家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
 わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を笑(わら)いながら見た。
 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢(はいのう)を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを解(と)いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに丸(まる)くなっていた。
 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側(りょうがわ)をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で覚(おぼ)えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABC(アベセ)の字を覚(おぼ)えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは別(べつ)の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔(こうかい)した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を探(さが)し出すことを覚(おぼ)えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが残(のこ)らず草の上にまき散(ち)らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解(りかい)こそ早かったが、物覚(ものおぼ)えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて忘(わす)れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
 そう言うとカピはわかったらしく、得意(とくい)になってしっぽをふった。
 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを覚(おぼ)えた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は譜(ふ)を読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことを覚(おぼ)えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは好(す)きかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに泣(な)きたくなることもあるし、笑(わら)いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが静(しず)かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿(すがた)が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは情(なさ)け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを好(この)まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情(じじょう)から初(はじ)めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜(おんぷ)をこしらえた。
 音譜はABC(アベセ)より入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨(ほね)も折(お)れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒(お)を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「畜生(ちくしょう)に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居(しばい)のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご覧(らん)、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒(せいと)ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼(しつれい)だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足(まんぞく)した。
 とうとう何週間もけいこを続(つづ)けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
 しかし、わたしの課業(かぎょう)は学校にはいっている子どものそれのように、規則(きそく)正しいものではなかった。親方が課業を授(さず)けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入(しゅうにゅう)のある機会(きかい)を見つけしだい、そこで止まって芝居(しばい)をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏(し)に役々の復習(ふくしゅう)をもさせなければならなかった。朝飯(あさめし)も昼飯(ひるめし)もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩(きゅうけい)の時間で、木の根かたや、小砂利(こじゃり)の山の上や、または芝生(しばふ)なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机(つくえ)が代わりになった。
 この教育法(きょういくほう)はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似(に)たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題(しゅくだい)をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念(せんねん)するということであった。授(さず)かった課業(かぎょう)を覚(おぼ)えるのは、覚えるために費(ついや)される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心(ねっしん)であった。
 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋(へや)の中に閉(と)じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒(せいと)のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来(おうらい)に沿(そ)って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛(いた)い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
 だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚(おぼ)えた。と同時に親方の授(さず)けてくれた課業(かぎょう)以上(いじょう)に有益(ゆうえき)な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難(こんなん)な生活を続(つづ)けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓(はいぞう)は発達(はったつ)し、皮膚(ひふ)は厚(あつ)くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
 こうして、このつらいお弟子(でし)修業(しゅぎょう)のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難(こんなん)に打ち勝ってゆく力を養(やしな)うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。


     山こえて谷こえて

 わたしたちはフランスの中央(ちゅうおう)の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
 わたしたちの流行はしごく簡単(かんたん)であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪(かみ)にくしを入れてやる。カピが老兵(ろうへい)の役をやっているときは、目の上に包帯(ほうたい)をしてやる。最後(さいご)にいやがるジョリクールに大将(たいしょう)の軍服(ぐんぷく)を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当(げいとう)を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢(かせい)に呼(よ)んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
 さて一座(いちざ)残(のこ)らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例(れい)のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
 そこでわれわれのあとからついて来る群衆(ぐんしゅう)の数が相応(そうおう)になると、さっそく演芸(えんげい)を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷(ひ)やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打(ねう)ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
