レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 男の方は、まったく疲れ切っていたので、りっぱな白い敷き物さえ何が何やらわからなかった。囚人らがやるように鼻息で蝋燭を吹き消し、着物を着たまま寝床の上に身を投げ出して、すぐにぐっすり寝込んでしまった。
 司教が庭から自分の室に帰ってきた時、十二時が打った。
 数分の後には、その小さな家の中は寝静まってしまっていた。

     六 ジャン・ヴァルジャン

 真夜中ごろに、ジャン・ヴァルジャンは目をさました。
 ジャン・ヴァルジャンは、ブリーの貧しい農家に生まれた。子供の時に文字も教わらなかった。成人してからファヴロールで樹木の枝切り人となった。母はジャンヌ・マティーユーと言い、父はジャン・ヴァルジャンと言い、あるいはたぶん語を縮めまたボアラ・ジャン(ジャンの野郎)の綽名(あだな)としてヴラジャンとも言った。
 ジャン・ヴァルジャンは陰気ではないが考え込んだ性質の男であった。それは情の深い性質の特徴である。けれども全体として少なくとも外見上、ジャン・ヴァルジャンにはかなり無精なやくざな様子があった。彼はごく早くに両親を失った。母は産褥熱(さんじょくねつ)の手当てがゆき届かなかったために死に、父は彼と同じく枝切り職であったが木から落ちて死んだ。ジャン・ヴァルジャンに残ったものは、七人の男女の子供をかかえ寡婦(かふ)になっているずっと年上の姉だけだった。その姉がジャン・ヴァルジャンを育てたのであって、夫のある間は若い弟の彼を自分の家に引き取って養っていた。そのうちに夫は死んだ。七人の子供のうち一番上が八歳で、一番下は一歳であった。ジャン・ヴァルジャンの方は二十五歳になったところだった。彼はその家の父の代わりになり、こんどは彼の方で自分を育ててくれた姉を養った。それはあたかも義務のようにただ単純にそうなったので、どちらかといえばジャン・ヴァルジャンの方ではあまりおもしろくもなかった。そのようにして彼の青年時代は、骨は折れるが金はあまりはいらない労働のうちに費やされた。彼がその地方で「美しい女友だち」などを持ってるのを見かけた者はかつてなかった。彼は恋をするなどのひまを持たなかった。
 夕方彼は疲れきって帰ってきて、黙って夕飯を食べた。姉のジャンヌお上(かみ)さんはよく彼の食べてるそばから、牛肉や豚肉の片(きれ)や、キャベツの芯(しん)など、食べ物のいい所を彼の皿から取って、それを自分の子供にくれてやった。彼はいつも食卓に身をかがめ、ほとんど顔をスープの中につけるようにして、長い髪を鉢(はち)のまわりにたらし自分の目を隠しながら、何にも見ないようなふうをして姉のするままにさしておいた。ファヴロールには、ヴァルジャンの藁(わら)家から遠くない所に、道路の向こう側に、マリー・クロードという百姓の女がいた。ヴァルジャンの子供らはいつも腹をすかしていて、時々母の名前を言ってはマリー・クロードの所へ牛乳を一杯借りに出かけて行って、それを生垣(いけがき)のうしろや小路の角で互いにつぼを奪い合いながら飲んだ。しかもそれを大急ぎでやったので、小さい娘の児たちはよく乳を前掛けの上や胸の中にたらした。もし彼らの母がその騙(かた)りを知ったら、罪人らをきびしく罰したであろう。けれども性急でむっつりやのジャン・ヴァルジャンは、母に知らせずにマリー・クロードへ牛乳の代を払ってやったので、子供たちはいつも罰せられないですんだ。
 彼は樹木の枝おろしの時期には日に二十四スー得ることができた。それからまた、刈り入れ人や、人夫や、農場の牛飼い小僧や、耕作人などとして、雇われていった。彼はできるだけのことは何でもやった。姉も彼について働いたが、七人の幼児をかかえてはどうにも仕方がなかった。それはしだいに貧困に包まれて衰えてゆく悲惨な一群であった。そのうちあるきびしい冬がやってきた。ジャンは仕事がなかった。一家にはパンがなかった。一片のパンもなかったのである、文字どおりに。それに七人の子供。
 ある日曜の晩、ファヴロールの教会堂の広場に面したパン屋のモーベル・イザボーという男が、これから寝ようと思っている時に、格子(こうし)とガラスとでしめた店先に当たって激しい物音がするのを聞きつけた。きてみるとちょうど、格子とガラスとを一度にたたき破った穴から一本の手が出てるのを見つけた。その手は一片のパンをつかんで持っていった。イザボーは急いで表に飛び出した。盗人は足に任して逃げ出した。イザボーはその後を追っかけて取り押えた。盗人はパンを早くも投げすてていたが、手には血が流れていた。その男こそジャン・ヴァルジャンだったのである。
 それは一七九五年のことであった。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間家宅を破壊して窃盗を働きし廉(かど)により、」時の裁判官の前に連れてゆかれた。彼は前から小銃を一挺(ちょう)持っていて、だれよりも上手で、少しは密猟もやっていた。それが彼にはなはだ不利であった。密猟者に対しては世間一般の至当な悪感情がある。密猟者は密輸入者とともに、きわめて盗賊に近いものである。けれどもついでに一言すれば、これらの人々と憎悪すべき都会の殺人者との間にはなお大なる相違がある。密猟者は森林中に住み、密輸入者は山中もしくは海上に住む。都会は腐敗したる人を作るがゆえにまた猛悪なる人を作る。山や海や森は野性の人を作る。それらは人の荒々しい方面を大ならしむるが、しかしそれでもなおよく人の人間的な方面を失わせはしない。
 ジャン・ヴァルジャンは有罪を宣告された。法典の規定は明白であった。われわれの文明においても恐るべき時期がある。処刑が一つの破滅を宣告する時期がそれである。社会がまったく遠ざかってゆき、一個の精神を有する人が再び回復し得ざるまでに全然棄却され終わるその時期は、いかに恐るべき時期であるか! ジャン・ヴァルジャンは五カ年の懲役に処せられた。
