レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 しかしジャヴェルは自分の一つの考えにばかり心を向けて、続けて言った。
「過失を大きく見すぎてると言われますが、私は決して大きく見すぎてはいません。私の考えていることはこうであります。私はあなたを不当に疑ったのです。それは何でもありません。たとい自分の上官を疑うのは悪いことであるとしても、疑念をいだくのは私ども仲間の権利です。しかし、証拠もないのに、一時の怒りに駆られて、復讐(ふくしゅう)をするという目的で、あなたを囚人として告発したのです、尊敬すべき一人の人を、市長を、行政官を! これは重大なことです。きわめて重大です。政府の一機関たる私が、あなたにおいて政府を侮辱したのです! もし私の部下の一人が私のなしたようなことをしたならば、私は彼をもって職を涜(けが)す者として放逐するでしょう。いかがです。――市長殿なお一言いわして下さい。私はこれまでしばしば苛酷でありました、他人に対して。それは正当でした。私は正しくしたのです。しかし今、もし私が自分自身に対して苛酷でないならば、私が今まで正当になしたことは皆不当になります。私は自分自身を他人よりもより多く容赦すべきでしょうか。いや他人を罰するだけで自分を罰しない! そういうことになれば私はあさましい男となるでしょう。このジャヴェルの恥知らずめ! と言われても仕方ありません。市長殿、私はあなたが私を穏和に取り扱われることを望みません。あなたが他人に親切を向けられるのを見て私はかなり憤慨しました。そしてあなたの親切が私自身に向けられるのを欲しません。市民に対して賤業婦(せんぎょうふ)をかばう親切、市長に対して警官をかばう親切、上長に対して下級の者をかばう親切、私はそれを指(さ)して悪しき親切と呼びます。社会の秩序を乱すのは、かかる親切をもってしてです。ああ、親切なるは易(やす)く、正当なるは難いかなです。もしあなたが私の初め信じていたような人であったならば、私は、私は決してあなたに親切ではなかったでしょう。おわかりになったであろうと思います。市長殿、私は他のすべての人を取り扱うように自分自身をも取り扱わなければなりません。悪人を取り押さえ、無頼漢を処罰する時、私はしばしば自分自身に向かって言いました、汝自らつまずき汝自らの現行を押さえる時、その時こそ思い知るがいい! と。今不幸にも私はつまずき、自分の現行を押さえています。さあ解雇し罷免(ひめん)し放逐して下さい。それが至当です。私には両の腕があります、地を耕します。結構です。市長殿、職務をりっぱにつくすには実例を示すべきです。私は単に警視ジャヴェルの免職を求めます。」
 それらのことは、卑下と自負と絶望と確信との調子で語られた、そしてその異常に正直な男に何ともいえぬ一種のおかしな荘重さを与えていた。
「まあ今にどうとかなるでしょう。」とマドレーヌ氏は言った。
 そして彼は手を差し出した。
 ジャヴェルは後に退(さが)った。そして荒々しい調子で言った。
「それは御免こうむります、市長殿。そんなことはあり得べからざることです。市長が間諜(かんちょう)に向かって握手を与えるなどということが。」
 彼はそしてなお口の中でつけ足した。
「そうです、間諜です。警察権を濫用(らんよう)して以来、私は一個の間諜にすぎません。」
 それから彼は低く頭を下げて、扉の方へ進んだ。
 扉の所で彼はふり向いて、なお目を伏せたまま言った。
「市長殿、私は後任が来るまで仕事は続けて致しておきます。」
 彼は出て行った。そのしっかりした堅固な足音が廊下の床(ゆか)の上を遠ざかってゆくのを聞きながら、マドレーヌ氏は惘然(ぼうぜん)と考えに沈んだ。
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   第七編 シャンマティユー事件


     一 サンプリス修道女

 次に述べんとするできごとはモントルイュ・スュール・メールにことごとく知られたものではない。しかしこの町に伝わってきた少しの事がらは深い印象を人の心に残したので、詳細にそのできごとを叙述しない時には本書のうちに大きな欠陥をきたすであろう。
 それらの詳細のうちに、読者は二、三の真実らしからぬ事情に接するであろうが、しかもそれも事実の尊重からして書きもらさぬことにする。
 さて、ジャヴェルが訪れてきた日の午後、マドレーヌ氏はいつものとおりファンティーヌを見に行った。
 ファンティーヌのそばに行くまえに、彼はサンプリス修道女を呼んだ。
 病舎で働いていた二人の修道女は、すべての慈恵院看護婦の例にもれず、聖ラザール派の修道女で、一人をペルペチューと言い一人をサンプリスと言った。
 ペルペチュー修道女はありふれた田舎女(いなかおんな)であり、粗野な慈恵院看護婦であって、普通世間の職につくと同じように神の務めにはいってきたのだった。料理女になるのと同じようにして修道女となったのだった。こういうタイプの人は珍しくはない。修道団というものは、カプュサン派やユルシュリーヌ派の修道女にたやすく鋳直された田舎女(いなかおんな)の重々しい陶器をも喜んで受け入れるものである。その粗野な人たちも信仰の道の粗末な仕事には役立つ。牛飼いがカルメル修道士と変化するのも少しも不思議ではない。それはわけもないことである。田舎の無学と修道院の無学との根本の共通な点において、既に準備はととのっている。そしてすぐに野の片すみの田舎者は僧侶(そうりょ)と伍(ご)するに至る。田舎者の仕事着を少し広くすれば、そのまま道服である。ペルペチュー修道女はきつい信者であって、ポントアーズの近くのマリーヌの生まれであり、田舎なまりを出し、聖歌をうたい、何かぶつぶつつぶやき、患者の頑迷(がんめい)や偽善の度に応じて薬の中の砂糖を加減し、病人を手荒らく取扱い、瀕死(ひんし)の者に対して気むずかしく、彼らの顔に神を投げつけるようなことをし、臨終の苦しみに向かって荒々しい祈りをぶっつけ、粗暴で正直で赤ら顔の女であった。
 サンプリス修道女は白蝋(はくろう)のようにまっ白な女であった。ペルペチュー修道女と並べると、細巻きの蝋燭(ろうそく)に対する大蝋燭のように輝いていた。ヴァンサン・ド・ポールは自由と奉仕とのこもった次のみごとな言葉のうちに、慈恵院看護婦の姿を完全に定めた。「修道院としてはただ病舎を、室としては唯一の貸間を、礼拝所としてはただ教区の会堂を、回廊としてはただ町の街路や病舎の広間を、垣根(かきね)としてはただ服従を、鉄門としてはただ神の恐れを、頭被としてはただ謙遜(けんそん)を、彼女らは有するのみならん。」かかる理想はサンプリス修道女のうちに生き上がっていた。だれもサンプリス修道女の年齢を測り得るものはなかった。かつて青春の時代があったとは見えず、また決して老年になるということもなさそうだった。平静で謹厳で冷静で育ちもよくまたかつて嘘(うそ)を言ったことのない人――あえて女とは言うまい――であった。脆弱(ぜいじゃく)に見えるほど穏やかであったが、また花崗石(かこうせき)よりも堅固であった。不幸な者に触るる彼女の指は細く清らかに優しかった。その言葉のうちには、いわば沈黙があるとでも言おうか。必要なことのほかは口をきかず、しかもその声の調子は、懺悔室(ざんげしつ)においては信仰の心を起こさせ、また客間においては人の心を魅するようなものであった。そして優しさは常に粗末な毛織の着物に満足し、荒らい感触によって絶えず天と神とを忘れずにいた。