家なき子
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著者名:マロエクトール・アンリ 

 こう言ってかれは目の前のあれた高原(こうげん)を指さした。そこにはやせこけたえにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。
 にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
 この背(せい)の高い老人(ろうじん)は、ともかく親切(しんせつ)な主人であるらしい。
 わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
 老人(ろうじん)はジョリクールを肩(かた)の上に乗せたり、背嚢(はいのう)の中に入れたりして、しじゅう規則(きそく)正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
 ときどき老人はかれらに優(やさ)しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
 かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが精(せい)いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし得(え)なかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
 このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音(ほんね)をふいたな」とヴィタリスが笑(わら)いながら言った。「それではくつが欲(ほ)しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを底(そこ)に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
 底(そこ)にくぎを打ったくつ、わたしは得意(とくい)でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも忘(わす)れてしまった。
 くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
 まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意(とくい)になるだろう。
 けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
 わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
 ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ家(が)ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく骨(ほね)まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで冷(ひ)えきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいた覚(おぼ)えがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
 ところがこの村には一けんも宿屋(やどや)というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き連(つ)れて、ぬれねずみになった同勢(どうぜい)をとめようという者はなかった。
「うちは宿屋(やどや)じゃないよ」
 こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん断(ことわ)られた。
 これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ冷(つめ)たく骨身(ほねみ)に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
 やっとのことで一けんの百姓家(ひゃくしょうや)がいくらか親切があって、わたしたちを納屋(なや)にとめることを承知(しょうち)してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家(ひゃくしょうや)の主人はヴィタリス老人(ろうじん)に言った。
 それでもとにかく、風雨を防(ふせ)ぐ屋根だけはできたのであった。
 老人(ろうじん)は食料(しょくりょう)なしに旅をするような不注意(ふちゅうい)な人ではなかった。かれは背中(せなか)にしょっていた背嚢(はいのう)から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
 さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間(なかま)の規律(きりつ)を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿(やど)を探(さが)して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人(ろうじん)はただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜は覚(おぼ)えていろ」とだけ言った。
 わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは忘(わす)れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
 ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に置(お)いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
 老人(ろうじん)は命令(めいれい)するような調子で言った。「どろぼうは仲間(なかま)をはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
 ゼルビノは席(せき)を去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草の積(つ)んである下にもぐりこんで、姿(すがた)が見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくん泣(な)いている声が聞こえた。
 老人(ろうじん)はそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
 どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、暖(あたた)かい炉(ろ)の火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台(ねだい)がこいしいな。
 もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれて痛(いた)んだ。着物はぬれしょぼたれているので、冷(つめ)たくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人(ろうじん)が言った。
「ええ、少し」
 わたしはかれが背嚢(はいのう)を開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきに暖(あたた)かになってねむられるよ」
 でも老人(ろうじん)が言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨の降(ふ)る中を歩いて、寒さにふるえながら、物置(ものお)きの中にねて、夕食にはたった一きれの固(かた)パンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
 わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
 そのときふと暖(あたた)かい息が顔の上にかかるように思った。
 わたしは手を延(の)ばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいを優(やさ)しくかぎ回る息が、わたしのほおにも髪(かみ)の毛(け)にもかかった。
 この犬はなにをしようというのであろう。
 やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上に転(ころ)げて、それはごく静(しず)かにわたしの手をなめ始めた。
 わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、その冷(つめ)たい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったような泣(な)き声(ごえ)を立てたが、やがて手早く前足をわたしの手に預(あず)けて、じつとおとなしくしていた。
 わたしはつかれも悲しみも忘(わす)れた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。


     初舞台(はつぶたい)