 一つの町に五、六日も続(つづ)けて滞留(たいりゅう)いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに預(あず)けたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て覚(おぼ)えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問(しつもん)するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足(まんぞく)させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師(みせものし)でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん低(ひく)い位置(いち)からどんなにも高い位置(いち)に上ることができる。これも覚(おぼ)えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師(おんがくし)が自分を養(やしな)い親(おや)の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜(よろこ)んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇(きょうぐう)の変(か)わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木(じゅもく)もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋(やどや)の物置(ものお)きに一夜を過(す)ごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢(ぐんぜい)を率(ひき)いる大将(たいしょう)がここで生まれたのだ。初(はじ)めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵(こうしゃく)がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄(えいゆう)と呼(よ)んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方は笑(わら)いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度初(はじ)めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿(きゅうでん)で知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに笑(わら)いだした。
 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ残(のこ)っているかべに背中(せなか)をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋(おもや)の屋根の上には、いま出たばかりの満月(まんげつ)が静(しず)かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の頂(いただき)から見晴らす地平線上に限(かぎ)られていた。
 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若(わか)いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
 わたしの、活発に鋭敏(えいびん)に働(はたら)く幼(おさな)い想像(そうぞう)と好奇心(こうきしん)は、この一つのことにばかり働(はたら)いた。


     七里ぐつをはいた大男

 南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続(つづ)けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊(ゆた)かで、住民(じゅうみん)も従(したが)って富貴(ふうき)であったから、わたしたちの興行(こうぎょう)の度数もしぜん多くなり、例(れい)のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
 ふと空中に、ふうわりとちょうど霧(きり)の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔(とう)もあった。修道院(しゅうどういん)のあれたへいの中には、せみが雑木(ぞうき)の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶(きおく)の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象(いんしょう)をあたえた景色(けしき)が現(あらわ)れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側(りょうがわ)にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界(がんかい)が自由に開けた。
 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘(おか)のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則(ふきそく)にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼(しょうろう)が続(つづ)いて散(ち)らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上(まうえ)に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸(かし)通りに沿(そ)って数知れない船が停泊(ていはく)して、林のようにならんだ帆柱(ほばしら)や、帆づなや、それにいろいろの色の旗(はた)を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅(どう)や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸(かし)通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味(きょうみ)をわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船は帆(ほ)をいっぱいに張(は)って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後(さいご)にもう一つ、帆柱(ほばしら)もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻(ま)きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮(まんちょう)だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海(こうかい)から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問(しつもん)の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留(ながとうりゅう)をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要(ひつよう)から、しぜん毎日興行(こうぎょう)の場所をも変(か)えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座(いちざ)』の役者では、狂言(きょうげん)の芸題(げいだい)をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏(し)の家来』『大将(たいしょう)の死』『正義(せいぎ)の勝利(しょうり)』『下剤(げざい)をかけた病人』、そのほか三、四種(しゅ)の芝居(しばい)をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座(いちざ)の役者の芸(げい)は種切(たねぎ)れであった。そこでまた場所を変(か)えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言(きょうげん)を、相変(あいか)わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
 しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易(ようい)に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行(こうぎょう)をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
 ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山(れんざん)まで続(つづ)いていて、『ランド』という名で呼(よ)ばれていた。
 もうわたしもおとぎ話にある若(わか)いはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆(きょうたん)や恐怖(きょうふ)の種(たね)になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の初(はじ)めから、親方を笑(わら)わせるような失敗(しっぱい)を演(えん)じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
 わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸(えんがん)の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場(ぼくじょう)もない。果樹園(かじゅえん)もない、ただまつと灌木(かんぼく)の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低(こうてい)はあっても、日の届(とど)くかぎり野原であった。畑地(はたち)もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側(りょうがわ)がうす黒いこけや、しなびきった灌木(かんぼく)や、いじけたえにしだでおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
 元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸(むね)にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸(むね)がふさがるのであった。
 そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆(ほ)かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人(むじん)の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験(けいけん)したことがあった。
 大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧(あきぎり)の中に消えている地平線まで届(とど)いていた。ひたすら広漠(こうばく)と単調(たんちょう)が広がっている灰色(はいいろ)の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
