怪奇人造島
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著者名:寺島柾史 

   一 怪汽船と怪老人

     どろぼう船

 冷凍船虎丸(タイガーまる)には、僕(山路健二)のほかに、もう一人ボーイがいた。それは、南京(ナンキン)生れの陳秀峰(チャンチューホー)と、自ら名乗る紅顔の美少年だ。
 ピコル船長附(つき)のボーイだから、僕のような、雑役夫(ざつえきふ)にひとしいボーイと、めったに話合う機会もなかったが、船が函館港を出帆し、北上してから三昼夜目、すでに北千島圏内に入ったある日、後甲板で、二人は、ひょっこり出会った。すると、陳(チャン)君は、流暢(りゅうちょう)な日本語で、僕にそっと話かけた。
「カナダのH・G汽船会社の所属船が、どうして、僕等のような東洋人を雇うのか、君は、知っているかい」
 まるで、少女のように優しい声だ。僕は、何となく親しみを覚えて、
「それは、東洋人は、安い給金で雇えるからだろう」
「うん、それもある。だが、もっと他にも理由(わけ)があるよ。だいち、この船は、どろぼう船(ぶね)だってことを、君は、知ってやしまい」
「え! どろぼう船?」
「叱(し)ッ!……この船はね、表面は、カナダから日本の北千島へ、紅鮭(べにざけ)を買いにいく冷凍船とみせかけているが、じつは、千島の無人島で、ラッコやオットセイを密猟する、国際的どろぼう船なのさ」
「へえ。じゃ、僕等も、どろぼうの手下にされたのかい」
「まアそうだ。しかも、さんざ、コキ使ったあとで、密猟が終り、満船して本国へ帰る途中、臨時に雇った水夫や、君たちのようなボーイを海ン中へ放り込んでしまうに都合がいいからだよ。つまり、東洋人を人間扱いにしていないのだ」
「どうして、海ン中へ放り込むのさ」
「この船の船員は、みんなピコル船長の乾児(こぶん)だろう。だから安心だが、臨時に雇った水夫やボーイたちは、上陸すると、この船の悪事を、みんな洩(もら)してしまう。それが怖(おそ)ろしいので、毎年横浜や函館で、東洋人の水夫や、ボーイを雇って、北洋へ連れて往(い)き、うんとコキ使って、不用になると、帰航の途中、海ン中へ放り込んでしまうのだ」
 僕はこれをきくと、おもわず、義憤の血の湧(わ)き立つのを覚えた。
「ひどいことをするなア。こんな船に、一刻も乗ってられやしない。途中で、脱船しなくちゃ……」
「そうだよ。僕は、毎日そのことを考えているのさ」
「だって君は、船長に可愛(かわい)がられているから、海ン中へ放り込まれる心配は無いじゃないか」
「いや、僕も東洋人だ。同じ東洋人のために、兇暴(きょうぼう)な白人と戦わねばならない」
 陳君は、昂然(こうぜん)と肩を聳(そびや)かした。
 それにしても、どうして、この怖ろしい密猟船を脱することが出来ようか。

     脱船か奪船か

 虎丸(タイガーまる)は、案の定、北千島の無人島オンネコタン島近海で、白昼公然とラッコやオットセイを密猟した。それから、日本の極北パラムシロ島近海へ往って、何食わぬ顔で、日本の漁船から、紅鮭(べにざけ)をうんと買込んで、ラッコやオットセイといっしょに、冷凍室に詰込んでしまった。
 それは、日本の監視船や、警備艦の眼を、巧みに脱(のが)れるためだった。こうしておいて、ふたたび、千島の無人島を荒し廻ろうというのだ。
 虎丸(タイガーまる)が、パラムシロ近海を去って南下したのは、八月上旬だった。そして、数十海里南西のアブオス島に向った。この沿岸は、ラッコの棲息地(せいそくち)として名高いし、また洋上には、オットセイが、おびただしく群游(ぐんゆう)する。白人の密猟者にとっては、千島第一の猟場なのだ。
 虎丸は、アブオス島沖に仮泊すると、いよいよ最後の密猟を開始した。五艘(そう)の端艇(ボート)は、早朝から、海霧を破って猟に出かけるが、夜半には、いずれも満船して戻ってくる。船長はじめ、乗組員たちはハリ切っている。哀れな臨時雇の水夫たちも、あとで海ン中へ放り込まれるとは知らずに、やはりハリ切っている。
 こうして、祖国の領海が、白人密猟者のために、さんざ荒されるのを傍観して、僕は、おもわず、腕を扼(やく)し、義憤の涙に瞼(まぶた)を濡らすのだったが、多勢に無勢、なんとも手の下しようがない。ある朝、船長はじめ、みんなが、相変らず猟に出かけたあとで、陳(チャン)君は、船長室からやってきて僕に耳打ちした。
「君、奴等(やつら)の密猟も、あと二、三日だぜ。いまのうちに何とかしないと、生命(いのち)があぶないぞ」
「うむ。僕も、あせっているが、妙案がないので弱っている。僕は、最後の手段として、火薬庫に忍込んで、日本の領海を荒し廻るこの船を、一挙に爆破してやりたいくらいだ」
「なるほど……。だが、爆破したら、君も僕も、木葉微塵(こっぱみじん)になってしまうじゃないか」
「仕方がない。みすみす奴等に殺されるよりか……」
「爆弾勇士は、僕は、不賛成だ」
「え! どうして?」
「もっと、旨(うま)い考えがあるからさ。僕なら、この船を奪ってやるよ」
「へえ、船を奪う?……。いったい、そんなことが出来るかい」
「出来るとも、見ていたまえ」
 陳君は、確信ありげにいうが、彼とて、たかが船長附(つき)のボーイではないか、お茶を運んだり、靴を磨いたり、寝台の毛布を畳(たた)んだりする役目のボーイが、この千五百噸(トン)級の汽船を、海賊たちから易々(やすやす)と、奪うことが出来るものか。
「どうして、この船を奪うのさ」
「なアに、わけはないよ。今から、君は運転士になればいいのさ。僕は、機関士。いいだろう。奴等の留守の間に、二人で、この巨船を動かして、一路横浜へ凱旋(がいせん)するンだ。愉快じゃないか」
「なるほど、海賊たちを、北洋に置去りして、そのまに横浜へ往くのか。こいつは妙案だ」
 僕は、陳君の奇計に、おもわず手を拍(たた)いた。が、考えてみると、この奇計も、やっぱり、少年だけの智慧(ちえ)しかないとおもった。
「僕も君も、素人だぜ。この巨船を運転することが出来やしないじゃないか」
 陳君は、微笑(ほほえ)んだ。
「君は、むざむざ、太平洋の真ン中で、鱶(ふか)の餌食(えじき)になりたいのか」
「いや、そいつも真ッ平だ」
「じゃ、僕の計画どおりにしたまえ。君は、一等運転士、そして、僕は、機関士。いいかい。僕は、すぐに機関室へ降りて往って、機関(エンジン)を動かすぜ。絶好の機会だ」
 陳(チャン)君は、勇躍一番、そのまま、甲板から姿を消してしまった。

