塩原多助旅日記
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著者名:三遊亭円朝 

 いや是(これ)は若林先生(わかばやしせんせい)、さア此方(こちら)へお這入(はい)んなさい。どうも久(ひさ)し振(ぶり)でお目(め)に掛(かゝ)りました。裏猿楽町(うらさるがくちやう)二番地(ばんち)へ御転住(ごてんぢう)になつたといふ事でございますから、一寸(ちよつと)お家(いへ)見舞(みまひ)にあがるんですが、どうも何(なに)も貴方(あなた)のお座敷(ざしき)へ出すやうな話がないので、つい御無沙汰(ごぶさた)致(いた)しました。時に斯(か)ういふ話があるんです。是(これ)は貴方(あなた)も御承知(ごしようち)の石切河岸(いしきりがし)にゐた故人(こじん)柴田是真翁(しばたぜしんをう)の処(ところ)へ私(わたくし)が行(い)つて聞いた話ですが、是(これ)は可笑(をか)しいて……私(わたくし)が何処(どこ)へ行(い)つても口馴(くちな)れてお喋(しやべ)りをするのは御承知(ごしようち)の塩原多助(しほばらたすけ)の伝(でん)だが、此(こ)の多助(たすけ)の伝(でん)は是真翁(ぜしんをう)が教へてくれたのが初まりだが、可笑(をか)しいぢやありませぬか。どういふ訳(わけ)かといふと、其頃(そのころ)私(わたくし)が怪談(くわいだん)の話の種子(たね)を調べようと思つて、方々(はう/″\)へ行(い)つて怪談(くわいだん)の種子(たね)を買出(かひだ)したと云(い)ふのは、私(わたくし)の家(うち)に百幅幽霊(ぷくいうれい)の掛物(かけもの)があるから、百怪談(くわいだん)といふものを拵(こしら)へて話したいと思ふ時分(じぶん)の事で、其頃(そのころ)はまだ世の中が開(ひら)けないで、怪談(くわいだん)の話の売(う)れる時分(じぶん)だから、種子(たね)を探して歩いた。或時(あるとき)是真翁(ぜしんをう)の処(ところ)へ行(ゆ)くと、是真翁(ぜしんをう)が「お前(まへ)は此頃(このごろ)大層(たいそう)怪談(くわいだん)の種子(たね)を探しておいでださうだ。」「どうか怪談(くわいだん)の種子(たね)を百種買出(いろかひだ)して見たいと思ひます。八代目(だいめ)団(だん)十郎(らう)や市村羽左衛門(いちむらうざゑもん)の怪談(くわいだん)、沢村宗(さはむらそう)十郎(らう)の御殿女中(ごでんぢよちう)の怪談(くわいだん)、岩井半(いはゐはん)四郎(らう)の怪談(くわいだん)、其他(そのた)聞いた事見た事を種々(いろ/\)集めてゐるんですが」と云(い)ふと、是真翁(ぜしんをう)が「円朝(ゑんてう)さん、妙(めう)な怪談(くわいだん)の種子(たね)がある。こりやア面白(おもしろ)い怪談(くわいだん)だが、お前(まへ)何(なに)を知らないか、塩原多助(しほばらたすけ)といふ本所(ほんじよ)相生町(あひおひちやう)二丁目(ちやうめ)の炭屋(すみや)の怪談(くわいだん)を」「知りませぬ」「さうかね、塩原多助(しほばらたすけ)といふ炭屋(すみや)の井戸(ゐど)は内井戸(うちゐど)であつたさうだが、其家(そのうち)はたいした身代(しんだい)だから、何(なん)とかいふ名(な)のある結構(けつこう)な石でこしらへた立派(りつぱ)な井戸(ゐど)ださうだ。