名人長二
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:三遊亭円朝 


 三遊亭圓朝子、曾て名人競と題し画工某及女優某の伝を作り、自ら之を演じて大に世の喝采を博したり。而して爾来病を得て閑地に静養し、亦自ら話術を演ずること能わず。然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとするに当り、予に其序を需む。予常に以為く、話術は事件と人物とを美術的に口述するものにして、音調の抑揚緩急得て之を筆にすること能わず、蓋し筆以て示すを得るは話の筋のみ、話術其物は口之を演ずるの外亦如何ともすること能わずと。此故に話術家必しも話の筋を作為するものにあらず、作話者必しも話術家にあらざるなり。夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。而して此の如きは百歳一人を出すを期すべからず。圓朝子は其話術に堪能なると共に、亦話の筋を作為すること拙しとせず。本書名人長二の伝を見るに立案斬新、可笑あり、可悲あり、変化少からずして人の意表に出で、而かも野卑猥褻の事なし。此伝の如きは誠に社会現時の程度に適し、優に娯楽の具と為すに足る。然れども是れ唯話の筋を謂うのみ。其話術に至りては之を演ずる者の伎倆に依りて異ならざるを得ず。門弟子たるもの勉めずんばあるべけんや。若し夫れ圓朝子病癒ゆるの日、親しく此伝を演せば其妙果して如何。長二は木匠の名人なり、圓朝子は話術の名人なり、名人にして名人の伝を演す、其霊妙非凡なるや知るべきのみ。而して聴衆は話の主人公たる長二と、話術の演術者たる圓朝子と、両々相対して亦是れ名人競たるを知らん。
  乙未初秋
土子笑面識

[#改ページ]



        一

 これは享和(きょうわ)二年に十歳で指物師(さしものし)清兵衛(せいべえ)の弟子となって、文政(ぶんせい)の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎(ちょうじろう)と申す指物師の伝記でございます。凡(およ)そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵(まきえ)などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀(まれ)なものでございます。通常より少し優れた伎倆(うでまえ)の人が一勉強(ひとべんきょう)いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手を以(もっ)て教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。さて此の長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商(ものもち)はいうまでもなく、大名方の贔屓(ひいき)を蒙(こうむ)ったほどの名人で、其の拵(こしら)えました指物も御維新(ごいっしん)前までは諸方に伝わって珍重されて居りましたが、瓦解(がかい)の時二束三文で古道具屋の手に渡って、何(ど)うかなってしまいましたものと見えて、昨今は長二の作というものを頓(とん)と見かけません。世間でも長二という名人のあった事を知っている者が少(すくの)うございますから、残念でもありますし、又先頃弁じました名人競(くらべ)のうち錦の舞衣(まいぎぬ)にも申述べた通り、何芸によらず昔から名人になるほどの人は凡人でございませぬゆえ、何か面白いお話があろうと存じまして、それからそれへと長二の履歴を探索に取掛りました節、人力車から落されて少々怪我をいたし、打撲(うちみ)で悩みますから、或人の指図で相州(そうしゅう)足柄下郡(あしがらしもごおり)の湯河原(ゆがわら)温泉へ湯治(とうじ)に参り、温泉宿伊藤周造(いとうしゅうぞう)方に逗留中、図らず長二の身の上にかゝる委(くわ)しい事を聞出しまして、此のお話が出来上ったのでございます。是が真(まこと)に怪我の功名と申すものかと存じます。文政(ぶんせい)の頃江戸の東両国大徳院(だいとくいん)前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋(りさい)の一番弟子で、江戸にまいって一時(いちじ)に名を揚げ、箱清(はこせい)といえば誰(たれ)知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事(こうず)の人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川亀住町(かめずみちょう)閻魔堂(えんまどう)地中(じちゅう)の不動院に遺(のこ)って、戒名を參清自空信士(さんせいじくうしんし)と申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿(なくな)りましたので、弟子の恒太郎(つねたろう)という器用な柔順(おとな)しい若者を養子にして、娘のお政(まさ)を娶(めあ)わせましたが、恒太の伎倆(うでまえ)はまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、皆(みん)な長二にさせます。長二は其の頃両親とも亡(なくな)りましたので、煮焚(にたき)をさせる雇婆(やといばあ)さんを置いて、独身で本所〆切(しめきり)[#「〆切」に校注、「枕橋の架してある堀の奥のところ」、ただし底本では校注が脱落、底本の親本にて確認]に世帯(しょたい)を持って居りましたが、何ういうものですか弟子を置きませんから、下働きをする者に困り、師匠の末の弟子の兼松(かねまつ)という気軽者を借りて、これを相手に仕事をいたして居りますところが、誰(たれ)いうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所(どこ)か仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様(そう)ではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、何(なん)でも不器用に造るが宜(い)い、見かけが器用に出来た物に永持(ながもち)をする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面(うわべ)は不細工(ぶざいく)に見えても、十百年(とッぴゃくねん)の後までも毀(こわ)れないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処(どこ)にか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない、是は指物ばかりではない、画(え)でも彫物(ほりもの)でも芸人でも同じ事で、銭を取りたいという野卑な根性や、他(ひと)に褒められたいという□諛(おべっか)があっては美(い)い事は出来ないから、其様(そん)な了簡を打棄(うッちゃ)って、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度(きっと)美い物が出来上るから、不器用にやんなさいと毎度申しますので、遂に不器用長二と綽名(あだな)をされる様になったのだと申すことで。

        二

 不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七(さかくらやすけしち)と申す大家(たいけ)の主人が聞きまして、面白い職人もあるものだ、予(かね)て御先祖のお位牌を入れる仏壇にしようと思って購(もと)めて置いた、三宅島の桑板があるから、長二に指(さ)させようと、店の三吉(さんきち)という丁稚(でっち)に言付けて、長二を呼びにやりました。其の頃蔵前の坂倉屋と申しては贅沢を極(きわ)めて、金銭を湯水のように使いますから、諸芸人はなおさら、諸職人とも何卒(どうか)贔屓を受けたいと願う程でございますゆえ、大抵の職人なら最上等のお得意様が出来たと喜んで、何事を措(お)いても直(すぐ)に飛んでまいるに、長二は三吉の口上を聞いて喜ぶどころか、不機嫌な顔色(かおつき)で断りましたから、三吉は驚いて帰ってまいりました。助七は三吉の帰りを待ちかねて店前(みせさき)に出て居りまして、
 助「三吉何故(なぜ)長二を連れて来ない、留守だったか」
 三「いゝえ居りましたが、彼奴(あいつ)は馬鹿でございます」
 助「何(なん)と云った」
 三「坂倉屋だか何だか知らないが、物を頼むに人を呼付けるという事アない、己(おら)ア呼付けられてへい/\と出て行くような閑(ひま)な職人じゃアねえと申しました」
 助「フム、それじゃア何か急ぎの仕事でもしていたのだな」
 三「ところが左様(そう)じゃございません、鉋屑(かんなくず)の中へ寝転んで煙草を呑んでいました、火の用心の悪い男ですねえ」
 助「はてな……手前何と云って行った」
 三「私(わたくし)ですか、私は仰しゃった通り、蔵前の坂倉屋だが、拵えてもらう物があるから直に来ておくんなさい、蔵前には幾軒も坂倉屋があるから一緒にまいりましょうと云ったんでございます」
 助「手前入ると突然(いきなり)其の口上を云って、お辞儀も挨拶もしなかったろう」
 三「へい」
 助「それを失礼だと思ったのだろう」
 三「だって旦那寝転んでいる方が余(よっ)ぽど失礼でしょう」
 助「ムヽそれも左様(そう)だが、何(なん)か気に障った事があるんだろう」
 三「左様じゃアございません、全体馬鹿なんです」
 助「むやみに他(ひと)の事を馬鹿なんぞというものではございませんぞ」
 と丁稚を誡(いまし)めて奥に這入りましたが是まで身柄のある画工でも書家でも、呼びにやると直に来たから、高の知れた指物職人と侮(あなど)って丁稚を遣(や)ったのは悪かった、他(ほか)の職人とは異(かわ)っているとは聞いていたが、それ程まで見識のある者とは思わなんだ、今の世に珍らしい男である、御先祖様のお位牌を入れる仏壇を指させるには此の上もない職人だと見込みましたから、直に衣服を着替えて、三吉に詫言を云含めながら長二の宅へ参りました。長二は此の時出来上った書棚に気に入らぬ所があると申して、才槌(さいづち)で叩き毀(こわ)そうとするを、兼松が勿体ないと云って留めている混雑中でありますから、助七は門口に暫く控えて立聞きをして居りますと、
 長「兼公、手前(てめえ)は然(そ)ういうけれどな、拵(こせ)えた当人が拙(まず)いと思う物で銭を取るのは不親切というものだ、何家業でも不親切な了簡があった日にア、□(うだつ)のあがる事アねえ」
 兼「それだって此のくれえの事ア素人にア分りゃアしねえ」
 長「素人に分らねえから不親切だというのだ、素人には分らねえから宜(い)いと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人(ぬすっと)も同様だ、手前(てめえ)盗人をしても銭が欲しいのか、己(おら)ア此様(こん)な職人だが卑しい事ア大嫌(でえきら)いだ」
 と丹誠を凝(こら)して造りあげた書棚をさい槌でばら/\に打毀(うちこわ)しました様子ゆえ、助七は驚きましたが、益々(ます/\)並の職人でないと感服をいたし、やがて表の障子を明けまして、
 助「御免なさい、私(わたくし)は坂倉屋助七と申す者で、少々親方にお願い申したい事があって、先刻出しました召使の者が、早呑込みで粗相を申し、相済みません、其のお詫かた/″\まいりました」
 と丁寧に申し述べましたから、流石(さすが)の長二も驚き、まご/″\する兼松に目くばせをして、其の辺に飛散っている書棚の木屑を片付けさせながら、
 長「へい、これはどうも恐入りました、此の通り取散かしていますが、何卒(どうぞ)此方(こちら)へ」
 と蓆(ござ)の上の鉋屑を振(ふる)って敷直しますから、助七は会釈をして其処(そこ)へ坐りました。

        三

 助「御高名は予(かね)て承知していましたが、つい掛違いまして」
 長「私(わたくし)もお名前は存じて居りますが、用がありませんからお目にかゝりませんでした、シテ御用と仰しゃるのは」
 助「はい、お願い申すこともございますが先刻のお詫をいたします……三吉……そこへ出てお詫をしろ」
 三吉は不承々々な顔付で上り口に両手をつきまして、
 三「親方さん先刻(さっき)は口上を間違えまして失礼を致しました、何卒(どうか)御免なさい」
 とお辞儀をいたしますを、長二は不審そうに見ておりましたが、[#「、」は底本では「。」]
 長「へい何(なん)でしたか小僧さん、何も謝る事アありません……えゝ旦那……先刻(さっき)お迎いでしたが、出ぬけられませんからお断り申したんで」
 助「それが間違いで、先刻(せんこく)三吉(これ)に、親方に願いたい事があるから宅(うち)に御座るか聞いて来いと申付けたのを間違えて、親方に来てくださるように申したとの事でございます」
 長「ムヽ左様(そう)いう事ですか、訳さえ分れば宜(い)いじゃアありませんか、それより御用の方をお聞き申しましょう」
 助「そんならお話し申しますが、実は私(わたくし)先年から心掛けて、先祖の位牌を入れて置く仏壇を拵えようと思って、三宅島の桑板の良いのを五十枚ほど購(もと)めましたが、此の仏壇は子孫の代までも永く伝わる物でもあり、又火事に焼けてならんものですから、非常の時は持って逃げる積りです、混雑の中では取落す事もあり、又他から物が打付(ぶッつか)る事もありますゆえ、余ほど丈夫でなければなりませんが、丈夫一式で木口(きぐち)が橋板のように馬鹿に厚くっては、第一重くもあり、お飾り申した処が見にくゝって勿体ないから、一寸(ちょっと)見た処は通例の仏壇のようで、大抵な事では毀(こわ)れませんように、極(ごく)丈夫に拵えたいという無理な注文でもございますし、それに位牌を入れる物ですから、成るべくは根性の卑しい粗忽(そこつ)な職人に指させたくないと思って、職人を捜して居りました処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にも優(まさ)るという評判を聞及びましたから、此の仕事をお願い申したいので、手間料には糸目をかけません、何うぞ私(わたくし)が先祖への孝行にもなる事でございますから、この絵図面を斟酌(しんしゃく)して一骨(ひとほね)折ってはくださるまいか」
 と仏壇の絵図面を見せますと、長二は寸法などを見較べまして、
 長「成程随分難かしい仕事ですが、宜(よ)うがす、此の工合(ぐあい)に遣(や)ってみましょう…だが急いじゃアいけませんよ、兎も角も板を遣(よこ)してお見せなさい、板の乾き塩梅(あんばい)によっちゃア仕事の都合がありますから」
 助「はい、承知いたしました……そんなら明朝(みょうあさ)板をよこすことに致しましょう……えゝ是は少のうございますが、御注文を申した印までに上げて置きます」
 と金子を十五両鼻紙に載せて差出しますを、長二は宜(よ)く見もいたさずに押戻しまして、
 長「板をよこして注文なさるんですから手金なんざア要(い)りません、出来上って見なければ手間も分りませんから、是はお預け申して置きます」
 助「左様いう事ならお預かり申して置きますから、御入用(ごいりよう)の節は何時(なんどき)でも仰しゃってお遣(つか)わしなさい」
 と金子を懐中に納めまして、
 助「これはお仕事のお邪魔を致しました……そんなら何分(なにぶん)宜しくお願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」
 と暇(いとま)を告げて助七は立帰り、翌日桑の板を持たせて遣りましたが、其の後(のち)長二から何(なん)の沙汰もございません。助七は待遠(まちどお)でなりませんが、長二が急いではいけないと申した口上がありますから、下手に催促をしたら腹を立つだろうと我慢をして待って居りますと、七月目(なゝつきめ)に漸々(よう/\)出来上って、長二が自身に持ってまいりましたから、助七は大喜びで、長二を奥の座敷へ通しました。此の時助七は五十三歳で、女房は先年歿(なくな)って、跡に二十一歳になる忰(せがれ)の助藏(すけぞう)と、十八歳のお島(しま)という娘があります。助七は待ちに待った仏壇が出来た嬉しさに、助藏とお島は勿論、店の番頭手代までを呼び集めて、一々長二に引合わせ、仏壇を見せて其の伎倆(うでまえ)を賞(ほ)め、長二を懇(ねんごろ)にもてなしました。

        四

 助「時に親方、つかん事を聞くようだが、先頃尋ねた折(おり)台所(だいどこ)にいたのは親方のお母(ふくろ)さんかね」
 長「いゝえ、お母は私(わたくし)が十七の時死にました、あれは飯焚(めしたき)の雇い婆さんです」
 助[#「助」は底本では「長」と誤記]「そんなら未だ家内は持たないのかね」
 長「はい、嚊(かゝあ)があると銭のことばかり云って仕事の邪魔になっていけませんから持たないんです」
 助「親方のように稼げば、銭に困ることはあるまいに」
 長「銭は随分取りますが、持っている事が出来ない性分ですから」
 助「職人衆は皆(みん)な然(そ)うしたものだが、親方は何が道楽だね」
 長「何も道楽というものあないんですが、只正直な人で、貧乏をしている者を見ると気の毒でならないから、持ってる銭をくれてやりたくなるのが病です」
 助「フム良(い)い病だ……面白い道楽だが、貧乏人に余(あんま)り金を遣りすぎると却(かえ)って其の人の害になる事があるから、気を付けなければいけません」
 長「其のくれえの事ア知っています、其の人の身分相応に恵まないと、贅沢をやらかしていけません」
 助「感心だ……名人になる人は異(かわ)ったものだ、のうお島」
 島「左様(さよう)でございます、誠に善(よ)いお心掛で」
 と長二の顔を見る途端に、長二もお島の顔を見ましたから、お島は間の悪そうに眼もとをぽうッと赧(あか)くして下を向きます。長二は此の時二十八歳の若者で、眼がきりゝとして鼻筋がとおり、何処(どこ)となく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌いで、他の職人達が婦人の談(はなし)でもいたしますと怒(おこ)るという程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見(みえ)も飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞(めくらじま)の股引に、垢染みた藍(あい)の万筋(まんすじ)の木綿袷(もめんあわせ)の前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂(かぎざき)のある印半纏(しるしばんてん)を引掛(ひっか)けていて、動くたんびに何処からか鋸屑(のこぎりくず)が翻(こぼ)れるという始末でございますから、お島は長二を美(い)い男とは思いませんが、予(かね)て父助七から長二の行いの他(ひと)に異(かわ)っていることを聞いて居ります上に、今また年に似合わぬ善(よ)い心掛なのを聞いて深く心に感じ、これにひきかえて兄の助藏が放蕩に金銭を使い捨てるに思い較べて、窃(ひそ)かに恥じましたから、ちょっと赤面致したので、また長二もお島を見て別に美しいとも思いませんが、是まで貧民に金銭を施すのを、職人の分際で余計な事だ、馬鹿々々しいから止せと留める者は幾許(いくら)もありましたが、褒める人は一人もありませんでしたに、今十七か十八のお嬢さんが褒めたのでありますから、長二は又お島が褒めた心に感心を致して、其の顔を見たのでございます。助七はそれらの事に毫(すこし)も心づかず、
 「親方の施し道楽は至極結構だが、女房を持たないと活計向(くらしむき)に損がありますから、早く良(い)いのをお貰いなさい」
 長「そりゃア知っていますが、女という奴ア吝(けち)なもんで、お嬢さんのように施しを褒めてくれる女はございませんから持たないんです」
 助「フム左様さ、女には教えがないから、仁だの義だのという事は分らないのは道理(もっとも)だ、此の娘なぞは良(よ)い所へ嫁に遣ろうと思って、師匠を家(うち)へ呼んで、読書(よみかき)から諸芸を仕込んだのだから、兎も角も理非の弁別がつくようになったんだが、随分金がかゝるから大抵の家では女にまでは行届(ゆきとゞ)きません、それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥(たんす)三重(みかさね)と用箪笥を親方に願いたい、何卒(どうか)心懸けて木の良(い)いのを見付けてください」
 長「畏(かしこ)まりましたが、先達(せんだっ)て職人の兼という奴が、鑿(のみ)で足の拇指(おやゆび)を突切(つッき)った傷が破傷風(はしょうふう)にでもなりそうで、甚(ひど)く痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから、私(わたくし)も幼(ちい)さい時怪我をした背中の旧傷(ふるきず)が暑さ寒さに悩みますので、一緒に行って序(つい)でに湯治をして来ようと思いますので、お急ぎではどうも」
 助「いゝや今が今というのではありません、行儀を覚えさせるため来月お出入邸(やしき)の筒井様の奥へ御奉公にあげる積りですから、娘(これ)が下(さが)るまでゞ宜(い)いんです」
 長「そんなら拵えましょう」
 助「湯河原は打撲(うちみ)と金瘡(きりきず)には能(い)いというから、緩(ゆっく)り湯治をなさるが宜(い)い、就(つい)てはこの仏壇の作料を上げましょう、幾許(いくら)あげたらよいね」
 長「左様……別段の御注文でしたから思召(おぼしめし)に適(かな)うように拵えましたので、思ったより手間がかゝりましたが……百両で宜(よ)うございます」
 其の頃の百両と申す金は当節の千両にも向う大金で、如何に念入でも一個(ひとつ)の仏壇の細工料が百両とは余り法外でございますから、助七は恟(びっく)りして、何(なん)にも云わず、暫く長二の顔を見詰めて居りました。

