レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 今日、過去に味方する者らは、これらのことを否定し得ずして、それを微笑にまぎらさんとつとめた。歴史の摘発を止め、哲学の注釈を弱め、あらゆる不利な事実やいやな問題を省略せんがために、不思議な便利な方法を流行さした。大言壮語の題目だと巧みなる者らはいう。大言壮語だとその尻馬(しりうま)に乗った者らは繰り返す。かくて、ジャン・ジャック・ルーソーも壮語家となり、ディドローも壮語家となり、カラスやラバールやシルヴァン(訳者注 皆寃罪のために極刑に処せられし人)などを弁護するヴォルテールも壮語家となる。また最近だれかがかかることまで言った、タキツスは一つの壮語家であり、ネロ皇帝はその犠牲である、そして「このあわれなるホロフェルネス」(ネロ)こそまさしく同情すべきであると。
 しかしながら事実は曲げ難いものであり、頑強(がんきょう)なるものである。ブラッセルから八里ばかりの所、だれにもわかる中世のひな形のある所、すなわちヴィレルの修道院において、その中庭の牧場の中央に終身囚の穴と、ディール川の岸に半ばは地下に半ばは水の下になってる四つの石牢(ろう)とを、本書の著者は親しく見たのである。それこそまさしく寂滅牢の跡である。それらの地牢の各には、一つの鉄の扉(とびら)のなごりと、一つの厠(かわや)と、格子(こうし)のはまった一つの軒窓とが残っている。その軒窓は、外部では川の水面上二尺の所になっており、内部では地上六尺の所になっている。四尺の厚さの川水が壁の外を流れているわけである。地面はいつも湿っている。寂滅牢にはいった者は、その湿った地面の上に寝ていたのである。地牢のうちの一つには、壁にはめ込んである鉄鎖の一片が残っている。またあるものの中には、四枚の花崗岩(かこうがん)でできてる四角な箱のようなものが見られる。それは中に寝るにはあまりに短く、中に立つにはあまりに低い。昔その中に人を入れて上から石の蓋(ふた)をしたものである。それが残っている。目で見、手でさわることができる。それらの寂滅牢、それらの地牢、それらの鉄の扉の肱金(ひじがね)、それらの鉄鎖、川の水がすれすれに流されているその高い軒窓、墓穴のように花崗岩の蓋がされて中の者に死者と生者との違いがあるのみのその石の箱、泥深いその地面、その厠(かわや)の穴、水のしたたるその壁、それらを云々することが何で大言壮語家であるか!

     三 いかなる条件にて過去を尊重すべきか

 スペインまたはチベットにあったような修道院制度は、文明にとっては一種の結核である。それは生命の根を断つ。一言にして言えば人口を減ずる。閉居であり、去勢である。ヨーロッパにおいては天の罰であった。それに加うるに、しばしば人の本心に対してなされた暴行、強制的な加入、修道院生活に立脚する封建制、家庭の冗員を修道院のうちに送り込む父兄、前に述べたような残虐、寂滅牢、緘黙(かんもく)、閉鎖されたる頭脳、永久誓願の牢獄に入れられたる多くの不幸なる知力、僧服の着用、魂の生きながらの埋没。かくて、国民的衰退に加うるに個人の苦悩。それを思う時にはいかなる人も、人間の発明になった二つの経帷子(きょうかたびら)たるその道服と面紗(かおぎぬ)との前に、必ずや戦慄(せんりつ)を覚ゆるであろう。
 けれども、ある方面にはそしてある場所には、哲学や世の進歩にかかわらず、修道院的精神は十九世紀のさなかに残存している、そして禁慾主義のおかしな再興が今や文明社会を驚かしている。古き制度のなお永続せんとする頑固(がんこ)さは、臭き油のなお人の頭髪につけられんことを求むる頑強さにも似、腐った魚肉のなお食せられんことを求むる主張にも似、子供の衣服のなお大人にまとわれんことを求むる執拗(しつよう)さにも似、埋もれる死骸(しがい)のなお生きたる人々を抱擁しに戻りきたらんとする情愛にも似ている。
 恩知らずめ、天気の悪い時には汝を保護してやったではないか、それなのになぜもうわれを欲しないのか、と衣服は言う。われは海の底からやってきたのだ、と魚肉は言う。かつてわれは薔薇(ばら)だったのだ、と香油は言う。われは汝を愛したのだ、と死骸は言う。そしてわれは汝を文明に導いてやったのだ、と修道院は言う。
 それらに対してはただ一つの答えがあるばかりである、なるほど昔は、と。
 死亡したる事物の無限の延長を夢想し、木乃伊(ミイラ)によって人類の統治せらるるを夢想すること、退廃したる信条を復興すること、遺物櫃(ひつ)に再び金箔(きんぱく)をきせること、修道院を再び塗り立てること、遺骨匣(ばこ)を再び祝福すること、迷信を再び興すこと、狂言を再び盛んにすること、灌水器(かんすいき)と剣とに再び柄をすげること、修道院制と軍国主義とを再び建てること、寄食者の増加によって社会の幸福を信ずること、現在に過去を押し付けること、それは実に常規を逸したことと思われるではないか。けれど世にはかかる理論を主張する者がある。それらの理論家は、もとより才人であって、きわめて簡単な方法を持っていて、社会の秩序、天の正義、道徳、家庭、祖先崇拝、古き権威、神聖なる伝統、正法、宗教、などと彼らが称するところの塗料を過去の上に塗る。そして彼らは叫び回る。「いざ、善良なる人々よ、これを執れ。」そういう理論は、古人の間によく知られたものであった。ローマの卜占者(ぼくせんしゃ)らはそれを実行していた。彼らは黒牛に白堊(はくあ)を塗りつけて言った、「この牛は白である。」それこそ白塗りの牛である。
 吾人は、過去がただ死者たることを自認しさえするならば、過去をも部分的にはこれを尊び全体としてはこれをいたわってやるであろう。しかしもし生者たることを欲するならば、これを攻撃しこれを殺さんとつとむるであろう。
 迷信、頑迷(がんめい)、欺瞞(ぎまん)、偏見など、それらの悪霊は、悪霊でありながらもなお生命に執着し、その妖気(ようき)の中に歯と爪とを持っている。それらに対して白兵戦を演じ、戦闘を開き、しかも間断なき戦闘をなさなければならない。なぜならば、亡霊らと絶えざる戦いをなすことは、定められたる人類の運命の一つだからである。しかしながら影は、その喉(のど)をつかみ難くうち倒し難いものである。
 十九世紀のさなかに、フランスに、一修道院があるとすれば、それは日に向かってる梟(ふくろう)の学校に過ぎない。一七八九年と一八三〇年と一八四八年との三度の革命を経た都市の中央に禁慾主義を実行しながら、パリーのうちにローマを建てながら、一修道生活があるとすれば、それは時代錯誤である。普通の時にあっては、時代錯誤を解放させ消滅さするには、それができ上がった年号を呼ばすればそれで足りる。しかしながら今は普通の時ではない。
 戦おうではないか。
 戦おうではないか、しかしまた敵をよく弁別しようではないか。真理の特性は、決して過度ならずということである。真理は何ら誇張の必要を持っていない。破壊すべきものもあり、また単に光に照らして研究すべきものもある。好意あるまじめなる審査、それはいかに力強いことであるか。光の十分にある所には、炎を持ち行くことをやめようではないか。
 ゆえに、十九世紀の世にあって吾人は、一般的の問題として、またあらゆる民衆のうちにおいて、アジアとヨーロッパとを問わず、インドとトルコとを問わず、禁慾的閉居に反対する者である。修道院を説くは沼沢を説くに等しい。その腐敗性は明らかであり、その澱(よど)みは不健全であり、その毒気は民衆に熱を病ましめ民衆を衰弱せしむる。その数が増せばやがてエジプトの災厄となる。インド托鉢僧(たくはつそう)、仏教僧、マホメット教行者、ギリシャ修道者、マホメット教隠者、シャム仏僧、マホメット教僧侶、彼らが増加して蛆虫(うじむし)のごとく群がってる国を考える時、吾人は身震いせざるを得ない。
 かく言っても、宗教的問題はなお残っている。その問題は、神秘的なほとんど恐るべき方面を有している。ここに吾人をしてそれを凝視することを許していただきたい。