ところが其(そ)の井戸(ゐど)の中(なか)へ嫁(よめ)が身を投げて死んだり、二代目と三代目の主人が気違(きちが)ひになつたりしたのが、其家(そのいへ)の潰(つぶ)れる初まりといふので、そりやア何(なん)とも云(い)へない凄(すご)い怪談(くわいだん)がある」「へー、それはどう云(い)ふ筋(すぢ)です」「委(くは)しい事は知らないが、何(なん)でも其(そ)の初代(しよだい)の多助(たすけ)といふ人は上州(じやうしう)の方(はう)から出て来(き)た人で、同じ国者(くにもの)が多助(たすけ)を便(たよ)つて来(き)て、私(わし)もお前(まへ)のやうな大きな身代(しんだい)になりたい、国(くに)の家(いへ)が潰(つぶ)れたから江戸(えど)で稼(かせ)いで、国(くに)の家(いへ)を再興(さいこう)したいと思つて出て来(き)たのだから、どうか資本(もとで)を貸(か)してくれと云(い)ふと、多助(たすけ)がそりやアいけない、他人(ひと)に資本(もとで)を借(か)りてやるやうな事では仕方(しかた)がない、何(なん)でも自分で苦しんで蟻(あり)が塔(たふ)を積(つ)むやうにボツ/\身代(しんだい)をこしらへたのでなくては、大きな身代(しんだい)になれるものではないから、兎(と)も角(かく)も細(こま)かい商(あきな)ひをして二朱(しゆ)か三朱(しゆ)の裏店(うらだな)へ住(すま)つて、一生懸命(しやうけんめい)に稼(かせ)ぎ、朝は暗い中(うち)から商(あきな)ひに出(で)、日(ひ)が暮(くれ)てから帰(かへ)つて来(く)るやうにし、夜(よる)は翌日(あした)の買出(かひだ)しに出る支度(したく)をし、一時(とき)か一時半(ときはん)ほか寝(ね)ないで稼(かせ)いで、金(かね)を貯(た)めなければ、本当(ほんたう)に金(かね)は貯(たま)らない。私(わし)なども其位(そのくらゐ)な苦しみをして漸(やうや)く斯(か)ういふ身(み)の上(うへ)になつたのだ。と云(い)はれて此人(このひと)も多助(たすけ)のいふことを成程(なるほど)と感心(かんしん)したから、自分も何(なん)ぞ商(あきな)ひをしようといふので、是(これ)から漬物屋(つけものや)を初めた。すると相応(さうおう)に商(あきな)ひもあるから、商(あきな)ひ高(だか)の内(うち)より貯(た)めて置いて、これを多助(なすけ)に預(あづ)けたのが段々(だん/\)積(つも)つて、二百両(りやう)ばかりになつた。其頃(そのころ)の百両(りやう)二百両(りやう)と云(い)ふのは大(たい)したものだから、もう是(これ)で国(くに)へ帰(かへ)つて田地(でんぢ)も買(か)へるし、家(いへ)も建(た)てられるといふので、大(おほ)いに悦(よろこ)んで多助(たすけ)に相談の上(うへ)、国(くに)へ帰(かへ)つた。国(くに)へ帰(かへ)つて田地(でんち)を買ふ約束をしたり、家(いへ)を建(たて)る木材(きざい)を山から伐(き)り出(だ)すやうにしたり、ちやんと手筈(てはず)を付(つ)けて江戸(えど)へ帰(かへ)つて来(く)ると、塩原多助(しほばらたすけ)が死(し)んでゐた。さア大(おほ)いに驚(おどろ)いて、早速(さつそく)多助(たすけ)の家(うち)へ行(い)つて、番頭(ばんとう)に掛合(かけあ)ふと、番頭(ばんとう)は狡(ずる)い奴(やつ)だから、そんなものはお預(あづか)り申(まう)した覚(おぼ)えはござりませぬ、大旦那様(おほだんなさま)お亡(かく)れの時お遺言(ゆゐごん)もございませぬから上(あげ)る事は出来(でき)ない、一体(たい)お前(まへ)さんは何(なに)を証拠(しようこ)に預(あづ)けたと云(い)ひなさるか、預(あづ)けたものなら証拠(しようこ)が無(な)ければならない。といふ取(と)つても付(つ)けない挨拶(あいさつ)。