レ・ミゼラブル
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:ユゴーヴィクトル 

 さて、ある者は歌っており、ある者はやかましく饒舌(しゃべ)っていて、そして時々皆いっしょになって、ただもう非常な騒ぎであった。トロミエスは皆をさえぎった。
「そうやたらに饒舌ったり、あまり早口をきいたりするなよ。」と彼は叫んだ。「ほんとに楽しもうと思うなら少し考えなくちゃいけない。あまり即興なことばかりやってると、変に頭を空(から)にするものだ。流れるビールは泡(あわ)を立てない。諸君、急ぐなかれだ。御ちそうには荘重さを加えなければいけない。よく考えて食い、ゆるゆると味わおうじゃないか。あわてないがいい。春を見たまえ。春も急げば失敗する、すなわち凍る。あまり熱心なのは、桃や杏(あんず)を害する。あまり熱心なのは、りっぱな饗宴(きょうえん)の美と楽しみとを殺す。熱中したもうな、諸君。食通グリモー・ド・ラ・レーニエールもタレーランの意見に賛成しているではないか。」
 反対のささやきが仲間のうちに聞こえた。
「トロミエス、われわれの邪魔をするな。」とブラシュヴェルは言った。
「圧制者はなぐり倒せ!」とファムイュは言った。
「ボンバルダに暴食に暴飲だ!」とリストリエは叫んだ。
「まだ日曜のうちだ。」とファムイュはまた言った。
「われわれは簡潔だ。」とリストリエがつけ加えた。
「トロミエス、」とブラシュヴェルは言った、「モン・カルム(僕の落ち着いてる様)を見ろ。」
「なるほど君は侯爵だ。」とトロミエスは答えた。
 その駄洒落(だじゃれ)は、水たまりに石を投げ込んだようなものだった。モンカルム侯爵といえば当時名高い王党の一人だったのである。蛙(かえる)どもは皆声をしずめた。
「諸君、」とトロミエスは再び帝国を掌握した者のような声で叫んだ、「落ち着くべしだ。天から落ちたこの洒落にあまり感心しすぎてはいけない。天から落ちたもの必ずしも感心し尊敬すべきもののみではない。洒落は飛び去る精神の糞である。冗談はどこへも落つる。そして精神はむだ口を産み落とした後、蒼空にかけ上る。白い糞は岩の上にへたばるとも、なお禿鷹(はげたか)は空に翔(か)けることをやめない。予の目前にて洒落を侮辱するなかれ! 僕はその価値相当に洒落を尊重する。ただそれだけだ。人類のうちにおいて、そしておそらく人類以外においても、最も厳(いか)めしき者、最も崇高なる者、最も美しき者、みな多少言葉の遊戯をしている。イエス・キリストは聖ペテロについて、モーゼはイザヤについて、アイスキロスはポリニセスについて、クレオパトラはオクタヴィアについて、洒落を言った。このクレオパトラの洒落はアクチオムの戦いの前に言われたことで、もし彼女がいなかったらだれも、ギリシャ語で鍋匙(なべさじ)という意味のトリネの町のことを思い出す者はなかったろう。がそれはそれとしておいて、僕はまた僕の勧告に立ち戻ろう。諸君、繰り返して言うが、熱中したもうな、混乱したもうな、度を過ごしたもうな。たとい才気や快活や楽しみや洒落においてもそれはいけない。聞きたまえ、僕はアンフィアラウスの慎重とシーザーの禿頭(はげあたま)とを持っているんだ。限度というものがなければならない。洒落においてもそうだ。すべてのことに程度ありだ。限度がなければならない。食事においてもそうだ。婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子にも才能と技術とを要する。大食はそれをなす者を害する。大食大食漢を罰すだ。消化不良は神の命を受けて胃袋に訓戒をたれる。そしてよろしいか、われわれの各感情は、恋でさえ、一つの胃袋を持っている。それにあまりいっぱいつめ込んではいけない。すべてのことに適当な時期においてフィニス(終局)の文字を刻まなければいけない。おのれを制しなければいけない。もし危急の場合には、欲望の上に錠をおろし、感興を拘束し、自らおのれを監視しなければいけない。賢者とは、一定の時機におのれを制する道を知れる者をいうのである。まあ僕の言うことを信じたまえ。僕はいくらか法律を、その試験を受けたんだから、やったわけである。僕は既定問題と未定問題との差異を知っている。ローマにおいてムナチウス・デメンスが大虐罪の審問掛かりであった頃いかなる拷問を与えたかについて、僕はラテン語の論文を書いたことがある。あるいは僕は博士になるかも知れない。だから必然に僕が愚か物だということは言えないだろう。で僕は諸君に、欲望の節制を勧める。僕がフェリックス・トロミエスという名であることが真実であるように、僕はまったく本当のことを言うんだ。時機至った時に勇ましき決心の臍(ほぞ)を固め、シルラもしくはオリゲネスのごとく後ろを顧みざる者は、幸福なるかな!」
 ファヴォリットは深い注意を払ってそれを聞いていた。
「フェリックス、」と彼女は言った、「何といい言葉でしょう。あたしそういう名前が好きよ。ラテン語だわね。繁昌(はんじょう)という意味でしょう。」
 トロミエスは言い続けた。
「市民よ紳士よ騎士よわが友よ! 諸君は、何らの刺激をも感ずることを欲せず、婚姻の床にもはいらず、恋をないがしろにせんと欲するか。それよりたやすいことはない。ここにその処方がある、曰(いわ)く、レモン水、過度の運動、労役、疲労、石曳(ひ)き、不眠、徹夜、硝酸水および睡蓮(すいれん)の煎(せん)じ薬の飲取、罌粟(けし)および馬鞭草(くまつづら)の乳剤の摂取、それに加うるに厳重なる断食をもって腹を空(から)にし、その上になお冷水浴、草の帯、鉛板着用、鉛酸液の洗滌(せんじょう)、酸水剤の温蒸。」
「僕はそれよりも女を選ぶ。」とリストリエが言った。
「女!」とトロミエスは言った。「女を信ずるな。女の変わりやすき心に身を投げ出すものは不幸なるかなだ。女は不実にして邪曲である。女は商売敵(がたき)の感情で蛇(へび)をきらうのだ。蛇は女と向かい合いの店だ。」
「トロミエス、」とブラシュヴェルは叫んだ、「君は酔っている!」
「なあに!」とトロミエスは言った。
「それではもっと愉快にしろ。」とブラシュヴェルは言った。
「賛成。」とトロミエスは答えた。
 そして杯に酒を満たしながら、彼は立ち上がった。
「酒に光栄あれ! バッカスよわれ今汝を頌(たた)えん! ごめん、婦人諸君、これはスペイン式だ。ところで、その証拠はここにある、曰く、この人民にしてこの樽(たる)あり。カスティーユの樽(アローブ)は十六リットルであり、アリカントの樽(カンクロ)は十二リットル、カナリーの樽(アルムユード)は二十五リットル、バレアールの樽(キュアルタン)は二十六リットル、ピーター大帝の樽(ボット)は三十リットルである。偉大なりし大帝万歳、しかして更にいっそう偉大なりし彼の樽(ボット)万歳だ。婦人諸君、これは友人としての忠告だ。よろしくば互いに隣人を欺け。恋の特性は流転にある。愛情は膝(ひざ)に胼胝(たこ)を出かしてるイギリスの女中のように、すわり込んでぼんやりするために作られてはいない。そのためにではないんだ。愛情は愉快にさ迷う。楽しき愛情よ! 迷いは人間的であると人は言う。が僕は言いたい、迷いは恋愛的であると。婦人諸君、僕は諸君を皆崇拝する。おおゼフィーヌ、おおジョゼフィーヌ、愛嬌のある顔よ、歪(ゆが)んでさえいなければ素敵である。うっかり腰をかけられてつぶされたようなかわいい顔つきをしている。ファヴォリットに至っては、ニンフにしてミューズの神だ。ある日ブラシュヴェルがゲラン・ボアソー街の溝(どぶ)の所を通っていると、白い靴足袋(くつたび)を引き上げ脛(はぎ)を露(あら)わにした美しい娘を見た。その初会が彼の気に入って、そして彼は恋するに至った。その彼の恋人がファヴォリットなのだ、おおファヴォリットよ! 汝の脣(くちびる)はイオニア式だ。エウフォリオンというギリシャの画家が居たが、脣の画家と綽名(あだな)されていた。そのギリシャ人一人のみが汝の脣を画くに足る。聞きたまえ、汝以前にはかつてその名に値する人間はいなかったのだ。汝はヴィーナスのように林檎(りんご)をもらい、イヴのように林檎を食うために作られている。美は汝より始まる。僕は今イヴのことを言ったが、イヴを作ったのはそれは汝だ。汝は美人発明の特許権を得てもいいのだ。おおファヴォリット、こんどは汝と呼ぶことをやめよう、詩から散文の方へ移るのだ。君は先刻僕の名のことを言ったね。それは僕の心を動かした。しかしわれわれが何であろうとも、われわれは名前に疑問をいだこうではないか。名前も誤ることがある。僕はフェリックス(訳者注 繁昌幸福の意)という名だ、そして少しも幸福ではない。言葉は嘘(うそ)つきである。言葉がわれわれにさし示すことをむやみに受け入れてはならない。栓(せん)を買わんためにリエージュ(訳者注 キルク栓の意)の町に手紙を書き、手袋を得んためにポー(訳者注 革の意)の町に手紙を出すは誤りである(訳者注 ファヴォリットの名は寵愛の意を有することを記憶せられたい)。ダーリア嬢よ、僕がもし君であったら、ローザと自分を称したい。花にはいいかおりがなくてはいけない、婦人には機才がなくてはいけない(訳者注 ローザとは薔薇の意で、薔薇にはダリアと違って芳香がある)。僕はファンティーヌについて一言も費やさなかったが、ファンティーヌこそは、夢想的な瞑想的な沈思的な敏感な女である。ニンフの姿と尼僧の貞節とをそなえた幻影であって、誤ってうわ気女工の生活のうちに迷い込んだが、しかし幻のうちに逃げ込み、歌を歌い、祈りをし、何を見何をしてるかを自ら知らずして蒼空をうちながめ、小鳥の多い空想の庭の中を空を仰ぎながらさ迷う女である。おおファンティーヌよ、このことを知れ、我トロミエスは一つの幻にすぎないことを。しかし彼女はこの言を耳にも入れない、空想の金髪の娘よ! 要するに彼女のうちにあるものは、新鮮、爽快(そうかい)、青春、朝の穏やかな光である。おおファンティーヌよ、汝はマルグリット(菊)もしくはペルル(真珠)の名にふさわしい娘で、最も光輝美しい女である。さて婦人諸君、ここに第二の忠告がある。曰(いわ)く、決して結婚するなかれ。結婚は一つの接木(つぎき)である。うまくもゆけば、まずくもゆく。そういう危険は避けるがよい。しかし、つまらぬことを僕は言い出したものだ。言葉をむだにするばかりだ。結婚については、娘たちは救われない。われわれ賢者がいかに言葉を費やしても、チョッキを仕立て半靴を縫う娘たちまでが、やはりダイヤモンドを飾った夫を夢みるのだ。それもよし。ただ美人諸君、よく心に入れたまえ、諸君はあまりに多く砂糖を食いすぎる。婦人諸君、君たちはただ一つの欠点を持っている、すなわち、砂糖を蚕食することだ。おお齧歯獣(げっしじゅう)の婦人よ、君たちの美しい小さな白い歯は砂糖を崇拝する。がよく聞かれよ、砂糖は一種の塩である。塩はすべて物を乾燥せしむる。中にも砂糖はあらゆる塩のうちで最も乾燥力が強い。それは血管を通して血液の水分を吸い取る。それ故血液の凝結と次にその固結をきたす。そのために肺に結核を生じ、次いで死をきたす。糖尿病と肺病とが隣するはこのゆえである。それで、砂糖をかじらなければ君たちは万々歳だ! 次に男子諸君に言う。諸君、よろしく婦人を獲得すべしだ。何ら悔いの念なく互いに恋人を奪い合うべしだ。恋には友人も存しない。美人ある所には至る所に対抗がはじまる。仮借なき決戦! 美人はカジュス・ベリ(戦囚)であり、美人は一つの現行犯である。歴史上のすべての侵入は女の腰巻きによって決定せられた。婦人は男子の権利物である。ロムルスはサビネの女らを奪い、ウィリアムはサクソンの女らを奪い、シーザーはローマの女らを奪った。愛せられざる男は禿鷹のごとくに他人の恋人らの上を飛ぶ。僕はひとり者の不幸な男らに、ボナパルトがイタリー軍になした崇高なる宣言を投げ与える、曰く、兵士らよ、汝らは何物をも有せず、敵はすべてそれらを持てり。」
 トロミエスはちょっとやめた。
「少し息をつけ、トロミエス。」とブラシュヴェルは言った。
 同時にブラシュヴェルはリストリエとファムイュとにつけられて、哀歌の節(ふし)で歌を歌い出した。それはでたらめの言葉を並べた工場の小唄(こうた)の一つで、豊富にむちゃに韻をふみ、木の身振りや風の音と同じく何らの意味もなく、煙草の煙とともに生まれ、その煙とともに散り失せ飛び去ってゆく歌の一つであった。トロミエスの長談義に答えて皆が歌ったその歌は次のようなものだった。