     四 原則の見地より見たる修道院

 多くの人が相集まって共同の家に住む。それはいかなる権利によってであるか? 団結の権利によってである。
 彼らはその家に閉じこもる。いかなる権利によってか? おのれの戸を開きもしくは閉ざすは各人の任意であるという権利によって。
 彼らは外出をしない。いかなる権利によってか? 自家にこもるのを権利をも含みたる行ききするの権利によって。
 そこで、家の中で、彼らは何をなすか?
 彼らは低い声で話している。目を伏せている。働いている。世間を、町を、肉欲を、快楽を、虚栄を、傲慢(ごうまん)を、利益を、すべて見捨てている。荒い毛か麻かの着物をつけている。一人としていかなるものをも所有権によって所有していない。そこにはいれば、富んでいた者も貧しくなる。おのれの持っているものは、これを皆の者に与える。貴族と言われ紳士と言われ王侯と言われていた者も、百姓であった者と同等になる。分房はだれのも同一である。皆同じ剃髪(ていはつ)式を受け、同じ道服をつけ、同じ黒パンを食し、同じ藁(わら)の寝床の上に眠り、同じ灰の上に死んでゆく。同じ行衣を背につけ、同じ繩(なわ)を腰にしめている。もしはだしで歩くことが規則ならば、みなはだしで歩く。もしそこに一人の王侯がいるとしても、もはや他の者らと等しく一つの影にすぎない。もはや何らの称号もない。姓さえも消えてしまっている。彼らは呼び名だけしか持っていない。皆平等な洗礼名の下に頭をたれている。彼らは肉親の家庭を解除して、その会派のうちに精神的の家庭を立てている。彼らの親戚はただすべての人である。彼らは貧しい人々を助け、病める人々を看護する。彼らはおのれが服従すべき人を自ら選む。互いに彼らは「わが兄弟姉妹」と呼ぶ。
 かく言えば人は私をさえぎって叫ぶであろう、「しかしそれは理想の修道院だ!」
 しかしそれを考察するには、ただそれがあり得べきものでさえあればいい。
 かくて私は前編において、一つの修道院のことを敬意をこめた調子で語ったのである。そして中世を外にし、アジアを外にし、歴史的政治的問題を差し控え、純然たる哲学的見地に立ち、攻撃的論議の道具を捨てて、修道生活は絶対に自発的なもので同意をしか含んでいないという条件において、注意深い真剣さとある点に関しては謙遜なる真剣さとをもって、修道会をなお続けて考察していってみよう。一つの組合がある所には自治区があり、一の自治区がある所には権利がある。修道院も平等と友愛という規範から生じたものである。ああいかに自由とは大なるものであるか、そしていかに光輝ある変容であることか! 修道院を共和国に変容せしむるためには、ただ自由ということで足りる。
 なお言葉を進めてみよう。
 あの四方の壁の背後にいるそれらの男や女は、荒布をまとい、みな平等で、互いに兄弟姉妹と呼んでいる。それはよろしい。しかし彼らはなお他の事をもなすか?
 しかり。
 何を?
 彼らは影を見つめ、ひざまずき、手を合わしている。
 それはいったいいかなる意味であるか?

     五 祈祷(きとう)

 彼らは祈る。
 だれを?
 神を。
 神を祈る、この語は何を意味するか?
 われわれの外部にある無窮なるものがあるのではあるまいか? その無窮なるものは、単一のものであり恒久不易なるものではあるまいか。無窮なるがゆえに、また、もし実体が欠くればその点で限られたるものとなるがゆえに、それは必然に実体的のものではあるまいか、そして、無窮なるがゆえに、また、もし霊が欠くればその点で限られたるものとなるがゆえに、それは必然に霊的のものではあるまいか。われわれは自身に存在の観念しか与え得ないが、その無窮なるものはわれわれのうちに本質の観念を覚(さま)させるのではあるまいか。言葉を換えて言えば、それはわれわれの対称たる絶対ではないだろうか。
 われわれの外部に無窮なるものがあると同時に、われわれの内部にも無窮なるものがないだろうか。その二つの無窮なるものが(何という恐るべき複数であるか!)互いに重なり合ってるのではないだろうか。第二の無窮なるものは、いわば第一のものの下層ではないだろうか。それは第一のものの鏡であり、反映であり、反響であり、第一の深淵(しんえん)と同中心の深淵ではないだろうか。この第二の無窮なるものもまた霊的のものではあるまいか。それは考え愛し意欲するのではあるまいか。もし二つの無窮なるものが霊的のものであるならば、その各は一つの意欲的本体を有し、そして上なるものに一つの自我があるとともに、下なるものにも一つの自我があるに違いない。この下なる自我がすなわち人の魂であり、上なる自我がすなわち神である。
 思念によって、下なる無窮のものを上なる無窮のものと接触させること、それを称して祈るという。
 人の精神から何物をも取り去らないようにしようではないか。除去することは悪いことである。ただ改革し進化させなければいけない。人間のある種の能力は、未知なるものの方へ向けられている、すなわち、思想と夢想と祈祷(きとう)とが。未知なるものは一つの大洋である。人の本心とは何か? それは未知なるものに対する羅針盤(らしんばん)である。思想、夢想、祈祷、そこにこそ大なる神秘的光輝がある。それらを尊敬しようではないか。人の魂のおごそかなるそれらの発光はどこへ向かって進むか。それは影へ向かってである。換言すれば光明へ向かってである。
 民主主義の偉大さは、何物をも否定しないことであり、人類の何物をも否認しないことである。人間の権利の側に、少なくともその横手に、魂の権利がある。
 狂言を押しつぶし、無窮なるものを跪拝(きはい)すること、それが法則である。創造の木の下にひれ伏し星辰(せいしん)に満ちたその広大なる枝葉をうち眺めることのみに、止まらないようにしようではないか。われわれは一つの義務を持っている。人の魂を培(つちか)い、奇蹟に対抗して神秘を護(まも)り、不可解を尊んで不条理を排し、説明し難いものについてはただ必要なるもののみを許容し、信仰を健全にし、宗教の上より迷信を除くこと、すなわち神より害虫を駆除することである。

