レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 いつの頃よりか昔から、モントルイュ・スュール・メールには、イギリスの擬(まが)い黒玉とドイツの黒ガラス玉とをまねて製造する特殊な工業があったが、原料が高くて賃金があまり出せないので、いつもはかばかしくゆかなかった。しかしファンティーヌがその地に帰っていった頃には、異常な変化がそれらの「黒い装飾品」の製法に起こっていた。一八一五年の末に、一人のある他郷(よそ)の男がやってきて、その町に住み、そしてその製造法にふと考案をめぐらして、樹脂の代わりに漆を用い、また特に腕輪には、はんだづけにした鉄環(てつわ)の代わりにただ嵌(は)め込んだ鉄環を使った。ただそれだけの変化であったが、それがほとんど革命をきたした。
 ただそれだけの変化ではあったが、それは実際、原料の価をいちじるしく低下さした。そのため、第一には賃金を高くして、その地方の利益となり、第二にはその製造法を改善して、購買者の得となり、第三には多くもうけながらもなお安く売ることができて、製造者側の利得ともなった。
 かくてただ一つの考案から三つの結果が生じた。
 三年もたたないうちに、その方法の発明者は結構なことには金持ちになり、そしてなお結構なことには周囲の人々をも金持ちにした。彼はその地方の人ではなかった。だれもその生国を知ってる者はなく、またやってきた初めもあまり人の注意をひかなかった。
 人の噂によれば、彼は高々数百フランくらいのはした金を持って町にやってきたという。
 彼はそのわずかな金を、巧みな考案の実施に使い、だんだん注意してそれを殖(ふや)し、ついに一財産を作り上げ、またその地方全体を富ましたのだった。
 モントルイュ・スュール・メールにやってきたときには、彼はただ一個の労働者然たる服装と様子と言葉つきをしてるのみだった。
 たしか、十二月のある夕方、背に背嚢(はいのう)を負い手に荒い杖をついて彼がこっそりとモントルイュ・スュール・メールの小さな町にはいってきた時、ちょうど大火が町の役所に起こった。その男は炎の中に飛び込んで、身の危険をも顧みず二人の子供を助け出した。それは憲兵の隊長の子供だった。そのため彼の通行券を調べてみようとする人もなかった。そのことのあってから彼の名前は人々に知られた。それはマドレーヌさんというのだった。

     二 マドレーヌ

 その男は約五十歳ばかりで、何かに気を取られてるようなふうをしていて、また親切だった。彼について言い得ることはただそれだけであった。
 彼がうまく改良してくれたその工業の急速な進歩のお陰で、モントルイュ・スュール・メールは著名な産業の中心地となった。擬(まが)いの黒玉を多く消費するスペインからは、毎年莫大な注文があった。その取り引きにおいては、モントルイュ・スュール・メールは、ほとんどロンドンやベルリンなどと肩を並べるまでになった。マドレーヌさんの利益は非常なもので、二年目にはもう、男女のためにそれぞれ広い仕事場を備えた大きな工場を建てるまでになった。飢えた者があれば、その工場に行きさえすればきっと仕事とパンとが得られるのだった。マドレーヌさんは、男には善良な意志、女には純潔な風儀、そしてすべての人に誠実なることを求めた。彼は男女を分離し、娘や女たちに貞節を保たせんために、その仕事場を二つに分けていた。その点においては彼は一歩もまげなかった。彼がいくらか厳酷であったのは、ただその点に関してだけだった。モントルイュ・スュール・メールは兵営のある町で、風俗の乱れる機会が非常に多かったので、なおいっそう彼は厳格だったのである。とにかく彼がそこにきたことは一つの恩恵であり、彼がそこにいることは天の賜物であった。マドレーヌさんが来る前までは、その地方はすべてが萎靡(いび)していた。が今ではすべてが労働の聖(きよ)い生命に生き上っていた。盛んな活動がすべてのものをあたため、またいたる所に流れ入っていた。仕事の欠乏や困窮はもう知られなかった。いかなる粗末な蟇口(がまぐち)の中にも金のないことはなく、いかなるあわれな住家にも何らかの喜びのないことはなかった。
 マドレーヌさんはいかなる人をも使った。彼はただ一つのことをしか要求しなかった、すなわち正直な人たれ! 正直な娘たれ!
 前に述べたとおり、マドレーヌは自らその原動力であり中心であった活動のうちにあって、財産を作ったのだった。しかし単なる商人としてはかなり妙なことであるが、何だか金を得ることが彼の主な意図であるようには見えなかった。他人のことのみ多く考えて自分のことはあまり考えないようだった。一八二〇年には、ラフィット銀行へ自分の名前で六十三万フランの金額を預けていたそうである。しかし六十三万フランを貯蓄する前に、彼は既に町のためや貧しい人々のために百万フラン以上を使っていたのである。
 町の病院は設備がはなはだ不十分だったので、彼はそこに十個の寝台を寄付した。モントルイュ・スュール・メールの町は山の手と下町とに分かれていた。彼が住んでいた下町にはただ一つの学校しかなくて、それもこわれかけたひどい破屋(あばらや)だった。で彼は二つの学校を建てた、一つは女の子のために、一つは男の子のために。そして彼はその両方の教師に、官からもらえる薄給の二倍の給料を自分の金で払ってやった。そのことを驚いてるある人に向かって彼の言ったことがある、「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです。」自分の金で彼はまた、当時ほとんどフランスに知られていなかった幼稚園を建て、また老衰してる労働者や身体のきかない労働者のために救済基本金を出した。彼の製作所は一つの中心をなしていたので、多くの貧困な家族らが住む新しい街区がまわりににわかにできてきた。彼はそこにまた無料の薬店を建ててやった。
 初めのうちは、彼が仕事をやり出すのを見て口善悪(くちさが)ない人々は言った。「金もうけをたくらんでる豪気な男だな。」ところが自分で金をためる前にその地方を富ましてやってるのを見て、彼らはまた言った、「ははあ野心家だな。」そのことがある点まで当たってるらしく思われた事には、彼は宗教を信じていて、当時いいこととせられていた教義を守ることをある程度まで行なっていた。彼は日曜日には必ず低唱弥撒(ミサ)を聞きに教会へ出かけて行った。いたる所に競争心をかぎつけるその地方の一代議士は、やがて彼の信仰に不安を覚え出した。その代議士はもと帝政時代に立法部の一員であって、彼がその子分であり友だちであったオトラント公、すなわちフーシェという名前で世に知られているオラトアール派の一長老と、宗教上の意見を同じくしていた。内々で彼は神のことをそれとなく笑っていた。しかし金持ちの工場主マドレーヌが七時の低唱弥撒に行くのを見て、自分の競争者が現われたように思い、マドレーヌに打ち勝とうと決心した。彼はゼジュイット派の牧師を懺悔(ざんげ)聴聞者に選び、大弥撒や夕の祈祷などに出かけて行った。当時の野心なるものは文字どおりに鐘楼への競争であった。そういう警戒から、貧しい人たちも神と同じく利益を得た。何となればそのりっぱな代議士もまた病院に二つの寝台を寄付したのだから。それで寄付の寝台は十二になったわけである。
 そのうち一八一九年に、ある朝、一つの噂が町中に広まった。マドレーヌさんが、知事の推挙とその地方に施した功績とによって、国王からモントルイュ・スュール・メールの市長に任命されるということであった。新来の彼を野心家だなどと言った人たちは、喜んでその望みどおりの機会をとらえて言った、「それみたことか、俺たちは何と初めに言ったか。」モントルイュ・スュール・メールの町中はどよめいた。噂は果して事実であった。数日後には、その任命が官報に出た。がその翌日、マドレーヌさんは辞退した。
 その同じ一八一九年に、マドレーヌの発明した新製造法に成る製品は工業博覧会に出て人目をひいた。審査員の報告によって、国王はその発明者にレジオン・ドンヌールのシュヴァリエ章を付与した。小さな町の人たちはまた一騒ぎした。「なるほど、彼が望んでいたのは勲章だな!」けれどもマドレーヌさんはその勲章を辞して受けなかった。
 まさしくその男は一の謎(なぞ)であった。口善悪(くちさが)ない人々はかろうじて、こんな苦しいことを言い出した、「つまり彼は一種の山師だ。」
 前に述べたとおり、その地方は多く彼のお陰を被むり、貧しい人々はすべてにおいて彼のお陰を被っていた。彼はかく世に有用な人だったので、ついに人々は彼を尊敬するようになり、また彼はひどく穏やかな人物だったので、人々はついに彼を愛するようになった。特に彼から使われてる職工らは彼を崇拝した、そして彼はその崇拝を受くるに一種の憂鬱(ゆううつ)な重々しい態度をもってした。彼が金持ちだということが一般に知れ渡ると、「社交界の人々」は彼に頭を下げ、町では彼をマドレーヌ氏と呼んだ。が彼の職工や子供たちはやはりマドレーヌさんと呼んでいた。そして彼はその呼び方の方を喜んでいた。彼の地位が高まるにつれて、招待は降るがようにやってきた。「社交界」は彼を引き入れようとした。モントルイュ・スュール・メールの気取った小客間は、初めのうちは言うまでもなくこの職人には閉ざされていたが、今ではその分限者に向かって大きく開かれた。その他百千の申し出があった。しかし彼はそれをみな断わった。
 そういうことになっても、人の陰口はやまなかった。
「彼は無学であまり教育のない男だ。いったいどこからやってきた奴(やつ)かわかりもしない。上流社会に出ても作法も知らないのだろう。字が読めるということの証拠さえないじゃないか。」
 彼が金をもうけるのを見た時には、人々は言った、「彼奴(あいつ)は商人だ。」彼が金をまき散らすのを見ては人々は言った、「彼奴は野心家だ。」彼が名誉を辞退するのを見ては人々は言った、「彼奴は山師だ。」また彼が社交界を断わるのを見ては人々は言った、「彼奴は下等な人間だ。」
 彼がモントルイュ・スュール・メールにやってきて五年目に、すなわち一八二〇年に、その地方における彼の功績は赫々(かくかく)たるものがあり、その地方の衆人の意見も一致していたので、国王は再び彼を市長に任命した。彼はこのたびもまた辞退した。しかし知事はその辞退を受けつけず、知名な人々は彼のもとに懇願にき、一般の人たちは大道で彼に哀願し、それらの強請がいかにも激しくなったので、彼もついに職を受けることになった。ことに彼をそう決心さしたのは、卑しい一人の年寄った婦人がほとんど怒ったような調子で彼に浴びせかけた言葉だったらしいということである。その女は門口の所で強く叫びかけた、「いい市長さんがあるのは大事なことです。人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか。」
 かくてそれは彼の立身の第三段であった。マドレーヌさんはマドレーヌ氏となり、マドレーヌ氏は市長殿となったのである。