     あッ! 機関が停(とま)った

 僕は、一等運転士を押付けられて、さすがに不安だった。船には、僕等のほかに、当番水夫が四、五人残っているだけだった。それだけの人数で、この巨船を横浜まで回航できるだろうか。素人だけで、こんな汽船を動かせたら、それこそ奇蹟(きせき)だろう。が、運転室におさまってみると、急に緊張し、さすがに責任を痛感した。
「よしッ! 死んでも、横浜まで往ってみせるぞ」
 僕は、ハンドルを握った。コンパスや海図と睨(にら)めっこして待っていると、やがて、機関室へ降りて往った陳君が、出帆を僕に促すために、不意に勇ましく汽笛を鳴らした。
 ボー。ボー。ボー……。
 余韻(よいん)は長く、北洋の空に響いたが、それは、白人の密猟者に挑戦する、進軍ラッパのようだった。
 果して、汽笛の音を聞きつけると、彼方(かなた)の入江、此方(こなた)の島影から、端艇(ボート)が姿を現わし、本船目指して漕(こ)ぎ寄せてくる。
「おーい」「おーい」
 と、船長はじめ、乾児(こぶん)たちは、声のかぎり絶叫し、死物狂いにオールを漕いでくる。
「ざまア見ろ、みんな無人の孤島で餓死してしまえ」
 僕は、愉快になって、ハンドルを力いっぱい回した。素人運転士の僕だが、白人を克服せんとする意気で、柔腕(やさうで)にもかかわらず、千五百噸(トン)の巨船が自由自在に動き、舵機(だき)も、スクリウも、僕の命ずるがままになってくれる。同じ素人の陳君も、旨くやってくれているとみえて、機関の音も軽快に響いてくる。
 船首は、南々西に向っている。速力は十四、五節(ノット)はあろう。北洋の三角波を、痛快に破って快走をつづけた。みると、置去りを食った海賊たちは、端艇のうえで、手を挙げ、足を踏み鳴らして去り往く本船に追い縋(すが)ってくる。
「おーい」「待ってくれい」死物狂いの叫びだ。僕は、いよいよ愉快になって応酬してやった。
「やーい。口惜(くや)しかったら、泳いで来い」
 そのまに、彼我(ひが)の距離は、またたくまに遠ざかり、やがて、五艘の端艇(ボート)は、海霧の彼方に姿を没してしまった。船長ピコルはじめ、海賊たちは、どんなに口惜しがっていることだろう。地団太(じだんだ)踏んで、わめき立てているさまを想像すると、滑稽(こっけい)でもあった。二時間ほど、盲目滅法(めくらめっぽう)に快走をつづけたが、どうしたことか、左手に島影も発見できない。コンパスや海図と睨めっくらしてたしかに、北千島列島を左にして、南々西に針路を向けているのだから、次の無人島を左手に眺望できなければならぬ。海図では、アブオス島の南方には、マカルス島が連なり、それからオンネコタン、カアレンコタン、イカルマなどの諸島が、飛石のように列(なら)んでいるのであるからもう島影を発見しなければならぬが、相変らず茫漠(ぼうばく)たる水また水である。
「はてな。もしかしたら、舵機も、スクリウも、僕のいう通りにならないのかしら」
 そうおもうと、不安は、刻々にましてくる。このまま、針路を誤り、航行をつづけるならば、世界の果ての魔の海へまでも往ってしまうかもしれない。
 が、そんな不安はまだ生優(なまやさ)しかった。やがてのこと、不意に、船の心臓ともいうべき機関の音がピタと停ってしまった。
「あッ!」僕は、おもわず失策(しま)った! とおもった。

     水葬にしろ

 素人機関士の陳(チャン)君が、船橋(ブリッジ)を駈け登って来た。
「山路君。とうとうやっちゃったよ」
「えッ! 何をやった?」
「機関(エンジン)が急に停ったのだが、どこが故障か、てんで解(わか)らないよ」
「そいつは、困ったなア」
「僕が、機関の故障を発見できないくらいだから、君にだって解るはずはないし、もちろん、水夫たちにも解るまい。……山路君、仕方がないから、運を天に任して漂流しよう」
「まア、それよりほかに、手段もないじゃないか」
 僕は、未練にもまだハンドルを握っている。それをみて、陳君は、
「とにかく、機関が停っては、君がここに突立って、コンパスと睨めっくらしていたって無駄さ。船長室へ往って、午睡(ひるね)でもするさ」
 二人は、悄然(しょうぜん)として階段を下りた。
 中甲板をおり立つと、どこにいたのか、五人の水夫が、不意に現われて、二人の前に立塞(たちふさが)った。
「停れ(ストップ)――」太い低音(バス)で叫んだのは、髪の縮れた、仁王のような安南人だ。右手を突出(つきだ)し、ピストルの銃口を二人の胸に向けた。
「やい小僧。てめえたちは、とんでもねえことをしてくれたな。さア、はやく機関を動かせ」
 陳君は、落着払って、
「故障で動かないのだ。このうえは、潮流に乗って漂うまでさ」
「漂流?……よろしい。……で、小僧、てめえたちは、このピストルが怖くはねえのか。怖かったら、乃公(おれ)に降伏しろ」
「降伏?」
「そうだ。本船では、乃公が一番の強者だ。何故(なぜ)なら、乃公はピストルを持っている。そこで、強者の乃公は、ピコル船長に代って、今から船長様だ。てめえたちも、乃公の命令に従うがいい」
「黙れ! 縮毛。船長は、この僕だ。おまえこそ、われわれ二人の部下じゃないか」陳君が、肩を聳(そびや)かすと、縮毛の大男は、大口開いて笑った。
「ワハ……。小僧、大きく出たな。だが、いくら力んでも、どうにもならんさ。この船の宝物は、乃公のものだ。絶対に手を触れることはならぬ」
「うぬ!」陳君は、隙(すき)をみて、縮毛の大男の右手を叩(たた)きつけた。
「あッ!」ピストルは、甲板に落ちた。僕は、素早くそれを拾おうとしたが、同時に荒鷲(あらわし)のような手がそれに伸びた。
「何を!」
「やるか」僕と、べつな水夫とは、野獣のように組打ちとなった。
「さア来い。小僧!」
「何を! 大僧!」
 陳君と縮毛の大男も、その場で格闘をはじめた。他の水夫たちも、これを傍観しなかった。二組の格闘のうえに、折重なって、烈(はげ)しい乱闘となった。
 が、二人は、衆寡(しゅうか)敵(てき)せず、忽(たちま)ち甲板上で、荒くれ水夫たちに組敷かれてしまった。
「太い小僧だ。銃殺にしろ。……いや、それよりか、一束にして、水葬にしてしまえ」
 縮毛の大男は、怒号した。
 水夫たちは、麻縄(ロープ)を持ってきて、僕と陳君を一緒にして、ぐるぐる巻にしてしまった。
 僕も陳君も、観念して、もう抵抗はしなかった。白人海賊たちの手で、海ン中へ叩き込まれる代りに、こんどは、中国や安南の水夫たちのために、同じ水葬の憂目をみなければならないのか。

