レ・ミゼラブル
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著者名:ユゴーヴィクトル 

 九年の間にビヤンヴニュ閣下は、聖(きよ)き行ないと穏かな態度とをもって、優しいそして子の父に対するがごとき一種の尊敬の念をディーニュ市民の心にいだかしめた。ナポレオンに対する彼の態度すら、人民から容認され黙許されたがようであった。彼らは善良な弱い羊の群れであって、彼らの皇帝を崇拝していたが、また彼らの司教を愛していた。

     十二 ビヤンヴニュ閣下の孤独

 司教のまわりには、あたかも将軍の周囲に少年士官の多数が集まっているように、年少宗教家らの取り巻きが常にある。あのおもしろいサン・フランソア・ド・サールがどこかで「黄口の牧師」と呼んだところのものが、それである。いかなる仕事にも、その志望者があって、すでに到達した人の周囲に集まる。いかなる権威もその取り巻きを有せざるはなく、いかなる幸運もその阿諛者(あゆしゃ)を持たざるはない。未来の成功を目ざす人々は、現在の光栄のまわりに集合する。あらゆる大司教所在地にはその一群の幕僚がある。多少とも勢力のあるあらゆる司教の近くには、紅顔の神学校生徒らの斥候がある。彼らは司教の宮殿内において巡邏(じゅんら)をなし秩序を維持し、司教の微笑を窺(うかが)う。司教の気にいることは、副助祭になるについて既に鐙(あぶみ)に足をかけることである。人は巧みに自分の途を開くことを要する。使徒たらんには、まず役僧たるを厭(いと)ってはならない。
 世界に大なる冠があるごとく、教会にも大なる司教の冠がある。宮廷の覚えめでたく、富裕で、収入があり、巧妙で、世間に受けがよく、神に祈ることはもちろん、人に哀願する術をも心得ており、全教区内の人々にひそかに面接することもあまり疚(やま)しく思わず、神事と外交との間の連鎖となり、牧師たるよりはむしろ修道院長たるに適し、司教たるよりはむしろ法王庁内の役人たるに適するがごとき司教らが、すなわちそれである。彼らに近づく人は幸いなるかな! 彼らは勢力を有するがゆえに、自己のまわりに、奔走する者らや贔屓(ひいき)の者らに、彼らを喜ばすことを知れるすべての若き者らに、司教の位を得るに至るまでの間にまず、広き教区や扶持や大補祭の職や教誨師(きょうかいし)の職や大教会堂内の役目などを盛んに与える。自ら位階を経上がりながら、彼らは取り巻き者どもを引き立ててゆく。あたかも行進し行く一の太陽系のようである。彼らの輝きはその従者らに紅の光を投ずる。彼らの栄達はその背後に控ゆる人々に何らかの昇進をまき散らす。保護者の教区が大なれば、従って恩顧を受くる牧師の受け持ち区も大きい。しかして終わりにローマがある。大司教となり得る司教は、更に枢機官となり得る大司教は、汝を随行員として召し連れるであろう、そして汝は宗務院にはいり、汝は肩布を賜わり、やがて汝は聴問官となり、法王の侍従となり、司教となる。司教職と枢機官職との間は一歩にすぎず、更に枢機官職と法王の位との間にはただ徒(いたず)らなる投票があるのみである。頭巾(ずきん)の牧師は皆法王の冠を夢想し得る。今日において普通の順序により王となり得るはただ牧師あるのみである。しかもその王たるや最上の王である。ゆえに神学校なるものはいかに高きへの野心を起させるところなるか! 顔を赤らめる合唱隊の子供のいかに多くが、年わかき法師のいかに多くが、ペルレットの牛乳の壺(つぼ)を頭にいただくことであるか!(訳者注 ペルレットとはラ・フォンテーヌの物語中の娘、町に売りにゆく牛乳の代より大なる幸運を夢想し、それに心を奪われて途中牛乳の壺を地上に落としてしまったのである)しかして野心は、自らおのれをごまかしながらしかもおそらくはまじめに、いかに恬然(てんぜん)として天職の名を容易に僣することであるか!
 ビヤンヴニュ閣下は、謙譲で貧しく独特な性質の人であって、右の大なる司教の冠のうちにはいらなかった。それは彼のまわりに年若い牧師が一人も集まっていないことからでも明らかにわかるのであった。パリーにおいても「彼はうまくやらなかった」ことは、既に述べたとおりである。未来を望む者は一人として、この孤独な老人によって身を立てようと思う者はなかった。野心の芽をもつ者で、彼の影に枝葉を伸ばさんとするの愚をなすものは一人もなかった。彼の下の役僧や大補祭らは皆善良な老人のみであった。彼らは彼と同じく多少平民的であり、枢機官になる望みもないその教区のうちに籠(こも)り、司教にまったく似寄っていて、ただその差異は、彼らは老衰しており、司教は完成しているというのみだった。ビヤンヴニュ閣下の側(そば)にあっては昇進が不可能であることはだれも明らかに感じたところで、彼から資格を与えられた若い人々も、神学校をいずれば直ちにエークスやオーシュの大司教らに紹介を得て、すみやかに去ってしまうのであった。何となれば、繰り返して言うが、人は引き立てらるることを求むるから。極端なる克己のうちに生きている聖者は、危険なる隣人である。彼は、不治の貧困や、昇進に利ある技能の麻痺(まひ)や、要するに人が欲する以上の解脱を、伝染せしむることがある。かかるところからビヤンヴニュ師の孤立はきたった。吾人の住む社会は暗澹(あんたん)たるものである。成功することこそ、まさに潰(つぶ)れんとする腐敗より一滴また一滴としたたる教えである。
 ついでにここに付言したい。成功とは嫌悪すべきことである。真の価値と誤られ易(やす)いその類似は人を惑わす。群衆に対しては、成功はほとんど優越と同じ面影を有する。才能の類似者たる成功は一つの妄信者(もうしんじゃ)を持つ。すなわち歴史である。ただユヴェナリスとタキツスのみがそれに不平をとなえた。今日においては、ほとんど公の哲学が成功の家に住み込み、その奴僕(どぼく)の服をつけ、その控え室の仕事をしている。成功せよ、というが学説である。栄達は能力を仮定する。投機に富を得ればその人はすなわち巧妙な人物となる。勝利者は尊敬せらるる。幸運に生まれよ、そこにすべてがある。幸機を得よ、さらば汝は悉(ことごと)くを得ん。幸福なれ、さらば汝は偉大なりと信ぜられん。時代の精彩たる五、六の偉大なる例外を除けば、同時代の賞賛は近視にすぎない。鍍金(めっき)は純金となる。第一着者であることは、到達者であることを得さえすれば何物をもそこなわない。俗衆は、自らおのれを崇拝しまた俗衆を喝采(かっさい)する一つの年老いたナルシスにすぎない。人をモーゼたらしめ、アイスキロスたらしめ、ダンテたらしめミケランゼロたらしめ、あるいはナポレオンたらしむる巨大なる才能を、群衆は何事によらずその目的に到達せる者に、即座にしかも歓呼してこれを与える。ある公証人が代議士となり、ある似而非(えせ)コルネイユがティリダートを書き、ある宦官(かんがん)が後宮を所有し、陸軍のあるプルュドンムが偶然に一時期を画すべき決定的勝利を得、ある薬種商がサンブル・エ・ムーズの軍隊のためにボール紙の靴底(くつぞこ)を発明し、それを皮として売り出して四十万リーヴルの年金を得、ある行商人が高利貸しの女と結婚して二人の仲に七、八百万の金を出産させ、ある説教者がその鼻声のために司教となり、ある家の執事がその役を止(や)むる頃には大なる富者となって大蔵大臣になされるなど、世人はそれを呼んで天才と言う。あたかも彼らがムスクトンの顔を美なりと称し、クロードの風采(ふうさい)を尊厳なりと称すると同一である。天空の星座と軟(やわら)かき泥地に印するあひるの足跡の星形とを、彼らは混同するのである。

