レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 しかしこのことについては、おそらく彼の見当は誤っていたようである。

     三 自然の個体と合体

 その庭は、かく半世紀以上も手を入れられずに放棄されていたので、普通(なみ)ならぬ様になり一種の魅力を持つようになっていた。今から四十年ばかり前にそこを通る人々は、その新鮮な青々とした茂みの後ろに秘密が隠れていようとは夢にも知らずに、その前に立ち止まってはながめたものである。見分けのつかない唐草模様(からくさもよう)の冠頂が変なふうについていて、緑青と苔(こけ)とがいっぱい生じてる二本の柱にはめ込まれ、ゆがみ揺らめいていて海老錠(えびじょう)のかかってるその古い鉄門の格子(こうし)越しに、しばしば無遠慮に中をのぞき込んで思い惑った夢想家は、その当時ひとりのみに止まらなかった。
 片すみに石のベンチが一つあり、苔のはえた二、三の立像があり、壁の上には時を経て釘(くぎ)がとれ腐りかかってる格子細工が残っていて、その上どこにも道もなく芝生もなく、一面に茅草(かやぐさ)がはえていた。園芸が去って自然がかえってきたのである。雑草がおい茂って、そのあわれな一片の土地はみごとな趣になっていた。十字科植物が美しく咲き乱れていた。その庭のうちにあっては、生命の方へ向かう万物の聖なる努力を何物も妨げていなかった。そこではすべてが尊い生長を自由に遂げていた。樹木は荊棘(いばら)の方へ身をかがめ、荊棘は樹木の方へ伸び上がり、灌木(かんぼく)はよじ上り、枝はたわみ、地上をはうものは空中にひろがるものを見いださんとし、風になぶらるるものは苔(こけ)のうちに横たわるものの方へかがんでいた。幹、枝、葉、繊維、叢(くさむら)、蔓(つる)、芽、棘(とげ)、すべてが互いに交り乱れからみ混合していた。かくて深い密接な抱擁のうちにある植物は、造物主の満足げな目の前において、三百尺平方の囲いのうちにあって、人類的親愛の象徴たる植物的親愛の聖(きよ)い神秘を、発揚し、成就していた。それはもはや一つの庭ではなくて、一つの巨大なる藪(やぶ)であった、換言すれば、森林のごとく見透かすことができず、都市のごとく多くのものが住み、巣のごとく震え、大会堂のごとく薄暗く、花束のごとく香(かお)り、墓のごとく寂しく、群集のごとくいきいきたる、何物かであった。
 花季になると、その巨大な藪は、その鉄門と四壁とのうちにあって自由に、種子発生のひそやかな仕事のうちにいっせいに奮い立っておどり込んでいた。そして、宇宙の愛が発散する気を呼吸し、脈管のうちには四月の潮の高まり沸き立つのを感じてる動物のように、朝日の光に身を震わして、豊富な緑の髪を風に打ち振りながら、湿った土地の上に、腐食した立像の上に、家のこわれかかった石段の上に、人なき街路の舗石(しきいし)の上にまで、星のごとき花や、真珠のごとき露や、繁茂や、美や、生命や、喜悦や、香りなどを、ふりまいていた。日中には、何千となき白い蝶(ちょう)がそこに逃げ込んできた、そしてこの生ある夏の雪が木陰に翩々(へんぺん)と渦巻(うずま)くのは、いかにも聖(きよ)い光景であった。そこの緑の楽しい影のうちでは、汚れに染まぬ数多の声が静かに人の魂に向かって語っており、小鳥の囀(さえず)りで足りないところは昆虫(こんちゅう)の羽音が補っていた。夕には、夢の気が庭から立ち上って一面にひろがっていった。靄(もや)の柩衣(きゅうい)が、この世のものとも思えぬ静かな哀愁が、庭をおおうていた。忍冬(すいかずら)や昼顔の酔うような香(かお)りが、快い美妙な毒のように四方から発散していた。枝葉の下に眠りに来る啄木鳥(きつつき)や鶺鴒(せきれい)の最後の声が聞こえていた。小鳥と樹木との聖(きよ)い親交がそこに感じられた。昼間は鳥の翼が木の葉を喜ばせ、夜には木の葉が翼を保護する。
 冬になると、その藪(やぶ)は黒ずみ湿り棘立(いらだ)ちおののいて、家の方をいくらか透かし見せた。小枝の花や花弁の露の代わりには、散り敷いた紅葉の冷ややかな敷き物の上に、蛞蝓(なめくじ)の長い銀色のはい跡が見えていた。しかしいずれにしても、いかなる光景にあっても、春夏秋冬のいかなる季節においても、その小さな一囲いの地は、憂愁と瞑想と寂寥(せきりょう)と自由と人間の不在と神の存在とを現わしていた。そして錆(さ)びついた古い鉄門は、こう言ってるかのようだった、「この庭は私のものである。」
 パリーの街路の舗石(しきいし)は周囲をとりかこみ、ヴァレーヌ街のりっぱなクラシックふうな邸宅(ていたく)は付近に立ち並び、廃兵院の丸屋根はすぐそばにあり、下院の建物も遠くなく、ブールゴーニュ街やサン・ドミニク街の幌馬車(ほろばしゃ)ははでやかに付近をゆききし、黄色や褐色(かっしょく)や白や赤の乗合馬車は向こうの四つ辻(つじ)にゆききしてはいたけれど、プリューメ街は常に寂寥たるものであった。そして、昔の所有者らの死、通りすぎた革命、昔の幸運の崩壊、無人、忘却、放棄と孤独との四十年、それらはこの特殊な一囲いの地に、歯朶(しだ)、毛蕊花、毒人参(どくにんじん)、鋸草(のこぎりそう)、じきたりす、丈高い雑草、淡緑のラシャのような広い葉がある斑点のついた大きな植物、蜥蜴(とかげ)、甲虫(かぶとむし)、足の早い臆病(おくびょう)な昆虫(こんちゅう)など、様々なものを呼び集め、名状し難い一種荒蕪(こうぶ)な壮観を、地下深くから引き出してその四壁のうちに現われさした。そして、人工の浅はかな配置を乱し、蟻(あり)の姿より鷲(わし)の姿に至るまですべてひろがり得る所には常にすみずみまで翼をひろぐる自然をして、新世界の処女林のうちにおけると等しい粗暴さと荘厳さとをもって、そのパリーの一小庭園のうちにほしいままの力を振るわしむるに至ったのである。
 実際微小なるものは何もない。自然の深い浸透を受くるものは皆、このことを知っている。物の原因を判別することから結果を限定することに至るまで、絶対の満足は一つも哲学に与えられはしないけれども、すべてかかる力の分散が結局は統一に達することを見ては、静観者は限りない恍惚(こうこつ)のうちに陥らざるを得ない。あらゆるものはあらゆることに働いている。
