レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

「それでは、わしは乗馬で行こう。馬車をはずしてくれ。この辺に鞍(くら)を売ってくれる所はあるだろう。」
「そりゃああります。だがこの馬に鞍が置けますかね。」
「なるほど。そうだった。この馬はだめだ。」
「そこで……。」
「なに村で一頭くらい借りるのがあるだろう。」
「アラスまで乗り通せる馬ですか。」
「そうだ。」
「この辺にあるような馬じゃだめです。第一旦那(だんな)を知ってる者あねえから、買ってやらなくちゃ無理です。ですが、売るのも貸すのも、五百フラン出したところで千フラン出したところで、見つかりゃあしませんぜ。」
「いったいどうしたらいいんだ。」
「まあ一番いいなあ、私に車を直さして明日(あした)出立なさるのですな。」
「明日では遅くなるんだ。」
「ほう!」
「アラスへ行く郵便馬車はないのか。いつここを通るんだ。」
「今晩です。上りも下りも両方とも夜に通るんです。」
「どうしてもこの車を直すには一日かかるのか。」
「一日かかりますとも、十分。」
「二人がかりでやったら?」
「十人がかりでも同じでさ。」
「繩(なわ)で輻(や)を縛ったら?」
「輻はそれでいいでしょうが、轂(こしき)はそういきません。その上□(たが)もいたんでます。」
「町に貸し馬車屋はいないのか。」
「いません。」
「ほかに車大工はいないのか。」
 馬丁と親方とは頭を振って同時に答えた。
「いません。」
 彼は非常な喜びを感じた。
 それについて天意が働いていることは明らかであった。馬車の車輪をこわし、途中に彼を止めたのは、天意である。しかも彼はその最初の勧告とでもいうべきものにすぐ降伏したのではなかった。あらゆる努力をして旅を続けようとした。誠実に細心にあらゆる手段をつくしてみた。寒い季節をも疲労をも入費をも、意に介しなかった。彼はもはや何ら自ら責むべきところを持ってはいなかった。これ以上進まないとしても、それはもはや彼の責任ではなかった。それはもはや彼の罪ではなかった。彼の本心の働きではなく、実に天意のしからしむるところであった。
 彼は息をついた。ジャヴェルの訪問いらい初めて、自由に胸いっぱいに息をした。二十時間の間心臓をしめつけていた鉄の手がゆるんできたような思いがした。
 今や神は彼の味方をし、啓示をたれたもうたように、彼には思えた。
 すべてでき得る限りのことはなしたのだ、そして今ではただ静かに足を返すのほかはない、と彼は自ら言った。
 もし彼と車大工との会話が宿屋の室の中でなされたのであったら、そこに立会った者もなく、それを聞いた者もなく、事はそのままになっただろう。そしておそらく、われわれがこれから読者に物語らんとするできごとも起こらなかったろう。しかしその会話は往来でなされたのだった。往来の立ち話は、いつも必ず群集をそのまわりに集めるものである。外から物事を見物するのを好む者は常に絶えない。彼が車大工にいろいろ尋ねている間に、行き来の人たちが二人のまわりに立ち止まった。そのうちの人の気にもとまらぬ一人の小さな小僧が、しばらくその話をきいた後、群集を離れて向こうに駆けて行った。
 旅客が前述のように内心で考慮をめぐらした後、道を引き返そうと決心したちょうどその時に、その子供は戻ってきた。彼は一人の婆さんを伴っていた。
「旦那(だんな)、」と婆さんは言った、「倅(せがれ)が申しますには、旦那は馬車を借りたいそうでございますね。」
 子供が連れてきたその婆さんの簡単な言葉に、彼の背には汗が流れた。自分を離した手がやみの中に後ろから現われて、自分を再びつかもうとしているのを、彼は目に見るような気がした。
 彼は答えた。
「そうだよ、貸し馬車をさがしてるところなんだが。」
 そして彼は急いでつけ加えた。
「しかしこの辺には一台もないよ。」
「ございますさ。」と婆さんは言った。
「どこにあるんだい。」と車大工は言った。
「私どもに。」と婆さんは答えた。
 旅客は慄然(りつぜん)とした。恐るべき手は再び彼を捕えたのだった。
 婆さんはなるほど一種の籠(かご)馬車を物置きに持っていた。車大工と馬丁とは、旅客が自分たちの手から離れようとしているのに落胆して、言葉をはさんだ。
「ひどいがた馬車だ。――箱がじかに心棒についてやがる。――なるほど中の腰掛けは皮ひもでぶら下げてあるぜ。――雨が降り込むぜ。――車輪は湿気にさびついて腐ってるじゃねえか。――あの小馬車と同じにいくらも行けるものか。まったくのがたくり馬車だ。――こんなものに乗ったら旦那(だんな)は災難だ。」――などと。
 なるほどそのとおりであった。しかしそのがた馬車は、そのがたくり馬車は、その何かは、ともかくも二つの車輪の上についていた、そしてアラスまでは行けるかも知れなかった。
 旅客は婆さんの言うだけの金を渡し、帰りに受け取るつもりで小馬車の修繕を車大工に頼んで、そのがた馬車に白馬をつけさせ、それに乗って、朝から進んできた道に再び上った。
 馬車が動き出した時彼は、自分の行こうとしてる所へは行けないだろうと思って先刻ある喜びの情を感じたことを、自ら認めた。彼は今その喜びの情を一種の憤怒をもって考えてみて、それはまったく不合理だということを認めた。何ゆえにあとに戻ることを喜ばしく感じたのか? 要するに彼は勝手に自らその旅を初めたのではなかったか。だれも彼にそれを強(し)いたのではなかったのだ。
 そしてまた確かに、彼が自ら望んでることのほかは何も起こるはずはないのだ。
 エダンを去る時に、彼はだれかが呼びかける声を聞いた。「止めて下さい! 止めて下さい!」彼は勢いよく馬車を止めた。そのうちにはなお、希望に似た何か熱烈な痙攣的(けいれんてき)なものがあった。
 彼を呼び止めたのは婆さんの子供だった。
「旦那(だんな)、」と子供は言った、「馬車をさがして上げたなあ私だが。」
「それで?」
「旦那は何もくれないだもの。」
 だれにも少しも物をおしまなかった彼も、その請求を無法なほとんど憎むべきもののように感じた。
「ああそれはお前だった。」と彼は言った。「だがお前には何もやれないぞ!」
 彼は馬に鞭(むち)をあてて大駆けに走り去った。
 彼はエダンでだいぶ時間を失っていた。彼はそれを取り返そうと思った。小さな馬は元気に満ちて、二頭分の力で駆けていた。しかし時は二月で、雨の後でさえあったので、道は悪くなっていた。その上こんどは小馬車ではなかった。車は鈍く重く、かつ多くの坂があった。
 エダンからサン・ポルまで行くのに四時間近くかかった。五里に四時間である。
 サン・ポルに着いて彼は、見当たり次第の宿屋で馬をはずし、それを廐(うまや)に連れて行った。スコーフレールとの約束もあるので、馬に食物をやってる間秣槽(かいおけ)のそばに立っていた。そして悲しいごたごたしたことを考えていた。
