レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 顔は燃ゆるがようで、顔立ちは優美で、ごく青い目、大きいまぶた、甲高の小さい足、かっこうのよい手首と足首、所々に血管の青い筋を見せている真っ白い肌、あどけない瑞々(みずみず)しい頬、エジナ島で見い出されたジュノーの像のように丈夫な首、しっかりしてまたしなやかな首筋、クーストーが彫刻したかと思われるようで真ん中にモスリンを透かして肉感的なくぼみが見えている両の肩、夢想で和らげられてる快活さ、彫刻のようで美妙な姿、そういうのが即ちファンティーヌであった。そしてその衣装の下には一つの立像があり、その立像の中には一つの魂があることが見えていた。
 ファンティーヌは自ら知らずしてきれいであった。世にまれな夢想家ら、何物をもひそかに完成に比較する美の不思議な司祭らは、この小さな女工のうちに、パリー婦人の透明な美を通して、古代の聖(きよ)い階調を見い出したであろう。この下層の娘はその美の血統を持っていた。彼女は風姿と調子との二つの種類において美しかった。風姿は理想の形体であり、調子はその運動である。
 われわれはファンティーヌをもって快楽そのもののように言った。が、ファンティーヌはまた貞淑そのものでもあった。
 彼女をよく注意して見る時には、その年齢と季節と愛情との酔いを通して彼女から浮かび上がって来るところのものは、内気と謙譲とのうちに消し難い表情であった。彼女はいくらかびっくりしたようなふうをしていた。その潔(きよ)いびっくりした様こそは、サイキーをヴィーナスと異ならしむる色合いである。彼女の真っ白な長い細い指は、金の留め金で聖火の灰をかきまわすという貞節を守る巫女(みこ)のそれのようだった。後(あと)で明らかにわかるとおり、彼女はトロミエスに対しては何事も拒まなかったけれども、その穏やかな平時の顔はまったく処女のようだった。まじめなそしてほとんどいかめしい一種の威厳が時々突如として現われた。そして快活さが急に消え失せて何ら推移の影を見せないで直ちに沈思の趣に変わってゆく様子は、まったく不思議な驚くべきことだった。その突然のそして時としては厳(いか)めしくきわ立って見えるまじめさは、女神の軽蔑(さげすみ)にも似ていた。額と鼻と□(あご)とは、割合の平衡とはまったく異なる線の平衡を示していた。そしてそれによって顔立ちの調和が取れていた。また鼻の下と上脣(うわくちびる)との間のごく目につきやすい間隔のうちには、見えるか見えないかの魅力あるしわがあった。それは貞節の神秘な兆(しるし)で、バルバロッサをしてイコニオムの発掘の中に見い出されたディアナに恋せしめたところのものである。
 恋は過ちである。さもあらばこそ、ファンティーヌは過ちの上に浮かんでいる潔白そのものであった。

     四 トロミエス上機嫌(じょうきげん)にてスペインの歌を歌う

 その日は始めから終わりまでまるで曙(あけぼの)のようだった。自然もすべて休日で笑い楽しんでるように見えた。サン・クルーの花壇はかおりを散らし、セーヌの河風はそよそよと木の葉を揺るがし、木々の枝は風のままに動き、蜜蜂(みつばち)はジャスミンの花に集まり、蝶の群れはクローバーやのこぎり草や野生の燕麦(えんばく)の間を飛び回り、ロア・ド・フランスの壮大な園には鳥の浮浪の群れがいた。
 四組みの楽しい男女は、太陽や野や花や木にうち交じって光り輝いていた。
 そしてこの楽園の一群は、饒舌(しゃべ)り、歌い、かけ、踊り、蝶を追い、昼顔を摘み、高い草の中にその薔薇(ばら)色の透き編みの靴足袋をぬらし、生き生きとして、狂気のごとく、何らの意地悪げもなく、あちこちで皆互いに接吻(せっぷん)し合っていた。ただ一人ファンティーヌだけは、夢みるようななれ難い反発のうちにぼんやり閉じこもっていた、そして恋を心にいだいていた。「あんたは、」とファヴォリットは彼女に言った、「あんたはいつも妙なふうをしてるわね。」
 そこに快楽がある。それらの楽しい男女の遊山は、人生と自然とへの深い呼びかけであり、すべてのものから愛撫(あいぶ)と輝きとを誘い出すのである。かつて一人の魔女がいて、恋する者たちばかりのために野と森とを作った。それで恋人らの永遠の野遊びの学校が初まった。それは絶えず開かれており、木々の茂みと学生とがある間は続くであろう。それで思想家の間に春が名高くなった。貴族も大道の研屋(とぎや)も、華族も平民も、殿上人も町人も、皆その魔女の臣下である。人は笑い楽しみ、互いにさがし求め、賛美の光輝が空中に漂う。愛することはいかに万物の姿を変ずるか! 公証人書記も神となる。そして、かわいい叫び、草の中の追いっくら、急な抱擁、かえって音楽のように響く言葉のなまり、一言のうちにほとばしるその情愛、口から口へ移し合う桜ん坊、それらは皆燃え上がり、天国の栄光のうちに包まるる。美しい娘たちは楽しくその美を浪費する。永久に終わらないもののようである。哲学者も詩人も画家も、ただその恍惚(こうこつ)たる様をながめるのみでなすところを知らない。それほど彼らも眩惑せられるのだ。シテール島(訳者注 愛の恍惚の島)への出発とワットーは叫び、平民の画家なるランクレーは蒼空(そうくう)に翔(か)け上る市民らをうちながめ、ディドローはそれらの情愛をとらえんとて手を伸ばし、デュルフェーはそれにゴールの祭司をささえしめた。
 昼食の後に四組みの男女は、当時王の花壇と呼ばれていた所に、インドから新たにきた植物を見に行った。今ちょっとその名は忘れたが、当時それはサン・クルーにパリー中の人を引きつけたものだった。幹の高い不思議な面白い灌木(かんぼく)で、無数の細かな枝が糸のようでうち乱れ、葉はなく、たくさんの小さな白い花形のもので蔽(おお)われていた。そのため木は一面に花の咲いた毛髪のような観を呈していた。いつもそれを嘆賞してる大勢の人がいた。
 その灌木を見てから、トロミエスは叫んだ、「驢馬(ろば)に乗せてあげよう!」驢馬屋に賃金をきめて、彼らはヴァンヴとイッシーとの道から戻ってきた。ところがイッシーでおもしろいことがあった。当時、陸軍御用商人ブウルガンの所有であったその公園ビヤン・ナシオナルは、偶然にもすっかり開かれていた。彼らは門をはいって、洞窟(どうくつ)の中のばかの隠者を見、有名な鏡の間の不思議な働きをためしに行った。そこはある半羊神が百万の富者になり卑しいチュルカレーがプリアプ神になったという話しにふさわしい、淫猥(いんわい)な陥穽(あな)だった。また彼らはベルニス修道院長が祝福した二本の栗(くり)の木にゆわえられてる、大きな綱のぶらんこを激しくゆすった。トロミエスが美人連を代わる代わるぶらんこにのせて揺すると、ちょうどグルーズの好んで画いた絵のようにその裾(すそ)がまくれるので、皆ははやし立てた。そしてツウルーズはスペインのトロサと関係があるので、ツウルーズ生まれで多少スペインと縁のあるトロミエスは、愁(うる)わしい調子で古いスペインの小唄(こうた)ガレガを歌った、おそらく二本の木の間の綱の上に勢い込めて揺られてる美しい娘から感興を得たのであろう。

