レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

   第一編 市街戦


     一 サン・タントアーヌとタンプルとの両防寨(ぼうさい)

 社会の病根を観察する者がまずあげ得る最も顕著な二つの防寨は、本書の事件と同時代のものではない。その二つの防寨は、異なった二つの局面においていずれも恐るべき情況を象徴するものであって、有史以来の最も大なる市街戦たる一八四八年六月の宿命的な反乱のおり、地上に現われ出たのである。
 時として、主義に反し、自由と平等と友愛とに反し、一般投票に反し、万人が万人を統べる政府に反してまでも、その苦悩と落胆と欠乏と激昂と困窮と毒気と無知と暗黒との底から、絶望せる偉人ともいうべき賤民(せんみん)は抗議を持ち出すことがあり、下層民は民衆に戦いをいどむことがある。
 無頼の徒は公衆の権利を攻撃し、愚衆は良民に反抗する。
 それこそ痛むべき争闘である。なぜかなれば、その暴行のうちには常に多少の権利があり、その私闘のうちには自殺が存するからである。そして無頼の徒といい賤民といい愚衆といい下層民という侮辱的なそれらの言葉は、悲しくも、苦しむ者らの罪よりもむしろ統治する者らの罪を証し、零落者らの罪よりもむしろ特権者らの罪を証明する。
 しかして吾人は、それらの言葉を発するに悲痛と敬意とを感ぜざるを得ない。哲学はそれらの言葉に相当する事実の底を究むる時、悲惨と相並んで多くの壮大さがあるのをしばしば見いだすからである。アテネは一つの愚衆であった。無頼の徒はオランダを造った。下層民は一度ならずローマを救った。そして賤民(せんみん)はイエス・キリストのあとに従っていた。
 いかなる思想家といえども、時として下層の偉観をながめなかった者はない。
 聖ゼロームが心を向けていたのは、疑いもなくこの賤民へであった。「都市の泥濘(でいねい)こそ地の大法なり」と神秘な言葉を発した時、彼の心が考えていたのは、使徒や殉教者らが輩出したそれらの貧民や浮浪の徒やみじめな者らのことをであった。
 苦しみそして血をしぼってるこの多衆の激怒、おのれの生命たる主義に反するその暴行、権利に反するその暴挙、などは皆下層民の武断政略(クーデター)であって、鎮圧されなければならないものである。正直なる者はそういう鎮圧に身をささげ、多衆を愛するがゆえにかえってそれと戦う。しかしながら彼は、対抗しながらもいかにそれを宥恕(ゆうじょ)すべきものであるかを感じ、抵抗しながらもいかにそれを貴(とうと)んでいることであろう! おのれのなすべきところをなしながら、足を引き止むるようなある不安な何物かを感ずる稀有(けう)な時期は、かかるところから到来する。人は固執する、固執しなければならない。しかし本心は満足しながらも悲しんでいる。そして義務の遂行のうちに、ある痛心の情が交じってくる。
 直ちに言を進めるが、一八四八年六月の暴動は特殊の事実であって、ほとんど歴史哲学のうちにおいて他と同類に置くことのできないものである。吾人が上に発した言葉はすべて、おのれの権利を要求する労働の聖なる焦慮が感ぜらるるこの異例の暴動に関しては、排除しなければならない。この暴動を人は鎮圧しなければならなかった、それは義務であった、なぜならこの暴動は共和を攻撃したから。しかし根底においては、一八四八年六月は何であったか。それは民衆のおのれ自身に対する反抗であった。
 主題から目を離しさえしなければ、決して岐路に陥るものではない。それでちょっとの間、上にあげたまったく独特な二つの防寨(ぼうさい)に読者の注意を向けさせることを、ここに許していただきたい。その二つの防寨こそ、一八四八年六月の反抗の特質を示すものである。
 一つはサン・タントアーヌ郭外の入り口をふさいでいた、一つはタンプル郭外を防護していた。六月の輝く青空の下にそびえた、この内乱の恐るべき二つの傑作は、見る者に忘るべからざる印象を与えた。
 サン・タントアーヌの防寨は雄魁(ゆうかい)なものだった。高さは人家の三階に及び、長さは七百尺に及んでいた。その郭外の広い入り口すなわち三つの街路を、一方から他方までふさいでいた。凹凸(おうとつ)し、錯雑し、鋸(のこぎり)形をし、入り組み、広い裂け目を銃眼とし、それぞれ稜角堡(りょうかくほう)をなす多くの築堤でささえられ、そこここに突起を出し、背後には人家の大きな二つの突出部が控えていて、既に七月十四日(一七八九年)を経てきたその恐るべき場所の奥に、巨大なる堤防のようにそびえていた。そしてこの大親たる防寨の後ろには、各街路の奥に十九の小防寨が重なっていた。その郭外のうちにある広大なる半死の苦しみは、困窮が最後の覆滅を望むような危急な瞬間に達していることが、防寨を一目見ただけで感ぜられた。しかも防寨は何でできていたか。ある者の言によれば、七階建ての人家を三つことさらに破壊して作ったものだといい、ある者の言によれば、あらゆる憤怒の念が奇蹟的に作り上げたものだという。そして憎悪(ぞうお)のあらゆる手段をもって築かれた痛むべき光景、倒壊の趣を持っていた。だれがそれを建設したか、とも言い得らるれば、だれがそれを破壊したか、とも言い得られた。沸騰せる熱情が即座に作ったものであった。扉(とびら)、鉄門、庇(ひさし)、框(かまち)、こわれた火鉢(ひばち)、亀裂(きれつ)した鍋(なべ)、すべてを与え、すべてを投げ込み、すべてを押し入れころがし掘り返し破壊しくつがえし打ち砕いたのである。舗石(しきいし)、泥土、梁(はり)、鉄棒、ぼろ、ガラスの破片、腰のぬけた椅子(いす)、青物の芯(しん)、錠前、屑(くず)、および呪詛(じゅそ)の念などから成っていた。偉大であり、また卑賤であった。渾沌(こんとん)たるものが即座に作った深淵(しんえん)であった。大塊に小破片、引きぬかれた一面の壁にこわれた皿、あらゆる破片の恐るべき混和、シシフォス(訳者注 地獄の中にて絶えず大石を転がす刑に処せられし人―神話)はそこにおのれの岩を投げ込み、ヨブはそこにおのれの壜(びん)の破片を投げ込んでいた。要するにまったく恐ろしいものだった。浮浪の徒の堡塁(ほるい)だった。くつがえされた多くの荷馬車はその斜面を錯雑さしていた。大きな大八車が一つ、車軸を上にして横ざまに積まれて、紛糾した正面に一つの傷痕(きずあと)をつけてるかのようだった。乗り合い馬車が一つ、砦(とりで)の頂にむりやりに引き上げられ、あたかも荒々しい砦の築造者らが恐怖に悪戯を添えんと欲したかのように、その轅(ながえ)をいたずらにある空中の馬に差し出してるかと思われた。その巨大な堆積、暴動の積層は、あらゆる革命がオッサ山とペリオン山とを積み重ねたものかと(訳者注 ジュピテルに反抗した巨人らが天に攻め上らんために重ねたテッサリーの二つの山)見る者の心に思わせた。