 代数学は雲霧にも適用される。星の光は薔薇(ばら)の花にも恵みをたれる。山□(さんざし)の香気が天の星座には無用だと断言し得る思想家はあるまい。およそだれか分子の行路を測定し得る者があろうか。世界の創造は砂粒の墜落によって定められないとはだれが知っていよう。極大と極小との干満、存在の深淵(しんえん)中における原因の交響、創造の雪崩(なだれ)、だれがそれを知っていよう。極微な虫も有用である。小さなものも大であり、大なるものも小である。いっさいのものは必然のうちに平均を保っている。人の精神にとっては恐ろしい幻である。生物と無生物との間には驚くべき関係が存している。その無限なる全体のうちにあっては、太陽より油虫に至るまで、何ら軽蔑(けいべつ)し合うものはない。万物皆互いに必要を感じている。光明は自ら目ざす所あって地上のかおりを蒼空(そうくう)のうちに運んでいる。夜は星の精髄を眠れる花の上に分かち与えている。空飛ぶ鳥も皆、その足には無限なるものの糸をからましている。種子発生は、流星の出現と相通ずる所があり、卵を砕く燕(つばめ)の嘴(くちばし)と相通ずる所がある、そして蚯蚓(みみず)の発生とソクラテスの生誕とを同時に導き出す。望遠鏡の終わる所には顕微鏡が始まる。そして両者のいずれがより大なる視界を持っているか。試みに選んでもみよ。一個の黴(かび)は、一群の花である。一片の星雲は無数の星である。それと同様の、しかもいっそう不思議な混和は、精神的事物と物質的事実との間にある。要素と原則とは、互いに混交し結合し生殖し増加して、ついに物質界と精神界とを同じ光明に達せさせる。現象は常にまたおのれの上にかえり来る。宇宙の広大なる交易のうちにおいて、普遍的生命は測り知るべからざる量をもって往来し、目に見えざる神秘なる発散のうちにすべてを巻き込み、すべてを使用し、あらゆる眠りの一つの夢をも失わず、ここには一つの極微動物の種をまき、かしこには一つの星を粉砕し、顫動(せんどう)し、波動し、光を力となし思想を原素となし、伝播(でんぱ)して分割を許さず、「我」という幾何学的一点を除いてはすべてを溶解し、すべてを原子的心霊に引き戻し、すべてを神のうちに開花させ、最も高きものより最も低きものに至るまで、あらゆる活動を眩暈(げんうん)するばかりの機械的運動の暗黒中に紛糾させ、昆虫(こんちゅう)の飛翔(ひしょう)を地球の運動に結びつけ、大法の一致によってなすや否やはわからないが、蒼空(そうくう)のうちにおける彗星(すいせい)の運動を一滴の水のうちにおける滴虫の旋転に従属させる。実に精神をもって機械となしたものである。最初の機関を羽虫とし最後の車輪を獣帯星とする巨大なる連動機である。

     四 鉄門の変化

 その庭は、昔は放逸の秘密を隠すために作られたのであるが、今は姿を変えて清浄な秘密をかばうに適するようになったものらしかった。そこにはもはや、青葉棚(あおばだな)も芝生も青葉トンネルも洞穴(どうけつ)もなく、ただヴェールのような交錯したみごとな影が四方に落ちてるのみだった。パフォスの庭(訳者注 恋の神ヴィーナスの社の庭)はエデンの園となったのである。言い知れぬ一種の悔悟がその隠れ場所を清めたのである。その花売り娘も今は人の魂にその花をささげていた。昔は放縦だったその媚(こび)を売る庭も、今は処女性と貞節とのうちに返っていた。ひとりの法院長とひとりの園丁、ラモアニョンのあとを継いだと信じてるひとりの好人物とル・ノートルのあとを継いだと信じてるもひとりの好人物とが(訳者注 前者は最初のパリー法院長で有徳の法官、後者は有名なる園囿設計家――法院長と園丁とが)、その庭をゆがめ裁ち切り皺(しわ)をつけ飾り立てて情事に適するように仕立て上げていたが、自然はそれを再び取り返し、たくさんの影を作って、愛に適するように整えたのである。
 そしてまたその寂しい庭のうちには、すっかり用意の整ってる一つの心があった。今はただ愛が現われるのを待つばかりだった。そこには、緑葉と草と苔(こけ)と小鳥のため息とやさしい影と揺らめく枝とから成ってる一つの殿堂があり、温和と信仰と誠と希望と憧憬(どうけい)と幻とから成ってる一つの魂があった。
 コゼットはまだほとんど子供のままで修道院から出てきた。彼女は十四歳をわずか越したばかりで、まだ「いたずら盛り」の時期にあった。既に言ったとおり、彼女は目を除いてはきれいというよりむしろ醜いかとさえ思われた。けれども何ら下卑た顔立ちを持っていたのではなく、ただ不器用でやせ形で内気で同時に大胆であるばかりだった。要するに大きな小娘に過ぎなかった。
 彼女の教育は終わっていた。すなわち宗教を教わり、特に祈祷(きとう)の心を教わり、次に修道院でいわゆる「歴史」と呼ばれる地理と文法と分詞法とフランス諸王のことと多少の音楽とちょっとした写生など種々のことを教わっていた。しかし彼女はその他をいっさい知らなかった。それは一つの美点であるがまた一つの危険でもある。年若い娘の魂は薄暗がりのままにすてておくべきものではない。やがては、暗室の中におけるがごとくあまりに唐突急激な蜃気楼(しんきろう)がそこに作られるであろうから。娘の魂は現実のきびしい直射の光よりもむしろその反映によって、静かに注意深く照らさなければならない。有用なそれとなき謹厳な微光こそ、子供心の恐怖を散らし堕落を防ぐものである。いかにしてまた何によってその微光を作るべきかを知っているものは、ただ母の本能あるのみである、処女の記憶と婦人としての経験とを合わせ有する驚くべき直覚あるのみである。この本能の代わりをなし得るものは何もない。年若い娘の魂を教養するには、世のすべての修道女らを集めてもひとりの母親には及ばない。
 コゼットは母を持たなかった。彼女はただ多くの複数の母(教母ら)を有するのみだった。
 ジャン・ヴァルジャンに至っては、あらゆる柔和と配慮とを持ってはいたが、要するにまったく何事をも知らない一老人に過ぎなかった。
 しかるにかかる教育の仕事、女子を世に出す準備をするこの重大な仕事には、無邪気と呼ばるる大なる無知と戦わんためにいかに多くの知識が必要であることか!