 そのあくる日は早く出発した。
 空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度続(つづ)けてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
 こう言っているのであった。
 かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬の尾(お)のふり方にはたいていの人の舌(した)や口で言う以上(いじょう)の頓知(とんち)と能弁(のうべん)がふくまれていた。わたしとカピの間にはことばは要(い)らなかった。初(はじ)めての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
 わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、初(はじ)めて町を見るのはなにより楽しみであった。
 でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町の塔(とう)や古い建物(たてもの)などよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
 老人(ろうじん)がやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
 わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場(いちば)の後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲(てっぽう)だの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
 わたしたちは三段(だん)ほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋(へや)にはいった。
 くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
 けれども老人(ろうじん)にはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍(ばい)も重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
 老人の情(なさ)けはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織(けお)りのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品は残(のこ)らずそろった。
 まあ、麻(あさ)の着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人(ろうじん)は世界じゅうでいちばんいい人でいちばん情(なさ)け深い人だと思われた。
 もっともそのビロードは油じみていたし、毛織(けお)りのズボンはかなり破(やぶ)れていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
 ところで宿屋(やどや)に帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人(ろうじん)がはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
 わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明(せつめい)した。
 わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは芸人(げいにん)だろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
 こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、その晩(ばん)はもうイタリアの子どもになっていた。
 ズボンはやっとひざまで届(とど)いた。老人(ろうじん)はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを結(むす)びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
 わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足(まんぞく)したふうで前足を出した。
 わたしはカピの賛成(さんせい)を得(え)たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中(さいちゅう)、例(れい)のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように笑(わら)ったので、一方にそういう実意のある賛成者(さんせいしゃ)のできたのがよけいにうれしかったのである。
 いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと仲(なか)よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした笑(わら)い方(かた)をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く働(はたら)かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後(さいご)にぼうしを頭にかぶると老人(ろうじん)が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは市(いち)の立つ日だから、おまえは初舞台(はつぶたい)を務(つと)めなければならない」
 初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
 老人(ろうじん)はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手(あいて)に芝居(しばい)をすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居(しばい)をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当(げいとう)をやるのでも、みんなけいこをして覚(おぼ)えたのだ。ずいぶん骨(ほね)の折(お)れたことではあったが、その代わりご覧(らん)、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が要(い)る。とにかく仕事にかかろう」
 これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言(きょうげん)は、『ジョリクール氏(し)の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう筋(すじ)だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足(まんぞく)していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール氏(し)の所へ奉公口(ほうこうぐち)を探(さが)しにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居(しばい)だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人が笑(わら)いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは初(はじ)めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居(しばい)に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
 このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一枚(まい)置(お)いてあった。
 どうしてこれだけのものをならべようか。
 わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、腹(はら)をかかえて笑(わら)いだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが先(せん)に使っていた子どもは狡猾(こうかつ)そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然(しぜん)でいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居(しばい)がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに困(こま)っている心持ちを忘(わす)れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根(しょうね)は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居(しばい)のおかしいところなのだ」
 『ジョリクール氏(し)の家来』は大芝居(おおしばい)というのではなかったから、二十分より長くは続(つづ)かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは厳(きび)しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
 これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
 わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順(じゅうじゅん)でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく覚(おぼ)えるが、すぐそれを忘(わす)れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質(せいしつ)だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心(りょうしん)を持たない。あれには義務(ぎむ)ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生覚(おぼ)えておいで」
 こういう話をしているうち、わたしは勇気(ゆうき)をふるい起こして、芝居(しばい)のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問(しつもん)した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
 かれはにっこり笑(わら)った。「おまえは百姓(ひゃくしょう)たちの仲間(なかま)にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒(ぼう)でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優(やさ)しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓(きょうくん)をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性(ひんせい)を作ってくれた」
 わたしは笑(わら)った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続(つづ)けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓(きょうくん)を授(さず)けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
 すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼(か)い犬(いぬ)を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗(ごうとう)の犬はどろぼうをする。ばかな百姓(ひゃくしょう)が飼い犬はばかで、もののわからないものだ。親切な礼儀(れいぎ)正しい人は、やはり気質(きしつ)のいい犬を飼っている」
 わたしはあしたおおぜいの前に現(あらわ)れるということを思うと、胸(むね)がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
 わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹(はら)をかかえて笑(わら)うところを見た。
 あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居(しばい)をするはずのさかり場まで行列を作って行った。
 親方が先に立って行った。背(せい)の高いかれは首をまっすぐに立て、胸(むね)を前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子(ひょうし)をとって行った。その後ろにカピが続(つづ)いた。イギリスの大将(たいしょう)の軍服(ぐんぷく)をまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根(はね)でかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中(せなか)にいばって乗っていた。
 ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
 わたしがしんがりを務(つと)めていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当(てきとう)な間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
 なによりも親方のふくするどいふえの音(ね)にひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家の窓(まど)という窓はカーテンが引き上げられた。
 子どもたちの群(む)れがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
 わたしたちの芝居小屋(しばいごや)はさっそくできあがった。四本の木になわを結(むす)び回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取(じんど)ったのである。
 番組の第一は犬の演(えん)じるいろいろな芸当(げいとう)であった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習(ふくしゅう)することにばかり気を取られていた。わたしが記憶(きおく)していたことは、親方がふえをそばへ置(お)き、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、静(しず)かな悲しい調子の曲であることもあった。なわ張(ば)りの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
 一番の芸当(げいとう)が終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中で銭(ぜに)を入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんな笑(わら)いだして、うれしがってときの声を上げた。
 じょうだんや、嘲笑(ちょうしょう)のささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから遺産(いさん)をもらったくせに、けちな男だなあ」
 さてとうとう銀貨(ぎんか)が一枚(まい)おく深(ふか)いかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一言(ごん)もものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意(とくい)らしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
 いよいよ芝居(しばい)の始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
 親方は、片手(かたて)に弓(ゆみ)、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上(こうじょう)を述(の)べだした。
「これより『ジョリクール氏(し)の家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇(きげき)をごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人(げいにん)が、手前みそに狂言(きょうげん)の功能(こうのう)をならべたり、一座(いちざ)の役者のちょうちん持ちをして、自分から品(ひん)を下げるようなことはいたしませぬ。ただ一言(ごん)申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子(てびょうし)ごかっさいのご用意を願(ねが)っておくことだけでございます。始(はじ)まり」
 親方はゆかいな喜劇(きげき)だと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言(きょうげん)にすぎなかった。それもそのはずで、立役者(たてやくしゃ)の二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
 けれども見物に芝居(しばい)をよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明(せつめい)した。
 そこでたとえば勇(いさ)ましい戦争(せんそう)の曲をひきながら、かれはジョリクール大将(たいしょう)が登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名(こうみょう)を現(あらわ)して、いまの高い地位(ちい)にのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷(どれい)であったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
 家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻(はま)きをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物(みもの)であった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピに連(つ)れられて舞台(ぶたい)に現(あらわ)れることになる。
 わたしが役を忘(わす)れていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
 やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将(たいしょう)がわたしを紹介(しょうかい)した。
 大将(たいしょう)はわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざ連(つ)れて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうして肩(かた)をそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
 芝居(しばい)がまたいかにもわたしのあほうさの底(そこ)が知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
 いろいろとわたしを試験(しけん)をしてみた末(すえ)、大将(たいしょう)はかわいそうになって、とにかく朝飯(あさめし)を食(た)べさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上(こうじょう)をはさんだ。
 わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器(しょっき)がならんで、さらの上にナプキンが置(お)いてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
 カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
 そのとき大将(たいしょう)が腹(はら)をかかえて大笑(おおわら)いをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
 わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
 やがて思いついたことがあって、わたしはそれを丸(まる)く巻(ま)いてネクタイにした。大将(たいしょう)がもっと笑(わら)った。カピがまたでんぐり返しを打った。
 そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯(あさめし)を食べだした。
 ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服(ぐんぷく)のボタンの穴(あな)にナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美(ゆうび)なしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用(きよう)に歯をせせって(つついて)見せたとき、割(わ)れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居(しばい)はめでたくまい納(おさ)めた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
 宿屋(やどや)に帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者(きげきやくしゃ)になって、主人からおほめのことばをいただいて、得意(とくい)になるほどになったのである。