 宿屋の主婦が廐(うまや)にやってきた。
「旦那(だんな)はお食事はいかがです。」
「なるほど、」と彼は言った、「ひどく腹がすいてる。」
 彼は主婦について行った。主婦は元気な美しい顔色をしていた。彼を天井の低い広間に案内した。そこには卓布の代わりに桐油(とうゆ)をしいた食卓が並んでいた。
「大急ぎだよ。」と彼は言った。「わしはすぐにまた出立しなければならない。急ぎの用だから。」
 ふとったフランドル人の女中が、大急ぎで食器を並べた。彼はほっとしたような気持でその女をながめた。
「何だか変だと思ったが、なるほどまだ食事もしていなかったのだ。」と彼は考えた。
 食物は運ばれた。彼は急いでパンを取って一口かじった。それから静かに食卓の上にパンを置いて、再びそれに手をつけなかった。
 一人の馬方が他のテーブルで食事をしていた。彼はその男に向かって言った。
「どうしてここのパンはこうまずいだろうね。」
 馬方はドイツ人で、彼の言葉がわからなかった。
 彼は馬の所へ廐に戻って行った。
 一時間後に、彼はサン・ポルを去ってタンクの方へ進んでいた。タンクはもうアラスから五里しかへだたっていなかった。
 その道程の間彼は、何をなし、何を考えていたか? 朝の時と同じく、樹木や、茅屋(ぼうおく)の屋根や、耕された畑や、道を曲がるたびに開けてゆく景色の変化を、ながめていた。人の心は時として、ただ惘然(ぼうぜん)と外界をながめることに満足し、ほとんど何事をも考えないことがある。しかし、かく種々の事物を初めて見、しかもそれで見納めとなることは、いかに悲しいまた深刻なことであろう! 旅をすることは、各瞬間ごとに生まれまた死ぬることである。おそらく、彼はその精神の最も空漠(くうばく)たる一隅(ぐう)において、移り変わりゆく眼界と人間の一生とを比べてみたであろう。人生のあらゆる事物は絶えず吾人(ごじん)の前を過ぎ去ってゆく。影と光とが入れ交じる。眩惑(げんわく)の輝きの後には陰影が来る。人はながめ、急ぎ、手を差し出し、過ぎゆくものをとらえんとする。各事変は道の曲がり角である。そして突然人は老いる。ある動揺を感ずる。すべては暗黒となる。暗い戸が開かれているのがはっきりと見える。人を引いていた人生の陰暗な馬は歩みを止める。そして人は覆面の見知らぬ男が暗やみのうちにその馬を解き放すのを見る。
 旅客がタンクの村にはいるのを学校帰りの子供らが見たのは、もう薄暗がりの頃だった。一年の中でも日の短い季節であった。彼はタンクに止まらなかった。彼がその村から出た時、道に砂利を敷いていた道路工夫が、頭をあげて言った。
「馬がだいぶ疲れてるようだな。」
 あわれな馬は実際もう並み足でしか歩いていなかった。
「アラスへ行きなさるのかね。」と道路工夫はつけ加えた。
「そうだ。」
「そういうふうじゃ、早くは着けませんぜ。」
 彼は馬を止めて、道路工夫に尋ねた。
「アラスまでまだいかほどあるだろう?」
「まあたっぷり七里かな。」
「どうして? 駅の案内書では五里と四分の一だが。」
「ああお前さんは、」と道路工夫は言った、「道普請中なのを知りなさらねえんだな。これから十五分ほど行くと往来止めになっている。それから先は行けませんぜ。」
「なるほど。」
「まあ、カランシーへ行く道を左へ取って、川を越すだね。そしてカンブランへ行ったら、右へ曲がるだ。その道がモン・サン・エロアからアラスへ行く往来だ。」
「だが夜にはなるし、道に迷わないとも限らない。」
「お前さんはこの辺の者じゃねえんだな。」
「ああ。」
「それに方々に道がわかれてるでね。……まてよ、」と道路工夫は言った、「いいことを教えてあげよう。お前さんの馬は疲れてるで、タンクへ戻るだね。いい宿もありますぜ。お泊まんなさい。そして明日(あした)アラスへ行くだね。」
「今晩行かなくちゃならないんだ。」
「ではだめだ。それじゃあやはりタンクの宿へ行って、なお一頭馬をかりるだね。そして馬丁に道を案内してもらうだね。」
 彼は道路工夫の助言に従って、道を引き返していった。そして三十分後には、りっぱな副馬(そえうま)をつけて大駆けに同じ所を通っていた。御者だと自ら言ってる馬丁は、馬車の轅(ながえ)の上に乗っていた。
 それでも彼はなお急ぎ方が足りないような気がした。
 もうまったく夜になっていた。
 彼らは横道に進み入った。道は驚くほど悪くなった。馬車はあちこちの轍(わだち)の中へ落ちこんだ。彼は御者に言った。
「どしどし駆けさしてくれ。酒代(さかて)は二倍出す。」
 道のくぼみに一揺れしたかと思うと、馬車の横木が折れた。
「旦那(だんな)、」と御者は言った、「横木が折れましたぜ。これじゃ馬のつけようがありません。この道は夜はひどいですからな。旦那がこれからタンクへ戻って泊まるんなら、明日(あした)は早くアラスへ行けますが。」
 彼は答えた。「繩(なわ)とナイフはないかね。」
「あります。」
 彼は一本の木の枝を切り、それを横木にした。
 それでなお二十分費やした。しかし彼らはまた大駆けに走っていった。
 平野はまっくらだった。低い狭い黒い靄(もや)が丘の上をはって、煙のように丘から飛び散っていた。雲のうちにはほの白い明るみがあった。海から来る強い風は、家具を動かすような音を遠く地平線のすみずみに響かしていた。目に触れるものすべては、恐怖の姿をしていた。暗夜の広大な風の息吹(いぶ)きの下にあって、何物か身を震わさないものがあろうか!
 寒さは彼の身にしみた。彼は前日来ほとんど何も食べていなかった。彼は漠然(ばくぜん)と、ディーニュ付近の広野のうちを暗夜に彷徨(ほうこう)した時のことを思いだした。それは八年前のことだったが、昨日のことのように思われた。
 遠い鐘楼で時を報じた。彼は馬丁に尋ねた。
「あれは何時だろう。」
「七時です、旦那(だんな)。八時にはアラスに着けます。もう三里しかありません。」
 その時に彼は初めて次のようなことを考えてみた。どうしてもっと早く考えおよぼさなかったかが自ら不思議に思えた。「こんなに骨折ってもおそらくは徒労に帰するかも知れない。自分は裁判の時間さえ知ってはいない。少なくともそれくらいは聞いておくべきだった。何かに役立つかどうかもわからないで、前へばかり進んでゆくのは、狂気の沙汰だ。」それから彼は頭の中で少し計算し初めた。「通例なら重罪裁判の開廷は午前九時からである。――あの事件はたぶん長くはならないだろう。――林檎(りんご)窃盗の件はすぐに済むだろう。――後(あと)はただ人物証明の問題だけだ。――四、五人の証人の陳述があり、弁護士が口をきく余地は少ない。――すべてが終わってから自分はそこに着くようになるかも知れない!」
 御者は二頭の馬に鞭(むち)を当てていた。彼らはもう川を越して、モン・サン・エロアを通りこしていた。夜はますます深くなっていった。

