名人長二
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著者名:三遊亭円朝 

 清「これ長二手前(てめえ)能く吾(おれ)の拵(こせ)えた棚を毀したな、手前は大層上手になった、己の仕事に嘘があるとは感心だ、何処に嘘があるか手前の気の付いた所を一々其処で云って見ろ」
 長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十年も前(めえ)のことだ、もう六十を越して眼も利かなくなり、根気も脱(ぬ)けて、此の頃ア板削(いたけずり)まで職人にさせるから、艶(つや)が無くなって何処となしに仕事が粗(あら)びて、見られた状(ざま)アねえ、私(わっち)が弟子に来た時分は釘一本他手(ひとで)にかけず、自分で夜延(よなべ)に削って、精神(たましい)を入れて打ちなさったから百年経っても合口(えいくち)の放れッこは無かったが、今じゃア此のからッぺたの恒兄(あにい)に削らせた釘を打ちなさるから、此ん通りで状(ざま)ア無(ね)い、アハヽヽ」
 と打毀した棚に指をさして嘲笑(あざわら)いますから、兼松は気を揉んで、長二の袖をそっと引きまして、
 兼「おい兄い何うしたんだ、大概(ていげえ)にしねえ」
 と涙声で申しますが、一向に頓着(とんじゃく)いたしません。
 長「才槌(せえづち)で二つや三つ擲って毀れるような物が道具になるか、大概(ていげえ)知れた事(こっ)た、耄碌しちゃア駄目だ」
 と法外な雑言(ぞうごん)を申しますから、恒太郎が堪(こら)えかねて拳骨を固めて立かゝろうと致しますを、清兵衛が睨(にら)みつけましたから、歯軋(はぎしり)をして扣(ひか)えて居ります。
 長「その証拠にゃア十年前(めえ)私(わっち)に何と云いなすった、親方忘れやしないだろう、箱というものは木を寄せて拵(こせ)えるものだから、暴(あら)くすりア毀れるのが当然(あたりめえ)だ、それが幾ら使っても百年も二百年も毀れずに元のまんまで居るというのア仕事に精神(たましい)を入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃアねえ、釘の削り塩梅から板の拵え工合(ぐえい)と釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本他(ひと)に削らせちゃア自分の精神が入らねえところが出来て、道具が死んでしもうのだ、死んでる道具は直に毀れッちまうと云ったじゃアありやせんか、其の通りしねえから此の棚の仕事は嘘だと云うのだ、此様(こんな)に直ぐ毀れる物を納めるのア注文先へ対(てえ)して不実というものだ、是で高い工手間(くでま)を取ろうとは盗人(ぬすっと)より太(ふて)え了簡だ」
 と止途(とめど)なく罵(のゝし)ります。

        二十四

 清兵衛も腹にすえかね、
 清「黙りやアがれ、馬鹿野郎め、生意気を吐(ぬか)しやアがると承知しねえぞ、坂倉屋の仏壇で名を取ったと思って、高言を吐(つ)きアがるが、手前(てめえ)がそれほど上手になったのア誰が仕込んだんだ、其の高言は他(ほか)へ行って吐くが宜(い)い、己の目からはまだ板挽(いたひき)の小僧だが、己を下手だと思うなら止せ、他(ひと)に対(むか)って己の弟子だというなよ」
 長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」
 恒「呆れた野郎だ、父(とっ)さん何うしよう」
 兼「正気でいうのじゃアねえ」
 清「気違(きちげえ)だろう、其様(そん)な奴に構うなよ」
 兼「おい、兄い、どうしたんだ、本当に気でも違ったのか」
 長「べらぼうめ、気が違ってたまるもんか、此様(こん)な下手な親方に附いていちゃア生涯(しょうげえ)仕事の上りッこがねえから、己の方から断るんだ」
 清「長二、手前(てめえ)本当に其様なことをいうのか」
 長「嘘を吐(つ)いたッて仕方がねえ、私(わっち)が京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえように縁切(えんきり)の書付(かきつけ)をおくんなせえ」
 清「べらぼうめ、手前のような奴ア、再び弟子にしてくれろと云って来ても己の方からお断りだ」
 長「書付を出さねえなら、此方(こっち)で書いて行こう」
 と傍(そば)にある懸硯箱(かけすゞりばこ)を引寄せて鼻紙に何か書いて差出しましたから、清兵衞が取上げて見ますと、仮名交りで、
一私(わたくし)是まで親方のおせわになったが今日(こんにち)あいそがつきたから縁を切ります然(しか)る上は親方でないあかの他人で何事も知らないから左様(さよう)おぼしめし被下候(くだされそろ)文政巳(み)十月十日長二郎箱清(はこせい)様
 とありますから清兵衛は変に思って眺めておりますを、恒太郎が横の方から覗き込んで、
 恒「馬鹿な野郎だ、弟子のくせに此様な書付を出すとア……おや、長二は何うかしているんだ、今月ア霜月だのに十月と書いてあるア、月まで間違(まちげ)えていやアがる」
 長「そりゃア知ってるが、先月から愛想が尽きたから、そう書いたんだ」
 恒「負惜(まけおし)みを云やアがるな、此様な書付を張ったからにゃア二度と再び家(うち)の敷居を跨(また)ぎやアがると肯(き)かねいぞ」
 長「そりゃア知れた事(こっ)た、此の書付を渡したからにゃア此家(こっち)に何(ど)んな事があっても己(おら)ア知らねえよ、また己の体に何様(どん)な間違えがあっても御迷惑アかけねえから、御安心なせいやし」
 と立上って帰り支度を致しますが、余りの事に一同は呆れて、只互いに顔を見合すばかりで何にも申しませんから、お政が心配をして、長二の袂を引留めまして、
 政「長さんお待ちよ……まアお待ちというのに、お前それでは済まないよ、よもやお忘れではあるまい、廿年前の事を、私は其の時十三か四であったが、お前がお母(っか)に手を引かれて宅(うち)へ来た時に、私のお母(っか)さんがマア十(とお)や十一で奉公に出るのは余(あんま)り早いじゃアないかと云ったら、お前何とお云いだ、お母(ふくろ)がとる年で、賃仕事をして私を育てるのに骨が折れるから、早く奉公をして仕事を覚え、手間を取ってお母に楽をさせたいとお云いだッたろう、お母さんがそれを聞いて、涙をこぼして、親孝行な子だ、そういう事なら何(ど)の様にも世話をしようと云って、自分の子のように可愛がったのはお忘れじゃアなかろう、また其の時お前の名は二助と云ったが、伊助という職人がいて、度々(たび/″\)間違うからお父(とっ)さんが長二という名をお命(つ)けなすったんだが、是にも訳のある事で、お前の手の人指(ひとさしゆび)が長くって中指と同じのを御覧なすって、人指の長い人は器用で仕事が上手になるものだから、指が二本とも長いというところで長二としよう、京都の利齋親方の指も此の通りだから、此の小僧も仕立てようで後には名人になるかも知れないと云って、他の職人より目をかけて丁寧に仕事を教えてくだすったので、お前斯うなったのじゃアないか、それに又お前のお母が歿(なくな)った時、お父さんや清五郎さんや良人(うちのひと)で行って、立派に葬式(ともらい)を出して上げたろう、お前は其の時十七だッたが、親方のお蔭で立派に孝行の仕納めが出来た、此の御恩は死んでも忘れないと涙を流してお云いだというじゃアないかね、元町へ世帯(しょたい)を持つ時も左様(そう)だ、寝道具から膳椀まで皆(みん)なお前お父さんに戴いたのじゃアないか、此様なことを云って恩にかけるのじゃアないが、お前左様いう親方を袖にして、自分から縁切の書付を出すとア何うしたものだえ、義理が済むまいに、お前考えてごらん、多くの弟子の中(うち)で一番親方思いと云われたお前が、此様な事になるとは私にはさっぱり訳が分らないよ」