     六 祈祷(きとう)の絶対善

 祈祷の方法は、ただそれがまじめでさえあるならばすべてよろしい。汝の書物を伏せよ、そして無窮なるもののうちにあれ。
 吾人の知るところによれば、無窮なるものを否定する一つの哲学がある。また病理学上一つの哲学となし得るもので太陽を否定するのがある。その哲学を盲目と称する。
 われわれに欠けたる一知覚を真理の基となすことは、盲者の虚勢である。
 おもしろいことには、神を見る哲学に対して、その手探りの哲学は、優者らしいあわれむような尊大な態度を取る。あたかも土竜(もぐらもち)が叫ぶがような声を出す、「奴(やつ)らの太陽ときたら気の毒なものだ!」
 吾人の知るところによれば、有名な強力な無神論者らが世にはいる。彼らは自分自らの力によって真の方へつれ戻されて、根本では確かな無神論者ではない。彼らにとってはただ定義の問題だけである。そして彼らは偉大なる精神の者らであるから神を信じはしないにしても、多くの場合にかえって神を証明している。
 吾人は彼らの哲学を厳正に弁別しながらも、彼らの精神のうちに哲学者があることを慶するものである。
 なお言を進めよう。
 同じくみごとなる一事は、言葉をもって満足するの容易さである。多少濃霧に感染している北方の一形而上学派は、力という語を意志という語で置き換えて、それで人間の悟性のうちに一革命をきたすものと信じた。
 植物は生長する、と言う代わりに、植物は意欲する、と言うことも、万有は意欲するということをそれにつけ加えるならばなるほど意味深いことであろう。なぜならばそれから次のことが出て来るであろうから。すなわち、植物は意欲す、ゆえに植物は一つの自我を有す、万有は意欲す、ゆえに万有は一つの神を有す。
 この学派と反対であって、何物をも先入主的にしりぞけない吾人に言わしむれば、この派の容認する植物のうちにある意志は、この派の否定する万有のうちにある意志よりも、いっそう容認し難いもののように思われる。
 無窮なるものの意志を、換言すれば神を否定することは、無窮なるものを否定するのでなければでき得ないことである。これは前に論証したところである。
 無窮なるものの否定は、直ちに虚無主義に陥ってゆく。すべては「人の精神の一概念」となってしまう。
 虚無主義に対しては議論は不可能である。なぜなれば、合理的な虚無主義者は、相手の者が存在しているかを疑い、また自分自身が存在していることをも確信してはいないからである。
 彼の見地よりすれば、彼自身も彼自身に対しては「自分の精神の一概念」にすぎない、ということになり得る。
 ただ彼は一事を気づかないでいる、精神という言葉を発することによって、否定したすべてのものを一括して自ら肯定しているということを。
 要するに、否という一語にすべてを到達せしむる哲学によっては、何らの思索の道も開かれない。
「否」という一語に対しては、ただ「しかり」という一つの答えがあるのみである。
 虚無主義は領域を有しない。
 虚無なるものは存しない。零(ゼロ)は存しない。すべては何かである。無は何物でもない。
 人はパンによってよりもなお多く肯定によって生きている。
 見ることと示すこと、それだけでも十分ではない。哲学は一つのエネルギーでなければならない。人間を進化せしむることをその目的とし結果として有しなければならない。ソクラテスはアダムのうちにはいってマルクス・アウレリウスを製造しなければならない。換言すれば、至福の人間から知恵の人間を生まれさせなければならない。エデンの園をリセオムの園に変えなければならない。学問は一つの興奮剤でなければならない。享楽するということ、それはいかにつまらない目的であり、いかに弱々しい野心であるか。禽獣(きんじゅう)のみが享楽する。思考すること、そこにこそ人の魂の真の勝利がある。人々の飢渇に思想を差し出し、すべての者に強壮剤として神の観念を与え、彼らのうちに本心と学問とを親和せしめ、その神秘なる面接によって彼らを正しき人たらしむること、それが真の哲学の使命である。倫理は多くの真理の開花である。静観することはやがて行動することになる。絶対的なるものは実際的なるものでなければならない。理想なるものは、人の精神にとっては呼吸し飲み食し得るものでなければならない。「取れよ、これこそわが肉、これこそわが血なり、」というの権利を有するものは、実に理想である。知恵は一つの神聖なる聖体拝受(コンミュニオン)である。かかる条件においてこそ、知恵は単に無益なる好学心たることを止めて、人類組合の唯一にして最高なる方法とはなるのである。そしてかかる条件においてこそ、知恵は哲学より宗教へまで上りゆくのである。
 哲学というものは、神秘を自由にながめんがために、そして好奇心を満足させるに便利なというだけの、あの神秘の上に建てられたる単なる張り出し建築のみであってはならない。
 吾人は、おのれの思想の詳説はこれを他の機会に譲って、ここにはただ一言を述べるに止めよう。すなわち、信仰と愛という原動力たる二つの力なしには、人間を出発点として考えることもできず、進歩を目的として考えることもできないと。
 進歩は目的である。理想はその典型である。
 理想とは何であるか。それは神である。
 理想、絶対、完全、無窮、皆同一意義の言葉である。

     七 非難のうちになすべき注意

 歴史と哲学とは、永久のそしてまた同時に単純なる義務を有している。すなわち、司教カイアファス、法官ドラコ、立法者トリマルキオン、皇帝チベリウス、などと戦うことである(訳者注 キリストを定罪せしめしユダヤの僧侶、酷薄なるアテネの法官、苛酷なるローマの立法官、残忍なるローマ皇帝)。それは明瞭(めいりょう)で直截(ちょくせつ)で公明であって、何らの疑雲をも起こさせないことである。しかしながら、隔離生活の権利は、その障害と弊害とをもってしてもなお、確認され許容されんことを欲するものである。修道生活は人間の一問題である。
 修道院、その誤謬(ごびゅう)のしかも無垢(むく)の場所、謬迷(びゅうめい)のしかも善良なる意志の場所、無知のしかも献身の場所、苦難のしかも殉教の場所、それについて語る時には、ほとんど常に然(しか)りと否とを言わざるを得ない。
 修道院、それは一つの矛盾である。その目的は至福、その方法は犠牲。修道院は実に、結果として極度の自己棄却を持つ極度の自我主義である。
 君臨せんがために王位を捨つる、それが修道院制の箴言(しんげん)であるように思われる。
 修道院のうちにおいては、人は享楽せんがために苦業する。死を書き入れた手形を振り出す。天の光明を地上のやみに振り換える。修道院のうちにおいては、天国を相続するの前金として地獄が受け入れられている。
 面紗(かおぎぬ)や道服などの着用は、永遠をもって報いられる自殺である。
 かくのごとき問題を取り扱うには、嘲笑(ちょうしょう)はその場所を得ないように吾人には思われる。善も悪も、すべてが真剣なのである。
 正しき人も眉(まゆ)をしかめることはある、しかし決して悪意ある微笑はもらさない。吾人は憤怒を知っている、しかし悪念を知らないものである。

