家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

 いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
 わたしはおどり続(つづ)けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
 親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「紳士(しんし)ならびに貴女(きじょ)がた。じまんではございませんが、本夕(ほんせき)はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく演(えん)じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も燃(も)えつきませんことゆえ、みなさまのお好(この)みに任(まか)せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座(いちざ)のカピ丈(じょう)はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀(しゅうぎ)をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を願(ねが)いたてまつります」
 親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその晩(ばん)歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を選(えら)んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王(ししおう)の歌であった。
 わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台(ぶたい)のすみに引っこんでいた。
 そのなみだの霧(きり)の中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていた若(わか)いおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった百姓(ひゃくしょう)たちとちがっていることを見つけた。かの女は若(わか)い美しい貴婦人(きふじん)で、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもを連(つ)れていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによく似(に)ているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
 初(はじ)めの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
 親方が第二の曲をすませたとき、かの女は手招(てまね)きをしてわたしを呼(よ)んだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
 わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの婦人(ふじん)がなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
 そうは言いながら、かれは行くことにして、犬を連(つ)れて行った。わたしもかれらのあとに続(つづ)いた。そのとき一人の僕(ぼく)(下男)が出て来て、ちょうちんと毛布(もうふ)を持って来た。かれは婦人(ふじん)と子どものわきに立っていた。
 親方は冷淡(れいたん)に婦人(ふじん)にあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、お祝(いわ)いを申し上げたいと思いました」
 でも親方は一言(ごん)も言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの技術(ぎじゅつ)の天才にはまったく感動いたしました」
 技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの見世物師(みせものし)が。わたしはあっけにとられた。
「わたしのような老(お)いぼれになんの技術(ぎじゅつ)がありますものか」とかれは冷淡(れいたん)に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人(ふじん)はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心(こうきしん)を満足(まんぞく)させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも若(わか)いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男(げなん)でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして覚(おぼ)えたのですね。それだけのことです」
 婦人(ふじん)は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨(きんか)を一枚(まい)落とした。
 わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危(あぶ)なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂(た)らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘(わす)れていた。すぐ行ってやろう」
 わたしはそうそうに切り上げて、宿(やど)へ帰った。
 わたしはまっ先に宿屋(やどや)のはしごを上がって部屋(へや)へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
 わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
 やがてかれが陸軍大将(りくぐんたいしょう)の軍服(ぐんぷく)を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布(もうふ)の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
 わたしはからだをかがめて、優(やさ)しくかれの手を取って引き起こそうとした。
 その手はもう冷(つめ)たかった。
 親方がそのとき部屋にはいって来た。
 わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールが冷(つめ)たいんですよ」とわたしは言った。
 親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン夫人(ふじん)の所から無理(むり)に連(つ)れて来たのは悪かった。わたしは罰(ばっ)せられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」


     パリ入り

 まだパリからはよほどはなれていた。
 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から晩(ばん)まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。続(つづ)いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の気(け)のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな胃(い)ぶくろをかかえて歩き続(つづ)けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿(すがた)が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ連(つ)れて行くのであろう。
 沈黙(ちんもく)はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい舌(した)が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、優(やさ)しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに愛(あい)し合っていた。
 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間(なかま)をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣(しゅうかん)の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座(いちざ)の仲間(なかま)が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前(いぜん)一座の部長であったとき、座員を前にやり過(す)ごして、いちいち点呼(てんこ)する習慣(しゅうかん)があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情(かんじょう)とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす種(たね)にはなった。
 行く先ざきの野面(のづら)はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い灰(はい)色の空であった。畑(はた)をうつ百姓(ひゃくしょう)のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に飢(う)えたからすが、こずえの上で虫を探(さが)しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと静(しず)まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は炉(ろ)のすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置(ものお)き小屋(ごや)でこそこそ仕事をしていた。
 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯(ばんめし)にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい晩(ばん)であった。ちょうど雌(め)ひつじが子どもに乳(ちち)を飲ませる時節(じせつ)で、ひつじ飼(か)いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを許(ゆる)してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、腹(はら)が減(へ)って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は例(れい)のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの乳(ちち)が好(す)きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の効(き)き目(め)がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩(ひとばん)が過(す)ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの乳(ちち)を好(す)いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿(てん)がそこにもここにも建(た)っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気(ゆうき)がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