        五

 助七は仏壇の細工は十分心に適って丈夫そうには出来たが、百両の手間がかゝったとは思えません、これは己が余り褒めすぎたのに附込んで、己の家(うち)が金持だから法外の事をいうのであろう、扨(さて)は此奴(こいつ)は潔白な気性だと思いの外(ほか)、卑しい了簡の奴だなと腹が立ちましたから、
 助「おい親方、この仏壇の板は此方(こっち)から出したのだよ、百両とはお前間違いではないか」
 長「へい、板を戴いた事ア知っています、何も間違いではございません」
 助「是だけの手間が百両とは少し法外ではないか」
 長「そう思召しましょうが、それだけ手間がかゝったのです、百両出せないと仰しゃるなら宜うがす元の通りの板をお返し申しますから仏壇は持って帰ります……素人衆には分りますまいよ」
 と云いながら仏壇を持ちて帰ろうといたしますから、助七が押留(おしと)めまして、
 助「親方、まア待ちなさい、素人に分らないというが、百両という価値(ねうち)の細工が何処にあるのだえ」
 長「はい……旦那御注文の時何と仰しゃいました、この仏壇は大切の品だから、火事などで持出す時、他の物が打付(ぶッつか)っても、又落(おっ)ことしても毀(こわ)れないようにしたいが、丈夫一式で見てくれが拙(まず)くっては困ると仰しゃったではございませんか、随分無理な注文ですが、出来ない事はありませんから、釘一本他手(ひとで)にかけず一生懸命に精神(たましい)を入れて、漸々(よう/\)御注文通りに拵え上げたのです……私(わたくし)ア注文に違ってる品を瞞(ごま)かして納めるような不親切をする事ア大嫌(でえきれ)えです……最初手間料に糸目をつけないと仰しゃったから請負ったので、斯ういう代物(しろもの)は出来上ってみないと幾許(いくら)戴いて宜(い)いか分りません、此の仏壇に打ってある六十四本の釘には一本/\私の精神が打込んでありますから、随分廉(やす)い手間料だと思います」
 助「フム、その講釈の通りなら百両は廉いものだが、火事の時竹長持(たけながもち)の棒でも突(つッ)かけられたら此の辺の合せ目がミシリといきそうだ」
 長「その御心配は御道理(ごもっとも)ですが、外から何様(どん)な物が打付(ぶッつか)っても釘の離れるようなことア決してありませんが中から強(ひど)く打付けては事によると離れましょう、併(しか)し仏壇ですから中から打付かるものは花立が倒れるとか、香炉が転(ころが)るぐれえの事ですから、気遣(きづけ)えはございません、嘘だと思召すなら丁度今途中で買って来た才槌(せいづち)を持ってますから、これで打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい」
 と腰に挿していた樫(かし)の才槌(さいづち)を助七の前へ投出しました。助七は今の口上を聞き、成ほど普通の品より、手堅く出来てはいようが、元々釘で打付(うちつ)けたものだから叩いて毀れぬ事はない、高慢をいうにも程があると思いましたゆえ、
 助「そりゃア親方が丹誠をして拵(こさ)えたのだから少しぐらいの事では毀れもしまいが、此の才□(さいづち)で擲(なぐ)って毀れないとは些(ちっ)と高言(こうげん)が過(すぎ)るようだ」
 と嘲笑(あざわら)いましたから、正直一途(いちず)の長二はむっと致しまして、
 長「旦那……高言か高言でねえか打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい、打擲って一本でも釘が弛(ゆる)んだ日にゃア手間は一文も戴きません」
 助「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」
 と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、
 島「お父(とっ)さん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」
 助「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀(ぶちこわ)すのだ」
 島「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」
 助「ムヽ左様(そう)かな」
 と助七は一時(いちじ)お島の言葉に立止りましたが、扨(さて)は長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮して吾(われ)が打つまいと思って、斯様(かよう)な高言を吐(は)いたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥(ひんむ)いてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退(おしの)けながら、
 助「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら/\にして見せるから」
 と助七は才槌を揮(ふ)り上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板に瑕(きず)が付くばかりで、止口(とめぐち)釘締(くぎじめ)は少しも弛(ゆる)みません。助七は大家(たいけ)の主人で重い物は傘の外(ほか)持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌を投(ほう)り出して其処(そこ)へ尻餅をつき、せい/\いって、自分で右の手首を揉みながら、
 助「お島……水を一杯……速く」
 と云いますから、お島が急いで持ってまいった茶碗の水をグッと呑みほして太息(おおいき)を吐(つ)き、顔色を和(やわら)げまして、
 助「親方……恐入りました……誠に感服……名人だ……名人の作の仏壇、千両でも廉(やす)い、約束通り千両出しましょう」
 長「アハヽヽ精神(たましい)を籠めた処が分りましたか、私(わっちゃ)ア自慢をいう事ア大嫌(だいきら)いだが、それさえ分れば宜(よ)うがす、此様(こんな)に瑕が付いちゃア道具にはなりませんから、持って帰って其の内に見付かり次第、元の通りの板はお返し申します」
 助「そりゃア困る、瑕があっても構わないから千両で引取ろうというのだ」
 長「千両なんて価値(ねうち)はありません」
 助「だって先刻(さっき)賭(かけ)をしたから」
 長「そりゃア旦那が勝手に仰しゃったので、私(わたくし)が千両下さいと云ったのじアねえのです、私(わっち)ア賭事ア性来(うまれつき)嫌いです」
 助「左様(そう)だろうが、これは別物だ」
 長「何だか知りませんが、他(ひと)の仕事を疑ぐるというのが全体(ぜんてえ)気にくわないから持って帰るんです、銭金(ぜにかね)に目を眩(く)れて仕事をする職人じゃアございません」
 と仏壇を持出しそうにする心底の潔白なのに、助七は益々感服いたしまして、
 助「まア待ってください……親方……私(わし)がお前の仕事を疑ぐって、折角丹誠の仏壇を瑕物にしたのは重々わるかった、其処んところは幾重にもお詫をしますから、何卒(どうぞ)仏壇は置いて行ってください」
 長「だって此様(こんな)に瑕が付いてるものは上げられねえ」
 助「それが却って貴いのだ、聖堂の林様はお出入だから殿様にお願い申して、私(わし)が才槌で瑕をつけた因由(いわれ)を記(か)いて戴いて、其の書面を此の仏壇に添えて子孫に譲ろうと思いますから、親方機嫌を直して下さい」
 と只管(ひたすら)に頼みますから、長二も其の考えを面白く思い、打解けて仏壇を持帰るのを見合せましたから、助七は大喜びで、無類の仏壇が出来た慶(よろこ)びの印として手間料の外に金百両を添えて出しましたが、長二は何うしてもこれを受けませんで、手間料だけ貰って帰りました。助七は直(すぐ)に林大學頭(はやしだいがくのかみ)様の邸(やしき)へ参り、殿様に右の次第を申上げますと、殿様も長二の潔白なる心底と伎倆(ぎりょう)の非凡なるに感服されましたから、直に筆を執(と)って前の始末を文章に認(したゝ)めて下さいました。其の文章は四角な文字ばかりで私(わたくし)どもには読めませんが、是も亦(また)名文で、今日(こんにち)になっては其の書物(かきもの)ばかりでも大層な価値(ねうち)があると申す事でございます。斯様に林大學頭様の折紙が付いている宝物(ほうもつ)で、私も一度拝見しましたが御維新後坂倉屋が零落(おちぶ)れまして、本所横網(よこあみ)辺へ引込(ひっこ)みました時隣家より出た火事に仏壇も折紙も一緒に焼いてしまったそうで、如何にも残念な事でございます。それは後(のち)の話で此の仏壇の事が江戸市中の評判となり、大學頭様も感心なされて、諸大名や御旗下(おはたもと)衆へ吹聴をなされましたから、長二の名が一時に広まって、指物師の名人と云えば、あゝ不器用長二かというように名高くなりまして、諸方から夥(おびたゞ)しく注文がまいりますが、手伝の兼松は足の疵(きず)で悩み、自分も此の頃の寒気のため背中の旧疵(ふるきず)が疼(いた)み、当分仕事が出来ないと云って諸方の注文を断り、親方清兵衛に後(あと)を頼んで、文政三辰年(たつどし)の十一月の初旬(はじめ)、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。

        六

 湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村(みやかみむら)と申す処にございまして、当今は土肥次郎實平(どいじろうさねひら)の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村(しろほりむら)にある實平の城山は、真鶴港(まなづるみなと)から上陸して、吉浜(よしはま)を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路(みち)で一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉(かとうひろきち))藤屋(加藤文左衛門(かとうぶんざえもん))藤田屋(加藤林平(かとうりんぺい))上野屋(渡邊定吉(わたなべさだきち))伊豆屋(八龜藤吉(やかめとうきち))などで、当今は伊藤周造に天野(あまの)某(なにがし)などいう立派な宿も出来まして、何(いず)れも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出(わきだ)しまして、石垣で積上げてある所を惣湯(そうゆ)と申しますが、追々開(ひら)けて、当今は河中(かわなか)の湯、河下(かわしも)の湯、儘根(まゝね)の湯、下(しも)の湯、南岸(みなみぎし)の湯、川原(かわら)の湯、薬師(やくし)の湯と七湯(しちとう)に分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度乃至(ないし)百五度ぐらいで、打撲(うちみ)金瘡(きりきず)は勿論、胃病、便秘、子宮病、僂麻質私(りょうまちす)などの諸病に効能(きゝめ)があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山(むこうやま)、北は藤木山(ふじきやま)という山で囲まれている山間(やまあい)の村で、総名(そうみょう)を本沢(ほんざわ)と申して、藤木川、千歳川(ちとせがわ)などいう川が通っております。此の藤木川の流(ながれ)が、当今静岡県と神奈川県の境界(さかい)になって居ります。千歳川の下(しも)に五所(ごしょ)明神という古い社(やしろ)があります。此の社を境にして下の方(かた)を宮下村(みやしたむら)と申し、上(かみ)の方を宮上村と申すので、宮下の方(ほう)は戸数八十余(あまり)、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外は近傍(もより)の山々から石を切出したり、炭を焼いたり、種々(しゅ/″\)の山稼ぎをいたして活計(くらし)を立っている様子です。此の所から小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半余(よ)で、何(いず)れへまいるのにも路(みち)は宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。さて長二と兼松は温泉宿藤屋に逗留して、二週(ふたまわり)ほど湯治をいたしたので、忽(たちま)ち効験(きゝめ)が顕(あら)われて、両人とも疵所(きずしょ)の疼(いた)みが薄らぎましたから、少し退屈の気味で、
 兼「長(ちょう)兄い……不思議だな、一昨日(おとゝい)あたりからズキ/\する疼みが失(なくな)ってしまった、能く利く湯だなア」
 長「それだから此様(こん)な山ん中へ来る人があるんだ」
 兼「本当に左様(そう)だ、怪我でもしなけりゃア来る処じゃアねえ、此処(こけ)え来て見ると怪我人もあるもんだなア」
 長「ムヽ、伊豆相模(さがみ)は石山が多いから、石切職人(いしきりじょくにん)が始終怪我をするそうだ、見ねえ来ている奴ア大抵石切だ、どんな怪我でも一週(ひとまわり)か二週で癒(なお)るということだが、好(い)い塩梅にしたもんじゃアねえか、そういう怪我を度々(たび/\)する処にゃア、斯ういう温泉が湧くてえのは」
 兼「それが天道(てんとう)人を殺さずというのだ、世界(せけえ)の事ア皆(み)んな其様(そん)な塩梅(あんべい)に都合よくなってるんだけれど、人間というお世話やきが出てごちゃまかして面倒くさくしてしまッたんだ」
 長「旨い事を知ってるなア、感心だ」
 兼「旨いと云やア、それ此処(こけ)え来る時、船から上って、ソレ休んだ処(とこ)ア何(なん)とか云ったっけ」
 長「浜辺の好(い)い景色の処(ところ)か」
 兼「左様(そう)よ」
 長「ありゃア吉浜という処よ」
 兼「それから飯を喰った家(うち)は何とか云ったッけ」
 長「橋本屋よ」
 兼「ムヽ橋本屋だ、彼家(あすこ)で喰った※(めばる)[#「魚へん+君」、21-6]の煮肴(にざかな)は素的(すてき)に旨かったなア」
 長「魚が新らしいのに、船で臭(くせ)え飯を喰った挙句(あげく)だったからよ」
 兼「そうかア知らねいが、今に忘れられねえ、全体(ぜんてい)此辺(こけいら)は浜方(はまかた)が近いにしちゃア魚が少ねえ、鯛に比目魚(ひらめ)か※(めばる)[#「魚へん+君」、21-8]に□(むつ)、それでなけりゃア方頭魚(あまでい)と毎日の御馳走が極っているのに、料理方(かた)がいろ/\して喰わせるのが上手だぜ」
 長「そういうと豪気(ごうぎ)に宅(うち)で奢ってるようだが、水洟(みずッぱな)をまぜてこせえた婆さんの惣菜(そうざい)よりア旨かろう」
 兼「そりゃア知れた事だが、湯治とか何とか云やア贅沢が出るもんだ」
 長「贅沢と云やア雉子(きじ)の打(うち)たてだの、山鳩や鵯(ひよどり)は江戸じゃア喰えねえ、此間(こねえだ)のア旨かったろう」
 兼「ムヽあれか、ありゃア旨かった、それに彼(あ)の時喰った大根(でいこ)さ、此方(こっち)の大根は甘味があって旨(うめ)え、それに沢庵もおつだ、細くって小せえが、甘味のあるのは別だ、自然薯(じねんじょ)も本場だ、こんな話をすると何(なん)か喰いたくなって堪らねえ」
 長「よく喰いたがる男だ、折角疵が癒りかけたのに油濃(あぶらッこ)い物を喰っちゃア悪いよ」
 兼「毒になるものア喰やアしねいが、退屈だから喰う事より外ア楽(たのし)みがねえ……蕎麦粉の良(い)いのがあるから打ってもらおうか」
 長「己(おら)ア喰いたくねえが、少し相伴(つきあ)おうよ」
 兼「そりゃア有難い」
 と兼松が女中を呼んで蕎麦の注文を致します。馴れたもので程なく打あげて、見なれない婆さんが二階へ持ってまいりました。

        七

 兼「こりゃア早い、いや大きに御苦労……兄い一杯(いっぺい)やるか」
 長「己(おら)ア飲まないが、手前(てめえ)一本やんない」
 兼「そんなら婆さん、酒を一合つけて来てくんねえ」
 婆「はい、下物(さかな)はどうだね」
 兼「何があるえ」
 婆「鯛(たえ)と鶏卵(たまご)の汁(つゆ)があるがね」
 兼「それじゃア鯛(たい)の塩焼に鶏卵の汁を二人前(ふたりまえ)くんねえ」
 婆「はい、直(すぐ)に持って来やす」
 と婆さんは下へ降りてまいりました。
 長「兼公(かねこう)見なれねえ婆さんだなア」
 兼「宅(うち)の婆さんよりア穢(きた)ねえようだ、あの婆さんの打った蕎麦だと醤汁(したじ)はいらねいぜ」
 長「なぜ」
 兼「だって水洟(みずッぱな)で塩気がたっぷりだから」
 長「穢ねいことをいうぜ」
 と蕎麦を少し摘(つま)んで喰ってみて、
 兼「そんなに馬鹿にしたものじゃアねえ、中々旨(うめ)え……兄い喰ってみねえ……おゝ婆さん、お燗(かん)が出来たか」
 婆「大きに手間取りやした、お酌をしますかえ」
 兼「一杯(いっぺい)頼もうか……婆さんなか/\お酌が上手だね」
 婆「上手にもなるだア、若(わけ)い時から此家(こっち)でお客の相手えしたからよ」
 兼「だってお前今日初めて見かけたのだぜ」
 婆「左様(そう)だがね、私(わし)イ三十の時から此家(こっち)へ奉公して、六年前(ぜん)に近所へ世帯(しょたい)を持ったのだが、忙(せわ)しねえ時ア斯うして毎度(めいど)手伝に来るのさ、一昨日(おとつい)おせゆッ娘(こ)が塩梅(あんべい)がわりいって城堀(しろほり)へ帰(けえ)ったから、当分手伝(てつで)えに来たのさ」
 兼「ムヽ左様(そう)かえ、そうして婆さんお前(めえ)年は幾歳(いくつ)だえ」
 婆「もうはア五十八になりやす」
 兼「兄い、田舎の人は達者だねえ」
 長「どうしても体に骨を折って欲がねえから、苦労が寡(すくね)いせいだ」
 婆「お前(めえ)さん方は江戸かえ」
 長「そうだ」
 婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」
 長「不自由だが湯の利くのには驚いたよ」
 婆「左様(そう)かねえ、お前(めえ)さん方の病気は何(なん)だね」
 兼「己(おれ)のア是だ、この拇指(おやゆび)を鑿(のみ)で打切(ぶッき)ったのだ」
 婆「へえー怖(おっか)ねいこんだ、石鑿は重いてえからねえ」
 兼「己(おら)ア石屋じゃアねえ」
 婆「そんなら何(なん)だね」
 兼「指物師よ」
 婆「指物とア…ムヽ箱を拵(こせ)えるのだね、…不器用なこんだ、箱を拵える位(ぐれ)えで足い鑿い打貫(ぶっとお)すとア」
 長「兼公一本まいったなア、ハヽヽ」
 婆「笑うけんど、お前(めえ)さんのも矢張(やっぱり)其の仲間かね」
 長「己のは左様じゃアねえ、子供の時分の旧疵(ふるきず)だ」
 婆「どうしたのだね」
 長「どうしたのか己も知らねえ」
 婆「そりゃア変なこんだ、自分の疵を当人が知らねいとは……矢張足かね」
 長「いゝや、右の肩の下のところだ」
 婆「背中かね……お前(めい)さん何歳(いくつ)の時だね」
 長「それも知らねいのだが、この拇指の入(へえ)るくれえの穴がポカンと開(あ)いていて、暑さ寒さに痛んで困るのよ」
 婆「へいー左様(そう)かねえ、孩児(ねゝっこ)の時そんな疵うでかしちゃアおっ死(ち)んでしまうだねえ、どうして癒ったかねえ」
 長「どうして癒ったどころか、自分に見えねえから此様(こん)な疵のあるのも知らなかったのさ、九歳(こゝのつ)の夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前(てめえ)の背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので、初めて疵のあるのを知ったのよ、それから宅(うち)へ帰(けえ)ってお母(ふくろ)に、何うして此様な穴があるのだ、友達が馬鹿にしていけねえから何うかしてくれろと無理をいうと、お母が涙ぐんでノ、その疵の事を云われると胸が痛くなるから云ってくれるな、他(ひと)に其の疵を見せめえと思って裸体(はだか)で外へ出したことのねえに、何故泳ぎに行ったのだと云って泣くから、己もそれっきりにしておいたから、到頭分らずじまいになってしまったのよ」
 という話を聞きながら、婆さんは長二の顔をしげ/\と見詰めておりました。

        八

 婆「はてね……お前(めえ)さんの母様(かゝさま)というは江戸者かねえ」
 長「何故だえ」
 婆「些(ち)と思い出した事があるからねえ」
 長「フム、己の親は江戸者じゃアねえが、何処(どこ)の田舎だか己(おら)ア知らねえ、何でも己(おれ)が五歳(いつゝ)の時田舎から出て、神田の三河町へ荒物店(みせ)を出すと間もなく、寛政九年の二月だと聞いているが、其の時の火事に全焼(まるやけ)になって、其の暮に父(とっ)さんが死んだから、お母(ふくろ)が貧乏の中で丹誠して、己が十歳(とお)になるまで育ってくれたから、職を覚えてお母に安心させようと思って、清兵衞親方という指物師の弟子になったのだ」
 婆「左様(そう)かねえ、それじゃア若(も)しかお前(めえ)さんの母様はおさなさんと云わねいかねえ」
 長「あゝ左様だ、おさなと云ったよ」
 婆「父様(とっさま)はえ」
 長「父(とっ)さんは長左衛門(ちょうざえもん)さ」
 婆「アレエ魂消(たまげ)たねえ、お前(めえ)さん……長左衛門殿の拾児(ひろいッこ)の二助どんけえ」
 長「何だと己が拾児だと、何ういうわけでお前(めえ)そんな事を」
 婆「知らなくってねえ、此の土地の棄児(すてご)だものを」
 長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だというのかえ」
 婆「そうさ、此の先の山を些(ちっ)と登ると、小滝の落ちてる処があるだ、其処(そこ)の蘆(あし)ッ株の中へ棄てられていたのだ、背中の疵が証拠だアシ」
 兼「これは妙だ、何処(どこ)に知ってる者があるか分らねえものだなア」
 長「こりゃア思いがけねえ事だ……そんなら婆さんお前(めえ)己の親父やお母を知ってるかね」
 婆「知ってるどころじゃアねい」
 長「そうして己の棄てられたわけも」
 婆「ハア根こそげ知ってるだア」
 長「左様(そう)かえ……そんなら少し待ってくんな」
 と長二は此の先婆さんが如何様(いかよう)のことを云出すやも分らず、次第によっては実(まこと)の両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子を窺(うかゞ)いますと、隣座敷の客達は皆(みん)な遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、
 長「婆さん、こりゃア少ねえがお前(めえ)に上げるから煙草でも買いなさい」
 婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」
 長「其の代り今の話を委(くわ)しく聞かしてください、他(ひと)に聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」
 婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者は無(ね)いだけんどね、私(わし)イ一番よく知ってるというのア、その孩児(ねゝっこ)……今じゃア此様(こん)なに大(でか)くなってるが、生れたばかりのお前(めえ)さんを苛(むご)くしたのを、私イ眼の前に見たのだから」
 長「そんならお前(めえ)、己の実(ほんと)の親達も知ってるのか、何処の何(なん)という人だえ」
 婆「何処の人か知んねえが、私(わし)が此家(こっち)へ奉公に来た翌年(あくるとし)の事(こん)だから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年前(めえ)のこんだ、何でも二月の初(はじめ)だった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家(はなれ)に泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥(くたび)れたから、次の間に打倒(うちたお)れて寝てしまって、夜半(よなか)に眼イ覚(さま)すと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、好(い)い塩梅(あんべい)に云いくるめて、旦那に押(おっ)かぶして置いたが、此の児(こ)はお前(めい)さんの胤(たね)に違(ちげ)い無(ね)いというと、男の方では月イ勘定すると一月(ひとつき)違うから己の児じゃア無(ね)い、顔まで好(よ)く彼奴(あいつ)に似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違(まちげ)える事もあるもんだ、お前(めえ)のように実(じつ)の無(ね)いことを云われちゃア苦労をした効(けい)がねい、私(わし)イもう彼(あ)の家(うち)に居ねい了簡だから、此の児はお前(めえ)の勝手にしたが宜(え)えと孩児を男の方へ打投(ぶんな)げたと見えて、孩児が啼(な)くだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン/\と音がアして、果(はて)にア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外の事(こッ)てねえから魂消ているうち、ぐず/\口小言を云いながら夫婦とも眠(ね)てしまった様子だったが、翌日(あくるひ)の騒ぎが大変さ」
 長「フム、どういう騒ぎだッたね」
 婆「これからお前(めえ)さんの背中の穴の話になるんだが、此の前(めえ)江戸から来た何(なん)とか云った落語家(はなしか)のように、こけえらで一節(ひときり)休むんだ、喉(のど)が乾いてなんねいから」
 兼「婆さん、なか/\旨(うめ)えもんだ、サアこゝへ茶を注(つ)いで置いたぜ」
 婆「ハアこれは御馳走さま……一息ついて直(すぐ)に後(あと)を話しますべい」

        九

 兼「婆さん、それから何うしたんだ、早く話してくんなせえ」
 婆「ハア、それからだ、其の翌日(あくるひ)の七時(なゝつさがり)であったがね、吉浜にいる知合(しりえい)を尋ねて復(また)帰(けえ)って来るから、荷物は預けて置くが、初めて来たのだからと云って、勘定をして二人が出て行ったサ、其の日長左衛門殿(どん)が山へ箱根竹(はこねだけ)イ芟(き)りに行って、日暮(ひくれ)に下りて来ると、山の下で孩児の啼声(なきごえ)がするから、魂消て行って見ると、沢の岸の、茅(かや)だの竹の生(へ)えている中に孩児が火の付いたように啼いてるから、何うしたんかと抱上げて見ると、どうだんべい、可愛そうに竹の切株(きッかぶ)が孩児の肩のところへ突刺(つッさゝ)っていたんだ、これじゃア大人でも泣かずにゃア居られねい、打捨(うちゃっ)て置こうもんならおッ死(ち)んでしまうから、長左衛門殿が抱いて帰(けえ)って訳え話したから、おさなさんも魂消て、吉浜の医者どんを呼びにやるやらハア村中の騒ぎになったから、私(わし)が行って見ると、藤屋の客人の子だから、直(すぐ)に帰(けえ)って何処の人だか手掛(てがゝり)イ見付けようと思って客人が預けて行った荷物を開けて見ると、梅醤(うめびしお)の曲物(まげもの)と、油紙(あぶらッかみ)に包んだ孩児の襁褓(しめし)ばかりサ、そんで二人とも棄児(すてご)をしに来たんだと分ったので、直に吉浜から江の浦小田原と手分(てわけ)えして尋ねたが知んねいでしまった、何でも山越しに箱根の方へ遁(ぬ)げたこんだろうと後(あと)で評議イしたことサ、孩児は背中の疵が大(でけ)えに血がえらく出たゞから、所詮助かるめいと医者どんが見放したのを、長左衛門殿夫婦が夜も寝ねいで丹誠して、湯へ入れては疵口を湯でなでゝ看護をしたところが、効験(きゝめ)は恐ろしいもんで、六週(むまわり)も経っただねえ、大(でけ)え穴にはなったが疵口が癒ってしまって、達者になったのだ、寿命のある人は別なもんか、助かるめいと思ったお前(めい)さんが此様(こん)なに大(でか)くなったのにゃア魂消やした」
 兼「ムヽそれじゃア兄いは此の湯河原の温泉のお蔭で助かったのだな」
 長「左様(そう)だ、温泉の効能も効能だがお母や親父の手当が届いたからの事だ、他人の親でせえ其様(そん)なに丹誠してくれるのに、現在(げんぜえ)血を分けた親でいながら、背中へ竹の突通るほど赤坊(あかんぼ)を藪の中(なけ)え投(ほう)り込んで棄(すて)るとア鬼のような心だ」
 と長二は両眼に涙を浮(うか)めまして、
 長「婆さん、そうしてお前(めえ)その児を棄てた夫婦の形(なり)や顔を覚えてるだろう、何様(どん)な夫婦だったえ」
 婆「ハア覚(おべ)えていやすとも、苛(むご)い人だと思ったから忘れねいのさ、男の方は廿五六でもあったかね。商人(あきゅうど)でも職人でも無(ね)い好(い)い男で、女の方は十九か廿歳(はたち)ぐらいで色の白い、髪の毛の真黒(まっくろ)な、眼(まなこ)が細くって口元の可愛(かえい)らしい美(い)い女で、縞縮緬(しまちりめん)の小袖に私(わし)イ見たことの無(ね)い黒(くれ)え革の羽織を着ていたから、何という物だと聞いたら、八幡黒(やわたぐろ)の半纒革だと云ったっけ」
 兼「フム、少し婀娜(あだ)な筋だな、何者だろう」
 長「何者だって其様(そん)な奴に用はねえ、婆さん此の疵は癒っても乳の無(ね)いので困ったろうねえ」
 婆「そうだ、長左衞門殿(どん)とおさなさんが可愛(かわえ)がって貰い乳(ぢ)イして漸々(よう/\)に育って、其の時名主様をしていた伊藤様へ願って、自分の子にしたがね、名前(なめえ)が知んねいと云ったら、名主様が、お前(めえ)達二人の丹誠で命を助けたのだから二助としろと云わしゃった、何がさて名主様が命名親(なつけおや)だんべい、サア村の者が可愛(かわえ)がるめいことか、外へでも抱いて出ると、手から手渡しで、村境(むらざかい)まで行ってしまう始末さ、私(わし)らも宜(よ)く抱いて守(もり)をしたんだが、今じゃア大(でか)くなってハア抱く事ア出来ねい」
 兼「冗談じゃアねえ、今抱かれてたまるものかナ……そうだが兄い……不思議な婆さんに逢ったので、思いがけねえ事を聞いたなア」
 長「ウム、初めて自分の身の上を知った、道理で此の疵のことをいうとお母が涙ぐんだのだ……兼(かね)……己の外聞(げいぶん)になるから此の事ア決して他(ひと)に云ってくれるなよ」