     六 サンプリス修道女の試練

 一方において、ちょうどその時ファンティーヌは喜びのうちにあった。
 彼女はきわめて険悪な一夜を過したのだった。激しい咳(せき)に高熱、それからまた悪夢に襲われた。朝、医者が見舞った時には、意識が乱れていた。医者は心配そうな様子をして、マドレーヌ氏がきたら知らしてくれと頼んでいった。
 午前中、彼女は沈鬱(ちんうつ)で、あまり口もきかず、何か距離に関するらしい計算を小声でつぶやきながら、敷布に折り目をつけたりしていた。目はくぼみ、じっと据わって、ほとんど光もなくなってるようだった。そしてただ時々、また光を帯びてきて星のように輝いた。ある暗黒な時間の迫っている時、地の光を失った人に天の光が差して来ることがあるようである。
 サンプリス修道女がその心持ちをきくごとに、彼女はきまってこう答えた。「よろしゅうございます。私はただマドレーヌ様にお目にかかりたいのですけれど。」
 数カ月前、最後の貞節と最後の羞恥(しゅうち)と最後の喜びとを失った時、彼女はもう自分自身の影にすぎなくなった。そして今や彼女は自分自身の幻にすぎなかった。身体の苦しみは、心の悩みがなしかけた仕事を仕上げてしまった。二十五歳というのに、額(ひたい)にはしわがより、頬(ほほ)はこけ、小鼻はおち、歯齦(はぐき)は現われ、顔色は青ざめ、首筋は骨立ち、鎖骨(さこつ)は飛び出し、手足はやせ細り、皮膚は土色になり、金髪には灰色の毛が交じっていた。ああいかに病は老衰を早めることぞ!
 正午にまた医者がきた。彼はある処方をしるし、市長が病舎にこられたかと尋ね、そして頭を振った。
 マドレーヌ氏はいつも三時に見舞に来るのだった。正確は一つの親切である。彼はいつも正確だった。
 二時半ごろにファンティーヌは気をもみ初めた。二十分間の間に、彼女は十回以上もサンプリス修道女に尋ねた。「もう何時でございましょう?」
 三時が鳴った。ファンティーヌはいつもなら床の中で寝返りもできないくらいだったのに、三つの時計が鳴ると上半身で起き上がった。彼女はその骨立った黄色い両手を痙攣的(けいれんてき)にしかと組み合わした。そして何か重いものを持ち上げようとするような深いため息が一つ彼女の胸からもれるのを、サンプリス修道女は聞いた。それからファンティーヌは振り向いて、扉(とびら)の方をながめた。
 だれもはいってこなかった。扉は開かなかった。
 彼女は十五分ばかりもそのままで、扉に目を据え、息をつめたようにじっと動かないでいた。サンプリス修道女も口をききかねた。教会の時計は三時十五分を報じた。ファンティーヌはまた枕の上に身を落とした。
 彼女は何とも言わなかった、そしてまた敷布に折り目をつけ初めた。
 三十分たち、次いで一時間たった。だれもやってこなかった。大時計が打つたびに、ファンティーヌは起き上がって扉の方をながめた。そしてまた倒れた。
 その心持ちは傍(はた)からよく察せられた。しかし彼女はだれの名も言わず、苦情も言わず、だれをも責めなかった。ただ痛ましげに咳(せき)をした。何か暗黒なものが彼女の上にかぶさってくるようだった。彼女はまっさおになり、脣(くちびる)は青くなっていた。時々は微笑(ほほえ)みをもらした。
 五時が鳴った。その時サンプリス修道女は、彼女が低い声で静かに言うのを聞いた。「もう私は明日逝(い)ってしまうのに、今日きて下さらないのはまちがってるわ。」
 サンプリス修道女の方でも、マドレーヌ氏の遅いのに驚いていた。
 その間にも、ファンティーヌは寝床から空をながめていた。彼女は何かを思い出そうと努めてるらしかった。そして突然、息のような弱い声で歌い出した。サンプリス修道女はそれに耳を傾けた。ファンティーヌが歌ったのは次のようなものだった。

美しいものを買いましょう
市外の通りを歩きつつ。
野菊は青く、薔薇(ばら)はまっかに、
野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

昨日私の炉辺にいらせられた
刺繍(ししゅう)のマントの聖母マリア様、
「いつかお前の願った小さな児、
それ私のヴェールの中に、」との御仰せ。
「町に行って布(きれ)求め、
指貫(ゆびぬき)と糸とを買っとくれ。」

美しいものを買いましょう
市外の通りを歩きつつ。

聖母様、リボンで飾った揺籃(ゆりかご)を
私は炉のもとに置きました。
神様の一番きれいな星よりも、
いただいた子供がかわいうございます。
「奥様この布(きれ)で何をこしらえましょう?」
「坊やに着物(おべべ)をこしらえておくれ。」

野菊は青く、薔薇(ばら)はまっかに、
野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

「この布(きれ)洗っておくれ。」「どこで洗いましょう?」
「川の中でよ。痛めず汚(よご)さないでね、
美しい裾着(すそぎ)と下着をこしらえておくれ。
私はそれに刺繍(ししゅう)の花をいっぱいつけましょう。」
「赤ちゃんが見えませぬ。奥様何にいたしましょう?」
「それなら、私を葬る経帷子(きょうかたびら)にしておくれ。」