八九年(一七―)の上に積み重ねた九三年(一七―)、八月十日(一七九二年)の上に積み重ねた共和熱月九日(一七九四年七月二十七日)、一月二十一日(一七九三年)の上に積み重ねた共和霧月十八日(一七九九年十一月九日)、共和草月(一七九五年五月)の上に積み重ねた共和檣月(一七九五年十月)、一八三〇年の上に積み重ねた一八四八年であった。場所の要害はその努力にふさわしいものであり、防寨(ぼうさい)はバスティーユの牢獄の消えうせた場所に出現して恥ずかしくないものであった。もし大洋が堤防を築くとするならば、おそらくかかる防寨(ぼうさい)を築くであろう。狂猛な怒濤(どとう)の跡はその畸形(きけい)な堆積の上に印せられていた。しかもその怒濤は、下層の群集だったのである。その喧囂(けんごう)の状の化石が見えるかと思われた。急激な進歩の暗い大きな蜂(はち)の群れがおのれの巣の中で騒いでるのが、この防寨の上に聞こえるかと思われた。それは一つの藪(やぶ)であったか、酒神の祭であったか、それとも一つの要塞(ようさい)であったろうか。眩惑(げんわく)の羽ばたきによって作られたものかと思われた。その角面堡(かくめんほう)のうちには一種の塵芥(ごみ)の山があり、その堆積のうちには一種のオリンポスの殿堂があった。その絶望に満ちた混乱のうちに見らるるものは、屋根の椽木(たるき)、色紙のはられた屋根部屋の断片、砲弾を待ち受けて物の破片のうちに立てられてるガラスのついた窓の扉(とびら)、引きぬかれた煙筒(えんとつ)、戸棚(とだな)、テーブル、腰掛け、上を下への乱雑な堆積、それから乞食(こじき)さえも拒むような無数のがらくた、そのうちには狂猛と虚無とが同時にこもっていた。民衆のぼろ屑(くず)、木材と鉄と青銅と石とのぼろ屑であって、サン・タントアーヌ郭外が巨大な箒の一掃きでそれらを戸口に押しやり、その悲惨をもって防寨となしたかのようだった。首切り盤のような鉄塊、引きち切られた鎖、絞首台の柱のような角材、物の破片の中に横倒しに置かれてる車輪、それらのものはこの無政府の堂宇に、民衆が受けてきた古い苛責(かしゃく)の陰惨な相貌(そうぼう)を交じえさしていた。実にこのサン・タントアーヌの防寨は、すべてのものを武器としていた。内乱が社会の頭に投げつけ得るすべてのものは、そこに姿を現わしていた。それは一つの戦いではなくて、憤怒の発作だった。その角面堡をまもってるカラビン銃は、中に交じってた数個の霰弾銃(さんだんじゅう)とともに、瀬戸物の破片や、骨片や、上衣のボタンや、また銅がはいってるために有害な弾となる寝室のテーブルの足についてる小車輪までも、やたらに発射した。防寨全部がまったく狂乱していた。名状し難い騒擾(そうじょう)の声を雲の中まで立ち上らしていた。ある瞬間には、軍隊に戦いをいどみながら、群集と騒乱とでおおわれてしまった。燃ゆるがような無数の頭が、その頂をおおい隠した。蟻(あり)のような群集がいっぱいになっていた。その頂上には、銃やサーベルや棍棒(こんぼう)や斧(おの)や槍(やり)や剣銃などがつき立っていた。広い赤旗が風にはためいていた。号令の叫び、進撃の歌、太鼓の響き、婦人の泣き声、餓死の暗黒な哄笑(こうしょう)、などがそこに聞かれた。防寨(ぼうさい)はまったく常規を逸したもので、しかも生命を有していた。あたかも雷獣の背のように電光の火花がほとばしり出ていた。神の声に似た民衆の声がうなっているその頂は、革命の精神から発する暗雲におおわれていた。異常な荘厳さが、巨人の屑籠(くずかご)をくつがえしたようなその破片の堆積から発していた。それは塵芥(ごみ)の山であり、またシナイの山(訳者注 モーゼがエホバより戒律を受けし所)であった。
 上に言ったとおり、この防寨は革命の名においてしかも革命を攻撃したのである。偶然であり、無秩序であり、狼狽(ろうばい)であり、誤解であり、未知数であったこの防寨は、立憲議会と民衆の大権と普通選挙と国民と共和とを向こうにまわしたのである。それはマルセイエーズ(フランス国歌)にいどみかかるカルマニョールの歌(革命歌)であった。
 狂乱せるしかも勇壮なる挑戦(ちょうせん)であった。なぜなれば、この古い郭外は一個の英雄だからである。
 郭外と角面堡(かくめんほう)とは互いに力を合わしていた。郭外は角面堡の肩にすがり、角面堡は郭外に身をささえていた。広い防寨は、アフリカの諸将軍の戦略をも拉(ひし)ぐ断崖(だんがい)のごとく横たわっていた。その洞窟(どうくつ)、その瘤(こぶ)、その疣(いぼ)、その隆肉などは、言わば顔を顰(しか)めて、硝煙の下に冷笑していた。霰弾(さんだん)は形もなく消えうせ、榴弾(りゅうだん)は埋まり没しのみ込まれ、破裂弾はただ穴を明け得るのみだった。およそ混沌(こんとん)たるものを砲撃しても何の効があろう。戦役の最も荒々しい光景になれていた各連隊も、猪(いのしし)のごとく毛を逆立て山のごとく巨大なその角面堡(かくめんほう)の野獣を、不安な目でながめたのである。
 そこから約四半里ばかり先、シャトー・ドーの近くで大通りに出てるタンプル街の角(かど)で、ダルマーニュという商店の少しつき出た店先から思いきって頭を出してみると、遠くに、運河の向こうに、ベルヴィルの坂道を上ってる街路の中、坂道を上りきった所に、人家の三階の高さに達する不思議な障壁が見られた。それはあたかも左右の軒並みを連ねたがようで、街路を一挙にふさぐために最も高い壁を折り曲げたがようだった。しかしその壁は、実は舗石(しきいし)で築かれていたのである。まっすぐで、規則正しく、冷然として、垂直になっており、定規をあて墨繩(すみなわ)を引き錘鉛(すいえん)をたれて作られたもののようだった。もとよりセメントは用いられていなかったが、しかもローマのある障壁に見らるるように、そのため建築上の強固さは少しも減じていなかった。高さから推してまた奥行も察せられた。上層と地覆(ちふく)とはまったく数学的な平行を保っていた。灰色の表面には所々に、ほとんど目につかないくらいの銃眼の列が黒い糸のように見えていた。各銃眼の間には一定の等しい距離が置かれていた。街路には目の届くかぎり人影もなかった。窓も扉(とびら)も皆しめ切ってあった。そして奥に立っている防壁のために、あたかも袋町のようになっていた。防壁は不動のまま静まり返っていた。何らの人影も見えず、何らの音も聞こえなかった。一つの叫び声もなく、一つの物音もなく、息の音さえもなかった。まったく一つの墳墓だった。
 六月のまぶしい太陽は、その恐るべき物の上に一面の光を浴びせていた。
 これが、タンプル[#「タンプル」は底本では「タンブル」]郭外の防寨(ぼうさい)であった。
 この場所に行ってそれをながむると、最も豪胆な者でもその神秘な出現の前に考え込まざるを得なかった。それはよく整い、よく接合し、鱗形(うろこがた)に並び、直線をなし、均斉(きんせい)を保ち、しかも凄惨(せいさん)な趣があった。学理と暗黒とがこもっていた。防寨(ぼうさい)の首領は、幾何学者かもしくは幽鬼かと思われた。人々はそれをながめ、そして声低く語り合った。