        十

 長「婆さん、お願いだからお前(めえ)も己のことを此家(こっち)の人達へ内(ねえ)しょにしていてくんなせえ……これは己の少(ちい)さい時守をしてくんなすったお礼だ」
 とまた幾許(いくら)か金を包んで遣りますと、婆さんは大喜びで、
 婆「此様(こんな)に貰っちゃア気の毒だが、お前(めえ)さんも出世イして、斯(こ)んな身分になって私(わし)も嬉しいからお辞儀イせずに戴きやす……私イ益(えき)もねいこんだ、お前さんのことを何で他(ひと)に話すもんかね、気遣(きづけ)えしねいが宜(え)い」
 長「何分頼むよ、お前(めえ)のお蔭で委(くわ)しい事が知れて有難(ありがて)え……ムヽそうだ、婆さん、お前その、長左衛門の先祖の墓のある寺を知ってるか」
 婆「知ってますよ、泉村(いずみむら)の福泉寺(ふくせんじ)様だア」
 長「泉村とア何方(どっち)だ、遠いか」
 婆「なアにハア十二丁べい下(しも)だ、明日(あす)私(わし)が案内しますべいか」
 長「それには及ばねえよ」
 婆「左様(そう)かね、そんなら私(わし)イ下へめえりやすよ、用があったら何時でも呼ばらッしゃい」
 と婆さんが下へ降りて行った後(あと)で、長二は己を棄てた夫婦というは何者であるか、又夫婦喧嘩の様子では、外に旦那という者があるとすれば、此の男と馴合(なれあい)で旦那を取って居たものか、但(たゞ)しは旦那というが本当の亭主で、此の男が奸夫(かんぷ)かも知れず、何(なん)にいたせ尋常の者でない上に、無慈悲千万な奴だと思いますれば、真(まこと)の親でも少しも有難くございません、それに引換え、養い親は命の親でもあるに、死ぬまで拾(ひろい)ッ子ということを知らさず、生(うみ)の子よりも可愛がって養育された大恩の、万分一も返す事の出来なかったのは今さら残念な事だと、既往(こしかた)を懐(おも)いめぐらして欝(ふさ)ぎはじめましたから、兼松が側(はた)から種々(いろ/\)と言い慰めて気を散じさせ、翌日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗(そうどうしゅう)で、清谷山(せいこくざん)福泉寺と申して境内は手広でございますが、土地の風習で何(いず)れの寺にも境内には墓所(はかしょ)を置きませんで、近所の山へ葬りまして、回向(えこう)の時は坊さんが其の山へ出張(でば)る事ですから、長二も福泉寺の和尚に面会して多分の布施を納め、先祖の過去帳を調べて両親の戒名を書入れて貰い、それより和尚の案内で湯河原村の向山にある先祖の墓に参詣いたしたので、婆さんは喋りませんが、寺の和尚から、藤屋の客は棄児の二助だということが近所へ知れかゝって来ましたから、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬(はじめ)に江戸へ立帰りました。さて長二はお母が貧乏の中で洒(すゝ)ぎ洗濯や針仕事をして養育するのを見かね、少しにても早くお母の手助けになろうと、十歳の時自分からお母に頼んで清兵衛親方の弟子になったのですから、親方から貰う小遣銭(こづかいぜに)はいうまでもなく、駄菓子でも焼薯(やきいも)でもしまって置いて、仕事場の隙(すき)を見て必ずお母のところへ持ってまいりましたから、清兵衞親方も感心して、他の職人より目をかけて可愛がりました。斯様(かよう)に孝心の深い長二でございますから、親の恩の有難いことは知って居りますが、今度湯治場で始めて長左衛門夫婦は養い親であるということを知ったばかりでなく、実(まこと)の親達の無慈悲を聞きましたから、殊更(ことさら)に養い親の恩が有難くなりましたが、両親とも歿(な)い後(のち)は致し方がございませんから、切(せ)めては懇(ねんごろ)に供養でもして恩を返そうと思いまして、両親の墓のある谷中三崎(さんさき)の天竜院(てんりゅういん)へまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机(きょうづくえ)磐台(きんだい)など造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風を厭(いと)わず必ず墓まいりをいたしました。

        十一

 斯様な次第でございますから、何となく気分が勝(すぐ)れませんので、諸方から種々(いろ/\)注文がありましても身にしみて仕事を致さず、其の年も暮れて文政四巳年(みどし)と相成り、正月二月と過ぎて三月の十七日は母親(おふくろ)の十三年忌に当りますから、天竜院に於(おい)て立派に法事を営み、親方の養子夫婦は勿論兄弟弟子一同を天竜院へ招待(しょうだい)して斎(とき)を饗(ふるま)い、万事滞(とゞこお)りなく相済みまして、呼ばれて来た人々は残らず帰りましたから、長二は跡に残って和尚に厚く礼を述べて帰ろうといたすを、和尚が引留めて、自分の室(へや)に通して茶などを侑(すゝ)めながら、長二が仏事に心を用いるは至極奇特(きどく)な事ではあるが、昨年の暮頃から俄かに仏三昧(ざんまい)を初め、殊に今日の法事は職人の身分には過ぎて居(お)るほど立派に営みしなど、近頃合点(がてん)のいかぬ事種々あるが是には何か仔細のある事ならん、次第によっては別に供養の仕方もあれば、苦しからずば仔細を話されよと懇(ねんごろ)に申されますゆえ、長二も予(かね)て機(おり)もあらば和尚にだけは身の上の一伍一什(いちぶしじゅう)を打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々(かく/\)の棄児(すてご)にて、長左衛門夫婦に救われて養育を受けし本末(もとすえ)を委(くわ)しく話して居りますところへ、小坊主が案内して通しました男は、年の頃五十一二で、色の白い鼻準(はなすじ)の高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万(いとおりあいまん)の袷(あわせ)に、琉球紬(りゅうきゅうつむぎ)の下着を袷重ねにして、茶献上の帯で、小紋の絽(ろ)の一重羽織を着て、珊瑚(さんご)の六分珠(ろくぶだま)の緒締(おじめ)に、金無垢の前金物(まえがなもの)を打った金革の煙草入は長門の筒差(つゝざし)という、賤(いや)しからぬ拵えですから、長二は遠慮して片隅の方に扣(ひか)えて居(お)ると、其の男は和尚に雑(ざっ)と挨拶して布施を納め、一二服煙草を呑んで本堂へお詣(まい)りに行きました。其の容体(ようだい)が頗(すこぶ)る大柄(おおへい)ですから、長二は此様(こん)な人に話でもしかけられては面倒だ、此の間に帰ろうと思いまして暇乞(いとまごい)を致しますと、和尚は又其の人に長二を紹介(ひきあわ)して出入場(でいりば)にしてやろうとの親切心がありますから、
 和「まア少しお待ちなさい、今のお方は浅草鳥越(とりこえ)の龜甲屋(きっこうや)幸兵衛(こうべえ)様というて私(わし)の一檀家じゃ、なか/\の御身代で、苦労人の上に万事贅沢にして居られるから、お近附になって置くが好(え)い」
 長「へい有難うございますが、少し急ぎの仕事が」
 和「今日は最(も)う仕事は出来はすまい、ムヽ仕事と云えば私(わし)も一つ煙草盆を拵(こさ)えてもらいたいが、何ういうのが宜(え)いかな……これは前住(せんじゅう)が持って居ったのじゃが、暴(あろ)うしたと見えて此様(こない)に毀(こわ)れて役にたゝんが、落板(おとし)はまだ使える、此の落板に合わして好(え)い塩梅に拵えてもらいたいもんじゃ」
 と種々話をしかけますから長二は帰ることが出来ません、其の内に幸兵衛は参詣をしまい戻って来て、
 幸「毎月墓参(はかまいり)をいたしたいと思いますが、屋敷家業というものは体が自由になりませんので、つい不信心(ぶしん/″\)になります」
 和「お忙しいお勤めではなか/\寺詣りをなさるお暇はないて、暇のある人でも仏様からは催促が来(こ)んによって無沙汰勝になるもので」
 幸「まア左様いう塩梅で……二月(ふたつき)ばかり参詣をいたさんうちに御本堂が大層お立派になりました、彼(あ)の左の方にある経机は何方(どちら)からの御寄附でございますか、彼様(あん)な上作(じょうさく)は是まで見ません、余(よっ)ぽど良い職人が拵(こしら)えた物と見えます」
 和「あの机かな、あれは此処(こゝ)にござる此の方の御寄附じゃて」
 幸「へい左様(さよう)ですか……これは貴方(あなた)御免なさい……へい初めてお目にかゝります、私(わたくし)は幸兵衛と申す者で……只今承まわれば彼の経机を御寄附になったと申すことですが、あれは何処(どこ)の何(なん)と申す者へお誂(あつら)えになったものでございます」
 長「へい、あれは、ヘイ私(わっち)が拵(こせ)えたので、仕事の隙(すき)に剰木(あまりっき)で拵えたのですから思うように出来ていません」
 幸「へえーそれでは貴方は指物をなさるので」
 和「はて、これが指物師で名高い不器用イヽヤナニ長二さんという人さ」
 幸「フム、それでは予(かね)て風聞に聞いた名人の木具屋(きぐや)さん……へえー貴方が其の親方でございますか、慥(たし)か本所の〆切とかにお住いですな」
 長「左様です」
 幸「それでは柳島の私(わし)の別荘からは近い…就てはお目にかゝったのを幸い、差向(さしむ)き客火鉢を二十に煙草盆を五六対拵えてもらいたいのですが、尤(もっと)も桐でも桑でもかまいません、何時頃までに出来ますね」
 長「早くは出来ません、良く拵(こせ)えるのには木の十年も乾(から)した筋の良(い)いのを捜さなけれアいけませんから」
 幸「どうか願います、お近いから近日柳島の宅へ一度来てください、漸々(よう/\)此間(こないだ)普請(ふしん)が出来上ったばかりだから、種々誂えたいものがあります」
 長「へい、私(わっち)はどうも独身(ひとりもの)で忙(せわ)しないから、屹度上(あが)るというお約束は出来ません」
 幸「そういう事なら近日私(わし)がお宅へ出ましょう」
 長「どうか左様(そう)願います」
 と長二は斯様な人と応対をするのが嫌いでございますから、話の途切れたのを機(しお)に暇乞(いとまごい)をして帰りました。

        十二

 後(あと)で幸兵衛は和尚に、
 幸「伎倆(うで)の良(い)い職人というものは、お世辞も軽薄もないものだと聞いていましたが、成程彼の長二も其の質(たち)で、なか/\面白い人物のようです」
 和「職人じゃによって礼儀には疎(うと)いが、心がけの善(え)い人で、第一陰徳(いんとく)を施す事が好きで、此の頃は又仏のことに骨を折っているじゃて、余程妙な奇特(きどく)な人じゃによって、どうか贔屓にしてやってください」
 幸「左様(さよう)ですか、職人には珍らしい変り者でございますが、それには何か訳のある事でしょう」
 和「はい、お察しの通り訳のあることで、全体あの男は棄児でな、今に其の時の疵が背中に穴になって残って居(お)るげな」
 幸「へえー、それは何うした疵で、どういう訳でございますか」
 と幸兵衞が推(お)して尋ねますから、和尚は長二の身の上を委しく話したならば、不憫が増して一層贔屓にしてくれるであろうとの親切から、先刻長二に聞きました一伍一什(いちぶしじゅう)のことを話しますと、幸兵衛は大きに驚いた様子で、左様に不仕合な男なれば一層目をかけてやろうと申して立帰りました後(のち)は、度々(たび/\)長二の宅を尋ねて種々の品を注文いたし、多分の手間料を払いますので、長二は他の仕事を断って、兼松を相手に龜甲屋の仕事ばかりをしても手廻らぬほど忙(せわ)しい事でございました。其の年の四月から五月まで深川に成田の不動尊のお開帳があって、大層賑いました。其のお開帳へ参詣した帰りがけで、四月の廿八日の夕方龜甲屋幸兵衞は女房のお柳(りゅう)を連れ、供の男に折詰の料理を提(さ)げさせて、長二の宅へ立寄りました。
 幸「親方宅(うち)かえ」
 兼「こりゃアいらっしゃい……兄い……鳥越の旦那が」
 長「そうか、イヤこれは、まアお上(あが)んなさい、相変らず散かっています」
 幸「今日はお開帳へまいって、人込で逆上(のぼ)せたから平清(ひらせい)で支度をして、帰りがけだが、今夜は柳島へ泊るつもりで、近所を通る序(ついで)に、妻(これ)が親方に近付になりたいと云うから、お邪魔に寄ったのだ」
 長「そりゃア好(よ)く……まア此方(こっち)へお上んなさい」
 と六畳ばかりの奥の室(ま)の長火鉢の側へ寝蓆(ねござ)を敷いて夫婦を坐らせ、番茶を注(つ)いで出す長二の顔をお柳が見ておりましたが、何ういたしたのか俄に顔が蒼くなって、眼が逆(さか)づり、肩で息をする変な様子でありますから、長二も挨拶をせずに見ておりますと、まるで気違のように台所の方から座敷の隅々をきょろ/\見廻して、幸兵衛が何を云っても、只はいとかいゝえとか小声に答えるばかりで、其の内に又何か思い出しでもしたのか、襟の中へ顔を入れて深く物を案じるような塩梅で、紙入を出して薬を服(の)みますから、兼松が茶碗に水を注いで出すと、一口飲んで、
 柳「はい、もう宜しゅうございます」
 長「何(ど)っか御気分でも悪いのですか」
 幸「なに、人込へ出ると毎(いつ)でも血の道が発(おこ)って困るのさ」
 兼「矢張(やっぱり)逆上(のぼ)せるので、もっと水を上げましょうか」
 幸「もう治りました、早く帰って休んだ方が宜しい……これは親方生憎(あいにく)な事で、とんだ御厄介になりました、又其の内に出ましょう」
 とそこ/\に帰ってまいります。

        十三

 お柳の装(なり)は南部の藍の子持縞(こもちじま)の袷に黒の唐繻子(とうじゅす)の帯に、極微塵(ごくみじん)の小紋縮緬(こもんちりめん)の三紋(みつもん)の羽織を着て、水の滴(たれ)るような鼈甲(べっこう)の櫛(くし)笄(こうがい)をさして居ります。年は四十の上を余程越して、末枯(すが)れては見えますが、色ある花は匂(におい)失せずで、何処やらに水気があって、若い時は何様(どん)な美人であったかと思う程でございますが、来ると突然(いきなり)病気で一言(ひとこと)も物を云わずに帰って行く後影(うしろかげ)を兼松が見送りまして、
 兼「兄い……ちっと婆さんだが好(い)い女だなア」
 長「そうだ、装(なり)も立派だのう」
 兼「だが、旨味の無(ね)え顔だ、笑いもしねいでの」
 長「塩梅(あんべえ)がわるかったのだから仕方がねえ」
 兼「左様(そう)だろうけれども、一体が桐の糸柾(いとまさ)という顔立だ、綺麗ばかりで面白味が無(ね)え、旦那の方は立派で気が利いてるから、桑の白質(しらた)まじりというのだ」
 長「巧(うま)く見立てたなア」
 兼「兄いも己が見立てた」
 長「何(なん)と」
 兼「兄いは杉の粗理(あらまさ)だなア」
 長「何故」
 兼「何故って厭味なしでさっぱりしていて、長く付合うほど好(よ)くなるからさ」
 長「そんなら兼、手前(てめえ)は檜の生節(いきぶし)かな」
 兼「有難(ありがて)え、幅があって匂いが好(い)いというのか」
 長「いゝや、時々ポンと抜けることがあるというのよ」
 兼「人を馬鹿にするなア、毎(いつ)でもしめえにア其様(そん)な事だ、おやア折(おり)を置いて行ったぜ、平清のお土産とは気が利いてる、一杯(いっぺい)飲めるぜ」
 長「馬鹿アいうなよ、忘れて行ったのなら届けなけりゃアわりいよ」
 兼「なに忘れてッたのじゃア無(ね)え、コウ見ねえ、魚肉(なまぐさ)の入(へえ)ってる折にわざ/\熨斗(のし)が挿(はさ)んであるから、進上というのに違いねえ、独身もので不自由というところを察して持って来たんだ、行届いた旦那だ………何が入(へえ)ってるか」
 長「コウよしねえ、取りに来ると困るからよ」
 兼「心配(しんぺい)しなさんな、そんな吝(けち)な旦那じゃア無(ね)え、もしか取りに来たら己が喰っちまったというから兄いも喰いねえ、一合買って来るから」
 と、兼松は是より酒を買って来て、折詰の料理を下物(さかな)に満腹して寝てしまいました。其の翌朝(よくあさ)長二は何か相談事があって大徳院前の清兵衛親方のところへ参りました後(あと)で兼松が台所を片付けながら、空の折を見て、長二の云う通り忘れて行ったので、柳島から取りに来はしまいかと少し気になるところへ、毎度使いに来る龜甲屋の手代が表口から、
 手代「はい御免なさい、柳島からまいりました」
 と聞いて兼松はぎょっとしました。

        十四

 兼松は遁(に)げる訳にも参りませんから、まご/\しながら、
 兼「えい何か御用で」
 手「はい、御新造(ごしんぞ)様が此のお手紙をお見せ申して、昨日(きのう)忘れた物を取って来てくれろと仰しゃいました」
 兼「へえー忘れた物を、へえー」
 手「それに此の品を上げて来いと仰しゃいました」
 と手紙と包物(つゝみもの)を出しましたが、兼松は蒼くなって、遠くの方から、
 兼「何(なん)だか分りやせんが、生憎兄(あにき)えゝ長二が留守ですから、手紙も皆(みん)な置いてっておくんなせえ」
 手「いゝえ、是非手紙をお目にかけろと申付けられましたから、お前さん開けて見ておくんなさい」
 兼「だって私(わっち)にはむずかしい手紙は読めねえからね」
 手「御新造様のは毎(いつ)でも仮名ばかりですが」
 兼「そうかね」
 と怖々手紙を開(ひら)いて、
 兼「えゝと何(なん)だナ……鳥渡申上々(とりなべちゅうじょう/″\)……はてな鳥なべになりそうな種はなかったが、えゝと……昨日(さくひ)はよき折……さア困った、もしお使い、実はね鉋屑(かんなくず)の中にあったからお土産だと思ってね、お手紙の通り好(い)い折でしたが、つい喰ったので」
 手「へえー左様(さよう)でございますか、私(わたくし)は火鉢の側のように承わりましたが」
 兼「何処でも同じ事だが、それから何だ、えゝ……よき折から……空になった事を知ってるのか知らん、御(おん)めもし致(いたし)…何という字だろう…御うれしく……はてな、御めしがうれしいとは何ういう訳だろう、それから…そんじ上(じょう)…※[#「まいらせそろ」の草書体文字、42-3]…サア此の瘻(せむし)のような字は何とか云ったッけねえお前(めえ)さん、此の字は何と云いましたッけ」
 手「へい、どれでございます、へい、それはまいらせそろという字で」
 兼「そう/\、まいらせそろだ、それにしても何が損じたのか訳が分らねえが、えゝと……その折は、また折の事だ喰わなければよかった……持(もち)びょうおこり……おごりには違(ちげ)えねいが、持(もち)びょうとは何の事だか…あつく御(おん)せわに…相成り…御きもじさまにそんじ※[#「まいらせそろ」の草書体文字、42-8]……又損じて瘻のような字がいるぜ、相摸(さがみ)の相(さが)という字に楠正成(くすのきまさしげ)の成(しげ)という字だが、相成(さがしげ)じゃア分らねえし、又きもじさまとア誰の名だか、それから、えゝと……あしからかす/\御(おん)かんにん被下度候……何だか読めねえ」
 手「お早く願います」
 兼「左様(そう)急(せ)いちゃア尚分らなくならア、此のからす/\かんざえもんとア此間(こねえだ)御新造が来た夕方の事でしょう」
 手「そんな事が書いてございますか」
 兼「あるから御覧なせえ、それ」
 手「こりゃアあしからず/\御(ご)かんにんくだされたくそろでございます」
 兼「フム、お前(めえ)さんの方がなか/\旨(うめ)い物(もん)だ、其の先にむずかしい字が沢山(たんと)書いてあるが、お前さん読んでごらんなせい」
 手「こゝでございますか」
 兼「何でも其の見当だッた」
 手「こゝは……其の節置わすれ候(そろ)懐中物此のものへ御(おん)渡し被下度候(くだされたくそろ)、此の品粗まつなれどさし上候(あげそろ)先(まず)は用事のみあら/\※[#「かしく」の草書体文字、43-2]」
 兼「旨(うめ)い其の通りだ、その結尾(しまい)にある釣鉤(つりばり)のような字は何とか云ったね」
 手「かしくと読むのでございます」
 兼「ウムそうだ、分った事ア分ったが、兄いがいねえから、帰って其の訳を御新造に云っておくんなせい」
 と申しますので、手代も困って帰りました。其の後(あと)へ長二が戻って来ましたから、兼松が心配しながら手紙を見せると、
 長「昨日(きのう)御新造が薬を出したまんま紙入を忘れて行ったのを、今朝見(め)っけたから取りに来ないうちにと思って、親方の所へ行った帰(けえ)りがけに柳島へ廻って届けに行ったら、先刻(さっき)取りにやったと云ったが、また此様(こん)な土産物をよこしたのか、気の毒な、何だ橋本の料理か、兼又一杯(いっぺい)飲めるぜ」
 兼「ありがてえ、毎日(めえにち)斯ういう塩梅(あんべえ)に貰(もれ)え物があると世話が無(ね)えが、昨日のは喰いながらも心配だッた」
 長「何も其様(そん)な思いをして喰うにア及ばない、全体(ぜんてい)手前(てめえ)は意地がきたねえ、衣食住と云ってな着物と食物(くいもの)と家(うち)の三つア身分相応というものがあると、天竜院の方丈様が云った、職人ふぜいで毎日(めえにち)店屋(てんや)の料理なんぞを喰っちア罰(ばち)があたるア、貰った物にしろ毎日こんな物を喰っちア口が驕(おご)って来て、まずい物が喰えなくなるから、実ア有がた迷惑だ、職人でも芸人でも金持に贔屓にされるア宜(い)いが、見よう見真似で万事贅沢になって、気位(きぐらい)まで金持を気取って、他の者を見くびるようになるから、己(おら)ア金持と交際(つきあ)うことア大嫌(でえきれ)えだ、龜甲屋の旦那が来い/\というが、今まで一度も行かなかったが、忘れて行ったものを黙って置いちゃア気が済まねえから、持って云って投(ほう)り込んで来たが、柳島の宅(うち)ア素的(すてき)に立派なもんだ、屋敷稼業というものア、泥坊のような商売(しょうべえ)と見える、そんな人のくれたものア喰っても旨くねえ、手前(てめえ)喰うなら皆(みん)な喰いねえ、己ア天麩羅でも買って喰うから」
 と雇いの婆さんに天麩羅を買わせて茶漬を喰いますから、兼松も快よく其の料理を喰うことは出来ません。婆さんと二人で少しばかり喰って、残りを近所に住んでいる貧乏な病人に施すという塩梅で、万事並の職人とは心立(こゝろだて)が異(ちが)って居ります。