美しいものを買いましょう
市外の通りを歩きつつ。
野菊は青く、薔薇(ばら)はまっかに、
野菊は青く、ほんにかわいい私の児。

 それは古い子守歌だった。昔ファンティーヌはそれを歌って小さなコゼットを寝かしつけた。けれど子供に別れて五年この方、一度も頭に浮かばなかったのである。今それを彼女は、修道女をも泣かせるほどの悲しい声とやさしい調子とで歌った。厳格なことにのみなれていたサンプリス修道女も、しだいに涙が目に浮かんでくるのを感じた。
 大時計は六時を報じた。ファンティーヌはそれを聞かなかったようだった。彼女はもう周囲のことには何にも注意を向けていないらしかった。
 サンプリス修道女は雑仕婦をやって、市長は帰ってこられたか、そしてすぐに病舎にこられるかどうかを、工場の門番の婆さんの所に尋ねさした。雑仕婦は二、三分して帰ってきた。
 ファンティーヌはやはり身動きもせず、何か自分の考えにふけってるらしかった。
 雑仕婦は低い声でサンプリス修道女に語った。市長はこの寒さに朝六時前に、白い馬に引かせた小馬車で出かけられた、一人の御者も連れないで。どちらの方へ行かれたかだれも知らない。アラスへ行く道の方へ曲がられたのを見たという者もあり、パリーへ行く道で出会ったという者もある。出かけられる時もいつものとおりもの柔らかだった。ただ門番の婆さんに今晩待っていないようにとだけ言ってゆかれた。
 サンプリス修道女は問い尋ね雑仕婦はいろいろ想像しながら、二人でファンティーヌの寝台に背を向けてひそひそささやいていた。その間、ファンティーヌは健康の自由な運動と死の恐るべき衰弱とを同時にきたすあの臓器病特有な熱発的元気で、寝床の上にひざまずき枕頭(まくらもと)に震える両手をついて、帷(とばり)の間から頭をつき出して聞いていた。そして突然彼女は叫んだ。
「あなた方はマドレーヌ様のことを話していらっしゃいますね! なぜそんな低い声をなさるの。あの人はどうなさったのです。なぜいらっしゃらないのです?」
 その声は荒々しく嗄(しわが)れていて、二人の女は男の声をきいたような気がした。二人はびっくりしてふり向いた。
「返事をして下さい!」とファンティーヌは叫んだ。
 雑仕婦はつぶやいた。
「門番のお婆さんの言葉では、今日はあの方はおいでになれないかも知れませんそうです。」
「まあ、あなた、」修道女は言った、「落ちついて、横になっていらっしゃいね。」
 ファンティーヌはなおそのままの姿勢で、おごそかな悲痛な調子で声高に言った。
「こられません? なぜでしょう? でもあなた方にはわかってるはずです。今お二人で小声で話していらしたじゃありませんか。私にも知らして下さい。」
 雑仕婦は急いで修道女の耳にささやいた。「市会の御用中だとお答えなさいませ。」
 サンプリス修道女は軽く顔をあからめた。雑仕婦が勧めたことは一つの虚言であった。しかしまた一方においては、本当のことを言えば必ず病人に大きい打撃を与えるだろうし、ファンティーヌの今の容態では重大なことになりそうにも思えた。しかし彼女の赤面は長くは続かなかった。彼女は静かな悲しい目付きをファンティーヌの上に向けた。そして言った。
「市長さんはどこかへ出かけられました。」
 ファンティーヌは身を起こしてそこにすわった。その目は輝いてきた。異常な喜びがその痛ましい顔に輝いた。
「出かけられた!」と彼女は叫んだ。「コゼットを引き取りに行かれた!」
 そして彼女は両手を天に差し出した。その顔は名状し難い様を呈した。その脣(くちびる)は震えていた。彼女は低い声で祈りをささげたのだった。
 祈祷を終えて彼女は言った。「あなた、私はまた横になりたくなりました。これから何でもおっしゃるとおりにいたしますわ。今私はあまり勝手でした。あんな大きい声を出したりなんかして、お許し下さいな。大きい声を出すのは悪いことだとよく知っております。けれど、ねえあなた、私はほんとにうれしいんですわ。神様は御親切です。マドレーヌ様は御親切です。まあ考えてみて下さい、あの方は私の小さなコゼットを引き取りにモンフェルメイュへ行って下すったんですもの。」
 彼女は横になった。修道女に自ら手伝って枕を直した。そして、サンプリス修道女からもらって首にかけていた小さな銀の十字架に脣(くちびる)をつけた。
「あなた、」と修道女は言った、「これから静かにお休みなさい。もう口をきいてはいけませんよ。」
 ファンティーヌは汗ばんだ両手のうちに修道女の手を取った。修道女は彼女のその汗を感じて心を痛めた。
「あの方は今朝パリーへ発(た)たれたのでしょう。ほんとうはパリーを通る必要はないんです。モンフェルメイュは向こうから来ると少し左の方にそれてます。あなた覚えておいででしょう、昨日私がコゼットのことを話しますと、じきだ、じきだ、とおっしゃったのを。私をびっくりさせようと思っていらっしゃるんですわ。あなたも御存じでしょう、テナルディエの所から子供を取り戻す手紙に私に署名させなすったのを。もう先方でも否(いや)とは言えませんわねえ。きっとコゼットを返してくれるでしょう。金を受け取ってるんですもの。金は受け取って子供は返さないなどということを、お上(かみ)も許しておかれるはずがありません。あなた、口をきくなって様子をしないで下さい。私はたいそううれしいんです。大変よくなってきました。もうちっとも苦しかありません。コゼットに会えるんですもの。何だか物も少し食べたいようですの。あの児にはもう五年も会わないんです。子供がどんなものか、あなたにはわかりませんよ。それにきっとあの児は大変おとなしいでしょうよ。ねえ、薔薇色(ばらいろ)の小さなそれはかわいい指を持っていますわ。第一大変きれいな手をしていますでしょうよ。でも一歳(ひとつ)の時にはそれはおかしな手をしていました。ええそうですよ。――今では大きくなってるでしょう。もう七歳(ななつ)ですもの、りっぱな娘ですわ。私はコゼットと呼んでいますが、本当はユーフラージーというんです。そう、今朝暖炉の上のほこりを見てましたら、間もなくコゼットに会えるだろうという考えがふと起こりましたのよ。ああ、幾年も自分の子供の顔も見ないでいるというのは、何というまちがったことでしょう! 人の生命(いのち)はいつまでも続くものでないことをよく考えておかなければなりません。おお、行って下さるなんて市長さんは何と親切なお方でしょう! 大変寒いというのは本当なんですか。せめてマントくらいは着てゆかれましたでしょうね。明日(あした)はここにお帰りですわね。明日はお祝い日ですわ。明日の朝は、レースのついた小さな帽子をかぶることを私に注意して下さいね。モンフェルメイュはそれは田舎(いなか)ですわ。昔私は歩いてやってきたんです。ずいぶん遠いように思えました。けれど駅馬車なら早いものです。明日(あした)はコゼットといっしょにここにおいでになりますわ。ここからモンフェルメイュまでどのくらいありますでしょう?」
 サンプリス修道女には距離のことは少しもわからなかったので、ただ答えた。「ええ、明日はここに帰っておいでになると思います。」
「明日、明日、」とファンティーヌは言った、「明日私はコゼットに会える! ねえ、御親切な童貞さん、私はもう病気ではありませんわね。気が変なようですわ。よかったら踊ってもみせますわ。」
 十五分も前の彼女の様子を見た者があったら、今のその様子に訳がわからなくなったであろう。彼女はもう美しい顔色をしていた。話す声も元気があり自然であって、顔にはいっぱい微笑をたたえていた。時々は低く独語しながら笑っていた。母親の喜びはほとんど子供の喜びと同じである。
「それで、」とサンプリス修道女は言った、「あなたはそのとおり仕合わせですから、私の言うことを聞いて、もう口をきいてはいけませんよ。」
 ファンティーヌは頭を枕につけて、半ば口の中で言った。「そう、お寝(やす)みなさい、子供が来るんだからおとなしくしなければいけませんって、サンプリスさんのおっしゃるのは道理(もっとも)だわ。ここの人たちのおっしゃることは皆本当だわ。」
 それから、身動きもせず、頭も動かさず、目を大きく見開いてうれしそうな様子で、彼女はあたりを見回し初めた。そしてもう何とも言わなかった。
 サンプリス修道女は、彼女が眠るようにとその帷(とばり)をしめた。
 七時と八時との間に医者がきた。何の物音も聞こえなかったので、彼はファンティーヌが眠ってるものと思って、そっと室にはいってきて、爪先(つまさき)立って寝台に近寄った。彼は帷(とばり)を少し開いた、そして豆ランプの光でさしのぞくと、ファンティーヌの静かな大きい目が彼をじっと見ていた。
 彼女は彼に言った。「あなた、私のそばに小さな床をしいてあの子を寝かして下さいますわね。」
 医者は彼女の意識が乱れているのだと思った。彼女はつけ加えた。
「ごらんなすって下さい、ちょうどそれだけの場所はありますわ。」
 医者はサンプリス修道女をわきに呼んだ。修道女は事情を説明した。マドレーヌ氏は一日か二日不在である、病人は市長がモンフェルメイュに行かれたのだと信じているが、よくわからないので事実を明かさなければならないとも思えないし、また病人の察するところがあるいはかえって本当かも知れない。すると医者はそれに同意した。
 医者はまたファンティーヌの寝台に近寄っていった。彼女は言った。
「そうすれば私は、朝あの子が目をさましたらこんにちはと言ってやれますし、また晩に眠れない時は、子供の寝息が聞けますでしょう。そのやさしい小さな寝息をきくと、きっと心持ちがよくなりますわ。」
「手を貸してごらんなさい。」と医者は言った。
 彼女は腕を差し出した、そして笑いながら叫んだ。
「まあ、ほんとに、あなたにはおわかりになりませんの。私は治(なお)ったのですわ。コゼットが明日(あした)参りますのよ。」
 医者は驚いた。彼女は前よりよくなっていた。息苦しさは和(やわら)いでいた。脈は力を回復していた。突然生命の力がよみがえって、その衰弱しきったあわれな女に元気を与えていた。
「先生、」と彼女は言った、「市長さんが赤ん坊をつれに行かれましたことを、サンプリスさんはあなたにおっしゃいませんでしたか。」
 彼女になるべく口をきかせないように、また彼女の心を痛めるようなことをしないようにと、医者は人々に頼んだ。彼はまた規那皮(きなひ)だけの煎薬(せんやく)と、夜分に熱が出た場合のため鎮静水薬とを処方した。そして立ち去る時修道女に言った。「よくなってきました。幸いにも果たして市長が明日(あした)子供を連れてこられたら、そうですね、望外なことがあるかも知れません。非常な喜びが急に病気を治(なお)した例もあります。この患者の病気は明らかに一つの臓器病ですし、しかもだいぶ進んでいます。しかしまったく不可思議なものです。あるいは生命を取り留めることができましょう。」