ばかな長老さんたちは、
代理の者に金(かね)くれて、
クレルモン・トンネールさんを、
サン・ジャンの法皇に骨折った。
クレルモンは牧師でないゆえ、
法皇になることできんかった。
代理の者は腹立てて、
その金持って戻ってきた。

 それはトロミエスの即席演説を静めはしなかった。彼は杯をのみ干して、また酒をつぎ、再びはじめた。
「知恵をうち仆(たお)せ! 僕が言ったことはすべて忘れるがいい。貞淑ぶるなかれ、小心たるなかれ、廉直なるなかれ。僕は愉悦に向かって祝杯をささぐる。よろしく快活なれ! わが法律の講座を補うにばか騒ぎと御ちそうとをもってすべし。不消化と法律全書。ジュスティニアンは男性にしてリパイユは女性たるべし! 深淵(しんえん)のうちにおける快楽よ! 生きよ、おお天地万物よ! 世界は大なるダイヤモンドなるかな! 僕は愉快だ。小鳥は驚くべきものだ。どこもこれお祭りだ! 鶯(うぐいす)は無料(ただ)で聞けるエルヴィウーだ。夏よ、われは汝を祝する。おおリュクサンブール、おおマダム街の鄙唄(ひなうた)! おおオブセルヴァトアールの通路の鄙唄! おお夢みる兵士ら! 子供を守(もり)しながらその姿を描いて楽しむかわいい婢(おんな)ら! オデオンの拱廊(きょうろう)がなければ、僕はアメリカの草原を喜ぶ。わが魂は人跡いたらぬ森林と広漠(こうばく)たる草原とに飛ぶ。万物みな美である。蠅(はえ)は光のうちを飛び、太陽に蜂雀(ほうじゃく)はさえずる。わが輩を抱け、ファンティーヌ!」
 そして彼はまちがえてファヴォリットを抱いた。

