レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 その上、今吾人が過ぎつつあるこの瞬間において、仕合わせにも十九世紀に跡を印しないであろうこの瞬間において、また、多くの現代人が享楽的な道徳を奉じ一時的な不完全な物質的事物をのみ念頭にしている中にあって、なお多くの人は下げた額と高くもたげぬ魂とを持っているこの時において、自ら俗世をのがれる者は皆吾人には尊むべき者のように思われる。修道院生活は一つの脱俗である。犠牲は誤った道を進もうともやはり犠牲たることは一である。厳酷なる誤謬を義務として取ること、そこには一種の偉大さがある。
 それ自身について言えば、理想的に言えば、そしてすべての外部を公平に見きわめるまで真理のまわりを回らんがために言えば、修道院は、ことに女の修道院は――なぜならば、現社会において最も苦しむものは女であり、そしてこの修道院への遁世(とんせい)のうちには一の抗議が潜んでいるからして――女の修道院は、確かにある荘厳さを有している。
 前に多少の輪郭を示しておいた厳格陰鬱(いんうつ)なる修道生活、それは生命ではない、なぜならば自由ではないから。それは墳墓ではない、なぜならば完成ではないから。それは不思議なる一つの場所である。高山の頂から見るように人はそこから、一方には現世の深淵(しんえん)をながめ、他方には彼世の深淵をながめる。それは二つの世界を分かってる狭い霧深い一つの境界で、両世界のために明るくされるとともにまた暗くされ、生の弱い光と死の茫漠(ぼうばく)たる光とが入り交じっている。それは墳墓の薄明である。
 それらの女の信ずるところを信じてはいないがしかし彼女らのごとく信仰によって生きている吾人をして言わしむれば、吾人は一種の宗教的なやさしい恐怖の情なしには、羨望(せんぼう)の念に満ちた一種の憐憫(れんびん)の情なしには、彼女らをながむることができないのである。震え戦(おのの)きながらしかも信じ切っているそれらの身をささげたる女性、謙遜なるしかも尊大なるそれらの魂、既に閉ざされたる現世と未だ開かれざる天との間に待ちながら、あえて神秘の縁に住み、目に見えざる光明の方へ顔を向け、唯一の幸福としてはその光明のある場所を知っていると考えることであり、深淵と未知とを待ち望み、揺るぎなき暗黒の上に目を定め、ひざまずき、我を忘れ、震え戦き、永遠の深き息吹(いぶ)きによって時々に半ば援(たす)け起こされるそれらの女性よ。
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   第八編 墓地は与えらるるものを受納す



     一 修道院へはいる手段

 ジャン・ヴァルジャンがフォーシュルヴァンのいわゆる「天から落ち」こんできたのは、前述のような家の中へであった。
 彼はポロンソー街の角(かど)をなしてる庭の壁を乗り越えたのだった。ま夜中に彼が聞いた天使たちの賛美歌は、修道女らが歌う朝の祈りであった。彼が暗闇(くらやみ)のうちにのぞき見た広間は、礼拝堂であった。彼が床(ゆか)の上に横たわってるのを見た幽霊は、贖罪(しょくざい)をなしてる修道女であった。彼がいぶかり驚いた音をたててた鈴は、フォーシュルヴァン爺(じい)さんの膝についてる庭番の鈴であった。
 コゼットを寝かすと、前に言ったとおりジャン・ヴァルジャンとフォーシュルヴァンとは、一杯の葡萄酒(ぶどうしゅ)と一片のチーズとを、よく燃える薪(まき)の火にあたりながら味わった。それから、その小屋の中にあるただ一つの寝台にはコゼットが寝ていたので、彼らはそれぞれ藁束(わらたば)の上に横になった。目をふさぐ前にジャン・ヴァルジャンは言った、「これから私はここに置いてもらわなくてはならない。」その言葉が、終夜フォーシュルヴァンの頭の中から去らなかった。
 実を言えば、二人とも眠れはしなかったのである。
 ジャン・ヴァルジャンは、見破られてジャヴェルから跡をつけられてることを感じていて、もしパリーの中へ出ていったら自分とコゼットとの破滅をきたすということがわかっていた。新たに吹きつけてきた一陣の風によってその修道院に投げ込まれたことであるから、もはやそこに止まろうという一つの考えしか持っていなかった。しかるに、彼のような地位にある不幸な者にとっては、その修道院は同時に最も危険なまた最も安全な場所だった。最も危険だというのは、いかなる男もそこへははいることができないので、もし見付かったら現行犯となり、しかもジャン・ヴァルジャンにとってはその修道院から牢獄まではただ一歩を余すのみだったからである。最も安全だというのは、もしそこに許されて止まることができたら、だれからもさがしにこられる憂いがなかったからである。不可能の場所に住むこと、それが安全の策であった。
 フォーシュルヴァンの方では、しきりに頭を悩ましていた。彼はまず、少しも訳がわからぬことを自ら認めた。あの高い壁にかこまれているのに、どうしてマドレーヌ氏がはいってきたのだろう。この修道院の壁は乗り越せるものではない。それにどうして子供を連れてはいってきたのだろう。腕に子供をかかえてつき立った壁を攀(よじ)登れるものではない。またあの子供は何者だろう。二人はいったいどこからきたのだろう。フォーシュルヴァンはその修道院にはいっていらい、モントルイュ・スュール・メールのことについては何の噂(うわさ)も聞かず、そこに起こったことを少しも知っていなかった。と言って、マドレーヌ氏の様子は事情を尋ねるのも気の毒なほどだった。その上フォーシュルヴァンは自ら言った、「聖者に何かと尋ねるものではない。」マドレーヌ氏は彼の目から見れば、まだりっぱな人であった。ただ、ジャン・ヴァルジャンの口からもれた数語によって、庭番は次のことが推察できるように思った。すなわち、マドレーヌ氏はおそらくこの困難な時勢のために破産に陥ったのであろう、そして債権者どもから追い回されてるのであろう、あるいはまた、何か政治上の事件に関係して、身を隠そうとしてるのかも知れない。そしてこの考えはフォーシュルヴァンの気に入った。彼は北方の多くの農民と同じく、古くからのボナパルト派だったからである。身を隠そうとして、マドレーヌ氏はこの修道院を避難所と定めたのであろう、そして彼がここにとどまりたいというのは当然なことである。けれども、フォーシュルヴァンが絶えず思い出して頭を悩ました不可解なことは、マドレーヌ氏が庭の中にいたこと、しかも子供といっしょにいたことであった。フォーシュルヴァンは二人を目で見、二人を手でさわり、二人に話しかけたのだが、それでもなお夢のような気がしていた。その不可解事は、今や彼の小屋の中まではいり込んできた。彼は種々想像をめぐらしてみた。そしてただ「マドレーヌ氏は自分の生命の親である」ということきり何もはっきりしたことはわからなかった。けれどもその確かな一事で十分だった。それで彼は心を定めた。彼はひそかに考えた、「こんどは自分の番だ。」そして心のうちでつけ加えた、「私を引き出すため車の下にはいり込むのにマドレーヌ氏は種々考えてみはしなかったんだ。」彼はマドレーヌ氏を助けようと決心した。