わたしの生まれはバダホース。
恋というのがわたしの名。
わたしの心は
みんなわたしの目の中に、
ほんにかわいい
お前の足が出てるから。

 ただファンティーヌだけはぶらんこに乗らなかった。
「あんなふうに気取ってるのはあたし大きらい。」とファヴォリットはかなり手酷(てひど)くつぶやいた。
 驢馬(ろば)をすてても、やはりまたおもしろかった。彼らは船でセーヌ河を渡り、パッシーから歩いてエトアール市門まで行った。読者は記憶しているであろうが、彼らは朝の五時から起き上がっていたのである。けれども、「なあに日曜には疲(くたび)れることなんかないわ、」とファヴォリットは言った、「日曜には疲れもお休みだわ。」そして三時ごろに、楽しみに夢中になってる四組みの男女は、ロシアの山をかけおりた。ロシアの山というのは、当時ボージョンの高地に立っていた奇妙な建造物で、シャン・ゼリゼーの並み木の上にその波状をなした線が見えていたものである。
 時々ファヴォリットは叫んだ。
「そしてびっくりするようなものというのは! あたしそれを早く知りたいわ。」
「まあ待っといでよ。」とトロミエスは答えた。

     五 ボンバルダ料理店

 ロシアの山を遊びつくして、彼らは夕食のことを考えた。そしてその愉快な八人組みも、ついに少し疲れを覚えて、ボンバルダ料理店へ引き上げた。それは当時デロルム路地の側にリヴォリ街に看板を出していたあの有名な料理屋のボンバルダが、シャン・ゼリゼーに出している支店であった。
 奥に寝所と寝台とのある大きいしかしきたない室で(日曜で客の多い時だったのでそんな所でも我慢しなければならなかったのである)、二つの窓があり、窓からは楡(にれ)の木立ちを透かして河岸と川とを見渡すことができた。八月のうららかな日光が窓に軽く当たっていた。二つのテーブルがあって、その一つには、男女の帽子に交じって花環(はなわ)が山のように積まれ、他のテーブルには、大皿と小皿や杯やびんなどが楽しげに並べられて、そのまわりに四組みの男女はすわっていた。ビールのびんはぶどう酒のびんと入れ交じっていた。食卓の上にはほとんど秩序がなく、その下にも狼藉(ろうぜき)があった。

彼らはテーブルの下に音を立つ、
足を触れ合うおぞましき音を。

とモリエールは言っている。
 以上が、朝の五時に初まった遊山の午後四時半ごろの有り様であった。日は傾き、彼らの食欲も満たされた。
 シャン・ゼリゼーは日の光と群集とに満ちて、輝きと塵(ちり)とのみだった。その二つこそ光栄を形造るところのものである。マルリーの嘶(いなな)ける大理石の馬は黄金の雲の中におどり上がっていた。四輪馬車がゆききしていた。はなやかな親衛騎兵の一隊は、先頭にラッパを鳴らしてヌイイーの大通りを下っていった。夕日にやや薔薇(ばら)色に染まった白い旗が、チュイルリー宮殿の丸屋根の上にひるがえっていた。当時再びルイ十五世広場と呼ばれていたコンコルドの広場は、満足げな散歩の人をもって満たされていた。多くの者は、銀色の百合(ゆり)の花を波形模様の白リボンに下げて身につけていた。それは一八一七年にもなおボタンの穴につけられてる昔のなごりである。所々に、丸く集まって喝采してる通行人の真ん中に、輪舞(ロンド)の娘らが当時名高かったブールボン派の歌を歌っていた。その歌はナポレオン再挙の百日をのろうために作られたもので、次のような複唱の句を持っていた。

われらにガンの父を返せ、
われらにわれらの父を返せ。

 郭外の大勢の人々は、日曜の晴れ着をつけ、稀(たま)には郭内の者のように百合の花をさえつけて、マリーニーの大小の広場に散らかり、輪遊びをしたり、木馬に乗って回ったりしていた。ある者は酒を飲んでいた。活版屋の小僧らは紙の帽子をかぶってるのもあった。人々の笑い興ずる声は遠くまで聞えていた。すべてが喜びに輝いていた。揺るぎなき平和と王党の確かな安泰との時代だった。警視総監アングレーがパリー郭外に関して王にいたした内密な特別報告が次の数行で結ばれた時代であった。「陛下、すべてを考察するにこれらの人民には何ら恐るべきものなし。彼らはむとんちゃくにして怠慢なること猫(ねこ)のごとし。地方の下層の人民は不安なれども、パリーのそれはしからず。彼らは皆小人どものみなり。陛下、陛下の精兵一人を作らんがためには彼ら二人を接合するを要すべし。首府の賤民(せんみん)につきては少しも恐るるに足らず。五十年以来彼らの身長なお減じたるは著しきことにして、パリー郭外の者らは革命前よりもいっそう矮小(わいしょう)となれり。更に危険なることなし。要するに、そは愛すべき細民なり。」
 猫が獅子(しし)に変わり得ることもあるとは、警察の長官らは信じない。けれどもそれは可能で、そこにパリー民衆の奇蹟がある。そのうえ猫は、アングレー伯爵からはかくも軽蔑せられたが、古(いにし)えの共和制を尊んでいた。そのために彼らの目には自由の姿が刻み込まれていた。そしてピレウスにある無翼のミネルヴァの像と相対立せしめんがためかのように、コラントの広場には猫の青銅の巨像が立っていた。王政復古の正直な警察は、パリーの人民をあまりに「りっぱ」に見た。が、それは人が信ずるほど「愛すべき[#「愛すべき」は底本では「感すべき」]細民」では決してない。パリー人のフランス人におけるは、アテネ人のギリシャ人におけるがごときものである。彼らほどよく眠る者はなく、彼らほど公然と軽佻(けいちょう)で怠惰なるものはなく、彼らほど忘却のふうを多く有するものはない。けれどもそれを当てにしてはならない。いかなるむとんちゃくをも現わすが、しかし名誉に関する場合には、あらゆる熱狂を示す。槍(やり)を与うれば八月十日(訳者注 一七九三年の)の事件を起こし、銃を与うればアウステルリッツの勝利を得る。彼らはナポレオンの支柱であり、ダントンの根拠である。祖国のためには軍籍に入り、自由のためには舗石(しきいし)をもあげて戦う。注意せよ! 怒りに満ちたる彼らの頭髪は叙事詩的であり、彼らの上着は古ギリシャの外套にも似る。注意せよ。グルネタ(訳者注 パリー)のあらゆる街路は、彼らの手によって恐ろしき刃の関所となるであろう。一度時機きたらば、その郭外の住民は大きくなり、その矮小なる男は立ち上がり、恐ろしき目をもってにらみ、吐く息は暴風となり、その狭いあわれなる胸からは、アルプス連山の起伏をも動かすほどの風が出るであろう。フランス革命が、軍隊の力をも借りはしたが、欧州を席巻したのは、パリー郭外の人民の力によってである。彼らは歌う、それが彼らの楽しみである。彼らの歌をしてその天性に応ぜしめよ、しからばわかるであろう。その複唱句としてカルマニョールをのみ与うれば、彼らはただルイ十六世をくつがえすのみ。マルセイエーズを歌わしむれば、彼らは世界を解放せん。
 アングレーの報告の余白に以上のことを付記して、われわれはまたわが四組みの男女のことに帰ろう。前に言ったとおり、晩餐(ばんさん)は既に終わりかけていた。