     七 到着せる旅客ただちに出発の準備をなす

 さてわれわれが途中に残しておいたあの馬車がアラスの郵便宿の門をくぐったのは、晩の八時近くであった。われわれがこれまで述べきたったあの旅客は、馬車からおり、宿屋の人たちのあいさつにはほとんど目もくれず、副馬(そえうま)を返し、そして自ら小さな白馬を廐(うまや)に引いて行った。それから彼は一階にある撞球場(たまつきば)の扉(とびら)を排して中にはいり、そこに腰をおろして、テーブルの上に肱(ひじ)をついた。六時間でなすつもりの旅に十四時間かかったのである。彼はそれを自分の過(あやまち)ではないとして自ら弁解した。しかし心のうちでは別に不快を覚えてるのでもなかった。
 宿の主婦がはいってきた。
「旦那(だんな)はお泊まりでございますか。お食事はいかがでございますか。」
 彼は頭を横に振った。
「馬丁が申しますには、旦那の馬はたいそう疲れているそうでございますが。」
 それで初めて彼は口を開いた。
「馬は明朝また出立するわけにはゆかないでしょうかね。」
「なかなか旦那、まあ二日くらいは休ませませんでは。」
 彼は尋ねた。
「ここは郵便取扱所ではありませんか。」
「はいさようでございます。」
 主婦は彼を郵便取扱所に案内した。彼は通行証を示して、その晩郵便馬車でモントルイュ・スュール・メールに帰る方法はないかと尋ねた。ちょうど郵便夫の隣の席が空(あ)いていた。彼はそれを約束して金を払った。「では、」と所員は言った、「出発するために午前正一時にまちがいなくここにきて下さい。」
 それがすんで、彼はその郵便宿を出た。そして町を歩き初めた。
 彼はアラスの様子を知らなかった。街路は薄暗く、彼はでたらめに歩いた。頑固(がんこ)に構えて通行人に道を尋ねもしなかった。小さなクランション川を越すと、狭い小路の入り乱れた所にふみ込んで道がわからなくなった。一人の町人が提灯(ちょうちん)をつけて歩いていた。ちょっと躊躇(ちゅうちょ)した後に彼はその人に尋ねてみようと決心した。そしてまず、だれかが自分の発しようとする問いを聞きはしないかを恐るるもののように、前後を見回した後に言った。
「ちょっと伺いますが、裁判所はどこでしょう。」
「あなたは町の人ではないと見えますね。」とかなり年取ってるその町人は答えた。「では私についておいでなさい。私もちょうど裁判所の方へ、というのは県庁の方へ、ゆくところです。ただ今では裁判所が修繕中ですから、かりに裁判は県庁で開かれてるのです。」
「そこで、」と彼は尋ねた、「重罪裁判も開かれるのですか。」
「もちろんです。今日県庁となっている建物は、大革命前には司教邸でした。一七八二年に司教だったコンジエ氏が、そこに大広間を建てさせたものです。裁判はその大広間でなされています。」
 歩きながら町人は彼に言った。
「もし裁判が見たいというのなら、少し遅すぎますよ。普通は法廷は六時に閉じますから。」
 けれども二人がそこの広場にきた時、まっくらな大きな建物の正面の燈火(あかり)のついた四つの長い窓を、町人は彼に指(さ)し示した。
「やあ間に合った。あなたは運がいいんですよ。あの四つ窓が見えましょう。あれが重罪裁判です。光が差してるところをみると、まだ済んでいないと見えます。事件が長引いたので夜までやってるのでしょう。あなたは事件に何か関係があるのですか。刑事問題ででもあるのですか。あなたは証人ですか。」
 彼は答えた。
「私は別に事件に関係があってきたのではありません。ただちょっとある弁護士に話したいことがあるものですから。」
「いやそうでしたか。」と町人は言った。「それ、ここに入り口があります。番人はどこにいるかしら。その大階段を上がってゆかれたらいいでしょう。」
 彼は町人の教えに従った。そしてやがてある広間に出た。そこには大勢の人がいて、法服の弁護士を交じえた集団を所々に作って何かささやいていた。
 黒服をつけて法廷の入り口で小声にささやき合ってるその人々の群れは、いつも見る人の心を痛ましめるものである。慈悲と憐憫(れんびん)とがそれらの言葉から出るのはきわめてまれである。最も多く出るものは、あらかじめ定められた処刑である。考えにふけりつつそこをよぎる傍観者にとっては、それらの群集は陰惨な蜂(はち)の巣のように見えるのであろう。その巣の中においては、うち騒いでる多くの頭が協同してあらゆる暗黒な建物を築こうとしているのである。
 そのただ一つのランプの燈(とも)された大きな広間は、昔は司教邸の控えの間であったが、今は法廷の控室となっていた。観音開きの扉が、その時閉ざされていて、重罪裁判が開かれている大きな室をへだてていた。
 広間の中は薄暗かったので、彼は最初に出会った弁護士に平気で話しかけた。
「審問はどの辺まで進みましたか。」
「もう済みました。」と弁護士は言った。
「済みました!」
 そう鋭い語調で鸚鵡(おうむ)返しにされたので、弁護士はふり返って見た。
「失礼ですが、あなたは親戚なんですか。」
「いや私の知ってる者は一人もここにはいません。そして刑に処せられたのですか。」
「無論です。処刑は当然です。」
「徒刑に?……」
「そうです、終身です。」
 彼はようやく聞き取れるくらいの弱い声で言った。
「それでは、同一人だということが検証せられたわけですね。」
「同一人ですって?」と弁護士は答えた。「そんなことを検証する必要はなかったのです。事件は簡単です。その女は子供を殺した、児殺しの事実は証明された、しかし陪審員は謀殺を認めなかった、で終身刑に処せられたのです。」
「では女の事件ですか。」と彼は言った。
「そうですとも。リモザンの娘です。いったい何の事をあなたは言ってるんですか。」
「いや何でもありません。ですが裁判はすんだのに、どうして法廷にはまだ燈火(あかり)がついてるのですか。」
「次の事件があるからです。もう開廷して二時間ほどになるでしょう。」
「次の事件というのはどういうのです。」
「なにそれも明瞭な事件です。一種の無頼漢で、再犯者で、徒刑囚で、それが窃盗を働いたのです。名前はよく覚えていません。人相の悪い奴です。人相からだけでも徒刑場にやっていい奴(やつ)です。」
「どうでしょう、」と彼は尋ねた、「法廷の方へはいる方法はないでしょうか。」
「どうもむずかしいでしょう。大変な人です。ですがただいま休憩中です。外に出た人もありますから、また初まったら一つ骨折ってごらんなさい。」
「どこからはいるのです。」
「この大きな戸口からです。」
 弁護士は向こうへ行った。二、三瞬間の間に彼は、あらゆる感情をほとんど同時にいっしょに感じた。その無関係な弁護士の言葉は、あるいは氷の針のごとくあるいは炎の刃のごとく、こもごも彼の心を刺し貫いた。まだ何も終結していないのを知った時、彼は息をついた。しかし彼が感じたのは満足の情であったか、あるいは苦悩の情であったか、彼自身も語ることはできなかったであろう。
 彼は幾多の群集に近寄って、その話に耳を傾けた。――法廷は事件が非常に輻輳(ふくそう)していたので、裁判長はその一日のうちに簡単な短い二つの事件を選んだのだった。まず児殺しの事件から初めて、こんどは、あの徒刑囚、再犯者、「古狸」の方の番になった。その男は林檎(りんご)を盗んだのである。しかしそれは証拠不十分らしかった。がかえってその男は一度ツーロンの徒刑場にはいっていたという証拠が上がった。事件は険悪になった。本人の尋問と証人の供述とは済んだ。しかしなお弁護士の弁論と検事の論告とが残っている。夜半にならなければ終結しないに違いない。その男はたぶん刑に処せられるだろう。検事は賢明な人で、決して被告を射外したことがなく、また少しは詩も作れる才人である。
 法廷の室に通ずる扉(とびら)の所に一人の守衛が立っていた。彼はその守衛に尋ねた。
「この扉は間もなく開かれますか。」
「いや開きません。」と守衛は答えた。
「え! 開廷になっても開かないのですか。今裁判は休憩になってるのではないですか。」
「裁判は今また初まったところです。」と守衛は答えた。
「しかし扉(とびら)は開かれません。」
「なぜです。」
「中は満員ですから。」
「何ですって! もう一つの席もないのですか。」
「一つもありません。扉はしまっています。もうだれもはいることはできません。」
 守衛はそこでちょっと言葉を切ったが、またつけ加えた。「裁判長殿の後ろになお二、三の席がありますが、そこには官吏の人きり許されていません。」
 そう言って、守衛は彼に背を向けた。
 彼は頭をたれてそこから去り、控え室を通り、あたかも一段ごとに逡巡(しゅんじゅん)するかのようにゆっくり階段を下りていった。たぶん自ら自分に相談していたのであろう。前日来彼のうちに戦われていた激しい闘争はなお終わっていなかった。そして彼は各瞬間ごとにその新しい局面を経てきたのだった。階段の中の平段までおりた時、彼は欄干にもたれて腕を組んだ。それから突然フロックの胸を開き、手帳を取り出し、鉛筆を引き出し、一枚の紙を破り、その上に反照燈の光で手早く次の一行を認めた。「モントルイュ・スュール・メール市長、マドレーヌ。」それから彼は大またにまた階段を上って、大勢の人を押しわけ、まっすぐに守衛の所へ行き、その紙片を渡し、そして彼に断然と言った。「これを裁判長の所へ持って行ってもらいたい。」
 守衛はその紙片を取り、ちょっとながめて、そして彼の言葉に従った。