 わたしたちは歩き続(つづ)けた。でも機械的(きかいてき)にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色(けしき)はいつでも同じことであった。相変(あいか)わらずの灌木(かんぼく)、相変わらずのえにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く低(ひく)く走った。
 ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの興(きょう)をそえるようなものではなかった。いつもまつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。幹(みき)に長く、深い傷(きず)がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を奏(そう)して、この気のどくなまつがみずから痛(いた)みをうったえる声のように聞かれた。
 わたしたちは朝から歩き続(つづ)けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
 わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途(ぜんと)はただ原っぱを見るだけであった。
 親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
 わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
 わたしはカピを呼(よ)んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
 この質問(しつもん)がすぐにわたしを奮発(ふんぱつ)さして、一人で行く気を起こさせた。
 夜はすっかり垂(た)れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊(ゆうれい)じみた形をしているように見えた。野生のえにしだが、頭の上にぬっと高く延(の)びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
 けれどわたしはぜひも頂上(ちょうじょう)まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木(じゅもく)が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延(の)ばしているだけであった。
 わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛(めうし)のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静(しず)まり返っていた。
 どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
 ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気(ひとけ)のない荒野原(あらのはら)の静(しず)けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静(しず)かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖(きょうふ)がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓(しんぞう)は、まるでそこになにか危険(きけん)がせまったようにどきついた。
 わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿(すがた)をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
 わたしは無理(むり)に、それは自分の気の迷(まよ)いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木(かんぼく)のかげかなんぞだったのだ。
 けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
 いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師(かげぼうし)が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確(たし)かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
 それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任(まか)せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
 けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草(ざっそう)のやぶの中に転(ころ)がって、二足ごとにひっかかれた。
 ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物(かいぶつ)はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
 運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
 でもわたしがありったけの速力(そくりょく)で、競争(きょうそう)しても、その怪物(かいぶつ)はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要(ひつよう)はなかった。それがわたしのすぐ背中(せなか)にせまっていることはわかっていた。
 わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後(さいご)の大努力(だいどりょく)をやって、わたしは転(ころ)げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
 犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑(おおわら)いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの肩(かた)をおさえて、無理(むり)に顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
 そういうことばよりも、そのけたたましい笑(わら)い声(こえ)がわたしを正気に返らせた。わたしは片目(かため)ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
 あれほどわたしをおどかした怪物(かいぶつ)はもう動かなくなって、じつと往来(おうらい)に立ち止まっていた。
 その姿(すがた)を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に独(ひと)りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
 けものだろうか。
 人だろうか。
 人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
 けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
 夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師(かげぼうし)は星明かりにはっきりと見えた。
 わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
 話をしかけるところから見れば人間だったか。
 だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
 するとけものかな。
 主人はやはり問いを続(つづ)けた。
 こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
 ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物(かいぶつ)は、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへ連(つ)れて行ってやろうと言った。
 おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
 わたしに勇気(ゆうき)があったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢(はいのう)をしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらも笑(わら)っていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
 そこでかれはわたしに説明(せつめい)してくれた。砂地(すなじ)や沼沢(しょうたく)か多いランド地方の人は、沼地(ぬまち)を歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」


     裁判所(さいばんしょ)

 ポー市にはゆかいな記憶(きおく)がある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
 わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸(えんげい)を何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きな優(やさ)しい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子(かし)の味を覚(おぼ)えた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
 けれども春が近くなるに従(したが)って、お客の数はだんだん少なくなった。芝居(しばい)がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手(あくしゅ)をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨(みす)てて、またもや果(は)て知(し)れない漂泊(ひょうはく)の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山(れんざん)のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
 さてある晩(ばん)わたしたちは川に沿(そ)った豊(ゆた)かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利(こじゃり)をしきつめた往来(おうらい)が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留(たいりゅう)するはずだと話した。