それからなお特に力説しなければならない一事は、決して嘘を言わなかったこと、何らかの利害関係があるなしにかかわらず、真実でないこと、まったくの真実でないことは決して言わなかったこと、それがサンプリス修道女の特質であった。それが彼女の徳の基調であった。彼女はその動かし難い真実をもって会衆のうちに聞こえていた。シカール修道院長もサンプリス修道女のことを聾唖(ろうあ)のマシユーに与える手紙のうちに述べたことである。およそ人はいかに誠実であり公明であり純潔であっても、皆その誠直の上には少なくとも罪なきわずかな虚言の一片くらいは有するものである。が彼女には少しもそれがなかった。わずかな嘘、罪なき嘘、そういうものはいったい有り得るであろうか。嘘をつくということは悪の絶対の形である。あまり嘘はつかないということは有り得ないことである。少しでも嘘を言う人はすべて嘘を言うと同じである。嘘を言うということは悪魔の貌(すがた)である。悪魔は二つの名を持っている、すなわちサタンおよびマンソンジュ(訳者注 虚言の意)の二つを。かく彼女は考えていた。そしてまた考えのとおりに行なった。その結果、前述のごとく彼女は純白な色を呈し、その輝きは彼女の脣(くちびる)や眼をもおおうていた。その微笑も白く、その目つきも白かった。その内心の窓ガラスには一筋の蜘蛛(くも)の巣もなく一点の埃(ほこり)もかかっていなかった。聖ヴァンサン・ド・ポール派のうちに身を投ずるや、彼女は特に選んでサンプリスの名前をつけた。シシリーのサンプリスといえば人の知る有名な聖女である。聖女はシラキューズで生まれたのであって、セゲスタで生まれたと嘘(うそ)をつけば生命は助かるのであったが、嘘を答えるよりもむしろ両の乳を引きぬかれる方を好んだのである。その聖女の名前を受けることが彼女の心にかなったのだった。
 サンプリス修道女は初め組合にはいった頃、二つの欠点を持っていて、美食を好み、また手紙をもらうことが好きだった。がしだいにそれを矯正(きょうせい)していった。彼女は大きい活字のラテン語の祈祷書(きとうしょ)のほかは何も読まなかった。彼女はラテン語は知らなかったが、その書物の意味はよく了解した。
 この敬虔(けいけん)な婦人はファンティーヌに愛情を持っていた。おそらくファンティーヌのうちにある美徳を感じたのであろう。そして彼女はほとんど他をうち捨ててファンティーヌの看護に身をささげていた。
 マドレーヌ氏はサンプリス修道女を片すみに呼んで、ファンティーヌのことをくれぐれも頼んだ。その声に異常な調子のこもっていることを彼女は後になって思い出した。
 サンプリス修道女を離れて、彼はファンティーヌに近寄った。
 ファンティーヌは毎日、マドレーヌ氏の来るのを待っていた、ちょうど暖気と喜悦との光を待つかのように。彼女はよく修道女たちに言った。「私は市長さんがここにおられる時しか生きてる心地は致しません。」
 彼女はその日熱が高かった。マドレーヌ氏を見るや、すぐに尋ねた。
「あの、コゼットは?」
 彼はほほえみながら答えた。
「じきにきます。」
 マドレーヌ氏はファンティーヌに対していつもと少しも様子は違わなかった。ただ彼はいつも三十分だけなのにその日は一時間とどまっていた。それをファンティーヌは非常に喜んだ。彼はそこにいる人たちに、病人に少しも不自由をさせないようにと繰り返し頼んだ。ちょっと彼の顔がひどく陰鬱(いんうつ)になるのを気づいた者もあった。しかし医者が彼の耳に身をかがめて「だいぶ容態が悪いようです。」と言ったことが知れると、その理由はすぐに解かれた。
 それから彼は市役所に帰った。書斎に掛かっているフランスの道路明細地図を彼が注意深く調べているのを給仕は見た。彼は紙に鉛筆で何か数字を書きつけた。

     二 スコーフレール親方の烱眼(けいがん)

 町はずれに、スコーフラエルをフランス流にしてスコーフレール親方と呼ばれてる一人のフランドル人が、貸し馬や「任意貸し馬車」をやっていた。マドレーヌ氏は市役所からその家にやって行った。
 そのスコーフレールの家に行くのに一番近い道は、マドレーヌ氏の住んでいた教区の司祭邸がある人通りの少ない街路であった。司祭は人のいうところによると物のよくわかったりっぱな尊敬すべき人だった。マドレーヌ氏がその司祭邸の前に通りかかった時、街路にはただ一人の通行人がいるだけだったが、その人は次のようなことを目撃した。市長は司祭の住居を通り越して足を止め、じっとたたずんだが、それからまた足を返して司祭邸の戸の所まで戻ってきた。その戸は中門であって鉄の戸たたきがついていた。彼はすぐにその槌(つち)に手をかけて振り上げた。それからふいに手を休めて躊躇(ちゅうちょ)し、何か考えてるようだったが、やがて槌を強く打ちおろさないで、静かにそれを元に戻し、そして前と違って少し急ぎ足に道を進んでいった。
 マドレーヌ氏が尋ねて行った時、スコーフレールは家にいて馬具を繕っていた。
「スコーフレール君、」と彼は尋ねた、「馬のよいのがあるかね。」
「市長さん、私どもの馬は皆ようがす。」とそのフランドル人は言った。「あなたがよい馬とおっしゃるのは一体どういうんです。」
「一日に二十里行ける馬なんだ。」
「なんですって!」とその男は言った、「二十里!」
「さよう。」
「箱馬車をつけてですか。」
「ああ。」
「それだけかけてから後はどのくらい休めます。」
「場合によっては翌日また出立しなければならないんだが。」
「同じ道程(みちのり)をですか。」
「さよう。」
「いやはや! 二十里ですな。」
 マドレーヌ氏は鉛筆で数字を書きつけておいた紙片をポケットから取り出した。彼はそれをフランドル人に見せた。それには、五、六、八半という数字が書いてあった。
「このとおりだ。」と彼は言った。「総計十九半だが、まあ二十里だね。」
「市長さん、」とフランドル人は言った、「間に合わせましょう。あのかわいい白馬です。時々歩いてるのを御覧なすったことがあるでしょう。下ブーロンネー産のかわいい奴(やつ)です。大変な元気者です。最初は乗馬にしようとした人もあったですが、どうもあばれ者で、だれ彼の用捨なく地面(じべた)に振り落とすという代物(しろもの)です。性が悪いというのでだれも手をつける者がなかったです。そこを私が買い取って馬車につけてみました。ところが旦那(だんな)、それが奴の気に入ったと見えて、おとなしい小娘のようで、走ることといったら風のようです。ええまったくのところ、乗るわけにはいきません。乗馬になるのは気に合わないと見えます。だれにだって望みがありますからな。引くのならよろしい、乗せるのはごめんだ。奴の心はまあそんなものでしょう。」
「その馬なら今言った旅ができようね。」
「ええ二十里くらいは。かけとおして八時間足らずでやれます。ですが条件付きですよ。」
「どういう?」
「第一に、半分行ったら一時間休まして下さい。その時に食い物をやるんですが、宿の馬丁が麦を盗まないように食ってる間ついていてもらわなければいけません。宿屋では麦は馬に食われるより廐(うまや)の小僧どもの飲み代(しろ)になってしまうことを、よく見かけますからな。」
「人をつけておくことにしよう。」
「第二に……馬車は市長さんがお乗りになるんですか。」
「そうだ。」
「馬を使うことを御存じですか。」
「ああ。」
「では馬を軽くしてやるために、荷物を持たないで旦那(だんな)一人お乗りなすって下さい。」
「よろしい。」
「ですが旦那一人だと、御自分で麦の番をしなければならないでしょう。」
「承知している。」