        十五

 長二は母の年回(ねんかい)の法事に、天竜院で龜甲屋幸兵衛に面会してから、格外の贔屓を受けていろ/\注文物があって、多分の手間料を貰いますから、活計向(くらしむき)も豊になりましたので、予(かね)ての心願どおり、思うまゝに貧窮人に施す事が出来るようになりましたのは、全く両親が草葉の蔭から助けてくれるのであろうと、益々両親の菩提[#「菩提」は底本では「菩堤」と誤記]《ぼだい》を弔うにつきましては、愈々(いよ/\)実(まこと)の両親の無慈悲を恨み、寐ても覚めても養い親の大恩と、実の親の不実を思わぬ時はございません。さて其の夏も過ぎ秋も末になりまして、龜甲屋から柳島の別荘の新座敷の地袋に合わして、唐木(からき)の書棚を拵えてくれとの注文がありました。前にも申しました通り、長二はお柳が置忘れた紙入を届けに行ったきり、是まで一度も龜甲屋へ参った事はございませんが、今度の注文物は其の地袋の摸様(もよう)を見なければ寸法其の外の工合(ぐあい)が分りませんので、余儀なく九月廿八日に自身で柳島へ出かけますと、折よく幸兵衞が来ておりまして、お柳と共に大喜びで、長二を座敷へ通しました。長二は地袋の摸様を見て直(すぐ)に帰るつもりでしたが、夫婦が種々(いろ/\)の話を仕かけますので、迷惑ながら尻を落付けて挨拶をして居るうちに、橋本の料理が出ました。
 幸「親方……何にもないが、初めてだから一杯やっておくれ」
 長「こりゃアお気の毒さまな、私(わたくし)ア酒は嫌いですから」
 柳「そうでもあろうが、私がお酌をするから」
 長「へい/\これは誠にどうも」
 幸「酒は嫌いだというから無理に侑(すゝ)めなさんな、親方肴でもたべておくれ」
 長「へい、こんな結構な物ア喰った事アございませんから」
 幸「だッて親方のような伎倆(うでまえ)で、親方のように稼いでは随分儲かるだろうから、旨い物には飽きて居なさろう」
 長「どう致しまして、儲かるわけにはいきません、皆(みん)な手間のかゝる仕事ですから、高い手間を戴きましても、一日(いちんち)に割ってみると何程にもなりやしませんから、なか/\旨い物なんぞ喰う事ア出来ません」
 幸「左様(そう)じゃアあるまい、人の噂に親方は貧乏人に施しをするのが好きだという事だから、それで銭が持てないのだろう、何ういう心願かア知らないが、若いにしちア感心だ」
 長「人は何(なん)てえか知りませんが、施しといやア大業(おおぎょう)です、私(わたくし)ア少(ちい)さい時分貧乏でしたから、貧乏人を見ると昔を思い出して、気の毒になるので、持合せの銭をやった事がございますから、そんな事を云うんでしょう」
 柳「長さん、お前少(ちい)さい時貧乏だッたとお云いだが、お父(とっ)さんやお母(っか)さんは何商売だったね」
 長「元は田舎の百姓で私(わたくし)の少さい時江戸(こっち)へ出て来て、荒物屋を始めると火事で焼けて、間もなく親父が死んだものですから、母親(おふくろ)が貧乏の中で私を育ったので、三度の飯さえ碌に喰わない程でしたから、子供心に早く母親の手助けを仕ようと思って、十歳(とお)の時清兵衛親方の弟子になったのですが、母親も私が十七の時死んでしまったのです」
 と涙ぐんで話しますから、幸兵衛夫婦も其の孝心の厚いのに感じた様子で、
 柳「お前さんのような心がけの良い方が、何うしてまア其様(そんな)に不仕合(ふしあわせ)だろう、お母さんをもう少し生かして置きたかったねえ」
 長「へい、もう五年生きていてくれると、育ってくれた恩返(おんげえ)しも出来たんですが、まゝにならないもんです」
 と鼻をすゝって握拳(にぎりこぶし)で涙を拭きます心を察してか、お柳も涙ぐみまして、
 柳「お察し申します、お前さんのように親思いではお父さんやお母さんに早く別れて、孝行の出来なかったのはさぞ残念でございましょう」
 長「へい左様(そう)です、世間で生(うみ)の親より養い親の恩は重いと云いますから、猶残念です」
 柳「へえー、そんならお前さんの親御は本当の親御さんではないの」
 と問われたので、長二はとんだ事を云ったと気がつきましたが、今さら取返しがつきませんから。
 長「へい左様(さよう)……私(わたくし)の親は……へい本当の親ではごぜいません、私を助けて、いゝえ私を養ってくれた親でございます」
 幸「はて、それでは親方は養子に貰われて来たので、本当の親御達はまだ達者かね」
 長「其様(そん)な訳じゃアございませんから」
 幸「そんなら里っ子ながれとでもいうのかね」
 長「いゝえ、左様(そう)でもございません」
 幸「どうしたのか訳が分らない」
 長「へい、此の事は是まで他(ひと)に云った事アございませんから、どうもヘイ私(わたくし)の恥ですから誠に」
 柳「親方何だね、お前さんの心掛が宜(い)いというので、旦那が此様(こんな)に可愛がって、お前さんの為になるように心配してくださるのだから、話したって宜いじゃアないかね」
 幸「どんな事か知らないが、次第によっちゃア及ばずながら力にもなろうから、話して聞かしなさい、決して他言はしないから」
 長「へい、そう御親切に仰しゃってくださるならお話をいたしましょうが、何卒(どうぞ)内々(ない/\)に願います………実ア私(わたくし)ア棄児です」
 柳「お前さんがエ」
 長「へい、私(わたくし)の実の親ほど」
 と云いかけて実親(じつおや)の無慈悲を思うも臓腑(はらわた)が沸(にえ)かえるほど忌々(いま/\)しく恨めしいので、唇が痙攣(ひきつ)り、烟管(きせる)を持った手がぶる/″\顫(ふる)えますから、お柳は心配気に長二の顔を見詰めました。
 柳「本当の親御達が何うしたのだえ」
 長「へい私(わたくし)の実の親達ほど酷(むご)い奴は凡(およ)そ世界にございますめえ」
 とさも口惜(くやし)そうに申しますと、お柳は胸の辺(あたり)でひどく動悸(どうき)でもいたすような慄(ふる)え声で、
 柳「何故だえ」
 長「何故どころの事(こっ)ちゃアございません、私(わたくし)の生れた年ですから二十九年前(めえ)の事です、私を温泉のある相州の湯河原の山ん中へ打棄(うっちゃ)ったんです、只打棄るのア世間に幾許(いくら)もございやすが、猫の死んだんでも打棄るように藪ん中へおッ投込(ぽりこ)んだんと見えて、竹の切株が私(わっち)の背中へずぶり突通(つッとお)ったんです、それを長左衛門という村の者が拾い上げて、温泉で療治をしてくれたんで、漸々(よう/\)助かったのですが、其の時の傷ア……失礼だが御覧なせい、こん通りポカンと穴になってます」
 と片肌を脱いで見せると、幸兵衞夫婦は左右から長二の背中を覘(のぞ)いて、互に顔を見合せると、お柳は忽(たちま)ち真蒼(まっさお)になって、苦しそうに両手を帯の間へ挿入(さしい)れ、鳩尾(むなさき)を強く圧(お)す様子でありましたが、圧(おさ)えきれぬか、アーといいながら其の場へ倒れたまゝ、悶え苦(くるし)みますので、長二はお柳が先刻(さっき)からの様子と云い、今の有様を見て、さては此の女が己を生んだ実の母に相違あるまいと思いました。

        十六

 其の時の男というは此の幸兵衛か、但(たゞ)しは幸兵衛は正しい旦那で、奸夫(かんぷ)は他の者であったか、其の辺の疑いもありますから、篤(とく)と探索した上で仕様があると思いかえして、何気なく肌を入れまして、
 長「こりゃとんだ詰らないお話をいたしまして、まことに失礼を……急ぎの仕事もございますからお暇(いとま)にいたします」
 幸「まア宜(い)いじゃアないか、種々(いろ/\)聞きたい事もあるから、今夜泊ってはどうだえ」
 長「へい、有難うございますが、兼松が一人で待ってますから」
 柳「親方御免よ、生憎また持病が発(おこ)って」
 長「お大事(でえじ)になさいまし……左様なら」
 と急いで宅へ帰りましたが、考えれば考えるほど、幸兵衛夫婦が実の親のようでありますから、それから段々二人の素性を探索いたしますと、お柳は根岸辺に住居していた物持某(なにがし)の妻(さい)で、某が病死したについて有金(ありがね)を高利に貸付け、嬬暮(やもめぐら)しで幸兵衛を手代に使っているうち、何時か夫婦となり、四五年前に浅草鳥越へ引移って来たとも云い、又先(せん)の亭主の存生中(ぞんしょうちゅう)から幸兵衞と密通していたので、亭主が死んだのを幸い夫婦になったのだとも云って、判然(はっきり)はしませんが、谷中の天竜院の和尚の話に、何故(なにゆえ)か幸兵衞が度々(たび/″\)来て、長二の身の上は勿論両親(ふたおや)の素性などを根強く尋ねるというので、彼是を思い合すと、幸兵衛夫婦は全く親には違いないが、無慈悲の廉(かど)があるので、面目なくって今さら名告(なの)ることも出来ないから、贔屓というを名にして仕事を云付け、屡々(しば/″\)往来(ゆきゝ)して親しく出入(でいり)をさせようとしたが、此方(こっち)で親しまないので余計な手間料を払ったり、不要な道具を注文したりして恩を被(き)せ、余所(よそ)ながら昔の罪を償おうとの了簡であるに相違ないが、前非(ぜんぴ)を後悔したなら有体(ありてい)に打明けて、親子の名告(なのり)をすればまだしも殊勝だのに、そうはしないで、現在実子と知りながら旧悪を隠して、人を懐(なず)けようとする心底は面白くないから、今度来たなら此方から名告りかけて白状させてやろうと待もうけて居(お)るとは知らず、幸兵衛は女房お柳と何(いず)れかへ遊山にまいった帰りがけと見えて、供も連れず、十一月九日の夕方長二の宅(うち)へ立寄りました。丁度兼松は深川六間堀に居(お)る伯母の病気見舞に行き、雇婆さんは自分の用達(ようたし)に出て居りませんから、長二は幸兵衛夫婦を表に立たせて置いて、其の辺に取散してあるものを片付け、急いで行灯(あんどう)を点(とも)して夫婦を通しました。
 幸「夕方だが、丁度前を通るから尋ねたのだ、もう構いなさんな」
 長「へい、誠にお久しぶりで、なに今皆(みん)な他へまいって一人ですから、誠にどうも」
 と番茶を注(つ)いで出しながら、
 長「いつぞやは種々御馳走を戴きまして、それから此来(こっち)体が悪(わり)いので、碌に仕事をいたしませんから、棚も木取(きど)ったばかりで未だ掛りません」
 幸「今日は其の催促じゃアないよ、彼(あ)の時ぎりでお目にかゝらないから、妻(これ)が心配して」
 とお柳の顔を見ると、お柳は長二の顔を見まして、
 柳「いつぞやは生憎持病が発(おこ)って失礼をしましたから、今日はそのお詫かた/″\」
 長「それは誠にどうも」
 と挨拶をしながら立って、戸棚の中を引掻きまわして、漸々(よう/\)菓子皿を探して、有合せの最中を五つばかり盛って出し、
 長「生憎兼松も婆さんも留守で、誠にどうも」
 柳「お一人ではさぞ御不自由でしょう」
 長「へい、別に不自由とも思いませんが、此様(こん)な時何が何処に蔵(しま)って在(あ)るか分りませんので」
 柳「左様(そう)でしょう、それに病み煩いの時などは内儀(おかみ)さんがないと困りますから、早くお貰いなすっては何うです、ねえ旦那」
 幸「左様(そう)だ、失礼な云分(いいぶん)だが、鰥夫(おとこやもめ)に何(なん)とやらで万事所帯に損があるから、好(い)いのを見付けて持ちなさい」
 長「だって私(わっち)のような貧乏人の処(とけ)えは来人(きて)がございません、来てくれるような奴は碌なのではございませんから」
 柳「なアに左様したもんじゃアない、縁というものは不思議なもんですよ、恥を云わないと分りませんが、私は若い時伯母に勧められて或所へ嫁に行って、さん/″\苦労をしたが、縁のないのが私の幸福(しあわせ)で、今は斯ういう安楽な身の上になって、何一つ不足はないが子供の無いのが玉に瑕(きず)とでも申しましょうか、順当なら長さん、お前さんぐらいの子があっても宜(い)いんですが、子の出来ないのは何かの罰(ばち)でしょうよ、いくらお金があっても子の無いほど心細いことはありませんから、長さん、お前さんも早く内儀さんを貰って早く子をお拵えなさい……お前さん貧乏だから嫁に来人がないとお云いだが、お金は何うにでもなりますから早くお貰いなさい、まだ宅(うち)の道具を種々拵(こさ)えてもらわなければなりませんから、お金は私が御用達(ごようだ)てます」
 と云いながら膝の側に置いてある袱紗包(ふくさづゝみ)の中から、其の頃新吹(しんふき)の二分金の二十五両包を二つ取出し、菓子盆に載せ、折熨斗(おりのし)を添えて、
 柳「これは少いが、内儀さんを貰うにはもう些(ちっ)と広い好(い)い家(うち)へ引越さなけりゃアいけないから、納(と)ってお置きなさい、内儀さんが決ったなら、又要るだけ上げますから」
 と長二の前へ差出しました。長二は疾(と)くに幸兵衞夫婦を実の親と見抜いて居りますところへ、最前からの様子といい、段々の口上は尋常(ひとゝおり)の贔屓でいうのではなく、殊に格外の大金に熨斗を付けてくれるというは、己を確かに実子と認めたからの事に相違ないに、飽までも打明けて名告らぬ了簡が恨めしいと、むか/\と腹が立ちましたから、金の包を向うへ反飛(はねと)ばして容(かたち)を改め、両手を膝へ突きお柳の顔をじっと見詰めました。

        十七

 長「何です此様(こん)な物を……あなたはお母(っか)さんでしょう」
 と云われてお柳はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめてぶる/\顫(ふる)えながら、逡巡(あとじさり)して幸兵衛の背後(うしろ)へ身を潜めようとする。幸兵衛も血相を変え、少し声を角立てまして、
 幸「何だと長二……手前何をいうのだ、失礼も事によるア、気でも違ったか、馬鹿々々しい」
 長「いゝえ決して気は違(ちげ)えません……成程隠しているのに私(わっち)が斯う云っちア失礼かア知りませんが、棄子の廉(かど)があるから何時まで経っても云わないのでしょう、打明けたッて私が親の悪事を誰に云いましょう、隠さず名告っておくんなせえ」
 と眼を見張って居ります。幸兵衞は返答に困りまして、うろ/\するうち、お柳は表の細工場(さいくば)の方へ遁(に)げて行きますから、長二が立って行って、
 長「お母さん、まアお待ちなせえ」
 と引戻すを幸兵衛が支えて、
 幸「長二……手前何をするのだ、失礼千万な、何を証拠に其様(そん)なことをいうのだ、ハヽア分った、手前(てめえ)は己が贔屓にするに附込んで、言いがゝりをいうのだな、お邸方(やしきがた)の御用達(ごようたし)をする龜甲屋幸兵衞だ、失礼なことをいうと召連訴(めしつれうった)えをするぞ」
 柳「あれまア大きな声をおしでないよ、人が聞くと悪いから」
 幸「誰が聞いたッて構うものか、太い奴だ」
 長「何で私(わっち)が言いがゝりなんぞを致しましょう、本当の親だと明しておくんなさりゃアそれで宜(い)いんです、それを縁に金を貰おうの、お前(めえ)さんの家(うち)に厄介(やっけい)になろうのとは申しません、私は是まで通り指物屋でお出入を致しますから、只親だと一言(ひとこと)云っておくんなせえ」
 と袂に縋(すが)るを振払い、
 幸「何をするんだ、放さねえと家主(いえぬし)へ届けるが宜いか」
 と云われて長二が少し怯(ひる)むを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸の辺(あたり)を右の手で力にまかせ突倒して、
 幸「さア疾(はや)く」
 とお柳の手を引き、見返りもせず柳島の方(かた)へ急いでまいります。後影(うしろかげ)を起上りながら、長二が恨めしそうに見送って居りましたが、思わず跣足(はだし)で表へ駈出し、十間ばかり追掛(おっか)けて立止り、向うを見詰めて、何か考えながら後歩(あとじさり)して元の上(あが)り口(はな)に戻り、ドッサリ腰をかけて溜息を吐(つ)き、
 長「ハアー廿九年前(めえ)に己を藪ん中(なけ)え棄てた無慈悲な親だが、会って見ると懐かしいから、名告ってもれえてえと思ったに、まだ邪慳を通して、人の事を気違だの騙(かた)りだのと云って明かしてくれねえのは何処までも己を棄てる了簡か、それとも己の思違いで本当の親じゃア無(ね)いのか知らん、いゝや左様(そう)で無(ね)え、本当の親で無くって彼様(あん)なことをいう筈は無(ね)い、それに五十両という金を……おゝ左様だ、彼(あ)の金は何うしたか」
 と内に這入って見ると、行灯(あんどう)の側に最前の金包がありますから、
 長「やア置いて行った…此の金を貰っちゃア済まねえ、チョッ忌々(いま/\)しい奴だ」
 と独言(ひとりごと)を云いながら金包を手拭に包(くる)んで腹掛のどんぶりに押込み、腕組をして、女と一緒だからまだ其様(そんな)に遠くは行くまい、田圃径(たんぼみち)から請地(うけち)の堤伝(どてづた)いに先へ出越せば逢えるだろう、柳島まで行くには及ばねえと点頭(うなず)きながら、尻をはしょって麻裏草履を突(つっ)かけ、幸兵衞夫婦の跡を追って押上(おしあげ)の方(かた)へ駈出しました。此方(こちら)は幸兵衞夫婦丁度霜月九日の晩で、宵から陰(くも)る雪催しに、正北風(またらい)の強い請地の堤(どて)を、男は山岡頭巾をかぶり、女はお高祖頭巾(こそずきん)に顔を包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で、
 幸「此方(こっち)の事を知らせずとも、余所ながら彼(あれ)を取立てゝやる思案もあるから、決して気(け)ぶりにも出すまいぞと、あれ程云って置いたに、余計なことを云うばかりか、己にも云わずに彼様(あん)な金を遣ったから覚(さと)られたのだ、困るじゃアねえか」
 柳「だッてお前さん、現在我子と知れたのに打棄(うっちゃ)って置くことは出来ませんから、名告らないまでも彼を棄てた罪滅(つみほろぼ)しに、彼(あ)のくらいの事はしてやらなければ今日様(こんにちさま)へ済みません」
 幸「エヽまだ其様(そん)なことを云ってるか、過去(すぎさ)った昔の事は仕方がねえ」
 柳「まだお前さんは彼を先(せん)の旦那の子だと思って邪慳になさるのでございますね」
 幸「馬鹿を云え、そう思うくらいなら彼様(あんな)に目をかけてやりはしない」
 柳「だッて先刻(さっき)なんぞア酷(ひど)く突倒したじゃアありませんか」
 幸「それでも今彼に本当のことを知られちゃア、それから種々(いろん)な面倒が起るかも知れないから、何処までも他人で居て、子のようにしようと思うからの事だ……おゝ寒い、斯様(こん)な所で云合ったッて仕方がない、速く帰って緩(ゆっ)くり相談をしよう、さア行こう」
 と、お柳の手を取って歩き出そうと致しまする路傍(みちばた)の枯蘆(かれあし)をガサ/\ッと掻分けて、幸兵衞夫婦の前へ一人の男が突立(つッた)ちました。是は申さないでも長二ということ、お察しでございましょう。

        十八

 請地の土手伝いに柳島へ帰ろうという途中、往来(ゆきゝ)も途絶えて物淋しい所へ、大の男がいきなりヌッとあらわれましたので、幸兵衞はぎょっとして遁(に)げようと思いましたが、女を連れて居りますから、度胸を据えてお柳を擁(かば)いながら、二足(ふたあし)三足(みあし)後退(あとじさり)して、
 幸「誰だ、何をするんだ」
 長「誰でもございません長二です」
 幸「ムヽ長二だ……長二、手前何(なん)しに来たんだ」
 長「何しに来たとはお情(なさけ)ねえ……私(わっち)は九月の廿八日、背中の傷を見せた時、棄てられたお母(っか)さんだと察したが、奉公人の前(めえ)があるから黙って帰(けえ)って、三月越(みつきご)しお前(めえ)さん方の身上(みじょう)を聞糺(きゝたゞ)して、確(たしか)に相違無(ね)えと思うところへ、お二人で尋ねて来てくだすったのは、親子の名告(なのり)をしてくんなさるのかと思ったら、そうで無えから我慢が出来ず、私の方から云出したのが気に触ったのか、但しは無慈悲を通す気か、気違だの騙りだのと人に悪名(あくみょう)を付けて帰(けえ)って行くような酷(むご)い親達から、金なんぞ貰う因縁が無えから、先刻(さっき)の五十両を返(けえ)そうと捷径(ちかみち)をして此処(こゝ)に待受け、おもわず聞いた今の話、もう隠す事ア出来ねえだろう、お母さん、何うかお前(めえ)さんに云い難(にく)い事があるかア知りませんが、決して他(ひと)には云わねえから、お前(めえ)を産んだお母(ふくろ)だといってくだせい……お願いです……また旦那は私の本当のお父(とっ)さんか、それとも義理のお父さんか聞かしてくだせい」
 と段々幸兵衞の傍(そば)へ進んで、袂に縋る手先を幸兵衛は振払いまして、
 幸「何をしやアがる気違奴(め)……去年谷中の菩提所で初めて会った指物屋、仕事が上手で心がけが奇特(きどく)だというので贔屓にして、仕事をさせ、過分な手間料を払ってやれば附けあがり、途方もねえ言いがゝりをして金にする了簡だな、其様(そん)な事に悸(びく)ともする幸兵衞じゃア無(ね)えぞ……えゝ何をするんだ、放せ、袂が切(きれ)るア、放さねえと打擲(ぶんなぐ)るぞ」
 と拳を振上げました。
 長「打(ぶ)つなら打ちなせえ、お前(めえ)さんは本当の親じゃアねえか知らねえが、お母(っか)さんは本当のお母さんだ……お母さん、何故私(わっち)を湯河原へ棄てたんです」
 とお柳の傍へ進もうとするを、幸兵衛が遮(さえぎ)りながら、
 幸「何をしやアがる」
 と云いさま拳固で長二の横面(よこつら)を殴りつけました。そうでなくッても憎い奴だと思ってる所でございますから、長二は赫(かっ)と怒(いか)りまして、打った幸兵衛の手を引(ひ)とらえまして、
 長「打(ぶ)ちゃアがったな」
 幸「打たなくッて泥坊め」
 長「何だと、何時己が盗人(ぬすっと)をした」
 幸「盗人だ、此様(こん)な事を云いかけて己の金を奪(と)ろうとするのだ」
 長「金が欲(ほし)いくれえなら、此の金を持って来(き)やアしねえ、汝(うぬ)のような義理も人情も知らねえ畜生の持った、穢(けがら)わしい金は要(い)らねえ、返(けえ)すから受取っておけ」
 と腹掛のかくしから五十両の金包を取出し、幸兵衛に投付けると額に中(あた)りましたから堪りません、金の角で額が打切(ぶちき)れ、血が流れる痛さに、幸兵衞は益々怒(おこ)って、突然(いきなり)長二を衝倒(つきたお)して、土足で頭を蹴ましたから、砂埃が眼に入って長二は物を見る事が出来ませんが、余りの口惜(くやし)さに手探りで幸兵衞の足を引捉(ひっとら)えて起上り、
 長「汝(うぬ)ウ蹴やアがッたな、此の義理知らずめ、最(も)う合点(がってん)がならねえ」
 と盲擲(めくらなぐ)りで拳固を振廻すを、幸兵衞は右に避(よ)け左に躱(かわ)し、空(くう)を打たして其の手を捉え捻上(ねじあげ)るを、そうはさせぬと長二は左を働かせて幸兵衛の領頸(えりくび)を掴み、引倒そうとする糞力に幸兵衛は敵(かな)いませんから、挿(さ)して居ります紙入留(かみいれどめ)の短刀を引抜いて切払おうとする白刄(しらは)が長二の眼先へ閃(ひらめ)いたから、長二もぎょッとしましたが、敵手(あいて)が刄物を持って居るのを見ては油断が出来ませんから、幸兵衞にひしと組付いて、両手を働かせないように致しました。