     三 ラフィット銀行への預金額

 けれども彼はなお初めのほどと同じように質朴だった。灰色の髪、まじめな目付き、労働者のように日に焼けた顔色、哲学者のように考え深い顔付き。いつも縁広(ふちびろ)の帽子と、えりまでボタンをかけた粗末なラシャの長いフロックコート。市長たるの職務を尽しはしたが、それ以外には孤独な生活を送っていた。人にもあまり言葉をかけなかった。丁重な仕方をすべて避け、簡単なあいさつにとどめ、さっさと行ってしまい、話をするよりもむしろただほほえみ、ほほえむよりもむしろ金を与えた。女たちは彼のことを言った、「何という人の良い世間ぎらいだろう!」彼の楽しみは野外を散歩することだった。
 彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。よく精選された少しの書籍を持っていた。書物を愛していた。書物は冷ややかではあるが完全な友である。財産とともに暇ができるにつれて、彼は自分の精神を啓発するのにその時間を使ったらしかった。モントルイュ・スュール・メールにきて以来、一年一年といちじるしく彼の言葉は丁寧になり、上品になり、優しくなっていった。
 彼は散歩の時好んで小銃を持って出たが、それを使うのは稀(たま)にしかなかった。たまたまそれを使うような時には、その射撃は当たらないということがなく、人を恐れさせるほどだった。かつて彼は無害な動物を殺さなかった。またかつて彼は小鳥を撃たなかった。
 もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえてるということだった。必要な者には手助けをしてやって、たおれた馬を起こしてやったり、泥濘(でいねい)にはまった車を押してやったり、逃げ出した牡牛(おうし)の角をつかんで引き止めてやったりした。家を出かける時はいつもポケットに金をいっぱい入れていたが、帰って来る時にはみな無くなっていた。彼が村を通る時には、襤褸(ぼろ)を着た子供たちが喜ばしそうに彼の後を追っかけてき、蠅(はえ)の群れのように彼を取り巻いた。
 彼は以前田舎(いなか)に住んでいたに違いないと思われた。なぜなら、あらゆる有益な秘訣(ひけつ)を知っていて、それを百姓どもに教えてやったからである。麦の虫を撲滅するために、普通の塩水を穀倉に撒布(さんぷ)しまた床板(ゆかいた)の裂け目に流し込んでおくことを教えたり、穀象虫を駆除するために、壁や屋根やかき根や家の中などすべてにオリヴィオの花をつるしておくことを教えたりした。空穂草や黒穂草や鳩豆(はとまめ)草やガヴロールや紐鶏頭(ひもけいとう)など、すべて麦を害する有害な雑草を畑から根絶させるための種々な「処方」を知っていた。また養兎(ようと)場に天竺鼠(てんじくねずみ)を置いてそのにおいで野鼠の来るのを防がした。
 ある日彼は、その地方の人々が一生懸命に蕁麻(いらぐさ)を抜き取ってるのを見かけた。その草が抜き取られて、うずたかく積まれながらかわき切ってるのをながめて、彼は言った。「もう枯れてしまってる。だがその使い道を心得ておくのはいいことだ。この蕁麻(いらぐさ)はその若い時には、葉がりっぱな野菜となる。時がたつと、苧(からむし)や麻のように繊維や筋がたくさんできる。蕁麻の織物は麻の布と同じようだ。また細かく切れば家禽(かきん)の食物にいい。搗(つ)き砕けば角のある動物にいい。その種を秣(まぐさ)に混ぜて使えば動物の毛並みをよくする。根は塩と交ぜれば黄色い美しい絵具(えのぐ)となる。そのうえ蕁麻はりっぱな秣で二度も刈り取ることができる。作るにしても何の手数もいらない。少しの地面さえあれば、手入れをすることもいらないし、地面を耕す必要もない。ただその種子は熟すにつれて地に落ちるので、収穫に少し困難である。ただそれだけのことだ。ちょっと手をかけてやれば、蕁麻(いらぐさ)はごく益(やく)に立つんだが、うっちゃっておけば害になる。害になるようになって人はそれを枯らしてしまう。人間にもまったく蕁麻に似たものが随分ある!」それからちょっと黙って彼はまたつけ加えた。「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。」
 子供たちはいっそう彼が好きであった。麦藁(むぎわら)や椰子(やし)の実(み)でちょっとしたおもしろい玩具(おもちゃ)をこしらえてくれたからである。
 教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこにはいって行った。ちょうど人々が洗礼式をさがすように、彼は埋葬をさがした。また優しい心を持っていたので、寡婦暮(やもめぐら)しや他人の不幸に彼は心をひかれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族や、柩(ひつぎ)のまわりに悲しんでる牧師らに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えをうち任してるようだった。目を天に向け、無限のあらゆる神秘に対する一種のあこがれの情をもって彼は、死の暗い深淵の縁に立って歌うそれらの悲しい声に耳を傾けた。
 彼はたくさんの善行をなしたが、悪事を行なう時人が身を隠してするように、ひそかにそれをなした。彼は人知れず夕方多くの人家にはいり込み、そっとはしご段を上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰って来ると、自分の不在中に戸が開かれてるのを見いだす。それも時としては無理にこじあけられてるのである。彼は叫ぶ、「ああどんな悪者がきたんだろう!」しかるに家にはいって最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられてる金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。
 彼は慇懃(いんぎん)でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢(ごうまん)でなく、幸福であっても満足のふうをしていない。」
 ある人々は、彼をもって不可思議な人物と見なし、決してだれもはいったことのない彼の室には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わした脛骨(けいこつ)や死人の頭蓋骨(ずがいこつ)などが飾られていて、いかにも隠者の窖(あなぐら)のようだと言った。その噂は広く町にひろがって、ついにはモントルイュ・スュール・メールのりっぱな若い婦人で意地の悪い者が四、五人集まって、ある日彼の家を訪れて彼に願った。「市長さん、あなたのお室を見せて下さいな。世間では洞窟(どうくつ)だと言っていますから。」彼はほほえんで、即座にその「洞窟」へ彼女らを導いた。彼女らは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ十二スーの壁紙が張られてる室にすぎなかった。そして彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな町に住んでる者にふさわしい注意である。
