レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 日が出ようとする頃、戸をあけ初めたモンフェルメイュの人々は、見すぼらしい服装(なり)をした老人が、腕に薔薇色(ばらいろ)の大きな人形を抱えた喪服の小娘の手を引いて、パリー通りを歩いてゆくのを見た。彼らはリヴリーの方へ進んで行った。
 それはあの旅客とコゼットであった。
 だれもその男を知ってる者はなかった。またコゼットも今はぼろを着ていなかったので、多くの者はそれと気づかなかった。
 コゼットはそこを立ち去りつつあった。だれとともに? 自分でもそれを知らなかった。どこへ向かって? 自分でもそれを知らなかった。ただ彼女の知っていたことは、今や自分はテナルディエの飲食店をあとにしているということのみだった。だれも彼女に別れを告げようとするものもいなかった。また彼女もだれに別れを告げようとも思わなかった。憎み憎まれたその家から彼女は出て行った。
 あわれなやさしき娘よ、その心はこれまでただ圧迫をのみ受けていたのである!
 コゼットは大きな目を開いて、大空をうちながめながらしっかりした足取りで歩いていた。彼女は新しい胸掛けのポケットにルイ金貨を入れていた。時々身をかがめてはちらとそれをのぞき込み、それから老人を見上げた。彼女はあたかも神様の近くにでもいるような心地がした。

     十 最善を求むる者は時に最悪に会う

 テナルディエの女房はいつものとおり亭主のなすままに任しておいた。彼女は何か大事を予期していた。男とコゼットとが立ち去った時、テナルディエは十五分余りもじっとしていたが、やがて女房をわきに呼んで、千五百フランを見せた。
「それだけですか!」と彼女は言った。
 二人が家を持っていらい、彼女が亭主の仕事に批評がましい口を出したのは、それが初めてだった。
 それはみごとに的に当たった。
「なるほど、お前の言うとおりだ。」と亭主は言った。「ばかをやった。帽子を取ってくれ。」
 彼は三枚の紙幣を折ってポケットにつっ込み、大急ぎで出て行った。しかし彼は方向をまちがえて、初め右の方へ行った。それから近所の者に尋ねて本当の方向を知った。アルーエットと男とはリヴリーの方へ行くのが見られたそうである。彼はその言葉に従い、独語しながら大またに進んで行った。
「あの男は黄色い着物を着てるがまさしく大金持ちだ。俺はばかだった。初めに二十スー出し、それから五フラン、それから五十フラン、それから千五百フラン、それも無造作に出してしまった。一万五千フランでも出したかも知れない。だが追っつけるだろう。」
 それからまた、子供のために前から用意してきた着物の包み、それが不思議だった。それには何か秘密があるに相違なかった。秘密をつかんでおいて手放すということがあるものではない。金持ちの秘密は金を含んだ海綿と同じだ[#「同じだ」は底本では「同じた」]。それをしぼってやらなければいけない。そういう考えが彼の脳裏に渦巻いた。「俺(おれ)はばかだった、」と彼は独語した。
 モンフェルメイュを出て、リヴリーへ行く道が曲がってる所まで行くと、その先は高原の上に続いているのが遠くまで見渡される。で彼はそこまで行ったら、男と娘との姿が見えるものと考えた。それで目の届く限り見渡してみたが、何にも見えなかった。彼はまた人に尋ねてみた。そうこうするうちに時間を失っていた。通りがかりの人々の言葉では、彼がさがしてる男と子供とはガンニーに面した森の方へ行ったということだった。彼はその方向へ急いだ。
 二人は彼より先に出かけていた。しかし子供の足は遅い。そして彼は早く歩いていた。その上その辺の地理に彼は詳しかった。
 突然彼は立ち止まって、額をたたいた。あたかも大事なことを忘れていて引き返そうとしてる者のようだった。
「銃を持って来るんだった!」と彼は思った。
 テナルディエは二重の性格を持ってる男だった。そういう男はしばしば、だれも気づかぬうちに人々の間を通りぬけ、まただれにも認められずに姿を隠してしまうものである。なぜなら、そのただ一方面だけをしか見せないようにできているから。多くの者は、そういうふうにして半ば影に潜んで生活するようになっている。平和な普通の場合にはテナルディエは、正直な商人、善良な市民――である、とは言えないが――となるに足るだけのものを持っていた。と同時にまたある場合になると、底の性質をもたげさせるようなある事件が起こると、悪党たるに足るだけのものを持っていた。彼は底に怪物を蔵した商人であった。彼が生活してる家の片すみには、悪魔が時々うずくまって、自分が作ったその醜い傑作の前に思いにふけったに違いない。
 ちょっと躊躇(ちゅうちょ)した後、彼は考えた。
「ええ、ぐずぐずしてるうちには逃げてしまう!」
 そして彼はまっすぐに大急ぎで進んでいった。あたかも鷓鴣(しゃこ)の群れをかぎつけた狐(きつね)のように敏捷(びんしょう)に、ほとんど確信があるような様子で。
 果して、池の所を通りすぎ、ベルヴュー並み木道の右手にある広い粗林を斜めに横ぎって、シェル修道院の昔の水道の覆(おお)いとなってほとんど丘を取り巻いてる芝生(しばふ)の小道まで達した時、彼は一つの帽子が藪(やぶ)の上から見えてるのを認めた。彼がいろんな憶測をなげかけた帽子で、あの男の帽子だった。藪は低かった。テナルディエは男とコゼットがそこにすわってるのを見て取った。コゼットの方は小さいので見えなかったが、人形の頭が見えていた。
 テナルディエの見当はまちがわなかった。男は実際そこにすわってコゼットを少し休ましていたのである。テナルディエは藪をまわって、追いかけてきたその二人の目の前に突然現われた。
「ごめん下さい。」と彼は息を切らしながら言った。
「ここに旦那(だんな)の千五百フランを持って参りました。」
 そう言いながら彼は、三枚の紙幣を男の前に差し出した。
 男は目をあげた。
「それはいったいどういうわけですか。」
 テナルディエは丁寧に返事をした。
「旦那、コゼットを返していただきたいと申すのです。」
 コゼットは身を震わして、男にひしと寄りすがった。
 男はテナルディエの目の中をのぞき込みながら、一語一語ゆっくりと答えた。
「君がコゼットを、返してもらいたいのですと?」
「はい旦那(だんな)、返していただきましょう。こういうわけなんです。私はよく考えてみました。実際私は旦那に娘をお渡しする権利はありませんのです。私は正直な人間ですからな。この娘は私のものではなく、その母親のものです。私にこの娘を預けたのは母親ですから、母親にだけしか渡すことはできません。母親は死んでるではないかと旦那はおっしゃるでしょう。ごもっともです。で私はこの場合、この人に子供を渡してくれといったような、何か母親の署名した書き付けを持って参った人にしか、子供を渡すことはできませんのです。明瞭(めいりょう)なことなんです。」
 男は何とも答えないでポケットの中を探った。テナルディエは紙幣のはいってる紙入れがまた出てくるのを見た。
 テナルディエはうれしさにぞっとした。
「うまいぞ!」と彼は考えた、「一つ談判をしてやろう。俺を買収するつもりだな。」
 紙入れを開く前に、旅客はあたりを見まわした。まったく寂寞(せきばく)たる場所だった。森の中にも谷合いにも一つの人影も見えなかった。男は紙入れを開いた。そして中から、テナルディエが待っていた一つかみの紙幣ではなく、一枚の小さな紙片を取り出した。男はそれを開いて、テナルディエの前につきつけて言った。
「道理(もっとも)です。これを読んでもらいましょう。」
 テナルディエは紙片を取り上げて読んだ。