其時分(そのじぶん)は人間が大様(おほやう)だから、金(かね)を預(あづ)ける通帳(かよひちやう)をこしらへて、一々(いち/\)附(つ)けては置いたが、その帳面(ちやうめん)は多助(たすけ)の方(はう)へ預(あづ)けた儘(まゝ)国(くに)へ帰(かへ)つたのを、番頭(ばんとう)がちよろまかしてしまつたから、何(なに)も証拠(しようこ)はない。さア其人(そのひと)は口惜(くや)しくつて耐(たま)らないから、預(あづ)けたに違(ちが)ひない、多助(たすけ)さんさへゐれば其様(そのやう)なことを云(い)ふ筈(はず)はないのだから、返(かへ)してくれ。と云(い)つても肯(き)かない。決して預(あづ)かつた覚(おぼ)えはない、と云(い)ひ張(は)る。預(あづ)けた預(あづ)からないの争(あらそ)ひになつた処(ところ)が、出入(でい)りの車力(しやりき)や仕事師(しごとし)が多勢(おほぜい)集(あつま)つて来(き)て、此奴(こいつ)は騙取(かたり)に違(ちが)ひないと云(い)ふので、ポカ/\殴(なぐ)つて表(おもて)へ突出(つきだ)したが、証拠(しようこ)がないから表向訴(おもてむきうつた)へることが出来(でき)ない。頭(あたま)へ疵(きず)を付(つ)けられて泣く/\帰(かへ)つたが、国(くに)では田地(でぢ)を買ひ、木材(きざい)を伐(き)り出す約束をして、手金(てきん)まで打つてあるから、今更(いまさら)金(かね)が出来(でき)ないと云(い)つて帰(かへ)ることは出来(でき)ない。昔の人で了簡(れうけん)が狭(せま)いから、途方(とはう)に暮(く)れてすご/\と宅(うち)へ帰(かへ)り、女房(にようばう)に一伍一什(いちぶしじう)を話し、此上(このうへ)は夫婦別(ふうふわか)れをして、七歳(なゝつ)ばかりになる女の子を女房(にようばう)に預(あづ)けて、国(くに)へ帰(かへ)るより仕方(しかた)がない。と云(い)ふと、お前(まへ)さんのやうな生地(いくぢ)のないものはない、預(あづ)けたものを預(あづ)からないと云(い)はれて、はいと云(い)つて帰(かへ)つて来(く)ると云(い)ふのは、何(ど)ういふ訳(わけ)です、殊(こと)に頭(あたま)へ疵(きず)を付(つ)けられて帰(かへ)つて来(く)るとは、余(あんま)り生地(いくぢ)が無(な)さ過(すぎ)る、そんな生地(いくぢ)のない人と連添(つれそ)つてゐるのは嫌(いや)だ、此子(このこ)はお前(まへ)さんの子(こ)だからお前さんが育てるが宜(い)い、私(わたし)はもつと気丈(きぢやう)な人のところへ縁付(かたづ)くから、といふ薄情(はくじやう)な言(い)ひ分(ぶん)、此女(このをんな)は国(くに)から連(つ)れて来(き)たのではない、江戸(えど)で持(も)つた女(をんな)か知れない、それは判然(はつきり)分(わか)らないが、何(なに)しろ薄情(はくじやう)の女(をんな)だから亭主(ていしゆ)を表(おもて)へ突(つ)き出す。男(をとこ)は怨(うら)めしさうに宅(うち)の方(はう)を睨(にら)んで、泣く/\向(むか)うへ行(ゆ)かうとすると、お父(とツ)つアんエーと云(い)つて女の子が追(お)つ掛(か)けて来(く)るから、どうかお母(つか)さんの処(ところ)へ帰(かへ)つてくれ、お父(とツ)つアんは無(な)いものと思つてくれと言ひ聞かせて、泣きながら帰(かへ)る子の後姿(うしろすがた)を見送り、あゝ口惜(くや)しい、二代目の多助(たすけ)といふ奴(やつ)は恐(おそ)ろしい奴(やつ)だ、親父(おやぢ)に金(かね)を預(あづ)けた事を知つてゐながら、預(あづ)かつた覚(おぼ)えはないと云(い)ふのは酷(ひど)い奴(やつ)だ、塩原(しほばら)の家(いへ)へ草を生(は)やさずに置くべきか、と云(い)つて吾妻橋(あづまばし)からドンブリと身を投げた。