保久呂天皇
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著者名:坂口安吾 

 彼が完全に穴の中に閉じこもってから二十日ほどたち、身うごきもしなくなったので、村から巡査と医者がきて彼を運びだして駐在所へ運んで行った。その翌日、巡査の指図で村の者が早朝から一日がかりで山をくずし石室をこわしたのである。
 シマの財布はどこからもでなかった。久作の家も捜したが、どこからも札束はでなかった。意外な収獲としては「保久呂天皇系図」という久作の新作らしい一巻の巻物が現れたことである。天照大神からはじまり久作らしき天皇で終る最後に、
「この天皇眼の下に大保久呂あり保久呂天皇の相なり裏山のミササギに葬る」
 とあって、どうやらあの山と石室が保久呂天皇のミササギであったことが判明したのであった。
 十日あまりで保久呂天皇は元の元気な姿になった。
「あれが保久呂天皇のミササギとは知らないものだから、こわしてしまって気の毒したが、その代りお前の命は助かったし濡れ衣もそそがれたからカンベンしてくれや」
 と云って駐在所から送りだされたのであった。駐在所の前には中平をのぞく部落の戸主が全員集っていた。彼らは最敬礼して久作の出所を迎え、まさに土下座せんばかりの有様であったのは、保久呂天皇を確認したからではない。
「さてこのたびはまことに申訳がない。濡れ衣とは知らず一同が手を下してミササギをくずしてしまったが、これは警察の命令で仕方がなかったのだから、まげてカンベンしてもらいたい。お前がそうしろと云うなら部落全員が力を合せて元のようなミササギをつくるから。これ、この通りだ」
 六太郎は手が地面へつくほども腰と膝を折りまげて声涙ともに下る挨拶であった。
 それに合せて「どうぞゴカンベン。この通り」とみんなが同じことをした。
 久作は返事をしなかった。だまって歩きだした。六太郎が慌てて抱きとめるようにして、
「その身体では無理だ。車の用意があるから乗ってもらいたい」
 キャベツやジャガイモを運ぶリヤカーに久作をのせ、一同がそれをひいたり押したりして山へ戻ったのである。道々誰が話しかけても久作は答えなかった。
 リヤカーを押し上げて杉の林をぬけ保久呂湯の下へでると、女たちも集ってきて、頭巾をはずし、
「このたびは、御苦労さまでした。どうかカンベンして下さい」
 と口々にあやまった。リンゴ園でそれを見た中平はいそいで家の中へ逃げこんで、壁の二連発銃をはずし、それを膝にのせてガタガタふるえて坐っていた。
 久作はわが家へつくとノコギリを持って外へでた。人々は呆気にとられて見送った。彼はまっすぐリンゴ園へ登った。そして夕方までリンゴ園のリンゴの木を一本のこらず伐り倒したのである。中平は鉄砲を持って縁側まで歩いてはまた戻ってきてガタガタ坐っていたが、どうすることもできなかった。
 その翌日から久作はミササギで仕事にかかったが、十日あまりで石を全部谷へ投げこみ、地ならしして、ミササギが畑になっていたのである。そこへ彼はカブをまいた。しかし、カブをまき終った晩、鎌で腹をさいて死んだのである。山へ戻ってからその日まで誰とも一言も話をしなかった。




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