家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

 わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ置(お)いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
 わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに平(たい)らげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
 けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要(ひつよう)もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
 わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人(きふじん)は言った。
 アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張(みは)ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに腹(はら)をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは腹(はら)にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯(ひるめし)はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
 アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを求(もと)めているらしかったが、それを母親は初(はじ)めのうち承知(しょうち)したがらないように見えた。
 するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
 わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問(しつもん)にめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人(きふじん)がくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを結(ゆわ)えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄(かんごく)にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日芸(げい)をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに務(つと)めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
 船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの久(ひさ)しい望(のぞ)みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
 わたしは貴婦人(きふじん)の手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女は優(やさ)しく言った。
 かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
 わたしは楽器(がっき)を手に取って、船のへさきのほうへ行って、静(しず)かにひき始(はじ)めた。
 貴婦人(きふじん)はふとくちびるに小さな銀(ぎん)の呼子(よぶこ)ぶえを当てて、するどい音(ね)を出した。
 わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
 自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心(ふあんしん)らしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
 まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟(こぶね)は、そろそろと岸(きし)をはなれて、堀割(ほりわり)の静(しず)かな波を切ってすべって行った。両側(りょうがわ)には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
 頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。


     最初(さいしょ)の友だち

 アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人(ふじん)と言った。後家(ごけ)さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情(じじょう)のもとに、長男をなくした。
 その子は生まれて六月(むつき)目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人(ふじん)はじゅうぶんの探索(たんさく)をすることのできない境遇(きょうぐう)であった。かの女の夫(おっと)は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識(いしき)を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏(し)はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探(さが)させたが、結局(けっきょく)行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産(ざいさん)を相続(そうぞく)するつもりでいた。
 ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏(し)は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人(ふじん)の夫(おっと)の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
 けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏(し)は財産(ざいさん)を相続(そうぞく)することになるであろう。
 そう思ってかれはあてにして待っていた。
 けれども医者の予言(よげん)はなかなか実現(じつげん)されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病(やまい)という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護(かんご)の力であった。
 最後(さいご)の病は腰疾(ようしつ)(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結(ゆわ)えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱(きうつ)と空気の悪いために死ぬかもしれない。
 そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色(けしき)は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
 もちろんこのイギリスの貴婦人(きふじん)とむすこについて、わたしはこれだけのことを残(のこ)らず、初(はじ)めての日に聞(き)いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
 わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋(へや)と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
 わたしは高さ七尺(しゃく)(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋(へや)におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
 その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装(いしょう)戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台(ねだい)とふとんとまくらと毛布(もうふ)とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけやくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台(ねだい)にねむることをどんなにわたしは喜(よろこ)んだであろう。生まれて初(はじ)めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固(かた)くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人(ろうじん)とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿(きちんやど)にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