  モントルイュ・スュール・メールにて、一八二三年三月二十五日
テナルディエ殿
この人へコゼットを御渡し下されたく候
種々の入費は皆支払うべく候
謹(つつし)みてご挨拶(あいさつ)申し上げ候
                        ファンティーヌ

「君はこの署名を覚えていましょうね。」と男は言った。
 それはいかにもファンティーヌの署名だった。テナルディエはそれを認めた。
 もう何ら抗弁の余地はなかった。彼は二重の激しい憤懣(ふんまん)の情を感じた、望んでいた買収をあきらめなければならない憤懣と、取りひしがれた憤懣と。男は続けて言った。
「その書き付けは娘を渡したしるしとして納めておいてかまいません。」
 テナルディエは整然と引きさがった。
「この署名は巧みに似せてある。」と彼は口の中でつぶやいた。「まあ仕方がない。」
 それから彼は絶望的な努力を試みた。
「旦那(だんな)、」と彼は言った、「よろしゅうござんす。あなたがその人ですから。しかし『種々の入費』を払っていただかなければなりません。だいぶの金額(たか)になります。」
 男はすっくと立ち上がった。そしてすり切れた袖(そで)についてる塵(ちり)を指先で払いながら言った。
「テナルディエ君、この正月に母親は百二十フラン君に借りがあると言ってました。ところが君は二月に五百フランの覚え書きを送ってきて、二月の末に三百フランと三月の初めに三百フラン受け取っている。その時から九カ月たっているので、約束どおり月に十五フランとして百三十五フランになるわけです。ところが君は前に百フランよけいに受け取っているから、残りの金は三十五フランになるわけです。それに対して先刻私は千五百フラン払ってあげた。」
 テナルディエの気持ちは、ちょうど狼(おおかみ)が係蹄(わな)にかかってその鉄の歯で押さえつけられた時のようなものだった。
「この畜生、何者だろう?」と彼は考えた。
 その時彼は狼と同様のことをした。彼は飛び上がった。大胆な態度は前に一度成功したのだった。
「名前もわからない旦那(だんな)、」とこんどは丁寧なやり方をすてて決然と彼は言った、「私はコゼットを連れて帰るまでです。さもなければ三千フランいただきましょう。」
 男は静かに言った。
「さあおいで、コゼット。」
 彼は左手にコゼットの手を取り、右手で地に置いていた杖を拾い上げた。
 テナルディエはその杖がいかにも大きいことと、あたりが寂寞(せきばく)としてることを認めた。
 二人が立ち去ってゆく時、男の前かがみがちな広い肩とその大きな拳(こぶし)とを、テナルディエはながめた。
 それから彼の目は、自分自身を顧みて、自分の細い腕とやせた手との上に落ちた。「俺(おれ)は実際ばかだった、」と彼は考えた、「銃も持たずにさ。猟にきたわけなのに!」
 それでも彼はなお獲物を逃がそうとしなかった。
「どこへ行くか見届けてやれ。」と彼は言った。そして遠くから二人の跡をつけ初めた。彼の手には二つのものが残っていた、ファンティーヌの署名した紙片のにがにがしさと、千五百フランの多少の慰謝と。
 男はコゼットを連れて、リヴリーとボンディーの方へ行った。頭をたれゆるやかに足を運んで、何か考え続けてるような、また悲しげな様子だった。冬のために森は透かし見らるるようになっていたので、テナルディエはかなり後ろの方に遠くにいたがなお二人の姿を見失わなかった。時々男はふり返って、跡をつけられてはしないかをながめた。突然彼はテナルディエを見つけた。彼はにわかにコゼットとともに深い木立ちの中にはいった。そして二人の姿は見えなくなってしまった。「悪魔め!」とテナルディエは言った。そして足を早めた。
 木立ちが込んでいたので、彼は二人に近寄らなければならなかった。男は最も茂みの深い所に達した時、ふり返ってみた。テナルディエは木の枝の間に姿を隠そうとしたがだめだった。男の目につかざるを得なかった。男は不安な一瞥(いちべつ)を彼に与え、それから頭を振って、また歩き出した。テナルディエはまたその跡をつけた。そして彼らは二、三百歩ばかり進んだ。と突然、男はまたふり向いた。彼はテナルディエを認めた。そしてこんどはきわめてすごい顔をしてじっとにらめた。でテナルディエも、それ以上行ったとて「無益」であると考えた。彼はあとへ引き返した。

     十一 九四三〇号再び現われコゼットその籤(くじ)を引く

 ジャン・ヴァルジャンは死んだのではなかった。
 海へ落ちた時、いな、むしろ自ら海に身を投じた時、彼は前に述べたとおり鎖から解かれていた。彼は水中をくぐって停泊中のある船の下まで泳ぎついた。一艘(いっそう)の小舟がその船につないであった。彼は晩まで小舟の中に隠れていることができた。夜になって再び泳ぎ出し、ブロン岬(みさき)から程遠からぬ海岸に達した。金は持っていたので、着物を手に入れることができた。バラギエの付近に一軒の居酒屋があって、その当時脱獄囚のために着物を売っていた。非常に儲(もう)かる商売だそうである。それからジャン・ヴァルジャンは、法律の目と社会の掟(おきて)とをのがれんとするすべての悲しい脱走人らがなすとおり、人知れぬ曲がりくねった道程を取った。ボーセの近くのプラドーに最初の隠れ場所を見い出した。それから上アルプ県にはいって、ブリアンソンの近くのグラン・ヴィヤールの方面へ進んだ。探り探りの不安な逃走で、分かれ道などは全く不明な土竜(もぐら)の穴のような道程だった。後になって彼の逃走の跡は多少見い出された、すなわち、エーン県ではシヴリユーの土地、両ピレネー県ではシャヴァイユ村の近くのグランジュ・ド・ドーメクと言われているアコンの片すみ、それからペリグーの付近ではシャペル・ゴナゲー区のブリュニー。そして最後にパリーにはいった。それから彼がモンフェルメイュへきたのは読者の既に見たところである。
 パリーへきてからの第一の仕事は、七、八歳の小娘のために喪服を購(あがな)うことであり、次に住居を求めることであった。それが済んで、彼はモンフェルメイュへ赴(おもむ)いた。
 読者の知るとおり、彼はこの前の逃走の時すでに、モンフェルメイュかまたはその付近にひそかな旅をしたのだった。官憲もそのことはうすうす知っていた。
 けれども今や彼は死んだと思われていた。そのために彼をおおい隠してるやみはいっそう深くなっていた。パリーで彼は、自分のことを掲載してる新聞を一つ手に入れた。彼はそれで安心を覚え、あたかも実際に死んだような平和を覚えた。
 テナルディエ夫婦の爪牙(そうが)からコゼットを救い出した日の夕方、ジャン・ヴァルジャンは再びパリーにはいった。夕暮れの頃コゼットとともにモンソーの市門からはいった。その市門の所で幌馬車(ほろばしゃ)に乗り、天文台の前の広場まで行った。そこで馬車をおりて、御者に金を払い、コゼットの手を引いて、二人で暗夜の中をウールシーヌとグラシエールの両郭に隣している人気のない街路を通って、オピタル大通りの方へ進んで行った。
 コゼットにとっては、その日は感動の多い異様な一日であった。寂しい飲食店で買ったパンとチーズとを籬(まがき)の影で食べたこともあった。たびたび馬車を代えたり、しばらくは徒歩で行ったりした。彼女は少しも不平をこぼさなかった。けれどもだいぶ疲れていた。歩きながらしだいに彼女が手を引っぱるようになるので、ジャン・ヴァルジャンもそれに気がついた。彼はコゼットを背中におぶった。コゼットは人形のカトリーヌを手に持ったまま、頭をジャン・ヴァルジャンの肩につけて、そのまま眠ってしまった。
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   第四編 ゴルボー屋敷