     八 信仰、法則

 なお数言を試みたい。
 教会が策略に満たさるる時、吾人はそれを非難し、求道者が利欲に貪婪(どんらん)なる時、吾人はそれを侮蔑(ぶべつ)する。しかし吾人は常に考える人を皆尊敬する。
 吾人はひざまずく者を祝する。
 一つの信仰、それこそ人間にとって必要なるものである。何をも信ぜざる者は不幸なるかな!
 人は沈思しているゆえに無為であるとは言えない。目に見ゆる労役があり、また目に見えぬ労役がある。
 静観することは耕作することであり、思考することは行動することである。組み合わしたる両腕も働き、合掌したる両手も仕事をなす。目を天に向けることも一つの仕事である。
 タレスは四年間静坐していた。そして彼は哲学を築いた。
 吾人に言わしむれば、修道者も閑人ではなく、隠遁者も無為の人ではない。
 影を思うことは、一つのまじめなる仕事である。
 墳墓に対する絶えざる思念は生ける者に適したものであることを、前に述べた事がらと撞着(どうちゃく)なしに吾人は信ずるのである。この点については、牧師と哲学者とは一致する。死ななければならない。トラップの修道院長は、ホラチウスに言葉を合わせる。
 自己の生活に墳墓の現前を多少交じえること、それは賢者の法則である、そしてまた苦行者の法則である。この関係においては、苦行者と賢者とは一堂に会する。
 物質的の生成がある。吾人はそれを欲する。また精神的の偉大さがある。吾人はそれに執着する。
 考えなき躁急(そうきゅう)な精神は言う。
「神秘の傍に並んで動かないそれらの人々が何になるか。何の役に立つか。いったい何を為しているのか?」
 悲しいかな、吾人を取り巻き吾人を待ち受けている暗黒を前において、広大なる寂滅の手が吾人をいかになすかを知らないで、吾人はただ答えよう。「それらの人々の魂がなす仕事ほど崇高なものはおそらくないであろう。」そしてなお吾人はつけ加えよう。「おそらくそれ以上に有益なる仕事はないであろう。」
 決して祈祷(きとう)をしない人々のために、常に祈祷をする人がまさしく必要である。
 吾人の見るところでは、すべて問題は、祈祷に交じえられたる思想の量にある。
 祈祷するライプニッツ、それこそ偉大なものである。礼拝するヴォルテール、それこそみごとなものである。ヴォルテールは(訳者補 この堂を)神に建てぬ。
 吾人はもろもろの宗教には反対であるが、真の一つの宗教の味方である。
 吾人は説教の惨(みじ)めさを信ずるものであり、祈祷の崇厳さを信ずるものである。
 その上、今吾人が過ぎつつあるこの瞬間において、仕合わせにも十九世紀に跡を印しないであろうこの瞬間において、また、多くの現代人が享楽的な道徳を奉じ一時的な不完全な物質的事物をのみ念頭にしている中にあって、なお多くの人は下げた額と高くもたげぬ魂とを持っているこの時において、自ら俗世をのがれる者は皆吾人には尊むべき者のように思われる。修道院生活は一つの脱俗である。犠牲は誤った道を進もうともやはり犠牲たることは一である。厳酷なる誤謬を義務として取ること、そこには一種の偉大さがある。
 それ自身について言えば、理想的に言えば、そしてすべての外部を公平に見きわめるまで真理のまわりを回らんがために言えば、修道院は、ことに女の修道院は――なぜならば、現社会において最も苦しむものは女であり、そしてこの修道院への遁世(とんせい)のうちには一の抗議が潜んでいるからして――女の修道院は、確かにある荘厳さを有している。
 前に多少の輪郭を示しておいた厳格陰鬱(いんうつ)なる修道生活、それは生命ではない、なぜならば自由ではないから。それは墳墓ではない、なぜならば完成ではないから。それは不思議なる一つの場所である。高山の頂から見るように人はそこから、一方には現世の深淵(しんえん)をながめ、他方には彼世の深淵をながめる。それは二つの世界を分かってる狭い霧深い一つの境界で、両世界のために明るくされるとともにまた暗くされ、生の弱い光と死の茫漠(ぼうばく)たる光とが入り交じっている。それは墳墓の薄明である。
 それらの女の信ずるところを信じてはいないがしかし彼女らのごとく信仰によって生きている吾人をして言わしむれば、吾人は一種の宗教的なやさしい恐怖の情なしには、羨望(せんぼう)の念に満ちた一種の憐憫(れんびん)の情なしには、彼女らをながむることができないのである。震え戦(おのの)きながらしかも信じ切っているそれらの身をささげたる女性、謙遜なるしかも尊大なるそれらの魂、既に閉ざされたる現世と未だ開かれざる天との間に待ちながら、あえて神秘の縁に住み、目に見えざる光明の方へ顔を向け、唯一の幸福としてはその光明のある場所を知っていると考えることであり、深淵と未知とを待ち望み、揺るぎなき暗黒の上に目を定め、ひざまずき、我を忘れ、震え戦き、永遠の深き息吹(いぶ)きによって時々に半ば援(たす)け起こされるそれらの女性よ。
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   第八編 墓地は与えらるるものを受納す



