レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 とは言え彼の態度はまったく機械的であって、いっものとおりの頭と仕事との専心は少しも中断されていなかった。得業士提要はばかな書物で、人間精神の傑作としてラシーヌの三つの悲劇を梗概(こうがい)しモリエールの喜劇はただ一つしか梗概してないのを見ると、よほどの愚人が書いたものに違いない、と彼はその時考えていた。けれど耳には鋭い音が鳴り渡っていた。ベンチの方へ近寄りながら、彼は上衣のしわを伸ばし、目を若い娘の上に据えていた。道の向こうの端は、彼女のために漠然(ばくぜん)とした青い輝きで満たされてるかのように思えた。
 近づくに従って彼の歩みはますますゆるやかになってきた。ある距離までベンチに近づくと、道の先端まではまだだいぶあったが、そこで立ち止まり、自分でもどうした訳か知らないで足を返した。向こうの端まで行かなかったことをさえ自ら知らなかった。娘が彼の姿を遠くから認め、その新しい服装をしたりっぱな様子を見たかどうか、それさえわからなかった。けれども彼は、だれかに後ろから見らるる場合に自分の姿をよく見せようとして、まっすぐに背を伸ばして歩いた。
 彼は道の反対の端まで行き、それからまた戻ってきて、こんどは前よりもずっとベンチに近づいて来た。そして木立ち三本をへだてるだけの所までやってきたが、そこでもうどうしても先へ進めないような気がして、ちょっと躊躇(ちゅうちょ)した。娘の顔が自分の方へ差し向けられてるのを見るように思った。それでも彼は男らしい激しい努力をして、ためらう心を押さえつけ、前の方へ進んでいった。やがて彼はまっすぐに身を固くして、耳の先までまっかになり、右にも左にもあえて目もくれず、政治家のように手を上衣の中にさし込んで、ベンチの前を通りすぎた。そしてそこを、その要塞(ようさい)の大砲の下を、通ってゆく時、恐ろしく胸が動悸(どうき)するのを感じた。彼女は前日のとおり、緞子(どんす)の長衣と縮紗(クレープ)の帽子とをつけていた。「彼女の声」に違いない言い難い声を彼は聞いた。彼女は静かに話をしていた。きわめてきれいだった。それだけのことを、彼は彼女を見ようともしなかったけれども心に感じた。彼は考えた。「フランソア・ド・ヌーシャトー氏が自筆だとしてジル・ブラスの刊行本の初めにつけたマルコ・オブルゴン・ド・ラ・ロンダに関する論説は、実は私が書いたのだと知ったら、彼女もきっと私に敬意と尊敬とを持つに違いないんだが。」
 彼はベンチの所を通りすぎ、すぐ先の道の端まで行き、それからまた戻ってきて、も一度美しい娘の前を通った。がこんどはまっさおになっていた。強い不安しか感じなかった。彼はベンチと娘とから遠ざかっていった。そして彼女の方に背を向けながら、後ろから彼女に見られてるような気がして、思わずよろめいた。
 それから彼はもうベンチに近寄らなかった。道の中ほどに立ち止まって、今までかつてしなかったことであるが、横目をしながらそこのベンチに腰をおろしてしまい、漠然(ばくぜん)たる心の底で考えた。要するに、自分が嘆賞してるその白い帽子と黒い上衣とのあの人たちも、自分のみがき立てたズボンと新しい上衣とに対して、全然無感覚であることはできないだろうと。
 十五分ばかりそうしていた後、円光にとりまかれてるベンチの方へまた歩き出そうとするかのように、彼は立ち上がった。けれどもそこに立ったままで身動きもしなかった。あすこに娘とともに毎日腰掛けている老紳士の方でも、きっと自分に気がつき、自分の態度をおそらく不思議に思ったであろうと、十五カ月以来初めて彼は考えた。
 そしてまた初めて彼は、心のうちでとは言え、ルブラン(白)氏などという綽名(あだな)でその知らない紳士を呼んでいたことに、ある不敬さを感じた。
 そして彼は頭をたれ、手にしてるステッキの先で砂の上に物の形を描きながら、数分間じっとしていた。
 それから突然向きを変え、ベンチとルブラン氏とその娘とを後ろにして、自分の家へ帰っていった。
 その日彼は夕食を食いにゆくことを忘れた。晩の八時ごろそれに気づいたが、もうサン・ジャック街までやって行くにはあまり遅かったので、なあにと言って、一片のパンだけをかじった。
 彼は上衣にブラシをかけ、丁寧にそれを畳んでから、ようやく寝床にはいった。

     五 ブーゴン婆さんのたびたびの驚き

 ブーゴン婆さん――と言うのは、ゴルボー屋敷の借家主で門番で兼世帯女である婆さんで、実際は前に言ったとおりブュルゴンという名だったが、何物をも尊敬したことのないひどいクールフェーラックの奴(やつ)が、そう名づけてしまったのである(訳者注 ブーゴン婆とはぐずり婆の意)。――ブーゴン婆さんは、その翌日、マリユスがまた新しい上衣を着て出かけるのを見て、あきれてしまった。
 マリユスはまたリュクサンブールの園に行ったが、道の中ほどにあるベンチより先へは行かなかった。前のように彼はそこに腰掛け、遠くからながめて、白い帽子と黒い長衣とまたことに青い輝きをはっきり見た。彼はそこを動きもせず、リュクサンブールの門がしまる時にようやく帰っていった。ルブラン氏とその娘とが帰ってゆく姿は見えなかった。それで彼は、ふたりはウエスト街の門から出て行ったのだろうと推定した。その後、数週間後のことであったが、その時のことを考えてみた時、彼はその晩どこで夕食をしたかどうしても思い出せなかった。
 その翌日、もう三日目であったが、ブーゴン婆さんはまた驚かされた。マリユスは新しい上衣を着て出かけたのである。
「まあ三日続けて!」と彼女は叫んだ。
 彼女はあとをつけてみようとした。しかしマリユスは早く大またに歩いていた。あたかも河馬が羚羊(かもしか)を追っかけるようなものだった。二、三分とたたないうちに、彼女はマリユスの姿を見失い、息を切らして戻ってきた。喘息(ぜんそく)のためにほとんど息をつまらして、ひどく怒っていた。彼女はつぶやいた。「毎日いい方の服をつけて、おまけに人をこんなに駆けさしてさ、それでいいつもりかしら!」
 マリユスはまたリュクサンブールにおもむいた。
 若い娘はルブラン氏とともにそこにきていた。マリユスは本を読んでるようなふうをして、できるだけ近づいていったが、それでもまだよほど遠くに立ち止まった。それから自分のベンチの方へ戻って腰を掛け、小道のうちを無遠慮な雀(すずめ)が飛び回るのをながめ、自分が嘲(あざけ)られてるような気がしながら、四時間もじっとしていた。
 そういうふうにして二週間ばかり過ぎた。マリユスはもう散歩をするためにリュクサンブールに行くのではなく、いつも同じ場所になぜだか自分でも知らないでただすわりに行った。一度そこへつくと、もう一歩も動かなかった。彼は人目につかないようにと朝から新しい上衣を着た、そしてまた来る日も来る日も同じようにした。
 彼女はまさしく驚嘆すべきほど美しかった。しいて批評がましい一つの難点をあぐれば、その悲しそうな目つきとうれしそうな微笑との間の矛盾で、それが彼女の顔に何か心迷ったような趣を与え、ためにある瞬間には、そのやさしい顔は愛くるしいままで異様になるのだった。