 わたしはあくる朝早く起きた。一座(いちざ)の連中(れんじゅう)が一晩(ひとばん)どんなふうに過(す)ごしたか知りたかったからである。
 見るとかれらはみんなまえの晩(ばん)入れてやった所にいて、このきれいな小舟(こぶね)はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目(かため)を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
 わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度腹(はら)を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連(つ)れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示(しめ)していたのであった。
 わたしはなぜかれを甲板(かんぱん)の上に置(お)いて行かなければならなかったか、そのわけを説明(せつめい)することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
 初(はじ)めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変(か)わりやすい性質(せいしつ)だけに、なにかほかのことに考えが移(うつ)って、手まねで、よし、外へ散歩(さんぽ)に連(つ)れて行くなら、かんべんしてやろうという意を示(しめ)した。
 甲板(かんぱん)をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を連(つ)れて野原へ出た。
 犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟(こぶね)はいつでも出発するようになっていた。
 わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは解(と)かれて、船頭はかじを、御者(ぎょしゃ)は手(た)づなを取った。引きづなの滑車(かっしゃ)がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
 これでも動いているかと思うはど静(しず)かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
 所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶(すいしょう)のようにすみきっていて、水の底(そこ)できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
 わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を呼(よ)んだ。それはアーサであった。かれは例(れい)の板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人(ふじん)にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
 わたしはかれらを呼(よ)んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居(しばい)をやらされると思うときするように、しかめっ面(つら)をしていた。
 ミリガン夫人(ふじん)はむすこを日かげに置(お)いて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるを連(つ)れて行ってください。わたしたちは課業(かぎょう)がありますから」とかの女は言った。
 わたしは連中(れんじゅう)を連(つ)れてへさきのほうへ退(しりぞ)いた。
 あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業(かぎょう)ができるのだろう。
 わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を授(さずけ)けているのを見た。
 かれはそれを覚(おぼ)えるのがなかなか困難(こんなん)であるらしく見えた。しじゅう母親は優(やさ)しく責(せ)めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後(さいご)に言った。「アーサ、あなたはまるで覚(おぼ)えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣(な)くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好(す)きません」
 これはずいぶん残酷(ざんこく)なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優(やさ)しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな情(なさ)けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣(な)きだした。
 けれどもミリガン夫人(ふじん)は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚(おぼ)えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人置(お)き去りにしたまま向こうへ行った。
 わたしの立っていた所までかれの泣(な)き声(ごえ)が聞こえた。
 あれほどまでに愛(あい)しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格(げんかく)になれるのであろう。アーサの覚(おぼ)えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優(やさ)しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
 しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
 かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句(もんく)をくり返した。
 三度初(はじ)めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
 わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
 かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
 けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく迷(まよ)ったが、本にはもどって来なかった。
 ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
 わたしは課業(かぎょう)を続(つづ)けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝(かんしゃ)するように微笑(びしょう)した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと迷(まよ)い始めた。ちょうどそのとき一羽(わ)のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
 アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これが覚(おぼ)えられない」とかれは言った。「でもぼく、覚(おぼ)えたいんだ」
 わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶん易(やさ)しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい覚(おぼ)えました」
 かれはそれを信(しん)じないように微笑(びしょう)した。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
 かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱(あんしょう)し始めた。わたしはほとんど完全(かんぜん)に覚(おぼ)えていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうして覚(おぼ)えたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
 かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう覚(おぼ)えたか、言って聞かしてくれたまえ」
 わたしはそれをどう説明(せつめい)していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して転(ころ)がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると忘(わす)れません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子(こうし)も見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに移(うつ)ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじ飼(か)いさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじ飼(か)いといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の初(はじ)めのほうは暗唱(あんしょう)ができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――覚(おぼ)えていた、覚(おぼ)えていた、まちがいはなかった」
 アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに喜(よろこ)ぶだろう」
 アーサはやがてお話残(のこ)らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明(せつめい)した。かれがすっかり興味(きょうみ)を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句(もんく)をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業(そつぎょう)いていた。
 やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、覚(おぼえ)えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
 ミリガン夫人(ふじん)は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱(あんしょう)しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑(びしょう)にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣(な)いていたかどうか確(たし)かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼(か)いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節(ふし)まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
 こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
 今度こそミリガン夫人(ふじん)はほんとうに泣(な)いていた。なぜならかの女が席(せき)を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人(ふじん)はわたしのそばに寄(よ)って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優(やさ)しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
 わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿(やど)なしのこぞうで、一座(いちざ)の犬やさるたちを連(つ)れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業(かぎょう)のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手(あいて)になり、ほとんど友だちになったのである。
 もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人(ふじん)は実際(じっさい)このむすこの物覚(ものおぼ)えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣(しゅうかん)をつけておいて、いつか回復(かいふく)したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
 ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心(ねっしん)がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜(よろこ)んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械(きかい)のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空(くう)にくり返しているというだけであった。
 そういうわけでむすこに失望(しつぼう)した母親の心には、絶(た)え間(ま)のない物思いがあった。
 だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚(おぼ)えて、一時をちがえず暗唱(あんしょう)して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
 わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人(ふじん)やアーサと過(す)ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
 アーサはわたしに熱(あつ)い友情(ゆうじょう)を寄(よ)せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情(どうじょう)からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
 これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人(ふじん)の行(ゆ)き届(とど)いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
 それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩(ばん)までわたしの心はいつも充実(じゅうじつ)しきっていた。
 鉄道ができて以来(いらい)、フランス南部地方の運河(うんが)を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
 わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者(かいさくしゃ)であるリケの記念碑(きねんひ)が、大西洋(たいせいよう)に注ぐ水と地中海(ちちゅうかい)に落ちる水とが分かれる分水嶺(ぶんすいれい)の頂(いただき)に建(た)てられてあった。
 それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝(ちょすいこう)のめずらしいフスランヌの閘門(こうもん)(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
 おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色(けしき)がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
 いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台(ろだい)の上に集まって、静(しず)かに両岸の景色(けしき)をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
 雨でも降(ふ)ると、わたしたちは船室の中にはいって、勢(いきお)いよく燃(も)えた火を取り巻(ま)いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人(ふじん)はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
 それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。静(しず)かな晩(ばん)など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを好(この)んだ。そこでわたしがアーサの好(す)きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
 それはバルブレンのおっかあの炉(ろ)ばたに育ち、ヴィタリス老人(ろうじん)とほこりっぽい街道(かいどう)を流浪(るろう)して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
 あの気のどくな養母(ようぼ)がこしらえてくれた塩(しお)のじゃがいもと、ミリガン夫人(ふじん)の料理番(りょうりばん)のこしらえるくだもの入りのうまいお菓子(かし)やゼリーやクリームやまんじゅうと比(くら)べると、なんというそういであろう。
 あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、沼(ぬま)のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟(こぶね)の旅と比べては、なんというそういであろう。
 料理(りょうり)はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。腹(はら)も減(へ)らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人(ふじん)と子どもの、めずらしい親切と愛情(あいじょう)であった。
 二度もわたしはわたしの愛(あい)していた人たちから引きはなされた。最初(さいしょ)はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹(くうふく)で、みじめなまま捨(す)てられた。
