レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 コゼットというもウューフラジーが本当である。女の児の名はウューフラジーだった。しかし母親はウューフラジーをコゼットにしてしまった。それはジョゼファをペピタにかえ、フランソアーズをシエットにかえる、母親や民衆の柔和な優しい本能からである。それは一種の転化語であって、実に語原学を乱し困らすところのものである。われわれはテオドールをグノンというのに首尾よく変えてしまった一人の祖母のあるのを知っている。
「お幾歳(いくつ)ですか。」
「じきに三つになります。」
「うちの上の子と同じですね。」
 そのうちに三人の女の児はいっしょに集まって、ひどく気をひかれてうっとりしてるような様子だった。一事件が起こったのである。大きなみみずが一匹地の下から出てきたので、それに見とれてるのだった。
 彼らの輝いた額は相接していた、あたかも一つの後光のうちにある三つの頭のようだった。
「子供はほんとにすぐに仲よくなるものですね。」とテナルディエの上(かみ)さんは叫んだ。「あんなにしているとまるで三人の姉妹(きょうだい)のようですね。」
 その言葉は、おそらくも一人の母親が待ち受けていた火花であった。彼女はお上さんの手を執り、その顔をじっと見守って、そして言った。
「私の子供を預っていただけませんか。」
 テナルディエの上さんは、承知とも不承知ともつかないびっくりした様子を示した。
 コゼットの母親はつづけて言った。
「ねえ、私は娘を国へつれてゆくことができませんのです。そうしては仕事ができません。子供連れでは仕事の口が見つかりません。あちらの人はほんとに変なんです。私がお店の前を通りかかったのは神様のお引き合わせでございます。私はお子さんたちのあんなにかわゆくきれいで楽しそうなところを見まして、ほんとに心を取られてしまいました。ああいいお母さんだ、そうだ、三人で姉妹のように見えるだろう、と思いました。それに私はじきに帰って参ります。子供を預っていただけませんでしょうか。」
「考えてみましてから。」とテナルディエの上さんは言った。
「月に六フランずつ差し上げますから。」
 その時店の奥から男の声が響いた。
「七フランより少なくてはいかん。そして六カ月分前払いでなければ。」
「六七、四十二。」とテナルディエの上さんは言った。
「それを差し上げますから。」と母親は言った。
「そのほか支度の金に十五フラン。」と男の声はつけ加えた。
「すっかりで五十七フラン。」とテナルディエの上さんは言った。そしてその数字とともに、彼女はまた何とはなしに歌い出した。

余儀なし、と勇士は言いぬ。

「差し上げますとも。」と母親は言った。「八十フラン持っていますから。それで国へ行けるだけは残ります。歩いてさえ行けば。あちらへ行ったらお金をもうけまして、少しでもできたら子供を連れにまた帰って参ります。」
 男の声がまた響いた。
「その子は着物は持ってるね。」
「あれは私の亭主ですよ。」とテナルディエの上さんは言った。
「ええ着物はありますとも、――大事な子ですもの。私はあなたの御亭主だとわかっていました。――それも上等の着物なんです。ずいぶん贅沢なのです。皆ダースになっています。それからりっぱな奥様が着るような絹の長衣もあります。みんな私の手鞄の中にあります。」
「それを渡しておかなければいかんよ。」と男の声がした。
「ええ上げますとも!」と母親は言った。「子供を裸で置いてゆくなんて、そんな変なことができましょうか。」
 主人の顔がそこに現われた。
「それでよろしい。」と彼は言った。
 取り引きはきまった。母親はその一晩をその宿屋で過ごし、金を与え、子供を残し、子供の衣類を出してしまって軽くなった手鞄の口をしめ、そして翌朝、間もなく戻って来るつもりで出立つした。そういう出立つは静かになされる、がその心は絶望である。
 テナルディエの近所の一人の女が、立ち去ってゆくその母親に出会った、そして帰ってきて言った。
「通りで泣いてる女を見ましたが、かわいそうでたまらなかった。」
 コゼットの母親が出発してしまった時、亭主は女房に言った。
「これで明日(あした)が期限になってる百十フランの手形が払える。五十フランだけ不足だったんだ。執達吏と拒絶証書とを差し向けられるところだった。うまくお前は子供どもで罠(わな)をかけたもんだね。」
「別にそういうつもりでもなしにさ。」と女は言った。

     二 怪しき二人に関する初稿

 捕えられた鼠(ねずみ)はきわめて弱々しかった。しかし猫(ねこ)はやせた鼠をも喜ぶ。
 一体そのテナルディエ夫婦はいかなる人物であったか?
 ここでまずそれについて一言費やしておこう。そして後になってこの稿を完(まっと)うすることにしよう。
 この二人は、成り上がりの下等な人々と零落した知識ある人々とからできてる不純な階級に属するものであって、そういう階級の人々は、いわゆる中流社会といわゆる下層社会との中間に位し、後者の欠点の多少を有するとともにまた前者のほとんどすべての欠点を有し、労働者の寛大な発情もなければ中流民の正直な秩序をも知らないのである。
 彼ら二人は、もし或る焔が偶然その心を温むることがあるとしても、またたやすく凶悪になるごとき下賤(げせん)な性質の者であった。女のうちには野獣のような性根があり、男のうちには乞食(こじき)のような素質があった。二人とも、悪い方にかけてはどんなひどいことでもやり得る性質だった。世には蟹(かに)のごとき心の人がいる。常に暗やみの方へ退き、人生において前に進むというよりもむしろ後ろに退き、自分の不具をますます大ならしめることに経験を用い、絶えず悪くなってゆき、しだいにますます濃い暗黒に染まってゆく。二人は男女とも、そういう魂の者であった。
 亭主のテナルディエの方は特に、人相家にとって厄介な人物だった。ちょっと見てもすぐにこいつは用心しなければいけないと思えるような人がいるものである。彼らはその両端が暗い。後方に不安を引きずり、前方に威嚇(いかく)を帯びている。彼らのうちには不可知なるものがある。将来何をなすかわからないように、また過去に何をしてきたかもわからない。その目付きのうちにある影で、それとわかるのである。彼らが一語発するのを聞き、一つの身振りをするのを見ただけで、その過去の暗い秘密とその未来の暗い機密とを見てとることはできる。
 このテナルディエは、その言うところを信ずるならば、兵士であった。自分では軍曹だったと言っていた。たぶん一八一五年の戦争に出て、相当勇ましく戦ったらしい。果してどうであったかは、後に述べることにしよう。飲食店の看板はその軍功の一つを示したものであった。彼は自分でそれを書いたのである。何でもちょっとはやることができた、もとより上手ではなかったが。
 ちょうど古いクラシックの小説が、クレリーの後にロドイスカとなってしまい、まだ高尚ではあったがしだいに卑俗になり、ド・スキュデリー嬢からバルテルミー・アドー夫人に堕(おと)し、ド・ラファイエット夫人からブールノン・マラルム夫人へ堕し、そしてパリーの饒舌(おしゃべり)な女の恋情を焼き立て、なお多少郊外の方までも荒した時代であった。テナルディエの上さんは、ちょうどその種の書物を読むくらいの知識を持っていた。彼女はそれを自分の心の糧(かて)とした。貧しい頭脳をすっかりそれにおぼらした。そのため、まだ若かった時はなおさら、少し年取ってからも、亭主のそばで変に沈思的な態度を取るようになった。亭主の方がまた、かなり食えない奴(やつ)で、ようやく文法を学んだくらいの賤(いや)しい男で、野卑でありながらまた同時に狡猾(こうかつ)で、しかもピゴー・ルブランの猥※(わいせつ)[#「褻」の「陸のつくり」に代えて「幸」、276-17]な小説をよみながら、感情の方面のことやまた彼が気取って言うように「すべて性に関すること」においては、まじり気のないまったくの無骨者であった。上さんは彼よりも十四、五歳若かった。その後、愁(うる)わしげにほつれさした髪にも白いのが交じるようになり、令嬢パミーラから憎悪の神メゲラが解放される頃の年になると、彼女はもう下等な小説を味わった卑しい意地悪い女にすぎなかった。いったいばかなものを読めばきっとその害を受ける。彼女もまたその結果自分の長女をエポニーヌと名づけた。あわれな小さな次女の方はギュルナールと名付けられるはずだったが、デュクレー・デュミニルの小説から何かしらまねてきて、アゼルマとしか呼ばれなかった。
 しかしついでに言っておくが、洗礼名の混乱時代とも称し得るこの珍しい時代にあっては、何事も笑うべき下らないものではない。われわれが指摘しきたった空想的な要素の傍(かたわら)には、社会的風潮がある。今日、下流の小僧にアルチュールとかアルフレッドとかアルフォンズとかいう、しかつめらしい名前をつけ、子爵なんかが――なお子爵などというものがあるとすれば――トーマとかピエールとかジャックとかいう砕けた名前をつけることは珍しくはない。かく平民に「優雅な」名前をつけ貴族に田舎者の名前をつける転倒は、平等の一つの潮流にすぎない。新風潮の不可抗なる侵入は、他におけるがごとくそこにもある。その表面の不調和のもとには、重大な深い一事が潜んでいる。それはすなわちフランス大革命である。