     六 囚われ

 二週間目の終わりのある日、マリユスは例のとおり自分のベンチにすわって、手に書物を開いていたが、もう二時間にもなるのに一ページも読んでいなかった。と突然彼は身を震わした。道の向こうの端で一大事が起こったのである。ルブラン氏と娘とはベンチを離れ、娘は父親の腕を取り、ふたりはマリユスがおる道の中ほどへ向かってやってきたのである。マリユスは書物を閉じ、それからまた開き、次にそれを読もうとつとめた。彼は震えていた。円光はまっすぐに彼の方へやってきつつあった。「ああ、姿勢をなおす暇もない、」と彼は考えた。そのうちにも白髪の男とその若い娘とは進んできた。彼にはその間が、一世紀ほど長いように思われ、また一瞬間にすぎないようにも思われた。「何しにこちらへ来るんだろう?」と彼は自ら尋ねた。「ああ、彼女がここを通ってゆく! その足は、自分から二歩と離れないこの道の砂を踏んでゆく!」彼は気が顛倒していた[#「顛倒していた」は底本では「転倒していた」]。ごく美しい男ともなりたかった。勲章でも持っていたかった。ふたりの歩み寄ってくる調子をとった静かな音が聞こえた。ルブラン氏が怒った目つきを自分に向けはすまいかとも想像した。「何か自分に話しかけるだろうか、」とも考えた。彼は頭をたれた。そしてまた頭を上げた時、ふたりはすぐそばにきていた。若い娘は通っていった。通りすがりに彼をながめた。考え込んだようなやさしさで彼をじっとながめた。マリユスは頭から足の爪先までぞっとした。もう長い間一度も彼女の方へ行かなかったことを難じられたような気がし、私の方から参りましたと言われたような気がした。その輝いた深い瞳(ひとみ)の前に、マリユスは眩惑(げんわく)されてしまった。
 彼は頭の中が燃えるように感じた。彼女の方から自分の所へきてくれた、何という幸いだろう。そしてまた彼女は、いかにじっと自分を見てくれたろう! 彼女は今まで見たよりも一段と美しく彼には思えた。女性の美と天使の美とをいっしょにした美しさである。ペトラルカをして歌わしめダンテをしてひざまずかしめる美しさである。彼はあたかも青空の中央に漂ってるような思いをした。同時に彼は、自分の靴(くつ)にほこりがついていたので非常に心苦しかった。
 彼女はまたこの靴をも見たに違いない、と彼は思った。
 彼女の姿が見えなくなるまで、彼はその後ろを見送った。それから気が狂ったようにリュクサンブールの園の中を歩き初めた。時とするとひとりで笑ったり声高に語ったりしがちだった。まったく夢を見ているようで、子もりの女どもまで彼が近づいて来ると、めいめい自分が恋せられてるんだと思ったほどである。
 彼は街路でまた彼女に会いはすまいかと思って、リュクサンブールを出た。
 彼はオデオンの回廊の下でクールフェーラックに行き会った。「いっしょに食事をしにこいよ、」と彼はクールフェーラックに言った。彼らはルーソーの家に行き、六フラン使い果たした。マリユスは鬼のようによく食べた。給仕にも六スー与えた。食後のお茶の時に、彼はクールフェーラックに言った。「君は新聞を読んだか。オードリ・ド・プュイラヴォーの演説は実にりっぱじゃないか。」
 彼はすっかり恋に取っつかれていた。
 食事をすますと、彼はクールフェーラックに言った。
「芝居をおごろう。」彼らはポルト・サン・マルタン座へ行って、アドレーの旅籠屋(はたごや)でフレデリックの演技を見た。マリユスはすてきにおもしろがった。
 同時に彼はまたひどく気が立っていた。芝居から出て、ひとりの小間物屋の女が溝(どぶ)をまたいでその靴下留めが見えたのを、頑固(がんこ)にふり返りもしなかった。「僕はああいう女をも喜んで採集するんだがな、」と言ったクールフェーラックの言葉に、彼はほとんど嫌悪(けんお)の念をいだいた。
 クールフェーラックは翌日、彼をヴォルテール珈琲(コーヒー)店に招いた。マリユスはそこに行って、前日よりもなおいっそうむさぼり食った。彼はすっかり考え込んでおり、またごく快活だった。機会あるごとにすぐに高笑いをしたがってるかのようだった。ひとりの田舎者(いなかもの)に紹介されるとそれを親しく抱擁した。学生の一団がテーブルのまわりに陣取っていた。国家がわざわざ金を出してソルボンヌ大学で切り売りさしてるばかげた講義のことを論じていたが、次にその談話は、多くの辞書やキシュラの韻律法などにある誤謬(ごびゅう)や欠陥のことに落ちていった。マリユスはその議論をさえぎって叫んだ。「それでも十字勲章をもらうのは悪くないぞ!」
「これはおかしい!」とクールフェーラックはジャン・プルーヴェールに低くささやいた。
「いや、」とジャン・プルーヴェールは答えた、「奴(やつ)はまじめなんだ。」
 実際それはまじめだった。マリユスは大なる情熱が起こってこようとする楽しいまた激烈な最初の時期に際会していた。
 ただ一度の目つきが、すべてそういう変化をもたらしたのである。
 火坑には既に火薬がつめられている時、火災の準備が既にでき上がっている時、それより簡単なことはない。一つの瞥見(べっけん)はすなわち口火である。
 事は既に終わった。マリユスはひとりの女に恋した。彼の運命は未知の世界にふみ込まんとしていた。
 婦人の一瞥(いちべつ)は、表面穏やかであるが実は恐るべきある種の歯車にも似ている。人は毎日平和に事もなくそのそばを通り過ぎ、何らの懸念も起こさない。ある時は、それが自分のそばにあることさえも忘れてしまっている。行き、きたり、夢想し、語り、笑っている。が突然とらえられたことを感ずる。その時はもはや万事終わりである。歯車は人を巻き込み、瞥見は人を捕える。どこからということなく、またいかにしてということなく、思いめぐらしてる思想の一端からでも、うっかりしてるすき間からでも、人を捕えてしまう。それは身の破滅である。全身引き込まれなければやまない。不可思議な力から鷲(わし)づかみにされる。身をもがいてもむだである。人間の力ではいかんともすることはできない。精神も幸福も未来も魂もすべてが、車の歯から歯へ、苦悶(くもん)から苦悶へ、懊悩(おうのう)から懊悩へと、陥ってゆく。そしてあるいは悪い女の力に支配されるか、あるいは気高い心の婦人に支配されるかに従って、人がその恐るべき機械から出て来る時には、あるいは汚辱によって面目を失っているか、あるいは情熱によって面目を一新しているかだけである。

