幾度目かの最期
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著者名:久坂葉子 

 熊野の小母さんへ。
 あなたには四、五年も昔から、よくお便りしてます。けれど、こんな殺風景な紙に、宿命的な味気ない字を書くことは、はじめてです。いつも、信州の紙とか、色のついたアート紙に、或いはかすれた筆文字で、或いは、もっと、面白くきれいな字――いやこれは、おこがましいかな。でも、あなたは、私の字を好んでくれました。――で、お便りしたものです。何故、この紙を選んだか、おわかりですか。実は、あなたにたよりしている気持で、私は、おそらく今度こそ本当の最後の仕事を、真剣になって綴ろうというのです。これは富士正晴氏の手に渡るでしょう。そして、彼の意志かあわれみで同人雑誌のVILLONか、VIKINGに印刷されるでしょう。その活字が、あなたの手許におくられるだろうと思います。VIKINGの同人、宇野氏が、あなたを御存知だから。私はこれを、二十二日、つい六日前に書いた〈鋏と布と型〉という舞台のものを、もう一度、あらためて、私の最後の仕事にするつもりです。これは、小母さんに関係のないことだけど、その芝居は、もし上演されるなら、私が暫くなりとも籍をおいて、既に愛着を抱いていた、現代演劇研究所で上演してほしいものです。役は、マネキンを川本さんに、彼女は音楽的な感覚をもっているし、舞踊が出来るんだ。ついでに、私ののぞみもつけたしたら、おどけたアクションをつけてほしいこと。デザイナー諏訪子は、私のはじめての芝居〈女達〉の、久良良をしてくれた前田さんに、音楽は、徳永さんにしてほしい。それから、演出は、くるみ座の北村さんが、してくれるなら、ぜひしてほしいのだ。私がするつもりだった。彼は、おそらくやってくれるだろう。この原稿も(芝居の)VILLONかVIKINGに、富士さんは、のっけてくれるだろう。
 小母さん。この原稿全部、あなたの興味ないものかも知れないことだけど、とりあえずよんで下さい。
 今、九時二十分頃でしょう、今日は十二月二十八日。御宅へ御邪魔して、神戸へ戻り、メコちゃんという、屋台の焼とり屋で、一本コップ酒、四本の、かわつきのとりを食べ、そこから、七十円で帰ったの。メコちゃんのところで、私は、こんな会話を、知らない客といたしました。その客は、三人居て盃一ぱいの酒と、ピース二本くれたんです。
「どっか、近いところで、雪がうんとつもっているところ、知らない?」
「神鍋」
「スキーしにゆくんじゃないの、雪見にゆくの、人の居ないところ」
 私は、そう云いながら、真白につもった雪の中を、ゴウ然とはしる汽車の音を、想像しました。
 一人の男は、簡単な地図をかいてくれました。神鍋の近所なんです。だけど私は、その地方に魅力がなかったもんで、びわ湖の附近に、静かな雪のところがないかと云いました。別の一人が、
「タケオがいいよ」
 タケオとは武生とかくんだそうで、米原の先、北陸線だそうです。私は其処へ行こうときめたんです。
 風邪をひいていて、のどがからからします。叔父達がきて、八畳の間で、麻雀をしてます。私は、部屋で、いろりに火をたき、湯たんぽを足にいれて、今、書いているんです。
 小母さん、一月四日、再会を約束しましたね。ごめんなさい。今日はいい日でした。ちっちゃい御弟子さんが、ソナチネなどひいている間、私は昔を思い出しました。やっぱりソナチネをやったのですもの。みんな知ってる曲ばかり。でも私の方が、ちょいとばかりあの頃、うまかったようです。さて最後に、私は、アルベニスをひきました。つい先達ての日、大阪の笹屋で、楽譜をもとめたばかりなので練習不足だし、弾きなれないピアノで、ソフトペダルが、とてもききすぎて、戸惑っちまい、不出来だったと思います。三曲とも、とても好きな曲です。タンゴには、少し思い出などあったりしてね。さてその後、御馳走をいただき、お遊びをして。でも、私は、まるで、他のことばかりを思いつめてました。
 小母さん。この前にうかがった時、実は、もうお目にかからないつもりだったのです。門のところで握手して下さいましたね。
 うんと苦しんで、その苦しみが、あなたを生かすでしょう。小母さんの御言葉を、その時、二人でガスストーヴをはさみ、煙草をすってましたっけ。そのお言葉を記憶してます。私は、二十二日、(その日の三日位後ですか)に、黒部へ行って自殺しようと決めてたのです。ああ、火がとてもよくおこってます。小母さん。小母さんの御言葉は、むごい程よ。苦しむのは、私もうまっぴらなんです。苦しむのは嫌よ。私云いましたね。三人の男の人のことを。三人のちがった愛情を、それぞれ感じながら、私、罪悪感に苦しむって。私、この三月、薬をのんで、失敗して生きかえりました。妻のある人を愛したんです。このこと、申し上げましたね。私は、生きかえって肺病になり、半年間、寝ている間、彼への愛情と憎悪に、ひどく自分をこまらせたんです。そして、にくみました。ものすごく。彼のことを人々に云いました。云う度に、彼への愛情がうすらいでゆくんだと、自分で独りぎめしながらね。病気がよくなって、彼に会った時、つめたい表情で、彼は私に、嫌味のようなことばかりを云ったもんです。私はもう自分の気持に終止符をうちました。そして、十一月頃、そうだ二十日なの、その日に、貸していた金額四千円をもらうため彼に会いました。彼はだまって、そっと、四千円出し、はやくしまえ、って云ったわ。それ迄に、私は、随分出たらめを云いました。結婚するんだ。来年。そんなことを、衝動的に、たくさん云ったのです。じっと私の顔をみてました。そして、次の木曜日、再会を、彼の方から云い出したんです。映画館の前で別れる時。握手した時。私は、自分で、彼をさげすめ、さげすめと号令しながら、だんだん、愛情を自分でみとめてしまうようになっちまった。小母さん、私はその夜、京都へ行って、別の人の、愛撫をうけたんです。彼のことを少しのべます。今、私がとても愛している人なんだ。病気で寝ている時、れもんをもって幾度か見舞に来てくれているうちに、私は愛というより、ほのぼのとした、わけのわからない感情を持ちはじめたのです。過去の人とは、まるでちがう性格だし、風貌だし、動きでした。だから、私は、過去の人とのやぶれた夢を彼に再現させようとしたのです。最初は勿論、インタレストだったかも知れません。でも、ものすごくひかれはじめました。彼の中には、清浄さだとか、純粋さは、見出せません。生活に淀んでいるみたい。おかしな表現かもしれませんが、谷川ではなしに、もう海に近い、そして船の油や、流れて来た、汚いものが浮んでいる川の中に、どこへでも行け、といった気儘気随でいる流れ木のような感じの人なんです。私は、会う度に、どんどんひっぱられてゆきました。彼も、私に、最初、興味とか、いたずら気しかもたなかったでしょうが、とても愛してくれました。十月頃だったか、いえ、九月の末頃かしら、一度、私すっかり、嫌いになったことがあります。それは、作曲家のT氏夫妻とのんでその後トーアロードで、知らぬ婦人にいたずらしたことです。大へんな侮辱を加えたんです。私は女だから、とてもそれを平気でみては居れませんでした。揚句の果、私のきらいな職業の巡査さんに、説教されたりして、いくら飲んでるからって、とてもその行為はゆるせなかったのです。その夜、泣きたいような気持でした。そして、やっぱり、私は過去の人を愛してるだろうと思ったりしたんです。だけどその後会う度に、そして手紙をもらう度に、私は自分の感情をおさえることが出来なくなりました。すっかりもう、その人のことが、心の大部分を占めはじめたのです。京都での夜、抱擁と接吻をうけて、私は、とても嬉しかったのです。過去の人を忘れてしまえと思いました。忘れられそうだった。単純よ。私は。
