家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスを呼(よ)び寄(よ)せる呼(よ)び子(こ)をふいた。
 けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい沈黙(ちんもく)を破(やぶ)る物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも恐怖(きょうふ)にたえない様子であった。いつもはあれほど従順(じゅうじゅん)でゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの勇気(ゆうき)がなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
 もう一度親方は呼(よ)び子(こ)をふいて、迷(まよ)い犬(いぬ)を呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
 そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行って探(さが)して来なければ」とわたしはしばらくして言った。
 わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
 それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上まで積(つ)もっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりを照(て)らすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
 かわいそうな犬どもを、その運命(うんめい)のままに任(まか)せるということは、どんなに情(なさ)けないことであったろう。
 ――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになにより困(こま)ったことは、それがわたしの責任(せきにん)だということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
 親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとに続(つづ)きながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
 雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
 こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだは勢(いきお)いよく燃(も)え上がって、小屋のすみずみの暗い所まで照(て)らしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた毛布(もうふ)はたき火の前にぬぎ捨(す)ててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしも呼(よ)んだ。けれどかれは出て来なかった。
 親方の言うには、かれの目を覚(さ)ましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。燃(も)えているたいまつを雪の積(つ)もった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手がかりもなかった。
 どこかたばねたまきのかげにでもかくれているのではないかと思って、わたしたちはまた小屋へ帰って、しばらく探(さが)し回った。いく度もいく度も同じすみずみを探した。
 わたしは親方の肩(かた)に上って、屋根に葺(ふ)いてあるえだたばの中を探してみた。二度も三度も呼(よ)んでみた。けれどもなんの返事もなかった。
 親方はぷりぷりかんしゃくを起こしているようであった。わたしはがっかりしていた。
 わたしは親方に、おおかみがかれまでも取って行ったのではないかとたずねた。
「いいや」とかれは言った。「おおかみは小屋の中までははいっては来なかっただろう。ゼルビノとドルスは外へ出たところをくわえられたかと思うが、この中までははいって来られまい。たぶんジョリクールはこわくなって、わたしたちの外に出ているあいだにどこへかかくれたにちがいない。それをわたしは心配するのだ。このひどい寒さでは、きっとかぜをひくであろう。寒さがあれにはなにより効(き)くのだから」
「じゃあどんどん探(さが)してみましょうよ」
 わたしたちはまたそこらを歩き回った。けれどまるでむだであった。
「夜の明けるまで待たなければならない」と親方が言った。
「どのくらいで明けるでしょう」
「二時間か三時間だろう」
 親方は両手で頭をおさえてたき火の前にすわっていた。
 わたしはそれをじゃまする勇気(ゆうき)がなかった、わたしはかれのわきにつっ立って、ただときどき火の中にえだをくべるだけであった。一、二度かれは立ち上がって戸口へ行って、空をながめてはじっと耳をかたむけたが、また帰って来てすわった。
 わたしはかれがそんなふうにだまって悲しそうにしていられるよりも、かまわずわたしにおこりつけてくれればいいと思った。
 三時間はのろのろ過(す)ぎた。その長いといったら、とても夜がおしまいになる時がないのかと思われた。
 でも星の光がいつか空からうすれかけていた。空がだんだん明るく、夜が明けかかっていた。けれども明け方に近づくに従(したが)って、寒さはいよいよひどくなった。戸口からはいって来る風が骨(ほね)までこおるようであった。
 これでジョリクールを見つけたとしても、かれは生きているだろうか。
 見つけ出す希望(きぼう)がほんとにあるだろうか。
 きょうもまた雪が降(ふ)りださないともかぎらない。
 でも雪はもう来なかった。そして空にばら色の光がさして、きょうの好天気(こうてんき)を予告(よこく)するようであった。
 すっかり明るくなって、樹木(じゅもく)の形がはっきり見えるようになった。親方もわたしもがっかりして、棒(ぼう)をかかえて小屋を出た。
 カピはもうゆうべのようにびくついてはいないようであった。目をしっかり親方にすえたまま、いつでも合図しだいでかけ出す仕度をしていた。
 わたしたちが下を向いてジョリクールの足あとを探(さが)し回っていると、カピが首を上に上げてうれしそうにほえ始めた。かれはわたしたちに地べたではなく、上を見ろといって合図をしたのであった。
 小屋のわきの大きなかしの木のまたで、わたしたちはなにか黒い小さなもののうごめく姿(すがた)を見つけた。
 これがかわいそうなジョリクールであった。夜中に犬のほえる声におびえて、かれはわたしたちが出ているまに、小屋の屋根によじ上った。そしてそこから一本のかしの木のてっべんに登って、そこを安全な場所と思って、わたしたちの呼(よ)ぶ声にも答えず、じっとからだをかがめてすわっていたのであった。
 かわいそうな弱い動物。かれはこごえてしまったにちがいない。
 親方がかれを優(やさ)しく呼(よ)んだ。かれは動かなかった。わたしたちはかれがもう死んでいると思った。
 数分間親方はかれを続(つづ)けさまに呼んだ。けれどさるはもう生きているもののようではなかった。
 わたしの心臓(しんぞう)は後悔(こうかい)で痛(いた)んだ。どれほどひどく罰(ばっ)せられたことだろう。
 わたしはつぐないをしなければならない。
「登ってつかまえて来ましょう」とわたしは言った。
「危(あぶ)ないよ」
「いいえ、だいじょうぶです。わけなくできますよ」
 それはほんとうではなかった。それは危険(きけん)でむずかしい仕事であった。大きなこの木は氷と雪をかぶっているので、それはずいぶん困難(こんなん)な仕事であった。
 わたしはごく小さかったじぶんから木登りをすることを習った。それでこの術(じゅつ)には熟練(じゅくれん)していた。わたしはとび上がって、いちばん下のえだにとびついた。そして木のえだをすけて雪が落ちて日の中にはいって来たが、でもどうやら木の幹(みき)をよじて、いちばんしっかりしたえだに手がかかった。ここまで登れば、あとは足をふみはずさないように気をつければよかった。
 わたしは登りながら、優(やさ)しくジョリクールに話しかけた。かれは動かないで、目だけ光らせてわたしを見ていた。
 わたしはほとんど手の届(とど)く所へ来て、手をのばしてつかまえようとした。するとひょいとかれはほかのえだにとびついてしまった。
 わたしはそのえだまでかれを追っかけたけれど、人間の情(なさ)けなさ、子どもであっても、木登りはさるにはかなわなかった。
 これでさるの足が雪でぬれていなかったら、とてもかれをつかまえることはできそうもなかった。かれは足のぬれることを好(この)まなかった。それでじきにわたしをからかうのがいやになって、えだからえだへととび下りて、まっすぐに主人の肩(かた)にとび下りた。そして上着の裏(うら)にかくれた。
 ジョリクールを見つけるのはたいへんなことであったがそれだけではすまなかった。今度は犬を探(さが)さなければならなかった。
 もうすっかり昼になっていた。わけなくゆうべの出来事のあとをたどることができた。雪の中でわたしたちは犬の死んだことがわかった。
 わたしたちは十間(けん)(約十八メートル)ばかりかれらの足あとをつけることができた。かれらは続(つづ)いて小屋からぬけ出した。ドルスが、ゼルビノのあとに続(ぞく)いた。
 それからほかのけものの足あとが見えた。一方にはおおかみどもは犬にとびかかって、はげしく戦(たたか)ったしるしが残(のこ)っていた。こちらにはおおかみがえものをつかんでゆっくり食べて歩いて行った足あとが残っていた。もうそこには、そこここに赤い血が雪の上にこぼれているほかには、犬のあとはなにも残っていなかった。
 かわいそうな二ひきの犬は、わたしのねむっているあいだに死にに行ったのであった。