     七 推察のままに任せらるるU文字の事件

 孤立、すべてからの分離、矜持(きょうじ)、独立、自然に対する趣味、日々の物質的活動の欠除、自分のうちに引きこもった生活、貞節な心のひそかな争闘、万物に対するやさしい恍惚(こうこつ)、などはついにマリユスをして情熱と呼ばるるところのものにとらえらるる素地をこしらえていた。父に対する崇拝の念はしだいに一つの信仰となり、あらゆる信仰と同じくそれも心の奥に引っ込んでしまっていた。そして今第一の正面に何物かが必要となっていた。そこに恋がきたのである。
 まる一月はかくて過ぎた。その間マリユスは毎日リュクサンブールの園に行った。その時間が来れば何物も彼を引き止めることはできなかった。「あいつは勤務中だ、」とクールフェーラックは言った。マリユスは歓喜のうちに日を過ごしていた。若い娘も彼の方に目をつけてることは確かだった。
 彼はついに大胆になって、あのベンチに近寄っていった。けれどももうその前を通ることをしなかった。一つは臆病(おくびょう)な本能からと、また一つには恋する者の注意深い本能からだった。「父親の注意」をひかない方がいい、と彼は思っていた。彼は深いマキアヴェリ式の権謀を用いて、彫像の台石や樹木の後ろに自分の地位を選び、そしてできるだけよく娘の方から見えるようにし、できるだけ老紳士の方からは見えないようにした。時とすると半時間も、レオニダスかスパルタクスか何かの像の陰にじっとたたずんで、手に書物を持ち、その書物から静かに目を上げて、美しい娘の方を見ようとすることもあった。すると彼女の方でもぼんやりした微笑を浮かべて、彼の方へかわいい横顔を向けた。白髪の老人とごく自然にまた静かに話をしながら、彼女はその処女らしいまた熱情のあふれた夢見るような目を、マリユスの上に据えるのだった。世界の最初の日からイヴが知っていた、また人生の最初からすべての女が知っている、古い太古からのやり方である。彼女の口はひとりの方へ返事をし、彼女の目つきはもひとりの方へ返事をしていた。
 けれども、ルブラン氏の方でもついに何事かに気づいたことは想像される。なぜなら、マリユスがやってゆくと、しばしば彼は立ち上がって歩き出した。彼はよくいつもの場所を離れ、道の他の端にあるグラディアトゥールの像のそばのベンチに腰掛け、あたかもそこまでマリユスがついて来るかを見ようとするがようだった。マリユスはその訳を了解せず、その失策をやってしまった。「父親」はしだいに不正確になり、もう毎日は「自分の娘」を連れてこなかった。時とするとひとりでやってきた。するとマリユスはそこに止まっていなかった。それがまたも一つの失策だった。
 マリユスはそういう徴候には少しも気を留めなかった。臆病な状態から、避くるを得ない自然の順序として、盲目の状態に陥っていった。彼の恋は募ってきた。毎夜その夢を見た。その上意外な幸福がやってきた。それは火に油を注ぐようなもので、また彼の目をいっそう盲目ならしむるものだった。ある日の午後、たそがれ頃に、「ルブラン氏とその娘」とが立ち去ったベンチの上に、彼は一つのハンカチを見いだした。刺繍(ししゅう)もないごくあっさりしたハンカチだったが、しかしまっ白で清らかで、言うべからざるかおりが発してるように思えた。彼は狂喜してそれを拾い取った。ハンカチにはU・Fという二字がついていた。マリユスはその美しい娘については何にも知るところがなかった、その家がらも名前も住所も知らなかった。そしてその二字は彼女についてつかみ得た最初のものだった。大事な頭文字で、彼はすぐその上に楼閣を築きはじめた。Uというのはきっと呼び名に違いなかった。彼は考えた、「ユルスュールかな、何といういい名だろう!」彼はそのハンカチに脣(くちびる)をつけ、それをかぎ、昼は胸の肌(はだ)につけ、夜は脣にあてて眠った。
「彼女の魂をこの中に感ずる!」と彼は叫んだ。
 しかるにそのハンカチは実は老紳士ので、たまたまポケットから落としたのだった。
 その拾い物の後はいつも、マリユスはそれに脣をつけ、それを胸に押しあてながら、リュクサンブールに姿を現わした。美しい娘はその訳がわからず、ひそかな身振りでそのことを彼に伝えた。
「何という貞節さだろう!」とマリエスは言った。

     八 老廃兵といえども幸福たり得る

 われわれは貞節という語を発したことであるし、また何事をも隠さないつもりであるから、「彼のユルスュール」は恍惚(こうこつ)のうちにあるマリユスにきわめてまじめな苦しみを与えたことが一度あるのを、ここに述べなければならない。それは彼女が、ルブラン氏を促してベンチを去り道を逍遙(しょうよう)した幾日かのうちの、ある日のことだった。晩春の強い風が吹いて篠懸(すずかけ)の木の梢(こずえ)を揺すっていた。父と娘とは互いに腕を組み合わして、マリユスのベンチの前を通り過ぎた。マリユスはそのあとに立ち上がり、その後ろ姿を見送った。彼の心は狂わんばかりで、自然にそういう態度をしたらしかった。
 何物よりも最も快活で、おそらく春の悪戯(いたずら)を役目としているらしい一陣の風が、突然吹いてきて、苗木栽培地(ペピニエール)から巻き上がり、道の上に吹きおろして、ヴィルギリウスの歌う泉の神やテオクリトスの歌う野の神にもふさわしいみごとな渦巻きの中に娘を包み込み、イシスの神の長衣よりいっそう神聖な彼女の長衣を巻き上げ、ほとんど靴下留(くつしたど)めの所までまくってしまった。何とも言えない美妙なかっこうの片脛(かたはぎ)が見えた。マリユスもそれを見た。彼は憤慨し立腹した。
 娘はひどく当惑した様子で急いで長衣を引き下げた。それでも彼の憤りは止まなかった。――その道には彼のほかだれもいなかったのは事実である。しかしいつもだれもいないとは限らない。もしだれかいたら! あんなことが考えられようか。彼女が今したようなことは思ってもいやなことである。――ああしかし、それも彼女の知ったことではない。罪あるのはただ一つ、風ばかりだ。けれども、シェリュバンの中にあるバルトロ的気質が(訳者注 フィガロの結婚中の人物で、前者は女に初心な謹厳な少年、後者は嫉妬深い後見人)ぼんやり動きかけていたマリユスは、どうしても不満ならざるを得ないで、彼女の影に対してまで嫉妬(しっと)を起こしていた。肉体に関する激しい異様な嫉妬の念が人の心のうちに目ざめ、不法にもひどく働きかけてくるのは、皆そういうふうにして初まるのである。その上、この嫉妬の念を外にしても、そのかわいらしい脛(はぎ)を見ることは、彼にとっては少しも快いことではなかった。偶然出会う何でもない婦人の白い靴下(くつした)を見せられる方が、彼にとってはまだしもいやでなかったろう。
「彼のユルスュール」は、道の向こうの端まで行き、ルブラン氏とともに引き返してきて、マリユスが再び腰をおろしていたベンチの前を通った。その時マリユスは気むずかしい荒い一瞥(いちべつ)を彼女に与えた。若い娘はちょっと身を後ろにそらせるようにし、それとともに眼瞼(まぶた)を上の方に上げた。「まあどうなすったのだろう!」という意味だった。
 それは彼らの「最初の争い」だった。
 マリユスが目の叱責(しっせき)を彼女に与え終わるか終わらないうちに、一人の男がその道に現われた。それは腰の曲がったしわだらけな白髪の老廃兵で、ルイ十五世式の軍服をつけ、兵士のサン・ルイ会員章たる、組み合わした剣のついてる小さな楕円形(だえんけい)の赤ラシャを胴につけ、その上、上衣の片袖(かたそで)には中に腕がなく、頤(あご)には銀髯(ぎんぜん)がはえ、一方の足は義足だった。マリユスはその男の非常に満足げな様子がそれと見て取らるるような気がした。またその皮肉な老人が自分のそばをびっこひいて通りながら、ごく親しい愉快そうな目配せをしたように思えた。あたかも偶然にふたりは心を通じ合って、いっしょに何かうまいことを味わったとでも、自分に伝えてるらしく彼には思えた。その剣の端くれの老耄(おいぼれ)めが、いったい何でそう満足げにしてるのか。奴(やつ)の義足と娘の脛(はぎ)との間に何の関係があるか。マリユスは嫉妬の発作に襲われた。「彼奴(あいつ)もいたんだろう。あれを見たに違いない!」と彼は自ら言った。そして彼はその老廃兵をなきものにしたいとまで思った。
 時がたつに従っていかなる尖端(きっさき)も鈍ってくる。「ユルスュール」に対するマリユスの憤りも、たとい正しいまた至当なものであったとしても、やがて過ぎ去ってしまった。彼はついにそれを許した。しかしそれには多大の努力を要し、三日の間というものは不平のうちに過ごした。
 とは言うものの、そんなことのあったにもかかわらず、またそんなことがあったために、彼の情熱はますます高まって狂わんばかりになった。

