レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 オリオン号は既に長い前から損(いた)んでいた。方々への航海中に、貝殻の厚い層が喫水部(きっすいぶ)に付着して、速力の半ばを減じていた。で前年はドックにはいってその貝殻を除かれ、そしてまた海に出て行ったのである。しかしその掃除のために喫水部の釘が損じていた。バレアール島の沖では、船腹がゆるんで穴が開いた、そして当時船体の内部は鉄板でおおわれていなかったので、水が漏り初めた。そこへ激しい彼岸嵐に襲われて、左舷(さげん)の船嘴(せんし)と一舷窓とがこわれ、前檣(ぜんしょう)の索棒が損(いた)んだ。そしてそれらの損所のためにまたツーロン港にはいってきたのである。
 オリオン号は造船工廠(こうしょう)の近くに停泊していた。そしてなお艤装(ぎそう)したまま修繕されていた。船体は右舷では少しも損んでいなかった。しかしいつもやられるとおりに、張り板はそこここはがされていて、船内に空気を通す用に供されていた。
 さてある日の朝、オリオン号をながめていた群集は一事変を目撃した。
 船員らはちょうど帆を張っていた。すると、右舷の大三角帆の上端をとらえる役目の水夫が身体の平均を失った。彼はよろめいた。それを見て、造船工廠の海岸に集まっていた群集は叫び声を上げた。頭をまっさきにして水夫は帆桁をぐるりと回りながら、逆様に深海に向かって両手をひろげた。その途中で彼は下がっている綱を片手でつかみ、次に両手でつかんで、そこにうまくぶら下がった。海は彼の下に目を回すような深さにたたえていた。彼の墜落の勢いのために、綱はぶらんこのように激しく動揺した。水夫はその綱の一端に揺り動かされて、ちょうど石投げひもの先につけた石のようであった。
 彼を助けにゆくには恐るべき危険を冒さなければならなかった。水夫らは皆新たに徴発されて働いてる沿岸の漁夫であって、あえてその危険を冒そうとする者は一人もなかった。そのうちに不運な水夫は弱ってきた。遠いので顔にその苦悩は認められなかったが、しだいに力弱ってゆくことは手足にそれと認められた。両腕は見るも恐ろしいほど引っ張られていた。再びよじ上ろうとする努力は、ぶら下がった綱の動揺をいたずらに増すばかりだった。彼は力を失うのを恐れて声も立てなかった。もはや彼が綱を離す瞬間を待つばかりだった。そして人々は彼が落ちてゆくのを見まいとして各瞬間ごとに顔をそむけた。綱の一端、一片の棒、一本の木の枝、それが生命それ自身であるような場合があるものである。そして、生あるものが熟した果実のようにそれから離れて落ちるのを見るのは、実に恐ろしいことである。
 その時突然山猫(ねこ)のような捷(はや)さで一人の男が船具をよじ上ってゆくのが見られた。その男は赤い着物を着ていた。徒刑囚である。緑の帽子をかぶっていた。無期徒刑囚である。檣櫓(しょうろ)の上に達すると、一陣の風がその帽子を吹き飛ばして、白髪の頭が見られた。青年ではない。
 実際船の中で徒刑労役として働いていた一人の囚人が、その事変が起こるとすぐに当直士官の所へ駆けてゆき、船員らが躊躇(ちゅうちょ)し惑っている中に、すべての水夫らが震えしり込みしているうちに、彼はただ一人、生命を賭(と)して水夫を救いに行くことを許してくれるように士官に願った。士官の許しの首肯を見て、彼は足の鉄輪についていた鎖を鉄槌(つち)の一撃でうちこわし、それから一筋の繩を持って、檣(ほばしら)の綱具のうちに上っていったのである。いかにたやすくその足鎖がこわれたかには、その瞬間だれも気がつかなかった。人々がそのことを思い浮かべたのはずっと後のことだった。
 またたくまに彼は帆桁の上に達した。彼は数秒の間立ち止まって、帆桁を目で見計らってるらしかった。そのうちにも風は綱の先端の水夫を吹き動かしていて、見物している人々にはその数秒が数世紀の長い時間ほどにも思われた。ついに囚人は目を空に上げ、そして一歩ふみ出した。群集は息をついた。見ると、彼は帆桁の上を走っていった。その先端に達するや、彼は持っていた綱の端をそこにゆわえ、他の端を下にたらし、それから両手でその綱を伝っており初めた。ここにおいて人々の心痛は名状すべからざるものとなった。いまや深淵(しんえん)の上にぶらさがっているのは一人ではなく、二人となったのである。
 いわば蜘蛛(くも)が蠅(はえ)を捕えにきたようなものであった。ただその場合、蜘蛛は死をでなく生を持ちきたったのである。数万の視線はその二人の上に据えられた。一言の叫びをも言葉をも発する者はなく、皆一様に身を竦(すく)めながら眉根(まゆね)を寄せていた。人々の口は呼吸をも押し止め、あたかも二人の不幸なる男を揺すっている風に少しの息をも加えまいと気づかってるかのようだった。
 そのうちに囚人は水夫の近くに身を下げることができた。危うい時間であった。いま一分も遅ければ、その水夫は疲れ切って絶望し、深淵のうちに身を落とすところだった。囚人は一方の手で繩に身をささえながら、他方の手で水夫をその繩でしかと繋(つな)ぎとめた。見ると、ついに彼は帆桁の上にまたよじ上り、水夫を引き上げてしまった。彼はそこでちょっと力を回復させるために水夫を抱きとめ、それから彼を小腋(こわき)に抱え、帆桁の上を横木の所まで歩いてゆき、そこから更に檣櫓(しょうろ)までいって、そこで彼を仲間の人々の手に渡した。
 その時群集は喝采(かっさい)した。老看守のうちには涙を流す者もいた。女たちは海岸の上で相抱いた。一種の感きわまった興奮した声で「あの男を許してやれ!」と異口同音(いくどうおん)に叫ぶのが聞こえた。
 そのうちにも彼の方は、また労役に従事するために、義務として直ちにそこからおり初めた。早く下に着くために、彼は綱具のうちをすべりおり、それから下の帆桁の上を走り出した。人々の目は彼のあとを追った。ところがある瞬間に、人々ははっと恐れた。疲れたのかまたは目が回ったのか、彼はちょっと躊躇(ちゅうちょ)しそしてよろめいたようだった。と突然、群集は高い叫び声をあげた。囚人は海中に落ちたのである。
 その墜落は危険であった。軍艦アルゼジラス号がちょうどオリオン号と相並んで停泊していた、そしてあわれな徒刑囚はその間に落ちたのだった。彼は両艦のいずれかの船底にまき込まれる恐れがあった。四人の男が急いでボートに飛び乗った。群集は彼らに声援した。心痛は人々の心のうちにまた新たになった。男は水面に浮き上がらなかった。あたかも石油樽(だる)の中に落ち込んだがように、一波も立てずに海中に消え失せてしまった。人々は水中を探り、また潜(もぐ)ってみた。しかし無益であった。夕方まで捜索は続けられた。けれども死体さえも見つからなかった。
 翌日、ツーロンの新聞は次の数行を掲げた。

 一八二三年十一月十七日――昨日、オリオン号の甲板で労役に従事していた一囚徒は、一人の水夫を救助して帰り来る時、海中に墜落して溺死(できし)した。死体は発見されなかった。察するところ、造船工廠の先端の杭(くい)の間にからまったものであろう。その男の在監番号は九四三〇号で、ジャン・ヴァルジャンという名前である。
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   第三編 死者への約束の履行



     一 モンフェルメイュの飲料水問題