     一 ゴルボー氏

 今から四十年ばかり前のことである。一人でぶらりと歩き回って、サルペートリエールの奥深い裏通りへはいって行き、大通りをイタリー市門の方まで進んで行くと、ついにもうパリーの町も尽きたと思われるような一郭に達するのであった。そこは、通行人があるところを見ると僻地(へきち)でもなく、人家や街路があるところを見ると田舎でもなく、田舎の街道のように通りには轍(わだち)の跡があり、草が茂っているところを見ると町でもなく、人家がごく高いところを見ると村でもなかった。ではいったいどういう所なのか? 人が住んではいるがだれの姿も見えない場所であり、ひっそりとしてはいるがやはりだれかがいる場所であった。それは大都市の一並み木街であり、パリーの一街路ではあるが、夜は森の中よりもいっそう恐ろしく、昼は墓場よりもいっそう陰気だった。
 それはマルシェ・オー・シュヴォー(馬市場)という古い一郭であった。
 その馬市場のこわれかかった四つの壁の向こうまで進んでゆき、プティー・パンキエ街をたどり、高い壁で囲まれた菜園を右手に過ぎ、大きな海狸(うみだぬき)の巣に似たタン皮の束が立ってる牧場の所を通り、木片や鋸屑(のこぎりくず)や鉋屑(かんなくず)などが山となってその上には大きな犬がほえており、また木材がいっぱい並べてある庭の所を通り、しめきったまっ黒な小門がついていて春には花を開く苔(こけ)でおおわれてる長い低いこわれかけた壁の所を通り、貼札を禁ずと大きい字が書いてある朽ちはてたきたない土蔵の壁の所を通ってゆくと、ついにヴィーニュ・サン・マルセル街の角(かど)まで行けるのであった。その辺はあまり人に知られてない所だった。そこにある一つの工場のそばには、両方の庭にはさまれて、当時一軒の破屋があった。それは外から見ると百姓家くらいの小ささだったが、実際は大会堂ほどの大きさをしていた。側面の切阿(きりづま)で通りに面していて、そのために外観の狭小をきたしているのだった。ほとんど家の全体は通りから隠れていた。ただ戸口と一つの窓とが見えるきりだった。
 その破屋は二階建てだった。
 それをよくながめる時、第一に不思議な点は、戸口は単なる破屋の戸口らしい粗末なものにすぎないのに、窓の方は、それがもし荒ら石の壁の中にあけられてるのでなく切り石の中にでもこしらえられてたら、りっぱな邸宅の窓としても恥ずかしからぬほどのものだった。
 戸口はただ腐食した木の板でできていて、その板はいい加減に四角に割った薪(まき)のような横木で無造作に止めてあった。戸口はすぐに急な階段に続いていた。階段は段が高く、白塗りで泥と塵(ちり)とにまみれ、戸口と同じ幅になっていて、表の通りから見ると、梯子(はしご)のようにまっすぐに上っていって二つの壁の間に暗がりに消えていた。戸口がついてるぶざまな壁口の上の方は、狭い薄板で張られ、その薄板のまんなかに三角形の小窓があけられていて、戸口がしめらるる時には軒窓ともなり小窓口ともなっていた。戸口の内側には、インキに浸した二筆(ふたふで)で五二という数字が書いてあり、薄板の上方には同じ筆で五〇という数字が書きなぐってあった。全くどちらが本当かわからなかった。いったい何番地なのか? 戸口の上からは五十番地と言うし、戸口の中からは反対して、いや五十二番地だと言う。三角形の小窓には、塵にまみれた何かのぼろが旗のように掛かっていた。
 窓は大きくて、高さも十分であり、鎧戸(よろいど)もあり大きな窓ガラスの框(かまち)もついていた。ただそれらの大きなガラスには種々な割れ目があって、器用に紙で張って隠してあるので、またかえって目立っていた。鎧戸は留め金がはずれぐらぐらしてるので、家の者を保護するというよりもむしろ下を通る人々に不安を与えていた。日よけの横木が所々取れていて、そこには板が縦に無造作に打ち付けてあった。それで初めは鎧戸だったものが、ついには板戸となったありさまである。
 時勢遅れのようなその戸口とこわれてはいるが相当なその窓とがかく同じ家に見えることは、ちょうど不似合いな二人の乞食(こじき)を見るようなもので、二人はいっしょに並んで歩いてはいるが、同じようなぼろのうちにも各異った顔つきをしていて、一人は元来の乞食であるが、一人は元一個の紳士であったらしく思えるようなものだった。
 階段は建物の一部に通じていて、そこはきわめて広く、ちょうど納屋を住宅にしたもののようだった。建物の中には腸のように廊下が続いていて、それから左右に種々な大きさの部屋らしいものがあったが、それもようやく住まえるだけのもので、部屋というよりむしろ小屋といった形である。それらの室(へや)は周囲の空地に面していた。そしてどれも皆薄暗く、荒々しく、ほの白く、陰鬱(いんうつ)で、墓場のようだった。すき間が屋根にあったり扉(とびら)にあったりするので、それを通して冷たい光線が落ちてきたり凍るような寒風が吹き込んできたりした。そのどうにか住宅らしい建物のうちでおもしろいみごとな一つの点は、蜘蛛(くも)の巣の大きいことであった。
 入り口の戸の左手に、大通りに面して身長くらいの高さの所に、塗りつぶした軒窓が一つあって、四角なくぼみをこしらえて、通りがかりの子供らが投げ込んでいった石がいっぱいはいっていた。
 この建物の一部は近頃こわされてしまった。けれども今日なお残ってるものを見ても、昔のありさまが察せられる。その全部の建物は、まだほとんど百年の上にはなるまい。百年といえば、教会堂ではまだ青年であるが、人家ではもう老年である。人間の住居は人の短命にあやかり、神の住居は神の永生にあやかるものらしい。
 郵便配達夫はその破屋を、五十・五十二番地と呼んでいた。けれどもその一郭では、ゴルボー屋敷という名前で知られていた。
 この呼び名の由来は次のとおりである。
 本草学者が雑草を集めるように種々な逸話をかき集め、記憶のうちに下らない日付を針で止めることばかりをやってる些事(さじ)収集家らは、前世紀一七七〇年頃、コルボーにルナールというシャートレー裁判所付きの二人の検事が、パリーにいたことを知っているはずである。ラ・フォンテーヌの物語にある烏(からす)(コルボー)と狐(きつね)(ルナール)との名前である。いかにも法曹界(ほうそうかい)の冷笑(ひやかし)の種となるに適していた。そして間もなく、変なもじりの詩句が、法廷の廊下にひろがっていった。