     中甲板の乱闘

 いよいよ、生きながら水葬にされるのだ。僕は、眼を瞑(つむ)った。と、このとき、水夫の一人が、縮毛の大男に向って、念を押した。
「で、何かい。冷凍室のラッコの分配は、どういうことになるンだ」
 縮毛の大男は、空嘯(そらうそぶ)いた。
「船長の乃公(おれ)の自由さ」
「何に! てめえが船長だと?」
「むろんさ。ピコル親分に代って、きょうから乃公が船長様だ。つまり、この船で一番強い人間が、宝物を独占していいわけだ」
「よし、じゃ誰が一番強いか、腕ずくでいくか」
「やるか!」
 縮毛の大男と、若い水夫とが、野獣のような唸(うめ)きを立てて、たちまち、肉弾(にくだん)相(あい)搏(う)つ凄(すさ)まじい格闘をはじめた。慾(よく)の深い水夫たちは、二人の勝敗如何(いか)にと、血眼(ちまなこ)になってこの格闘を見守っている。
「う……」若い水夫は、低い唸きを立て、縮毛の大男の胸に打かっていくが、そのたびに、甲板に投げ飛ばされた。
「おのれ!」
 起(た)ち上って、また突進すると、面倒なりとばかり、大男は、怪腕を揮(ふる)って、若い水夫の顔面に一撃を加えた。
「あッ!」
 そのまま、鮮血に染って倒れるやつを、足をあげて、脇腹を蹴(け)ると、急所をやられたか、そのまま息絶えた様子。このさまを見て、他の水夫――頬(ほお)に創痕(きずあと)のある物凄(ものすご)い男が、
「よしッ! 兄弟の仇(かたき)だ! 来い」と、叫んで、縮毛の大男に突進した。が、これも、たちまち、血だらけになって、その場にへたばってしまった。
「口ほどもねえ奴等だ。さア、われとおもわん者は、来い!」縮毛の大男は、仁王立ちになって、四辺(あたり)を睨め廻したが、この勢いに辟易(へきえき)してか、誰もあとに続くものがない。
「誰もいないか、自信のある奴がなければ乃公(おれ)が一番強いのだ。腕ずくで、宝物は乃公の自由にするまでさ」が、このとき、背後にいた水夫の一人が、二、三歩前に進み出で、
「いや、船長は、この乃公だ」と、力強く叫んだ。
「何に! どいつだ」
 縮毛の大男が、振りかえった途端。
 ズドン! と一発、銃声が起った。
「あッ!」胸を射貫(いぬ)かれて、大男は、もろくも、甲板に殪(たお)れてしまった。
 ピストルを握った、豹(ひょう)のような水夫は、続けさまにピストルを乱射した。そして、中甲板を逃げまどう残りの水夫の背後(うしろ)に、一発お見舞申してしまった。甲板は血に染み、四人の水夫の屍骸(しがい)が散乱した。ピストルを握った水夫は、会心の笑みをうかべて独言(ひとりご)った。
「これで、きれいさっぱりした。宝船の主人は、つまり、この乃公(おれ)だ」
 彼は、麻縄(ロープ)でぐるぐる巻にされ、甲板に転がっている僕等に気がつくと、また、険しい眼付で、ピストルの銃口を向けた。
「待ちたまえ」僕は、落着払って云った。
「何だ!」
「僕等は、冷凍室のラッコなど欲しかないよ、……何よりも、君の勇気に感心した。改めて君の部下になろう」
「…………」
 豹のような水夫は、豹(ひょう)のように、疑深く、なおもピストルを、僕の胸に擬(ぎ)したままだ。
「ね、君! この船は、機関(エンジン)の故障で航海が続けられないのだぜ。つまり、漂流船だ。この先、何十日、何百日、海洋を流されるかしれないじゃないか。僕等まで射殺して、たった一人で、太平洋を漂流するなンか、心細いだろう」
 豹のような水夫は、肯(うなず)いて、僕等の麻縄を解きはじめた。

     怪老人の冷笑

 麻縄を解かれて、やっと自由になった。僕も、陳(チャン)君も、雀躍(こおどり)して、中甲板を飛び廻った。
 と、豹のような水夫は、何をおもったか、不意にまた、陳君の背後に、ピストルの銃口を向けた。
「あッ! あぶない」
 僕は、おもわず絶叫したが、すでに遅かった。兇暴な水夫の放った一弾が、陳君の左肩(さけん)を貫通した。
「あッ!」
 と一声、悲鳴をあげて、陳君は、よろよろとその場に倒れてしまった。
「卑怯(ひきょう)だ!」
 僕は、水夫を睨みつけながら、駈け寄って陳君を抱いた。
「しっかりしろ。傷は浅いぞ」
 血に染った陳君は虫の息で、
「や、山路君。……く、口惜(くや)しい」
「しっかりしろ」
「おなじ、東洋人に、や、やられるとは、……く、口惜しい」
「陳君! か、讐(かたき)は討ってやるぞ。しっかりしろ」
「た、たのむ……。もう、僕は、だ、駄目だ……」
 陳君は、僕の手を、かたく握り締めたが、しだいにその力が失われ、ぐったりとなってしまった。
「しっかりしろ」
 僕は、猛然と立ち上った。
「何故、罪の無い陳君を射殺(うちころ)したのだ」
 豹のような水夫は、ピストルを、僕の胸板(むないた)に突(つき)つけたまま、
「陳の奴は、油断がならねえからやっつけたのだ。小僧、てめえだけは、たすけてやろう」
「いや、断じて妥協はせんぞ。陳君の讐を討ってやろう」
「ハハハハハ。無手(むて)で、このピストルに立向うつもりかい。いくら、日本の少年でも、そいつはいけねえ。乃公(おれ)に降伏しろ」
「黙れ! 日本男児の、鋼鉄のような胸を、射貫(いぬ)けるものなら、討ってみろ」
「ハハハハハ。慈悲をもって、たすけてやろうとおもったが、陳と一緒に、冥途へ往きていなら、一思いに眠らしてやるさ。観念しろ」
 豹のような水夫は冷笑をうかべて、ピストルの引金に指をからませた。
 と、このとき、何処(どこ)からか、不意に、
「ワハハハハハハ」
 と、突破(つきやぶ)ったような笑声が起った。それは、豪快な笑いにかかわらず、僕にも、豹(ひょう)のような水夫にも、死人の笑いのように冷たくきこえたので、振りかえった。
 おおそこには、いつのまに現われたのか、船室の降り口のところに、白衣(びゃくえ)を着た、白髪の老人が、亡霊のように立っているではないか。しかも、彼は、歯の無い口を開いて、
「ワハハハハハハ。おまえたち、甲板のうえで、生命のやり取をしても無駄だろうぜ」
 と、不気味に、冷たく笑った。
「てめえは、誰だ」
 豹のような水夫は、恐怖におびえた眼で、怪老人を睨めつけながら云った。
「わしこそは、この船の主人じゃ。おまえたち、生命のやり取を、止(や)めて、はやく、この船を退散しろ」
「何を!」
 水夫は、こんどは、亡霊のような怪老人に、ピストルを向けた。
「ワハハハハハ。若いの、そいつは無駄さ。おまえが、わしの胸を射貫(いぬ)いても、この船には長く居られまいぞ」
「え! 何故だ」
「船底の、火薬庫が、あと三分で、爆発するだろ」
「えッ!」
「わしは、たった今、火薬庫に、導火線を投入れ、その先に火を点(つ)けて来たのさ。導火線は、あと三分。いや二分で、燃え尽きるだろう」
「えッ!」
 豹のような水夫は、これをきくと、反射的に駈け出した。たぶん、端艇(ボート)を探し廻ろうというのだろう。だが、端艇は一艘も本船に残っていない。これに気がつくと、水夫は、真蒼(まっさお)になって顫(ふる)え上った。
 僕は、このまに船橋(ブリッジ)の柱に架けてあった浮袋(ブイ)を外して、それを身に着けた。何しろ、あと二、三分で、一千五百噸(トン)の汽船が、爆破して、木葉微塵(こっぱみじん)になるのだ。愚図愚図していられない。僕は、素早く浮袋を身に着けると、そのまま、身を躍らして、海中に飛込んだ。
 このさまをみた、豹のような水夫も、急いで、浮袋を身に着けると、僕にならって、海中へ身を躍らした。