 モンフェルメイュは、リヴリーとシェルとの間に位し、ウールクとマルヌ両河をへだてている高台の南端にある。今日ではかなり大きな町で、一年中白堊(はくあ)の別荘で飾られ、日曜日には花やかな市人で飾られるが、一八二三年には、まだ今日ほど多くの白塗りの家もなく、また満足げな市人もいなかった。それはただ森の中の一村落にすぎなかった。ただそこここに二三の近世ふうな別墅(べっしょ)などがあって、その堂々たる構えや、よじれた鉄欄のついてる露台や、閉ざされたまっ白な板戸の上に色ガラスの種々な緑色が浮いて見える長い窓などで、それと見分けられていた。それでもやはりモンフェルメイュは一つの村落にすぎなかった。引退した呉服商や別荘暮らしの人たちなども、まだこの地を見い出していなかったのである。それは平和なうるわしい場所であって、いずれへの往還にも当たっていなかった。豊富な気やすい田舎生活(いなかせいかつ)を安価で送ることができていた。ただ土地が高いので水が不自由であった。
 かなり遠くまで水を取りに行かなければならなかった。ガンニーの方に面した村の一端では、森の中にある多くの美しい池から水をくんでいた。教会堂をとり囲んでシェルの方に面した他の一端では、シェルへ行く道の側に村から約十五分もかかる山腹にある小さな泉まで行かなければ、いっさい飲料水は得られなかった。
 それでどの家でも、水を得ることはかなり骨の折れる仕事であった。大きな家、上流階級、テナルディエの飲食店もそのうちにはいるのであるが、それらの家では一桶(ひとおけ)について一リアールずつで水を買っていた。水くみを職業としているのは一人の老人であって、村の水くみの仕事で一日に八スーばかり得ていた。けれどもその老人は夏には七時まで、冬には五時までしか働かなかった。それで一度夜になると、一階の窓の戸がしまる頃になると、飲水を絶やした家では、自分でくみにゆくか、または水なしで我慢するかしなければならなかった。
 おそらく読者も忘れないでいるに違いないあのあわれな娘、小さなコゼット、彼女が非常に恐れていたのはそのことであった。読者の思い起こすとおり、コゼットは二つのことでテナルディエの者らに有用であった。彼らは母親から金をしぼり取るとともに、また子供をこき使っていたのである。それで、前の数編に述べておいたような理由で、母親の方から全く金がこなくなった時にも、テナルディエの者らはコゼットを家に置いていた。彼女は下女の代わりにされていたのである。水の入用な時にそれをくみに走って行くのは、下女としての彼女であった。晩に泉の所まで行くことは考えても身震いがするほど恐れていた娘は、家の中に決して水を絶やさないように非常に注意していた。
 一八二三年のクリスマスは、モンフェルメイュでは特ににぎやかだった。その冬の初めも至って温和で、まだ氷結もしなければ、雪も降らなかった。香具師(やし)らがパリーからやってきて、村長の許しで村の大きな通りに仮小屋を建て、また行商人の一隊も同じく許しを得て、教会堂の広場からブーランゼーの小路まで露店を建てつらねた。たぶん読者も記憶しているであろうが、そのブーランゼーの小路にテナルディエの飲食店はあったのである。そんなことで、宿屋や飲食店などはいっぱいになり、静かな田舎(いなか)は楽しくにぎやかに活気だった。なおまた忠実なる史家としてわれわれは、ここにつけ加えておかなければならない一事がある。すなわち広場の上に並んだ見世物のうちに、一つの動物小屋があった。その中で、身にはぼろをつけてどこからやってきたともわからないきたない道化者らが、この一八二三年にモンフェルメイュの百姓どもに、あの恐ろしいブラジルの禿鷹(はげたか)の標本を一つ見せていた。それは王室博物館にも一八四五年まではなかったもので、目には三色の記章がついてるものだった。博物学者はその鳥をカラカラ・ポリポルスと呼んでいると記憶する。それはアピシデの部門にはいるもので、禿鷹類に属するものである。村に引退しているボナパルト派の人のいい老兵士らが数人、その鳥を熱心にながめていた。その三色の記章の目は、この動物小屋のために、ありがたい神様の御手で特別になされた他に見られない図であると、道化者どもは説き立てていた。
 そのクリスマスの晩に、テナルディエ飲食店の天井の低い広間の中では、馬方(うまかた)や行商人など数人の男が、四、五の燭台(しょくだい)のまわりに陣取って酒を飲んでいた。その広間はどこの居酒屋(いざかや)にも見られるようなもので、食卓、錫(すず)の瓶(かめ)、酒壜(さけびん)、それから酒を飲んでる男や、煙草(たばこ)をふかしてる男、中はうす暗くて、しかも騒然たる音を立てていた。けれども一八二三年という年には、特にいちじるしく市民階級(ブールジョア)の間に流行してきた二つの物があった。すなわち万華鏡(カレードスコープ)と木目模様(もくめもよう)のブリキのランプとである。この広間にもその二つがテーブルの上にのっていた。そしてテナルディエの上(かみ)さんは、明るく燃え立った火の前であぶられてる夕食のごちそうの番をしており、亭主の方は、客たちと酒を飲みながら政治を論じていた。
 スペイン戦争やアングーレーム公を中心にした政治談のほかに、なお地方的の種々な事がらに関する談笑もあった。次のような言葉も聞かれた。
「ナンテールやスュレーヌの方では葡萄酒(ぶどうしゅ)がえらくできたぜ。十樽(じったる)くらいかと思ってると十二樽もあるんだ。圧搾器のために液汁(しる)が多く取れたんだ。――だが葡萄はまだ熟しちゃいなかったろうじゃねえか。――なにあちらじゃ、熟すまで置きゃしねえ。熟してから採ったんじゃあ葡萄酒は春になるとねばっちまわあ。――それじゃあ薄い葡萄酒だね。――そうとも、この辺にできるのよりもっと薄いや。とにかく葡萄は青いうちに採るに限るぜ。」
 その他種々の話。
 それからまた粉屋はこんなことを言っていた。
「俺(おれ)たちは袋の中のものに責任を負えるかい。たくさんの穀類がはいってるのを、一々より分けておられるものじゃねえ。ただ挽臼(ひきうす)の中につぎ込むばかりだ。どくむぎ、あたますき、なでしこむぎ、はとまめ、やはずえんどう、たいま、いぬすぎな、そのほかいろんなものがはいってやがるんだ。またばかに石の多い麦(やつ)があるのは言うまでもねえ。とりわけブルターニュ麦はひでえや。俺はブルターニュ麦をひくなあ全くごめんだ。釘(くぎ)のある梁(はり)を鋸(のこぎり)でひくのがいやだというが、もっといやなもんだ。そんな下等な麦で、どんな粉ができるもんか。それなのに粉の苦情ばかり言ってやがる。言う方が無理なんだ。粉が悪いったって何も俺たちのせいじゃねえんだ。」
 窓と窓との中ほどのところには、一人の草刈り人夫が地主といっしょに食卓について、春になすべき牧場の仕事の賃金を相談されていたが、彼はこんなことを言っていた。
「草がぬれるなあ悪かありません。刈りよくなるだけでさあ。露はいいですよ、旦那(だんな)。だがそれはとにかく、あの草は、まだ若いんで刈りにくいですよ。柔らかいうちはどうも大鎌(おおかま)の下にしなってかないませんからね。」
 その他種々。
 コゼットはいつものとおり、料理場のテーブルの横木に、暖炉に近い所に腰掛けていた。彼女はぼろの着物を着て、素足のまま木靴をはき、そして炉の火の光でテナルディエの娘らのために、毛糸の靴足袋を編んでいた。一匹の小さな子猫が椅子(いす)の下で戯れていた。二人の子供のあざやかな笑い興ずる声が隣の室から聞こえていた。それはエポニーヌとアゼルマであった。
 暖炉のすみには、一本の皮の鞭(むち)が釘(くぎ)に下がっていた。