コルボー先生は記録に棲(と)まりて、
差し押さえ物件を啣(くわ)えていたりぬ。
ルナール先生はにおいに惹(ひ)かれて、
次のごとくに話をしかけぬ。
「やあ今日は!」……云々(うんぬん)。
(訳者注 ラ・フォンテーヌの物語の初めを参考までに書き下す――烏先生は木の上にとまって、くちばしにチーズをくわえていた。狐先生はそのにおいに惹かれて、こんな言葉を彼にかけた。「やあ今日は……云々」)

 二人の律義(りちぎ)な法律家は、そういう冷評を苦にし、自分の後ろからどっと起こる笑声に少なからず威厳を傷つけられて、名前を変えようと決心し、ついに思い切って国王に請願した。ちょうど一方には法王の特派公使と他方にはラ・ローシュ・エーモン枢機官とが、二人ともうやうやしくひざまずき、陛下の御前において、床から起きてきた御寵愛(ちょうあい)のデュ・パリー夫人のあらわな両足に各自上靴をおはかせ申したその日に、請願書は国王ルイ十五世に差し出された。笑っていられた国王はそれをみてなお笑われて、心地よく二人の司教の方から二人の検事の方へ向かわれ、その二人の法官の名前をある程度まで許してやられた。で国王の允許(いんきょ)をもって、コルボー氏は名前に濁点を付してゴルボーと名乗ることができた。またルナール氏の方は、プの字を頭につけて、プルナールと名乗ることができたが、前者ほど仕合わせでなかったというのは、第二の名前も第一のとほとんど似たりよったりだったからである。
 ところでその辺の言い伝えによれば、そのゴルボー氏がオピタル大通り五十・五十二番地の破屋の所有者であったそうである。あのりっぱな窓をこしらえさしたのも彼自身であったとか。
 そういうわけでその破屋は、ゴルボー屋敷という名前をもらっていた。
 五十・五十二番地の家のすぐ前には、オピタル大通りの並み木の間に半ば枯れかかった大きな楡(にれ)の木が一本立っていた。家のほとんど正面に、ゴブラン市門の街路が開けていた。その街路には当時人家もなく、舗石(しきいし)もなく、季節によって緑になったり泥をかぶったりする醜い樹木が植えられていて、パリーの外郭の壁にまっすぐに通じていた。硫酸の匂(にお)いがそばの工場の屋根から息をついて吹き出ていた。
 市門はすぐ近かった。一八二三年には外郭の壁もまだ残っていた。
 その市門は人の心に痛ましい幻を与えるものであった。それはビセートルへ行く道であった。帝政および王政復古の時代に死刑囚らが刑執行の日に、パリーへはいってきたのは、そこからであった。一八二九年ごろにあのいわゆる「フォンテーヌブルー市門」の殺人事件が行なわれたのも、そこにおいてであった。それは実際不思議な事件で、官憲もその犯人らを発見することができず、全く不明に終わった惨劇で、ついに解決を得なかった恐ろしい謎(なぞ)であった。それから数歩進むと、あの不吉なクルールバルブ街になって、そこではあたかもメロドラマの中に見るようにユルバックがイヴリーの羊飼い女を雷鳴のうちに刺し殺したのであった。なお数歩進むと、サン・ジャック市門の所の頭を切られたいやな楡の木立ちの所に達する。あの博愛者らが断頭台を隠すに用いた所であり、死刑の前にたじろぎながら堂々とそれを廃することも、厳としてそれを継続することもあえてできなかった商人や市民などの階級の、陋劣(ろうれつ)不名誉なる刑場であった。
 今より三十七年前に、常に恐ろしいほとんど宿命的なそのサン・ジャックの広場を外にして、この陰うつなオピタル大通りのうちでの最も陰鬱(いんうつ)な所といえば、五十・五十二番地の破屋のある今日でもあまり人の好まぬその一隅(ぐう)であった。
 町家はその後約二十五年も後にならなければそこには建て初められなかった。当時そこはきわめて陰惨な場所であった。前に述べたような惨劇を思い起こさせる上に、丸屋根の見えるサルペートリエール救済院とすぐ柵(さく)が近くにあるピセートル救済院との間にはさまってることが感ぜられた、すなわち女の狂人と男の狂人との間にあることが。目の届く限りただ、屠牛(とぎゅう)場や市の外壁や、所々に兵営や僧院に見るような工場の正面などがあるばかりだった。どちらを見ても、板小屋や白堊(はくあ)塗り、喪布のような古い黒壁や経帷子(きょうかたびら)のような新しい白壁。どちらをながめても、平行した並木、直線的な築塀、平面的な建物、冷ややかな長い線とわびしい直角。土地の高低もなければ、建築の彩(あや)もなく、一つの襞(ひだ)さえもない。全景が氷のようで規則的で醜くかった。およそ均斉(シンメトリー)ほど人の心をしめつけるものはない。均斉はすなわち倦怠(けんたい)であり、倦怠はすなわち悲愁の根本である。絶望は欠伸(あくび)をする。苦悩の地獄よりもなお恐るべきものがあるとするならば、それはまさしく倦怠の地獄であろう。もしそういう地獄が実際に存在するものであるならば、このオピタル大通りの一片はまさにその通路であったろう。
 けれども、夜の幕がおりてくるころになると、明るみが消え去ってゆくころになると、ことに冬には、夕暮れの寒風が楡(にれ)の最後の霜枯れ葉を吹き払うころになると、そしてあるいはやみが深く星の光もない時、あるいは月光と風とが雲のすき間から落ちてくる時、このオピタル大通りはにわかに恐ろしい趣に変わるのであった。物の直線的な輪郭は、やみのうちに沈み込み姿を隠して、あたかも無限の一片のように思われてくる。そこを通る者は、無数の惨劇の言い伝えを思い出さないわけにはゆかなくなる。多くの犯罪が行なわれたその土地の寂寞(せきばく)さのうちには、何か恐ろしいものがこもっている。やみの中には係蹄(わな)が張られてるような感じがする。漠然(ばくぜん)たる形の物影がみな怪しいように思われる。並み木の間に見える長い四角な空隙(くうげき)が墓穴のように感ぜられる。昼間は醜く、夕方はものわびしいが、夜は陰惨となる。
 夏の夕方などは、楡(にれ)の木の下に、雨に朽ちた腰掛けの上にすわってる婆さんなどがあちこちに見られた。それらの婆さんたちはよく人に施しを求めていた。
 なおその一郭は、古く寂れてるというよりもむしろ廃(すた)れ切ったようなありさまではあったが、その当時からしだいに面目が変わりつつあった。既にその頃から、その変化を見んとする者は急がなければならなかった。日々に全体のうちのどこかが消滅しつつあった。今日はもとよりもう二十年も前から、オルレアン鉄道の発車場がその古い場末の横に設けられて、そこに働きかけていた。首府のはずれのどこかに、ある鉄道の始点が設けらるる時には、その場末の一区は死滅して一つの市街が生まれるものである。民衆の大中心地たる都市のまわりにおいては、それらの強大なる機械の響きに、石炭を食い火を吐き出すそれらの驚くべき文明の馬の息吹きに、生命の芽に満ちた土地は震え動いて口を開き、人間の古い住居をのみつくし、新しいものを吐き出すがように見える。古い家はくずれ落ち、新しい家がそびえてくる。
 オルレアン鉄道の停車場がサルペートリエールの一角に侵入していらい、サン・ヴィクトルの濠(ほり)や植物園などに沿っている古い狭い街路は、駅馬車や辻馬車(つじばしゃ)や乗合い馬車などの群れが毎日三、四回激しく往来するために震え動き、いつしか両側の人家は左右にけ飛ばされてしまった。全く事実でありながら言うだにおかしな事がらが世にはあるものである。大都市においては太陽は南向きの人家を産み出し大きくなしてゆくということが真実であるごとくに、頻繁(ひんぱん)なる馬車の往来は街路を広くするということも確かな事実である。そしてそこには今や新生命の徴候が明らかに見えている。その田舎(いなか)ふうな古い一郭のうちに、最も寂然(せきぜん)たる片すみに、まだ通行人さえもないような所にさえ、舗石(しきいし)が見られ、歩道の区画もしだいにはい伸びようとしている。ある朝、一八四五年七月のある記憶すべき朝、瀝青(チャン)のいっぱいはいった黒い釜(かま)がけむってるのがそこに突然見られた。その日こそ、文明はそのルールシーヌ街に到着し、パリーはそのサン・マルソー郭外まではいってきたと、初めて言うことができたのであった。