     三 アルーエット

 繁昌(はんじょう)するには悪人であるだけでは足りない。この飲食店もうまくゆかなかった。
 旅の女から巻き上げた五十七フランのおかげで、テナルディエは拒絶証書を避けることができ、契約を履行することができたが、翌月彼らはまた金の必要ができて、上さんはコゼットの衣類をパリーに持って行き、モン・ド・ピエテに入質して六十フランこしらえた。その金が無くなってしまうと、テナルディエ夫婦はその小さな女の子を慈善のために置いてやってるというような気になって、取扱いも従ってそんなふうになってしまった。その児にはもう衣類が無くなったので、テナルディエ夫婦は自分の子供らの古い裾着やシャツなどを着せたが、もとよりそれは襤褸(ぼろ)であった。食物といえば、皆の食い残しを食わせられ、犬猫と同様だった。その上猫と犬とはいつも彼女の食事仲間だった。彼女は犬猫のと同じような木の皿で彼らといっしょに食卓の下で食事をした。
 母親は、後にまた述べるが、モントルイュ・スュール・メールに落ち着いて、子供の消息を知らんがために、毎月手紙を書いた、いや、いっそうよく言えば手紙を書いてもらった。テナルディエ夫婦はそれにいつもきまってこう答えた。「コゼットはすばらしくしてる。」
 初めの六カ月が過ぎた時、母親は七カ月目の七フランを送り、そしてかなり正確に月々の義務を果たした。一カ年もたたないうちにテナルディエは言った。「ありがたい仕合わせだ! 七フランばかりでどうしろというんだい。」そして彼は手紙をやって十二フランを請求した。子供は仕合わせで「うまくいってる」と言われたので、母親はその要求を入れて十二フランずつ送ってよこした。
 一方を愛すれば必ず他方を憎むような性質の人がいる。テナルディエの上さんは、自分の二人の女の子をひどくかわいがったので、そのために他人の子を憎んだ。母親の愛にも賤(いや)しい方面があるというのは、思っても嘆かわしいことである。コゼットはその家ではごく少しの場所を占めてるばかりだったが、テナルディエの上さんにとっては、それだけ自分の子供らの地位が奪われ、また自分の子供らの呼吸する空気が減らされたかのように思われた。彼女はその種の多くの女らと同じく、日々一定量の愛撫(あいぶ)を与え、また一定量の打擲(ちょうちゃく)と罵詈(ばげん)とをなさねば納まらなかった。もしコゼットがいなかったならば、二人の子供はいかに鍾愛(しょうあい)せられようともきっとまたすべてを受けたであろう。しかしその他人の子は、彼女らの代わりに打擲を受けてやった。二人の子供はただ愛撫ばかりを受けた。コゼットは何をしても必ず不当な激しい苛責(かしゃく)を頭上に浴びた。世間のことは何も知らずまた神のことをも知らないその弱々しい優しい子供は、自分と同じような二人の小さな子供が曙の光の中に生きてるのを側に見ながら、絶えず罰せられ叱(しか)られ虐待され打擲されていた。
 テナルディエの上さんがコゼットにつらく当たっていたので、エポニーヌとアゼルマも意地が悪かった。その年齢の子供らは母親の雛形(ひながた)にすぎない。ただ形が小さいだけのものである。
 一年過ぎ去った、そしてまた一年。
 村ではこんなことが言われていた。
「あのテナルディエ夫婦は豪気だ。金持ちでもないのに、家に捨ててゆかれたあわれな子供を育ててやってる。」
 コゼットは母親に捨てられたのだと思われていた。
 けれどもテナルディエは、どういう方面から探ったのかわからないが、子供はたぶん私生児であって母親はそれを公にすることができないのを知って、「餓鬼」も大きくなって「たくさん食う」ようになったからと言って月に十五フランを要求し、もし応じなければ子供を送り返すと言って脅かした。彼は叫んだ。「女に勝手にされてたまるものか。隠していやがるところへ子供をたたきつけてやるばかりだ。も少し金を出させなけりゃ置かない。」で母親は十五フランずつを払った。
 年々に子供は大きくなっていった、そしてその苦しみもまた増していった。
 コゼットはまだ小さい時には、他の二人の子供の苦しみの身代わりであった。少し大きくなってくると、言いかえれば五つにもならないうちに、彼女は女中となってしまった。
 五つで、そんなことがあるものか、と言う人があるかも知れない。が、悲しいかな、それは事実である。世の中の苦しみは幾歳からでも初まる。孤児で泥棒になったデュモーラルという者の裁判が最近にあったではないか。法廷の記録によれば、はや五歳の時から彼は世の中にただひとり者であって、「生活のために働きそして窃盗をなしていた。」
 コゼットは言いつけられて、使い歩きをし、室や庭や往来を掃除し、皿を洗い、荷物を運びまでした。テナルディエ夫婦は、やはりモントルイュ・スュール・メールにいる母親からの支払いが思わしくなくなり初めたので、またいっそうそんなふうに扱うのを至当と考えた。
 数カ月間金が滞ったりした。
 もしその母親が、それらの三カ年の後にモンフェルメイュに帰ってきたとしても、もう自分の子供を見分けることはできなかったろう。その家に到着した時にはあれほどかわゆく生き生きとしていたコゼットは、今はやせ衰えて青ざめていた。何ともいえない不安な様子をしていた。「陰険な子だ!」とテナルディエ夫婦は言っていた。
 不正は彼女をひねくれた性質にし、不幸は彼女を醜くした。以前の面影とてはただ美しい目が残ってるのみだったが、それはかえって痛ましい思いを人に与えた、大きい目だったのでいっそう多くの悲しみがそのうちに見えるようだったから。
 冬には、そのあわれな子供の姿はまったく痛々しかった。まだ六つにもならないのに、穴だらけの古い襤褸(ぼろ)を着て震えながら、赤くかじかんだ小さな手に大きな箒(ほうき)を持ち、大きい目に涙を浮かべて、日の出る前に往来を掃除していた。
 その土地では彼女のことをアルーエット(訳者注 ひばりの意)と呼んでいた。綽名(あだな)を好む世人はその名をこの小さな子につけて喜んだ。小鳥くらいの大きさで、震え、恐れ、おののき、毎朝その家でもまた村でも一番に起き上がり、いつも夜の明けないうちに往来や畑に出ていたのである。
 ただそのあわれなアルーエットは決して歌わなかった。
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   第五編 下降