     亡霊の仕業か

 北太平洋の浪(なみ)は、さすがに高かった。
 僕も、水夫も、巨浪に飜弄(ほんろう)されながら、懸命に、本船から遠ざかろうと努めた。
 が、二分経(た)っても、五分過ぎても、冷凍船虎丸(タイガーまる)の火薬庫は爆発しそうにもなく、本船は悠々潮流に乗って、可成(かな)りの速さで、僕等を遠ざかって往(い)く。しかも、甲板のうえでは、白衣の怪老人は、僕等を見送りながら、相変らず、冷笑をうかべている。
「失策(しま)った!」
 僕は、おもわず叫んだ。
「ど、どうした?」
 水夫は、飛沫(しぶき)を避けながら、僕の方へ近寄ってきて訊(たず)ねた。
「あの、怪老人に、一杯喰(く)わされたぞ」
「うむ」
「火薬庫が、一向に爆発しないじゃないか。あの怪老人、うまく僕等をだましたのだ」
「なるほど……」
 水夫は、今になって、しきりに感心している。
「こうなれば、船に泳ぎついて、あの怪老人を退治てやらねばならん」
 僕は、巨浪に逆(さから)って、抜手を切った。水夫は、そのあとを追って、
「だが、船は、潮流に乗って、あの速さで走っているぜ。とうてい追いつけまいよ」
「だが、口惜(くや)しい。あんな、老人にだまされたかとおもうと……」
「それに、あの老人は、ひょっとすると、亡霊かもしれんぜ」
「どうして?」
「だって、本船には、最初からあんな老人が乗組んでなかったはずだ。……そ、それに、乃公(おれ)ア見たが、あの老人には、足が無かったようだぜ」
「そんなことがあるものか。亡霊など出てたまるものか」
「いや。虎丸(タイガーまる)は、これまで北洋で、たくさんの東洋人を殺したので、その亡霊が、老人の姿になって現われたのだろう。乃公は、たしかに見たよ。あいつには、足が無かった」
「じゃ、亡霊が、何のために、僕等を、船から追出したのだ」
「亡霊だって、冷凍室のラッコが欲しいだろう」
「そんな、莫迦(ばか)なことがあるものか。亡霊が、ラッコの皮を売ってどうするンだ」
「なるほど、そいつもそうだ」
 水夫は、肯(うなず)いたが、しかし、怪老人の姿をおもいうかべると、ぞっとした。果して亡霊だろうか、仮面の怪人物か。その謎(なぞ)の解けぬうちに、虎丸は、僕等とは、可成り距(へだた)ってしまった。およそ、十数分も経ったが、火薬庫など爆発しやしない。潮流に乗って、悠々と、南々東を指して流れて往く。
 僕も、水夫も、北太平洋の真ン中に、置去りにされてしまったのだ。しかも、浮袋(ブイ)一つに生命を托して、ひょうひょうと巨浪に飜弄されている。
 もうすでに夕暮だ。赤い太陽が、西の空に沈もうとしている。海は、黄金を撒(ま)いたように輝いているが、それを眺めて楽しむどころではない。夕方でも、この寒さだから、夜になったら、一層寒さが加わるだろう。水が刃(やいば)のように肌を刺し、僕等は、明日を待たず、凍死するにちがいない。
「ひでえことになったなア」
 豹(ひょう)のような水夫も、さすがに心細くなったとみえ、今はもう、もぐらもちのように意気地(いくじ)がなく、浪に乗り、浪に沈みながら、悲鳴をあげている。
「ああ。ああ……」
 そして、いつのまにか、僕との距離が遠ざかってしまった。
「おーい」
 といっても返事がない。
「しっかりしろ」
 振りかえって叫んだが、もはや、姿も見えなかった。虎丸は何処と、顔をあげてみたが、もうそれも僕の視野から消え失せてしまった。
 僕は、只(ただ)一人、浮袋(ブイ)に身を托して、涯(はて)しない洋上を、浪に漂わねばならないのだ。

   二 抹香鯨(まっこうくじら)と人造島

     海の怪物

 その夜半。真暗な洋上で、僕は、何物かに、頭をコツンと叩(たた)かれたような気がして、はッ! として、失いかけていた意識を、取返すことができた。
「おや! 何だろう」
 手探りに、四辺(あたり)を探ると、怪物は、ふたたび僕の頭をコツンと叩いた。
「畜生! 誰だ」
 が、手に触れたものは、変に冷たい、大きな、妙に不気味な怪物だった。
「岩礁かな」
 とおもったが、撫(な)で廻してみると、いやにつべつべした代物(しろもの)だ。
「動物のような感じだぞ」
 だが、動物にしては、これはまた、変に茫漠(ぼうばく)として大きい。
「何でもいい。気力を失って、凍死しかかっている僕の頭を、コツンと叩いて意識をかえしてくれた怪物は、僕の生命の恩人だ。ありがとう」
 僕は、心からそう感謝して、怪物の肌を撫で廻した。すると、それは海の怪物海馬か、海象か、鯨といった感じである。
「あッ! いけない。海馬や鯨だったら、こうしてはいられない。いまに尾鰭(おびれ)で一つあおられると、参ってしまう。こいつは剣呑(けんのん)剣呑……」
 そこで、周章(あわ)てて、怪物の身辺を離れた。が、離れて暗闇(くらやみ)の海に漂うと、やっぱり心細い。気力を失いかけている僕は、このまま数時間、寒汐(さむしお)に漂うたら、ふたたび意識を失ってしまうだろう。
「よしッ! 海馬でも、海象でも、何でもいい。そいつの背中を借りて、一息入れるとしようか」
 僕は、またも、怪物に近づいた。そして、小山のような背中によじ登ろうと試みた。海馬や、海象なら、こうして僕に、いくたびか取縋(とりすが)られると、うるさくなって、海へもぐり込むにちがいない。だのに、一向気にもとめず、僕の為(な)すままに任している。
「こいつア、海馬や、海象よりも、もっと大きな怪物かもしれんぞ」
 僕は、いくたびか辷(すべ)り落ちて、やっと、怪物の背中へ這(は)い上ることが出来た。そこは、やはりつべつべしているが、小丘のように広い。足もとに気をつけて、歩いてみると、可成(かな)りある。
「駆逐艦ぐらいあるぞ。鯨かな」
 僕は、不安におもったが、ええままよとばかり、怪物の背中で肘(ひじ)を枕に横になった。鯨なら、やがて海底へ沈んでしまうだろう。そのときは、それまでだ。一緒に海底見物と洒落(しゃれ)ようか。
 僕は、そんな暢気(のんき)なことを考えて、悠々と怪物の背中で横になってみたが、怪物は、一向に海底へ沈んで往く様子もない。僕をのせたまま、潮流に乗って、何処(どこ)へか流されて往くようだ。
 怪物の背中に横になっていると、夜風が肌を刺すようだ。しかし、浮袋につかまって、巨浪に飜弄(ほんろう)されているのとちがって、飛沫(ひまつ)を浴びることもなければ、手足を動かすこともいらない。濡鼠(ぬれねずみ)になって寒いが、極度に疲れているので、いつか睡気(ねむけ)を催して来た。
「眠って転げ落ちたら大変だ」
 そうおもいながらも、うとうととなる。そこで僕は、怪物の背中で、腹這(はらば)いになった。これなら、なかなか転げ落つることもあるまい。
 僕は、正体のわからぬ怪物の背中で、そのまま、深い眠りに落ちてしまった。

     あッ! 氷山?