 それでもなお、彼の室にはだれもはいった者がなく、それは隠士の洞窟で、穴倉であり、穴であり、墓穴であるといわれていた。
 また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際においては、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。

     四 喪服のマドレーヌ氏

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下と綽名(あだな)せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。
 新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年来盲目であった、そして妹がそばにいてくれるので彼はその盲目に満足していたのだった。
 ついでに言う。盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である。自分の傍(かたわら)に絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要とし、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるごとく、自分もまた彼女になくてならない者であることを知る。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言う、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。彼女の顔は見えないけれどもその考えを見る。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦(きぬず)れの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分は、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思う。各瞬間ごとに、彼女が自分に心牽(ひ)かれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒のうちに、また暗黒によって、自ら太陽となり、そのまわりにはこの天使が回転している。かくのごときはほとんど類(たぐ)いまれなる幸福というべきである。人生最上の幸福は、愛せられているという確信にある。直接自分自身が愛せられる、いや、むしろ自分自身の如何(いかん)にかかわらず愛せられるという確信にある。そういう確信は盲者にして初めて有し得る。惨(いた)ましき盲目のうちにおいては、世話を受くるはすなわち愛撫(あいぶ)を受くることにほかならない。彼にはその他に何かが不足するであろうか。いや。愛を有する以上、光明を失ったものではない。しかもその愛はいかなる愛であるか。まったく徳操をもって作られた愛である。確実なる信念があるところに失明なるものは存しない。魂は手探りに魂をさがしそれを見いだす。しかもその見いだされとらえられた魂は、一個の婦人である。汝をささえてくれる手、それは彼女の手である。汝の額に触れてくれる脣(くちびる)、それは彼女の脣である。汝はすぐそばに呼吸の音をきく、それは彼女である。その崇拝より憐憫(れんびん)に至るまで彼女のすべてを所有する。決してそばを離れられることがない。その弱々しい優しさで助けられる。その心確かな蘆(あし)のごとき弱き女性に身をささえる。直接おのれの手をもって神の摂理にふれ、おのれの腕のうちにそれを、肌に感じ得る神をいだく。これ実にいかなる喜悦であろうぞ! その心は、その人知れぬ聖(きよ)き花は、神秘のうちにひらく。それはあらゆる光明にもまさった影である。天使の魂がそこにある、常にある。もしそれが立ち去ることあっても、また再び帰りきたらんがためにである。それは夢のごとくに姿を消し、現実のごとくに再び現われる。暖きものの近づくのを感ずる時にはもはや、それがそこにある。清朗と喜悦と恍惚(こうこつ)とに人は満たされる。暗夜のうちにおける輝きである。そして数々の細かな心尽し。些細(ささい)なものもその空虚のうちにあっては巨大となる。得も言えぬ女声の音調は汝を揺籃(ゆりかご)に揺すり、汝のために消え失せし世界を補う。魂をもって愛撫せらるるのである。何物も見えないが、しかし鍾愛(しょうあい)せられてるのを感ずる。それは実に暗黒の楽園である。
 ビヤンヴニュ閣下は、かくのごとき楽園より他の天国へと逝(い)ったのであった。
 彼の死の報知は、モントルイュ・スュール・メールの地方新聞にも転載された。マドレーヌ氏はその翌日から、黒の喪服をつけ帽子に黒紗を巻いた。
 町の人々はその喪装に目を止めて、いろいろ噂をし合った。そのことはマドレーヌ氏の生まれについて一つの光明を投ずるものと思われた。人々は彼があの尊い司教と関係があるように推論した。
「彼はディーニュの司教のために黒紗をつけた、」と町の社交界で噂に上った。そのことは大いにマドレーヌ氏の地位を高め、にわかにモントルイュ・スュール・メールの貴族社会において重きをなすようになった。その小都市のサン・ジェルマンとも称すべき区郭の人々は、おそらく司教の身寄りの者であるマドレーヌ氏の四旬節の勤めを止めさせようとした。マドレーヌ氏はまた、年取った女らの敬意と年若い婦人らのほほえみとの増したことを見て、自分の地位の上がったことを認めた。ある晩、その小都市の交際社会の首脳ともいうべき一人の老婦人が、老人の好奇心から彼に尋ねたことがあった。「市長さんはきっと亡(な)くなられたディーニュの司教の御親戚でございましょうね。」
 彼はいった。「そうではありません。」
「けれども、」とその老婦人は言った、「あなたは司教のために喪服をつけていられるではありませんか。」
 彼は答えた。「それはただ、若い頃司教の家に使われていたことがあるからです。」
 なおも一つ人々の注意をひいたことには、地方を回って煙筒の掃除をして歩いてるサヴォア生まれの少年が町にやって来るたびごとに、市長はその少年を呼んで名前を尋ね、そして金を与えた。サヴォア生まれの少年らはそのことをよく語り合った、そしてわざわざやってきて金をもらってゆく者も多かった。