     六 うぬぼれの一章

 食卓の雑話、恋のさざめき。いずれ劣らぬ捕え難いものである。恋のさざめきは雲であり、食卓の雑話は煙である。
 ファムイュとダーリアとは鼻歌を歌っていた。トロミエスは酒を飲んでいた。ゼフィーヌは笑い、ファンティーヌはほほえんでいた。リストリエはサン・クルーで買った木のラッパを吹いていた。ファヴォリットはやさしくブラシュヴェルをながめて言った。
「ブラシュヴェル、あたしあんたをほんとに愛してよ。」
 その言葉はブラシュヴェルの質問をひき起こした。
「もし僕がお前を愛さなくなったら、ファヴォリット、お前はどうするんだい。」
「あたし!」とファヴォリットは叫んだ。「ああ、そんなことおよしなさいよ、冗談にも! もしあんたがあたしを愛さなくなったら、あたし追っかけて、しがみついて、引っ捕えて、水をぶっかけてやるわ、警察に捕えてもらうわ。」
 ブラシュヴェルは自負心に媚(こ)びられた者のように嬉しげににやりと笑った。ファヴォリットはまた言った。
「ええ、あたし警察にどなり込んでやる。それこそほんとに困まっちまうわ。憎らしい!」
 ブラシュヴェルはうっとりとして、椅子(いす)にぐっと身を反(そ)らせ、得意げに両の目を閉じた。
 ダーリアは物を食べながら、その騒ぎの中で声を潜めてファヴォリットに言った。
「それじゃあんたはほんとにあの人を大事に思ってるの、ブラシュヴェルを?」
「あたし、あの人大きらい。」とファヴォリットはフォークを取り上げながら同じ低い声で答えた。「それは吝嗇(けち)でね。それよりかあたし、家(うち)の向こうにいるかわいい男が好きなのよ。若い男だが、それはりっぱよ。あんた知ってて? 見たところ何だか役者のようだわ。あたし役者が大好き。その男が帰って来ると、そのお母さんが言うのよ、ああああ、煩(うるさ)いことだ、また喚(わめ)き立てるんだろう、頭がわれそうだって。鼠(ねずみ)のはうようなきたない家なのよ、真っ暗な小さな家よ、それは高い上階(うえ)でね。その家の中で、歌ったり読誦(どくしょう)したりするんだが、何だかわかりゃしない、ただ下からその声が聞こえるだけよ。代言人の所へ通って裁判のことを書くんで、今では日に二十スーとかもらうんだって。サン・ジャック・デュ・オー・パのもとの歌い手の息子(むすこ)なのよ。ほんとにそれはきれいよ。あたしに夢中なの。ある日なんかパンケーキの粉をねってるあたしを見て言うのよ、嬢さん、あなたの手袋でお菓子をこしらえたら私が食べてあげますよって。そんなふうには芸術家でなくちゃ言えやしないわ。ああそれは好(い)い男よ。どうやらあたしも夢中になりそうだわ。でもどうだっていい、あたしブラシュヴェルに、あんたに惚(ほ)れてるって言っておくの。あたし嘘(うそ)をつくのはうまいでしょう、ねえ、上手でしょう!」
 ファヴォリットはちょっと言葉を切って、そしてまた続けた。
「ダーリア、ねえあたしつまんないわ。夏中雨ばかりだし、いやあな風が吹くし、風は何の足(た)しにもなりはしないし、ブラシュヴェルは大変吝嗇(けち)だしさ。市場には豌豆(えんどう)もあまりないので、何を食べていいかわかりゃしない。イギリス人が言うように憂鬱(ゆううつ)を感じるわ。バタが大変たかいしね。それからまあ御覧なさいよ、何という所でしょう。寝台のある所で食事をしてるんじゃないの。ほんとに世の中が嫌(いや)になっちまうわ。」