     一 修道院へはいる手段

 ジャン・ヴァルジャンがフォーシュルヴァンのいわゆる「天から落ち」こんできたのは、前述のような家の中へであった。
 彼はポロンソー街の角(かど)をなしてる庭の壁を乗り越えたのだった。ま夜中に彼が聞いた天使たちの賛美歌は、修道女らが歌う朝の祈りであった。彼が暗闇(くらやみ)のうちにのぞき見た広間は、礼拝堂であった。彼が床(ゆか)の上に横たわってるのを見た幽霊は、贖罪(しょくざい)をなしてる修道女であった。彼がいぶかり驚いた音をたててた鈴は、フォーシュルヴァン爺(じい)さんの膝についてる庭番の鈴であった。
 コゼットを寝かすと、前に言ったとおりジャン・ヴァルジャンとフォーシュルヴァンとは、一杯の葡萄酒(ぶどうしゅ)と一片のチーズとを、よく燃える薪(まき)の火にあたりながら味わった。それから、その小屋の中にあるただ一つの寝台にはコゼットが寝ていたので、彼らはそれぞれ藁束(わらたば)の上に横になった。目をふさぐ前にジャン・ヴァルジャンは言った、「これから私はここに置いてもらわなくてはならない。」その言葉が、終夜フォーシュルヴァンの頭の中から去らなかった。
 実を言えば、二人とも眠れはしなかったのである。
 ジャン・ヴァルジャンは、見破られてジャヴェルから跡をつけられてることを感じていて、もしパリーの中へ出ていったら自分とコゼットとの破滅をきたすということがわかっていた。新たに吹きつけてきた一陣の風によってその修道院に投げ込まれたことであるから、もはやそこに止まろうという一つの考えしか持っていなかった。しかるに、彼のような地位にある不幸な者にとっては、その修道院は同時に最も危険なまた最も安全な場所だった。最も危険だというのは、いかなる男もそこへははいることができないので、もし見付かったら現行犯となり、しかもジャン・ヴァルジャンにとってはその修道院から牢獄まではただ一歩を余すのみだったからである。最も安全だというのは、もしそこに許されて止まることができたら、だれからもさがしにこられる憂いがなかったからである。不可能の場所に住むこと、それが安全の策であった。
 フォーシュルヴァンの方では、しきりに頭を悩ましていた。彼はまず、少しも訳がわからぬことを自ら認めた。あの高い壁にかこまれているのに、どうしてマドレーヌ氏がはいってきたのだろう。この修道院の壁は乗り越せるものではない。それにどうして子供を連れてはいってきたのだろう。腕に子供をかかえてつき立った壁を攀(よじ)登れるものではない。またあの子供は何者だろう。二人はいったいどこからきたのだろう。フォーシュルヴァンはその修道院にはいっていらい、モントルイュ・スュール・メールのことについては何の噂(うわさ)も聞かず、そこに起こったことを少しも知っていなかった。と言って、マドレーヌ氏の様子は事情を尋ねるのも気の毒なほどだった。その上フォーシュルヴァンは自ら言った、「聖者に何かと尋ねるものではない。」マドレーヌ氏は彼の目から見れば、まだりっぱな人であった。ただ、ジャン・ヴァルジャンの口からもれた数語によって、庭番は次のことが推察できるように思った。すなわち、マドレーヌ氏はおそらくこの困難な時勢のために破産に陥ったのであろう、そして債権者どもから追い回されてるのであろう、あるいはまた、何か政治上の事件に関係して、身を隠そうとしてるのかも知れない。そしてこの考えはフォーシュルヴァンの気に入った。彼は北方の多くの農民と同じく、古くからのボナパルト派だったからである。身を隠そうとして、マドレーヌ氏はこの修道院を避難所と定めたのであろう、そして彼がここにとどまりたいというのは当然なことである。けれども、フォーシュルヴァンが絶えず思い出して頭を悩ました不可解なことは、マドレーヌ氏が庭の中にいたこと、しかも子供といっしょにいたことであった。フォーシュルヴァンは二人を目で見、二人を手でさわり、二人に話しかけたのだが、それでもなお夢のような気がしていた。その不可解事は、今や彼の小屋の中まではいり込んできた。彼は種々想像をめぐらしてみた。そしてただ「マドレーヌ氏は自分の生命の親である」ということきり何もはっきりしたことはわからなかった。けれどもその確かな一事で十分だった。それで彼は心を定めた。彼はひそかに考えた、「こんどは自分の番だ。」そして心のうちでつけ加えた、「私を引き出すため車の下にはいり込むのにマドレーヌ氏は種々考えてみはしなかったんだ。」彼はマドレーヌ氏を助けようと決心した。
 それでもなお彼は、いろいろと自問自答した。「私にあれだけのことをしてくれたが、もし盗人だったとしても助けるべきものだろうか? やはり同じことだ。もし人殺しだったとしても助けるべきものだろうか? やはり同じことだ。聖者だからというので助けるべきだろうか? やはり同じことだ。」
 しかし彼を修道院にとどめるというのは、いかに困難な問題であったか! それでもほとんど夢にみるようなその仕事の前にも、フォーシュルヴァンはたじろぎはしなかった。ピカルディーのあわれな一百姓である彼は、献身と善意とまたこんどは任侠(にんきょう)な目的のためにめぐらされる古い田舎者(いなかもの)の多少の知恵とのほか、何らの梯子(はしご)も持たずに、修道院の難関と聖ベネディクトの規則の荒い懸崖(けんがい)とを、乗り越してみようと企てたのである。フォーシュルヴァン爺(じい)さんは生涯(しょうがい)の間利己主義者であったが、晩年になると跛者にはなるし身体はきかなくなるし、もう世間に何の興味もなくなり、恩を感ずることが楽しくなり、また何かいい行ないをなすべき場合に出会うと、あたかも、かつて味わったこともない上等の一杯の葡萄酒(ぶどうしゅ)に死ぬ間ぎわになって手を触れて、それを貪(むさぼ)り飲む人のように、そこに飛びついてゆくのであった。その上、修道院の中で既に数年間呼吸してきた空気は、彼の個性を滅却さして、ついに何らかのいい行ないをせざるを得ないようにしてしまったのである。
 で彼は決心をした、マドレーヌ氏に身をささげようと。
 われわれは今彼をピカルディーのあわれな百姓と呼んだ。この形容詞は正当なものではあるが、しかしそれだけでは不十分である。この物語もここまで進んでくると、フォーシュルヴァン爺さんの人がらを少しく述べることも有益になってくる。いったい彼は百姓であったが、公証人書記をしていたことがあった。そのために、彼の知恵には多少の訴訟癖が加わり、彼の素朴さには多少の洞察力(どうさつりょく)が加わった。ところが種々な理由で仕事に失敗して、公証人書記から荷車屋となり人夫とまでなり下がった。けれども、必要だと思えば馬をののしったり鞭(むち)を食わしたりしてはいたものの、なお彼のうちには公証人書記の性質が残っていた。彼は生まれながらの機知を持っていた。仮名づかいをも知っていた。田舎には珍しいほど話も上手だった。他の百姓どもは彼のことを、「あの男は旦那方のような言葉つきをする」と言っていた。フォーシュルヴァンは実際、十八世紀の煩雑(はんざつ)軽薄な言葉でいわゆる半都会人半田舎者というあの階級、お邸(やしき)から百姓家の方までひろがっていって平民どもの取って置きのたとえ言葉となってるものでいわゆる半平民半市民、胡椒(こしょう)と塩というあの階級、それに属していたのである。彼は運命にひどく苦しめられ弱らされており、すり切れたあわれな老耄(おいぼれ)の魂とはなっていたけれども、まだやはりきびきびした自発的な人間であった。これは人を決して悪人となさない尊い性質である。彼は欠点や悪徳も持ってはいたが、それは表面的なものだった。要するに彼の人相は、よく見るとはなはだ愛すべきものであった。その年老いた顔には、悪質か愚昧(ぐまい)かを示すあの上額のいやな皺(しわ)は少しもついていなかった。
 夜明け頃に、フォーシュルヴァンは途方もない夢をみて目をさました。見ると、マドレーヌ氏は藁束(わらたば)の上にすわって、眠ってるコゼットをながめていた。フォーシュルヴァンは半身を起こして言った。
「さて、あなたは今ここにいなさるが、どうして改めてはいる工夫をしたものでしょうかな。」
 その言葉は一言にして事情を言い尽したもので、ジャン・ヴァルジャンを夢想から呼びさました。
 二人の老人は相談をはじめた。
「まず、」とフォーシュルヴァンは言った、「この室から外に出ないようにしなければいけません。子供もあなたも二人とも。一足でも庭に出たら、もうおしまいです。」
「なるほど。」
「マドレーヌさん、」とフォーシュルヴァンはまた言った、「あなたはいい時に、というのは悪い時においででした。一人の修道女がひどく病気なんです。それでこちらはあまり注意されていませんでしょう。もう死にかかってるのかもわかりません。四十時間の祈祷(きとう)がされています。家中が大騒ぎをしています。皆その方に気を取られています。死にかかってる人は聖者なんです。いや実はここではみな聖者です。あの人たちと私との違いと言えばただ、あの人たちは私どもの部屋と言うのに、私は私の小屋と言うくらいのものです。死にかかると祈祷がありますし、死ぬとまた祈祷があるんです。で今日(きょう)だけはまずここにいて安心でしょうが、明日(あす)のところはわかりませんよ。」
「だが、」とジャン・ヴァルジャンは注意した、「この小屋は壁の陰になってるし、あの廃(すた)れた家に隠されてるし、木立ちもあるので、修道院から見えはすまい。」
「そのうえ修道女たちはここへは決してやってきません。」
「それで?」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 それで? というその疑問の調子は、「ここに隠れていることができるだろう」という意味だった。フォーシュルヴァンはその疑問の調子に答えた。