     十三 彼の信仰

 ローマ正教の見地よりすれば、われわれはディーニュの司教を検校してみるの要を持たない。彼がごとき魂の前においては、われわれはただ尊敬の念を感ずるのみである。正しき人の良心はそのままに信ぜられなければならない。その上、ある種の性質が提出さるる時、われわれは、われわれと異なる信仰の中においても、人間の徳のあらゆる美が発展し得るものであることを認めるのである。
 司教は甲の信条についてどう考えていたか、また乙の秘蹟(ひせき)についてどう考えていたであろうか。しかしそのような内心の信念の奥秘は、人の魂があらゆる衣をぬぎすててはいりゆく墳墓によって知らるるのみである。ただ吾人に確かであることは、信仰上の難事に会っても彼はかつてそのために偽善に陥ることがなかったということである。金剛石にはいかなる腐敗もあり得ない。彼はでき得(う)る限り信仰のうちに身を投じ、われ父なる神を信ずと、しばしば叫んだ。その上、彼はおのれの善行のうちより良心に必要なだけの満足をくみ取り、汝神とともにありと、低くささやく声を自らきいた。
 ここにしるさなければならないと思われることは、言わば信仰の外に、そして信仰のかなたに司教が過度の愛を有していたことである。自己主義が衒学癖(げんがくへき)の合言葉となるようなこの悲しき時代の用語を用うれば、彼が「まじめな人々」や「謹厳な人々」や「理性的な人々」から欠点ありと目せられたのは、そこから由来したことであって、彼があまりに多く愛したがゆえである。がこの過度の愛とは何であったか。それは吾人がすでに前に示したように、人間の上に満ちあふれ、時としては事物にまでも及ぶ一つの朗らかな親切であった。司教は何物をも侮蔑(ぶべつ)しなかった。彼は神の造られし万物に対して仁慈であった。人は皆、最善の人といえども、動物に対して思慮なき酷薄さを心中にひそかに有するものである。その酷薄さは多くの牧師に固有なものであるが、ディーニュの司教は少しもそれを持たなかった。もとよりバラモン教の僧侶(そうりょ)ほどに極端ではなかったが、「動物の魂のどこへ行くかを知れる者ありや」という伝道書の言葉を、彼は深く考えたのであるように思われる。その外貌(がいぼう)の醜悪も、その本能の不具も、彼をわずらわさず彼をいら立たせなかった。彼はそれに感動させられ、ほとんど心をやわらげられた。彼は深く考えに沈みながら、その醜怪の原因や説明や弁明を表面の生のかなたにさがし求めんとするがようであった。時としては変更を神に求むるがようであった。彼は怒りの念もなく、古文書を判読する言語学者のごとき目をもって、自然のうちになお存する多くの混沌(こんとん)たるものを観察した。その夢想は時として彼の口から不思議な言語を発せさせるのであった。ある朝、彼は庭に出ていた。彼は自分一人だと思っていた、自分のうしろに妹が歩いていたのを気づかなかったのである。突然、彼は歩みを止めて、地上に何かを見つめた。それは毛のはえたまっ黒な恐ろしい大蜘蛛(ぐも)であった。妹は彼がこう言うのを聞いた。「かわいそうなものだ! それも彼自身の罪ではない。」
 慈愛深きことほとんど神のようなそのかわいげな言葉をどうしてしるさずにおかれよう。小児らしいと言ってもよい。しかしその崇高な小児らしさは、アッシシの聖フランチェスコやマルクス・アウレリウスなどのそれと同じものであった。ある日彼は一匹の蟻(あり)を踏みつぶさないようによけたために足を挫(くじ)いたこともあった。
 そのようにしてこの正しき人は生活していたのである。時として彼は庭で眠ることもあったが、その時の彼の姿ほど尊いものはなかった。
 その青年時代やまたは壮年時代について伝えらるるところによれば、ビヤンヴニュ閣下はかつては熱情的なまたおそらく激越な人であったらしい。そして今の広い温和な性質は、天性によるものというよりはむしろ、彼の心中に長い生涯を通じて澱(よど)みきたり、思想を通じて静かに彼の心中に落ちきたった、大なる確信の結果であった。何となれば、岩石におけるごとく人の性格においても、水の点滴によって穴をあけらるることがあるからである。そのくぼみは消し得ないものであり、その形成は破壊し得ないものである。
 すでに前に述べたことと思うが、一八一五年に彼は七十五歳に達していたけれど、六十歳以上とは見受けられなかった。彼は背は高くはなかった。いくらか肥満すぎる傾きがあって、それを重らせないために好んで長い徒歩を試みた。しっかとした足取りで、ごくわずかしか腰がまがっていなかった。しかしそんな些事(さじ)からわれわれは何か結論を引き出そうとするのではない。グレゴリウス十六世は八十歳にしてなお身を真っ直ぐに保ち微笑をたたえていた、がそれでも悪い司教だったのである。ビヤンヴニュ閣下は「りっぱな人」と人民たちに言われる相貌(そうぼう)をしていたが、それはいかにもかわいらしいものだったので美しいということを忘れさせるほどだった。
 彼の優雅な風貌(ふうぼう)の一つであってわれわれが既に述べたところの、あの子供らしい快活さをもって彼が話をする時、人は彼の傍(そば)にあっていかにも安易な気持を覚え、あたかも彼の全身から喜悦がわき出て来るかのようであった。彼の生き生きした赤味を帯びた顔色や、笑うたびにほの見えるまだそろってる真っ白な歯列(はなみ)などは、彼に打ちあけた気安い風格を与えていて、若い人についてなら「いい児だ」と言いたく、老人についてなら「好々爺(こうこうや)だ」と言いたい気を起こさせるほどのものだった。彼がナポレオンに与えた感じはちょうどそういうものであったことは、人の思い起こし得るところであろう。最初のうちは、または初めて彼を見る人にとっては、実際彼はほとんど一個の好々爺にすぎなかった。しかしながら、もし彼の側に数時間とどまっているならば、そして少しでも彼が考え込んだ様子をしているのを見る時には、その好々爺はしだいに姿を変じて何かしら人を威圧するような風貌になるのであった。彼の広い真摯(しんし)な額(ひたい)は、すでにその白髪のためにおごそかであったが、また瞑想によってもおごそかになっていた。その温良のうちには威厳がのぞいていたが、しかもなお温良は光を放っていた。ほほえめる天使が静かにその翼を広げながら、なおもほほえむのをやめないでいる姿を見るような、一種の感動を人は感ずるのであった。尊敬の念、言葉に現わし得ない尊敬の念が、しだいに起こってきて心を打ち、試練を経た寛容な強い一つの魂に向き合っているように、人は感ずるのであった。その思想はあまりに偉大で、もはや穏和でしかあり得ないような魂だった。