さうすると円朝(ゑんてう)さん、その死骸(しがい)が何(ど)ういふ潮時(しほどき)であつたか知らないが、流れ/\て塩原(しほばら)の前(まへ)の桟橋(さんばし)へ着いたさうだ。それを店(みせ)の小僧(こぞう)が見付(みつ)けて、土左衛門(どざゑもん)が着(つ)いてゐます土左衛門(どざゑもん)が着(つ)いてゐますと云(い)つて騒(さわ)ぐ。若い衆(しう)がどれと云(い)つて行(い)つて見ると、どうも先刻(さつき)店(みせ)へ来(き)て、番頭(ばんとう)さんと争(あらそ)ひをして突出(つきだ)された田舎者(ゐなかもの)に似(に)てゐますといふから、どれと云(い)つて番頭(ばんとう)が行(い)つて見ると、成程(なるほど)先刻(さつき)店(みせ)へ来(き)た田舎者(ゐなかもの)の土左衛門(どざゑもん)だから、悪人(あくにん)ながらも宜(よ)い心持(こゝろもち)はしない、身(み)の毛(け)慄立(よだ)つたが、土左衛門(どざゑもん)突出(つきだ)してしまへと云(い)ふので、仕事師(しごとし)が手鍵(てかぎ)を持(も)つて来(き)たり、転子(かるこ)が長棹(ながさを)を持(も)つて来(き)たりして突出(つきだ)すと、また其(そ)の桟橋(さんばし)へ戻(もど)つて来(く)る、幾(いく)ら突放(つツぱな)しても戻(もど)つて来(く)るから、そんなこつてはいけないと云(い)ふので、三人掛(にんかゝ)つて漸(やうや)く突出(つきだ)したところが、桟橋(さんばし)で車力(しやりき)が二人(ふたり)即死(そくし)してしまひ、仕事師(しごとし)が一人(ひとり)気(き)が違(ちが)つてしまつたと云(い)ふ騒(さわ)ぎ。それから其(そ)れが祟(たゝ)りはしないか/\といふ気病(きや)みで、今(いま)いふ神経病(しんけいびやう)とか何(なん)とか云(い)ふのだらうが、二代目はそれを気病(きや)みにして遂(つひ)に気(き)が違(ちが)つた。それから三代目が嫁(よめ)を貰(もら)つたのは、名前は忘れたが、何(なん)でもお旗本(はたもと)のお嬢様(ぢやうさま)とか何(なん)とかいふことだつた。お旗本(はたもと)のお嬢様(ぢやうさま)が嫁(よめ)に来(く)るやうな身代(しんだい)になつたのだから、たいした身代(しんだい)になつた。すると此(こ)の嫁(よめ)を姉(あね)と番頭(ばんとう)とで虐(いぢ)めたので、嫁(よめ)は辛(つら)くて居(ゐ)られないから、実家(さと)へ帰(かへ)ると、親父(おやぢ)は昔気質(むかしかたぎ)の武士(ぶし)だから、なか/\肯(き)かない、去(さ)られて来(く)るやうな者は手打(てうち)にしてしまふ、仮令(たとひ)どんな事があらうとも、女(をんな)は其(そ)の嫁(か)した家(いへ)を本当(ほんたう)の家(いへ)としなければならぬと云(い)ふことを云(い)ひ聞かして帰(かへ)されたから、途方(とはう)にくれて其(そ)の嫁(よめ)が塩原(しほばら)の内井戸(うちゐど)へ飛込(とびこ)んで幽霊(いうれい)に出るといふのが潰(つぶ)れ初(はじ)めで、あの大きな家(うち)が潰(つぶ)れてしまつたが、何(なん)とこれは面白(おもしろ)い怪談(くわいだん)だらう」といふ話を聞いて、成程(なるほど)これは面白(おもしろ)い話だ、これを種子(たね)にして面白(おもしろ)い話をこしらへたいと思つたが、其(そ)の塩原多助(しほばらたすけ)といふ者が本所相生町(ほんじよあひおひちやう)に居(ゐ)たか居(ゐ)ないか、名(な)さへ始めて聞いた位(くらゐ)だから分(わか)らない。兎(と)に角(かく)本所(ほんじよ)へ行(い)つて探して見ようと思つて、是真翁(ぜしんをう)の家(いへ)を暇乞(いとまごひ)して是(これ)から直(す)ぐに本所(ほんじよ)へ行(ゆ)きました。