「それでも娘たちがいます。」
「娘たちというのは?」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
 フォーシュルヴァンがそれを説明するために口を開いた時に、鐘が一つ鳴った。
「修道女が死にました。」と彼は言った。「あれが喪の鐘です。」
 そして彼はジャン・ヴァルジャンに耳を澄ますように合い図をした。
 鐘はまた一つ鳴った。
「マドレーヌさん、喪の鐘です。一分おきに鳴って、身体が会堂から運び出されるまで二十四時間続きます。……ところで、それが遊戯をします。休みの間に毬(まり)でも一つころがってこようものなら、禁じられてはいますが、皆ここへやってきます。この辺をやたらにさがし回るんです。その天の使いたちは、それはいたずらな悪魔ですよ。」
「だれのことだ?」とジャン・ヴァルジャンは尋ねた。
「娘たちですよ。あなたはすぐに見つかるでしょうよ。娘たちは大きな声を出します、まあ男の人が! って。ですが今日は大丈夫です。今日は休みがありません。一日中祈祷(きとう)があるはずです。鐘が聞こえるでしょう。私が申したとおり一分に一つずつです。喪の鐘です。」
「わかった、フォーシュルヴァンさん。寄宿者の生徒たちがいるんだね。」
 そしてジャン・ヴァルジャンはひそかに考えた。
「コゼットの教育もこれでできるだろう。」
 フォーシュルヴァンは力をこめて言った。
「そうです、娘たちがいるんですよ。あなたのまわりに騒ぎ出します。駆けていきます。ここでは、男がいることは疫病神(やくびょうがみ)がいるようなものです。ごらんのとおり、猛獣かなんぞのように私の膝(ひざ)にもこうして鈴をつけておくんです。」
 ジャン・ヴァルジャンはますます深く考え込んだ。「この修道院のおかげでわれわれは助かるだろう」とつぶやいた。それから彼は声をあげた。
「そうだ、困難なのはここにとどまることだ。」
「いえ、」とフォーシュルヴァンは言った、「出ることが困難なんです。」
 ジャン・ヴァルジャンは全身の血が心臓に集まってくるように感じた。
「出るのが?」
「そうですよ、マドレーヌさん、ここにはいるにはまず出なければなりません。」
 そして、喪の鐘がまた一つ鳴るのを待って、フォーシュルヴァンは続けた。
「こんなふうでここにいるわけにはいきません。どこからきなすったかというのが問題になりますよ。私はあなたを知ってますから、天から落ちてきたでよろしいですが、修道女たちにとっては、門からはいってこなければいけませんからな。」
 その時突然、別な鐘のかなり複雑な音が聞こえた。
「あああれは、」とフォーシュルヴァンは言った、「声の母たちを呼ぶ鐘です。集会へ行くんです。だれかが死ぬと、いつも集会があります。今の人は夜明けに死にました。死ぬのはたいてい夜明けなんです。がとにかくあなたは、はいってきた所から出て行くわけにはいきませんか。これはこと更お尋ねするわけではありませんよ、ただはいってきた所から出て行くわけには?」
 ジャン・ヴァルジャンは青くなった。あの恐ろしい街路へまた出て行くことは、考えただけでもぞっとした。虎(とら)がいっぱいいる森から出て、やっと外にのがれたかと思うと、またそこにはいってゆけと勧められたようなものだった。まだその一郭には警察の者らがうようよしている、警官は見張りをしているし、番兵は至る所に立っているし、恐ろしい拳(こぶし)は彼の襟首(えりくび)をねらっているし、ジャヴェルもおそらく四つ辻(つじ)の片すみに待ち受けているだろう、そうジャン・ヴァルジャンは想像していた。
「それはできない!」と彼は言った。「フォーシュルヴァン爺(じい)さん、まあ私は天から落ちてきたとしておいてもらいたい。」
「ええ私はそう思ってます、そう思ってますとも。」とフォーシュルヴァンは言った。「そんなことはおっしゃらなくともよろしいですよ。神様はあなたをそばでよく見ようと思って手に取り上げて、それからまた下へおろされたのでしょう。ただあなたを男の修道院の中へおろそうとして、まちがえられたんです。それ、また鐘が鳴ります。門番へ合い図の鐘です。門番は役所へ行って、検死の医者をよこすように頼むんです。それは人が死んだ時にきまってやることです。修道女たちは医者が来るのをあまり好(す)きません。医者という者は少しも信仰のないものですから。医者は面紗(かおぎぬ)をはずしたり、時とすると他の所までめくります。それにしてもこんどは大変早く医者を呼びますが、どうしたんでしょう。あああなたのお児さんはまだ眠っていますね。何とおっしゃるんですか。」
「コゼット。」
「あなたの娘さんですか。まあ言わば、あなたはその祖父(おじい)さんとでも?」
「そうだ。」
「娘さんの方は、ここから出るのはわけはありません。中庭に私の通用門があるんです。たたけば門番があけてくれます。負いかごを背負って娘さんを中に入れて、そして出ます。フォーシュルヴァン爺(じい)さんが負いかごをかついで出かける、ちっとも不思議なことじゃありません。娘さんには静かにしてるように言っといて下さればよろしいです。上に覆(おお)いをしておきます。シュマン・ヴェール街に果物屋(くだものや)をしてる婆さんで私がよく知ってる者がありますから、いつでもそこに預けることにしましょう。聾でして、小さな寝床も一つあります。私の姪(めい)だが、明日(あした)まで預っていてくれ、と耳にどなってやりましょう。そしてまた娘さんはあなたといっしょにここにはいってくるようにしたらいいでしょう。私はあなたがたがここにはいれるように工夫します。ぜひともそうします。ですが、どうしてまずあなたは出たものでしょう。」
 ジャン・ヴァルジャンは頭を振った。
「私は人に見られてはいけないのだ。それが一番大事な点だ、フォーシュルヴァンさん。コゼットのようにかごにはいって覆(おお)いをして出られる方法はないものだろうか。」
 フォーシュルヴァンは左手の中指で耳朶(みみたぶ)をかいた。非常に困まったことを示す動作だった。
 その時第三の鐘が鳴って頭を他に向けさした。
「あれは検死の医者をいよいよ迎いにゆく合い図です。」とフォーシュルヴァンは言った。「医者は死人を見てから、死んでいる、よろしい、と言うんです。天国への通行券に医者が署名しますと、葬儀屋が棺をよこします。長老だと長老たちが、普通の修道女だと修道女たちが、死体を棺に納めます。それから私が釘(くぎ)を打つんです。それは庭番の仕事の一つになっています。庭番は墓掘り人の用までするんです。棺は会堂の低い室に入れられます。室は、往来に続いていまして、検死の医者のほかはだれも男ははいることができません。もっとも人夫どもだの私などは人数のうちにははいりませんからな。私が棺に釘を打つのはその室の中でです。そして人夫どもが棺を取りにきて、馬に鞭(むち)をあてて行ってしまいます。そういうふうにして天国に行くんですよ、空(から)の箱を持ってきて、それに何かを入れて持って行くんです。そういうのが葬式です。デ・プロフォンディスです。」(訳者注 深き淵よりわれは主よなんじを呼ばわりぬ、という死者の祈りの句)
 ま横から低くさしてくる太陽の光が、コゼットの顔に当たっていた。眠っている彼女は、ぼんやりと口を少し開いていて、光を吸ってる天使のようだった。ジャン・ヴァルジャンはその顔をながめはじめていた。彼はもうフォーシュルヴァンの言うことに耳を傾けていなかった。
 耳を傾けられていないことは口をつぐむ理由とはならない。善良な老庭番は、静かにくどくどと話を続けた。
「墓穴はヴォージラールの墓地に掘るんです。何でもその墓地はまもなく廃止になるということです。古い墓地でして、規定外のものだとか、規則に合わないとかで、取り払われるんだそうです。困まったものですよ。至って便利ですがね。そこには私の知ってる者が一人います。メティエンヌ爺(じい)さんと言って、墓掘りです。ここの修道女たちは特別に許されていまして、夜になってからその墓地に運ばれるんです。彼女たちのために特別な市庁の許可があるんです。ですがまあ昨日から何といろいろなことが起こったことでしょう! クリュシフィクシオン長老は死なれるし、それにマドレーヌさんまでが……。」
「葬られたのだね。」とジャン・ヴァルジャンは悲しげにほほえんで言った。
 フォーシュルヴァンはその言葉じりを取り上げた。
「なるほど、すっかりここにはいってしまわれたら、全く葬られたことになりますな。」
 四番目の鐘の音が響いてきた。フォーシュルヴァンは急に鈴のついた膝当(ひざあて)を釘(くぎ)から取りおろして、それを膝(ひざ)にはめた。
「こんどは私の番です。院長さんが私を呼んでいます。どれ一走り行ってきます。マドレーヌさん、ここを動いてはいけませんよ。待っていて下さい。何かまた工夫もつきましょうから。腹がすきましたら、あすこに葡萄酒(ぶどうしゅ)もパンもチーズもありますよ。」
 そして彼は小屋を出ながら言った、「ただ今参ります、ただ今!」
 ジャン・ヴァルジャンは彼の姿を見送った。彼はその跛の足でできる限り急いで、横目で瓜畑(うりばたけ)の方を見ながら庭を横ぎって行った。
 それから十分とたたないうちに、フォーシュルヴァン爺(じい)さんは鈴の音で修道女らを追い散らしながら進んでいって、一つの扉(とびら)を軽くたたいた。静かな声が中から答えた、「永遠に、永遠に、」すなわち「おはいり」と。
 その扉は、用のある時庭番を呼ぶことになってる応接室の扉だった。その応接室は集会の室(へや)に続いていた。修道院長は室の中にあるただ一つの椅子(いす)に腰掛けて、フォーシュルヴァンを待っていた。

