レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

「私の方でもちょうど、」とフォーシュルヴァンは内心に恐れながらも思い切って言った、「長老様に少々申し上げたいことがございます。」
 院長は彼をじっと見た。
「ああ何か私の耳に入れたいことがあるんですか。」
「お願いがございますので。」
「では、話してごらんなさい。」
 もと公証人書記をやった朴訥(ぼくとつ)なフォーシュルヴァンは、物に動じない百姓とでも言うべき人物だった。一種の巧妙な無知というものは一つの力である。だれもそれに用心をしないで、かえってそれにいたされる。修道院に住むようになってから二年以上の間、フォーシュルヴァンは会衆の間にはなはだうまく立ちまわった。いつも一人で、庭の仕事を片付けながら、彼はただ好奇の目を見張ることばかりをしていた。行き来する面紗(かおぎぬ)をかけた女たちから遠くに離れていたので、彼はほとんど自分の前には影が動き回るのを見るだけだった。けれども注意と烱眼(けいがん)とをもって、彼はついにそれらの幽霊に肉を与え、それらの生きながらの死人をよみがえらすに至った。彼はあたかも、聾のために目が鋭くなった人のようだし、また盲目のために耳が鋭くなった人のようだった。彼は種々な鐘の音の意味を解くにつとめて、それに成功し、そしてついにその謎(なぞ)のような沈黙の修道院の内部をことごとく知ってしまった。スフィンクスはそのあらゆる秘密を彼の耳にしゃべってしまった。ところがフォーシュルヴァンはすべてを知りながら、すべてを隠していた。そこに彼の技巧があった。修道院の者はみな彼をばかだと思っていた。それは宗教においては大なる価値となる。声の母たちはフォーシュルヴァンを重宝がった。彼は珍しいほど無口だった。それで人々の信用を得た。その上彼はきちょうめんであって、また果樹や野菜などのためのはっきりした用事のほかは外出しなかった。そういう慎重な行ないが彼のためになった。それでも彼は二人の男にいろいろなことをしゃべらした。修道院では門番に、そして彼は応接室の種々なことを知った。墓地では墓掘り人に、そして彼は墓場の種々なことを知った。そのようにして彼は、修道女たちのことに関して二重の知識を得た、一つはその生について、一つはその死について。しかし彼は何一つ利用しなかった。会衆は彼を大事にした。年取って、跛者で、何事にも盲目で、また耳も少し遠いらしいので、これ以上都合のいいことはなかった。彼に代わるべき者はほとんどないと皆思っていた。
 爺(じい)さんは、自分がよく思われてることを知ってるので安心して、修道院長様の面前で、かなりごたごたしたしかもきわめて意味の深いおしゃべりを田舎言葉(いなかことば)でやり出した。彼はくどくどと、老年であること、身体がよくきかないこと、以前より二倍も骨が折れること、仕事もしだいに多くなること、庭の広いこと、たとえば昨夜のように月のいい晩には瓜畑(うりばたけ)の上に蓆(こも)をかぶせてやらなければならなかったりして夜明かしをすること、いろいろ並べ立ててからついに言い出した。自分には一人の弟がある――(院長はちょっと身を動かした)――けれどもう年取っている(院長はまた身を動かしたが、それは安心の身振りだった)――もし許されるなら、弟にきてもらっていっしょに住んで助けてもらいたい。弟はすぐれた園丁である。弟は自分よりははるかに会衆の役に立つに違いない。――もしまた、弟が許されないようなことになると、それより年上である自分の方は、全く弱り切ってしまってるので、仕事にたえられなくて、非常に残念ではあるが、暇を頂かなければならないかも知れない。――弟には小さな娘が一人あるので、それを連れて来るだろう。そしたらここで神様のもとに育てられて、あるいは後に一人の修道女とならないとも限らない。
 彼がそういう話をしてしまった時に、院長は大念珠を爪繰(つまぐ)るのをやめて、そして言った。
「今から晩までのうちに、丈夫な鉄の棒を一本手にいれることができるでしょうか。」
「なにになさるのでございますか。」
「物を持ち上げるためです。」
「承知いたしました、長老様。」とフォーシュルヴァンは答えた。
 院長はその他には一言も言わずに、立ち上がって、隣の室にはいって行った。そこは集会の室(へや)で、たぶん声の母たちが集まっていたのであろう。フォーシュルヴァンは一人取り残された。

     三 イノサント長老

 約十五分ばかり過ぎた。修道院長は戻ってきて、椅子(いす)にまた腰掛けた。
 二人とも何かに頭を満たされてるようだった。今ここに、二人の間にかわされた対話をできる限りそのまま速記してみよう。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様。」
「お前は礼拝堂を知っていますね。」
「礼拝堂に私は、弥撒(ミサ)や祭式を聞きます自分の小さな席を持っております。」
「それから用のために歌唱の間(ま)へはいったこともありますね。」
「二、三度ございます。」
「あそこの石を一枚上げるのです。」
「あの重い石でございますか。」
「祭壇のわきにある舗石(しきいし)です。」
「窖(あなぐら)をふさいでるあの石でございますか。」
「そう。」
「そういうことをいたすにも、二人いた方が便利でございますよ。」
「男のように強いあのアッサンシオン長老がお前に手伝って下さるでしょう」
「女の方(かた)と男とは別でございます。」
「お前の手助けといっては、ここには女一人きりおりません。だれでもできる限りのことをするよりほかはありません。マビーヨン師は聖ベルナールの四百十七篇を書かれ、メルロヌス・ホルスティウスはその三百六十七篇しか書かれなかったからといって、私はメルロヌス・ホルスティウスを軽蔑しはしません。」
「さようでございますとも。」
「自分自分の力に応じて働くことが尊いのです。修道院は工場ではありません。」
「そして女は男ではございません。私の弟は強い男でございます。」
「それから槓桿(てこ)を一つ用意しておきますように。」
「あのような扉(とびら)に合う鍵(かぎ)といっては槓桿(てこ)のほかにはありません。」
「石には鉄の輪がついています。」
「槓桿をそれに通しましょう。」
「そして石は軸の上に回るようにしてあります。」
「それはけっこうでございます。窖(あなぐら)を開きましょう。」
「そして四人の歌唱の長老たちが立会って下されます。」
「そして窖をあけましてからは?」
「またしめなければなりません。」
「それだけでございますか。」
「いいえ。」
「何でもお言いつけ下さい、長老様。」
「フォーヴァンや、私たちはお前を信用しています。」
「私は何でもいたします。」
「そして何事も黙っていますね。」
「はい、長老様。」
「窖をあけましたらね……。」
「またしめます。」
「でもその前に……。」
「何でございますか、長老様。」
「その中に何か入れるのです。」
 ちょっと沈黙が続いた。院長は躊躇(ちゅうちょ)するように下脣(したくちびる)をとがらしたが、やがて言い出した。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様?」