     五 地平にほのめく閃光

 しだいに、そして時がたつにつれて、反対はみななくなってしまった。立身した人々が常に受くることになってる中傷や誹謗(ひぼう)などは、初めマドレーヌ氏に対してもかなりなされたが、やがてそれらは単なる悪口になり、次ぎには単に陰口になり、ついにまったくなくなってしまった。全市挙(こぞ)って丁重に彼を尊敬し、一八二一年ごろには、モントルイュ・スュール・メールにおいて市長どのという言葉は、一八一五年ディーニュにおいて司教閣下と言われた言葉とまったく同じ調子で口に上せらるるようになった。その付近では、十里も隔たった所からマドレーヌ氏に相談に来る者もあった。彼は争論を終わらせ、訴訟を止め、敵同士を和解さしてやった。だれもみな彼を裁判官として奉じた、そしてそれも正当であった。彼は自然法則の書籍をもって心としているがようだった。あたかも伝染するがように彼に対する尊敬の念は、六、七年のうちにしだいにその地方全部に広まった。
 しかるに、町や地方を通じて、その尊敬の感染を絶対に受けないものがただ一人いた。マドレーヌさんがいかなることをなそうとも、彼はいつもそれに敵意を持ち、あたかも一種の乱し動かすを得ない本能によってさまされ警(いまし)められてるがようだった。実際ある種の人のうちには、あらゆる本能と同じく一つの動物的で純で完全な真の本能がなお存しているらしい。その本能は反感や同感を起こさせ、一性格の者と他の性格の者とを全然分け隔て、また自ら少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、惑うことなく、黙することなく、自らを欺くことなく、自らの愚昧(ぐまい)のうちに揺るがず、知力のあらゆる勧告や理性のあらゆる訴えにも、決して撓(たわ)むことなく、厳として軟化せず、運命がいかなる状態にあろうとも、ひそかに犬人に戒むるに猫人の存在をもってし、狐人に戒むるに獅子人の存在をもってする。
 マドレーヌ氏が愛情を含んだ穏かな様子で、万人の祝福にとりまかれながら町を通る時、しばしば鉄鼠色のフロックを着、大きなステッキを手にし、縁を引き下げた帽子をかぶっている背の高い一人の男が、突然彼の後ろからふり向いて、見えなくなるまで後姿を見送ってることがあった。そんな時その男は、腕を組み、軽く頭を振り、下脣と上脣(うわくちびる)とをいっしょに鼻の下までつき出して、一種の意味ありげな、しかめ顔をするのだった。その顔付きを翻訳してみればたぶんこんなことになるらしかった。
「いったいあの男は何者だろう?……確かにどこかで見たようだが。……いずれにしても俺はあんな奴に瞞(だま)されはしないぞ。」
 その男はほとんど人を脅威するほどの重々しい様子をしていて、ちょっと見ただけでも人の心をひくような者の一人だった。
 彼はジャヴェルといって、警察に出てる男であった。
 彼はモントルイュ・スュール・メールで、困難ではあるがしかし有用な方面監察の役目をしていた。彼はマドレーヌのきた当時のことを知らなかったのである。国務大臣で当時のパリーの警視総監をしていたアングレー伯の秘書官シャブーイエ氏の引き立てで、現在の地位を得たのだった。彼がモントルイュ・スュール・メールにきた時には、その大製造業者の財産は既にでき上がり、マドレーヌさんはマドレーヌ氏となっていた。
 警察のある種の役人は、陋劣(ろうれつ)と権威との交じった複雑な特別な相貌をそなえてるものである。ジャヴェルは陋劣の方を欠いたその特別な相貌を持っていた。
 吾人の確信するところによれば、もし人の魂なるものが目に見えるものであったならば、人間の各個人は各種の動物の何かに相当するものであるという不思議な一事を、人は明らかに知るであろう。そして、蠣(かき)から鷲(わし)に至るまで、また豚から虎(とら)に至るまで、すべての動物が人間のうちに存在し、各動物が各個人のうちに存在しているという、思想家がかろうじて瞥見(べっけん)する真理を、人はたやすく認め得るであろう。時としてはまた数匹の動物がいっしょに一人の人間のうちにあるということをも。
 動物は皆、われわれの善徳および悪徳の表象であって、われわれの眼前に彷徨(ほうこう)しわれわれの魂の目に見える幻影にほかならない。神はわれわれを反省せしめんがためにそれをわれわれに示す。ただ動物は影に過ぎないがゆえに、神は厳密なる意味において教育し得るがようには動物を作らなかったのみである。教育が何の役に立とうぞ? これに反してわれわれの魂は現実であり、自己本来の目的を持っているがゆえに、神はそれに知力を与えた、換言すれば教育の可能を。ゆえによく成されたる社会的教育は、いかなる魂にもせよ、魂のうちからそれが有する効用を引き出すことができる。
 かく言うのはもとより、表面に表われたる地上の生活に限らるる見地においてであって、人間以外の生物の先天的および後天的性格に関する深い問題を考えてのことではない。目に見える自己のために内部の自己を否定することは、いかなる意味においても思想家には許されないのである。それだけの制限をしておいて先に進もう。
 今しばらく、あらゆる人のうちには各種の動物のいずれか一つが存在しているということが許さるるならば、ここに警官ジャヴェルのうちにはいかなるものがいるかを述べるのは、いとたやすいことである。
 アスチェリーの農民の間には次のことが信ぜられている。狼(おおかみ)の子のうちには必ず一匹の犬の子が交じっているが、それは母狼から殺されてしまう、もしそうしなければその犬の子は大きくなって他の狼の子を食いつくしてしまうからである。
 その狼の子の犬に人間の顔を与えれば、それがすなわちジャヴェルである。
 ジャヴェルは骨牌占(カルタうらな)いの女から牢獄の中で生まれた。女の夫は徒刑場にはいっていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた、すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶのほかはなかった。同時にまた彼は、厳格、規律、清廉などの一種の根が自分のうちにあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察にはいった。
 彼はその方面で成功した。四十歳の時には警視になっていた。
 彼は青年時代には南部地方の監獄に雇われていたこともあった。