     読み書きのけいこ

 ヴィタリス親方の小さな役者の一座(いちざ)は、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
 ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
 今度はどこへ行くのだろう。
 わたしはもう大胆(だいたん)になって、こう質問(しつもん)を親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
 わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
 かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
 わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、預(あずか)った子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
 わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一課(か)をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABC(アベセ)をすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
 わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
 たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
 そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
 なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
 それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
 わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を笑(わら)いながら見た。
 わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢(はいのう)を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを解(と)いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに丸(まる)くなっていた。
 親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側(りょうがわ)をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で覚(おぼ)えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
 やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABC(アベセ)の字を覚(おぼ)えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは別(べつ)の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔(こうかい)した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
 わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を探(さが)し出すことを覚(おぼ)えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが残(のこ)らず草の上にまき散(ち)らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
 はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解(りかい)こそ早かったが、物覚(ものおぼ)えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて忘(わす)れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
 そう言うとカピはわかったらしく、得意(とくい)になってしっぽをふった。
 そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを覚(おぼ)えた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は譜(ふ)を読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことを覚(おぼ)えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは好(す)きかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに泣(な)きたくなることもあるし、笑(わら)いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが静(しず)かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿(すがた)が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
 わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
 かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは情(なさ)け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
 かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを好(この)まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情(じじょう)から初(はじ)めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
 そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜(おんぷ)をこしらえた。
 音譜はABC(アベセ)より入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨(ほね)も折(お)れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒(お)を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「畜生(ちくしょう)に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居(しばい)のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
 自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご覧(らん)、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
 わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒(せいと)ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼(しつれい)だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足(まんぞく)した。
 とうとう何週間もけいこを続(つづ)けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
 むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
 しかし、わたしの課業(かぎょう)は学校にはいっている子どものそれのように、規則(きそく)正しいものではなかった。親方が課業を授(さず)けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
 毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入(しゅうにゅう)のある機会(きかい)を見つけしだい、そこで止まって芝居(しばい)をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏(し)に役々の復習(ふくしゅう)をもさせなければならなかった。朝飯(あさめし)も昼飯(ひるめし)もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩(きゅうけい)の時間で、木の根かたや、小砂利(こじゃり)の山の上や、または芝生(しばふ)なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机(つくえ)が代わりになった。
 この教育法(きょういくほう)はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似(に)たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題(しゅくだい)をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
 けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念(せんねん)するということであった。授(さず)かった課業(かぎょう)を覚(おぼ)えるのは、覚えるために費(ついや)される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心(ねっしん)であった。
 幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋(へや)の中に閉(と)じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒(せいと)のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来(おうらい)に沿(そ)って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛(いた)い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
 だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚(おぼ)えた。と同時に親方の授(さず)けてくれた課業(かぎょう)以上(いじょう)に有益(ゆうえき)な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
 ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難(こんなん)な生活を続(つづ)けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓(はいぞう)は発達(はったつ)し、皮膚(ひふ)は厚(あつ)くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
 こうして、このつらいお弟子(でし)修業(しゅぎょう)のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難(こんなん)に打ち勝ってゆく力を養(やしな)うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。