 さて是真翁(ぜしんをう)の宅(たく)を暇乞(いとまごひ)して、直(すぐ)に本所(ほんじよ)へ行(い)つて、少し懇意(こんい)の人があつたから段々(だん/\)聞いて見ると、二(ふた)つ目(め)の橋の側(そば)に金物屋(かなものや)さんが有(あ)るから、そこへ行(い)つて聞いたら分(わか)るだらうと云(い)ふ。それから其(そ)の金物屋(かなものや)さんで、名前は云(い)へないが、是々(これ/\)の炭屋(すみや)が有(あ)りましたかと聞くと、成程(なるほど)塩原多助(しほばらたすけ)といふ炭屋(すみや)があつたさうだが、それは余程(よほど)古いことだといふ。それでは塩原(しほばら)のことを委(くは)しく知つてゐる人がありませうかと云(い)つて聞いたところが、無(な)いといふ。何処(どこ)を捜(さが)しても分(わか)らない。其時(そのとき)六十九になる、仕事師(しごとし)の頭(かしら)といふほどではないが、世話番(せわばん)ぐらゐの人に聞くと、私(わたし)は塩原(しほばら)の家(いへ)へ出入(でいり)をしてゐたが、細(こま)かいことは知りませぬといふ。それでは塩原(しほばら)の寺(てら)は何処(どこ)でせうと聞いたところが、浅草(あさくさ)の森下(もりした)の――たしか東陽寺(とうやうじ)といふ禅宗寺(ぜんしうでら)だといふことでございますといふ。それから直(すぐ)に本所(ほんじよ)を出て吾妻橋(あづまばし)を渡つて、森下(もりした)へ行(い)つて捜(さが)すと、今(いま)の八軒寺町(けんでらまち)に曹洞宗(さうどうしう)の東陽寺(とうやうじ)といふ寺(てら)があつた。門の所で車から下(お)りてズツと這入(はい)ると、玄関(げんくわん)の襖紙(からかみ)に円(まる)に十の字(じ)の標(しるし)が付(つ)いてゐる。はてな、これは薩摩様(さつまさま)のお寺(てら)ではないかと思ひました。門番(もんばん)の処(ところ)で花を買つて十銭(せん)散財(さんざい)して、お墓(はか)を掃除(さうぢ)して下さい、塩原多助(しほばらたすけ)の墓(はか)は此方(こちら)でございませうか、私(わたし)は塩原(しほばら)の縁類(えんるゐ)の者でございますが、始めてまゐつたので墓(はか)は知りませぬから、案内して下さいと云(い)ふと、「へい畏(かしこま)りました」と云(い)つて墓(はか)へ案内して掃除(さうぢ)してくれましたから、墓(はか)の前に向(むか)つて私(わたし)は縁類(えんるゐ)でも何(なん)でもないが、先祖代々(せんぞだい/\)と囘向(ゑかう)をしながら、只見(とみ)ると、墓石(はかいし)を取巻(とりま)いて戒名(かいみやう)が彫(ほ)つてある。第(だい)一に塩原多助(しほばらたすけ)と深く彫(ほ)つてある。石塔(せきたふ)の裏(うら)には新らしい塔婆(たふば)が立つてゐて、それに梅廼屋(うめのや)と書いてある。どういふ訳(わけ)で梅廼屋(うめのや)が塔婆(たふば)を上(あ)げたか、不審(ふしん)に思ひながら、矢立(やたて)と紙入(かみいれ)の鼻紙(はながみ)を取出(とりだ)して、戒名(かいみやう)や俗名(ぞくみやう)を皆(みな)写(うつ)しましたが、年号月日(ねんがうぐわつぴ)が判然(はつきり)分(わか)りませぬから、寺(てら)の玄関(げんくわん)へ掛(かゝ)つて、「お頼(たの)み申(まう)します」といふと、小坊主(こばうず)が出て取次(とりつ)ぎますから、「私(わたし)は本所相生町(ほんじよあひおひちやう