 それでもなお彼は、いろいろと自問自答した。「私にあれだけのことをしてくれたが、もし盗人だったとしても助けるべきものだろうか? やはり同じことだ。もし人殺しだったとしても助けるべきものだろうか? やはり同じことだ。聖者だからというので助けるべきだろうか? やはり同じことだ。」
 しかし彼を修道院にとどめるというのは、いかに困難な問題であったか! それでもほとんど夢にみるようなその仕事の前にも、フォーシュルヴァンはたじろぎはしなかった。ピカルディーのあわれな一百姓である彼は、献身と善意とまたこんどは任侠(にんきょう)な目的のためにめぐらされる古い田舎者(いなかもの)の多少の知恵とのほか、何らの梯子(はしご)も持たずに、修道院の難関と聖ベネディクトの規則の荒い懸崖(けんがい)とを、乗り越してみようと企てたのである。フォーシュルヴァン爺(じい)さんは生涯(しょうがい)の間利己主義者であったが、晩年になると跛者にはなるし身体はきかなくなるし、もう世間に何の興味もなくなり、恩を感ずることが楽しくなり、また何かいい行ないをなすべき場合に出会うと、あたかも、かつて味わったこともない上等の一杯の葡萄酒(ぶどうしゅ)に死ぬ間ぎわになって手を触れて、それを貪(むさぼ)り飲む人のように、そこに飛びついてゆくのであった。その上、修道院の中で既に数年間呼吸してきた空気は、彼の個性を滅却さして、ついに何らかのいい行ないをせざるを得ないようにしてしまったのである。
 で彼は決心をした、マドレーヌ氏に身をささげようと。
 われわれは今彼をピカルディーのあわれな百姓と呼んだ。この形容詞は正当なものではあるが、しかしそれだけでは不十分である。この物語もここまで進んでくると、フォーシュルヴァン爺さんの人がらを少しく述べることも有益になってくる。いったい彼は百姓であったが、公証人書記をしていたことがあった。そのために、彼の知恵には多少の訴訟癖が加わり、彼の素朴さには多少の洞察力(どうさつりょく)が加わった。ところが種々な理由で仕事に失敗して、公証人書記から荷車屋となり人夫とまでなり下がった。けれども、必要だと思えば馬をののしったり鞭(むち)を食わしたりしてはいたものの、なお彼のうちには公証人書記の性質が残っていた。彼は生まれながらの機知を持っていた。仮名づかいをも知っていた。田舎には珍しいほど話も上手だった。他の百姓どもは彼のことを、「あの男は旦那方のような言葉つきをする」と言っていた。フォーシュルヴァンは実際、十八世紀の煩雑(はんざつ)軽薄な言葉でいわゆる半都会人半田舎者というあの階級、お邸(やしき)から百姓家の方までひろがっていって平民どもの取って置きのたとえ言葉となってるものでいわゆる半平民半市民、胡椒(こしょう)と塩というあの階級、それに属していたのである。彼は運命にひどく苦しめられ弱らされており、すり切れたあわれな老耄(おいぼれ)の魂とはなっていたけれども、まだやはりきびきびした自発的な人間であった。これは人を決して悪人となさない尊い性質である。彼は欠点や悪徳も持ってはいたが、それは表面的なものだった。要するに彼の人相は、よく見るとはなはだ愛すべきものであった。その年老いた顔には、悪質か愚昧(ぐまい)かを示すあの上額のいやな皺(しわ)は少しもついていなかった。
 夜明け頃に、フォーシュルヴァンは途方もない夢をみて目をさました。見ると、マドレーヌ氏は藁束(わらたば)の上にすわって、眠ってるコゼットをながめていた。フォーシュルヴァンは半身を起こして言った。
「さて、あなたは今ここにいなさるが、どうして改めてはいる工夫をしたものでしょうかな。」
 その言葉は一言にして事情を言い尽したもので、ジャン・ヴァルジャンを夢想から呼びさました。
 二人の老人は相談をはじめた。
「まず、」とフォーシュルヴァンは言った、「この室から外に出ないようにしなければいけません。子供もあなたも二人とも。一足でも庭に出たら、もうおしまいです。」
「なるほど。」
「マドレーヌさん、」とフォーシュルヴァンはまた言った、「あなたはいい時に、というのは悪い時においででした。一人の修道女がひどく病気なんです。それでこちらはあまり注意されていませんでしょう。もう死にかかってるのかもわかりません。四十時間の祈祷(きとう)がされています。家中が大騒ぎをしています。皆その方に気を取られています。死にかかってる人は聖者なんです。いや実はここではみな聖者です。あの人たちと私との違いと言えばただ、あの人たちは私どもの部屋と言うのに、私は私の小屋と言うくらいのものです。死にかかると祈祷がありますし、死ぬとまた祈祷があるんです。で今日(きょう)だけはまずここにいて安心でしょうが、明日(あす)のところはわかりませんよ。」
「だが、」とジャン・ヴァルジャンは注意した、「この小屋は壁の陰になってるし、あの廃(すた)れた家に隠されてるし、木立ちもあるので、修道院から見えはすまい。」
「そのうえ修道女たちはここへは決してやってきません。」
「それで?」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 それで? というその疑問の調子は、「ここに隠れていることができるだろう」という意味だった。フォーシュルヴァンはその疑問の調子に答えた。
「それでも娘たちがいます。」
「娘たちというのは?」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
 フォーシュルヴァンがそれを説明するために口を開いた時に、鐘が一つ鳴った。
「修道女が死にました。」と彼は言った。「あれが喪の鐘です。」
 そして彼はジャン・ヴァルジャンに耳を澄ますように合い図をした。
 鐘はまた一つ鳴った。
「マドレーヌさん、喪の鐘です。一分おきに鳴って、身体が会堂から運び出されるまで二十四時間続きます。……ところで、それが遊戯をします。休みの間に毬(まり)でも一つころがってこようものなら、禁じられてはいますが、皆ここへやってきます。この辺をやたらにさがし回るんです。その天の使いたちは、それはいたずらな悪魔ですよ。」
「だれのことだ?」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
「娘たちですよ。あなたはすぐに見つかるでしょうよ。娘たちは大きな声を出します、まあ男の人が! って。ですが今日は大丈夫です。今日は休みがありません。一日中祈祷(きとう)があるはずです。鐘が聞こえるでしょう。私が申したとおり一分に一つずつです。喪の鐘です。」
「わかった、フォーシュルヴァンさん。寄宿者の生徒たちがいるんだね。」
 そしてジャン・ヴァルジャンはひそかに考えた。
「コゼットの教育もこれでできるだろう。」
 フォーシュルヴァンは力をこめて言った。
「そうです、娘たちがいるんですよ。あなたのまわりに騒ぎ出します。駆けていきます。ここでは、男がいることは疫病神(やくびょうがみ)がいるようなものです。ごらんのとおり、猛獣かなんぞのように私の膝(ひざ)にもこうして鈴をつけておくんです。」
 ジャン・ヴァルジャンはますます深く考え込んだ。「この修道院のおかげでわれわれは助かるだろう」とつぶやいた。それから彼は声をあげた。
