原爆詩集
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著者名:峠三吉 

さあ
いまでもおそくはない


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  その日はいつか

  1

熱い瓦礫と、崩れたビルに
埋められた道が三方から集り
銅線のもつれる黒焦の電車をころがして交叉する
広島の中心、ここ紙屋町広場の一隅に
かたづけ残されころがった 君よ、

音といっては一かけらの瓦にまでひび入るような暑さの気配
動くものといっては眼のくらむ八月空に
かすれてあがる煙
あとは脳裏を灼いてすべて死滅したような虚しさのなか
君は 少女らしく腰をくの字にまげ
小鳥のように両手で大地にしがみつき
半ば伏さって死んでいる、

裸になった赤むけの屍体ばかりだったのに
どうしたわけか君だけは衣服をつけ
靴も片方はいている、
少し煤(すす)けた片頬に髪もふさふさして
爛(ただ)れたあとも血のいろも見えぬが
スカート風のもんぺのうしろだけが
すっぽり焼けぬけ
尻がまるく現れ
死のくるしみが押し出した少しの便が
ひからびてついていて
影一つないまひるの日ざしが照し出している、

  2

君のうちは宇品町
日清、日露の戦争以来
いつも日本の青年が、銃をもたされ
引き裂かれた愛の涙を酒と一緒に枕にこぼし
船倉(せんそう)に積みこまれ死ににいった広島の港町、

どぶのにおいのたちこめる
ごみごみ露路の奥の方で
母のないあと鋳物(いもの)職人の父さんと、幼い弟妹たちの母がわり
ひねこびた植物のようにほっそり育ち
やっと娘になってきたが
戦争が負けに近づいて
まい晩日本の町々が藁束(わらたば)のように焼き払われるそのなかで
なぜか広島だけ焼かれない、
不安と噂の日々の生活、

住みなれた家は強制疎開の綱でひき倒され
東の町に小屋借りをして一家四人、
穴に埋めた大豆を噛り、
鉄道草を粥(かゆ)に炊(た)き、
水攻めの噂におびえる大人に混って
竹筒の救命具を家族の数だけ争ったり
空襲の夜に手をつないで逃げ出し
橋をかためる自警団に突き倒されたり
右往左往のくらしの日々、
狂いまわる戦争の力から
必死になって神経痛もちの父を助け、幼い弟妹を守ろうとした
少女のその手、そのからだ、

  3

そして近づく八月六日、
君は知ってはいなかった、
日本の軍隊は武器もなく南の島や密林に
飢えと病気でちりぢりとなり
石油を失った艦船は島蔭にかくれて動けず
国民全部は炎の雨を浴びほうだい
ファシストたちは戦争をやめる術(すべ)さえ知らぬ、

君は知ってはいなかった
ナチを破ったソヴェートの力が
不可侵条約不延期のしらせをもって
帝国日本の前に立ち塞がったとき
もう日本の降伏は時間の問題にすぎないと
世界のまなこに映っていたのを、

君は知ってはいなかった、
ハーケンクロイツの旗が折れ
ベルリンに赤旗が早くもあがったため
三ヵ月後ときめられたソヴェートの参戦日が
歴史の空に大きくはためきかけたのを

〈原爆投下は急がれる
その日までに自分の手で日本を叩きつぶす必要を感じる
暗くみにくい意志のもと
その投下は急がれる
七月十六日、ニューメキシコでの実験より
ソヴェートの参戦日までに
時間はあまりに僅かしかない!〉

  4

あのまえの晩 五日の深夜、広島を焼き払うと
空より撒かれた確かな噂で
周囲の山や西瓜畑にのがれ夜明しをした市民は
吠えつづけるサイレンに脅かされながらも
無事な明け方にほっとして家に引返し
のぞみのない今日の仕事へ出かけようと町に道路に溢れはじめた
その朝 八月六日、その時間

君は工場へ父を送り出し
中学に入ったばかりの弟に弁当をつめてやり
それから小さい妹を
いつものように離れた町の親戚へ遊びにやって
がたつく家の戸に鍵をかけ
動員の自分の職場へ
今日も慣れぬ仕事に叱られに出た、

君は黙って途中まで足早に来た、
何かの気配でうつ伏せたとき
閃光は真うしろから君を搏(う)ち
埃煙(あいえん)がおさまり意識が返ると
それでも工場へ辿りつこうと
逃げてくる人々の波を潜り此処まで来て仆(たお)れた
この出来事の判断も自分の中に畳みこみ
そのまま素直に眼を閉じた、