     七 トロミエスの知恵

 さて、ある者は歌っており、ある者はやかましく饒舌(しゃべ)っていて、そして時々皆いっしょになって、ただもう非常な騒ぎであった。トロミエスは皆をさえぎった。
「そうやたらに饒舌ったり、あまり早口をきいたりするなよ。」と彼は叫んだ。「ほんとに楽しもうと思うなら少し考えなくちゃいけない。あまり即興なことばかりやってると、変に頭を空(から)にするものだ。流れるビールは泡(あわ)を立てない。諸君、急ぐなかれだ。御ちそうには荘重さを加えなければいけない。よく考えて食い、ゆるゆると味わおうじゃないか。あわてないがいい。春を見たまえ。春も急げば失敗する、すなわち凍る。あまり熱心なのは、桃や杏(あんず)を害する。あまり熱心なのは、りっぱな饗宴(きょうえん)の美と楽しみとを殺す。熱中したもうな、諸君。食通グリモー・ド・ラ・レーニエールもタレーランの意見に賛成しているではないか。」
 反対のささやきが仲間のうちに聞こえた。
「トロミエス、われわれの邪魔をするな。」とブラシュヴェルは言った。
「圧制者はなぐり倒せ!」とファムイュは言った。
「ボンバルダに暴食に暴飲だ!」とリストリエは叫んだ。
「まだ日曜のうちだ。」とファムイュはまた言った。
「われわれは簡潔だ。」とリストリエがつけ加えた。
「トロミエス、」とブラシュヴェルは言った、「モン・カルム(僕の落ち着いてる様)を見ろ。」
「なるほど君は侯爵だ。」とトロミエスは答えた。
 その駄洒落(だじゃれ)は、水たまりに石を投げ込んだようなものだった。モンカルム侯爵といえば当時名高い王党の一人だったのである。蛙(かえる)どもは皆声をしずめた。
「諸君、」とトロミエスは再び帝国を掌握した者のような声で叫んだ、「落ち着くべしだ。天から落ちたこの洒落にあまり感心しすぎてはいけない。天から落ちたもの必ずしも感心し尊敬すべきもののみではない。洒落は飛び去る精神の糞である。冗談はどこへも落つる。そして精神はむだ口を産み落とした後、蒼空にかけ上る。白い糞は岩の上にへたばるとも、なお禿鷹(はげたか)は空に翔(か)けることをやめない。予の目前にて洒落を侮辱するなかれ! 僕はその価値相当に洒落を尊重する。ただそれだけだ。人類のうちにおいて、そしておそらく人類以外においても、最も厳(いか)めしき者、最も崇高なる者、最も美しき者、みな多少言葉の遊戯をしている。イエス・キリストは聖ペテロについて、モーゼはイザヤについて、アイスキロスはポリニセスについて、クレオパトラはオクタヴィアについて、洒落を言った。このクレオパトラの洒落はアクチオムの戦いの前に言われたことで、もし彼女がいなかったらだれも、ギリシャ語で鍋匙(なべさじ)という意味のトリネの町のことを思い出す者はなかったろう。がそれはそれとしておいて、僕はまた僕の勧告に立ち戻ろう。諸君、繰り返して言うが、熱中したもうな、混乱したもうな、度を過ごしたもうな。たとい才気や快活や楽しみや洒落においてもそれはいけない。聞きたまえ、僕はアンフィアラウスの慎重とシーザーの禿頭(はげあたま)とを持っているんだ。限度というものがなければならない。洒落においてもそうだ。すべてのことに程度ありだ。限度がなければならない。食事においてもそうだ。婦人諸君、君たちはリンゴ菓子が好きだ、しかしやたらに食べてはいけない。リンゴ菓子にも才能と技術とを要する。大食はそれをなす者を害する。大食大食漢を罰すだ。消化不良は神の命を受けて胃袋に訓戒をたれる。そしてよろしいか、われわれの各感情は、恋でさえ、一つの胃袋を持っている。それにあまりいっぱいつめ込んではいけない。すべてのことに適当な時期においてフィニス(終局)の文字を刻まなければいけない。おのれを制しなければいけない。もし危急の場合には、欲望の上に錠をおろし、感興を拘束し、自らおのれを監視しなければいけない。賢者とは、一定の時機におのれを制する道を知れる者をいうのである。まあ僕の言うことを信じたまえ。僕はいくらか法律を、その試験を受けたんだから、やったわけである。僕は既定問題と未定問題との差異を知っている。ローマにおいてムナチウス・デメンスが大虐罪の審問掛かりであった頃いかなる拷問を与えたかについて、僕はラテン語の論文を書いたことがある。あるいは僕は博士になるかも知れない。だから必然に僕が愚か物だということは言えないだろう。で僕は諸君に、欲望の節制を勧める。僕がフェリックス・トロミエスという名であることが真実であるように、僕はまったく本当のことを言うんだ。時機至った時に勇ましき決心の臍(ほぞ)を固め、シルラもしくはオリゲネスのごとく後ろを顧みざる者は、幸福なるかな!」
 ファヴォリットは深い注意を払ってそれを聞いていた。
「フェリックス、」と彼女は言った、「何といい言葉でしょう。あたしそういう名前が好きよ。ラテン語だわね。繁昌(はんじょう)という意味でしょう。」
 トロミエスは言い続けた。
「市民よ紳士よ騎士よわが友よ! 諸君は、何らの刺激をも感ずることを欲せず、婚姻の床にもはいらず、恋をないがしろにせんと欲するか。それよりたやすいことはない。ここにその処方がある、曰(いわ)く、レモン水、過度の運動、労役、疲労、石曳(ひ)き、不眠、徹夜、硝酸水および睡蓮(すいれん)の煎(せん)じ薬の飲取、罌粟(けし)および馬鞭草(くまつづら)の乳剤の摂取、それに加うるに厳重なる断食をもって腹を空(から)にし、その上になお冷水浴、草の帯、鉛板着用、鉛酸液の洗滌(せんじょう)、酸水剤の温蒸。」
「僕はそれよりも女を選ぶ。」とリストリエが言った。
「女!」とトロミエスは言った。「女を信ずるな。女の変わりやすき心に身を投げ出すものは不幸なるかなだ。女は不実にして邪曲である。女は商売敵(がたき)の感情で蛇(へび)をきらうのだ。蛇は女と向かい合いの店だ。」
「トロミエス、」とブラシュヴェルは叫んだ、「君は酔っている!」
「なあに!」とトロミエスは言った。
「それではもっと愉快にしろ。」とブラシュヴェルは言った。
「賛成。」とトロミエスは答えた。
 そして杯に酒を満たしながら、彼は立ち上がった。
「酒に光栄あれ! バッカスよわれ今汝を頌(たた)えん! ごめん、婦人諸君、これはスペイン式だ。ところで、その証拠はここにある、曰く、この人民にしてこの樽(たる)あり。カスティーユの樽(アローブ)は十六リットルであり、アリカントの樽(カンクロ)は十二リットル、カナリーの樽(アルムユード)は二十五リットル、バレアールの樽(キュアルタン)は二十六リットル、ピーター大帝の樽(ボット)は三十リットルである。偉大なりし大帝万歳、しかして更にいっそう偉大なりし彼の樽(ボット)万歳だ。婦人諸君、これは友人としての忠告だ。よろしくば互いに隣人を欺け。恋の特性は流転にある。愛情は膝(ひざ)に胼胝(たこ)を出かしてるイギリスの女中のように、すわり込んでぼんやりするために作られてはいない。そのためにではないんだ。愛情は愉快にさ迷う。楽しき愛情よ! 迷いは人間的であると人は言う。が僕は言いたい、迷いは恋愛的であると。婦人諸君、僕は諸君を皆崇拝する。おおゼフィーヌ、おおジョゼフィーヌ、愛嬌のある顔よ、歪(ゆが)んでさえいなければ素敵である。うっかり腰をかけられてつぶされたようなかわいい顔つきをしている。ファヴォリットに至っては、ニンフにしてミューズの神だ。ある日ブラシュヴェルがゲラン・ボアソー街の溝(どぶ)の所を通っていると、白い靴足袋(くつたび)を引き上げ脛(はぎ)を露(あら)わにした美しい娘を見た。その初会が彼の気に入って、そして彼は恋するに至った。その彼の恋人がファヴォリットなのだ、おおファヴォリットよ! 汝の脣(くちびる)はイオニア式だ。エウフォリオンというギリシャの画家が居たが、脣の画家と綽名(あだな)されていた。そのギリシャ人一人のみが汝の脣を画くに足る。聞きたまえ、汝以前にはかつてその名に値する人間はいなかったのだ。汝はヴィーナスのように林檎(りんご)をもらい、イヴのように林檎を食うために作られている。美は汝より始まる。僕は今イヴのことを言ったが、イヴを作ったのはそれは汝だ。汝は美人発明の特許権を得てもいいのだ。おおファヴォリット、こんどは汝と呼ぶことをやめよう、詩から散文の方へ移るのだ。君は先刻僕の名のことを言ったね。それは僕の心を動かした。しかしわれわれが何であろうとも、われわれは名前に疑問をいだこうではないか。名前も誤ることがある。僕はフェリックス(訳者注 繁昌幸福の意)という名だ、そして少しも幸福ではない。言葉は嘘(うそ)つきである。言葉がわれわれにさし示すことをむやみに受け入れてはならない。栓(せん)を買わんためにリエージュ(訳者注 キルク栓の意)の町に手紙を書き、手袋を得んためにポー(訳者注 革の意)の町に手紙を出すは誤りである(訳者注 ファヴォリットの名は寵愛の意を有することを記憶せられたい)。ダーリア嬢よ、僕がもし君であったら、ローザと自分を称したい。花にはいいかおりがなくてはいけない、婦人には機才がなくてはいけない(訳者注 ローザとは薔薇の意で、薔薇にはダリアと違って芳香がある)。僕はファンティーヌについて一言も費やさなかったが、ファンティーヌこそは、夢想的な瞑想的な沈思的な敏感な女である。ニンフの姿と尼僧の貞節とをそなえた幻影であって、誤ってうわ気女工の生活のうちに迷い込んだが、しかし幻のうちに逃げ込み、歌を歌い、祈りをし、何を見何をしてるかを自ら知らずして蒼空をうちながめ、小鳥の多い空想の庭の中を空を仰ぎながらさ迷う女である。おおファンティーヌよ、このことを知れ、我トロミエスは一つの幻にすぎないことを。しかし彼女はこの言を耳にも入れない、空想の金髪の娘よ! 要するに彼女のうちにあるものは、新鮮、爽快(そうかい)、青春、朝の穏やかな光である。おおファンティーヌよ、汝はマルグリット(菊)もしくはペルル(真珠)の名にふさわしい娘で、最も光輝美しい女である。さて婦人諸君、ここに第二の忠告がある。曰(いわ)く、決して結婚するなかれ。結婚は一つの接木(つぎき)である。うまくもゆけば、まずくもゆく。そういう危険は避けるがよい。しかし、つまらぬことを僕は言い出したものだ。言葉をむだにするばかりだ。結婚については、娘たちは救われない。われわれ賢者がいかに言葉を費やしても、チョッキを仕立て半靴を縫う娘たちまでが、やはりダイヤモンドを飾った夫を夢みるのだ。それもよし。ただ美人諸君、よく心に入れたまえ、諸君はあまりに多く砂糖を食いすぎる。婦人諸君、君たちはただ一つの欠点を持っている、すなわち、砂糖を蚕食することだ。おお齧歯獣(げっしじゅう)の婦人よ、君たちの美しい小さな白い歯は砂糖を崇拝する。がよく聞かれよ、砂糖は一種の塩である。塩はすべて物を乾燥せしむる。中にも砂糖はあらゆる塩のうちで最も乾燥力が強い。それは血管を通して血液の水分を吸い取る。それ故血液の凝結と次にその固結をきたす。そのために肺に結核を生じ、次いで死をきたす。糖尿病と肺病とが隣するはこのゆえである。それで、砂糖をかじらなければ君たちは万々歳だ! 次に男子諸君に言う。諸君、よろしく婦人を獲得すべしだ。何ら悔いの念なく互いに恋人を奪い合うべしだ。恋には友人も存しない。美人ある所には至る所に対抗がはじまる。仮借なき決戦! 美人はカジュス・ベリ(戦囚)であり、美人は一つの現行犯である。歴史上のすべての侵入は女の腰巻きによって決定せられた。婦人は男子の権利物である。ロムルスはサビネの女らを奪い、ウィリアムはサクソンの女らを奪い、シーザーはローマの女らを奪った。愛せられざる男は禿鷹のごとくに他人の恋人らの上を飛ぶ。僕はひとり者の不幸な男らに、ボナパルトがイタリー軍になした崇高なる宣言を投げ与える、曰く、兵士らよ、汝らは何物をも有せず、敵はすべてそれらを持てり。」
 トロミエスはちょっとやめた。
「少し息をつけ、トロミエス。」とブラシュヴェルは言った。
 同時にブラシュヴェルはリストリエとファムイュとにつけられて、哀歌の節(ふし)で歌を歌い出した。それはでたらめの言葉を並べた工場の小唄(こうた)の一つで、豊富にむちゃに韻をふみ、木の身振りや風の音と同じく何らの意味もなく、煙草の煙とともに生まれ、その煙とともに散り失せ飛び去ってゆく歌の一つであった。トロミエスの長談義に答えて皆が歌ったその歌は次のようなものだった。