     八 馬の死

「ボンバルダよりエドンの方がうまいものを食べさせるわ。」とゼフィーヌが叫んだ。
「僕はエドンよりボンバルダの方が好きだ。」とブラシュヴェルは言った。「こっちの方がよほど上等だ。よほどアジアふうだ。下の部屋を見てみたまえ。壁にはグラス(鏡)がかかっている。」
「グラス(氷)ならお皿の中のの方がいいわ。」とファヴォリットは言った。
 ブラシュヴェルは言い張った。
「ナイフを見たまえ。ボンバルダでは柄が銀だが、エドンでは骨だ。銀の方が骨よりも高いんだ。」
「そう、銀髯(ひげ)の腮(えら)を持ってる人を除いてはね。」とトロミエスが言った。
 彼はその時、ボンバルダの窓から見える廃兵院の丸屋根を見ていた。
 それからちょっと言葉がと絶えた。
「おいトロミエス、」とファムイュは叫んだ、「先程、リストリエと僕と議論をしたんだが。」
「議論は結構だ。」とトロミエスは答えた、「喧嘩(けんか)ならなおいい。」
「哲学を論じ合ったんだ。」
「なるほど。」
「デカルトとスピノザと君はどっちが好きなんだ。」
「デゾージエ(訳者注 当時歌謡の作者)が好きだ。」とトロミエスは言った。
 そうくいとめておいて、彼は一杯飲んで、そして言った。
「わが輩は生きるに賛成だ。地上には何物も終滅していない、何となれば人はなおばかを言い得るからだ。僕はそれを不死なる神々に感謝する。人は嘘をつく、しかし人は笑う。人は確言する、しかし人は疑う。三段論法から意外なことが飛び出す。それがおもしろいのだ。逆説のびっくり箱を愉快に開(あ)けたり閉(し)めたりすることのできる人間が、なおこの下界にはいる。だが婦人諸君、君たちが安心しきったように飲んでるこのぶどう酒はマデール産だ。よろしいか。海抜三百十七尋(ひろ)の所にあるクーラル・ダス・フレイラスの生(き)ぶどう酒だ。飲むうちにも注意するがいい! 三百十七尋だぞ! そしてこのりっぱな料理屋のボンバルダ氏は、その三百十七尋を四フラン五十スーで諸君にくれるのだ。」
 ファムイュはまたそれをさえぎった。
「トロミエス、君の意見は法則となるんだ。君の好きな作者はだれだ!」
「ベル……。」
「ベル……カンか。」
「いや。……シューだ。」(訳者注 ベルシューは「美食法」という詩の作者)
 そしてトロミエスはしゃべり続けた。
「ボンバルダに栄誉あれ! エジプト舞妓(まいこ)の一人を加うれば、エレファンタのムノフィス料理店にも肩を並べ、ギリシャ売笑婦の一人を加うれば、ケロネのティジェリオン料理店とも肩を並べるだろう。何となれば、婦人諸君、ギリシャにもエジプトにも、ボンバルダというのがあったのである。アプレウスの書物に出ている。ただ悲しいかな、世事は常に同一にして何ら新しきことなし。創造主の創造のうちにはもはや何ら未刊のものなし! ソロモンは言う、天が下に新しきものなし! ヴィルギリウスは言う、恋は世の人すべてのものなり! 今日、学生が女学生と共にサン・クルーの川舟に乗るのは、昔アスパジアがペリクレスと共にサモスの流れに浮かんだのと同じである。なお最後に一言を許せ。婦人諸君、君たちはアスパジアがいかなる女であったかを知っているか。彼女は女なる者が未だ魂を持たなかった時代にいたのであるが、彼女のみは一個の魂であった。薔薇(ばら)色と緋(ひ)色との色合いをした魂で、火よりもいっそう熱く、曙(あけぼの)よりもいっそう新鮮であった。アスパジアは女の両極を同時に有する女性であった。娼婦(しょうふ)にして女神であった。ソクラテスに加うるにマノン・レスコーであった。アスパジアは実に、プロメシュースに女が必要である場合には、その用をなすために作られたようなものであった。」
 トロミエスは一度口を開けば容易に止まらなかったのであるが、その時ちょうど河岸で一頭の馬が倒れた。その事件のために、荷車と弁士とはにわかに止まった。それはボース産の牝馬で、年老いてやせて屠殺所(とさつじょ)に行くに相当したものだったが、きわめて重い荷車をひいていた。ボンバルダの家の前まで来ると、力つきて疲憊(ひはい)した馬は、もうそれ以上進もうとしなかった。そのためまわりに大勢の人が集まった。ののしり怒った馬車屋が、その時にふさわしい力をこめて断然たる「畜生!」という言葉を発しながら、鞭(むち)をもって強く一打ち食わせるか食わせないうちに、やせ馬は倒れてしまって、また再び起きなかったのである。通行人らの騒ぎに、トロミエスの愉快な聴衆もふり向いてながめた。そしてその間にトロミエスは、次の愁(うる)わしい一節(ひとふし)を歌っておしゃべりの幕を閉じた。

辻(つじ)馬車と四輪の馬車と同じ運命(さだめ)の
浮き世にありてまた駑馬(どば)なりければ、
ああ畜生の一種なる駑馬のなみに
この世を彼女は生きぬ。

「かわいそうな馬。」とファンティーヌはため息をもらした。
 ダーリアは叫んだ。
「そらファンティーヌが馬のことを悲しみ出したわ! どうしてそんなばかな気になれるんだろう!」
 その時ファヴォリットは、両腕を組み頭を後ろに投げ、じっとトロミエスを見つめて言った。
「さあ! びっくりするようなことは?」
「そうだ。ちょうど時がきた。」とトロミエスは答えた。
「諸君、この婦人たちをびっくりさす時がやってきたんだ。婦人諸君、しばらくわれわれを待っていてくれたまえ。」
「まずキッスで初まるんだ。」とブラシュヴェルが言った。
「額にだよ。」とトロミエスはつけ加えた。
 皆めいめい荘重に自分の女の額にキッスを与えた。それから口に指をあてながら、四人とも相続いて扉(とびら)の方へ行った。
 ファヴォリットは彼らが出て行くのを見て手を拍(たた)いた。
「そろそろおもしろくなってきたわ。」と彼女は言った。
「あまり長くかかってはいやよ。」とファンティーヌは口の中で言った。「みんな待っているから。」