        十九

 長「その刄物は何だ、廿九年前(めえ)に殺そうと思って打棄(うっちゃ)った己が生きて居ちゃア都合が悪いから、また殺そうとするのか、本当の親の為になる事なら命は惜まねえが、実子と知りながら名告もしねえ手前(てめえ)のような無慈悲な親は親じゃアねえから、命はやられねえ……危ねえ」
 と刄物を※取(もぎと)[#「てへん+「宛」で「夕」の右側が「ヒ」」、61-10]ろうとするを、渡すまいと揉合う危なさを見かねて、お柳は二人に怪我をさせまいと背後(うしろ)へ廻って、長二の領元(えりもと)を掴み引分けんとするを、長二はお柳も己を殺す気か、よくも揃った非道な奴らだと、かッと逆上(のぼ)せて気も顛倒(てんどう)、一生懸命になって幸兵衛が逆手(さかて)に持った刄物の柄(つか)に手をかけて、引奪(ひったく)ろうとするを、幸兵衞が手前へ引く機(はずみ)に刀尖(きっさき)深く我と吾手(わがて)で胸先を刺貫(さしつらぬ)き、アッと叫んで仰向けに倒れる途端に、刄物は長二の手に残り、お柳に領を引かるゝまゝ将棋倒しにお柳と共に転んだのを、肩息ながら幸兵衛は長二がお柳を組伏せて殺すのであろうと思いましたから、這寄って長二の足を引張る、長二は起上りながら幸兵衞を蹴飛(けりと)ばす、後(うしろ)からお柳が組付くを刄物で払う刀尖が小鬢(こびん)を掠(かす)ったので、お柳は驚き悲しい声を振搾(ふりしぼ)って、
 柳「人殺しイ」
 と遁出(にげだ)すのを、もう是までと覚悟を決めて引戻す長二の手元へ、お柳は咬付(かみつ)き、刄物を奪(と)ろうと揉合(もみあ)う中へ、踉(よろめ)きながら幸兵衞が割って入るを、お柳が気遣い、身を楯にかばいながら白刄(しらは)の光をあちらこちらと避(よ)けましたが、とうとうお柳は乳の下を深く突かれて、アッという声に、手負(ておい)ながら幸兵衛は、
 幸「おのれ現在の母を殺したか」
 と一生懸命に組付いて長二の鬢の毛を引掴(ひッつか)みましたが、何を申すも急所の深手、諸行無常と告渡(つげわた)る浅草寺の鐘の音(ね)を冥府(あのよ)へ苞(つと)に敢(あえ)なくも、其の儘息は絶えにけりと、芝居なれば義太夫(ちょぼ)にとって語るところです。さて幸兵衞夫婦は遂に命を落しました。其の翌日、丁度十一月十日の事でございます。回向院前の指物師清兵衛方では急ぎの仕事があって、養子の恒太郎が久次(きゅうじ)留吉(とめきち)などという三四名の職人を相手に、夜延(よなべ)仕事をしておる処へ、慌(あわ)てゝ兼松が駈込んでまいりまして、
 兼「親方は宅(うち)かえ」
 恒「何だ、恟(びっく)りした……兼か久しく来なかッたのう」
 兼「長兄(あにい)は来(き)やしねえか」
 恒「いゝや」
 兼「はてな」
 恒「何うしたんだ、何(なん)か用か」
 兼「聞いておくんなせえ、私(わっち)がね、六間堀の伯母が塩梅(あんべえ)がわりいので、昨日(きのう)見舞に行って泊って、先刻(さっき)帰(けえ)って見ると家(うち)が貸店(かしだな)になってるのサ、訳が分らねえから大屋さんへ行って聞いてみると、兄(あにい)が今朝早く来て、急に遠方へ行(ゆ)くことが出来たからッて、店賃を払って、家(うち)の道具や夜具蒲団は皆(みん)な兼松に遣ってくれろと云置いて、何処(どっ)かへ行ってしまったのサ、全体(ぜんてえ)何うしたんだろう」

        二十

 恒「そいつは大変(てえへん)だ、あの婆さんは何うした」
 兼「婆さんも居ねえ」
 久「それじゃア長兄と一緒に駈落をしたんだ、彼(あ)の婆さん、なか/\色気があったからなア」
 恒「馬鹿アいうもんじゃアねえ……何(なん)か訳のあることだろうがナア兼……婆さんの宿へ行って様子を聞いて見たか」
 兼「聞きやアしねえが、隣の内儀(おかみ)さんの話に、今朝婆さんが来て、親方が旅に出ると云って暇をくれたから、田舎へ帰(けえ)らなけりゃアならねえと云ったそうだ」
 恒「其様(そん)な事なら第一番(でえいちばん)に此方(こっち)へいう筈だ」
 兼「己も左様(そう)だと思ったから聞きに来たんだ、親方にも断らずに旅に出る筈アねえ」
 留「女房の置去という事アあるが、此奴(こいつ)ア妙だ、兼手前(てめえ)は長兄に嫌われて置去に遭(あ)ったんだ、おかしいなア」
 兼「冗談じゃアねえ、若(わけ)え親方の前(めえ)だが長兄に限っちゃア道楽で借金があるという訳じゃアなし、此の節ア好(い)い出入場が出来て、仕事が忙がしいので都合も好い訳だのに、夜遁(よにげ)のような事をするとア合点(がってん)がいかねえ……兎も角も親方に会って行こう」
 と奥へ通りました。奥には今年六十七の親方清兵衞が、茶微塵(ちゃみじん)松坂縞(まつざかじま)の広袖(ひろそで)に厚綿(あつわた)の入った八丈木綿の半纒を着て、目鏡(めがね)をかけ、行灯(あんどん)の前で其の頃鍜冶(かじ)の名人と呼ばれました神田の地蔵橋の國廣(くにひろ)の打った鑿(のみ)と、浅草田圃の吉廣(よしひろ)、深川の田安前(たやすまえ)の政鍜冶(まさかじ)の打った二挺の鉋(かんな)の研上(とぎあ)げたのを検(み)て居ります。年のせいで少し耳は遠くなりましたが、気性の勝った威勢のいゝ爺さんでございます。兼松は長二の出奔(しゅっぽん)を甚(ひど)く案じて、気が急(せ)きますから、奥の障子を明けて突然(いきなり)に、
 兼「親方大変です、何うしたもんでしょう」
 清「えゝ、何だ、仰山な、静かにしろえ」
 兼「だッて親方私(わっち)の居ねい留守に脱出(ぬけだ)しちまッたんです」
 清「それ見ろ、彼様(あんな)にいうのに打様(うちよう)を覚えねえからだ、中の釘は真直(まっすぐ)に打っても、上の釘一本をありに打ちせえすりゃア留(とめ)の離れる気遣(きづけ)えは無(ね)いというのだ……杉の堅木(かたぎ)か」
 兼「まア堅気(かたぎ)だ、道楽をしねえから」
 清「大きいもんか」
 兼「私(わっち)より少し大きい、たしか今年廿九だから」
 清「何を云うのかさっぱり分らねえ、己(おら)ア道具の事を聞くのだ」
 兼「ムヽ道具ですか道具は悉皆(すっかり)家具(やぐ)蒲団まで私(わっち)にくれて行ったんです」
 清「まだ分らねえ……棚か箱か」
 兼「へい、店(たな)は貸店になっちまッたんです」
 清「何だと菓子棚だ、ウム菓子箪笥のことか、それが何うしたんだと」
 兼「何うしたんか訳が分らねえから聞きに来たんだが、親方へ談(はなし)なしだとねえ」
 清「そりゃア長二が為(す)る事だものを、一々己(おれ)に相談する事アねえ」
 兼「だッて、それじゃア済まねえ、己(おら)ア其様(そん)な人とア思わなかった……情(なさけ)ねえ人だなア」
 清「手前(てめえ)何か其の仕事の事で長二と喧嘩でもしたのか」
 兼「いゝえ、長(なげ)え間助(すけ)に行ってるが、喧嘩どころか大きい声をして呼んだ事もねえ……己(おれ)を可愛がって、近所の人が本当の兄弟(きょうでえ)でも彼(あ)アは出来ねえと感心しているくれえだのに、己が六間堀へ行ってる留守に黙って脱出(ぬけだ)したんだから、不思議でならねえ」
 清「何も不思議アねえ、手前(てめえ)の技(うで)が鈍いから脱出したんだ、長二は手前に何も云わねいのか」
 兼「何とも云いませんので」
 清「はてな、彼様(あんな)に親切な長二が教えねえ事アねえ筈だが……何か仔細(しせい)のある事だ」
 と腕組をして暫らく思案をいたし、
 清「些(すこ)し心当りがあるから明日(あした)でも己が尋ねてみよう」
 兼「左様(そう)です、何(なん)か深いわけがあるんです、心当りがあるんなら何も年寄の親方が行くにゃア及びません、私(わっち)が尋ねましょう」
 清「手前(てめえ)じゃア分らねえ、己が聞いてみるから手前今夜帰(けえ)ったら、長二に明日(あす)仕事の隙(すき)を見て一寸(ちょっと)来てくれろと云ってくんな」
 兼「親方何を云うんです、家(うち)に居もしねえ長兄に来てくれろとア」
 清「何処(どこ)へ行ったんだ」
 兼「何処かへ身を隠したから心配(しんぺい)しているんだ」
 清「何だと、長二が身を隠したと、えゝ、そんなら何故速くそう云わねえんだ」
 兼「先刻(さっき)から云ってるんです」
 清「先刻からの話ア釘の話じゃアねえか」
 兼「道理で訝(おか)しいと思った……困るな、つんぼ………エヽナニあの遠方へ急に旅立をすると、家主の所(とけ)え云置いて、何処へも沙汰なしに居なくなっちまッたんです」
 清「急に旅立をしたと、それにしても己の所(とけ)え何とか云いそうなもんだ、黙って行く所をもって見りゃア、何(なん)か済まねえ事でもしたんだろうが、彼奴(あいつ)に限っちゃア其様(そん)な事アあるめいに」
 と子供の時から丹誠をして教えあげ、名人と呼ばれるまでになって、親方を大切に思う長二の事ですから、清兵衛は養子の恒太郎よりも長二を可愛がりまして、五六日も顔を出しませんと直(すぐ)に案じて、小僧に様子を見せにやるという程でございますから、駈落同様の始末と聞いて清兵衞は顔色の変るまでに心配をいたして居ります。

        二十一

 恒太郎も力と頼む長二の事ですから、心配しながら兼松を呼びに来て見ると、養父が心配の最中でありますから、
 恒「兼、手前(てめえ)……長兄のことを父(とっ)さんに云ったな、云わねえでも宜(い)いに……父さん案じなくっても宜いよ、長二の居る処は直(すぐ)に知れるから」
 清「手前(てめえ)長二の居る処を知ってるのか」
 恒「大概(ていげえ)分ってるから、明日(あした)早く捜しに行こう」
 清「若(わけ)えから何様(どん)な無分別を出すめいもんでもねえから、明日(あす)といわず早いが宜い、兼と一緒に今ッから捜しに行きな」
 と急(せ)き立てる老(おい)の一徹、性急なのは恒太郎もかね/″\知って居りますが、長二の居所(いどこ)が直に分ると申しましたのは、只年寄に心配をさせまいと思っての間に合せでございますから、大きに当惑をいたし、兼松と顔を見合せまして、
 恒「行くのアわけアねえが、今夜はのう兼」
 兼「そうサ、行って帰ると遅くならア親方、明日(あした)起きぬけに行きましょう」
 清「其様(そん)なことを云って、今夜の内に間違(まちげ)えでもあったら何うする」
 兼「大丈夫(でえじょうぶ)だよ」
 清「手前は受合っても、本人が出て来て訳の解らねえうちは、己(おら)ア寝ても眠(ね)られねえから、御苦労だが早く行ってくんねえ」
 と急立(せきた)てられまして、恒太郎は余儀なく親父の心を休めるために
 恒「そんなら兼、行って来よう」
 と立とうと致します時、勝手口の外で
 「若(わけ)え親方も兼公も行くにゃア及ばねえ」
 と声をかけ、無遠慮(ぶえんりょ)に腰障子を足でガラリッと押開け、どっこいと蹌(よろめ)いて入りましたのは長二でございます。結城木綿の二枚布衣(ぬのこ)に西川縞の羽織を着て、盲縞の腹掛股引に白足袋という拵えで新しい麻裏草履を突(つッ)かけ、何所(どこ)で奢って来たか笹折(さゝおり)を提(さ)げ、微酔(ほろえい)機嫌で楊枝を使いながらズッと上って来ました様子が、平常(ふだん)と違いますから一同は恟りして、
 兼「兄い、何うしたんだ、何処へ行ってたんだ、己(おら)ア心配(しんぺい)したぜ」
 長「何処へ行こうと己(おれ)が勝手だ、心配(しんぺい)するやつが間抜だ、ゲエープウー」
 兼「やア珍らしい、兄い酔ってるな」
 長「酔おうが酔うめえが手前(てめえ)の厄介になりアしねえ、大きにお世話だ黙っていろ」
 と清兵衞の前に胡座(あぐら)をかいて坐りました。
 兼「何だか変だが、兄いが何うかしたぜ、コウ兄い……人にさん/″\心配(しんぺい)をさせておいて悪体(あくてい)を吐(つ)くとア酷(ひど)いじゃアねえか」
 長「生意気なことを吐(ぬ)かしやアがると打(たゝ)き擲(なぐ)るぞ」
 兼「何が生意気だい、兄い/\と云やア兄いぶりアがって、手前(てめえ)こそ生意気だ」
 と互に云いつのりますから、恒太郎が兼松を控えさせまして、
 恒「コウ長二、それじゃアおとなしくねえ、手前(てめえ)が居なくなったッて兼が心配(しんぺい)しているのに、悪体(あくてえ)を吐(つ)くのア宜(よ)くねえ、酔っているかア知らねえが、此処(こゝ)で其様(そん)なことをいっちゃア済むめえぜ」
 長「えゝ左様(そう)です、私(わっち)が悪かったから御免なせえ」
 恒「何も謝るには及ばねえが、聞きゃア手前(てめえ)家(うち)を仕舞ったそうだが、何処(どけ)え行く積りだ」
 長「何処(どけ)へ行こうとお前(めえ)さんの知った事(こッ)ちゃアねえ」
 と上目で恒太郎の顔を見る。血相(きっそう)が変っていて、気味が悪うございますから、恒太郎が後逡(あとじさり)をする後(うしろ)に、最前から様子を見て居りました恒太郎の嫁のお政(まさ)が、湯呑に茶をたっぷり注(つ)いで持ってまいりました。

        二十二

 政「長さん、珍しく今夜は御機嫌だねえ…お前さんの居る所が知れないと云って、お父(とっ)さんや皆(みんな)が何様(どんな)に心配をしていたか知れないよ」
 と茶を長二の前に置いて、
 政「温(ぬる)いからおあがり、お夜食は未だゞろうね、大澤(おおさわ)さんから戴いた鰤(ぶり)が味噌漬にしてあるから、それで一膳おたべよ」
 長「えゝ有がとうがすが、今喰ったばかしですから」
 と湯呑の茶を戴いて、一口グッと飲みまして、
 長「親方……私(わっち)は遠方へ行く積りです」
 清「其様(そん)なことをいうが、何所(どけ)へ行くのだ」
 長「京都へ行って利齋の弟子になる積りで、家(うち)をしまったのです」
 清「それも宜(い)いが、己も先(せん)の利齋の弟子で、毎(いつ)も話す通り三年釘を削らせられた辛抱を仕通したお蔭で、是までになったのだから、今の利齋ぐれえにゃア指(さ)す積りだが……むゝあの鹿島(かしま)さんの御注文で、島桐(しまぎり)の火鉢と桑の棚を拵(こせ)えたがの、棚の工合(ぐえい)は自分でも好(よ)く出来たようだから見てくれ」
 と目で恒太郎に指図を致します。恒太郎は心得て、小僧の留吉と二人で仕事場から桑の書棚を持出して、長二の前に置きました。
 清「どうだ長二……この遠州透(えんしゅうすかし)は旨いだろう、引出の工合(ぐあい)なぞア誰にも負けねえ積りだ、これ見ろ、此の通りだ」
 と抜いて見せるを長二はフンと鼻であしらいまして、
 長「成程拙(まず)くアねえが、そんなに自慢をいう程の事もねえ、此の遣違(やりちげ)えの留(とめ)と透(すかし)の仕事は嘘だ」
 兼「何だと、コウ兄い……親方の拵(こせ)えたものを嘘だと、手前(てめえ)慢心でもしたのか」
 長「馬鹿をいうな、親方の拵えた物だって拙いのもあらア、此の棚は外見(うわべ)は宜(い)いが、五六年経ってみねえ、留が放(はな)れて道具にゃアならねえから、仕事が嘘だというのだ」
 恒「何だと、手前(てめえ)父さんの拵えた物ア才槌(せえづち)で一つや二つ擲(なぐ)ったって毀(こわ)れねえ事ア知ってるじゃアねえか」
 長「それが毀れる様に出来てるからいけねえのだ」
 恒「何うしたんだ、今夜は何うかしているぜ」
 長「何うもしねえ、毎(いつ)もの通り真面目な長二だ」
 恒「それが何故父さんの仕事を誹(くさ)すのだ」
 長「誹す所があるから誹すのだ、論より証拠だ、才槌(せえづち)を貸しねえ、打毀(ぶっこわ)して見せるから」
 恒「面白い、毀してみろ」
 と恒太郎が腹立紛れに才槌(さいづち)を持って来て、長二の前へ投(ほう)り出したから、お政は心配して、
 政「あれまアおよしよ、酔ってるから堪忍おしよ」
 恒「酔ってるかア知らねえが、余(あんま)りだ、手前(てまえ)の腕が曲るから毀してみろ」
 兼「若(わけ)え親方……腹も立とうが姉(あね)さんのいう通り、酔ってるのだから我慢しておくんなせえ、不断此様(こん)な人じゃアねえから、私(わっち)が連れて帰って明日(あした)詫に来ます……兄い更けねえうちに帰(けえ)ろう」
 と長二の手を取るを振払いまして、
 長「何ヨしやがる、己(おら)ア無宿(やどなし)だ、帰(けえ)る所(とこ)アねえ」
 と云いながら才□を取って立上り、恒太郎の顔を見て、
 長「今打き毀して見せるから其方(そっち)へ退(ど)いていなせい」
 と才槌を提(ひっさ)げて、蹌(よろ)めく足を蹈(ふ)みしめ、棚の側へ摺寄って行灯(あんどう)の蔭になるや否や、コツン/\と手疾(てばや)く二槌(ふたつち)ばかり当てると、忽ち釘締(くぎじめ)の留は放れて、遠州透はばら/″\になって四辺(あたり)へ飛散りました。

        二十三

 言葉の行掛(ゆきがゝり)から彼(あ)アはいうものゝよもやと思った長二が、遠慮もなく清兵衛の丹誠を尽した棚を打毀(ぶちこわ)しました。且(かつ)二つや三つ擲(なぐ)ったって毀れる筈のない棚がばら/\に毀れたのに、居合わす人々は驚きました。中にも恒太郎は長二が余りの無作法に赫(かっ)と怒(いか)って、突然(いきなり)長二の髻(たぶさ)を掴んで仰向に引倒し、拳骨で長二の頭を五つ六(む)つ続けさまに打擲(ぶんなぐ)りましたが、少しもこたえない様子で、長二が黙って打(ぶ)たれて居りますから、恒太郎は燥立(いらだ)ちて、側に落ちている才槌を取って打擲ろうと致しますに、お政が驚いて其の手に縋(すが)りついて、
 政「あれまア危ないからおよしよ、怪我をさせては悪いからサ兼松……速く留めておくれ」
 兼「まアお待ちなせえ、其様(そん)な物で擲っちア大変だ」
 と止めるのを恒太郎は振払いまして。
 恒「なに此の野郎、ふざけて居やがる、此の才槌(せえづち)で棚を毀したから己が此の野郎の頭を打毀(ぶちこわ)してやるんだ」
 と才槌を振り上げました。此の騒ぎを最前から黙って視て居りました清兵衞が、
 清「恒マア待て、よしねえ、打棄(うっちゃ)っておけ」
 と留めましたが、恒太郎はなか/\肯(き)きません。
 恒「それだッて此様(こんな)に毀してしまっちゃア、明日(あした)鹿島(かじま)さんへ納める事が出来ねえ」
 清「まア己が言訳をするから宜(い)いというに」
 と叱りつけましたので、恒太郎、余儀なく手を放したから、お政も安心して長二を引起しながら、
 政「何処も痛みはしないか、堪忍おしよ」
 長「へい、有がとうがす」
 と会釈をして坐り直す長二の顔を、清兵衛がジッと視まして、
 清「これ長二手前(てめえ)能く吾(おれ)の拵(こせ)えた棚を毀したな、手前は大層上手になった、己の仕事に嘘があるとは感心だ、何処に嘘があるか手前の気の付いた所を一々其処で云って見ろ」
 長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十年も前(めえ)のことだ、もう六十を越して眼も利かなくなり、根気も脱(ぬ)けて、此の頃ア板削(いたけずり)まで職人にさせるから、艶(つや)が無くなって何処となしに仕事が粗(あら)びて、見られた状(ざま)アねえ、私(わっち)が弟子に来た時分は釘一本他手(ひとで)にかけず、自分で夜延(よなべ)に削って、精神(たましい)を入れて打ちなさったから百年経っても合口(えいくち)の放れッこは無かったが、今じゃア此のからッぺたの恒兄(あにい)に削らせた釘を打ちなさるから、此ん通りで状(ざま)ア無(ね)い、アハヽヽ」
 と打毀した棚に指をさして嘲笑(あざわら)いますから、兼松は気を揉んで、長二の袖をそっと引きまして、
 兼「おい兄い何うしたんだ、大概(ていげえ)にしねえ」
 と涙声で申しますが、一向に頓着(とんじゃく)いたしません。
 長「才槌(せえづち)で二つや三つ擲って毀れるような物が道具になるか、大概(ていげえ)知れた事(こっ)た、耄碌しちゃア駄目だ」
 と法外な雑言(ぞうごん)を申しますから、恒太郎が堪(こら)えかねて拳骨を固めて立かゝろうと致しますを、清兵衛が睨(にら)みつけましたから、歯軋(はぎしり)をして扣(ひか)えて居ります。
 長「その証拠にゃア十年前(めえ)私(わっち)に何と云いなすった、親方忘れやしないだろう、箱というものは木を寄せて拵(こせ)えるものだから、暴(あら)くすりア毀れるのが当然(あたりめえ)だ、それが幾ら使っても百年も二百年も毀れずに元のまんまで居るというのア仕事に精神(たましい)を入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃアねえ、釘の削り塩梅から板の拵え工合(ぐえい)と釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本他(ひと)に削らせちゃア自分の精神が入らねえところが出来て、道具が死んでしもうのだ、死んでる道具は直に毀れッちまうと云ったじゃアありやせんか、其の通りしねえから此の棚の仕事は嘘だと云うのだ、此様(こんな)に直ぐ毀れる物を納めるのア注文先へ対(てえ)して不実というものだ、是で高い工手間(くでま)を取ろうとは盗人(ぬすっと)より太(ふて)え了簡だ」
 と止途(とめど)なく罵(のゝし)ります。

