杜松の樹
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著者名:グリムヤーコプ・ルードヴィッヒ・カール URL:../../index_pages/person1092

「いかにも、」とその男(おとこ)が言(い)った。「これがおれ一人(ひとり)の物(もの)だったら、お前(まえ)にやるんだがなア。」
「いいとも、」と他(ほか)の者(もの)が言(い)った。「もう一遍(ぺん)、歌(うた)うなら、やってもいいよ。」
 すると鳥(とり)は降(お)りて来(き)たので、二十人(にん)の粉(こな)ひき男(おとこ)は、総(そう)ががかりで、「ヨイショ、ヨイショ!」と棒(ぼう)でもって石臼(いしうす)を高(たか)く挙(あ)げました。鳥(とり)は真中(まんなか)の孔(あな)へ頭(あたま)を突込(つきこ)んで、まるでカラーのように、石臼(いしうす)を頸(くび)へはめ、又(また)木(き)の上(うえ)へ飛上(とびあが)って、歌(うた)い出(だ)しました。
「母(かあ)さんが、わたしを殺(ころ)した、
 父(とう)さんが、わたしを食(た)べた、
 妹(いもうと)のマリちゃんが、
 わたしの骨(ほね)をのこらず拾(ひろ)って、
 手巾(はんけち)に包(つつ)んで、
 杜松(ねず)の樹(き)の根元(ねもと)へ置(お)いた。
 キーウィット[#「キーウィット」は底本では「キイウィット」]、キーウィット、何(なん)と、綺麗(きれい)な鳥(とり)でしょう!」
 歌(うた)ってしまうと、鳥(とり)は羽(はね)を拡(ひろ)げて、右(みぎ)の趾(あし)には、鎖(くさり)を持(も)ち、左(ひだり)の爪(つめ)には、靴(くつ)を持(も)ち、頸(くび)のまわりには、石臼(いしうす)をはめて、お父(とう)さんの家(うち)の方(ほう)へ飛(と)んで行(ゆ)きました。
 居間(いま)の中(なか)では、お父(とう)さんとお母(かあ)さんとマリちゃんが、食卓(テーブル)の前(まえ)に坐(すわ)っていました。その時(とき)、お父(とう)さんはこう言(い)いました。
「おれは胸(むね)が軽(かる)くなったようで、大変(たいへん)好(い)い気持(きもち)だ!」
「否(いいえ)、」とお母(かあ)さんが言(い)った。「わたしは胸(むね)がどきどきして、まるで暴風(あらし)でも来(く)る前(まえ)のようですわ。」
 けれどもマリちゃんはじっと坐(すわ)って、泣(ない)ていました。すると鳥(とり)が飛(と)んで来(き)て、家根(やね)の上(うえ)へ棲(とま)った。
「ああ、」とお父(とう)さんが言(い)った。「おれは嬉(うれ)しくって、仕方(しかた)がない。まるでこう、日(ひ)がぱーッと射(さ)してでも居(い)るような気持(きもち)だ。まるで久(ひさ)しく逢(あ)わない友達(ともだち)にでも逢(あ)う前(まえ)のようだ。」
「否(いいえ)、」とお母(かあ)さんが言(い)った。「わたしは胸(むね)が苦(くる)しくって、歯(は)がガチガチする。それで脈(みゃく)の中(なか)では、火(ひ)が燃(も)えているようですわ。」
そういって、おかみさんは衣服(きもの)の胸(むね)を、ぐいぐいとひろげました。
 マリちゃんは隅(すみ)ッこへ坐(すわ)って、お皿(さら)を膝(ひざ)の上(うえ)へおいて、泣(な)いていたが、前(まえ)にあるお皿(さら)は、涙(なみだ)で一ぱいになるくらいでした。
 その時(とき)、鳥(とり)は杜松(ねず)の木(き)へ棲(と)まって、歌(うた)い出(だ)しました。
「母(かあ)さんが、わたしを殺(ころ)した、」
 母親(ははおや)は耳(みみ)を塞(ふさ)ぎ、眼(め)を隠(かく)して、見(み)たり、聞(き)いたり、しないようにしていたが、それでも、耳(みみ)の中(なか)では、恐(おそ)ろしい暴風(あらし)の音(おと)が響(ひび)き、眼(め)の中(なか)では、まるで電光(いなびかり)のように、燃(も)えたり、光(ひか)ったりしていました。
「父(とう)さんが、わたしを食(た)べた、」
「おお、母(かあ)さんや、」とお父(とう)さんが言(い)った。「あすこに、綺麗(きれい)な鳥(とり)が、好(い)い声(こえ)で鳴(な)いているよ。日(ひ)がぽかぽかと射(さ)して、何(なに)もかも、肉桂(にくけい)のような甘(あま)い香気(かおり)がする。」
「妹(いもうと)のマリちゃんが、」
