世界怪談名作集
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著者名:リットンエドワードジョージアールブルワー 

 この金庫には三つの棚と二つの抽斗があって、棚の上には密封したガラス罎がたくさんにならんでいた。その罎には無色の揮発性の物を貯わえてあって、それはなんだかわからない。そのうちに燐とアンモニアの幾分を含んでいるが、別に有毒性の物ではなかったと言い得るだけのことである。そこにはまた、すこぶる珍らしいガラスの管(くだ)と、結晶石の大きい凝塊(かたまり)と、小さい点のある鉄の綱と、琥珀(こはく)と、非常に有力な天然磁石とが発見された。
 一つの抽斗からは、金ぶちの肖像画があらわれた。密画に描いたもので、おそらく多年ここにあったと思われるにもかかわらず、その色彩は眼に立つほどの新しさを保っていた。肖像はやや中年にすすんだ、四十七、八歳ぐらいの男であった。
 その男は特徴のある顔――はなはだ強い印象をあたえる顔で、それをくどくどと説明するよりも、ある大きい蟒蛇(うわばみ)が人間に化けた時、すなわちその外形は人間にして蟒蛇のタイプであるといったらば、諸君にも大かた想像がつくであろう。前頭の広さと平ったさ、怖ろしい口の力をかくしているような細さと優しさ、翠玉(エメラルド)のごとくに青く輝いている長く大きい物凄い眼――更にまた、自己の大なる力を信ずるような、一種の無慈悲な落ちつきかた――。
 わたしはその裏をあらためてみようと思って、機械的にその肖像画を裏がえすと、そこにはペンタクル(五芒星形)が彫刻してあった。ペンタクルの中央には階子(はしご)の形があって、その三段目には一七六五年と記されていた。さらに精密に検査しているうちに、わたしは弾機(ばね)を発見した。その弾機を押すと、額(がく)のうしろは蓋(ふた)のように開いた。その蓋の裏には「マリアナが汝(なんじ)に命ず。生くる時も死せる時も――に忠実なれ」と彫刻してあった。
 誰に忠実なれというのか、その人の名はここにしるさないが、それは私にも心当たりがないではなかった。わたしは子供のときに老人から聞かされたことがある。かれは人の眼をくらます偽(にせ)学者で、自分の家のなかで自分の妻とその恋がたきとを殺して逃走したために、約一年間もロンドン市中を騒がしたのであった。しかし、わたしはそれをJ氏に語るのを厭(いと)うて、そのまま額の裏をとじてしまった。
 金庫のうちの第一の抽斗をあけるのは、別にむずかしくもなかったが、第二の抽斗をあけるには非常に困った。錠をおろしてあるのではないが、どうしてもあかないので、結局その隙間(すきま)へ鑿(のみ)の刃を挿(さ)し込んで、ようようにこじあけると、抽斗のなかには、はなはだ簡単な化学機械が順序正しくならんでいた。
 小さな薄い書物――むしろ書板(タブレット)というべき物の上に、ガラスの皿を置いてあって、その皿には清らかな液体がみたされていた。液体の上には磁石のような物が浮かんでいて、その磁石の針は急速に廻転するのであった。しかし普通の磁石が示す方向とはちがって、天文学者が惑星を指示するものとあまり異っていない七つの奇妙な文字がしるされていた。抽斗は木でしきられていて、それが榛(はん)の木のたぐいであることを後に知ったが、その抽斗の中から一種特別な、しかも強烈でもなく、また不愉快でもないような匂いが発して来た。
 その匂いの原因はなんであるか知らないが、とにかくにそれが人間の神経に感じるもので、J氏と私ばかりでなく、この部屋に居あわせた二人の職人も、指のさきから髪の毛の根までがうずくように感じたのであった。
 タブレットの詮議を急ぐので、わたしはその皿を取りのけると、磁石の針は非常の急速力をもって廻転をはじめて、私は思わずその皿を床の上に取り落としてしまうほどに、全身に一種の衝動(ショック)を感じた。皿が毀(こわ)れると、液体も流れ出して、磁石は部屋の隅にころがった。――と思うと、その瞬間に、あたかも巨人の手をもって揺すぶるように、四方の壁があちらこちらへと揺れ出した。
 職人たちはおどろいて、初めにこの部屋へ降りて来たところの階子(はしご)へ逃げあがったが、それぎりで何事も起こらないのを見て、安心して再び降りて来た。
 やがて私がタブレットをひらくと、それは銀の止め金の付いた普通の赤いなめし皮に巻かれていて、そのなかにはただ一枚の厚い皮紙を入れてあった。皮には二重のペンタクルが書いてあって、そのなかに昔の僧侶が書いたらしい語がしるしてあった。それを翻訳すると、こうである。
――この壁に近づく者は、有情と非情と、生けると死せるとを問わず、この針の動くが如くにわが意思は働く。この家に呪いあれ。ここに住む者は不安なれ――
 そのほかにはなんにもなかった。J氏はそのタブレットと呪文を焼き捨て、さらにその秘密の部屋とその上の寝室とをあわせて、土台下からすべて切り取ってしまった。そこでJ氏も勇気が出て、彼自身がこの家に一カ月ほども平気で住んだ。
 そうなると、こんな閑静な、居ごこちのいい家(いえ)はロンドンじゅうにもめったにないというので、彼は相当に儲けて貸すことになったが、借家人はけっして苦情を言わなかった。




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