        二十四

 清兵衛も腹にすえかね、
 清「黙りやアがれ、馬鹿野郎め、生意気を吐(ぬか)しやアがると承知しねえぞ、坂倉屋の仏壇で名を取ったと思って、高言を吐(つ)きアがるが、手前(てめえ)がそれほど上手になったのア誰が仕込んだんだ、其の高言は他(ほか)へ行って吐くが宜(い)い、己の目からはまだ板挽(いたひき)の小僧だが、己を下手だと思うなら止せ、他(ひと)に対(むか)って己の弟子だというなよ」
 長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」
 恒「呆れた野郎だ、父(とっ)さん何うしよう」
 兼「正気でいうのじゃアねえ」
 清「気違(きちげえ)だろう、其様(そん)な奴に構うなよ」
 兼「おい、兄い、どうしたんだ、本当に気でも違ったのか」
 長「べらぼうめ、気が違ってたまるもんか、此様(こん)な下手な親方に附いていちゃア生涯(しょうげえ)仕事の上りッこがねえから、己の方から断るんだ」
 清「長二、手前(てめえ)本当に其様なことをいうのか」
 長「嘘を吐(つ)いたッて仕方がねえ、私(わっち)が京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえように縁切(えんきり)の書付(かきつけ)をおくんなせえ」
 清「べらぼうめ、手前のような奴ア、再び弟子にしてくれろと云って来ても己の方からお断りだ」
 長「書付を出さねえなら、此方(こっち)で書いて行こう」
 と傍(そば)にある懸硯箱(かけすゞりばこ)を引寄せて鼻紙に何か書いて差出しましたから、清兵衞が取上げて見ますと、仮名交りで、
一私(わたくし)是まで親方のおせわになったが今日(こんにち)あいそがつきたから縁を切ります然(しか)る上は親方でないあかの他人で何事も知らないから左様(さよう)おぼしめし被下候(くだされそろ)文政巳(み)十月十日長二郎箱清(はこせい)様
 とありますから清兵衛は変に思って眺めておりますを、恒太郎が横の方から覗き込んで、
 恒「馬鹿な野郎だ、弟子のくせに此様な書付を出すとア……おや、長二は何うかしているんだ、今月ア霜月だのに十月と書いてあるア、月まで間違(まちげ)えていやアがる」
 長「そりゃア知ってるが、先月から愛想が尽きたから、そう書いたんだ」
 恒「負惜(まけおし)みを云やアがるな、此様な書付を張ったからにゃア二度と再び家(うち)の敷居を跨(また)ぎやアがると肯(き)かねいぞ」
 長「そりゃア知れた事(こっ)た、此の書付を渡したからにゃア此家(こっち)に何(ど)んな事があっても己(おら)ア知らねえよ、また己の体に何様(どん)な間違えがあっても御迷惑アかけねえから、御安心なせいやし」
 と立上って帰り支度を致しますが、余りの事に一同は呆れて、只互いに顔を見合すばかりで何にも申しませんから、お政が心配をして、長二の袂を引留めまして、
 政「長さんお待ちよ……まアお待ちというのに、お前それでは済まないよ、よもやお忘れではあるまい、廿年前の事を、私は其の時十三か四であったが、お前がお母(っか)に手を引かれて宅(うち)へ来た時に、私のお母(っか)さんがマア十(とお)や十一で奉公に出るのは余(あんま)り早いじゃアないかと云ったら、お前何とお云いだ、お母(ふくろ)がとる年で、賃仕事をして私を育てるのに骨が折れるから、早く奉公をして仕事を覚え、手間を取ってお母に楽をさせたいとお云いだッたろう、お母さんがそれを聞いて、涙をこぼして、親孝行な子だ、そういう事なら何(ど)の様にも世話をしようと云って、自分の子のように可愛がったのはお忘れじゃアなかろう、また其の時お前の名は二助と云ったが、伊助という職人がいて、度々(たび/″\)間違うからお父(とっ)さんが長二という名をお命(つ)けなすったんだが、是にも訳のある事で、お前の手の人指(ひとさしゆび)が長くって中指と同じのを御覧なすって、人指の長い人は器用で仕事が上手になるものだから、指が二本とも長いというところで長二としよう、京都の利齋親方の指も此の通りだから、此の小僧も仕立てようで後には名人になるかも知れないと云って、他の職人より目をかけて丁寧に仕事を教えてくだすったので、お前斯うなったのじゃアないか、それに又お前のお母が歿(なくな)った時、お父さんや清五郎さんや良人(うちのひと)で行って、立派に葬式(ともらい)を出して上げたろう、お前は其の時十七だッたが、親方のお蔭で立派に孝行の仕納めが出来た、此の御恩は死んでも忘れないと涙を流してお云いだというじゃアないかね、元町へ世帯(しょたい)を持つ時も左様(そう)だ、寝道具から膳椀まで皆(みん)なお前お父さんに戴いたのじゃアないか、此様なことを云って恩にかけるのじゃアないが、お前左様いう親方を袖にして、自分から縁切の書付を出すとア何うしたものだえ、義理が済むまいに、お前考えてごらん、多くの弟子の中(うち)で一番親方思いと云われたお前が、此様な事になるとは私にはさっぱり訳が分らないよ」

        二十五

 政「恒兄に擲(ぶ)たれたのが腹が立つなら、私が成代(なりかわ)って謝るからね、何だね、子供の時から一つ処(とこ)で育った心安だてが過ぎるからの事だよ、堪忍おしよ、お父さんもお年がお年だから、お前でもいないと良人(うちのひと)が困るからよ、お父さんへは私がお詫をするから、長さんマアちゃんとお坐んなさいよ、何うしたのだねえ」
 と涙を翻(こぼ)してなだめまする信実に、兼松も感じて鼻をすゝりながら、
 兼「コウ兄い、いま姉(あね)さんもいう通りだ、親方の恩は大抵の事(こっ)ちゃアねえ、それを知らねえ兄いでもねえに、何うしたんだ、何(なん)か人にしゃくられでもしたのか、えゝ、姉さんが心配(しんぺい)するから、おい兄い」
 長「お政さん御親切は分りやしたが、弟子師匠の縁が切れてみりゃア詫言(わびこと)をする訳もねえからね、人は老少不定(ろうしょうふじょう)で、年をとった親方いゝや、清兵衛さんより私(わっち)の方が先へ往(い)くかも知れませんから、他(ひと)を当(あて)にするのア無駄だ、何でもてんでに稼ぐのが一番だ、稼いで親に安心をさせなさるが宜(い)い、私の体に何様(どん)な事があろうと、他人だから心配(しんぺい)なせいやすな……兼、手前(てめえ)とも最(も)う兄弟(きょうでい)じゃアねえぞ」
 と云放って立上り、勝手口へ出てまいりますから、お政も呆れまして、
 政「そんなら何うでもお前は」
 長「もう参りません」
 清「長二」
 長「何(なん)か用かえ」
 清「用はねい」
 長「左様(そう)だろう、耄碌爺には己も用はねえ」
 と表へ出て腰障子を手荒く締切りましたから、恒太郎は堪(こら)えきれず、
 恒「何を云いやがる」
 と拳骨(げんこ)を固めて飛出そうとするのを清兵衛が押止めまして、
 清「打棄っておけ」
 恒「だッて余(あんま)りだ」
 清「いゝや左様でねえ、是には深い仔細(わけ)のある事だろう」
 恒「何様な仔細があるかア知らねえが、父(とっ)さんの拵(こせ)えた棚を打(たゝ)き毀して縁切の書付を出すとア、話にならねえ始末だ」
 清「それがサ、彼奴(あいつ)己の拵(こせ)えた棚の外から三つや四つ擲ったッて毀れねえことを知ってるから、先刻(さっき)打擲(ぶんなぐ)った時、故(わざ)ッと行灯の陰(かげ)になって、暗(くれ)い所で内の方から打(たゝ)きやアがったのは、無理に己を怒らせて縁切の書付を取ろうと企(たく)んだのに相違ねえが、縁を切って何うするのか、十一月を十月と書いたのにも仔細(しさい)のある事だろう、二三日経ったら何(なん)か様子が知れようから打棄っておきねえ」
 と一同をなだめて案じながら寝床に入りました。其の頃南の町奉行は筒井和泉守(つゝいいずみのかみ)様で、お慈悲深くて御裁きが公平という評判で、名奉行でございました。丁度今月はお月番ですから、お慈悲のお裁きにあずかろうと公事訴訟が沢山に出ます。今日(こんにち)は十一月の十一日で、追々白洲へ呼込みになる時刻に相成りましたから、公事の引合に呼出された者は五人十人と一群(ひとむれ)になって、御承知の通り数寄屋橋内(うち)の奉行所の腰掛茶屋に集っていますを、やがて奉行屋敷の鉄網(かなあみ)の張ってある窓から同心が大きな声をして、
 「芝(しば)新門前町(しんもんぜんちょう)高井利兵衛(たかいりへえ)貸金催促一件一同入りましょう」
 などゝ呼込みますと、その訴訟の本人相手方、只今では原告被告と申します、双方の家主(いえぬし)五人組は勿論、関係の者一同がごた/\白洲へ這入ります。此の白洲の入口の戸を締切る音ががら/\ピシャーリッと凄(すさま)じく脳天に響けますので、大抵の者は仰天して怖くなりますから、嘘を吐(つ)くことが出来なくなって、有体(ありてい)に白状をいたすようになるという事でございます。今大勢の者が白洲へ呼込みになる混雑の中を推分(おしわ)けて、一人の男が御門内へ駈込んで、当番所の前へ平伏いたしました。此の男は長二でございます。

        二十六

 当番所には同心一人(いちにん)と書役(かきやく)一人が詰めておりまして、
 同「何だ」
 長「へい、お訴えがございます」
 同「ならない」
 と叱りつけて、小者に門外(もんそと)へ逐出(おいだ)させました。この駈込訴訟と申しますものは、其の筋の手を経て出訴(しゅっそ)せいといって、三度までは逐返すのが御定法でございますから、長二も三度逐出されましたが、三度目に、此の訴訟をお採上(とりあ)げになりませんと私(わたくし)の一命に拘(かゝ)わりますと申したので、お採上げになって、直に松右衛門(まつえもん)の手で腰縄をかけさせまして入牢(じゅろう)と相成り、年寄へ其の趣きを届け、一通り取調べて奉行附の用人へ申達(しんたつ)して、吟味与力へ引渡し、下調(したしらべ)をいたします、これが只今の予審で、それから奉行へ申立てゝ本調になるという次第でございます。通常の訴訟は出訴の順によってお調べになりますが、駈込訴訟は猶予の出来ない急ぎの事件というので、他の訴訟が幾許(いくら)あっても、それを後(あと)へ廻して此の方を先へ調べるのが例でありますから、奉行は吟味与力の申立てにより、他の調を後廻しにして、いよ/\長二の事件の本調をいたす事に相成りました。指物師清兵衛は長二が先夜の挙動(ふるまい)を常事(たゞごと)でないと勘付きましたから、恒太郎と兼松に言付けて様子を探らせると、長二が押上堤で幸兵衛夫婦を殺害(せつがい)したと南の町奉行へ駈込訴訟(かけこみうったえ)をしたので、元町の家主は大騒ぎで心配をして居るという兼松の注進で、さては無理に喧嘩を吹(ふっ)かけて弟子師匠の縁を切り、書付の日附を先月にしたのは、恩ある己達を此の引合に出すまいとの心配であろうが、此の事を知っては打棄って置かれない、何(なん)の遺恨で殺したのか仔細は分らないが、無闇な事をする長二でないから、お採上(とりあ)げにならないまでも、彼奴(あいつ)が親孝心の次第から平常(ふだん)の心がけと行いの善(よ)い所を委(くわ)しく書面に認(したゝ)めて、お慈悲願(ねがい)をしなけりゃア彼奴の志に対して済まないとは思いましたが、清兵衛は無筆で、自分の細工をした物の箱書は毎(いつ)でも其の表に住居いたす相撲の行司で、相撲膏(すもうこう)を売る式守伊之助(しきもりいのすけ)に頼んで書いて貰う事でありますから、伊之助に委細のことを話して右の願書を認めて貰い、家主同道で恒太郎が奉行所へお慈悲願に出ました。今日(きょう)は龜甲屋幸兵衛夫婦殺害(せつがい)一件の本調というので、関係人一同町役人(ちょうやくにん)家主五人組差添(さしそえ)で、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、溜(たまり)と申す所に控えます。奉行の座の左右には継肩衣(つぎかたぎぬ)をつけた目安方公用人が控え、縁前(えんさき)のつくばいと申す所には、羽織なしで袴(はかま)を穿(は)いた見習同心が二人控えて居りまして、目安方が呼出すに従って、一同が溜から出て白洲へ列(なら)びきると、腰縄で長二が引出され、中央(まんなか)へ坐らせられると、間もなくシイーという制止の声と共に、刀持のお小姓が随(つ)いて、奉行が出座になりました。

        二十七

 白洲をずうッと見渡されますと、目安方が朗(ほがら)かに訴状を読上げる、奉行はこれを篤(とく)と聞き了(おわ)りまして、
 奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代萬助(まんすけ)、本所元町與兵衛(よへえ)店(たな)恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主源八(げんぱち)、其の外名主代組合の者残らず出ましたか」
 町「一同附添いましてござります」
 奉「訴人(うったえにん)長二郎、其の方は何歳に相成る」
 長「へい、二十九でござります」
 奉「其の方当月九日の夜(よ)五つ半時、鳥越片町龜甲屋幸兵衛並に妻(さい)柳を柳島押上堤において殺害(せつがい)いたしたる段、訴え出たが、何故(なにゆえ)に殺害いたしたのじゃ、包まず申上げい」
 長「へい、只殺しましたので」
 奉「只殺したでは相済まんぞ、殺した仔細を申せ」
 長「其の事を申しますと両親の恥になりますから、何と仰しゃっても申上げる事は出来ません……何卒(どうぞ)只人を殺しました廉(かど)で御処刑(おしおき)をお願い申します」
 奉「幸兵衛手代萬助」
 萬「へい」
 奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入(でいり)をいたしおった由じゃが、何か遺恨を挟(さしはさ)むような事はなかったか、何うじゃ」
 萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々(たび/″\)誂(あつら)え物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金を奪(と)ろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずに遁(に)げたものと考えます」
 奉「長二郎どうじゃ、左様(さよう)か」
 長「其の金は私(わたくし)が貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」
 奉「然(しか)らば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体(ありてい)に申せ」
 恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、私(わたくし)親共の弟子でございまして[#「ございまして」は底本では「ございましで」と誤記]、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」
 源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほど私(わたくし)店内(たなうち)に住居いたしましたが只の一度夜宅(うち)を明けたことの無い、実体(じってい)な辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣は宜(い)いから一杯飲めなぞと申しまして、心立(こゝろだて)の優しい慈悲深い性(たち)で、人なぞ殺すような男ではござりません」
 萬「へい申上げます、私(わたくし)主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」
 と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。
 奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」
 萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人の妻(さい)は長二郎に女房の世話を致したいと申して居りましたから、私(わたくし)の考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎が訝(おか)しく暁(さと)って、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、後(あと)で紛紜(いさくさ)の起らないように、出入留(でいりどめ)の手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛(くやしまぎ)れに、両人を殺したんであろうかとも存じます」
 奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったか而(そう)して柳が其の方へ嫁の口入(くにゅう)をいたしたか何うじゃ」
 長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、私(わたくし)が無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」
 奉「それはそれで宜しいが、何故(なぜ)斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういう恨(うらみ)か有体に申せ」
 長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」
 奉「黙れ……其の方天下の御法度(ごはっと)を心得ぬか」
 長「へい心得て居りますから、遁(に)げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」
 奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたして居(お)るな」
 恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上(のぼ)せて居(お)ると存じます、平常(ふだん)斯ういう男ではございません、私(わたくし)親共は今年(こんねん)六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒(なにとぞ)老体の親共を不便(ふびん)と思召して、お慈悲の御沙汰(ごさた)をお願い申します、全く気違に相違ございませんから」
 萬「成程気違だろう、主(ぬし)のある女に無理を云いかけて、此方(こっち)で内証にしようと云うのを肯(き)かずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」
 奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後の弁(わきま)えなくいたした事と相見えるが何うじゃ」
 萬「へい、左様でございましょう」
 奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」
 一同「お鑑定(めがね)の通りと存じます」
 とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行は予(かね)て邸(やしき)へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善(よ)き事と伎倆(うでまえ)の非凡なることを聞いても居り、且(かつ)長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒(どうか)此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、語(ことば)を其の方へ向けて調べるのを、怜悧(りこう)な恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌(あいづち)を打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内で窃(ひそ)かに喜んで、一同に念を押して、愈々(いよ/\)狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼(りょうがん)に血を濺(そゝ)ぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、
 長[#「長」は底本では「奉」と誤記]「御奉行(ごぶぎょう)様へ申上げます」
 と云って奉行の顔を見上げました。

        二十八

 さて長二郎が言葉を更(あらた)めて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其の他(た)の人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、而(し)て見ると愈々本当の気違であるかと一方(ひとかた)ならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、
 長「私(わたくし)は固(もと)より重い御処刑(おしおき)になるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様(てんとうさま)へ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒(どうぞ)御法通りお処刑(しおき)をお願い申します」
 奉「フム……然(しか)らば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」
 長「左様でございます」
 奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」
 長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さずに御処刑を受けようと思いましたが、仔細を云わなけりゃア気違だと仰しゃるから、致し方がございません、其の理由(わけ)を申上げますから、お聞取りをお願い申します」
 とそれより自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳(こゝのつ)の時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児(すてご)であって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦は実(まこと)の親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々(かく/\しか/″\)の者で、自分達の悪い事を掩(おお)わんがために棄てたのであるという事を初めて知って、実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其の後(のち)種々(いろ/\)の注文をして過分の手間料を払い、一方(ひとかた)ならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にも訝(おか)しくあり、殊に此の四月夫婦して尋ねて来た時、お柳が急病を発(おこ)し、また此の九月柳島の別荘で余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いて癪(しゃく)を発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思えるより、手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性を委(くわ)しく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思っては居(お)れど、棄児にした廉(かど)があるから、今さら名告(なの)りかね、余所(よそ)ながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日(こゝのか)の夕方(ゆうかた)夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思って、自分から親子の名告をしてくれと迫った処、お柳は顕(あら)われたと思い、恟(びっく)りして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だの騙(かたり)だのと罵(のゝし)りこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰ったが、斯様(こん)な人から、一文半銭たゞ貰う謂(いわ)れがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人を逐(おい)かけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳の話を聞き正(まさ)しく実の母親と知ったから、飛出して名告ってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させしと、一点の偽りなく事の顛末(てんまつ)を申し立てましたので、恒太郎源八を始め、孰(いず)れも大きに驚き、長二の身の上を案じ、大抵にしておけと云わぬばかりに、源八が窃(そっ)と長二の袖を引くを、奉行は疾(はや)くも認められまして、
 奉「こりゃ止むるな、控えておれ」

        二十九

 奉「長二郎、然(しか)らば其の方は全く両親を殺害(せつがい)致したのじゃな」
 長「へい……まア左様(そう)いう次第ではございますが、幸兵衛という人は本当の親か義理の親か未だ判然(はっきり)分りません」
 奉「左様(さよう)か……こりゃ萬助、其の方幸兵衛と柳が夫婦になったのは何時(いつ)か存じて居(お)るか」
 萬「へい、たしか五ヶ年前と承わりましたが、私(わたくし)は其の後(のち)に奉公住(ほうこうずみ)をいたしましたので」
 奉「夫婦の者は当年何歳に相成るか存じて居(お)るか」
 萬「へい幸兵衛は五十三歳で、柳は四十七歳でございます」
 奉「左様か」
 と奉行は眼(まなこ)を閉じて暫時(ざんじ)思案の様子でありましたが、白洲を見渡して、
 奉「長二郎、只今の申立てに聊(いさゝ)かも偽りはあるまいな」
 長「けちりんも嘘は申しません」
 奉「追って吟味に及ぶ、長二郎入牢申付ける、萬助恒太郎儀は追って呼出(よびいだ)す、一同立ちませい」
 是にて此の日のお調べは相済みましたが、筒井侯は前(ぜん)にも申述べました通り、坂倉屋の主人又は林大學頭様から、長二の伎倆(うでまえ)の非凡なる事を聞いておられますから、斯様な名人を殺すは惜(おし)いもの、何とかして助命させたいとの御心配で、狂人の扱いにしようと思召したのを、長二は却(かえ)って怒り、事実を明白に申立てたので、折角の心尽しも無駄になりましたが、その気性の潔白なるに益々(ます/\)感服致されましたから、猶工夫をして助命させたいと思召し、一先(ひとま)ず調べを止(や)めてお邸(やしき)へ帰られました。当今は人殺(ひとごろし)にも過失殺故殺謀殺などとか申して、罪に軽重(けいじゅう)がございますから、少しの云廻しで人を殺しても死罪にならずにしまいますが、旧幕時代の法では、復讐(かたきうち)の外は人を殺せば大抵死罪と決って居りますから、何分長二を助命いたす工夫がございませんので、筒井侯も思案に屈し、お居間に閉籠(とじこも)って居られますを、奥方が御心配なされて、
 奥「日々(にち/\)の御繁務(ごはんむ)さぞお気疲れ遊ばしましょう、御欝散(ごうっさん)のため御酒でも召上り、先頃召抱えました島路(しまじ)と申す腰元は踊が上手とのことでございますから、お慰みに御所望(ごしょもう)遊ばしては如何(いかゞ)でございます」
 和泉「ムヽ、その島路と申すは出入町人助七の娘じゃな」
 奥「左様にございます」
 和「そんなら踊の所望は兎も角も、これへ呼んで酌を執(と)らせい」
 と御意(ぎょい)がございましたから、時を移さずお酒宴の支度が整いまして、殿様附と奥方(おくさま)附のお小姓お腰元奥女中が七八人ずらりッと列(なら)びまして、雪洞(ぼんぼり)の灯(あかり)が眩(まぶ)しいほどつきました。此の所へ文金(ぶんきん)の高髷(たかまげ)に紫の矢筈絣(やはずがすり)の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸(やしき)へ奉公に上(あが)り、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方(おくがた)附でございますから、殿様にはまだお言葉を戴いた事がありません、今日のお召は何事かと心配しながら奥方の後(うしろ)へ坐って、丁寧に一礼をいたしますを、殿様が御覧遊ばして、
 和「それが島路か、これへ出て酌をせい」
 との御意でありますから、島路は恐る/\横の方へ進みましてお酌を致しますと、殿様は島路の顔を見詰めて、盃の方がおるすになりましたから、手が傾いて酒が翻(こぼ)れますのを、島路が振袖の袂で受けて、畳へ一滴もこぼしません、殿様はこれに心付かれて、残りの酒を一口に飲みほして、盃を奥方へさゝれましたから、島路は一礼をして元の席へ引退(ひきさが)ろうと致しますのを、
 和「島路待て」
 と呼留められましたので、並居る女中達は心の中(うち)で、さては御前様は島路に思召があるなと互に袖を引合って、羨ましく思って居ります、島路はお酒のこぼれたのを自分の粗相とでも思召して、お咎めなさるのではあるまいかと両手を突いたまゝ、其処(そこ)に居ずくまっておりますと、殿様は此方(こっち)へ膝を向けられました。