 時々、兵士か将校かあるいは代議士かだれかが、偶然その寂しい大道を通りかかると、鋭いかすかな音がして、通行者は負傷するか死ぬかして地に倒れた。もし幸いにそれを免れる時には、閉ざされた雨戸か、素石の間か、壁の漆喰(しっくい)かの中に、一発の弾(たま)がはいり込むのが見られた。時とするとそれはビスカイヤン銃のこともあった。防寨の人々は多く、一端を麻屑(あさくず)と粘土とでふさいだ鋳鉄のガス管二本で、二つの小さな銃身をこしらえていた。ほとんど火薬をむだに費やすことはなかった。弾はたいてい命中した。そこここに死体が横たわって、舗石(しきいし)の上には血がたまっていた。また著者は、一匹の白い蝶(ちょう)が街路を飛び回ってたことを記憶している。さすがに夏の季節だけは平然としていた。
 付近の大きな門の下には、負傷者がいっぱいはいっていた。
 そこでは、姿を隠してるだれかから常にねらわれるような感があった。明らかに街路中どこででもねらい打ちにされるらしかった。
 タンプル郭外の入り口に運河の円橋がこしらえてる驢馬(ろば)の背中ほどの空地の後ろに、攻撃縦列をなして集まってる兵士らは、そのものすごい角面堡(かくめんほう)を、その不動の姿を、その冷然たる様を、しかも死を招くその場所を、まじめな考え込んだ様子で偵察(ていさつ)していた。ある者らは、帽子が向こうに見えないように注意しながら、穹窿形(きゅうりゅうけい)の橋の上まで腹ばいになって進んでいった。
 勇敢なるモンテーナール大佐は、身を震わしながらその防寨を嘆賞した。彼はひとりの代議士に言った。「うまく築いたものだ! 一つの不ぞろいな舗石もない。まるで磁器ですね。」その時、一発の弾は、彼の勲章を打ち砕いた。彼は倒れた。
「卑怯者(ひきょうもの)め!」とある者は言った、「姿を現わせ、見える所に出てこい。それができないのか。隠れてばかりいるのか!」
 しかしこのタンプル郭外の防寨(ぼうさい)は、八十人の者に守られ一万の兵に攻撃されて、三日の間持ちこたえた。四日目に、ザアチャーやコンスタンティーヌの都市になされたのと同様の方法が用いられ、人々は人家をうがち、または屋根に伝わり、そしてついに防寨は占領された。八十人の「卑怯者」らのうちひとりとして逃げようとはしなかった。皆そこで戦死を遂げた。ただひとり首領のバルテルミーだけは身を脱したが、彼のことはすぐ次に述べるとおりである。
 サン・タントアーヌの防寨は雷電のはためきであり、タンプルの防寨は沈黙であった。この二つの角面堡(かくめんほう)の間には獰猛(どうもう)と凄惨(せいさん)との差があった。一つは顎(あご)のごとく、一つは仮面のようだった。
 この六月の巨大な暗黒な反乱が一つの憤怒と一つの謎(なぞ)とでできていたとすれば、第一の防寨のうちには竜(ドラゴン)が感ぜられ、第二の防寨の背後にはスフィンクスが感ぜられた。
 この二つの砦(とりで)は、クールネとバルテルミーというふたりの男によって築かれたものである。クールネはサン・タントアーヌの防寨を作り、バルテルミーはタンプルの防寨を作った。どちらの防寨も、築造者の面影を帯びていた。
 クールネは高い体躯(たいく)の男であった。大きな肩、赤い顔、力強い拳(こぶし)、大胆な心、公正な魂、まじめな恐ろしい目をそなえていた。勇敢で、元気で、激しやすく、猛烈だった。最も真実な男であり、最も恐るべき勇士だった。戦争、争闘、白兵戦、などは彼の固有の空気であり、彼の気を引き立たした。かつて海軍士官だったことがあり、その身振りや声をみても、大洋から出てき暴風雨を経てきたことが察せられた。彼は戦いのうちにもなお暴風をもたらした。神性を除いてはダントンのうちにヘラクレス的なものがあったように、天才を除いてはクールネのうちにダントン的なものがあった。
 バルテルミーは、やせた、虚弱な、色の青い、寡黙(かもく)な男で、一種の悲壮な浮浪少年であった。ある時ひとりの巡査からなぐられて、その巡査をつけねらい、待ち受け、殺害し、そして十七歳で徒刑場に送られた。徒刑場から出てきた彼は、右の防寨(ぼうさい)を作ったのである。
 その後彼らはふたりとも追放されてロンドンに亡命していたが、何の因縁か、バルテルミーはクールネを殺した。痛ましい決闘だった。その後しばらくして、色情のからんだある秘密な事件に巻き込まれ、フランスの法廷は情状の酌量を認むるがイギリスの法廷は死をしか認めないある災厄のうちに、バルテルミーは死刑に処せられた。一個の知力をそなえ確かに剛毅(ごうき)な人物でありまたおそらく偉大な人物だったかも知れないこの不幸な男は、社会の痛ましい制度の常として、物質上の欠乏のためにまた精神上の暗黒のために、フランスにおいて徒刑場より始め、イギリスにおいて絞首台に終わったのである。バルテルミーはいかなる場合にも、一つの旗をしか掲げなかった。それは黒い旗であった。

     二 深淵(しんえん)中の会談

 暴動の陰暗な教育を受くること満十六年に及んだので、一八四八年六月は一八三二年六月よりもはるかに知力が進んでいた。それでシャンヴルリー街の防寨は、上に概説した二つの巨大な防寨に比ぶれば、一つの草案に過ぎず一つの胎児に過ぎなかった。しかし当時にあっては、それでも恐るべきものであった。
 マリユスはもはや何物にも注意を向けていなかったので、暴徒らはただアンジョーラひとりの監視の下に、暗夜に乗じて仕事をした。防寨は修繕されたばかりでなく、なお大きくされた。上の方へも二尺ほど高められた。舗石(しきいし)の中に立てられた鉄棒は、槍(やり)をつき立てたようだった。方々から持ってきて加えられたあらゆる種類の物の破片は、ますますその外部を錯雑していた。いかにも巧妙に築かれた角面堡(かくめんほう)で、内部は壁のごとく、外部は藪(やぶ)のようだった。
 城壁のように上に上ってる舗石の段は、再び築き直された。
 人々は防寨(ぼうさい)を整え、居酒屋の下の広間を片付け、料理場を野戦病院となし、負傷者に繃帯(ほうたい)を施し、床(ゆか)やテーブルの上に散らかってる火薬を集め、弾丸を鋳、弾薬をこしらえ、綿撒糸(めんざんし)を裂き、落ち散った武器を分配し、角面堡の内部を清め、破片を拾いのけ、死体を運んだ。
 死体はなお手中にあるモンデトゥール小路のうちに積み重ねられた。そこの舗石はその後長い間まっかになっていた。戦死者のうちには、四人の郊外国民兵があった。アンジョーラは彼らの軍服をわきに取って置かした。
 アンジョーラは二時間の睡眠を一同に勧めた。彼の勧告は命令に等しかった。けれどもその命に応じて眠った者は、わずか三、四人に過ぎなかった。フイイーはその二時間のすきを利用して、居酒屋と向かい合った壁の上に次のような銘を刻み込んだ。
 民衆万歳!
