家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味(しゅみ)を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が好(す)きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益(りえき)がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを独(ひと)り言(ごと)に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
 わたしがものを学びたいという望(のぞ)みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝朝飯(あさめし)のお金を二スー倹約(けんやく)したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選(えら)び方(かた)はでたらめか、さもなければ表題(ひょうだい)のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序(ちつじょ)もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに利益(りえき)を残(のこ)した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
 リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。初(はじ)めのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい結(むす)び目(め)になった。いったいこの子の性質(せいしつ)はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の養(やしな)いをえるようになった。
 何時間もわたしたちはこうやって過(す)ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり句(く)なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的(もくてき)を達(たっ)しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と生徒(せいと)の美しい協力一致(きょうりょくいっち)から、ほんとうの天才以上(いじょう)のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、笑(わら)いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
 なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを現(あらわ)した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと望(のぞ)んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに残念(ざんねん)がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優(やさ)しい快活(かいかつ)な性質(せいしつ)からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑(びしょう)をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
 アッケンのお父さんには、養子(ようし)のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件(じけん)はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望(のぞ)んでもいない出来事のためにまたもや変(か)わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。


     一家の離散(りさん)

 このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独(ひと)り言(ごと)を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続(ながつづ)きしそうもない」
 でもなぜ不幸(ふこう)が来なければならないか、それをまえから予想(よそう)することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑(うたが)うことのできない事実のように思われてきた。
 そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸(ふこう)をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失(かしつ)から来ると思って、反省(はんせい)するようになったからである。
 でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過(す)ごしであったが、不幸(ふこう)が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
 わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとうの栽培(さいばい)をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易(ようい)で、パリ近在(きんざい)の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生(めば)えのうちから葉の形で八重(やえ)と一重(ひとえ)を見分けて、一重を捨(す)てて八重を残(のこ)すことであった。この鑑別(かんべつ)のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法(ひほう)にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋仲間(なかま)でも、特別(とくべつ)にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回(じゅんかい)して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練(じゅくれん)のほまれの高い一人であった。それでその季節(きせつ)にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、舌(した)も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
 そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を覚(さ)ましたときには、部屋(へや)の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵(けんぺい)が、わたしを監視(かんし)するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀(ぎょうぎ)よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋(ねべや)まで行けるかどうか、かけをしようか」
 不器用(ぶきよう)な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた静(しず)かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが夕飯(ゆうはん)のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの席(せき)を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
 しばらく沈黙(ちんもく)が続(つづ)いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯(ゆうはん)にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
 だがやくそくも誓言(せいごん)もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊(ほんぞん)だが、外の風に当たるともう忘(わす)れられてしまった。
 でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節(きせつ)がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋(いざかや)へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
 においあらせいとうの季節(きせつ)がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝(いわ)い日(び)にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼(よ)ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝(いわ)い日(び)には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝(いわ)いをしなければならない人が限(かぎ)りなく多かった。
 だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来(おうらい)のすみずみ、家いえの石段(いしだん)、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
 アッケンのお父さんは、においあらせいとうの季節(きせつ)がすむと、七月、八月の祝(いわ)い日(び)の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日(だいしゅくじつ)があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく、フクシア、きょうちくとうなどを温室や温床(おんしょう)にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要(い)るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確(たし)かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗(しっぱい)はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
 この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎくの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
 温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳(せっかいにゅう)をガラスのフレームにぬった温床(おんしょう)の下で、フクシアやきょうちくとうがさきかけていた。うじゃうじゃと固(かた)まって草むらになっているものもあれば、頭から根元(ねもと)まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚(さ)めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足(まんぞく)らしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
 こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
 かれはくちびるに微笑(びしょう)をたたえて、胸(むね)の中では、これだけ売ればいくらになるという勘定(かんじょう)をしていた。
 ここまでするには、みんなずいぶん骨(ほね)を折(お)った。一時間と休憩(きゅうけい)するひまなしに働(はたら)いたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの準備(じゅんび)ができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたち残(のこ)らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋仲間(なかま)のうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まで働(はたら)くことにして、仕事がすんだところで、門に錠(じょう)をかって、アルキュエイまで行くことになった。晩食(ばんしょく)は八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでも働(はたら)けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
 リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり好(す)きであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
 わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
 時間が知らないまにずんずん過(す)ぎていった。
 わたしたちは庭のにわとこの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。雲(くも)がどんどん空の上に固(かた)まって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
 リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは残(のこ)らず引っくり返される」
 これでもうだれも異議(いぎ)を申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの値打(ねう)ちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーを連(つ)れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
 かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももう笑(わら)う者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。砂(すな)けむりがうずを巻(ま)いて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
 エチエネットとわたしがリーズの手を引(ひ)っ張(ぱ)った。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうと試(こころ)みたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは困難(こんなん)であった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームを閉(し)めるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
 雷鳴(らいめい)がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
 風に雲のふきはらわれたとき、その深い銅(あかがね)色の底(そこ)が見えた。雲はやがて雨になるであろう。
 がらがら鳴り続(つづ)ける雷鳴(らいめい)の中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一連隊(れんたい)の騎兵(きへい)があらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
 とつぜんばらばらとひょうが降(ふ)って来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように降(ふ)って来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに避難(ひなん)しなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとの卵(たまご)ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から往来(おうらい)へすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
 わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうの降(ふ)るまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも無理(むり)に希望(きぼう)をかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ降(ふ)ったら、父さんはお気のどくなほど大損(おおぞん)になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい勘定(かんじょう)をしていらしったのだからそれはずいぶんお金が要(い)るようよ」
 わたしはガラスのフレームが百枚(まい)千八百フランもすることを聞いていた。植木や種物(たねもの)を別(べつ)にしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという災難(さいなん)であろう。どのくらいの損害(そんがい)であろう。
 わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は絶望(ぜつぼう)の表情(ひょうじょう)で、自分のうちの焼(や)け落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうの降(ふ)るのをながめていた。
 おそろしい夕立ちはほんのわずか続(つづ)いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しか続(つづ)かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは避難所(ひなんじょ)を出ることができた。ひょうが往来(おうらい)に深く積(つ)もっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは背中(せなか)に乗せてしょって行った。宴会(えんかい)へ行くときにあれほど晴(は)れ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおを伝(つた)っていた。
 まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
 なんというありさまであろう。ガラスというガラスは粉(こな)ごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょに固(かた)まって、あれほど美しかった花畑に降(ふ)り積(つ)もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