 それはある大きな村から遠くない百姓家(ひゃくしょうや)にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来(おうらい)の標柱(ひょうちゅう)でわかった。
 さてわたしたちは日の出ごろ宿(やど)をたって、別荘(べっそう)のへいに沿(そ)って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には果(は)てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物(たてもの)のかげが見えた。
 わたしはいっしょうけんめい目を見張(みは)って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼(しょうろう)や塔(とう)などのごたごたした正体を見きわめようと努(つと)めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを続(つづ)けるというふうで、
「これからわたしたちの身の上も変(か)わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色(こんじき)にかがやく光が目にはいったように思った。
 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら別(わか)れようと思う」とかれはとつぜん言った。
 すぐに空はまた暗(くら)くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現(あらわ)していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「別(わか)れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久(ひさ)しくわたしはこんな優(やさ)しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸(ふしあわ)せな人間であったよ」
 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸(ふこう)なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別(わか)れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨(す)てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利(けんり)がないのだ。それは覚(おぼ)えておいで。わたしはあの優(やさ)しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務(ぎむ)ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別(わか)れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候(じこう)の悪い二、三か月だけも別(わか)れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座(いちざ)では、パリにいてもなにができよう」
 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊(ぐんたい)風の敬礼(けいれい)をして、それを胸(むね)に置(お)いて、あたかもわたしたちはかれの誠実(せいじつ)に信頼(しんらい)することができるというようであった。親方は犬の頭に優(やさ)しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良(ぜんりょう)な忠実(ちゅうじつ)な友だちだ。けれど情(なさ)けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人(ろうじん)がたった一人、男の子を連(つ)れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老(お)いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨(ほね)でも折(お)れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情(なさ)けないありさまにもなってはいない。それにお上(かみ)の救助(きゅうじょ)を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間(なかま)に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告(こうこく)をさえすれば欲(ほ)しいだけの弟子(でし)は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気(ゆうき)と忍耐(にんたい)が必要(ひつよう)だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間(あい)の時節(じせつ)ばかり通って来た。春になればだんだん境遇(きょうぐう)も楽になる。そこでわたしはおまえを連(つ)れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人(ふじん)とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望(のぞ)みはじゅうぶんある」
 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
 わたしたちは別(わか)れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
 流浪(るろう)のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷(ざんこく)であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔(よ)っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化(へんか)であった。初(はじ)めが養母(ようぼ)、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛(あい)して、その人といっしょにいることのできる相手(あいて)を見つけることができないのであろうか。
 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独(ひと)りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気(ゆうき)を持て」とわたしに求(もと)めた。わたしはこのうえかれに苦労(くろう)を加(くわ)えることを望(のぞ)まなかった。けれどつらいことであった。かれと別(わか)れるのはまったくつらいことであった。
 かれも重ねてわたしに泣(な)きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続(つづ)いた。
 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積(つ)もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
 橋のたもとからは、村続(つづ)きでせまい宿場(しゅくば)があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散(ち)らばっていた。往来(おうらい)には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄(よ)りそって歩いた。カピは後からついて来た。
 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果(は)てしのない長い町の中にはいった。両側(りょうがわ)には見わたすかぎり家が建(た)てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比(くら)べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家(こいえ)ばかりであった。
 雪がほうぼうにうず高く積(つ)み上げられていて、黒く固(かた)まったかたまりの上に、灰(はい)やくさった野菜(やさい)や、いろいろのきたない廃物(はいぶつ)が投げ捨(す)てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別(わか)れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。


     ルールシーヌ街(まち)の親方

 いま、わたしのぐるりを取(と)り巻(ま)いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇(こうき)のの目を見張(みは)って新しい周囲(しゅうい)を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘(わす)れるくらいであった。
 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼(おさな)い夢想(むそう)とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固(かた)まったいうす黒いどろが、荷車の輪(わ)にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板(あついた)のようにへばりついていた。確(たし)かにパリはボルドーにもおよばなかった。
 これまで通って来た町に比(くら)べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例(れい)のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋(いざかや)の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
 町の角には、ルールシーヌ街(まち)と書いた札(ふだ)が打ってあった。
 親方は案内(あんない)を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来(おうらい)の人の群(む)れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄(よ)りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿(すたが)を見失(みうしな)わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要(ひつよう)がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
 わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段(かいだん)を上がりながら親方はこう言った。その階段(かいだん)は厚(あつ)いどろがこちこちに積(つ)もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。街(まち)といい、家といい、はしご段(だん)といい、いよいよわたしを安心させる性質(せいしつ)のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