「そうだ、困難なのはここにとどまることだ。」
「いえ、」とフォーシュルヴァンは言った、「出ることが困難なんです。」
 ジャン・ヴァルジャンは全身の血が心臓に集まってくるように感じた。
「出るのが?」
「そうですよ、マドレーヌさん、ここにはいるにはまず出なければなりません。」
 そして、喪の鐘がまた一つ鳴るのを待って、フォーシュルヴァンは続けた。
「こんなふうでここにいるわけにはいきません。どこからきなすったかというのが問題になりますよ。私はあなたを知ってますから、天から落ちてきたでよろしいですが、修道女たちにとっては、門からはいってこなければいけませんからな。」
 その時突然、別な鐘のかなり複雑な音が聞こえた。
「あああれは、」とフォーシュルヴァンは言った、「声の母たちを呼ぶ鐘です。集会へ行くんです。だれかが死ぬと、いつも集会があります。今の人は夜明けに死にました。死ぬのはたいてい夜明けなんです。がとにかくあなたは、はいってきた所から出て行くわけにはいきませんか。これはこと更お尋ねするわけではありませんよ、ただはいってきた所から出て行くわけには?」
 ジャン・ヴァルジャンは青くなった。あの恐ろしい街路へまた出て行くことは、考えただけでもぞっとした。虎(とら)がいっぱいいる森から出て、やっと外にのがれたかと思うと、またそこにはいってゆけと勧められたようなものだった。まだその一郭には警察の者らがうようよしている、警官は見張りをしているし、番兵は至る所に立っているし、恐ろしい拳(こぶし)は彼の襟首(えりくび)をねらっているし、ジャヴェルもおそらく四つ辻(つじ)の片すみに待ち受けているだろう、そうジャン・ヴァルジャンは想像していた。
「それはできない!」と彼は言った。「フォーシュルヴァン爺(じい)さん、まあ私は天から落ちてきたとしておいてもらいたい。」
「ええ私はそう思ってます、そう思ってますとも。」とフォーシュルヴァンは言った。「そんなことはおっしゃらなくともよろしいですよ。神様はあなたをそばでよく見ようと思って手に取り上げて、それからまた下へおろされたのでしょう。ただあなたを男の修道院の中へおろそうとして、まちがえられたんです。それ、また鐘が鳴ります。門番へ合い図の鐘です。門番は役所へ行って、検死の医者をよこすように頼むんです。それは人が死んだ時にきまってやることです。修道女たちは医者が来るのをあまり好(す)きません。医者という者は少しも信仰のないものですから。医者は面紗(かおぎぬ)をはずしたり、時とすると他の所までめくります。それにしてもこんどは大変早く医者を呼びますが、どうしたんでしょう。あああなたのお児さんはまだ眠っていますね。何とおっしゃるんですか。」
「コゼット。」
「あなたの娘さんですか。まあ言わば、あなたはその祖父(おじい)さんとでも?」
「そうだ。」
「娘さんの方は、ここから出るのはわけはありません。中庭に私の通用門があるんです。たたけば門番があけてくれます。負いかごを背負って娘さんを中に入れて、そして出ます。フォーシュルヴァン爺(じい)さんが負いかごをかついで出かける、ちっとも不思議なことじゃありません。娘さんには静かにしてるように言っといて下さればよろしいです。上に覆(おお)いをしておきます。シュマン・ヴェール街に果物屋(くだものや)をしてる婆さんで私がよく知ってる者がありますから、いつでもそこに預けることにしましょう。聾でして、小さな寝床も一つあります。私の姪(めい)だが、明日(あした)まで預っていてくれ、と耳にどなってやりましょう。そしてまた娘さんはあなたといっしょにここにはいってくるようにしたらいいでしょう。私はあなたがたがここにはいれるように工夫します。ぜひともそうします。ですが、どうしてまずあなたは出たものでしょう。」
 ジャン・ヴァルジャンは頭を振った。
「私は人に見られてはいけないのだ。それが一番大事な点だ、フォーシュルヴァンさん。コゼットのようにかごにはいって覆(おお)いをして出られる方法はないものだろうか。」
 フォーシュルヴァンは左手の中指で耳朶(みみたぶ)をかいた。非常に困まったことを示す動作だった。
 その時第三の鐘が鳴って頭を他に向けさした。
「あれは検死の医者をいよいよ迎いにゆく合い図です。」とフォーシュルヴァンは言った。「医者は死人を見てから、死んでいる、よろしい、と言うんです。天国への通行券に医者が署名しますと、葬儀屋が棺をよこします。長老だと長老たちが、普通の修道女だと修道女たちが、死体を棺に納めます。それから私が釘(くぎ)を打つんです。それは庭番の仕事の一つになっています。庭番は墓掘り人の用までするんです。棺は会堂の低い室に入れられます。室は、往来に続いていまして、検死の医者のほかはだれも男ははいることができません。もっとも人夫どもだの私などは人数のうちにははいりませんからな。私が棺に釘を打つのはその室の中でです。そして人夫どもが棺を取りにきて、馬に鞭(むち)をあてて行ってしまいます。そういうふうにして天国に行くんですよ、空(から)の箱を持ってきて、それに何かを入れて持って行くんです。そういうのが葬式です。デ・プロフォンディスです。」(訳者注 深き淵よりわれは主よなんじを呼ばわりぬ、という死者の祈りの句)
 ま横から低くさしてくる太陽の光が、コゼットの顔に当たっていた。眠っている彼女は、ぼんやりと口を少し開いていて、光を吸ってる天使のようだった。ジャン・ヴァルジャンはその顔をながめはじめていた。彼はもうフォーシュルヴァンの言うことに耳を傾けていなかった。
 耳を傾けられていないことは口をつぐむ理由とはならない。善良な老庭番は、静かにくどくどと話を続けた。
「墓穴はヴォージラールの墓地に掘るんです。何でもその墓地はまもなく廃止になるということです。古い墓地でして、規定外のものだとか、規則に合わないとかで、取り払われるんだそうです。困まったものですよ。至って便利ですがね。そこには私の知ってる者が一人います。メティエンヌ爺(じい)さんと言って、墓掘りです。ここの修道女たちは特別に許されていまして、夜になってからその墓地に運ばれるんです。彼女たちのために特別な市庁の許可があるんです。ですがまあ昨日から何といろいろなことが起こったことでしょう! クリュシフィクシオン長老は死なれるし、それにマドレーヌさんまでが……。」
「葬られたのだね。」とジャン・ヴァルジャンは悲しげにほほえんで言った。
 フォーシュルヴァンはその言葉じりを取り上げた。
「なるほど、すっかりここにはいってしまわれたら、全く葬られたことになりますな。」
 四番目の鐘の音が響いてきた。フォーシュルヴァンは急に鈴のついた膝当(ひざあて)を釘(くぎ)から取りおろして、それを膝(ひざ)にはめた。
「こんどは私の番です。院長さんが私を呼んでいます。どれ一走り行ってきます。マドレーヌさん、ここを動いてはいけませんよ。待っていて下さい。何かまた工夫もつきましょうから。腹がすきましたら、あすこに葡萄酒(ぶどうしゅ)もパンもチーズもありますよ。」
 そして彼は小屋を出ながら言った、「ただ今参ります、ただ今!」