 幾時間眠ったろう。ふと眼が醒(さ)めた。
 朝の太陽が、僕の背中をあたためてくれた。
「おお、こいつは、素敵(すてき)素敵」
 僕は、怪物の背中に起き直って、四辺(あたり)の景色を眺め入った。相変らず、水また水の、茫々(ぼうぼう)たる海原だが、いつか北洋の圏内を去ったとみえて、空気も爽(さわや)かで、吹く風も暖かだ。
 もう、凍死することはあるまい。だが、まだ怪物の背中に乗っかっているのだ。幸い、ゆうべは、怪物も、海中へ沈まずにいてくれたから、たすかったようなものの、何時(いつ)、もぐり込むかわからぬ。眼が醒めて、元気づくと、こんどは、怪物の背中にいることが不安になって来た。
「それにしても、怪物は一体、何物だろう」
 僕は、怪物の正体を突止めるために、背中を歩き廻った。なるほど、駆逐艦ほどもある大きさだ。歩きながら、よく見究めると、やっぱり鯨だった。大きな抹香鯨(まっこうくじら)だった。しかも、鯨の奴(やつ)、白いお腹(なか)を上に向けて、悠々潮流に乗っている。
 僕は、ゆうべから、抹香鯨のお腹の上に眠っていたのだった。
「なアんだ。お腹の上にいたのか」
 僕は、可笑(おか)しくなってひとりで笑った。が、考えてみると、鯨がお腹を上に向けて泳いでいるわけはない。僕は、やっと怪物の謎(なぞ)を解くことが出来た。
「ああ、そうだ。こいつは、鯨の屍骸(しがい)だったのか。どうりで、僕を竜宮へ連れて往かなかったはずだ」
 それがわかると、少しつまらなくなった。けれど、鯨の屍骸なら、結局安全だ。竜宮へ連れて往ってくれないかわりに、こうして漂流しているうちに、やがて、捕鯨船に発見されるだろう。
「まずまず安心」
 そこで、僕は、また、鯨のお腹の上で横になろうとして、ふと、左手はるかに瞳(ひとみ)を投げると、おもわず、
「おや!」
 と叫んだ。そのおどろきも当然、はるか南東の洋上に、ふしぎな島が、うかんでいるではないか。しかも、その島は純白で、朝陽(あさひ)をいっぱいにうけて、銀色さんぜんと輝いているではないか。
「島かな。帆船かな。それとも氷山かな」
 だが、氷山が、こんな暖かい風の吹く海洋まで流れてくるはずはない。では、貝殻の島かもしれない。貝殻や鳥糞(ちょうふん)が、島嶼(しま)のうえに堆積して、白い島にみえるのもある。けれど、その白さとちがって、あの銀色さんぜんと輝いているところは、どうしても氷山だ。
 可笑(おか)しい。どうして、氷山が、こんな暖かい海洋へ流れて来て溶けないのかしら。
 ふしぎにおもって、なおもよく見入っていると、僕を乗せた鯨の屍骸は、どうしたことか、いつのまにか、急速力を出して、かの氷山を目指して進んでいるではないか。
「おや、いよいよ可笑しいぞ。鯨が生き返ったのかしら」いや、生きたのではない。鯨の屍骸は、狂おしく迅(はや)い潮流に乗って、矢のように走り出したのだ。しかも、その方向は、はるか彼方(かなた)に浮ぶ氷山を目指している。それが磁石に吸いつけられるように、かなりの速力で氷山に近づいているのだ。
「こいつは剣呑(けんのん)! あの氷山に正面衝突してみろ、鯨諸共(もろとも)、僕の身体も木葉微塵(こっぱみじん)になるだろう」
 さすがの僕も、今度こそは、怖(おそ)ろしくなって眼を瞑(つむ)った。氷山と鯨は、刻々にその距離を狭めていくようだ。万事休矣(ばんじきゅうす)?

     人造島の秘密

 あくる朝、僕は、病室とおぼしい、明るい室の、寝台のうえで眼を醒した。僕の身体は、ぐるぐる巻に繃帯(ほうたい)が施されてある。きのうの朝、鯨の屍骸に跨(またが)ったまま、潮流に押流され、急速力で氷山に近づき、ドカンと衝突したまでは覚えているが、そのとき、氷山の一角に五体を強く打突けて人事不省に陥ったまま、この病室に運ばれたものとみえる。
「それにしても、ここは一体、何処だろう。氷山に、こんな立派な病室があるわけはないし……」
 僕は、夢見心地で、寝台を降りて、ふらふらと室内を歩き廻った。
 窓から、朝陽がいっぱいに差込んでいる。戸外からみると、おどろいた。やっぱり氷山、というよりか、氷の陸地である。平坦(へいたん)な氷の島のうえに、白堊(はくあ)の家が建っているのだ。その一室が、病室になっている。いや、白堊の家だけではない、工場もあるし、動力所とおぼしい建物もあるし、飛行機の格納庫さえある。しかも、氷上には、単葉の飛行艇が二機、翼(よく)を休めているし、水色の作業服を着た人々が、水晶のように美しい氷上を歩いている。
「北極から流れて来た氷山じゃないぞ。島の上に氷を張りつめたのかしら。いや、それなら家も、格納庫も、氷に鎖(とざ)されているはずだ。だいいち、こんなに太陽が輝いて、暖かいのに、氷が溶けずに、大理石のように輝いているのは可笑(おか)しい」
 僕は、いよいよ不審におもっていると、不意に扉(ドア)が開いて、水色の作業服を着た一青年が入って来た。彼は、僕をじろりみて、いきなり、
「君の国籍は?」と妙なことを訊(たず)ねた。
「僕は、日本人です」
「うむ……それはいかん。日本人であることが不幸だった。せっかく救(たす)けてあげたが、このまま帰りたまえ」
「え!」
「われわれは、外国の漂流者を救助する義務はないのだ。すぐに、島を退去したまえ」
 その声は、氷よりも冷たく感じられた。
「どうして、僕を追払おうとするのです」
「われわれは、水難救済事業に携っているのではない。しかも、君が、日本の少年であることが不幸だった。君を、この島に滞在させるわけにはいかんのだ」
「……」
「その理由というのはつまり、この島は、人造島だからだ」
「えッ、人造島?」
「そうだ。これは、アメリカの兵器会社の技師が発明した人造島で、われわれ技術員は、その耐熱試験をやっているのだ。氷の島が温帯で、いや熱帯圏内に入っても、果して耐久力があるか否かを試験しているのだ。そこで、この島の秘密を、日本の少年に盗まれては、せっかくの、秘密特許の人造島も、無価値になるじゃないか」
「僕は、少年です。断じて人造島の秘密を盗むようなことはありません。日本へ帰るまで、この島に置いてください」
「いかん。君を救けたのは、君の労働力を必要としたからだ。つまり、君に、炊事(すいじ)やそのほかの仕事をして貰(もら)おうとおもったのだが、不幸にして君は、模倣(もほう)の巧みな日本人だったじゃないか、一刻も、この島に置くわけにはいかん」
 青年技師は、卓上の呼鈴(ベル)を押した。と、それへ、同じ作業服を着た数名の男が現われた。
「この少年を、追放してくれたまえ」
 青年技師は、冷酷無情にも、そう命じると、数名の男は、矢庭(やにわ)に僕の肩や、手をとった。僕はこれまで、幾度か生死の境をとおって来ているので、またも、この奇怪な氷の島から追放され、海へ放り込まれることを、それほど怖(おそ)れなかったが、しかし、何か曰(いわ)くのありそうな人造島の秘密を、何とかして探りたいとおもったので、むざむざと、海へ放り込まれたくはなかった。
「僕は、どんな労働でもやりますから、この島に置いて下さい」扉(ドア)の外へ、つまみ出されるのを拒(こば)んで、こう哀訴したが、青年技師はいよいよ冷酷だ。
「日本の少年なら、いいかげんに観念しろ。……さア諸君、面倒だから、この少年を麻袋に詰めて、海ン中へ叩き込んでくれたまえ」
「オーライ」作業服を着た男たちは、声とともに、寄ってたかって僕を捉(とら)え、用意の麻袋を頭からすっぽり被(かぶ)せてしまった。そして、藻掻(もが)く手足を押込んでしまうと、袋の口を麻縄(ロープ)で厳重に結(ゆわ)いてしまった。ああ、僕は、こんどこそ海底の藻屑(もくず)と消え失せなければならないのか。
 やがて、麻袋に詰められた僕は、一人の雑役夫に担がれて、氷の島の岸へ運ばれた。
 僕の生命は、風前の灯火(ともしび)だ。