        三十

 和「ちょっと考え事を致して粗相をした、免(ゆる)せ……其方(そち)に尋ねる事があるが、其方も存じて居(お)るであろう、其方の家へ出入をする木具職の長二郎と申す者は、当時江戸一番の名人であると申す事を、其方の父から聞及んで居るが、何ういう人物じゃ、職人じゃによって別に取□(とりえ)はあるまいが、何ういう性質の者じゃ、知らんか」
 との御意に、島路は予(かね)て長二が伎倆(うでまえ)の優れて居(お)るに驚いて居るばかりでなく、慈善を好む心立(こゝろだて)の優しいのに似ず、金銭や威光に少しも屈せぬ見識の高いのに感服して居ります事ゆえ、お尋ねになったを幸い、お邸(やしき)のお出入にして、長二を引立てゝやろうとの考えで、
 島「お尋ねになりました木具職の長二郎と申します者は、親共が申上げました通り、江戸一番の名人と申す事で、其の者の造りました品は百年経っても狂いが出ませず、又何程粗暴(てあら)に取扱いましても毀れる事がないと申すことでございます、左様な名人で多分な手間料を取りますが、衣類などは極々(ごく/″\)質素で、悪遊びをいたさず、正直な貧乏人を憐れんで救助するのを楽(たのし)みにいたしますに就(つい)ては、女房があっては思うまゝに金銭を人に施すことが出来まいと申して、独身で居ります程の者で、職人には珍らしい心掛で、其の気性の潔白なのには親共も感心いたして居ります」
 和「フム、それでは普通の職人が動(やゝ)ともすると喧嘩口論をいたして、互に疵をつけたりするような粗暴な人物じゃないの」
 島「左様でございます、あゝいう心掛では無益な喧嘩口論などは決して致しますまいと存じます、殊に御酒は一滴も戴きませんと申す事でございますゆえ、過(あやま)ちなどは無いことゝ存じますが、只今申上げました通り潔白な気性でございますゆえ、他(ひと)から恥辱でも受けました節は、その恥辱を雪(すゝ)ぐまでは、一命を捨てゝも飽くまで意地を張るという性根の確(しっ)かりいたした者かとも存じます」
 和「ムヽ左様(そう)じゃ、其方(そち)の目は高い……長二郎は左様いう男だろうが、同人の親達は何ういう者か其方は知らんか」
 島「一向に存じません」
 和「そんなら誰か長二郎の素性や其の親達の身の上を存じて居(お)る者はないか、其方は知らんか」
 と根強く長二郎のことを穿鑿(せんさく)される仔細が分りませんから、奥方が不審に思われまして、
 島「御前様、その長二郎とか申す者のことをお聞き遊ばして、如何(いかゞ)遊ばすのでござります」
 と尋ねられたので、殿様は長二郎を助ける手段もあろうかとの熱心から、うか/\島路に根問いをした事に心付かれましたが、お役向の事を此の席で話すわけにも参りませんから、笑いに紛らして、
 和「何サ、その長二郎と申す者は役者のような美(よ)い男じゃによって、島路が懸想でもして居(お)るなら、身が助七に申聞けて夫婦(みょうと)にしてやろうと思うたのじゃ」
 と一時の戯(たわむれ)にして此の場の話を打消そうと致されましたのを、女中達は本当の事と思って、羨ましそうに何(いず)れも島路の方(かた)へ目を注ぎますので、島路は羞(はず)かしくもあり、又思いがけない殿様の御意に驚き、顔を赧(あか)らめて差俯(さしうつむ)いて居りますを、奥方は気の毒に思召して、
 「如何(いか)に御前様の御意でも、こりゃ此の所では御挨拶が成りますまいのう島路」
 と奥方にまで問詰められて、島路は返答に困り、益々顔を赧くしてもじ/\いたして居りますと、女中達は羨ましそうに、
 春野「島路さん、何をお考え遊ばします、願ってもない御前様の御意、私(わたくし)なら直(すぐ)にお受けをいたしますのに、お年がお若いせいか、ぐず/\して」
 常夏「春野さんの仰しゃる通り、此の様な有難い事はござんせぬ、それとも殿御の御器量がお錠口(じょうぐち)の金壺(かねつぼ)さんのようなら、私(わたくし)のような者でも御即答は出来ませんが、その長二郎さんという方は役者のような男だと御前様が仰しゃったではござりませぬか」
 千草「そのうえお仕事が江戸一番の名人で、お金が沢山儲かるとの事」
 早咲「そればかりでも結構すぎるに、お心立が優しくって、きりゝと締った所があるとは、嘘のような殿御振り、お話を承わりましたばかりで私(わたくし)はつい、ホヽ……オホヽヽヽ」
 と女中達のはしたなきお喋りも一座の興でございます。

        三十一

 殿様は御機嫌よろしく打笑(うちえ)まれまして、
 和「どうじゃ島路、皆の者は話を聞いたばかりで彼様(かよう)に浮れて居(お)るに、其方は何故(なぜ)鬱(ふさ)ぐのじゃ」
 と退引(のっぴき)のならんお尋ねを迷惑には思いましたが、此の所で一言(いちごん)申しておかなければ、殿様が自分を他(ほか)の女中達のように思召して、万一父助七へ御意のあった時は、否(いな)やを申上げることも出来ぬと思いましたから、羞かしいのを堪(こら)えまして、少し顔を上げ、
 島「だん/\の御意は誠に有難う存じますが、何卒(どうぞ)此の儀は御沙汰止(ごさたやみ)にお願い申上げます、長二郎は伎倆(うでまえ)と申し心立と申し、男として不足の廉(かど)は一つもございませんが、私(わたくし)家は町人ながらも系図正しき家筋でございますれば、身分違いの職人の家へ嫁入りを致しましては、第一先祖へ済みませず、且(かつ)世間で私の不身持から余儀なく縁組を致したのであろうなぞと、風聞をいたされますのが心苦しゅうございますれば、何卒(なにとぞ)此の儀は此の場ぎり御沙汰止にお願い申上げます」
 ときっぱり申述べました。追々世の中が開(ひら)けて、華族様と平民と縁組を致すようになった当今のお子様方は、この島路の口上をお聞きなすっては、開けない奴だ、町人と職人と何程(どれほど)の違(ちがい)がある、頑固にも程があると仰しゃいましょうが、其の頃は身分という事がやかましくなって居りまして、お武家と商人(あきんど)とは縁組が出来ません、拠所(よんどころ)なく縁組をいたす時は、其の身分に応じて仮親を拵(こしら)えますことで、商人と職人の間にも身分の分(わか)ちが立って居りました、殊に身柄のある商人はお武家が町人百姓を卑しめる通り、職人を卑しめたものでございますから、島路は長二郎を不足のない男とは思って居りますが、物の道理を心得て居(お)るだけに、此の御沙汰を断ったのでございます。殿様は元来左様(そう)いう思召(おぼしめし)ではなく、只此の場の話を紛らせようと、戯れ半分に仰しゃったお言葉が本当になったので、取返しがつかず、困っておられた処へ、島路が御沙汰止を願いましたから、これを幸いに、
 和「おゝ、何も身が無理に左様(そう)いうのではない、左様いうことなら今の話は止(や)めにするから、島路大儀じゃが下物(さかな)に何か一つ踊って見せい」
 と踊りの御所望(ごしょもう)がございましたから、女中達は俄に浮き立ちまして、それ/″\の支度をいたし、さア島路さん、早くと急(せ)き立てられて、島路は迷惑ながら一旦其の席を引退(ひきさが)りまして、斯様(かよう)な時の用心に宿から取寄せて置いた衣裳を着けて出ました、容貌は一段に引立って美しゅうございまして、殿様が早くとのお詞(ことば)に随い、島路は憶する色なく立上りまして、珠取(たまとり)の段を踊りますを、殿様は能くも御覧にならず、何か頻(しき)りに御思案の様子でございましたが、踊の半頃(なかごろ)で、
 和「感服いたした、最(も)うよい、疲れたであろう、休息いたせ」
 と踊を差止め、酒肴(さけさかな)を下げさせ、奥方を始め女中達を遠ざけられて、俄に腹心の吟味与力吉田駒二郎(よしだこまじろう)と申す者をお召になりまして、夜(よ)の更けるまで御密談をなされたのは、全く長二郎の一件に就いて、幸兵衛夫婦の素性を取調べる手懸りを御相談になったので、略(ほゞ)探索の方も定まりましたと見え、駒二郎は御前を退(しりぞ)いて帰宅いたし、直に其の頃探偵捕者(とりもの)の名人と呼ばれた金太郎(きんたろう)繁藏(しげぞう)という二人の御用聞を呼寄せて、御用の旨を申含めました。

        三十二

 町奉行筒井和泉守様は、長二郎ほどの名人を失うは惜(おし)いから、救う道があるなら助命させたいと思召す許(ばか)りではございません、段々吟味の模様を考えますと、幸兵衛夫婦の身の上に怪しい事がありますから、これを調べたいと思召したが、夫婦とも死んで居ります事ゆえ、吟味の手懸りがないので、深く心痛いたされまして、漸々(よう/\)に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫(にゅうふ)になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作(みのやもじさく)と其の女房お由(よし)が媒妁(なこうど)同様に周旋をしたということを聞出しましたから、早速お差紙(さしがみ)をつけて、右の夫婦を呼出して白洲を開かれました。
 奉行「下谷稲荷町徳平店(とくべいたな)茂二作、並(ならび)に妻(さい)由、其の他名主、代組合の者残らず出ましたか」
 町役「一同差添いましてござります」
 奉「茂二作夫婦の者は長年龜甲屋方へ出入(でいり)をいたし、柳に再縁を勧め、其の方共が媒妁(なかだち)をいたして、幸兵衛と申す者を入夫にいたせし由じゃが、左様(さよう)か」
 茂「へい左様でございます」
 由「それも私共(わたくしども)が好んで致したのではございません、拠(よんどころ)なく頼まれましたので」
 奉「如何なる縁をもって其の方共は龜甲屋へ出入をいたしたのか」
 茂「それはあの龜甲屋の先(せん)の旦那半右衛門(はんえもん)様が、御公儀の仕立物御用を勤めました縁で、私共も仕立職の方で出入をいたしましたので、へい」
 奉「何歳の時から出入いたしたか」
 茂「二十六歳の時から」
 奉「当年何歳に相成る」
 茂「五十五歳で」
 奉「由は龜甲屋に奉公をいたせし趣(おもむき)じゃが、何歳の時奉公にまいった」
 由「へい、私(わたくし)は十七の三月からでございますから」
 と指を折って年を数え、
 「もう廿八九年前の事でございます」
 奉「其の後(ご)両人とも相変らず出入をいたして居ったのじゃな」
 茂「左様でございます」
 奉「して見ると其の方共実体(じってい)に勤めて、主人の気に入って居ったものと見えるな」
 由「はい、先(せん)の旦那様がまことに好(よ)いお方で、私共へ目をかけて下さいましたので」
 奉「左様であろう、して柳と申す女は何時頃(いつごろ)半右衛門方へ嫁にまいったものか、存じて居ろうな」
 茂「へい、私(わたくし)が奉公にまいりました年で、御新造(ごしんぞ)は其の時慥(たし)か十八だと覚えて居ります」
 奉「御新造とはお柳のことか」
 茂「へい」
 奉「して、半右衛門は其の時何歳であった」
 茂「左様で」
 と考えて、お由とさゝやき、指を折り、
 茂「三十二三歳であったと存じます」
 奉「当月九日の夜(よ)、柳島押上堤において長二郎のために殺害(せつがい)された幸兵衛という者は、如何なる身分職業で、龜甲屋方に入夫にまいるまで、何方(いずかた)に住居いたして居った者じゃ」
 茂「幸兵衛は坂本二丁目の経師屋(きょうじや)桃山甘六(もゝやまかんろく)の弟子で、其の家が代替りになりました時、暇(いとま)を取って、それから私方(わたくしかた)に居りました」
 奉「其の方宅に何個年(なんがねん)居ったか」
 茂「左様でございます、彼是十年たらず居りました」
 奉「フム大分(だいぶん)久しく居ったな」
 茂「へい、随分厄介ものでございました」
 奉「其の方の宅において幸兵衛は常に何をいたして居った」
 茂「へい、只ぶら/\、いえ、アノ経師をいたして居りました」
 奉「フム、由其の方は存じて居ろうが、龜甲屋の元の宅は根岸であったによって、坂本の経師職桃山が出入ゆえ、幸兵衛が屡々(しば/\)仕事にまいったであろう」
 由「はい」
 と云いにかゝるを茂二作が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、
 由「いゝえ、あの私(わたくし)は存じません」
 奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行は宜(よ)く知って居(お)るぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」
 由「はい、まいりました」
 奉「左様(そう)であろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」
 由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」
 奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役(しょやく)などを致して居ったのじゃな、して其の貸付金は誰(たれ)の金(きん)じゃ」
 茂「それは、へい私(わたくし)の所持金で」
 奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方如何(いかゞ)して所持いたし居(お)るぞ、これは多分何者か其の方どもの[#「どもの」は底本では「もどの」と誤記]実体(じってい)なるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じて居(お)ることを真直(まっすぐ)に申せばよいのじゃ」

        三十三

 由「はい、その金(かね)は、へい先(せん)の旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」
 奉「フム、然(しか)らば半右衛門の妻(さい)柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様(そう)であろう、何うじゃ」
 茂「左様(さよう)でございます」
 奉「由其の方は女の事ゆえ覚えて居(お)るであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」
 由「はい」
 と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何か囁(さゝ)やきまして、
 由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日(はつか)に奥州へ行くと云って暇乞(いとまごい)にまいりました人に、旦那様が塩釜様(しおがまさま)のお符(ふだ)をお頼みなさったので、私(わたくし)は初めて御新造様が懐妊(みもち)におなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀(ごしゅうぎ)を戴いたのを覚えて居ります」
 奉「ムヽ、柳が懐妊(かいにん)と分った月を存じて居(お)るか」
 と奉行は暫らく眼(まなこ)を閉じて思案をいたされまして、
 奉「由其の方はなか/\物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」
 由「はい、左様(さよう)」
 と暫らく考えて居りましたが、突然(いきなり)に大きな声で、
 由「思い出しました」
 と奉行の顔を見上げて、
 由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月絹張(きぬばり)の行灯(あんどん)が一対出来るので」
 と茂二作の顔を見て、
 由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造が美(い)い男だと云って、それ、あの」
 と喋るのを茂二作が目くばせで止(とゞ)めても、お由は少しも気がつかずに、
 由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」
 と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んで睨(にら)めたので、お由も気が付いたと見えて、
 由「へい、マア左様(そう)いうことで、それから私共(わたくしども)まで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」
 奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」
 茂「へい」
 由「間違いございません」
 奉「そうして其の出生(しゅっしょう)いたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」
 由「くり/\肥(ふと)った好(い)いお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家(うち)へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿(なくな)ったそうでございます」
 奉「その小児を八王子へ遣る時、誰(たれ)がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」
 由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」
 奉「柳一人(いちにん)ではあるまい、誰(たれ)か供をいたして参ったであろう」
 由「はい、供には良人(やど)が」
 奉「やどとは誰(だれ)の事じゃ」
 茂「へい私(わたくし)が附いてまいりました」
 奉「帰りにも其の方同道いたしたか」
 茂「旦那が留守で宅(うち)が案じられるから、先へ帰れと仰しゃいましたから、私(わたくし)はお新造より先へ帰りました」
 奉「柳の実家(さと)と申すは何者じゃ、存じて居(お)るか」
 茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、家(うち)が死絶(しにた)えて、今では縁の伯母が一人あるばかりだと申すことでございますが、私(わたくし)は大横町(おおよこちょう)まで送って帰りましたから、先の家(うち)は存じません」
 奉「其の方の外に一緒にまいった者は無いか」
 茂「はい、誰(たれ)も一緒にまいった者はございません」
 奉「黙れ、其の方は上(かみ)に対し偽りを申すな、幸兵衛も同道いたしたであろう」
 茂「へい/\誠にどうも、宅(うち)からは誰(だれ)も外にまいった者はござりませんが、へい、アノ五宿(ごしゅく)へ泊りました時、幸兵衛が先へまいって居りまして、それから一緒にヘイ、つい古い事で忘れまして、まことにどうも恐入りました事で」
 奉「フム、左様(さよう)であろう、して、柳は幾日(いくか)に出て幾日に帰宅をいたしたか存じて居ろう」
 茂「へい左様……正月二十八日に出まして、あのう二月の二十日頃に帰りましたと存じます」
 奉「それに相違ないか」
 茂「相違ございません」
 奉「確(しか)と左様か」
 茂「決して偽りは申上げません」
 奉「然らば追って呼出すまで、茂二作夫婦とも旅行は相成らんぞ、町役人共左様に心得ませい……立ちませい」
 是にて此の日のお調べは済みました。

        三十四

 奉行は吟味中お由の口上で、図らずお柳の懐妊の年月(ねんげつ)が分ったので、幸兵衛が龜甲屋へ出入を初めた年月(としつき)を糺(たゞ)すと、懐妊した翌月(よくつき)でありますから、長二は幸兵衛の胤(たね)でない事は明白でございますが、お柳は実母に相違ありませんから、まだ親殺しの罪を遁(のが)れさせることは出来ません。是には奉行も殆(ほと)んど当惑して、最早長二を救うことは出来ぬとまで諦められました。
 由「私(わたし)ア本当に命が三年ばかし縮まったよ」
 茂「男でさえ不気味だもの、其の筈だ」
 由「大屋さんは平気だねえ」
 茂「そうサ、自分が調べられるのじゃアないからの事(こっ)た、此方(こち)とらはまかり間違えば捕縛(ふんじば)られるのだから怖(おっ)かねえ」
 由「今日の塩梅じゃア心配しなくっても宜(い)いようだねえ」
 茂「手前(てめえ)が余計なことを喋りそうにするから、己(おら)ア冷々(ひや/\)したぜ」
 由「行く前に大屋さんから教わって置いたから、襤褸(ぼろ)を出さずに済んだのだ、斯ういう時は兀頭(はげ)も頼りになるねえ」
 茂「それだから鰻で一杯飲ましてやったのだ」
 由「鰻なぞを喰ったことが無いと見えて、串までしゃぶって居たよ」
 茂「まさか」
 由「本当だよ、お酒も彼様(あん)な好(い)いのを飲んだ事アないと見えて、大層酔ったようだった」
 茂「己(おれ)も先刻(さっき)は甚(ひど)く酔ったが、風が寒いので悉皆(すっかり)醒(さ)めてしまった」
 由「早く帰って、又一杯おやりよ」
 と茂二作夫婦は世話になった礼心(れいごゝろ)で、奉行所から帰宅の途中、ある鰻屋へ立寄り、大屋徳平(とくへい)に夕飯(ゆうめし)をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半(なゝつはん)過で、空はどんより曇って北風が寒く、今にも降出しそうな気色(けしき)でございますので、此の間から此の家の軒下を借りて、夜店を出します古道具屋と古本屋が、大きな葛籠(つゞら)を其処へ卸して、二つ三つ穴の明いた古薄縁(ふるうすべり)を前へ拡(ひろ)げましたが、代物(しろもの)を列(なら)べるのを見合せ、葛籠に腰をかけて煙草を呑みながら空を眺めて居ります。
 茂「やア道具屋さんも本屋さんも御精が出ます、何だか急に寒くなって来たではありませんか」
 道「お帰りですか、商売冥利(みょうり)ですから出ては見ましたが、今にも降って来そうですから、考えているんです」
 茂「こういう晩には人通りも少ないからねえ」
 本「左様(そう)ですが天道干(てんとうぼし)という奴ア商いの有無(あるなし)に拘わらず、毎晩(めいばん)同(おんな)じ所(とけ)え出て定店(じょうみせ)のようにしなけりゃアいけやせんから、寒いのを辛抱して出て来たんですが、雪になっちゃア当分喰込みです」
 茂「雪は後(あと)が長くわるいからね」
 と立話をしておりますうち、お由が隣へ預けて置いた入口の締(しまり)の鍵を持って来て[#「来て」は底本では「来って」と誤記]、格子戸を明けましたから、茂二作は内へ入り、お由は其の足で直(すぐ)に酒屋へ行って酒を買い、貧乏徳利(びんぼうどくり)を袖に隠して戻りますと、茂二作は火種にいけて置いた炭団(たどん)を掻発(かきおこ)して、其の上に消炭を積上げ、鼻を炙(あぶ)りながらブー/\と火を吹いて居ります。お由は半纏羽織(はんてんばおり)を脱いで袖畳みにして居りますと、表の格子戸をガラリッと明けて入(は)いってまいりました男は、太織(ふとおり)というと体裁が宜(よ)うございますが、年数を喰って細織になった、上の所斑(まんだ)らに褪(は)げておる焦茶色の短かい羽織に、八丈まがいの脂染(あぶらじ)みた小袖を着し、一本独鈷(いっぽんどっこ)の小倉の帯に、お釈迦の手のような木刀をきめ込み、葱(ねぎ)の枯葉(かれっぱ)のようなぱっちに、白足袋でない鼠足袋というのを穿(は)き、上汐(あげしお)の河流れを救って来たような日和下駄(ひよりげた)で小包を提(さ)げ、黒の山岡頭巾を被って居ります。