        二十五

 政「恒兄に擲(ぶ)たれたのが腹が立つなら、私が成代(なりかわ)って謝るからね、何だね、子供の時から一つ処(とこ)で育った心安だてが過ぎるからの事だよ、堪忍おしよ、お父さんもお年がお年だから、お前でもいないと良人(うちのひと)が困るからよ、お父さんへは私がお詫をするから、長さんマアちゃんとお坐んなさいよ、何うしたのだねえ」
 と涙を翻(こぼ)してなだめまする信実に、兼松も感じて鼻をすゝりながら、
 兼「コウ兄い、いま姉(あね)さんもいう通りだ、親方の恩は大抵の事(こっ)ちゃアねえ、それを知らねえ兄いでもねえに、何うしたんだ、何(なん)か人にしゃくられでもしたのか、えゝ、姉さんが心配(しんぺい)するから、おい兄い」
 長「お政さん御親切は分りやしたが、弟子師匠の縁が切れてみりゃア詫言(わびこと)をする訳もねえからね、人は老少不定(ろうしょうふじょう)で、年をとった親方いゝや、清兵衛さんより私(わっち)の方が先へ往(い)くかも知れませんから、他(ひと)を当(あて)にするのア無駄だ、何でもてんでに稼ぐのが一番だ、稼いで親に安心をさせなさるが宜(い)い、私の体に何様(どん)な事があろうと、他人だから心配(しんぺい)なせいやすな……兼、手前(てめえ)とも最(も)う兄弟(きょうでい)じゃアねえぞ」
 と云放って立上り、勝手口へ出てまいりますから、お政も呆れまして、
 政「そんなら何うでもお前は」
 長「もう参りません」
 清「長二」
 長「何(なん)か用かえ」
 清「用はねい」
 長「左様(そう)だろう、耄碌爺には己も用はねえ」
 と表へ出て腰障子を手荒く締切りましたから、恒太郎は堪(こら)えきれず、
 恒「何を云いやがる」
 と拳骨(げんこ)を固めて飛出そうとするのを清兵衛が押止めまして、
 清「打棄っておけ」
 恒「だッて余(あんま)りだ」
 清「いゝや左様でねえ、是には深い仔細(わけ)のある事だろう」
 恒「何様な仔細があるかア知らねえが、父(とっ)さんの拵(こせ)えた棚を打(たゝ)き毀して縁切の書付を出すとア、話にならねえ始末だ」
 清「それがサ、彼奴(あいつ)己の拵(こせ)えた棚の外から三つや四つ擲ったッて毀れねえことを知ってるから、先刻(さっき)打擲(ぶんなぐ)った時、故(わざ)ッと行灯の陰(かげ)になって、暗(くれ)い所で内の方から打(たゝ)きやアがったのは、無理に己を怒らせて縁切の書付を取ろうと企(たく)んだのに相違ねえが、縁を切って何うするのか、十一月を十月と書いたのにも仔細(しさい)のある事だろう、二三日経ったら何(なん)か様子が知れようから打棄っておきねえ」
 と一同をなだめて案じながら寝床に入りました。其の頃南の町奉行は筒井和泉守(つゝいいずみのかみ)様で、お慈悲深くて御裁きが公平という評判で、名奉行でございました。丁度今月はお月番ですから、お慈悲のお裁きにあずかろうと公事訴訟が沢山に出ます。今日(こんにち)は十一月の十一日で、追々白洲へ呼込みになる時刻に相成りましたから、公事の引合に呼出された者は五人十人と一群(ひとむれ)になって、御承知の通り数寄屋橋内(うち)の奉行所の腰掛茶屋に集っていますを、やがて奉行屋敷の鉄網(かなあみ)の張ってある窓から同心が大きな声をして、
 「芝(しば)新門前町(しんもんぜんちょう)高井利兵衛(たかいりへえ)貸金催促一件一同入りましょう」
 などゝ呼込みますと、その訴訟の本人相手方、只今では原告被告と申します、双方の家主(いえぬし)五人組は勿論、関係の者一同がごた/\白洲へ這入ります。此の白洲の入口の戸を締切る音ががら/\ピシャーリッと凄(すさま)じく脳天に響けますので、大抵の者は仰天して怖くなりますから、嘘を吐(つ)くことが出来なくなって、有体(ありてい)に白状をいたすようになるという事でございます。今大勢の者が白洲へ呼込みになる混雑の中を推分(おしわ)けて、一人の男が御門内へ駈込んで、当番所の前へ平伏いたしました。此の男は長二でございます。