     一 黒飾玉の製法改良の話

 モンフェルメイュで子供を捨てていったように噂(うわさ)されている間に、その母親はどうなったか、どこにいたか、また何をしていたか。
 テナルディエの家に小さなコゼットを預けてから、彼女は旅を続けて、モントルイュ・スュール・メールに到着した。
 それは読者の記憶するとおり、一八一八年のことである。
 ファンティーヌはもう十年も前にその故郷を出たのであった。モントルイュ・スュール・メールはその間にすっかり様子が違っていた。ファンティーヌがしだいに困窮から困窮へと陥っていった間に、その故郷の町は栄えていった。
 約二年ばかり前から、その田舎(いなか)では大事件たる工業方面に、ある一事が成就されていた。
 その詳細は重要なものであって、少しく言を費やすのもむだではあるまい。いやおそらく圏点を施してもいいことと思う。
 いつの頃よりか昔から、モントルイュ・スュール・メールには、イギリスの擬(まが)い黒玉とドイツの黒ガラス玉とをまねて製造する特殊な工業があったが、原料が高くて賃金があまり出せないので、いつもはかばかしくゆかなかった。しかしファンティーヌがその地に帰っていった頃には、異常な変化がそれらの「黒い装飾品」の製法に起こっていた。一八一五年の末に、一人のある他郷(よそ)の男がやってきて、その町に住み、そしてその製造法にふと考案をめぐらして、樹脂の代わりに漆を用い、また特に腕輪には、はんだづけにした鉄環(てつわ)の代わりにただ嵌(は)め込んだ鉄環を使った。ただそれだけの変化であったが、それがほとんど革命をきたした。
 ただそれだけの変化ではあったが、それは実際、原料の価をいちじるしく低下さした。そのため、第一には賃金を高くして、その地方の利益となり、第二にはその製造法を改善して、購買者の得となり、第三には多くもうけながらもなお安く売ることができて、製造者側の利得ともなった。
 かくてただ一つの考案から三つの結果が生じた。
 三年もたたないうちに、その方法の発明者は結構なことには金持ちになり、そしてなお結構なことには周囲の人々をも金持ちにした。彼はその地方の人ではなかった。だれもその生国を知ってる者はなく、またやってきた初めもあまり人の注意をひかなかった。
 人の噂によれば、彼は高々数百フランくらいのはした金を持って町にやってきたという。
 彼はそのわずかな金を、巧みな考案の実施に使い、だんだん注意してそれを殖(ふや)し、ついに一財産を作り上げ、またその地方全体を富ましたのだった。
 モントルイュ・スュール・メールにやってきたときには、彼はただ一個の労働者然たる服装と様子と言葉つきをしてるのみだった。
 たしか、十二月のある夕方、背に背嚢(はいのう)を負い手に荒い杖をついて彼がこっそりとモントルイュ・スュール・メールの小さな町にはいってきた時、ちょうど大火が町の役所に起こった。その男は炎の中に飛び込んで、身の危険をも顧みず二人の子供を助け出した。それは憲兵の隊長の子供だった。そのため彼の通行券を調べてみようとする人もなかった。そのことのあってから彼の名前は人々に知られた。それはマドレーヌさんというのだった。