「お前は今朝一人の長老が亡(な)くなられたのを知っていましょうね。」
「存じません。」
「では鐘を聞きませんでしたか。」
「庭の奥までは何にも聞こえません。」
「ほんとうに?」
「自分の鐘の音もよく聞こえないくらいでございますから。」
「長老は夜の明け方に亡くなられました。」
「それに今朝は、風の向きが私の方へではございませんでしたから。」
「クリュシフィクシオン長老です。聖(きよ)いお方でした。」
 院長は口をつぐんで、心のうちで祈祷(きとう)をとなえるかのようにちょっと脣を動かした。そしてまた言った。
「三年前ですが、クリュシフィクシオン長老の祈っていられる所を見たばかりで、一人のジャンセニスト派の人が、ベテューヌ夫人が、正教徒になられたことがあります。」
「ああ長老様、今初めて私は喪の鐘が耳にはいりました。」
「長老たちが、会堂に続いている死人の室(へや)へ運ばれたのです。」
「わかりました。」
「お前のほかにはだれも男はその室にはいることはできませんし、はいってはならないのです。よく考えてごらん。ありがたいことです、死人の室へ男がはいるのは。」
「もっとたび/\!」
「なに?」
「もっとたび/\!」
「何を言うのです。」
「もっとたび/\と申すのでございます。」
「何よりももっとたび/\というのです?」
「長老様、何かよりももっとたび/\と申すのではございません。ただもっとたび/\と申すのでございます。」
「お前の言うことはわかりませんね。なぜもっとたび/\と言うのですか。」
「長老様のように申そうと思ってでございます。」
「けれど私はもっとたび/\などとは言いませんでしたよ。」
「おっしゃりはしませんでした。けれども私は、長老様のおっしゃるとおりに申そうと思って、そう申したのでございます。」
 その時九時の鐘が鳴った。
「朝の九時にまたそれぞれの時間に、祭壇の聖体に頌讃(しょうさん)と礼拝とがありまするよう。」と院長は唱えた。
「アーメン。」とフォーシュルヴァンは言った。
 ちょうどよく時間が鳴ったのである。それは「もっとたび/\」を短く切り上げてくれた。もしその鐘が鳴らなかったら、おそらくいつまでたっても、院長とフォーシュルヴァンとはその迷語をかたづけることができなかったであろう。
 フォーシュルヴァンは額をふいた。
 院長はまた、何か祈祷(きとう)らしいことを心の中でちょっとつぶやいて、それから口を開いた。
「クリュシフィクシオン長老は、生前多くの人を本当の信仰に導かれました。亡(な)くなられてからは、きっと奇蹟を行なわれるでしょう。」
「行なわれるでございましょうとも!」とフォーシュルヴァンは言葉を合わせて、再び失策をすまいとつとめながら答えた。
「フォーヴァン爺(じい)さん、この組合の人たちは皆クリュシフィクシオン長老において祝福されました。もとより、ベリュール枢機官のように聖弥撒(ミサ)を唱えながら死に、または、いまこの供物をいたしますると唱えながら神様のもとへ魂をお返しすることは、だれにでも許されていることではありません。けれども、それほどの幸福にまでは達せられなくとも、クリュシフィクシオン長老は、いたって尊い臨終をなされました。最期(さいご)まで気を失わないでいられました。初めは私たちに話しかけていられましたが、後には天使たちに話しかけていられました。そして私たちに最後の希望を申されました。お前も、いま少し信仰があって、あの方(かた)の部屋にはいることができていたら、お前の足に触れてそれをおなおし下すったろうものにね。あの方はほほえまれました。神様のうちによみがえられたのだと、みな思いました。御臨終は、まったく天国へでも行かれるようでありましたよ。」
 フォーシュルヴァンはそれが祭文が終わったのだと思って言った。
「アーメン。」
「フォーヴァン爺(じい)さん、死んだ方のお望みは果してあげなければいけません。」
 院長は念珠を少し爪繰(つまぐ)った。フォーシュルヴァンは黙っていた。院長は言い進んだ。
「私はこのことについて、教えの道に身をささげてりっぱな効果を上げられている多くの聖職の方々に相談したのです。」
「長老様、庭の中よりここの方がよく喪の鐘が聞こえます。」
「その上、あの方はただ亡くなった人というよりも、聖者と申し上げたいお方です。」
「あなた様のように、長老様。」
「あの方はこの二十年というもの柩(ひつぎ)の中におやすみになりました、私どもの聖なる父ピウス七世の特別のお許しで。」
「あの冠を授けられた方でございましょう、皇……ブオナパルトに。」
 フォーシュルヴァンのような、りこうな者としては、そういう思い出はまずいことだった。ただ仕合わせにも院長は自分の考えばかりに没頭して、それを耳にしなかった。彼女は続けて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様?」
「カパドキアの大司教ディオドロス聖者は、地の虫けらという意味のアカロスという、ただ一字を墓石に彫るようにと望まれました、そしてそのとおりにされました。そうではありませんか。」
「はい、長老様。」
「アクイラの修道院長メツォーカネ上人は、絞首台の下に埋めらるるように望まれました。そして、それもそのとおりにされました。」
「さようでございます。」
「チベル河口にあるポールの司教テレンチウス聖者は、通る人々が墓に唾(つば)をかけて行くようにと、親殺しの墓につける標(しるし)を自分の墓石にも彫るように望まれました。そしてそれもそのとおりにされました。死んだ方のお望みには従わなければなりません。」
「さようになりますように。」
「フランスのローシュ・アベイユの近くでお生まれなされたベルナール・ギドニスは、スペインのチュイの司教であられましたけれど、またカスティーユの王様のおぼしめしもありましたけれど、その身体はお望みどおりにフランスのリモージュのドミニック派の会堂に運ばれました。それは嘘(うそ)だとは申せないでしょう。」
「申せませんとも、長老様。」
「その事実はプランタヴィ・ド・ラ・フォスによって証明されています。」
 また沈黙のうちに念珠が少し爪繰(つまぐ)られた。院長は言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、クリュシフィクシオン長老は、二十年の間寝ていられた柩(ひつぎ)の中に葬られなければなりません。」
「当然のことでございます。」
「それはただお眠りを続けられることです。」
「それで私はそのお柩に釘(くぎ)を打つのでございましょう?」
「ええ。」
「そして葬儀屋の棺はやめにするのでございましょう?」
「そのとおりです。」
「私は組合の方々(かたがた)の御命令どおりに何でもいたします。」
「四人の歌唱の長老たちがお手伝いして下されます。」
「柩に釘を打つのにでございますか。お手伝いはいりません。」
「いいえ。柩をおろすのに。」
「どこへおろします?」
「窖(あなぐら)の中へです。」
「どの窖でございますか。」
「祭壇の下の。」
 フォーシュルヴァンはぞっとした。