 そこへ美しい夫人(ふじん)がわたしと同じ年ごろの子どもを連(つ)れて現(あらわ)れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
 たびたびわたしはアーサが寝台(ねだい)に結(ゆわ)えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康(けんこう)と元気に満(み)ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
 それはわたしがうらやむのは、この子を引き包(つつ)んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟(こぶね)ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲(ほ)しがっているだろう。
 かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優(やさ)しい夫人(ふじん)の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得(え)ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
 あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼(よ)ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
 わたしは独(ひと)りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
 わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟(こぶね)に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く続(つづ)けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。


     捨(す)て子(ご)

 旅の日数(ひかず)のたつのは早かった。親方が刑務所(けいむしょ)から出て来る日がずんずん近づいていた。船がだんだんツールーズから遠くなるに従(したが)って、わたしはこの考えに心を苦しめられていた。
 船の旅はこのうえなくおもしろかった。なんの苦労(くろう)もなければ、心配もなかった。これがせっかく水の上を気楽に通って来た道を、今度は足でとぼとぼ歩いて帰らなけれはならないときがじき来るのだ。
 これはたまらなくおもしろくないことであった。そうなればもう寝台(ねだい)もなければ、クリームもない。お菓子(かし)もなけれは、テーブルを取り巻(ま)いた楽しい夜会もなくなるのだ。
 でもそれよりもこれよりもいちばんつらいのは、ミリガン夫人(ふじん)とアーサとに別(わか)れることであった。わたしはこの人たちの友情(ゆうじょう)からはなれなければならないであろう。そのつらさはバルブレンのおっかあに別れたときと同じことであろう。
 わたしはある人びとをしたったり、その人びとからかわいがられると、もう一生その人たちといっしょにくらしたいと思う。それがあいにくいつもじきその人たちと別(わか)れなければならないようになる。いわばちょうどその人たちと別れるために、愛(あい)し愛されたりするようなものであった。
 このごろの楽しい生活のあいだに、ただ一つこの心痛(しんつう)がわたしの心をくもらせた。
 ある日とうとうわたしは思い切って、ミリガン夫人(ふじん)に、ツールーズへ帰るにはどのくらいかかるだろうと聞いた。親方が刑務所(けいむしょ)から出る日に、わたしは刑務所の戸口で待っていようと思ったのである。
 アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
 かれはすすり泣(な)きをしていた。
 わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしを借(か)りていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
 わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分が捨(す)て子(ご)であることをはじに思った――往来(おうらい)で拾われた子どもだということを白状(はくじょう)することをはじに思った。わたしは孤児院(こじいん)の子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中で捨(す)て子(ご)であるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン夫人(ふじん)やアーサに知られることを好(この)まなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言い続(つづ)けた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン夫人(ふじん)は答えた。「わたしたちはずいぶんあの子が好(す)きなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン夫人(ふじん)がかまわず続(つづ)けた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言い張(は)った。
 ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに感謝(かんしゃ)していた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても比較(ひかく)にはならなかった。同時に親方に持つ尊敬(そんけい)と、ミリガン夫人(ふじん)とその病身の子どもに対して持つ愛着(あいちゃく)とは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心から愛(あい)していた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン夫人(ふじん)は続(つづ)けた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯(きょうがい)ではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン夫人(ふじん)が言った。「この子の親方の承諾(しょうだく)を受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは汽車賃(きしゃちん)を送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへ呼(よ)ぶことになるのだが、たぶん承知(しょうち)してくださることだろうと思うから、それで相談(そうだん)したうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
 この最後(さいご)のことばで、わたしの美しいゆめは破(やぶ)れた。
 両親に相談(そうだん)する。そうしたらかれらはわたしが内証(ないしょう)にしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしが捨(す)て子(ご)だということを言いたてるだろう。
 ああ捨(す)て子(ご)。そうなればアーサもミリガン夫人(ふじん)もわたしをきらうようになるだろう。
 まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
 わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が転倒(てんとう)していると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
 幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の部屋(へや)に一人閉(と)じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて以来(いらい)初(はじ)めてのふゆかいな晩(ばん)であった。それはおそろしくふゆかいな、長い熱病(ねつびょう)をわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
 たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしの捨(す)て子(ご)だということを知らずにすむだろう。素性(すじょう)を知られることについてのわたしの羞恥(しゅうち)と恐怖(きょうふ)があまりひどかったので、もうアーサ母子(おやこ)と別(わか)れても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと主張(しゅちょう)することを希望(きぼう)し始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
 それから三日たってミリガン夫人(ふじん)はヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールを連(つ)れて、かれに会いに停車場(ていしゃじょう)まで行くことを許(ゆる)された。