 小母さん、だけど、私は、駄目。一週間おいて、過去の人に会った。駅で小一時間、待った。もう冷くしよう。彼には、通り一ぺんの挨拶でわかれてしまえと思った。私は、だけど何てひどい女でしょう。あの夜程、自己嫌悪にみちたことはありません。私は、彼とのみながら、お喋りしながら、又、自分の彼への愛をみとめてしまったのです。彼の本当の愛情を感じることが出来たんです。彼を私は誤解してたんです。彼はやっぱり、私を真実に愛してくれてました。現実とか、社会とか、そんなことをはなれて、愛し合うのだとお互い申し合せました。彼には子供が生れ、私は、その一人の、私にとって何かみえないつながりのあるその子供のことのために、彼の妻より一歩さがった、愛情をもちつづけはじめたんです。彼のことを悪く云い、そう思ってた私自身を、恥じました。大へんな罪悪感なんです。でも彼は私をとがめなかった。ゆるしてくれたのです。後悔しない。私は今幸せだ。私のその言葉に、彼は、喜んでくれたのです。二人で歩きました。小母さん。私達は、ある横道の、うすぐらい道のほとりにある、一部屋にはいりました。あなたの子供がほしい。私はさけんだのです。小母さん。私は真実それをねがった。だけど小母さん。私は、新しく愛した人の存在が、私のすぐ傍によこたわっていることに気づきました。別れるなんぞ云わない。又会う日までと云って、自動車から降りて行った過去のその人の後姿を見送って、一人になった時、私は、恐しさで一ぱいでした。私は家へかえり、いそいでレター・ペーパーを、ペンをとり、新しく愛しているその人に、手紙をかきました。(いや、その翌日だったかも知れませんが)罪深い女だと。昔愛した人に会ったのだと。そして過去の彼を愛しているんだけど、その過去は、たちきられたものじゃない。現在につながる過去なんだ。手紙が彼のところへついた翌日だったか、その日か、彼は夜おそく、神戸へ来ました。そして、過去愛してたというのか、今なおかを私に問うたのです。私は、過去だと云ったんだ。過去はたしか。だけど、過去は現在につながっているのだ。やはり今も愛しているんだ、って云えなかった。別の感情で二人の人を愛しているなど、それは、実に卑劣ないいわけです。だけど、実際私は、そうだった。それは夏の太陽みたいな、輝かしい猛烈な愛情を求める気持と、静かないこいのような沈んだ青色のような愛情を求める気持と。だから私は、もう過去の人へ行動はしないつもりでした。
 小母さん。私は頭の中が整理出来ない。いや心の中を整理することが出来ない。だから、ゆっくり思い起して、事実をかいてゆきながら、ぬけているところもあるだろうと思います。だけど、私は小説書いてるのじゃない。正直な告白を、真実を綴っているのです。だから、ここにかかれたことは、すべて、まちがいなしに本当なんだ。本当の私の苦しみで本当の私の自責なんです。
 小母さん。順序よくかくことが出来ないし、字も荒れて来た。だけど私、止めないで書いている。
 小母さん。それから、未だ一人の男性が私の附近にいるのです。彼を、青白き大佐とよびましょう。そのいわくは後にして。彼とは、夏すぎに妙なお見合いをしたんです。病気がよくなり、だけど私にとって希望も何もなく、誰でもいいから結婚するわ、と洩らした言葉を、青白き大佐の兄貴がきいて、私と大佐を私の部屋で会わしめたんです。ところが、お互いに好きになれなかったため、何のはじらいもなく、ずけずけ云い合ったもんです。彼が作曲をしてたんだということをきいて、音楽のことなど、まるで色気もなく喋ったもんです。その後、家にレコードをききに来たり、お茶をのみに行ったりしましたが、私は、彼の才能に、びっくりしながら、好感さえも抱いてませんでした。今、商売人の青白き大佐が、音楽の話などして、郷愁ではすまされぬ心の動きを、私はにやにや笑って面白半分にみてました。私がひきあわせた作曲家のクヮルテットの楽譜をみて、彼はおそらく、気持がおだやかじゃなかったことでしょう。喫茶店や何かで、いい音色に出くわすと、彼は堪らなく落ちつきなく、耳にはいる音の流れを追っているのです。私は意地悪く、その表情を観察したりしてました。
 小母さん。青白き大佐は、私を嫌いだ、嫌いだといってたのです。だけど、よく私を訪問しました。そのうち、私は青白き大佐と結婚したら、幸せになれそうな気がしたのです。彼は、とても大人だから、私が何を云おうと、何をしようと、眺めてくれるんです。私は神経をつかわなくて済むし、気楽だろうと思ったのです。そして、私と青白き大佐は、遂に婚約しました。それがふるってるんです。契約書をとりかわしました。拇印を押しました。だけど、私は実際のところ、真剣に結婚を考えてはいなかったのです。だから、買主が大佐、売主が私。売物は売主と同一のもの、但し、新品同様、履行は、昭和二十九年。さらい年です。など二人でとりきめながら、至極かんたんに契約したわけなんです。彼の気持などは、私、ちっとも考えないし、想像もしなかった。それが、十一月十七、八日のことです。人に若し喋ればこの契約は放棄になるなどという条件まで、すみでしたためたものです。ところが、私は、まるで冗談半分だったので、四五人の人に、結婚するんだと云いました。しかも、来年しますなどと。何故、大佐が結婚を昭和二十九年にしたかは、後ほどにまわします。だから私の過去の人に会った時、結婚するんだ。その人はかつて作曲家で、など云ったのは、まんざらでたらめでもなかったわけです。大佐は、私が、新しく恋をしていることも過去の人をまだ愛し、そのために苦しんでいることも知っているんです。京都での一夜の時も、大佐は傍に居ました。だけど私は平気でした。何故なら、大佐とは、お互いに惚れぬこと、などという条件があったのですから。それに私は、恋愛を結婚までもって行くことに反対してたんです。私のような、過激な、情熱のかたまりみたいな女は、恋愛して、そのまま結婚することは、とても出来ない。恋愛を生活に結びつけられないんですの。
 小母さん。それに、私には、三代目の家族が傍にあるのです。三代目の家族の一人なんです。有名な親をもち、有名な祖父、曽祖父をもち、貴族出の母親をもっているんです。その悲劇は、どうせ、このつづきにかきますから、今ははぶきましょう。私を死にいたらせる一つの原因にでもなるんでしょうから。一番大きな原因と云えば、勿論、厭世でもなく、愛情の破局ですけれど。
 小母さん。今ちらと、小母さんと共にすごしたあのふんいきを思い出しました。いつもいつも花がありましたね。小母さんは花が好きな人。田中澄江さんという劇作家の人の作品には、必ずのように花が出てくるそうです。だけど、小母さんと花の方が、もっともっと近よったつながりがあるみたいだと思います。
 さて、もとへ戻して。