 さてこれ以上に言を進める前に、先にジャヴェルについて言った人間の顔ということを説明してみよう。
 ジャヴェルの人間の顔というのは、平べったい一つの鼻と、深い二つの鼻孔と、鼻孔の方へ頬の上を上っている大きな鬚(ひげ)とでできていた。その二つの鬚の森と二つの小鼻の洞穴とを見る者は、初めはだれもある不安を感ずるのであった。ジャヴェルは笑うことがごくまれであったが、その笑いは恐ろしく、薄い脣(くちびる)が開いて、ただに歯のみではなく歯齦(はぐき)までも現わし、野獣の鼻面にあるような平たい荒々しいしわが鼻のまわりにできた。まじめな顔をしている時はブルドッグのようであり、笑う時は虎のようだった。その上頭が小さく、頤(あご)が大きく、髪の毛は額を蔽(おお)うて眉毛の上までたれ、両眼の間のまん中に絶えず憤怒の兆のような、しかめた線があり、目付きは薄気味が悪く、口は緊(きっ)と引きしまって恐ろしく、その様子には強猛な威力があった。
 この男は、きわめて単純で比較的善良ではあるが誇張せられるためにほとんど悪くなっている二つの感情でできていた。すなわち、主権に対する尊敬と、反逆に対する憎悪と。そして彼の目には、窃盗、殺害、すべての罪悪は、ただ反逆の変形にすぎなかった。上は総理大臣より下は田野の番人に至るまでおよそ国家に職務を有する者を皆、盲目的な深い一種の信用のうちに包み込んで見ていた。一度法を犯して罪悪の方に踏み込んだ者を皆、軽蔑と反感と嫌悪(けんお)とをもって見ていた。彼は絶対的であって、いっさいの例外を認めなかった。一方では彼は言った、「職務を帯びてるものは誤ることはない、役人は決して不正なことをしないものだ。」他方ではまた彼は言った、「こいつらはもう救済の途はない、何らの善もなし得ない者だ。」世には極端な精神を有していて、刑罰をなすの権利あるいは言い換えれば刑罰を定めるの権利を人間の作った法則が持っているように信じ、社会の底に地獄の川スティックスを認める者がいる。ジャヴェルもまたそういう意見を多分に持っていた。彼は禁欲主義で、まじめで、厳格であった。憂鬱(ゆううつ)な夢想家であった。狂信家のように謙遜でまた傲慢(ごうまん)であった。彼の目は錐(きり)のごとく、冷たくそして鋭かった。彼の一生は二つの言葉につづめられる、監視と取り締まりと。彼は世間の曲りくねったものの中に直線を齎(もたら)した。彼は自己の有用をもって良心となし、自己の職務をもって宗教となしていた。彼の探偵たることはあたかも牧師たるがごとくであった。彼の手中に落ちたる者は不幸なるかなである。彼は父がもし脱獄したらんには父を捕縛し、母がもし禁令を犯したらんには母をも告発したであろう。そして徳行によって得らるるごとき一種の内心の満足をもってそれをなしたであろう。その上に、貧しい生活、孤独、克己、純潔をもってし、何らの遊びにもふけらない。彼は厳格なる義務それ自身であり、あたかもスパルタ人らがスパルタに身をささげたがごとくに献身的な警官であり、無慈悲な間諜(かんちょう)であり、恐るべき正直さであり、冷酷なる探偵であり、名探偵ヴィドックのうちに住むブルツスであった。
 ジャヴェルの全身は、物をうかがいしかも身を潜める男そのものを示していた。当時のいわゆる急進派新聞に高遠な宇宙形成論の色をつけていたジョゼフ・ド・メーストルを頭(かしら)とする神秘派は、必ずやジャヴェルを一つの象徴であると称(たた)えたであろう。彼の額は帽子の下に隠れて見えず、彼の目は眉毛に蔽(おお)われて見えず、その頤(あご)はえり飾りのうちに埋まって見えず、その両手は袖のうちに引っ込んで見えず、その杖はフロックの下に隠されて見えなかった。しかしながら一度時機至れば、角張った狭い額、毒々しい目付き、脅かすような頤、大きな手、および恐ろしい太い杖などが、その陰のうちから突然伏兵の立つように現われて来るのであった。
 暇とてはめったになかったが、もし暇があれば彼は、書物はきらいではあったが、それでもなお何か読んでいた。してみれば、彼はまったくの無学ではなかったらしい。またそれは彼の言葉のうちの一種の大げさな調子でもわかることだった。
 彼が何らの悪徳をも持たないことは、前に言ったとおりである。自ら満足に感じてる時には一服煙草を吸うことにしていた。そこだけが彼の普通の人間らしいところだった。
 たやすく察せらるるとおり、ジャヴェルは、司法省の統計年鑑のうちに無頼漢と朱書せられてる一種の階級からは非常に恐れられていた。ジャヴェルという名は彼らを狼狽(ろうばい)さした。ジャヴェルの顔は彼らを縮み上がらした。
 この恐ろしい男は上述のとおりの者であった。
 ジャヴェルは絶えずマドレーヌ氏の上に据えられてる目のごときものだった。疑念と憶測とに満ちた目だった。マドレーヌ氏もついにそれを気づくようになった。しかし彼は別に何とも思っていないらしかった。ジャヴェルに一言の問いをもかけず、またジャヴェルの姿をさがすでもなく避けるでもなく、その気味悪い圧迫するような目付きをじっと受けながら別に気に留めてもいないらしかった。彼はジャヴェルをも他のすべての人と同じく平気で温和に取り扱っていた。
 ジャヴェルの口からもれた二、三の言葉から察すれば、彼は彼ら仲間特有のそして意志とともにまた本能から由来する一種の好奇心をもって、マドレーヌさんが他の所に残してきた前半生の足跡を秘密に探っていたらしい。ある行方(ゆくえ)不明の一家族に関してある地方で多少の消息を得ている者がいるということを、彼は知っているらしかった、また時としては暗にそれを言葉に現わすこともあった。ある時などは彼はふとこう独語した、「彼奴の尻尾(しっぽ)を押さえたようだ!」それから彼は三日の間一言も口をきかずに考え込んでいた。そしてとらえたと思った糸も切れたらしかった。
 しかしおよそ、そしてこれはある言葉はあまりに絶対的の意味を現わすかも知れないということに対する必要な緩和物であるが、人間のうちには真に確実なるものはあり得ないものである、そしてまた本能の特質は乱され惑わされ迷わされ得るということにあるものである。もししからずとすれば、本能は知力にまさり、動物は人間よりもすぐれたる光明を有するに至るであろう。
 ジャヴェルは明らかに、マドレーヌ氏のまったくの自然さと落ち着きとによって、やや心を惑わされたのであった。
 けれどもある日、彼の不思議な態度はマドレーヌ氏に印象を与えたらしかった。いかなる場合でかは次に述べよう。