     二 マドレーヌ

 その男は約五十歳ばかりで、何かに気を取られてるようなふうをしていて、また親切だった。彼について言い得ることはただそれだけであった。
 彼がうまく改良してくれたその工業の急速な進歩のお陰で、モントルイュ・スュール・メールは著名な産業の中心地となった。擬(まが)いの黒玉を多く消費するスペインからは、毎年莫大な注文があった。その取り引きにおいては、モントルイュ・スュール・メールは、ほとんどロンドンやベルリンなどと肩を並べるまでになった。マドレーヌさんの利益は非常なもので、二年目にはもう、男女のためにそれぞれ広い仕事場を備えた大きな工場を建てるまでになった。飢えた者があれば、その工場に行きさえすればきっと仕事とパンとが得られるのだった。マドレーヌさんは、男には善良な意志、女には純潔な風儀、そしてすべての人に誠実なることを求めた。彼は男女を分離し、娘や女たちに貞節を保たせんために、その仕事場を二つに分けていた。その点においては彼は一歩もまげなかった。彼がいくらか厳酷であったのは、ただその点に関してだけだった。モントルイュ・スュール・メールは兵営のある町で、風俗の乱れる機会が非常に多かったので、なおいっそう彼は厳格だったのである。とにかく彼がそこにきたことは一つの恩恵であり、彼がそこにいることは天の賜物であった。マドレーヌさんが来る前までは、その地方はすべてが萎靡(いび)していた。が今ではすべてが労働の聖(きよ)い生命に生き上っていた。盛んな活動がすべてのものをあたため、またいたる所に流れ入っていた。仕事の欠乏や困窮はもう知られなかった。いかなる粗末な蟇口(がまぐち)の中にも金のないことはなく、いかなるあわれな住家にも何らかの喜びのないことはなかった。
 マドレーヌさんはいかなる人をも使った。彼はただ一つのことをしか要求しなかった、すなわち正直な人たれ! 正直な娘たれ!
 前に述べたとおり、マドレーヌは自らその原動力であり中心であった活動のうちにあって、財産を作ったのだった。しかし単なる商人としてはかなり妙なことであるが、何だか金を得ることが彼の主な意図であるようには見えなかった。他人のことのみ多く考えて自分のことはあまり考えないようだった。一八二〇年には、ラフィット銀行へ自分の名前で六十三万フランの金額を預けていたそうである。しかし六十三万フランを貯蓄する前に、彼は既に町のためや貧しい人々のために百万フラン以上を使っていたのである。
 町の病院は設備がはなはだ不十分だったので、彼はそこに十個の寝台を寄付した。モントルイュ・スュール・メールの町は山の手と下町とに分かれていた。彼が住んでいた下町にはただ一つの学校しかなくて、それもこわれかけたひどい破屋(あばらや)だった。で彼は二つの学校を建てた、一つは女の子のために、一つは男の子のために。そして彼はその両方の教師に、官からもらえる薄給の二倍の給料を自分の金で払ってやった。そのことを驚いてるある人に向かって彼の言ったことがある、「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです。」自分の金で彼はまた、当時ほとんどフランスに知られていなかった幼稚園を建て、また老衰してる労働者や身体のきかない労働者のために救済基本金を出した。彼の製作所は一つの中心をなしていたので、多くの貧困な家族らが住む新しい街区がまわりににわかにできてきた。彼はそこにまた無料の薬店を建ててやった。
 初めのうちは、彼が仕事をやり出すのを見て口善悪(くちさが)ない人々は言った。「金もうけをたくらんでる豪気な男だな。」ところが自分で金をためる前にその地方を富ましてやってるのを見て、彼らはまた言った、「ははあ野心家だな。」そのことがある点まで当たってるらしく思われた事には、彼は宗教を信じていて、当時いいこととせられていた教義を守ることをある程度まで行なっていた。彼は日曜日には必ず低唱弥撒(ミサ)を聞きに教会へ出かけて行った。いたる所に競争心をかぎつけるその地方の一代議士は、やがて彼の信仰に不安を覚え出した。その代議士はもと帝政時代に立法部の一員であって、彼がその子分であり友だちであったオトラント公、すなわちフーシェという名前で世に知られているオラトアール派の一長老と、宗教上の意見を同じくしていた。内々で彼は神のことをそれとなく笑っていた。しかし金持ちの工場主マドレーヌが七時の低唱弥撒に行くのを見て、自分の競争者が現われたように思い、マドレーヌに打ち勝とうと決心した。彼はゼジュイット派の牧師を懺悔(ざんげ)聴聞者に選び、大弥撒や夕の祈祷などに出かけて行った。当時の野心なるものは文字どおりに鐘楼への競争であった。そういう警戒から、貧しい人たちも神と同じく利益を得た。何となればそのりっぱな代議士もまた病院に二つの寝台を寄付したのだから。それで寄付の寝台は十二になったわけである。
 そのうち一八一九年に、ある朝、一つの噂が町中に広まった。マドレーヌさんが、知事の推挙とその地方に施した功績とによって、国王からモントルイュ・スュール・メールの市長に任命されるということであった。新来の彼を野心家だなどと言った人たちは、喜んでその望みどおりの機会をとらえて言った、「それみたことか、俺たちは何と初めに言ったか。」モントルイュ・スュール・メールの町中はどよめいた。噂は果して事実であった。数日後には、その任命が官報に出た。がその翌日、マドレーヌさんは辞退した。
 その同じ一八一九年に、マドレーヌの発明した新製造法に成る製品は工業博覧会に出て人目をひいた。審査員の報告によって、国王はその発明者にレジオン・ドンヌールのシュヴァリエ章を付与した。小さな町の人たちはまた一騒ぎした。「なるほど、彼が望んでいたのは勲章だな!」けれどもマドレーヌさんはその勲章を辞して受けなかった。
 まさしくその男は一の謎(なぞ)であった。口善悪(くちさが)ない人々はかろうじて、こんな苦しいことを言い出した、「つまり彼は一種の山師だ。」
 前に述べたとおり、その地方は多く彼のお陰を被むり、貧しい人々はすべてにおいて彼のお陰を被っていた。彼はかく世に有用な人だったので、ついに人々は彼を尊敬するようになり、また彼はひどく穏やかな人物だったので、人々はついに彼を愛するようになった。特に彼から使われてる職工らは彼を崇拝した、そして彼はその崇拝を受くるに一種の憂鬱(ゆううつ)な重々しい態度をもってした。彼が金持ちだということが一般に知れ渡ると、「社交界の人々」は彼に頭を下げ、町では彼をマドレーヌ氏と呼んだ。が彼の職工や子供たちはやはりマドレーヌさんと呼んでいた。そして彼はその呼び方の方を喜んでいた。彼の地位が高まるにつれて、招待は降るがようにやってきた。「社交界」は彼を引き入れようとした。モントルイュ・スュール・メールの気取った小客間は、初めのうちは言うまでもなくこの職人には閉ざされていたが、今ではその分限者に向かって大きく開かれた。その他百千の申し出があった。しかし彼はそれをみな断わった。
 そういうことになっても、人の陰口はやまなかった。
「彼は無学であまり教育のない男だ。いったいどこからやってきた奴(やつ)かわかりもしない。上流社会に出ても作法も知らないのだろう。字が読めるということの証拠さえないじゃないか。」
 彼が金をもうけるのを見た時には、人々は言った、「彼奴(あいつ)は商人だ。」彼が金をまき散らすのを見ては人々は言った、「彼奴は野心家だ。」彼が名誉を辞退するのを見ては人々は言った、「彼奴は山師だ。」また彼が社交界を断わるのを見ては人々は言った、「彼奴は下等な人間だ。」
 彼がモントルイュ・スュール・メールにやってきて五年目に、すなわち一八二〇年に、その地方における彼の功績は赫々(かくかく)たるものがあり、その地方の衆人の意見も一致していたので、国王は再び彼を市長に任命した。彼はこのたびもまた辞退した。しかし知事はその辞退を受けつけず、知名な人々は彼のもとに懇願にき、一般の人たちは大道で彼に哀願し、それらの強請がいかにも激しくなったので、彼もついに職を受けることになった。ことに彼をそう決心さしたのは、卑しい一人の年寄った婦人がほとんど怒ったような調子で彼に浴びせかけた言葉だったらしいということである。その女は門口の所で強く叫びかけた、「いい市長さんがあるのは大事なことです。人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか。」
 かくてそれは彼の立身の第三段であった。マドレーヌさんはマドレーヌ氏となり、マドレーヌ氏は市長殿となったのである。