 小母さん。私は三人の人が私の心の中でメリーゴーランドのように、ぐるぐる私のまわりを舞い出しているのを、おだやかな気持で見てはいなかった。だけど、それは長くはなかった。私は新しく恋をした人に、すべて、私の心がひきずられてゆくようになったのです。青白き大佐とはよく会いました。だけど、まるで私はいつも他のことを考えてたようです。子供が生れたら、ピアニストにするんだなんて冗談を云いながら、私は、彼の子供なんか、生める筈はない。生みたいと思わない。と心の中で思ってました。だけど、気にかかることが一つあったのです。何故、彼が、すぐに結婚すると云わず、二十九年にしたかということです。ああ、その告白をきいた時、私は身ぶるいをした位です。このことは、世界中に私しきゃ、大佐と私しか知らないことなんだ。だから、やはり、ここに書けない。唯、一人の女性がからんでいる――私の知らない――ということだけをのべましょう。私はその話をきいて、彼が不幸だと思いました。そして、私のような罪深い女――その時すでに、私は、過去の人に対する罪悪感と、新しく恋をした人に対する罪悪感とで、苦しんだのですから、過去の人に一生あなたを愛すると思い、告白し、新しく恋をして彼の愛情にそむいたこと。それを、心の隅にのこされている過去の人へのやはりわずかな愛情を、新しい人へそむいてるみたいな気がして。――と一しょになって、慰め合うことが、いいのじゃないかとも思い直したりしたんです。そのちょっと前に、私が非常に愛しはじめた――その人のことを、鉄路のほとり、と呼びましょう。彼は高架の下のしめった空気がすきなんだから――その人、鉄路のほとり、とのある心の事件があるんです。異人街の道をあるき、別れる時に、彼の過去をきいたのです。勿論、すでに私の過去を彼は知っているんです。誰ということも。鉄路のほとりと、私の過去の人、かれを緑の島と呼びましょう。沖なわ節をよくきかせてくれたから――とは知り合いなんです。それはさておいて、彼の告白は痛く私の胸にささりました。というのは、どうして、キャタストロフがきたのかと尋ねたら、お互に嫌になったんだ、と彼はこたえたのです。そんなことあるでしょうか。そんな恋が存在するのだろうか。そして、その彼女、私はみたことがあるんですが、彼女と鉄路のほとりとは毎日のように顔をあわしているんです。平気でおそらく喋ることもするだろう。何てことでしょう。まるで不透明。まるで馴れ合いの恋なんだ。嫉妬深い私、だけど、私は嫉妬したりはしなかった。唯、いやなことをきいてしまったと思ったんです。本当のところ、私はすこし彼への愛情がへっちまったようでした。翌日会った時、あなたがわからなくなった。と私は云いました。恋って、もっと真剣なものである筈。
 そんな私の心の動きがあったため、青白き大佐に、ある感情――つまり一しょになっていいだろう――を持ったのです。
 小母さん。退屈? でも辛抱して下さい。私は書きつづけます。今、麻雀が終ったらしく、家族の人が、点棒のかん定を大きなこえで云い合ってます。
 私の心は穏やかではなかった。ざわついていて、神経がぴりぴりしてて、いつも空虚のようで、いや又反対に一ぱいにつまりすぎている心。恋愛のことの他に、仕事が出来ない。書けない。家庭のこと。そんなことも余計に神経をぴりぴりさせた原因にもなるでしょうが、とにかく一刻として落ちつきがなく、日常には、義務的な仕事が多く。というのは、私の芝居が上演されることになったんです。間近にせまっている。その芝居の音楽を作曲し、弟にトランペットをふかすこと、太鼓のアレンジ。切符のこと、税務署に文句をつけられたり。朝から五六本も電話がかかる。新聞のコントたのまれる。この二月に描いた、唐津での陶器がおくられ、その代金を書留で送ったところ、郵便局の手ちがいで、何度も念を押しにいったり、私は、実にオーヴァーワーク。疲れてるから、ますます神経が鋭敏になり、いらいらする。
 さて、舞台稽古の日になった。十二月の十二日。私は、太鼓をかりに、知人のところへ行き、太鼓をかりた。小母さんのところにも寄ったんだっけ。かすりの着物をきてた時よ。私の描いた帯しめて。御影の駅で、木綿の大きな風呂敷に太鼓をつつみ、それをもって、その時、私は、鉄路のほとりに会いたい気持で一ぱい、大事な仕事が山積のようにあるのにかかわらず、大阪へ行ったのです。よく行く喫茶店へゆきました。彼が居そうな気がしたんです。ドアを押しました。鉄路のほとりは、女の人と一しょに話をしてたんです。私は途端に、かあっとなった。今から考えると私は実にあわて者。だけど、すぐそうなるの。それがたとえ、彼の妹であろうとも。私は会釈をかろうじてした。知ってる喫茶店の女の子が、何その風呂敷? と私にきいた時、たいこ、とこたえる声が自分でかすれてるのを知りました。はなれたコンパートメントにこしかけて、私は煙草に火をつけて、胸の中でガタガタ鳴っているものを落ちつかせようと努力しました。しばらくして、――その間、私は鉄路のほとりの方を、ちっともみなかった――鉄路のほとりは私の傍へ来ました。五時に来るからまってて、と彼は云いました。私はうなずいた。だけど待つ気はなかったのです。ドアのきしむ音、二人の足音がもつれ合って出て行く。私は、コーヒーをのみ、気持をおちつかせました。私の次の行為、緑の島へ電話をしたのです。全く、衝動的に受話器をとりあげたのです。緑の島は居合せました。私はおいそがしいですか、とききました。暇だと云うのです。そして出かけて行くと云うんです。私は、居所を教えました。丁度、私の友人の作曲家――度々この人のことが出て来ますが――の仕事を頼む口実があったわけで、緑の島は、その仕事を一つ、持って来てくれたのです。私達は、自動車で別れた日以来、半月ぶりで会ったのです。穏やかに語らいました。主なことは音楽の話でした。それから、線の島の仕事のこと。次から次から、話はつきません。だけど小母さん、私達は、静かに話し合っているのですよ。お互いにお互いの心をほしいとは思わないんです。それは、もうすでにすぎた恋だったわけ。小母さん。やはり終っちまった恋でした。それでよかったんだ。私は、ほっとしたんだ。だから五時迄に彼が帰ることをねがった。やはり、私は、鉄路のほとりを待つ気になったのです。しかし。五時五分前。私は時間をきいた。喫茶店の女の子が、五時五分前をしらせてくれた。その時、緑の島が、のみに行こうと云ったのです。私は何てみにくい女でしょう。緑の島に対して、何らの感情をもたないままに、一しょに外へ出たのです。鉄路のほとりに名刺をかいて、勿論、緑の島には気づかれぬように。何てみにくい私の姿。帰りたくなったから帰るという、いやな言葉を名刺にかいて、濁ってきたない私。緑の島と私はのみにゆきました。そこでも、おだやかに喋ったもんです。ピアノがおいてあって、アルバイトの音楽学校出身だという女の人が、ショパンを弾いでるのをお互いに苦笑してきいていた。まずいショパンだったから。そして、子供の話をしたんです。青白き大佐も私も子供をピアニストにするって云っているのですと。しらじらしく。まるで、自分の心に存在しない問題を。平気で。私は、もう自分をうんとみにくくして、自分で苦しんだらいいんだと思ったのです。自分の心、感情と、自分の行動との、ずれがひどくなる一方。不均衡な不安定な、いやあな気持に自分をおいて、自分に対して、唾をはきかけ、自分に対して、あしげにして、何といういじめ方。