 時とすると、家のどこかにいるごく小さな子供の泣き声が、酒場の騒ぎの間に聞こえてきた。先年の冬テナルディエの上さんがもうけた男の児である。「どうしたんだろう、あまり寒いから子供ができたのかも知れない、」などと上さんは言っていた。もう今では三歳余りになっていた。彼女はその子供を育ててはいたが、少しもかわいがっていなかった。子供の激しい泣き声があまりうるさくなると、亭主は言った、「子供が泣いてる、行ってみてやれよ。」すると母親はいつも答えた、「構うもんですか! 私はくさくさしちまう。」そして顧みもされない子供は、暗やみの中に泣き続けるのだった。

     二 二人に関する完稿

 読者は本書において、テナルディエ夫婦についてはその横顔しか見ていない。が今や、二人のまわりを回って、前後左右からながむべき時となった。
 亭主の方はちょうど五十の坂を越したばかりであった。女房の方は四十台になっていた。四十といえば男の五十に当たる。それで二人の間に年齢の不釣り合いはなかったわけである。
 背が高く、金髪で、あから顔で、脂(あぶら)ぎって、肥満して、角張(かくば)って、ばかに大きく、そしてすばしこいテナルディエの上さんを、読者はたぶん彼女が初めて舞台に現われて以来記憶しているであろう。前に言っておいたとおり彼女は、市場をのさばり歩く野蛮な大女の仲間に属していた。家の中のことはすべて一人でやった、寝所をこしらえ、室(へや)を片付け、洗濯(せんたく)をし、料理をし、雨の日も天気の日も、何でも手当たりしだいにやってのけた。そして唯一の下女としてはコゼットがいた、象に使われてる一匹の小鼠(ねずみ)みたいなコゼットが。彼女の声の響きには、家中のものが、窓ガラスも道具も人間もみな震え上がった。赤痣(あかあざ)で凸凹(でこぼこ)の大きい顔は、網杓子(あみじゃくし)に似ていた。髯(ひげ)まではえていた。まったく市場の人夫の理想的な型で、ただ女の着物を着てるだけであった。そのどなる声は素敵なものだった。胡桃(くるみ)をも一打にたたき割るといって自慢していた。小説を読んだので時とすると、その食人鬼のような姿の下から変に洒落(しゃれ)女の様子が現われて来ることがあったが、それがなかったら、女だと言ってもだれも本当にしなかったかも知れない。まず娼婦(しょうふ)が土方女に接木(つぎき)してできたというくらいのところだった。口をきいてるのを聞くと憲兵かとも思われ、酒を飲んでるところを見ると馬方(うまかた)かとも思われ、コゼットをこき使ってるところを見ると鬼婆(おにばば)とも思われるほどだった。休息してる時には、歯が一本口からのぞき出ていた。
 亭主のテナルディエの方は、背の低い、やせた、色の青い、角張った、骨張った、微弱な、見たところ病気らしいが実はすこぶる頑健(がんけん)な男であった。彼のまやかしはまず第一にそういう身体つきから初まっていた。いつも用心深くにやにやしていて、ほとんどだれにでも丁寧であり、一文の銭をもくれてやらぬ乞食(こじき)にさえ丁寧であった。目つきは鼬(いたち)のようでいて、顔つきは文人のようなふうをしていた。ドリーユ師(訳者注 好んで双六などをやってる男を歌った詩人)の描いた人物などに似通ったところが多かった。よく馬方などといっしょに酒を飲んで気取っていた。だれも彼を酔わせることはできなかった。いつも大きな煙管(きせる)で煙草(たばこ)をふかしていた。広い仕事着をつけて、その下に古い黒服を着込んでいた。文学に趣味があり、また唯物主義の味方である、と自称していた。何でも自分の説をささえるためにしばしば口にする二、三の名前があった。それはヴォルテールとレーナルとパルニーと、それから妙なことだが、聖アウグスチヌスとであった。自分は「一つの哲学」を持っていると断言していた。が少なくとも、非常なまやかし者で、尻学者(けつがくしゃ)であった。哲学者をもじって尻学者と称し得らるるくらいの男はざらにあるものである。また読者は記憶しているであろうが、彼は軍隊にはいっていたことがあると自称していた。彼がすこぶる大げさに吹聴するところによると、彼はワーテルローにおいて軽騎兵の第六とか第九とかの連隊の軍曹であって、プロシア驃騎兵(ひょうきへい)の一中隊に一人で立向かい、霰弾(さんだん)の雨下する中に、「重傷を負った一将軍」を身をもっておおい、その生命を救ったそうである。壁にかかっている真紅な看板と、「ワーテルローの軍曹の旅籠屋(はたごや)」というその地方の呼び名とは、それから由来したのである。彼は自由主義者で、古典派で、またボナパルト派であった。彼はシャン・ダジール(訳者注 フランスの追放者帰休兵らによって当時アメリカに建てられていた植民地)に金を出していた。村人の話では、彼は牧師になるために学問をしたそうであった。
 われわれの信ずるところによれば、彼はただ宿屋になるためにオランダで学問をしただけのことである。そして混合式の悪党である彼は、その変通性によって、フランドルではあるリール生まれのフランドル人となり、パリーではフランス人となり、ブラッセルではベルギー人となって、うまく二つの国境をまたいで歩いていた。彼のいわゆるワーテルローの武勇については、読者の既に知るとおりである。いうまでもなく彼はそれを誇張して話していたのである。変転、彷徨(ほうこう)、冒険、それが彼の一生のおもなでき事であった。内心の分裂は生活の不統一をきたす。宜(むべ)なるかな、一八一五年六月十八日の騒乱の時に当たってテナルディエは、あの酒保兼盗人の仲間にはいっていた。それら一群の者どもは前に述べたとおり、戦場をうろつき、ある者には酒を売りつけ、ある者からは所持品を略奪し、男も女も子供も一家族一つになって、変なびっこの車にのり、本能的に勝利軍の方へくっつき、進撃する軍隊のあとについて彷徨するのである。そういう戦争に参加して、自称するごとくいくらか「銭(ぜに)を儲(もう)け」て、それから彼はモンフェルメイュにきて飲食店を開いたのであった。
 その銭(ぜに)なるものも、死骸をまいた畑から収穫時にうまく刈り取った、金入れ、時計、金の指輪、銀の十字勲章、などにすぎなくて、大した金高にもならなかった。そしてそれだけでは、飲食店になったその従軍商人を長くささえることはできなかったのである。
 テナルディエの身振りのうちには何となく直線的なものがあって、きっぱりと口をきく時には軍人らしい趣となり、十字を切る時には神学校生徒らしい趣となった。話が上手で、学者と思われることもあった。けれども、小学校の先生は彼の「言葉尻(ことばじり)の訛(なま)り」に気がついた。彼は旅客への勘定書を書くことに妙を得ていた。けれども、なれた目で見ると往々つづりの誤りが見い出された。彼は狡猾(こうかつ)で、強欲で、なまけ者で、しかも利口であった。彼は下女どもをも軽蔑しなかった。そのために女房の方では下女を置かなくなった。この大女は至って嫉妬(しっと)深かった。彼女には、そのやせた黄色い小男がだれからでも惚(ほ)れられそうに思えたのである。
 テナルディエは特に瞞着(まんちゃく)者で落ち着いた男であって、まあ穏やかな方の悪党であった。けれどもそれは最も性質(たち)のよくないやつである、なぜなら偽善が交じってくるからである。
 かといって、テナルディエとても女房のように怒気を現わす場合がないわけではない。ただそれはきわめてまれであった。そしてそういう時には、彼は人間全体を憎んでるようだった。自分のうちに憎悪(ぞうお)の深い釜を持ってるようだった。絶えず復讐(ふくしゅう)の念をいだいていて、自分に落ちかかってきたことはすべて目の前のものの罪に帰し、生涯(しょうがい)の失意破綻(はたん)災難のすべてを正当な不平のようにいつもだれにでもなげつけようとしているかのようだった。すべてのうっ積した感情が心のうちに起こってきて、口と目から沸き立って来るかのようだった。そして恐るべき様子になるのであった。そういう彼の激怒に出会った人こそ災難である!