     三 ラフィット銀行への預金額

 けれども彼はなお初めのほどと同じように質朴だった。灰色の髪、まじめな目付き、労働者のように日に焼けた顔色、哲学者のように考え深い顔付き。いつも縁広(ふちびろ)の帽子と、えりまでボタンをかけた粗末なラシャの長いフロックコート。市長たるの職務を尽しはしたが、それ以外には孤独な生活を送っていた。人にもあまり言葉をかけなかった。丁重な仕方をすべて避け、簡単なあいさつにとどめ、さっさと行ってしまい、話をするよりもむしろただほほえみ、ほほえむよりもむしろ金を与えた。女たちは彼のことを言った、「何という人の良い世間ぎらいだろう!」彼の楽しみは野外を散歩することだった。
 彼は書物を前に開いて読みながら、いつも一人で食事をした。よく精選された少しの書籍を持っていた。書物を愛していた。書物は冷ややかではあるが完全な友である。財産とともに暇ができるにつれて、彼は自分の精神を啓発するのにその時間を使ったらしかった。モントルイュ・スュール・メールにきて以来、一年一年といちじるしく彼の言葉は丁寧になり、上品になり、優しくなっていった。
 彼は散歩の時好んで小銃を持って出たが、それを使うのは稀(たま)にしかなかった。たまたまそれを使うような時には、その射撃は当たらないということがなく、人を恐れさせるほどだった。かつて彼は無害な動物を殺さなかった。またかつて彼は小鳥を撃たなかった。
 もはや若いとは言われない年齢だったが、彼は非常な大力をそなえてるということだった。必要な者には手助けをしてやって、たおれた馬を起こしてやったり、泥濘(でいねい)にはまった車を押してやったり、逃げ出した牡牛(おうし)の角をつかんで引き止めてやったりした。家を出かける時はいつもポケットに金をいっぱい入れていたが、帰って来る時にはみな無くなっていた。彼が村を通る時には、襤褸(ぼろ)を着た子供たちが喜ばしそうに彼の後を追っかけてき、蠅(はえ)の群れのように彼を取り巻いた。
 彼は以前田舎(いなか)に住んでいたに違いないと思われた。なぜなら、あらゆる有益な秘訣(ひけつ)を知っていて、それを百姓どもに教えてやったからである。麦の虫を撲滅するために、普通の塩水を穀倉に撒布(さんぷ)しまた床板(ゆかいた)の裂け目に流し込んでおくことを教えたり、穀象虫を駆除するために、壁や屋根やかき根や家の中などすべてにオリヴィオの花をつるしておくことを教えたりした。空穂草や黒穂草や鳩豆(はとまめ)草やガヴロールや紐鶏頭(ひもけいとう)など、すべて麦を害する有害な雑草を畑から根絶させるための種々な「処方」を知っていた。また養兎(ようと)場に天竺鼠(てんじくねずみ)を置いてそのにおいで野鼠の来るのを防がした。
 ある日彼は、その地方の人々が一生懸命に蕁麻(いらぐさ)を抜き取ってるのを見かけた。その草が抜き取られて、うずたかく積まれながらかわき切ってるのをながめて、彼は言った。「もう枯れてしまってる。だがその使い道を心得ておくのはいいことだ。この蕁麻(いらぐさ)はその若い時には、葉がりっぱな野菜となる。時がたつと、苧(からむし)や麻のように繊維や筋がたくさんできる。蕁麻の織物は麻の布と同じようだ。また細かく切れば家禽(かきん)の食物にいい。搗(つ)き砕けば角のある動物にいい。その種を秣(まぐさ)に混ぜて使えば動物の毛並みをよくする。根は塩と交ぜれば黄色い美しい絵具(えのぐ)となる。そのうえ蕁麻はりっぱな秣で二度も刈り取ることができる。作るにしても何の手数もいらない。少しの地面さえあれば、手入れをすることもいらないし、地面を耕す必要もない。ただその種子は熟すにつれて地に落ちるので、収穫に少し困難である。ただそれだけのことだ。ちょっと手をかけてやれば、蕁麻(いらぐさ)はごく益(やく)に立つんだが、うっちゃっておけば害になる。害になるようになって人はそれを枯らしてしまう。人間にもまったく蕁麻に似たものが随分ある!」それからちょっと黙って彼はまたつけ加えた。「よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。」
 子供たちはいっそう彼が好きであった。麦藁(むぎわら)や椰子(やし)の実(み)でちょっとしたおもしろい玩具(おもちゃ)をこしらえてくれたからである。
 教会堂の戸に黒い喪の幕がかかっているのを見ると、彼はいつもそこにはいって行った。ちょうど人々が洗礼式をさがすように、彼は埋葬をさがした。また優しい心を持っていたので、寡婦暮(やもめぐら)しや他人の不幸に彼は心をひかれた。喪装の友だちや、黒布をまとった家族や、柩(ひつぎ)のまわりに悲しんでる牧師らに、彼はよく立ち交じった。他界の幻に満ちたあの葬礼の哀歌に、喜んで自分の考えをうち任してるようだった。目を天に向け、無限のあらゆる神秘に対する一種のあこがれの情をもって彼は、死の暗い深淵の縁に立って歌うそれらの悲しい声に耳を傾けた。
 彼はたくさんの善行をなしたが、悪事を行なう時人が身を隠してするように、ひそかにそれをなした。彼は人知れず夕方多くの人家にはいり込み、そっとはしご段を上っていった。あわれな人が自分の屋根裏に帰って来ると、自分の不在中に戸が開かれてるのを見いだす。それも時としては無理にこじあけられてるのである。彼は叫ぶ、「ああどんな悪者がきたんだろう!」しかるに家にはいって最初に見出すところのものは、家具の上に置き忘れられてる金貨である。そこにやってきた「悪者」は、実にマドレーヌさんであった。
 彼は慇懃(いんぎん)でまた悲しげなふうをしていた。人々は言った。「あの人こそは金持ちであっても傲慢(ごうまん)でなく、幸福であっても満足のふうをしていない。」
 ある人々は、彼をもって不可思議な人物と見なし、決してだれもはいったことのない彼の室には、翼のついた砂時計が備えられ、十字に組み合わした脛骨(けいこつ)や死人の頭蓋骨(ずがいこつ)などが飾られていて、いかにも隠者の窖(あなぐら)のようだと言った。その噂は広く町にひろがって、ついにはモントルイュ・スュール・メールのりっぱな若い婦人で意地の悪い者が四、五人集まって、ある日彼の家を訪れて彼に願った。「市長さん、あなたのお室を見せて下さいな。世間では洞窟(どうくつ)だと言っていますから。」彼はほほえんで、即座にその「洞窟」へ彼女らを導いた。彼女らは好奇心のためにまったくばかを見た。普通ありふれたかなり粗末なマホガニー製の器具が簡単に並べられ十二スーの壁紙が張られてる室にすぎなかった。そして彼女らの目に止まったものとしてはただ、暖炉の上にある古い型の燭台二つだけで、「調べてみると」銀でできているらしかった。いかにも小さな町に住んでる者にふさわしい注意である。
 それでもなお、彼の室にはだれもはいった者がなく、それは隠士の洞窟で、穴倉であり、穴であり、墓穴であるといわれていた。
 また人々の陰での噂によると、彼は「莫大な」金をラフィット銀行に預けていて、いつでも自由にできるようになっているということだった。マドレーヌ氏はいつでもその銀行に行って受取証を書きさえすれば、十分とかからぬうちに二、三百万フランは持ち出すことができるということだった。けれども実際においては、上に述べたとおりその「二、三百万フラン」も六十三、四万フランになっていたのである。