と歌(うた)うと、マリちゃんは急(きゅう)に顔(かお)をあげて、泣(な)くのをやめました。お父(とう)さんは
「おれはそばへ行って、あの鳥(とり)を、ようく見(み)て来(く)る。」というと、
「あれ、およしなさいよ!」とおかみさんが言(い)った。「わたしはまるで家(うち)じゅうに火(ひ)がついて、ぐらぐらゆすぶれてるような気(き)がするわ。」
 けれどもお父(とう)さんは出(で)て行(い)って、鳥(とり)を眺(なが)めました。
「わたしの骨(ほね)をのこらず拾(ひろ)って、
 手巾(はんけち)に包(つつ)んで、
 杜松(ねず)の樹(き)の根元(ねもと)へ置(お)いた。
 キーウィット、キーウィット、何(なん)と、綺麗(きれい)な鳥(とり)でしょう!」
こう歌(うた)うと、鳥(とり)は黄金(きん)の鎖(くさり)を、お父(とう)さんの頸(くび)のうえへ落(おと)しました。その鎖(くさり)はすっぽりと頸(くび)へかかって、お父(とう)さんによく似合(にあ)いました。お父(とう)さんは家(うち)へ入(はい)って、
「ねえ! とても美(うつく)しい鳥(とり)だよ。そしてこんな奇麗(きれい)な、黄金(きん)の鎖(くさり)を、わたしにくれたよ。どうだい、立派(りっぱ)じゃないか。」
といいましたが、おかみさんはもう胸(むね)が苦(くる)しくって堪(たま)らないので、部屋(へや)の中(なか)へぶっ倒(たお)れた拍子(ひょうし)に、帽子(ぼうし)が脱(ぬ)げてしまいました。すると鳥(とり)がまた歌(うた)い出(だ)しました。
「母(かあ)さんが、わたしを殺(ころ)した、」
「おお、」と母親(ははおや)は呻(うめ)いた。「わたしは千丈(じょう)もある地(じ)の底(そこ)へでも入(はい)っていたい。あれを聞(き)かされちゃア、とても堪(たま)らない。」
「父(とう)さんが、わたしを食(た)べた、」
というと、おかみさんは、まるで死(し)んだように、ばったりと倒(たお)れました。
「妹(いもうと)のマリちゃんが、」
「ああ、」とマリちゃんが言(い)った。「わたしも行(い)って見(み)ましょう。鳥(とり)が何(なに)かくれるかどうだか、出(で)て見(み)るわ!」
そう言(い)って、外(そと)へ出(で)ました。
「わたしの骨(ほね)をのこらず拾(ひろ)って、
 手巾(はんけち)へ包(つつ)んで、」
と言(い)って、鳥(とり)は靴(くつ)を妹(いもうと)の上(うえ)へ落(おと)しました。
「杜松(ねず)の樹(き)の根元(ねもと)へ置(お)いた。
 キーウィット、キーウィット、何(なん)と、綺麗(きれい)な鳥(とり)でしょう!」
と歌(うた)うと、マリちゃんも忽(たちま)ち、軽(かる)い、楽(たの)しい気分(きぶん)になり、赤(あか)い靴(くつ)を穿(は)いて、踊(おど)りながら、家(うち)の中(なか)へ跳込(とびこ)んで来(き)ました。
「ああ、」とマリちゃんが言(い)った。「わたしは、戸外(おもて)へ出(で)るまでは、悲(かな)しかったが、もうすっかり胸(むね)が軽(かる)くなった! あれは気前(きまえ)のいい鳥(とり)だわ、わたしに赤(あか)い靴(くつ)をくれたりして。」
「いいえ、」といって、お母(かあ)さんは跳(は)ね起(お)きると、髪(かみ)の毛(け)を焔(ほのお)のように逆立(さかだ)てながら、「世界(せかい)が沈(しず)んで行(ゆ)くような気(き)がする。気(き)が軽(かる)くなるかどうだか、あたしも出(で)て見(み)ましょう。」
 そう言(い)って、扉口(とぐち)を出(で)る拍子(ひょうし)に、ドシーン! と鳥(とり)が石臼(いしうす)を頭(あたま)の上(うえ)へ落(おと)したので、おかあさんはぺしゃんこに潰(つぶ)れてしまいました。その音(おと)をきいて、お父(とう)さんと娘(むすめ)が、内(うち)から跳出(とびだ)して見(み)ると、扉(と)の前(まえ)には、一面(めん)に、煙(けむり)と焔(ほのお)と火(ひ)が立(た)ちのぼって居(い)ましたが、それが消(き)えてしまうと、その跡(あと)に、小(ちい)さな兄(にい)さんが立(た)っていました。兄(にい)さんはお父(とう)さんとマリちゃんの手(て)をとって、みんなそろって、喜(よろこ)び勇(いさ)んで、家(うち)へ入(はい)り、食卓(テーブル)の前(まえ)へ坐(すわ)って、一しょに食事(しょくじ)をいたしました。




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