少女の思いのそのなかで
そのとき何がたしかめられよう
その懸命な頭の中で、どうして原子爆弾が計られよう
その手は未来にあこがれながら地に落ちた小鳥のように
手首をまげて地上にひろげられ
その膝は
こんなところにころがるのが、さも恥しいというように
きちんと合せてちぢめられ
おさげに編んだ髪だけが
アスファルトの上に乱れて、

もの心ついてから戦争の間で育ち
つつましくおさえられて来たのぞみの虹も焼けはて
生き、働いていることが殊さら人に気づかれぬほどの
やさしい存在が
地上いちばんむごたらしい方法で
いまここに 殺される、

〈ああそれは偶然ではない、天災ではない
世界最初の原子爆弾は正確無比な計画と
あくない野望の意志によって
日本列島の上、広島、長崎をえらんで投下され
のたうち消えた四十万きょうだいの一人として
君は死ぬる、〉

きみはそのとき思ったろうか
幼いころのどぶぞいのひまわりの花を
母さんの年に一度の半襟(はんえり)の香を
戦争がひどくなってからの妹のおねだりを
倉庫のかげで友達とつけては拭いた口紅を
はきたかった花模様のスカートを、
そして思いもしたろうか
此のなつかしい広島の、広場につづく道がやがてひろげられ
マッカーサー道路と名づけられ
並木の柳に外国兵に体を売る日本女のネッカチーフが
ひらひらからんで通るときがくるのを、
そしてまた思い嘆きもしたろうか
原子爆弾を落さずとも
戦争はどうせ終っただろうにと、

いいえどうしてそのように考えることが出来よう
生き残っている人々でさえ
まだまだ知らぬ意味がある、
原爆二号が長崎に落されたのは
ソヴェート軍が満州の国境を南にむけて
越えつつあった朝だったこと
数年あとで原爆三号が使われようとした時も
ねらわれたのはやはり
顔の黄色い人種の上だったということも、

  5

ああそれは偶然ではない、天災ではない
人類最初の原爆は
緻密(ちみつ)な計画とあくない野望の意志によって
東洋の列島、日本民族の上に
閃光一閃投下され
のたうち消えた四十万の犠牲者の一人として
君は殺された、

殺された君のからだを
抱き起そうとするものはない
焼けぬけたもんぺの羞恥を蔽(おお)ってやるものもない
そこについた苦悶のしるしを拭ってやるものは勿論ない
つつましい生活の中の闘いに
せい一ぱい努めながら
つねに気弱な微笑ばかりに生きて来て
次第にふくれる優しい思いを胸におさえた
いちばん恥じらいやすい年頃の君の
やわらかい尻が天日(てんじつ)にさらされ
ひからびた便のよごれを
ときおり通る屍体さがしの人影が
呆(ほう)けた表情で見てゆくだけ、

それは残酷
それは苦悩
それは悲痛
いいえそれより
この屈辱をどうしよう!
すでに君は羞恥(しゅうち)を感ずることもないが
見たものの眼に灼きついて時と共に鮮やかに
心に沁みる屈辱、
それはもう君をはなれて
日本人ぜんたいに刻みこまれた屈辱だ!

  6

われわれはこの屈辱に耐えねばならぬ、
いついつまでも耐えねばならぬ、
ジープに轢(ひ)かれた子供の上に吹雪がかかる夕べも耐え
外国製の鉄甲(てつかぶと)とピストルに
日本の青春の血潮が噴きあがる五月にも耐え
自由が鎖につながれ
この国が無期限にれい属の繩目をうける日にも耐え

しかし君よ、耐えきれなくなる日が来たらどうしよう
たとえ君が小鳥のようにひろげた手で
死のかなたからなだめようとしても
恥じらいやすいその胸でいかに優しくおさえようとしても
われわれの心に灼きついた君の屍体の屈辱が
地熱のように積み重なり
野望にみちたみにくい意志の威嚇(いかく)により
また戦争へ追いこまれようとする民衆の
その母その子その妹のもう耐えきれぬ力が
平和をのぞむ民族の怒りとなって
爆発する日が来る。

その日こそ
君の体は恥なく蔽われ
この屈辱は国民の涙で洗われ
地上に溜った原爆の呪いは
はじめてうすれてゆくだろうに
ああその日
その日はいつか。


[#改ページ]



  希い――「原爆の図」によせて――

この異形(いぎょう)のまえに自分を立たせ
この酷烈のまえに自分の歩みを曝(さら)させよう

夏を追って迫る声は闇よりも深く
絵より絵へみちた涙はかわくことなく重く
まざまざと私はこの書中に見る
逃れていった親しい人々 死んでいった愛する人たちの顔を

むらがる裸像の無数の悶(もだ)えが
心にまといつくおののきのなかで
焔の向うによこたわったままじっと私を凝視するのは
たしかわたし自身の眼!