「祭壇の下の窖。」
「祭壇の下の。」
「けれども……。」
「鉄の棒があるでしょう。」
「ございます。けれども……。」
「お前は鉄の輪に棒を差し入れてその石を起こすのです。」
「けれども……。」
「死んだ方のお望みには従わなければなりません。礼拝堂の祭壇の下の窖(あなぐら)の中へ葬られること、汚れた土地の中へ行かないこと、生きてる間祈りをしていた場所に死んでもとどまりたいこと、それがクリュシフィクシオン長老の最後の御希望でありました。あの方はそれを私どもに願われました、云いかえれば、おいいつけなさいました。」
「けれども、それは禁じられてあります。」
「人間によって禁じられていますが、神によって命ぜられているのです。」
「もし知れましたら?」
「私たちはお前を信じています。」
「おお私は、この壁の石と同様口外はいたしません。」
「集会が催されています。私は声の母たちになお相談したのですが、皆評議の上で、クリュシフィクシオン長老は御希望どおりにその柩(ひつぎ)に納めて祭壇の下に葬ることに、きまったのです。まあ考えてごらん、もしここで奇蹟が行なわれたらどうでしょう! 組合のものにとっては何という神の栄光でしょう! 奇蹟というものは墓から現われて来るものです。」
「けれども、長老様、もし衛生係りの役人が……。」
「聖ベネディクト二世は、墓の事でコンスタンチヌス・ポゴナチウス皇帝と争われました。」
「それでも警察の人が……。」
「コンスタンス皇帝の時に、ゴールにはいってこられた七人のドイツの王様の一人であったコノデメールは、宗門の規定で葬られること、すなわち祭壇の下に葬られることを、修道士たちの権利として特に認可されました。」
「けれども警視庁の検察官が……。」
「世俗のことは十字架に対しては何でもありません。シャルトルーズ派の十一番目の会長であったマルタンは次の箴言(しんげん)をその派に与えられました。世の変転を通じて十字架は立つなり。」
「アーメン。」とフォーシュルヴァンは終わりのラテン語に対して言った。彼はラテン語を聞くごとに、いつもそうしてごまかすのだった。
 長く沈黙を守っていた者にとっては、だれか一人聞き手があればそれで足りるものである。ある時、ジムナストラスという修辞学の教師が牢獄から出たが、多くの両刀論法や三段論法などが全身にいっぱいつまっていて、立ち木に出会うとたちまちその前に立ち止まり、それに弁論をしかけ、それを説服するために大変な努力をしたという話がある。修道院長は、平素は厳格な緘黙(かんもく)の規則に縛られていたので、言葉の袋がはちきれそうにいっぱいふくらんでいた。それで立ち上がって、水門を切って放ったがように滔々(とうとう)と弁じ立てた。
「私は右にベネディクトと左にベルナールとを味方に持っています。ベルナールといえば、クレールヴォーの最初の修道院長でありました。ブールゴーニュのフォンテーヌは、彼を生んだ祝福された土地です。父をテスランといい、母をアレートと申しました。彼はクレールヴォーに至るまでにまずシトーに止まっていました。シャーロン・スュール・ソーヌの司教ギーヨーム・ド・シャンポーから修道院長の位を授かりました。彼に導かれた修練士が七百人ありまして、彼の建てた修道院が百六十あります。一一四〇年にはサンスの会議でアベーラールを説き伏せ、また、ピエール・ド・ブリュイやその弟子のアンリや、その他アポストリックといわれていた邪教徒の一種を説き伏せました。それから、アルノー・ド・ブレスをうちひしぎ、ユダヤ人殺戮者(さつりくしゃ)のラウール修道士をうち破り、一一四八年にはランスの会議を統べ、ポアティエの司教ジルベール・ド・ラ・ポレーを罪し、エオン・ド・レトアールを罪し、諸侯の軋轢(あつれき)をやめさせ、ルイ・ル・ジューヌ王の目を開かせ、法王ウーゼニウス三世に助言し、タンプル騎士団を整え、十字軍を説き回り、生涯(しょうがい)に二百五十の奇蹟を行ない、一日に三十九の奇蹟を行なったこともあります。それからベネディクトと言えば、モンテ・カシノの総主教であり、神聖修道院の基を定めた第二の人であり、西方のバジリオスであります(訳者注 四世紀ギリシャ教会の神父にしてキリスト教修道院の創設者)。彼の派からは、四十人の法王がいで、二百人の枢機官がいで、五十人の総主教と、千六百人の大司教と、四千六百人の司教と、四人の皇帝と、十二人の皇后と、四十六人の国王と、四十一人の王妃と、三千六百人の列聖者とが出ました。一四〇〇年来、連綿と続いています。一方に聖ベルナール、他方に衛生の役人、一方に聖ベネディクト、他方に風紀監督官! 国家や、風紀や、葬儀や、規則や、行政や、そんなものを私たちは一々知ってるものですか。まあどんなふうに私たちが扱われてるかを見たら、だれだって憤慨するでしょう。私たちには、自分の塵(ちり)をイエス・キリストにささげるの権利さえも許されていません。衛生などは革命が発明したものです。神が警察に属するようになったのです。そういうのが今の時代です。おだまりなさい、フォーヴァン!」
 フォーシュルヴァンはその折檻(せっかん)の下にあって、気が気でなかった。修道院長は続けた。
「埋葬地に対する修道院の権利は、だれにもわかりきったことです。それを否定するのは、狂信者か迷いの者かばかりです。私たちは今恐ろしい混乱の時代に生きています。人は皆、知るべきことを知らず、知るべからざることを知っています。皆汚れており、信仰を失っています。至大なる聖ベルナールと、十三世紀のある坊さんで、いわゆるポーヴル・カトリックのベルナールといわれた人とを、皆混同してしまってるような時代です。また、ルイ十六世の断頭台とイエス・キリストの十字架とをいっしょにするほど神を恐れない者もいます。ルイ十六世は一人の国王にすぎなかったのです。ただ神にのみ心を向くべきです。そうすればもはや、正しい人も不正な人もなくなります。今の人はヴォルテールという名前を知って、セザール・ド・ブュスという名前を知りません。けれどもセザール・ド・ブュスは至福を得た人で、ヴォルテールは不幸な人です。この前の大司教ペリゴール枢機官は、シャール・ド・ゴンドランがベリュールのあとを継ぎ、フランソア・ブールゴアンがゴンドランのあとを継ぎ、ジャン・フランソア・スノールがブールゴアンのあとを継ぎ、サント・マルト長老がジャン・フランソア・スノールのあとを継いだこと、そういうことも知らなかったのです。人がコトン長老の名前を知ってるのは、オラトアール派の創立に力を尽した三人のうちの一人であったからではなく、新教派の国王アンリ四世のために自分の名を提供して誓言の材料に供したからです。サン・フランソア・ド・サールが世俗の人に好まれるのは、カルタ遊びにごまかしをしたからです。それにまた人は宗教を攻撃します。それもただ、悪い牧師たちがいたからです。ガプの司教サジテールがアンブロンの司教サローヌの兄弟であり、二人ともモンモルの衣鉢(いはつ)を継いだからです。しかし、そういうことも結局どれだけの影響がありましょう。そういうことがあってもやはり、マルタン・ド・トゥールは聖者でありまして、自分のマントの半分を貧しい人に与えたではありませんか。