 お父さんはどこへ行ったのだろう。
 わたしたちはかれを探(さが)した。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は残(のこ)らずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
 かれはリーズをだいてすすり泣(な)きを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい結果(けっか)であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
 わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
 十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家を建(た)てた。かれに土地を売った男は植木屋として必要(ひつよう)な材料(ざいりょう)を買う金をもやはりかれに貸(か)していた。その金額(きんがく)は十五年の年賦(ねんぷ)で、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が支払(しはら)いの期限(きげん)をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す機会(きかい)ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い金額(きんがく)は、ふところに納(おさ)めたうえのことであった。
 これはその男にとっては相場(そうば)をやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が証文(しょうもん)どおりにいかなくなるときの来ることを望(のぞ)んでいた。この相場はよし当たらないでも債権者(さいけんしゃ)のほうに損(そん)はなかった。万一当たればそれこそ債務者(さいむしゃ)にはひどい危険(きけん)であった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
 わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。証文(しょうもん)の期限(きげん)が切れたあくる日――この金はこの季節(きせつ)の花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な服装(ふくそう)をした一人の紳士(しんし)がうちへ来て、印(いん)をおした紙をわたした。これは執達吏(しったつり)であった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
 こんなことを言って、かれはわたしたちに例(れい)の印(いん)をおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
 お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん弁護士(べんごし)を訪問(ほうもん)するか、裁判所(さいばんしょ)へ行ったのかもしれなかった。
 裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその結果(けっか)はどうであったか。
 そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は過(す)ぎた。温室を修理(しゅうり)することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは野菜物(やさいもの)やおおいの要(い)らないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
 ある晩(ばん)お父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
 かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて部屋(へや)を出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちと別(わか)れなければならない」
 ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうな泣(な)き声が起こった。
 リーズは父親の首にうでを巻(ま)きつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちと別(わか)れるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど裁判所(さいばんしょ)から支払(しはら)いをしろという命令(めいれい)を受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものは残(のこ)らず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ懲役(ちょうえき)に行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
 わたしたちはみんな泣(な)きだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声で続(つづ)けた。「けれど人は法律(ほうりつ)に向かってはなにもしえない。弁護士(べんごし)の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。貸(か)し主(ぬし)は借(か)り手(て)のからだをいくつかに切(き)り刻(きざ)んで、貸し主のうちで欲(ほ)しいと思う者がそれを分けて取る権利(けんり)があったそうだ。わたしはただ五年のあいだ刑務所(けいむしょ)にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
 悲しい沈黙(ちんもく)が続(つづ)いた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく述(の)べて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
 わたしが手紙を書くのはこれが初(はじ)めてでなかなか骨(ほね)が折(お)れた。それはひじょうに痛(いた)ましいことであったが、わたしたちはまだひと筋(すじ)の希望(きぼう)を持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が実際家(じっさいか)であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ希望(きぼう)を持たせた。
 けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を訪問(ほうもん)に出かけようとすると、ぱったり巡査(じゅんさ)に出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金(しゃっきん)のために牢(ろう)にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
 わたしは庭にいた二人の子どもを呼(よ)びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり泣(な)きをしてお父さんの両手にだかれていた。巡査(じゅんさ)の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に置(お)いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと順々(じゅんじゅん)にキッスして、リーズをねえさんの手に預(あず)けた。
 わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ寄(よ)って来て、ほかの者と同様に優(やさ)しくキッスした。
 これで巡査(じゅんさ)はかれを連(つ)れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に泣(な)きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
 カトリーヌおばさんは一時間(じかん)おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈(きじょう)なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの水先案内(みずさきあんない)が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを失(うしな)って、波のまにまにただようほかはなかった。
 ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人(ふじん)であった。もとはパリの街(まち)で乳母奉公(うばぼうこう)をして、十年のあいだに五か所も勤(つと)めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする目標(もくひょう)ができた。教育もなければ、資産(しさん)もないいなか女としてかの女にふりかかった責任(せきにん)は重かった。びんぼうになった一家の総領(そうりょう)はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