 でもわたしたちはできるだけ早く帰って、ジョリクールを温めてやらなければならなかった。わたしたちは小屋へ帰った。親方がさるの足と手を持って、赤んぼうをおさえるようにして、たき火にかざすと、わたしは毛布(もうふ)を温めて、その中へ転(ころ)がす仕度をした。けれども毛布ぐらいでは足りなかった。かれは湯たんぽと温かい飲み物を求(もと)めていた。
 親方とわたしはたき火のそばにすわって、だまってまきの燃(も)えるのをながめた。
「かわいそうに、ゼルビノは。かわいそうに、ドルスは」
 わたしたちは代わりばんこにこんなことばをつぶやいた。初(はじ)めに親方が、つぎにはわたしが。
 あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、道連(みちづ)れであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
 わたしがしっかり見張(みは)りをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
 どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
 けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。


     ジョリクール氏(し)

 夜明けまえの予告(よこく)はちがわなかった。
 日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえの晩(ばん)あれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
 たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
 かれの血管(けっかん)の中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
 毛布(もうふ)はよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐ胸(むね)に当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
 小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い宿代(やどだい)をはらった」
 こう言ったかれの声はふるえた。
 かれは先に立って行った。わたしはその足あとに続(つづ)いた。わたしたちが二、三間(げん)(四〜六メートル)行くと、カピを呼(よ)んでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、仲間(なかま)がおおかみにとられて行った場所に向けていた。
 大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その御者(ぎょしゃ)はもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは困難(こんなん)でもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
 たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
 やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な宿屋(やどや)にとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、同勢(どうぜい)残(のこ)らずとめてくれそうな木賃宿(きちんやど)を選んだ。
 ところが今度は親方がきれいな看板(かんばん)のかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る赤銅(あか)のなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが空腹(くうふく)な旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
 親方は例(れい)のもっとも『紳士(しんし)』らしい態度(たいど)を用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、宿屋(やどや)の亭主(ていしゅ)にいいねどこと暖(あたた)かい火を求(もと)めた。初(はじ)めは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを圧迫(あっぱく)した。かれは女中に言いつけて、わたしたちを一間(ひとま)へ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている最中(さいちゅう)わたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
 でも親方がくり返した。
 服従(ふくじゅう)するよりほかにしかたがなかった。寝台(ねだい)の上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
 わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
 わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうと骨(ほね)を折(お)っているとき、親方はジョリクールを丸(まる)くして、まるで蒸(む)し焼(や)きにして食べるかと思うほど火の上でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで寝台(ねだい)のそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしの胸(むね)にくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると反抗(はんこう)するくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもう冷(つめ)たくはなかった。かれのからだは焼(や)けるようだった。
 台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようと試(こころ)みたけれど、小ざるは歯(は)を食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分を責(せ)めてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下から片(かた)うでを出して、わたしたちのほうへさし延(の)べた。
 わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう説明(せつめい)してくれた。
 わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは肺炎(はいえん)にかかったことがあった。それでかれのうでに針(はり)をさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた刺絡(しらく)(血を出すこと)してもらって、先(せん)のようによくなりたいと思うのであった。
 かわいそうな小ざる。親方はこれだけの所作(しょさ)で深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほど好(す)きな砂糖(さとう)入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者を呼(よ)んで来る」
 わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを白状(はくじょう)しなければならない。それにわたしはたいへん腹(はら)が減(へ)っていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
 親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた紳士(しんし)――お医者を連(つ)れて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「充血(じゅうけつ)だ」と言った。
 かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
 うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
 わたしは少し毛布(もうふ)を上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首に巻(ま)きつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしを連(つ)れ出したか」
 親方はなかなか容易(ようい)なことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかも例(れい)の大(おお)ふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは事情(じじょう)を説明(せつめい)して、ふぶきの中に閉(と)じこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、仲間(なかま)でありますか。どうしてこれほどのふしぎな才能(さいのう)を持った動物をただの獣医(じゅうい)やなどに任(まか)されるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の標札(ひょうさつ)の出ているドアの呼(よ)びりんをおせば、知識(ちしき)があり慈愛(じさい)深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、博物学者(はくぶつがくしゃ)に従(したが)えば、かれらはひじょうに人類(じんるい)に近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも興味(きょうみ)のあることではないでしょうか」