ばかな長老さんたちは、
代理の者に金(かね)くれて、
クレルモン・トンネールさんを、
サン・ジャンの法皇に骨折った。
クレルモンは牧師でないゆえ、
法皇になることできんかった。
代理の者は腹立てて、
その金持って戻ってきた。

 それはトロミエスの即席演説を静めはしなかった。彼は杯をのみ干して、また酒をつぎ、再びはじめた。
「知恵をうち仆(たお)せ! 僕が言ったことはすべて忘れるがいい。貞淑ぶるなかれ、小心たるなかれ、廉直なるなかれ。僕は愉悦に向かって祝杯をささぐる。よろしく快活なれ! わが法律の講座を補うにばか騒ぎと御ちそうとをもってすべし。不消化と法律全書。ジュスティニアンは男性にしてリパイユは女性たるべし! 深淵(しんえん)のうちにおける快楽よ! 生きよ、おお天地万物よ! 世界は大なるダイヤモンドなるかな! 僕は愉快だ。小鳥は驚くべきものだ。どこもこれお祭りだ! 鶯(うぐいす)は無料(ただ)で聞けるエルヴィウーだ。夏よ、われは汝を祝する。おおリュクサンブール、おおマダム街の鄙唄(ひなうた)! おおオブセルヴァトアールの通路の鄙唄! おお夢みる兵士ら! 子供を守(もり)しながらその姿を描いて楽しむかわいい婢(おんな)ら! オデオンの拱廊(きょうろう)がなければ、僕はアメリカの草原を喜ぶ。わが魂は人跡いたらぬ森林と広漠(こうばく)たる草原とに飛ぶ。万物みな美である。蠅(はえ)は光のうちを飛び、太陽に蜂雀(ほうじゃく)はさえずる。わが輩を抱け、ファンティーヌ!」
 そして彼はまちがえてファヴォリットを抱いた。

     八 馬の死

「ボンバルダよりエドンの方がうまいものを食べさせるわ。」とゼフィーヌが叫んだ。
「僕はエドンよりボンバルダの方が好きだ。」とブラシュヴェルは言った。「こっちの方がよほど上等だ。よほどアジアふうだ。下の部屋を見てみたまえ。壁にはグラス(鏡)がかかっている。」
「グラス(氷)ならお皿の中のの方がいいわ。」とファヴォリットは言った。
 ブラシュヴェルは言い張った。
「ナイフを見たまえ。ボンバルダでは柄が銀だが、エドンでは骨だ。銀の方が骨よりも高いんだ。」
「そう、銀髯(ひげ)の腮(えら)を持ってる人を除いてはね。」とトロミエスが言った。
 彼はその時、ボンバルダの窓から見える廃兵院の丸屋根を見ていた。
 それからちょっと言葉がと絶えた。
「おいトロミエス、」とファムイュは叫んだ、「先程、リストリエと僕と議論をしたんだが。」
「議論は結構だ。」とトロミエスは答えた、「喧嘩(けんか)ならなおいい。」
「哲学を論じ合ったんだ。」
「なるほど。」
「デカルトとスピノザと君はどっちが好きなんだ。」
「デゾージエ(訳者注 当時歌謡の作者)が好きだ。」とトロミエスは言った。
 そうくいとめておいて、彼は一杯飲んで、そして言った。
「わが輩は生きるに賛成だ。地上には何物も終滅していない、何となれば人はなおばかを言い得るからだ。僕はそれを不死なる神々に感謝する。人は嘘をつく、しかし人は笑う。人は確言する、しかし人は疑う。三段論法から意外なことが飛び出す。それがおもしろいのだ。逆説のびっくり箱を愉快に開(あ)けたり閉(し)めたりすることのできる人間が、なおこの下界にはいる。だが婦人諸君、君たちが安心しきったように飲んでるこのぶどう酒はマデール産だ。よろしいか。海抜三百十七尋(ひろ)の所にあるクーラル・ダス・フレイラスの生(き)ぶどう酒だ。飲むうちにも注意するがいい! 三百十七尋だぞ! そしてこのりっぱな料理屋のボンバルダ氏は、その三百十七尋を四フラン五十スーで諸君にくれるのだ。」
 ファムイュはまたそれをさえぎった。
「トロミエス、君の意見は法則となるんだ。君の好きな作者はだれだ!」
「ベル……。」
「ベル……カンか。」
「いや。……シューだ。」(訳者注 ベルシューは「美食法」という詩の作者)
 そしてトロミエスはしゃべり続けた。
「ボンバルダに栄誉あれ! エジプト舞妓(まいこ)の一人を加うれば、エレファンタのムノフィス料理店にも肩を並べ、ギリシャ売笑婦の一人を加うれば、ケロネのティジェリオン料理店とも肩を並べるだろう。何となれば、婦人諸君、ギリシャにもエジプトにも、ボンバルダというのがあったのである。アプレウスの書物に出ている。ただ悲しいかな、世事は常に同一にして何ら新しきことなし。創造主の創造のうちにはもはや何ら未刊のものなし! ソロモンは言う、天が下に新しきものなし! ヴィルギリウスは言う、恋は世の人すべてのものなり! 今日、学生が女学生と共にサン・クルーの川舟に乗るのは、昔アスパジアがペリクレスと共にサモスの流れに浮かんだのと同じである。なお最後に一言を許せ。婦人諸君、君たちはアスパジアがいかなる女であったかを知っているか。彼女は女なる者が未だ魂を持たなかった時代にいたのであるが、彼女のみは一個の魂であった。薔薇(ばら)色と緋(ひ)色との色合いをした魂で、火よりもいっそう熱く、曙(あけぼの)よりもいっそう新鮮であった。アスパジアは女の両極を同時に有する女性であった。娼婦(しょうふ)にして女神であった。ソクラテスに加うるにマノン・レスコーであった。アスパジアは実に、プロメシュースに女が必要である場合には、その用をなすために作られたようなものであった。」
 トロミエスは一度口を開けば容易に止まらなかったのであるが、その時ちょうど河岸で一頭の馬が倒れた。その事件のために、荷車と弁士とはにわかに止まった。それはボース産の牝馬で、年老いてやせて屠殺所(とさつじょ)に行くに相当したものだったが、きわめて重い荷車をひいていた。ボンバルダの家の前まで来ると、力つきて疲憊(ひはい)した馬は、もうそれ以上進もうとしなかった。そのためまわりに大勢の人が集まった。ののしり怒った馬車屋が、その時にふさわしい力をこめて断然たる「畜生!」という言葉を発しながら、鞭(むち)をもって強く一打ち食わせるか食わせないうちに、やせ馬は倒れてしまって、また再び起きなかったのである。通行人らの騒ぎに、トロミエスの愉快な聴衆もふり向いてながめた。そしてその間にトロミエスは、次の愁(うる)わしい一節(ひとふし)を歌っておしゃべりの幕を閉じた。