人は聖者たちを迫害します。人は真実に対しては目をふさぎます。暗黒が普通のこととなっています。が、盲目な獣こそ最も猛悪な獣です。だれもまじめに地獄のことを考えていないのです。何という恥知らずの人民どもでしょう! 国王の名によってということは今日、革命の名によってという意味になっています。もう人は、生者に負うところのものも知らず、死者に負うところのものも知りません。聖者のように死ぬことは禁じられています。墳墓は俗事となっています。これは恐ろしいことです。法王聖レオ二世は、特別な宸翰(しんかん)を二つ書かれました、一つはピエール・ノテールに、一つはヴィジゴートの王に。それは、死者に関する問題について、太守の権力と皇帝の主権とに反抗し、それをしりぞけんためのものでした。シャーロンの司教ゴーティエは、その問題についてブールゴーニュ公オトンに対抗されました。昔の役人はその点については同意しました。昔は私たちは、世事に関しても勢力を持っていました。この会派の会長シトーの修道院長は、ブールゴーニュの議会の世襲の評議員でありました。私たちは私たちの死者について欲するとおりに行なうのです。聖ベネディクトは五四三年三月二十一日土曜日にイタリーのモンテ・カシノで死なれましたが、そのお身体は、フランスのサン・ブノア・スュール・ロアールといわれるフルーリー修道院にあるではありませんか。これは確かな事実です。私は邪道の聖歌者を忌み、修道院長をきらい、信徒を憎むのですが、だれでも私が言ったことに反対を唱える者をなおいっそう軽蔑するでしょう。アルヌール・ヴィオンやガブリエル・ブュスランやトリテームやモーロリキュスやリュク・ダシュリー師などの書いたものを読めばわかることです。」
 院長は息をついた。それからフォーシュルヴァンの方へ向いて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、わかりましたか。」
「わかりました、長老様。」
「お前をあてにしてよいでしょうね。」
「御命令どおりにいたします。」
「そうです。」
「私はこの修道院に身をささげています。」
「ではそうきめます。お前は柩(ひつぎ)の蓋(ふた)をするのです。修道女たちがそれを礼拝堂に持ってゆきます。死の祭式を唱えます。それからみな修道院の方へ帰ります。夜の十一時から十二時までの間に、お前は鉄の棒を持って来るのですよ。万事ごく秘密に行なうのです。礼拝堂の中には四人の歌唱の長老とアッサンシオン長老とお前とのほかはだれもいませんでしょう。」
「それと柱に就(つ)かれてる修道女が。」
「それは決してふり向きません。」
「けれども音は聞くでございましょう。」
「いいえ聞こうとはしますまい。それに、修道院の中で知れることも、世間には知れません。」
 またちょっと言葉がとぎれた。院長は続けた。
「お前はその鈴をはずすがよい。柱に就いてる修道女にお前のきたことを知らせるには及ばないから。」
「長老様。」
「なに? フォーヴァン爺(じい)さん。」
「検死のお医者はもうこられましたか。」
「今日の四時にこられるでしょう。お医者を呼びにゆく鐘はもう鳴らされました。お前はそれを少しもききませんでしたか。」
「自分の鐘の音ばかりにしか注意しておりませんので。」
「それでよいのです、フォーヴァン爺さん。」
「長老様、少なくとも六尺くらいの槓桿(てこ)がいりますでしょう。」
「どこから持ってきます?」
「鉄格子(てつごうし)のある所には必ず鉄の棒がございます。庭のすみにも鉄の切れが山ほどございます。」
「十二時より四五十分前がよい。忘れてはなりませんよ。」
「長老様?」
「何です?」
「まだほかにこんな御用がございましたら、ちょうど私の弟が強い力を持っておりますので。トルコ人のように強うございます。」
「できるだけ早くやらなければいけませんよ。」
「そう早くはできませんのです。私は身体がよくききません。それで一人の手助けがいるのでございます。第一跛者でございます。」
「跛者なのは罪ではありません。天のお恵みかも知れません。にせの法王グレゴリウスと戦ってベネディクト八世を立てられた皇帝ハインリッヒ二世も、聖者と跛者という二つの綽名(あだな)を持っていられます。」
「二つの外套(がいとう)は悪くはございません。」とフォーシュルヴァンはつぶやいた。彼の耳は実際いくらか聞き違いをすることがあった。
「フォーヴァン爺(じい)さん、一時間くらいはかかるつもりでいます。それくらいはみておかなければなりますまい。十一時には鉄の棒を持って、主祭壇の所へきますようにね。十二時には祭式が初まります。それより十五分くらい前にはすっかり済ましておかなければなりません。」
「何事でも組合の方々のためには一生懸命にいたします。確かにいたします。私は柩(ひつぎ)に釘(くぎ)を打ちます。十一時きっかりに礼拝堂へ参ります。歌唱の長老たちとアブサンシオン長老とがきていられるのでございますな。なるべくなら男二人の方がよろしゅうございますが、なにかまいません。槓桿(てこ)を持って参ります。窖(あなぐら)を開きまして、柩をおろしまして、そしてまた窖を閉じます。そういたせば何の跡も残りますまい。政府も気づきはしますまい。長老様、それですっかりよろしいんでございますな。」
「いいえ。」
「まだ何かございますか。」
「空(から)の棺が残っています。」
 それでちょっと行き止まった。フォーシュルヴァンは考え込んだ。院長も考え込んだ。
「フォーヴァン爺さん、棺をどうしたらいいでしょうかね。」
「それは地の中へ埋めましょう。」
「空(から)のままで?」
 また沈黙が落ちてきた。フォーシュルヴァンは左の手で、困難な問題を解決したかのような身振りをした。
「長老様、私が会堂の低い室(へや)で棺に釘(くぎ)を打つのでございます。そして私のほかにはだれもそこへははいれません。そして私が棺に喪布を掛けるのでございましょう。」
「そうです。けれども人夫たちは、それを車にのせ、そしてまた墓穴の中にそれをおろすので、中に何もはいっていないことに気づくでしょう。」
「なるほど、畜……」とフォーシュルヴァンは叫んだ。
 院長は十字を切って、じっと庭番の顔をながめた。生(しょう)という、あとの一語は彼の喉(のど)につかえて出なかった。
 彼は急いで、その悪い言葉を忘れさすために一つの方法を考えついた。
「長老様、私は棺の中に土を入れて置きましょう。そういたせば人がはいっているようになりますでしょう。」
「なるほどね。土は人間と同じものです。ではそうしてお前はからの棺を処分してくれますね。」
「お引き受けいたします。」
 その時まで心配そうで曇っていた修道院長の顔は、再び晴れ晴れとなった。彼女は庭番に、上役が下級の者をさがらする時のような合い図をした。フォーシュルヴァンは扉(とびら)の方へさがって行った。彼がまさに出ようとする時、院長は静かに声を高めて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、私はお前を満足に思いますよ。あした葬式がすんだら、お前の弟を連れておいでなさい。そして、その娘も連れて来るように言っておやりなさい。」