 その四文字は、素石の中に釘(くぎ)で彫りつけたものであって、一八四八年にもなお壁の上に明らかに残っていた。
 三人の女どもは、その夜間の猶予の間にまったく姿を隠してしまった。ために暴徒らはいっそう自由な気持ちになることができた。
 彼女らはとやかくして、どこか近くの人家に投げ込んだのだった。
 負傷者らの大部分は、なお戦うことができ、またそれを欲していた。野戦病院となった料理場の蒲団(ふとん)や藁蓆(わらむしろ)の上には、五人の重傷者がいたが、そのうちふたりは市民兵だった。市民兵は第一に手当を受けたのである。
 下の広間のうちにはもはや、喪布をかけられてるマブーフと柱に縛られてるジャヴェルとのほかだれもいなかった。
「ここは死人の室(へや)だ。」とアンジョーラは言った。
 室の内部、一本の蝋燭(ろうそく)がかすかに照らしてる奥の方に、死人のテーブルが横棒のようになってその前に柱が立っていたので、立ってるジャヴェルと横たわってるマブーフとは、ちょうど大きな十字架のようになって漠然(ばくぜん)と見えていた。
 乗り合い馬車の轅(ながえ)は、一斉射撃(いっせいしゃげき)のために先を折られたが、なお旗を立て得るくらいは立ったまま残っていた。
 首領の性格をそなえていて口にするところを必ず実行するアンジョーラは、戦死した老人の血にまみれ穴のあいてる上衣を轅の棒に結びつけた。
 食事はいっさいできなかった。パンも肉もなかった。防寨(ぼうさい)の五十人の男は、やってきてからその時まで十六時間のうちに、居酒屋にあったわずかな食物をすぐに食いつくしてしまった。死守する防寨(ぼうさい)はすべて、一定の時を経れば必然にメデューズ号の筏(いかだ)(訳者注 メデューズ号の難破者らが乗り込んで十三日間大洋の上を漂っていた筏)となるものである。人々は飢餓に忍従しなければならなかった。サン・メーリーの防寨では、パンを求むる暴徒らにとり巻かれたジャンヌが、「食物!」と叫んでいる声に対して、「何で食物がいるか、今は三時だ、四時には皆死ぬんだ、」と答えた。そういう悲壮な六月六日の日が、到来したばかりの時だったのである。
 もう食物を得ることができなかったので、アンジョーラは飲み物を禁じた。葡萄酒(ぶどうしゅ)を厳禁して、ただブランデーだけを少し分配してやった。
 居酒屋の窖(あなぐら)の中で、密封した十五本ばかりの壜(びん)が見いだされた。アンジョーラとコンブフェールとはそれを調べてみた。コンブフェールは窖から出て来ながら言った。「初め香料品を商(あきな)っていたユシュルー爺(じい)さんの昔の資本(もとで)だ。」するとボシュエは言った。「本物の葡萄酒(ぶどうしゅ)に違いない。グランテールが眠ってるのは仕合わせだ。奴(やつ)が起きていたら、なかなかこのまま放っておきはすまい。」種々不平の声をもらす者もあったが、アンジョーラはその十五本の壜に最後の断案を下して、だれの手にも触れさせないで神聖な物としておくために、マブーフ老人が横たわってるテーブルの下に並べさした。
 午前二時ごろ人数を調べてみると、なお三十七人いた。
 夜は明けかかってきた。舗石(しきいし)の箱の中に再びともしていた炬火(たいまつ)を、人々は消してしまった。街路から切り取った小さな中庭のような防寨の内部は、やみに満たされて、払暁(ふつぎょう)の荒涼たる微明のうちに、こわれた船の甲板に似寄っていた。行ききする戦士の姿は、まっ黒な影のように動いていた。そしてその恐るべき闇(やみ)の巣窟(そうくつ)の上には、黙々たる幾階もの人家が青白く浮き出していた。更に上の方には、煙筒がほの白く立っていた。空は白とも青ともつかない微妙な色にぼかされていた。小鳥は楽しい声を立てながら空を飛んでいた。防寨(ぼうさい)の背景をなしている高い人家は、東に向いていたので、屋根の上に薔薇色(ばらいろ)の反映が見えていた。その四階の軒窓には、殺された門番の灰色の頭髪が、朝の微風になぶられていた。
「炬火(たいまつ)を消したのはうれしい。」とクールフェーラックはフイイーに言った。「風に揺らめいてるあの光はいやでならなかった。まるで何かをこわがってるようだった。炬火の光というものは、卑怯者の知恵みたいなものだ。いつも震えてばかりいて、ろくに照らしもしないからね。」
 曙(あけぼの)は小鳥を目ざめさせるとともに、人の精神をもさまさせる。人々はみな話しはじめた。
 ジョリーは樋(とい)の上をぶらついてる一匹の猫(ねこ)を見て、それから哲学を引き出した。
「猫とはいかなるものか知ってるか。」と彼は叫んだ。「猫は一つの矯正物(きょうせいぶつ)だ。神様は鼠(ねずみ)をこしらえてみて、やあこいつはしくじったと言って、それから猫をこしらえた。猫は鼠の正誤表だ。鼠プラス猫、それがすなわち天地創造の校正なんだ。」
 コンブフェールは学生や労働者らに取り巻かれて、ジャン・プルーヴェールやバオレルやマブーフやまたル・カブュクのことまで、すべて死んだ人々のことを話し、またアンジョーラの厳粛な悲哀のことを語っていた。彼はこう言った。
「ハルモディオスとアリストゲイトン、ブルツス、セレアス、ステファヌス、クロンウェル、シャーロット・コルデー、サント、なども皆、手を下した後に一時悲哀を感じたのだ。人の心はたやすく傷(いた)むものであり、人生は至って不思議なものである。公徳のための殺害の場合でも、もしありとすれば救済のための殺害の場合でも、ひとりの者を仆(たお)したという悔恨の念は、人類に奉仕したという喜びの情より深いものだ。」
 そして話は種々のことに飛んだが、やがてジャン・プルーヴェールの詩のことから一転して、ゼオルジック(訳者注 ヴィルギリウスの詩)の翻訳者らの比較を試み、ローとクールナンとを比べ、クールナンとドリーユとを比べ、マルフィラートルが訳した数節、ことにシーザーの死に関する名句をあげたが、そのシーザーという言葉から、話はまたブルツスの上に戻った。
「シーザーの覆滅は至当である。」とコンブフェールは言った。「キケロはシーザーにきびしい言葉を下したが、あれは正当だ。あの酷評は決して悪口ではない。ゾイルスがホメロスを嘲(あざけ)り、メヴィウスがヴィルギリウスを嘲り、ヴィゼがモリエールを嘲り、ポープがセークスピヤを嘲り、フレロンがヴォルテールを嘲ったのは、昔からよくある嫉妬(しっと)と憎みからきたのである。天才は嘲笑(ちょうしょう)を受け、偉人は多少人から吠(ほ)えらるるのが常である。しかしゾイルス輩とキケロとはまったく別者だ。キケロは思想による審判者である。あたかもブルツスが剣による審判者であるのと同じだ。僕に言わすれば、後者の審判すなわち剣によるものは好ましくない。しかし古代はそれを許していた。ルビコンを渡ったシーザーは、民衆から来るもろもろの地位をおのれから出るもののように人に授け、元老院に姿を現わさず、エウトロピウスが言ったように、王のごときまたほとんど暴君のごときことを行なった。そして彼は偉人であったために、それだけ不幸ともまた幸とも言える。なぜなれば、彼が偉人であっただけにいっそうその教訓は高遠となったから。しかし僕の目から見れば、彼が受けた二十三の傷は、イエス・キリストの額に吐きかけられた唾(つば)ほどの痛切さを持たない。シーザーは元老院の議員らから刺されたが、キリストは下男らから侮辱され頬(ほお)を打たれた。侮辱がより大なるがゆえに、人は神を感ずるのだ。」