辻(つじ)馬車と四輪の馬車と同じ運命(さだめ)の
浮き世にありてまた駑馬(どば)なりければ、
ああ畜生の一種なる駑馬のなみに
この世を彼女は生きぬ。

「かわいそうな馬。」とファンティーヌはため息をもらした。
 ダーリアは叫んだ。
「そらファンティーヌが馬のことを悲しみ出したわ! どうしてそんなばかな気になれるんだろう!」
 その時ファヴォリットは、両腕を組み頭を後ろに投げ、じっとトロミエスを見つめて言った。
「さあ! びっくりするようなことは?」
「そうだ。ちょうど時がきた。」とトロミエスは答えた。
「諸君、この婦人たちをびっくりさす時がやってきたんだ。婦人諸君、しばらくわれわれを待っていてくれたまえ。」
「まずキッスで初まるんだ。」とブラシュヴェルが言った。
「額にだよ。」とトロミエスはつけ加えた。
 皆めいめい荘重に自分の女の額にキッスを与えた。それから口に指をあてながら、四人とも相続いて扉(とびら)の方へ行った。
 ファヴォリットは彼らが出て行くのを見て手を拍(たた)いた。
「そろそろおもしろくなってきたわ。」と彼女は言った。
「あまり長くかかってはいやよ。」とファンティーヌは口の中で言った。「みんな待っているから。」

     九 歓楽のおもしろき終局

 若い娘たちは、後に残った時、二人ずついっしょになって窓の手すりにもたれ、首をかがめ窓から窓へ言葉をかわして、なおしゃべっていた。
 彼女らは四人の青年が互いに腕を組んでボンバルダ料理店から出てゆくのを見た。彼らはふり返って、笑いながら女たちに合い図をし、毎週一回シャン・ゼリゼーにいっぱいになるそのほこりだらけの日曜の雑沓(ざっとう)のうちに姿を消した。
「長くかかってはいやよ!」とファンティーヌは叫んだ。
「何を持ってきてくれるんでしょう。」とゼフィーヌは言った。
「きっときれいなものよ。」とダーリアは言った。
「あたし、」とファヴォリットは言った、「黄金(きん)のものがいいわ。」
 だが彼女らは間もなく、川縁(かわっぷち)のどよめきに気を取られてしまった。大きな木立ちの枝の間からはっきり見て取られて、大変おもしろかったのである。ちょうど郵便馬車や駅馬車が出かける時だった。南と西とへ行くたいていの馬車は、当時シャン・ゼリゼーを通っていったものである。その多くは河岸に沿って、パッシーの市門から出て行くのを常としていた。黄色や黒に塗られ、重々しく荷を積まれ、多くの馬にひかれ、行李(こうり)や桐油(とうゆ)紙包みや鞄(かばん)などのため変な形になり、客をいっぱいのみこんでる馬車が、絶えまなく通って、道路をふみ鳴らし、舗石に火を発し、鍛冶場(かじば)のような火花を散らし、ほこりの煙をまき上げ、恐ろしい有様をして、群集の間を走っていった。その騒擾(そうじょう)が若い娘たちを喜ばせた。ファヴォリットは叫んだ。
「何という騒ぎでしょう! 鎖の山が飛んでゆくようだわ。」
 ところが一度、楡(にれ)の茂みのうちにわずかに見えていた一つの馬車が、ちょっと止まって、それからまた再びかけ出した。ファンティーヌはそれにびっくりした。
「変だわ!」と彼女は言った。「駅馬車は途中で止まるものでないと思っていたのに。」
 ファヴォリットは肩をそびやかした。
「ファンティーヌはほんとに人をびっくりさせるよ。おかしな人だこと。ごくつまらぬことにも目を見張るんだもの。かりにね、あたしが旅をするとするでしょう。駅馬車にこう言っておくとする、先に行ってるから通りがかりに河岸の所で乗せておくれって。するとその駅馬車が通りかかって、あたしを見て、止まって、乗せてくれるわ。毎日あることよ。あんたは世間を知らないのね。」
 そんなことをしているうちにしばらく時がたった。とにわかにファヴォリットは、目をさました[#「目をさました」は底本では「目がさました」]とでもいうような身振りをした。
「ところで、」と彼女は言った、「びっくりすることはまだかしら。」
「そうそう、」とダーリアは言った、「例のびっくりすることだったわね。」
「あの人たちは大変長いわね!」とファンティーヌは言った。
 ファンティーヌがそのため息をもらした時に、食事の時についていたボーイがはいってきた。何か手紙らしいものを手に持っていた。
「それなあに?」とファヴォリットが尋ねた。
 ボーイは答えた。
「皆様へと言って旦那(だんな)方が置いてゆかれた書き付けです。」
「なぜすぐに持って来なかったの。」
「旦那方が、」とボーイは言った、「一時間後にしか渡してはいけないとおっしゃったものですから。」
 ファヴォリットはボーイの手からその書き付けを引ったくった。それは果して一通の手紙であった。
「おや!」と彼女は言った、「あて名がないわ、だがこう上に書いてある。」
 びっくりすることとはこれである。
 彼女は急いで封を切り、それを披(ひら)き、そして読み下した。(彼女は字が読めるのだった。)

 愛する方々よ!
 われわれに両親のあることは御承知であろう。両親、貴女たちはそれがいかなるものであるかよく御存じあるまい。幼稚な正直な民法では、それを父および母と称している。ところで、それらの両親は悲嘆にくれ、それらの老人はわれわれに哀願し、それらの善良なる男女はわれわれを放蕩息子(ほうとうむすこ)と呼び、われわれの帰国を希(ねが)い、われわれのために犢(こうし)を殺してごちそうをしようと言っている。われわれは徳義心深きゆえ、彼らのことばに従うことにした。貴女たちがこれを読まるる頃には、五頭の勢いよき馬はわれわれを父母のもとへ運んでいるであろう。ボシュエが言ったようにわれわれは営を撤する。われわれは出発する、いやもう出発したのである。われわれはラフィットの腕に抱かれカイヤールの翼に乗ってのがれるのである。ツウルーズの駅馬車はわれわれを深淵から引き上げる。そして深淵というは、貴女たち、おおわが美しき少女らである。われわれは社会のうちに、義務と秩序とのうちに、一時間三里を行く馬の疾走にて戻るのである。県知事、一家の父、野の番人、国の顧問、その他すべて世間の人のごとくに、われわれの存在もまた祖国に必要である。われわれを尊重せられよ。われわれはおのれを犠牲にするのである。急いでわれわれのことを泣き、早くわれわれの代わりの男を求められよ。もしこの手紙が貴女たちの胸をはり裂けさせるならば、またこの手紙をも裂かれよ。さらば。
 およそ二カ年の間、われわれは貴女たちを幸福ならしめた。それについてわれわれに恨みをいだきたもうなかれ。
署名 ブラシュヴェルファムイュリストリエフェリックス・トロミエス追白、食事の払いは済んでいる。