     二 梟(ふくろう)と鶯(うぐいす)との巣

 ジャン・ヴァルジャンが足を止めたのはゴルボー屋敷の前であった。野生の鳥のように、最も寂しい場所を彼は自分の巣に選んだのである。
 彼はチョッキの中を探って、一種の合鍵(あいかぎ)を取り出し、戸口を開き、中にはいり、それから注意して戸口をしめ、コゼットを負ったまま階段を上って行った。
 階段を上りきって、彼はポケットからも一つの鍵を取り出し、それでまた別の扉(とびら)を開いた。彼がはいってすぐにまたしめきったその室(へや)は、かなり広い一種の屋根部屋みたいなありさまをしていて、床に敷かれた一枚のふとんと一つのテーブルと数個の椅子(いす)とが備えてあった。ストーヴが一つ片すみにあって、火が燃されて燠(おき)が見えていた。表通りの街燈が、その貧しい室のうちにぼんやりした明るみを投じていた。奥の方に別室があって、たたみ寝台が置いてあった。ジャン・ヴァルジャンは子供をその寝台の上に抱えていって、目をさまさないようにそっとおろした。
 彼は燧(ひうち)を打ち合わして、蝋燭(ろうそく)をともした。そういうものはみな前もってテーブルの上に用意されていたのである。そして彼は前夜のようにコゼットの顔をながめはじめた。その目つきには喜びの情があふれて、親切と情愛との表われは今にもはち切れそうであった。小娘の方は極端な強さか極端な弱さかにのみ属する心許した静安さをもって、だれといっしょにいるのかも知らないで熟睡し、どこにいるのかも知らないで眠り続けていた。
 ジャン・ヴァルジャンは身をかがめて、子供の手に脣(くちびる)をあてた。
 九カ月前には、永(なが)の眠りについたその母親の手に彼は脣を当てたのであった。
 その時と同じような悲しい痛切な敬虔(けいけん)な感情が、今彼の心にいっぱいになった。
 彼はコゼットの寝台のそばにひざまずいた。
 もうすっかり夜が明け放れても、子供はまだ眠っていた。十二月の太陽の青白い光が、そのわびしい室(へや)の窓ガラスを通して、影と光との長い筋を天井に落としていた。その時突然、重く荷を積んだ荷車が大通りのまんなかを通って、その破屋を暴風雨(あらし)が襲ってきたかのように揺り動かし、土台から屋根まで震動さした。
「はい、お上さん、」とコゼットはびくりと目をさまして叫んだ、「ただいま、ただいま!」
 そして彼女は、まだ眠たさに瞼(まぶた)も半ば閉じたままで、寝台から飛びおり、壁のすみの方へ手を差し出した。
「ああ、どうしよう、箒(ほうき)は!」と彼女は言った。
 その時彼女は初めてすっかり目を開いた、そしてジャン・ヴァルジャンの微笑(ほほえ)んでる顔を見た。
「ああ、そうだった!」と彼女は言った。「お早う。」
 子供は天性、身自ら幸福と喜悦であるから、すぐに親しく喜悦と幸福とを受け入れるものである。
 コゼットは寝台の下にある人形のカトリーヌを見つけ、それを取り上げた。そして遊びながら、ジャン・ヴァルジャンへいろいろなことを尋ねた。――ここはどこであるか? パリーとは大きな町であるか? テナルディエの上さんのいる所から遠いのか? もどってゆかないでもよいのか? その他いろいろなことを。それからふいに彼女は叫んだ。「ほんとにここはきれいだこと!」
 実は見すぼらしい小屋同様であったが、彼女はそこで身の自由を感じたのだった。
「掃除(そうじ)をしましょうか。」とついに彼女は言った。
「お遊び。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
 そういうふうにして一日は過ぎた。コゼットは別に何にも詮索(せんさく)しようともせず、その人形と老人との間にあってただもう無性にうれしかった。