     四 喪服のマドレーヌ氏

 一八二一年の初めに、諸新聞は「ビヤンヴニュ閣下と綽名(あだな)せられた」ディーニュの司教ミリエル氏の死を報じた。八十二歳をもって聖者のごとく永眠したというのであった。
 新聞に書かれなかった一事をここにつけ加えておくが、ディーニュの司教はその生前数年来盲目であった、そして妹がそばにいてくれるので彼はその盲目に満足していたのだった。
 ついでに言う。盲目にしてしかも愛せられているということは、何も完全なるもののないこの世においては、実に最も美妙な幸福の一である。自分の傍(かたわら)に絶えず一人の女が、一人の娘が、一人の妹が、一人のかわいい者がある。彼女を自分は必要とし、また彼女も自分なしには生きてゆけないのである。彼女が自分に必要であるごとく、自分もまた彼女になくてならない者であることを知る。彼女が自分の傍にいてくれる度数によって、彼女の愛情を絶えず計ることができる。そして自ら言う、彼女がその時間をすべて私にささげてくれるのは、私が彼女の心をすべて占領しているからだと。彼女の顔は見えないけれどもその考えを見る。世界がすべて自分の眼界から逸した中にただ一人彼女の忠実なことを認める。翼の音のような彼女の衣擦(きぬず)れの音を感ずる。彼女が行き、きたり、外出し、帰り、話をし、歌をうたうのを聞く。そして自分は、その歩み、その言葉、その歌の中心であることを思う。各瞬間ごとに、彼女が自分に心牽(ひ)かれていることがわかる。身体が不具になればなるほどいっそう力強くなるのを感ずる。暗黒のうちに、また暗黒によって、自ら太陽となり、そのまわりにはこの天使が回転している。かくのごときはほとんど類(たぐ)いまれなる幸福というべきである。人生最上の幸福は、愛せられているという確信にある。直接自分自身が愛せられる、いや、むしろ自分自身の如何(いかん)にかかわらず愛せられるという確信にある。そういう確信は盲者にして初めて有し得る。惨(いた)ましき盲目のうちにおいては、世話を受くるはすなわち愛撫(あいぶ)を受くることにほかならない。彼にはその他に何かが不足するであろうか。いや。愛を有する以上、光明を失ったものではない。しかもその愛はいかなる愛であるか。まったく徳操をもって作られた愛である。確実なる信念があるところに失明なるものは存しない。魂は手探りに魂をさがしそれを見いだす。しかもその見いだされとらえられた魂は、一個の婦人である。汝をささえてくれる手、それは彼女の手である。汝の額に触れてくれる脣(くちびる)、それは彼女の脣である。汝はすぐそばに呼吸の音をきく、それは彼女である。その崇拝より憐憫(れんびん)に至るまで彼女のすべてを所有する。決してそばを離れられることがない。その弱々しい優しさで助けられる。その心確かな蘆(あし)のごとき弱き女性に身をささえる。直接おのれの手をもって神の摂理にふれ、おのれの腕のうちにそれを、肌に感じ得る神をいだく。これ実にいかなる喜悦であろうぞ! その心は、その人知れぬ聖(きよ)き花は、神秘のうちにひらく。それはあらゆる光明にもまさった影である。天使の魂がそこにある、常にある。もしそれが立ち去ることあっても、また再び帰りきたらんがためにである。それは夢のごとくに姿を消し、現実のごとくに再び現われる。暖きものの近づくのを感ずる時にはもはや、それがそこにある。清朗と喜悦と恍惚(こうこつ)とに人は満たされる。暗夜のうちにおける輝きである。そして数々の細かな心尽し。些細(ささい)なものもその空虚のうちにあっては巨大となる。得も言えぬ女声の音調は汝を揺籃(ゆりかご)に揺すり、汝のために消え失せし世界を補う。魂をもって愛撫せらるるのである。何物も見えないが、しかし鍾愛(しょうあい)せられてるのを感ずる。それは実に暗黒の楽園である。
 ビヤンヴニュ閣下は、かくのごとき楽園より他の天国へと逝(い)ったのであった。
 彼の死の報知は、モントルイュ・スュール・メールの地方新聞にも転載された。マドレーヌ氏はその翌日から、黒の喪服をつけ帽子に黒紗を巻いた。
 町の人々はその喪装に目を止めて、いろいろ噂をし合った。そのことはマドレーヌ氏の生まれについて一つの光明を投ずるものと思われた。人々は彼があの尊い司教と関係があるように推論した。
「彼はディーニュの司教のために黒紗をつけた、」と町の社交界で噂に上った。そのことは大いにマドレーヌ氏の地位を高め、にわかにモントルイュ・スュール・メールの貴族社会において重きをなすようになった。その小都市のサン・ジェルマンとも称すべき区郭の人々は、おそらく司教の身寄りの者であるマドレーヌ氏の四旬節の勤めを止めさせようとした。マドレーヌ氏はまた、年取った女らの敬意と年若い婦人らのほほえみとの増したことを見て、自分の地位の上がったことを認めた。ある晩、その小都市の交際社会の首脳ともいうべき一人の老婦人が、老人の好奇心から彼に尋ねたことがあった。「市長さんはきっと亡(な)くなられたディーニュの司教の御親戚でございましょうね。」
 彼はいった。「そうではありません。」
「けれども、」とその老婦人は言った、「あなたは司教のために喪服をつけていられるではありませんか。」
 彼は答えた。「それはただ、若い頃司教の家に使われていたことがあるからです。」
 なおも一つ人々の注意をひいたことには、地方を回って煙筒の掃除をして歩いてるサヴォア生まれの少年が町にやって来るたびごとに、市長はその少年を呼んで名前を尋ね、そして金を与えた。サヴォア生まれの少年らはそのことをよく語り合った、そしてわざわざやってきて金をもらってゆく者も多かった。