 四人の若い娘は互いに顔を見合った。
 ファヴォリットが第一にその沈黙を破った。
「なるほど、」と彼女は叫んだ、「とにかくおもしろい狂言だわ。」
「おかしなことだわ。」とゼフィーヌは言った。
「こんなことを考えついたのはブラシュヴェルに違いない。」とファヴォリットは言った。「そう思うとあの男が好きになったわ。いなくなったら恋しくなる。まあ万事そうしたものね。」
「いいえ、」とダーリアは言った、「これはトロミエスの考えたことだわ。受け合いだわ。」
「そうだったら、」とファヴォリットは言った、「ブラシュヴェルだめ、そしてトロミエス万歳だわ。」
「トロミエス万歳!」とダーリアとゼフィーヌとは叫んだ。
 そして彼女たちは笑いこけた。
 ファンティーヌも他の者と同じく笑った。
 一時間後、自分の室に帰った時に、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任していた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。
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   第四編 委託は時に放棄となる


     一 母と母との出会い

 パリーの近くのモンフェルメイュという所に、今ではもう無くなったが、十九世紀の初めに一軒の飲食店らしいものがあった。テナルディエという夫婦者が出していたもので、ブーランジェーの小路にあった。戸口の上の方には、壁に平らに釘(くぎ)付けにされてる一枚の板が見られた。その板には、一人の男が他の一人の男を背負っているように見える絵が描(か)いてあった。背中の男は、大きな銀の星がついてる将官の太い金モールの肩章をつけていた。血を示す赤い斑点(はんてん)が幾つもつけられていた。画面の他の部分は、一面に煙であってたぶん戦争を示したものであろう。下の方に次の銘が読まれた、「ワーテルローの軍曹へ。」
 旅籠屋(はたごや)の入口に箱車や手車があるのは、いかにも普通のことである。一八一八年の春のある夕方、ワーテルローの軍曹の飲食店の前の通りをふさいでいた馬車は、なお詳しく言えばそのこわれた馬車は、いかにも大きくて、もし画家でも通りかかったらきっとその注意をひくであろうと思われるほどだった。
 それは森林地方で厚板や丸太を運ぶのに使われる荷馬車の前車(まえぐるま)であった。その前車は、大きな鉄の心棒と、それに嵌(は)め込んである重々しい梶棒(かじぼう)と、またその心棒をささえるばかに大きな二つの車輪とでできていた。その全体はいかにもでっぷりして、重々しく、またぶかっこうだった。ちょうど大きな大砲をのせる砲車のようだった。車輪や箍(たが)や轂(こしき)や心棒や梶棒などは厚く道路の泥をかぶって、大会堂を塗るにもふさわしい変な黄色がかった胡粉(ごふん)を被(き)せたがようだった。木の所は泥にかくれ、鉄の所は錆(さび)にかくれていた。心棒の下には、凶猛な巨人ゴライアスを縛るにいいと思われるような太い鎖が、綱を渡したようにつるされていた。その鎖は、それで結(ゆわ)えて運ぶ大きな木材よりもむしろ、それでつながれたかも知れない太古の巨獣マストドンやマンモスなどを思い浮かばせた。それは牢獄のような感じだった。それも巨人のそして超人間的な牢獄である。そして何かある怪物から解き放して置かれているかのようだった。ホメロスはそれをもってポリフェモスを縛し、シェークスピアはそれをもってカリバンを縛したことであろう。
 なぜそんな荷馬車の前車がそこの小路に置かれているかというと、第一には往来をふさぐためで、第二には錆(さ)びさせてしまうためだった。昔の社会には種々な制度があって、そんなふうに風雨にさらして通行の邪魔をするものがいくらもあった、そしてそれも他には何らの理由もないのである。
 さてその鎖のまん中は心棒の下に地面近くまでたれ下がっていた。そしてその撓(たる)んだ所にちょうどぶらんこの綱にでも乗ったようにして、その夕方、二人の小さな女の児が腰を掛けて嬉しそうに寄りそっていた。一人は二歳半ぐらいで、も一人のは一歳半ぐらいであって、小さい方の児は大きい方の児の腕に抱かれていた。うまくハンカチを結びつけて二人が鎖から落ちないようにしてあった。母親がその恐ろしい鎖を見て、「まあ、私の子供にちょうどいい遊び道具だ、」と言ってそうさしたのだった。
 二人の子供は、それでもきれいなそしていくらか念入りな服装(みなり)をさせられて、そして生き生きとしていた。ちょうど錆びくちた鉄の中に咲いた二つの薔薇(ばら)のようだった。その目は揚々(ようよう)と輝き、その瑞々(みずみず)しい頬には笑いが浮かんでいた。一人は栗(くり)色の髪で、一人は褐色(かっしょく)の髪をしていた。その無邪気な顔は驚喜すべきものだった。通り過ぐる人たちににおって来る傍(かたわら)の叢(くさむら)の花のかおりも、その子供たちから出てくるのかと思われた。一歳半の方の子供は、かわいらしい腹部を露(あら)わに見せていたが、その不作法さもかえって幼児の潔(きよ)らかさであった。その幸福と輝きとのうちに浸ってる二人の優しい頭の上やまわりには、荒々しい曲線と角度とがもつれ合い錆で黒くなってほとんど恐ろしいばかりの巨大な前車が、洞穴(ほらあな)の入り口のように横たわっていた。そこから数歩離れて、宿屋の敷居(しきい)の所にうずくまってあまり人好きのせぬ顔立ちではあるがその時はちょいとよく見えていた母親が、鎖につけた長いひもで二人の子供を揺すりながら、母性に特有な動物的で同時に天使的な表情を浮かべて、何か危険なことが起こりはすまいかと気使って見守っていた。鎖の揺れるたびごとに、その気味悪い鉄輪は、怒りの叫び声にも似た鋭い音を立てた。が子供たちは大喜びで、夕日までがその喜びに交じって輝いていた。巨人の鎖を天使のぶらんこにしたその偶然の思いつきほど人の心をひくものはなかった。
 二人の子供を揺すりながら、母親は当時名高い恋歌を調子はずれの声で低く歌っていた。

余儀なし、と勇士は言いぬ……

 歌を歌いまた子供たちを見守っていたために、彼女には往来で起こってることが聞こえも見えもしなかった。
 けれども、彼女がその恋歌の初めの一連を初めた時には、だれかが彼女のそばにきていた。そして突然彼女は自分の耳のすぐそばに人の声をきいた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」