     八 好意の入場許可

 モントルイュ・スュール・メールの市長といえば、彼自身はそうとも思っていなかったが、世に評判になっていた。その有徳の名声は、七年前から下(しも)ブーロンネーにあまねく響いていたが、ついにはその狭い地方を越えて、二、三の近県までひろがっていた。あの黒飾玉工業を回復してその中心市に大なる貢献をなしたのみならず、モントルイュ・スュール・メール郡の百四十一カ村のうち一つとして彼から何かの恩沢を被らない村はなかった。彼はなお必要に応じては他郡の工業も助けて盛大にしてやった。たとえばある場合には彼は、自分の信用と資本を投じて、ブーローニュの網目機業を助け、フレヴァンの麻糸紡績業を助け、ブーベル・スュール・カンシュの水力機業を助けた。いたるところ人はマドレーヌ氏の名前を敬意をもって口にしていた。アラスやドゥーエーの町は、かくのごとき市長をいただくモントルイュ・スュール・メールの仕合わせな小さな町をうらやんでいた。
 アラスの重罪裁判を統(す)べていたドゥーエーの控訴院判事は、かくも広くまた尊敬されてる彼の名を、世間の人と同じくよく知っていた。守衛が評議室から法廷に通ずる扉(とびら)をひそかに開いて、裁判長の椅子(いす)の後ろに低く身をかがめ、前述の文字がしたためてある紙片を彼に渡して、「この方が法廷にはいられたいそうです、」とつけ加えた時に、裁判長は急に敬意ある態度を取って、ペンを取り上げ、その紙片の下に数語したためて、それを守衛に渡して言った、「お通し申せ。」
 われわれがここにその生涯を述べつつあるこの不幸な人は、守衛が去った時と同じ態度のままで同じ場所に、広間の扉(とびら)のそばに立っていた。彼は惘然(ぼうぜん)と考えに沈みながら、「どうぞこちらへおいで下さい、」とだれかが言うのを聞いた。先刻は彼に背を向けて冷淡なふうをした守衛が、今は彼に向かって低く身をかがめていた。と同時に彼に紙片を渡した。彼はそれを開いた。ちょうど近くにランプがあったので、彼は読むことができた。
「重罪裁判長はマドレーヌ氏に敬意を表し候(そうろう)。」
 彼はその数語を読んで異様な苦々(にがにが)しい気持ちを感じたかのように、紙片を手の中にもみくちゃにした。
 彼は守衛に従っていった。
 やがて彼は、壁板の張られてる、いかめしい室の中に自分を見いだした。そこにはだれもいず、ただ青い卓布のかかった一つのテーブルの上に二本の蝋燭(ろうそく)がともっていた。そして彼の耳にはなお、彼をそこに残して行った守衛の言葉が響いていた。「これが評議室でございます。この扉の銅の取っ手をお回しになりますれば、ちょうど法廷の裁判長殿のうしろにお出になれます。」そしてその言葉は、今通ってきた狭い廊下と暗い階段との漠然(ばくぜん)とした記憶に、彼の頭の中でからみついていた。
 守衛は彼を一人残して行ってしまった。最後の時がきた。彼は考えをまとめようとしたができなかった。思索の糸が脳裏にたち切れるのは特に、人生の痛ましい現実に思索を加える必要を最も多く感ずる時においてである。彼は既に判事らが討議し断罪するその場所にきていたのである。彼は呆然(ぼうぜん)たる落ち着きをもってその静まり返ってる恐ろしい室を見回した。この室において、いかに多くの生涯が破壊されたことであろう。やがて彼の名前もこの室に響き渡るのである。そしていまや彼の運命はこの室を過(よぎ)りつつある。彼はじっとその壁をながめ、次に自分を顧みた。それがこの室であり、それが自分自身であることを、彼は自ら驚いた。
 彼はもう二十四時間以上の間何も食べず、また馬車の動揺のために弱り切っていた。しかし彼はそれを自ら感じなかった。何の感じをも持っていないような心地(ここち)がしていた。
 彼は壁にかかっている黒い額縁に近寄った。そのガラスの下にはパリー市長でありまた大臣であったジャン・ニコラ・パーシュの自筆の古い手紙が納めてあった。日付は、きっとまちがったのであろうが、革命第二年六月九日としてあった。それはパーシュが、自家拘禁に処せられた大臣や議員の名簿をパリー府庁に送ったものだった。その時もしだれか彼を見彼を観察したならば、必ずや彼がその手紙を非常に珍しがってるものと思ったであろう。なぜなら、彼はその手紙から目を離さず、二、三度くり返して読んだのだった。しかし彼は何らの注意も払わず、ほとんど無意識にそれを読んでるにすぎなかった。心ではファンティーヌとコゼットのことを考えていた。
 考えにふけりながら彼はふとふり返った。そして彼の目は、彼を法廷から距(へだ)ててる扉(とびら)の銅の取っ手にぶつかった。彼はほとんどその扉を忘れていたのである。彼の視線は初めは穏かにその銅の取っ手に引きつけられてとどまり、次に驚いてじっとそれに据(すわ)り、そしてしだいに恐怖の色を帯びてきた。汗の玉が髪の間から両の顳□(こめかみ)に流れてきた。
 ふと彼はおごそかにまた反抗的に何ともいえぬ身振りをした。それは、「馬鹿な! だれがいったい私にこんなことを強いるのか?」という意味らしく、またその意味がよく現われていた。それから彼は急に向き返って、自分の前に今はいってきた扉のあるのを見、その方に歩いてゆき、それを開いて出て行った。そしていまやもう彼はその室の中にはいないのだった。室の外に、廊下に出ているのだった。廊下は狭く長く、段々や戸口に仕切られ、種々折れ曲がっており、ここかしこに病人用の豆ランプに似た反照燈がついていた。これを彼は先刻通ってきたのである。彼はほっと息をついた。耳を澄ますと、前にも後ろにも何の物音もなかった。彼は追わるる者のように逃げ出した。
 廊下の幾つかの角を曲がった時、彼はなお耳を傾けた。周囲はやはり同じような沈黙とやみとばかりだった。彼は息を切らし、よろめき、壁に身をささえた。壁の石は冷ややかに、額(ひたい)の汗は氷のようになっていた。彼は身を震わしながら立ち竦(すく)んだ。
 そしてそこにただ一人暗やみのうちにたたずみ、寒さとまたおそらく他のあるものとに震えながら彼は考えた。
 彼は既に終夜考え、既に終日考えたのであった。そしてもはや自分のうちにただ一つの声を聞くのみだった、「ああ」と。
 十五分ばかりはかくして過ぎた。ついに彼は首をたれ、苦しいため息をもらし、両腕をたれ、また足を返した。彼はあたかも圧伏されたかのようにゆるやかに足を運んだ。逃げるところをとらえられて引き戻されるがような様子だった。
 彼は再び評議室にはいった。最初に彼の目にとまったものは、扉の引き金であった。そのみがき上げた銅の丸い引き金は、彼の目には恐るべき星のように輝いていた。あたかも羊が虎(とら)の目を見るように彼はそれを見つめた。
 彼の両の目はそれから離れることができなかった。
 時々彼は歩を進めた、そしてその扉(とびら)に近づいていった。
 もし耳を澄ましたならば、雑然たるささやきのような隣室の響きを彼は聞き取り得ただろう。しかし彼は耳を澄まそうとしなかった、そして何物をも聞かなかった。
 突然、自分でもどうしてだか知らないうちに、彼は扉のそばに自分を見いだした。彼は痙攣的(けいれんてき)にその取っ手をつかんだ。扉は開いた。
 彼は法廷のうちにあった。