「それから一日に三十フランいただきたいですな。休む日も勘定に入れて。一文も引けません。それから馬の食い料も旦那の方で持っていただきます。」
 マドレーヌ氏は金入れからナポレオン金貨三個をとり出して、それをテーブルの上に置いた。
「では二日分前金として。」
「それから第四に、そんな旅には箱馬車はあまり重すぎて馬を疲らすかも知れません。今私の家にある小馬車で我慢していただきたいものですが。」
「よろしい。」
「軽いですが、幌(ほろ)がありませんよ。」
「そんなことはどうでもいい。」
「でも旦那、冬ですよ……。」
 マドレーヌ氏は答えなかった。フランドル人は言った。
「ひどい寒さですがよろしゅうござんすか。」
 マドレーヌ氏はなお黙っていた。スコーフレール親方は続けて言った。
「雨が降るかも知れませんよ。」
 マドレーヌ氏は頭をあげて、そして言った。
「その小馬車と馬とを、明朝四時半にわしの家の門口までつけてほしいね。」
「よろしゅうございます、市長さん。」とスコーフレールは答えた。それから彼はテーブルの木の中についている汚点(しみ)を親指の爪(つめ)でこすりながら、自分の狡猾(こうかつ)をおし隠す時のフランドル人共通な何気ないふうをして言った。
「ちょっと思い出したんですが、旦那(だんな)はまだどこへ行くともおっしゃらなかったですね。いったいどこへおいでになるんです。」
 彼は話のはじめからそのことばかりを考えていたのであるが、なぜかその問いを出しかねていた。
「その馬は前足は丈夫かね。」とマドレーヌ氏は言った。
「丈夫ですとも。下り坂には少しおさえて下さればよろしゅうござんす。おいでになろうって所までは下り坂がたくさんあるんですか。」
「あすの朝四時半きっかりに門口まで忘れないように頼むよ。」とマドレーヌ氏は答えた。そして彼は出て行った。
 フランドル人は、後に彼が自分でも言ったように、「まったく呆気(あっけ)にとられて」しまった。
 市長が出て行って二、三分した頃、戸はまた開かれた。やはり市長だった。
 彼はなお同じように、何かに思いふけってる自若たる様子だった。
「スコーフレール君、」と彼は言った、「君がわしに貸そうという馬と小馬車とはおよそどれほどの価に見積るかね、馬に馬車をのせて。」
「馬に馬車を引かせるんですよ、旦那(だんな)。」とフランドル人は大きく笑いながら言った。
「そうそう。それで?」
「旦那が買い取って下さるんですか。」
「いや。ただ万一のために保証金を出しておくつもりだ。帰ってきたらその金を返してもらうさ。馬車と馬とをいくらに見積るかね。」
「五百フランに、旦那。」
「それだけここに置くよ。」
 マドレーヌ氏はテーブルの上に紙幣を置いて、それから出て行った。そしてこんどはもう戻ってこなかった。
 スコーフレール親方は千フランと言わなかったことをひどく残念がった。馬と馬車とをいっしょにすれば百エキュー(訳者注 五百フランに当る)の価はあったのである。
 フランドル人は家内(かない)を呼んで、そのできごとを話した。いったい市長はどこへ行くんだろう? 二人は相談し合った。「パリーへ行くんでしょうよ。」と家内は言った。「俺はそうは思わん。」と亭主は言った。ところが、マドレーヌ氏は暖炉の上に数字をしるした紙片を置き忘れていた。フランドル人はそれを取り上げて調べてみた、「五、六、八半、これは宿場にちがいない。」彼は家内の方に向いた。「わかったよ。」「どうして?」「ここからエダンまで五里、エダンからサン・ポルまで六里、サン・ポルからアラスまで八里半、市長はアラスへ行くんだ。」
 そのうちにマドレーヌ氏は家に帰っていた。
 スコーフレール親方の家から帰りに彼は、あたかも司祭邸の戸が何か誘惑物ででもあって、それを避けんとするかのように、回り道をした。それから彼は自分の室に上ってゆき、そして中に閉じこもった。彼はよく早くから床につくことがあったので、それは別に怪しむべきことではなかった。けれども、マドレーヌ氏のただ一人の下婢(かひ)であって同時に工場の門番をしていた女は、彼の室の燈火(あかり)が八時半に消されたのを見た。そして彼女はそのことを帰ってきた会計係りの男に話し、なおつけ加えた。
「旦那様(だんなさま)は病気ではないでしょうか。何だか御様子が変わっていたようですが。」
 この会計係りの男は、マドレーヌ氏の室のちょうど真下の室に住んでいた。彼は門番の女の言葉を気にもかけず、床について眠った。夜中に彼は突然目をさました。夢現(ゆめうつつ)のうちに彼は、頭の上に物音をきいたのだった。彼は耳を澄ました。だれかが上の室を歩いてるような行き来する足音だった。彼はなお注意して耳を澄ました。するとマドレーヌ氏の足音であることがわかった。彼にはそれが異様に思えた。マドレーヌ氏が起き上がる前にその室に音のすることは、平素なかったのである。しばらくすると彼は、戸棚が開かれてまたしめらるるような音を聞いた。それから何か家具の動かされる音がして、そのままちょっとひっそりして、また足音がはじまった。彼は寝床に身を起こした。すっかり目がさめて、じっと目を据えると、窓越しにすぐ前の壁の上に、燈火のついたどこかの窓の赤い火影(ほかげ)がさしてるのを認めた。その光の方向をたどってみると、それはマドレーヌ氏の室の窓としか思えなかった。火影の揺れているのからみると、普通の燈火ではなくて燃えてる火から来るものらしかった。窓ガラスの枠(わく)の影がそこに写っていないのから考えると、窓はすっかり開かれているに違いなかった。その寒い晩に、窓の開かれているのは異常なことだった。が彼はそのまままた眠ってしまった。一、二時間後に彼はまた目をさました。ゆるい規則的な足音が、やはり頭の上で行きつ戻りつしていた。
 火影(ほかげ)はなお壁の上にさしていた。しかしそれはもうランプか蝋燭(ろうそく)かの反映のように薄く穏やかになっていた。窓は相変わらず開かれていた。
 ところで、マドレーヌ氏の室の中に起こったことは次のとおりである。

     三 脳裏の暴風雨

 読者は疑いもなくマドレーヌ氏はすなわちジャン・ヴァルジャンにほかならぬことを察せられたであろう。
 われわれは前にこの人の内心の奥底をのぞいたことがあるが、更になおのぞくべき時がきた。がそれをなすには、われわれは深い感動と戦慄(せんりつ)とを自ら禁じ得ない。この種の考察ほど恐ろしいものはない。人の心眼は人間のうちにおいて最も多く光輝と暗黒とを見いだす。またこれ以上恐るべき、複雑な、神秘な、無限なものは、何も見ることができない。海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。
 人の内心の詩を作らんには、たといそれがただ一個人に関してであろうとも、たとい最も下等な一人の者に関してであろうとも、世のあらゆる叙事詩を打って一丸となして一つのすぐれたる完全なる叙事詩になすを要するであろう。人の内心、そは空想と欲念と企画との混沌界(こんとんかい)であり、夢想の坩堝(るつぼ)であり、恥ずべき諸(もろもろ)の観念の巣窟(そうくつ)である。そは詭弁(きべん)の魔窟であり、情欲の戦場である。ある時を期して、考えに沈める一人の人の蒼白(そうはく)なる顔をとおし、その内部をのぞき、その魂をのぞき、その暗黒のうちをうかがい見よ。そこにこそ外部の静穏の下に、ホメロスの描ける巨人の戦いがあり、ミルトンの語れる竜や九頭蛇(だ)の混戦があり妖怪の群れがあり、ダンテの言える幻の渦がある。人が皆自己のうちに有し、それによって脳裏の意志と生涯の行動とを測って絶望するこの無際限は、いかに幽玄なるものぞ!