 修道院ほど若き娘を熱情に仕立てるものはない。修道院は考えを不可知なるものへ向けさせる。おのれ自身の上にかがんでいる心は、外に流れ出すことを得ないでおのれのうちに溝(みぞ)を掘り、外にひろがることを得ないでおのれのうちを深く掘る。かくして生ずるものは、幻、仮定、推測、空想のローマンス、楽しい冒険、奇怪な想像、心の奥の暗闇(くらやみ)のうちに建てられる殿堂、鉄の扉(とびら)が開けてはいれるようになると直ちに熱情が宿る暗い秘密の住居。修道院は一つの抑圧であって、人の心に打ちかたんためには一生連続していなければならない。
 修道院を出たコゼットにとっては、プリューメ街の家ほど楽しいまた危険なものはなかった。寂寥(せきりょう)は続きながら加うるに自由が始ったのである。庭は閉ざされていたが、自然は軽快で豊かで放逸で香気を発していた。修道院と同じ夢想にふけりながら、しかも若い男子の姿がのぞき見られた。同じく鉄門がついてはいたが、しかしそれは街路に向かって開いていた。
 けれども、なお繰り返して言うが、そこにきた時彼女はまだ子供にすぎなかった。ジャン・ヴァルジャンはその荒れはてた庭を彼女の手にゆだねた。「好きなようにするがいい」と彼は言った。それはコゼットを喜ばした。彼女はそこで、叢(くさむら)をかき回し石を起こし「獣」をさがし、夢想しながら遊び回った。足下に草の間に見いださるる昆虫(こんちゅう)を見てはその庭を愛し、頭の上に木の枝の間に見らるる星をながめてその庭を愛した。
 それからまた彼女は、自分の父すなわちジャン・ヴァルジャンを心から愛し、清い孝心をもって愛し、ついにその老人を最も好きな喜ばしい友としていた。読者の記憶するとおりマドレーヌ氏は多く書物を読んでいたが、ジャン・ヴァルジャンとなってもその習慣をつづけていた。それで彼は話がよくできるようになった。彼は自ら進んで啓発した謙譲な真実な知力の人知れぬ富と雄弁とを持っていた。彼にはちょうどその温良さを調味するだけの森厳さが残っていた。彼はきびしい精神であり穏和な心であった。リュクサンブールの園で対話中、彼は自ら読んだものや苦しんだもののうちから知識をくんできて、あらゆることに長い説明を与えてやった。そして彼の話を聞きながら、コゼットの目はぼんやりとあたりをさ迷っていた。
 自然のままの庭でコゼットの目には十分であったように、その単純な老人で彼女の頭には十分だった。蝶(ちょう)のあとを追い回して満足した時、彼女は息を切らしながら彼のそばにやってきて言った。「ああほんとによく駆けたこと!」すると彼は彼女の額に脣(くちびる)をつけてやった。
 コゼットはその老人を敬愛していた。そしていつもその跡を追った。ジャン・ヴァルジャンがいさえすればどこでも楽しかった。ジャン・ヴァルジャンは母屋(おもや)にも表庭にもいなかったので、彼女には、花の咲き乱れた園よりも石の舗(し)いてある後ろの中庭の方が好ましく、綴紐(とじひも)のついた肱掛(ひじか)け椅子(いす)が並び帷(とばり)がかかってる大きな客間よりも藁椅子(わらいす)をそなえた小さな小屋の方が好ましかった。ジャン・ヴァルジャンは時とすると、うるさくつきまとわれる幸福にほほえみながら彼女に言うこともあった。「まあ自分の家(うち)の方へおいで。そして私を少しひとりでいさしておくれ。」
 娘から父親に向けて言う時にはいかにも優雅に見えるかわいいやさしい小言(こごと)を、彼女はよく彼に言った。
「お父様、私あなたのお部屋(へや)では大変寒うございますわ。なぜここに絨毯(じゅうたん)を敷いたりストーブを据えたりなさらないの。」
「でもお前、私よりずっとすぐれた人で身を置く屋根も持たない者がたくさんあるんだからね。」
「ではどうして私の所には、火があったり何でも入用なものがあったりしますの。」
「それはお前が女で子供だからだよ。」
「まあ、それでは男の人は寒くして不自由していなければなりませんの。」
「ある人はだよ。」
「よござんすわ、私しょっちゅうここにきていて火をたかなければならないようにしてあげますから。」
 それからまたこういうことも彼女は言った。
「お父様、どうしてあなたはそんないやなパンをお食べなさるの。」
「ただ食べていたいからだよ。」
「ではあなたがお食べなさるなら、私もそれを食べますわ。」
 すると、コゼットが黒パンを食べないようにと、ジャン・ヴァルジャンも白いパンを食した。
 コゼットは小さい時のことはただぼんやりとしか覚えていなかった。彼女は朝と晩に、顔も知らない母のためにお祈りをした。テナルディエ夫婦のことは、夢に見た二つの恐ろしい顔のようにして心の中に残っていた。「ある日、晩に、」森の中へ水をくみに行ったことがあるのを、彼女は覚えていた。パリーからごく遠い所だったと思っていた。初めはひどい所に住んでいたが、ジャン・ヴァルジャンがきて自分をそこから救い出してくれたように考えられた。小さい時のことは、まわりに百足虫(むかで)や蜘蛛(くも)や蛇(へび)ばかりがいた時代のように思われた。また自分はジャン・ヴァルジャンの娘でありジャン・ヴァルジャンは自分の父であるということについて、ごくはっきりした観念は持っていなかったので、夜眠る前にいろいろ夢想していると、母の魂がその老人のうちにはいってきて自分のそばにとどまってくれるような気がした。
 ジャン・ヴァルジャンがすわっている時、彼女はよく頬(ほお)をその白い髪に押しあてて、ひそかに一滴の涙を流して自ら言った、「この人が私のお母様かも知れない!」
 こういうことを言うのはおそらく異様かも知れないが、コゼットは修道院で育てられたまったく無知な娘であったから、また母性なるものは処女には絶対に知り得べからざるものであるから、ついに彼女は自分はごく少しの母しか持っていないと考えるようになった。そういう少しの母を、彼女は名前さえ知らなかったのである。それをジャン・ヴァルジャンに尋ねてみることもあったが、ジャン・ヴァルジャンはいつも黙っていた。その問いを繰り返すと、彼はただ笑顔で答えた。かつてしつこく尋ねたこともあったが、その時彼の微笑は涙に変わってしまった。
 ジャン・ヴァルジャンのそういう沈黙は、ファンティーヌを闇(やみ)でおおい隠していた。
 それは用心からであったろうか、敬意からであったろうか、あるいはまた自分以外の者の記憶にその名前をゆだねることを恐れたからであったろうか?
 コゼットが小さかった間は、ジャン・ヴァルジャンは好んで彼女に母のことを語ってきかした。しかしコゼットが相当な娘になると、彼にはそれができなくなった。彼にはもうどうしても語り得ないような気がした。それはコゼットのためにであったろうか、あるいはファンティーヌのためにであったろうか? その影をコゼットの考えのうちに投ずることに、また第三者たる死人をふたりの運命のうちに入れることに、彼は一種の敬虔(けいけん)な恐れを感じていた。その影が彼にとって神聖であればあるほど、ますますそれは恐るべきもののように彼には思えた。ファンティーヌのことを考えると、沈黙を強いらるるような気がした。脣(くちびる)にあてた指に似てるあるものを、彼はおぼろげに闇の中に認めた。ファンティーヌのうちにあったがしかも生前彼女のうちから残酷に追い出された貞節は、死後彼女の上に戻ってき、憤然として死せる彼女の平和をまもり、厳として墓中に彼女を見張っていたのではあるまいか。ジャン・ヴァルジャンは自ら知らずして、その圧迫を受けていたのではあるまいか。死を信頼するわれわれは、この神秘的な説明を排斥し得ないのである。かくてファンティーヌという名前は、コゼットに向かってさえ口に出せなくなる。