     四 ジャン・ヴァルジャンとアウスティン・カスティーレホーの記事

 跛者の急ぎ足は片目の者の色目と同じで、中々目的物に届かないものである。その上、フォーシュルヴァンはまったく途方にくれていた。彼は庭のすみの小屋に帰りつくまでに、かれこれ十五分もかかった。コゼットはもう目をさましていた。ジャン・ヴァルジャンは彼女を火のそばにすわらしていた。フォーシュルヴァンがはいってきた時、ジャン・ヴァルジャンは壁にかかってる庭番の負(お)い籠(かご)をコゼットに示しながら言っていた。
「よく私の言うことをお聞き、コゼット。私たちはこの家から出なければなりません。けれどもまた帰ってきて、楽しく暮らせるんです。ここのお爺(じい)さんが、お前をあの中に入れてかついで行ってくれます。そしてあるお上(かみ)さんの家で私を待っているんですよ。私がすぐに連れにやってきます。とりわけ、テナルディエの上(かみ)さんにつかまりたくないから、よく言うことを聞いて、何にも言ってはいけませんよ。」
 コゼットはまじめな様子でうなずいた。
 フォーシュルヴァンが扉(とびら)を開く音に、ジャン・ヴァルジャンはふり返った。
「どうだったね?」
「すっかりうまくいきました、もう何も残っていません。」とフォーシュルヴァンは言った。「私はあなたがはいれるように許可を受けてきました。しかしあなたを入れる前に、あなたを出さなければなりません。困まるのはそのことです。娘さんの方はわけはありません。」
「お前さんが連れ出してくれるんだね。」
「黙っていてくれましょうね。」
「それは受け合うよ。」
「ですがあなたの方は? マドレーヌさん。」
 そして心配しきってちょっと口をつぐんだ後、フォーシュルヴァンは叫んだ。
「どうか、はいってこられた所から出ていって下さい。」
 ジャン・ヴァルジャンは最初そう言われた時と同じように、ただ一言答えた。「できない。」
 フォーシュルヴァンはジャン・ヴァルジャンに向かってというより、むしろ独語するようにつぶやいた。
「も一つ困まったことがある。土を入れるとは言ったが、ただ身体の代わりに土を入れたんでは、どうも本物と思えないだろう。うまくはゆくまい。ぐらぐらして、動くだろう。人夫どもは感づくだろう。ねえマドレーヌさん、政府に気づかれるでしょうな。」
 ジャン・ヴァルジャンは彼の顔をまともにじっとながめた、そして気でも狂ったんではないかと思った。
 フォーシュルヴァンはまた言った。
「どうして畜(ちく)……あなたは出られますか。明日までにはやってしまわなければなりません。明日あなたを連れてくることになっています。院長さんはあなたを待っているんです。」
 その時フォーシュルヴァンは、ジャン・ヴァルジャンがはいることを許されたのは、自分が組合のために尽す仕事の報酬であることを、説明してきかした。葬儀に参与するのは自分の職務の一つであること、自分は棺に釘(くぎ)を打ち墓地で墓掘り人に立ち会わねばならぬこと。今朝死んだ修道女は、長い間寝床にしていた柩(ひつぎ)に納めてもらいたいと願い、礼拝堂の祭壇の下にある窖(あなぐら)のうちに葬ってもらいたいと願ったこと。それは警察の規則で禁じられてることだが、何事もこばめないほどの聖(きよ)い修道女の願いであったこと。修道院長と声の母たちとは相談して、死者の希望どおりにしてやろうときめたこと。政府に対しては済まないが仕方ないこと。自分が室の中で柩に釘を打ち、礼拝堂の中で石の蓋(ふた)を起こし、窖の中に死人をおろすのであること。そしてそのお礼として、弟を庭番に姪(めい)を寄宿生に、二人とも家に入れることを院長が許したこと。弟というのはマドレーヌ氏であり姪というのはコゼットであること。明晩墓地で表面上の埋葬をした後、弟をつれて来るようにと、院長が彼に言ったこと。しかしマドレーヌ氏は外に出ていなければ、外から連れ込むことができないこと。そこに第一の困難があること。それからまた第二の困難があること、すなわち空棺が。
「その空棺とは何かね。」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
 フォーシュルヴァンは答えた。
「役所の棺ですよ。」
「どういう棺で、またどういう役所かね。」
「修道女が死にますと、役所の医者がきて、修道女が死んだと言うんです。すると政府から棺を送ってきます。そして翌日、その棺を墓地に運ぶために、車と人夫とをよこします。ところが人夫がやってきて棺を持ち上げてみると、中には何もはいっていないということになるんです。」
「何か入れたらいいだろう。」
「死人をですか。そんなものはありません。」
「いいや。」
「では何を入れます。」
「生きた人をさ。」
「どんな人をですか。」
「私をさ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 腰掛けていたフォーシュルヴァンは、自分の椅子(いす)の下に爆烈弾が破裂したかのように飛び上がった。
「あなたを!」
「なぜいけないんだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは冬空の中の光のように珍しくほほえんだ。
「ねえ、クリュシフィクシオン長老が死なれたとお前さんが言った時、私はつけ加えて言ったではないか、そしてマドレーヌさんも葬られたと。それはこのことなんだよ。」
「あああなたは笑っていらっしゃる。本気でおっしゃってはいなさらないんですね。」
「本気だとも、ここから出なければならないんだろう。」
「そうですよ。」
「私にもまた負(お)い籠(かご)と覆いとを見つけてくれと、言ったじゃないか。」
「それで?」
「その籠(かご)は樅(もみ)の板でできていて、覆(おお)いは黒いラシャなんだ。」
「いや第一それは白いラシャですよ。修道女たちは白くして葬られるんです。」
「では白いラシャにするさ。」
「あなたは、マドレーヌさん、ほんとに変わった人です。」
 まるで徒刑場の荒々しい大胆な策略ででもあるようなそんな考案が、あたりの平穏な事物から浮かんできて、彼のいわゆる「修道院の杓子定規(しゃくしじょうぎ)」の中に入り込んでくるのを見ることは、フォーシュルヴァンにとってはいかにも意外で、サン・ドゥニ街の溝(みぞ)の中に鴎(かもめ)が魚をあさってるのを見つけた通行人にも似た驚きの情を、感じたのである。
 ジャン・ヴァルジャンは続けて言った。
「人に見つからずにここから出ることが要件なんだ。その一つの方法さ。しかしまず私に様子を知らしてくれ。いったいどういうぐあいにされるのかね。その棺はどこにあるのかね。」
「空(から)の方ですか。」
「そうだ。」
「死人の室(へや)と呼ばれてます下の室です。二つの台の上にのっていまして、とむらいのラシャがかぶせてあります。」
「棺の長さはどれくらいある?」
「六尺ばかりです。」
「その死人の室というのはどういう所だ?」
「一階にある室(へや)で、庭の方に格子窓(こうしまど)がありますが、それは外から板戸でしめてあります。戸口が二つありまして、一つは修道院に、一つは会堂に続いています。」