 ジャン・ヴァルジャンは彼の姿を見送った。彼はその跛の足でできる限り急いで、横目で瓜畑(うりばたけ)の方を見ながら庭を横ぎって行った。
 それから十分とたたないうちに、フォーシュルヴァン爺(じい)さんは鈴の音で修道女らを追い散らしながら進んでいって、一つの扉(とびら)を軽くたたいた。静かな声が中から答えた、「永遠に、永遠に、」すなわち「おはいり」と。
 その扉は、用のある時庭番を呼ぶことになってる応接室の扉だった。その応接室は集会の室(へや)に続いていた。修道院長は室の中にあるただ一つの椅子(いす)に腰掛けて、フォーシュルヴァンを待っていた。

     二 難局に立てるフォーシュルヴァン

 急迫した場合にいらだったしかも沈痛な様子をするのは、ある種の性格の人やある種の職業の人には常のことであるが、ことに牧師や修道者にはそうである。フォーシュルヴァンがはいってきた時、そういう二種の懸念の様子は院長の顔つきの上に現われていた。普通ならば、その学者であって愛嬌(あいきょう)のあるブルムール嬢すなわちイノサント長老は、至って快活な人だったのである。
 庭番はおずおずしたおじぎをして、室の入り口に立ち止まった。院長はその大念珠を爪繰(つまぐ)っていたが、目を上げて言った。
「ああフォーヴァン爺さんですか。」
 その省略名が修道院でも使われていた。
 フォーシュルヴァンはまたおじぎをした。
「フォーヴァン爺(じい)さん、お前を呼んだのは私(わたし)ですよ。」
「それで私(わたくし)は参りました。」
「お前に話があります。」
「私の方でもちょうど、」とフォーシュルヴァンは内心に恐れながらも思い切って言った、「長老様に少々申し上げたいことがございます。」
 院長は彼をじっと見た。
「ああ何か私の耳に入れたいことがあるんですか。」
「お願いがございますので。」
「では、話してごらんなさい。」
 もと公証人書記をやった朴訥(ぼくとつ)なフォーシュルヴァンは、物に動じない百姓とでも言うべき人物だった。一種の巧妙な無知というものは一つの力である。だれもそれに用心をしないで、かえってそれにいたされる。修道院に住むようになってから二年以上の間、フォーシュルヴァンは会衆の間にはなはだうまく立ちまわった。いつも一人で、庭の仕事を片付けながら、彼はただ好奇の目を見張ることばかりをしていた。行き来する面紗(かおぎぬ)をかけた女たちから遠くに離れていたので、彼はほとんど自分の前には影が動き回るのを見るだけだった。けれども注意と烱眼(けいがん)とをもって、彼はついにそれらの幽霊に肉を与え、それらの生きながらの死人をよみがえらすに至った。彼はあたかも、聾のために目が鋭くなった人のようだし、また盲目のために耳が鋭くなった人のようだった。彼は種々な鐘の音の意味を解くにつとめて、それに成功し、そしてついにその謎(なぞ)のような沈黙の修道院の内部をことごとく知ってしまった。スフィンクスはそのあらゆる秘密を彼の耳にしゃべってしまった。ところがフォーシュルヴァンはすべてを知りながら、すべてを隠していた。そこに彼の技巧があった。修道院の者はみな彼をばかだと思っていた。それは宗教においては大なる価値となる。声の母たちはフォーシュルヴァンを重宝がった。彼は珍しいほど無口だった。それで人々の信用を得た。その上彼はきちょうめんであって、また果樹や野菜などのためのはっきりした用事のほかは外出しなかった。そういう慎重な行ないが彼のためになった。それでも彼は二人の男にいろいろなことをしゃべらした。修道院では門番に、そして彼は応接室の種々なことを知った。墓地では墓掘り人に、そして彼は墓場の種々なことを知った。そのようにして彼は、修道女たちのことに関して二重の知識を得た、一つはその生について、一つはその死について。しかし彼は何一つ利用しなかった。会衆は彼を大事にした。年取って、跛者で、何事にも盲目で、また耳も少し遠いらしいので、これ以上都合のいいことはなかった。彼に代わるべき者はほとんどないと皆思っていた。
 爺(じい)さんは、自分がよく思われてることを知ってるので安心して、修道院長様の面前で、かなりごたごたしたしかもきわめて意味の深いおしゃべりを田舎言葉(いなかことば)でやり出した。彼はくどくどと、老年であること、身体がよくきかないこと、以前より二倍も骨が折れること、仕事もしだいに多くなること、庭の広いこと、たとえば昨夜のように月のいい晩には瓜畑(うりばたけ)の上に蓆(こも)をかぶせてやらなければならなかったりして夜明かしをすること、いろいろ並べ立ててからついに言い出した。自分には一人の弟がある――(院長はちょっと身を動かした)――けれどもう年取っている(院長はまた身を動かしたが、それは安心の身振りだった)――もし許されるなら、弟にきてもらっていっしょに住んで助けてもらいたい。弟はすぐれた園丁である。弟は自分よりははるかに会衆の役に立つに違いない。――もしまた、弟が許されないようなことになると、それより年上である自分の方は、全く弱り切ってしまってるので、仕事にたえられなくて、非常に残念ではあるが、暇を頂かなければならないかも知れない。――弟には小さな娘が一人あるので、それを連れて来るだろう。そしたらここで神様のもとに育てられて、あるいは後に一人の修道女とならないとも限らない。
 彼がそういう話をしてしまった時に、院長は大念珠を爪繰(つまぐ)るのをやめて、そして言った。
「今から晩までのうちに、丈夫な鉄の棒を一本手にいれることができるでしょうか。」
「なにになさるのでございますか。」
「物を持ち上げるためです。」
「承知いたしました、長老様。」とフォーシュルヴァンは答えた。
 院長はその他には一言も言わずに、立ち上がって、隣の室にはいって行った。そこは集会の室(へや)で、たぶん声の母たちが集まっていたのであろう。フォーシュルヴァンは一人取り残された。

     三 イノサント長老

 約十五分ばかり過ぎた。修道院長は戻ってきて、椅子(いす)にまた腰掛けた。
 二人とも何かに頭を満たされてるようだった。今ここに、二人の間にかわされた対話をできる限りそのまま速記してみよう。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様。」
「お前は礼拝堂を知っていますね。」
「礼拝堂に私は、弥撒(ミサ)や祭式を聞きます自分の小さな席を持っております。」
「それから用のために歌唱の間(ま)へはいったこともありますね。」
「二、三度ございます。」
「あそこの石を一枚上げるのです。」
「あの重い石でございますか。」
「祭壇のわきにある舗石(しきいし)です。」
「窖(あなぐら)をふさいでるあの石でございますか。」
「そう。」
「そういうことをいたすにも、二人いた方が便利でございますよ。」
「男のように強いあのアッサンシオン長老がお前に手伝って下さるでしょう」
「女の方(かた)と男とは別でございます。」
「お前の手助けといっては、ここには女一人きりおりません。だれでもできる限りのことをするよりほかはありません。マビーヨン師は聖ベルナールの四百十七篇を書かれ、メルロヌス・ホルスティウスはその三百六十七篇しか書かれなかったからといって、私はメルロヌス・ホルスティウスを軽蔑しはしません。」