 その他種々な性質のほかにテナルディエはまた、注意深く、見通しがきき、場合によっては無口だったり饒舌(じょうぜつ)だったりして、いつもきわめて聡明(そうめい)だった。望遠鏡をのぞくになれた船乗りのような目つきを持っていた。彼は一種の政略家であった。
 その飲食店に初めてやってきた者はだれでも、テナルディエの上(かみ)さんを見て、「あれがこの家の主人だな」と思うのだった。しかしそれはまちがっていた。いな、彼女は一家の主婦でさえもなかった。主人でありまた主婦であるのは、亭主の方であった。女房の方は仕事をした、そして亭主の方はその方針を定めた。彼は一種の目に見えない絶えざる磁石のような働きによってすべてを指導していた。一言で、また時には一つの手まねで、もう十分だった。怪物のような女房はそれに従った。女房はただなぜとなく、亭主を特殊な主権的な者のように感じていた。彼女は自己一流の徳操を持っていた。何かのことに「主人テナルディエ」と意見が合わぬことはあっても、いな、実際そういうことはあり得ないことではあったがまあそう仮定するとしても、彼女は決して何事に限らず人前で亭主をやりこめることをしなかったであろう。しばしば女がやりたがるあの過ち、法廷風な言葉でいわゆる「夫の尊厳を汚す」というような過ちを、彼女は決して「他人の前で」犯すことはしなかったであろう。彼らの同意はその結果悪事ばかりを産み出すものではあったが、テナルディエの女房が自分の夫に服従してる趣のうちには、ある静観的なものがあった。大声とでっぷりした肉体とを持っている山のような女は、小柄な専制君主の指一本の下に動いていた。それは、その低劣な可笑(おか)しな一面からのぞいてみたる普遍的な偉大な事実、精神に対する物質の尊敬、そのものであった。ある醜悪も、永遠の美という深淵のうちにその存在の理由を持っていることがあるものである。テナルディエのうちにはある不可解なものがあった。彼がその女房の上に絶対の力を有することは、そこからきたのである。ある時は、彼女は彼を燃えている蝋燭(ろうそく)のようにうちながめ、またある時は、彼を恐ろしい爪のように感じていた。
 彼女は恐るべき動物で、自分の子供をしか愛せず、自分の夫をしか恐れていなかった。彼女はただ哺乳動物(ほにゅうどうぶつ)であるから母親になったまでである。その上、彼女の母親としての情愛もただ自分の女の児に対してだけで、いずれ後に述べるであろうが、男の児にまでは広がらなかった。それから亭主の方ではただ一つの考えしか持っていなかった。すなわち金持ちになるということ。
 しかし彼はその点には成功しなかった。その偉大なる才能に足るだけの舞台がなかったのである。テナルディエはモンフェルメイュにおいて零落しつつあった。もし零落ということが無財産にも可能であるならば。これがスウィスかピレネー地方ででもあったら、この無一文の男も百万長者になったかも知れない。しかし宿屋の亭主では一向うだつがあがらない。
 もとよりここでは、宿屋の亭主という言葉は狭い意味に使ったのであって、全般にわたってのことではない。
 この一八二三年には、テナルディエは督促の激しい千五百フランばかりの債務を負っていて、それに心を悩ましていた。
 いかに運命に酷遇されようともテナルディエは、最もよく、最も深く、また最も近代的に、ある一事を了解していた。一事というのはすなわち、野蛮人のうちでは一つの徳義であり、文明人のうちでは一つの商品である、あの歓待ということであった。それからまた彼は巧みな密猟者で、小銃の上手なことは評判になっていた。彼は一種の冷ややかな静かな笑い方を持っていたが、その笑いがまた特に危険なものであった。
 宿屋の主人としての彼の意見は、時として稲妻のように口からほとばしり出た。彼は専門的な金言を持っていて、それを女房の頭にたたきこんでいた。ある日彼は低い声で激しく彼女に言った。「宿屋の主人たる者がなすべきことは、つぎのようなことだ。やってきた者にはだれにでも、食物と休息と燈火(あかり)と火ときたない毛布と女中と蚤(のみ)と世辞笑いとを売りつけることだ。通りがかりの者を引きとどめ、小さい財布ならそれをはたかせ、大きい財布ならうまく軽くしてやり、一家族の旅客なら丁寧に泊めてやり、男からつかみ取り、女からむしり取り、子供からはぎ取ることだ。あけた窓、しめた窓、暖炉のすみ、肱掛椅子(ひじかけいす)、普通(なみ)の椅子、床几(しょうぎ)、腰掛け、羽蒲団(はねぶとん)、綿蒲団、藁蒲団(わらぶとん)、何にでもきまった金をかけておくことだ。鏡に映(うつ)った影でも、それがどれだけ鏡をすりへらすかを見ておいて、ちゃんと金をかけておくことだ。そのほかどんな下らないものにも、客に金を払わせ、客の犬が食う蠅(はえ)の代までも出させることだ!」
 この夫婦は、狡猾と熱中とがいっしょに結婚したようなものだった。忌むべき恐ろしい一対であった。
 亭主の方が種々計画をめぐらしてる間に、女房の方では、目の前にいるわけでもない債権者のことなんかは考えず、昨日のことも明日のことも気にかけず、ただ現在のことばかりに熱中して日を暮らしていた。
 そういうのが二人の人物であった。コゼットは彼らの間にあって、二重の圧迫を受け、臼(うす)に挽(ひ)かれると同時に釘(くぎ)抜きではさまれてる者のようなありさまだった。夫婦の者は各自異なったやり方を持っていた。コゼットはぶたれた、それは女房の方のであった。コゼットは冬も素足で歩いた、それは亭主の方のであった。
 コゼットは、梯子段(はしごだん)を上りおりし、洗濯(せんたく)をし、ふき掃除(そうじ)をし、駆けまわり飛びまわり、息を切らし、重い荷物を動かし、虚弱な身体にもかかわらず荒らい仕事をしていた。少しの慈悲もかけられなかった。残忍な主婦と非道な主人とであった。テナルディエの飲食店はあたかも蜘蛛(くも)の巣のようなもので、コゼットはそれにからまって震えていた。理想的な迫害は、その奸悪(かんあく)な家庭によって実現されていた。あたかも蜘蛛に仕えてる蠅のようなありさまだった。
 あわれな娘は、何事をも忍んで黙っていた。
 世の少女にして未だ小さく裸のままなる人生の曙(あけぼの)より、かくのごとくにして大人のうちに置かるる時、神の膝(ひざ)を離れたばかりの彼女らの心のうちには、およそいかなることが起こるであろうか。

     三 人には酒を要し馬には水を要す

 四人の新しい旅客が到着していた。
 コゼットは悲しげに物を考えていた。彼女はまだ八歳にしかなっていなかったが、種々な苦しい目に会ったので、あたかも年取った女のような痛ましい様子で考えにふけるのだった。