     九 歓楽のおもしろき終局

 若い娘たちは、後に残った時、二人ずついっしょになって窓の手すりにもたれ、首をかがめ窓から窓へ言葉をかわして、なおしゃべっていた。
 彼女らは四人の青年が互いに腕を組んでボンバルダ料理店から出てゆくのを見た。彼らはふり返って、笑いながら女たちに合い図をし、毎週一回シャン・ゼリゼーにいっぱいになるそのほこりだらけの日曜の雑沓(ざっとう)のうちに姿を消した。
「長くかかってはいやよ!」とファンティーヌは叫んだ。
「何を持ってきてくれるんでしょう。」とゼフィーヌは言った。
「きっときれいなものよ。」とダーリアは言った。
「あたし、」とファヴォリットは言った、「黄金(きん)のものがいいわ。」
 だが彼女らは間もなく、川縁(かわっぷち)のどよめきに気を取られてしまった。大きな木立ちの枝の間からはっきり見て取られて、大変おもしろかったのである。ちょうど郵便馬車や駅馬車が出かける時だった。南と西とへ行くたいていの馬車は、当時シャン・ゼリゼーを通っていったものである。その多くは河岸に沿って、パッシーの市門から出て行くのを常としていた。黄色や黒に塗られ、重々しく荷を積まれ、多くの馬にひかれ、行李(こうり)や桐油(とうゆ)紙包みや鞄(かばん)などのため変な形になり、客をいっぱいのみこんでる馬車が、絶えまなく通って、道路をふみ鳴らし、舗石に火を発し、鍛冶場(かじば)のような火花を散らし、ほこりの煙をまき上げ、恐ろしい有様をして、群集の間を走っていった。その騒擾(そうじょう)が若い娘たちを喜ばせた。ファヴォリットは叫んだ。
「何という騒ぎでしょう! 鎖の山が飛んでゆくようだわ。」
 ところが一度、楡(にれ)の茂みのうちにわずかに見えていた一つの馬車が、ちょっと止まって、それからまた再びかけ出した。ファンティーヌはそれにびっくりした。
「変だわ!」と彼女は言った。「駅馬車は途中で止まるものでないと思っていたのに。」
 ファヴォリットは肩をそびやかした。
「ファンティーヌはほんとに人をびっくりさせるよ。おかしな人だこと。ごくつまらぬことにも目を見張るんだもの。かりにね、あたしが旅をするとするでしょう。駅馬車にこう言っておくとする、先に行ってるから通りがかりに河岸の所で乗せておくれって。するとその駅馬車が通りかかって、あたしを見て、止まって、乗せてくれるわ。毎日あることよ。あんたは世間を知らないのね。」
 そんなことをしているうちにしばらく時がたった。とにわかにファヴォリットは、目をさました[#「目をさました」は底本では「目がさました」]とでもいうような身振りをした。
「ところで、」と彼女は言った、「びっくりすることはまだかしら。」
「そうそう、」とダーリアは言った、「例のびっくりすることだったわね。」
「あの人たちは大変長いわね!」とファンティーヌは言った。
 ファンティーヌがそのため息をもらした時に、食事の時についていたボーイがはいってきた。何か手紙らしいものを手に持っていた。
「それなあに?」とファヴォリットが尋ねた。
 ボーイは答えた。
「皆様へと言って旦那(だんな)方が置いてゆかれた書き付けです。」
「なぜすぐに持って来なかったの。」
「旦那方が、」とボーイは言った、「一時間後にしか渡してはいけないとおっしゃったものですから。」
 ファヴォリットはボーイの手からその書き付けを引ったくった。それは果して一通の手紙であった。
「おや!」と彼女は言った、「あて名がないわ、だがこう上に書いてある。」
 びっくりすることとはこれである。
 彼女は急いで封を切り、それを披(ひら)き、そして読み下した。(彼女は字が読めるのだった。)

 愛する方々よ!
 われわれに両親のあることは御承知であろう。両親、貴女たちはそれがいかなるものであるかよく御存じあるまい。幼稚な正直な民法では、それを父および母と称している。ところで、それらの両親は悲嘆にくれ、それらの老人はわれわれに哀願し、それらの善良なる男女はわれわれを放蕩息子(ほうとうむすこ)と呼び、われわれの帰国を希(ねが)い、われわれのために犢(こうし)を殺してごちそうをしようと言っている。われわれは徳義心深きゆえ、彼らのことばに従うことにした。貴女たちがこれを読まるる頃には、五頭の勢いよき馬はわれわれを父母のもとへ運んでいるであろう。ボシュエが言ったようにわれわれは営を撤する。われわれは出発する、いやもう出発したのである。われわれはラフィットの腕に抱かれカイヤールの翼に乗ってのがれるのである。ツウルーズの駅馬車はわれわれを深淵から引き上げる。そして深淵というは、貴女たち、おおわが美しき少女らである。われわれは社会のうちに、義務と秩序とのうちに、一時間三里を行く馬の疾走にて戻るのである。県知事、一家の父、野の番人、国の顧問、その他すべて世間の人のごとくに、われわれの存在もまた祖国に必要である。われわれを尊重せられよ。われわれはおのれを犠牲にするのである。急いでわれわれのことを泣き、早くわれわれの代わりの男を求められよ。もしこの手紙が貴女たちの胸をはり裂けさせるならば、またこの手紙をも裂かれよ。さらば。
 およそ二カ年の間、われわれは貴女たちを幸福ならしめた。それについてわれわれに恨みをいだきたもうなかれ。
署名 ブラシュヴェルファムイュリストリエフェリックス・トロミエス追白、食事の払いは済んでいる。

 四人の若い娘は互いに顔を見合った。
 ファヴォリットが第一にその沈黙を破った。
「なるほど、」と彼女は叫んだ、「とにかくおもしろい狂言だわ。」
「おかしなことだわ。」とゼフィーヌは言った。
「こんなことを考えついたのはブラシュヴェルに違いない。」とファヴォリットは言った。「そう思うとあの男が好きになったわ。いなくなったら恋しくなる。まあ万事そうしたものね。」
「いいえ、」とダーリアは言った、「これはトロミエスの考えたことだわ。受け合いだわ。」
「そうだったら、」とファヴォリットは言った、「ブラシュヴェルだめ、そしてトロミエス万歳だわ。」
「トロミエス万歳!」とダーリアとゼフィーヌとは叫んだ。
 そして彼女たちは笑いこけた。
 ファンティーヌも他の者と同じく笑った。
 一時間後、自分の室に帰った時に、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任していた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。
[#改ページ]