 小母さん。私はどうしてこれ程までに、自分を自分でみじめにしなきゃ済まされないのでしょう。私をみじめにしないで、と何度も鉄路のほとりに云いました。けれど、考えてみると、自分で自分をみじめにしているんです。
 ――お互いに、おいらくの恋みたいね――
 と緑の島と私は握手をして、駅の近所で別れました。
 私は神戸へもどりました。着物を着替えに家へ帰り、さて、今夜徹夜の舞台稽古へ、十一時前に行くことにしたのです。行くほんの少し前、青白き大佐より電話がかかり、喫茶店で少し喋ってから一しょに会場へゆきました。青白き大佐には、何でも云うから、今日の出来事もつげました。だけど、彼さえも、私の自虐的な、みじめな、けがらわしい行為を、すっかりはわからなかったでしょう。彼は、よく私を理解しているようでしたけど、やっぱり、心の底までわかりはしなかったと思います。会場へ行った私は、演出する人から、鉄路のほとりが神戸へ来ていることを知りました。一刻も早く会いたい。そして一刻も早く、私のみにくさを告げて、ゆるされたい、そう思ったのです。鉄路のほとりはのみに出かけたらしく、又帰って来るということを知りました。その間、仕事のことで多忙。だけど私の心は、仕事のことなど考える隙さえなかったのです。楽屋へはいり、気持のいらだちを、お薬をのんでごまかそうとし、太鼓の具合をしらべ――これは青白き大佐がたたくことになってたのです――さて、又、もう帰って来るだろうと舞台の方へあがったのです。いました。彼は、仕事を、装置を手伝ってくれてました。私が傍へゆくと、ぽんと私の頭をたたき、すぐに仕事をつづけてました。
 それからいよいよ舞台稽古。鉄路のほとりと私は隣合せに腰かけました。彼はもう、芝居のことで一ぱいのようなんです。私はそのことでも私自身恥じました。さて、彼は、私に代って、随分、注意をしてくれたのです。それで、研究生達の間に少しいざこざが出たのですが、そのことはさておいて、丁度、私のものの上演の稽古が終った頃、もう朝です。もう一本の稽古がはじまりました。彼は客席で横になって寝てました。私は、毛布をかけながら、もうとても自分のみにくさが、彼の私への愛情に値しないようないたましい気持だったのです。青白き大佐は、用事をしに出かけてゆきました。私と鉄路のほとり、二人になる機会がおとずれました。二人で、おひる頃、コーヒーをのみに出たんです。ストーヴのある、会場の近くの喫茶店で、鉄路のほとりは大へん不機嫌だった。だけど、私は、もう、たまらなくなって、昨日のことを云ったのです。緑の島と会ったことを。彼は、黙ってました。いつまでも黙ってました。私に会いたくて、神戸まで来たことを私はきいていたんです。――まあいい、芝居の手伝いしたことだけで、いいんだ――彼は私にぶっつけるように云ったのです。二人が会ったのは、久方ぶりでした。だから私は、その前日に彼へ速達を出しているのです。とても不安な気持。出来るだけ早く会いたいということ。そして会ったその時、何とお互いにもつれてしまったのです。彼は帰ると云いました。私は泣きじゃくりながらひきとめました。駅までゆき、猶もひきとめました。丁度、作曲家の友人に出会い、彼もひきとめてくれたのです。喫茶店へはいりました。私はもうすっかり精神が錯乱しちまって、何を云ったのかわからない。一人で喋ったのです。
 もう、つながりがないのだ、と彼が云ったからです。私は、がく然としたのです。今こそ、本当に緑の島とのことも解決されて、彼に何もかも奪ってほしい気持になってたのですから、その気持が強かったからこそ、私は彼の言葉におどろき、何とかして、愛情をよびもどそうとあせったのです。彼は、私の目に真実がないのだと云いました。そうだったかも知れない。私は、心のある部分で、緑の島を愛し、それから、安楽椅子をちゃんとつくったりしていたのだから。それは青白き大佐なんだ。痛ましかった。私のお喋りに、彼は、俺に説教するつもりかと云った。そしてせせら笑いもしたのです。芝居の公演の時間がもう後わずか、作曲家の友人は先に出てゆき、私と彼は、いがみ合っている。もう時間もない。私は彼を駅へ送りに行った。私は、結婚してほしい、とねがったんです。青白き大佐との契約書を持っていながら。勿論、その契約書は、返却するつもりでした。でも、返却してから云うべきだったろうと今思います。彼はむずかしい顔をして帰ってゆきました。私は、自動車で、あわてて、会場へ戻り、さて、公演。自分の芝居が公演されるということは、とても単純によろこべないことです。演技者にも演出者にも私は本当に感謝してますけど、私自身とてもおちついてみることが出来ません。私は、一回目の公演が終り、夜になり、芝居のことよりも、鉄路のほとりのことで一ぱいでした。青白き大佐は、私に云いました。真剣に愛しているなら、二回目の公演が終れは、京都へ行くがいい。そして、もう仕事も何もほったらいいんだ。私は随分考えました。だけどやめたのです。芝居ほったらかしたら駄目だぞ、と鉄路のほとりにわかれる時云われたのです。私は行かぬことにしました。その日の公演の後、私は泣きじゃくりながら、酒を何杯ものみました。私は随分何か云いました。だけど本当の気持は、自己嫌悪で一ぱいだったのです。へたな台本、そして、きたない行為。そして、小説が書けないということ。そんなことが、私を無茶苦茶にしたのです。だけど、その中に、私の鉄路のほとりへの愛情は、どんどん深くなってゆくのを私はみとめました。朝が来るまで、私は、泣いて居りました。青白き大佐は、楽屋の寒いところで、私を慰めてくれました。私は、自分一人でどうすることも出来ないこの気持を、多少なりともわかってくれる青白き大佐に感謝すると共に、彼に頼る自分のみにくさに又責められるのでした。
 翌朝、ごめんなさい、という電報を私は、鉄路のほとりに打ちました。若しや、私の芝居の公演を、みに来てくれまいかと、客席を探したりもしたのです。私は、のみつづけました。最後の公演は、何だか悲しい気持でみていました。神経のたかぶりはおさまってましたけれど、これが、ひょっとすると最後の仕事じゃないかとも思って、そして自分のつくったせりふを、自分自身こだまして戻ってくることを、奇妙だ、(これは劇作家の人、どんな気持なのかわからないけれど)とさえ冷静に、その奇妙さを分解したりもしました。芝居が終り写真をうつしたりしました。私はその時既に死を決していたのです。決して、単なるセンチメンタルではない。自分で自分の犯した罪を背負いきれなくなり、もうこれ以上苦しむのはいやだと思ったのです。その時。私は青白き大佐と、少しのみにゆきました。ふぐなどを食べ、その時はもう静かな気持で居たのです。あくる朝、芝居の後始末でごたごたした日を送り、その翌日、私は夜おそく、作曲家の友人から電話をもらったのです。鉄路のほとりの手紙をうけとっているということです。私は、翌日届けてくれるようにつげました。でもその手紙に期待はしなかったのです。いろんな事情で、私はやはり当然自分を死なせるべきだという気持だったので。でも、それでも早く手紙がみたいのでした。机のあたりを整理して、金銭の(借金)勘定もし、焼却するものもまとめたりしました。私の友人のある令嬢が訪ねて来たのは、その日でした。私の表情から何かをとったのでしょう。いつもなら、笑顔でむかえるのに、むっつりしているし、彼女の話はうわの空だったのですから。彼女は、私が変った、とかそんなことを云ったようです。私は随分ひどいことを、ひどいというのは彼女の気持を察しないではないんです。でも本当のことをずけずけ云いました。彼女は泣いていたようです。その夜、研究所で、私は、鉄路のほとりの手紙をうけとりました。それはもう書けません。