ああ 歪(ゆが)んだ脚をのべさせ
裸の腰を覆(おお)ってやり
にぎられた血指の一本々々を解きほぐそうとするこの心を
誰がはばみえよう

滅びゆく日本の上に新しい戦争への威嚇として
原爆の光りが放たれ
国民二十数万の命を瞬時に奪った事実に対し
底深くめざめゆく憤怒を誰が圧(おさ)ええよう

この図のまえに自分の歩みを誓わせ
この歴史のまえに未来を悔あらしめぬよう


[#改ページ]



  あとがき

 私は一九四五年八月六日の朝、爆心地より三千米あまり離れた町の自宅から、市の中心部に向って外出する直前原爆を受け、硝子の破片創と数ヵ月の原爆症だけで生き残ったのであるが、その時広島市の中心より約二千米半径以内にいた者は、屋内では衝撃死又は生埋めにされたまま焼死し、街路では消滅、焦死あるいは火傷して逃れたまま一週間ぐらいの間に死に、その周辺にいた者は火傷及び原爆症によって数ヵ月以内に死亡、更にそれより遠距離にいた者が辛うじて生き残り、市をとり巻く町村の各家庭では家族の誰かを家屋疎開の跡片づけに隣組から出向かせていたため骨も帰らぬこととなった。またその数日前ある都市の空襲の際撒かれたビラによるという、五日の夜広島が焼き払われるという噂や、中学校、女学校下級生たちの疎開作業への動員がこの惨事を更に悲痛なものとさせたのである。
 今はすべての人が広島で二十万ほどの人間が一発の原子爆弾によって殺されたことを知っている。長崎でもそうだ。然しそれは概括的な事実のみであってその出来事が大きければ大きいだけに、直面すれば何人でも慟哭してもしきれぬであろうこの実感を受けとることは出来ない。当時その渦中にあった私たちでさえこの惨事の全貌を体で知ることは出来なかったし、今ではともすれば回想のかたちでしか思いえぬ時間の距りと社会的環境の変転をもった。
 だがこの回想は嘆きと諦めの色彩を帯びながらも、浮動してゆく生活のあけくれ、残された者たちの肩につみ重ねられてゆく重荷の中で常に新しい涙を加え、血のしたたりを増してゆく性質をもち、また原爆の極度に残虐な経験による恐怖と、それによって全く改変された戦争の意味するものに対する不安と洞察によって、涸れた涙が、凝りついた血が、ごつごつと肌の裏側につき当るような特殊な底深さをもつものとなっている。
 今年もやがてなくなった人たちの八周忌が近づく。広島では多くの家庭が、一度に応じきれぬ寺院の都合を思い、繰り上げたり繰り延したりしていとなむ法事をそろそろひらきはじめる頃であるが、その座に坐った人たちの閉された心の底にどのような疼きが鬱積しつつあるかということを果して誰が知り得るであろうか。それはすでに決して語られることのないことば、決して流されることのない涙となっているゆえに一層深く心の底に埋没しながら、展開する歴史の中で、意識すると否とに拘らずいまや新しいかたちをとりつつあり、この出来事の意味は人類の善意の上に理性的な激しい拡大性をもって徐々に深大な力を加えつつあるのである。
 私はこの稿をまとめてみながら、この事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。
 然しこれは私の、いや広島の私たちから全世界の人々、人々の中にどんな場合にでもひそやかにまばたいている生得の瞳への、人間としてふとしたとき自他への思いやりとしてさしのべられざるを得ぬ優しい手の中へのせい一ぱいの贈り物である。どうかこの心を受取って頂きたい。
 尚つけ加えておきたいことは、私が唯このように平和へのねがいを詩にうたっているというだけの事で、いかに人間としての基本的な自由をまで奪われねばならぬ如く時代が逆行しつつあるかということである。私はこのような文学活動によって生活の機会を殆んど無くされている事は勿論、有形無形の圧迫を絶えず加えられており、それはますます増大しつつある状態である。この事は日本の政治的現状が、いかに人民の意思を無視して再び戦争へと曳きずられつつあるかということの何よりの証明にほかならない。
 又私はいっておきたい。こうした私に対する圧迫を推進しつつある人々は全く人間そのものに敵対する行動をとっているものだということを。
 この詩集はすべての人間を愛する人たちへの贈り物であると共に、そうした人々への警告の書でもある。
  一九五二年五月一〇日
峠 三吉



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