 一七九六年四月二十二日、執政官政府が五百人議会にいたした革命第四年花月二日の通牒(つうちょう)にはブォナパルトと呼ばれてる、イタリー軍総司令官によって得られたモンテノッテの勝利が、パリーに伝えられた。ちょうどその日に、多くの囚徒がビセートルにおいて鎖につながれた。ジャン・ヴァルジャンもその一人であった。今ではもう九十歳に近い当時の監獄の古い看守は、中庭の北すみの第四列の一端につながれていたその一人の不幸な囚人を、今日でもなおよく思い起こすであろう。彼も他の者らと同じく地面にすわっていた。彼はただ恐ろしいものであるということを外にしては、自分の地位が何であるか少しも知らなかったようである。けれども、まったく無知なあわれな漠然(ばくぜん)たる考えのうちにも、何かしら余りに酷に過ぐるもののあるのを、たぶん感じていたであろう。頭のうしろで鉄の首輪のねじが金槌(かなづち)で荒々しく打ち付けられる時、彼は泣いた。涙に喉(のど)がつまって声も出なかった。ただ時々かろうじて言うことができた、「私はファヴロールの枝切り人です。」それからすすり泣きしながら、右手をあげて、それを七度にしだいにまた下げた、ちょうど高さの違っている七つの頭を順次になでてるようであった。彼が何かをなしたこと、そしてそれも七人の小さな子供に着物を着せ食を与えるためになしたことが、その身振りによって見る人にうなずかれた。
 彼はツーロン港へ送られた。首に鉄の鎖をつけられ、荷車にのせられて、二十七日間の旅の後にそこについた。ツーロンで彼は赤い獄衣を着せられた。過去の生涯はいっさい消え失せ、名前さえも無くなった。彼はもはやジャン・ヴァルジャンでさえもなかった。彼は二四六〇一号であった。姉はどうなったか? 七人の子供はどうなったか? だれがそんなことにかまっていようぞ。若い一本の樹木が根本(ねもと)から切り倒される時、その一つかみの木の葉はどうなるだろうか。
 それはいつも同じことである。それらのあわれな人々、神の子なる人々は、以来助ける人もなく、導く人もなく、隠れるに場所もなく、ただ風のまにまに散らばった、おそらく各自に別々に。そしてしだいに、孤独な運命の人々をのみ去るあの冷たい霧の中に、人類の暗澹(あんたん)たる進行のうちに多くの不幸な人々が相次いで消え失せるあの悲惨な暗黒のうちに、沈み込んでいった。彼らはその土地を去った。彼らの住んでいた村の鐘楼も彼らを忘れた。彼らのいた田畑も彼らを忘れた。ジャン・ヴァルジャンさえも獄裏の数年の後には彼らを忘れた。かつては傷を負っていた彼の心の中には、もはや傷跡があるのみであった。ただそれだけである。ツーロンにいた間に、彼はただ一度姉のことを聞いたことがあった。それはたぶん囚(とら)われの四年目の末ごろだったらしい。その噂がどうして彼の所まで伝わったかはわからない。ただ彼らを国で知っているある人が、姉を見かけたというのである。彼女はパリーにいた。サン・スュルピスの近くの貧しい通りギャンドル街に住んでいた。手もとには一人の子供、末の小さい男の児だけがいた。他の六人の子供はどこにいたのだろうか? 彼女自身もおそらくそれを知らなかったろう。毎朝、彼女はサボー街三番地のある印刷所に出かけ、そこで紙を折ったり製本したりして働いていた。朝の六時、冬には夜の明ける前に、そこへ行かなければならなかった。印刷所と同じ建物のうちに一つの学校があって、彼女は当時七歳になる自分の子供をそこに連れていった。彼女は六時に印刷所にはいり学校は七時にしか始まらないので、子供は中庭で学校の始まるのを一時間待たなければならなかった。冬に戸外でまだ暗い夜の一時間である。印刷所では子供を内に入れなかった。子供は邪魔になるからだそうであった。朝職工たちは、その可憐(かれん)な小さな子供が眠そうに舗石(しきいし)の上にすわり、またしばしば自分の道具包みの上にちぢこまって薄暗い中に眠っているのを、通りがかりによく見かけた。雨が降る時などは、門番の婆さんが気の毒に思って、その小屋の中に入れてくれた。そこには一つの粗末な寝床と一つの糸取り車と二つの木の椅子とがあるきりだった。そして子供はそのすみの方で、なるべく寒くないように猫(ねこ)のそばに身を寄せて眠った。七時に学校が始まって子供はそこにはいってゆくのであった。ジャン・ヴァルジャンが聞いたのはそれだけのことだった。ある日彼はその話を聞かされたのだったが、それはほんの一瞬の間、電光の間にすぎなかった。愛する人たちの運命に関して突然一つの窓が開かれたのであるが、またそれはすっかり閉ざされてしまった。彼はもうその後は何も聞かなかった、永久に。彼らの消息はもう何も彼のもとに伝わらなかった。彼は再び彼らを見かけることも彼らに出会うこともなかった。そしてこの悲しき物語のうちにも再び彼らは出てこないであろう。
 その第四年目の終わりの頃に、ジャン・ヴァルジャンの脱獄の機会が到来した。彼の仲間はかかる悲惨な場所においてよく行なわれるように彼を助けた。彼は徒刑場を脱(ぬ)け出した。二日間野を自由に彷徨(さまよ)った、もしそれが自由にと言い得るならば。後(あと)をつけられ、絶えず後ろを振り返り、少しの物音にも飛び立ち、すべてのものに恐れをいだき、煙の立ち上る屋根にも、通り過ぎる人にも、犬のほえるにも、馬の走るにも、時計の鳴るにも、昼は物が見えるので、夜は物が見えないので、街道にも小路にも、叢(くさむら)にも、また眠るにも、すべてに恐れをいだいた。かくて二日目の夕方彼はまた捕えられた。三十六時間物も食べず一睡もしなかったのである。海事法廷はその罪によって彼を三カ年の延刑にした。それで彼の刑期は八カ年になった。六年目にまた脱獄の機会があった。彼はそれをのがさなかった、しかし逃走をまっとうすることはできなかった。彼は点呼の時にいなかったのである。大砲が打たれた。その晩、巡邏(じゅんら)の人々は、彼がある建造中の船の竜骨の下に隠れているのを見い出した。彼は自分を捕えにきた守衛に向かって抵抗した。脱獄と抵抗。特別法に規定せられていたその事実は、五カ年の増刑とそのうち二年の二重鉄鎖の刑とによって罰せられた。計十三カ年。十年目にまた機会がきた、そして彼はそれに乗じた、やはりうまくゆかなかった。しかしその新しい未遂犯のために三カ年。計十六カ年。終わりに十三年目だったと思うが、彼は最後にも一度やってみたが、ようやく四時間身を隠し得ただけでまたつかまった。その四時間のためにまた三カ年。計十九カ年。一八一五年十月に、彼は放免せられた。彼は窓ガラスを破りパンの一片に手をつけたがために、一七九六年にそこにはいったのであった。
 ここにちょっと一言余事をはさむ。本書の著者が刑法問題ならびに法律上の処刑判決について研究中、一片のパンの窃盗が一人の運命の破滅の出発点となった例に接するのは、これが二回目である。クロード・グウという男も一片のパンを盗んだ、ジャン・ヴァルジャンも一片のパンを盗んだ。英国のある統計によれば、ロンドンにおいて行なわれた窃盗中、五件のうち四件まではその直接原因が飢えにあることを証している。
 ジャン・ヴァルジャンはすすり泣きし戦慄(せんりつ)しながら徒刑場にはいった、そしてまったく没感情的になってそこから出てきた。彼はそこに絶望をもってはいり、そこから沈鬱(ちんうつ)をもって出てきた。
 彼の魂のうちにはいかなる事が起こったのであったか?