     山こえて谷こえて

 わたしたちはフランスの中央(ちゅうおう)の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
 わたしたちの流行はしごく簡単(かんたん)であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪(かみ)にくしを入れてやる。カピが老兵(ろうへい)の役をやっているときは、目の上に包帯(ほうたい)をしてやる。最後(さいご)にいやがるジョリクールに大将(たいしょう)の軍服(ぐんぷく)を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当(げいとう)を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢(かせい)に呼(よ)んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
 さて一座(いちざ)残(のこ)らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例(れい)のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
 そこでわれわれのあとからついて来る群衆(ぐんしゅう)の数が相応(そうおう)になると、さっそく演芸(えんげい)を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷(ひ)やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打(ねう)ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
 一つの町に五、六日も続(つづ)けて滞留(たいりゅう)いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに預(あず)けたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て覚(おぼ)えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問(しつもん)するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足(まんぞく)させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師(みせものし)でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん低(ひく)い位置(いち)からどんなにも高い位置(いち)に上ることができる。これも覚(おぼ)えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師(おんがくし)が自分を養(やしな)い親(おや)の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜(よろこ)んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇(きょうぐう)の変(か)わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
 いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
 さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木(じゅもく)もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋(やどや)の物置(ものお)きに一夜を過(す)ごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢(ぐんぜい)を率(ひき)いる大将(たいしょう)がここで生まれたのだ。初(はじ)めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵(こうしゃく)がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄(えいゆう)と呼(よ)んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
 わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方は笑(わら)いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度初(はじ)めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿(きゅうでん)で知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
 わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに笑(わら)いだした。
 わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ残(のこ)っているかべに背中(せなか)をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋(おもや)の屋根の上には、いま出たばかりの満月(まんげつ)が静(しず)かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
 そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
 わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の頂(いただき)から見晴らす地平線上に限(かぎ)られていた。
 わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若(わか)いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
 わたしの、活発に鋭敏(えいびん)に働(はたら)く幼(おさな)い想像(そうぞう)と好奇心(こうきしん)は、この一つのことにばかり働(はたら)いた。


     七里ぐつをはいた大男

 南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続(つづ)けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊(ゆた)かで、住民(じゅうみん)も従(したが)って富貴(ふうき)であったから、わたしたちの興行(こうぎょう)の度数もしぜん多くなり、例(れい)のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
 ふと空中に、ふうわりとちょうど霧(きり)の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
 あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔(とう)もあった。修道院(しゅうどういん)のあれたへいの中には、せみが雑木(ぞうき)の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
 けれどそれもこれもみんなわたしの記憶(きおく)の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象(いんしょう)をあたえた景色(けしき)が現(あらわ)れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
 わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側(りょうがわ)にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界(がんかい)が自由に開けた。
 大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘(おか)のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則(ふきそく)にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼(しょうろう)が続(つづ)いて散(ち)らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上(まうえ)に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸(かし)通りに沿(そ)って数知れない船が停泊(ていはく)して、林のようにならんだ帆柱(ほばしら)や、帆づなや、それにいろいろの色の旗(はた)を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅(どう)や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸(かし)通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
 わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
 なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
 しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
 つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味(きょうみ)をわたしの心にひき起こした。
 いくそうかの船は帆(ほ)をいっぱいに張(は)って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後(さいご)にもう一つ、帆柱(ほばしら)もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻(ま)きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮(まんちょう)だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海(こうかい)から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
 わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
 わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問(しつもん)の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
 これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留(ながとうりゅう)をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要(ひつよう)から、しぜん毎日興行(こうぎょう)の場所をも変(か)えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座(いちざ)』の役者では、狂言(きょうげん)の芸題(げいだい)をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏(し)の家来』『大将(たいしょう)の死』『正義(せいぎ)の勝利(しょうり)』『下剤(げざい)をかけた病人』、そのほか三、四種(しゅ)の芝居(しばい)をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座(いちざ)の役者の芸(げい)は種切(たねぎ)れであった。そこでまた場所を変(か)えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言(きょうげん)を、相変(あいか)わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。

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