 ある日コゼットは彼に言った。
「お父様、私は昨夜(ゆうべ)夢の中でお母様に会いました。大きな二つの翼を持っていらしたの。お母様は生きていらした時からきっと、聖者になっていらしたのね。」
「道のために苦しまれたから。」とジャン・ヴァルジャンは答えた。
 その他では、ジャン・ヴァルジャンは幸福であった。
 コゼットは彼とともに外に出かける時、いつも彼の腕によりかかって、矜(ほこ)らかに楽しく心満ち足っていた。かく彼一人に満足してる排他的な愛情の現われを見ては、彼も自分の考えが恍惚(こうこつ)たる喜びのうちにとけてゆくのを感じた。あわれなるこの一老人は、天使のごとき喜悦の情に満ちあふれて身を震わし、これは生涯続くであろうと我を忘れて自ら断言し、かかる麗わしい幸福に価するほど自分はまだ十分に苦しまなかったと自ら言い、そして心の底で、みじめなる自分がこの潔白なる者からかくも愛せらるるのを許したもうたことを、神に向かって感謝した。

     五 薔薇(ばら)は自ら武器たることを知る

 ある日、コゼットはふと自分の顔を鏡の中に映して見て、自ら言った、「まあ!」どうやら自分がきれいらしく思えたのであった。それは彼女を妙な不安のうちにおとしいれた。その時まで彼女は、自分の顔のことはかつて思っても見なかった。鏡をのぞいたことはあるが、よく自分の顔を見もしなかった。またしばしば、人から醜いと言われていた。ひとりジャン・ヴァルジャンだけは、「いや、どうして!」と静かに言っていた。それでもとにかく、コゼットは自分を醜いものと常に信じ、子供心のたやすいあきらめをもってそういう考えのうちに成長した。しかるに今突然、鏡はジャン・ヴァルジャンと同じく彼女に言った、「いや、どうして!」彼女はその晩眠れなかった。彼女は考えた、「もし私がきれいだったらどうだろう。私がきれいだなんてほんとにおかしなことだが!」そして、きれいなので修道院での評判となっていた仲間のだれ彼の事を思い出して、自ら言った、「まあ、私はあの人のようになるのかしら!」
 翌日彼女は、こんどはわざわざ鏡に映して見た、そして疑った。彼女は言った、「昨日私はどうしてあんな考えになったのかしら。いいえ私はぶきりょうだわ。」けれども彼女は眠りが足りないだけだった。目がくぼみ色が青ざめていた。自分のきれいなのを信じても前日はそう喜ばしくなかったが、今はそう信ずることができないのを悲しく思った。それから後はもう鏡を見なかった。そして半月以上もの間、つとめて鏡に背中を向けて髪を結った。
 夕方、食事の後には、彼女はたいてい客間で刺繍(ししゅう)をしたり、あるいは修道院で覚えた何かの仕事をしていた。ジャン・ヴァルジャンはそのそばで書物を読むのが常だった。ところがある時、彼女はふと仕事から目をあげると、父が自分をながめてる不安らしい様子に驚かされたことがあった。
 またある時、街路を通っていると、姿は見えないがだれかが自分の後ろで言ってるのが聞こえるようだった、「きれいだ、しかし服装(なり)はよくない。」彼女は考えた、「なに私のことではあるまい。私は服装はいいがきれいではない。」その時彼女は、ペルシの帽をかぶりメリノラシャの長衣を着ていた。
 またある日、庭に出ていると、老婢のトゥーサンがこう言っているのを耳にした、「旦那様(だんなさま)、お嬢様はきれいにおなりなさいましたね。」コゼットは父が何と答えたか耳にはいらなかった。トゥーサンの言葉は彼女の心に激動を与えた。彼女は庭から逃げ出し、自分の室(へや)に上ってゆき、もう三カ月ものぞかなかった鏡の所へ駆け寄った、そして叫び声を立てた。彼女は眩惑(げんわく)したのである。
 彼女は美しくてきれいだった。トゥーサンの意見や鏡の示す所に同意せざるを得なかった。身体は整い、皮膚は白くなり、髪の毛にはつやが出て、これまで知らなかった光が青い瞳(ひとみ)に輝いていた。自分は美しいという確信が、ま昼のように曇る所なくたちまちわいてきた。他人までもそれを認めていた。トゥーサンはそれを口に出して言い、またあの通行人が言ったことも確かに自分についてだった。もはや疑う余地はなかった。彼女は庭におりてゆきながら、自ら女王(クイーン)であるような気がし、小鳥の歌うのを聞き、冬のこととて金色に輝いた空を見、樹木の間に太陽をながめ、叢(くさむら)の中に花をながめ、名状し難い喜びのうちに我を忘れて酔った。
 同時にジャン・ヴァルジャンの方では、深い漠然(ばくぜん)たる心痛を感じていた。
 実際彼はその頃、コゼットのやさしい顔の上に日増しに輝き出してくる美しさを、狼狽(ろうばい)しながら見守っていたのである。すべてのものに向かって笑(え)みかける曙(あけぼの)は、彼にとっては悲しみの種であった。
 コゼットはずっと以前からきれいになっていたが、自らそれに気づいたのはだいぶたってからだった。しかし、徐々に上ってきてしだいに彼女の全身を包んだその意外な光輝は、初めの日から既にジャン・ヴァルジャンの陰気な目を痛めていた。それは、幸福な生活のうちに、何かが乱されはしないかを恐れてあえて少しも動かしたくないと思っていたほど幸福な生活のうちに、ふいに到来した変化であるように彼には感じられた。彼は既にあらゆる艱難(かんなん)のうちを通りぬけてき、今なお運命の痛手から流るる血にまみれており、かつてはほとんど悪人だったのが今はほとんど聖者となっており、徒刑場の鎖を引きずったあとに今は名状すべからざる汚辱の目には見えないがしかし重い鎖を引きずっており、また法律上放免されていない身の上であり、いつでも捕えられて人知れぬ徳行の世界から公然たる恥辱の白日のうちに引き出されんとする身の上であり、また、すべてを甘受し、すべてを許し、すべてを容赦し、すべてを祝福し、すべてのよからんことをねがい、しかも神や人や法律や社会や自然や世間に向かっては、ただ一事をしか求めていなかったのである、すなわちコゼットが自分を愛してくれるようにという一事を。
 ただコゼットが自分を愛し続けてくれるように! この子供の心が自分のもとにやってきて長く留まっていることを、神は妨げたまわないように! コゼットから愛されて彼は、自ら癒(いや)され休められ慰められ満たされ報いられ冠を授けられたように感じていた。コゼットから愛されて彼は幸福であった。それ以上を何も求めなかった。「もっと幸福ならんことを望むか」と言う者があっても、「否」と彼は答えたであろう。「汝は天を欲するか」と神に言われても、「今の方がましである」と彼は答えたであろう。
 そういう状態を傷つけるものは、たとい表面だけを少し傷つけるものであっても、何か新たなることが始まるかのように彼をおびえさした。彼はかつて婦人の美なるものが何であるかをよくは知らなかったけれども、ただ恐るべきものであることだけは本能によって了解していた。
 自分のそばに、目の前に、子供の単純な恐るべき額の上に、ますます崇高に勢いよく開けてくるその美を、彼は自分の醜さと老年と悲惨と刑罰と憂悶(ゆうもん)との底から、狼狽(ろうばい)して見守った。
 彼は自ら言った、「彼女(あれ)はいかにも美しい。この私はどうなるであろう。」
 けだしそこに、彼の愛情と母親の愛情との差があった。彼が苦悶をもってながめていたところのものも、母親ならば喜びの情をもってながめたであろう。
 最初の兆候はやがて現われ始めた。
 コゼットが自ら「まさしく私は美しい」と言った日の翌日から、彼女は服装に注意を払い始めた。彼女は通行人の言葉を思い起こした、「きれいだ、しかし服装(なり)はよくない。」それは一陣の風のような神託であって、彼女の傍(かたわら)を過(よ)ぎり、やがて婦人の全生涯を貫くべき二つの芽の一つを彼女の心に残したまま、どこともなく消え去ってしまった。二つの芽の一つというは嬌態(きょうたい)であって、他の一つは恋である。