   第四編 委託は時に放棄となる


     一 母と母との出会い

 パリーの近くのモンフェルメイュという所に、今ではもう無くなったが、十九世紀の初めに一軒の飲食店らしいものがあった。テナルディエという夫婦者が出していたもので、ブーランジェーの小路にあった。戸口の上の方には、壁に平らに釘(くぎ)付けにされてる一枚の板が見られた。その板には、一人の男が他の一人の男を背負っているように見える絵が描(か)いてあった。背中の男は、大きな銀の星がついてる将官の太い金モールの肩章をつけていた。血を示す赤い斑点(はんてん)が幾つもつけられていた。画面の他の部分は、一面に煙であってたぶん戦争を示したものであろう。下の方に次の銘が読まれた、「ワーテルローの軍曹へ。」
 旅籠屋(はたごや)の入口に箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、なお詳しく言えばそのこわれた馬車は、いかにも大きくて、もし画家でも通りかかったらきっとその注意をひくであろうと思われるほどだった。
 それは森林地方で厚板や丸太を運ぶのに使われる荷馬車の前車(まえぐるま)であった。その前車は、大きな鉄の心棒と、それに嵌(は)め込んである重々しい梶棒(かじぼう)と、またその心棒をささえるばかに大きな二つの車輪とでできていた。その全体はいかにもでっぷりして、重々しく、またぶかっこうだった。ちょうど大きな大砲をのせる砲車のようだった。車輪や箍(たが)や轂(こしき)や心棒や梶棒などは厚く道路の泥をかぶって、大会堂を塗るにもふさわしい変な黄色がかった胡粉(ごふん)を被(き)せたがようだった。木の所は泥にかくれ、鉄の所は錆(さび)にかくれていた。心棒の下には、凶猛な巨人ゴライアスを縛るにいいと思われるような太い鎖が、綱を渡したようにつるされていた。その鎖は、それで結(ゆわ)えて運ぶ大きな木材よりもむしろ、それでつながれたかも知れない太古の巨獣マストドンやマンモスなどを思い浮かばせた。それは牢獄のような感じだった。それも巨人のそして超人間的な牢獄である。そして何かある怪物から解き放して置かれているかのようだった。ホメロスはそれをもってポリフェモスを縛し、シェークスピアはそれをもってカリバンを縛したことであろう。
 なぜそんな荷馬車の前車がそこの小路に置かれているかというと、第一には往来をふさぐためで、第二には錆(さ)びさせてしまうためだった。昔の社会には種々な制度があって、そんなふうに風雨にさらして通行の邪魔をするものがいくらもあった、そしてそれも他には何らの理由もないのである。
 さてその鎖のまん中は心棒の下に地面近くまでたれ下がっていた。そしてその撓(たる)んだ所にちょうどぶらんこの綱にでも乗ったようにして、その夕方、二人の小さな女の児が腰を掛けて嬉しそうに寄りそっていた。一人は二歳半ぐらいで、も一人のは一歳半ぐらいであって、小さい方の児は大きい方の児の腕に抱かれていた。うまくハンカチを結びつけて二人が鎖から落ちないようにしてあった。母親がその恐ろしい鎖を見て、「まあ、私の子供にちょうどいい遊び道具だ、」と言ってそうさしたのだった。
 二人の子供は、それでもきれいなそしていくらか念入りな服装(みなり)をさせられて、そして生き生きとしていた。ちょうど錆びくちた鉄の中に咲いた二つの薔薇(ばら)のようだった。その目は揚々(ようよう)と輝き、その瑞々(みずみず)しい頬には笑いが浮かんでいた。一人は栗(くり)色の髪で、一人は褐色(かっしょく)の髪をしていた。その無邪気な顔は驚喜すべきものだった。通り過ぐる人たちににおって来る傍(かたわら)の叢(くさむら)の花のかおりも、その子供たちから出てくるのかと思われた。一歳半の方の子供は、かわいらしい腹部を露(あら)わに見せていたが、その不作法さもかえって幼児の潔(きよ)らかさであった。その幸福と輝きとのうちに浸ってる二人の優しい頭の上やまわりには、荒々しい曲線と角度とがもつれ合い錆で黒くなってほとんど恐ろしいばかりの巨大な前車が、洞穴(ほらあな)の入り口のように横たわっていた。そこから数歩離れて、宿屋の敷居(しきい)の所にうずくまってあまり人好きのせぬ顔立ちではあるがその時はちょいとよく見えていた母親が、鎖につけた長いひもで二人の子供を揺すりながら、母性に特有な動物的で同時に天使的な表情を浮かべて、何か危険なことが起こりはすまいかと気使って見守っていた。鎖の揺れるたびごとに、その気味悪い鉄輪は、怒りの叫び声にも似た鋭い音を立てた。が子供たちは大喜びで、夕日までがその喜びに交じって輝いていた。巨人の鎖を天使のぶらんこにしたその偶然の思いつきほど人の心をひくものはなかった。
 二人の子供を揺すりながら、母親は当時名高い恋歌を調子はずれの声で低く歌っていた。

余儀なし、と勇士は言いぬ……

 歌を歌いまた子供たちを見守っていたために、彼女には往来で起こってることが聞こえも見えもしなかった。
 けれども、彼女がその恋歌の初めの一連を初めた時には、だれかが彼女のそばにきていた。そして突然彼女は自分の耳のすぐそばに人の声をきいた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」