美しく優しきイモジーヌへ。

と母親はなお歌い続けながらその声に答えて、それからふり向いてみた。
 一人の女がすぐ数歩前の所にいた。その女もまた一人の子供を腕に抱いていた。
 女はなおその外に、重そうに見えるかなり大きな手鞄(てかばん)を持っていた。
 その女の子供は、おそらくこの世で見らるる最も聖(きよ)い姿をしたものの一つであった。二歳(ふたつ)か三歳(みっつ)の女の児だった。服装(みなり)のきれいなことも前の二人の子供に劣らなかった。上等のリンネルの帽子をかぶり、着物にはリボンをつけ、帽子にはヴァランシエーヌ製のレースをつけていた。裳(も)の襞(ひだ)が高くまくられているので、ふとった丈夫そうな白い腿(もも)が見えていた。美しい薔薇(ばら)色の顔をして健康そうだった。頬は林檎(りんご)のようでくいつきたいほどだった。その目については、ごく大きくてりっぱな睫毛(まつげ)を持ってるらしいというほかはわからなかった。子供は眠っていたのである。
 子供はその年齢特有な絶対の信頼をこめた眠りにはいっていた。母親の腕は柔和である、子供はそのなかに深く眠るものである。
 母親の方は見たところ貧しそうで悲しげだった。またもとの百姓女に返ろうとでもしているような女工らしい服装をしていた。まだ年は若かった。あるいはきれいな女であったかも知れないが、その服装ではそうは見えなかった。ほつれて下がっている一ふさの金髪から見ると、髪はいかにも濃さそうに思えるけれど、あごに結びつけたきたない固い小さな尼さんのような帽子のために、すっかり隠されていた。美しい歯があれば笑うたびに見えるのだが、その女は少しも笑わなかった。目は既に久しい以前から涙のかわく間もなかったように見えていた。顔は青ざめていた。疲れきって病気ででもあるようなふうをしていた。腕の中に眠っている女の児を、子供を育てたことのある母親に独特な一種の顔付きでのぞき込んでいた。廃兵の持ってるような大きな青いハンカチをえりにたたみつけて、肩が重苦しそうに蔽(おお)われていた。手は日に焼けて茶褐色の斑点(はんてん)が浮き出していて、食指は固くなって針を持った傷がついていた。褐色の荒い手織りのマントを着、麻の長衣をつけ、粗末な靴をはいていた。それがファンティーヌであった。
 まさしくファンティーヌであった。がちょっと中々そうとは思えなかった。けれどよく注意してみれば、彼女はなおその美貌を持っていた。少し皮肉らしさのある愁(うる)わしげなしわが、右の頬に寄っていた。彼女の化粧、快楽とばか騒ぎと音楽とでできてるかのようで、鈴を数多くつけライラックの香気をくゆらしたあのモスリンとリボンとの軽快な化粧は、金剛石かと思われるばかりに日の光に輝く美しい霜のように、はかなく消え失せてしまったのだった。美しい霜は解けて、黒い木の枝のみが残る。
 あの「おもしろい狂言」から十カ月過ぎ去ったのである。
 その十カ月の間にどんなことが起こったか? それは想像するに難くない。
 捨てられた後には苦境。ファンティーヌはすぐにファヴォリットやゼフィーヌやダーリアをも見失ってしまった。男たちの方からの綱が切れれば、女たちの方からの結び目も解ける。もし半月もすぎてから、お前たちは互いに友だちであったと言われたら彼女らはびっくりすることだろう。もはや友だちであるなどという理由はなくなったのである。ファンティーヌはただ一人になってしまった。彼女の子供の父はもう立ち去ってしまった――悲しくもそういう分離は再び元にかえすことのできないものである――彼女は全然孤独になってしまった。それに労働の習慣は薄らぎ、快楽の趣味は増していた。トロミエスとの関係に引きずられて、自分のできるつまらぬ職業を軽蔑するようになったので、彼女は世の中への出口を閑却していた。そしてその出口はまったく閉ざされてしまった。金を得る途がなかった。彼女はどうかこうか字が読めはしたが、書くことはできなかった。子供の時に名を書くことを教わっただけであった。彼女は代書人にたのんでトロミエスに手紙を書いてもらった、それからまた第二、第三と手紙を書いてもらった。がトロミエスはそのどれにも返事をくれなかった。ある日ファンティーヌは、おしゃべりの女どもが彼女の女の児を見て言ってるのを聞いた。「あんな子供をだれが本気にするものか。あんな子供にはだれだって肩をそびやかすばかりさ!」そこでファンティーヌは、自分の子供に肩をそびやかしてその罪ない児を本気に取ろうとしないトロミエスのことを思った。そして彼女の心はその男のことで暗くなった。それにしても、どう心をきめたらいいか? 彼女はもはやだれに訴えん術(すべ)もなかった。彼女は過(あやま)ちを犯したのであった。しかし読者が知るとおり、彼女の心底は純潔で貞淑だった。彼女は漠然(ばくぜん)と、破滅のうちに陥りかけてること、いっそう悪い境涯にすべり込みかけてることを感じた。勇気が必要だった。彼女は勇気を持っていた、そして意地張った。生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールの町に帰ってみようという考えがふと浮かんだ。そこへ行ったら、たぶんだれかが自分を見知っていて、仕事を与えてくれるかも知れない。そうだ。けれども自分の過ちを隠さなければならない。そして彼女は、第一のより更につらい別れをなさなければならないであろうと、ぼんやり感じた。胸がつまった、けれども決心を固めた。これからわかることであるが、ファンティーヌは生活の手荒い元気を持っていた。
 彼女は既に勇ましくも華美をしりぞけ、自分は麻の着物を着、あらゆる絹物や飾りやリボンやレースを女の児に着せてやった。それは彼女に残っていた唯一の見栄(みえ)であって、それも聖(きよ)い見栄だった。彼女は自分のものをすべて売り払って、それで二百フランを得た。けれど細々(こまごま)した負債を払ってしまうと、八十フランばかりしか残らなかった。二十二歳で、春のある美しく晴れた朝、彼女は背中に子供を負ってパリーを出立つした。そうして子供と二人で歩いてゆくのを見た者があったら、きっと二人をあわれに思ったであろう。その女は世の中にその子供のほか何も持たなかった、そしてその子供は、世の中にその女のほか何も持たなかった。ファンティーヌはその女の児に自分で乳を与えてきた。それは彼女の胸部を疲らしていた。彼女は少し咳(せき)をしていた。
 フェリックス・トロミエス君のことを語る機会はもう再びないだろう。で、ただちょっと、ここに言っておこう。二十年後ルイ・フィリップ王の世に、彼は地方の有力で富裕な堂々たる代言人となっており、また賢い選挙人、いたって厳格な陪審員となっていた。けれど相変わらず道楽者であった。
 ファンティーヌは身体を疲らせないために、一里四スーのわりで、当時パリー近郊の小馬車といわれていた馬車に時々乗ったので、その日の正午(ひる)ごろには、モンフェルメイュのブーランジェーの小路にきていた。
 テナルディエ飲食店の前を通りかかった時、あの二人の女の児が気味悪いぶらんこにのって喜んでいるのを見て、彼女は心を打たれて、その喜びの様に見とれて立ち止まったのだった。
 人の心をひきつけるものはいくらもある。二人の女の児は、母なるファンティーヌにとってはその心をひくものの一つであった。
 彼女は心を動かされて二人の女の児を見守った。天使のいるのは楽園の近きを示す。彼女はその飲食店の上に、神に書かれたる不思議なるこの所という文字を見るような気がした。二人の女の児は、いかにも幸福そうだった。彼女はその二人を見守り、その二人に見とれ、しみじみとした気持ちになったので、その母親が歌の二句の間に息をついた時、彼女の口からは前に言った次の言葉が自然に出てきた。
「まあかわいいお児さんたちでございますね。」
 いかに猛々(たけだけ)しい動物でも自分の児をかわいがられると穏やかになるものである。母親は頭をあげて礼を言った。そして自分は敷居(しきい)の上に腰掛けていたので、その通りがかりの女を戸口の腰掛けにすわらした。二人の女は話した。
「私はテナルディエの家内なんです。」と二人の子供の母親は言った。「私どもは、この飲食店をやっているんです。」
 それからまた、例の恋歌に返って、彼女は口の中で歌った。

余儀なし、われは騎士なれば、
パレスティナへ出(い)で立たん。

 そのテナルディエの家内というのは、ふとった角ばった赤毛の女だった。
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