     九 日食

 彼女はユルスュールという名であることを、マリユスがいかにして発見したか、否発見したと思ったか、それは読者の既に見てきたところである。
 欲望は愛するにつれて起こってくる。彼女がユルスュールという名であることを知ったのは、既に大したことである、しかもまたきわめて些事(さじ)である。マリユスは三、四週間のうちにその幸福を食い尽してしまった。彼は新たに他の幸福を欲した。彼は彼女がどこに住んでるかが知りたくなった。
 彼はグラディアトゥールのベンチの策略に陥って、第一の失策を演じた。ルブラン氏がひとりで来る時にはリュクサンブールの園に止まることをしないで、第二の失策を演じた。それからまた第三の失策をやった。それは非常な失策だった。彼は「ユルスュール」のあとをつけたのである。
 彼女はウエスト街の最も人通りの少ない場所に住んでいた。見たところ質素な、四階建ての新しい家だった。
 それ以来マリユスは、リュクサンブールで彼女に会うという幸福に加えて、彼女のあとにその家までついてゆくという幸福を得た。
 彼の渇望は増していった。彼女の名前を、少なくともその幼名、かわいい名、本当の女らしい名を、彼は知っていた。彼女の住居をも知った。そしてこんどは、どういう身分であるかを知りたくなった。
 ある日の夕方、その家までふたりのあとについて行った時、ふたりの姿が正門から見えなくなった時、彼は続いてはいって行き、勇敢にも門番に尋ねた。
「今帰っていった人は、二階におらるる方ですか。」
「いいえ、」門番は答えた、「四階にいる人です。」
 それでまた一歩進んだわけである。そしてその成功はマリユスを大胆ならしめた。
「表に向いてる室(へや)ですか。」と彼は尋ねた。
「えー!」と門番は言った、「人の家というものは皆往来に向けて建ててあるものですよ。」
「そしてあの人はどういう身分の人ですか。」とマリユスはまた尋ねた。
「年金があるんです。ずいぶん親切な人で、大した金持ちというのではないが、困る者にはよく世話をして下さるんです。」
「名前は何というんですか。」とマリユスはまたきいた。
 門番は頭を上げて、そして言った。
「あなたは探偵(たんてい)ですか?」
 マリユスはかなり当惑したがしかし非常に喜んで立ち去った。だいぶ歩を進めたわけである。
「しめた、」と彼は考えた、「ユルスュールという名前であることもわかったし、年金を持ってる者の娘であることもわかったし、あのウエスト街の四階に住んでいることもわかった。」
 その翌日、ルブラン氏と娘とは、わずかな間しかリュクサンブールに止まっていなかった。まだ日の高いうちに立ち去ってしまった。マリユスはいつものとおりウエスト街まで彼らのあとについて行った。正門の所へ行くと、ルブラン氏は娘を先に中へ入れて、その門をくぐる前に立ち止まり、ふり返ってマリユスをじっとながめた。
 次の日、彼らはリュクサンブールにこなかった。マリユスは一日待ちぼけをくった。
 晩になって、彼はウエスト街に行き、四階の窓に燈火(あかり)がさしてるのを見た。彼はその燈火が消えるまで窓の下をうろついた。
 その次の日、リュクサンブールへはふたりともこなかった。マリユスは終日待っていて、それからまた窓の下の夜の立ち番をした。それが十時までかかった。夕食は時と場合に任した。熱は病人を養い、恋は恋人を養う。
 彼はそういうふうにして一週間を過ごした。ルブラン氏と娘とはもうリュクサンブールに姿を見せなくなった。マリユスは種々悲しい推察をした。昼間正門の所で待ち伏せすることはなしかねた。晩に出かけて行って、窓ガラスにさしてる赤い光をながめることだけで満足した。時とするとその窓に人影がさして、それを見る彼の胸は激しく動悸(どうき)した。
 八日目、彼が窓の下にやって行った時、そこには光が見えなかった。彼は言った。「おや、まだランプがついていない。でももう夜だ。どこへか出かけたのかしら。」彼は待ってみた。十時まで、十二時まで、ついに夜中の一時になった。四階の窓には何の光もささず、また家の中にだれもはいってゆく者もなかった。彼はひどく沈みきって立ち去った。
 翌日――彼はただ、明日は明日はと暮らしていて、言わば、彼にとっては今日というものはなかったのである――翌日、彼はまたリュクサンブールで彼らのいずれをも見かけなかった。恐れていたとおりだった。薄暗くなってからその家の前へ行った。窓には何の光もなかった。鎧戸(よろいど)がしめてあった。四階はまっ暗だった。
 マリユスは正門をたたき、はいって行って、門番に言った。
「四階の人は?」
「引っ越しました。」と門番は答えた。
 マリユスはよろめいた。そして弱々しく言った。
「いったいいつですか。」
「昨日です。」
「今どこに住んでいられますか。」
「一向知りません。」
「ではこんどの住所を知らして行かれなかったんですか。」
「そうです。」
 そして門番は頭を上げて、マリユスに気づいた。
「やああなたですか。」と彼は言った。「それじゃあなたはやはり警察の方ですね。」
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   第七編 パトロン・ミネット