 小母様、私にとって全く悲しい手紙であったのです。しわくちゃにまるめました。けれど、その夜、又よみ返しました。私は、私の心の中に喜びも発見出来たのです。彼は私を愛してくれています。私はそのことを感じることが出来たからなんです。感じることが出来たのですよ。小母さん。
 今、ファイアーエンジンが通りました。犬が鳴く、風の音、吸取紙はもうとてもよごれっちまっている。私の心は静かです。平安です。書いているうちに、静かになって来たんです。もう三時頃じゃないかしら。小母さんまだまだつづくのです。そうだ小母さん。その翌日。私は小母さんの家を訪問したのじゃないかしら。そして二十人目のことをきいたのだろうと思うわ。アルベニスを弾くって云ったわね。あの音譜、青白き大佐とかいにゆき、彼があの音譜の一頁目に、青白き大佐と共に(Avecun pale Colonel)と書いてくれたわけ。それは、ミローの歌曲のある一つの詩の一節に出て来るんです。ところが、この詩の曲は、レコードには省かれています。(このレコードのことは後に出てくるんです)
 小母さん。小母さんと二人で、あの日、喋ったことは、さっきちらと書きました。私の苦しみ、せめ、それを、私は洩らしたのですね。それから家族のこと。生きてはゆけない気持のことを。あの日、あれから、大阪へゆきました。鉄路のほとりに会うために、彼に電話をしました。
 ――いや、小母さんの家へ行ったのは、その次の日だったかな。少しわからなくなりました。というのは、青白き大佐と、富士正晴氏と一しょに居た記憶もあるようですが――とにかく、鉄路のほとりの居るところがわかり、彼は、八時頃まで仕事があるといいました。唯、会いたいから、会ってほしいと云ったのです。私は、いつもゆくその喫茶店――レコードを鳴らしてくれるところなの――で八時迄まつことにして、それよりおそくなれば、他のところということにしました。私は、紙と封筒とペンを用意してました。鉄路のほとりに手紙をかきました。――真実のことを、感じてほしい。だけど会っても、あなたは感じてくれない。だからもう会わない。本当だということをあきらかにするだろうところの一つの行動を私はとります。私は幸せ。あなたの愛を感じ、あなたを愛する自分の気持も誰にだってほこれるものだから。だけど、唯それを感じてもらえないことは、不幸せかも知れない――というような手紙です。ドビュッシーの海をやってました。私は、青白き大佐に、契約破棄の文章をかきました。それは糊づけしないで、自宅へ帰って、契約書をいれるべく、心得てました。それから、富士正晴氏にかきました。私の原稿二つ、彼の手許にあるのは、発表しないでほしい、ということ。それから、私の友人の令嬢へ、やさしい手紙を。それだけ書き終えた時、喫茶店の主人が、いたずらがき帳をもって来てくれました。何かかいて下さいと。私はホットウイスキーをのんでいたし、多少、私の死と結びつけて考えられたので、いたずら書きをしました。いつもの皿に絵をかく調子で、さらさらと、海の中のと、花鳥の群とを。八時十五分頃、そこを出て、青白き大佐が、九時にまっているという喫茶店へ自動車をとばし、今夜は会いませんという置手紙をして、鉄路のほとりと会うところへ行きました。そこは緑の島の仕事場なのです。然も、私が依頼した作曲家の仕事の出来上りの日で、緑の島も、作曲家も居るのです。私は、緑の島と視線をあわせ、一言二言しゃべりました。いつものように、緑の島の、私への愛情をその瞳に感じました。だけど私は、私の目はもう何の誰に対する目と一しょだったでしょう。そして廊下に、鉄路のほとりらしき声をきき、その時こそ、私の瞳は輝いたことと思います。会いました。打ちとけるように私は、もう片意地もすてて、ほほえみました。自然にほほえんだのです。緑の島が部屋を出て行ってから、鉄路のほとりははいって来ました。私は、彼に手紙を渡しました。丁度、作曲家の彼が、青白き大佐と面会しなきゃならぬ用があり、私は、青白き大佐との喫茶店へ又電話をかけ、大佐に居るように伝えてほしいと云いました。私と、鉄路のほとりとは口をききません。彼はすぐに私の手紙をよんでました。作曲家の友人と三人で、私達は道をよこぎり、青白き大佐の待つところへ行ったわけです。道で、私はもう何も云わないで下さい、と鉄路のほとりに云いました。彼はうなずきました。それから小一時間もして、閉店でおん出され、少しのみに行ったのです。そして終電車まで居りました。省線の駅で、私と青白き大佐と作曲家は、鉄路のほとりをひきとめ、神戸へ行こうとさそいましたが、遂に彼は、ちがうプラットの方へあがってゆきました。今晩もう一度、この手紙をよくよんでみる。彼は小声で私に云いました。だけど、私は、もう二度と会えない気がしたのです。だから、彼の後を追ってプラットへあがりました。彼は、私に、京都へ来ないかと云いました。優しく彼は云ったのです。私はすぐにゆくと云いました。ところが、ものすごくとめたのが青白き大佐なんです。小母様。私は、鉄路のほとりと握手をしました。涙がこぼれそうでした。別のプラットへあがって、京都行の電車が出てゆくのをじっとみていました。若しや彼は、電車にのらなかったのじゃないか、などとも思いました。彼は帰ったのです。電車の後尾燈は、遠くみえなくなりました。こんなことは、まるで三文小説みたいに、陳腐なこと。でも、私、ほんとにもう会えないんだ。と自分の心で決めてしまっていたものですから、随分たまらなかったのよ。その夜、家へ帰って、寝床にはいった頃、鉄路のほとりから電話をもらいました。行動とは、今晩かというのです。私の母は目をさましてますし、電話は家の中央なのです。私は、いいえと云いました。そう、じゃおやすみ、彼はそう云いました。私もおやすみなさい、と云って、いやまだ何か二言三言しゃべったようですが、受話器をおろしたのです。私はもうすっかり心に決めておりました。二十二日に黒部へゆくことに。何故二十二日になんかしたかと云えば、仕事の残りの始末をしてしまいたかったのです。切符代の集金やら、それに芝居の批評会にも出なきゃならなかったので。
 小母さま。その翌日に、私の心をますますかためたことがあるのです。作曲家の小さな坊やをつれて、公園行きを、前々から約束していたので、作曲家の彼に、大阪からの終電車の中で翌朝、坊やと約束をはたそうと云ったのです。
 小母様、この日のことは、一度、眠ってからあしたかきましょう。何故って、腕がだるくなっちまったの。今日は、朝のうち、随分ピアノ練習したし、それに、煙草が残り少ないの、今晩中に書きあげることは、出来かねるので、――煙草なければ駄目なの――さむくなりました。じゃあ一まず、お休みなさい。小母さま。