 既に前に述べたごとく、祈祷、宗務上の祭式、施与、苦しめる者の慰安、僅少な土地の耕作、友愛、質素、歓待、節欲、信頼、研究、労作、それらが彼の生活の日々を満たしていた。満たすというのは適当な言葉である。そして確かに、司教の日々はそのすみずみまで、善良な思想と善良な言葉と善良な行為とでいっぱいになっていた。けれども、晩に二人の女が寝室に退いた後眠る前の一、二時間を庭に出てすごすことが、寒さや雨のために妨げらるるような場合には、彼の一日は完全なものではなかった。夜の空の偉観の前に瞑想して眠りを誘うことは、彼にとって一つの慣例となっていたがようである。時とすると夜ふけた頃、まだ眠りにつかないでいた二人の年老いた婦人は、彼が静かに庭の道を歩いている足音をきくことがあった。彼はそこにただ一人で、考えに沈み、心穏やかに、跪拝(きはい)の心地で、おのが心の朗らかさと精気(エーテル)の朗らかさとを比べて見、暗やみの中で目に見得る星辰(せいしん)の輝きと目に見えざる神の光輝とに感動し、未知のものより落ちてくる思いに心をうち開いていた。そういう時彼は、夜の花がかおりを送りくる時間のうちに、心を投げ出し、星の輝ける夜のただ中にランプのごとく輝き、万有の光を放つ中に恍惚(こうこつ)と伸び拡がって、おそらくおのれの精神のうちにいかなることが起こってるかを自ら知らなかったであろう。彼は何かがおのれの外に飛び去り、何かがおのれのうちに降りて来るのを感じていた。魂の深淵と宇宙の深淵との神秘なる交換であった。
 彼は神の偉大とその現在とを思った。永遠の未来という不可思議な神秘を。永久の過去という更になお不可思議な神秘を。おのれの目前にあらゆる方向に深まってるすべての無限なるものを。そして彼はその不可解なものを了解せんと努むることなく、ただそれを見つめた。彼は神を研究しなかった。彼はただそれに眩惑(げんわく)した。彼は原子のあの驚くべき逢合(ほうごう)を考察した。物質に諸(もろもろ)の外形を与え、その外形を定めながら力を顕現し、統一のうちに個性を作り、広がりのうちに割合を作り、無限のうちに無数を作り、そして光によって美を生ぜしむるあの逢合を。それはたえず結ばれてはまた解ける。そこから生と死とが生ずる。
 彼はこわれかけたぶどう棚によせかけてある木のベンチに腰掛けた、そして庭の果樹の小さな細やかな枝影をすかして星をながめた。貧しい木立ちに破屋(あばらや)や小屋が建ち並んだそのわずかの土地は、彼にとっては尊いそしてじゅうぶんなものであった。
 いたって少ないわずかな隙(ひま)の時間を、昼は園芸に夜は観想に分かち用いていたこの老人にとって、それ以上何が必要であったか。空を天井とするその狭い宅地は、神を、あるいはその最も美しい御業(みわざ)において、あるいはその最も荘厳な御業において、礼拝するには十分ではなかったか。実際そこにすべてがあるではないか、そしてそれ以外に何を望むべきであるか。歩を運ぶためには小さな庭があり、夢想するためには無窮の天がある。足下には耕耘(こううん)し採集し得るもの、頭上には研究し瞑想(めいそう)し得るもの、地上に数株の花と、空にあらゆる星辰(せいしん)と。

     十四 彼の思想

 最後に一言する。
 今述べたようなこの種のこまかなことは、ことに現今においては、そして現時流行の語をもってすれば、ディーニュの司教にある「汎神論(はんしんろん)者」的面影を与えるかも知れない、そして、彼を非難することになるか、もしくは賞賛することになるかはともかくとして、往々[#「往々」は底本では「住々」]孤独な人の心のうちに萌(きざ)し生長してついに宗教の地位を奪うまでになる現世紀特有な個人的哲学の一つが、彼のうちにあったことを信ぜさせるかも知れない。それでわれわれは、ビヤンヴニュ閣下を実際に知っていた人たちは一人としてそのような考え方をしていいと思っていた者のないことを、力説しておかなければならない。彼を輝かしたところのものは、その心であった。彼の知恵は、そこから来た光明によって得られたものであった。
 体系的思想の皆無と行為の豊富。深遠な推論は眩迷(げんめい)をきたすものである。司教が神秘な考察のうちに頭をつき込んだ徴(しるし)は何もない。使徒たる者は大胆なるもいい、しかし司教たるものは小心でなければならない。言わば恐るべき偉大な精神のために取り置かれてるある種の問題にあまり深入りして探究することを、彼はおそらく差し控えたであろう。謎(なぞ)の戸口の下には犯すべからざる恐怖がある。そのほの暗い入り口はそこにうち開いているが、人生の旅人なる汝らには、入るべからずと何物かがささやく。そこに足をふみ入れる者は禍(わざわい)なるかな! 抽象と純粋思索との異常な深淵のうちにおいて、言わばあらゆる信条の上高く座を占めて、天才らはおのれの観念を神に訴える。彼らの祈祷は大胆にも議論の提出であり、彼らの礼拝は質疑である。その峻嶮(しゅんけん)を試みんとする人にとっては、それは多大の憂苦と責任とのこもった直接的宗教である。
 人の瞑想には際限がない。それは自ら危難を冒しておのれの眩惑(げんわく)を分析し推究する。一種の荘厳な反動によって自然を眩惑するともほとんど言い得るであろう。吾人を囲む神秘な世界はその受けしところのものを返して、おそらく観者は被観者となるであろう。それはともかくとして、地上にはある種の人――それは果して人であるか?――がいる。彼らは夢想の地平の奥の絶対境の高地を明らかに認め、無限の山の恐ろしい幻を見る。しかしビヤンヴニュ閣下はそういう人々の一人ではなかった。彼は天才ではなかった。彼はその高遠なる境地を恐れた。ある者は、そしてスウェデンボルグやパスカルのごとき偉大なる人さえも、その境地から転落して正気を失ったのであった。確かにそれらの力強い夢想は精神的効果を有する、そしてその険しい道によって人は理想的完全の域に近づく。しかし司教は簡略な道を選んだ、すなわち福音の道を。
 彼はおのれの法衣にエリアの外套の襞(ひだ)をつけさせようとは少しもしなかった。(訳者注 旧約エリアの故事、――彼はエリアの衣鉢を継がんとはしなかった)彼は事変の暗黒な大浪の上に何ら未来の光明を投じようとはしなかった。彼は事物の輝きを凝集さして火炎たらしめようともつとめなかった。彼は何ら予言者の趣もまたは魔術師の趣も持たなかった。彼の素純なる魂はただ愛した、それがすべてであった。
 彼が超人間的な希願にまでその祈祷を高めていったというならば、おそらくそれは事実であろう。しかしながら人は、あまりに愛しすぎるということのないと同じく、あまりに祈りすぎるということはなお更ない。経典以上の祈りをすることが異端であるとなすならば、聖テレサや聖ヒエロニムスのごときも異端者となるであろう。
 彼は悲しむ者や罪を悔いる者の方へ身をかがめた。世界は彼に一つの広大なる病であるごとく思われた。彼はいたる所に病熱を感じ、いたる所に苦悩の声をきいた。そして彼はその謎(なぞ)を解かんとせず、瘡痍(そうい)を繃帯(ほうたい)せんとした。万物の恐るべき光景は、彼のうちにやさしき情をますます深からしめた。あわれみ慰むべき最良の方法を自己のために見い出すことと、他人にそれを勧むることとにのみ、彼は意を用いた。存在するところのものは皆、このまれな善良な牧師にとっては、慰藉(いしゃ)を求めながら常に悲哀に沈んでるのであった。