     五 地平にほのめく閃光

 しだいに、そして時がたつにつれて、反対はみななくなってしまった。立身した人々が常に受くることになってる中傷や誹謗(ひぼう)などは、初めマドレーヌ氏に対してもかなりなされたが、やがてそれらは単なる悪口になり、次ぎには単に陰口になり、ついにまったくなくなってしまった。全市挙(こぞ)って丁重に彼を尊敬し、一八二一年ごろには、モントルイュ・スュール・メールにおいて市長どのという言葉は、一八一五年ディーニュにおいて司教閣下と言われた言葉とまったく同じ調子で口に上せらるるようになった。その付近では、十里も隔たった所からマドレーヌ氏に相談に来る者もあった。彼は争論を終わらせ、訴訟を止め、敵同士を和解さしてやった。だれもみな彼を裁判官として奉じた、そしてそれも正当であった。彼は自然法則の書籍をもって心としているがようだった。あたかも伝染するがように彼に対する尊敬の念は、六、七年のうちにしだいにその地方全部に広まった。
 しかるに、町や地方を通じて、その尊敬の感染を絶対に受けないものがただ一人いた。マドレーヌさんがいかなることをなそうとも、彼はいつもそれに敵意を持ち、あたかも一種の乱し動かすを得ない本能によってさまされ警(いまし)められてるがようだった。実際ある種の人のうちには、あらゆる本能と同じく一つの動物的で純で完全な真の本能がなお存しているらしい。その本能は反感や同感を起こさせ、一性格の者と他の性格の者とを全然分け隔て、また自ら少しも躊躇(ちゅうちょ)することなく、惑うことなく、黙することなく、自らを欺くことなく、自らの愚昧(ぐまい)のうちに揺るがず、知力のあらゆる勧告や理性のあらゆる訴えにも、決して撓(たわ)むことなく、厳として軟化せず、運命がいかなる状態にあろうとも、ひそかに犬人に戒むるに猫人の存在をもってし、狐人に戒むるに獅子人の存在をもってする。
 マドレーヌ氏が愛情を含んだ穏かな様子で、万人の祝福にとりまかれながら町を通る時、しばしば鉄鼠色のフロックを着、大きなステッキを手にし、縁を引き下げた帽子をかぶっている背の高い一人の男が、突然彼の後ろからふり向いて、見えなくなるまで後姿を見送ってることがあった。そんな時その男は、腕を組み、軽く頭を振り、下脣と上脣(うわくちびる)とをいっしょに鼻の下までつき出して、一種の意味ありげな、しかめ顔をするのだった。その顔付きを翻訳してみればたぶんこんなことになるらしかった。
「いったいあの男は何者だろう?……確かにどこかで見たようだが。……いずれにしても俺はあんな奴に瞞(だま)されはしないぞ。」
 その男はほとんど人を脅威するほどの重々しい様子をしていて、ちょっと見ただけでも人の心をひくような者の一人だった。
 彼はジャヴェルといって、警察に出てる男であった。
 彼はモントルイュ・スュール・メールで、困難ではあるがしかし有用な方面監察の役目をしていた。彼はマドレーヌのきた当時のことを知らなかったのである。国務大臣で当時のパリーの警視総監をしていたアングレー伯の秘書官シャブーイエ氏の引き立てで、現在の地位を得たのだった。彼がモントルイュ・スュール・メールにきた時には、その大製造業者の財産は既にでき上がり、マドレーヌさんはマドレーヌ氏となっていた。
 警察のある種の役人は、陋劣(ろうれつ)と権威との交じった複雑な特別な相貌をそなえてるものである。ジャヴェルは陋劣の方を欠いたその特別な相貌を持っていた。
 吾人の確信するところによれば、もし人の魂なるものが目に見えるものであったならば、人間の各個人は各種の動物の何かに相当するものであるという不思議な一事を、人は明らかに知るであろう。そして、蠣(かき)から鷲(わし)に至るまで、また豚から虎(とら)に至るまで、すべての動物が人間のうちに存在し、各動物が各個人のうちに存在しているという、思想家がかろうじて瞥見(べっけん)する真理を、人はたやすく認め得るであろう。時としてはまた数匹の動物がいっしょに一人の人間のうちにあるということをも。
 動物は皆、われわれの善徳および悪徳の表象であって、われわれの眼前に彷徨(ほうこう)しわれわれの魂の目に見える幻影にほかならない。神はわれわれを反省せしめんがためにそれをわれわれに示す。ただ動物は影に過ぎないがゆえに、神は厳密なる意味において教育し得るがようには動物を作らなかったのみである。教育が何の役に立とうぞ? これに反してわれわれの魂は現実であり、自己本来の目的を持っているがゆえに、神はそれに知力を与えた、換言すれば教育の可能を。ゆえによく成されたる社会的教育は、いかなる魂にもせよ、魂のうちからそれが有する効用を引き出すことができる。
 かく言うのはもとより、表面に表われたる地上の生活に限らるる見地においてであって、人間以外の生物の先天的および後天的性格に関する深い問題を考えてのことではない。目に見える自己のために内部の自己を否定することは、いかなる意味においても思想家には許されないのである。それだけの制限をしておいて先に進もう。
 今しばらく、あらゆる人のうちには各種の動物のいずれか一つが存在しているということが許さるるならば、ここに警官ジャヴェルのうちにはいかなるものがいるかを述べるのは、いとたやすいことである。
 アスチェリーの農民の間には次のことが信ぜられている。狼(おおかみ)の子のうちには必ず一匹の犬の子が交じっているが、それは母狼から殺されてしまう、もしそうしなければその犬の子は大きくなって他の狼の子を食いつくしてしまうからである。
 その狼の子の犬に人間の顔を与えれば、それがすなわちジャヴェルである。
 ジャヴェルは骨牌占(カルタうらな)いの女から牢獄の中で生まれた。女の夫は徒刑場にはいっていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた、すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶのほかはなかった。同時にまた彼は、厳格、規律、清廉などの一種の根が自分のうちにあることを感じ、それとともに自分の属している浮浪階級に対する言い難い憎悪を感じた。彼は警察にはいった。
 彼はその方面で成功した。四十歳の時には警視になっていた。
 彼は青年時代には南部地方の監獄に雇われていたこともあった。
 さてこれ以上に言を進める前に、先にジャヴェルについて言った人間の顔ということを説明してみよう。
 ジャヴェルの人間の顔というのは、平べったい一つの鼻と、深い二つの鼻孔と、鼻孔の方へ頬の上を上っている大きな鬚(ひげ)とでできていた。その二つの鬚の森と二つの小鼻の洞穴とを見る者は、初めはだれもある不安を感ずるのであった。ジャヴェルは笑うことがごくまれであったが、その笑いは恐ろしく、薄い脣(くちびる)が開いて、ただに歯のみではなく歯齦(はぐき)までも現わし、野獣の鼻面にあるような平たい荒々しいしわが鼻のまわりにできた。まじめな顔をしている時はブルドッグのようであり、笑う時は虎のようだった。その上頭が小さく、頤(あご)が大きく、髪の毛は額を蔽(おお)うて眉毛の上までたれ、両眼の間のまん中に絶えず憤怒の兆のような、しかめた線があり、目付きは薄気味が悪く、口は緊(きっ)と引きしまって恐ろしく、その様子には強猛な威力があった。
 この男は、きわめて単純で比較的善良ではあるが誇張せられるためにほとんど悪くなっている二つの感情でできていた。すなわち、主権に対する尊敬と、反逆に対する憎悪と。そして彼の目には、窃盗、殺害、すべての罪悪は、ただ反逆の変形にすぎなかった。上は総理大臣より下は田野の番人に至るまでおよそ国家に職務を有する者を皆、盲目的な深い一種の信用のうちに包み込んで見ていた。一度法を犯して罪悪の方に踏み込んだ者を皆、軽蔑と反感と嫌悪(けんお)とをもって見ていた。彼は絶対的であって、いっさいの例外を認めなかった。一方では彼は言った、「職務を帯びてるものは誤ることはない、役人は決して不正なことをしないものだ。」他方ではまた彼は言った、「こいつらはもう救済の途はない、何らの善もなし得ない者だ。」世には極端な精神を有していて、刑罰をなすの権利あるいは言い換えれば刑罰を定めるの権利を人間の作った法則が持っているように信じ、社会の底に地獄の川スティックスを認める者がいる。ジャヴェルもまたそういう意見を多分に持っていた。彼は禁欲主義で、まじめで、厳格であった。憂鬱(ゆううつ)な夢想家であった。狂信家のように謙遜でまた傲慢(ごうまん)であった。彼の目は錐(きり)のごとく、冷たくそして鋭かった。彼の一生は二つの言葉につづめられる、監視と取り締まりと。彼は世間の曲りくねったものの中に直線を齎(もたら)した。彼は自己の有用をもって良心となし、自己の職務をもって宗教となしていた。彼の探偵たることはあたかも牧師たるがごとくであった。彼の手中に落ちたる者は不幸なるかなである。彼は父がもし脱獄したらんには父を捕縛し、母がもし禁令を犯したらんには母をも告発したであろう。そして徳行によって得らるるごとき一種の内心の満足をもってそれをなしたであろう。その上に、貧しい生活、孤独、克己、純潔をもってし、何らの遊びにもふけらない。彼は厳格なる義務それ自身であり、あたかもスパルタ人らがスパルタに身をささげたがごとくに献身的な警官であり、無慈悲な間諜(かんちょう)であり、恐るべき正直さであり、冷酷なる探偵であり、名探偵ヴィドックのうちに住むブルツスであった。
 ジャヴェルの全身は、物をうかがいしかも身を潜める男そのものを示していた。当時のいわゆる急進派新聞に高遠な宇宙形成論の色をつけていたジョゼフ・ド・メーストルを頭(かしら)とする神秘派は、必ずやジャヴェルを一つの象徴であると称(たた)えたであろう。彼の額は帽子の下に隠れて見えず、彼の目は眉毛に蔽(おお)われて見えず、その頤(あご)はえり飾りのうちに埋まって見えず、その両手は袖のうちに引っ込んで見えず、その杖はフロックの下に隠されて見えなかった。しかしながら一度時機至れば、角張った狭い額、毒々しい目付き、脅かすような頤、大きな手、および恐ろしい太い杖などが、その陰のうちから突然伏兵の立つように現われて来るのであった。
 暇とてはめったになかったが、もし暇があれば彼は、書物はきらいではあったが、それでもなお何か読んでいた。してみれば、彼はまったくの無学ではなかったらしい。またそれは彼の言葉のうちの一種の大げさな調子でもわかることだった。
 彼が何らの悪徳をも持たないことは、前に言ったとおりである。自ら満足に感じてる時には一服煙草を吸うことにしていた。そこだけが彼の普通の人間らしいところだった。
 たやすく察せらるるとおり、ジャヴェルは、司法省の統計年鑑のうちに無頼漢と朱書せられてる一種の階級からは非常に恐れられていた。ジャヴェルという名は彼らを狼狽(ろうばい)さした。ジャヴェルの顔は彼らを縮み上がらした。
 この恐ろしい男は上述のとおりの者であった。
 ジャヴェルは絶えずマドレーヌ氏の上に据えられてる目のごときものだった。疑念と憶測とに満ちた目だった。マドレーヌ氏もついにそれを気づくようになった。しかし彼は別に何とも思っていないらしかった。ジャヴェルに一言の問いをもかけず、またジャヴェルの姿をさがすでもなく避けるでもなく、その気味悪い圧迫するような目付きをじっと受けながら別に気に留めてもいないらしかった。彼はジャヴェルをも他のすべての人と同じく平気で温和に取り扱っていた。
 ジャヴェルの口からもれた二、三の言葉から察すれば、彼は彼ら仲間特有のそして意志とともにまた本能から由来する一種の好奇心をもって、マドレーヌさんが他の所に残してきた前半生の足跡を秘密に探っていたらしい。ある行方(ゆくえ)不明の一家族に関してある地方で多少の消息を得ている者がいるということを、彼は知っているらしかった、また時としては暗にそれを言葉に現わすこともあった。ある時などは彼はふとこう独語した、「彼奴の尻尾(しっぽ)を押さえたようだ!」それから彼は三日の間一言も口をきかずに考え込んでいた。そしてとらえたと思った糸も切れたらしかった。
 しかしおよそ、そしてこれはある言葉はあまりに絶対的の意味を現わすかも知れないということに対する必要な緩和物であるが、人間のうちには真に確実なるものはあり得ないものである、そしてまた本能の特質は乱され惑わされ迷わされ得るということにあるものである。もししからずとすれば、本能は知力にまさり、動物は人間よりもすぐれたる光明を有するに至るであろう。
 ジャヴェルは明らかに、マドレーヌ氏のまったくの自然さと落ち着きとによって、やや心を惑わされたのであった。
 けれどもある日、彼の不思議な態度はマドレーヌ氏に印象を与えたらしかった。いかなる場合でかは次に述べよう。