「会堂というのは?」
「表に続いてる会堂で、だれでもはいれる会堂です。」
「君はその死人の室の二つの戸口の鍵(かぎ)を持ってるかね。」
「いいえ。私はただ修道院へ続いてる戸口の鍵きり持っていません。会堂へ続いてる方の鍵は門番が持っています。」
「門番はいつその戸口を開くのかね。」
「棺を取りにきた人夫どもを通させる時だけしか開きません。棺が出てゆくと、戸はまたしまるんです。」
「棺に釘(くぎ)を打つのはだれだね。」
「私です。」
「棺にラシャをかけるのは?」
「私です。」
「君一人だけで?」
「警察の医者のほかは、だれも死人の室にはいることはできません。壁にもちゃんと書いてあります。」
「今晩、修道院の人たちが寝静まったころ、私をその室に隠してもらえまいかね。」
「それはできません。けれどその死人の室に続いてる小さな暗い物置きにならあなたを隠しておけます。そこは私の埋葬の道具を入れて置く所で、私がその番人で鍵(かぎ)を持っています。」
「明日何時ごろ棺車は棺を迎えに来るのかね。」
「午後の三時ごろです。埋葬はヴォージラールの墓地で行なわれますが、日が暮れる少し前です。すぐ近くじゃありません。」
「では私は君の道具部屋に、夜と朝の間隠れていよう。それから食物は? 腹がすくだろう。」
「私が何か持っていってあげましょう。」
「君は二時には、私を棺の中に釘(くぎ)づけにしにやって来るんだね。」
 フォーシュルヴァンはしり込みして、指の節を鳴らした。
「それはどうも、できませんな。」
「なに、金槌(かなづち)を取って板に四五本釘を打つだけだ。」
 繰り返して言うが、フォーシュルヴァンにとって異常なことも、ジャン・ヴァルジャンにとっては何でもないことだった。ジャン・ヴァルジャンは最も危険な瀬戸ぎわをも幾度か通ってきたのである。だれでも監獄にはいったことのある者は、脱走の場所の広狭に応じて身を縮めるの術を知っている。病人が生きるか死ぬかの危機にとらわれてるように、囚人も逃走の念にとらわれている。脱走は回復である。回復せんがためには人は何事をも辞せない。行李(こうり)のような四角なものの中に釘づけにされて運び出され、長い間箱の中に生きており、空気もない所に空気を見い出し、幾時間もの間呼吸を倹約し、死なないくらいに息をつめる、そんなことはジャン・ヴァルジャンの恐ろしい能力の一つだった。
 そのうえ、棺の中に生きた人間を入れること、囚徒のやるようなその手段は、また皇帝の手段だった。アウスティン・カスティーレホーという牧師の書いたものによれば、それはカール大帝の用いた方法だった。彼は退位の後、最後に、も一度プロンベスという婦人に会わんために、棺の中に彼女を入れて、自分のはいってるユステの修道院を出入さしたということである。
 フォーシュルヴァンは少し心を落ち着けて叫んだ。
「それでも、どうして息ができましょう。」
「息はできるだろう。」
「あの箱の中で! 私なんか思っただけで息がつまるようです。」
「きりがあるだろう。口のあたりに方々小さな穴をあけておいてくれ、そしてまた上の板も、あまりきっかりしまらないように釘(くぎ)を打ってもらおう。」
「よろしゅうござんす。そしてもし咳(せき)が出たり、嚔(くしゃみ)が出たりしましたら。」
「一心に逃げようとする者は、咳や嚔はしないものだ。」
 そしてジャン・ヴァルジャンはつけ加えた。
「フォーシュルヴァンさん、決心しなければならないんだ、ここでつかまるか、棺車で出るか、二つに一つを。」
 少し開きかけてる扉(とびら)の間に猫(ねこ)が止まって躊躇(ちゅうちょ)する癖のあるのを、だれでも認めることがあるだろう。早くおはいりよ! とだれでも言わない者はあるまい。それと同じく人間のうちにも、前に一事件が半ば口を開いている時、運命のため突然その口が閉ざされて身をつぶされる危険をも顧みずに、二つの決断の間に迷ってたたずむ傾向を持った人がいるものである。あまりに用心深い者は、猫のようであるにかかわらず、また猫のようであるがために、時とすると大胆な者よりかえって多くの危険に身をさらすに至る。フォーシュルヴァンはそういう狐疑的(こぎてき)な性質であった。けれどもジャン・ヴァルジャンの冷静は、ついに彼を納得さした。彼はつぶやいた。
「実のところ、ほかに方法もありませんからな。」
 ジャン・ヴァルジャンは言った。
「ただ心配なのは、墓地でどういうことになるかだ。」
「そのことなら私が心得ています。」とフォーシュルヴァンは叫んだ。「棺から出ることをあなたが受け合いなさるなら、あなたを墓穴から引き出すことは私が受け合います。墓掘りの男は、私の知ってる者のうちでの大酒飲みです。メティエンヌ爺(じい)さんといって、もう老耄(おいぼれ)です。その墓掘りは墓穴の中に死人を入れますが、私は彼を自分のポケットの中にまるめ込んでやります。こういうふうにいたしましょう。薄暗くなる前に、墓地の門がしまる四五十分前に、向こうに行きつくでしょう。棺車は墓穴の所まで進んでゆきます。私がついてゆきます。私の仕事ですから、ポケットの中に金槌(かなづち)と鑿(たがね)と釘抜(くぎぬ)きとを入れて置きます。棺車が止まって、人夫どもがあなたの棺を繩でゆわえて、穴におろします。牧師が祈祷(きとう)をとなえ、十字を切り、聖水をまき、そして行ってしまいます。私はメティエンヌ爺さんと二人きりになります。まったく私とは懇意なんです。彼は酔っぱらってるか、いないか、どちらかです。もし酔っぱらっていなかったら、言ってやりましょう、ボン・コアンの家がしまらないうちに一杯引っかけてこようや。私は彼を引っ張っていって酔っぱらわせます。メティエンヌ爺さんを酔っぱらわすには造作はありません。いつでもいいかげん酔っていますから。私は彼をテーブルの下に寝かし、墓地にはいる札を取り上げてしまって、一人で帰ってきます。そうすればもう私一人きりいないというわけになるんです。もし彼が初めから酔っぱらっていたら言ってやります。もう帰っていいや、私がお前の分もしてやるから。そう言えば彼は帰っていきます。そして私はあなたを穴から引き出してあげましょう。」
 ジャン・ヴァルジャンは彼に手を差し出した。フォーシュルヴァンはいかにも質朴な田舎者(いなかもの)の感動をもって急いでそれを握りしめた。
「それできまった、フォーシュルヴァンさん。万事うまくゆくだろう。」
「何かくい違いさえしなければ。」とフォーシュルヴァンは考えた。「もし大変なことにでもなったら!」

     五 大酒のみにては不死の霊薬たらず

 翌日太陽が西に傾いたころ、メーヌ大通りのまばらな行ききの者は、頭蓋骨(ずがいこつ)や脛骨(けいこつ)や涙などの描いてある古風な棺車の通行に対して、みな帽子をぬいだ。棺車の中には、白いラシャに覆われた柩(ひつぎ)があって、両腕をひろげた大きな死人のような黒い太い十字架が上に横たえてあった。喪布を張った幌馬車(ほろばしゃ)が一つそのあとに続いて、白い法衣を着た一人の牧師と、赤い帽子をかぶった歌唱の一人の子供とが乗ってるのが見えた。黒い袖口(そでぐち)のついた鼠色(ねずみいろ)の制服を着ている二人の葬儀人夫が、棺車の左右に従っていた。その後ろに、労働者のような服装をした跛者の老人がついていた。その行列はヴォージラールの墓地の方へ進んでいった。