 世には黄金を採掘するために働いている人々がいる。司教は憐憫(れんびん)を引き出すために働いていた。全世界の悲惨は彼の鉱区であった。いたる所に苦しみがあることは、常に親切を施すの機縁となるばかりであった。汝ら互いに愛せよ。彼はその言を完全なるものとして、それ以上を何も希(ねが)わなかった。そこに彼の教理のすべてがあった。ある日、前に述べたあの自ら「哲学者」と思っている上院議員は司教に言った。「だがまず世界の光景を見らるるがいい。あらゆるものは皆互いに戦っている。最も強い者が最も知力を持っている。君の汝ら互いに愛せよは愚なことだ。」ビヤンヴニュ閣下はあえて論争せずにただ答えた。「なるほど、たといそれは愚であるとしても、貝殻の中の真珠のように、魂はその中にとじこめておかなければいけないです。」かくて彼はそこにとじこもり、その中に生き、それに絶対に満足していた。そして他のすべてを傍(かたわら)にうち捨てた。人をひきつけまた恐れさする不可思議な問題、抽象の不可測な深淵、形而上学の絶壁、使徒にとりては神が中心たり無神論者にとりては虚無が中心たるそれらのあらゆる深奥の理、すなわち、運命、善と悪、存在者相互の戦い、人の良心、動物の専心的な夢遊歩行、死による変形、墳墓のうちにおける生存の反覆、永続する自我に対する不可解な継承的愛情、本質、実体、無と有、魂、自然、自由、必然など、人類の偉大なる精神がのぞき込むあの陰惨な難問題、ルクレチウスやマヌーや聖パウロやダンテらが無限を凝視して星を生ぜしめるほどの燃え立った目で観想した恐るべき深淵、それらを彼は皆傍にうち捨てたのであった。
 ビヤンヴニュ閣下は単に一個の人であった。神秘な問題はこれを外部から観(み)るのみで、それを推究することなく、それを攪拌(かくはん)することなく、それをもっておのれの精神をわずらわすことなく、しかも神秘の闇に対する深き尊敬を魂の中に有している、一個の人にすぎなかった。
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   第二編 墜落


     一 終日歩き通した日の夜

 一八一五年十月の初め、日没前およそ一時間ばかりの頃、徒歩で旅している一人の男が、ディーニュの小さな町にはいってきた。ちょうど人家の窓や戸口にあまり人のいない時間ではあったが、なおいくらかの人々はそこにいて、一種の不安の念を覚えながら旅人をながめた。おそらくこれ以上みすぼらしい風をした旅人はめったに見られなかった。それは中背の幅広い頑丈な元気盛りの男であった。四十六か七、八くらいであろう。皮の目庇(まびさし)のたれた帽子が、日に焼け風にさらされ汗の流れてる顔の一部を隠していた。黄色がかった粗末な布のシャツは、ただ首の所で銀の小さな止め金で止めてあるきりなので、そのすきから毛深い胸が見えていた。ネクタイは縒(よ)れてひものようになっている。青い綾織(あやお)りのズボンは傷(いた)んですり切れ、片膝(ひざ)は白くなり、片膝には穴があいている。ぼろぼろな灰色の上衣には、撚(よ)り糸で縫われた青ラシャの補綴(はぎ)が一方の肱(ひじ)の所にあたっている。背中にはいっぱい物のはいった、堅く締め金をとめた、まだ新しい背嚢(はいのう)を負い、手には節(ふし)のあるごく大きな杖(つえ)を持ち、足には靴足袋(くつたび)もはかずに鉄鋲(てつびょう)を打った短靴を穿(うが)ち、頭は短く刈り込み、ひげを長くはやしている。
 汗、暑気、徒歩の旅、ほこり、それらのものが右の荒れすさんだ全体の姿に、更に何かしらきたならしい趣を加えていた。
 頭髪は短かったが、逆立っていた。もうしばらく刈られないでいるらしく、そして少し伸びはじめていたからである。
 だれも彼を知っている者はなかった。明らかに一人の通りすがりの男にすぎなかった。どこからきたのであろうか。南方から、たぶん海辺からきたのであろう。というのは、彼がディーニュにはいってきたのは、七カ月以前にナポレオンがカーヌからパリーへ行く時に通ったのと同じ道からであった。この男は終日歩きづめだったに違いない。大変疲れているように見えていた。下手(しもて)の昔の市場のほとりの女どもが見たところによると、彼はガッサンディ大通りの並木の下に立ち止まって、そのはずれにある泉の水を飲んだ。大変喉(のど)がかわいていたにちがいない。彼の後をつけて行った子供らは、彼がそれからまた二百歩ばかり行って、市場の泉の所に立ち止まって水を飲むのを見た。
 彼はポアンシュヴェル街の角まで行って左に曲がり、市役所の方へ足を運んだ。彼は市役所にはいり、それから十五分ばかりしてまた出てきた。門のそばの石のベンチに憲兵が一人腰をかけていた。それは、ドルーオー将軍が三月四日に、驚駭(きょうがい)したディーニュ市民の群衆に向かって、ジュアン湾(訳者注 ナポレオンが一八一五年三月一日エルバ島より再びフランスに上陸したる湾)の宣言を読みきかすために上った石である。旅の男は帽子をぬいで、丁寧にその憲兵に礼をした。
 憲兵は彼に答礼もせず、彼を注意深くうちながめ、なおしばらく彼の後ろを見送ったが、それから、市役所の中にはいった。
 当時ディーニュの町にはクロア・ド・コルバという看板のりっぱな宿屋があった。その主人はジャカン・ラバールといって、昔教導兵でありグルノーブルにトロア・ドーファンの看板の宿屋を持っている他のラバールという者の親戚(しんせき)であるというので、町でかなり尊敬されていた。皇帝上陸の際には、このトロア・ドーファンの宿屋について多くの風説がその地方に伝えられたものである。ベルトラン将軍が馬車屋に仮装して一月にしばしばそこに旅をして、兵士らにクロア・ドンヌール勲章を分与し、市民らに多くの金貨を与えた、というような噂(うわさ)が立てられていた。が事実はこうである、グルノーブルにはいってきた時、皇帝は知事の邸宅に行くのを断わり、私は知り合いの男の家にゆくのだからと言って、トロア・ドーファンの宿屋に行ったのであった。そのトロア・ドーファンのラバールの光栄は、二十五里へだてたクロア・ド・コルバのラバールの上にまで反映していた。町では彼のことをグルノーブルの男の従弟だと言っていた。
 旅の男はこの地方で最上等のその宿屋の方へ歩みを向けた。そしてすぐ街路に開かれてる料理場にはいった。竈(かまど)はみな火が燃えており、炉には威勢よく炎が立っていた。主人はまた同時に料理人頭であって、竈(かまど)や鍋(なべ)を見て回り、馭者(ぎょしゃ)たちのためにこしらえる旨(うま)い食事の監督をし、ひじょうに忙しかった。馭者たちが隣の室で声高に笑い興じてるのも聞こえていた。旅をしたことのある人はだれでも知ってる通り、およそ馭者たちほどぜいたくな食事をする者はいない。肥った山鼠(モルモット)は白鷓鴣(しろやっこ)や松鶏(らいちょう)と並んで、長い鉄ぐしにささって火の前に回っており、竈の上には、ローゼ湖の二尾(ひき)の大きな鯉(こい)とアロズ湖の一尾の鱒(ます)とが焼かれていた。
 主人は、戸があいて新しくだれかはいってきた音をきいて、竈から目を離さずに言った。
「何の御用ですか。」
「食事と泊まりです。」と男は言った。