 カトリーヌおばさんは、ある公証人(こうしょうにん)のうちに乳母(うば)をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を訪(たず)ねて相談(そうだん)をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの運命(うんめい)を決めることになった。それからかの女は監獄(かんごく)へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後(さいご)にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
 リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って養(やしな)われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫(こうふ)を勤(つと)めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
 わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために働(はたら)きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに働(はたら)けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が好(す)きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う以上(いじょう)の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに連(つ)れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも親類(しんるい)だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら養(やしな)ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、腹(はら)いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
 わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにも求(もと)めることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
 でもわたしはみんなを好(す)いていたし、みんなもわたしを好いていた。
 みんな兄弟でもあり、姉妹(しまい)でもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する性質(せいしつ)であった。わたしたちにはあしたいよいよお別(わか)れをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
 わたしたちが部屋(へや)へはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取り巻(ま)いた。リーズは泣(な)きながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいに別(わか)れて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしが独(ひと)りぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
 もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその証拠(しょうこ)を見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは奉公(ほうこう)はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、肩(かた)にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの便(たよ)りを持って行きましょう。そうすればぼくの仲立(なかだ)ちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスの節(ふし)だって忘(わす)れてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
 みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにも喜(よろこ)んでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどその晩(ばん)はだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひと晩(ばん)ねむれなかった。
 あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へ連(つ)れ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
 かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちが別(わか)れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
 かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を示(しめ)した。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへ訪(たず)ねて行きますよ」
 かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
 わたしたちがおたがいに了解(りょうかい)しい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先に兄(あに)さんや姉(あね)さんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
 かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
 こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう望(のぞ)むか、そのわけを説明(せつめい)した。それは先に姉(あね)さんや兄(あに)さんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの便(たよ)りを持って来てくれることができるからというのであった。
 かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に刑務所(けいむしょ)へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って別々(べつべつ)の汽車に乗るために、別々の停車場(ていしゃじょう)に別(わか)れて行くという手順(てじゅん)を決めた。
 七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へ連(つ)れ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこを納(おさ)めてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸と針(はり)とはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
 エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしを置(お)いて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの銀貨(ぎんか)を二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
 わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの欲張(よくば)りをからかっていた。かれは一スー、二スーと貯金(ちょきん)してしじゅう貯金の高(たか)を勘定(かんじょう)していた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの銀貨(ぎんか)とかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしは断(ことわ)りたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に無理(むり)ににぎらせた。わたしはだいじにしている宝(たから)が分けてくれようというかれの友情(ゆうじょう)がひじょうに強いものであることを知った。
 バンジャメンもわたしを忘(わす)れはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと交換(こうかん)に、一スー請求(せいきゅう)した。なぜなら、ナイフは友情(ゆうじょう)を切るものだから。
 時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちの別(わか)れる時間が来た。
 リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんが呼(よ)んだ。
 かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本残(のこ)っていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだ折(お)った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