美しく優しきイモジーヌへ。

と母親はなお歌い続けながらその声に答えて、それからふり向いてみた。
 一人の女がすぐ数歩前の所にいた。その女もまた一人の子供を腕に抱いていた。
 女はなおその外に、重そうに見えるかなり大きな手鞄(てかばん)を持っていた。
 その女の子供は、おそらくこの世で見らるる最も聖(きよ)い姿をしたものの一つであった。二歳(ふたつ)か三歳(みっつ)の女の児だった。服装(みなり)のきれいなことも前の二人の子供に劣らなかった。上等のリンネルの帽子をかぶり、着物にはリボンをつけ、帽子にはヴァランシエーヌ製のレースをつけていた。裳(も)の襞(ひだ)が高くまくられているので、ふとった丈夫そうな白い腿(もも)が見えていた。美しい薔薇(ばら)色の顔をして健康そうだった。頬は林檎(りんご)のようでくいつきたいほどだった。その目については、ごく大きくてりっぱな睫毛(まつげ)を持ってるらしいというほかはわからなかった。子供は眠っていたのである。
 子供はその年齢特有な絶対の信頼をこめた眠りにはいっていた。母親の腕は柔和である、子供はそのなかに深く眠るものである。
 母親の方は見たところ貧しそうで悲しげだった。またもとの百姓女に返ろうとでもしているような女工らしい服装をしていた。まだ年は若かった。あるいはきれいな女であったかも知れないが、その服装ではそうは見えなかった。ほつれて下がっている一ふさの金髪から見ると、髪はいかにも濃さそうに思えるけれど、あごに結びつけたきたない固い小さな尼さんのような帽子のために、すっかり隠されていた。美しい歯があれば笑うたびに見えるのだが、その女は少しも笑わなかった。目は既に久しい以前から涙のかわく間もなかったように見えていた。顔は青ざめていた。疲れきって病気ででもあるようなふうをしていた。腕の中に眠っている女の児を、子供を育てたことのある母親に独特な一種の顔付きでのぞき込んでいた。廃兵の持ってるような大きな青いハンカチをえりにたたみつけて、肩が重苦しそうに蔽(おお)われていた。手は日に焼けて茶褐色の斑点(はんてん)が浮き出していて、食指は固くなって針を持った傷がついていた。褐色の荒い手織りのマントを着、麻の長衣をつけ、粗末な靴をはいていた。それがファンティーヌであった。
 まさしくファンティーヌであった。がちょっと中々そうとは思えなかった。けれどよく注意してみれば、彼女はなおその美貌を持っていた。少し皮肉らしさのある愁(うる)わしげなしわが、右の頬に寄っていた。彼女の化粧、快楽とばか騒ぎと音楽とでできてるかのようで、鈴を数多くつけライラックの香気をくゆらしたあのモスリンとリボンとの軽快な化粧は、金剛石かと思われるばかりに日の光に輝く美しい霜のように、はかなく消え失せてしまったのだった。美しい霜は解けて、黒い木の枝のみが残る。
 あの「おもしろい狂言」から十カ月過ぎ去ったのである。
 その十カ月の間にどんなことが起こったか? それは想像するに難くない。
 捨てられた後には苦境。ファンティーヌはすぐにファヴォリットやゼフィーヌやダーリアをも見失ってしまった。男たちの方からの綱が切れれば、女たちの方からの結び目も解ける。もし半月もすぎてから、お前たちは互いに友だちであったと言われたら彼女らはびっくりすることだろう。もはや友だちであるなどという理由はなくなったのである。ファンティーヌはただ一人になってしまった。彼女の子供の父はもう立ち去ってしまった――悲しくもそういう分離は再び元にかえすことのできないものである――彼女は全然孤独になってしまった。それに労働の習慣は薄らぎ、快楽の趣味は増していた。トロミエスとの関係に引きずられて、自分のできるつまらぬ職業を軽蔑するようになったので、彼女は世の中への出口を閑却していた。そしてその出口はまったく閉ざされてしまった。金を得る途がなかった。彼女はどうかこうか字が読めはしたが、書くことはできなかった。子供の時に名を書くことを教わっただけであった。彼女は代書人にたのんでトロミエスに手紙を書いてもらった、それからまた第二、第三と手紙を書いてもらった。がトロミエスはそのどれにも返事をくれなかった。ある日ファンティーヌは、おしゃべりの女どもが彼女の女の児を見て言ってるのを聞いた。「あんな子供をだれが本気にするものか。あんな子供にはだれだって肩をそびやかすばかりさ!」そこでファンティーヌは、自分の子供に肩をそびやかしてその罪ない児を本気に取ろうとしないトロミエスのことを思った。そして彼女の心はその男のことで暗くなった。それにしても、どう心をきめたらいいか? 彼女はもはやだれに訴えん術(すべ)もなかった。彼女は過(あやま)ちを犯したのであった。しかし読者が知るとおり、彼女の心底は純潔で貞淑だった。彼女は漠然(ばくぜん)と、破滅のうちに陥りかけてること、いっそう悪い境涯にすべり込みかけてることを感じた。勇気が必要だった。彼女は勇気を持っていた、そして意地張った。生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールの町に帰ってみようという考えがふと浮かんだ。そこへ行ったら、たぶんだれかが自分を見知っていて、仕事を与えてくれるかも知れない。そうだ。けれども自分の過ちを隠さなければならない。そして彼女は、第一のより更につらい別れをなさなければならないであろうと、ぼんやり感じた。胸がつまった、けれども決心を固めた。これからわかることであるが、ファンティーヌは生活の手荒い元気を持っていた。
 彼女は既に勇ましくも華美をしりぞけ、自分は麻の着物を着、あらゆる絹物や飾りやリボンやレースを女の児に着せてやった。それは彼女に残っていた唯一の見栄(みえ)であって、それも聖(きよ)い見栄だった。彼女は自分のものをすべて売り払って、それで二百フランを得た。けれど細々(こまごま)した負債を払ってしまうと、八十フランばかりしか残らなかった。二十二歳で、春のある美しく晴れた朝、彼女は背中に子供を負ってパリーを出立つした。そうして子供と二人で歩いてゆくのを見た者があったら、きっと二人をあわれに思ったであろう。その女は世の中にその子供のほか何も持たなかった、そしてその子供は、世の中にその女のほか何も持たなかった。ファンティーヌはその女の児に自分で乳を与えてきた。それは彼女の胸部を疲らしていた。彼女は少し咳(せき)をしていた。
 フェリックス・トロミエス君のことを語る機会はもう再びないだろう。で、ただちょっと、ここに言っておこう。二十年後ルイ・フィリップ王の世に、彼は地方の有力で富裕な堂々たる代言人となっており、また賢い選挙人、いたって厳格な陪審員となっていた。けれど相変わらず道楽者であった。
 ファンティーヌは身体を疲らせないために、一里四スーのわりで、当時パリー近郊の小馬車といわれていた馬車に時々乗ったので、その日の正午(ひる)ごろには、モンフェルメイュのブーランジェーの小路にきていた。
 テナルディエ飲食店の前を通りかかった時、あの二人の女の児が気味悪いぶらんこにのって喜んでいるのを見て、彼女は心を打たれて、その喜びの様に見とれて立ち止まったのだった。
 人の心をひきつけるものはいくらもある。二人の女の児は、母なるファンティーヌにとってはその心をひくものの一つであった。
 彼女は心を動かされて二人の女の児を見守った。天使のいるのは楽園の近きを示す。彼女はその飲食店の上に、神に書かれたる不思議なるこの所という文字を見るような気がした。二人の女の児は、いかにも幸福そうだった。彼女はその二人を見守り、その二人に見とれ、しみじみとした気持ちになったので、その母親が歌の二句の間に息をついた時、彼女の口からは前に言った次の言葉が自然に出てきた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」
 いかに猛々(たけだけ)しい動物でも自分の児をかわいがられると穏やかになるものである。母親は頭をあげて礼を言った。そして自分は敷居(しきい)の上に腰掛けていたので、その通りがかりの女を戸口の腰掛けにすわらした。二人の女は話した。
「私はテナルディエの家内なんです。」と二人の子供の母親は言った。「私どもは、この飲食店をやっているんです。」
 それからまた、例の恋歌に返って、彼女は口の中で歌った。

余儀なし、われは騎士なれば、
パレスティナへ出(い)で立たん。

 そのテナルディエの家内というのは、ふとった角ばった赤毛の女だった。そのぶかっこうな様は、ちょうど女兵隊という型だった。そして変なことには、小説を耽読(たんどく)したためか妙に容態ぶっていた。愛嬌を作った男とでもいうような女だった。古い小説が飲食店の主婦式の想像の上に絡(から)みついたので、そんなふうになったのだった。まだ若くて、ようやく三十になるかならない程度だった。もし彼女がうずくまっていないで直立していたら、その丈(たけ)高い身体と市場でもうろついてそうな大きな肩幅は、おそらく初めから旅の女を驚かし、その信用を失わせ、われわれがこれから語るようなことは起こらなかったであろう。一人の女が立っていないですわっていた、ただそれくらいのことに運命の糸は絡むものである。
 旅の女は少し手加減をして身の上を語った。
 女工であったこと、夫が死んだこと、パリーで仕事がなくなったこと、他の土地へ仕事をさがしに出かけること、自分の故郷へ行くこと、その日の朝徒歩でパリーを発(た)ったこと、子供を背負っていたので疲れを覚えると、幸いにヴィルノンブル行きの馬車に出会ってそれに乗ったこと、ヴィルノンブルから歩いてモンフェルメイュまでやってきたこと、子供は少しは歩けるがまだ年もゆかないので多くは歩けぬこと、それで抱き上げなければならなかったこと、それゆえ子供は眠ってしまったこと。
 そう言って彼女は子供に熱いキッスをしたので、子供は目をさました。子供は目を開いた。母親のような青い大きな目であった。そしてながめた、何を? 何物をも、またすべてを、小さな子供に特有なまじめなまた時としてきつい眼眸(まなざし)で。それはわれわれ大人の頽廃(たいはい)しかけた徳義に対して子供の光り輝く清浄無垢が有する神秘である。あたかも彼らは自ら天使であることを感じ、われわれ大人が人間であることを知ってるかのようである。それからその女の子は笑い出した。そしていくら母親が引きとめても、走り出さんとする子供のおさえることのできない力で、地面にすべりおりてしまった。と突然、その子はぶらんこにのってる他の二人の子供を見て、急に立ち止まって、感じ入ったように口を開いて舌を出した。
 テナルディエの上さんは二人の子を解き放し、ぶらんこからおろしてやり、そして言った。
「三人でお遊びよ。」
 そのくらいの年ごろにはすぐになれ親しむものである。間もなくテナルディエの二人の子は新しくきた子供といっしょに地面に穴を掘って遊んだ。限りない楽しみのようだった。
 新来の子供は非常に快活だった。母親の温良さはその児の快活さのうちにあらわれる。子供は木の一片を拾ってそれをシャベルにして、蠅(はえ)のはいるくらいの小さな穴を元気そうに掘った。墓掘りのするようなことも、子供がすればかわゆくなる。
 二人の婦人は話し続けていた。
「あなたのお子さんの名は?」
「コゼットといいます。」
 コゼットというもウューフラジーが本当である。女の児の名はウューフラジーだった。しかし母親はウューフラジーをコゼットにしてしまった。それはジョゼファをペピタにかえ、フランソアーズをシエットにかえる、母親や民衆の柔和な優しい本能からである。それは一種の転化語であって、実に語原学を乱し困らすところのものである。われわれはテオドールをグノンというのに首尾よく変えてしまった一人の祖母のあるのを知っている。
「お幾歳(いくつ)ですか。」
「じきに三つになります。」
「うちの上の子と同じですね。」
 そのうちに三人の女の児はいっしょに集まって、ひどく気をひかれてうっとりしてるような様子だった。一事件が起こったのである。大きなみみずが一匹地の下から出てきたので、それに見とれてるのだった。
 彼らの輝いた額は相接していた、あたかも一つの後光のうちにある三つの頭のようだった。
「子供はほんとにすぐに仲よくなるものですね。」とテナルディエの上(かみ)さんは叫んだ。「あんなにしているとまるで三人の姉妹(きょうだい)のようですね。」
 その言葉は、おそらくも一人の母親が待ち受けていた火花であった。彼女はお上さんの手を執り、その顔をじっと見守って、そして言った。
「私の子供を預っていただけませんか。」
 テナルディエの上さんは、承知とも不承知ともつかないびっくりした様子を示した。
 コゼットの母親はつづけて言った。
「ねえ、私は娘を国へつれてゆくことができませんのです。そうしては仕事ができません。子供連れでは仕事の口が見つかりません。あちらの人はほんとに変なんです。私がお店の前を通りかかったのは神様のお引き合わせでございます。私はお子さんたちのあんなにかわゆくきれいで楽しそうなところを見まして、ほんとに心を取られてしまいました。ああいいお母さんだ、そうだ、三人で姉妹のように見えるだろう、と思いました。それに私はじきに帰って参ります。子供を預っていただけませんでしょうか。」
「考えてみましてから。」とテナルディエの上さんは言った。
「月に六フランずつ差し上げますから。」
 その時店の奥から男の声が響いた。
「七フランより少なくてはいかん。そして六カ月分前払いでなければ。」
「六七、四十二。」とテナルディエの上さんは言った。
「それを差し上げますから。」と母親は言った。
「そのほか支度の金に十五フラン。」と男の声はつけ加えた。
「すっかりで五十七フラン。」とテナルディエの上さんは言った。そしてその数字とともに、彼女はまた何とはなしに歌い出した。