        二十六

 当番所には同心一人(いちにん)と書役(かきやく)一人が詰めておりまして、
 同「何だ」
 長「へい、お訴えがございます」
 同「ならない」
 と叱りつけて、小者に門外(もんそと)へ逐出(おいだ)させました。この駈込訴訟と申しますものは、其の筋の手を経て出訴(しゅっそ)せいといって、三度までは逐返すのが御定法でございますから、長二も三度逐出されましたが、三度目に、此の訴訟をお採上(とりあ)げになりませんと私(わたくし)の一命に拘(かゝ)わりますと申したので、お採上げになって、直に松右衛門(まつえもん)の手で腰縄をかけさせまして入牢(じゅろう)と相成り、年寄へ其の趣きを届け、一通り取調べて奉行附の用人へ申達(しんたつ)して、吟味与力へ引渡し、下調(したしらべ)をいたします、これが只今の予審で、それから奉行へ申立てゝ本調になるという次第でございます。通常の訴訟は出訴の順によってお調べになりますが、駈込訴訟は猶予の出来ない急ぎの事件というので、他の訴訟が幾許(いくら)あっても、それを後(あと)へ廻して此の方を先へ調べるのが例でありますから、奉行は吟味与力の申立てにより、他の調を後廻しにして、いよ/\長二の事件の本調をいたす事に相成りました。指物師清兵衛は長二が先夜の挙動(ふるまい)を常事(たゞごと)でないと勘付きましたから、恒太郎と兼松に言付けて様子を探らせると、長二が押上堤で幸兵衛夫婦を殺害(せつがい)したと南の町奉行へ駈込訴訟(かけこみうったえ)をしたので、元町の家主は大騒ぎで心配をして居るという兼松の注進で、さては無理に喧嘩を吹(ふっ)かけて弟子師匠の縁を切り、書付の日附を先月にしたのは、恩ある己達を此の引合に出すまいとの心配であろうが、此の事を知っては打棄って置かれない、何(なん)の遺恨で殺したのか仔細は分らないが、無闇な事をする長二でないから、お採上(とりあ)げにならないまでも、彼奴(あいつ)が親孝心の次第から平常(ふだん)の心がけと行いの善(よ)い所を委(くわ)しく書面に認(したゝ)めて、お慈悲願(ねがい)をしなけりゃア彼奴の志に対して済まないとは思いましたが、清兵衛は無筆で、自分の細工をした物の箱書は毎(いつ)でも其の表に住居いたす相撲の行司で、相撲膏(すもうこう)を売る式守伊之助(しきもりいのすけ)に頼んで書いて貰う事でありますから、伊之助に委細のことを話して右の願書を認めて貰い、家主同道で恒太郎が奉行所へお慈悲願に出ました。今日(きょう)は龜甲屋幸兵衛夫婦殺害(せつがい)一件の本調というので、関係人一同町役人(ちょうやくにん)家主五人組差添(さしそえ)で、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、溜(たまり)と申す所に控えます。奉行の座の左右には継肩衣(つぎかたぎぬ)をつけた目安方公用人が控え、縁前(えんさき)のつくばいと申す所には、羽織なしで袴(はかま)を穿(は)いた見習同心が二人控えて居りまして、目安方が呼出すに従って、一同が溜から出て白洲へ列(なら)びきると、腰縄で長二が引出され、中央(まんなか)へ坐らせられると、間もなくシイーという制止の声と共に、刀持のお小姓が随(つ)いて、奉行が出座になりました。

        二十七

 白洲をずうッと見渡されますと、目安方が朗(ほがら)かに訴状を読上げる、奉行はこれを篤(とく)と聞き了(おわ)りまして、
 奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代萬助(まんすけ)、本所元町與兵衛(よへえ)店(たな)恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主源八(げんぱち)、其の外名主代組合の者残らず出ましたか」
 町「一同附添いましてござります」
 奉「訴人(うったえにん)長二郎、其の方は何歳に相成る」
 長「へい、二十九でござります」
 奉「其の方当月九日の夜(よ)五つ半時、鳥越片町龜甲屋幸兵衛並に妻(さい)柳を柳島押上堤において殺害(せつがい)いたしたる段、訴え出たが、何故(なにゆえ)に殺害いたしたのじゃ、包まず申上げい」
 長「へい、只殺しましたので」
 奉「只殺したでは相済まんぞ、殺した仔細を申せ」
 長「其の事を申しますと両親の恥になりますから、何と仰しゃっても申上げる事は出来ません……何卒(どうぞ)只人を殺しました廉(かど)で御処刑(おしおき)をお願い申します」
 奉「幸兵衛手代萬助」
 萬「へい」
 奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入(でいり)をいたしおった由じゃが、何か遺恨を挟(さしはさ)むような事はなかったか、何うじゃ」
 萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々(たび/″\)誂(あつら)え物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金を奪(と)ろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずに遁(に)げたものと考えます」
 奉「長二郎どうじゃ、左様(さよう)か」
 長「其の金は私(わたくし)が貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」
 奉「然(しか)らば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体(ありてい)に申せ」
 恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、私(わたくし)親共の弟子でございまして[#「ございまして」は底本では「ございましで」と誤記]、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」
 源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほど私(わたくし)店内(たなうち)に住居いたしましたが只の一度夜宅(うち)を明けたことの無い、実体(じってい)な辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣は宜(い)いから一杯飲めなぞと申しまして、心立(こゝろだて)の優しい慈悲深い性(たち)で、人なぞ殺すような男ではござりません」
 萬「へい申上げます、私(わたくし)主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」
 と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。
 奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」
 萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人の妻(さい)は長二郎に女房の世話を致したいと申して居りましたから、私(わたくし)の考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎が訝(おか)しく暁(さと)って、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、後(あと)で紛紜(いさくさ)の起らないように、出入留(でいりどめ)の手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛(くやしまぎ)れに、両人を殺したんであろうかとも存じます」
 奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったか而(そう)して柳が其の方へ嫁の口入(くにゅう)をいたしたか何うじゃ」
 長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、私(わたくし)が無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」
 奉「それはそれで宜しいが、何故(なぜ)斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういう恨(うらみ)か有体に申せ」
 長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」
 奉「黙れ……其の方天下の御法度(ごはっと)を心得ぬか」
 長「へい心得て居りますから、遁(に)げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」
 奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたして居(お)るな」
 恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上(のぼ)せて居(お)ると存じます、平常(ふだん)斯ういう男ではございません、私(わたくし)親共は今年(こんねん)六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒(なにとぞ)老体の親共を不便(ふびん)と思召して、お慈悲の御沙汰(ごさた)をお願い申します、全く気違に相違ございませんから」
 萬「成程気違だろう、主(ぬし)のある女に無理を云いかけて、此方(こっち)で内証にしようと云うのを肯(き)かずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」
 奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後の弁(わきま)えなくいたした事と相見えるが何うじゃ」
 萬「へい、左様でございましょう」
 奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」
 一同「お鑑定(めがね)の通りと存じます」
 とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行は予(かね)て邸(やしき)へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善(よ)き事と伎倆(うでまえ)の非凡なることを聞いても居り、且(かつ)長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒(どうか)此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、語(ことば)を其の方へ向けて調べるのを、怜悧(りこう)な恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌(あいづち)を打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内で窃(ひそ)かに喜んで、一同に念を押して、愈々(いよ/\)狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼(りょうがん)に血を濺(そゝ)ぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、
 長[#「長」は底本では「奉」と誤記]「御奉行(ごぶぎょう)様へ申上げます」
 と云って奉行の顔を見上げました。