 自分の美を信ずるとともに、女性的魂はすべて彼女のうちに目ざめてきた。彼女はメリノの長衣をいといペルシの帽子を恥ずかしく思った。父は彼女に決して何物をも拒まなかった。彼女はすぐに、帽子や長衣や肩衣や半靴(はんぐつ)や袖口(そでぐち)やまた自分に似合う[#「似合う」は底本では「以合う」]布地や色などに関するあらゆる知識を得た。その知識こそは、パリーの女をしていかにも魅力あらしめ趣深からしめまた危険ならしむるものである。妖婦という言葉はパリーの女のために作り出されたものである。
 一月とたたないうちに小さなコゼットは、バビローヌ街の人気(ひとけ)少ない所において、パリーの最もきれいな女のひとりとなっていたばかりでなく、それも既に何かではあるが、なおその上にパリーの「最もりっぱな服装(なり)をした」女のひとりとなっていた、これは実に大したことである。彼女は「あの通行人」に出会って、彼が何というかを聞いてみたく、また「彼に見せしめてやりたい」とも思ったかも知れない。実際彼女はすべての点において麗わしく、またジェラールの帽子とエルボーの帽子とをもみごとに見分けることができた。
 ジャン・ヴァルジャンは心配しながらそれらの変化をながめていた。地をはうことよりほかは、少なくとも足にて歩くことよりほかは、自分にはできないと自ら感じていた彼が、コゼットに翼のはえてくるのを見たのである。
 けれども女には、コゼットの服装をちょっと見ただけで、彼女に母のないことがわかったはずである。ある種の些細(ささい)な作法や、ある種の特別な慣例などを、コゼットは少しも守っていなかった。たとえば、母がいたならば、年若い娘は緞子(どんす)の服などを着るものではないと教えてやったに違いない。
 始めて黒緞子の長衣と外套(がいとう)とをつけ白縮紗(クレープ)の帽子をかぶって外に出かける時、コゼットは喜び勇み笑み得意げに嬉々(きき)としてジャン・ヴァルジャンの腕を執った。「お父様、」と彼女は言った、「こんな服装は私にどうでしょう?」ジャン・ヴァルジャンは苦々(にがにが)しいねたましいような声で答えた。「ほんとにいい。」そして散歩してる間彼はいつものとおりだったが、家に帰るとコゼットに尋ねた。
「あのも一つの長衣と帽子とはもうつけないのかい。」
 それはコゼットの室(へや)の中においてだった。コゼットは修道院の寄宿生徒だった時の古衣がかかってる衣服部屋の衣桁(いこう)の方へふり向いた。
「あの着物!」と彼女は言った、「お父様、あれをどうせよとおっしゃるの。まあ、あんないやなものはもう私着ませんわ。あんなものを頭にかぶったら山犬のように見えますもの。」
 ジャン・ヴァルジャンは深いため息をついた。
 コゼットは以前はいつも家にいたがって、「お父様、私はあなたといっしょに家にいる方がおもしろいんですもの、」と言っていたが、今では絶えず外に出たがるようになったのを、彼が気づいたのはこの時からであった。実際、人に見せるのでなければ、美しい顔を持ちきれいな着物を着ていたとて、それが何の役に立とう。
 コゼットがもう後ろの中庭を前ほど好かなくなったことをも、彼はまた気づいた。彼女は今では、好んで表庭の方へ行き、鉄門の前をもいやがらずに歩き回っていた。人に見られることを好まないジャン・ヴァルジャンは、決して表庭に足をふみ入れなかった。彼は犬のように後ろの中庭にばかりいた。
 コゼットは自分の美しいことを知って、それを知らない時のような優美さを失った。自分の美を知らない優美さはまた特別なものである。なぜなら、無邪気のために光を添えらるる美は言葉にも尽し難いものであり、自ら知らずして天国の鍵(かぎ)を手にしながら歩を運ぶまばゆきばかりの無心ほど、世に景慕すべきものはない。しかし彼女は、素朴な優美さにおいて失ったところのものを、思いありげな本気な魅力において取り返した。彼女の一身は、青春と無垢(むく)と美との喜びに浸されながら、輝かしい憂愁の様を現わしていた。
 マリユスが六カ月の間を置いて再びリュクサンブールの園で彼女を見いだしたのは、ちょうどそういう時期においてであった。

     六 戦のはじまり

 世間から離れていたコゼットは、やはり世間から離れていたマリユスと同じく、今はただ点火されるのを待つばかりになっていた。運命はそのひそかな一徹な忍耐をもって、両者を徐々に近づけていた。しかもこのふたりは、情熱のわき立つ電気をになって思い焦がれていた。この二つの魂は、雷を乗せた二つの雲のように恋を乗せ、電光の一閃(いっせん)に雲がとけ合うように、ただ一瞥(いちべつ)のうちに互いに接し互いに混和すべきものであった。
 ただの一瞥ということは、恋の物語においてあまりに濫用(らんよう)されたため、ついに人に信ぜられなくなった。互いに視線を交じえたために恋に陥ったということを、今日ではほとんど口にする者もない。しかし人が恋に陥るのは、皆それによってであり、またそれによってのみである。その他はやはりその他に過ぎなくて、あとより来るものである。一瞥の火花をかわしながら二つの魂が互いに与え合うその大衝動こそ、最も現実のものである。
 コゼットが自ら知らずしてマリユスの心を乱す一瞥を投げた時に、自分の方でもコゼットの心を乱す一瞥を投げたとはマリユスも自ら知らなかった。
 彼はコゼットに、自分が受けたと同じ災いと幸福とを与えた。
 既に長い以前から彼女は、若い娘がよくするように、よそをながめながらそれとなく彼の方を見、彼の方をうかがっていた。マリユスはまだコゼットを醜いと思っていたが、コゼットの方では既にマリユスを美しいと思っていた。しかし彼が彼女に少しも注意を払わなかったと同様、彼女の方でもその青年に対してどうという考えは持たなかった。
 それでも彼女はひそかに思わざるを得なかった、彼が美しい髪と美しい目と美しい歯とを持ってること、その友人らと話すのを聞けば彼の声にはいかにも美しい響きがあること、その歩き方はまあ言わば不器用ではあるがまた独特の優美さを持ってること、どこから見ても愚物ではなさそうであること、その人品は気高くやさしく素朴で昂然(こうぜん)としていること、貧乏な様子ではあるがりっぱな性質らしいことなど。
 ついにふたりの視線が出会って、人知れぬ名状し難い最初のことを突然目つきで伝え合った日、コゼットはそれがどういう意味か初めはわからなかった。彼女はジャン・ヴァルジャンがいつものとおり六週間を過ごしにきてるウエスト街の家へ、思いに沈みながら帰っていった。翌朝目をさますと、彼女はまずその知らぬ青年のことを頭に浮かべた。彼は長い間冷淡で氷のようであったが、今は彼女に注意を払ってるらしかった、そしてその注意が快いものだとはどうしても彼女には思えなかった。彼女はその美しい傲慢(ごうまん)な青年に対してむしろ憤激をさえいだいた。戦いの下心が彼女のうちに動いた。これから意趣返しをしてやることができそうな気がして、まだごく子供らしい喜びを感じた。
 自分がきれいであることを知っていたので彼女は、漠然(ばくぜん)とではあったが自分に武器があることをよく感じていた。子供がナイフをもてあそぶように女は自分の美をもてあそぶ。そしてついには自ら傷つくものである。