     一 鉱坑と坑夫

 人間のあらゆる社会は皆、劇場でいわゆる奈落なるものを有している。社会の地面は至る所発掘されている。あるいは善を掘り出さんがために、あるいは悪を掘り出さんがために。そしてそれらの仕事は互いに積み重なっている。そこには上方の鉱坑もあれば、下方の鉱坑もある。そういう薄暗い地下坑は、時として文明の下に影を没し、また無関心で不注意なるわれわれによって足下に蹂躙(じゅうりん)さるることもあるが、それ自身に上部と下部とをそなえている。十八世紀におけるフランスの百科辞典は、やはりその一つの坑であって、ほとんど地上に現われてるものであった。初代キリスト教をひそかにはぐくんでいたあの暗黒は、やがてローマ皇帝の下に爆発して光明をもって人類を満たさんがためには、ただ一つの機会を要するのみだった。聖なる暗黒のうちには、実に潜在せる光明があったのである。火山が蔵する影のうちには、やがて炎々と輝き出すべき可能性がある。熔岩(ようがん)もすべてその初めは暗黒である。最初の弥撒(ミサ)が唱えられた瑩窟(えいくつ)は、単にローマの一洞窟(どうくつ)だったのである。
 社会の組織の下には、驚くべく複雑な廃墟(はいきょ)が、あらゆる種類の発掘が存している。宗教の坑があり、哲学の坑があり、政治の坑があり、経済の坑があり、革命の坑がある。あるいは思想の鶴嘴(つるはし)、あるいは数字の鶴嘴、あるいは憤怒の鶴嘴。一つの瑩窟(えいくつ)から他の瑩窟へと、人々は呼びかわし答え合う。あらゆる理想郷は、それらの坑によって地下をへめぐる。四方に枝を伸ばしてゆく。あるいは互いに出会って親交を結ぶ。ジャン・ジャック・ルーソーはおのれの鶴嘴をディオゲネスに貸し、ディオゲネスは彼におのれの提灯(ちょうちん)を貸す。あるいはまた互いに争闘する。カルヴィンはソチニの頭髪をつかむ。しかしながら、それらの力が一つの目的に向かって進むのを、何物も止め妨ぐることはできない。暗黒の中を往来し上下して、おもむろに上層と下層とを置き換え外部と内部とを交代せしむる、その広汎(こうはん)なる一斉の活動を、何物も止め妨ぐることはできない。それは隠れたる広大なる蠢動(しゅんどう)である。しかし社会は、表面をそのままにして内臓を変化せしめつつあるその発掘に、ほとんど気づかないでいる。そして地下の層が数多いだけに、その仕事も雑多であり、その採掘も種々である。けれどそれらの深い開鑿(かいさく)からいったい何が出て来るのか。曰(いわ)く、未来が。
 地下深く下れば下るほど、その労働者は不可思議なものとなる。社会哲学者らが見て取り得る第一層までは、仕事は善良なものである。しかしその一層を越せば、仕事も曖昧雑駁(あいまいざっぱく)なものとなり、更に下に下れば恐るべきものとなる。ある深さに及べば、もはや文明の精神をもってしては入り得ない坑となる。そこはもはや、人間の呼吸し得べき範囲を越えた所で、それより先に怪物の棲居(すまい)となるべきものである。
 下に導く段階はまた不思議なものである。その各段は、哲学の立脚し得る各段であって、そこには、あるいは聖なるあるいは畸形(きけい)なる種々の労働者がひとりずつおる。ヨハン・フスの下にルーテルがおり、ルーテルの下にデカルトがおり、デカルトの下にヴォルテールがおり、ヴォルテールの下にコンドルセーがおり、コンドルセーの下にロベスピエールがおり、ロベスピエールの下にマラーがおり、マラーの下にバブーフがおる。そういうふうにして続いてゆく。更に下の方に、目に見えるものと見えないものとの境界の所には、他のほの暗い人影がおぼろに認められる。それはおそらく、いまだこの世に存しない人々であろう。昨日の人は今は幽鬼であるが、明日の人は今はまだ浮遊のものである。精神の目のみがそれらを漠然(ばくぜん)と認め得るのである。まだ生まれざる未来の仕事は、哲学者の幻像の一つである。
 胎児の状態にある陰府(よみ)の中の世界、何という異常な幻であるか!
 サン・シモン、オーエン、フーリエなどもまたその側面坑の中におる。
 それら地下の開鑿者(かいさくしゃ)らは皆、自ら知らずしてある目に見えない聖なる鎖に結ばれていて、各自孤立していはしないが、多くは常に自ら孤独であると考えている。そして実際、彼らの仕事は種々であり、ある者の光明とある者の炎とが互いに矛盾することもある。ある者は楽しく、ある者は悲壮である。けれども、その相違のいかんにかかわらず、それらの労働者らは皆、最高のものから最低のものに至るまで、最賢のものから最愚のものに至るまで、一つの類似点を持っている。すなわち無私ということを。マラーもイエスと同じくおのれを忘れている。彼らは皆おのれを捨て、おのれを脱却し、おのれのことを考えていない。彼らは自己以外のものを見ている。彼らは一の目を有している。その目はすなわち絶対なるものをさがし求めている。最高の者は一眸(いちぼう)のうちに天をすべて収めている。最下の者も、いかにいまだ空漠たろうとも、なおその眉目(びもく)の下に無窮なるもののかすかな輝きを持っている。そのなすところが何であろうとも、かかる標(しるし)を、星の瞳(ひとみ)を、有している者ならば、すべて皆尊むべきではないか。
 影の瞳はまた他の標である。
 そういう瞳より悪が始まる。目に光なき者こそは、注意すべき恐るべき者である。社会のうちには、暗黒なる坑夫もいる。
 発掘はやがて埋没となり、光明もやがて消えうせるような地点が、世にはあるものである。
 以上述べきたった鉱坑の下に、それらの坑道の下に、進歩と理想郷とのその広大なる地下の血脈系の下に、はるか地下深くに、マラーより下、バブーフより下、更に下、はるか遠く下に、上方の段階とは何らの関係もない所に、最後の坑道がある。恐るべき場所である。われわれが奈落(ならく)と呼んだのはすなわちそれである。それは暗黒の墓穴であり、盲目の洞穴である。どん底である。
 そこは地獄と通じている。

     二 どん底

 このどん底においては無私は消滅する。悪魔は漠然(ばくぜん)と姿を現わし、人は自己のことのみを考えている。盲目の自我が、咆(ほ)え、漁(あさ)り、模索し、かみつく。社会のウゴリノがこの深淵(しんえん)のうちにおる(訳者注 ウゴリノとは飢の塔のうちに幽閉されて餓死せる子供らの頭を咬める人――ダンテの神曲)。
 その墓穴の中にさまよってる荒々しい人影は、ほとんど獣類ともまたは幽鬼とも称すべきものであって、世の進歩なるものを念頭にかけず、思想をも文字をも知らず、ただおのれ一個の欲望の満足をしか計っていない。彼らはほとんど何らの自覚も持たず、心の中には一種の恐るべき虚無を蔵している。ふたりの母を持っているが、いずれも残忍なる継母であって、すなわち無知と困窮とである。また嚮導者(きょうどうしゃ)としては欠乏を持っている。そしてそのあらゆる満足はただ欲情を満たすことである。彼らは恐ろしく貪慾(どんよく)である。換言すれば獰猛(どうもう)である、しかも暴君のごとくにではなく、猛虎(もうこ)のごとくに。それらの悪鬼は、難渋より罪悪に陥ってゆく。しかもそれは必然の経過であり、恐るべき変化であり、暗黒の論理的帰結である。社会の奈落(ならく)にはい回ってるものは、もはや絶対なるものに対する痛切な要求の声ではなく、物質に対する反抗の念である。そこにおいて人は竜(ドラゴン)となる。飢渇がその出発点であり、サタンとなることがその到達点である。そういう洞穴(どうけつ)から凶賊ラスネールが現われて来る。
 われわれは前に第四編において、上層の鉱区の一つ、すなわち政治的革命的哲学的の大坑道の一つを見てきた。既に述べたとおりそこにおいては、すべてが気高く、純潔で、品位あり、正直である。そこにおいても確かに、人は誤謬(ごびゅう)に陥ることがあり、また実際陥ってもいる。しかし壮烈さを含む間はその誤謬も尊むべきである。そこでなさるる仕事の全体は、進歩という一つの名前を持っている。
 今や他の深淵(しんえん)、恐るべき深淵を、のぞくべき時となった。
 われわれはあえて力説するが、社会の下には罪悪の大洞窟(だいどうくつ)が存している。そして無知が消滅する日まではそれはなお存するであろう。
 この洞窟は、すべてのものの下にあり、すべてのものの敵である。いっさいに対する憎悪である。この洞窟はかつて哲学者を知らず、その剣はかつてペンに鋳つぶされたことがない。その黒色はインキ壺(つぼ)の崇高なる黒色と何らかの関係を有したことがない。その息づまるばかりの天井の下に痙攣(けいれん)する暗黒の指は、かつて書物をひもとき新聞をひらいたことがない。バブーフも強賊カルトゥーシュに比すればひとりの探検家であり、マラーも凶漢シンデルハンネスに比すればひとりの貴族である。この洞窟(どうくつ)はいっさいのものの転覆を目的としている。
 しかりいっさいのものの。そのうちには、彼がのろう上層の坑道も含まれる。彼はその厭悪(えんお)すべき蠢動(しゅんどう)のうちに、啻(ただ)に現在の社会制度を掘り返すのみでなく、なお哲学をも、科学をも、法律をも、人類の思想をも、文明をも、革命をも、進歩をも、すべてを掘り返す。その名は単に窃盗、売笑、殺戮(さつりく)、刺殺である。彼は暗黒であり、混沌(こんとん)を欲する。彼をおおう屋根は無知で作られてある。
 他のすべてのもの、上層のすべての洞窟は、ただ一つの目的をしか有しない、すなわちこの洞窟を除去することである。哲学や進歩が、同時にその全器官をそろえて、現実の改善ならびに絶対なるものの静観によって、到達せんと目ざす所は実にこの一事にある。無知の洞窟を破壊するは、やがて罪悪の巣窟を破壊することである。
 以上述べきたったところの一部を数言につづめてみよう。曰く、社会の唯一の危険は暗黒にある。
 人類はただ一つである。人はすべて同じ土でできている。少なくともこの世にあっては、天より定められた運命のうちには何らの相違もない。過去には同じやみ、現世には同じ肉、未来には同じ塵(ちり)。しかしながら、人を作る捏粉(ねりこ)に無知が交じればそれを黒くする。その不治の黒色は、人の内心にしみ込み、そこにおいて悪となる。