 積み重ねた舗石(しきいし)の上からそれらの会談者らを見おろしながら、ボシュエはカラビン銃を手にしたまま叫び出した。
「おお、シダテネオム、ミリノス、プロバリンテよ、エアンチデの三女神よ! ああたれかわれをして、ラウリオムやエダプテオンのギリシャ人のごとくに、ホメロスの詩を誦(ず)せしむる者があるか!」

     三 光明と陰影

 アンジョーラは偵察(ていさつ)に出かけていた。彼は軒下に沿ってモンデトゥール小路から出て行った。
 ちょっとことわっておくが、暴徒らは皆希望に満ちていた。たやすく前夜の襲撃を撃退したので、夜明けの襲撃をも前もってほとんど軽蔑するような気になっていた。彼らはその襲撃を微笑しながら待ち受けていた。彼らはおのれの主旨を確信するとともに、成功をもはや疑わなかった。その上援兵もきつつあるに違いないと思っていた。彼らはそれをあてにしていた。光明的な楽観をもって前途を速断するのは、フランス戦士の力の一つである。彼らはきたらんとする一日を三つの局面に分かって、それを確信していた。すなわち、朝六時には「かねて手を入れておいた」一個連隊が裏切ってくる、正午にはパリー全市が立ち上がる、日没の頃には革命となる。
 サン・メーリーの警鐘が前日絶えず鳴り続けてるのが聞こえていた。それは、も一つの大きな防寨(ぼうさい)、すなわちジャンヌの防寨が、なお支持してる証拠であった。
 それらの希望は、蜂(はち)の巣における戦いの騒音のように、一種の快活なまた恐ろしいささやきとなって、人々の群れから群れへとかわされていた。
 アンジョーラは再び姿を現わした。彼は外部の暗黒の中をひそかに鷲(わし)のように翔(かけ)り回って戻ってきたのである。彼はしばし、両腕を組み片手を口にあてて、人々の喜ばしい話を聞いていた。それから、しだいに白んでゆく曙(あけぼの)の色の中にいきいきした薔薇(ばら)のような姿で言った。
「パリーの全兵士が動員している、その三分の一はこの防寨(ぼうさい)に押し寄せてくるんだ。その上国民兵も加わっている。僕は歩兵第五連隊の帽子と国民兵第六連隊の旗とを見て取った。攻撃までには一時間ばかりの余裕しかない。人民の方は、昨日は沸き立っていたが、今朝は静まり返っている。今はもう待つべきものも希望すべきものもない。郭外も連隊も共にだめだ。われわれは孤立だ。」
 その言葉は、人々の騒々しい話声の上に落ちかかって、蜂(はち)の巣の上に落ちてくる暴風雨の最初の一滴のような結果を生じた。皆口をつぐんでしまった。死の翔り回るのが聞こえるような名状し難い沈黙が、一瞬間続いた。
 それはごくわずかの間だった。
 群集の最も薄暗い奥の方から、一つの声がアンジョーラに叫んだ。
「よろしい。防寨を二丈の高さにして皆で死守しよう。諸君、死屍(しかばね)となっても抵抗しようではないか。人民は共和党を見捨てるとしても、共和党は人民を見捨てないことを、示してやろうではないか。」
 その言葉は、すべての者の頭から個人的な心痛の暗雲を払い去った。そして熱誠な拍手をもって迎えられた。
 右の言葉を発した男の名前は永久に知られなかった。それはある労働服を着た無名の男であり、見知らぬ男であり、忘れられた男であり、過ぎ去ってゆく英雄であった。かかる無名の偉人は、常に人類の危機と社会の開闢(かいびゃく)とに交じっていて、一定の時機におよんで断乎(だんこ)として決定的な一言を発し、電光のひらめきのうちに一瞬間民衆と神とを代表した後、またたちまち暗黒のうちに消えうせるものである。
 不屈の決心は、一八三二年六月六日の空気に濃く漂っていた。右のこととほとんど同時に、サン・メーリーの防寨(ぼうさい)のうちでは、暴徒らが次の喊声(かんせい)を上げた。それは史上にも残り、当時の判定録にもしるされたものである。「援兵が来ると否とは問うところでない! われわれは最後のひとりまでここで戦死を遂げるんだ。」
 読者の見るとおり、両防寨は実際上孤立してはいたが、精神は互いに通い合っていたのである。

     四 五人を減じひとりを加う

「死屍(しかばね)の抵抗」を宣言した無名の男が、共通の魂の言葉を発した後、一同の口から何とも言えぬ満足した恐るべき叫びが出てきた。その意味は沈痛であったが調子は勇壮であった。
「戦死万歳! 全員ここにふみ止まろう。」
「なぜ全員だ?」とアンジョーラは言った。
「全員! 全員!」
 アンジョーラは言った。
「地の理はよく、防寨は堅固だ。三十人もあれば充分だ。なぜ四十人を全部犠牲にする必要があるか?」
 人々は答え返した。
「ひとりも去りたくないからだ。」
「諸君!」とアンジョーラは叫んだ。その声はほとんど激昂(げっこう)に近い震えを帯びていた。「共和は無用な者まで犠牲にするほど豊富な人数を有しない。虚栄は浪費である。ある者にとっては立ち去ることが義務であるならば、その義務もまた他の義務と同様に果たすべきではないか。」
 主義の人なるアンジョーラは、絶対のものから来るような偉力を同志の上に有していた。しかしその絶対的権力にもかかわらず、人々はなお不平をもらした。
 徹頭徹尾首領たるアンジョーラは、人々がつぶやくのを見て、なお主張した。彼は昂然として言った。
「ただ三十人になることを恐れる者はそう言え。」
 不満のつぶやきはますます高まった。
「それに、」とある群れの中から声がした、「立ち去ると口で言うのは容易だが、防寨(ぼうさい)は包囲されてるんだ。」
「市場町の方は開いている。」とアンジョーラは言った。
「モンデトゥール街は自由だ、そしてプレーシュール街からインノサン市場へ出られる。」
「そしてそこで捕(つかま)る。」と群れの中から他の声がした。「戦列兵か郊外兵かの前哨(ぜんしょう)に行き当たる。労働服をつけ縁無し帽をかぶって通ればすぐ向こうの目につく。どこからきたか、防寨からではないか、と問われる。そして手を見られる。火薬のにおいがする。そのまま銃殺だ。」
 アンジョーラはそれに答えないで、コンブフェールの肩に触れ、ふたりで居酒屋の下の広間にはいって行った。
 彼らはまたすぐそこから出てきた。アンジョーラは両手にいっぱい、取って置いた四着の軍服を持っていた。後に続いたコンブフェールは、皮帯と軍帽とを持っていた。
「この服をつけてゆけば、」とアンジョーラは言った、「兵士の間に交じって逃げることができる。りっぱに四人分ある。」
 そして彼は、舗石(しきいし)をめくられた地面の上に四つの軍服を投げ出した。
 堅忍なる聴衆のうちには身を動かす者もなかった。コンブフェールは語り出した。