 こういうふうに説(と)かれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
 ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり刺絡(しらく)していただくつもりでいます」
 これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい実験(じっけん)だ」とかれはつぶやいた。
 一とおり診察(しんさつ)して、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり肺炎(はいえん)にかかっていることを告(つ)げた。医者はさるの手を取って、その血管(けっかん)に少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっと治(なお)ると思った。刺絡(しらく)をすませて、医者はいろいろと薬剤(やくざい)にそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけに従(したが)って、看護婦(かんごふ)を務(つと)めていた。
 かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしを好(す)いていた。かれはわたしの顔を見てさびしく笑(わら)った。かれの顔つきはひじょうに優(やさ)しかった。
 いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく従順(じゅうじゅん)であった。
 その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかを示(しめ)そうと努(つと)めた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの犠牲(ぎせい)であったカピに対してすらそうであった。
 肺炎(はいえん)のふつうの経過(けいか)として、かれはまもなくせきをし始めた、この発作(ほっさ)のたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
 わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに麦菓子(むぎがし)を買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
 かれのするどい本能(ほんのう)で、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへん好(す)きな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
 かれのこのくわだてをわたしが見破(みやぶ)ると、もちろん麦菓子(むぎがし)をやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは哀願(あいがん)するような目つきでそれを求(もと)めた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手を胸(むね)の上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれの額(ひたい)の青筋(あおすじ)がにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
 わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに宿屋(やどや)に残(のこ)っていた。ある朝かれが帰って来ると、宿(やど)の亭主(ていしゅ)がとどこおっている宿料(しゅくりょう)を要求(ようきゅう)したことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれが初(はじ)めてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところに残(のこ)っていないことを話した。
 こうなってただ一つ残(のこ)った手だてとしては、今夜さっそく一興行(こうぎょう)やるほかにないとかれは考えていた。
 ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
 それができてもできなくても、どう少なく見積(みつ)もってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気は治(なお)してやらなければならないし、部屋(へや)には火がなければならないし、薬も買わなければならないし、宿(やど)にもはらわなければならない。いったん借(か)りている物を返せば、あとはまた貸(か)してもくれるだろう。
 この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない一座(いちざ)でなにができよう。
 わたしが、ジョリクールといっしょに宿(やど)に待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ野天(のてん)で興行(こうぎょう)するなんということはこの寒さにできない相談(そうだん)であった。かれは広告(こうこく)のびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三枚(まい)の板でかれは舞台(ぶたい)をこしらえたりした。そして思い切って残(のこ)りの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二倍(ばい)に使うくふうをした。
 わたしたちの部屋(へや)の窓(まど)から見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
 わたしはすぐにこの問題を解(と)くことができた。というのは、そのとき村の広告屋(こうこくや)が赤いぼうしをかぶってやって来て、宿屋(やどや)の前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
 その口上(こうじょう)を聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な芸人(げいにん)が出る――それはカピのことであった――それから『希世(きせい)の天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
 それはいいとして、この山勘口上(やまかんこうじょう)で第一におもしろいことは、この興行(こうぎょう)に決まった入場料(にゅうじょうりょう)のなかったことであった。われわれは見物の義侠心(ぎきょうしん)に信頼(しんらい)する。見物は残(のこ)らず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもお志(こころざし)しだいにはらえばいいというのである。
 これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんな音(ね)が出るのだ。
 たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった最中(さいちゅう)であったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、芝居(しばい)の始まる知らせであるということをさとったようであった。
 わたしは無理(むり)にかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれは例(れい)のイギリスの大将(たいしょう)の軍服(ぐんぷく)――金筋(きんすじ)のはいった赤い上着とズボン、それから羽根(はね)のついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜芝居(しばい)するなんという考えを捨(す)てなければならないことを納得(なっとく)させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
 親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行(こうぎょう)に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求(せいきゅう)を始めた。かれは自分の希望(きぼう)を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居(しばい)がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを示(しめ)すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを連(つ)れ出せば、いよいよかれを殺(ころ)すほかはないことをよく知っていた。
 わたしたちはもう出て行く時刻(じこく)になった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを毛布(もうふ)の中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
 雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん一座(いちざ)の主(おも)な役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
 四十フラン。おそろしいことであった。できない相談(そうだん)であった。
 親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ芝居(しばい)のすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
 わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいったとき、広告屋(こうこくや)はたいこをたたいて、最後(さいご)にもう一度村の往来(おうらい)を一めぐりめぐり歩いていた。
 カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
 たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、広告屋(こうこくや)は芝居小屋(しばいごや)の入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に位置(いち)をしめた。こうなると見物はただ、中にはいって場席(ばせき)を取れば、芝居(しばい)は始められるのであった。
 おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴り続(つづ)けていた。村じゅうの子どもは残(のこ)らず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない紳士(しんし)が来てくれなければならなかった。
 とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
 わたしはまずまっ先に現(あらわ)れて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく貧弱(ひんじゃく)だった。わたしは自分を芸人(げいにん)だとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい冷淡(れいたん)さがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った名誉(めいよ)のためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を興奮(こうふん)させ、かれらを有頂天(うちょうてん)にさせようと願(ねが)っていたことだろう……けれども見物席(けんぶつせき)はがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『希世(きせい)の天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
 でもカピは評判(ひょうばん)がよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで興行(こうぎょう)が割(わ)れるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、足拍子(あしびょうし)をふみ鳴らした。
 いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の伴奏(ばんそう)でイスパニア舞踏(ぶとう)をおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな態度(たいど)を示しながら、この問題がしじゅうわたしの胸(むね)を打った。
 わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどり続(つづ)けた。かれはあわてなかった。一枚(まい)の銀貨(ぎんか)ももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
 いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
 わたしはおどり続(つづ)けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
 親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「紳士(しんし)ならびに貴女(きじょ)がた。じまんではございませんが、本夕(ほんせき)はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく演(えん)じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も燃(も)えつきませんことゆえ、みなさまのお好(この)みに任(まか)せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座(いちざ)のカピ丈(じょう)はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀(しゅうぎ)をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を願(ねが)いたてまつります」
 親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその晩(ばん)歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を選(えら)んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王(ししおう)の歌であった。
 わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台(ぶたい)のすみに引っこんでいた。
 そのなみだの霧(きり)の中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていた若(わか)いおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった百姓(ひゃくしょう)たちとちがっていることを見つけた。かの女は若(わか)い美しい貴婦人(きふじん)で、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもを連(つ)れていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによく似(に)ているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
 初(はじ)めの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
 親方が第二の曲をすませたとき、かの女は手招(てまね)きをしてわたしを呼(よ)んだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
 わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの婦人(ふじん)がなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
 そうは言いながら、かれは行くことにして、犬を連(つ)れて行った。わたしもかれらのあとに続(つづ)いた。そのとき一人の僕(ぼく)(下男)が出て来て、ちょうちんと毛布(もうふ)を持って来た。かれは婦人(ふじん)と子どものわきに立っていた。
 親方は冷淡(れいたん)に婦人(ふじん)にあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、お祝(いわ)いを申し上げたいと思いました」
 でも親方は一言(ごん)も言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの技術(ぎじゅつ)の天才にはまったく感動いたしました」
 技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの見世物師(みせものし)が。わたしはあっけにとられた。
「わたしのような老(お)いぼれになんの技術(ぎじゅつ)がありますものか」とかれは冷淡(れいたん)に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人(ふじん)はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心(こうきしん)を満足(まんぞく)させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも若(わか)いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男(げなん)でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして覚(おぼ)えたのですね。それだけのことです」
 婦人(ふじん)は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨(きんか)を一枚(まい)落とした。
 わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危(あぶ)なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂(た)らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘(わす)れていた。すぐ行ってやろう」