 彼女の眼瞼(まぶた)は、テナルディエの上(かみ)さんに打たれたので黒くなっていた。そのために上さんは時々こんなことを言っていた、「目の上に汚点(しみ)なんかこしらえてさ、何て醜い児だろう!」
 コゼットは考えていた、もう夜になっている、まっくらな夜になっている、ふいにやってきたお客の室(へや)の水差しやびんには間に合わせに水を入れなければならないし、水槽(みずぶね)にはもう水がなくなってしまっている。
 ただ少し彼女が安堵(あんど)したことには、テナルディエの家ではだれもあまり水を飲まなかった。喉(のど)の渇(かわ)いた人たちがいないというわけでもなかったが、その渇きは水甕(みずがめ)よりもむしろ酒びんをほしがるような類(たぐ)いのものだった。酒杯の並んでる中で一杯の水を求める者は、皆の人から野蛮人と見なされる恐れがあったのである。けれどもコゼットが身を震わすような時もあった。テナルディエの上さんは竈(かまど)の上に煮立ってるスープ鍋(なべ)の蓋(ふた)を取って見、それからコップを手にして、急いで水槽の所へ行った。彼女はその差口(さしぐち)を回した。娘は頭をもたげて彼女の様子をじっと見守っていた。少しの水がたらたらと差し口から流れて、コップに半分ばかりたまった。「おや、」と彼女は言った、「もう水がない!」それから彼女はちょっと口をつぐんだ。娘は息もつかなかった。
「いいさ、」と上さんは半分ばかりになったコップを見ながら言った、「これで間に合うだろう。」
 でコゼットはまた仕事にかかった。けれども十五、六分ばかりの間は、心臓が大きな毬(まり)のようになって胸の中に踊ってるような気がした。
 そういうふうにして過ぎ去っていく時間を数えながら、彼女は早く明日の朝になればいいがと思っていた。
 酒を飲んでいた一人の男が、時々表をながめては大きな声を出した。「釜の中みてえにまっくらだ!」あるいはまた、「今ごろ提灯(ちょうちん)なしに外を歩けるなあ猫(ねこ)ぐらいのもんだ!」それを聞いてコゼットは震えた。
 突然、この宿屋に泊まってる行商人の一人がはいってきた、そして荒々しい声で言った。
「私の馬には水をくれなかったんだな。」
「やってありますとも。」とテナルディエの上さんは言った。
「いやお上さん、やってないんだ。」と商人はまた言った。
 コゼットはテーブルの下から出てきた。
「いえやりましたよ!」と彼女は言った。「馬は飲みましたよ。桶(おけ)一杯みんな飲みましたよ。この私が水を持っていって、馬に口をききながらやったんですもの。」
 それは本当ではなかった。コゼットは嘘(うそ)を言っていた。
「この女郎(めろう)、拳(こぶし)ぐれえなちっぽけなくせに、山のような大きな嘘(うそ)をつきやがる。」と商人は叫んだ。「馬は水を飲んでいないんだ、鼻ったらしめ! 水を飲んでいない時には息を吹く癖があるんだ。俺はよく知ってるんだ。」
 コゼットは言い張った。そして心配のために声をからして聞きとれないくらいの声でつけ加えた。
「そして大変よく飲んだんですよ。」
「なんだって、」と商人は怒って言った、「そんなことがあるもんか。俺の馬に水をやるんだ。ぐずぐず言うない!」
 コゼットはまたテーブルの下にはいりこんだ。
「ほんとにそうですとも。」とテナルディエの上さんは言った。「馬に水をやってないなら、やらなければいけません。」
 それから彼女はまわりを見回した。
「そしてまた、あの畜生めどこへ行った?」
 彼女は身をかがめて、テーブルの向こうの端に、酒を飲んでる人たちのほとんど足の下にうずくまってるコゼットを見つけだした。
「出てこないか。」と上さんは叫んだ。
 コゼットは隠れていたその穴から出てきた。上さんは言った。
「この碌(ろく)でなしめ、馬に水をおやりったら。」
「でもお上さん、」とコゼットは弱々しく言った、「水がありませんもの。」
 上さんは表の戸を押し開いた。
「ではくみに行ってくるさ!」
 コゼットは頭をたれた、そして暖炉のすみに行って、からの桶(おけ)を取り上げた。
 その桶は彼女の身体よりも大きく、中にすわっても楽なくらいであった。
 上さんは竈(かまど)の所へ戻り、スープ鍋の中のものを木の匙(さじ)でしゃくって、味をみながら、ぶつぶつ言っていた。
「水は泉に行けばいくらでもある。あんな性の悪い児ったらありはしない。ああこの玉葱(たまねぎ)はよせばよかった。」
 それから彼女は引き出しの中をかき回した。そこには貨幣だの胡椒(こしょう)だの大蒜(にんにく)だのがはいっていた。
「ちょいと、おたふく、」と彼女はつけ加えた、「帰りにパン屋で大きいパンを一つ買っておいで。そら、十五スーだよ。」
 コゼットは胸掛けの横に小さなポケットを一つ持っていた。彼女は物も言わずにその銀貨を取って、ポケットの中に入れた。
 それから彼女は、手に桶を下げ、開いている戸を前にして、じっと立っていた。だれか助けにきてくれる人を待ってるがようだった。
「行っといでったら!」とテナルディエの上さんは叫んだ。
 コゼットは出て行った。戸は閉ざされた。

     四 人形の登場

 露店の列が教会堂の所からテナルディエの宿屋の所までひろがっていたことは読者の記憶するところであろう。町の人たちがやがて夜中の弥撒(ミサ)のためにそこを通るので、それらの露店は、紙でこしらえた漏斗形の台の中にともされた蝋燭(ろうそく)の光で明るく照らされていた、そして、その時テナルディエの家の食卓についていたモンフェルメイュの小学校の先生が言ったとおり、「幻燈のようなありさま」を呈していた。その代わり、空には一点の星影も見えなかった。
 それらの露店の一番端のものは、ちょうどテナルディエの家の入り口と向かい合いに建てられていて、金ぴかのものやガラスのものやブリキ製のきれいなものなどで輝いてる玩具屋(おもちゃや)だった。その玩具棚の一番前の棚には、白い布(きれ)のふとんの上に高さ二尺もあろうという大きな人形が一つすえられていた。人形は薔薇色(ばらいろ)の紗(しゃ)の着物を着、頭には金色の麦の穂をつけ、本物の髪毛がついていて、目には琺瑯(ほうろう)が入れてあった。通りがかりの十歳以下の子供は、その珍しい人形にびっくりして終日その前に引きつけられていたが、それを子供に買ってやるだけ金を持ったぜいたくな母親は、モンフェルメイュにはいなかったのである。エポニーヌとアゼルマとは何時間もそれに見とれていた、そしてまた実際コゼットまでがそっとそれをのぞきに行ったほどである。