     中国服の老人

 雑役夫は、麻袋をいったん置くと、こんどは、その両端を二人で持って、高く差しあげた。「ワン」「ツー」「スリー」の号令とともに、一思いにドブンと、海中に投げ込まれようとした一刹那(いっせつな)、
「待て、待ちたまえ」と、皺枯(しわが)れ声が、人々の背後にあった。雑役夫たちは、麻袋をふたたび氷の上に置いた。皺枯れ声の主は、
「その少年を、海へ叩き込むのは、いつでも出来るじゃろ。何しろ、この島じゃ、逃げも隠れも出来まいから、労働を強いてさんざ使ったあとで、海へ棄てても遅くはあるまい」と、云った。
「うん、それもそうだ」青年技師の声だ。
 僕は、麻袋からつまみ出された。大理石のような硬い氷の上に立って、ひょいと見ると、皺枯れ声の主というのは、中国服を着て、木沓(きぐつ)をはいた老人だが、中国人ではないらしい。彼は、僕の顔をじろじろ見ていたが、
「とにかく、この少年を、わしの研究室で使うことを許してもらおう。なかなか怜悧(りこう)そうな少年だ」
 こう云って、僕の肩を、枯枝のような細い手でつかんで、よろよろと歩きだした。僕は、この老人を、信じてよいのか悪いのかわからなくなったが、とにかく、危い瀬戸際に、少しでも生命を延してくれたので、感謝してもいいとおもった。
 研究室は、同じ白堊の建物で独立していた。その一室へ、僕を連込んだ老人は、
「それへ掛けたまえ」と、一脚の椅子(いす)をすすめた。
「何を、お手伝したらいいですか」
「まア、仕事は、だんだんにはじまるよ。きょうは、ゆっくり体を休めたまえ」
 なかなか親切だ。が、結局、僕をさんざん使ったあとで、海へ放り込もうというのだから、ピコル船長と五十歩、百歩だとおもった。
「君は、日本人だといったね」
「そうです」
「日本人は、科学の才能において、ドイツ人に劣らぬ。そこで、わしは、わしの研究室の助手として君を所望したのじゃ」
「あなたは、何を研究なさいますか」
「わしは、人造島を研究している」
「あなたは、この氷の島をつくられたのですか」
「そうじゃ」
「人造島というのは?」
「なるほど、少年には殊(こと)のほか、興味があろう。かんたんに説明してあげよう。人造島というのは、ドイツのゲルケ博士の考案したものが始りである。浅い海底へ、組合した太い管(くだ)を、無数に取付け、それに海水を凍らせる凍結剤を、絶えず送るという仕組になっている。つまり、そうして海上に、ぽっかり氷の島を浮べ、飛行機の着陸場にしようというのじゃ。ところが、わしの人造島は、浅い海ではなく、太平洋の真ン中でも、自由自在につくられるのだから、ゲルケ博士のものとは、規模、構成において、おのずから異っている」
「どうして、氷の島が、暖かい海でも溶けないのでしょうか」
「氷上に動力所があるだろう。あの動力所から、鉄管で絶えず凍結剤を送っているから、よしんば島の表面が溶けても、急凍する海水が、新陳代謝するから大丈夫。それに、この氷は、化学的に急凍したものだから、大理石のように硬いのじゃ」
「人造島が、自由自在に、どこにでもつくられるようになると、飛行機は、安心して飛べますね」
「そうだ。戦争になると、人造島を各処(かくしょ)につくって、そこを艦隊や、航空隊の基地とし、不安になれば、忽(たちま)ち溶かしてしまうことが出来る」
「へえ、おどろいた。じゃ、人造島を発明した国は、戦争に絶対勝つというわけですね」
「人造島をつくったのは、わしだが、わしはまた、人造島に、ある種の人工霧を放射すると、忽ち溶けてしまうという、新しい兵器を発明したのだ。完成の一歩前だが、その研究をやっているのだよ」
 老人は、梟(ふくろう)のような眼を輝かした。
「あなたは、科学者ですね。博士ですね。そして、この島の主権者ですか」
「主権者?……。なるほど、この島の創造主だから、主権者であっていいわけだ。ところが、わしは、哀れな奴隷なのじゃ」
「えッ!」

     作戦?

「日本の少年よ。われわれは、人造島の耐熱試験をするために、大平洋の真ン中へやって来たが、試験は大成功。そこで数日ののちに、この島を元の水に還(かえ)して、本国へ引揚げるのだが、わしの科学の頭脳を、さんざん使った兵器会社の奴等は、不要になったわしを、この老ぼれ博士を、海洋に棄てて去るだろう」
「それじゃ、僕と同じ運命なのですか」
「そうじゃ、わしは、古ぼけた兵器製造機として、もう不要になったのじゃ。そこで、海へ棄てられてしまう。……わしは、たった一人で死にたくはないので、せめてもの道連れにとおもって、君の命乞いをしたのじゃ」
 ああ、そうだったのか。僕は、それを知ると、この博士に怒りを感じた。
「僕は、あなたの道連れになるのは、お断りします」
 僕は、断然拒絶した。老博士は、淋(さび)しく笑って、
「いや、ぜひこの老人と一緒に死んで貰(もら)いたい。……それとも、君は、あの麻袋に詰められて海ン中へ叩き込まれたいのかい」
「…………」
「わしと一緒に死んでくれるか、それとも、名もない雑役夫のために、海に叩き込まれるか。その二途(ふたみち)よりないのだが……」
 少し考えていた僕は、
「あんな雑役夫に殺されるよりか……」
「おお、やっぱり、わしとこの島に残されるか」
「はい」
「うむ。それでこそ、義も情もある日本人じゃ。君は、わしの唯一の味方じゃ……では、わしの本心を明(あか)してあげよう」
「え! 本心ですって?」
「そうじゃ。わしは、いかにも古ぼけた兵器製造機じゃ。けれども、むざむざと、アメリカの兵器会社の奴等のために、海洋の真ン中に棄てられはしないぞ。君と協力して、彼等の暴力に抵抗するのじゃ」
「では、僕とともに、この島を脱(ぬ)け出そうと仰(おっ)しゃるのですか」
「脱出ではない。この島に住む狼共(おおかみども)に、戦いを挑むのじゃ。わしは、最初からその決意でいたが、君を味方に得て、いよいよ勝算が十分だ」
「でも、味方は、わずかに二人、敵は、それに十倍する人数、たいてい勝てますまい」
「ところが、わしは、科学者じゃ。科学の力は百人、千人の凡人の比ではない」
「作戦を洩(もら)してください」
「わしの作戦はこうじゃ。まず、この人造島の心臓ともいうべき、動力所を襲うて、これを占拠するのじゃ。われわれは、動力所に拠(よ)って、敵を迎える。動力が停(とま)って、凍結剤を海中の鉄管に送ることが出来なくなれば、この島は、忽ち溶けてしまうのだから、それを怖れて、敵も手出しは出来まい」
「でも、動力所を占拠して、人造島の心臓を抑えても、数台の飛行機が、彼等の手中にある以上、動力を停めて、人造島を溶かすと威(おど)かしても、彼等は、そのままに、飛行機に分乗して、危機を脱することが出来るじゃありませんか」
「なアに、その前に、ちゃんと飛行機を焼いて、敵の足を奪っておくのさ」
「えッ! 飛行機を焼いたら、僕達も、結局、人造島と運命を倶(とも)にするだけじゃありませんか」
「冒険に心配は禁物じゃ。科学のともなわぬ冒険は、もう古い。わしの人造島は、自力をもって、時速十三海里の航海が出来る。つまり、この人造島は、大洋の浮島であるとともに、一種の方船(はこぶね)なのさ。しかも、海中深く潜んでいる、すばらしい幾つかの推進機は、動力所の押ボタン一つで、猛然と回転してくれるのじゃ。動力所の心臓部を抑えながら、わしと君は数十人の敵を同伴して、一路日本へ針路を向けようじゃないか……。なアに、万一、この冒険が失敗したら、そのときは、潔(いさぎよ)く、海中の藻屑(もくず)となったらいい」
「よくわかりました。僕はやります」
「では、君は、夜半に格納庫を襲うてもらおう。わしは、同時刻に動力所を襲うて、彼処(あそこ)を占拠してみせる。君は、格納庫に火を放つのじゃ」
「爆弾がございますか」
「爆弾のような化学兵器が、手に入るくらいなら、こんな命がけの冒険はせんよ。爆弾があれば、宿舎に投げつけて、技術員も、雑役夫も、みんな一気にやっつけることが出来るじゃないか。われわれは、敵に監視されている、全くの無力者だ。そこで、非常手段をとらねばならぬ」
 老博士は、僕の耳元へ、秘策を私語(ささや)いた。