 わたしはそうそうに切り上げて、宿(やど)へ帰った。
 わたしはまっ先に宿屋(やどや)のはしごを上がって部屋(へや)へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
 わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
 やがてかれが陸軍大将(りくぐんたいしょう)の軍服(ぐんぷく)を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布(もうふ)の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
 わたしはからだをかがめて、優(やさ)しくかれの手を取って引き起こそうとした。
 その手はもう冷(つめ)たかった。
 親方がそのとき部屋にはいって来た。
 わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールが冷(つめ)たいんですよ」とわたしは言った。
 親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン夫人(ふじん)の所から無理(むり)に連(つ)れて来たのは悪かった。わたしは罰(ばっ)せられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」


     パリ入り

 まだパリからはよほどはなれていた。
 わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から晩(ばん)まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
 この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。続(つづ)いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の気(け)のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな胃(い)ぶくろをかかえて歩き続(つづ)けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿(すがた)が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ連(つ)れて行くのであろう。
 沈黙(ちんもく)はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい舌(した)が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、優(やさ)しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに愛(あい)し合っていた。
 わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
 こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間(なかま)をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣(しゅうかん)の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座(いちざ)の仲間(なかま)が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前(いぜん)一座の部長であったとき、座員を前にやり過(す)ごして、いちいち点呼(てんこ)する習慣(しゅうかん)があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情(かんじょう)とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
 こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす種(たね)にはなった。
 行く先ざきの野面(のづら)はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い灰(はい)色の空であった。畑(はた)をうつ百姓(ひゃくしょう)のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に飢(う)えたからすが、こずえの上で虫を探(さが)しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと静(しず)まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は炉(ろ)のすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置(ものお)き小屋(ごや)でこそこそ仕事をしていた。
 でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
 夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯(ばんめし)にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
 ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい晩(ばん)であった。ちょうど雌(め)ひつじが子どもに乳(ちち)を飲ませる時節(じせつ)で、ひつじ飼(か)いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを許(ゆる)してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、腹(はら)が減(へ)って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は例(れい)のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの乳(ちち)が好(す)きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の効(き)き目(め)がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩(ひとばん)が過(す)ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの乳(ちち)を好(す)いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
 パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿(てん)がそこにもここにも建(た)っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
 われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気(ゆうき)がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
 けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
 それはある大きな村から遠くない百姓家(ひゃくしょうや)にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来(おうらい)の標柱(ひょうちゅう)でわかった。
 さてわたしたちは日の出ごろ宿(やど)をたって、別荘(べっそう)のへいに沿(そ)って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には果(は)てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物(たてもの)のかげが見えた。
 わたしはいっしょうけんめい目を見張(みは)って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼(しょうろう)や塔(とう)などのごたごたした正体を見きわめようと努(つと)めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを続(つづ)けるというふうで、
「これからわたしたちの身の上も変(か)わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
 親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色(こんじき)にかがやく光が目にはいったように思った。
 まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら別(わか)れようと思う」とかれはとつぜん言った。
 すぐに空はまた暗(くら)くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現(あらわ)していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「別(わか)れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
 こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久(ひさ)しくわたしはこんな優(やさ)しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸(ふしあわ)せな人間であったよ」
 わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸(ふこう)なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別(わか)れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨(す)てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利(けんり)がないのだ。それは覚(おぼ)えておいで。わたしはあの優(やさ)しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務(ぎむ)ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別(わか)れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候(じこう)の悪い二、三か月だけも別(わか)れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座(いちざ)では、パリにいてもなにができよう」
 かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊(ぐんたい)風の敬礼(けいれい)をして、それを胸(むね)に置(お)いて、あたかもわたしたちはかれの誠実(せいじつ)に信頼(しんらい)することができるというようであった。親方は犬の頭に優(やさ)しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良(ぜんりょう)な忠実(ちゅうじつ)な友だちだ。けれど情(なさ)けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人(ろうじん)がたった一人、男の子を連(つ)れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老(お)いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨(ほね)でも折(お)れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情(なさ)けないありさまにもなってはいない。それにお上(かみ)の救助(きゅうじょ)を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間(なかま)に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告(こうこく)をさえすれば欲(ほ)しいだけの弟子(でし)は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気(ゆうき)と忍耐(にんたい)が必要(ひつよう)だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間(あい)の時節(じせつ)ばかり通って来た。春になればだんだん境遇(きょうぐう)も楽になる。そこでわたしはおまえを連(つ)れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人(ふじん)とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望(のぞ)みはじゅうぶんある」
 たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
 わたしたちは別(わか)れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
 流浪(るろう)のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷(ざんこく)であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔(よ)っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
 それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化(へんか)であった。初(はじ)めが養母(ようぼ)、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛(あい)して、その人といっしょにいることのできる相手(あいて)を見つけることができないのであろうか。
 だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
 でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独(ひと)りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
 わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気(ゆうき)を持て」とわたしに求(もと)めた。わたしはこのうえかれに苦労(くろう)を加(くわ)えることを望(のぞ)まなかった。けれどつらいことであった。かれと別(わか)れるのはまったくつらいことであった。
 かれも重ねてわたしに泣(な)きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続(つづ)いた。
 わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積(つ)もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
 橋のたもとからは、村続(つづ)きでせまい宿場(しゅくば)があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散(ち)らばっていた。往来(おうらい)には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄(よ)りそって歩いた。カピは後からついて来た。
 いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果(は)てしのない長い町の中にはいった。両側(りょうがわ)には見わたすかぎり家が建(た)てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比(くら)べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家(こいえ)ばかりであった。
 雪がほうぼうにうず高く積(つ)み上げられていて、黒く固(かた)まったかたまりの上に、灰(はい)やくさった野菜(やさい)や、いろいろのきたない廃物(はいぶつ)が投げ捨(す)てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
 どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別(わか)れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。


     ルールシーヌ街(まち)の親方

 いま、わたしのぐるりを取(と)り巻(ま)いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇(こうき)のの目を見張(みは)って新しい周囲(しゅうい)を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘(わす)れるくらいであった。
 パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼(おさな)い夢想(むそう)とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固(かた)まったいうす黒いどろが、荷車の輪(わ)にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板(あついた)のようにへばりついていた。確(たし)かにパリはボルドーにもおよばなかった。
 これまで通って来た町に比(くら)べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例(れい)のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋(いざかや)の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
 町の角には、ルールシーヌ街(まち)と書いた札(ふだ)が打ってあった。
 親方は案内(あんない)を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来(おうらい)の人の群(む)れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄(よ)りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿(すたが)を見失(みうしな)わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要(ひつよう)がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。

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