     三 バベ、グールメル、クラクズー、およびモンパルナス

 クラクズーにグールメルにバベにモンパルナスという四人組みの悪漢が、一八三〇年から一八三五年まで、パリーの奈落(ならく)を支配していた。
 グールメルは、あたかも失脚したヘラクレス神のような男だった。その巣をアルシュ・マリオンの下水道に構えていた。身長六尺、大理石のような胸郭、青銅のような腕、洞穴(どうけつ)から出るような呼吸、巨人のような胴体、小鳥のような頭蓋(ずがい)。あたかもファルネーゼのヘラクレス神の像が、小倉のズボンと綿ビロードの上衣をつけた形である。そういう彫刻的な体躯(たいく)をそなえたグールメルは、怪物をも取りひしぎ得たであろうが、自ら怪物となることはなお容易であった。低い前額、広い顳□(こめかみ)、年齢四十足らずで目尻(めじり)には皺(しわ)が寄り、荒く短い頭髪、毛むくじゃらの頬(ほお)、猪(いのしし)のような髯(ひげ)、それだけでもおよそその人物が想像さるるだろう。彼の筋肉は労働を求めていたが、彼の暗愚はそれをきらっていた。まったく怠惰な強力にすぎなかった。うかとした機会でも人を殺すことができた。植民地生まれの男だと一般に思われていた。一八一五年にアヴィニョンで運搬夫となっていたことがあるので、ブリューヌ元帥(訳者注 一八一五年アヴィニョンにて暗殺され河中に投ぜられし人)にもいくらか手をつけたことがあるに違いない。その後運搬夫をやめて悪漢となったのである。
 バベの小柄なのは、グールメルの粗大と対照をなしていた。バベはやせており、また物知りだった。身体は薄いが、心は中々見透かし難かった。その骨を通して日の光は見られたが、その瞳(ひとみ)を通しては何物も見られなかった。彼は自ら化学者だと言っていた。ボベーシュの仲間にはいって道化役者となり、またボビノの仲間にはいって滑稽家(こっけいか)となっていたこともある。サン・ミイエルでは喜劇を演じたこともある。気取りやで、話し上手で、大げさにほほえみ、大げさに身振りをした。「国の首領」の石膏像(せっこうぞう)や肖像を往来で売るのを商売にしていた。それからまた歯抜きもやった。市場(いちば)で種々な手品を使ってみせた。一つの屋台店を持っていたが、それにラッパと次の掲示とをつけていた。――諸アカデミー会員歯科医バベ、金属および類金属に関し物理的実験を試み、歯を抜き、同業者の手の及ばざる歯根の治療をなす。価、歯一本一フラン五十サンチーム、二本二フラン、三本三フラン五十サンチーム、好機を利用せよ。――(この「好機を利用せよ」というのは、「でき得る限り歯を抜くべし」という意味であった。)彼は妻帯して子供を持っていた。しかし妻も子供らもその後どうなったか自ら知らなかった。ハンケチでも捨てるように彼らを捨ててしまったのである。新聞を読むことができたが、それはその暗黒な社会での一異彩だった。ある日、まだその屋台店のうちに家族をいっしょに引き連れていた頃、メッサジェー紙上で、ある女が牛のような顔をした子を生んだが子供も丈夫にしているということを読んで、彼は叫んだ。「これは金儲(もう)けになる! だが俺(おれ)の女房はそんな子供を設けてくれるだけの知恵もねえんだからな。」
 それから後、彼はすべてをよして「パリーに手をつけ」初めた。これは彼自身の言葉である。
 クラクズーとは何であったか。暗夜そのものであった。彼は空が黒く塗られるのを待って姿を現わした。夜になると穴から出てきたが、夜が明けないうちにまたそこへ引っ込んでいった。その穴はどこにあるか、だれも知ってる者はなかった。まっくらな中ででも、仲間の者にまで背中を向けて口をきいた。そしてクラクズーというのも彼の実際の名前ではなかった。彼は言っていた、「俺(おれ)はパ・デュ・トゥー(皆無)というんだ。」もし蝋燭(ろうそく)の光でもさそうものなら、すぐに仮面をかぶった。彼はこわいろ使いだった。バベはよく言った、「クラクズーは二色の声を持ってる夜の鳥だ。」彼は朦朧(もうろう)とした恐ろしい、ぶらつき回ってる男だった。クラクズーというのは綽名(あだな)であって、果たして何か名前を持ってるかさえもわからなかった。口よりも腹から声を出すことが多いので、果たして声というものを持ってるかさえもわからなかった。だれもその仮面をしか見たことがないので、果たして顔を持ってるかさえもわからなかった。幻のように彼は忽然(こつぜん)と姿を消した。出て来る時も、まるで地面から飛び出してくるかと思われるほどだった。
 痛ましい者と言えばおそらくモンパルナスであったろう。まだ少年で、二十歳にも満たず、きれいな顔、桜桃(さくらんぼう)にも似た脣(くちびる)、みごとなまっ黒い頭髪、目に宿ってる春のような輝き、しかもあらゆる悪徳にしみ、あらゆる罪悪を望んでいた。悪を消化しつくしたので、更にひどい悪を渇望していた。浮浪少年から無頼漢となり、無頼漢から強盗と変じたのである。やさしく、女らしく、品があり、頑健(がんけん)で、しなやかで、かつ獰猛(どうもう)だった。一八二九年のスタイルどおりに、帽子の左の縁を上げて髪の毛を少し見せていた。強盗をして生活していた。そのフロック型の上衣は上等の仕立てではあったが、まったくすり切れていた。彼は困窮のうちに沈み殺害をも犯しつつしかもめかしやであった。この青年のあらゆる罪悪の原因は、美服をまといたいという欲望だった。「お前さんはきれいね、」と彼に言ったある一人の浮わ気女工は、彼の心のうちに一点の暗黒を投じ、そのアベルをしてカインたらしめたのである。自分のきれいであることを知って、彼は更に優美ならんことを欲した。しかるに第一の優美は怠惰である。そして貧しい者の怠惰はすなわち罪悪である。いかなる浮浪の徒も、モンパルナスくらいに人に恐れられていた者はあまりない。十八歳にして彼は既に後に数多の死屍(しかばね)を残していた。この悪漢のために、両腕をひろげ顔を血にまみらしてたおれた通行人も、一、二に止まらない。縮らした頭髪、ぬりつけた香油、きちっとした上衣、女のような腰つき、プロシャの将校のような上半身、周囲に起こる町娘らの賛美のささやき、気取った結び方をした襟飾(えりかざ)り、ポケットの中にしのばした棍棒(こんぼう)、ボタンの穴にさした一輪の花、そういうのがこの人殺しの洒落者(しゃれもの)の姿であった。