 ダンテはかつて地獄の門に出会い、その前に躊躇(ちゅうちょ)した。ここにもまた吾人(ごじん)の前に、くぐるを躊躇せざるを得ない門がある。しかしてあえてそれをくぐってみよう。
 あのプティー・ジェルヴェーの事件の後ジャン・ヴァルジャンにいかなる事が起こったかについては、読者の既に知っていること以外にあまり多くつけ加える要はない。その時以来、前に述べたとおり彼はまったく別人になった。司教が彼に望んだことを彼は実現した。それはもはや単なる変化にあらずして変容であった。
 彼は首尾よく姿を隠し、記念として燭台(しょくだい)のみを残して司教からもらった銀の器具を売り払い、町より町へと忍び行き、フランスを横ぎり、モントルイュ・スュール・メールにきて、前に述べたとおりのことを考えつき、前に物語ったとおりのことを仕とげ、押さえられ手をつけられることのないようになって、そして爾来(じらい)、モントルイュ・スュール・メールに居を定め、過去のために悲しい色に染められたおのれの心と、後半生のために夢のごとくなった前半生とを感じながら、心楽しく、平和と安心と希望とをいだいて生活していた。そしてもはや二つの考えしか持っていなかった。すなわち、おのれの名前を隠すことと、おのれの生を清めること、人生をのがれることと、神に帰ること。
 その二つの考えは彼の心のうちに密接に結ばれ合って、ただ一つのものとなっていた。二つとも等しく彼の心を奪い彼を従え、その些細(ささい)な行為をも支配していた。そして普通は両者一致して彼の世に処する道を規定し、彼を人生の悲惨なものの方へ向かわしめ、彼を親切にまた質朴ならしめ、彼に同じ助言を与えていた。けれども時としては両者の間に争いがあった。その場合には、読者の記憶するごとく、モントルイュ・スュール・メールのすべての人が呼んでもってマドレーヌ氏としたその人は、第一を第二のものの犠牲とし、自己の安全を自己の徳行の犠牲とすることに躊躇(ちゅうちょ)しなかった。かくて彼は、あらゆる控え目と用心とにもかかわらず、司教の二つの燭台を保存しておき、司教のために喪服をつけ、通りすがりのサヴォアの少年を呼んでは尋ね、ファヴロールにおける家族らのことを調べ、ジャヴェルの不安な諷諭(ふうゆ)をも顧みずして、フォーシュルヴァン老人の生命を救ったのである。前に述べたごとく、彼は賢人聖者または正しき人々にならって、おのれの第一の義務は自己に対するものではないと思っているらしかった。
 しかしながら、こんどのようなことはいまだかつて彼に起こったことがなかったのである。われわれがここにその苦悩を述べつつあるこの不幸な人を支配していた二つの考えが、かくも激しく相争ったことはかつてなかったのである。ジャヴェルが書斎にはいってきて発した最初の言葉において、彼は早くも漠然(ばくぜん)としかし深くそれを感じた。地下深く埋めておいたあの名前が意外にも発せられた瞬間には、彼は唖然(あぜん)としておのれの運命の恐ろしくも不可思議なのに惘然(ぼうぜん)としてしまったかのようだった。そしてその呆然(ぼうぜん)たるうちに、動乱に先立つ一種の戦慄(せんりつ)を感じた。暴風雨の前の樫(かし)の木のごとく、襲撃の前の兵士のごとく、彼は身をかがめた。迅雷(じんらい)と電光とのみなぎった黒影が頭上をおおうのを感じた。ジャヴェルの言葉を聞きながら彼には、そこにかけつけ、自ら名乗っていで、シャンマティユーを牢(ろう)から出して自らそこにはいろうという考えが、第一に浮かんだ。それは肉体を生きながら刻むほどの苦しいたえ難いことであった。が次にそれは過ぎ去った。そして彼は自ら言った、「まてよ! まてよ!」彼はその最初の殊勝な考えをおさえつけ、その悲壮な行ないの前にたじろいだ。
 もとより、あの司教の神聖なる言葉をきいた後、長い間の悔悛(かいしゅん)と克己との後、みごとにはじめられた贖罪(しょくざい)の生活の最中に、かくも恐ろしき事情に直面しても少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、底には天国がうち開いているその深淵(しんえん)に向かって同じ歩調でもって進み続けたならば、それはいかにりっぱなことであったろう。しかしいかにりっぱなことであったろうとはいえ、そうはゆかなかったのである。われわれは彼の魂のうちにいかなることが遂げられつつあったかを明らかにしなければならない。そしてわれわれはその魂のうちにあったことのみをしか語ることを得ない。まず第一に彼を駆ったところのものは、自己保存の本能であった。彼はにわかに考えをまとめ、感情をおし静め、大危険物たるジャヴェルがそこにいることを考え、恐怖のためにすべての決心を延ばし、おのれの取るべき道に対する考察を捨て、戦士が楯(たて)を拾い上げるようにおのれの冷静を回復した。
 その一日の残りを彼はそういう状態のうちに過ごした、内心の擾乱(じょうらん)と外部の深い平静とをもって。いわゆる「大事を取る」ということをしか彼はしなかった。すべてはまだ脳裏に漠然と紛乱していた。何らのまとまった観念も認められないほどにその擾乱は激しかった。ただある大なる打撃を受けたということのほかは、彼自らも自分自身がわからなかったであろう。彼は平素のとおりファンティーヌの病床を見舞い、親切の本能からいつもより長くそこにとどまり、自分のなすべきことを考え、万一不在になる場合のために、彼女を修道女たちによく頼んでおかなければならないと思った。アラスへ行かなければなるまいとぼんやり感じた。が少しもその旅を心に決したのではなかった。実際のところ何らの疑念をも被るわけはないので、これからの裁判に列席しても何ら不都合はないとひそかに考えた。そしてあらゆる事変の準備を整えておくために、スコーフレールの馬車を約束した。
 彼はかなりよく食事もした。
 自分の室に帰って彼は考え込んだ。
 彼は自分の立場を考えて、それが異常なものであることを知った。あまりに異常だったので、ほとんど名状し難いある不安な衝動に駆られて、黙想の最中にわかに椅子(いす)から立ち上がり、戸を閉ざし閂(かんぬき)をさした。何かが更にはいってきはしないかを恐れた。何か起こるかも知れないことに対して身を護った。
 間もなく彼は燈火(あかり)を消した。それがわずらわしかったのである。
 だれかが自分を見るかも知れないと彼は思ったらしい。
 だれが? 人が?