 くちびるのことばは目のことばに比(くら)べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに冷(つめ)たく、空虚(くうきょ)であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
 荷物はもう馬車の中に積(つ)みこまれていた。
 わたしはハープを下ろして、カピを呼(よ)んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの姿(すがた)を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に閉(と)じこめられているよりも、広い大道の自由を愛(あい)した。
 みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが優(やさ)しくわたしをおしのけて、ドアを閉(し)めた。
「さようなら」
 馬事は動きだした。
 もやの中でわたしはリーズが窓(まど)ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう砂(すな)けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに任(まか)せた。ぼんやり往来(おうらい)に立ち止まって目の前にうず巻(ま)いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを閉(し)めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた隣家(りんか)の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ置(お)いてあげよう。けれど給金(きゅうきん)ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
 わたしはかれに感謝(かんしゃ)したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事(ぶじ)で」
 かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは閉(と)ざされた。
 わたしはハープのひもを肩(かた)にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
 わたしは二年のあいだ住み慣(な)れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの前途(ぜんと)を望(のぞ)んだ。
 日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――気候(きこう)は暖(あたた)かであった。気のどくなヴィタリス老人(ろうじん)とわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒い晩(ばん)とはたいへんなちがいであった。
 こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。優(やさ)しい友だちを作ってくれた。
 わたしはもう世界で独(ひと)りぼっちではなかった。この世の中にわたしは目的(もくてき)を持っていた。それはわたしを愛(あい)し、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
 新しい生涯(しょうがい)がわたしの前に開けていた。
 前へ。


     前へ

 前へ。世界はわたしの前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へわたしは向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、わたしは自分白身の主人であった。
 いよいよ流浪(るろう)の旅を始めるまえに、わたしはこの二年のあいだ父親のように優(やさ)しくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌおばさんは、みんながかれに「さようなら」を言いに行くときに、わたしをいっしょに連(つ)れて行くことを好(この)まなかったが、わたしはせめて一人になったいまでは、行ってかれに会うことができるし、会わなければならないと思った。借金(しゃっきん)のために刑務所(けいむしょ)にはいったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたのでその場所ははっきりわかっていた。わたしはよく知っているラ・マドレーヌ寺道(じみち)をたどって行った。カトリーヌおばさんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、わたしもきっと会うことが許(ゆる)されるであろう。わたしはお父さんの子どもも同様であったし、お父さんもわたしをかわいがっていた。
 でも思い切って刑務所(けいむしょ)の中へはいって行くのがちょっとちゅうちょされた。だれかがわたしをじっと監視(かんし)しているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へ閉(し)めこまれたが最後(さいご)、二度と出されることがないように思われた。
 刑務所(けいむしょ)から出て来ることは容易(ようい)でないとわたしは考えていた。しかしそこへはいるのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、わたしはそれを知った。
 でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、わたしはやっと面会を許(ゆる)されることになった。かねて思っていたのとちがい、わたしは格子(こうし)もさくもないそまつな応接室(おうせつしつ)に通された。お父さんは出て来た。でもくさりなどに結(ゆ)わえられてはいなかった。
「ああ、ルミや、わたしはおまえを待っていた」と、わたしが面会所にはいるとかれは言った。
「わたしは、カトリーヌおばさんがおまえをいっしょに連(つ)れて来なかったので、こごとを言ってやったよ」
 わたしはこのことばを聞くと、朝からしょげていたことも忘(わす)れて、すっかりうれしくなった。
「カトリーヌおばさんは、ぼくをいっしょに連(つ)れて来ようとしなかったのです」
 わたしはうったえるように言った。
「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人でくらしを立ててゆこうとしていることもわたしはようく知っているのだがね。どうもわたしの妹婿(いもうとむこ)のシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ運河(うんが)の水門守(すいもんもり)をしているのだが、知ってのとおり植木職人(しょくにん)の世話を水門守にしてもらうのは無理(むり)だからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた旅芸人(たびげいにん)になると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと空腹(くうふく)で死にかけたことを忘(わす)れたのかえ」
「いいえ、忘れません」
「でも、あのときはまだしも、おまえは独(ひと)りぼっちではなかった。めんどうを見る親方があった。それもいまはないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっちいなかへ出るということは、いいことだとは思われない」
「カピもいっしょです」
 このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声ほえた。
「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうしてくらしを立てるつもりなのだ」
「わたしが歌を歌ったり、カピが芝居(しばい)をしたりして」
「しかしカピ一人ぼっちで、芝居はできやしないだろう」
「いえ、わたしはカピに芸(げい)をしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでもわたしの望(のぞ)むものを習うだろう」
 カピは前足で胸(むね)をたたいた。
「ルミ、おまえがよく考えたら、やはり職(しょく)を見つけることにするだろうよ。もうおまえも一かどの職人(しょくにん)だ。流浪(るろう)するよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」
「ええ、もちろんわたしはなまけ者ではありません。わたしはお父さんといっしょにならできるだけ働(はたら)きます。そしていつでもお父さんといっしょにいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」
 もちろん、たった一人、大道ぐらしを続(つづ)けてゆくことの危険(きけん)なことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい経験(けいけん)もしている。そうだ、人びとがわたしのように流浪(るろう)の生活を送って、あの犬たちがおおかみに食べられた夜や、ジャンチイイの石切り場のあの晩(ばん)のような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり、ヴィタリス親方が刑務所(けいむしょ)に入れられて、一スーももうけることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、だれだってあすはまっ暗やみ、現在(げんざい)さえも不安心(ふあんしん)でたまらないのが当たり前だ。危険(きけん)な、みじめな、浮浪人(ふろうにん)の生活をわたしは自分が送ってきたことも忘(わす)れはしないのだ。だがいまそれをやめたら、わたしはいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心を固(かた)くするものがあった。いまさらよそのうちに奉公(ほうこう)するよりも、わたしにはこの流浪(るろう)の旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン、それからリーズとしたやくそくを果(は)たすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを見捨(みす)てないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手続も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことをわたしが忘(わす)れてしまえば、もうかの女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。