)二丁目(ちやうめ)の塩原多助(しほばらたすけ)の縁類(えんるゐ)のものでございますが、まだ塩原(しほばら)の墓(はか)も知らず、唯(たゞ)塩原(しほばら)のお寺(てら)は此方(こちら)だといふことを聞伝(きゝつた)へて、今日(こんにち)お墓参(はかまゐ)りにまゐりました、これはほんの心ばかりでございますが、どうか先代多助(せんだいたすけ)の御囘向(ごゑかう)を願ひたいものでございます」と云(い)つて金(かね)を一円(ゑん)包(つゝ)んで出すと、奥(おく)から和尚様(をしやうさま)が出て来(き)まして、「あなたが塩原多助(しほばらたすけ)の御縁類(ごえんるゐ)の方(かた)でございますか、愚僧(ぐそう)が当住(たうぢう)で……只今(たゞいま)御囘向(ごゑかう)を……」「いえ、今日(こんにち)は拠(よんどころ)ないことで急ぎますから、御囘向(ごゑかう)は後(あと)でなすつて下さい……塔婆(たふば)をお立てなすつて、どうぞ御囘向(ごゑかう)を願ひます」「畏(かしこま)りました」と茶を入れて金米糖(こんぺいたう)か何(なに)かを出します。すると和尚(をしやう)さんの手許(てもと)に長谷川町(はせがはちやう)の待合(まちあひ)の梅廼屋(うめのや)の団扇(うちは)が二本(ほん)有(あ)りますから、はてな此寺(このてら)に梅廼屋(うめのや)の団扇(うちは)のあるのは何(ど)ういふ訳(わけ)か、殊(こと)に塩原(しほばら)の墓(はか)にも梅廼屋(うめのや)の塔婆(たふば)が立つて居(を)りましたから、何(なに)か訳(わけ)のあることゝ思つて、「和尚(をしやう)さん、こゝにある団扇(うちは)は長川谷町(はせがはちやう)の待合(まちあひ)の梅廼屋(うめのや)の団扇(うちは)ですか」「左様(さやう)です」「梅廼屋(うめのや)は此方(こちら)の檀家(だんか)でございますか」「いえ檀家(だんか)といふ訳(わけ)ではありませぬが、長(なが)い間(あひだ)塩原(しほばら)の附届(つけとゞけ)をしてゐる人は梅廼屋(うめのや)ほかありませぬ、それで此(こ)の団扇(うちは)があるのです」「それは何(ど)ういふ訳(わけ)です」と聞くと、梅廼屋(うめのや)は五代目(だいめ)の塩原多助(しほばらたすけ)の女房(にようばう)で、それが亭主(ていしゆ)が亡(なくな)つてから、長谷川町(はせがはちやう)へ梅廼屋(うめのや)といふ待合(まちあひ)を出したのです」「へえーさうでございますか」それぢやア梅廼屋(うめのや)のお母(ふくろ)に聞けば塩原(しほばら)の事は委(くは)しく分(わか)る。梅廼屋(うめのや)に聞くのは造作(ざうさ)もない事だ。といふのは梅廼屋(うめのや)は落語社会(らくごしやくわい)の寄合茶屋(よりあひぢやや)でございますから……「有難(ありがた)うございます、どうか御囘向(ごゑかう)を願ひます、又(また)参詣(おまゐり)を致(いた)します」と云(い)つて、それから直(すぐ)に浜町(はまちやう)一丁目(ちやうめ)の花屋敷(はなやしき)の相鉄(あひてつ)といふ料理屋(ちやや)へ行(い)つて、お膳(ぜん)を誂(あつら)へ、家(うち)の車をやつて、此(こ)の車で直(すぐ)に来(き)てくれと云(い)つて梅廼屋(うめのや)を迎(むか)へにやりました。