     三 二つの不幸集まって幸福を作る

 翌日の明け方、ジャン・ヴァルジャンはまたコゼットの寝台のそばにいた。彼はそこで身動きもしないで待っていて、コゼットが目をさますのを見守った。
 ある新しいものが彼の魂の中にはいってきていた。
 ジャン・ヴァルジャンはかつて何者をも愛したことがなかった。二十五年前から彼は世に孤立していた。彼はかつて、父たり、愛人たり、夫たり、友たることがなかった。徒刑場における彼は、険悪で、陰鬱(いんうつ)、純潔で、無学で、剽悍(ひょうかん)であった。その老囚徒の心は少しもわるずれていなかった。頭に残っている姉と姉の子供たちのことも、漠然(ばくぜん)として杳(はる)かで、ついには全く消えうせてしまった。彼はその人々を見いださんためにあらゆる手段をつくしたが、どうしても見いだすことができなくて、ついには忘れてしまった。人間の性質というものはそうしたものである。その他の青春時代のやさしい情緒も、もしそういうものがあったとしても、深淵(しんえん)のうちに消滅してしまっていた。
 しかるに、コゼットを見た時、コゼットを取り上げ連れ出し救い出した時、彼は自分の臓腑(はらわた)が動き出すのを感じた。彼のうちにあった情熱と愛情とはすべて目ざめて、その子供の方へ飛びついていった。彼は子供が眠ってる寝台の近くに寄っていって、喜びの情に震えていた。彼は母親のようなある内心の熱望を感じた、そしてそれが何であるかを自ら知らなかった。愛し初むる心の大なる不思議な動きこそは、きわめて理解し難いまたやさしいものなのである。
 年老いたるあわれな初々(ういうい)しい心よ!
 ただ、彼は五十五歳でありコゼットは八歳であったから、彼が生涯(しょうがい)のうちに持ち得たすべての情愛は、一種の言うべからざる輝きのうちに溶け込んでしまった。
 それは彼が出会った第二の白光であった。あのミリエル司教は彼の心の地平線に徳の曙(あけぼの)をもたらし、コゼットはそこに愛の曙をもたらした。
 初めの数日はその恍惚(こうこつ)のうちに過ぎ去った。
 コゼットの方でもまた、自ら知らずして別人となってしまった。あわれなる幼き者よ! 母に別れた時はまだごく小さかったので、もう母のことは頭に少しも残っていなかった。何にでもからみつく葡萄(ぶどう)の若芽のような子供の通性として、彼女も愛しようとしたことがあった。しかしそれはうまくゆかなかった。皆が彼女を排斥した、テナルディエ夫婦も、その子供たちも、また他の子供たちも。で彼女は犬を愛したが、それも死んでしまった。それからはもう、何物も彼女を好む物はなく、だれも彼女を好む者はいなかった。語るも悲しいことではあるが、そして前に述べておいたことではあるが、彼女は八歳にして既に冷ややかな心を持っていた。それは彼女の罪ではなかった。彼女に欠けているのは愛の能力では決してなかった。悲しいかな、それは愛する機会であった。それゆえ初めての日からして、彼女のうちのすべての感じと考えとは、そのお爺(じい)さんを愛し初めたのだった。彼女はかつて知らなかった気持を覚えた、花が開くような一種の心地を。
 お爺さんはもう彼女には年老いてるとも貧しいとも思えなかった。彼女の目にはジャン・ヴァルジャンは美しかった、ちょうどその物置きのような室(へや)がきれいと思われたように。
 それは曙(あけぼの)と幼年と青春と喜悦との作用である。そして新たな土地と生活も多少それを助ける。陋屋(ろうおく)の上に映ずる美しき幸福の影ほど快いものはない。人はみな楽しい幻の室を生涯(しょうがい)に一度は持つものである。
 自然は五十年の歳月のへだたりをもって、ジャン・ヴァルジャンとコゼットとの間に深い溝渠(みぞ)を置いていた。しかし運命はその溝渠を埋めてしまった。年齢において異なり不幸において相似たる二つの根こぎにされた生涯は、運命のためににわかに一つ所に持ちきたされ、不可抗の力をもって結合させられた。そして両者は互いに補い合った。コゼットの本能は父をさがし求め、ジャン・ヴァルジャンの本能は一つの子供をさがし求めていた。互いに出会うことは、互いに見いだすことであった。彼らの二つの手が相触れた神秘な瞬間に、はやその二つは蝋着(ろうちゃく)してしまった。それら二つの魂が相見(まみ)えた時、両者は互いに求め合っていたものであることを感じて、互いに堅く抱き合ってしまった。
 最も深い絶対的な意味において、言わば墳墓の壁によってすべてのものからへだてられて、ジャン・ヴァルジャンは鰥夫(やもめ)であり、コゼットは孤児であった。そしてそういう境涯(きょうがい)のために、天国的にジャン・ヴァルジャンはコゼットの父となった。
 実際シェルの森の中で、やみの中にジャン・ヴァルジャンの手がコゼットの手を執ったとき、コゼットの受けた神秘な印象は、一つの幻影ではなくて現実であった。その子供の運命のうちにその男がはいってきたことは、神の出現であった。
 それにまた、ジャン・ヴァルジャンは隠れ家(が)をよく選んでいた。彼はほとんど欠くるところなき安全さでそこにいることができた。
 彼がコゼットとともに住んだ別室付きの室(へや)は、大通りに面した窓のついてる室だった。その窓はこの家のただ一つのものだったから、前からも横からも隣人に見らるる恐れは少しもなかった。
 この五十・五十二番地の建物の一階は、荒廃した小屋同様で、八百屋(やおや)などの物置きになっていて、二階とは何らの交渉もなかった。二階と一階とをへだてる床(ゆか)には、引き戸も階段もなく、その破屋の横隔膜のような観があった。二階には前に言ったとおり、多くの室と数個の屋根部屋とがあったが、ただその一つに一人の婆さんが住んでるのみだった。その婆さんがジャン・ヴァルジャンにいっさいの用をしてくれた。そのほかにはだれも住んでいなかった。
 婆さんは借家主という名義であったが、実は門番の役目をしてるにすぎなかった。クリスマスの日に、ジャン・ヴァルジャンに住居(すまい)を貸してくれたのはその婆さんだった。まだ年金は持ってるが、スペインの公債に手を出して失敗したので、孫娘とともに住みに来るのだと、ジャン・ヴァルジャンは婆さんに言っておいた。彼は六カ月分の前払いをして、前に述べた通りの道具を両室に備えるように婆さんに頼んでおいた。その晩暖炉に火をたき、二人が来る準備をすっかりしてくれたのは、その婆さんだった。
 数週間過ぎ去っていった。二人は惨(みじ)めな室(へや)の中に楽しい生活をしていた。
 夜明けごろからもう、コゼットは笑い戯れ歌っていた。子供というものは小鳥と同じく朝の歌を持っている。
 時とするとジャン・ヴァルジャンはコゼットの皸(ひび)のきれたまっかな小さい手を取って、それに脣(くちびる)をつけることもあった。あわれな子供は、いつも打たれることばかりになれていたので、その意味がわからずに、恥ずかしがって手を引っ込めた。
 また時には、コゼットはまじめになって、自分の小さな黒服をながめることもあった。彼女はもうぼろではなく、喪服を着ていた。彼女は悲惨から出て普通の生活にはいっていた。
 ジャン・ヴァルジャンは彼女に読み方を教え初めた。彼はそうして子供につづりを言わせながら、自分が徒刑場で読み方を学んだのは悪事をなさんがための考えからであったことを時々思い出した。その考えは今では子供に読み方を教えることに変わっていた。そしてその老囚徒は天使のような思い沈んだ微笑をもらした。
 そこに彼は、天の配慮を感じ、人間以上の何かの意志を感じ、我を忘れて瞑想(めいそう)にふけるのであった。善き考えも悪き考えと同じく、その深い淵(ふち)を持っているものである。
 コゼットに読み方を教えること、また彼女を遊ばせること、そこにほとんどジャン・ヴァルジャンの全生活があった。それからまた彼は、母親のことを語ってきかせ、神に祈りをさした。
 コゼットは彼をお父さんと呼んでいた。それより他の名を知らなかった。
 コゼットが人形に着物をきせたりぬがしたりするのをながめ、また彼女が歌いさざめくのに耳を傾けて、彼は幾時間もじっとしていた。その時からして、人生は興味に満ちたもののように思われ、人間は善良で正しいもののように感ぜられて、もはや心のうちで何人(なにびと)をもとがめず、また子供に愛せられてる今となっては、ごく老年になるまで生き長らえるに及ばないという理由は何ら認められなかった。あたかも麗しい光明によって輝かされるがようにコゼットによって輝かされる未来を、彼は自分に見いだしていた。およそいかなる善人といえども、全く私心を有しない者はない。彼も時としては、コゼットが美しくはなるまいと考えて一種の満足を感じていた。
 これは一個の私見にすぎないが、しかしわれわれは考うるところをすべてここに言ってしまいたい。すなわちコゼットを愛し初めた頃のジャン・ヴァルジャンの状態を見てみるに、なお正しい道を続けて進むのにその支持者が必要でなかったかどうかは、疑わしいところである。彼は人間の悪意と社会の悲惨とを新たなる方面より目に見たのであった。もちろんそれは不完全でただ事実の一面観にすぎないものではあったが。そしてファンティーヌのうちに概略された女の運命と、ジャヴェルのうちに具現された公権とを、目に見たのであった。彼は徒刑場に戻った、それもこのたびは善をなしたがために。彼は新たなる苦しみを飲んだ。嫌悪(けんお)と疲労とにまたとらえられた。司教の記憶さえも、後にまた勝利を得て輝きだしはするが、とにかく一時は曇りかけることもあった。実際その聖(きよ)き記憶もついには弱くなってきた。恐らくジャン・ヴァルジャンは、落胆して再び堕落せんとする瀬戸ぎわにあったのかも知れない。しかるに彼は愛を知って、再び強くなった。ああ彼もまたほとんどコゼットと同じくよろめいていたのである。が彼はコゼットを保護するとともに、コゼットは彼を強固にした。彼によって、彼女は人生のうちに進むことができた。そして彼女によって、彼は徳の道を続けることができた。彼は少女の柱であった、そして少女は彼の杖(つえ)であった。実に運命の均衡の測るべからざる犯すべからざる神秘さよ!