        二十八

 さて長二郎が言葉を更(あらた)めて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其の他(た)の人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、而(し)て見ると愈々本当の気違であるかと一方(ひとかた)ならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、
 長「私(わたくし)は固(もと)より重い御処刑(おしおき)になるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様(てんとうさま)へ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒(どうぞ)御法通りお処刑(しおき)をお願い申します」
 奉「フム……然(しか)らば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」
 長「左様でございます」
 奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」
 長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さずに御処刑を受けようと思いましたが、仔細を云わなけりゃア気違だと仰しゃるから、致し方がございません、其の理由(わけ)を申上げますから、お聞取りをお願い申します」
 とそれより自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳(こゝのつ)の時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児(すてご)であって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦は実(まこと)の親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々(かく/\しか/″\)の者で、自分達の悪い事を掩(おお)わんがために棄てたのであるという事を初めて知って、実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其の後(のち)種々(いろ/\)の注文をして過分の手間料を払い、一方(ひとかた)ならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にも訝(おか)しくあり、殊に此の四月夫婦して尋ねて来た時、お柳が急病を発(おこ)し、また此の九月柳島の別荘で余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いて癪(しゃく)を発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思えるより、手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性を委(くわ)しく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思っては居(お)れど、棄児にした廉(かど)があるから、今さら名告(なの)りかね、余所(よそ)ながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日(こゝのか)の夕方(ゆうかた)夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思って、自分から親子の名告をしてくれと迫った処、お柳は顕(あら)われたと思い、恟(びっく)りして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だの騙(かたり)だのと罵(のゝし)りこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰ったが、斯様(こん)な人から、一文半銭たゞ貰う謂(いわ)れがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人を逐(おい)かけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳の話を聞き正(まさ)しく実の母親と知ったから、飛出して名告ってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させしと、一点の偽りなく事の顛末(てんまつ)を申し立てましたので、恒太郎源八を始め、孰(いず)れも大きに驚き、長二の身の上を案じ、大抵にしておけと云わぬばかりに、源八が窃(そっ)と長二の袖を引くを、奉行は疾(はや)くも認められまして、
 奉「こりゃ止むるな、控えておれ」

        二十九

 奉「長二郎、然(しか)らば其の方は全く両親を殺害(せつがい)致したのじゃな」
 長「へい……まア左様(そう)いう次第ではございますが、幸兵衛という人は本当の親か義理の親か未だ判然(はっきり)分りません」
 奉「左様(さよう)か……こりゃ萬助、其の方幸兵衛と柳が夫婦になったのは何時(いつ)か存じて居(お)るか」
 萬「へい、たしか五ヶ年前と承わりましたが、私(わたくし)は其の後(のち)に奉公住(ほうこうずみ)をいたしましたので」
 奉「夫婦の者は当年何歳に相成るか存じて居(お)るか」
 萬「へい幸兵衛は五十三歳で、柳は四十七歳でございます」
 奉「左様か」
 と奉行は眼(まなこ)を閉じて暫時(ざんじ)思案の様子でありましたが、白洲を見渡して、
 奉「長二郎、只今の申立てに聊(いさゝ)かも偽りはあるまいな」
 長「けちりんも嘘は申しません」
 奉「追って吟味に及ぶ、長二郎入牢申付ける、萬助恒太郎儀は追って呼出(よびいだ)す、一同立ちませい」
 是にて此の日のお調べは相済みましたが、筒井侯は前(ぜん)にも申述べました通り、坂倉屋の主人又は林大學頭様から、長二の伎倆(うでまえ)の非凡なる事を聞いておられますから、斯様な名人を殺すは惜(おし)いもの、何とかして助命させたいとの御心配で、狂人の扱いにしようと思召したのを、長二は却(かえ)って怒り、事実を明白に申立てたので、折角の心尽しも無駄になりましたが、その気性の潔白なるに益々(ます/\)感服致されましたから、猶工夫をして助命させたいと思召し、一先(ひとま)ず調べを止(や)めてお邸(やしき)へ帰られました。当今は人殺(ひとごろし)にも過失殺故殺謀殺などとか申して、罪に軽重(けいじゅう)がございますから、少しの云廻しで人を殺しても死罪にならずにしまいますが、旧幕時代の法では、復讐(かたきうち)の外は人を殺せば大抵死罪と決って居りますから、何分長二を助命いたす工夫がございませんので、筒井侯も思案に屈し、お居間に閉籠(とじこも)って居られますを、奥方が御心配なされて、
 奥「日々(にち/\)の御繁務(ごはんむ)さぞお気疲れ遊ばしましょう、御欝散(ごうっさん)のため御酒でも召上り、先頃召抱えました島路(しまじ)と申す腰元は踊が上手とのことでございますから、お慰みに御所望(ごしょもう)遊ばしては如何(いかゞ)でございます」
 和泉「ムヽ、その島路と申すは出入町人助七の娘じゃな」
 奥「左様にございます」
 和「そんなら踊の所望は兎も角も、これへ呼んで酌を執(と)らせい」
 と御意(ぎょい)がございましたから、時を移さずお酒宴の支度が整いまして、殿様附と奥方(おくさま)附のお小姓お腰元奥女中が七八人ずらりッと列(なら)びまして、雪洞(ぼんぼり)の灯(あかり)が眩(まぶ)しいほどつきました。此の所へ文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)に紫の矢筈絣(やはずがすり)の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸(やしき)へ奉公に上(あが)り、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方(おくがた)附でございますから、殿様にはまだお言葉を戴いた事がありません、今日のお召は何事かと心配しながら奥方の後(うしろ)へ坐って、丁寧に一礼をいたしますを、殿様が御覧遊ばして、
 和「それが島路か、これへ出て酌をせい」
 との御意でありますから、島路は恐る/\横の方へ進みましてお酌を致しますと、殿様は島路の顔を見詰めて、盃の方がおるすになりましたから、手が傾いて酒が翻(こぼ)れますのを、島路が振袖の袂で受けて、畳へ一滴もこぼしません、殿様はこれに心付かれて、残りの酒を一口に飲みほして、盃を奥方へさゝれましたから、島路は一礼をして元の席へ引退(ひきさが)ろうと致しますのを、
 和「島路待て」
 と呼留められましたので、並居る女中達は心の中(うち)で、さては御前様は島路に思召があるなと互に袖を引合って、羨ましく思って居ります、島路はお酒のこぼれたのを自分の粗相とでも思召して、お咎めなさるのではあるまいかと両手を突いたまゝ、其処(そこ)に居ずくまっておりますと、殿様は此方(こっち)へ膝を向けられました。