 マリユスの躊躇(ちゅうちょ)や恐れや胸の動悸(どうき)などは、読者の記憶するところであろう。彼は自分のベンチに腰を据えて近寄ってゆかなかった。それはコゼットに不快を与えた。ある日彼女はジャン・ヴァルジャンに言った、「お父様、少し向こうへ歩いてみましょうか。」マリユスが少しも自分の方へこないのを見て、彼女は自分の方から彼の所へやって行った。こういう場合は、女は皆マホメットに似るものである。そして妙なことではあるが、真の恋の最初の兆候は、青年にあっては臆病(おくびょう)さであり、若い女にあっては大胆さである。考えると不思議ではあるが、しかし実は当然すぎることである。すなわち両性が互いに接近せんとして互いに性質を取り替えるからである。
 その日、コゼットの一瞥(いちべつ)はマリユスを狂気させ、マリユスの一瞥はコゼットを震えさした。マリユスは信念を得て帰ってゆき、コゼットは不安をいだいて帰っていった。その日以来、彼らは互いに景慕し合った。
 コゼットが最初に感じたものは、漠然(ばくぜん)とした深い憂愁だった。直ちに自分の心がまっくらになったような気がした。もう自分で自分の心がわからなくなった。年若い娘の心の白さは、冷淡と快活とから成ってるもので雪に似ている。その心は恋にとける、恋はその太陽である。
 コゼットは愛ということを知らなかった。現世的の意味で愛という言葉が言わるるのをかつて聞いたことがなかった。俗世の音楽書にあるアムール(愛)という音は、修道院の中にはいって行くとタンブール(太鼓)もしくはパンドゥール(略奪者)と代えられていた。「ああタンブールとはどんなにか楽しいことでしょう!」とか、「憐愍(れんびん)はパンドゥールではありません!」とかいうような言葉は、姉さまたちの想像力を鍛う謎(なぞ)となっていた。しかしコゼットはまだごく若いうちに修道院を出たので、「タンブール」なんかにあまり頭を悩まさなかった。それで彼女は、今感じていることに何という名前を与えていいかわからなかった。しかし病名を自ら知らなければそれだけ病気が軽いといういわれはない。
 彼女は恋ということを知らずに恋しただけになおいっそうの情熱をもって恋した。それはいいものか悪いものか、有益なものか危険なものか、必要なものか致命的なものか、永遠なものか一時的なものか、許されたものか禁ぜられたものか、それを少しも知らなかった。そしてただ恋した。もしこう言われたら彼女は非常に驚いたであろう。「お前は夜眠れないって、それはよろしくない。お前は物が食べられないって、それはごく悪い。お前は胸が苦しかったり動悸(どうき)がしたりするって、そんなことがあってはいけない。黒い服を着たある人が緑の道の一端に現われると、お前は赤くなったり青くなったりするって、それはけしからんことだ。」彼女はそのゆえんがわからないでこう答えたであろう。「自分でどうにもできませんしまた何にもわかりませんのに、どうして私に悪いところがあるのでしょう?」
 彼女に現われてきた恋は、ちょうど彼女の心の状態に最も適したものだった。それは一種の遠方からの景慕であり、ひそかな沈思であり、知らぬ人に対する跪拝(きはい)であった。青春の前に現われた青春の幻であり、夢の状態のままでローマンスとなった夜の夢であり、長く望んでいた幻影がついに事実となって肉をそなえながら、しかもまだ名もなく不正もなく汚点もなく要求もなく欠陥もないままの状態にあるものだった。一言にして言えば、理想のうちに止まってる遠い恋人であり、一つの形体をそなえた空想であった。もっと具体的なもっと近接した邂逅(かいこう)であったなら、修道院の内気な靄(もや)の中にまだ半ば浸っていたコゼットを、初めのうち脅かしたことであろう。彼女は子供の恐怖と修道女の恐怖とをすべて合わせ持っていた。五年の間に彼女にしみ込んだ修道院的精神は、なお静かに彼女の一身から発散していて、あたりのものを震えさしていた。そういう状態にある彼女に必要なものは、ひとりの恋人ではなく、ひとりの愛人でもなく、一つの幻であった。彼女はマリユスを、光り輝いた非現実的な心ひかるるある物として景慕し始めたのである。
 極端な無邪気は極端な嬌態(きょうたい)に近い。彼女は彼にごく素直にほほえんでみせた。
 彼女は毎日散歩の時間を待ち焦がれ、散歩に行くとマリユスに会い、言い知れぬ幸福を感じ、そして自分の心をそっくりいつわらずに言い現わしてるつもりでジャン・ヴァルジャンに言った。
「このリュクサンブールは何という気持ちのいい園でしょう!」
 マリユスとコゼットとふたりの間は、まだ暗闇(くらやみ)の中にあった。彼らは互いに言葉もかわさず、おじぎもせず、近づきにもなっていなかった。そしてただ顔を見合ってるだけだった。あたかも数百万里へだたってる空の星のように、互いに視線を合わせるだけで生きていた。
 そのようにしてコゼットは、しだいに一人前の女となり、自分の美を知りながら自分の恋を知らずに、美と愛とのうちに生長していった。その上にまた、無心より来る嬌態(きょうたい)を持っていた。

     七 悲しみは一つのみにとどまらず

 あらゆる情況には固有の本能がある。古い永劫(えいごう)の母なる自然は、マリユスの存在をひそかにジャン・ヴァルジャンに告げ知らした。ジャン・ヴァルジャンは心の最も薄暗い底で身を震わした。彼は何も見ず何も知らなかったけれど、一方に何かが建設されるとともに、他方に何かがこわれてゆくのを感じたかのように、自分を囲む暗黒を執拗(しつよう)な注意でながめた。マリユスの方でもまたある事を感知し、神の深遠なる法則として同じく永劫の母なる自然から教えられて、「父」の目を避けるためにできる限り注意をした。けれども時としては、ジャン・ヴァルジャンの目に止まることがあった。マリユスの態度はもうまったく自然ではなくなっていた。彼の様子には怪しい慎重さと下手(へた)な大胆さとがあった。彼は以前のようにすぐ近くにはもうやってこなかった。遠くに腰をおろして恍惚(こうこつ)としていた、書物をひらいてそれを読むようなふうをしていた。そしてそんなふうを装うのはいったいだれに対してだったか? 昔は古い服を着てやってきたが、今では毎日新しい服を着ていた、髪の毛をわざわざ縮らしたらしくもあった、変な目つきをしていた、手袋をはめていた。要するにジャン・ヴァルジャンは心からその青年をきらった。
 コゼットは何事もさとられないようにしていた。どうしたのかよくわからなかったけれども、何かが起こったことを、そしてそれを隠さなければならないことを、心にはっきり感じていた。
 コゼットに現われてきた服装上の趣味とあの未知の青年が着始めた新しい服との間には、ジャン・ヴァルジャンにとって不安な一致があった。おそらくは、いや疑いもなく、いや確かに、それは偶然の符合であろう、しかし意味ありげな偶然である。
 彼はその未知の青年についてはコゼットに決して一言も言わなかった。けれどもある日、彼はもうたえ得ないで、自分の不幸のうちに急に錘(おもり)を投げ込んで探ってみるような漠然(ばくぜん)たる絶望の念で、彼女に言った。「あの青年は実に生意気なふうをしている。」
 一年前であったら、コゼットはまだ無関心な小娘であって、こう答えたであろう、「いいえ、あの人はきれいですわ。」十年後であったら、彼女はマリユスに対する愛を心にいだいて、こう答えたであろう、「生意気で見るのもいやですわ、ほんとにおっしゃるとおりです。」しかし現在の年齢と気持とにある彼女は、澄まし切ってただこう答えた。
「あの若い人が!」
 それはあたかも今始めて彼を見るかのような調子だった。
「ばかなことをしたものだ!」とジャン・ヴァルジャンは考えた。「娘は彼に気づいてもいなかったのだ。それをわざわざ私の方から教えてやるなんて!」
 老人の心の単純さよ、子供の心の深奥さよ!