「さようでございますとも。」
「自分自分の力に応じて働くことが尊いのです。修道院は工場ではありません。」
「そして女は男ではございません。私の弟は強い男でございます。」
「それから槓桿(てこ)を一つ用意しておきますように。」
「あのような扉(とびら)に合う鍵(かぎ)といっては槓桿(てこ)のほかにはありません。」
「石には鉄の輪がついています。」
「槓桿をそれに通しましょう。」
「そして石は軸の上に回るようにしてあります。」
「それはけっこうでございます。窖(あなぐら)を開きましょう。」
「そして四人の歌唱の長老たちが立会って下されます。」
「そして窖をあけましてからは?」
「またしめなければなりません。」
「それだけでございますか。」
「いいえ。」
「何でもお言いつけ下さい、長老様。」
「フォーヴァンや、私たちはお前を信用しています。」
「私は何でもいたします。」
「そして何事も黙っていますね。」
「はい、長老様。」
「窖をあけましたらね……。」
「またしめます。」
「でもその前に……。」
「何でございますか、長老様。」
「その中に何か入れるのです。」
 ちょっと沈黙が続いた。院長は躊躇(ちゅうちょ)するように下脣(したくちびる)をとがらしたが、やがて言い出した。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様?」
「お前は今朝一人の長老が亡(な)くなられたのを知っていましょうね。」
「存じません。」
「では鐘を聞きませんでしたか。」
「庭の奥までは何にも聞こえません。」
「ほんとうに?」
「自分の鐘の音もよく聞こえないくらいでございますから。」
「長老は夜の明け方に亡くなられました。」
「それに今朝は、風の向きが私の方へではございませんでしたから。」
「クリュシフィクシオン長老です。聖(きよ)いお方でした。」
 院長は口をつぐんで、心のうちで祈祷(きとう)をとなえるかのようにちょっと脣を動かした。そしてまた言った。
「三年前ですが、クリュシフィクシオン長老の祈っていられる所を見たばかりで、一人のジャンセニスト派の人が、ベテューヌ夫人が、正教徒になられたことがあります。」
「ああ長老様、今初めて私は喪の鐘が耳にはいりました。」
「長老たちが、会堂に続いている死人の室(へや)へ運ばれたのです。」
「わかりました。」
「お前のほかにはだれも男はその室にはいることはできませんし、はいってはならないのです。よく考えてごらん。ありがたいことです、死人の室へ男がはいるのは。」
「もっとたび/\!」
「なに?」
「もっとたび/\!」
「何を言うのです。」
「もっとたび/\と申すのでございます。」
「何よりももっとたび/\というのです?」
「長老様、何かよりももっとたび/\と申すのではございません。ただもっとたび/\と申すのでございます。」
「お前の言うことはわかりませんね。なぜもっとたび/\と言うのですか。」
「長老様のように申そうと思ってでございます。」
「けれど私はもっとたび/\などとは言いませんでしたよ。」
「おっしゃりはしませんでした。けれども私は、長老様のおっしゃるとおりに申そうと思って、そう申したのでございます。」
 その時九時の鐘が鳴った。
「朝の九時にまたそれぞれの時間に、祭壇の聖体に頌讃(しょうさん)と礼拝とがありまするよう。」と院長は唱えた。
「アーメン。」とフォーシュルヴァンは言った。
 ちょうどよく時間が鳴ったのである。それは「もっとたび/\」を短く切り上げてくれた。もしその鐘が鳴らなかったら、おそらくいつまでたっても、院長とフォーシュルヴァンとはその迷語をかたづけることができなかったであろう。
 フォーシュルヴァンは額をふいた。
 院長はまた、何か祈祷(きとう)らしいことを心の中でちょっとつぶやいて、それから口を開いた。
「クリュシフィクシオン長老は、生前多くの人を本当の信仰に導かれました。亡(な)くなられてからは、きっと奇蹟を行なわれるでしょう。」
「行なわれるでございましょうとも!」とフォーシュルヴァンは言葉を合わせて、再び失策をすまいとつとめながら答えた。
「フォーヴァン爺(じい)さん、この組合の人たちは皆クリュシフィクシオン長老において祝福されました。もとより、ベリュール枢機官のように聖弥撒(ミサ)を唱えながら死に、または、いまこの供物をいたしますると唱えながら神様のもとへ魂をお返しすることは、だれにでも許されていることではありません。けれども、それほどの幸福にまでは達せられなくとも、クリュシフィクシオン長老は、いたって尊い臨終をなされました。最期(さいご)まで気を失わないでいられました。初めは私たちに話しかけていられましたが、後には天使たちに話しかけていられました。そして私たちに最後の希望を申されました。お前も、いま少し信仰があって、あの方(かた)の部屋にはいることができていたら、お前の足に触れてそれをおなおし下すったろうものにね。あの方はほほえまれました。神様のうちによみがえられたのだと、みな思いました。御臨終は、まったく天国へでも行かれるようでありましたよ。」
 フォーシュルヴァンはそれが祭文が終わったのだと思って言った。
「アーメン。」
「フォーヴァン爺(じい)さん、死んだ方のお望みは果してあげなければいけません。」
 院長は念珠を少し爪繰(つまぐ)った。フォーシュルヴァンは黙っていた。院長は言い進んだ。
「私はこのことについて、教えの道に身をささげてりっぱな効果を上げられている多くの聖職の方々に相談したのです。」
「長老様、庭の中よりここの方がよく喪の鐘が聞こえます。」
「その上、あの方はただ亡くなった人というよりも、聖者と申し上げたいお方です。」
「あなた様のように、長老様。」
「あの方はこの二十年というもの柩(ひつぎ)の中におやすみになりました、私どもの聖なる父ピウス七世の特別のお許しで。」
「あの冠を授けられた方でございましょう、皇……ブオナパルトに。」
 フォーシュルヴァンのような、りこうな者としては、そういう思い出はまずいことだった。ただ仕合わせにも院長は自分の考えばかりに没頭して、それを耳にしなかった。彼女は続けて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様?」
「カパドキアの大司教ディオドロス聖者は、地の虫けらという意味のアカロスという、ただ一字を墓石に彫るようにと望まれました、そしてそのとおりにされました。そうではありませんか。」
「はい、長老様。」
「アクイラの修道院長メツォーカネ上人は、絞首台の下に埋めらるるように望まれました。そして、それもそのとおりにされました。」
「さようでございます。」
「チベル河口にあるポールの司教テレンチウス聖者は、通る人々が墓に唾(つば)をかけて行くようにと、親殺しの墓につける標(しるし)を自分の墓石にも彫るように望まれました。そしてそれもそのとおりにされました。死んだ方のお望みには従わなければなりません。」
「さようになりますように。」