        三十

 和「ちょっと考え事を致して粗相をした、免(ゆる)せ……其方(そち)に尋ねる事があるが、其方も存じて居(お)るであろう、其方の家へ出入をする木具職の長二郎と申す者は、当時江戸一番の名人であると申す事を、其方の父から聞及んで居るが、何ういう人物じゃ、職人じゃによって別に取□(とりえ)はあるまいが、何ういう性質の者じゃ、知らんか」
 との御意に、島路は予(かね)て長二が伎倆(うでまえ)の優れて居(お)るに驚いて居るばかりでなく、慈善を好む心立(こゝろだて)の優しいのに似ず、金銭や威光に少しも屈せぬ見識の高いのに感服して居ります事ゆえ、お尋ねになったを幸い、お邸(やしき)のお出入にして、長二を引立てゝやろうとの考えで、
 島「お尋ねになりました木具職の長二郎と申します者は、親共が申上げました通り、江戸一番の名人と申す事で、其の者の造りました品は百年経っても狂いが出ませず、又何程粗暴(てあら)に取扱いましても毀れる事がないと申すことでございます、左様な名人で多分な手間料を取りますが、衣類などは極々(ごく/″\)質素で、悪遊びをいたさず、正直な貧乏人を憐れんで救助するのを楽(たのし)みにいたしますに就(つい)ては、女房があっては思うまゝに金銭を人に施すことが出来まいと申して、独身で居ります程の者で、職人には珍らしい心掛で、其の気性の潔白なのには親共も感心いたして居ります」
 和「フム、それでは普通の職人が動(やゝ)ともすると喧嘩口論をいたして、互に疵をつけたりするような粗暴な人物じゃないの」
 島「左様でございます、あゝいう心掛では無益な喧嘩口論などは決して致しますまいと存じます、殊に御酒は一滴も戴きませんと申す事でございますゆえ、過(あやま)ちなどは無いことゝ存じますが、只今申上げました通り潔白な気性でございますゆえ、他(ひと)から恥辱でも受けました節は、その恥辱を雪(すゝ)ぐまでは、一命を捨てゝも飽くまで意地を張るという性根の確(しっ)かりいたした者かとも存じます」
 和「ムヽ左様(そう)じゃ、其方(そち)の目は高い……長二郎は左様いう男だろうが、同人の親達は何ういう者か其方は知らんか」
 島「一向に存じません」
 和「そんなら誰か長二郎の素性や其の親達の身の上を存じて居(お)る者はないか、其方は知らんか」
 と根強く長二郎のことを穿鑿(せんさく)される仔細が分りませんから、奥方が不審に思われまして、
 島「御前様、その長二郎とか申す者のことをお聞き遊ばして、如何(いかゞ)遊ばすのでござります」
 と尋ねられたので、殿様は長二郎を助ける手段もあろうかとの熱心から、うか/\島路に根問いをした事に心付かれましたが、お役向の事を此の席で話すわけにも参りませんから、笑いに紛らして、
 和「何サ、その長二郎と申す者は役者のような美(よ)い男じゃによって、島路が懸想でもして居(お)るなら、身が助七に申聞けて夫婦(みょうと)にしてやろうと思うたのじゃ」
 と一時の戯(たわむれ)にして此の場の話を打消そうと致されましたのを、女中達は本当の事と思って、羨ましそうに何(いず)れも島路の方(かた)へ目を注ぎますので、島路は羞(はず)かしくもあり、又思いがけない殿様の御意に驚き、顔を赧(あか)らめて差俯(さしうつむ)いて居りますを、奥方は気の毒に思召して、
 「如何(いか)に御前様の御意でも、こりゃ此の所では御挨拶が成りますまいのう島路」
 と奥方にまで問詰められて、島路は返答に困り、益々顔を赧くしてもじ/\いたして居りますと、女中達は羨ましそうに、
 春野「島路さん、何をお考え遊ばします、願ってもない御前様の御意、私(わたくし)なら直(すぐ)にお受けをいたしますのに、お年がお若いせいか、ぐず/\して」
 常夏「春野さんの仰しゃる通り、此の様な有難い事はござんせぬ、それとも殿御の御器量がお錠口(じょうぐち)の金壺(かねつぼ)さんのようなら、私(わたくし)のような者でも御即答は出来ませんが、その長二郎さんという方は役者のような男だと御前様が仰しゃったではござりませぬか」
 千草「そのうえお仕事が江戸一番の名人で、お金が沢山儲かるとの事」
 早咲「そればかりでも結構すぎるに、お心立が優しくって、きりゝと締った所があるとは、嘘のような殿御振り、お話を承わりましたばかりで私(わたくし)はつい、ホヽ……オホヽヽヽ」
 と女中達のはしたなきお喋りも一座の興でございます。

        三十一

 殿様は御機嫌よろしく打笑(うちえ)まれまして、
 和「どうじゃ島路、皆の者は話を聞いたばかりで彼様(かよう)に浮れて居(お)るに、其方は何故(なぜ)鬱(ふさ)ぐのじゃ」
 と退引(のっぴき)のならんお尋ねを迷惑には思いましたが、此の所で一言(いちごん)申しておかなければ、殿様が自分を他(ほか)の女中達のように思召して、万一父助七へ御意のあった時は、否(いな)やを申上げることも出来ぬと思いましたから、羞かしいのを堪(こら)えまして、少し顔を上げ、
 島「だん/\の御意は誠に有難う存じますが、何卒(どうぞ)此の儀は御沙汰止(ごさたやみ)にお願い申上げます、長二郎は伎倆(うでまえ)と申し心立と申し、男として不足の廉(かど)は一つもございませんが、私(わたくし)家は町人ながらも系図正しき家筋でございますれば、身分違いの職人の家へ嫁入りを致しましては、第一先祖へ済みませず、且(かつ)世間で私の不身持から余儀なく縁組を致したのであろうなぞと、風聞をいたされますのが心苦しゅうございますれば、何卒(なにとぞ)此の儀は此の場ぎり御沙汰止にお願い申上げます」
 ときっぱり申述べました。追々世の中が開(ひら)けて、華族様と平民と縁組を致すようになった当今のお子様方は、この島路の口上をお聞きなすっては、開けない奴だ、町人と職人と何程(どれほど)の違(ちがい)がある、頑固にも程があると仰しゃいましょうが、其の頃は身分という事がやかましくなって居りまして、お武家と商人(あきんど)とは縁組が出来ません、拠所(よんどころ)なく縁組をいたす時は、其の身分に応じて仮親を拵(こしら)えますことで、商人と職人の間にも身分の分(わか)ちが立って居りました、殊に身柄のある商人はお武家が町人百姓を卑しめる通り、職人を卑しめたものでございますから、島路は長二郎を不足のない男とは思って居りますが、物の道理を心得て居(お)るだけに、此の御沙汰を断ったのでございます。殿様は元来左様(そう)いう思召(おぼしめし)ではなく、只此の場の話を紛らせようと、戯れ半分に仰しゃったお言葉が本当になったので、取返しがつかず、困っておられた処へ、島路が御沙汰止を願いましたから、これを幸いに、
 和「おゝ、何も身が無理に左様(そう)いうのではない、左様いうことなら今の話は止(や)めにするから、島路大儀じゃが下物(さかな)に何か一つ踊って見せい」
 と踊りの御所望(ごしょもう)がございましたから、女中達は俄に浮き立ちまして、それ/″\の支度をいたし、さア島路さん、早くと急(せ)き立てられて、島路は迷惑ながら一旦其の席を引退(ひきさが)りまして、斯様(かよう)な時の用心に宿から取寄せて置いた衣裳を着けて出ました、容貌は一段に引立って美しゅうございまして、殿様が早くとのお詞(ことば)に随い、島路は憶する色なく立上りまして、珠取(たまとり)の段を踊りますを、殿様は能くも御覧にならず、何か頻(しき)りに御思案の様子でございましたが、踊の半頃(なかごろ)で、
 和「感服いたした、最(も)うよい、疲れたであろう、休息いたせ」
 と踊を差止め、酒肴(さけさかな)を下げさせ、奥方を始め女中達を遠ざけられて、俄に腹心の吟味与力吉田駒二郎(よしだこまじろう)と申す者をお召になりまして、夜(よ)の更けるまで御密談をなされたのは、全く長二郎の一件に就いて、幸兵衛夫婦の素性を取調べる手懸りを御相談になったので、略(ほゞ)探索の方も定まりましたと見え、駒二郎は御前を退(しりぞ)いて帰宅いたし、直に其の頃探偵捕者(とりもの)の名人と呼ばれた金太郎(きんたろう)繁藏(しげぞう)という二人の御用聞を呼寄せて、御用の旨を申含めました。