 四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉(こくもつぐら)のような大きな屋根裏(やねうら)の部屋(へや)にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台(ねだい)みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
 かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋(へや)にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
 こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体(どうたい)がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと優(やさ)しみの表情(ひょうじょう)、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情(どうじょう)をふくんで、相手(あいて)の目をひきつけずにはおかないのであった。
「確(たし)かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯(ひるめし)の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
 わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは例(れい)の服従(ふくじゅう)の習慣(しゅうかん)から、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
 親方の重い足音がもうはしご段(だん)の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが好(す)きなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
 子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を続(つづ)けるのを好(この)まないように炉(ろ)のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ寄(よ)ると、このなべがなんだか変(か)わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな管(くだ)がつき出して、蒸気(じょうき)がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には錠(じょう)がかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用(しんよう)しないのだ」
 わたしはほほえまずにはいられなかった。
 するとかれは悲しそうに言った。
「きみは笑(わら)うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇(きょうぐう)だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、腹(はら)が減(へ)っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それが罰(ばつ)なんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年は続(つづ)けた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得(こころえ)になることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょに連(つ)れて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量(きりょう)がいいのだからね。お金をもうけるには不器量(ぶきりょう)ではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドが好(す)きで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹に別(わか)れるのはどんなにつらかったろう。
 ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさん置(お)いてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。働(はたら)くだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来(おうらい)で見世物に出させて、毎晩(まいばん)三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足(ふそく)があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん骨(ほね)が折(お)れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい痛(いた)いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人仲間(なかま)にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩(まいばん)きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
 かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛(いた)いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効(き)き目(め)がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩(まいばん)ぼくの晩飯(ばんめし)のいもを減(へ)らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固(かた)いが、胃(い)ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来(おうらい)の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足(まんぞく)させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡(な)くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続(つづ)いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢(う)えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯(ばんめし)にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯(ひるめし)にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋(みずがしや)にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯(ばんめし)をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを初(はじ)めて知った。それからはぼくにうちで留守番(るすばん)させて、このスープの見張(みは)りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜(やさい)をなべに入れて、ふたに錠(じょう)をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは腹(はら)は張(は)らない。どうしてよけい空腹(くうふく)になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには鏡(かがみ)もないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
 わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑(びしょう)をふくんで言った。「ひどく加減(かげん)が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう腹(はら)を減(へ)らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸(ふしあわ)せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
 病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理(むり)にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を続(つづ)けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく痛(いた)むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり泣(な)いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは先(せん)に慈恵病院(じけいびょういん)にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子(かし)をいつも入れているし、看護婦(かんごふ)の尼(あま)さんたちがそれは優(やさ)しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、舌(した)をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
 かれはそばへ寄(よ)って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実(しんじつ)をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の気(け)のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを好(この)まなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
 かれは足を引きずりながらのろのろ食卓(しょくたく)のほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは損(そん)だからね。なにしろこのごろいただくげんこは先(せん)よりもずっと効(き)くからね。人間はなんでも慣(な)れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
 びっこひきひきかれは食卓(しょくたく)の回りを回って、さらやさじならべた。勘定(かんじょう)すると二十枚(まい)さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台(ねだい)は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布(もうふ)はうまやから、もう古くなって馬が着ても暖(あたた)かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもを置(お)く所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
 どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋(へや)の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木(ふるざいもく)を持っていた。わたしはガロフォリの炉(ろ)にたかれている古材木の出所と値段(ねだん)もわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ寄(よ)って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木(ざいもく)をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足(ふそく)の代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。順(じゅん)ぐりにやられるんだ」
 マチアはそう機械的(きかいてき)に言って、あたかもこの子どもも罰(ばっ)せられると思うのがかれに満足(まんぞく)をあたえるもののようであった。わたしはかれの優(やさ)しい悲しそうな目のうちに、険(けわ)しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに似(に)てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
 一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台(ねだい)の上のくぎにかけた。音楽師(おんがくし)でなく、ただ慣(な)らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
 それから重い足音がはしご段(だん)にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
 はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
 マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上(こうじょう)をかれに伝(つた)えた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打(ねう)ちを知っている。要(い)らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
 ガロフォリが部屋(へや)にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに席(せき)をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト帽(ぼう)をとって、ていねいに寝台(ねだい)の上に置(お)くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀(ぎょうぎ)よさをもって、寺小姓(てらこしょう)が和尚(おしょう)さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを炉(ろ)の中に投げこんだ。
 この罪人(ざいにん)はあわてて過失(かしつ)をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく燃(も)やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ笑(わら)いをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
 この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすに納(おさ)まって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
 こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意(こうい)であった。
 ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初(はじ)めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー貸(か)してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
 子どもは赤くなって、当惑(とうわく)を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「言(い)い訳(わけ)をしなさんな。規則(きそく)は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着(おうちゃく)の罰(ばつ)に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
 二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結(むす)び目(め)のある皮ひもの二本ついた、柄(え)の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現(あらわ)した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑(びしょう)を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間(なかま)のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
 子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷(ざんこく)なじょうだんを開いて、みんな無理(むり)に笑(わら)わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
 みんなは例(れい)の大きな材木(ざいもく)を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒(ぼう)でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面(つら)をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木(ざいもく)は」と子どもがさけんだ。
「晩飯(ばんめし)の代わりにきさまにやるわ」
 この残酷(ざんこく)なじょうだんが罰(ばっ)せられないはずの子どもたちみんなを笑(わら)わせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定(かんじょう)をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者(ぎせいしゃ)が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働(はたら)くのだ」
 かれは炉(ろ)のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰(ちょうばつ)を見ているにしのびないというようであった。
 わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中(せなか)を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
 ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚(はだ)に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘(わす)れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「人情(にんじょう)のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党(あくとう)ではない。きさまらは仲間(なかま)が苦しんでいるところを見て笑(わら)っている。この小さな仲間を手本にしろ」
 わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
 第二のむちをくって犠牲(ぎせい)はひいひい泣(な)き声(ごえ)を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに情(なさ)けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲(ぎせい)に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき破(やぶ)るのだ。ちっとはおれの苦しい心も察(さっ)して、気のどくに思うがいい。だからこれから泣(な)き声(ごえ)を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも情(なさ)けや恩(おん)を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
 リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲(ぎせい)の背中(せなか)でくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
 ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責(かしゃく)を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
 人目でかれはなにもかも了解(りょうかい)した。かれははしご段(だん)を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ寄(よ)って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
 これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令(めいれい)した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「この老(お)いぼれめ。よけいな世話を焼(や)くな」とガロフォリが急に調子を変(か)えてさけんだ。
「警察(けいさつ)ものだぞ」とヴィタリスが反抗(はんこう)した。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴(らんぼう)な相手(あいて)の気勢(きせい)にはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざ笑(わら)った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察(けいさつ)に関係(かんけい)はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
 親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を引(ひ)っ張(ぱ)った。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は笑(わら)いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
 それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご段(だん)を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄(じごく)の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)



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