 若い娘はいかなる罠(わな)にもかからぬが若い男はいかなる罠にも陥るのは、苦しみ悩む初心の頃の通則であり、最初の障害に対する初恋の激しい争いの通則である。ジャン・ヴァルジャンはマリユスに対してひそかに戦いを始めたが、マリユスはその情熱と若年との崇高な愚昧(ぐまい)さでそれを少しも察しなかった。ジャン・ヴァルジャンは彼に対して多くの陥穽(かんせい)を設けた。彼はリュクサンブールへやって来る時間を変え、ベンチを変え、ハンケチを置いてゆき、また一人でやってきたりした。マリユスはそれらの罠につまずいた。ジャン・ヴァルジャンが途上に据えた疑問点に対して正直にしかりと答えた。けれどもコゼットは、外観の無心さと乱し難い落ち着きとのうちに閉じこもっていた。それでジャン・ヴァルジャンはこういう結論に達した。「あのばか者はコゼットを思い込んで夢中になっている。しかしコゼットは彼のいることさえも知らないでいる。」
 それでも彼はなお心のうちに悲しい戦慄(せんりつ)を感じた。コゼットが恋を知る時はいつ到来するかも知れなかった。何事も初めは無関心なものではないか。
 ただ一度、コゼットは失策をして彼を驚かした。三時間も止まっていた後に彼はベンチから立ち上がって帰ろうとした。その時コゼットは言った、「もうですか!」
 ジャン・ヴァルジャンはリュクサンブールへの散歩をとめはしなかった。何もきわ立ったことをしたくなかったのと、またことにコゼットの注意をひくのを恐れたからである。しかしコゼットはマリユスに微笑を送り、マリユスはそれに酔いそれだけに心を奪われ、今はただ光り輝く愛する顔のほかは世に何物をも見ないで、ふたりの愛人にとってのいかにも楽しい時間が続いたが、その間ジャン・ヴァルジャンは、恐ろしい光った目をマリユスの上に据えていた。ついにもはや悪意ある感情をいだくことはなくなったと自ら信じている彼にも、マリユスがそこにいる時には、再び野蛮に獰猛(どうもう)になるのを感ずる瞬間があって、昔多くの憤怒を蔵していた古い心の底が、その青年に対してうち開きわき上がってくるのを感じた。あたかも未知の噴火口が自分のうちに形成されつつあるかのように思われるのだった。
 ああ、あの男がそこにいる。何をしにきているのか。彷徨(ほうこう)しかぎ回りうかがい試しにきてるのだ。そして言っている、「へん、どうしてそれがいけないというのか。」彼はこのジャン・ヴァルジャンの所へやってきて、その生命のまわりを徘徊(はいかい)し、その幸福のまわりを徘徊して、それを奪い去ろうとしているのだ。
 ジャン・ヴァルジャンはつけ加えて言った。「そうだ、それに違いない! いったい彼は何をさがしにきているのか。一つの恋物語をではないか。何を求めているのか。ひとりの愛人をではないか。愛人! そしてこの私は! ああ、最初には最もみじめな男であり次には最も不幸な男であった後、六十年の生涯をひざまずいて過ごしてきた後、およそ人のたえ得ることをすべてたえ忍んできた後、青春の時代を知らずに直ちに老年になった後、家族もなく親戚もなく友もなく妻もなく子もなくて暮らしてきた後、あらゆる石の上に、荊棘(いばら)の上に、辺境に、壁のほとりに、自分の血潮をしたたらしてきた後、他人よりいかに苛酷(かこく)に取り扱われようとも常に温和であり、いかに悪意に取り扱われようとも常に親切であった後、いっさいのことを排して再び正直な人間となった後、自分のなした害悪を悔い改め、身に加えられた害悪を許した後、今やようやくにしてそのむくいを得ている時に、すべてが終わっている時に、目的に到達している時に、欲するところのものを得ている時に、しかもそれは至当であり正しきものであり、自らその価を払って得たものである時に当たって、すべては去り、すべては消えうせんとするのか。コゼットを失い、自分の生命と喜びと魂とを失わんとするのか。そしてそれもただひとりのばか者がリュクサンブールの園にきて徘徊(はいかい)し出したがためである!」
 かくて彼の瞳(ひとみ)は、悲しいまた尋常ならぬ輝きに満ちてきた。それはもはや他の男を見つむるひとりの男ではなく、敵を見つむるひとりの仇(あだ)ではなく、盗賊を見つむる一匹の番犬であった。
 それより先のことは読者の知るところである。マリユスはなお続けて無鉄砲であった。ある日彼はウエスト街までコゼットの跡をつけた。またある日は門番に尋ねてみた。門番の方でもまた口を開いてジャン・ヴァルジャンに言った。「旦那様(だんなさま)、ひとりの変な若者があなたのことを尋ねていましたが、あれはいったい何者でしょう!」その翌日ジャン・ヴァルジャンはマリユスに一瞥(いちべつ)を与えたが、マリユスもついにそれに気づいた。一週間の後にジャン・ヴァルジャンはそこを去った。リュクサンブールへもウエスト街へも再び足をふみ入れまいと自ら誓った。彼はプリューメ街へ戻った。
 コゼットは不平を言わなかった、何事も言わなかった、疑問を発しもしなかった、理由を知ろうともしなかった。彼女はもはや、意中がさとられはしないかを恐れ秘密がもれはしないかを恐れるほどになっていた。ジャン・ヴァルジャンはその種の不幸には少しも経験を持たなかった。それこそ世に可憐(かれん)なる唯一の不幸であり、しかも彼が知らない唯一の不幸であった。その結果彼はコゼットの沈黙の重大な意味を少しもさとらなかった。ただ彼はコゼットが寂しげな様子になったのを認めて、自分も陰鬱(いんうつ)になった。両者いずれにも無経験な暗闘があった。
 一度彼はためしてみた。彼はコゼットに尋ねた。
「リュクサンブールへ行ってみようか?」
 一条の光がコゼットの青白い顔を輝かした。
「ええ。」と彼女は言った。
 ふたりはそこへ行った。三月(みつき)も経た後であった。マリユスはもうそこへ行ってはいなかった。マリユスはそこにいなかった。
 翌日ジャン・ヴァルジャンはコゼットに尋ねた。
「リュクサンブールへ行ってみようか?」
 彼女は悲しげにやさしく答えた。
「いいえ。」
 ジャン・ヴァルジャンはその悲しい調子にいら立ち、そのやさしい調子に心を痛めた。
 まだ年若いがしかも既に見透かし難いこの精神のうちには何が起こったのか。いかなることが遂げられつつあったのか。コゼットの魂には何が到来しつつあったのか。時とするとジャン・ヴァルジャンは、寝もやらず寝床のそばにすわって両手に額をうずめ、そのまま一夜を明かしながら自ら尋ねた、「コゼットは何を考えているのだろう。」そしてコゼットが考えそうなことをあれこれと思いめぐらした。
 そういう時に彼は、修道院生活の方へ、あの清浄なる峰、あの天使の住居、あの達すべからざる高徳の氷山の方へ、いかに悲しい目を向けたことか! 世に知られない花と閉じこめられた処女とに満ち、あらゆる香気と魂とがまっすぐに天の方へ立ちのぼっている、あの修道院の庭を、絶望的な喜悦をもって彼はいかに思いやったことか。自ら好んで去り愚かにもぬけ出してきたあの永遠に閉ざされたるエデンの園を、いかに彼は今賛美したことか。自分の献身のためにかえってつかまれ投げ倒されたあわれむべき犠牲の勇士たる彼は、コゼットを世に連れ戻した自分の克己と愚挙とを、いかに今後悔したことか。いかに彼は自ら言ったか、「何たることを自分はしたのであろう。」
 けれどもそれらのことはコゼットに対しては少しも示されなかった。何らの不きげんも厳酷もなかった。常に朗らかな親切な同じ顔つきであった。ジャン・ヴァルジャンの様子には平素に増したやさしみと親愛さとがあった。もし彼の喜びが減じたことを現わすものがあるとすれば、それは彼の温良さが増したことであった。