 桶(おけ)を手に持って外に出たコゼットは、非常に陰うつでかつがっかりしていたけれど、それでもその素敵な人形の方へ目をあげないではおられなかった。彼女はその人形を自ら奥様と呼んでいた。あわれな彼女はその前に化石したように立ち止まった。彼女はその時までそれをまぢかに見たことがなかったのである。彼女にはその店全体が、宮殿のように思えた。そして人形はもう一つの人形ではなくて幻影であった。それは喜悦と光耀(こうよう)と富貴と幸福とであって、陰惨な冷たい辛苦のうちに深く閉ざされていたこの不幸なる少女にとっては、夢のような光彩のうちに浮かんで見えた。コゼットは子供らしい無邪気なまた悲しい知恵をしぼって、自分と人形とを距(へだ)てている深淵を測ってみた。女王かまた少なくとも王女でなければあのような「もの」を手にすることはできまいと思った。彼女はその薔薇色(ばらいろ)のきれいな着物やそのなめらかな美しい髪毛をながめた、そして考えた、「あの人形はどんなにか仕合わせだろう!」彼女はその幻のような露店から目を離すことができなかった。見れば見るほどそれに眩惑(げんわく)された。あたかも楽園を見るような気がした。その大きい人形の後ろには幾つも他の人形があって、それが妖精(ようせい)や精霊のように思われた。店の奥を行ききしている商人は、何だか天の父ででもあるかのように思われた。
 そして心を奪われてるうちに、彼女はすべてを忘れ、言いつかった用事までも忘れてしまっていた。と突然、テナルディエの上さんの荒々しい声が彼女を現実の世界に呼びさました。「おや、ばか娘、まだ行かなかったのか。待っといで、私が出ていくから。そこで何をしてたんだ。このお化けめ、おゆきったら!」
 上さんはちらと外をのぞいて、心を奪われて立ってるコゼットの姿を見つけたのだった。
 コゼットは桶(おけ)を持って、できるだけ大急ぎで逃げ出した。

     五 少女ただ一人

 テナルディエの宿屋は村のうちで教会堂に近い方の部分にあったので、コゼットはシェルに面した方の森の中の泉に水をくみに行かなければならなかった。
 彼女はもう他の店は一軒ものぞいて見なかった。そしてブーランゼーの小路から教会堂の近くまで行く間は、露店の燈火(あかり)が道を照らしていたが、やがて一番終わりの店の燈火も見えなくなってしまった。あわれな娘は暗やみのうちにあって、その中をつき進んだ。ある一種の恐怖にとらえられていたので、歩きながら桶(おけ)の柄を力限り動かしていた。それから出る音が彼女の道連れであった。
 進めば進むほどやみはますます濃くなっていった。道には一人の人もいなかった。がただ一人の女に出会った。その女は彼女の通りすぎるのを見てふり返り、立ち止まって口の中でつぶやいた。「いったいあの子はどこへ行くんだろう? まるで化け物のようだが。」そのうちに女はそれがコゼットであることに気づいた。「まあ、」と女は言った、「雲雀娘(ひばりむすめ)だったのか!」
 そのようにしてコゼットは、シェルの方に面したモンフェルメイュの村はずれの曲がりくねった人気(ひとけ)のない小路の入り乱れた中を通って行った。そして道の両側に人家やまたは壁だけでもある間は、かなり元気に進んでいった。時々彼女は、鎧戸(よろいど)のすき間から蝋燭(ろうそく)の光がもれるのを見た。それは光明であり生命であって、そこには人がいたのである。彼女はそれに安堵(あんど)することができた。けれども、先へ行くに従って彼女の歩みはほとんど機械的に遅くなっていった。最後の人家の角を通り過ぎた時、コゼットは立ち止まった。最後の露店の所からそこまで行くのも、既に困難なことだったが、今やその最後の人家から先へ行くことは、ほとんど不可能だった。彼女は桶(おけ)を地面に置き、髪の中に手を差し入れて、静かに頭をかき初めた。怖(お)じ恐れて決断に迷ってる子供によく見る態度である。もうそこはモンフェルメイュの村ではなく、野の中だった。暗い寂しいひろがりが彼女の前にあった。彼女はその暗黒を絶望の目で見やった。そこには一つの人影もなく、獣の姿があり、またおそらく化け物の姿もあった。彼女はじっと透かし見た。草の中を歩き回る獣の足音が聞こえた。樹木の間をうろついてる化け物の姿がはっきり見えた。その時彼女はまた桶の柄(え)を手に取り上げた。恐怖は彼女を大胆になしたのである。「かまやしない!」と彼女は言った、「水はなかったと言ってやろう。」そして彼女は覚悟して、またモンフェルメイュの村の中に戻って行った。
 百歩ばかり引き返すと、彼女はまた立ち止まって、頭をかき初めた。こんどはテナルディエの上(かみ)さんの姿が見えてきた。その恐ろしい姿は、山犬のような口をして、目は怒りに[#「怒りに」は底本では「燃りに」]燃え立っていた。娘は自分の前と後ろとを悲しい目つきで見やった。どうしたらいいだろう? どうなるだろう? どちらへ行ったものだろう? 前にはテナルディエの上さんの姿があり、後ろには夜と森とのいろんな化け物がいた。がついに彼女はテナルディエの上さんの姿の前から後にしざった。彼女はまた泉へ行く道を取って、走り出した。走りながら、モンフェルメイュの村を出て、走りながら森の中にはいり、もう何にもながめず、何にも耳を貸さなかった。息が切れた時ようやく走るのをやめたが、なお続けて進んだ。無我夢中でただ前へと進んでいった。
 走りながらも彼女は泣きたくなっていた。
 森の夜の震えが全く彼女をとり囲んでしまった。彼女はもう何にも考えなかった。何にも見なかった。広漠たる夜がその少女に顔を面していた。一方はいっさいの影、一方は眇(びょう)たる一原子にすぎなかった。
 森の縁から泉まではわずか七八分の距離であった。コゼットはしばしば昼間通ったことがあるので、その道をよく知っていた。で不思議にも道に迷いはしなかった。本能の一部が残っていて、彼女を漠然(ばくぜん)と導いたのである。その間彼女は、右にも左にも目を向けなかった、木の枝の間や藪(やぶ)の中に何かが出てきはしないかと恐れたので。そして彼女は泉の所へ達した。
 それは赤土交じりの地面に水で掘られた深さ二尺ばかりの天然の狭い水たまりであった。まわりには苔(こけ)がはえ、アンリ四世のえり飾りと呼ばるる長い縞(しま)のある草が茂り、また幾つかの大きな石が舗(し)いてあった。一条の水が、静かなささやかな音を立ててそこから流れ出ていた。