 悲しいかな、彼が室に入れまいとしたところのものは、既にはいってきていた。彼がその目を避けようとしたところのものは、既に彼を見つめていた。彼の本心が。
 彼の本心、すなわち神が。
 けれども初めは、彼は自ら欺いていた。彼は安全と孤独とを感じた。閂をして彼はもうだれにもつかまることがないと思った。蝋燭(ろうそく)を消して彼はもうだれにも見らるることがないと思った。そこで彼はほっと安心した。両肱(りょうひじ)をテーブルの上につき、掌(てのひら)に頭をささえ、暗やみのうちで瞑想(めいそう)しはじめた。
「自分はいったいどこにいるのか。――夢を見ているのではないのか。――何を聞いたのか。――ジャヴェルに会って彼があんなことを言ったのは本当なのか。――そのシャンマティユーというのはいったいだれなのか。――では自分に似ているのか。――そんなことがあり得ようか。――昨日は自分はあれほど落ち着いていて何一つ夢にも知らなかったのに。――で昨日の今時分は何をしていたのであろう。――このできごとはいったいどういうのか。――終わりはどうなるのか。――どうしたらいいか。」
 そういう苦悶(くもん)のうちに彼はあった。彼の頭脳はいろいろの考えを引き止める力を失っていた。考えは波のように過ぎ去って行った。彼はそれを捕えようとして、両手のうちに額(ひたい)を押しあてた。
 彼の意志と理性とをくつがえしたその擾乱(じょうらん)、彼がそのうちから一つの的確なものを引き出し、一つの決心を引き出さんとしたその擾乱、それからはただ心痛のほか何物も出てこなかった。
 彼の頭は燃えるようだった。彼は窓の所へ行って、それをいっぱいに開いた。空には星もなかった。彼はまたテーブルの所へきてすわった。
 初めの一時間はかくして過ぎた。
 そのうちしだいに漠然(ばくぜん)たる輪郭が瞑想のうちに浮かんできて一定の形を取るようになった。そして彼は自分の立場の全体ではないが、いくらかの局部を、現実の明確さをもってつかむことができた。
 その立場はいかにも異常なものであり危急なものであるにしても、自分はまったくその主人公であることを、彼は認めはじめた。
 彼の困惑はますます増すばかりだった。
 彼の行為の目ざしていた厳格な宗教的目的をほかにしては、彼が今日までなしきたったすべてのことは、自分の名を埋めんがために掘る穴にほかならなかった。自ら顧みる時、眠れぬ夜半において、彼が最も恐れたところのものは、その名前が人の口から出るのを聞くことであった。その時こそ自分に取ってはすべての終わりであると思っていた。その名前が再び世に現われる時こそは、この新生涯も自分の周囲から消滅し、またおそらくはこの新しい魂も自分のうちに消滅するであろうと。彼はそういうことがあるかも知れないと思っただけで身を震わした。もしそういうおりにだれかが彼に向かって、やがて時が来るであろう、その名前が彼の耳に鳴り響き、その嫌悪(けんお)すべきジャン・ヴァルジャンという名前が突然夜の暗黒から姿を現わして彼の前につっ立ち、彼が身を包んでいる秘密の幕を消散させる恐るべき光が彼の頭上に突然輝くであろう、そしてまた、その名前はもはや彼を脅かさないであろう、その光はますますやみを濃くなすのみであろう、引き裂かれた幕はなおいっそう秘密を増させるであろう、その地震はかえって建物を堅固にするであろう、その異常なでき事は、もし彼が欲するならば、彼の存在を同時にいっそう明らかにしいっそう不可測ならしむるという以外の結果はきたさないであろう、そして、そのジャン・ヴァルジャンの幻と面を接することによって、りっぱな一個の市民たるマドレーヌ氏はいよいよ光栄と平和と尊敬とを得るに至るであろう――そうだれかが彼に向かって言ったとしても、彼は頭を振って、それらの言葉を狂人の戯言となしたであろう。しかるにそれらのことがまさしく起こったのである。すべてそれらの不可能事と思われたことは事実となった。そして神は、それらの荒唐事が現実の事となるのを許したもうたのであった。
 彼の妄想(もうそう)はますます明るくなってきた。彼は漸次に自分の立場を了解してきた。
 彼は何かある眠りからさめたような気がした。そして、立ちながら、震えながら、いたずらに足をふみ止めようとしながら、暗黒のうちに急坂を深淵の縁まですべり落ちてゆくような思いをした。彼はやみの中に、見知らぬ一人の男をはっきりと見た。運命はその男を彼と取り違えて、彼の代わりに深淵のうちにつき落とそうとしている。その淵が再び閉ざされるためには、だれかが、彼自身かもしくはその男かが、そこに陥らなければならなかった。
 彼は成り行きに任せるのほかはなかった。
 明るみは十分になってきた。彼は次のことを自ら認めた。「徒刑場において自分の席はあいている。いかにつとめても、その空席は常に自分を待っている。プティー・ジェルヴェーからの盗みは自分をそこに連れ戻すのである。自分がそこに行くまでは、その空席は自分を待ち自分をひきつけるであろう。それは避くべからざる決定的なことである。」そして次にまた彼は自ら言った。「今自分は一人の代人を持っている。そのシャンマティユーとかいう男は運が悪かったのだ。自分は以後、そのシャンマティユーという男において徒刑場にあり、またマドレーヌの名の下に社会にある。もはや何も恐るべきことはない。ただシャンマティユーの頭の上に、墓石のごとく一度落つれば再び永久に上げられることのないその汚辱の石がはめらるるままにしておけばよいのだ。」
 それらのことはいかにも荒々しく不可思議だったので、彼のうちに一種の名状すべからざる震えが突然起こった。それは何人(なにびと)も生涯中に二、三度とは経験することのないものであって、内心の一種の痙攣(けいれん)と言おうか、心のうちの疑わしいすべてのものを揺り動かし、皮肉と喜悦と絶望より成るものであって、心内の哄笑(こうしょう)とも称し得べきものであった。
 彼はまたにわかに蝋燭(ろうそく)をともした。
「で、それがどうしたというのだ!」と彼は自ら言った。「何に自分は恐れているのか? 何を自分はそんなに考えるのか? 私は助かったのだ。すべては済んだのだ。新しい自分の生涯に過去が闖入(ちんにゅう)してくる口は、わずか開いている一つの扉(とびら)があるきりだった。がその扉も今や閉ざされてしまった。永久に! 長く私の心を乱していたあのジャヴェル、私の素性をかぎ出したらしい、いや実際かぎ出していたるところ私の後をつけていたあの恐るべき本能、始終私につきまとっていたあの恐ろしい猟犬、彼ももはや道に迷いほかに行ってしまって、まったく私の足跡を見失ったのだ。その後彼は満足している。私を落ち着かせるだろう。彼は彼のジャン・ヴァルジャンを捕えているのだ! だれにわかるものか。彼さえもどうやらこの町を去りたがっている。そしてそれもみなひとりでにそうなったことで、私はそれに何の関(かかわ)りもないのだ。そうだ、それに何の不幸な事があろう。おそらく私を見る者は、私に非常な災いが起こったと思うかも知れない。が結局、何人(なにびと)かの上に災いがあるとしても、それは少しも私のせいではない。すべては天意によってなされたのだ。明らかに天はそれを欲したからだ。天の定めることを乱す権利が私にあろうか。今私は何を求めようとするのか。何に私は干渉しようとするのか。私に関係したことではないのだ。なに、私は満足でないと! しからば何が私に必要なのか。長い年月望んでいた目的、夜半の夢想、天へ祈っていた目的物、安全、私は今それを得たのだ。それを欲するのは神である。私は神の意志に反しては何事をもなすべきでない。そして神は何ゆえにそれを欲するのか? 私が初めたことを継続させんがため、私に善をなさせんがため、他日私をして偉大な奨励的実例となさんがため、私がなした悔悛(かいしゅん)と私が立ち戻った善行とにはついに多少の幸福が伴ったということを言い得んがためだ! 先刻、あの善良な司祭の所にはいってゆき、聴罪師に向かってするように彼にすべてを語り、そして彼の助言を求めようとした時、何ゆえに私はそれを恐れたのか実際自らわからない。彼はきっと私に同様なことを言ったはずだ。それは既に決定したことである。なるがままに任せるがいい。善良なる神の御手に任しておくがいい。」