 その朝になると、犬たちはなにか変(か)わったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに興奮(こうふん)していた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに勇気(ゆうき)があったら、親方にたのんで捨(す)て子(ご)だということをミリガン夫人(ふじん)に言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『捨(す)て子(ご)』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、停車場(ていしゃじょう)の片(かた)すみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
 ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり見張(みは)りをゆるめていたので、かれらはぬけ出したのであった。ほえながらかれらは前へとび出した。わたしはかれらが親方にとびかかるのを見た。ほかの二ひきに比(くら)べてははげしくしかもしたたかにカピが、いきなり主人のうでにとびかかった。ゼルビノとドルスがその足にとびかかった。
 親方はわたしを見つけると、手早くカピをどけて、両うでをわたしのからだに投げかけた。初(はじ)めてかれはわたしにキッスした。
「ああよく無事(ぶじ)でいてくれた」とかれはたびたび言った。
 親方はこれまでわたしにつらくはなかったが、こんなふうに優(やさ)しくはなかった。わたしはそれに慣(な)れていなかった。それでわたしは感動して、思わずなみだが目の中にあふれた。それにいまのわたしの心持ちはたやすく物に動かされるようになっていた。わたしはかれの顔をながめた。刑務所(けいむしょ)にはいっているまにかれはひじょうに年を取った。背中(せなか)も曲がったし、顔は青いし、くちびるに血の気(け)はなかった。
「ルミ、わたしは変(か)わったろう。なあ」とかれは言った。「刑務所(けいむしょ)はけっしてゆかいな所ではなかった。それに苦労(くろう)というものは、たちの悪い病気のようなものだ。けれどもう出て来ればだいじょうぶだ。これからはよくなるだろう」
 それから話の題を変(か)えてかれは言い続(つづ)けた。
「わたしの所へ手紙を寄(よ)こしたおくさんのことを話しておくれ。どうしてそのおくさんと知り合いになったのだ」
 わたしはここで、どうして白鳥号に乗って堀割(ほりわり)をこいでいたミリガン夫人(ふじん)とアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。わたしは自分でもなにを言っているのかわからないほど、のべつまくなしに話をした。こうしてわたしは親方の顔を見ると、これから別(わか)れてミリガン夫人(ふじん)の所にいたいと言いだす気にはなれなかった。
 わたしたちはまだ話のすっかりすまないうちに、ミリガン夫人のとまっているホテルに着いた。親方は夫人が手紙でなんと書いて来たか、それは言わなかったから、わたしはかの女の申し出がどんなものであるかなんにも知らなかった。
「そのおくさんはわたしを待っていられるのかな」と、わたしたちがホテルにはいったときにかれは言った。
「ええ、ぼくがいまおくさんの部屋(へや)に案内(あんない)しましょう」とわたしは言った。
「それにはおよばないよ」とかれは答えた。「わたしは一人で上がって行く。おまえはここでジョリクールや、犬たちといっしょにわたしを待っておいで」
 わたしは、いつでもかれに従順(じゅうじゅん)であったけれども、この場合はかれといっしょにミリガン夫人(ふじん)の部屋に行くことが、わたしとしてむろん正当でもあり自然(しぜん)なことだと思っていた。けれども手まねでかれがわたしのくちびるに出かかっていることばをおさえると、わたしはいやいや犬やさるといっしょに下に残(のこ)っていなければならなかった。
 どうしてかれはミリガン夫人と話をするのにわたしのいることを好(この)まなかったか。わたしはこの質問(しつもん)を心の中でくり返しくり返したずねた。それでもまだ明快(めいかい)な答えが得(え)られずに考えこんでいたときにかれはもどって来た。
「行っておくさんに、さようならを言っておいで」とかれはことば短に言った。「わたしはここで待っていてやる。あと十分のうちにたつのだから」
 わたしはかみなりに打たれたような気がした。
「それ」とかれは言った。「おまえはわたしの言ったことがわからないか。なにを気のぬけた顔をして立っている。早くしないか」
 かれはまだこんなふうにあらっぽくものを言ったことがなかった。機械的(きかいてき)にわたしは服従(ふくじゅう)して、立ち上がった。なにがなんだかわからないような顔をしていた。
「あなたはおくさんになんとお言いに……」二足三足行きかけてわたしは問いかけた。
「わたしはおまえがなくてならないし、おまえにもわたしは必要(ひつよう)なのだ。従(したが)ってわたしはおまえに対するわたしの権利(けんり)を捨(す)てることはできませんと言ったのさ。行って来い。いとまごいがすんだらすぐ帰れ……」
 わたしは自分が捨(す)て子(ご)だったという考えばかりに気を取られていたから、わたしがこれですぐに立ち去らなければならないというのは、きっと親方がわたしの素性(すじょう)を話したからだとばかり思っていた。
 ミリガン夫人(ふじん)の部屋(へや)にはいると、アーサがなみだを流している。そのそばに母の夫人が寄(よ)りそっているところを見た。
「ルミ、きみ行ってはいやだよ。ねえ、ルミ、行かないと言ってくれたまえ」とかれはすすり泣(な)きをした。
 わたしはものが言えなかった。ミリガン夫人(ふじん)がわたしの代わりに答えた。つまりわたしがいま親方に言われたとおりにしなければならないことを、アーサに言って聞かせた。
「親方さんにお願いしましたが、あなたをこのままわたしたちにくださることを承知(しょうち)してくださいませんでした」とミリガン夫人(ふじん)は、いかにも悲しそうな声で言った。
「あの人は悪い人だ」とアーサがさけんだ。
「いいえ、あの人は悪い人ではありません」とミリガン夫人は言った。「あの人にはあなたがだいじで手放せないわけがあるのです。それにあの人はあなたをかわいがっていられる……あの人はああいう身分の人のようではない、どうしてりっぱな口のきき方をなさいました。お断(ことわ)りになる理由としてあの人の言われたのは――そう、こうです、――わたしはあの子を愛(あい)している、あの子もわたしを愛している。わたしがあれに授(さず)けている世間の修業(しゅぎょう)は、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。なるほどあなたはあれのちえを養(やしな)ってはくださるだろう、だがあれの人格(じんかく)は作れません。それを作ることのできるのは人生の艱難(かんなん)ばかりです。あれはあなたの子にはなれません。やはりわたしの子どもです。それはどれほどあれにとって居心地(いごこち)がよかろうとも、あなたの病身のお子さんのおもちゃになっているよりは、はるかにましです。わたしもできるだけあの子どもを教えるつもりですから――とこうお言いになるのですよ」
「でもあの人、ルミの父さんでもないくせに」とアーサはさけんだ。
「それはそうです。でもあの人はルミの主人です。ルミはあの人のものです。さし当たりルミはあの人に従(したが)うほかはありません。この子の両親が親方さんにお金で貸(か)したのですから。でもわたしはご両親にも手紙を書いて、やれるだけはやってみましょう」
「ああ、いけません。そんなことをしてはいけません」とわたしはさけんだ。
「それはどういうわけです」
「いいえ、どうかよしてください」
「でもそのほかにしかたがないんですもの」
「ああ、どうぞよしてください」
 ミリガン夫人(ふじん)が両親のことを言いださなかったなら、わたしは親方がくれた十分の時間以上(いじょう)をさようならを言うために費(ついや)したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
 それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人(ふじん)に手をさし延(の)べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの額(ひたい)にキッスしながらつぶやいた。
 わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを愛(あい)します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを忘(わす)れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
 わたしは手早くドアを閉(と)じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
 こうしてわたしは最初(さいしょ)の友だちから別(わか)れた。


     ふぶきとおおかみ

 またわたしは親方のあとについて痛(いた)い肩(かた)にハープを結(むす)びつけたまま、雨が降(ふ)っても、日が照(て)りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日流浪(るろう)して歩かなければならなかった。広場であほうの役を演(えん)じて、笑(わら)ったり泣(な)いたりして見せて、「ご臨席(りんせき)の貴賓諸君(きひんしょくん)」のごきげんをとり結(むす)ばなければならなかった。
 長い旅のあいだ再三(さいさん)わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟(こぶね)の船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿(きちんやど)のねどこのどんなに固(かた)いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の優(やさ)しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
 これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
 かれのわたしに対する様子はすっかり変(か)わっていた。かれはわたしの主人というより以上(いじょう)のものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情(あいじょう)を求(もと)めていた。けれどもわたしにはそれをする勇気(ゆうき)がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを許(ゆる)さない人であった。
 初(はじ)めは恐怖(きょうふ)がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬(そんけい)に似(に)た感情(かんじょう)がかれとわたしをへだてていた。
 わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級(かいきゅう)の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別(くべつ)することができずにいたが、ミリガン夫人(ふじん)と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度(たいど)でも様子でも、かれにはひじょうに高貴(こうき)なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
 そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師(みせものし)というだけだし、ミリガン夫人(ふじん)は貴婦人(きふじん)である、それが似(に)かよったところがあるはずがないと思った。
 だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが確(たし)かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士(しんし)になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴(らんぼう)な人間でも、その威勢(いせい)におされてしまうのであった。
 だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い得(え)ずにしまった。それは向こうから優(やさ)しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
 セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人(ふじん)のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の種(たね)になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえは好(す)いていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。その恩(おん)を忘(わす)れてはならないぞ」
 そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
 こう言う親方のことばを、初(はじ)めはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン夫人(ふじん)がそばへ置(お)きたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
 親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのは確(たし)かであった。そのうえこのことばの中には後悔(こうかい)に似(に)た心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしを残(のこ)しておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
 でもなぜかれがミリガン夫人(ふじん)の申し出を承知(しょうち)することができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が後悔(こうかい)しているということがわかって、わたしは心の底(そこ)に満足(まんぞく)した。
 もうこれでは親方も承知(しょうち)してくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな希望(きぼう)の目標(もくひょう)になった。
 それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
 それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に沿(そ)って歩いていた。
 それで歩きながらわたしの目は両側(りょうがわ)を限(かぎ)っている丘(おか)や、豊饒(ほうじょう)な田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
 わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、波止場(はとば)か橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号を探(さが)した。遠方に半分、深い霧(きり)にかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
 でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
 ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしの探(さが)す美しい船の模様(もよう)を話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
 このごろでは親方も、わたしをミリガン夫人(ふじん)にわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう想像(そうぞう)されたから、もはやわたしの素性(すじょう)を告(つ)げたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの事件(じけん)は親方とミリガン夫人との間の相談(そうだん)でうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を処理(しょり)してみた。ミリガン夫人はわたしをそばに置(お)きたいと言うだろう。親方はわたしに対する権利(けんり)を捨(す)てることを承知(しょうち)してくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
 わたしたちは何週間もリヨンに滞在(たいざい)していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の波止場(はとば)に行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
 しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
 わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン夫人(ふじん)に二度と会う希望(きぼう)を捨(す)てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへ別(わか)れて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの夢想(むこう)の結末(けつまつ)であった。
 いよいよいけなくなったことは、冬がいまや目近(まぢか)にせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない宿屋(やどや)かまたは物置(ものお)き小屋(ごや)につかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔(えがお)をうかべてねむる元気はなかった。
 ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて骨(ほね)までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも情(なさ)けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
 親方の目的(もくてき)は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居(しばい)をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
 道みちの町や村でも、日和(ひより)のつごうさえよければ、ちょっとした興行(こうぎょう)をやって、いくらかでも収入(しゅうにゅう)をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
 シャチヨンをたってから、冷(つめ)たい雨の降(ふ)ったあとで、風は北に変(か)わった。
 もういく日かしめっぽい日が続(つづ)いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
 わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。
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