 老人のポケットから、金槌(かなづち)の柄や鋭利な鑿(たがね)の刃や釘抜(くぎぬ)きの二つの角などがはみ出ていた。
 ヴォージラールの墓地は、パリーの墓地のうちで例外のものとなっていた。それは特別の用に供されていて、したがって正門と中門とがあり、その一郭で古い言葉を守ってる老人どもはそれを、騎馬門と徒歩門(かちもん)と呼んでいた。前に述べたとおり、プティー・ピクプュスのベルナール・ベネディクト修道女らは、昔彼女らの組合の所有地だったその墓地の特別な片隅(かたすみ)に夕方埋葬さるることが許されていた。それで墓掘り人らは、夏には日暮れに冬には夜に墓地の仕事を持っていたので、特殊な規則が設けられていた。パリーの墓地の門は、当時、日没と共にとざされることになっていて、それが市の制度の一つとなっていたので、ヴォージラールの墓地もそれに従っていた。騎馬門と徒歩門とはその鉄格子(てつごうし)が続いていて、そばに一つの小屋があった。ペロンネという建築者が建てたもので、墓地の門番が住んでいた。でそれらの鉄格子の門は、癈兵院の丸屋根の向こうに太陽が沈む時に必ずしめられた。もしその時墓地の中におくれた墓掘り人がいても、葬儀係りの役人から交付された墓掘り人の札によって出ることができた。郵便箱のようなものが、門番の窓の板戸の中についていた。墓掘り人がその箱の中に自分の札を投げ込むと、門番はその音をきいて、綱を引き、徒歩門を開いてくれた。もし札を持っていない時には、墓掘り人は自分の名を名乗ると、もう床(とこ)について眠ってることがよくある門番は、起きてきて、顔をよく見定めて、それから鍵(かぎ)で門を開いてくれた。そして墓掘り人は出られたが、十五フランの罰金を払わねばならなかった。
 このヴォージラールの墓地は、規則外のその特殊な点で、取り締まり上の統一を乱していた。そして一八三〇年後、間もなく廃せられてしまった。東の墓地といわれるモンパルナスの墓地がそのあとを継いで、それからまたその墓地に半ば属していた有名な居酒屋をも承(う)け継いだ。その居酒屋の上には木瓜(ぼけ)の実を描いた板が出ていて、ボン・コアン屋(上等木瓜屋)という看板で、酒場の食卓と墓石との間を仕切っていた。
 ヴォージラールの墓地は、しおれた墓地ともいえるような趣があって、もう衰微していた。苔(こけ)がいっぱいはえて、花はなくなっていた。中流人はそこに埋めらるることをあまり好まなかった。貧民のような気がしたからである。ペール・ラシェーズの墓地の方は上等だった。ペール・ラシェーズに埋まることは、マホガニーの道具を備えるようなもので、高雅に思われたのである。ヴォージラールの墓地はものさびた場所で、フランス式の古い庭園のようなふうに木が植わっていた。まっすぐな道、黄楊樹、柏(かしわ)、柊(ひいらぎ)、水松(いちい)の古木の下の古墳、高い雑草。夕方などはいかにも物寂しく、きわめてわびしい物の輪郭が見られた。
 白いラシャと黒い十字架との棺車がヴォージラールの墓地の並み木道にさしかかってきた時、太陽はまだ没していなかった。棺車の後に従ってる跛者の老人は、フォーシュルヴァンにほかならなかった。
 祭壇の下の窖(あなぐら)へクリュシフィクシオン長老を葬ること、コゼットを連れ出すこと、ジャン・ヴァルジャンを死人の室(へや)に導くこと、それらはみな無事に行なわれて、何の故障も起こらなかった。
 ついでに一言するが、修道院の祭壇の下にクリュシフィクシオン長老を葬ったことは、われわれに言わすればきわめて軽微な罪にすぎない。それは一種の務めともいうべきたぐいの過ちである。修道女らは何らの不安なしにばかりでなく、また本心の満足をもってそれを行なったのである。修道院にとっては、「政府」と称するところのものは権威に対する一干渉にすぎず、常に議論の余地ある干渉にすぎない。第一は教規である。法典などはどうでもよろしい。人間よ、欲するままに法律を定むるがよい、しかしそれは汝ら自身のためにのみとどめよ。シーザーへの貢物(みつぎもの)は、常に神への貢物の残りに過ぎない。王侯といえども教義の前には何らの力をも持たないのである。
 フォーシュルヴァンは跛を引きながら、いたって満足げに棺車のあとについていった。彼の二つの秘密、彼の二重の策略、一つは修道女らとはかったこと、他はマドレーヌ氏とはかったこと、一つは修道院のためのもの、他は修道院に反するもの、その二つは同時に成功したのである。ジャン・ヴァルジャンの落ち着きは、周囲の者をも巻き込むほど力強いものだった。フォーシュルヴァンはもう成功を疑わなかった。残りの仕事は何でもないものだった。人のいい肥(ふと)っ面(つら)の墓掘り爺(じい)メティエンヌを、彼はこの二年ばかりの間に十ぺんくらいは酔っぱらわしたことがあった。彼はメティエンヌをもてあそび、掌中にまるめこみ、自分の欲するままに取り扱った。メティエンヌの頭はいつもフォーシュルヴァンのかぶせる帽子のとおりになった。それで今フォーシュルヴァンはまったく安心しきっていた。
 墓地へ通ずる並み木道に行列がさしかかった時、うれしげなフォーシュルヴァンは棺車をながめ、大きな両手をもみ合わせながら半ば口の中で言った。
「なんという狂言だ!」
 突然棺車は止まった。門のところについたのである。埋葬認可書を示さなければならなかった。葬儀人は墓地の門番に会った。その相談はたいてい一、二分の手間をとるのだったが、その間に、一人の見なれない男がやってきて、棺車のうしろにフォーシュルヴァンと並んだ。労働者らしい男で、大きなポケットのついた上衣を着て、小脇(こわき)に鶴嘴(つるはし)を持っていた。
 フォーシュルヴァンはその見知らぬ男をながめた。
「お前さんは何だね。」と彼は尋ねた。
 男は答えた。
「墓掘りだよ。」
 胸のまんなかを大砲の弾(たま)で貫かれてなお生きてる者があるとしたら、おそらくその時のフォーシュルヴァンのような顔つきをするだろう。
「墓掘り人だと!」
「そうだ。」
「お前さんが!」
「俺(おれ)がよ。」
「墓掘り人はメティエンヌ爺(じい)さんだ。」
「そうだった。」
「なに、そうだったって?」
「爺さんは死んだよ。」
 フォーシュルヴァンは何でも期待してはいたが、これはまた意外で、墓掘り人が死のうなどとは思いもよらなかった。しかしそれはほんとうである。墓掘り人だからとて死なないとは限らない。他人の墓穴を掘ることによって人はまた自分の墓穴をも掘る。
 フォーシュルヴァンはぽかんとしてしまった。ようやくにして、これだけのことを口ごもった。
「そんなことがあるだろうか。」
「そうなんだよ。」
「だが、」と彼は弱々しく言った、「墓掘り人はメティエンヌ爺(じい)さんだがな。」
「ナポレオンの後にはルイ十八世が出で、メティエンヌの後にはグリビエが出る。おい、俺(おれ)の名はグリビエというんだ。」
 フォーシュルヴァンはまっさおになって、そのグリビエをながめた。
 背の高いやせた色の青い男で、まったく葬儀にふさわしい男だった。あたかも医者に失敗して墓掘り人となった形だった。