     九 罪状決定中の場面

 彼は一歩進み、後ろに機械的に扉をしめ、そしてそこに立ちながら眼前の光景をながめた。
 それは十分に燈火(あかり)のついていない広い室であって、あるいは一せいに騒ぎ立ち、あるいはまたひっそりと静まり返っていた。刑事訴訟の機関が、その賤(いや)しい痛ましい荘重さをもって群集のうちに展開していた。
 彼が立っている広間の一隅(ぐう)には、判事らがぼんやりした顔つきをしすり切れた服を着て、爪をかんだり目を閉じたりしていた。他の一隅には粗服の群集がいた。それからまた、種々の姿勢をした弁護士らや、正直ないかめしい顔の兵士ら。汚点(しみ)のついてる古い壁板、きたない天井、緑というよりもむしろ黄いろくなってるセルの着せてあるテーブル、手垢(あか)で黒くなってる扉、羽目板の釘に下がって光よりもむしろ煙の方を多く出してる居酒屋にでもありそうなランプ、テーブルの上の銅の燭台に立ってる蝋燭(ろうそく)、薄暗さと醜さとわびしさ。そしてすべてそれらのものには一種尊厳な印象があった。なぜなら人はそこにおいて、法律と呼ぶ偉大なる人事と正義と呼ぶ偉大なる神事とを感ずるのであるから。
 それらの群集のうちだれも彼に注意する者はなかった。人々の視線はただ一つの点に集中されていた。そこには、裁判長の左手に当たって壁に沿い小さな扉(とびら)によせかけた木の腰掛けがあった。幾つもの蝋燭(ろうそく)に照らされたその腰掛けの上には、二人の憲兵にはさまれて一人の男がすわっていた。
 それが即ち例の男であった。
 彼は別にさがしもしないですぐにその男を見た。あたかもそこにその男がいるのをあらかじめ知っていたかのように、彼の目は自然にそこへ向けられたのである。
 彼は年を取った自分自身を見るような気がした。もちろん顔は全然同じではなかった。しかしその同じような態度や様子、逆立った髪、荒々しい不安な瞳(ひとみ)、広い上衣、それは、十九年間徒刑場の舗石(しきいし)の上で拾い集めたあの恐ろしい思想の嫌悪(けんお)すべき一団を魂のうちに隠しながら憤怨(ふんえん)の情に満ちて、ディーニュの町にはいって行ったあの日の自分と、同じではないか。
 彼は慄然(りつぜん)として自ら言った。「ああ、自分も再びあんなになるのか。」
 その男は少なくとも六十歳くらいに見えた。何ともいえぬ粗暴な愚鈍なこじれた様子をしていた。
 扉(とびら)の音で、そこにいた人たちは横に並んで彼に道を開いた。裁判長は頭をめぐらし、はいってきたのはモントルイュ・スュール・メールの市長であることを知って、会釈をした。検事は公務のため一度ならずモントルイュ・スュール・メールに行ったことがありマドレーヌ氏を知っていたので、彼の姿を見て同じく会釈をした。彼の方ではそれにほとんど気づかなかった。彼は一種の幻覚の囚(とりこ)になっていた。彼はあたりをながめた。
 数人の判事、一人の書記、多くの憲兵、残忍なほど好奇な人々の群れ、彼は昔二十七年前にそれらを一度見たことがあった。そして今再びそれらの凶悪なるものに出会った。それはそこにあり、動いてい、存在していた。それはもはや、記憶中のものでなく、瞑想(めいそう)の投影ではなかった。現実の憲兵、現実の判事、現実の群集、肉と骨との現実の人間だった。いまや万事終わったのである。過去の異常なる光景が、現実の恐ろしさをもって周囲に再び現われよみがえって来るのを彼は見た。
 すべてそれらのものは彼の前に口を開いていた。
 彼は恐怖し、目を閉じ、そして魂の奥底で叫んだ、「いや決して!」
 しかも、彼のいっさいの考えを戦慄(せんりつ)せしめ、彼をほとんど狂わする悲痛な運命の悪戯(いたずら)によって、その法廷にいるのは他の彼自身であった。裁判を受けている男を、人々は皆ジャン・ヴァルジャンと呼んでいた。
 生涯のうち最も恐ろしかったあの瞬間が、再びそこに自分の影によって演出されているのを、彼は目前に見た。何たる異様な光景ぞ。
 すべてがそこにあった、同じ機関、同じ夜の時刻、判事や兵士や傍聴者のほとんど同じ顔が。ただ、裁判長の頭の上に一つの十字架像がかかっていた。それだけが彼の処刑の時の法廷になかったものである。彼が判決を受けた時には、神はいなかったのである。
 彼の後ろに一つの椅子(いす)があった。彼は人に見らるるのを恐れてその上に身を落とした。席について彼は、判事席の上に積み重ねてあった厚紙とじの影に隠れて、広間全体の人々の前に自分の顔を隠した。もう人に見られずにすべてを見ることができた。しだいに彼は落ち着いてきた。再び現実のことを十分よく感ずるようになった。外部のことを聞き取り得る平静を得てきた。
 バマタボア氏も陪審員の一人としてそこにいた。
 彼はジャヴェルをさがしたが、見つからなかった。証人の席はちょうど書記のテーブルに隠れていた。そしてまた、前に言ったとおりその広間は十分に明るくなかった。