「フランスのローシュ・アベイユの近くでお生まれなされたベルナール・ギドニスは、スペインのチュイの司教であられましたけれど、またカスティーユの王様のおぼしめしもありましたけれど、その身体はお望みどおりにフランスのリモージュのドミニック派の会堂に運ばれました。それは嘘(うそ)だとは申せないでしょう。」
「申せませんとも、長老様。」
「その事実はプランタヴィ・ド・ラ・フォスによって証明されています。」
 また沈黙のうちに念珠が少し爪繰(つまぐ)られた。院長は言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、クリュシフィクシオン長老は、二十年の間寝ていられた柩(ひつぎ)の中に葬られなければなりません。」
「当然のことでございます。」
「それはただお眠りを続けられることです。」
「それで私はそのお柩に釘(くぎ)を打つのでございましょう?」
「ええ。」
「そして葬儀屋の棺はやめにするのでございましょう?」
「そのとおりです。」
「私は組合の方々(かたがた)の御命令どおりに何でもいたします。」
「四人の歌唱の長老たちがお手伝いして下されます。」
「柩に釘を打つのにでございますか。お手伝いはいりません。」
「いいえ。柩をおろすのに。」
「どこへおろします?」
「窖(あなぐら)の中へです。」
「どの窖でございますか。」
「祭壇の下の。」
 フォーシュルヴァンはぞっとした。
「祭壇の下の窖。」
「祭壇の下の。」
「けれども……。」
「鉄の棒があるでしょう。」
「ございます。けれども……。」
「お前は鉄の輪に棒を差し入れてその石を起こすのです。」
「けれども……。」
「死んだ方のお望みには従わなければなりません。礼拝堂の祭壇の下の窖(あなぐら)の中へ葬られること、汚れた土地の中へ行かないこと、生きてる間祈りをしていた場所に死んでもとどまりたいこと、それがクリュシフィクシオン長老の最後の御希望でありました。あの方はそれを私どもに願われました、云いかえれば、おいいつけなさいました。」
「けれども、それは禁じられてあります。」
「人間によって禁じられていますが、神によって命ぜられているのです。」
「もし知れましたら?」
「私たちはお前を信じています。」
「おお私は、この壁の石と同様口外はいたしません。」
「集会が催されています。私は声の母たちになお相談したのですが、皆評議の上で、クリュシフィクシオン長老は御希望どおりにその柩(ひつぎ)に納めて祭壇の下に葬ることに、きまったのです。まあ考えてごらん、もしここで奇蹟が行なわれたらどうでしょう! 組合のものにとっては何という神の栄光でしょう! 奇蹟というものは墓から現われて来るものです。」
「けれども、長老様、もし衛生係りの役人が……。」
「聖ベネディクト二世は、墓の事でコンスタンチヌス・ポゴナチウス皇帝と争われました。」
「それでも警察の人が……。」
「コンスタンス皇帝の時に、ゴールにはいってこられた七人のドイツの王様の一人であったコノデメールは、宗門の規定で葬られること、すなわち祭壇の下に葬られることを、修道士たちの権利として特に認可されました。」
「けれども警視庁の検察官が……。」
「世俗のことは十字架に対しては何でもありません。シャルトルーズ派の十一番目の会長であったマルタンは次の箴言(しんげん)をその派に与えられました。世の変転を通じて十字架は立つなり。」
「アーメン。」とフォーシュルヴァンは終わりのラテン語に対して言った。彼はラテン語を聞くごとに、いつもそうしてごまかすのだった。
 長く沈黙を守っていた者にとっては、だれか一人聞き手があればそれで足りるものである。ある時、ジムナストラスという修辞学の教師が牢獄から出たが、多くの両刀論法や三段論法などが全身にいっぱいつまっていて、立ち木に出会うとたちまちその前に立ち止まり、それに弁論をしかけ、それを説服するために大変な努力をしたという話がある。修道院長は、平素は厳格な緘黙(かんもく)の規則に縛られていたので、言葉の袋がはちきれそうにいっぱいふくらんでいた。それで立ち上がって、水門を切って放ったがように滔々(とうとう)と弁じ立てた。
「私は右にベネディクトと左にベルナールとを味方に持っています。ベルナールといえば、クレールヴォーの最初の修道院長でありました。ブールゴーニュのフォンテーヌは、彼を生んだ祝福された土地です。父をテスランといい、母をアレートと申しました。彼はクレールヴォーに至るまでにまずシトーに止まっていました。シャーロン・スュール・ソーヌの司教ギーヨーム・ド・シャンポーから修道院長の位を授かりました。彼に導かれた修練士が七百人ありまして、彼の建てた修道院が百六十あります。一一四〇年にはサンスの会議でアベーラールを説き伏せ、また、ピエール・ド・ブリュイやその弟子のアンリや、その他アポストリックといわれていた邪教徒の一種を説き伏せました。それから、アルノー・ド・ブレスをうちひしぎ、ユダヤ人殺戮者(さつりくしゃ)のラウール修道士をうち破り、一一四八年にはランスの会議を統べ、ポアティエの司教ジルベール・ド・ラ・ポレーを罪し、エオン・ド・レトアールを罪し、諸侯の軋轢(あつれき)をやめさせ、ルイ・ル・ジューヌ王の目を開かせ、法王ウーゼニウス三世に助言し、タンプル騎士団を整え、十字軍を説き回り、生涯(しょうがい)に二百五十の奇蹟を行ない、一日に三十九の奇蹟を行なったこともあります。それからベネディクトと言えば、モンテ・カシノの総主教であり、神聖修道院の基を定めた第二の人であり、西方のバジリオスであります(訳者注 四世紀ギリシャ教会の神父にしてキリスト教修道院の創設者)。彼の派からは、四十人の法王がいで、二百人の枢機官がいで、五十人の総主教と、千六百人の大司教と、四千六百人の司教と、四人の皇帝と、十二人の皇后と、四十六人の国王と、四十一人の王妃と、三千六百人の列聖者とが出ました。一四〇〇年来、連綿と続いています。一方に聖ベルナール、他方に衛生の役人、一方に聖ベネディクト、他方に風紀監督官! 国家や、風紀や、葬儀や、規則や、行政や、そんなものを私たちは一々知ってるものですか。まあどんなふうに私たちが扱われてるかを見たら、だれだって憤慨するでしょう。私たちには、自分の塵(ちり)をイエス・キリストにささげるの権利さえも許されていません。衛生などは革命が発明したものです。神が警察に属するようになったのです。そういうのが今の時代です。おだまりなさい、フォーヴァン!」
 フォーシュルヴァンはその折檻(せっかん)の下にあって、気が気でなかった。修道院長は続けた。