 彼は彼自身の深淵とも称し得べきものの上に身をかがめて、本心の底からかくのごとく自ら言った。彼は椅子(いす)から身を起こした、そして室のうちを歩き初めた。「もうそれにこだわるまい。決心は定まっているのだ!」と彼は言った。しかし彼は何らの喜びをも感じなかった。
 いや、まったく反対であった。
 人の思想がある観念の方へ立ち戻るのを止めることができないのは、あたかも海が浜辺に寄せ返すのを止めることができないと同じである。船乗りにとってそれを潮という。罪人にとってはそれを悔恨という。神は海洋を持ち上げると同じくまた人の魂をも持ち上げる。
 間もなく彼はまた、いかに自ら制しても暗澹(あんたん)たる対話を初めざるを得なかった。その対話においては、話す者も彼自身であり聞く者も彼自身であり、語るところは彼が黙せんと欲していたことであり、聞くところは彼が聞くを欲しなかったことだった。二千年前の刑人(訳者注 キリスト)に向かっては「進め!」と言ったごとく今彼に向かっては「考えよ!」というある神秘なる力に、彼は駆られたのであった。
 これ以上筆を進める前に、そしてすべてを十分明らかにせんがために、ここに一つの必要な注意をつけ加えておこう。
 人間は確かに自分自身に向かって話しかけることがある。思考する生物たる人間にしてそれを経験しなかった者は一人もあるまい。言語なるものは、人の内部において思想より本心へ本心より思想へと往復する時ほど、荘厳なる神秘さを取ることはない。本章においてしばしば用いらるる彼は言ったまたは彼は叫んだという言葉は、ただかかる意味においてのみ理解されなければならない。人は外部の沈黙を破らずして、自己のうちにおいて言い、語り、叫ぶものである。そこに非常な喧噪(けんそう)がある。口を除いてすべてのものがわれわれのうちにおいて語る。魂のうちの現実は、それが目に見るを得ず手に触るるを得ざるのゆえをもって、現実でないという理由にはならない。
 かくて彼は自分がどこにいるかを自ら尋ねた。彼はあの「既になされた決心」なるものについて自ら問いただした。頭のうちで自ら処置したところのものは奇怪なことであり、「なるがままに任せるがいい、善良なる神の御手に任しておくがいい」ということはただただ恐ろしいことであると、彼は自ら認めた。運命と人間との誤謬(ごびゅう)をそのまま遂げしむること、それを妨げないこと、沈黙によってそれを助けること、結局何らの力をもいたさぬこと、それはすべて自ら手を下してなすのと同じではないか。それは陋劣(ろうれつ)なる偽善の最後の段階ではないか。それは賤(いや)しい卑怯(ひきょう)な陰険な唾棄(だき)すべきまた嫌悪(けんお)すべき罪悪ではないか!
 八年このかた初めて、不幸なる彼は、悪念と悪事との苦(にが)い味を感じたのである。
 彼は胸を悪くしてそれをまた吐き出した。
 彼はなお続けて自ら問いかけた。「目的は達せられたのだ!」という言葉の意味を、自らきびしく尋ねてみた。自分の生活は果して一つの目的を持っていたということを彼は自ら公言した。しかしながら、それはいかなる目的であったか。名前を隠すことか。警察を欺くことか。彼がなしたすべてのことは、そんな小さなことのためだったのか。本当に偉大であり真実である他の目的を彼は持たなかったのか。自分の身をでなく自分の魂を救うこと。正直と善良とに立ち戻ること。正しき人となること! 彼が常に欲していたことは、あの司教が彼に命じたことは、特に、いや単に、そこにあるのではなかったか。「汝の過去に扉(とびら)を閉ざせよ!」しかし彼はその扉を閉ざさなかった。卑劣なる行ないをしながらそれを再び開いた。彼は盗人と、最も賤(いや)しい盗人と再びなろうとした。他人からその存在と生活と平和と太陽に浴する地位とを奪おうとした。彼は殺害者となろうとした。一人のあわれなる男を殺そうとした、精神的に殺そうとした。その男にあの恐るべき生きながらの死を、徒刑場と称する大空の下の死を与えんとした。しかしこれに反して、身を投げ出し、その痛ましい誤謬(ごびゅう)に陥れられた男を救い、自分の名をあかし、義務として再び囚人ジャン・ヴァルジャンとなったならば、それこそ、真に自分の復活の道であり、のがれ出た地獄に永久に戸をとざす道ではなかったか! 外観上その地獄に再び落つることは、実際において、そこから脱することであった。それをなさなければならない! それをしもなさなければ、何をもなさないのと同じである。彼の全生涯は無益なものとなり、彼のあらゆる悔悛(かいしゅん)は失われ、ただ「何の役に立とうぞ?」と言うのほかはなかったであろう。彼はあの司教がそこにいるように感じた。司教の姿は死んでますますはっきり目に見えてきた。司教は彼をじっと見つめていた。今後市長マドレーヌ氏は、そのいかなる徳をもってしても司教の目には忌むべきものと映ずるであろう。そして囚徒ジャン・ヴァルジャンは司教の前には尊敬すべき純潔なる姿となるであろう。世人は彼の仮面を見る、しかし司教は彼の素顔(すがお)をながめる。世人は彼の生活を見るが、司教は彼の本心を見ている。それゆえ、アラスへ行き、偽りのジャン・ヴァルジャンを救い、真のジャン・ヴァルジャンを告発しなければならない。ああそれこそ、最大の犠牲であり、最も痛切なる勝利であり、なすべき最後の一歩であった。それをなさなければならなかった。悲痛なる運命よ! 人の目には汚辱なるもののうちに戻る時、その時初めて彼は、神の目には聖なるもののうちにはいるであろう。
「よろしい、」と彼は言った、「これを決行しよう。義務を果そう。あの男を助けてやろう!」
 彼は自ら気づかずしてその言葉を声高に叫んだ。
 彼は書類を取って、それを調べ、それを秩序よく並べた。困窮な小売商人らから取っていた借用証書の一束を火中に投じた。手紙を一つしたためて封をした。そのとき室にだれかいたならば、その人は、「パリー、アルトア街、銀行主ラフィット殿」という文字をその封筒の上に読み得たであろう。
 彼は机から紙入れを取り出した。その中には紙幣や、その年彼が選挙に行くおりに使った通行券などがはいっていた。