余儀なし、と勇士は言いぬ。

「差し上げますとも。」と母親は言った。「八十フラン持っていますから。それで国へ行けるだけは残ります。歩いてさえ行けば。あちらへ行ったらお金をもうけまして、少しでもできたら子供を連れにまた帰って参ります。」
 男の声がまた響いた。
「その子は着物は持ってるね。」
「あれは私の亭主ですよ。」とテナルディエの上さんは言った。
「ええ着物はありますとも、――大事な子ですもの。私はあなたの御亭主だとわかっていました。――それも上等の着物なんです。ずいぶん贅沢なのです。皆ダースになっています。それからりっぱな奥様が着るような絹の長衣もあります。みんな私の手鞄の中にあります。」
「それを渡しておかなければいかんよ。」と男の声がした。
「ええ上げますとも!」と母親は言った。「子供を裸で置いてゆくなんて、そんな変なことができましょうか。」
 主人の顔がそこに現われた。
「それでよろしい。」と彼は言った。
 取り引きはきまった。母親はその一晩をその宿屋で過ごし、金を与え、子供を残し、子供の衣類を出してしまって軽くなった手鞄の口をしめ、そして翌朝、間もなく戻って来るつもりで出立つした。そういう出立つは静かになされる、がその心は絶望である。
 テナルディエの近所の一人の女が、立ち去ってゆくその母親に出会った、そして帰ってきて言った。
「通りで泣いてる女を見ましたが、かわいそうでたまらなかった。」
 コゼットの母親が出発してしまった時、亭主は女房に言った。
「これで明日(あした)が期限になってる百十フランの手形が払える。五十フランだけ不足だったんだ。執達吏と拒絶証書とを差し向けられるところだった。うまくお前は子供どもで罠(わな)をかけたもんだね。」
「別にそういうつもりでもなしにさ。」と女は言った。

     二 怪しき二人に関する初稿

 捕えられた鼠(ねずみ)はきわめて弱々しかった。しかし猫(ねこ)はやせた鼠をも喜ぶ。
 一体そのテナルディエ夫婦はいかなる人物であったか?
 ここでまずそれについて一言費やしておこう。そして後になってこの稿を完(まっと)うすることにしよう。
 この二人は、成り上がりの下等な人々と零落した知識ある人々とからできてる不純な階級に属するものであって、そういう階級の人々は、いわゆる中流社会といわゆる下層社会との中間に位し、後者の欠点の多少を有するとともにまた前者のほとんどすべての欠点を有し、労働者の寛大な発情もなければ中流民の正直な秩序をも知らないのである。
 彼ら二人は、もし或る焔が偶然その心を温むることがあるとしても、またたやすく凶悪になるごとき下賤(げせん)な性質の者であった。女のうちには野獣のような性根があり、男のうちには乞食(こじき)のような素質があった。二人とも、悪い方にかけてはどんなひどいことでもやり得る性質だった。世には蟹(かに)のごとき心の人がいる。常に暗やみの方へ退き、人生において前に進むというよりもむしろ後ろに退き、自分の不具をますます大ならしめることに経験を用い、絶えず悪くなってゆき、しだいにますます濃い暗黒に染まってゆく。二人は男女とも、そういう魂の者であった。
 亭主のテナルディエの方は特に、人相家にとって厄介な人物だった。ちょっと見てもすぐにこいつは用心しなければいけないと思えるような人がいるものである。彼らはその両端が暗い。後方に不安を引きずり、前方に威嚇(いかく)を帯びている。彼らのうちには不可知なるものがある。将来何をなすかわからないように、また過去に何をしてきたかもわからない。その目付きのうちにある影で、それとわかるのである。彼らが一語発するのを聞き、一つの身振りをするのを見ただけで、その過去の暗い秘密とその未来の暗い機密とを見てとることはできる。
 このテナルディエは、その言うところを信ずるならば、兵士であった。自分では軍曹だったと言っていた。たぶん一八一五年の戦争に出て、相当勇ましく戦ったらしい。果してどうであったかは、後に述べることにしよう。飲食店の看板はその軍功の一つを示したものであった。彼は自分でそれを書いたのである。何でもちょっとはやることができた、もとより上手ではなかったが。
 ちょうど古いクラシックの小説が、クレリーの後にロドイスカとなってしまい、まだ高尚ではあったがしだいに卑俗になり、ド・スキュデリー嬢からバルテルミー・アドー夫人に堕(おと)し、ド・ラファイエット夫人からブールノン・マラルム夫人へ堕し、そしてパリーの饒舌(おしゃべり)な女の恋情を焼き立て、なお多少郊外の方までも荒した時代であった。テナルディエの上さんは、ちょうどその種の書物を読むくらいの知識を持っていた。彼女はそれを自分の心の糧(かて)とした。貧しい頭脳をすっかりそれにおぼらした。そのため、まだ若かった時はなおさら、少し年取ってからも、亭主のそばで変に沈思的な態度を取るようになった。亭主の方がまた、かなり食えない奴(やつ)で、ようやく文法を学んだくらいの賤(いや)しい男で、野卑でありながらまた同時に狡猾(こうかつ)で、しかもピゴー・ルブランの猥※(わいせつ)[#「褻」の「陸のつくり」に代えて「幸」、276-17]な小説をよみながら、感情の方面のことやまた彼が気取って言うように「すべて性に関すること」においては、まじり気のないまったくの無骨者であった。上さんは彼よりも十四、五歳若かった。その後、愁(うる)わしげにほつれさした髪にも白いのが交じるようになり、令嬢パミーラから憎悪の神メゲラが解放される頃の年になると、彼女はもう下等な小説を味わった卑しい意地悪い女にすぎなかった。いったいばかなものを読めばきっとその害を受ける。彼女もまたその結果自分の長女をエポニーヌと名づけた。あわれな小さな次女の方はギュルナールと名付けられるはずだったが、デュクレー・デュミニルの小説から何かしらまねてきて、アゼルマとしか呼ばれなかった。
 しかしついでに言っておくが、洗礼名の混乱時代とも称し得るこの珍しい時代にあっては、何事も笑うべき下らないものではない。われわれが指摘しきたった空想的な要素の傍(かたわら)には、社会的風潮がある。今日、下流の小僧にアルチュールとかアルフレッドとかアルフォンズとかいう、しかつめらしい名前をつけ、子爵なんかが――なお子爵などというものがあるとすれば――トーマとかピエールとかジャックとかいう砕けた名前をつけることは珍しくはない。かく平民に「優雅な」名前をつけ貴族に田舎者の名前をつける転倒は、平等の一つの潮流にすぎない。新風潮の不可抗なる侵入は、他におけるがごとくそこにもある。その表面の不調和のもとには、重大な深い一事が潜んでいる。それはすなわちフランス大革命である。