 例(れい)によってそこに着いていちばん初(はじ)めにすることは、あくる日の興行(こうぎょう)につごうのいい場所を探(さが)すことであった。
 つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍(きんぼう)(近所)のきれいな芝生(しばふ)には、大きな樹木(じゅもく)が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道(なみきみち)がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行(こうぎょう)がすることにした。すると初日(しょにち)からもう見物の山を築(きず)いた。
 ところで不幸(ふこう)なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査(じゅんさ)が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快(ふかい)らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄(ちかよ)ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
 追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
 かれはたかが犬を連(つ)れていなかを興行(こうぎょう)いて回る見世物師(みせものし)の老人(ろうじん)ではあったが、ひじょうに気位(きぐらい)が高かったし、権利(けんり)の思想(しそう)をじゅうぶんに持っていたかれは、法律(ほうりつ)にも警察(けいさつ)の規律(きりつ)にも背(そむ)かないかぎりかえって警察から保護(ほご)を受けなければならないはずだと考えた。
 そこで巡査(じゅんさ)が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶(きょぜつ)した。
 もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄(ぐろう)(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃(いんぎん)(ばかていねい)を極端(きょくたん)に用(もち)いていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴(こうき)な有力(ゆうりょく)な人物と応対(おうたい)しているように思われたかもしれなかった。
「権力(けんりょく)を代表せられるところの閣下(かっか)よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査(じゅんさ)におじぎをした。「閣下は果(は)たして、右の権力より発動しまするところのご命令(めいれい)をもって、われわれごときあわれむべき旅芸人(たびげいにん)が、公園においていやしき技芸(ぎげい)を演(えん)じますることを禁止(きんし)せられようと言うのでございましょうか」
 巡査(じゅんさ)の答えは、議論(ぎろん)の必要(ひつよう)はない、ただだまってわたしたちは服従(ふくじゅう)すればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力(けんりょく)によって、このご命令(めいれい)をお発しになったか、それさえ承知(しょうち)いたしますれば、さっそくおおせつけに服従(ふくじゅう)いたしますことを、つつしんで誓言(せいごん)いたしまする」
 この日は巡査(じゅんさ)も背中(せなか)を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、旗(はた)を巻(ま)いて退(しりぞ)く敵(てき)に向かって敬礼(けいれい)した。
 けれどその翌日(よくじつ)も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋(しばいごや)の囲(かこ)いのなわをとびこえて、興行(こうぎょう)なかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪(くちわ)をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは法律(ほうりつ)の命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
 このときはちょうど『下剤(げざい)をかけた病人』という芝居(しばい)をやっている最中(さいちゅう)でツールーズでは初(はじ)めての狂言(きょうげん)なので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
 それで巡査(じゅんさ)の干渉(かんしょう)に対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
「芝居(しばい)をさせろよ、おまわりさん」
 親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根(はね)が地面の砂(すな)と、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査(じゅんさ)に向かってした。
「権力(けんりょく)を代表せられる令名(れいめい)高き閣下(かっか)は、わたくしの一座(いちざ)の俳優(はいゆう)どもに、口輪(くちわ)をはめろというご命令(めいれい)でございますか」
 とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪(くちわ)をはめろとおっしゃるか」親方は巡査(じゅんさ)に向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピ君(ぎみ)が、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸(ふこう)なるジョリクール氏(し)が服すべき下剤(げざい)の調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪(くちわ)などとは、氏が医師(いし)たる職業(しょくぎょう)がふさわしからぬ道具であります」
 この演説(えんぜつ)が見物をいっせいに笑(わら)わした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗って弁(べん)じ続(つづ)けた。
「さてまたかの美しき看護婦(かんごふ)ドルス嬢(じょう)にいたしましても、ここに権力(けんりょく)の残酷(ざんこく)なる命令(めいれい)を実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙(こうみょう)なる弁舌(べんぜつ)をもって、病人に勧(すす)めてよくその苦痛(くつう)を和(やわら)ぐる下剤(げざい)を服用させることができましょうや。賢明(けんめい)なる観客諸君(かんきゃくしょくん)のご判断(はんだん)をあおぎたてまつります」
 見物人の拍手(はくしゅ)かっさいと笑(わら)い声(ごえ)で、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成(さんせい)して巡査(じゅんさ)を嘲弄(ちょうろう)した。とりわけジョリクールがかげでしかめっ面(つら)をするのをおもしろがっていた。このさるは『権力(けんりょく)が代表せられる令名(れいめい)高き閣下(かっか)』の真後(まうし)ろに座(ざ)をかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査(じゅんさ)は両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろに反(そ)らせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
 巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
 群衆(ぐんしゅう)はおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまの飼(か)い犬(いぬ)があすも口輪(くちわ)をしていなかったらすぐきさまを拘引(こういん)する。それだけを言いわたしておく」
「さようなら閣下(かっか)。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
 巡査(じゅんさ)が大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかい面(づら)に敬礼(けいれい)していた。そして芝居(しばい)は続(つづ)けて演(えん)ぜられた。
 わたしは親方が犬の口輪(くちわ)を買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。その晩(ばん)は巡査とけんかをしたことについては一言(ごん)の話もなしに過(す)ぎた。
 わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが芝居(しばい)の最中(さいちゅう)に、口輪(くちわ)を食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいて慣(な)らしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも巡査(じゅんさ)がやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓(ひゃくしょう)らしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査(じゅんさ)はおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居(しばい)で道化役(どうけやく)を演(えん)じることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけを連(つ)れて行くのだ。おまえはなわ張(ば)りをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査(じゅんさ)めさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬を連(つ)れて現(あらわ)れることにする。それから茶番が始まるのだ」
 わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従(ふくじゅう)しなければならないと思った。
 さてわたしはいつもの場所へ出かけて、囲(かこ)いのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわ張(ば)りの外に群(むら)がった。
 このごろではわたしもハープをひくことを覚(おぼ)えたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄(こうた)を覚(おぼ)えて、それがいつも大かっさいを博(はく)した。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