     四 借家主の見て取りしもの

 ジャン・ヴァルジャンは用心して昼間は決して外へ出なかった。そして毎日夕方に一、二時間散歩した。時には一人で、多くはコゼットとともに、その大通りの最も寂しい横町を選び、また夜になると教会堂にはいったりして。彼は一番近いサン・メダール会堂によく行った。コゼットは連れて行かれない時は婆さんといっしょに留守をした。けれども老人といっしょに出かけるのを彼女は喜んでいた。人形のカトリーヌと楽しく差し向かいでいるよりも、老人といっしょに一時間の散歩をする方を好んでいた。老人は彼女の手を引いて、歩きながらいろいろおもしろいことを話してくれた。
 コゼットはごく快活な子になった。
 婆さんは部屋を整えたり料理をしたり、食物を買いに行ったりした。
 彼らはいつも少しの火は絶やさなかったが、ごく困まってる人のように、質素に暮らしていた。ジャン・ヴァルジャンは室(へや)の道具をも初めのままにしておいた。ただコゼットの私室へ行くガラスのはまった扉(とびら)を、すっかり板の扉に変えたばかりだった。
 彼はやはりいつも、黄色いフロックと黒いズボンと古い帽子とを身につけていた。往来では貧乏人としか見えなかった。親切な女たちがふり向いて一スー銅貨をくれることもあった。ジャン・ヴァルジャンはその銅貨を受け取って、低く身をかがめた。また時には、慈悲を求めてる不幸な者に出会うこともあった。そういう時、彼はふり返ってだれか見てる者はないかをながめ、そっとそれに近寄り、その手に貨幣を、たいてい銀貨を、握らしてやって、足早に立ち去った。それは彼に不利なことだった。その一郭では、施しをする乞食という名前で彼は知られるようになった。
 借家主の婆さんは、至って無愛想で、近所の者のことを鵜(う)の目鷹(たか)の目で探り回るような女だったが、ひそかにジャン・ヴァルジャンの様子をも探っていた。少し耳が遠くて、またそのために饒舌(おしゃべり)だった。歯は抜け落ちてしまって、ただ上と下とに一本ずつ残っていたが、それを始終かみ合わしていた。彼女はいろんなことをコゼットに尋ねた。しかしコゼットは、モンフェルメイュからきたのだということのほかは、何にも知らず、何にも語るものがなかった。婆さんは気をつけてると、ある朝ジャン・ヴァルジャンがどうも変な様子をして家の中の人の住んでいない部屋の一つにはいっていくのを見つけた。彼女は古猫のような足つきであとをつけて行って、身を隠しながら、向かい合わせの扉のすき間から彼をうかがうことができた。ジャン・ヴァルジャンはもちろん用心に用心をしたゆえか、その扉に背を向けていた。見ていると、彼はポケットの中を探って小箱と鋏(はさみ)と糸とを取り出し、それからフロックの裾の裏をほどきはじめ、その口から黄色っぽい一片の紙を引き出して、それをひろげた。婆さんはそれが千フランの紙幣であるのを認めてぞっとした。千フランの紙幣を見たのはそれが生まれて二度目か三度目だった。彼女は恐れて逃げて行った。
 しばらくたって、ジャン・ヴァルジャンは婆さんの所へ行き、千フランの紙幣を細かいのに換えに行ってくれと頼んだ。そしてこれは昨日受け取った半期分の年金だとつけ加えた。婆さんは考えた。「どこで受け取ったんだろう。あの人は晩の六時にしか出かけなかった、そして国庫はそんな頃開いてるはずはない。」婆さんは紙幣を両替えに行きながら、種々想像をめぐらした。そうしてその千フランの紙幣は、いろいろな尾鰭(おひれ)をつけられて、ヴィーニュ・サン・マルセル街のお上さんたちの間に、びっくりした盛んな噂(うわさ)をまきちらした。
 その後ある日のこと、ジャン・ヴァルジャンはチョッキ一枚になって、廊下で薪(まき)を鋸(のこぎり)ひきしていた。婆さんは室(へや)の中で片付けものをしていた。彼女はただ一人だった。コゼットは薪が鋸にひかるるのを見とれていた。婆さんは釘(くぎ)に掛かってるフロックを見て、しらべてみた。裏は元どおり縫いつけられていた。婆さんは注意深くそれに触(さわ)ってみた。そして裾と袖(そで)付けとの中に、紙の厚みが感ぜられるように思った。きっと千フラン紙幣がたくさんはいっていたのであろう。
 婆さんはそのほか、ポケットの中に種々なものがはいってるのを認めた。前に見た針や鋏(はさみ)や糸ばかりでなく、大きな紙入れ、非常に大きいナイフ、それから怪しむべきことには、種々な色の多くの鬘(かつら)、フロックのどのポケットもみな、何か意外のでき事に対する用意の品がいっぱいはいってるようだった。
 破屋の人たちは、かくて冬の終わり頃に達した。