「訳ないことです。」と主人は言った。その時彼はふり向いて旅人の様子をじろりとながめたが、つけ加えて言った。「金を払って下されば……。」
 男はポケットから皮の大きい財布を取り出して答えた。
「金は持っています。」
「では承知しました。」と主人は言った。
 男は財布をポケットにしまい、背嚢をおろし、それを戸のそばに置き、手に杖を持ったままで、火のそばの低い腰掛けの所へ行って腰をおろした。ディーニュは山間の地であって、十月になれば夜はもう寒かった。
 その間主人は、あちらこちらへ行ききしながら、旅人に目をつけていた。
「すぐに食事ができますか。」と男は言った。
「ただ今。」と主人は言った。
 その新来の客がこちらに背を向けて火に当たっているうちに、しっかりした亭主のジャカン・ラバールはポケットから鉛筆をとり出して、それから窓の近くの小卓の上に散らばっていた古い新聞の片すみを引き裂いた。彼はその欄外の空所に一二行の文句を書きつけ、それを折って別に封もせずに、料理手伝いや小使いをやっているらしい子供に渡した。亭主が耳もとに一言ささやくと子供は市役所をさしてかけて行った。
 旅人はそれらのことには少しも気がつかなかった。
 彼はも一度尋ねた。「食事はすぐですか。」
「ただ今。」と主人は言った。
 子供は帰ってきた。紙片を持ち戻っていた。主人は返事を待っているかのように急いでそれを披(ひら)いた。彼は注意深くそれを読んでいるらしかったが、それから頭を振って、しばらくじっと考え込んだ。ついに彼は一歩旅人の方へ近よった。旅人は何か鬱々(うつうつ)と考えに沈んでいるらしかった。
「あなたは、」と主人は言った、「お泊めするわけにいきません。」
 男は半ば席から立ち上った。
「どうして! 私が金を払うまいと心配するんですか。前金で払ってほしいんですか。金は持っていると言ってるではないですか。」
「そのことではありません。」
「では、いったい何です。」
「あなたは金を持っている……。」
「そうです。」と男は言った。
「だが私の所に、」と主人は言った、「室がないのです。」
 男は落ち着いて口を開いた。「廐(うまや)でもいい。」
「いけません。」
「なぜ?」
「どこにも馬がはいっています。」
「それでは、」と男はまた言った、「物置きのすみでもいい。藁(わら)が一束あればいい。が、そんなことは食事の後にしましょう。」
「食事を上げることはできません。」
 その宣告は、抑(おさ)えられてはいるが、しかし断固たる調子でなされたので、男には重々しく響いたらしかった。彼は立ち上がった。
「ええッ! だが私は腹が空(す)ききってるんだ。私は日の出から歩き通した。十二里歩いたんだ。金は払う。何か食わしてくれ。」
「何もありません。」と主人は言った。
 男は笑いだした、そして炉や竈(かまど)の方へふり向いた。
「何もない! そしてあそこのは?」
「あれは約束のものです。」
「だれに?」
「馭者の方たちに。」
「幾人いるんだい。」
「十二人。」
「二十人分くらいはあるじゃないか。」
「すっかり約束なんです、そしてすっかり前金で払ってあるんです。」
 男は再び腰をおろした、そして別に声を高めるでもなく言った。
「私は宿屋にいるのだ。腹がすいている。ここを動きはしない。」
 そこで主人は彼の耳元に身をかがめて、彼を慄然(ぎょっ)とさしたほどの調子で言った。「出てゆきなさい。」
 その時旅人は前かがみになって、杖の先の金具の所で火の中に燃え残りを押しやっていたが、急にふり返った。そして彼が何か答弁しようとして口を開いた時に、主人はじっと彼を見つめて、やはり低い声でつけ加えた。「さあもう文句を言うには及ばない。君の名を言ってあげようか。君はジャン・ヴァルジャンというのだ。それから君がどんな人だか言ってあげようか。君がはいって来るのを見て、あることを感づいたんだ。私は市役所に人をやった。そしてここに役所からの返事がある。君は字が読めるだろう。」
 そう言いながら彼はその見知らぬ男へ、宿屋と市役所との間を往復した紙片をすっかりひろげて差し出した。男はその上に一瞥(べつ)を与えた。亭主はちょっと沈黙の後にまた言った。
「私はだれに向かっても丁寧にするのが習慣(ならわし)だ。出て行きなさい。」
 男は頭をたれ、下に置いてる背嚢をまた取り上げ、そして出て行った。
 彼は大通りの方へ進んで行った。はずかしめられ悲しみに沈んでいる者のように、彼は人家のすぐ傍(わき)に寄って、ただ当てもなくまっすぐに歩いて行った。一度も後ろを振り返らなかった。もし振り返ったならば彼は、クロア・ド・コルバの亭主が入り口に立っていて、宿の客人たちや通りすがりの人たちにとりかこまれて、声高に話しながら彼の方を指(さ)しているのを見たであろう。そしてまた、群集の目付の中にある軽侮や恐怖の色によって、彼がやってきたことはやがて町中の一事件となるだろうということを見て取ったであろう[#「見て取ったであろう」は底本では「見て取ったのであろう」]。
 が彼はそれらのことを何にも見なかった。絶望しきった者は自分の後ろを振り返り見ないものである。悪い運命が自分の後について来るのをあまりによく知っている。
 彼はそうしてしばらく歩いて行った。ちょうど悲しみに沈んだ時に人がなすように、知らない通りをむやみに歩きながら疲れも忘れてただ歩き続けた。と突然彼は激しく空腹を感じた。夜は迫っていた。彼は何か身を宿すべき場所はないかと思ってあたりを見回した。
 りっぱな宿屋は彼に対して閉ざされたのである。彼は粗末な居酒屋(いざかや)か貧しい下等な家をさがした。
 ちょうど通りの向こうの端に燈火(あかり)がひらめいていた。鉄の支柱につるされている一本の松の枝が薄暮のほの白い空に浮き出していた。彼はそこへ行ってみた。
 果してそれは一軒の居酒屋であった。シャフォー街にある居酒屋であった。
 旅人はちょっと立ち止まって、窓からその中をのぞいてみた。天井の低い室のうちは、テーブルの上に置かれた小さなランプと盛んな炉の火とで照らされていた。四五人の者が酒を飲んでおり、主人は火に当たっていた。自在鈎(かぎ)につるしてある鉄の鍋は火に煮立っていた。
 その居酒屋はまた同時に一種の宿屋であって、はいるには二つの戸口があった。一つは通りに開(あ)いているし、一つは廃物がいっぱい散らかってる小さな中庭に開いている。
 旅人は通りに面した入り口からはいることをはばかった。彼は中庭にはいりこみ、なおちょっと足を止め、それからおずおずと□(かきがね)をあげて戸を押した。
「だれだ、そこに居るのは。」と主人は言った。
「晩飯と一泊とをお願いしたいんです。」
「よろしい。晩飯と一泊ならここでできる。」
 彼ははいってきた。酒を飲んでいた人々は皆ふり向いた。ランプがその半面を照らし炉の火が他の半面を照らしていた。彼が背嚢をおろしている間、人々はしばらく彼をじろじろながめた。
 主人は彼に言った。「火がおこっている。晩飯は鍋で煮えているから、まあこっちへきて火に当たりなさるがいい。」
 彼は炉火のそばに行って腰を掛けた。疲れきった両足を火の前に伸ばした。うまそうなにおいが鍋から立っていた。目深にかぶった帽子の下から見えている彼の顔のうちには、安堵(あんど)の様子と絶えざる苦しみから来る険しい色とがいっしょになって浮かんでいた。