     六 フォーシュルヴァンじいさん

 ある朝マドレーヌ氏は、モントルイュ・スュール・メールの敷石のない小さな通りを通っていた。その時彼は騒ぎを聞きつけ、少し向こうに一群の人々を認めた。彼はそこに行ってみた。フォーシュルヴァンじいさんと呼ばれている老人が、馬の倒れたため馬車の下に落ちたのだった。
 このフォーシュルヴァンは、当時マドレーヌ氏がまだ持っている少数の敵の一人だった。マドレーヌがこの地にやってきた当時、以前は公証人をしていて田舎者としてはかなり教育のあるフォーシュルヴァンは、商売をしていたが、それがしだいにうまくゆかないようになりはじめていた。彼はその一職人がしだいに富裕になってゆくのを見、また人から先生と言われている自分がしだいに零落してゆくのを見た。それは彼に嫉妬(しっと)の念を燃やさした。そして彼はマドレーヌを害(そこな)うために機会あるごとにできるだけのことをした。そのうちに彼は破産してしまった。そして年は取っており、もはや自分のものとしては荷車と馬とだけであり、その上家族もなく子供もなかったので、食べるために荷馬車屋となったのだった。
 さて馬は両脚(りょうあし)を折ったので、もう立つことができなかった。老人は車輪の間にはさまれていた。車からの落ち方が非常に悪かったので、車全体が胸の上に押しかかるようになっていた。車にはかなり重く荷が積まれていた。フォーシュルヴァンじいさんは悲しそうなうめき声を立てていた。人々は彼を引き出そうとしてみたがだめだった。無茶なことをしたり、まずい手出しをしたり、下手(へた)に動かしたりしようものなら、ただ彼を殺すばかりだった。下から車を持ち上げるのでなければ、彼を引き出すことは不可能だった。ちょうどそのでき事の起こった時にき合わしたジャヴェルは、起重機を取りにやっていた。
 マドレーヌ氏がそこにやってきた。人々は敬意を表して道を開いた。
「助けてくれ!」とフォーシュルヴァン老人は叫んだ。
「この年寄りを助けてくれる者はいないか。」
 マドレーヌ氏はそこにいる人々の方へふり向いた。
「起重機はありませんか。」
「取りに行っています。」と一人の農夫が答えた。
「どれくらいかかったらここにきますか。」
「一番近い所へ行っています、フラショーで。そこに鉄工場があります。しかしそれでも十五分くらいはじゅうぶんかかりましょう。」
「十五分!」とマドレーヌは叫んだ。
 前の日雨が降って地面は湿って柔らかになっていた。車は刻一刻と地面にくい込んで、しだいに老荷馬車屋の胸を押しつけていった。五分とたたないうちに彼は肋骨(ろっこつ)の砕かれることはわかりきっていた。
「十五分も待てはしない。」とマドレーヌはそこにながめている農夫らに言った。
「仕方がありません!」
「しかしそれではもう間に合うまい。車はだんだんめいり込んでゆくじゃないか。」
「だと言って!」
「いいか、」とマドレーヌは言った、「まだ車の下にはいり込んで背中でそれを持ち上げるだけの余地はじゅうぶんある。ちょっとの間だ。そしたらこのあわれな老人を引き出せるんだ。だれか腰のしっかりした勇気のある者はいないか。ルイ金貨(訳者注 二十フランの金貨)を五枚あげる。」
 一群の中で動く者はだれもなかった。
「十ルイ出す。」とマドレーヌは言った。
 そこにいる者は皆目を伏せた。そのうちの一人はつぶやいた。「滅法に強くなくちゃだめだ。その上自分でつぶされてしまうかも知れないんだ。」
「さあ!」マドレーヌはまた言った、「二十ルイだ!」
 やはりだれも黙っていた。
「やる意志が皆にないのではない。」とだれかが言った。
 マドレーヌ氏はふり返った、そしてジャヴェルがそこにいるのを知った。彼はきた時にジャヴェルのいるのに気がつかなかったのである。
 ジャヴェルは続けて言った。
「皆にないのは力だ。そんな車を背中で持ち上げるようなことをやるのは、恐ろしい奴でなくてはだめだ。」
 それから彼は、マドレーヌ氏をじっと見つめながら、一語一語に力を入れて言った。
「マドレーヌさん、あなたがおっしゃるようなことのできる人間は、私はただ一人きりまだ知りません。」
 マドレーヌは慄然(ぞっ)とした。
 ジャヴェルは無とんちゃくなようなふうで、しかしやはりマドレーヌから目を離さずにつけ加えた。
「その男は囚人だったのです。」
「え!」とマドレーヌは言った。
「ツーロンの徒刑場の。」
 マドレーヌは青くなった。

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