     七 絶望のどん底

 さて彼の魂のうちにいかなることが起こったかを述べてみよう。
 それらのことを作り出したのは社会であるから、社会はまさにそれらのことを見るべきである。
 前述のごとくこの男は無知であった、しかしながら遅鈍ではなかった。自然の光明は彼のうちにも点ぜられていた。不幸もそれ自身の光を有するもので、それはこの男の精神のうちにあった少しの明るみをいっそう大きくなした。鞭(むち)の下に、鎖の下に、牢獄のうちに、疲労の間に、徒刑場の燃ゆるがごとき太陽の下に、囚徒の板の寝床の上に、彼は自分の内心を顧み、考えにふけった。
 彼は自分を法官の地位に置いてみた。
 彼は我と我が身を裁断し初めた。
 彼は自分を無実の罪で罰せられた潔白な者とは思わなかった。罰せらるべきひどい行為を犯したことをみずから認めた。もし求めて手を差し出したならばあのパンはおそらく拒まれなかったであろう。いずれにしても、あるいは人の情けにすがるか、あるいはみずから働いてかして、そのパンを得るまで待つに如(し)かなかったであろう。飢えたる時に待つことができるか、ということは、確固たる理由にはならない。第一に、字義どおりに餓死することは至ってまれにしかない、次に、幸か不幸か人間は精神上および肉体上の苦悩を生きながら長くそして多く堪(た)えることができるように作られている。ゆえに堪え忍ぶことが必要であったのだ。あの小さなあわれな子供たちにとってもその方がよかったはずである。社会に向かって荒々しくつかみかかり窃盗によって困窮から脱せんと考えることは、弱い不幸なる自分にとってはばかげた行ないであった。いずれにしても、汚辱にはいりゆく戸口は困窮を脱するによい戸口ではなかったのである。要するに自分は誤ったのである。
 それから彼はまたみずから問うてみた。
 この不幸な事件のうちにおいて、誤ってるのは自分一人だけであったであろうか。第一に、労働者なる自分に仕事がなく勤勉な自分にパンがなかったことは、重大なことではなかったであろうか。次に、罪は犯され自白されたが、刑罰は重くして酷に過ぎはしなかったであろうか。犯人の方に過(あやまち)の弊があったとするも、法律の方に刑罰の一層の弊がありはしなかったであろうか。秤(はかり)の一方に、贖罪(しょくざい)の盛らるる一方の皿に、過度の重さがなかったであろうか。刑罰の過重も罪悪を決して消さなかったではないか。そして、事情を転換し、犯罪の過失に換うるに抑圧の過失をもってし、罪人をして犠牲者たらしめ、債務者をして債務者たらしめ、法権を破りたる者に法権を与えきるという結果になりはしなかったか。脱獄企図のために、相次いで加重されたその刑罰は、ついには弱者に対する強者の暴行ともなりはしなかったであろうか、個人に対する社会の罪、日々に新たにせられる罪、十九年間引き続いた罪、となりはしなかったであろうか。
 彼はみずから問うてみた。果して人類社会は、あるいはその不道理なる不注意を、あるいはその無慈悲なる警戒を、各人に同じく受けさせるの権利を有するを得るであろうか、そして欠乏と過重との間に、仕事の欠乏と刑罰の過重との間に、あわれなる者を囚(とら)えるの権利を有するを得るであろうか。偶然によってなさるる財産の分配にあずかること最も少ない人々を、ためにまた最も容赦すべき人々を、社会はまさしくかくのごとく待遇するとするならば、それは不法なことではあるまいか。
 それらの疑問が提出されて答えられた。彼は社会を裁(さば)いてそれを罪ありとした。
 彼は社会を罰するに自分の憎悪の念をもってした。
 彼は自分の受けた運命について社会にその責任があるとなし、他日躊躇(ちゅうちょ)することなくその責を問わんと考えた。自分のなした損害と人が自分に加えた損害との間には平衡を欠いているとみずから宣言した。自分の受けた刑罰は事実不正ではなくとも確かに不公平であると結論した。
 憤怒は愚かにして不法なることもある。人は不当に怒ることもある。しかしながら人は、何処(どこ)にか心のうちに道理を有する時にしか憤慨しない。ジャン・ヴァルジャンは憤慨の気持ちを覚えたのであった。
 それにまた、人類社会が彼になしてくれたものは悪のみであった。彼はかつて社会については、社会がおのれの正義と称して打撃を与えんとする者に示す所の、あの恐るべき顔をしか見なかったのである。すべての人々はただ彼を訶(さいな)まんがためにのみ彼に接触した。人々との接触は彼にとっては皆打撃であった。いまだかつて、小児たりし時より、母の膝下にありし時より、姉に育てられし時より、彼は親しい言葉や親切な目に出会ったことがなかった。苦しみより苦しみへと過ぎるうちに、彼はしだいに一つの信念にたどりついて、人生は戦いであり、その戦いにおいて自分は敗北者であると思うに至った。彼はその憎悪を除いては他に武器を有しなかった。徒刑場においてその唯一の武器を磨(みが)き、徒刑場を去りながらそれを携えゆかんことを、彼は決心したのである。
 ツーロンには囚徒のためにインニョランタン派の教徒らが経営している学校があった。不幸な囚徒らのうちの志ある者に最も必要な事がらが教えられた。彼はその志ある者のうちの一人だった。四十歳でその学校に行った、そして読むことと書くことと計算することとを学んだ。彼は自分の知力を強固にすることはすなわち自分の憎悪を強固にすることのように感じた。ある場合においては、教育と光明といえども悪を助長する助けとなることがある。
 口にするも悲しいことではあるが、彼は彼の不幸を作り出した社会を裁断した後に、社会を作った天をも裁断した。
 彼はまた天をも罪ありと断じたのである。
 かくて苦悩と労役との十九年の間に、彼の魂は同時に上りまた墜(お)ちた。一方からは光明がはいり、他方からは暗黒がはいってきた。
 前に言ったごとく、ジャン・ヴァルジャンはその性質が悪ではなかった。徒刑場にはいった時でさえ彼はなお善良であった。しかし、彼はそこで社会を非難し、そしてみずからは悪意ある者となったのを感じた。彼はそこで天を非難し、そしてみずからは不信の徒となったのを感じた。
 ここでしばらく多少の考慮を費やさざるを得ない。
 人間の性質はかくのごとく根本より全く変化し得るものであろうか。神によって善良に創(つく)られた人間が、人によって悪くなされ得るものであろうか。人の魂が運命によって全く改造せられ、運命の悪(あ)しきがゆえに魂も悪しくなることがあり得るであろうか。あまりに低い天井の下にあって人の背骨が彎曲(わんきょく)するごとく、人の心も過重の不幸の圧迫の下に形歪(ゆが)んで、不治の醜さと不具とに陥ることがあるだろうか。ある本来のひらめき、この世において腐敗するを得ず彼(か)の世において不死なるある聖なる要素、善によって発展させられ煽(あお)られ点火され燃え立たせられ燦然(さんぜん)と輝かされるところのもの、悪によっても決して全く消さるることなきところのものが、すべての人の心のうちにないであろうか、そしてまた特にジャン・ヴァルジャンの心のうちにそれがなかったであろうか。
 それは重大にして困難な問題である。そしてこの終わりの問題に対しては、すべての生理学者はおそらく否と答えたであろう、ことにツーロンにおいて休息の時間にある彼を見たならば、躊躇(ちゅうちょ)するところなく否と答えたであろう。その休息の時間はジャン・ヴァルジャンにとっては夢想の時間であった。彼は両腕を組んで、轆轤(ろくろ)の柄に腰をかけ、地面に引きずらないように鎖の一端をポケットにねじ込んでいた。憤怒をもって人間をながめている法律によって賤民(せんみん)に落とされ、厳酷に天をながめている文明によってのろわれたるその囚人は、引きしまった顔をして沈鬱(ちんうつ)に黙然と考えにふけっているのであった。