「埋葬地に対する修道院の権利は、だれにもわかりきったことです。それを否定するのは、狂信者か迷いの者かばかりです。私たちは今恐ろしい混乱の時代に生きています。人は皆、知るべきことを知らず、知るべからざることを知っています。皆汚れており、信仰を失っています。至大なる聖ベルナールと、十三世紀のある坊さんで、いわゆるポーヴル・カトリックのベルナールといわれた人とを、皆混同してしまってるような時代です。また、ルイ十六世の断頭台とイエス・キリストの十字架とをいっしょにするほど神を恐れない者もいます。ルイ十六世は一人の国王にすぎなかったのです。ただ神にのみ心を向くべきです。そうすればもはや、正しい人も不正な人もなくなります。今の人はヴォルテールという名前を知って、セザール・ド・ブュスという名前を知りません。けれどもセザール・ド・ブュスは至福を得た人で、ヴォルテールは不幸な人です。この前の大司教ペリゴール枢機官は、シャール・ド・ゴンドランがベリュールのあとを継ぎ、フランソア・ブールゴアンがゴンドランのあとを継ぎ、ジャン・フランソア・スノールがブールゴアンのあとを継ぎ、サント・マルト長老がジャン・フランソア・スノールのあとを継いだこと、そういうことも知らなかったのです。人がコトン長老の名前を知ってるのは、オラトアール派の創立に力を尽した三人のうちの一人であったからではなく、新教派の国王アンリ四世のために自分の名を提供して誓言の材料に供したからです。サン・フランソア・ド・サールが世俗の人に好まれるのは、カルタ遊びにごまかしをしたからです。それにまた人は宗教を攻撃します。それもただ、悪い牧師たちがいたからです。ガプの司教サジテールがアンブロンの司教サローヌの兄弟であり、二人ともモンモルの衣鉢(いはつ)を継いだからです。しかし、そういうことも結局どれだけの影響がありましょう。そういうことがあってもやはり、マルタン・ド・トゥールは聖者でありまして、自分のマントの半分を貧しい人に与えたではありませんか。人は聖者たちを迫害します。人は真実に対しては目をふさぎます。暗黒が普通のこととなっています。が、盲目な獣こそ最も猛悪な獣です。だれもまじめに地獄のことを考えていないのです。何という恥知らずの人民どもでしょう! 国王の名によってということは今日、革命の名によってという意味になっています。もう人は、生者に負うところのものも知らず、死者に負うところのものも知りません。聖者のように死ぬことは禁じられています。墳墓は俗事となっています。これは恐ろしいことです。法王聖レオ二世は、特別な宸翰(しんかん)を二つ書かれました、一つはピエール・ノテールに、一つはヴィジゴートの王に。それは、死者に関する問題について、太守の権力と皇帝の主権とに反抗し、それをしりぞけんためのものでした。シャーロンの司教ゴーティエは、その問題についてブールゴーニュ公オトンに対抗されました。昔の役人はその点については同意しました。昔は私たちは、世事に関しても勢力を持っていました。この会派の会長シトーの修道院長は、ブールゴーニュの議会の世襲の評議員でありました。私たちは私たちの死者について欲するとおりに行なうのです。聖ベネディクトは五四三年三月二十一日土曜日にイタリーのモンテ・カシノで死なれましたが、そのお身体は、フランスのサン・ブノア・スュール・ロアールといわれるフルーリー修道院にあるではありませんか。これは確かな事実です。私は邪道の聖歌者を忌み、修道院長をきらい、信徒を憎むのですが、だれでも私が言ったことに反対を唱える者をなおいっそう軽蔑するでしょう。アルヌール・ヴィオンやガブリエル・ブュスランやトリテームやモーロリキュスやリュク・ダシュリー師などの書いたものを読めばわかることです。」
 院長は息をついた。それからフォーシュルヴァンの方へ向いて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、わかりましたか。」
「わかりました、長老様。」
「お前をあてにしてよいでしょうね。」
「御命令どおりにいたします。」
「そうです。」
「私はこの修道院に身をささげています。」
「ではそうきめます。お前は柩(ひつぎ)の蓋(ふた)をするのです。修道女たちがそれを礼拝堂に持ってゆきます。死の祭式を唱えます。それからみな修道院の方へ帰ります。夜の十一時から十二時までの間に、お前は鉄の棒を持って来るのですよ。万事ごく秘密に行なうのです。礼拝堂の中には四人の歌唱の長老とアッサンシオン長老とお前とのほかはだれもいませんでしょう。」
「それと柱に就(つ)かれてる修道女が。」
「それは決してふり向きません。」
「けれども音は聞くでございましょう。」
「いいえ聞こうとはしますまい。それに、修道院の中で知れることも、世間には知れません。」
 またちょっと言葉がとぎれた。院長は続けた。
「お前はその鈴をはずすがよい。柱に就いてる修道女にお前のきたことを知らせるには及ばないから。」
「長老様。」
「なに? フォーヴァン爺(じい)さん。」
「検死のお医者はもうこられましたか。」
「今日の四時にこられるでしょう。お医者を呼びにゆく鐘はもう鳴らされました。お前はそれを少しもききませんでしたか。」
「自分の鐘の音ばかりにしか注意しておりませんので。」
「それでよいのです、フォーヴァン爺さん。」
「長老様、少なくとも六尺くらいの槓桿(てこ)がいりますでしょう。」
「どこから持ってきます?」
「鉄格子(てつごうし)のある所には必ず鉄の棒がございます。庭のすみにも鉄の切れが山ほどございます。」
「十二時より四五十分前がよい。忘れてはなりませんよ。」
「長老様?」
「何です?」
「まだほかにこんな御用がございましたら、ちょうど私の弟が強い力を持っておりますので。トルコ人のように強うございます。」
「できるだけ早くやらなければいけませんよ。」
「そう早くはできませんのです。私は身体がよくききません。それで一人の手助けがいるのでございます。第一跛者でございます。」
「跛者なのは罪ではありません。天のお恵みかも知れません。にせの法王グレゴリウスと戦ってベネディクト八世を立てられた皇帝ハインリッヒ二世も、聖者と跛者という二つの綽名(あだな)を持っていられます。」
「二つの外套(がいとう)は悪くはございません。」とフォーシュルヴァンはつぶやいた。彼の耳は実際いくらか聞き違いをすることがあった。
「フォーヴァン爺(じい)さん、一時間くらいはかかるつもりでいます。それくらいはみておかなければなりますまい。十一時には鉄の棒を持って、主祭壇の所へきますようにね。十二時には祭式が初まります。それより十五分くらい前にはすっかり済ましておかなければなりません。」
「何事でも組合の方々のためには一生懸命にいたします。確かにいたします。私は柩(ひつぎ)に釘(くぎ)を打ちます。十一時きっかりに礼拝堂へ参ります。歌唱の長老たちとアブサンシオン長老とがきていられるのでございますな。なるべくなら男二人の方がよろしゅうございますが、なにかまいません。槓桿(てこ)を持って参ります。窖(あなぐら)を開きまして、柩をおろしまして、そしてまた窖を閉じます。そういたせば何の跡も残りますまい。政府も気づきはしますまい。長老様、それですっかりよろしいんでございますな。」
「いいえ。」
「まだ何かございますか。」
「空(から)の棺が残っています。」
 それでちょっと行き止まった。フォーシュルヴァンは考え込んだ。院長も考え込んだ。
「フォーヴァン爺さん、棺をどうしたらいいでしょうかね。」
「それは地の中へ埋めましょう。」
「空(から)のままで?」
 また沈黙が落ちてきた。フォーシュルヴァンは左の手で、困難な問題を解決したかのような身振りをした。
「長老様、私が会堂の低い室(へや)で棺に釘(くぎ)を打つのでございます。そして私のほかにはだれもそこへははいれません。そして私が棺に喪布を掛けるのでございましょう。」