 きのう巡査(じゅんさ)との争論(そうろん)を見物した人たちは残(のこ)らず出て来たし、おまけに友だちまで引(ひ)っ張(ぱ)って来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆(こうしゅう)はあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下(かっか)、いずれ明日」と言った捨(す)てぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
 それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中(さいちゅう)口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
 わたしはうなずいた。
 親方は来ないで、先に巡査(じゅんさ)がやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
 かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆(ぐんしゅう)はかれの道化芝居(どうけしばい)をおかしがって手をたたいた。
 巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
 いったいこの結末(けつまつ)はどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査(じゅんさ)に答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令(めいれい)したら、わたしはなんと言えばいいのだ。
 巡査(じゅんさ)はなわ張(ば)りの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだか肩(かた)ごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
 ジョリクールは事件(じけん)の重大なことを理解(りかい)しなかった。そこでおもしろ半分なわ張(ば)りの中で巡査(じゅんさ)とならんで歩きながら、その一挙一動(いっきょいちどう)を身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、肩(かた)ごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっと笑(わら)った。
 わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールを呼(よ)び寄(よ)せた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変(あいか)わらずとことこ歩いていた。
 どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査(じゅんさ)はあんまり腹(はら)を立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわ張(ば)りの中へとびこんで来た。
 と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
 わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人(ろうじん)はどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査(じゅんさ)のうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
 しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
 巡査(じゅんさ)はおこってむらさき色になっていた。
 親方はどうどうとした様子であった、かれは例(れい)の美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨(ふんがい)と威圧(いあつ)の表情(ひょうじょう)がうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
 けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴(らんぼう)に前へおし出した。
 ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
 親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人(ろうじん)であった。巡査(じゅんさ)のほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
 けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と巡査(じゅんさ)は言った。「拘引(こういん)するのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問(しつもん)した。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
 親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
「宿屋(やどや)へ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上(こうじょう)で言って寄(よ)こすから(ことずてをするから)」
 かれはそのうえもうなにも言う機会(きかい)がなかった。巡査(じゅんさ)はかれを引きずって行った。
 こんなふうにして、親方が余興(よきょう)にしくんだ狂言(きょうげん)はあっけなく結末(けつまつ)がついた。
 犬たちは初(はじ)め主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしが呼(よ)び返すと、服従(ふくじゅう)に慣(な)らされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪(くちわ)をはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪(かなわ)ではなくって、ただ細い絹糸(きぬいと)を二、三本、鼻の回りに結(むす)びつけて、あごの下にふさを垂(た)らしてあった。白いカピは赤い糸を結(むす)んでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力(けんりょく)の命令(めいれい)を逆(ぎゃく)に喜劇(きげき)の種(たね)に利用(りよう)しようとしていたのである。
 群衆(ぐんしゅう)はさっそく散(ち)ってしまった。二、三人ひま人(じん)が残(のこ)っていまの事件(じけん)を論(ろん)じ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって巡査(じゅんさ)は子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ災難(さいなん)さ。巡査に反抗(はんこう)したことを証明(しょうめい)すれば、あのじいさんは刑務所(けいむしょ)へやられるだろう、きっと」
 わたしはがっかりして宿屋(やどや)へ帰った。
 わたしはこのころでは毎日だんだんと親方が好(す)きになっていた。わたしたちは朝から晩(ばん)までいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたような行(ゆ)き届(とど)いた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪(るろう)の旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布(もうふ)を半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴(らんぼう)に耳を引(ひ)っ張(ぱ)ることもあったけれど、わたしに過失(かしつ)があれば、それもしかたがなかった。一言(ごん)で言えばわたしはかれを愛(あい)していたし、かれはわたしを愛していた。
 だからこの別(わか)れはわたしにはなによりつらいことであった。
 いつまたいっしょになれるだろうか。
 いったいどのくらい牢屋(ろうや)へ入れておくつもりなのだろう。
 そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
 ヴィタリス親方はいつもからだに金(かね)をつけている習慣(しゅうかん)であった。それが引(ひ)っ張(ぱ)られて行くときになにもわたしに置(お)いて行くひまがなかった。
 わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
 わたしはそれから二日のあいだ、宿屋(やどや)から外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
 やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙を届(とど)けて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権(けいさつけん)に反抗(はんこう)し、かつ巡査(じゅんさ)に手向かいをした科(とが)で裁判(さいばん)を受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難(さいなん)を招(まね)いたがいまさらいたしかたもない。裁判所(さいばんしょ)へ来てごらん、教訓(きょうくん)になることがあるであろう」
 こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
 わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれが尾(お)をふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれが初(はじ)めてであった。
 わたしは土曜日の朝早く裁判所(さいばんしょ)に行って、いの一番に傍聴席(ぼうちょうせき)にはいった。巡査(じゅんさ)とのけんかを目撃(もくげき)した人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
 どろぼうをして拘引(こういん)された男や、けんかをしてつかまった男が初(はじ)めに裁判(さいばん)を受けた。弁護人(べんごにん)は無罪(むざい)を言(い)い張(は)っていたけれど、それはみんな有罪(ゆうざい)を宣告(せんこく)された。
 いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵(けんぺい)の間にはさまってこしかけにかけていた。

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