「諸君、」と彼は言った。「憐憫(れんびん)の情を少し持たなければいけない。ここで何が問題であるか知っているか。問題は婦人の上にあるんだ。いいか。妻を持ってる者はないか。子供を持ってる者はないか。足で揺籃(ゆりかご)を動かしたくさんの子供に取り囲まれてる母親を持ってる者はないか。君らのうちで、かつて育ての親の乳房(ちぶさ)を見なかった者があるならば、手をあげてみたまえ。諸君はここで死にたいと言う。諸君に今語っている僕もここで死にたい。しかし僕は、腕をねじ合わして嘆く婦人の幻を自分の周囲に見たくはない。欲するならば死にたまえ。しかし他の人をも死なしてはいけない。ここでやがて行なわれんとする自滅は荘厳なものである。しかしその自滅は範囲をせばめて、決して他人におよぼしてはいけない。もしそれを近親の者にまでおよぼす時には、自滅ではなくて殺害となる。金髪の子供らのことを考えてみ、白髪の老人らのことを考えてみるがいい。聞きたまえ、今アンジョーラが僕に話したことを。シーニュ街の角(かど)に、光のさす窓が一つ見えていた、六階の粗末な窓に蝋燭(ろうそく)の光がさしていた、その窓ガラスには、一晩中眠りもしないで待ってるらしい年取った女の頭が、ゆらゆらと映っていた。たぶん君らのうちのだれかの母親だろう。でそういう者は、立ち去るがいい。急いで行って、母親に言うがいい、お母(かあ)さんただ今帰りましたと。安心したまえ、ここはあとに残った者だけで充分だ。自分の腕で一家をささえてる者には、身を犠牲にする権利はない。それは家庭を破滅させるというものだ。また娘を持ってる者、妹を持ってる者、そういう者はよく考えて見たまえ。自分の身を犠牲にする、自分は死ぬ、それはかまわぬ、しかし明日は? パンに窮する若い娘、それは恐ろしいことではないか。男は食を乞(こ)うが、女は身を売る。あああのうるわしいやさしい可憐(かれん)な娘ら、花の帽子をかぶり、歌いさえずり、家の中に清らかな気を満たし生きたる香のようであり、地上における処女の純潔さで天における天使の存在を証する者、ジャンヌやリーズやミミ、諸君の恵みであり誇りである愛すべき正直なる者、彼女らが飢えんとするのである。ああ何と言ったらいいか。世には人の肉体の市場がある。彼女らがそこにはいるのを防ぐのは、彼女らのまわりにうち震える諸君の影の手がよくなし得るところではない。街路に、通行人でいっぱいになってる舗石(しきいし)の上に、商店の前に、首筋をあらわにし泥にまみれてさまよう女のことを考えて見たまえ。その女どももまたもとは純潔だったのだ。妹を持ってる者は妹のことを考えてみるがいい。困窮、淫売(いんばい)、官憲、サン・ラザール拘禁所、そういう所に、あのうるわしい、たおやかな娘らは、あの五月のライラックの花よりもなおさわやかな貞節と温順と美とのもろい宝は、ついに落ちてゆくのだ。ああ諸君は身を犠牲にする、諸君はもはや生きていない。それは結構だ。諸君は民衆を王権から免れさせようと欲したのだ。しかもまた諸君は自分の娘を警察の手に渡すのである。諸君、よく注意したまえ、あわれみの心を持ちたまえ。婦人らのことを、不幸なる婦人らのことを、われわれは普通あまり念頭に置いていない。婦人らが男のごとき教育を受けていないことに自ら得意となり、彼女らの読書を妨げ、彼女らの思索を妨げ、彼女らが政治に干与するのを妨げている。そこで今晩彼女らが、死体公示所へ行って諸君の死屍(しし)を見分けんとするのを、初めからさせないようにしてはどうか。家族のある者はわれわれの言に従い、われわれと握手して立ち去り、われわれをここに残して自由に働かしてくれてはどうか。むろん立ち去るには勇気が必要である。それは困難なことだ。しかし困難が大なるほど、価値はますます大である。諸君は言う、俺(おれ)は銃を持っている、俺は防寨(ぼうさい)にきている、どうでも俺は去らないと。どうでもと、そう口で言うのはたやすい。しかし諸君、明日というものがある。その明日には、諸君はもう生きていないだろうが、諸君の家族はまだ残っているだろう。そしていかに多くの苦しみがやってくるか! ここにひとりの健康なかわいい子供がいるとする。林檎(りんご)のような頬(ほお)をし、片言(かたこと)交じりにしゃべりさえずり笑い、脣(くち)づけをすればそのいきいきした肉体が感ぜらるる。ところが彼が見捨てられた時、どうなりゆくか考えてみたまえ。僕はそういう子供をひとり見たことがある。まだ小さなこれくらいな児だった。父親が死んだので、貧しい人たちが慈悲心から拾い上げた。しかし彼ら自身もパンに窮していた。子供はいつも腹をすかしていた。ちょうど冬だった。子供は泣きもしなかった。彼はストーヴに寄ってゆくが、そこには火もなく、煙筒には黄色い土が塗りつけてあるばかりだ。子供はその土を小さな指先で少しはがして、それを食っていた。呼吸は荒く、顔はまっさおで、足には力がなく、腹はふくれていた。一言も口をきかなかった。話しかけても返事をしなかった。そしてついに死んだ。ネッケルの救済院に連れていって死なしたのだ。そこで僕は子供を見た。僕は当時その救済院に寄宿していたんだ。今諸君のうちに、父親たる者があるならば、頑丈(がんじょう)な手に子供の小さな手を引いて日曜日の散歩を楽しみとしてる父親があるならば、右の子供はすなわち自分の子供にほかならないと想像してもらいたい。僕はそのあわれな子供のことをよく覚えている、今も目に見るような気がする。裸のまま解剖台の上に横たわっていた時、その肋骨(ろっこつ)[#ルビの「ろっこつ」は底本では「ろうこつ」]は墓場の草の下の土饅頭(どまんじゅう)のように皮膚の下に飛び出していた。胃袋の中には泥(どろ)のようなものが見いだされた。歯の間には灰がついていた。さあ胸のうちに目を向けて、心の声に耳を傾けようではないか。統計の示すところによると、親のない子供の死亡率は五十五パーセントにおよんでいる。僕は繰り返して言う、問題は妻の上に、母親の上に、若い娘の上に、頑是(がんぜ)ない子供の上にある。諸君自身のことを言うのではない。諸君自身のことはよくわかっている。諸君が皆勇敢であることはよくわかっている。諸君が皆心のうちに、大義のために身を犠牲にするの喜びと光栄とを持ってることは、よくわかっている。諸君は有益なまたみごとな死を遂げんがために選まれたる者であることを感じており、各人皆勝利の分前を欲しておることは、よくわかっている。まさにそのとおりである。しかし諸君はこの世においてひとりではない。考えてやらなければならない他の人たちがいる。利己主義者であってはならないのだ。」
 人々は皆沈鬱(ちんうつ)な様子をして頭をたれた。
 最も荘厳なる瞬間における人の心の不思議な矛盾さよ! かく語ったコンブフェール自身孤児ではなかった。彼は他人の母親のことを思い出していたが、自分の母親のことは忘れていた。彼はおのれを死地に置かんとしていた。彼こそ「利己主義者」であった。
 マリユスは飲食もせず、熱に浮かされたようになり、あらゆる希望の外にいで、悲痛の洲(す)に乗り上げ、最も悲惨な難破者となり、激越な情緒に浸され、もはや最後が近づいたことを感じて、人が自ら甘受する最期の時間の前に常に来る幻覚的な惘然(ぼうぜん)さのうちに、しだいに深く沈み込んでいた。
 生理学者が今彼の様子を観察したならば、科学上よく知られ類別されてる熱性混迷のしだいに高まる徴候を見て取り得たであろう。この熱性混迷が苦悩に対する関係は、あたかも肉体的歓楽が快感に対するようなものである。絶望にもまたその恍惚(こうこつ)たる状態がある。マリユスはそういう状態に達していた。彼はすべてのことを、外部から見るようにながめていた。前に言ったとおり、眼前に起こった事物も、彼には遠方のもののように思えた。全体はよく見て取れたが、些細(ささい)な点はわからなかった。行ききする人々は炎の中を横ぎってるがようであり、人の話し声は深淵(しんえん)の底から響いてくるがようだった。
 しかしながらただ今のことは彼の心を動かした。その情景のうちには鋭い一点があって、それに彼は胸を貫かれ呼びさまされた。彼はもはや死ぬという一つの観念しか持っていず、それから気を散らされることを欲していなかった。しかし今や彼はその陰惨な夢遊のうちにあって、自ら身を滅ぼしながらも他人を助けることは禁じられていないと考えた。