 確かに、そしてわれわれもそれを隠そうとは思わないが、観察者たる生理学者はそこに医すべからざる惨(みじ)めさを認めたであろう、おそらく彼は法律によってなされたその病人をあわれんだであろう、しかし彼は治療を試みようとはしなかったであろう。その男の魂のうちにほの見える洞窟(どうくつ)から彼は目をそらしたであろう。そして、地獄の入り口におけるダンテのごとく、彼はその男の生涯からあの一語を消したであろう、神の指によってなおすべての人の額(ひたい)に書かれてるその一語を、希望! の語を。
 われわれが今解剖を試みたかかる魂の状態は、読者にわれわれが伝えんとした程度だけでも、ジャン・ヴァルジャンにはっきりわかっていたであろうか。ジャン・ヴァルジャンは自分の精神上の惨めさを形造っているすべての要素を、その形成の後にはっきり認めていたであろうか、もしくは形成せらるるに従ってはっきり認めてきたであろうか。この荒々しい文盲な男は、相次いで起こりきたったその思想をみずからはっきり意識していたであろうか、その一連の思想によって彼は、はや多くの年月の間彼の精神の内界であったその悲しむべき光景にまで、しだいに上りまた下ったのではあったが。彼は彼のうちに起こったすべてのこと、彼のうちに動いたすべてのものについて、はっきり自覚していたであろうか。それはわれわれのあえて言い得ないところである。われわれの信ぜないところでさえある。ジャン・ヴァルジャンのうちにはあまりに多くの無知があったので、多くの不幸の後でさえ、彼のうちには多くの空漠(くうばく)たるものが残っていた。時としては、みずから感じていることさえもはっきりみずから知っていなかった。彼は暗黒のうちにあった。暗黒のうちにおいて苦しんだ、暗黒のうちにおいて憎んだ。言わばおのれの前方を憎んだのである。彼は常にその影のうちに生きていた、盲人のようにまた夢見る人のように手探りをしながら。ただ時々、憤怒の衝動が、過度の苦悩が、そして彼の魂のすみずみまでを輝(て)らす青白い急速な光が、彼自身からかまたは外からか突然に襲ってきた。そしてその恐ろしい光の輝きで、急に彼の前にも後ろにもそしてその周囲いたる所に、自分の運命ののろうべき絶壁と暗澹(あんたん)たる光景とが現われてきた。
 閃光(せんこう)はすぐに去って、夜はまた落ちてきた。そして彼はどこにいたのであるか、みずからもはやそれを知らなかった。
 無慈悲なるもの換言すれば人を愚昧(ぐまい)にするところのものを、最も多く含有するこの種の刑罰の特色は、一種の惘然(もうぜん)たる変容によってしだいに人を野獣に化せしむることである。時としては人を猛獣に化せしむる。ジャン・ヴァルジャンが相次いで行なった執拗(しつよう)な脱獄の計画は、人の魂の上に法律によってなされるその不思議な働きを証明するに十分であろう。ジャン・ヴァルジャンはもしその計画がまったく無益で愚であるとしても、機会のある限りはかならずそれを繰り返したであろう、そして彼はその結果については少しも考えず、また既になされた経験についても少しも考えなかったであろう。彼は檻(おり)の開かれてるのを見る狼(おおかみ)のようにただむやみと身をのがれようとした。本能は彼に言った、逃げよ! と。理性は彼に言ったであろう、止まれ! と。しかしながら、かく強烈な誘惑の前には理性は影を潜めてしまっていた。そこにはもはや本能しかなかったのである。ただ獣性のみが活(はたら)く。再び捕えられた時、新たに課せらるる苛酷(かこく)さはただ彼をますます荒ら立たせるのみであった。
 ここにもらしてはならぬ一事は、彼が強大な体力を有していて、徒刑場のうちの何人(なにびと)も遠く及ばなかったことである。労役において、錨鎖(ケーブル)を撚(ひね)りまたは轆轤(ろくろ)を巻くのに、彼は四人分の価値があった。時には莫大な重量のものを持ち上げて背中にささえた、そして場合によっては起重機の代わりをした。ついでに言うが、この起重機は、昔はオルグイュ(傲慢(ごうまん))と言われたもので、パリーの市場の近くのモントルグイュ街は、それから由来した名前である。さてジャン・ヴァルジャンの仲間は彼を「起重機のジャン」と綽名(あだな)していた。かつてツーロンの市庁の露台(バルコン)が修繕さるる時、その露台をささえているピュゼーの有名な人像柱の一つがゆるんで倒れかかったことがあった。ちょうどそこに居合わしたジャン・ヴァルジャンは、その人像柱を肩にささえて職人らがやって来るまでの時間を保った。
 彼の身軽さはまたその強力にもまさっていた。ある囚徒らは常に脱獄を夢みて、ついに体力と手練とを結合して一種のりっぱな学問を作り出す。それは筋肉の学問である。不思議な力学のあらゆる方式が、永久に蠅(はえ)や鳥をうらやむ彼ら囚徒らによって日々適用せらるる。垂直の壁をよじ上り、ほとんど何らの突起も見いだせないくらいの所に足場を得ることは、ジャン・ヴァルジャンにとってはわけもないことであった。壁の一角を与うれば、背中および両脛(すね)の[#「両脛(すね)の」は底本では「両脛(すね)の」]緊張と、石の凹(へこ)みにかけた両肱(ひじ)および両の踵(かかと)とをもって、魔法でも使うように四階までも上ることができた。時には徒刑場の屋根までそうして上ることがあった。
 彼はあまり口をきかなかった。笑うことはなかった。ただ年に一度か二度、極度の興を覚ゆる時に、悪魔の笑いの反響に似た囚徒特有の沈痛な笑いを、ふともらすことがあるきりだった。見たところ彼は、何かある恐ろしいものに絶えずながめ入ってるがようだった。
 彼は実際何かに心を奪われていた。
 不完全な性格と圧倒せられた知力との病的な知覚を通して、彼は何か怪奇なものが自分の上にかぶさってるのを漠然と感じていた。そのほの暗い蒼白(そうはく)な陰影のうちにはい回りながら、首をめぐらすたびごとに、そして目をあげんとするたびごとに、種々の事物や法律や偏見や人物や事実などが、その輪郭は眼界を逸し恐ろしいほど重畳して、互いにつみ重なり堆積(たいせき)し、慄然(りつぜん)たらしむる断崖(だんがい)をなしながら、上方眼の届かない所まで高くそびえているのを、彼は憤激の情に交じった恐怖をもって認めた。その集団は彼をたえず脅かした。そしてその巨大な三角塔こそは、われわれの呼んで文明と称するところのものに外ならなかったのである。その混乱せる異様なる全体のうち此処(ここ)彼処(かしこ)に、あるいは身の近くに、あるいは遠く至り及ばぬ高所に、或る群がりを、強く照らし出されてるある細部を、彼は認むることができた。こちらには看守とその棒とがあり、あちらには憲兵とその剣とがあり、彼方(かなた)には冠を戴(いただ)ける大司教があり、はるか高くには太陽のごとく輝いたる中に、帝冠を戴きまぶしきまでに輝いてる皇帝があった。その遠く輝ける人々は、夜のやみを散ずるどころか、かえってそれを一そう痛ましく一そう暗黒になすように彼には思えた。すべてそれらのもの、法律や偏見や事実や人物や事物などは、神が文明なるものに与えた複雑不可思議な運動によって彼の上を往来して、残忍のうちにこもる言い難き静けさと、無関心のうちにこもる言い難き酷薄さとをもって、彼の上を踏みつけ彼を踏みつぶした。およそあり得べきほどの不幸のどん底に陥った魂、だれももうのぞかんともせぬ地獄の最も深い所に墜(お)ちた不幸なる人々、法律によって見捨てられた人々、彼らは、おのれの頭の上に人類社会の全重量が、その外部にある者にはきわめて強大でその下にある者にはきわめて恐ろしい人類社会の全重量が、押しかぶさって来るのを感ずるものである。