     格納庫夜襲

 遂(つい)に夜襲のときが来た。
 海洋の真只中(まっただなか)に浮んでいる人造島が、深い眠りに陥っているところを狙(ねら)うのだ。
 白堊(はくあ)の宿舎には、技術員も、雑役夫も、みんな正体もなく眠っている。外部からの襲撃をうける心配のない人造島では、歩哨(ほしょう)も、不寝番(ねずばん)も必要がなく、ただ、動力所だけに、機関士が交替に起きているに過ぎない。
 夜半、約束の時刻に、老博士は、研究室の窓の下に佇(たたず)んでいた。そして、僕の姿を見つけると、片手をあげて合図をして、そのまま、風のように動力所の方へ去った。僕も、たった一人で、格納庫焼打に往くのだ。
 満天に星はきらめき、空気は水のように澄んでいる。その星の光が、水晶のような氷の肌に、微(かす)かに映えて、あたかも黒曜石(こくようせき)のように美しかった。
 海は、はろばろと涯(はて)しもなく、濃紫(こむらさき)色にひろがっていて、何処からか、海鳥の啼音(なきね)がきこえてくる。こんな静かな夜半、決死の二人が、十倍に余る敵を迎えて、これと闘い抜き、人造島を占拠しようというのだ。いや、あと数分ののち、この黒曜石のような美しい氷上が、血の海と化するであろう。このことが、とうてい想像できなかった。
 格納庫の附近には、歩哨も、動哨もいはしない。だのに、誰か物かげに潜んでいるようで、不気味だった。僕は、四辺(あたり)に気を配りながら、格納庫の扉(ドア)を開けた。そして携えてきた小さな石油ポンプを、格納されてある飛行機の方に向けた。それから、上着を脱いで、それに石油を浸した。
 これで、準備はできたのだ。
「いいか」
 僕は、自分自身にこう云って、石油を浸して上衣(うわぎ)に火を点(つ)けると同時に、それを格納庫内の飛行機へ投げつけた。
 ボーッ! と、凄(すさ)まじい音を立てて、上衣は燃え上った。
「それッ!」とばかり、僕は、石油ポンプの把手(ハンドル)を力の限り押した。燃え上った一団の火へ、石油を雨のように注いだからたまらぬ。たちまち、格納庫内は、火の海と化してしまった。
「ばんざーい」僕は、興奮して、おもわず万歳を連呼した。連呼しながら、僕は、両頬(りょうほお)に伝う熱い涙を感じたが、それを拭(ぬぐ)おうともせず、なおも石油ポンプの把手を、力のかぎり、根かぎり押した。
 と、このとき、はるかに宿舎の方にあたって、
「わア」「わア」という、喊声(かんせい)とも、悲鳴ともつかぬ、人々の叫喚が、嵐のように湧(わ)き上った。格納庫が火を吹いたので、それを発見した一人が、度を失って、人々に告げ廻ったのだろう。人々は、半狂乱になって、我先に、こちらへ駈(か)けてくる。それが、火焔(かえん)の明りではっきり認められた。
 僕は、格納庫に十分に火が廻り、三台の飛行機が、威勢よく燃えているのを見済して、動力所の方へ駈けつけた。
 格納庫の巨大な建物が、火を吹いているので、その凄まじい大火焔(かえん)が、水晶のような氷の肌に映じて、実に壮観。絵にも、文章にも、描けぬ光景だと、僕は、振りかえり、振りかえり、それに見惚(みと)れた。

     殺到する敵

 こちらは、動力所へ駈けつけた老博士である。博士は、低過蒸気機関の前で、椅子(いす)に腰かけたまま、こくりこくり居眠りしている、呑気(のんき)な赤髯(あかひげ)の機関士の前に立って、
「おい、起きろ」と、怒鳴った。不意を喰って機関士は、むっくり顔をあげた。きっと、上役に、居眠りの醜態を見つけられたとおもったのだろう、眼をパチクリさせている。
 老博士は、ステッキを、機関士の胸元へ突付(つきつ)けて、いかにも、新しい兵器のように見せかけ、
「これを見ろ、わしのつくった殺人ガス放射器じゃ。よいか、これが怖(おそ)ろしかったら、わしと行動を倶(とも)にしろ」
 機関士は、老博士のステッキを、恐ろしい兵器と信じて、恐怖のあまり、わくわく顫(ふる)えながら、両手をあげて、わけもなく、無抵抗の意を表した。
「よいか、わしの味方の一人はいま、格納庫を襲うて、おまえたちの唯一の足である飛行機を焼こうとしている。そこで、わしは、この動力所を襲うて、人造島の心臓部を握るのだ。われわれは、兵器会社の技術員たちに、戦いを挑まねばならない。おまえは、わしの味方になるか、それとも反抗するか」
「味方になります」
「よろしい。では、おまえの任務に忠実であれ」
 このとき、彼方(かなた)の格納庫のあたりが、急に明るくなり、ボーッという、凄まじい音がきこえて来た。
「ほう、やったな。おい、窓の外を見ろ。わしの味方が、格納庫を焼いたぞ」
 云われて、機関士は、窓から顔を出した。
「あッ、火事だ」機関士は、おどろいて、戸外へ飛び出そうとした。
「おい、これがわからぬか」
 老博士は、ステッキを突付けた。
「此処(ここ)を動いてはならない。でないと、人造島が溶けてしまうのだ。飛行機が焼けてしまったし、島が溶けたら、どうなるとおもうか」
「…………」
 機関士は、神妙に機関(エンジン)の前に戻った。
 格納庫は、物凄(ものすご)く火焔を吐いている。
 と、忽ち、人々の叫喚が嵐のように起った。目茶苦茶に、発砲するものもあるらしい。大変な騒ぎとなった。その騒動の中を、巧みに抜けて、動力所へ駈けつけたのは日本少年、僕である。
「おお、旨(うま)くやってくれたな」
 老博士は、うれしげに僕を迎えた。
「あなたも……」
「うむ、動力所も、首尾よく手に入れたよ」
「みんな、こちらへ押寄せて来ます」なるほど、火焔の明りでみると、人々は、悪鬼のような叫びをあげながら、動力所を目指して駈けてくる。
「なアに、大丈夫。敵の心臓をつかんでいるから、すでに味方の勝利じゃ」
 老博士は、落着払っている。動力所へ押寄せた一隊は、威嚇(いかく)するように、小銃を乱射した。わアーという、喚声をあげながら、悪鬼のように、
「博士をやっつけろ」
「おやじを殺せ」
「日本の少年を、渡せ」と、口々にわめき立てて、すでに、扉(ドア)の近くまで迫った。