     五 床に落ちた五フラン銀貨の響き

 サン・メダール教会堂の近くに一人の貧しい男がいた。彼はいつもそこの廃(すた)れた共同井戸の縁にうずくまっていたが、ジャン・ヴァルジャンはよく彼に施しをしてやった。その前を通る時は、たいてい幾スーかの金を恵んでいた。時には言葉をかけることもあった。うらやむ者たちはその乞食(こじき)を警察の者だと言っていた。それはもう七十五歳にもなる年取った寺男で、絶えず口の中で祈祷(きとう)の文句を繰り返していた。
 ある晩、コゼットを連れないで一人でそこを通った時ジャン・ヴァルジャンは、その乞食がいつもの場所に、今ついたばかりの街燈の下にいるのを認めた。その男は例のとおり、何か祈祷をしているようなふうで身をかがめていた。ジャン・ヴァルジャンはそこに歩み寄って、いつもの施与(ほどこし)を手に握らしてやった。乞食は突然目を上げて、じっとジャン・ヴァルジャンの顔を見つめ、それから急に頭をたれた。その動作は電光のようだった。ジャン・ヴァルジャンはぞっと身を震わした。街燈の光でちらと見たその顔は、老寺男の平和な信心深い顔ではなくて、恐ろしい見知り越しの顔であるように思えた。突然暗やみの中で虎(とら)と顔を合わしたような感じがした。彼は思わず縮み上がって石のようになり、息をすることも口をきくこともできず、そこにいることもまた逃げ出すこともできず、その乞食をじっと見守った。乞食はぼろぼろの頭巾(ずきん)をかぶった頭をたれて、もう彼がそこにいることをも知らないがようだった。その異常な瞬間に、ジャン・ヴァルジャンが一言をも発しなかったのは、本能のため、おそらく自己防衛の隠れた本能のためだったであろう。乞食(こじき)はいつもと同じような身体(からだ)つきをし、同じようなぼろをまとい、同じような様子をしていた。「いやいや……」とジャン・ヴァルジャンは言った、「俺は気が狂ったんだ。夢を見たんだ。あり得べからざることだ!」そして彼はひどく心を乱されて家に帰った。
 ちらと見たその顔がジャヴェルの顔であったとは、ほとんど自分自身にさえ彼は言い得なかった。
 その夜、彼はそのことを考えふけりながら、今一度顔を上げさせるために男に何か尋ねてみればよかったと思った。
 翌日夕暮れに、彼はまたそこへ行った。乞食(こじき)はいつもの所にいた。「どうだね、爺(じい)さん、」とジャン・ヴァルジャンは彼に銅貨をやりながら思い切って言ってみた。乞食は顔を上げた、そして悲しい声で答えた。「ありがとうございます、親切な旦那様(だんなさま)。」それはまさしく老寺男であった。
 ジャン・ヴァルジャンはすっかり安心を覚えた。彼は笑い出した。「ジャヴェルだなんて、何を見違えたんだろう、」と彼は考えた、「俺ももう目がぼけてきたのかな。」そして彼はそのことをもう考えなかった。
 それから数日後のこと、晩の八時ごろであったろう。ジャン・ヴァルジャンは室(へや)の中にいて、大きな声でコゼットに綴(つづ)りを読ましていた。その時彼は、家の戸口があいてまたしまるのを聞いた。それが彼には異様に感ぜられた。彼といっしょにその家に住んでいたただ一人の婆さんは、蝋燭(ろうそく)を倹約するためにいつも夜になるとすぐに寝るのだった。ジャン・ヴァルジャンは手まねでコゼットを黙らした。だれかが階段を上ってくる音が聞こえた。あるいは婆さんが加減が悪くて薬屋にでも行ったのかも知れない。ジャン・ヴァルジャンは耳を傾けた。足音は重々しく男のような響きだった。しかし婆さんは大きな靴(くつ)をはいてるし、年取った女の足音は男の足音によく似てるものである。それでもジャン・ヴァルジャンは蝋燭(ろうそく)を吹き消した。
 彼は低い声で「そーっと寝床におはいり」とささやいて、コゼットを寝かしにやった。そして彼がコゼットの額に脣(くちびる)をあてた間に、足音は止まってしまった。ジャン・ヴァルジャンは黙って身動きもせず、背を扉(とびら)の方へ向け、そのままじっと椅子(いす)に腰掛けて、暗やみのうちに息を凝らした。かなりしばらくたっても何の音も聞こえないので、彼は音のしないように向きを変えた。そして室(へや)の入り口の扉の方へ目を上げると、鍵穴(かぎあな)から光が見えた。それが扉と壁とに仕切られた暗黒のうちに、不吉な星のように見えていた。確かにそこには、だれかが手に蝋燭を持ち聞き耳を立てているのだった。
 数分過ぎて、光は立ち去った。が何の足音も聞こえなかった。それでみると、扉の所へきて立ち聞きしていた男は、靴を脱いでたに違いなかった。
 ジャン・ヴァルジャンは着物を着たまま寝床に身を投じた。そして終夜目を閉じることができなかった。
 夜明け頃、疲れたのでうとうとしていると、廊下の奥にある屋根部屋の扉が開いて軋(きし)ったので目をさました。それから前夜階段を上ってきたのと同じ男の足音が聞こえた。足音はだんだん近づいてきた。彼は寝室から飛びおりて、鍵穴に目をおし当てた。穴はかなり大きかったので、前夜家の中にはいり込んできて扉の所で立ち聞きした其奴(そいつ)が通ってゆく所を、見て取ってやろうと思ったのである。果してそれは男であった。しかしこんどは別に立ち止まりもせずに室の前を通りすぎてしまった。廊下の中はまだ薄暗かったので、その顔はよく見分けられなかった。しかし男が階段の所まで行った時、外から差し込む一条の光が影絵のようにその姿を浮き出さした。ジャン・ヴァルジャンはそれを後ろからすっかり見て取った。背の高い男で、長いフロックを着、腕の下には太い杖を持っていた。それはジャヴェルの恐ろしい後ろ姿のようだった。
 ジャン・ヴァルジャンは大通りに面する窓からも一度その男を見ることができるのだった。しかしそれには窓を開かなければならなかった。彼はそれをあえてなし得なかった。
 明らかにその男は、鍵(かぎ)を持っていて自分の家にでもはいるようにはいってきたのだった。だれがその鍵を与えたのであろう? いったいどういう訳なのであろう?
 朝の七時に、婆さんが室(へや)を片付けにきた時、ジャン・ヴァルジャンは鋭い目つきでじろりと彼女をながめたが、何にも尋ねはしなかった。婆さんはいつものとおりの様子であった。
 掃除(そうじ)をしながら婆さんは彼に言った。
「旦那(だんな)は大方、夜中にだれかはいってきたのを聞かれたでしょう。」
 彼女ほどの老年にとっては、そしてその大通りでは、晩の八時といえばもうまっくらな夜である。
「なるほど、そうでした。」と彼はきわめて自然らしい調子で答えた。「いったいどういう人です。」
「新しく部屋を借りた人ですよ、この家の中に。」と婆さんは言った。
「そして名前は?」
「よくは存じませんが、デュモンとかドーモンとか、何でもそんな名前でしたよ。」
「そしてどういう人です、そのデュモンさんというのは。」
 婆さんは鼬(いたち)のような小さな目で彼を見上げて、そして答えた。
「年金を持ってる方ですよ、旦那(だんな)のように。」
 彼女はたぶん別に何の考えもなくそう言ったのであろうが、ジャン・ヴァルジャンはそれにある意味がこもってるように感じた。
 婆さんが行ってしまった時、彼は引き出しの中に入れていた百フランの貨幣を包み、それをポケットに入れた。そうするのにも金の音が他に聞こえないようにとよほど注意はしたが、五フランの銀貨が一つ手からすべり落ちて、床の上に大きな音を立ててころがった。
 夕靄(ゆうもや)のおりる頃、彼はおりていって、大通りを注意深くあちこち見回した。だれも見えなかった。街路には全く人影が絶えてるように思われた。もっとも並み木の後ろに隠れようとすれば隠れることはできたのである。
 彼はまた上っていった。
「おいで。」と彼はコゼットに言った。
 彼はコゼットの手を取り、そして二人は出て行った。
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   第五編 暗がりの追跡に無言の一組



     一 計略の稲妻形

 読者がこれから読まんとするページのために、またずっと後になって読者が出会うページのために、ここにある注意をしておく必要がある。
 本書の著者が、心ならずも自分のことをここに言えば、パリーを離れていることすでに数年におよんでいる(訳者注 ユーゴーが国外に亡命してることを言う)。そして著者が去っていらいパリーはしだいに趣を変えてきた。著者には多少不明な新しい町になってきた。けれども著者がパリーを愛することは、ここにわざわざ言うまでもないことである。パリーは著者の精神の故郷である。ただ種々の破壊再築を経たので、著者の青年時代のパリー、著者が自分の記憶のうちに大切に持って行ったあのパリーは、今では昔のパリーとなっている。けれどもどうか、そのパリーが今なお存在するかのように語ることを許していただきたい。著者が読者を導いて、「かくかくの街路にはかくかくの家がある」という所にも、今日ではもはやそういう街路も家もないことがあるかも知れない。もし読者が労をいとわないならば、それを調べてみらるるもよいだろう。著者の方では、新しいパリーを知らないので、眼前に昔のパリーを浮かべつつなつかしい幻のままに筆をすすめてゆくことにする。故国にあった時に目撃したもののいくらかを後に残すことを思い、すべてが消えうせはしなかったと思うことは、著者にとってうれしいことである。
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