「そうです。けれども人夫たちは、それを車にのせ、そしてまた墓穴の中にそれをおろすので、中に何もはいっていないことに気づくでしょう。」
「なるほど、畜……」とフォーシュルヴァンは叫んだ。
 院長は十字を切って、じっと庭番の顔をながめた。生(しょう)という、あとの一語は彼の喉(のど)につかえて出なかった。
 彼は急いで、その悪い言葉を忘れさすために一つの方法を考えついた。
「長老様、私は棺の中に土を入れて置きましょう。そういたせば人がはいっているようになりますでしょう。」
「なるほどね。土は人間と同じものです。ではそうしてお前はからの棺を処分してくれますね。」
「お引き受けいたします。」
 その時まで心配そうで曇っていた修道院長の顔は、再び晴れ晴れとなった。彼女は庭番に、上役が下級の者をさがらする時のような合い図をした。フォーシュルヴァンは扉(とびら)の方へさがって行った。彼がまさに出ようとする時、院長は静かに声を高めて言った。
「フォーヴァン爺(じい)さん、私はお前を満足に思いますよ。あした葬式がすんだら、お前の弟を連れておいでなさい。そして、その娘も連れて来るように言っておやりなさい。」

     四 ジャン・ヴァルジャンとアウスティン・カスティーレホーの記事

 跛者の急ぎ足は片目の者の色目と同じで、中々目的物に届かないものである。その上、フォーシュルヴァンはまったく途方にくれていた。彼は庭のすみの小屋に帰りつくまでに、かれこれ十五分もかかった。コゼットはもう目をさましていた。ジャン・ヴァルジャンは彼女を火のそばにすわらしていた。フォーシュルヴァンがはいってきた時、ジャン・ヴァルジャンは壁にかかってる庭番の負(お)い籠(かご)をコゼットに示しながら言っていた。
「よく私の言うことをお聞き、コゼット。私たちはこの家から出なければなりません。けれどもまた帰ってきて、楽しく暮らせるんです。ここのお爺(じい)さんが、お前をあの中に入れてかついで行ってくれます。そしてあるお上(かみ)さんの家で私を待っているんですよ。私がすぐに連れにやってきます。とりわけ、テナルディエの上(かみ)さんにつかまりたくないから、よく言うことを聞いて、何にも言ってはいけませんよ。」
 コゼットはまじめな様子でうなずいた。
 フォーシュルヴァンが扉(とびら)を開く音に、ジャン・ヴァルジャンはふり返った。
「どうだったね?」
「すっかりうまくいきました、もう何も残っていません。」とフォーシュルヴァンは言った。「私はあなたがはいれるように許可を受けてきました。しかしあなたを入れる前に、あなたを出さなければなりません。困まるのはそのことです。娘さんの方はわけはありません。」
「お前さんが連れ出してくれるんだね。」
「黙っていてくれましょうね。」
「それは受け合うよ。」
「ですがあなたの方は? マドレーヌさん。」
 そして心配しきってちょっと口をつぐんだ後、フォーシュルヴァンは叫んだ。
「どうか、はいってこられた所から出ていって下さい。」
 ジャン・ヴァルジャンは最初そう言われた時と同じように、ただ一言答えた。「できない。」
 フォーシュルヴァンはジャン・ヴァルジャンに向かってというより、むしろ独語するようにつぶやいた。
「も一つ困まったことがある。土を入れるとは言ったが、ただ身体の代わりに土を入れたんでは、どうも本物と思えないだろう。うまくはゆくまい。ぐらぐらして、動くだろう。人夫どもは感づくだろう。ねえマドレーヌさん、政府に気づかれるでしょうな。」
 ジャン・ヴァルジャンは彼の顔をまともにじっとながめた、そして気でも狂ったんではないかと思った。
 フォーシュルヴァンはまた言った。
「どうして畜(ちく)……あなたは出られますか。明日までにはやってしまわなければなりません。明日あなたを連れてくることになっています。院長さんはあなたを待っているんです。」
 その時フォーシュルヴァンは、ジャン・ヴァルジャンがはいることを許されたのは、自分が組合のために尽す仕事の報酬であることを、説明してきかした。葬儀に参与するのは自分の職務の一つであること、自分は棺に釘(くぎ)を打ち墓地で墓掘り人に立ち会わねばならぬこと。今朝死んだ修道女は、長い間寝床にしていた柩(ひつぎ)に納めてもらいたいと願い、礼拝堂の祭壇の下にある窖(あなぐら)のうちに葬ってもらいたいと願ったこと。それは警察の規則で禁じられてることだが、何事もこばめないほどの聖(きよ)い修道女の願いであったこと。修道院長と声の母たちとは相談して、死者の希望どおりにしてやろうときめたこと。政府に対しては済まないが仕方ないこと。自分が室の中で柩に釘を打ち、礼拝堂の中で石の蓋(ふた)を起こし、窖の中に死人をおろすのであること。そしてそのお礼として、弟を庭番に姪(めい)を寄宿生に、二人とも家に入れることを院長が許したこと。弟というのはマドレーヌ氏であり姪というのはコゼットであること。明晩墓地で表面上の埋葬をした後、弟をつれて来るようにと、院長が彼に言ったこと。しかしマドレーヌ氏は外に出ていなければ、外から連れ込むことができないこと。そこに第一の困難があること。それからまた第二の困難があること、すなわち空棺が。
「その空棺とは何かね。」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
 フォーシュルヴァンは答えた。
「役所の棺ですよ。」
「どういう棺で、またどういう役所かね。」
「修道女が死にますと、役所の医者がきて、修道女が死んだと言うんです。すると政府から棺を送ってきます。そして翌日、その棺を墓地に運ぶために、車と人夫とをよこします。ところが人夫がやってきて棺を持ち上げてみると、中には何もはいっていないということになるんです。」
「何か入れたらいいだろう。」
「死人をですか。そんなものはありません。」
「いいや。」
「では何を入れます。」
「生きた人をさ。」
「どんな人をですか。」
「私をさ。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 腰掛けていたフォーシュルヴァンは、自分の椅子(いす)の下に爆烈弾が破裂したかのように飛び上がった。
「あなたを!」
「なぜいけないんだ。」
 ジャン・ヴァルジャンは冬空の中の光のように珍しくほほえんだ。
「ねえ、クリュシフィクシオン長老が死なれたとお前さんが言った時、私はつけ加えて言ったではないか、そしてマドレーヌさんも葬られたと。それはこのことなんだよ。」
「あああなたは笑っていらっしゃる。本気でおっしゃってはいなさらないんですね。」
「本気だとも、ここから出なければならないんだろう。」
「そうですよ。」
「私にもまた負(お)い籠(かご)と覆いとを見つけてくれと、言ったじゃないか。」
「それで?」
「その籠(かご)は樅(もみ)の板でできていて、覆(おお)いは黒いラシャなんだ。」
「いや第一それは白いラシャですよ。修道女たちは白くして葬られるんです。」
「では白いラシャにするさ。」
「あなたは、マドレーヌさん、ほんとに変わった人です。」

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