 コゼットの方は元気を失ってきた。彼女はただ何というわけもなく妙に、マリユスのいるのを喜んだと同様にまたマリユスのいないのを悲しく思った。ジャン・ヴァルジャンがいつもの散歩に連れて行ってくれなくなった時、女性の本能は心の底で彼女に漠然(ばくぜん)とささやいた、リュクサンブールに行きたいような様子をしてはいけないと、そしてまた、どうでもいいようなふうをしていたならば父は再び連れて行ってくれるであろうと。しかし日は過ぎ、週は過ぎ、月は過ぎた。ジャン・ヴァルジャンはコゼットの無言の承諾を暗黙のうちに受け入れていた。彼女はそれを後悔した。既に時機を失していた。彼女がリュクサンブールへ戻って行った時、マリユスはもうそこにいなかった。マリユスはいなくなってしまったのだ、万事は終わったのだ、どうしたらいいだろう? またいつか再び会えることがあるだろうか。彼女は心が痛むのを感じた、そしてそれは何物にも癒(いや)されることがなく、日ごとに度を増していった。彼女はもはや冬であるか夏であるかを知らず、日が照っているか雨が降っているかを知らず、小鳥がさえずっているかどうか、ダリアの季節であるか雛菊(ひなぎく)の季節であるか、リュクサンブールの園はテュイルリーの園よりも美しいかどうか、洗たく屋が持ってきたシャツは糊(のり)がききすぎているか足りないか、トゥーサンは「買い物」を上手(じょうず)にやったか下手(へた)にやったか、彼女にはいっさいわからなかった。そして彼女は打ちしおれ、魂を奪われ、ただ一つの考えにばかり心を向け、ぼんやりと一つ所に据わった目つきをして、幻が消え失せた跡の黒い深い場所を暗夜のうちに見つめてるかのようだった。
 けれども、彼女の方でもまた、顔色の悪くなったことのほかは何事もジャン・ヴァルジャンに知れないようにした。彼女はやはり彼に対してやさしい顔つきをしてみせた。
 しかしその顔色の悪いことだけで、ジャン・ヴァルジャンの心をわずらわすには余りあるほどだった。時とすると彼は尋ねた。
「どうしたんだい?」
 彼女は答えた。
「どうもしませんわ。」
 そしてちょっと黙った後、彼もまた悲しんでるのを彼女は察したかのように言った。
「そしてあなたは、お父様、どうかなすったのではありませんか。」
「私が? いや何でもないよ。」と彼は言った。
 あれほどお互いのみを愛し合い、しかもあれほど切に愛し合っていたふたり、互いにあれほど長く頼り合って生きてきたふたりは、今やいずれも苦しみながら、互いに苦しみの種となりながら、互いにうち明けもせず怨みもせず、ほほえみ合っていたのである。

     八 一連の囚徒

 ふたりのうちでより多く不幸な方はと言えば、それはジャン・ヴァルジャンであった。青春の間は悲嘆のうちにあっても常に独特な光輝を有するものである。
 おりおりジャン・ヴァルジャンはひどく心を苦しめて子供のようになることがあった。人の子供らしい半面を現わさせるのは、悲痛の特色である。彼はコゼットが自分から逃げ出そうとしているという感じを打ち消すことができなかった。彼はそれと争い、彼女を引き止め、何か花々しい外部的なことで彼女を心酔させようとした。そういう考えは、今言ったとおり子供らしいものであり、また同時に老人らしいものであるが、彼はかえってその幼稚さのために、金モールが若い娘の想像力におよぼす力をかなりよくさとった。彼はある時偶然に、パリーの司令官たる伯爵クータール将軍が、正装をして馬上で街路を通るのを見た。彼はその金ぴかで飾られてる人をうらやんだ、そして自ら言った。「一点の非もないあのりっぱな服をつけることができたらどんなにか幸福であろう。自分があんな様子をしてるところをコゼットに見せたら、彼女はそれに心を奪われてしまうだろう。そしてコゼットに腕を貸してテュイルリー宮殿の門の前を通ったら、兵士らは自分に捧(ささ)げ銃(つつ)をしてくれるだろう。それでコゼットにはもう十分で、若い男などに目をつけるというような考えをなくしてしまうだろう。」
 ところがそういう悲しい考えに沈んでいるうちに、思いがけない打撃が起こってきた。
 ふたりが送っていた孤独な生活のうちに、プリューメ街に住むようになってから、一つ習慣ができてきた。彼らは時々、日の出を見に行くために野遊びをやった。それこそ、世に出でんとする者と世を去らんとする者とにふさわしい穏やかな楽しみであった。
 早朝の散歩は、寂寞(せきばく)を好む者にとっては、夜間の散歩と同じであり、しかも自然の快活を添加したものである。往来には人影もなく、しかも小鳥は歌っている。自身小鳥のようなコゼットは、好んで朝早く目をさました。朝の散歩はいつも前日から計画された。彼が言い出すと彼女が同意した。何か大事件のように手はずを定めて、二人は夜明け前に出かけたが、それがコゼットには楽しみだった。そういう事かわった無邪気なことは青春時代には喜ばしいことである。
 読者の知る通りジャン・ヴァルジャンは、人の少ない所、寂しい片すみ、世に知られない場所などに、足を向けるのが癖だった。当時パリーの市門の近くには、市街と交錯した貧しい畑地があって、夏にはやせた麦が伸び、秋には収穫がすんだ後、刈り取られたというよりも皮をはがれたようなありさまをしていた。ジャン・ヴァルジャンは好んでそういう所へ行った。コゼットもそこを少しもいとわなかった。それは彼にとっては寂寞であり、彼女にとっては自由であった。そこで彼女は再び少女に戻り、走り回ったり嬉戯(きぎ)したりまでして、帽子をぬぎ、それをジャン・ヴァルジャンの膝(ひざ)の上に置き、そして花を摘んだ。彼女は花の上にとまってる蝶(ちょう)をながめたが、それを捕えはしなかった。やさしみとあわれみとは恋とともに生まれる。うち震うもろい理想を心にいだく若い娘は、蝶の翼にも情けをかける。美人草の花輪をつくって頭にのせると、日の光が縦横にさし込んで、燃えるように真紅になり、彼女の薔薇色(ばらいろ)の清々(すがすが)しい顔に炎の冠をかぶせるのであった。
 ふたりの生活が悲しみの中に沈んだ後も、彼らはなおその早朝の散歩の習慣を続けていた。
 そして十月のある朝、一八三一年の秋の深い清朗さに誘われて、二人は家を出で、朝早くメーヌ市門のほとりにやって行った。まだ日の出の頃ではなくて払暁の頃で、快いしかも荒々しい時刻であった。白みがかった深い青空には五、六の星座がそこここに点在し、地はまっ黒であり、空はほの白く、草の葉にはかすかな震えがあって、至るところに黎明(れいめい)の神秘な戦慄(せんりつ)があった。星と交わるような雲雀(ひばり)が一つ、非常な高い所で歌っていて、その小さなものが無窮に向かって発する賛歌は広大無辺の空間を静めてるかのようであった。東の方にはヴァル・ド・グラース病院の建物が、刃物のような光のある地平線の上に、暗いがっしりした姿を浮き出さしていて、その丸屋根の向こうにはひらめく暁(あけ)の明星がかかっていて、まっくらな伽藍(がらん)からぬけ出してきた霊魂のようであった。
 すべては平和で静まり返っていた。大道には人影もなく、ただ下手(しもて)の方に、仕事に出かける一、二の労働者の姿がぼんやり見えていた。

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