     二 難局に立てるフォーシュルヴァン

 急迫した場合にいらだったしかも沈痛な様子をするのは、ある種の性格の人やある種の職業の人には常のことであるが、ことに牧師や修道者にはそうである。フォーシュルヴァンがはいってきた時、そういう二種の懸念の様子は院長の顔つきの上に現われていた。普通ならば、その学者であって愛嬌(あいきょう)のあるブルムール嬢すなわちイノサント長老は、至って快活な人だったのである。
 庭番はおずおずしたおじぎをして、室の入り口に立ち止まった。院長はその大念珠を爪繰(つまぐ)っていたが、目を上げて言った。
「ああフォーヴァン爺さんですか。」
 その省略名が修道院でも使われていた。
 フォーシュルヴァンはまたおじぎをした。
「フォーヴァン爺(じい)さん、お前を呼んだのは私(わたし)ですよ。」
「それで私(わたくし)は参りました。」
「お前に話があります。」
「私の方でもちょうど、」とフォーシュルヴァンは内心に恐れながらも思い切って言った、「長老様に少々申し上げたいことがございます。」
 院長は彼をじっと見た。
「ああ何か私の耳に入れたいことがあるんですか。」
「お願いがございますので。」
「では、話してごらんなさい。」
 もと公証人書記をやった朴訥(ぼくとつ)なフォーシュルヴァンは、物に動じない百姓とでも言うべき人物だった。一種の巧妙な無知というものは一つの力である。だれもそれに用心をしないで、かえってそれにいたされる。修道院に住むようになってから二年以上の間、フォーシュルヴァンは会衆の間にはなはだうまく立ちまわった。いつも一人で、庭の仕事を片付けながら、彼はただ好奇の目を見張ることばかりをしていた。行き来する面紗(かおぎぬ)をかけた女たちから遠くに離れていたので、彼はほとんど自分の前には影が動き回るのを見るだけだった。けれども注意と烱眼(けいがん)とをもって、彼はついにそれらの幽霊に肉を与え、それらの生きながらの死人をよみがえらすに至った。彼はあたかも、聾のために目が鋭くなった人のようだし、また盲目のために耳が鋭くなった人のようだった。彼は種々な鐘の音の意味を解くにつとめて、それに成功し、そしてついにその謎(なぞ)のような沈黙の修道院の内部をことごとく知ってしまった。スフィンクスはそのあらゆる秘密を彼の耳にしゃべってしまった。ところがフォーシュルヴァンはすべてを知りながら、すべてを隠していた。そこに彼の技巧があった。修道院の者はみな彼をばかだと思っていた。それは宗教においては大なる価値となる。声の母たちはフォーシュルヴァンを重宝がった。彼は珍しいほど無口だった。それで人々の信用を得た。その上彼はきちょうめんであって、また果樹や野菜などのためのはっきりした用事のほかは外出しなかった。そういう慎重な行ないが彼のためになった。それでも彼は二人の男にいろいろなことをしゃべらした。修道院では門番に、そして彼は応接室の種々なことを知った。墓地では墓掘り人に、そして彼は墓場の種々なことを知った。そのようにして彼は、修道女たちのことに関して二重の知識を得た、一つはその生について、一つはその死について。しかし彼は何一つ利用しなかった。会衆は彼を大事にした。年取って、跛者で、何事にも盲目で、また耳も少し遠いらしいので、これ以上都合のいいことはなかった。彼に代わるべき者はほとんどないと皆思っていた。
 爺(じい)さんは、自分がよく思われてることを知ってるので安心して、修道院長様の面前で、かなりごたごたしたしかもきわめて意味の深いおしゃべりを田舎言葉(いなかことば)でやり出した。彼はくどくどと、老年であること、身体がよくきかないこと、以前より二倍も骨が折れること、仕事もしだいに多くなること、庭の広いこと、たとえば昨夜のように月のいい晩には瓜畑(うりばたけ)の上に蓆(こも)をかぶせてやらなければならなかったりして夜明かしをすること、いろいろ並べ立ててからついに言い出した。自分には一人の弟がある――(院長はちょっと身を動かした)――けれどもう年取っている(院長はまた身を動かしたが、それは安心の身振りだった)――もし許されるなら、弟にきてもらっていっしょに住んで助けてもらいたい。弟はすぐれた園丁である。弟は自分よりははるかに会衆の役に立つに違いない。――もしまた、弟が許されないようなことになると、それより年上である自分の方は、全く弱り切ってしまってるので、仕事にたえられなくて、非常に残念ではあるが、暇を頂かなければならないかも知れない。――弟には小さな娘が一人あるので、それを連れて来るだろう。そしたらここで神様のもとに育てられて、あるいは後に一人の修道女とならないとも限らない。
 彼がそういう話をしてしまった時に、院長は大念珠を爪繰(つまぐ)るのをやめて、そして言った。
「今から晩までのうちに、丈夫な鉄の棒を一本手にいれることができるでしょうか。」
「なにになさるのでございますか。」
「物を持ち上げるためです。」
「承知いたしました、長老様。」とフォーシュルヴァンは答えた。
 院長はその他には一言も言わずに、立ち上がって、隣の室にはいって行った。そこは集会の室(へや)で、たぶん声の母たちが集まっていたのであろう。フォーシュルヴァンは一人取り残された。