 五時間も眠ったかしら。朝、家の中でがたがた大きな音をたてるので目ざめてしまうのです。古い家屋なのでとてもひびくのよ。私は寐床の中で夢を思い出していました。レコードの針を一ぱい打ちつけたもの――そのものが何だったか忘れたけれど、それに布をかぶせておいて、暫くしてから布をとりはずし、唇を寄せて、すうっと空気をすうのです。そうすれば子供が生れる。そんなことを、S新聞社のN女史が一所懸命に私に教えてくれている夢でした。
 おかしな夢だ、など苦笑しながら、うつらうつらしてました。と、電話の鈴。私は、鉄路のほとりだろうと思いました。ところが、それは九時すぎ、会社へ行った兄からだったのです。
 ここまで書いて玄関に呼声。出てゆきました。若しや、鉄路のほとりからの速達ではないかと。ちがいました。彼からは何にも。
 今、正午のサイレンが鳴りました。昨夜っから、十時間ちかく書いているのじゃないかしら。
 さて、いよいよ、公園でのことに戻ります。小母さん。辛抱してよんで下さいとは申しません。つまらなくなれば、とばしよみでも結構、途中でやめちまって下さってもいいの。唯、私があなたあてに書こうと思ったものですから。
 さて、公園へ作曲家のぼうやを連れてゆくのに同行したのが、青白き大佐です。私は、彼に会うことをひどくいやがる気持でもありました。彼は愛情を持っていなくとも、一しょにいることさえ、鉄路のほとりに済まないような気持になっていたのですから。ぼうやをはさんで、自動車で王子公園にむかう途上、私は、二十二日の黒部行を目の前にひかえて、その日は十九日です。神経が鋭利になっていました。その時、青白き大佐がある事件を教えてくれました。彼は、昨夜の大阪駅での、鉄路のほとりとのいきさつを私に云ったのです。青白き大佐は私の居ない時、鉄路のほとりに、例の芝居の舞台稽古の話をし、研究生から反感をかわれたことを告げ、君のために、俺は代べんしてあげたんだ、と云ったのだそうです。鉄路のほとりの答えは、
「それはさぞかし劇的であったでしょうね」
 だったのだそうです。青白き大佐は大へん腹をたてていました。私は、そのことをきき、青白き大佐に腹をたてたのです。公園へはいり、ぼうやを、木馬にのせ、遊ばせてやりながら、「私の一番嫌いなことは、あなたのために、こうこうした、って云うことです」
 と云いました。そして、青白き大佐の行為を、思わしくないように云ったのです。私、ほんとに、恩にきせるようなせりふは大嫌いなんです。彼は、自分のやったことは正しいと主張しました。私、だまってしまいました。とにかく、何もかも面倒になったのです。それより、ぼうやとうんと遊んだりしました。メリーゴーランドにものりました。もう、青白き大佐には、嫌悪を抱いてました。でも、契約解消は申し出なかったのです。封筒にいれてあるんです。昨日かいた手紙と共に。でも理由や何かを説明するのが面倒だったので、どこかへあずけて置いて、それでおしまいの方が簡単だと思ったのです。その日はそれで終りました。
 その翌日、私はいかにくらしたか記憶していません。とにかく、いそがしかったようです。あ、多分、おばさんと、喋ったのが、その日だったかも知れませんね。いやそうじゃなかったかな。私は、令嬢の友人のところへ行ったのだ。そしてたのしく話をし、丁度二十一日に、キングズアームスホテルのカクテルパーティーに私招待されていましたので、令嬢をさそったのです。外人の中で、のんだりすることは、大にが手ですけれど、彼女は好きなことなんです。そうだ、その日やっぱり、おばさんのところへ行ったんだ。その夜、研究所。私は、死を思いつめてました。私の芝居をやってくれた、とても優秀な私の好きな人や、同人の人と、いつもジャンジャン横丁へ行き、私は、随分歌をうたいました。そして、自宅へもどったのです。二十日の月曜日は、昼間、私は何をしたかすっかり忘れましたが、夜は、約束のカクテルパーティーに、令嬢を伴って、出かけたものです。さてその帰り、私は、どうしても、鉄路のほとりに会いたい気になったのです。私は京都へ行こうかと思いました。ところが、ハンドバッグの中には、百円札が二枚と、十円札がわずか。今から京都へ行っても、市電はなし、かかとの高い靴をはき、シルクのいでたちだったので、まさか歩くわけにもゆきません。私は、鉄路のほとりに電報を打ちました。明日午後三時に大阪のいつもよくゆく喫茶店で会いたいと。私は、とにかく、もう一度どうしても会いたかったのです。単にそれだけ。そして会ってから、黒部へたつつもりでした。令嬢を、自動車で送り届け、私は、自宅へ。机の上などをかたづけ、お風呂にもはいり、まっさらの下着を身につけて寐ました。
 小母様。二十二日が来るのです。私は、いつもより以上に、家庭であいきょうをふりまき、ほほえみかけました。そして十時半頃、最近かったスピッツとじゃれたりしてから外へ出ました。ズボン。それにスェーターを二三枚着て、ぼろぼろのトッパーをはおり、穴のあいた手袋をはめていました。ハンドバッグの中には、その日のため貯めておいた千円札と百円札。それに、千円の小為替。それから、真珠のネックレスと、ダイヤやルビーをちりばめた指輪。風呂敷づつみには、ペンと原稿用紙、というのは、その朝、急に書きたくなって十枚ばかりばりばり、芝居のものを書きかけたのです。いちばんはじめに書いた〈鋏と布と型〉の原稿です。それを途中で筆をおき、三時迄の余暇に、喫茶店で書きあげてしまおうと思っていたのです。さて、風呂敷の中は、青白き大佐から借りていた本二三冊、それは建築の本でした。彼が家をたてるというので、私は、そのデザインをまかされていたのです。いずれ、二人で住むかも知れない家だったかも知れません。それと封筒の中に、契約証と破約の短い文章。これは前にかきました。それ等がはいっておりました。私は、宝石屋へまず寄りました。最初の家で、両方とも三千五百円だと云われたのです。一万円は大丈夫だと思ってたのですから、がっかりしました。次の店で三千円。その次の店では、何と二千円。私は売る気がしなくなりました。品物に対する愛着はまったくないのです。しかし、引換の金額はあまりにも少い。黒部迄ゆく旅費と、若し汽車の都合で、待ったりして、その滞在費がいるわけです。私は、神戸新聞に、原稿料をもらっていないことに気附きました。で、いつもゆくレコード屋へ行って、電話をかけ、とりにゆくことをあらかじめ通知しました。さて、そのレコード屋で、その主人に会った時、彼は、私の昔の恋人です。それは、小母様、知ってらしたわね。ミローの歌曲をかわないかとすすめられました。度々そこできいていて、私、買うと云っていたものです。私は、青白き大佐にあげてもよいと思いました。そして、がんじょうに一枚のレコードをつつんでもらい、三百円とわずか、はらいました。ところへ、面白い酒場の主人がふらりとやって来て、一しょにコーヒーをのみにゆくことにしたのです。十分間ばかり絵の話など致しました。偶然そんななつかしい人と出くわすのは、たのしい気持でした。彼と別れてから、市電にのり、新聞社へゆく迄に、小さいふるぼけた宝石屋へ寄りました。今度こそ手ばなしてしまえと思ったのです。私は四千円で、指輪をうるといいました。その店では、真珠は駄目だったのです。主人は、たん念にしらべます。私は、時間がないから早くとせかせました。主人は買うと云いました。十五分もかかってからでしょうか。