 かくのごとき境涯にあってジャン・ヴァルジャンは考えにふけっていた。そして、彼のその夢想はいかなる性質のものであったであろうか。
 もし粟粒(あわつぶ)にして挽臼(ひきうす)の下にあって考うることをするならば、それは疑いもなくジャン・ヴァルジャンが考えていたと同じことを考えるであろう。
 すべてそれらのこと、幻影に満ちた現実と現実に満ちた夢幻とは、ついにほとんど名状すべからざる内的状態を彼に造りあげた。
 時として彼は徒刑場の労役の合い間に手を休めた。そして考え初めた。以前よりも更に熟すると同時に更に乱された彼の理性は、いきり立っていた。到来したすべてのことが彼には不条理に思われた。とりまいているすべてのことがあり得べからざることのように思われた。彼はみずから言った、これは夢であると。彼は数歩向こうに立っている看守を見やった。看守は彼には幻影のように見えた。と突然その幻影は彼に棒の一撃を加えるのであった。
 目に見える自然も彼のためにはほとんど存在していなかった。太陽も、夏の麗しい日々も、輝いた空も、四月のさわやかな黎明(れいめい)も、ジャン・ヴァルジャンのためにはほとんど存在しなかった、と言っても偽りではないであろう。それともいえぬ風窓からのほのかな明るみが、いつも彼の魂を輝(て)らしていたのみである。
 終わりに、われわれが今まで指摘しきたったところのすべてにおいて、確かなる帰結に約言し換言し得る限りのものをつづめて言わんがために、われわれはただこれだけのことを述ぶるに止めておこう。すなわち、ファヴロールの正直な枝切り人であり、ツーロンの恐るべき囚徒であるジャン・ヴァルジャンは、十九カ年のうちに、徒刑場の加工を受けたために、二種の悪事をなすことができるようになった。第一には、自分が受けた悪に対する一種の返報として、急速な無思慮な忘我的な全く本能的な悪行であり、第二には、かくのごとき不幸が与うる誤れる思想をもって、心のうちに討議し熟慮した重大なまじめな悪行である。彼の行為前の考えは相次いで三段の順序を経た。それは、ある種の素質を有するもののみが経過する三段であって、理屈と意欲と執拗(しつよう)とである。彼の行為の動力としては、たえざる憤激、内心の憂悶(ゆうもん)、自分の受けた不公平についての根深い感情、それから反動、もしありとすれば、善なるもの無垢(むく)なるもの正しきものにさえ対する反動、などがあった。彼のあらゆる思想の発点は、その帰点と同じく、人間の法律に対する憎悪であった。その憎悪の念は、もしその発展の途において何か天意のでき事によって止めらるることのない時には、やがては社会に対する憎悪となり、次には人類に対する憎悪となり、次には天地万物に対する憎悪となり、ついには、いかなる者たるを問わず、いやしくも生ける者ならばそれを害せんとする、漠然(ばくぜん)たるやむことなき獣性の願望となって現わるるものである。――これをもって見れば、通行券にジャン・ヴァルジャンを至って危険なる人物なりと称したのは理由なきことではない。
 年ごとに彼の魂は、徐々にしかし決定的に乾燥していった。心のかわく時には、目もかわく。徒刑場をいずるまで、十九年間、彼は実に一滴の涙をも流さなかった。

     八 海洋と闇(やみ)夜

 海中に一人の男!
 それが何ぞや! 船は止まることをせぬ。風は吹き荒(すさ)む。暗澹(あんたん)たる船は一つの進路を有し、続航を強(し)いらるる。船は通り過ぎてゆく。
 男の姿は消え次にまた現わるる。彼は波間に沈みまた水面に上り来る。彼は助けを呼び腕を差し出す。しかもだれもその声を聞かない。船は暴風雨の下に揺られながらみずからの運転に意を注ぎ、水夫と乗客との目にはもはや溺(おぼ)るる男の姿は止まらない。彼のあわれなる頭は、広漠(こうばく)たる波間にあってただの一点にすぎない。
 彼は深海のうちに絶望の叫びを投げる。去りゆく船の帆はいかなる幻であるか! 彼はそれを見つめ、狂乱したように凝視する。帆は遠ざかり、おぼろになり、しだいに小さくなる。彼は先刻までその船にいたのである。彼は船員の一員であった。他の者とともに甲板を行ききし、空気と日光との分け前を有し、生きたる一人の者であった。が今何が起こったのか。彼はただ足をすべらし、落下した。それで万事終わったのである。
 彼は大海のうちにある。足下には逆巻き流るる水のみである。風に砕け散る波は不気味に彼をとり巻き、深海のうねりは彼を運び去り、あらゆる水沫(すいまつ)は彼の頭のまわりにざわめき、無数の波は彼の上に打ちつけ、乱るる水の間に彼は半ばのまるる。下に沈むたびごとに、彼は暗黒な深淵をかいま見る。恐るべき名も知れぬ海草は彼を捕え、足に絡(から)み、彼を引き寄せる。彼はみずから深淵となるのを感ずる。彼は泡沫(ほうまつ)の一部となり、波より波へと投ぜられ、苦惨を飲む。太洋は彼を溺らさんとして、あるいは緩(ゆるや)かにあるいは急に襲いかかり、その広漠は彼の苦痛を弄(もてあそ)ぶ。それらすべての水はあたかも憎悪のごとくである。
 それでも彼は争う。彼は身を守らんと努め、身をささえんと努め、努力し、泳ぐ。直ちに消耗するそのあわれな力をもって、彼は尽きざるものに対して戦う。
 船はどこにあるのか。かしこに。水平線のおぼろな闇(やみ)の中にかろうじて姿が見える。
 □風(ひょうふう)は吹きつのる。あらゆる水沫は彼の上よりかぶさる。彼は目をあげるが、見ゆるものとては鉛色の雲ばかり。苦痛にもだえながら彼は、海の広漠たる狂暴を目撃する。彼はその狂乱によって訶(さいな)まれる。彼は人の聞きなれない異様な物音を聞く。あたかも陸地のかなた遠くから、人に知られぬ恐るべき外界から、伝わり来るがようである。
 雲の高きに鳥が舞う、それと同じく人の苦難をこえたるかなたに天使がある。しかしながらその天使らも彼のために何をなすことができるか。それらは飛び歌い翔(かけ)る、そして彼は息をあえいでいる。
 彼は二つの無限なるものによって同時に葬られたごとく感ずる、すなわち大洋と天との二つによって。一つは墳墓であり、他は経帷子(きょうかたびら)である。
 夜は落ちて来る。はや彼は数時間泳いでいたのである。彼の力はまさに尽きんとしている。あの船、人々のいたあの遠い物は、姿が消えた。彼はただひとり恐ろしい薄暮の深淵のうちにある。彼は沈みゆき、身を固くし、身を悶(もだ)える。身の下には目に見えざるものの怪奇な波動を感ずる。彼は呼ぶ。
 人はもはやいない。神はどこにあるか。
 彼は呼ぶ。おおい! おおい! 彼は呼び続ける。
 水平線には一物もない。空には何物もない。
 彼は歎願する、大海と波と海草と岩礁とに向かって。しかしそれらは耳を貸さない。彼は暴風に向かって切願する。しかし自若たる暴風はただ無限のものの命に従うのみである。
 彼の周囲には、暗黒と、靄(もや)と、寂寞(せきばく)と、強暴にして無心なる騒擾(そうじょう)と、怒れる波の定まりなき高低。波のうちには、恐怖と疲労。彼の下には、奈落(ならく)の底。身をささうべき一点もない。彼は際限なき暗黒のうちにおける死屍(しかばね)の盲(めし)いたる冒険を考える。底なき寒さは彼を麻痺(まひ)する。彼の両手は痙攣(けいれん)し、握りしめられ、そして虚無をつかむ。風、雲、旋風、疾風、無用の星! いかにすべきぞ。絶望したる者は身を投げ出し、疲弊したるものは死を選ぶ。彼はなさるるままに身を任せ、運ばるるままに身を任せ、努力を放棄する。そして今や彼は、呑噬(どんぜい)の痛ましい深淵のうちに永久にころがり込む。
 おお人類社会の厳酷なる歩み! 進行の途中における多くの人々および魂の喪失! 法律が投げ落とすすべてのものの陥る大洋! 救助の悲しき消滅! おお精神上の死!