 それはまたしっかりした精悍(せいかん)なそして陰気な顔つきであった。変に複雑な相貌で、一見しては謙譲に見えるが、やがて峻酷(しゅんこく)なふうに見えて来る。目はちょうどくさむらの下に燃ゆる火のように眉毛(まゆげ)の下に輝やいていた。
 ところが、テーブルにすわっていた人々のうちに一人の魚屋がいた。彼はこのシャフォー街の居酒屋にやって来る前に、自分の馬をラバールの家の廐(うまや)に預けに行ったのだった。また偶然その日の午前にも、彼はその怪しい男がブラ・ダスと……(名前は忘れたがエスクーブロンであったと思う)との間を歩いているのに出会った。男はもう大変疲れているらしく、彼に出会うと、馬の臀(しり)の方にでも乗せてくれないかと頼んだ。魚屋はそれに答えもしないで足を早めた。その魚屋は約三十分ばかり前には、ジャカン・ラバールを取巻いた群衆のうちにいた、そして彼自身、クロア・ド・コルバの客たちにその午前の気味悪い出会いを話してきかしたのだった。で今彼は自分の席からひそかに居酒屋の亭主に合い図をした。亭主は彼の所へ行った。二人は低い声で少し話しあった。あの男はまた考えに沈んでいた。
 亭主は炉の所に帰ってきて、突然男の肩に手を置いた、そして言った。
「お前さんはここから出て行ってもらおう。」
 男はふり返って、そして穏かに答えた。
「ああ、あなたも知っているんですね。」
「そうだ。」
「私はほかの一軒の宿屋からも追い出された。」
「そしてこの宿屋からも追い出されるんだ。」
「では、どこへ行けと言うんです。」
「他の所へ行くがいい。」
 男は杖と背嚢とを取って、出て行った。
 彼が出てきた時、クロア・ド・コルバからあとをつけてきて、今も彼の出て来るのを待っていたらしい数人の子供たちが、彼に石を投げた。彼は憤って引き返し、杖で子供たちをおどかした。子供たちは鳥の飛びたつように散ってしまった。
 男は監獄の前を通りかかった。門の所に、呼び鐘につけてある鉄の鎖が下がっていた。彼はその鐘を鳴らした。
 潜(くぐ)り戸(ど)が開いた。
「門番さん、」と言って彼は丁寧に帽子をぬいだ、「私を中に入れて今晩だけ泊めて下さるわけにいきませんか。」
 中から答える声がした。
「監獄は宿屋じゃない。捕縛されるがいい。そしたら入れてもらえるんだ。」
 潜り戸はまた閉じられた。
 彼は庭のたくさんある小さな通りにはいった。ただ生籬(いけがき)で囲まれたばかりの庭もあって、通りがいかにもさわやかであった。その庭や生籬のうちに、彼の目にとまった小さな一軒の二階家があって、窓には燈火(あかり)がさしていた。彼は居酒屋でしたようにその窓からのぞいてみた。それは石灰で白く塗った大きな室であって、型付き更紗(さらさ)の布が掛かっている寝台が一つと、片すみに揺籃(ゆりかご)が一つと、数脚の木製の椅子(いす)と、壁にかけてある二連発銃が一つあった。室のまん中の食卓には食事が出されていた。銅のランプが粗末な白布のテーブル掛けを照らし、錫(すず)のびんは銀のように輝いて酒がいっぱいはいっており、褐色(かっしょく)のスープ壺(つぼ)からは湯気が立っていた。食卓には快活淡泊な顔つきをした四十かっこうの男がすわっていて、膝(ひざ)の上に小さな子供が飛びはねていた。そのそばに年若い女がも一人の小児に乳をやっていた。父は笑っており、子供は笑っており、母はほほえんでいた。
 男はこの穏和なやさしい光景の前にしばらくうっとりと立っていた。その心のうちにはどんな考えが浮かんだか? それを言い得るのはただ彼のみであろう。がたぶん彼は、その楽しい家は自分を歓待してくれるかも知れないと思ったろう、そしてかくも幸福に満ちた家からはおそらく少しの憐憫(れんびん)を得らるるかも知れないと。
 彼はきわめて軽く窓ガラスを一つたたいた。
 家の人にはそれが聞こえなかった。
 彼は再びたたいた。
 彼は女がこういうのをきいた。「あなた、だれかきたようですよ。」
「そうじゃないよ。」と夫は答えた。
 彼は三度たたいた。
 夫は立ち上がって、ランプを取り、そして戸の方へ行って開いた。
 それは半ば農夫らしく半ば職人らしい背の高い男であった。左の肩まで届いている大きな皮の前掛けを掛けていて、その上に帯をしめてポケットのようになった所に、槌(つち)や赤いハンケチや火薬入れや種々なものを入れていた。頭はずっと後方に反(そ)らし、広くはだけて襟(えり)を折ったシャツは白い大きな裸の首筋を現わしていた。濃い眉毛、黒い大きな頬鬚(ほほひげ)、ぎろりとした目、下半面がつき出た顔、そしてそれらの上に言葉に現わせない落ち着いた様子が漂っていた。
「ごめんください。」と旅人は言った。「金を出しますから、どうぞ一ぱいのスープを下すって、それから、あの庭の中の小屋のすみに今晩寝かしてもらえませんか。いかがでしょう? 金は差し上げますが。」
「お前さんはどういう人だね。」と主人は尋ねた。
 男は答えた。「ビュイ・モアソンからきた者です。一日歩き通しました。十二里歩いたのです。いかがでしょうか、金は出しますが。」
「私は、」と農夫は言った、「金を出してくれる確かな人なら泊めるのを断わりはしない。だがお前さんはなぜ宿屋に行かないのだ。」
「宿屋に部屋(へや)がないんです。」
「なに、そんな事があるものか。今日は市(いち)の立つ日でもないし、売り出しの日でもない。ラバールの家に行ってみたかね。」
「行きました。」
「それで?」
 旅人は当惑そうに答えた。「なぜだか知りませんが、泊めてくれないんです。」
「それではシャフォー街のあの男の家に行ったかね。」
 男はますます当惑してきた。彼はつぶやいた。
「そこでも泊めてもらえないんです。」
 農夫の顔には疑惑の表情が浮かんだ。彼はその新来の男を頭の上から足の先までじっとながめた。と突然身を震わすようにして叫んだ。
「お前さんは例の男ではあるまいね……。」
 彼は男をじろりとながめて、後ろに三歩退(さが)って、テーブルの上にランプを置き、そして壁から銃を取りおろした。
 その間に、「お前さんは例の男ではあるまいね……」という農夫の声をきいて、女も立ち上がり、両腕に二人の子供を抱いて、急いで夫の背後に隠れ、胸を露(あら)わにびっくりした目つきをしてその見知らぬ男をこわごわながめながら、低く田舎(いなか)言葉で「どろぼう」とつぶやいた。
 それらのことは、想像にも及ばないほどわずかな間に行なわれたのだった。主人はあたかも蝮(まむし)をでも見るように例の男をしばらくじろじろ見ていたが、やがて戸の所へきて言った。
「行っちまえ。」
「どうぞ、」と男は言った、「水を一ぱい。」
「ぶっ放すぞ!」と農夫は言った。
 それから彼は荒々しく戸を閉ざした。そして大きな二つの閂(かんぬき)のさされる音が聞こえた。一瞬の後には雨戸も閉ざされ、鉄の横木のさされる音が外まで聞こえた。