私はほっとしました。ところが、私のいでたちがあんまりみすぼらしく、指輪は価値のあるものでしたから、主人は私に疑いを抱いたのです。御職業、御名前、身分証明書、通帳。もう私は、すっかり嫌になって、出ちまいました。無性に腹がたってなりません。そして、いそぎ足で、神戸新聞社へゆき、八百円をうけとり、少し雑談などして、次に、郵便局へゆきました。ところが、そこでも又、身分証明書と云われたのです。私の定期入れには、名刺は、久坂のが一枚あったきり。印鑑ももってませんし、小為替は、本名宛なのです。私はすごすご(いえ大分ねばったのですが、ほつれた髪の毛のおばはんに、高飛車にことわられ)出て、次の郵便局へゆきました。駅です。そこは、小為替受附けてくれず、もう一軒近くのところへゆきましたが駄目。その近所に、私の友人がいましたから、持参人払になってますので、彼に行ってもらおうと思い、彼をたずねましたら留守。最後に、中央郵便局へゆきました。そこで私は又何度も懇願し、いろいろ説明――つまりその千円は何かを――させられた揚句、やっと受取ることが出来たのです。その金は、この間の研究所の公演の切符代。先に私が立替えてたものでした。私は又市電にのって、阪急へ。そして、急行にのりました。別に景色をみるでなく、いつものごとく、ぼんやりとしてました。私は乗物にのるのが好きで、その間、休息出来るのです。さて、時間は一時すぎでしたっけ、毎日新聞へ富士氏を訪ね、いやその前に、私は緑の島を訪問しました。彼は不在でした。何故訪問したか。唯、私の友人の作曲家のことを依煩するだけでした。もはや、何の感情も彼になかったのです。そして、富士氏と喫茶店で話をしました。よく私は死ぬんだ、とくちばしります。だから、彼には、又死ぬんだと笑顔で云いました。そうだ。その前に、私は大阪駅で黒部あたりの地図と時間表を買ってました。私は、富士氏と、冗談まじりに、その地図などみて喋り、彼は、又おいで、といって出て行きました。だけど、私はどうして先に切符を買っておかなかったのでしょう。それは、別に何の意志の働きもないことなのです。旅行する時、私はいつも、行きあたりばったりに切符を買う癖がついていたのです。東海道線で東京へゆくときも、山陽線で、西へ行く時も、先に切符をかっておくということはしたためしがなく、切符がなければ次の汽車で式でした。私は、喫茶店で一人になり、インキをかりて、原稿のつづきをかきはじめました。と、私に電話、鉄路のほとりからでした。三時にゆけぬ。六時にゆくというのです。私は待ってます。と答えて、仕事をつづけました。彼の声はとても優しい声でした。さて小一時間もたった時、ドアがあきはいって来た人、何と青白き大佐だったのです。私ははっとしました。その時の私の表情は、実にみにくかったと、彼は後で云ってましたが、彼は何か予感がしたためにやって来たのだと云いました。もう感じられています。私は、黒部へゆくといいました。そして、彼に契約証をかえしたのです。彼は、黒部へゆくのはよいけど、帰って来るようにといいました。私は、その時、何を喋ったのか記憶してません。へらへら冗談を云ったようです。でも、私の顔はひきつり、声はかすれていました。私は、罪深い女だと、そればかりが頭の中で右往左往していたようです。彼は、ゆくなら送るから、電話をしてくれ、と云いました。たしかにと私は約束し、彼は出て行きました。私の契約証を持って行ったのです。私はその時、何故か、ふっと、ひきもどしたい気持にもなり、そして又、ほっとしたようでもあるのです。私は又、原稿のつづきをかきました。鉄路のほとりから再び電話、また少し遅くなるからとのことでした。私は、六時から、レコード何を注文してもいいので、ブラームス四番を注文しました。このシンフォニーは、私が、一番好きなシンフォニーでした。さて、店の女の子が長時間をかけはじめようとし、私はペンをおき目をつぶりました。ところが最初の絃の八小節がかからなかったのです。針のおき具合がわるかったのでしょう。もう私は、気がいらいらして、全曲終る迄、殆どきいてませんでした。不愉快な曲だとさえ思った位です。ブラームスが終り、私の原稿も終りました。次はフィガロの結婚がかかりはじめました。その頃、鉄路のほとりがやって来たのです。私は、むかいの席にすわった彼を、静かなまなざしで見上げることが出来なかった。私の黒部行の気持と、彼への愛情いや愛着とが、ものすごいスピードで頭の中をまわります。黒部行の気持のはたらきは、彼に真実を訴えようとすることの他に、一切の日常事からはなれたかった理由があります。家庭のこと。そうです。私はもう、家庭でのジェスチュアをつづけることが不可能になって来ていたのです。疲れて来たのです。それによい仕事が出来ないことも、書けないことも原因だったのです。生きてることにしたら、又掩(おお)いかぶさってくる。それらのこと。それらの重さ。私は、彼に云いました。黒部へ一しょに行って下さいと。ああ小母様。私は何ということを云っちまったのでしょう。洩らしたのでしょう。彼の幸せに、彼の未来に、罪深いとるにたらない私が、遮断機をおろすことになるんです。私達は、喫茶店を出ました。私の荷物、つまり原稿と、ミローのレコードと、青白き大佐に渡すべく借りていた品々。それを預けて。重い足どりでした。私達は、屋台のめし屋へはいって、かす汁をのみました。それから駅の近所へ来ました。彼は、電報をうつと云うのです。私は、黒部へ行ってくれるのだと解釈したのです。ところが、彼は自宅あてには打ちませんでした。その夜何か会があるらしく、ゆけないという電報でした。それでも私は黒部へ一しょに行ってくれるものと信じました。十時半の汽車まで、まだ三時間あまりあります。
(小母様、私の愛用の万年筆のペン先が折れました。)私と彼は、無言のまま歩きはじめました。北の方へむかって。何も云いませんでした。そして、大きな橋まで来ました。下は汽車の線路です。煙があがって来、とても寒い風がふいて居りました。彼は口をきりました。ひどいことを云って、本当にすまなかった、と。私はその言葉を、まるで期待していなかったのです、私は驚きました。そして途端。死ねなくなるのじゃないかと思いました。私達は又歩きはじめました。何分位歩いたでしょうか。鉄路のほとりは、急に云ったのです。僕と結婚してくれますか、と。それは私にとって、期待していたことだけれど、少しも、その言葉をきけるものとは思っていなかったのです。私はもう、何もかも捨てて、彼だけで生きることが出来ると思いました。私は喜びしかありませんでした。不安も苦悩も、そうです、小母様、私はその時、罪悪感も何もかも、家庭のことも、仕事のこともすっかりなかったのです。私達は、長い間歩きました。小母様、この日、私は本当に幸せだと思いました。私は、何の疑いも何の迷いもなく、彼の愛情をそのまま感じ信じたのです。私はうれしいと云いました。本当に嬉しいでした。私達は時間がたつことを暫く忘れて居りました。私は、けれど、やがて、今日家へ戻る自分を、ほんとに情けない気持で想像したのです。私は、帰りたくないと申しました。でも、鉄路のほとりは、私に帰るようにと云いました。十時半前、大阪駅に戻りました。汽車には、まだ間に合うのです。でも私は、黒部へ行こうとは勿諭思いませんでした。