 フォーシュルヴァンは笑い出した。
「ああ、何て変なことが起こるもんかな! メティエンヌ爺さんが死んだって! メティエンヌじいさんは死んだが、小ちゃなルノアール爺さんは生きてる。お前さんは小ちゃなルノアール爺さんを知ってるかね。一杯六スーのまっかな葡萄酒(やつ)がはいってる壜(びん)だよ。スュレーヌの壜だ。ほんとうによ、パリーの本物のスュレーヌだ。ああメティエンヌ爺さんが死んだって。かわいそうなことをした。おもしろい爺さんだったよ。だがお前さんも、おもしろい人だね。おいそうじゃないかい。一杯飲みにゆこうじゃないかね、これからすぐに。」
 男は答えた。「俺は学問をしたんだ。第四級まで卒(お)えたんだ。酒は飲まない。」
 棺車は動き出して、墓地の大きな道を進んでいった。
 フォーシュルヴァンは足をゆるめた。その跛は、今では不具のためよりも心配のための方が多かった。
 墓掘り人は彼の先に立って歩いていた。
 フォーシュルヴァンは、も一度その待ち設けないグリビエの様子をながめた。
 若いが非常に老(ふ)けて見え、やせてはいるがごく強い、そういう種類の男だった。
「おい。」とフォーシュルヴァンは叫んだ。
 男はふり返った。
「私は修道院の墓掘り人だよ。」
「仲間だね。」と男は言った。
 学問はないがごく機敏なフォーシュルヴァンは、話の上手な恐るべき相手であることを見てとった。
 彼はつぶやいた。
「それではメティエンヌ爺(じい)さんは死んだんだね。」
 男は答えた。
「そうだとも。神様はその満期の手帳をくってみられたんだ。するとメティエンヌ爺さんの番だった。で爺さんは死んだのさ。」
 フォーシュルヴァンは機械的にくり返した。
「神様が……。」
「神様だ。」と男はきっぱり言い放った。「哲学者に言わせると永劫(えいごう)の父で、ジャコバン党に言わせると最高の存在だ。」
「ひとつ近づきになろうじゃないかね。」とフォーシュルヴァンはつぶやいた。
「もう近づきになってるよ。君は田舎者(いなかもの)で、俺(おれ)はパリーっ児だ。」
「だがいっしょに酌(く)みかわさないうちはへだてが取れないからな。杯をあける者は心を打ち明けるというものだ。いっしょに飲みにこないかね。断わるもんじゃないよ。」
「仕事が先だ。」
 これはとうていだめだ、とフォーシュルヴァンは考えた。
 修道女らの埋まる片すみにゆく小道にはいるには、もう数回車輪が回るだけだった。
 墓掘り人は言った。
「おい君、俺(おれ)は七人の子供を養わなけりゃならないんだ。奴(やつ)らが食わなけりゃならないからして、俺は酒を飲んじゃおれないんだ。」
 そして彼は、まじめな男が名句を吐く時のような満足さでつけ加えた。
「子供らの空腹は俺の渇(かわ)きの敵さ。」
 棺車は一群の糸杉の木立ちを回って、大きな道を去り、小道をたどり、荒地にはいり、茂みの中に進んでいった。それはもうすぐに埋葬地に着くことを示すものだった。フォーシュルヴァンは足をゆるめた。しかし棺車の進みを遅らすことはできなかった。幸いにも地面は柔らかで、かつ冬の雨にぬれていたので、車の輪にからんでその進みを重くした。
 彼は墓掘り人に近寄った。
「アルジャントゥイュの素敵な酒があるんだがな。」とフォーシュルヴァンはつぶやいた。
「君、」と男は言った、「俺はいったい墓掘り人なんかになる身分ではないんだ。親父(おやじ)は幼年学校の門衛だった。そして俺に文学をやらせようとした。ところが運が悪かった。親父は相場で損をした。そこで俺は文人たることをやめなければならなかったんだ。それでもまだ代書人はしてるよ。」
「ではお前さんは墓掘り人ではないんだね。」とフォーシュルヴァンは言った。弱くはあったがその一枝を頼りとしてつかまえたのである。
「両方できないことはないさ。兼任してるんだ。」
 フォーシュルヴァンはその終わりの一語がわからなかった。
「飲みにゆこうじゃないか。」と彼は言った。
 ここに一言注意しておく必要がある。フォーシュルヴァンは気が気ではなかったが、とにかく酒を飲もうと言い出したのである。しかしだれが金を払うかという一点については、はっきりさしてはいなかった。いつもはフォーシュルヴァンが言い出して、メティエンヌ爺(じい)さんが金を払った。一杯やろうという提議は、新しい墓掘り人がきたという新たな事情から自然に出て来ることで、当然のことではあったが、しかし老庭番は、下心(したごころ)なしにでもなかったが、いわゆるラブレーの十五分間(訳者注 飲食の払いをしなければならない不愉快な時)をあいまいにしておいた。ひどく心配はしていたが、進んで金を払おうという気にはなっていなかった。
 墓掘り人は優者らしい微笑を浮かべながら言い進んだ。
「食わなければならないからね。それで俺はメティエンヌ爺さんのあとを引き受けたのさ。まあ一通り学問をすれば、もう哲学者だ。手の働きをしてる上に俺は頭の働きをもしてるんだ。セーヴル街の市場に代書人の店を持っている。君はパラプリュイの市場を知ってるかね。クロア・ルージュの料理女どもは皆俺の所へ頼みに来る。俺はその色男どもへ贈る手紙を書いてやるんだ。朝にはやさしい恋文を書き、夕になれば墓穴を掘る。ねえ、そういうのが世の中さ。」
 棺車は進んでいた。フォーシュルヴァンは心痛の頂上に達して四方を見回した。汗の大きな玉が額から流れた。
「だが、」と墓掘り人はなお続けた、「二人の主人には仕えることができないものだ。俺(おれ)もペンと鶴嘴(つるはし)といずれかを選ぶべきだ。鶴嘴は物を書く手を痛めるからね。」
 棺車は止まった。
 歌唱の子供が喪の馬車からおり、次に牧師もおりた。
 棺車の小さな前の車輪の一つは、うずたかい土の上に少し上がっていた。その向こうに口を開いてる墓穴が見えていた。
「なんて狂言だ!」とフォーシュルヴァンは唖然(あぜん)としてくり返した。

     六 四枚の板の中

 棺の中にいたのはだれであるか? 読者の知るとおり、ジャン・ヴァルジャンであった。
 ジャン・ヴァルジャンはその中で生きておれるだけの準備をしておいた、そしてわずかに呼吸をしていた。
 本心の安静がいかにその他のいっさいのものの安静をもたらすかは、実に不思議なほどである。ジャン・ヴァルジャンが考えた計画は、前日来着々としてつごうよく進んでいた。そして彼はフォーシュルヴァンと同じくメティエンヌ爺(じい)さんを当(あて)にしていた。彼は最後の成功を疑わなかった。これほど危険な状態でしかもこれほど完全な安心は、かつて見られないことだった。
 柩(ひつぎ)の四方の板からは、恐ろしい平安の気が発していた。死人の休息に似たある物が、ジャン・ヴァルジャンの落ち着きのうちにはいって来るかのようだった。
 棺の底から彼は、死と戯れてる恐るべき芝居の各部分をたどることができ、また実際たどっていた。
 フォーシュルヴァンが上の板に釘(くぎ)を打ち終わってから間もなく、ジャン・ヴァルジャンは持ち出されるのを感じ、次に馬車で運ばれるのを感じた。
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