     島が溶けだす

 このとき、老博士は、動力所の窓から、ぬっと首を出した。
「あぶない!」僕は、引止めたが、それには耳を藉(か)さず、はや間近に迫った一隊に向って、皺枯(しわが)れ声だが、しかし太い力のこもった声で呼びかけた。
「射撃を止(と)めろ。止めないと、人造島の心臓部を止めてしまうぞ」この一言が、たしかに利いたとみえて、敵の一斉射撃が、急に止み、一隊は、その場に釘付(くぎづけ)にされたかたちとなった。老博士は格納庫の火焔(かえん)に、上半身を照らしながら、語気を強めて、
「わしは、すでに、この人造島の心臓部を握った。飛行機はみんな焼けてしまった。おまえたちは、自由を失ったのだ。よいか、わしに反抗するものがあったら、わしは、ここにいる味方の一人に命じて、動力機関(エンジン)を、一挙に破壊してしまうだろう。おまえたちが、この動力所へ殺到し、われわれを銃剣で突刺すまえに、発動機の機能は、めちゃめちゃになってしまうが、どうだ」
 と、宣告を与えた。が、戸外に佇(たたず)む敵の一隊は、怒りと怖れのために、一語も発するものがない。完全に心臓部をつかまれているからだ。
 格納庫は、まだ旺(さか)んに燃えている。しかしトラスト型の鉄骨と、飛行機の形骸(けいがい)を、無慚(むざん)にも曝(さら)して、はや、火焔も終りに近かった。老博士は、敵の銃口に身を曝(さら)しながら、なおも言葉をつづける。
「沈黙を守っているのは、無抵抗の意志と認める。飛行機は、あのとおり無惨な姿になってしまったから、いくら暴れても、この島を脱(のが)れることは出来ないだろう。どうだ。和睦(わぼく)せぬか。心臓部を握るわれわれと握手して、この人造島を、大陸へ向けて移動せしめることに同意せぬか」
 戸外の人々は、なおも沈黙を守っている。
「それとも、われわれの手で、動力機関を破壊し、氷の島を溶かして、敵味方諸共(もろとも)、海底の藻屑(もくず)となるか」敵の一隊は、今は進みも退きも出来ず、死のような沈黙をつづけている。
「君たちは、わしのつくった人造島が完成すると、もう、この老ぼれには用は無いというので、わしを、この島に残し、島の動力器械を持去ってしまうのだろうが、それは、あまり酷薄無道だった。君たちは、みんな、そんな残酷な人間ではないだろう。わしを信じ、わしの科学の才能を認め、わしになお、研究を継続させたいものは、銃を捨てて、これへやって来たまえ」
 すると、先頭の一人は、銃を投げ出した。悄然(しょうぜん)と、こちらへ歩いてくる。すると、これに倣(なら)って、他の人々も銃を棄て、みなそのあとに続いた。
 が、これは、こちらの油断だった。降服とみせかけて、動力所へ入って来た一隊の半数は、いきなり、老博士に殺到した。
「わア!」
「老ぼれを殺(やっ)つけろ[#「殺(やっ)つけろ」は底本では「殺(や)つけろ」]」
 たちまち、老博士は、人々のために組敷かれてしまった。あとの半数は、僕を目指して殺到した。
「日本の少年も、やっつけろ」
「わア!」僕は飛鳥の如(ごと)く、動力機関の前までのがれた。僕は、もはやこれまでとおもって、その場にあったハンマーを執(と)ると、
「やッ!」とばかり、機関を叩きつけた。
「あッ!」殺到した悪鬼のような人々は、おもわず声を呑(の)んだ。おのれの心臓を、叩きつけられたも同然である。僕は、続けざまにハンマーを揮(ふる)って機関(エンジン)を叩きつけた。歯車は砕け、シャフトは折れ、低温蒸気は、凄(すさ)まじい勢いで、折れまがったパイプの裂け口から吹き出した。僕は、汗を拭(ふ)きながら、人々を振(ふり)かえって云った。
「さア、これで万事休矣(ばんじきゅうす)だ。敵も味方も、仲好く、海底見物をしよう。動力が停ったら、この島は、次第に溶けていくだろう。もう、お互に争うことを止めようじゃないか」
 誰も、これに応えるものはなかった。
 老博士を組敷いている人々も、その場を離れ、呆然(ぼうぜん)として、僕を見るだけだ。今は誰一人、僕に組付いてくるものもない。死のような沈黙が、動力所の内外にひろがって来た。
 老博士は、僕の傍(そば)へやって来て、
「よくやってくれた。君の勇気と果断に感謝する。そして、君と一緒に死ぬことを、わしは、悦(うれ)しいとおもう」といって、僕の手を、固く握り締めた。
「済みませんでした。機関を破壊したりなんかして……」
「いや、この場合、君の果断の行為は、結局、われわれを救ってくれたのじゃ」
「でも、そのために、みんな溺死(できし)します」
「が、動力所を、あいつ等の手に渡せば、君とわしが殺されるだけじゃないか……。おお、そういううちにも、島が溶けてくるだろう。死の直前に、人造島の溶けるさまを実際に見ておこうか」
 老博士は、悠々と、戸口の方へ歩きだした。科学に殉ずる、老科学者の態度に、敵も味方も、今は驚嘆せぬものとてない。

     運命の方船(はこぶね)

 やがて、窓から戸外を眺めていた一人が、甲高い声で叫んだ。
「あっ、大変だ。島が溶けだした」
「えッ!」予期していたことだが、これが余りに突然だったので、人々は色を失って、われ先にと、戸外へ飛出した。彼等は、氷上を右往左往した。なかには、動力所の屋根へよじ登ろうとする者、相抱いて泣いている者もある。いやはや、白人共の、狼狽(ろうばい)ぶりは、滑稽(こっけい)なくらいだ。
「氷が溶けるのは、当然ではないか。周章(あわ)ててはいけない」老博士は、人々をかえり見(み)て、こう戒(いまし)めるが、刻々に迫る死を怖れて、人々は、なおも、右往左往して悲鳴をあげている。老博士は、木沓(きぐつ)の先でコツコツ氷を叩いてみて、僕をかえりみて云った。
「うむ、なるほど、凍結剤の効力が失われると、あれほど硬かった氷も、このとおりだ」
 それは、自分の創案した人造島の、溶け失せるのを悲しむというよりか、化学の偉力のおそろしさを証し得たことを悦(よろこ)ぶ、会心の笑いだった。
 そういううちにも、人造島は、刻々と溶けてゆく。海中に没している部分はもちろんのこと、表面も、周囲も、急速度に溶けつつある。
「救(たす)けてくれい」
「ああ……」技術員も、雑役夫たちも、今は全く手の下しようもなく、悲鳴をあげていたが、やがて彼等は、ぞろぞろと、博士の方へやって来た。
 彼等は、老博士を取巻いて、哀願した。
「博士。どうか、われわれを救ってください」
「われわれの生命(いのち)をたすけてください」
「おねがいします」果ては、彼等は、溶けゆく氷の上に膝(ひざ)をつき、手をついて、老博士に哀訴した。
 博士は、微笑をうかべたまま、
「生命が惜しかったら、わしの云うとおりになるか」
「なります」
「救けてください」
「では、あの白堊の建物へ帰りたまえ。あの建物は、島が溶けても、波に浮ぶだろう。あれは創世記の方船(はこぶね)だ」これをきくと、技術員や雑役夫たちは、
「おお、方船!」
「われわれの船」そう叫んで、われ先に、白堊(はくあ)の建物の方へ駈けだした。
「おお、日本の少年。
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