     四 仲間の組織

 それら四人組みの悪党は、プロテウスの神のように自由に姿を変え、警察の網の目をぬけてはい回り、「樹木や炎や泉など種々の姿となって」名探偵(めいたんてい)ヴィドックの容赦なき目をものがれんとつとめ、互いに名前や詐術を貸し合い、自身の暗黒のうちに潜み、秘密な穴にのがれ、互いに隠し合い、仮装舞踏会でつけ鼻を取り去るようにすぐにありさまを変え、あるいは四人がひとりであるかのように見せかけ、あるいは名警官ココ・ラクールでさえも四人を一群の者であると誤るほど巧みに大勢に見せかけた。
 それら四人の者は、実は四人ではなかったのである。パリーで大仕掛けに仕事をしてる四つの頭を持った一個の不可思議な盗賊であった。社会の窖(あなぐら)に住む恐るべき悪の水※(すいし)[#「虫+息」、607-14]であった。
 その分岐とその網目のような下層の脈絡とによって、バベとグールメルとクラクズーとモンパルナスとの四人は、広くセーヌ県内の闇撃(やみうち)を一手に引き受けていた。彼らは通行人に対して、下層からのクーデターを行なった。この種の仕事を考えついた者、夜の仕事を思いついた者は、皆その実行を彼らにはかった。四人の悪漢は草案を供給さるればそれをうまく舞台に上せた。彼らはその筋書きに従って仕事をした。彼らはいつも、何か肩を貸す必要がありまた相当に利益のある悪事には、それに相応した適当な人員を貸してやることもできた。力ずくの仕事には共犯人を呼び集めることもできた。一群の暗闇(くらやみ)の役者を持っていて、社会の底のあらゆる悲劇に自由に使っていた。
 通常夕方に彼らは起き上がって、サルペートリエール救済院の近くの野原で会合した。そしてそこで種々相談をこらした。それから十二時間の夜の間は彼らのもので、それをいかに使うべきかを定めた。
 パトロン・ミネット、というのがどん底の社会でこの四人組みの仲間に与えられてる名前だった。日々に消えうせつつある古い不思議な俗語では、パトロン・ミネット(子猫親方)というのは朝の意味であって、犬と狼との間というのが夕の意味であるのと同じである。このパトロン・ミネットという呼び名は、おそらく彼らの仕事が終わる時刻からきたものであろう。夜明けは幽霊は消えうせ盗賊が分散する時なのである。四人の者はそういう異名で知られていた。重要裁判長がかつて、ラスネールをその獄屋に見舞って、彼が否認してる罪悪を尋問したことがある。「ではだれがそれをしたのだ。」と裁判長は尋ねた。するとラスネールは、司法官にとっては謎(なぞ)にすぎないが警察にとっては明らかにわかる次の答えをした。「たぶんパトロン・ミネットでしょう。」
 ある場合には、登場人物の名前だけを見てその芝居のいかなるものであるかが察せられる。それと同じく、賊徒の名前だけを見てその一群がいかなるものであるか推察されることがある。でパトロン・ミネットの重なる手下がいかなる呼び名を持っていたかを次にあげてみよう。それらの名前はみんな特殊の記録の中に出ているものである。

パンショー、別名プランタニエ、別名ビグルナイユ。
ブリュジョン(ブルジョンの一系統があった。これについてはあとで一言する。)
ブーラトリュエル、前にちょっと述べたことのある道路工夫。
ラヴーヴ。
フィニステール。
オメール・オギュ、黒人。
マルディソアール。
デペーシュ。
フォーントルロア、別名ブークティエール。
グロリユー、放免囚徒。
バールカロス、別名デュポン氏。
レスプラナード・デュ・スュド。
プーサグリーヴ。
カルマニョレ。
クリュイドニエ、別名ビザロ。
マンジュダンテル。
レ・ピエ・ザン・レール。
ドゥミ・リアール、別名ドゥー・ミルアール。
その他

 他は略すとしよう。それらは最悪の者ではないから。そして上に述べたような名前は皆それぞれ特殊な相貌(そうぼう)を持っている。そしてそれも単に個人を現わすのみではなく、その種類を代表しているものである。それらの名前は各、文明の下層に生ずる醜い菌の各種類に相当するものである。
 これらの者は、めったに顔を明るみにさらすことをしないので、往来で普通行き会うような人のうちにはいなかった。昼になると、夜の荒々しい仕事に疲れて眠りに行った。あるいは石灰窯(せきたんがま)[#ルビの「せきたんがま」はママ]の中に、あるいはモンマルトルやモンルージュのすたれた石坑の中に、時としては下水道の中に。彼らは地の中にもぐり込んでいた。
 その後そういう者らはどうなったか? 彼らはやはり存在している。彼らは常に存在していたのである。ホラチウスもその事を語っている、「娼婦、薬売、乞食、道化役者。」そして社会が現状のままである間は、彼らもやはり現状のままでいるだろう。その窖(あなぐら)の薄暗い天井の下に、彼らは絶えず社会の下漏(したもれ)から生まれ出て来る。常に同じような妖怪となって現われて来る。ただ彼らの名前と外皮とのみが異なるばかりである。
 個人は消滅するが、その種族は存続する。
 彼らは常に同じ能力を持っている。乞食(こじき)から浮浪人に至るまで、種族はその純一性を保っている。彼らはポケットの中の金入れを察知し、内隠しの中の時計をかぎつける。金や銀は彼らに一種のにおいを放つ。また盗まれたそうな様子をしている人のいい市民もいる。そういう市民を彼らは根気よくつけ回す。外国人や田舎者(いなかもの)が通るのを見れば、彼らは蜘蛛(くも)のように身を震わす。
 ま夜中の頃、人なき街路で、彼らに出会いまたはその影を見る時、人は慄然(りつぜん)とする。彼らは人間とは思われない。生ある靄(もや)でできてるかのような姿をしている。あたかも彼らは常に闇(やみ)と一体をなしており、やみと見分けがつかず、影以外に何らの魂をも持たないかのようである。そして彼らが夜陰から脱け出してくるのはただ一瞬時の間のみであって、しばし恐るべき生命に生きんがためのみであるかのように思われる。
 そういう悪鬼を消散させんには、何が必要であるか。光明である。漲溢(ちょういつ)せる光明である。曙(あけぼの)の光に対抗し得る蝙蝠(こうもり)は一つもない。どん底から社会を照らすべきである。
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   第八編 邪悪なる貧民



