安吾巷談
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著者名:坂口安吾 

 しかし問題は、いつでもサリゲなく家出できる筈の三十女を朝の五時ごろ家出させ、墓地へ運んだり、これを新聞記者に追跡させたり、いろいろとカラクリしていることだ。以上の点を考えれば、氏に於ける愛情の熱度はこれによって量りがたいが、氏が結婚を政治的に利用していることは確実だ。これが前途多難を暗示するその二である。
 両々これだけのユトリがあれば、まだ救われている。しかるに一方の天光光氏は、因果モノ的にヒタムキで、園田氏のユトリや策略とツリアイがとれていないのである。
 この不ツリアイなところに偶然の妙味が生れて二人の均衡がシックリ行けば結構であるが、天光光氏が単にヒタムキな白紙の魂とちがって、夫婦は政見を同じくしなければいけない、などゝ色々と父の狂信的なシメールを背負っている。理知的な内省が乏しく、単に背負ったシメールだけが大きく重いから、これを突きつけられると、たいがい男の方もウンザリしてくるだろうと思う。
 おまけに、天光光氏を家出させるに、これだけの芝居を打つ以上、園田氏が政治生命をこの結婚に賭けていることは大であろうから、フタをあけてみて、その政治生命がうまいようにいかないと、血路を他にもとめるのは自然であろう。
 天光光氏も理知の低い人で、恋愛に当って、公人だからどうのと云う。こまったガンメイさである。公人もヘッタクレもあるものではない。ミーちゃんもハーちゃんも代議士も恋に変りはないのである。それだけの見解すらも持たないこの人の貧しさが悲しい。
 恋にヒタムキであっても、どこかヒタムキのピントが外れているのである。ヤブニラミなのである。代議士というユーレイに憑かれて、足が宙にういているのだ。
 ヒタムキであり、純情ではあるが、私はこういう理知の足りないピント外れのものは好ましく思わない。
 園田氏は太々しく、一向に純情なところがなく、この恋愛を利用することを主にしているが、私は因果モノ的にヒタムキな純情よりも、園田氏の計算的な方を、むしろその理知的の故に、とるものである。
 しかしながら、恋愛というものは、むしろ計算の念がない方が勝利を占めるのである。これを政治的に利用することを考えず、恋愛一途に生きぬこうとする方が、結局、政治的にも勝利を占めることになるのである。
 イギリスの前皇帝の場合を考えてみたまえ。帝位をなげうって恋に生きる。まことに明朗で、誰もこのお方を軽蔑などしない。むしろ万人の敬愛をうけるであろう。
 恋愛とは、こういうものだ。
 あとで失敗してもかまわないものだ。帝位を投げうとうが、妻子亭主をなげうとうが、それ自身ヒタムキであれば救われる。少数の道学者はとにかくとして、多くの凡人はこれに対して決して不快を感ぜず、むしろそのヒタムキの故に、敬愛の念を寄せてくれるものである。
 園田氏が、もし、もう何級か上の、第一級の政治家であるなら、こんなケチな術策は弄せず、ヒタムキに恋愛に突入したであろう。
 すべて第一級の人物とは、事に処してヒタムキであり、高い理知と同時に、常に少年の如く甘い熱血に溢(あふ)れているものだ。
 ナポレオンを見たまえ。世界をあらかた征服しながら、なッとらんラヴレターをかいて千々にみだれているではないか。
 だいたい代議士諸公は、策が多すぎるよ。政策が乏しいくせに、生活上の策が多すぎるのだ。
 ナポレオンをひきあいに出しては気の毒であるが、彼は戦争は巧みで、政治に又、手腕があったが、生活上には無策で、諸氏の足もとには遠く及ばなかった。
 生活上の策などは、いくら巧妙でも、政治のプラスには全然ならない。こういう生活上のカラクリを政治的手腕だと思う日本の政界のレベルの低さは、度しがたいものがある。
 しかし、ともかく、茶番は終った。
 御両人の政治上の生命も、結婚生活の生命も、今後にかかっているだけのことだ。今からでも、おそくはないのである。
 恋愛に生きることは、政治に生きることである。同時に、不本意な恋愛ならば、解消するのが、政治的に生きる方法でもある。恋愛自体はカラクリがなく、スッキリしていれば、おのずから救いがあるものだ。




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