     三 イノサント長老

 約十五分ばかり過ぎた。修道院長は戻ってきて、椅子(いす)にまた腰掛けた。
 二人とも何かに頭を満たされてるようだった。今ここに、二人の間にかわされた対話をできる限りそのまま速記してみよう。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様。」
「お前は礼拝堂を知っていますね。」
「礼拝堂に私は、弥撒(ミサ)や祭式を聞きます自分の小さな席を持っております。」
「それから用のために歌唱の間(ま)へはいったこともありますね。」
「二、三度ございます。」
「あそこの石を一枚上げるのです。」
「あの重い石でございますか。」
「祭壇のわきにある舗石(しきいし)です。」
「窖(あなぐら)をふさいでるあの石でございますか。」
「そう。」
「そういうことをいたすにも、二人いた方が便利でございますよ。」
「男のように強いあのアッサンシオン長老がお前に手伝って下さるでしょう」
「女の方(かた)と男とは別でございます。」
「お前の手助けといっては、ここには女一人きりおりません。だれでもできる限りのことをするよりほかはありません。マビーヨン師は聖ベルナールの四百十七篇を書かれ、メルロヌス・ホルスティウスはその三百六十七篇しか書かれなかったからといって、私はメルロヌス・ホルスティウスを軽蔑しはしません。」
「さようでございますとも。」
「自分自分の力に応じて働くことが尊いのです。修道院は工場ではありません。」
「そして女は男ではございません。私の弟は強い男でございます。」
「それから槓桿(てこ)を一つ用意しておきますように。」
「あのような扉(とびら)に合う鍵(かぎ)といっては槓桿(てこ)のほかにはありません。」
「石には鉄の輪がついています。」
「槓桿をそれに通しましょう。」
「そして石は軸の上に回るようにしてあります。」
「それはけっこうでございます。窖(あなぐら)を開きましょう。」
「そして四人の歌唱の長老たちが立会って下されます。」
「そして窖をあけましてからは?」
「またしめなければなりません。」
「それだけでございますか。」
「いいえ。」
「何でもお言いつけ下さい、長老様。」
「フォーヴァンや、私たちはお前を信用しています。」
「私は何でもいたします。」
「そして何事も黙っていますね。」
「はい、長老様。」
「窖をあけましたらね……。」
「またしめます。」
「でもその前に……。」
「何でございますか、長老様。」
「その中に何か入れるのです。」
 ちょっと沈黙が続いた。院長は躊躇(ちゅうちょ)するように下脣(したくちびる)をとがらしたが、やがて言い出した。
「フォーヴァン爺(じい)さん。」
「長老様?」
「お前は今朝一人の長老が亡(な)くなられたのを知っていましょうね。」
「存じません。」
「では鐘を聞きませんでしたか。」
「庭の奥までは何にも聞こえません。」
「ほんとうに?」
「自分の鐘の音もよく聞こえないくらいでございますから。」
「長老は夜の明け方に亡くなられました。」
「それに今朝は、風の向きが私の方へではございませんでしたから。」
「クリュシフィクシオン長老です。聖(きよ)いお方でした。」
 院長は口をつぐんで、心のうちで祈祷(きとう)をとなえるかのようにちょっと脣を動かした。そしてまた言った。
「三年前ですが、クリュシフィクシオン長老の祈っていられる所を見たばかりで、一人のジャンセニスト派の人が、ベテューヌ夫人が、正教徒になられたことがあります。」
「ああ長老様、今初めて私は喪の鐘が耳にはいりました。」
「長老たちが、会堂に続いている死人の室(へや)へ運ばれたのです。」
「わかりました。」
「お前のほかにはだれも男はその室にはいることはできませんし、はいってはならないのです。よく考えてごらん。ありがたいことです、死人の室へ男がはいるのは。」
「もっとたび/\!」
「なに?」
「もっとたび/\!」
「何を言うのです。」
「もっとたび/\と申すのでございます。」
「何よりももっとたび/\というのです?」
「長老様、何かよりももっとたび/\と申すのではございません。ただもっとたび/\と申すのでございます。」
「お前の言うことはわかりませんね。なぜもっとたび/\と言うのですか。」
「長老様のように申そうと思ってでございます。」
「けれど私はもっとたび/\などとは言いませんでしたよ。」
「おっしゃりはしませんでした。けれども私は、長老様のおっしゃるとおりに申そうと思って、そう申したのでございます。」
 その時九時の鐘が鳴った。
「朝の九時にまたそれぞれの時間に、祭壇の聖体に頌讃(しょうさん)と礼拝とがありまするよう。」と院長は唱えた。
「アーメン。」とフォーシュルヴァンは言った。
 ちょうどよく時間が鳴ったのである。それは「もっとたび/\」を短く切り上げてくれた。もしその鐘が鳴らなかったら、おそらくいつまでたっても、院長とフォーシュルヴァンとはその迷語をかたづけることができなかったであろう。
 フォーシュルヴァンは額をふいた。
 院長はまた、何か祈祷(きとう)らしいことを心の中でちょっとつぶやいて、それから口を開いた。
「クリュシフィクシオン長老は、生前多くの人を本当の信仰に導かれました。亡(な)くなられてからは、きっと奇蹟を行なわれるでしょう。」
「行なわれるでございましょうとも!」とフォーシュルヴァンは言葉を合わせて、再び失策をすまいとつとめながら答えた。
「フォーヴァン爺(じい)さん、この組合の人たちは皆クリュシフィクシオン長老において祝福されました。もとより、ベリュール枢機官のように聖弥撒(ミサ)を唱えながら死に、または、いまこの供物をいたしますると唱えながら神様のもとへ魂をお返しすることは、だれにでも許されていることではありません。けれども、それほどの幸福にまでは達せられなくとも、クリュシフィクシオン長老は、いたって尊い臨終をなされました。最期(さいご)まで気を失わないでいられました。初めは私たちに話しかけていられましたが、後には天使たちに話しかけていられました。そして私たちに最後の希望を申されました。お前も、いま少し信仰があって、あの方(かた)の部屋にはいることができていたら、お前の足に触れてそれをおなおし下すったろうものにね。あの方はほほえまれました。
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