 海、それは刑罰がそれを受けたる者を投ずる社会的の酷薄なる夜である。海、それは際涯なき悲惨である。
 人の魂は、この深淵のうちに流れ込むとき死屍(しかばね)となる。だれかそれを甦(よみがえ)らするであろうか。

     九 新たな被害

 徒刑場から出る時がきたとき、ジャン・ヴァルジャンが汝は自由の身となったという不思議な言葉を耳に聞いたとき、その瞬間は嘘(うそ)のようで異常なものに思われた。強い光明の光、生ける者の真の光明の光が、にわかに彼のうちにはいってきた。しかしその光はやがて間もなく薄らいだ。ジャン・ヴァルジャンは自由のことを考えて眩惑(げんわく)していた。彼は新しい生涯を信じていた。がすぐに彼は、黄いろい通行券をつけられたる自由の何物であるかを見た。
 またそれにつれて多くの不快があった。彼は徒刑場にいた間に積み立てた金が百七十一フランには上るであろうと勘定をしておいた。日曜と祭日との定められた休業は十九年間に約二十四フランの減少をきたしたことを、彼が勘定に入れるのを忘れたのは、ここに付言しておかなければならない。がそれはそれとして、積立金は種々の場合の引去高によって百九フラン十五スーの額に減ぜられていた。それが彼の出獄の際に渡された。
 彼はそれらのことが少しもわからなかった、そして損害を被ったのだと思った。露骨な言葉を使えば、盗まれたのだと。
 釈放せられた翌日、グラスにおいて、彼は橙(オレンジ)の花の蒸溜所(じょうりゅうじょ)の前で人々が車から荷をおろしているのを見た。彼はその手伝いをしたいと申し出た。仕事は急ぎのことだったので、働くことが許された。彼は仕事にかかった。彼は怜悧(れいり)で頑丈(がんじょう)で巧みであった。できる限り精を出した。主人は満足げに見えた。ところが彼が働いている間に、一人の憲兵が通りかかって彼を認め、彼に身元証明を求めた。で、黄いろい通行券を見せねばならなかった。そうした後に、ジャン・ヴァルジャンはまた仕事にかかった。それより少し前に彼は、そこに働いてる者の一人に向かって、その仕事で一日いくらになるかと尋ねた。その男は三十スーであると答えた。彼は翌朝にはまた道をすすまねばならなかったのでその夕方、蒸溜所の主人の前に出て、金を払ってくれるように願った。主人は一言も口をきかないで、ただ二十五スー渡した。彼は不足を言った。貴様にはそれでたくさんだと答えられた。彼はしつこく言い張った。主人は彼を正面(まとも)にじっと見つめて、そして言った。監獄に気をつけろ!
 そこでまた彼は盗まれたのだと考えた。
 社会は、国家は、彼の積立金を減らしながら彼を大きく盗んだ。今や彼を小さく盗むのは個人であった。
 釈放は解放ではない。人は徒刑場から出る、しかし処刑からは出られない。
 グラスで彼に起こったことは上の通りである。ディーニュで彼がいかなるふうに遇せられたかは前に述べたところである。

     十 目をさました男

 大会堂の大時計が午前二時を打った時に、ジャン・ヴァルジャンは目をさました。
 彼が目をさましたのは、寝床があまり良すぎたからだった。やがて二十年にもなろうという間、彼は寝床に寝たことがなかったのである。そして彼は着物を脱いではいなかったけれども、その感じはきわめて新奇なもので眠りを乱したのだった。
 彼はそれまで四時間余り眠ったのだった。疲れは消えていた。彼は休息に多くの時間を与えることにはなれていなかった。
 彼は目を開いた。そしてしばし身のまわりの闇(やみ)の中をすかし見たが、次にまた目を閉じて再び眠ろうとした。
 多くの種々な感情が一日のうちに起こった時に、雑多な事が頭を満たしている時に、人は眠りはするが二度と寝つくものではない。眠りは再び来る時よりも初めに来る時の方が安らかなものである。ジャン・ヴァルジャンに起こった所のものはまさにそれだった。彼は再び眠ることができなかった、そして考え初めた。
 彼はちょうど自分の頭の中にいだいてる思想が混沌(こんとん)としているような場合にあった。彼の脳裏には一種のほの暗い雑踏がこめていた。昔の思い出や近い現在の記憶などが雑然と浮かんで、入り乱れて混乱し、形を失い、ばかげて大きくひろがり、それから忽然(こつぜん)と姿を消して、あたかも泥立ち乱るる水の中にでもはいってしまったかのようだった。多くの考えが彼のうちにわいてきたが、絶えず姿を現わして他の考えを追い却(しりぞ)ける一つのものがあった。その考え、それをここにすぐ述べておこう――彼は、マグロアールが食卓の上に置いた六組みの銀の食器と大きな一つの匙(さじ)とに目をつけたのであった。
 それらの六組みの銀の食器が彼の頭について離れなかった。――それは向こうにあるのだった。――数歩の所に。――彼が今いる室に来るために隣室を通ってきた時にちょうど、年寄った召し使いがそれを寝台の枕頭の小さな戸棚にしまっていた。――彼はその戸棚をよく見ておいた。――食堂からはいって来ると右手の方に。――厚みのある品だ。そして古銀の品だ。――大きい匙(さじ)といっしょにすれば、少なくも二百フランにはなりそうだ。――それは彼が十九年間に得たところの二倍にも当たる。――もっとも政府が盗みさえしなかったら彼はもっと儲(もう)けていたではあろうけれど。
 彼の心は、多少逆らいながらもあれかこれかと一時間もの間迷っていた。三時が鳴った。彼は目を開き、突然半身を起こし、手を伸ばして、寝所の片すみに投げすてて置いた背嚢(はいのう)に触(さわ)ってみ、それから両脚(あし)を寝台からぶら下げて足先を床(ゆか)につけ、ほとんどみずから知らないまにそこに腰掛けてしまった。
 彼はしばらくの間その態度のままぼんやり考え込んでいた。寝静まった家の中にただ一人目ざめて闇(やみ)の中にそうしている彼の姿は、もし見る人があったら確かに不気味な思いをしたであろう。突然彼は身をかがめて靴をぬぎ、それを寝台のそばの敷き物の上にそっと置いた。それからまた考えに沈んだ姿勢に返って、もうじっとして動かなかった。
 その凶悪な瞑想(めいそう)のうちに、われわれが先に述べたところの考えは絶えず彼の頭に出入してかき乱し、一種の圧迫を加えていた。それから彼はまた、みずから何ゆえともわからなかったが機械的に執拗(しつよう)な夢想を続けて、徒刑場で知ったブルヴェーという囚徒のことを考えていた。その男のズボンはただ一本の木綿の編みひものズボンつりで留められてるきりだった。そのズボンつりの碁盤目の縞(しま)が絶えず彼の頭に上ってきた。
 彼はそういう状態のうちにじっとしていた。そしてもし大時計が一つ――十五分もしくは三十分を、打たなかったならば、いつまでもおそらく夜明けまでもそのままでいたであろう。が彼にはその時計の一つの音が、いざ! と言うように聞こえたらしかった。