 重大なる考慮をめぐらしながら彼がそれらの種々のことをやっているところを見た者があったとしても、その人は彼の心のうちに起こっていることを察することはできなかったであろう。彼はただ時々その脣(くちびる)が震えるのみであった。またある時は、頭をあげて壁の一点をじっと見つめていた。そこには彼が何か見きわめまたは尋ねかけんと欲してる物があるかのようだった。
 ラフィット氏へあてた手紙を書き終えると、彼は紙入れとともにそれをポケットに入れ、そしてまた歩き初めた。
 彼の瞑想(めいそう)は少しもその方向を変じていなかった。彼は光り輝く文字に書かれた自分の義務をなお明らかに見ていた。その文字は彼の眼前に炎と燃え、視線を移すごとについて回った。「行け! 汝の名を名乗れ! 自首して出よ!」
 彼はまた、これまで彼の生活の二つの規則となっていた二つの観念を、あたかもそれが目に見える形となって眼前に動き出したかのようにじっと見つめた。汝の名前を隠せよ! 汝の魂を聖(きよ)めよ! それらの二つは初めて全然別になって見えてきた。そしてその二つが互いにへだたっている距離を彼は見た。その一つは必ずや善(よ)きものであり、も一つは悪きものともなり得るものであることを、彼は認めた。一は献身であり、他は自己中心である。一は隣人を口にし、他は自己を口にする。一は光明からきたり、他は暗黒から来ると。
 その二つは互いに争っていた。彼はその二つが相争うのを見た。彼が黙想するに従って、その二つは彼の心眼の前に大きくなってゆき、今では巨人のごとき姿となっていた。そして彼自身のうちにおいて、先ほど述べたあの無限のうちにおいて、暗黒と光明との間に、神と巨人との争うのを彼は見るように思った。
 彼は恐怖に満たされた。しかし善の考えが勝利を得るように見えた。
 彼は新たに自分の本心と運命との決定的時期に遭遇しているように感じた。司教は彼の新生涯の第一期を画し、あのシャンマティユーはその第二期を画しているように感じた。大危機の後に大試練がきたのである。
 そのうちにまた一時しずまっていた熱はしだいに襲ってきた。無数の考えが彼の脳裏を過ぎた。しかしそれはただ彼の決心をますます強固にするのみだった。
 ある瞬間には彼は自ら言った。「私はあまり事件を大袈裟(おおげさ)に考えすぎているのかも知れない。結局そのシャンマティユーなる者は大した者ではない。要するに彼は盗みをしたのだ。」
 彼は自ら答えた。「その男が果して林檎(りんご)をいくらか盗んだとしても、一カ月の監禁くらいのものだ。徒刑場にはいるのとはずいぶん差がある。そして彼が盗んだということもわかったものではない。証拠があったのか。ジャン・ヴァルジャンという名前が落ちかかったので、証拠なんかはどうでもよくなったのであろう。いったい検事などという者はいつもそういうふうなやり方をするではないか。囚人だというので、盗人だと考えられたのだ。」
 またある瞬間に彼はこうも考えた。自分が自首して出たならば、自分の勇壮な行為と、過去七年間の正直な生活と、この地方のために尽した功績とは、十分に考量されて許されることになるかも知れない。
 しかしそういう想像はすぐに消え失せてしまった。そして彼は苦笑しながら考えた。プティー・ジェルヴェーから四十スーを盗んだことは、自分を再犯者となすものである。その事件も必ずや現われて来るであろう。そして法律の明文によって自分は終身懲役に処せらるるであろう。
 彼はついにすべての妄想(もうそう)を断ち切って、しだいに地上を離れ、他の所に慰安と力とを求めた。彼は自ら言った。自分は自己の義務を果たさなければならない。義務を避けた後よりも義務を果たした後の方が、より不幸になるということがあり得ようか。もし成り行きに任せ、モントルイュ・スュール・メールにとどまっているならば、自分の高い地位、自分の好評、自分の善業、人の推服、人の敬意、自分の慈善、自分の富、自分の高名、自分の徳、それらは皆罪悪に汚されるであろう。そしてそれらの潔(きよ)い数々もこの忌むべき一事に関連するならば、何の滋味があろう。しかるに、もし自分が犠牲になり果たしたならば、徒刑場の柱と鉄鎖と緑の帽子と絶えざる労働と無慈悲な屈辱とにも、常に聖(きよ)い考えを伴うことができるであろう。
 最後に彼はまた自ら言った。すべては必然の数(すう)である。自分の運命はかく定められたものである。自分には天の定めを乱す力はない。自分はただいずれの場合においても、外に徳を装って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖(きよ)きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない。
 かく雑多な沈痛な考えをめぐらしつつも、彼の勇気は少しも衰えなかった。しかし彼の頭脳は疲れてきた。彼は我にもあらず、他の事を、まったく関係のない種々のことを、考え初めた。
 顳□(こめかみ)の血管は激しく波打っていた。彼はなお室の中を歩き続けていた。会堂の時計がまず十二時を報じ、次に市役所の時計が鳴った。彼はその二つの大時計が十二打つ音を数えた。そしてその二つの鐘の音を比較してみた。その時彼は、ある金物屋で数日前に見た売り物の古い鐘の上に、ロマンヴィルのアントアーヌ・アルバンという名前が刻まれていたのを思い出した。
 彼は寒気(さむけ)がした。そして少し火をたいた。窓をしめることには気がつかなかった。
 そのうちに彼は昏迷(こんめい)の状態にまた陥っていた。十二時を打つ前に考えたことを思い出すのに、かなりの努力をしなければならなかった。ついにそれが思い出せた。
「ああそうだ、」と彼は自ら言った、「私は自首しようと決心したのであった。」
 それから突然彼はファンティーヌのことを考えた。
「ところで、」と彼は言った、「あのかわいそうな女は!」
 そこにまた新しい危機が現われた。
 彼の瞑想(めいそう)のうちに突然現われたファンティーヌは、意外な一条の光のごときものであった。彼には自分のまわりのすべてがその光景を変えたように思われた。彼は叫んだ。
「ああ私は今まで自分のことしか考えなかった。私は自分一個の都合ばかりしか考えなかったのだ! 沈黙すべきかあるいは自首すべきか、自分の身の上を隠すかあるいは自分の魂を救うか、賤(いや)しむべきしかし世人に尊敬さるる役人となるか、あるいは恥ずべきしかし尊むべき囚人となるか、それは私一個のこと、常に私一個のことであり、私一個のことにすぎない。しかしああ、それらすべては自己主義である。自己主義の種々の形ではあるが、とにかく自己主義たる事は一つである。もし今少しく他人のことを考えたならば! およそ第一の神聖は他人のことを考えることである。さあ少し考えてみなければいけない。自己を除外し、自己を消し、自己を忘れてしまったら、すべてそれらのことはどうなるであろう?――もし私が自首して出たら? 人々は私を捕え、そのシャンマティユーを許し、私を徒刑場に送るであろう。それでよろしい。そして? ここはどうなるであろう。ああここには、一地方、一つの町、多くの工場、一つの工業、労働者、男、女、老人、子供、あわれなる人々がある。それらのものを私はこしらえた。私はそれらを生かしてやった。すべて煙の立ちのぼる煙筒のある所、その火のうちに薪(まき)を投じその鍋(なべ)のうちに肉を入れてやったのは、私である。私は安楽と流通と信用とをこしらえてやった。私の来る前には何もなかったのだ。私はこの地方全部を引き上げ、活気立たせ、にぎわし、豊かにし、刺激し、富ましてやった。私がなければ魂がないようなものだ。私が取り去らるれば、すべては死滅するであろう。――そして、あれほど苦しんだあの女、堕落のうちにもなおあれほどのいいものを持っているあの女、思いがけなく私がそのあらゆる不幸の原因となったあの女! そして、その母親に約束して自らさがしにゆくつもりであったあの子供! 私は自分のなした悪の償いとしてあの女に何か負うところはないのか。もし私がいなくなればどうなるであろう。母親は死ぬであろう。そして子供はどうなるかわからない。私が自首して出れば、結果はそんなものである。――もし自首しないならば? まてよ、もし私が自首して出ないとするならば?」