     六 フォーシュルヴァンじいさん

 ある朝マドレーヌ氏は、モントルイュ・スュール・メールの敷石のない小さな通りを通っていた。その時彼は騒ぎを聞きつけ、少し向こうに一群の人々を認めた。彼はそこに行ってみた。フォーシュルヴァンじいさんと呼ばれている老人が、馬の倒れたため馬車の下に落ちたのだった。
 このフォーシュルヴァンは、当時マドレーヌ氏がまだ持っている少数の敵の一人だった。マドレーヌがこの地にやってきた当時、以前は公証人をしていて田舎者としてはかなり教育のあるフォーシュルヴァンは、商売をしていたが、それがしだいにうまくゆかないようになりはじめていた。彼はその一職人がしだいに富裕になってゆくのを見、また人から先生と言われている自分がしだいに零落してゆくのを見た。それは彼に嫉妬(しっと)の念を燃やさした。そして彼はマドレーヌを害(そこな)うために機会あるごとにできるだけのことをした。そのうちに彼は破産してしまった。そして年は取っており、もはや自分のものとしては荷車と馬とだけであり、その上家族もなく子供もなかったので、食べるために荷馬車屋となったのだった。
 さて馬は両脚(りょうあし)を折ったので、もう立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。車にはかなり重く荷が積まれていた。フォーシュルヴァンじいさんは悲しそうなうめき声を立てていた。人々は彼を引き出そうとしてみたがだめだった。無茶なことをしたり、まずい手出しをしたり、下手(へた)に動かしたりしようものなら、ただ彼を殺すばかりだった。下から車を持ち上げるのでなければ、彼を引き出すことは不可能だった。ちょうどそのでき事の起こった時にき合わしたジャヴェルは、起重機を取りにやっていた。
 マドレーヌ氏がそこにやってきた。人々は敬意を表して道を開いた。
「助けてくれ!」とフォーシュルヴァン老人は叫んだ。
「この年寄りを助けてくれる者はいないか。」
 マドレーヌ氏はそこにいる人々の方へふり向いた。
「起重機はありませんか。」
「取りに行っています。」と一人の農夫が答えた。
「どれくらいかかったらここにきますか。」
「一番近い所へ行っています、フラショーで。そこに鉄工場があります。しかしそれでも十五分くらいはじゅうぶんかかりましょう。」
「十五分!」とマドレーヌは叫んだ。
 前の日雨が降って地面は湿って柔らかになっていた。車は刻一刻と地面にくい込んで、しだいに老荷馬車屋の胸を押しつけていった。五分とたたないうちに彼は肋骨(ろっこつ)の砕かれることはわかりきっていた。
「十五分も待てはしない。」とマドレーヌはそこにながめている農夫らに言った。
「仕方がありません!」
「しかしそれではもう間に合うまい。車はだんだんめいり込んでゆくじゃないか。」
「だと言って!」
「いいか、」とマドレーヌは言った、「まだ車の下にはいり込んで背中でそれを持ち上げるだけの余地はじゅうぶんある。ちょっとの間だ。そしたらこのあわれな老人を引き出せるんだ。だれか腰のしっかりした勇気のある者はいないか。ルイ金貨(訳者注 二十フランの金貨)を五枚あげる。」
 一群の中で動く者はだれもなかった。
「十ルイ出す。」とマドレーヌは言った。
 そこにいる者は皆目を伏せた。そのうちの一人はつぶやいた。「滅法に強くなくちゃだめだ。その上自分でつぶされてしまうかも知れないんだ。」
「さあ!」マドレーヌはまた言った、「二十ルイだ!」
 やはりだれも黙っていた。
「やる意志が皆にないのではない。」とだれかが言った。
 マドレーヌ氏はふり返った、そしてジャヴェルがそこにいるのを知った。彼はきた時にジャヴェルのいるのに気がつかなかったのである。
 ジャヴェルは続けて言った。
「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」
 それから彼は、マドレーヌ氏をじっと見つめながら、一語一語に力を入れて言った。
「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」
 マドレーヌは慄然(ぞっ)とした。
 ジャヴェルは無とんちゃくなようなふうで、しかしやはりマドレーヌから目を離さずにつけ加えた。
「その男は囚人だったのです。」
「え!」とマドレーヌは言った。
「ツーロンの徒刑場の。」
 マドレーヌは青くなった。
 そのうちにも荷車はやはり徐々にめいり込んでいっていた。フォーシュルヴァンは息をあえぎ叫んだ。
「息が切れる! 胸の骨が折れそうだ! 起重機を! 何かを! ああ!」
 マドレーヌはあたりを見回した。
「二十ルイもらってこの老人の生命を助けようと思う者はだれもいないのか?」
 だれも身を動かさなかった。ジャヴェルはまた言った。
「起重機の代わりをつとめる者はただ一人きり私は知りません。あの囚人です。」
「ああ、もう私はつぶれる!」と老人は叫んだ。
 マドレーヌは頭を上げ、見つめているジャヴェルの鷹(たか)のような目付きに出会い、じっとして動かない農夫らを見、それから淋しげにほほえんだ。そして一言も発しないで、膝を屈(かが)め、人々があッと叫ぶ間もなく車の下にはいってしまった。
 期待と沈黙との恐ろしい一瞬間が続いた。
 マドレーヌがその恐ろしい重荷の下にほとんど腹這(ば)いになって、二度両肱(りょうひじ)と両膝(りょうひざ)とを一つ所に持ってこようとしてだめだったのが、見て取られた。人々は叫んだ。
「マドレーヌさん! 出ておいでなさい!」フォーシュルヴァン老人自身も言った。「マドレーヌさん、およしなさい! 私はどうせ死ぬ身です、このとおり! 私のことはかまわないで下さい! あなたまでつぶれます!」しかしマドレーヌは答えなかった。
 そこにいる人々は息をはずました。車輪はやはり続いてめいり込んでいた。そしてもうマドレーヌが車の下から出ることはほとんどできないまでになった。
 突然人々の目に、その車の大きい奴が動き出し、だんだん上がってき、車輪は半ば轍(わだち)から出てきた。息を切らした叫び声が聞えた。「早く! 手伝って!」マドレーヌが最後の努力をなしたのだった。
 人々は突き進んだ。一人の人の献身がすべての者に力と勇気とを与えた。荷馬車は多数の腕で引き上げられた。フォーシュルヴァン老人は救われた。
 マドレーヌは立ち上がった。汗が流れていたが青い顔をしていた。服は破れ泥にまみれていた。一同は涙を流した。その老人は彼の膝に脣(くちびる)をつけ、神様と呼んだ。彼は幸福な聖い苦難の言い難い表情を顔に浮かべていた、そしてジャヴェルの上に静かな目付きを向けた。ジャヴェルはなお彼を見つめていた。