        三十二

 町奉行筒井和泉守様は、長二郎ほどの名人を失うは惜(おし)いから、救う道があるなら助命させたいと思召す許(ばか)りではございません、段々吟味の模様を考えますと、幸兵衛夫婦の身の上に怪しい事がありますから、これを調べたいと思召したが、夫婦とも死んで居ります事ゆえ、吟味の手懸りがないので、深く心痛いたされまして、漸々(よう/\)に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫(にゅうふ)になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作(みのやもじさく)と其の女房お由(よし)が媒妁(なこうど)同様に周旋をしたということを聞出しましたから、早速お差紙(さしがみ)をつけて、右の夫婦を呼出して白洲を開かれました。
 奉行「下谷稲荷町徳平店(とくべいたな)茂二作、並(ならび)に妻(さい)由、其の他名主、代組合の者残らず出ましたか」
 町役「一同差添いましてござります」
 奉「茂二作夫婦の者は長年龜甲屋方へ出入(でいり)をいたし、柳に再縁を勧め、其の方共が媒妁(なかだち)をいたして、幸兵衛と申す者を入夫にいたせし由じゃが、左様(さよう)か」
 茂「へい左様でございます」
 由「それも私共(わたくしども)が好んで致したのではございません、拠(よんどころ)なく頼まれましたので」
 奉「如何なる縁をもって其の方共は龜甲屋へ出入をいたしたのか」
 茂「それはあの龜甲屋の先(せん)の旦那半右衛門(はんえもん)様が、御公儀の仕立物御用を勤めました縁で、私共も仕立職の方で出入をいたしましたので、へい」
 奉「何歳の時から出入いたしたか」
 茂「二十六歳の時から」
 奉「当年何歳に相成る」
 茂「五十五歳で」
 奉「由は龜甲屋に奉公をいたせし趣(おもむき)じゃが、何歳の時奉公にまいった」
 由「へい、私(わたくし)は十七の三月からでございますから」
 と指を折って年を数え、
 「もう廿八九年前の事でございます」
 奉「其の後(ご)両人とも相変らず出入をいたして居ったのじゃな」
 茂「左様でございます」
 奉「して見ると其の方共実体(じってい)に勤めて、主人の気に入って居ったものと見えるな」
 由「はい、先(せん)の旦那様がまことに好(よ)いお方で、私共へ目をかけて下さいましたので」
 奉「左様であろう、して柳と申す女は何時頃(いつごろ)半右衛門方へ嫁にまいったものか、存じて居ろうな」
 茂「へい、私(わたくし)が奉公にまいりました年で、御新造(ごしんぞ)は其の時慥(たし)か十八だと覚えて居ります」
 奉「御新造とはお柳のことか」
 茂「へい」
 奉「して、半右衛門は其の時何歳であった」
 茂「左様で」
 と考えて、お由とさゝやき、指を折り、
 茂「三十二三歳であったと存じます」
 奉「当月九日の夜(よ)、柳島押上堤において長二郎のために殺害(せつがい)された幸兵衛という者は、如何なる身分職業で、龜甲屋方に入夫にまいるまで、何方(いずかた)に住居いたして居った者じゃ」
 茂「幸兵衛は坂本二丁目の経師屋(きょうじや)桃山甘六(もゝやまかんろく)の弟子で、其の家が代替りになりました時、暇(いとま)を取って、それから私方(わたくしかた)に居りました」
 奉「其の方宅に何個年(なんがねん)居ったか」
 茂「左様でございます、彼是十年たらず居りました」
 奉「フム大分(だいぶん)久しく居ったな」
 茂「へい、随分厄介ものでございました」
 奉「其の方の宅において幸兵衛は常に何をいたして居った」
 茂「へい、只ぶら/\、いえ、アノ経師をいたして居りました」
 奉「フム、由其の方は存じて居ろうが、龜甲屋の元の宅は根岸であったによって、坂本の経師職桃山が出入ゆえ、幸兵衛が屡々(しば/\)仕事にまいったであろう」
 由「はい」
 と云いにかゝるを茂二作が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、
 由「いゝえ、あの私(わたくし)は存じません」
 奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行は宜(よ)く知って居(お)るぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」
 由「はい、まいりました」
 奉「左様(そう)であろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」
 由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」
 奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役(しょやく)などを致して居ったのじゃな、して其の貸付金は誰(たれ)の金(きん)じゃ」
 茂「それは、へい私(わたくし)の所持金で」
 奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方如何(いかゞ)して所持いたし居(お)るぞ、これは多分何者か其の方どもの[#「どもの」は底本では「もどの」と誤記]実体(じってい)なるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じて居(お)ることを真直(まっすぐ)に申せばよいのじゃ」