     三 アルーエット

 繁昌(はんじょう)するには悪人であるだけでは足りない。この飲食店もうまくゆかなかった。
 旅の女から巻き上げた五十七フランのおかげで、テナルディエは拒絶証書を避けることができ、契約を履行することができたが、翌月彼らはまた金の必要ができて、上さんはコゼットの衣類をパリーに持って行き、モン・ド・ピエテに入質して六十フランこしらえた。その金が無くなってしまうと、テナルディエ夫婦はその小さな女の子を慈善のために置いてやってるというような気になって、取扱いも従ってそんなふうになってしまった。その児にはもう衣類が無くなったので、テナルディエ夫婦は自分の子供らの古い裾着やシャツなどを着せたが、もとよりそれは襤褸(ぼろ)であった。食物といえば、皆の食い残しを食わせられ、犬猫と同様だった。その上猫と犬とはいつも彼女の食事仲間だった。彼女は犬猫のと同じような木の皿で彼らといっしょに食卓の下で食事をした。
 母親は、後にまた述べるが、モントルイュ・スュール・メールに落ち着いて、子供の消息を知らんがために、毎月手紙を書いた、いや、いっそうよく言えば手紙を書いてもらった。テナルディエ夫婦はそれにいつもきまってこう答えた。「コゼットはすばらしくしてる。」
 初めの六カ月が過ぎた時、母親は七カ月目の七フランを送り、そしてかなり正確に月々の義務を果たした。一カ年もたたないうちにテナルディエは言った。「ありがたい仕合わせだ! 七フランばかりでどうしろというんだい。」そして彼は手紙をやって十二フランを請求した。子供は仕合わせで「うまくいってる」と言われたので、母親はその要求を入れて十二フランずつ送ってよこした。
 一方を愛すれば必ず他方を憎むような性質の人がいる。テナルディエの上さんは、自分の二人の女の子をひどくかわいがったので、そのために他人の子を憎んだ。母親の愛にも賤(いや)しい方面があるというのは、思っても嘆かわしいことである。コゼットはその家ではごく少しの場所を占めてるばかりだったが、テナルディエの上さんにとっては、それだけ自分の子供らの地位が奪われ、また自分の子供らの呼吸する空気が減らされたかのように思われた。彼女はその種の多くの女らと同じく、日々一定量の愛撫(あいぶ)を与え、また一定量の打擲(ちょうちゃく)と罵詈(ばげん)とをなさねば納まらなかった。もしコゼットがいなかったならば、二人の子供はいかに鍾愛(しょうあい)せられようともきっとまたすべてを受けたであろう。しかしその他人の子は、彼女らの代わりに打擲を受けてやった。二人の子供はただ愛撫ばかりを受けた。コゼットは何をしても必ず不当な激しい苛責(かしゃく)を頭上に浴びた。世間のことは何も知らずまた神のことをも知らないその弱々しい優しい子供は、自分と同じような二人の小さな子供が曙の光の中に生きてるのを側に見ながら、絶えず罰せられ叱(しか)られ虐待され打擲されていた。
 テナルディエの上さんがコゼットにつらく当たっていたので、エポニーヌとアゼルマも意地が悪かった。その年齢の子供らは母親の雛形(ひながた)にすぎない。ただ形が小さいだけのものである。
 一年過ぎ去った、そしてまた一年。
 村ではこんなことが言われていた。
「あのテナルディエ夫婦は豪気だ。金持ちでもないのに、家に捨ててゆかれたあわれな子供を育ててやってる。」
 コゼットは母親に捨てられたのだと思われていた。
 けれどもテナルディエは、どういう方面から探ったのかわからないが、子供はたぶん私生児であって母親はそれを公にすることができないのを知って、「餓鬼」も大きくなって「たくさん食う」ようになったからと言って月に十五フランを要求し、もし応じなければ子供を送り返すと言って脅かした。彼は叫んだ。「女に勝手にされてたまるものか。隠していやがるところへ子供をたたきつけてやるばかりだ。も少し金を出させなけりゃ置かない。」で母親は十五フランずつを払った。
 年々に子供は大きくなっていった、そしてその苦しみもまた増していった。
 コゼットはまだ小さい時には、他の二人の子供の苦しみの身代わりであった。少し大きくなってくると、言いかえれば五つにもならないうちに、彼女は女中となってしまった。
 五つで、そんなことがあるものか、と言う人があるかも知れない。が、悲しいかな、それは事実である。世の中の苦しみは幾歳からでも初まる。孤児で泥棒になったデュモーラルという者の裁判が最近にあったではないか。法廷の記録によれば、はや五歳の時から彼は世の中にただひとり者であって、「生活のために働きそして窃盗をなしていた。」
 コゼットは言いつけられて、使い歩きをし、室や庭や往来を掃除し、皿を洗い、荷物を運びまでした。テナルディエ夫婦は、やはりモントルイュ・スュール・メールにいる母親からの支払いが思わしくなくなり初めたので、またいっそうそんなふうに扱うのを至当と考えた。
 数カ月間金が滞ったりした。
 もしその母親が、それらの三カ年の後にモンフェルメイュに帰ってきたとしても、もう自分の子供を見分けることはできなかったろう。その家に到着した時にはあれほどかわゆく生き生きとしていたコゼットは、今はやせ衰えて青ざめていた。何ともいえない不安な様子をしていた。「陰険な子だ!」とテナルディエ夫婦は言っていた。
 不正は彼女をひねくれた性質にし、不幸は彼女を醜くした。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:622 KB

担当:undef