 彼は声を上げた。
「アンジョーラとコンブフェールとの意見は正当だ。」と彼は言った。「無益な犠牲を払うの要はない。僕はふたりの意見に賛成する。そして早くしなければいけない。コンブフェールは確かな事柄を言ったではないか。諸君のうちには、家族のある者がいるだろう、母や妹や妻や子供を持ってる者がいるだろう。そういう者はこの列から出たまえ。」
 だれも動く者はなかった。
「結婚した者および一家の支柱たる者は、列外に出たまえ!」とマリユスは繰り返した。
 彼の権威は偉大なものだった。アンジョーラはもとより防寨(ぼうさい)の首領であったが、マリユスは防寨の救済主であった。
「僕はそれを命ずる!」とアンジョーラは叫んだ。
「僕は諸君に願う!」とマリユスは言った。
 その時、コンブフェールの言葉に動かされ、アンジョーラの命令に揺られ、マリユスの懇願に感動されて、勇士らは、互いに指摘し始めた。「もっともだ。君は一家の主人じゃねえか。出るがいい。」とひとりの若者は壮年の男に言った。男は答えた。「むしろお前の方だ。お前はふたりの妹を養ってゆかなくちゃならねえんだろう。」そして異様な争いが起こった。互いに墳墓の口から出されまいとする争いだった。
「早くしなけりゃいけない。」とコンブフェールは言った。「もう十五、六分もすれば間(ま)に合わなくなるんだ。」
「諸君、」とアンジョーラは言った、「ここは共和である、万人が投票権を持っている。諸君は自ら去るべき者を選むがいい。」
 彼らはその言葉に従った。数分の後、五人の男が全員一致をもって指名され、列から前に進み出た。
「五人いる!」とマリユスは叫んだ。
 軍服は四着しかなかった。
「ではひとり残らなくちゃならねえ。」と五人の者は言った。
 そしてまた互いに居残ろうとする争いが、他の者に立ち去るべき理由を多く見いださんとする争いが始まった。寛仁な争いだった。
「お前には、お前を大事にしてる女房がいる。――お前には年取った母親(おふくろ)がいる。――お前には親父(おやじ)も母親もいねえ、お前の小さな三人の弟はどうなるんだ。――お前は五人の子供の親だ。――お前は生きるのが本当だ、十七じゃねえか、死ぬには早え。」
 それら革命の偉大な防寨(ぼうさい)は、勇壮の集中する所であった。異常なこともそこでは当然だった。勇士らはそれを互いに驚きはしなかった。
「早くしたまえ。」とクールフェラックは繰り返した。
 群れの中からマリユスに叫ぶ声がした。
「居残る者をあなたが指定して下さい。」
「そうだ、」と五人の者は言った、「選んで下さい。私どもはあなたの命令に従う。」
 マリユスはもはや自分には何らの感情も残っていないと思っていた。けれども今、死ぬべき者をひとり選ぶという考えに、全身の血は心臓に集まってしまった。彼の顔は既に青ざめていたが、更に一抹(いちまつ)の血の気(け)もなくなった。
 彼は五人の方へ進んだ。五人の者は微笑して彼を迎え、テルモピレの物語の奥に見らるるあの偉大なる炎に満ちた目をもって、各自彼に叫んだ。
「私を、私を、私を!」
 マリユスは惘然(ぼうぜん)として彼らをながめた。やはり五人である! それから彼の目は四着の軍服の上に落ちた。
 その瞬間、第五の軍服が天から降ったかのように、四着の軍服の上に落ちた。
 五番目の男は救われた。
 マリユスは目を上げた。そしてフォーシュルヴァン氏の姿を認めた。
 ジャン・ヴァルジャンはちょうど防寨(ぼうさい)の中にはいってきたところだった。
 様子を探ってか、あるいは本能によってか、あるいは偶然にか、彼はモンデトゥール小路からやってきた。国民兵の服装のおかげでたやすくこれまで来ることができた。
 反徒の方がモンデトゥール街に出しておいた哨兵(しょうへい)は、ひとりの国民兵のために警報を発することをしなかった。「たぶん援兵かも知れない、そうでないにしろどうせ捕虜になるんだ、」と思って、自由に通さしたのである。時機はきわめて切迫していた。自分の任務から気を散らし、その見張りの位置を去ることは、哨兵にはできなかった。
 ジャン・ヴァルジャンが角面堡(かくめんほう)の中にはいってきた時、だれも彼に注意を向ける者はいなかった。すべての目は、選まれた五人の男と四着の軍服との上に注がれていた。ジャン・ヴァルジャンもまたそれを見それを聞き、それから黙って自分の上衣をぬいで、それを他の軍服の上に投げやった。
 人々の感動は名状すべからざるものだった。
「あの男はだれだ?」とボシュエは尋ねた。
「他人を救いにきた男だ。」とコンブフェールは答えた。
 マリユスは荘重な声で付け加えた。
「僕はあの人を知っている。」
 その一言で一同は満足した。
 アンジョーラはジャン・ヴァルジャンの方を向いた。
「よくきて下すった。」
 そして彼は言い添えた。
「御承知のとおり、われわれは死ぬのです。」
 ジャン・ヴァルジャンは何の答えもせず、救い上げた暴徒に手伝って自分の軍服を着せてやった。

     五 防寨(ぼうさい)の上より見たる地平線

 この危急の時この無残な場所における一同の状態には、その合成力としてまたその絶頂として、アンジョーラの沈痛をきわめた態度があった。
 アンジョーラのうちには革命の精神が充満していた。けれども、いかに絶対なるものにもなお欠けたところがあるとおり、彼にも不完全なところがあった。あまりにサン・ジュスト的なところが多くて、アナカルシス・クローツ的なところが充分でなかった(訳者注 両者共に大革命時代の人)。けれど彼の精神は、ABCの友の結社において、コンブフェールの思想からある影響を受けていた。最近になって、彼はしだいに独断の狭い形式から脱し、広汎(こうはん)なる進歩を目ざすようになり、偉大なるフランスの共和をして広大なる人類の共和たらしむることを、最後の壮大な革新として受け入れるに至った。ただ直接現在の方法としては、激烈な情況にあるために、また激烈な処置を欲していた。この点においては彼は終始一貫していた。九三年(一七九三年)という一語につくされる恐るべき叙事詩的一派に、彼はなお止まっていた。
 アンジョーラはカラビン銃の銃口に片肱(かたひじ)をついて舗石(しきいし)の段の上に立っていた。彼は考え込んでいた。そしてある息吹(いぶき)を感じたかのように身を震わしていた。死のある所には、神占の几(つくえ)のごとき震えが起こるものである。魂の目がのぞき出てる彼の眸(ひとみ)からは、押さえつけた炎のような輝きが発していた。と突然彼は頭をもたげた。その金髪は後ろになびいて、星を鏤(ちりば)めた暗澹(あんたん)たる馬車に駕(が)せる天使の頭髪のようで、また後光の炎を発する怒った獅子(しし)の鬣(たてがみ)のようであった。そしてアンジョーラは声を張り上げた。
「諸君、諸君は未来を心に描いてみたか。市街は光に満ち、戸口には緑の木が茂り、諸国民は同胞のごとくなり、人は正しく、老人は子供をいつくしみ、過去は現在を愛し、思想家は全き自由を得、信仰者は全く平等となり、天は宗教となり、神は直接の牧師となり、人の本心は祭壇となり、憎悪は消え失せ、工場にも学校にも友愛の情があふれ、賞罰は明白となり、万人に仕事があり、万人のために権利があり、万人の上に平和があり、血を流すこともなく、戦争もなく、母たる者は喜び楽しむのだ。物質を征服するは第一歩である。理想を実現するは第二歩である。進歩が既に何をなしたか考えてみよ。昔最初の人類は、怪物が過ぎ行くのを恐怖に震えながら眼前に見た、水の上にうなりゆく怪蛇(かいだ)を、火を吐く怪竜(かいりゅう)を、鷲(わし)の翼と虎(とら)の爪(つめ)とをそなえてかける空中の怪物たるグリフォンを。それらは皆人間以上の恐るべき獣であった。しかるに人間は、罠(わな)を、知力の神聖なる罠を張り、ついにそれらの怪物を捕えてしまったのである。