        三十三

 由「はい、その金(かね)は、へい先(せん)の旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」
 奉「フム、然(しか)らば半右衛門の妻(さい)柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様(そう)であろう、何うじゃ」
 茂「左様(さよう)でございます」
 奉「由其の方は女の事ゆえ覚えて居(お)るであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」
 由「はい」
 と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何か囁(さゝ)やきまして、
 由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日(はつか)に奥州へ行くと云って暇乞(いとまごい)にまいりました人に、旦那様が塩釜様(しおがまさま)のお符(ふだ)をお頼みなさったので、私(わたくし)は初めて御新造様が懐妊(みもち)におなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀(ごしゅうぎ)を戴いたのを覚えて居ります」
 奉「ムヽ、柳が懐妊(かいにん)と分った月を存じて居(お)るか」
 と奉行は暫らく眼(まなこ)を閉じて思案をいたされまして、
 奉「由其の方はなか/\物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」
 由「はい、左様(さよう)」
 と暫らく考えて居りましたが、突然(いきなり)に大きな声で、
 由「思い出しました」
 と奉行の顔を見上げて、
 由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月絹張(きぬばり)の行灯(あんどん)が一対出来るので」
 と茂二作の顔を見て、
 由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造が美(い)い男だと云って、それ、あの」
 と喋るのを茂二作が目くばせで止(とゞ)めても、お由は少しも気がつかずに、
 由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」
 と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んで睨(にら)めたので、お由も気が付いたと見えて、
 由「へい、マア左様(そう)いうことで、それから私共(わたくしども)まで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」
 奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」
 茂「へい」
 由「間違いございません」
 奉「そうして其の出生(しゅっしょう)いたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」
 由「くり/\肥(ふと)った好(い)いお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家(うち)へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿(なくな)ったそうでございます」
 奉「その小児を八王子へ遣る時、誰(たれ)がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」
 由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」
 奉「柳一人(いちにん)ではあるまい、誰(たれ)か供をいたして参ったであろう」
 由「はい、供には良人(やど)が」
 奉「やどとは誰(だれ)の事じゃ」
 茂「へい私(わたくし)が附いてまいりました」
 奉「帰りにも其の方同道いたしたか」
 茂「旦那が留守で宅(うち)が案じられるから、先へ帰れと仰しゃいましたから、私(わたくし)はお新造より先へ帰りました」
 奉「柳の実家(さと)と申すは何者じゃ、存じて居(お)るか」
 茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、家(うち)が死絶(しにた)えて、今では縁の伯母が一人あるばかりだと申すことでございますが、私(わたくし)は大横町(おおよこちょう)まで送って帰りましたから、先の家(うち)は存じません」
 奉「其の方の外に一緒にまいった者は無いか」
 茂「はい、誰(たれ)も一緒にまいった者はございません」
 奉「黙れ、其の方は上(かみ)に対し偽りを申すな、幸兵衛も同道いたしたであろう」
 茂「へい/\誠にどうも、宅(うち)からは誰(だれ)も外にまいった者はござりませんが、へい、アノ五宿(ごしゅく)へ泊りました時、幸兵衛が先へまいって居りまして、それから一緒にヘイ、つい古い事で忘れまして、まことにどうも恐入りました事で」
 奉「フム、左様(さよう)であろう、して、柳は幾日(いくか)に出て幾日に帰宅をいたしたか存じて居ろう」
 茂「へい左様……正月二十八日に出まして、あのう二月の二十日頃に帰りましたと存じます」
 奉「それに相違ないか」
 茂「相違ございません」
 奉「確(しか)と左様か」
 茂「決して偽りは申上げません」
 奉「然らば追って呼出すまで、茂二作夫婦とも旅行は相成らんぞ、町役人共左様に心得ませい……立ちませい」
 是にて此の日のお調べは済みました。

        三十四

 奉行は吟味中お由の口上で、図らずお柳の懐妊の年月(ねんげつ)が分ったので、幸兵衛が龜甲屋へ出入を初めた年月(としつき)を糺(たゞ)すと、懐妊した翌月(よくつき)でありますから、長二は幸兵衛の胤(たね)でない事は明白でございますが、お柳は実母に相違ありませんから、まだ親殺しの罪を遁(のが)れさせることは出来ません。是には奉行も殆(ほと)んど当惑して、最早長二を救うことは出来ぬとまで諦められました。
 由「私(わたし)ア本当に命が三年ばかし縮まったよ」
 茂「男でさえ不気味だもの、其の筈だ」
 由「大屋さんは平気だねえ」
 茂「そうサ、自分が調べられるのじゃアないからの事(こっ)た、此方(こち)とらはまかり間違えば捕縛(ふんじば)られるのだから怖(おっ)かねえ」
 由「今日の塩梅じゃア心配しなくっても宜(い)いようだねえ」
 茂「手前(てめえ)が余計なことを喋りそうにするから、己(おら)ア冷々(ひや/\)したぜ」
 由「行く前に大屋さんから教わって置いたから、襤褸(ぼろ)を出さずに済んだのだ、斯ういう時は兀頭(はげ)も頼りになるねえ」
 茂「それだから鰻で一杯飲ましてやったのだ」
 由「鰻なぞを喰ったことが無いと見えて、串までしゃぶって居たよ」
 茂「まさか」
 由「本当だよ、お酒も彼様(あん)な好(い)いのを飲んだ事アないと見えて、大層酔ったようだった」
 茂「己(おれ)も先刻(さっき)は甚(ひど)く酔ったが、風が寒いので悉皆(すっかり)醒(さ)めてしまった」
 由「早く帰って、又一杯おやりよ」
 と茂二作夫婦は世話になった礼心(れいごゝろ)で、奉行所から帰宅の途中、ある鰻屋へ立寄り、大屋徳平(とくへい)に夕飯(ゆうめし)をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半(なゝつはん)過で、空はどんより曇って北風が寒く、今にも降出しそうな気色(けしき)でございますので、此の間から此の家の軒下を借りて、夜店を出します古道具屋と古本屋が、大きな葛籠(つゞら)を其処へ卸して、二つ三つ穴の明いた古薄縁(ふるうすべり)を前へ拡(ひろ)げましたが、代物(しろもの)を列(なら)べるのを見合せ、葛籠に腰をかけて煙草を呑みながら空を眺めて居ります。
 茂「やア道具屋さんも本屋さんも御精が出ます、何だか急に寒くなって来たではありませんか」
 道「お帰りですか、商売冥利(みょうり)ですから出ては見ましたが、今にも降って来そうですから、考えているんです」
 茂「こういう晩には人通りも少ないからねえ」
 本「左様(そう)ですが天道干(てんとうぼし)という奴ア商いの有無(あるなし)に拘わらず、毎晩(めいばん)同(おんな)じ所(とけ)え出て定店(じょうみせ)のようにしなけりゃアいけやせんから、寒いのを辛抱して出て来たんですが、雪になっちゃア当分喰込みです」
 茂「雪は後(あと)が長くわるいからね」
 と立話をしておりますうち、お由が隣へ預けて置いた入口の締(しまり)の鍵を持って来て[#「来て」は底本では「来って」と誤記]、格子戸を明けましたから、茂二作は内へ入り、お由は其の足で直(すぐ)に酒屋へ行って酒を買い、貧乏徳利(びんぼうどくり)を袖に隠して戻りますと、茂二作は火種にいけて置いた炭団(たどん)を掻発(かきおこ)して、其の上に消炭を積上げ、鼻を炙(あぶ)りながらブー/\と火を吹いて居ります。お由は半纏羽織(はんてんばおり)を脱いで袖畳みにして居りますと、表の格子戸をガラリッと明けて入(は)いってまいりました男は、太織(ふとおり)というと体裁が宜(よ)うございますが、年数を喰って細織になった、上の所斑(まんだ)らに褪(は)げておる焦茶色の短かい羽織に、八丈まがいの脂染(あぶらじ)みた小袖を着し、一本独鈷(いっぽんどっこ)の小倉の帯に、お釈迦の手のような木刀をきめ込み、葱(ねぎ)の枯葉(かれっぱ)のようなぱっちに、白足袋でない鼠足袋というのを穿(は)き、上汐(あげしお)の河流れを救って来たような日和下駄(ひよりげた)で小包を提(さ)げ、黒の山岡頭巾を被って居ります。