 コゼットは息をつく間も待たなかった。まっくらだったけれど、彼女はその泉にはきなれていたのである。いつも身のささえにする泉の上にさし出た若い樫(かし)の木を、暗やみのうちに左手で探って、その一本の枝を見つけ、それにつかまって身をかがめ、桶(おけ)を水の中につけた。その時彼女は非常に気がたかぶっていて、平素の三倍も力が出ていた。しかるにそうして身をかがめてるうちに、胸掛けのポケットの中のものを泉に落としたのは気がつかなかった。十五スー銀貨は水の中に落ちた。コゼットはそれを見もしなければ、その落ちる音をも耳にしなかった。彼女はほとんど一杯になった桶を引き上げて、それを草の上に置いた。
 それをしてしまうと、彼女はすっかり疲れ切ったのを感じた。すぐにも立ち去りたかったけれど、桶に水をくむことにあまり骨折ったので、もう一歩も踏み出す力がなかった。仕方なしにそこにすわってしまった。草の上に身を落として、そのままじっとうずくまった。
 彼女は目を閉じた。それからまた目を開いた。なぜか自分でもわからなかったが、他に仕様もなかったのである。
 彼女のそばには、桶の中に揺られてる水が輪を描いて、それがブリキの蛇(へび)のように見えていた。
 頭の上には煙の壁のような広い黒雲が空をおおうていた。暗やみの陰惨な面が漠然(ばくぜん)と娘の上におおいかぶさっていた。
 木星は彼方(かなた)の空に沈みゆこうとしていた。
 娘は途方にくれた目をあげて、名も知らぬその大きな星をながめ、そして恐ろしくなった。実際その遊星は、その時地平線のごく近くにあって、たなびいた深い靄(もや)を透かしてみると、恐ろしい赤い色に見えていた。そしてまた変に赤く染められた靄は、その星をいっそう大きく見せていた。ちょうどまっかな傷口のようなさまだった。
 寒い風が平野の上を渡っていた。森はまっくらで木の葉のそよぎもなく、夏の間の漠然たるさわやかな明るみもなかった。大きな枝が恐ろしくつき出ていた。やせた変な形の藪(やぶ)が木立ちの薄い所で音を立てていた。高い叢(くさむら)は北風の下に針のようにうごめいていた。蕁麻(いらぐさ)はよじれ合って、餌食(えじき)を求めている爪をそなえた長い腕のようだった。枯れた雑草が風に吹かれてすみやかにわきを飛んでいったが、何か追っかけてくるものを恐れて逃げてゆくがようだった。どこを見ても、ただ広漠(こうばく)たる痛ましいありさまだった。
 暗黒は人の心を惑わすものである。人には光が必要である。だれでも昼に相反するものの中に身を投ずる者は、心をしめつけられる思いがする。目に暗黒を見る時、精神は惑わしを見る。日食のうち、夜のうち、文目(あやめ)もわかたぬ暗がりのうちには、最も強い人々にとってさえ不安がある。夜ただ一人森の中を歩いて戦慄(せんりつ)しない者はない。影と木立ち、二つの恐ろしい密層。現実の幻がそのおぼろなる深みのうちに現われてくる。想像にも及ばないものが、スペクトルのごとき明るさで数歩前の所に浮き出してくる。眠れる花の悪夢のごときある漠然(ばくぜん)たる捕捉すべからざるものが、空間のうちにあるいは自分の頭のうちに浮かんでくるのが見える。地平線には恐ろしい姿のものがいる。まっ黒な大きい空洞(くうどう)の気が胸にはいってくる。自分の後ろが恐ろしくなってふり返りたくなる。夜の空虚、荒々しい姿になった事物、進むに従って消散する黙々たる物の横顔、髪をふり乱したようなまっくらなもの、いら立った叢(くさむら)、青白い水たまり、滅亡と悲愁との反映、沈黙の広大な墓場、実際にいるかも知れない見も知らぬ変化(へんげ)、傾いている不思議な木の枝、恐ろしい樹木の胴体、震えている長い雑草の茎、そういうものに対してはだれも身を護る術がない。いかに大胆なる者も、身を震わさぬ者はなく、苦悩の身に迫るのを覚えない者はない。あたかも自分の心が影ととけ合ってるかのように、人はある嫌悪(けんお)すべきものを感ずる。そしてかく心の底まで暗黒に浸されることは、ことに子供にとっては名状すべからざる陰惨の気を与うるものである。
 森は天の黙示である。そして小さな霊魂の翼の羽ばたきも、その奇怪な森の円天井の下にあっては、臨終の苦悶(くもん)の音を発する。
 何を感じているのかコゼットは自分でもよくわからなかったが、ただ自然の広大な暗黒からつかまれてるような気がした。彼女をとらえているものはもはや単に恐怖のみではなかった。恐怖よりもなお恐ろしい何かであった。彼女は震え上がった。彼女を心の底まで凍らしたその戦慄はいかに異常なものであったか、それを言い現わすには言葉も到底および難い。彼女の目は凶暴になっていた。彼女は翌日もきっと、また同じ頃にそこに戻ってこないではおれないだろうというような気がしていた。
 その時一種の本能から、その訳のわからないしかし恐ろしい不思議な状態からのがれるために、彼女は大きい声で、一、二、三、四、と十まで数え初めた。そしてそれが終わるとまた初めからくり返した。そのために彼女はようやく周囲の事がらの本当のありさまを感ずることができた。水をくむ時にぬらした手に寒さを感じた。彼女は立ち上がった。するとまた恐ろしくなってきた。おさえることのできない自然の恐怖の念がまた襲ってきた。彼女はもうただ一つの考えきり持たなかった。逃げ出すこと。森を通りぬけ、野を横ぎり、人家のある所まで、窓のある所まで、火のともった蝋燭(ろうそく)のある所まで、足にまかして逃げのびること。前にある桶(おけ)が彼女の目についた。彼女は非常にテナルディエの上さんを恐(こわ)がっていたので、水の桶をすてて逃げ出すことはなしかねた。彼女は両手に桶の柄をつかんだ。そしてようやくのことでそれを持ち上げた。
 そのようにして彼女は十歩余り進んだが、桶は水がいっぱいで重かったので、それをまた地面におろさなければならなかった。彼女はちょっと息をついた。それからまた桶を持ち上げて、再び歩き出したが、こんどは前よりも少し長く歩いた。けれどもやはり立ち止まらなければならなかった。しばらく休んだ後にまた歩き出した。前の方に身をかがめて、頭をたれて、老人のようにして歩いた。桶の重さは、彼女のやせた腕を引っぱり硬(こわ)ばらした。鉄の柄は、彼女の小さなぬれた手を麻痺(まひ)させ凍えさしてしまった。時々彼女は立ち止まらなければならなかった。そして立ち止まるたびごとに、桶からこぼれる冷たい水は彼女の露(あら)わな脛(はぎ)の上に流れた。そしてそれも、森の奥で、夜中に、冬に、人の目を遠く離れた所においてだった。そして彼女はわずか八歳の子供だった。その悲しいありさまをながめていたのは、その時ただ神のみであった。
 そしてまたきっと彼女の母も、ああ!