 夜はしだいに落ちてきた。アルプス颪(おろし)の寒い風が吹いていた。暮れ残った昼の明るみで、見なれぬ男は、通りに接したある庭のうちに芝土でできてるように思われる小屋らしいものを認めた。彼は思い切って木柵(さく)を越えて庭の内にはいった。小屋に近よってみると、入り口といってはきわめて低い狭い開戸(ひらき)がついていて、道路工夫が道ばたにこしらえる建物に似寄ったものであった。彼はそれが実際道路工夫の住居であると思った。彼は寒さと飢えとに苦しんでいた。飢えの方はもう我慢していたが、しかしそこは少なくとも寒さを避け得る場所であった。その種の住居には普通夜はだれもいないものである。彼は腹ばいになって小屋の中にはいりこんだ。中は暖かで、かなりよい藁の寝床が一つあった。彼はしばらくその寝床の上に横たわっていた。すっかり疲れ果てて身を動かすこともできなかったのである。それから背中の背嚢が邪魔になり、またそれは、ありあわせの枕(まくら)となるので、負い皮の留金(とめがね)をはずしはじめた。その時、恐ろしいうなり声が聞えた。彼は目をあげてみた。大きな番犬の頭が、小屋の入り口のやみの中に浮き出していた。
 犬小屋だったのである。
 彼自身も力ある恐ろしい男であった。彼は杖をもって身構え、背嚢を楯(たて)となし、そしてうまく犬小屋から出ることができた。もとより、そのために衣服の破れは更に大きくなったのではあるが。
 彼はまたその庭から外へ出た。しかし犬を近よらせないためにあとずさりしながら、撃剣の方で隠ればらと呼ばるる仕方で杖を振り回さなければならなかった。
 漸(ようや)くにして木柵を越えて通りに出たが、彼はもはやただ一人で、宿るべき場所もなく、身を蔽(おお)う屋根も身を避ける所もなく、藁の寝床とあわれな犬小屋からさえも追い出されたのであった。彼はある石の上に、腰をおろすというより倒れてしまった。そこを通る人があったら、彼の叫ぶのを聞いたであろう、「俺(おれ)は犬にも及ばないのか!」
 やがて彼はまた立ち上がって歩き出した。町から出て行った。野の中に何か樹木か堆藁(つみわら)かを見出してそこに身を避けようと思ったのである。
 そして彼はうなだれながらしばらく歩いた。人の住居から遠くへきたと思った頃、目をあげてあたりを物色してみた。野の中にきていた。前には短く刈られた切株に蔽われた低い丘が一つあって、刈り入れをした後のその有り様は刈り込みをした頭のようだった。
 地平は真暗(まっくら)になっていた。それはただ夜のやみばかりのためではなかった。低くたれた雲のためでもあって、雲は丘の上に立ちこめているらしく、しだいに昇って、空をも蔽わんとしていた。けれども、月がまさに出んとする頃、そしてなお中天に暮れ残った明るみが漂っている時、雲は高く空中に一種のほの白い円屋根を形造って、そこから明るみが地上に落ちていた。
 そこで地上は空よりも明るく、妙に気味悪い光景で、貧しげな荒涼たる輪郭の丘は暗い地平の上に青白くぼんやりと浮き出していた。すべての様が醜く卑しく悲しげでまた狭苦しかった。野の中にも丘の上にも一物もなく、ただ数歩前に曲がりくねった無様(ぶざま)な樹木が一本立ってるきりだった。
 この旅の男はもとより、事物の神秘な光景を痛感するほどの知力や精神の微妙な習慣を少しも持ってはいなかった。けれども、今見るその空、その丘、その平野、その樹木、それらのうちには何か深いわびしさがこもっていたので、彼はちょっと立ち止まって思いに沈んだが、突然踵(くびす)をめぐらした。自然さえも、敵意を有するらしく思える瞬間があるものである。
 彼はまた戻って来た。ディーニュの市門はもう閉ざされていた。ディーニュ市は、宗教戦争のおり長く包囲をささえた所であって、後にこわされてしまったが、一八一五年にはなおその周囲に、方形の塔がついてる古い城壁があったのである。彼はその城壁の破れ目を通ってまた町の中にはいった。
 もうたぶん晩の八時くらいになっていたろう。彼は町の様子を知らないので、再びただむやみに歩き出した。
 そのようにして彼は県庁の所にき、それから神学校の所まできた。大会堂の広場を通る時には、彼は会堂に対して拳(こぶし)をさしつけた。
 その広場の角に印刷屋があった。エルバ島から持ちきたされ、ナポレオン自身の口授になった、皇帝の宣言及び軍隊に対する親衛の宣言が初めて印刷せられたのは、そこにおいてであった。
 全く疲れはててもはや何らの望みもなく、彼はただ、その印刷所の門口にあった石の腰掛けの上に身を横たえた。
 その時、一人の年老いた女が会堂から出てきた。彼女はやみのうちに横たわってるその男を認めた。「あなたはそこで何をしていますか、」と彼女は言った。
 彼は荒々しくそして怒って答えた。「親切なお上(かみ)さんだな、私は御覧のとおり寝ているんですよ。」
 実際親切なお上さんという名前に至当な彼女は、R某侯爵夫人であった。
「この腰掛けの上で?」と彼女は言った。
「私は十九年の間木の寝床に寝起きしたのです。」と男は言った。「今日は石の寝床の上に寝るんです。」
「あなたは軍人だったのですか。」
「そうですよ、軍人です。」
「なぜ宿屋へお出でなさらないのです。」
「金がありませんから。」
「困りましたね、」とR夫人は言った。「私は今四スーきり持ち合わせがありませんが。」
「いいからそれを下さい。」
 男は四スーを受け取った。R夫人は続けて言った。「そればかりでは宿屋には泊まれませんでしょう。ですがあなたは宿屋に尋ねてみましたか。そんなふうに一晩を過ごすことはできるものではありません。きっと寒くて、また腹もおすきでしょう。慈善に一晩泊めてくれる人もありましょうのに。」
「どの家(うち)も尋ねてみたんです。」
「それで?」
「どこからも追い出されたんです。」
 その「親切なお上(かみ)さん」は男の腕をとらえ、広場の向こう側にある司教邸と並んだ小さな低い家を指(さ)し示した。
「あなたは、」と彼女は言った、「どの家も尋ねてみられたのですか。」
「ええ。」
「あの家を尋ねましたか。」
「いいえ。」
「尋ねてごらんなさい。」

     二 知恵に対して用心の勧告

 その晩ディーニュの司教は町を散歩した後、かなり遅くまで自分の室にとじこもっていた。彼は義務に関する大著述にとりかかっていた。この著述は不幸にも未完成のままになっている。司教は教父や博士らがその重大な問題について述べた所のものを注意深く詮索(せんさく)していた。彼の著述は二部に分かたれていて、第一はすべての人の義務、第二はおのれの属する階級に応じての各人の義務。すべての人の義務は大なる義務であって、それに四種ある。使徒マタイはそれをあげている、神に対する義務(マタイ伝第六章)自己に対する義務(同第五章二十九、三十節)隣人に対する義務(同第七章十二節)万物に対する義務(同第六章二十、二十五節)。他のいろいろな義務については、司教は種々のものに示され述べられてるのを見いだした、君主および臣下の義務はローマ書に、役人や妻や母や年若き者のそれはペテロ書に、夫や父や子供や召し使いのそれはエペソ書に、信者のそれはヘブライ書に、処女のそれはコリント書に。司教はすべてそれらの教えからよく調和したる一の全体を作らんと努力し、そしてそれを人々に示そうと思っていた。
 彼は八時になるまでまだ仕事にかかって、膝の上に大きな書物をひろげ、小さな四角の紙片に骨をおって物を書いていた。その時マグロアールはいつもの通り、寝台のそばの戸棚から銀の食器を取りにはいってきた。やがて司教は、食卓がととのい、たぶん妹が自分を待っていると思って、書物を閉じ、机から立ち上がり、食堂にはいってきた。