私は鉄路のほとりと別れて、神戸へむかいました。そして知合いに出あい、彼にさそわれて、焼鳥屋へのみに行ったりして、帰ったのです。小母様。だけど一歩家の中へはいった私は、又、重い石を頭にのっけられたような、いやな気持になったのです。淀んだ川瀬から、救い出してほしい。誰か救い出してほしい。私は疲れ切っていました。小母様、鉄路のほとりに、私の今の立場を救い出してほしいとは云いかねるのです。彼は生活がゆたかではありませんし、今のようなお互いの気持に、現実的な問題をどうして取上げられましょうか。その夜も、兄のことで、父母は何かぽそぽそ云ってましたし、私はすぐに寐床へはいり、とても、苦しい気持になったのです。一刻も早く。私は、重石をとりのぞかせるような状態まで、自分を持ってゆきたいと。私はその夜あれこれと随分考えました。彼とのこと。それと家庭のこと。その日だって、さっさと帰ればいいものを、電車を神戸で降りると、もういやあな気持になる。十二時半までものんでいました。家から脱出したい。その方法、個人、私一人でどうしても生活すること。或いは結婚。しかし、鉄路のほとりとは、私が承諾をしただけで、それはいつになるかわからぬことなのです。彼が又、解消を云い出すかも知れません。彼には、年よった母が居ましたし、弟達も居るのですから、三番目は、やはり死。それしか、今の苦しさ、家での束縛から逃れることは出来ないのです。私は、いろいろと随分考えたものです。そして最後にうかんだのが、小母様、青白き大佐だったの。
 随分冷えて来ました。多分二時すぎでしょう。一応これで今日は終ります。ひる間は、富士正晴氏が来、それから、一しょに外へ出ました。兄との約束を忘れず、兄のところへ行ったのですけど、兄は五時に仕事を終らせることが不可能だったので、私は一まず帰宅しました。夜、兄が帰り、私の友人共が集り、その中には、ここへ書かれた人の中二人が居ます。そして、冗談をしゃべり、のみくいしましたの、私の部屋で。皆がひきあげ、風呂を浴びてから、三十枚近くかいたわけです。だからもう三時かな。明日にします。今日兄はとても快活で、私も一安心だったのです。だけど、私は皆と喋っていても、原稿をかいても、鉄路のほとりのことで一ぱいなのです。小母様、その後の出来事がまだあるのですよ。二十二日まで書きましたね。後、二十八日迄。六日間のこと。小母様、私、どうしてこうも苦しまなければならないのでしょうか。では又、明日、おやすみなさい。
 頭髪をあらって、すっかりさっぱりしましたわ。三十日の朝なんです。今日、鉄路のほとりから、何らかの連絡があると思うのです。速達を出して、今日の十時迄に、明日会うことへの返事が来るのです。このことは、又前後重複になるのであとにしましょう。
 昨夜のつづき。
 小母様、年末も年始も小母様は静かなようですね。
 さて、二十三日の朝、私は起き上るとすぐ、青白き大佐のところへ電話致しました。彼は不在でした。私はすぐ手紙を書きました。契約証を返してほしいという。小母様。何という私の行為。昨日、鉄路のほとりに求婚し、承諾したのですよ。だけど、ああ私はその行為に裏附けられるはっきりとした理由をもちません。その夜は、研究所の同人会でした。三軒ばかり飲み歩きました。そして、何もかも忘れてしまいたいと思い、わざと酔っぱらおうとしたのです。そうです。その日のひる間、私はパーマネントをかけました。青白き大佐が、すすめていたことなんです。その軽々しくなった頭髪の感じ。だけど、私は、心の中にいやなものが沈滞してました。ますます自分をみにくくし、ますます自分をきらい、ますます自分をみじめにする。その翌朝、それは二十四日、又、青白き大佐に電話をしました。彼は不在でした。私の心の中には、自分の行為に相反するもの、鉄路のほとりの存在が強くきざみこまれているのです。それなら、どうしてすぐにでも彼の許へ行かないのでしょう。私は、大阪へゆきました。そして、富士氏に会いました。だが、鉄路のほとりへ電話は致しません。青白き大佐をよんだのです。その夜、クリスマスイーヴ。富士氏と、青白き大佐と私は、大阪で少しのみました。そして、青白き大佐と共に帰神したのです。鉄路のほとりへの愛情と、自分の矛盾した行為を、冷淡に自分でみとめながら。でも、神戸へ帰って、すぐに家へ電話しました。鉄路のほとりからの連絡がないものかと。ありませんでした。丁度、その日は、研究所のおしまいの日なんです。だけど私は行きませんでした。そして青白き大佐と又のみました。彼はひどく私に説教をしました。黒部へゆくなら、本気で死ぬなら、どうして黙って行かないのかと。一体行く気持の原因はそんなに軽々しく取止めることの出来るものであったのかと。私は、ほとんど話をきいておりません。唯もう鉄路のほとりのことで一ぱいなのです。私は、青白き大佐に、別れる時、私が出した手紙はよまないで下さいと申しました。そして私自身ほっとしたのです。やっぱり私はもう何もかもすててしまうんだと。唯、ひたすらに鉄路のほとりだけを愛するのだと。私は知合いに、逆瀬川にある一室を借りる旨申出ました。私は家を出て独りになって生活しようと考えました。そうして、家庭のことの苦しみに終止符を打てば、仕事だって出来るだろうと思いました。
 青白き大佐は手紙をよまぬことを約束してくれました。そしてその翌日、二十五日に会ったのです。彼は封をしてある私の手紙を私の前へ出しました。私はひったくって破り捨てたのです。何が書いてあるのかを青白き大佐は見事にあてました。契約書のこと。そうだと私はこたえました。大佐は、その理由を別に問わなかったのです。私は三時半頃、青白き大佐と別れました。もう会うまいと思っていました。安楽な地帯を求めていた自分のくだらない、いやしい根性を捨てようと思いました。青白き大佐は大人だから、私は安心していることが出来るのです。それに恋情も愛もないのですからおだやかでいられるのです。然しどんなに不安な気持があっても、どんなにつらい生活でも、鉄路のほとりと共に送りたいと思いました。さて小母様。私は一軒ののみ屋に借金があったので、丁度父からおこづかいをもらいましたので、はらいに行ったのです。と小母様、そこのママさんが、云うのです。昨夜、鉄路のほとりが一人でのんで行ったと。私はびっくりしました。家では、彼から電話がかかったとは教えてくれませんでした。まさか昨夜来ているとは知りませんでした。私はすぐに駅へゆき、電報をうちました。二四ヒスマヌ アスアサデ ンタノム。私はそれから、研究所の忘年会へ出席しました。ものすごくのみました。鉄路のほとりは、私と青白き大佐が歩いていたのをみかけたのでしょうか。私は、偶然のいたずらに、ひどく気持をくらくして帰りました。どぶろくをたくさんのんだので頭ががんがんし、私はすぐに寝てしまいました。翌朝、二十六日、私はこちらから、京都へ電話しました。彼は出た後でした。もう電話がかかるか、もうかかるかと、その日一日、いらいらしてました。かかりませんでした。私は彼に、その朝、郵便も出していたのです。家で、あなたからの電話を教えてくれなかったため、会えなかったということを。そして私は、一刻も早く会いたいということ。
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