     七 パリーにてフォーシュルヴァン庭番となる

 フォーシュルヴァンは荷馬車から落ちる時に膝蓋骨(しつがいこつ)をはずしたのだった。マドレーヌさんは彼を病院に運ばせた。その病院は工場と同じ建物のうちに労働者らのために彼が設けたもので、慈恵院看護婦の二人の修道女がいっさいの用をしていた。翌朝老人は寝台わきの小卓の上に千フランの手形を見い出した。手形とともに、「小生は貴下の荷車と馬とを買い受け候」というマドレーヌさんの書いた紙片があった。荷車はこわれ馬は死んでいたのである。フォーシュルヴァンは全快した、しかし膝の関節は不随になったままだった。マドレーヌ氏は修道女たちと司祭との推薦を得て、パリーのサン・タントアーヌ街区の女修道院の庭番にその老人を世話してやった。
 その後しばらくしてマドレーヌ氏は市長に任ぜられたのである。全市に対して全権を有せしむる市長の飾り帯をマドレーヌ氏がつけている所を初めて見た時、ジャヴェルは主人の衣の下に狼のにおいをかいだ犬のような一種の戦慄(せんりつ)を感じた。その時以来、彼はできるだけマドレーヌを避けた。ただ職務上やむを得ず他に方法がなくて市長と顔を合わせなけれはならないような時には、深い敬意を表しながら口をきいていた。
 マドレーヌさんによって持ちきたされたモントルイュ・スュール・メールの繁栄は、前に述べた種々の外見上の徴候ででもわかるが、なお他にも一つの証拠があった。それはちょっと目にはつかないものであるが等しく意義深いものである。そしてそれは常に誤り無いものである。人民が苦しんでいる時、仕事が不足している時、商売が不振である時には、納税者は困窮のために課税を拒みまたは納期を過ごし、政府の方では強制し徴収するために多くの金を浪費する。けれども仕事が多く一般に幸福で富んでいる時には、税金はわけもなく納入せられ、政府の費用は少なくなる。すなわち民衆の貧富は常に正しい寒暖計を、すなわち租税徴収の費用を持っている。ところで、モントルイュ・スュール・メールの郡においては、七年間に租税徴収の費用はその四分の三を減じた。それで時の大蔵大臣ド・ヴィレール氏から特にこの郡を模範としてしばしばあげられたほどであった。
 ファンティーヌが戻ってきた時は、その地方は右のような状態であった。がだれももう彼女を覚えていなかった。幸にもマドレーヌ氏の工場の扉は彼女を親しく迎えてくれた。彼女はそこへ行って、女工の仕事場にはいることを許された。その仕事はファンティーヌには新しくて上手にやることができなかった。終日働いても大して金にならなかった。しかしそれでも事は足りた。問題は解決された。彼女は自分の手で生活をしていった。

     八 ヴィクチュルニヤン夫人三十五フランをもって貞操を探る

 ファンティーヌは自分で暮らしてゆけるのをみて、一時は非常に喜びを感じた。自分で働いて正直に暮らしてゆくということは、何という天の恵みであろう! 労働の趣味が本当に彼女に戻ってきた。彼女は鏡を一つ買って、自分の若さやりっぱな髪の毛や美しい歯などを映して見ては楽しみ、多くのことを忘れてしまい、もう自分のコゼットのことや未来の希望などのことをしか考えなかった、そしてほとんど幸福であった。小さな室を一つ借り、これから働いて代を払うということにして種々な道具を備えた。それだけは以前のだらしない習慣の名残りだった。
 彼女は結婚したことがあると言いかねて、前にちょっと言っておいたとおり、自分の小さな女の児のことについては何にも言わないようにつとめていた。
 初めのうちは、前に述べたとおり、彼女はきちょうめんにテナルディエの所へ金を送っていた。けれど彼女はただ自分の名が書けるだけだったから、テナルディエの所へ手紙をやるには代書人に書いてもらわなければならなかった。
 彼女はたびたび手紙を出した。それが人目をひいた。ファンティーヌは「よく手紙を書いてる」とか「気取ってる」とかいう低い噂が女工の部屋(へや)に立ちはじめた。
 およそ人の行為は、それに関係のない者が一番その機密を知りたがるものである。――なぜあの人はいつも夕方にしかこないんだろう。だれそれさんはなぜ木曜日にはきっと出かけるんだろう。なぜあの人はいつも裏通りばかり歩くんだろう。なぜあの夫人はいつも家よりずっと手前で馬車からおりるんだろう。なぜあの奥さんは家にたくさんあるのにペーパーを買いにやるんだろう。云々(うんぬん)――世にはそういう人がいるものである。彼らはもとより自分には何ら関係のないそれらの謎(なぞ)の鍵(かぎ)を得んがためには、多くの善事をなし得てあまりあるほどの金と時間と労力とを費やす。そしてそれもただいたずらに自分の楽しみのためにするのであって、好奇心をもって好奇心をつぐのうばかりである。彼らは何日間も男や女の後(あと)をつけてみたり、町角や木戸口に寒い雨の降る晩数時間立番をしてみたり、小僧に金を握らしたり、辻馬車屋や徒僕を煽(おだ)てたり、女中を買収したり、門番を取り入れたりする。それもなぜであるか。何の理由もない。ただ見たい知りたい探りたいがためのみである。ただ種々なことを言いふらしてみたいためのみである。そして往々にして、それらの秘密が知られ、それらの不思議が公にされ、それらの謎が白日の光に照らさるる時には、災難、決闘、失脚、家庭の没落、生涯の破滅などをきたし、それがまた、何らの利害関係もなく単なる本能から「すべてを発見した」彼らの大なる喜びとなるのである。まことに痛むべきことである。
 ある人は単に噂をしたい心から悪者となることがある。彼らの会話、客間での世間話、控え室での饒舌(じょうぜつ)は、すみやかに薪(まき)を燃やしつくす炉のごときものである。彼らには多くの燃料がいる。そしてその燃料はすなわち近所の人々である。
 かててファンティーヌは人から目をつけられた。
 その上に、彼女の金髪と白い歯をうらやむ者も一人ならずいた。
 ファンティーヌがしばしば人中でそっとわきを向いて涙をふくことが、工場の中で見て取られた。それは彼女が子供のことを、そしておそらくはまたかつて愛した男のことを、考えている時なのだった。
 過去のわびしい絆(きずな)をたち切ることは、痛ましい仕事である。
 ファンティーヌが少なくとも月に二回、いつも同じあて名で、配達料をも払って、手紙を出すということが確かになった。ついには、モンフェルメイュ旅館主テナルディエ様というあて名まで知られてしまった。人々は酒場で代書人にしゃべらしたのだった。代書人は人のいい老人だったが、秘密の袋をあけないではいい酒で胃袋を満たすこともできなかったのである。要するに、人々はファンティーヌが子供を持ってることを知った。「どうしても普通の娘ではない。」ある一人の饒舌(じょうぜつ)な女は、モンフェルメイュまで出かけて行き、テナルディエ夫婦と話をして、帰ってきて言った。「三十五フラン使ってやっとわかった。子供も見てきました!」
 そういうことをしたその饒舌家は、ヴィクチュルニヤンという恐ろしい女で、すべての人の徳操の番人で門番だった。ヴィクチュルニヤン夫人は五十六歳で、顔が醜いうえに年を取っていた。震え声で移り気だった。こんな婆さんにも不思議と一度は若い時があったのである。その若いころ、一七九三年の騒動最中に、革命の赤帽をかぶって修道院から逃げ出しベルナール宗派から過激民主派へ変節した一人の修道士と、結婚したことがあった。彼女は冷酷で、ひねくれて、頑固で、理屈っぽく、気むずかしく、ほとんど毒薬のような女だった。しかも、自分を押さえつけて意のままにしていたもとの夫の修道士のことをいつも思い出していた。彼女はまったく僧衣に押しつぶされた蕁麻(いらぐさ)だった。王政復古の時に及んで、彼女は信者となり、しかも非常に熱心だったので、教会は彼女に亡くなった夫の修道士の罪を許してくれた。少しの財産があったが、彼女はそれを声を大にしてある宗教的組合に遺贈していた。アラスの司教区では彼女はきわめて敬意を払われていた。そのヴィクチュルニヤン夫人が、モンフェルメイュに行って「子供も見てきました」と言いながら帰ってきた。
 それまでになるにはかなり時間がかかった。ファンティーヌは工場にきてもう一年以上になっていた。ところがある日の朝、仕事場の監督が市長殿からと言って彼女に五十フランを渡して、もう彼女は仕事場の者ではないと言いそえ、この地方から立ち去るようにと市長殿の名をもって言い渡した。
 それはちょうど、テナルディエが六フランから十二フランを要求した後、さらにこんどは十五フランを要求してきたその月のことだった。
 ファンティーヌは途方にくれた。彼女はその地を去ることができなかった。部屋代や道具の代価などがたまっていた。それらの負債を返すには五十フランでは足りなかった。彼女は二三言口ごもりながら哀願した。が監督はすぐ仕事場を立ち去るようにと言うのだった。それにファンティーヌは下手(へた)な女工にすぎなかったのである。絶望というよりもなお多く恥ずかしさでいっぱいになって、女は仕事場を去り、自分の室に帰った。彼女の過去のあやまちは、今ではもう皆の知るところとなっていたのである!
 彼女はもう一言を発するだけの力も自分に感じなかった。市長さんに会ってみるがいいと勧める人もあったが、それもしかねた。市長は親切であればこそ五十フランもくれたのである、そして彼は正しい人であればこそ自分を解雇したのである。彼女はその裁(さば)きに服した。