 食堂は暖炉のついてる長方形の室で、戸口は街路に開いており(前に言ったとおり)窓は庭の方に向いていた。
 マグロアールは果して食卓を整えてしまっていた。
 用をしながら、彼女はバティスティーヌ嬢と話をしていた。
 ランプが一つテーブルの上に置かれていた。テーブルは暖炉の近くにあった。暖炉にはかなり勢いよく火が燃えていた。
 この六十歳を越した二人の女はたやすく描き出すことができる。マグロアールは背の低い肥った活発な女である。バティスティーヌ嬢は穏和なやせた細長い女で、兄よりも少し背が高く、茶褐色(ちゃかっしょく)の絹の長衣を着ている。それは一八〇六年にはやった色で、その頃パリーで買ってから後ずっと着続けたものである。一ページを費やしても言いきれぬほどのことを一語で言うことのできる卑俗な言い方をかりて言えば、マグロアールは田舎女の風をそなえており、バティスティーヌ嬢は貴婦人の風をそなえていた。マグロアールは筒襞(つつひだ)のある白い帽子をかぶり、頭には家の中でただ一つの女持ちの飾りである金の十字架をつけ、大きい短かい袖のついた黒い毛織りの長衣からまっ白な襟巻(えりまき)をのぞかせ、赤と緑の格子縞(こうしじま)の木綿の前掛けを青いひもで帯の所にゆわえ、同じ布の胸当てを上の両端で二本の留め針でとめ、足にはマルセイユの女のように大きな靴と黄いろい靴下をはいていた。バティスティーヌ嬢の長衣は一八〇六年式の型で、胴が短く、裾(すそ)が狭く、肩襞(かたひだ)のある袖で、ひもとボタンとがついていた。灰色の頭髪は小児の鬘といわれる縮れた鬘(かずら)に隠されていた。マグロアールは怜悧(れいり)活発で善良な風をしていた。不ぞろいにもち上がった口の両端と下脣(くちびる)より大きい上脣とは、いくらか気むずかしい勝気な風を示していた。閣下が黙っている間は、彼女は尊敬と気ままとの交じったきっぱりした調子で話しかけるが、閣下が一度口を開くと、前に言った通り、彼女はバティスティーヌ嬢と同様に穏かにその言に服するのであった。バティスティーヌ嬢の方は自分から口をきくことさえもなかった。彼女はただ彼の言うことを聞き、彼の気分をそこなうまいとするのみだった。若い時でさえ彼女はきれいではなかった。ばかに目につく大きな青い目ときわ立った長い鼻とを持っていた。しかしその全体の顔つきと全体の人柄とは、初めに言った通り、言うに言われぬ温良さを示していた。彼女はいつも温厚なるべく定められていた。
 しかし信仰と慈悲と希望との三つの徳は、静かに人の魂を暖めるものであって、彼女においてもまた次第にその温良さを神聖の域にまで高めたのであった。自然は彼女を単に一個の牝羊(めひつじ)に造ったが、宗教は彼女を天使たらしめた。あわれなる聖(きよ)き女よ! 消え失せし楽しき思い出よ!
 バティスティーヌ嬢はその晩司教の家に起こったことを爾来(じらい)しばしば繰り返し話したので、その詳細を思い出し得る人は今もなおたくさんある。
 さて司教が食堂にはいってきた時、マグロアールは元気に話をしていた。いつも老嬢によく話すことで司教にもなじみの事がらだった。すなわち入り口の戸の締まりに関してであった。
 夕食のために何か買い物に行った時、マグロアールは、方々で話されていることを聞いてきたらしい。悪い顔つきの風来漢の噂が種々なされていた。怪しい浮浪人がやってきた。町のどこかにいるに違いない。今晩遅く家に帰ろうとでもする人があれば、その男に出会って悪いことが起こるかも知れない。その上、県知事と市長とが反目して何か事件を起こしては互いにおとしいれようとしている際なので、警察の働きもすこぶるまずい。それで賢い者はみずから警察の働きをなし、みずから警戒すべきである。そして、堅く締まりをし閂(かんぬき)をさし横木を入れておかなければならない、よく戸を閉ざしておかなければならない。
 マグロアールはその終わりの文句に力を入れた。しかし司教は、かなり寒さを感じていた自分の室からやってき、暖炉の前にすわって暖まり、それから何か他のことを考えていて、マグロアールが口にした言葉を別に心にかけなかった。マグロアールはそれを再び繰り返した。その時バティスティーヌ嬢は、兄の気にさわらないでしかもマグロアールを満足させようと思って、おずおずと言ってみた。
「お兄さん、マグロアールの言ってることを聞かれましたか。」
「何かぼんやり聞いたようだが。」と司教は答えた。それから半ば椅子を回して、両手を膝の上に置き、わけなく楽しげな親しい顔を老婢(ろうひ)の方へあげた。火が下からその顔を照らしていた。「ええ、何だい? 何かあるのかね? 何か恐ろしい危険でもあるというのかね。」
 するとマグロアールは、またその話をすっかりやり直して、自分で気もつかなかったがいくらか誇張して話した。一人の放浪者が、一人の非人が、ある危険な乞食(こじき)が、今ちょうど町にきているらしい。その男はジャカン・ラバールの家に行って泊めてもらおうとしたが、宿屋では受け付けなかった。その男がガッサンディの大通りから町にはいってきて、薄暗がりの通りをうろついている所を、見かけた人がある。背嚢(はいのう)と繩(なわ)とを持ってる恐ろしい顔つきの男である。
「本当かね。」と司教は言った。
 司教がそのように問いかけたことにマグロアールは力を得た。彼女には司教がいくらか心配しているのだと思えた。彼女は勝誇ったように言い進んだ。
「本当ですとも。そのとおりでございますよ。今晩、町に何か不幸なことが起こります。皆そう申しております。その上に警察がいかにも手ぬかりなのです(彼女はうまくそのことをくり返したのである)。山国なのに、町には晩に燈火(あかり)もないのですから! 出かけるとします。暗やみばかりです。それで私は申すのです、そしてまた、お老嬢(じょう)さままで私のように申されて……。」
「私?」と妹はそれをさえぎった。「私は何も言いはしないよ。お兄様のなされることは皆いいのだからね。」
 マグロアールはその異議も聞かないがように言葉を続けた。
「私どもはこの家がごく無用心だと申すのです。もしお許しになりますならば、錠前屋のポーラン・ミューズボアの所へ行って、前についていた閂(かんぬき)をまた戸につけに来るように申しましょう。閂はあの家にありますので、すぐにできます。せめて今晩だけでも閂をつけなければいけませんですよ。だれでも通りがかりの人が把手(とって)で外からあけることのできるような戸は、何より一番恐ろしいものではございませんか。それに旦那(だんな)様はいつでもおはいりなさいと言われます、その上夜中にでも、おはいりという許しがなくてもはいれるのですもの……。」
 その時、だれかがかなり強く戸をたたいた。
「おはいりなさい。」と司教は言った。

     三 雄々しき服従

 戸は開いた。
 それは急に大きく開いて、あたかもだれかが力を入れて決然と押し開いたようだった。

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