふりきる。そして大股に歩きすすむ。その時に至ってだね。手をふりはらわれて後にとりのこされた女の子たちは、改めて私の後姿に気がついて、これに向って、こう呼びかけるのである。
「パパ! ちょッと! パパ!」
 パンパン街というものは、チョイと、オジサン、というね。これが天下普通で、そう気になる言葉ではないが、パパはひどい言葉だよ。東京パレスの女の子は、必ず、私にパパとよびかけた。かく呼びかけるべく教育されたとしたならば、実に中年虐待。従卒どもはゲラゲラ笑いだしやがるし、しかし、今までウッカリしていたが、パパという言葉は、実際凄い言葉だ。私はヤケを起して、一人の美姫の部屋へにげこんだ。これが、さッきも云う通り、窓が五分の一しかなかったんだね。五分の一というと、まア、六寸さ。しかしウチワであおいでくれたよ。
 一時間後に我々は約束のシロコ屋へ集合した。この戦果。私は女の子に二千円やって、千円でビール二本のんで、合計三千円。林芙美子、女の子に千円チップ。教育補充の美少年、二百円。彼はビール一本のみ、女の子は二百円しかとらなかった由。ハレムのビールは公定一本三百円、私のは五百円だが、奴め、二百円でのんで、手数料もとられなかったのである。
 今や、日本中のダンスホールというダンスホールは、みんな踊りが荒れて、猥雑、体をなさず、見るにたえないそうだ。
 ところが、東京パレスのホールの踊りは、抜群に美しく、いささかも荒れたところがない。楚々として、男女ともに、踊りは典雅そのものなのである。
 実に、当然すぎるね。荒れる必要がないのだ。チークダンスの必要がないのだもの。ちゃんとハレムへみちびかれる必然の運命にあるのだから。
 もしも諸君が、最も美しく洗練され、礼儀正しいダンスを知りたいと思ったら、東京パレスへ行ってみることだ。
 つまり、ここの恋人たちは、甚だ健全で、礼節正しいのである。ストリップが因果物だという意味が、又、他のダンスホールが持たざるものの哀れさに溢れているという意味が、まだ、おわかりにならないかな。
 持てる者は礼儀正しくなるものさ。
 難を云えば、踊る女は誰の目にも目立つのがほぼ同じいから、恋人がダブリ易いということだね。
 尚、前文中、田ンボのマンナカの一軒屋と書いたが、百軒屋ぐらいの一つであった。ゆうべ、もう一ッぺん行ったら、わかったのさ。




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