 彼がはいってきた時は、被告の弁護士がその弁論を終えようとしてるところだった。人々の注意は極度に緊張していた。事件は三時間も前から続いていたのである。三時間の間人々は、その男、その曖昧(あいまい)な奴(やつ)、極端にばかなのか極端に巧妙なのかわからないその浅ましい奴、それが恐るべき真実らしさの重荷の下にしだいに屈してゆくのをながめていたのである。読者の既に知るとおり、その男は一の浮浪人であって、ピエロンの園といわれているある果樹園の林檎(りんご)の木から、熟した林檎のなってる枝を一本折って持ち去るところを、すぐそばの畑の中で捕えられたのである。でその男はいったい何という奴であるか? 調査がなされた。証人らの供述も求められたが、みなその言葉は一致していた。事件は初めから明瞭(めいりょう)であった。起訴は次のとおりだった。――この被告は、単に果実を盗んだ窃盗犯人たるのみではない。被告は実に無頼漢であり、監視違反の再犯者であり、前徒刑囚であり、最も危険なる悪漢であり、長く法廷よりさがされていたジャン・ヴァルジャンと呼ばるる悪人である。彼は八年前ツーロンの徒刑場をいずるや、プティー・ジェルヴェーと呼ばるるサヴォアの少年より大道において強盗を行なった。これ実に刑法第三百八十三条に規定せる犯罪である。これについては、人物証明の成るをまって更に追及すべきである。彼は今新たに窃盗を働いた。これは実に再犯である。よってまず新たなる犯罪について処罰し、更に再犯については後に裁(さば)くべきである。――この起訴に対して、また証人らの一様なる供述に対して、被告は何よりもまず驚いたようだった。彼はそれを否定せんとするつもりらしい身振りや手つきをし、または天井を見つめていた。彼はかろうじて口をきき、当惑した返答をしたが、頭から足先までその全身は否定していた。彼は自分を包囲して攻めよせるそれらの知力の前にあって白痴のごとく、自分を捕えんとするそれらの人々の中にあってあたかも局外者のごとくであった。けれどもそれは彼の未来に関する最も恐るべき問題であった。真実らしさは各瞬間ごとに増していった。そして公衆は、おそらく彼自身よりもなおいっそうの懸念をもって、不幸なる判決がしだいに彼の頭上にかぶさって来るのをながめた。もし同一人であることが認定せられ、後にプティー・ジェルヴェーの事件までが判決せらるるならば、徒刑は愚か死刑にまでもなりそうな情勢だった。しかるにその男はいかなる奴(やつ)であったか? 彼の平気はいかなる性質のものであったか。愚鈍なのかまたは狡猾(こうかつ)なのか。彼はあまりによく了解していたのか、または何もわかっていなかったのか。そういう疑問に、公衆は二派に分かれ、陪審員も二派にわかれているらしかった。その裁判のうちには、恐るべきまた困惑すべきものがあった。その悲劇は単に陰惨なるばかりでなく、また朦朧(もうろう)としていた。
 弁護士はあの長く弁護士派の雄弁となっていた地方的言辞でかなりよく論じた。その地方的言辞は、ロモランタンやモンブリゾンにおいてはもとよりパリーにおいても、昔あらゆる弁護士によって使われたものであるが、今日では一種のクラシックとなって、ただ法官の公の弁論にのみ使用され、荘重なる音と堂々たる句法とによってそれによく調和している。夫や妻を配偶者と言い、パリーを学芸および文明の中心地と言い、王を君主と言い、司教を聖なる大司祭と言い、検事を能弁なる訴訟解釈者と言い、弁論をただいま拝聴せる言語と言い、ルイ十四世時代を偉大なる世紀と言い、劇場をメルポメネの殿堂と言い、王家を王のおごそかなる血統と言い、演奏会を音楽の盛典と言い、師団長を何々の高名なる勇士と言い、神学校の生徒をかの優しきレヴィ人と言い、新聞紙に帰せらるる錯誤を新聞機関の欄内に毒を注ぐ欺瞞と言い、その他種々の言い方を持っている。――ところで弁護士はまず林檎(りんご)窃盗の件の説明より初めた。美しい語法においては説明に困難な事がらである。しかしベニーニュ・ボシュエもかつて祭文のうちにおいて一羽の牝鶏(めんどり)の事に説きおよぼさなければならなかった、しかも彼はみごとにそれをやってのけたのだった。今弁護士は、林檎の窃盗は具体的には少しも証明せられていない旨を立論した。――弁護人として彼がシャンマティユーと呼び続けていたその被告は、壁を乗り越えもしくは枝を折るところをだれからも見られたのではない。――彼はただその枝(弁護士は好んで小枝と言った)を持っているところを押さえられただけである。――しかして彼は、地に落ちているのを見いだして拾ったまでだと言っている。どこにその反対の証拠があるのか? ――おそらくその一枝はある盗人によって、壁を越えた後に折られ盗まれ、見つかってそこに捨てられたものであろう。疑いもなく、盗人はあるにはあった。――しかしその盗人がシャンマティユーであったという何の証拠があるか。ただ一事、徒刑囚であったという資格、不幸にしてそれはよく確証せられたらしいことを弁護士も否定しなかった。被告はファヴロールに住んでいたことがある。被告はその地で枝切り職をやっていた。シャンマティユーという名前は本来ジャン・マティユーであったであろう。それは事実である。それから四人の証人も、シャンマティユーを囚人ジャン・ヴァルジャンであると躊躇(ちゅうちょ)するところなく確認している。それらの徴証とそれらの証言に対しては、弁護士も被告の否認、利己的な否認をしか持ち出し得なかった。しかし、たとい彼がもし囚徒ジャン・ヴァルジャンであったとしても、それは彼が林檎(りんご)を盗んだ男であるという証拠になるであろうか? それは要するに推定であって、証拠ではない。が被告は「不利な態度」を取った。それは事実で、弁護士も「誠実なところ」それを認めざるを得なかった。被告は頑固(がんこ)にすべてを否認した、窃盗(せっとう)もまた囚人の肩書きをも。
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