 吾人は怪蛇(かいだ)を制御した、それを汽船という。吾人は怪竜(かいりゅう)が制御した、それを機関車という。吾人はまさにグリフォンを制御せんとしている、既に手中に保っている、それを軽気球という。そしてこのプロメテウスのごとき仕事が成就する日こそ、すなわち怪蛇と怪竜とグリフォンとの三つの古代の夢想を、ついにおのれの意志に馴致(じゅんち)し終わる日こそ、人間は水火風三界の主となり、他の生ある万物に対しては、いにしえの神々が昔人間に対して有していたような地位を、獲得するに至るだろう。奮励せよ、そして前進せよ! 諸君、吾人はどこへ行かんとするのであるか。政府を確立する科学へである、唯一の公(おおやけ)の力となる事物必然の力へである、自ら賞罰を有し明白に宣揚する自然の大法へである、日の出にも比すべき真理の曙(あけぼの)へである。吾人は各民衆の協和へ向かって進み、人間の統一へ向かって進む。もはや虚構を許さず、寄食を許さぬ。真実なるものによって支配されたる現実、それが目的である。文化はその審判の廷を、ヨーロッパの頂に、後には全大陸の中心に、知力の大議会のうちに、開くに至るだろう。これにやや似たものは既に行なわれた。古代ギリシャの連邦議員は、年に二回会議を開き、一つは神々の場所たるデルフにおいてし、一つは英雄の場所たるテルモピレにおいてした。やがては、ヨーロッパもこの連邦議員を有し、地球全体もこの連邦議員を有するに至るだろう。フランスは実に、この崇高なる未来を胸裏にいだいている。それが十九世紀の懐妊である。ギリシャによって描かれたその草案は、フランスによって完成されるに恥ずかしくないものである。僕の言を聞け、フイイー、君は勇敢な労働者、民衆の友、諸民衆の友だ。僕は君を尊敬する。君は明らかに未来を洞見(どうけん)した、君のなすところは正しい。君は、フイイー、父もなく母も持たなかった、そして、仁義を母とし権利を父とした。君はここに死なんとしている、すなわち勝利を得んとしてるのだ。諸君、今日の事はいかになりゆこうとも、敗れることによってまた打ち勝つことによって、われわれがなさんとするのは一つの革命である。火災が全市を輝かすように、革命は全人類を輝かす。しかもわれわれはいかなる革命をなさんとするのか。それは今言うとおり真実なるものの革命である。政治的見地よりすれば、ただ一つの原則あるのみだ、すなわち人間が自らおのれの上に有する主権である。この自己に対する自己の主権を自由という。この主権の二個もしくは数個が結合するところに国家がはじまる。しかしその結合のうちには何ら権利の減殺はない。個々の主権がその多少の量を譲歩するのは、ただ共同的権利を造らんがためである。その量は各人皆同等である。各人が万人に対してなすこの譲歩の同一を、平等と言う。共同的権利とは、各人の権利の上に光り輝く万人の保護にほかならない。各人に対するこの万人の保護を、友愛という。互いに結合するあらゆる主権の交差点を、社会という。その交差は一つの接合であって、その交差点は一つの結び目である。かくて社会的関係が生じてくる。ある者はそれを社会的約束という。しかし両者は同一のものである、約束なる語はその語原上より言っても関係という観念で作られたものである。われわれはこの平等ということをよく了解しておかなくてはならない。なぜなれば、自由を頂点とするならば、平等は基底だからである。平等とは諸君、同じ高さの植物を言うのでない、大きな草の葉や小さな樫(かし)の木の仲間を言うのではない。互いに減殺し合う一連の嫉妬(しっと)を言うのではない。それは、民事上よりすれば、あらゆる能力が同等の機会を有することであり、政治上よりすれば、あらゆる投票が同等の重さを有することであり、宗教上よりすれば、あらゆる本心が同等の権利を有することである。平等は一つの機関を持つ、すなわち無料の義務教育である。アルファベットに対する権利、まずそこから始めなければならない。小学校を万人に強請し、中学校は万人の意に任せる、それが定法である。同一の学校から同等の社会が生ずる。そうだ、教育の問題である。光明、光明! すべては光明より発し、光明に返る。諸君、十九世紀は偉大である、しかし二十世紀は幸福であるだろう。二十世紀にはもはや、古い歴史に見えるようなものは一つもないだろう。征服、侵略、簒奪(さんだつ)、武力による各国民の競争、諸国王の結婚結合よりくる文化の障害、世襲的暴政を続ける王子の出生、会議による民衆の分割、王朝の崩壊による国家の分裂、二頭の暗黒なる山羊(やぎ)のごとく無限の橋上において額をつき合わする二つの宗教の争い、それらももはや今日のように恐るるに及ばないだろう。飢饉(ききん)、不正利得、困窮から来る売淫(ばいいん)、罷工から来る悲惨、絞首台、剣、戦争、および事変の森林中におけるあらゆる臨時の追剥(おいはぎ)、それらももはや恐るるに及ばないだろう、否もはや事変すらもないとさえ言い得るだろう。人は幸福になるだろう。地球がおのれの法則を守るごとく、人類はおのれの大法を守り、調和は人の魂と天の星との間に立てられるだろう。惑星が光体の周囲を回るごとく、人の魂は真理の周囲を回るだろう。諸君、われわれがいる現在の時代は、僕が諸君に語っているこの時代は、陰惨なる時代である。しかしそれは未来を購(あがな)うべき恐ろしい代金である。革命は一つの税金である。ああかくて人類は、解放され高められ慰めらるるであろう! われわれはこの防寨(ぼうさい)の上において、それを人類に向かって断言する。愛の叫びは、もし犠牲の高処からでないとすれば果たしてどこからいで得るか。おお兄弟諸君、ここは考える者らと苦しむ者らとの接合点である。この防寨は、舗石(しきいし)からもしくは角材からもしくは鉄屑(てつくず)からできてるのではない。二つの堆積からできてるのだ、思想の堆積と苦難の堆積とからである。ここにおいて悲惨は理想と相会する。白日は暗夜を抱擁して言う、予は今汝と共に死せんとし汝は今予と共に再生せんとする。あらゆる困苦を抱きしむることから信念がほとばしり出る。苦難はここにその苦痛をもたらし、思想はここにその不滅をもたらしている。その苦痛とその不滅とは相交わって、われわれの死を形造(かたちづく)る。兄弟よ、ここで死ぬ者は未来の光明のうちに死ぬのである。われわれは曙(あけぼの)の光に満ちたる墳墓の中にはいるのである。」
 アンジョーラは口をつぐんだ、というよりもむしろ言葉を途切らした。彼の脣(くちびる)は、なお自分自身に向かって語り続けてるかのように、黙々として動いていた。ために人々は、注意を凝らしなおその言を聞かんがために彼をながめた。何らの喝采(かっさい)も起こらなかったが、低いささやきが長く続いた。言葉は息吹(いぶき)である。それから来る知力の震えは木の葉のそよぎにも似ている。


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