 自らそう問いかけた後に、彼はちょっと考えを止めた。彼はしばし躊躇(ちゅうちょ)と戦慄(せんりつ)とを感じたようだった。しかしそういう時間は長くは続かなかった。そして彼は静かに自ら答えた。
「ところであの男は徒刑場にゆく。それは事実だ。しかし仕方もない、彼は盗みをしたのだ。私がいくら彼は盗みをしなかったと言ってもむだである、彼は実際盗んだのだから。私はここにとどまっていよう。続けて働こう。十年のうちには千万の金をこしらえ、それをこの地方にふりまこう。少しも自分の身にはつけまい。身につけて何になろう。私がなすことはみな自分のためではないのだ。人々の繁栄は増すだろう。工業は盛んになり活気立ってくる。大小の工場は増加してくる。家は百となり千となり、また幸福になる。人民はふえる。田畑であった所には村ができ、荒地であった所には田畑ができる。貧困は後をたち、それとともに放逸や醜業や窃盗や殺害や、あらゆる不徳、あらゆる罪悪は、みな消え失せる。あのあわれな女も自分の子供を育てる。そしてこの地方全部が富み栄え正直になるのだ! ああ実に、私は愚かで誤っていた。自首して出るとは、まあ何ということを言ったのだろう。実際よく注意しなければいけない、何事もあわててはいけない。なに、偉大な高潔なことをなすのを好んだからというのか。結局それは一つのお芝居(しばい)に過ぎないのだ。なぜなら私は自分のこと、自分だけのことしか考えなかったのだから。どこの奴(やつ)ともわからない盗人を、明らかに賤(いや)しむべき一人の男を、多少重すぎはするがしかし実は正当である刑罰から救わんがために、一地方全部が破滅しなければならないというのか。一人のあわれな女が病舎で死に、一人のあわれな子供が路傍にたおれなければならないというのか、犬のように! ああそれこそのろうべきことである。母親はその子供を再び見ることもなく、子供は自分の母親をほとんど知りもしないで終わる。そしてそれもみな、林檎(りんご)を盗んだあの老耄(おいぼれ)のためというのか。たしかに彼奴(あいつ)だって、林檎のためでなくとも、何か他のことで徒刑場にはいってもいい奴だろう。一人の罪人を助けて罪ない多くの人を犠牲にするとは、徒刑場にいても自分の茅屋(ぼうおく)にいてもあまりその不幸さに変わりもなく、またせいぜい四、五年とは生きてもすまい老いぼれの浮浪人を助けて、母親や妻や児やすべての住民を犠牲にするとは、何という結構な配慮なのか。あの小さなあわれなコゼットは、世の中に助けとなるものは私だけしか持たない、そして今では、あのテナルディエの怪しい家で寒さのためにきっと青くなってるだろう。そこにもまた悪党がいる。そして私はこれらのあわれな人々に対する自分の義務を欠こうとしている。自首して出ようとしていた。何というばかなことをしようとしたのか。まず悪い方から考えるとして、かくするのは自分にとって悪い行ないであると仮定し、他日私の本心はそれを私に非難すると仮定しても、自分だけにしか当たらないそれらの非難を、自分の魂だけにしかかかわらないその悪い行ないを、他人の幸福のために甘んじて受けること、そこに献身があり、そこに徳行があるではないか。」
 彼は立ち上がった、そして歩き初めた。こんどは自ら満足であるような気がした。
 金剛石は地下の暗黒のうちにしか見いだされぬ。真理は思想の奥底にしか見いだされぬ。その奥底に下がった後、その最も深い暗黒のうちを長く探り歩いた後、金剛石の一つを、真理の一つを、彼はついに見いだしたと思った。そしてそれをしかと手に握っていると思った。彼はそれをながめて眩惑(げんわく)した。
「そうだ、そのとおりだ。」と彼は考えた。「これが本当のことだ。私は解決を得た。ついには何かにしかとつかまらなければいけない。私の決心は定まった。なるままに任せよう。もう迷うまい。もう退くまい。これはすべての人のためであって、自分一個の利害のためではない。私はマドレーヌである、またマドレーヌのままでいよう。ジャン・ヴァルジャンなる人は不幸なるかな! それはもはや私ではない。私はそんな人を知らない。私はもはやそれが何であるかを知らない。今だれかがジャン・ヴァルジャンになっているとするなら、その人自身で始末をつけるがいい。それは私の関係したことではない。それは実に暗夜のうちに漂っている不運の名前である。もしそれがだれかの頭上にとどまり落ちかかったとすれば、その人の災難とあきらめるのほかはない。」
 彼は暖炉の上にあった小さな鏡の中をのぞいた。そして言った。
「おや、決心がついたので私は安堵(あんど)したのか! 私は今まったく生まれ変わったようになった。」
 彼はなお数歩あるいた、そしてふいに立ち止まった。
「さあ、一度決心した以上はいかなる結果になろうとたじろいではいけない。」と彼は言った。「私をあのジャン・ヴァルジャンに結びつけるひもはなお残っている。それを断ち切らなければいけない。ここに、この室の中に、私を訴える品物が、証人となるべき無言の品物が、なお残っている。事は決した。すべてそれらのものをなくしてしまわなければいけない。」
 彼はポケットを探って、紙入れを取り出し、それを開いて、中から小さな一つの鍵(かぎ)を引き出した。
 彼はその鍵をある錠前の中に差し入れた。その錠前は、壁にはられてる壁紙の模様の最も暗い色どりの中に隠されていて、ちょっと見てはその鍵穴も見えないくらいだった。がそこに、隠し場所が、壁の角と暖炉棚との間にこしらえられた一種の戸棚みたようなものがあいた。中にはただ少しのつまらぬ物がはいっていた、青い麻の仕事着と、古いズボンと、古い背嚢(はいのう)と、両端に鉄のはめてある大きな刺々(とげとげ)の棒とが。一八一五年十月にディーニュを通って行った頃のジャン・ヴァルジャンを見た人はその惨(みじ)めな服装の品々をよく見覚えているであろう。
 彼は自分の出発点を常に忘れないために、銀の燭台をしまっておいたと同じようにそれらをしまっておいたのである。ただ彼は徒刑場からきたそれらのものを隠し、司教からきた燭台を出しておいたのだった。
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