     一 マリユスひとりの娘をさがしつつある男に会う

 夏は過ぎ、秋も過ぎて、冬となった。ルブラン氏も若い娘もリュクサンブールの園に姿を見せなかった。マリユスはただ、あのやさしい美しい顔をも一度見たいとのみ念じていた。彼は絶えずさがしていた。至る所をさがし回った。しかしその影をも見い出すことはできなかった。マリユスはもはや心酔せる夢想家でもなく、決然たる熱烈な確乎(かっこ)たる男でもなく、大胆に運命を切り開かんとする者でもなく、未来の上に未来をつみ重ねて夢みる頭脳でもなく、方案や計画や矜持(きょうじ)や思想や意志に満てる若き精神でもなかった。彼は実に迷える犬であった。彼は暗い悲しみに陥った。もはや万事終わったのである。仕事もいやになり、散歩にも疲れ、孤独にもあきはてた。広漠(こうばく)たる自然も昔は、種々の姿や光や声や忠言や遠景や地平や教訓に満ち満ちていたが、今はもう彼の前にむなしく横たわってるのみだった。すべてが消えうせたように彼には思えた。
 彼は常に思索を事としていた。なぜなら他に仕方もなかったからである。しかし彼はもはや自分の思想にも心楽しまなかった。思想が絶えず声低く提議してくることに対してひそかにこう答えた、「それが何の役に立つか。」
 彼は幾度となくおのれを責めた。なぜ自分は彼女の跡をつけたか。彼女を見るだけで既に幸福ではなかったか。彼女も自分の方を見ていた。それだけでも既に至上のことではなかったか。彼女も自分を愛しているらしかった。それでもう十分ではなかったか。自分はいったい何を得ようと欲したのか。それだけでたくさんではなかったか。自分は道にはずれていた。自分は誤っていた……。その他いろいろ自ら責めた。マリユスの性質としてそれらのことは少しもうち明けなかったが、クールフェーラックはやはりその性質上すべてをだいたいさとった。そして初めは、マリユスが恋に陥ったのを意外に感じながらも、それを祝していた。それからマリユスが憂鬱(ゆううつ)に沈み込んだのを見て、ついにこう彼に言った。「君はまったくまずかったんだ。まあちとショーミエールにでも遊びにこいよ。」
 一度、九月の晴れた日にそそのかされて、マリユスはクールフェーラックとボシュエとグランテールとが誘うままに、ソーの舞踏を見に行った。まことに夢のような話ではあるが、そこであるいは彼女に会うかも知れないと思ったのである。がもとよりさがしてる女は見当たらなかった。「だがいったい、見失った女は大概ここで見つかるものだがな、」とグランテールは横を向いてつぶやいた。マリユスは仲間をそこに残して、ひとりで歩いて帰って行った。彼はすべてが懶(ものう)く、熱に浮かされ、乱れた悲しい目つきを暗夜のうちに据え、宴楽の帰りのにぎやかな連中を乗せてそばを通りすぎてゆく楽しい馬車の響きとほこりとに脅かされ、意気消沈して、頭をはっきりさせるために途上の胡桃(くるみ)の木立ちのかおりを胸深く吸い込みながら、家に帰っていった。
 彼はしだいに深く孤独の生活にはいってゆき、心乱れ気力を失い、内心の苦悶に身を投げ出し、罠(わな)にかかった狼(おおかみ)のように苦しみの中をもがき回り、姿を消した彼女を至る所にさがし求め、まったく恋のためにぼけてしまった。
 一度ある時、妙な人に出会って、彼は不思議な感に打たれた。アンヴァリード大通りのそばの小さな裏通りで、一人の男と行き会ったのである。その男は労働者のような服装をして、長い庇(ひさし)のついた無縁帽(ふちなしぼう)をかぶっていたが、その下からまっ白い髪の毛が少し見えていた。マリユスはその白髪の美しさに心ひかれて、その男をじっとながめてみた。男はゆっくり歩いていて、何か苦しい瞑想(めいそう)にふけってるようだった。そして妙なことには、マリユスはまったくルブラン氏を見るような気がした。同じ頭髪、帽子の下から見えてる限りでは同じ横顔、同じ歩きかた、そしてただ少し寂しすぎる点が違ってるだけだった。しかしルブラン氏が、どうして労働者の服をつけてるのだろう、どういう訳だろう、その仮装は何の意味だろう? マリユスは少なからず驚いた。それから彼はようやく我に返って、第一にその男の跡をつけてみようとした。あるいはさがしてる糸口をついに見いだしたのかも知れない。いずれにしても、も一度その男を近くからながめ、謎(なぞ)を解かなければならない。そう彼は考えついたが、もう時がおくれていた。男はもはやそこにいなかった。ある狭い横町に曲がったのであろう。マリユスはもうその姿を見いだすことができなかった。そしてこの遭遇は、数日間彼の頭を占めていたが、そのうちに消えうせてしまった。彼は自ら言った、「結局、他人の空似(そらに)に過ぎなかったのだろう。」

     二 拾い物

 マリユスはなお続けてゴルボー屋敷に住んでいた。そしてそこのだれにも気をつけていなかった。
 実際その頃、ゴルボー屋敷には彼とジョンドレットの一家だけしか住んでいなかった。彼はジョンドレットの負債を一度払ってやったことがあるが、その父にも母にも娘らにもかつて口をきいたことはなかった。他の借家人らは、引っ越したか、死んだか、または金を払わないので追い出されるかしてしまっていた。
 その冬のある日、太陽は午後になって少し現われたが、それも二月の二日、すなわち古い聖燭節の日であった。このちょっと姿を現わした太陽は、やがて六週間の大寒を示すものであって、あのマティユー・レンスベルグが次の古典的な二行の句を得たのもそれからである。

日をして輝き閃(ひらめ)かしめよ、
さあれ熊(くま)は洞穴(どうけつ)に帰るなり。

 マリユスは外に出かけた。夜のやみが落ちようとしていた。ちょうど夕食の時間だった。いかに美しい愛に心奪われていても、悲しいかな食事はしなければならない。
 彼は家の戸口をまたいで外へ出た。ちょうどその時、ブーゴン婆さんは戸口を掃除(そうじ)しながら、次のおもしろい独語をもらしていた。
「この節は安い物と言って何があろう? みんな高い。安い物はただ世間の難渋だけだ。難渋だけは金を出さないでもやって来る。」
 マリユスはサン・ジャック街へ行こうと思って、市門の方へ大通りをゆるゆる歩いて行った。頭をたれて物思いに沈みながら歩いていた。
 突然彼は、薄暗がりの中にだれかから押しのけられるのを感じた。ふり返ると、ぼろを着たふたりの若い娘だった。ひとりは背が高くてやせており、ひとりはそれより少し背が低かったが、ふたりとも物におびえ息を切らして、逃げるように大急ぎで通っていった。ふたりはマリユスに気づかず、出会頭(であいがしら)に彼につき当たったのだった。薄ら明りにすかして見ると、ふたりは色青ざめ、髪をふり乱し、きたない帽子をかぶり、裳(も)は破れ裂け、足には何もはいてなかった。駆けながら互いに口をきいていた。大きい方がごく低い声で言った。
「いぬがきたのよ。もちっとであげられるところだった。」
 もひとりのが答えた。「私ははっきり見たわ。でただもう一目散よ。」
 マリユスはその変な言葉でおおよそさとった。憲兵か巡査かがそのふたりの娘を捕えそこなったものらしい、そしてふたりはうまく逃げのびてきたものらしい。
 ふたりは彼の後ろの並み木の下にはいり込み、暗闇(くらやみ)の中にしばらくはほの白く見えていたが、やがて消え失せてしまった。
 マリユスはしばらくたたずんでいた。
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