        三十五

 誰だか分りませんが、風体(ふうてい)が悪いから、お由が目くばせをして茂二作を奥の方へ逐遣(おいや)り、中仕切(なかじきり)の障子を建切りまして、
 由「何方(どなた)です」
 「はい玄石(げんせき)でござるて」
 と頭巾を取って此方(こっち)を覗込(のぞきこ)みました。
 由「おや/\岩村(いわむら)さんで、お久しぶりでございますこと」
 玄「誠に意外な御無音(ごぶいん)をいたしたので、併(しか)し毎(いつ)も御壮健で」
 と拇指(おやゆび)を出して、
 玄「御在宿かな」
 というは正(まさ)しく合力(ごうりょく)を頼みに来たものと察しましたから、
 由「はい、今日は生憎(あいにく)留守で、マアお上んなさいな」
 と口には申しましても、玄石が腰を掛けて居(お)る上(あが)り端(ばた)へ、べったりと大きなお尻(いど)を据(す)えて居りますから、玄石が上りたくも上ることが出来ません。
 玄「へい何方(どちら)へお出でゞす、もう程のう御帰宅でしょう」
 由「いゝえ此の頃親類が災難に遭(あ)って、心配中で、もう少し先刻(さっき)其の方へ出かけましたので、私(わたくし)も是れから出かけようと、此の通り今着物を着替えたところで、まことに生憎な事でした、お宿が分って居りますれば明日(みょうにち)にも伺わせましょう」
 玄「はい、宿と申して別に……実に御承知の通り先年郷里へ隠遁をいたした処、兵粮方(ひょうろうかた)の親族に死なれ、それから已(やむ)を得ず再び玄関を開(ひら)くと、祝融(しゅくゆう)の神に憎まれて全焼(まるやけ)と相成ったじゃ、それからというものは為(す)る事なす事□(いすか)の嘴(はし)、所詮(しょせん)田舎では行(ゆ)かんと見切って出府(しゅっぷ)いたしたのじゃが、別に目的もないによって、先ず身の上を御依頼申すところは、龜甲屋様と存じて根岸をお尋ね申した処、鳥越へ御転居に相成ったと承わり、早速伺ったら、いやはや意外な凶変、実に驚き入った事件で、定めて此方(こなた)にも御心配のことゝ存ずるて」
 由「まことにお気の毒な事で、何とも申そう様(よう)がございません、定めてお聞でしょうが、お宅(うち)へお出入の指物屋が金に目が眩(く)れて殺したんですとサ」
 玄「ふーむ、不埓千万な奴で……実に金が敵(かたき)の世の中です、然るに愚老は其の敵に廻(めぐ)り逢おうと存じて出府致した処、右の次第で当惑のあまり此方(こなた)へ御融通を願いに出たのですから、何卒(どうか)何分」
 由「はい、折角のお頼みではございますが、此の節は実(まこと)に融通がわるいので、どうも」
 玄「でもあろうが、お手許(てもと)に遊んで居らんければ他(た)からでも御才覚を願いたい、利分は天引でも苦しゅうないによって」
 由「ハア、それは貴方のことですから、才覚が出来さいすれば何(ど)の様にも骨を折って見ましょうが、何分今が今と云っては心当りが」
 玄「其処(そこ)を是非とも願うので」
 と根強く掛合込(かけあいこ)みまして、お由にはなか/\断りきれぬ様子でありますから、茂二作は一旦脱いだ羽織を引掛(ひっか)け、裏口から窃(そっ)と脱出(ぬけだ)して表へ廻り、今帰ったふりで門口を明けましたから、お由はぬからぬ顔で、
 由「おや大層早かったねえ」
 茂「いや、これは岩村先生……まことにお久しい」
 玄「イーヤお帰りですか、意外な御無音(ごぶいん)、実(じつ)に謝するに言葉がござらんて」
 茂「何うなさったかと毎度お噂をして居りましたが、まアお変りもなくて結構です」
 玄「ところがお変りだらけで不結構(ぶけっこう)という次第を、只今御内方(ごないほう)へ陳述いたして居(お)るところで、実に汗顔(かんがん)の至りだが、国で困難をして出府いたした処、頼む樹陰(こかげ)に雨が漏るで、龜甲屋様の変事、進退谷(きわ)まったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然(びんぜん)と思召して御救助を何うか」
 茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違って甚(ひど)い不手廻りですから、何分心底に任しません」
 と金子を紙に包んで、
 茂「これは真(ほん)の心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」
 と差出すを、
 玄「はい/\実に何とも恐縮の至りで」
 と手に受けて包をそっと披(ひら)き、中を見て其の儘に突戻しまして、
 玄「フン、これは唯(たっ)た二百疋(ぴき)ですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」
 茂「二分では少いと仰しゃるのか」
 玄「左様(さよう)さ、これッばかりの金が何になりましょう」
 茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」
 玄「ところが愚老の穿(は)く草鞋は高直(こうじき)だによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」
 茂「そんなら幾許(いくら)欲(ほし)いというのだ」

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