 なぜかなれば、墳墓の中で死者の目を開かしめるようなことも世にはあるものである。
 彼女は一種の痛ましい嗄(しわが)れた音を立てて息をしていた。すすりなきがこみ上げてきて喉(のど)がつまりそうだった。けれど泣くこともなし得なかった。それほど彼女は、遠くにいてもテナルディエの上さんを恐(こわ)がっていた。テナルディエの上さんがいつも目の前にいるように考えるのは、彼女の習慣となっていた。
 彼女はそんなふうで道をはかどることができなかった。彼女は少しずつ進んでいた。立ち止まる時間を少なくし、そのあいだあいだをできるだけ長く歩こうと、いくらつとめてもだめだった。こんなふうではモンフェルメイュまで戻るには一時間以上もかかるだろう、そしてテナルディエの上さんに打たれるだろう、と考えては心を痛めた。そしてその心痛は、夜ただ一人で森の中にいるという恐怖の情に交じっていた。もうすっかり疲れ切っていたのに、まだ森から出てもいなかった。そして、かねて見知っている古い栗(くり)の木のそばまできた時、よく休むために最後に一度少し長く立ち止まった。それから全力をよび起こして、桶を取り、元気を出して歩きだした。けれども絶望的なあわれな少女は、思わず声を立てないではおれなかった。「おう神様! 神様!」
 その時、彼女はにわかに桶(おけ)が少しも重くないのを感じた。非常に大きいように思われた一つの手が、桶の柄をつかんで勢いよくそれを持ち上げたのだった。彼女は頭を上げた。まっすぐにつき立った黒い大きな姿が、暗やみの中を彼女と並んで歩いていた。それは彼女の後ろからやってきた一人の男で、その近づいて来る足音を彼女は少しも耳にしなかったのである。男は一言も口をきかないで、彼女の持っている桶(おけ)の柄に手をかけていた。
 人生のいかなるできごとにも相応ずる本能もある。少女は別に恐怖を感じなかった。

     六 ブーラトリュエルの明敏を証するもの

 一八二三年のその同じクリスマスの日の午後、パリーのオピタル大通りの最も寂しい所を、かなり長い間一人の男がうろついていた。その男は住宅をさがしてるような様子であって、サン・マルソー郭外のその荒廃した片すみにある最も質素な人家の前に好んで足を止めてるようだった。
 果してその男が、その寂しい町に部屋を一つ借りたことは、後に述べるとしよう。
 その男は、服装(みなり)から見ても人柄から見ても、高等乞食(こじき)とでも称し得るような型(タイプ)をそなえていた、すなわち非常な見窄(みすぼ)らしさとともにまた非常な清潔さを。そういう一致はあまり見られないものであって、きわめて貧しい者に対する敬意ときわめてりっぱな者に対する敬意と、二重の敬意を心ある人々に起こさせるものである。彼はごく古いがよくブラシをかけた丸い帽子をかぶり、粗末な石黄色の布地(きれじ)のすっかり糸目まですり切れてしまったフロック型の上衣をつけていた。その当時黄色の服はちっとも変ではなかったのである。ごく古い型のポケット付きのチョッキ、膝(ひざ)の所は灰色になってる黒い短ズボン、黒い毛糸の靴下、銅の留め金がついてる厚皮の短靴。何だか亡命の旅から帰ってきた良家の古い家庭教師といった姿である。そのまっ白な髪や、しわよった額(ひたい)や、青白い脣(くちびる)や、生の疲れと倦怠(けんたい)とが現われてる顔つきなどを見ると、もう六十歳のずっと上であるように思われた。けれども、ゆっくりではあるがしっかりした歩き方や、あらゆる動作に現われてる特別な元気などを見ると、五十歳にもなっていないかとさえ思われた。顔のしわは程よくついていて、注意して見る者にはいい感じを与えるようだった。脣(くちびる)は妙な襞(ひだ)をこしらえて引きしまっていて、厳酷そうであったが、実は謙譲であった。その目つきの奥には、何ともいえない悲しげな清澄さがあった。左手には、ハンカチでくくった小さな包みを持ち、右手には、どこかの籬(まがき)からでも切り取ってきたような杖らしいものをついていた。その杖は多少念入りにこしらえられていて、あまりぶかっこうなほどではなかった。節はみなうまく利用されていて、珊瑚(さんご)まがいの赤蝋(せきろう)の杖頭がついていた。一本の棒にすぎなかったが、ちょっと見たところはりっぱなステッキのようだった。
 その大通りは人通りの少ない所で、ことに冬はそうだった。けれどもその男は、別に目立つほどでもないが、通行人を求めるよりもむしろ避けてるようであった。
 そのころ国王ルイ十八世は、ほとんど毎日のようにショアジー・ル・ロアに行っていた。そこは彼の好きな遊歩地の一つであった。たいていいつも二時ごろには、国王の馬車と騎馬の行列とが大駆けでオピタル大通りを通るのが見られた。
 それは、その辺に住む貧しい人々にとっては懐中時計や柱時計の代用をしていた。彼らは言った、「もう二時になる、チュイルリー宮殿へお帰りだから。」
 そして駆けつけて来る者もあれば、そこに立ち並ぶ者もあった。なぜなら、国王の通御は常に人を騒がせるものであるから。その上、ルイ十八世の出入は、パリーの町々にある影響を与えていた。その通過はすみやかではあったが、しかし堂々たるものであった。不具の王は馬の大駆けを好んでいた。自ら歩くことはできなかったが、走ることが好きだった。躄(いざり)なる彼は、好んで馬を急速に駆けさした。抜剣のうちに護(まも)られて、落ち着いたいかめしい顔をして通っていった。戸口には大きな百合(ゆり)の茎が描かれすっかり金箔(きんぱく)をかぶせられた、彼のどっしりした四輪箱馬車は、騒がしい音を立てて走った。ちらと見るまにもうそれは通りすぎていた。馬車の奥の右のすみに、白繻子(しろじゅす)でできてるボタンじめの褥(しとね)の上に、しっかりした大きな赤ら顔、王鳥式に新しく白粉(おしろい)をぬった額、高慢ないかつい鋭い目、文人のような微笑、市民服の上にゆらめいている綯総(よりふさ)の二つの大きな肩章、トアゾン・ドール章とサン・ルイ勲章とレジオン・ドンヌール勲章とサン・テスプリ騎士団の銀章、大きな腹、大きな青綬章、そういうものが見られた。それが王であった。パリーの外では、白い鳥の羽のついた帽子を、イギリスふうの大きなゲートルを巻いた膝頭(ひざがしら)にのせていたが、市内にはいってくると、その帽子を頭にかぶり、会釈もあまりしなかった。彼は冷然と人民をながめ、人民の方でも冷然と彼を見上げた。彼が初めてサン・マルソーの方面に姿を見せた時、彼の成功といってはただ、その郭外の一人の男が次の言葉を仲間に言ったことばかりだった。「あの大きな男がこんどの政府だよ。」
 ところで、その国王がいつもきまって同じ時刻に通ることは、今ではオピタル大通りの毎日の事件となっていた。
 黄色いフロックを着てうろついてたあの男は、明らかにその辺の者ではなく、またたぶんパリーの者でもなかったろう。なぜなら、彼はこの国王通御のことを少しも知っていなかったから。二時に、銀モールをつけた近衛騎兵の一隊に取り巻かれた王の馬車が、サルペートリエール救済院の角を曲がってその大通りに現われた時、彼は驚いたようで、ほとんど恐れをさえいだいたように見えた。ちょうどその歩道には彼のほかだれもいなかった。彼は急いである家壁の角(かど)に身を避けた。それでも彼はアヴレ公の目をのがれることができなかった。アヴレ公はその日護衛の騎兵の隊長として、王と向かい合って馬車の中にすわっていた。彼は陛下に言った、「向こうにあまり人相のよくない男がいます。」国王の通路を警戒していた警官らも同じくその男を認めた。そのうちの一人は彼を追跡せよとの命令を受けた。しかし男は、その郭外の寂しい小路のうちに身を隠した。そして日の光が薄らぎかけていたので、警官は彼の姿を見失ってしまった。そのことは、国務大臣で警視総監のアングレー伯爵へその日の夕方差し出された報告のうちに書いてあった。
 黄色いフロックの男は、警官をまいてしまった時、足を早めたが、もう追跡されてはいないことを確かめるためにたびたびふり返ってながめた。四時十五分に、すなわち全く日が暮れた時に、彼はポルト・サン・マルタン劇場の前を通った。その日の芝居は二人の囚人というのであった。劇場の反照燈に照らされた[#「照らされた」は底本では「照られた」]その看板が彼の目を引いた。彼は早く歩いていたにもかかわらず、立ち止まってそれを読んだ。それからじきに彼はプランシェットの袋町にゆき、プラ・デタンという家にはいって行った。当時そこにランニー行きの馬車の立て場があった。馬車は四時半に出発することになっていた。
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