 彼は立ち上がり、なお一瞬間躊躇(ちゅうちょ)して、耳を澄ました。家の中はすべてひっそりとしていた。で彼はほのかに見えている窓の方へ真っすぐに小刻みに歩いていった。夜は真っ暗ではなかった。ちょうど満月で、ただ風に追わるる大きな雲のかたまりがその面(おもて)を流れていた。そのために外は影と光とが入れ交じり、あるいは暗くあるいは明るくなり、そして家の中には薄ら明るみが湛(たた)えていた。雲のために明滅するその薄明りは、足下を輝(て)らすには十分であって、ゆききする人影に妨げられるあなぐらの風窓から落つる一種の青白い光にも似ていた。窓の所へきて、ジャン・ヴァルジャンはそれを調べてみた。窓には格子(こうし)もなく、庭に向いていて、その地方の風習に従って小さな一つの楔(くさび)でしめてあるきりだった。彼はその窓を開いた。しかし激しい寒風が急に室の中に吹き込んだので、またすぐにそれをしめた。彼はただながめるというよりもむしろ研究するといったふうな注意深い目付きで庭をながめた。庭はわけなく乗り越されるくらいのかなり低い白壁で囲まれていた。庭の奥の向こうに、彼は一様の間隔を置いた樹木の梢(こずえ)を認めた。それによってみれば、壁はある大通りかもしくは樹の植わった裏通りと庭との界(さかい)になってるらしかった。
 その一瞥(いちべつ)を与えてから、彼はもう決心したもののような行動をした。彼は寝所の所に歩いてゆき、背嚢(はいのう)を取り、それを開いて中を探り、何かを取り出して寝床の上に置き、靴をポケットにねじ込み、方々を締め直し、背嚢を肩に負い、帽子をかぶり、その目庇(まびさし)を目の上に深く引きおろし、手探りに杖をさがして、それを窓のすみに行って置き、それから寝床の所に戻ってきて、そこに置いてるものを決然と手につかんだ。それは短い鉄の棒に似たもので、一端は猟用の槍(やり)のようにとがっていた。
 その鉄の一片が何用のために作られたものであるかは、暗闇(くらやみ)の中では見きわめ難かった。たぶんそれは梃(てこ)ででもあったろうか、またはおそらく棍棒(こんぼう)ででもあったろうか。
 が昼間であったならば、それが坑夫用の燭台にほかならないことがよく認められたであろう。当時ときどき囚徒らは、ツーロンを囲む高い丘から岩を切り出すことに使われていた。そして彼らが坑夫用の道具を自由に使っていたのは珍しいことではなかった。坑夫の使う燭台は分厚い鉄でできていて、下端がとがって岩の中につき立てられるようになっている。
 彼はその燭台を右手に取って、そして息をころし足音をひそめながら、隣室の扉(とびら)の方へやって行った。それは既にわかっているとおり司教の室である。その扉の所へ行ってみると、彼はそれが少し開いていることを見い出した。司教はそれをしめておかなかったのである。

     十一 彼の所業

 ジャン・ヴァルジャンは耳を澄ました。何の音もしない。
 彼は扉を押した。
 彼はそれを指の先で軽くやったのである。はいってゆこうとする猫(ねこ)のようなひそやかなおずおずした穏かさで。
 扉は押されたとおりにほとんど見えないくらい静かに動いて、前よりなお少し大きく開いた。
 彼は一瞬間待った。それから再び、こんどは少しく大胆に扉を押した。
 扉はやはり音もなく押されるまま動いた。そしてもう彼が通れるくらいにはじゅうぶん開いた。しかし扉(とびら)のそばに一つの小さなテーブルがあって、それが扉と具合悪い角度をなして入り口をふさいでいた。
 ジャン・ヴァルジャンは困難を見て取った。どうあってももっと扉を大きく開かなければならなかった。
 彼は心を決して、前よりもいっそう力を入れて三度扉を押した。ところがこんどは、肱金(ひじがね)に油がきれていたので、突然闇の中にかすれた音がきしって長くあとを引いた。
 ジャン・ヴァルジャンは身を震わした。その肱金の音は、最後の審判のラッパのように激しく大きく彼の耳に響いた。
 最初の瞬間には、それが奇怪に誇大されて感じられた。肱金が生き上って突然恐ろしい生命を授かり、すべての人に変を告げ眠った人々をさますために犬のようにほえていると、彼はほとんど思ったほどであった。
 彼は胆(きも)をつぶして震えながら立ち止まり、爪立(つまだ)っていた足の踵(かかと)をおろした。動脈は両のこめかみに、鍛冶屋(かじや)の槌(つち)のように激しく脈打っているのが聞こえ、胸から出る息は洞穴(どうけつ)から出る風のような音を立ててるらしく思えた。その苛(い)ら立った肱金の恐ろしい響きは、地震のように全家を揺り動かさないではおかなかったろうと彼には思えた。扉は彼に押されて、変を告げて人を呼んだ、老人はまさに起きようとしている、二人の老婦人はまさに声を立てようとしている、彼らを助けに人々がやって来るだろう、十五分とたたないうちに全市は沸き返り、憲兵は動き出すだろう。一瞬間、彼はもう身の破滅だと思った。
 彼はその場に立ちつくした。塑像(そぞう)のように固まってあえて身動きもなし得なかった。
 数分過ぎた。扉はすっかり大きく開いていた。彼はふと室の内をのぞき込んでみた。何物も動いてはいなかった。彼は耳を澄ました。家の中には何も物の蠢(うご)めく気配もなかった。さびついた肱金(ひじがね)の音はだれの眠りをもさまさなかったのである。
 その第一の危険は過ぎ去ったが、しかしなお彼のうちには恐ろしい胸騒ぎがあった。けれども彼はもう後に退かなかった。もはや身の破滅だと思った時でさえ、彼は退かなかったのである。彼はもうただ早くやり遂げようということしか考えなかった。彼は一歩ふみ出して、室の中にはいった。
 室の中はまったく静まり返っていた。あちらこちらに雑然とした漠然(ばくぜん)たる形が認められた。それは昼間見れば、テーブルの上に散らばった紙や、開かれたままの二折本や、台の上に積み重ねられた書籍や、着物の置いてある肱掛椅子や、祈祷台などだとわかるが、その時にはただ暗いすみやほの白い場所などを作ってるだけだった。ジャン・ヴァルジャンは器物にぶっつからないようにしながら用心して足を進めた。室の奥に、寝込んでる司教の静かな規則的な呼吸の音が聞こえていた。
 彼は突然足を止めた。司教の寝台のそばにきていた。自分でも思いがけないほど早くそこまでやって行ったのである。
 自然は時として、吾人(ごじん)に考慮させんと欲するかのように、それとなく巧みなる時機を図って、その効果と光景とを吾人の行動に絡(から)ませるものである。約三十分ばかり前から大きな雲のかたまりが空を蔽(おお)っていた。がジャン・ヴァルジャンが寝台の前に立ち止まった瞬間に、その雲は心あってかのように裂けて、月の光が長い窓から射して司教の青白い寝顔をふいに照らした。司教は穏かに眠っていた。下アルプの寒夜のために床の中でもほとんど着物を着ていて、褐色(かっしょく)の毛織りの上着は腕から手首までも包んでいた。頭は枕の上にもたせられて、まったく休息のうちに投げ出されたような様子だった。多くの慈善や聖(きよ)い行ないをなすその手は、牧師の指輪をはめて寝台の外にたれていた。その全体の顔付きは、満足と希望と至福との漠然たる表情に輝いていた。それは微笑(ほほえ)み以上のものでほとんど光輝であった。その額(ひたい)の上には、目に見えぬ光明の言い知れぬ反照があった。睡眠中の正しき人々の魂は、ある神秘なる天をながめているものである。