 梅廼屋(うめのや)は前にも申(まう)しました通(とほ)り、落語家(らくごか)一統(とう)の寄合茶屋(よりあひぢやや)で、殊(こと)に当時(たうじ)私(わたくし)は落語家(らくごか)の頭取(とうどり)をして居(を)りましたから、為(ため)になるお客と思ひもしまいが、早速(さつそく)其車(そのくるま)で来(き)てくれました。「何(ど)うしたんです、何(なに)か急(きふ)の御用(ごよう)ですか」「いや、改(あらた)まつてお聞き申(まう)したいのだが、お前(まへ)は塩原(しほばら)といふ炭問屋(すみどんや)へ嫁(よめ)になつた事が有(あ)るさうだ」「いゝえ、炭問屋(すみどんや)は疾(と)うに潰(つぶ)れて、お厩橋(うまやばし)へ来(き)た時私(わたくし)が縁付(えんづ)いたのです」「お前(まへ)の御亭主(ごていしゆ)は」「秀(ひで)三郎(らう)と云(い)つて五代目でございます」「早く死んだのかえ」「へえ、少し気(き)が違(ちが)つて早く死にました」と云(い)ふから、成程(なるほど)是真翁(ぜしんをう)の話の通(とほ)り祟(たゝ)つたのだなと思ひ当(あた)りました。「お前(まへ)さんの所に何(なに)か書物(かきもの)はありませぬかえ――御先祖(ごせんぞ)塩原多助(しほばらたすけ)の書類(しよるゐ)か何(なに)か残(のこ)つてゐませぬか」「何(なに)も有(あ)りませぬ、少しは残(のこ)つてゐた物も有(あ)りましたが、此前(このまへ)の火事で焼(や)けましたから、書付類(かきつけるゐ)はありませぬが、御先祖様(ごせんぞさま)の着た黒羽二重(くろはぶたへ)に大きな轡(くつわ)の紋(もん)の附(つ)いた着物が一枚あります。それは二代目塩原(しほばら)が、大層(たいそう)良(よ)い身代(しんだい)になつて跡目相続(あとめさうぞく)をした時、お父(とつ)さん、お前(まへ)さんはもう是(これ)だけの身代(しんだい)になつたら、少しはさつぱりした着物をお召(め)しなさるが宜(よ)い、何時(いつ)までも木綿(もめん)の筒(つゝ)ツぽでは可笑(をか)しいから、これを着て下さいと云(い)つて、其(そ)の黒羽二重(くろはぶたへ)の着物を出したところが、こんな物を着るやうで、商人(あきんど)の身代(しんだい)が上(あが)るものかと云(い)つて、一度も着たことは無(な)かつたさうです。其(そ)の着物が残(のこ)つて居(を)ります。それから御先代(ごせんだい)の木像(もくざう)と過去帳(くわこちやう)が残(のこ)つて居(を)ります」「それでは、ちよいとそれを持(も)つて来(き)て貰(もら)ひたい」といふと、女将(おつかあ)は直(すぐ)に車に乗つて行(い)つて取つて来(き)ました。其中(そのうち)に誂(あつら)へた御飯(ごはん)が出来(でき)ましたから、御飯(ごはん)を食(た)べて、其(そ)の過去帳(くわこちやう)を皆(みな)写(うつ)してしまつた。其(そ)の過去帳(くわこちやう)の中(うち)に「塩原多助(しほばらたすけ)養父(やうふ)塩原覚右衛門(しほばらかくゑもん)、実父(じつぷ)塩原覚右衛門(しほばらかくゑもん)」と同じ名前が書いてある。はてな、同じ名前は変(へん)だと思つたから、「お母(つか)さん、こゝに同じ名前があるが、是(これ)は何(ど)ういふ訳(わけ)だらう」と聞くと、「それは私(わたし)には分(わか)りませぬ、そんな事が書物(かきもの)にあつたと云(い)ひますけれども、私(わたし)には分(わか)りませぬ」「初代(しよだい)の多助(たすけ)といふ人は上州(じやうしう)の人ださうですが、さうかえ」「さうでございます、上州(じやうしう)沼田(ぬまた)の在(ざい)だと云(い)ふことでございます」「何処村(どこむら)といふことは分(わか)りませぬか」「どうも分(わか)りませぬ」「それぢや少し聞いたことが有(あ)るから、私(わたし)は一つ沼田(ぬまた)へ行(い)つて見ようと思ふ」「沼田(ぬまた)の親類(しんるゐ)もあの五代目が達者(たつしや)の時分(じぶん)は折々(をり