     九 ヴィクチュルニヤン夫人の成功

 かくて修道士の未亡人も何かの役には立ったというものである。
 しかしマドレーヌ氏はそれらのことについては何も知っていなかった。人生においてはたいてい事件はそういうふうに結ばれてゆくものである。マドレーヌ氏は女の仕事場にはほとんどはいらないことにしていた。その仕事場の頭(かしら)として彼は、司祭から紹介された一人の独身の老女を据えて置いた、そしてその監督にすべてを任した。実際それは尊敬すべき確実な公平な清廉な女であった。施与をする方の慈悲心に非常に富んでいた。ただ人の心を了解し人を許容するという方面の慈悲心はそれほど多く持たなかった。マドレーヌ氏はすべて彼女に信頼していた。最善の人々は往々、自分の権力を他に譲らなければならなくなることがあるものである。かくてその監督が、訴えを聞き、裁き、ファンティーヌの罪を認めて処罰したのも、まったく自分の握っている権力をもってしたのであって、また善をなすという確信をもってしたのであった。
 また五十フランというのは、マドレーヌ氏から女工への施与や補助として託せられてる金から割(さ)いて与えたのだった。彼女はその金の計算報告はいつもしないでよかったのである。
 ファンティーヌはその地で女中奉公をしようと思って、家から家へと訪ね回った。が、だれも彼女を望まなかった。彼女はそれでも町を去ることができなかった。彼女に道具を、しかも随分ひどい道具を売りつけた古物商は、彼女に言っていた、「もしお前が逃げだしたら泥坊だとして捕縛してもらうだけだ。」室代のたまってる家主は彼女に言っていた、「お前は若くてきれいだ、払えないことがあるものか。」彼女は五十フランを家主と古物商とにわけ与え、なお古物商には道具の四分の三を戻して必要のものだけしか残しておかなかった。そして彼女は仕事もなく、籍もなく、ただわずかに寝る所があるきりで、しかもなお百フランほどの借りがある身となった。
 彼女は衛戌兵(えいじゅへい)の粗末なシャツを縫い初め、日に十二スーだけ得ることになった。が、娘の方へだけでも十スーずつはやらねばならなかった。彼女がテナルディエへ送金を遅(おく)らしはじめたのはこの時だった。
 けれども、晩に家に帰ってくるといつも燈火(あかり)をつけてくれる年取った一人の婆さんが、彼女に貧困のうちに暮らしてゆく方法を教えてくれた。わずかの金で暮らしてゆくその先には、また一文なしで暮らしてゆくということがある。それは引き続いた二つの室で、第一のは薄暗く、第二のは真っ暗である。
 ファンティーヌはいろいろなことを覚えた。冬の間まったく火の気なしですますこと、二日ごとに四、五文だけの粟(あわ)を食う小鳥を捨ててしまうこと、裾衣をふとんにしふとんを裾衣に仕立て直すこと、正面の窓の明りで食事をして蝋燭(ろうそく)を倹約することなど。貧乏と正直とのうちに老い果てた弱い人々が一スーの金をどんなふうに使うかは、人の知らないところである。それはついに一つの才能ともなるものである。ファンティーヌはそのおごそかな才能を会得した、そして少しは元気を回復した。
 この時分に彼女はある近所の女に言った。「なあに私はこう思っていますわ。五時間だけ眠ってあとの時間に針仕事をしていったら、どうかこうかパンだけは得てゆけるでしょう。それに悲しい時には少ししか食べませんもの。苦しみや気使い、一方に少しのパンと一方に心配、それでどうにか生きてゆけますでしょう。」
 かような艱難(かんなん)のうちにも、自分の小さな娘がもしそばにいたらどんなにかしあわせであろうものを。彼女は娘を呼び寄せようと思った。けれどもそれでどうしようというのか! 娘に困窮を分かち与ようというのか。それからテナルディエにも負債になっている。どうして払われよう。そしてまた旅。その費用は?
 彼女に貧乏生活の教えとでもいうべきものを与えてくれた婆さんは、マルグリットという聖(きよ)い独身者で、りっぱな信仰を持ち、貧乏ではあるが、貧しい者のみでなく金持ちに対してまで恵み深く、マルゲリトと署名するだけのことはりっぱに知っており、また学問としては神を信ずることを知っていた。
 かかる有徳の人が下界にも多くいる。他日彼らは天国に至るであろう。かかる生命は未来を有しているものである。
 初めのうちファンティーヌは、非常に恥ずかしがってなるべく外へも出なかった。
 通りに出ると、皆が後ろから振り返って自分を指さすのを彼女は気づいていた。皆が彼女をながめてゆくが、あいさつする者は一人もなかった。通りすぎる人々の冷ややかな鋭い軽蔑は、朔風(きたかぜ)のように彼女の肉を通し心を貫いた。
 小都市においては、一人の不幸な女がいる時、その女はすべての人のあざけりと好奇心との下に裸にせられずんばやまないようである。
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