 その天の反映が司教の上にあった。
 それはまた同時に光に満ちた透明さであった、何となればその天は彼の内部にあったのだから。その天こそ、すなわち彼の本心であった。
 月の光が、言わば司教のその内部の輝きの上にさしかかった時に、眠ってる彼の姿は栄光のうちにあるかのようであった。けれどもそれは言葉につくし難い薄ら明りに包まれて穏かだった。空にあるあの月、まどろめるあの自然、小揺らぎもないあの庭、静まりかえったその家、その時、その瞬間、その沈黙、それらはこの聖者の尊い休息の姿にある壮厳な言葉に絶した趣を添え、そして、その白髪、その閉じたる目、すべて希望と信頼とのみなるその顔、その年老いたる頭とその小児のような眠りとを、一種のおごそかな朗らかな後光をもって包んでいた。
 かくてみずから知らずして尊厳なる彼のうちには、ほとんど神聖なるものがあった。
 ジャン・ヴァルジャンは影のうちに居た。彼は鉄の燭台を手に持ち、その輝いてる老人の姿に驚いて身動きもせずに立っていた。かつて彼はそういうものを見たことがなかった。その信頼しきった様は彼を恐れさした。精神の世界において最も壮大なる光景は、まさに悪事をせんとしながらしかも正しき人の睡眠をながめている、乱れた不安な人の本心がそれである。
 孤独のうちにおけるその眠り、そして彼がごとき者を隣に置いてのその眠りは、何かしら厳(おごそ)かなるものを持っていた。彼はそれを漠然と、しかし強く感じた。
 彼のうちにいかなることが起こったか、それはだれにも言えないであろう、そして彼自身でさえも。それを推測せんがためには、まず最も穏やかなるものと最も暴戻(ぼうれい)なるものとの対立を想像してみるがよい。彼の顔の上にさえ、確かに認め得らるるものは何もなかったであろう。それは一種の野性の驚愕(きょうがく)であった。彼はそれをじっと見ていた。それだけである。しかし彼の考えは何であったか。それを推察するは不可能であろう。ただ明らかなのは、彼が感動し顛倒(てんとう)していたことである。しかしその感激はいかなる性質のものであったか。
 彼の目は老人から離れなかった。彼の態度とその顔付きとに明らかに浮き出していたただ一つのことは、異様な不決断であった。あたかも一は身を亡(ほろ)ぼし一は身を救う二つの深淵の間に躊躇(ちゅうちょ)していたとも言えよう。その眼前の頭脳を打ち砕くか、もしくはその手に脣(くちびる)をつけるか、いずれかをしようとしているもののようであった。
 数分の後、彼の左手はおもむろに額に上げられた。彼は帽子をぬいだ。それから手は同じくおもむろに、また下された。そしてジャン・ヴァルジャンはまたうちながめはじめた、帽子を左手に持ち、棍棒(こんぼう)を右手に持ち、あらあらしい頭の上に髪の毛を逆立たして。
 司教はその恐るべき凝視の下にあって、なお深き平和のうちに眠っていた。
 月の光の反映は、暖炉の上に十字架像の姿をぼんやり見せていた。それは両手を開いて、一人には祝福を与え一人には赦免(しゃめん)を与えるために、その二人を抱かんとするかのようであった。
 突然、ジャン・ヴァルジャンは額に帽をかぶった。それから、司教の方を見ずに寝台に沿って足を早めながら、その枕頭に見えている戸棚の方へまっすぐに行った。彼は錠前をこじあけようとするかのように鉄の燭台を高くあげた。が、そこには鍵(かぎ)がついていた。彼は開いた。第一に彼の目にはいったものは、銀の食器のはいってる籠(かご)だった。彼はそれを取り、もう何の用心もせず足音にも気をとめずに大またに室を通り、扉(とびら)の所に達し、礼拝所にはいり、窓を開き、杖を取り、窓縁をまたぎ、背嚢(はいのう)に銀の食器をしまい、籠をなげ捨て、庭を過ぎ、虎(とら)のように壁を飛び越え、そして姿を消した。

     十二 司教の働き

 翌朝、日の出る頃、ビヤンヴニュ閣下は庭を歩いていた。
 マグロアールがすっかり狼狽(ろうばい)して彼の所へかけてきた。
「旦那(だんな)様、旦那様、」と彼女は叫んだ、「銀の器(うつわ)の籠(かご)はどこにあるか御存じでいらっしゃいますか。」
「知っているよ。」と司教は言った。
「まあありがたい!」と彼女は答えた。「私はまた、どうなったかと思いました。」
 司教は花壇の中でその籠を拾ったところだった。彼はそれをマグロアールに差し出した。
「ここにあるよ。」
「え?」と彼女は言った、「中には何もないではございませんか。銀の器は?」
「ああそう、」と司教は言った、「お前が心配しているのは銀の器だったのか。それはどこにあるか私も知らない。」
「まあ何ということでしょう! 盗まれたんでございますよ。昨晩のあの男が盗んだのでございますよ、きっと。」
 すぐに、元気のよい老婦マグロアールは勢いこんで礼拝所へかけてゆき、寝所にはいり、そしてまた司教の所へ戻ってきた。司教は身をかがめて、籠(かご)が花壇に落ちた時に折られたギーヨンのコクレアリアの草花を嘆息しながらながめていた。彼はマグロアールの声に身を起こした。
「旦那(だんな)様! あの男は逃げてしまいました。銀の器は盗まれたのです。」
 そう叫びながら彼女の目は、庭のすみに落ちた。そこには壁をのり越した跡が見えていた。壁の屋根の垂木(たるき)が取れていた。
「もし、あそこから逃げたのです。コシュフィレ通りへ飛び越したのです。まあ悪いやつ。銀の器を盗んだのでございますよ。」
 司教はちょっと黙っていた。それから、まじめな目をあげて、穏かにマグロアールに言った。
「が第一に、あの銀の食器は私どもの物だったのかね。」
 マグロアールは茫然(ぼうぜん)としてしまった。しばし沈黙が続いて、それから司教は言った。
「マグロアールや、私は誤って長い間あの銀の器を私していた。あれは貧しい人たちのものなんだ。ところであの男は何であったろう。明らかに一人の貧しい人だったではないか。」
「まあ何をおっしゃいます!」とマグロアールは言った。「何も私や嬢様のためではございません。私どもにはどうだってかまいません。けれどそれは旦那様のためでございます。これから旦那(だんな)様は何で御食事をなさいます?」
 司教は驚いたようなふうで彼女を見た。
「ああそんなことなら! 錫の器があるだろう。」
 マグロアールは肩をそびやかした。
「錫はにおいがいたします。」
「では鉄の器は?」
 マグロアールは意味深く顔をしかめた。
「鉄には妙な味がいたします。」
「それでは、」と司教は言った、「木の器がいい。」
 数分後には、彼は前夜ジャン・ヴァルジャンがすわっていたその食卓で朝食をした。食事をしながらビヤンヴニュ閣下は、何にも言わない妹と、何かぶつぶつ不平を言ってるマグロアールとに、パンの切れを牛乳につけるためには、匙(さじ)も肉叉(フォーク)もいらなければまた木で作ったそんなものもいらないということを、快活に述べ立てた。
「まあ、何という考えだろう!」とマグロアールは行ったりきたりしながら独語した。
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