/\)尋(たづ)ねて来(き)ましたが、亡(なくな)つて後(のち)は音沙汰(おとさた)はありませぬ、もしお逢(あ)ひになつたら、どうか宜(よろ)しく・……」「何(なん)といふ名前です」「お師匠(ししやう)さん、私(わたし)は年を老(と)つて物おぼえが悪くなつて、よく覚(おぼ)えて居(を)りませぬが、何(なん)でも多(た)の字(じ)の付(つ)く名前でしたが、忘れました」「分(わか)りませぬか」「分(わか)りませぬ」どうも村名(ところ)も分(わか)らず、名前も分(わか)らず、殆(ほとん)ど困りましたけれども、細(こま)かに尋(たづ)ねたら知れぬ事もあるまいと、是(これ)から宅(たく)へ帰(かへ)つて、直(すぐ)に旅立(たびだち)の支度(したく)を始めたから、宅(うち)の者は驚(おどろ)いて、何処(どこ)へ行(ゆ)くといふ。少し理由(わけ)があつて旅をすると云(い)ふと、弟子(でし)や何(なに)かが一緒(しよ)に行(ゆ)きたがるが、弟子(でし)では少し都合(つがふ)の悪いことがある。宅(たく)に酒井伝吉(さかゐでんきち)といふ車を曳(ひ)く男(をとこ)がある、此男(このをとこ)は力が九人力(にんりき)ある、なぜ九人力(にんりき)あるかといふと、大根河岸(だいこんがし)の親類(しんるゐ)の三周(さんしう)へ火事の手伝(てつだ)ひにやつたところが、一人で畳(たゝみ)を一度に九枚持出(もちだ)したから、九人力(にんりき)あると私(わたし)が考へた。其(そ)の伝吉(でんきち)を呼(よ)んで、「時に私(わたし)は今度(こんど)下野(しもつけ)から上州(じやうしう)の方(はう)へ行(ゆ)くに就(つい)て、お前(まへ)を供(とも)に連(つ)れて行(ゆ)かうと思ふが、面白(おもしろ)くも何(なん)ともない、ひどい山の中へ行(ゆ)くんだが、行(ゆ)くかえ」「それは有難(ありがた)い、――どんな山の中でも行(ゆ)きます、私(わたし)の生国(しやうこく)は越中(ゑつちう)の富山(とやま)で、反魂丹売(はんごんたんうり)ですから、荷物(にもつ)を脊負(せお)つて、まだ薬(くすり)の広(ひろ)まらない山の中ばかり売(う)つて歩くのです、さうして又(また)翌年(よくねん)其(そ)の山の中を売(う)つて歩くので、山の中は歩きつけて居(を)ります、又(また)私(わたし)は力がありますから、途中(とちう)で追剥(おひはぎ)が五人や六人出ても大丈夫でございます、富山(とやま)の薬屋(くすりや)は風呂敷(ふろしき)を前で本当(ほんたう)に結んでは居(を)りませぬ、追剥(おひはぎ)にでも逢(あ)ふと、直(すぐ)に風呂敷(ふろしき)の結び目がずつと抜(ぬ)けてしまつて、後(うしろ)へ荷物を投(はふ)り出し、直(すぐ)と匕首(あひくち)を抜(ぬ)いて追剥(おひはぎ)と闘(たゝか)ふくらゐでなければ、迚(とて)も薬屋(くすりや)は出来(でき)ませぬ、私(わたし)が行(ゆ)けば大丈夫でございます、御安心なさい」「さうかえ、足は大丈夫かえ」「足は大丈夫でございます、車を引いてゐる位(くらゐ)でございますから」と云(い)ふので、是(これ)から支度(したく)をしまして、両人(りやうにん)で出かけましたが、何(なん)でも歩かなければ実地(じつち)は履(ふ)めませぬ。東京(とうきやう)の内(うち)はうるさいから車に乗つて、千住掃部宿(せんぢうかもんじゆく)で車より下(お)りて、是(これ)から上州(じやうしう)沼田(ぬまた)へ捜(さが)しに行(ゆ)きました。
(拠若林□蔵筆記)



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