「では、お父さんは、お子さんたちの便(たよ)りを、わたしが持って来るのがおいやなのですか」とわたしはたずねてみた。
「なるほどみんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとり訪(たず)ねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、わたしたち自分のことばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」
「では、わたしだってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の危険(きけん)をおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分のことばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」
 お父さんはしばらくわたしの顔をながめていたが、急にわたしの両手を取った。
「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえはほんとうに真心(まごころ)がある」
 わたしはかれの首にうでをかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしを探(さぐ)って、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした値打(ねう)ちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間も確(たし)かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
 わたしはこんなりっぱなおくり物を断(ことわ)ろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に無理(むり)におしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る必要(ひつよう)はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定(かんじょう)していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、覚(おぼ)えておいで」
 わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしに優(やさ)しくしてくれたであろう。わたしは別(わか)れてのち長いあいだ刑務所(けいむしょ)のドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにある固(かた)い丸(まる)いものが手にさわった。わたしの時計であった。
 ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだ忘(わす)れられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は相談(そうだん)をしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくは忘(わす)れるところだったよ」
 わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様に喜(よろこ)んでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそを引(ひ)っ張(ぱ)って、たびたびほえた。かれがほえ続(つづ)けたときわたしは初(はじ)めて、かれに注意を向けてやらなければならなかった。
「カピ、なんの用だい」とわたしはたずねた。かれはわたしの顔をながめた。けれどわたしはかれの意味が解(と)けなかった。かれはしばらく待っていたが、やがてわたしの前に来て、時計を入れたかくしの上に前足をのせて立った。かれはヴィタリス親方といっしょに働(はたら)いていたじぶんと同じように、「ご臨席(りんせき)の貴賓諸君(きひんしょくん)」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。
 わたしは時計をかれに見せた。かれはしばらく思い出そうと努(つと)めるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二度(たび)ほえた。かれは忘(わす)れてはいなかった。わたしたちはこの時計でお金を取ることができる。これはわたしがあてにしていなかったことであった。
 前へ進め、子どもたち。わたしは刑務所(けいむしょ)に最後(さいご)の目をくれた。そのへいの後ろにはリーズの父親が閉(と)じこめられているのだ。
 それからずんずん進んで行った。なによりもわたしに入り用なものは、フランスの地図であった。河岸(かし)通りの本屋へ行けば、それの得(え)られることを知っていたので、わたしは川のほうへ足を向けた。やっとわたしは十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。
 わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた。わたしは二つの道の一つを選(えら)ばなければならなかった。わたしはフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような記憶(きおく)が群(むら)がって起こった。ガロフォリ、マチア、リカルド、錠前(じょうまえ)のかかったスープなべ、むち、ヴィタリス老人(ろうじん)、あの気のどくな善良(ぜんりょう)な親方。わたしをこじきの親分へ貸(か)すことをきらったために、死んだ人。
 お寺のさくの前を通ると、子どもが一人かべによっかかっているのを見た。その子はなんだか見覚(みおぼ)えがあるように思った。
 確(たし)かにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、優(やさ)しい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれどかれはちっとも大きくはなっていなかった。わたしはよく見るためにそばへ寄(よ)った。ああそうだ、そうだ、マチアであった。
 かれはわたしを覚(おぼ)えていた。かれの青ざめた顔はにっこり笑(わら)った。
「ああ、きみだね」とかれは言った。「きみは先(せん)に白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうどぼくが病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれからぼくはどんなにこの頭でなやんだろう」
「ガロフォリはまだきみの親方なのかい」
 かれは返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。
「ガロフォリは刑務所(けいむしょ)にはいっているよ。オルランドーを打ち殺(ころ)したので連(つ)れて行かれたのだ」
 わたしはこの話を聞いてぎょっとした。でもわたしはガロフォリが刑務所に入れられたと聞いてうれしかった。初(はじ)めてわたしは、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。
「それでほかの子どもたちは」とわたしはたずねた。
「ああ、ぼくは知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、ぼくはいなかった。ぼくが病院から出て来ると、ぼくは病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人はわたしを手放したくなった。そこであの人はわたしを二年のあいだガッソーの曲馬団(きょくばだん)へ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団(きょくばだん)を出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり閉(し)まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所(けいむしょ)へ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけ加(くわ)えて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
 わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのように飢(う)えてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一斤(きん)買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」

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