        三十五

 誰だか分りませんが、風体(ふうてい)が悪いから、お由が目くばせをして茂二作を奥の方へ逐遣(おいや)り、中仕切(なかじきり)の障子を建切りまして、
 由「何方(どなた)です」
 「はい玄石(げんせき)でござるて」
 と頭巾を取って此方(こっち)を覗込(のぞきこ)みました。
 由「おや/\岩村(いわむら)さんで、お久しぶりでございますこと」
 玄「誠に意外な御無音(ごぶいん)をいたしたので、併(しか)し毎(いつ)も御壮健で」
 と拇指(おやゆび)を出して、
 玄「御在宿かな」
 というは正(まさ)しく合力(ごうりょく)を頼みに来たものと察しましたから、
 由「はい、今日は生憎(あいにく)留守で、マアお上んなさいな」
 と口には申しましても、玄石が腰を掛けて居(お)る上(あが)り端(ばた)へ、べったりと大きなお尻(いど)を据(す)えて居りますから、玄石が上りたくも上ることが出来ません。
 玄「へい何方(どちら)へお出でゞす、もう程のう御帰宅でしょう」
 由「いゝえ此の頃親類が災難に遭(あ)って、心配中で、もう少し先刻(さっき)其の方へ出かけましたので、私(わたくし)も是れから出かけようと、此の通り今着物を着替えたところで、まことに生憎な事でした、お宿が分って居りますれば明日(みょうにち)にも伺わせましょう」
 玄「はい、宿と申して別に……実に御承知の通り先年郷里へ隠遁をいたした処、兵粮方(ひょうろうかた)の親族に死なれ、それから已(やむ)を得ず再び玄関を開(ひら)くと、祝融(しゅくゆう)の神に憎まれて全焼(まるやけ)と相成ったじゃ、それからというものは為(す)る事なす事□(いすか)の嘴(はし)、所詮(しょせん)田舎では行(ゆ)かんと見切って出府(しゅっぷ)いたしたのじゃが、別に目的もないによって、先ず身の上を御依頼申すところは、龜甲屋様と存じて根岸をお尋ね申した処、鳥越へ御転居に相成ったと承わり、早速伺ったら、いやはや意外な凶変、実に驚き入った事件で、定めて此方(こなた)にも御心配のことゝ存ずるて」
 由「まことにお気の毒な事で、何とも申そう様(よう)がございません、定めてお聞でしょうが、お宅(うち)へお出入の指物屋が金に目が眩(く)れて殺したんですとサ」
 玄「ふーむ、不埓千万な奴で……実に金が敵(かたき)の世の中です、然るに愚老は其の敵に廻(めぐ)り逢おうと存じて出府致した処、右の次第で当惑のあまり此方(こなた)へ御融通を願いに出たのですから、何卒(どうか)何分」
 由「はい、折角のお頼みではございますが、此の節は実(まこと)に融通がわるいので、どうも」
 玄「でもあろうが、お手許(てもと)に遊んで居らんければ他(た)からでも御才覚を願いたい、利分は天引でも苦しゅうないによって」
 由「ハア、それは貴方のことですから、才覚が出来さいすれば何(ど)の様にも骨を折って見ましょうが、何分今が今と云っては心当りが」
 玄「其処(そこ)を是非とも願うので」
 と根強く掛合込(かけあいこ)みまして、お由にはなか/\断りきれぬ様子でありますから、茂二作は一旦脱いだ羽織を引掛(ひっか)け、裏口から窃(そっ)と脱出(ぬけだ)して表へ廻り、今帰ったふりで門口を明けましたから、お由はぬからぬ顔で、
 由「おや大層早かったねえ」
 茂「いや、これは岩村先生……まことにお久しい」
 玄「イーヤお帰りですか、意外な御無音(ごぶいん)、実(じつ)に謝するに言葉がござらんて」
 茂「何うなさったかと毎度お噂をして居りましたが、まアお変りもなくて結構です」
 玄「ところがお変りだらけで不結構(ぶけっこう)という次第を、只今御内方(ごないほう)へ陳述いたして居(お)るところで、実に汗顔(かんがん)の至りだが、国で困難をして出府いたした処、頼む樹陰(こかげ)に雨が漏るで、龜甲屋様の変事、進退谷(きわ)まったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然(びんぜん)と思召して御救助を何うか」
 茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違って甚(ひど)い不手廻りですから、何分心底に任しません」
 と金子を紙に包んで、
 茂「これは真(ほん)の心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」
 と差出すを、
 玄「はい/\実に何とも恐縮の至りで」
 と手に受けて包をそっと披(ひら)き、中を見て其の儘に突戻しまして、
 玄「フン、これは唯(たっ)た二百疋(ぴき)ですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」
 茂「二分では少いと仰しゃるのか」
 玄「左様(さよう)さ、これッばかりの金が何になりましょう」
 茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」
 玄「ところが愚老の穿(は)く草鞋は高直(こうじき)だによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」
 茂「そんなら幾許(いくら)欲(ほし)いというのだ」
 玄「大負けに負けて僅(わず)か百両借りたいんで」

        三十六

 由「おやまア呆れた」
 茂「岩村さん、お前とんでもねえ事をいうぜ、何で百両貸せというのだ、私(わし)アお前さんにそんな金を貸す因縁はない」
 玄「成程因縁はあるまいが、龜甲屋の御夫婦が歿(なくな)った暁(あかつき)は、昔馴染の此方(こなた)へ縋(すが)るより外に仕方がないによって」
 茂「昔馴染だと思うから二分はずんだのだ、左様(そう)でなけりゃア百もくれるのじゃアない、少いというなら止しましょうよ」
 玄「宜しい、此方(こっち)でも止しましょう、憚りながら零落しても岩村玄石だ、先年売込んだ名前があるから秘術鍼治(しんじ)の看板を掲(か)けさいすれば、五両や十両の金は瞬間(またゝくま)に入(は)いって来るのは知れているが、見苦しい家(うち)を借りたくないから、資本を借りに来たのだが、貴公が然(そ)ういう了簡なら、貸そうと申されてももう借用はいたさぬて」
 茂「そりゃア幸いだ、二分棒にふるところだった、馬鹿/\しい」
 玄「何だ馬鹿/\しいとは、何だ、貴公達は旧(もと)の事を忘れたのか、物覚えの悪い人たちだ、心得のため云って聞かせよう、貴公達は龜甲屋に奉公中、御新造様に情夫(おとこ)を媒介(とりも)って、口止に貰った鼻薬をちび/\貯めて小金貸(こがねかし)、それから段々慾が増長し、御新造様のくすねた金を引出して、五両一の下金貸(したかねかし)、貧乏人の喉を搾(し)めて高利を貪り仕上げた身代、貯るほど穢(きたな)くなる灰吹同前の貴公達の金だ、仮令(たとえ)借りても返さずには置かないのに、何だ金比羅詣り同様な銭貰いの取扱い、草鞋銭とは失礼千万、たとい金は貸さないまでも、遠国から出て来て、久しぶりで尋ねて来たのだ、此様(こん)な家(うち)へ泊りはしないが、お疲れだろうから一泊なさいとか、また鹿角菜(ひじき)に油揚の惣菜では喰いもしないが、時刻だから御飯をとか世辞にも云うべき義理のある愚老を、軽蔑するにも程があるて」
 由「おや大層お威張りだねえ、何ですとアノ」
 茂「お由黙っていろ、強請(ゆすり)だから」
 玄「なに強請だ、愚老が強請なら貴公達は人殺(ひとごろし)の提灯持だ」
 茂「やア、とんだ事をいう奴だ、何が人殺だ」
 玄「聞きたくば云って聞かせるが、貴公達は龜甲屋の旦那の病中に、愚老へ頼んだことを忘れたのか」
 と云われて、夫婦は恟(びっく)りして顔色を変え、顫(ふる)えながら小さな声をして、
 茂「これサ、それを云やア先生も同罪だぜ、まア静かにおしなさい、人に聞かれると善くないから」
 玄「それは万々承知さ、此様なことは云いたくは無いが、余(あんま)り貴公達が因業で吝嗇(けち)だからさ」
 由「それじゃお前さん虫がいゝというもんだ、先生お前さん彼(あ)の時御新造から百両貰ったじゃアありませんか」
 玄「百両ばかり何うなるものか、なくなったによって、又百両又百両と、千両ばかり段々に貰う心得で出て来て見ると、天道様は怖いもので、二人とも人手にかゝって殺されたというから、向後(きょうこう)悪事はいたさぬと改心をしたが、肝腎の金庫(かねぐら)が無くなって見ると、玄石殆んど路頭に迷う始末だから、已むを得ず幸いに天網(てんもう)を遁(のが)れて居(お)る貴公達へ、御頼談(ごらいだん)に及んだのさ」
 茂「それでも私(わし)にア一本という大金は」
 玄「出来ないというのを無理にとは申さんが、其の金が無い時は玄関を開く事も出来ず、再び郷里へ帰る面目もないによって、路傍に餓死するより寧(むし)ろ自から訴え出て、御法を受けた方が未来のためになろうと観念をしたのさ、其の時は御迷惑であろうが、貴公達から依頼を受けて斯々(こう/\)いたしたと手続きを申し立てるによって、その覚悟で居ってもらわんければならんが、宜しいかね」
 と調子に乗って声高(こわだか)に談判するを、先刻(せんこく)より軒前(のきさき)に空合(そらあい)を眺めて居りました二人の夜店商人(あきんど)が、互いに顔を見合わせ、頷(うなず)きあい、懐中から捕縄(とりなわ)を取出すや否や、格子戸をがらりっと明けて、
 「御用だ……神妙にいたせ」
 と手早く玄石に縄をかけ、茂二作夫婦諸共に車坂の自身番へ拘引いたしました。この二人の夜店商人は申すまでもなく、大抵御推察になりましたろうが、これは曩(さき)に吟味与力吉田駒二郎から長二郎一件の探偵方を申付けられました、金太郎繁藏の両人でございます。

        三十七

 岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国(えっちゅうのくに)射水郡(いみずごおり)高岡の町医の忰で、身持放埓(ほうらつ)のため、親の勘当を受け、二十歳(はたち)の時江戸に来て、ある鍼医(はりい)の家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術(はり)を覚えたので、下谷金杉村(かなすぎむら)に看板をかけ、幇間(たいこ)半分に諸家へ出入をいたして居(お)るうち、根岸の龜甲屋へも立入ることになり、諂諛(おべっか)が旨いのでお柳の気に入り、茂二作夫婦とも懇意になりました所から、主人半右衞門が病気の節お柳幸兵衞の内意を受けた茂二作夫婦から、他(ひと)に知れないように半右衞門を毒殺してくれたら、百両礼をすると頼まれたが、番木鼈(まちん)の外は毒薬を知りません。また鍼(はり)には戻天(るいてん)といって一打(ひとうち)で人を殺す術があるということは聞いて居りますが、それまでの修業をいたしませんから、殺す方角がつきませんが、眼の前に吊下(ぶらさが)っている百両の金を取損(とりそこな)うのも残念と、種々(いろ/\)に考えるうち、人体の左の乳の下は心谷命門(しんこくめいもん)といって大切な所ゆえ、秘伝を受けぬうちは無闇に鍼を打つことはならぬと師匠が毎度云って聞かしたことを思い出しましたから、是が戻天の所かも知れん、物は試しだ一番行(やっ)て見ようというので、茂二作夫婦には毒薬をもって殺す時は死相が変って、人の疑いを招くから、愚老が研究した鍼の秘術で殺して見せると申して、例の通り療治をする時、半右衞門の左の乳の下へ思切って深く鍼を打ったのがまぐれ中(あた)りで、命門に達したものと見えて、半右衞門は苦痛もせず落命いたしましたから、お柳と幸兵衞は大(おおき)に喜び、玄石の技術(うでまえ)を褒めて約束の通り金百両を与えて、堅く口止をいたし、茂二作夫婦にも幾許(いくら)かの口止金を与えて半右衞門を病死と披露して、谷中の菩提所へ埋葬(とりおき)をいたしたと逐一旧悪を白状に及びましたので、幸兵衞お柳の大悪人ということが明白になり、長二郎は図らず実父半右衞門の仇(あだ)幸兵衞を殺し、敵討をいたした筋に当りますが、悪人ながらお柳は実母でございますから、親殺しの廉(かど)は何うしても遁(のが)れることは出来ませんので、町奉行筒井和泉守様は拠(よんどこ)ろなく、それ/″\の口書(こうしょ)を以て時の御老中の筆頭土井大炊頭(どいおおいのかみ)様へ伺いになりましたから、御老中青山下野守(あおやましもつけのかみ)様、阿部備中守(あべびっちゅうのかみ)様、水野出羽守(みずのでわのかみ)様、大久保加賀守(おおくぼかゞのかみ)様と御評議の上、時の将軍家齊(いえなり)公へ長二郎の罪科御裁許を申上げられました。この家齊公と申すは徳川十一代の将軍にて、文恭院(ぶんきょういん)様と申す明君(めいくん)にて、此の時御年四十六歳にならせられ専ら天下の御政事の公明なるようにと御心(みこゝろ)を用いらるゝ折□(おりから)でございますから、容易には御裁許遊ばされず、猶お御老中方に長二郎を初め其の他(た)関係(かゝりあい)の者の身分行状、並に此の事件の手続等を悉(くわ)しくお訊(たゞ)しになりましたから、御老中方から明細に言上(ごんじょう)いたされました処、成程半右衞門(はんえもん)妻柳なる者は、長二郎の実母ゆえ親殺しの罪科に宛行(あておこな)うべきものなるが、柳は奸夫幸兵衞と謀(はか)り、玄石を頼んで半右衞門を殺した所より見れば、長二郎のためには幸兵衞同様親の仇に相違なし、然るに実母だからといって復讐の取扱が出来ぬというは如何(いか)にも不条理のように思われ、裁断に困(くるし)むとの御意にて、直(すぐ)に御儒者(ごじゅしゃ)林大學頭様をお召しになり、御直(ごじき)に右の次第をお申聞けの上、斯様なる犯罪はまだ我国には例もなき事ゆえ、裁断いたし兼るが、唐土(からくに)に類例もあらば聞きたし、且(かつ)別にこれを裁断すべき聖人の教(おしえ)あらば心得のため承知したいとの仰せがありました。

        三十八

 林大學頭様は、先年坂倉屋助七の頼みによって長二郎が製造いたした無類の仏壇に折紙(おりかみ)を付けられた時、其の文章中に長二郎が伎倆(うでまえ)の非凡なることゝ、同人が親に事(つか)えて孝行なることゝ、慈善を好む仁者なることを誌(しる)した次に、未(いま)だ学ばずというと雖(いえど)も吾は之を学びたりと謂(い)わんとまで長二郎を賞(ほ)め、彼は未だ学問をした事は無いというが、其の身持と心立(こゝろだて)は、十分に学問をした者も同様だという意味を書かれて、其の後(ご)人にも其の事を吹聴された事でありますから、その親孝行の長二郎が親殺しをしたといっては、先年の折紙が嘘誉(そらぼめ)になって、御自分までが面目(めんぼく)を失われる事になりますばかりでなく、将軍家の御質問も御道理でございますから、頻(しき)りに勘考を致されましたが、唐(から)にも此の様な科人(とがにん)を取扱った例(ためし)はございませんが、これに引当てゝ長二郎を無罪にいたす道理を見出されましたので、大學頭様は窃(ひそ)かに喜んで、長二郎の罪科御裁断の儀に付き篤(とく)と勘考いたせし処、唐土(もろこし)においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二郎へは御褒美の御沙汰(ごさた)あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記(らいき)と申す書物をお取寄せになりまして、第三巻(がん)目の檀弓(だんぐう)と申す篇の一節(ひとくだり)を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声(こわいろ)を使わんければならない所でございますが、四書(ししょ)の素読(そどく)もいたした事のない無学文盲の私(わたくし)には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、或方(あるかた)から御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用(いりよう)の所だけを摘(つま)んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、※(きゅう)[#「にんべん+及」、116-6]字(あざな)は子思(しゝ)と申す方がございまして、そのお子を白(はく)字(あざな)は子上(しじょう)と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後(のち)死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服(きふく)を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教(おしえ)に背くと思って、何故(なにゆえ)に忌服をお受けさせなさらないのでございますと尋ねましたら、子思先生の申されるのに、拙者の妻(さい)であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのであると答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺(ひとごろし)だのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是(こ)の半右衞門が子思の所で、子上が長二郎に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀(はか)って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉(かど)ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然(さ)れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦(おんな)は仮令(たとえ)無瑕(むきず)でも、長二郎のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領(おうりょう)いたしたのみならず、実子をも亡(うしな)わんといたした無慈悲の女、天道争(いか)でこれを罰せずに置きましょう長二郎の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直(たゞ)ちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍(こおどり)するまでに喜ばれ、十一月二十九日に長二郎を始め囚人(めしゅうど)玄石茂二作、並に妻(つま)由其の他(た)関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。

        三十九

 此の日は筒井和泉守様は、無釼梅鉢(けんなしうめばち)の定紋(じょうもん)付いたる御召(おめし)御納戸(おなんど)の小袖に、黒の肩衣(かたぎぬ)を着け茶宇(ちゃう)の袴にて小刀(しょうとう)を帯し、シーという制止の声と共に御出座になりまして、
 奉行「訴人長二郎、浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛[#「與兵衛」は底本では「與兵徳」と誤記]店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合の者残らず出ましたか」
 町役「一同差添いましてござります」
 奉「茂二作並に妻由、其の方ども先日半右衞門妻柳が懐妊いたしたを承知せしは、当年より二十九ヶ年前、即ち寛政四子年(ねどし)で、男子の出生(しゅっしょう)は其の翌年の正月十一日と申したが、それに相違ないか」
 茂「へい、相違ございません」
 奉「その小児の名は何と申した」
 由「半之助(はんのすけ)様と申しました」
 奉「フム、その半之助と申すは是なる長二郎なるが、何うじゃ、半右衞門に似て居ろうな」
 と云われ茂二作夫婦は驚いて、長二の顔を覘(のぞ)きまして、
 茂「成程能く似て居ります、のうお由」
 由「然(そ)うですよ、ちっとも気が付かなかったが、左様(そう)聞いて見るとねえ、旦那様にそっくりだ、へい此の方が半之助様で、何うして無事で実に不思議で」
 奉「ムヽ能う似て居(お)ると見えるな」
 と奉行は打笑(うちえ)まれまして、
 奉「半右衞門妻柳が懐妊中、其の方共が幸兵衞を取持って不義を致させたのであろう」
 茂「何ういたしまして、左様な事は」
 由「私(わたくし)どもの知らないうちに何時か」
 奉「何(いず)れにしても宜しいが、其の方共は幸兵衞と柳が密通いたして居(お)るを知って居ったであろう」
 茂「へい、それは」
 由「何か怪しいと存じました」
 奉「柳が不義を存じながら、主人半右衞門へ内々(ない/\)にいたし居ったは、其の方共も同家に奉公中密通いたし居ったのであろうがな」
 と星を指されて両人は赤面をいたし、何とも申しませんから、奉行は推察の通りであると心に肯(うなず)き、
 奉「左様(さよう)じゃによって幸兵衞を好(よ)きように主人へ執成(とりな)し、柳に□諛(こびへつら)い、体よく暇(いとま)を取って、入谷へ世帯を持ち、幸兵衞を同居いたさせ置き、柳と密会を致させたのであろう、上(かみ)には調べが届いて居(お)るぞ、それに相違あるまい、何うじゃ恐れ入ったか」
 夫婦「恐入りました」
 奉「それのみならず、両人は半右衞門の病中柳の内意を受け、是れなる玄石に半右衞門を殺害(せつがい)する事を頼んだであろう、玄石が残らず白状に及んだぞ、それに相違あるまいな、何うじゃ、恐入ったか」
 夫婦「恐入りました」
 奉「長二郎、其の方は龜甲屋半右衞門の実子なること明白に相分りし上は、其の方が先月九日の夜(よ)、柳島押上堤において幸兵衞、柳の両人を殺害いたしたのは、十ヶ年前右両人のため、非業に相果てたる実父半右衞門の敵(かたき)を討ったのであるぞ、孝心の段上にも奇特に思召し、青差(あおざし)拾貫文(じっかんもん)御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且(かつ)半右衞門の跡目相続の上、手代萬助は其の方において永の暇(いとま)申付けて宜かろう」
 萬「へい、恐れながら申上げます、何ういう贔屓か存じませんが余(あんま)り依估(えこ)の御沙汰(ごさた)かと存じます、成程幸兵衞は親の敵(かたき)でもござりましょうが、御新造は長二郎の母に相違ござりませんから、親殺しのお処刑(しおき)に相成るものと心得ますに、御褒美を下さりますとは、一円合点のまいりませぬ御裁判かと存じます」
 奉「フム、よう不審に心付いたが、依估の沙汰とは不埓な申分じゃ、其の方斯様な裁判が奉行一存の計(はから)いに相成ると存じ居(お)るか、一人(いちにん)の者お処刑に相成る時は、老中方の御評議に相成り上様へ伺い上様の思召をもって御裁許の上、老中方の御印文(ごいんもん)が据(すわ)らぬうちはお処刑には相成らぬぞ、其の方公儀の御用を相勤め居った龜甲屋の手代をいたしながら、其の儀相心得居らぬか、不束者(ふつゝかもの)めが」

        四十

 奉行は高声(こうせい)に叱りつけて、更に言葉を和(やわら)げられ、
 奉「半右衞門妻柳は、長二郎の実母ゆえ、親殺しと申す者もあろうが、親殺しに相成らぬは、斯ういう次第じゃ、柳は夫半右衞門存生中(ぞんじょうちゅう)密夫(みっぷ)を引入れ、姦通致せし廉(かど)ばかりでも既に半右衞門の妻たる道を失って居(お)る半右衞門に於(おい)て此の事を知ったならば軽うても離縁いたすであろう、殊に奸夫幸兵衞と申合わせ窃(ひそ)かに半右衞門を殺した大悪非道な女じゃによって、最早半右衛門の妻でない、半右衛門の妻でなければ長二郎のために母でない、この道理を礼記と申す書物によって林大學頭より上様へ言上いたしたによって、長二郎は全く実父の敵である、他人の柳と幸兵衛を討取ったのであると御裁許に相成ったのじゃ、萬助分ったか」
 萬「恐入りました」
 奉「茂二作並に妻由、其の方共半右衞門方へ奉公中、主人妻柳に幸兵衞を取持ったるのみならず、柳の悪事に同意し、玄石を頼み、主人半右衞門を殺害(せつがい)いたさせたる段、主殺(しゅうころし)同罪、磔(はりつけ)にも行うべき処、主人柳の頼み是非なく同意いたしたる儀に付(つき)、格別の御慈悲(ごじひ)をもって十四ヶ年遠島を申付くる、有難く心得ませい」
 二人「有難うござります」
 奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七(みのしち)、其の方斯様なる悪人どもが自分の差配中に住居いたすを存ぜざる段、不取締に付咎(とが)め申付くべき処、此の度(たび)は免(ゆる)し置く、以後屹度心得ませい」
 奉「恒太郎其の方父清兵衞儀、永々(なが/\)長二郎を世話いたし、此の度の一件に付長二郎平生(へいせい)の所業心懸等(とう)逐一申立てたるに付、上(かみ)の御都合にも相成り、且(かつ)師弟の情合(じょうあい)厚き段神妙の至り誉め置くぞ」
 恒「へい、有難う存じます」
 奉「玄石其の方儀、半右衞門妻柳より金百両を貰い受け、半右衞門を鍼術(しんじゅつ)にて殺害に及びし段、不届に付死罪申付くべきの処、格別の御慈悲をもって十四年遠島を申付くる、有難う心得ませい」
 玄「有難うござります」
 奉「長二郎親の仇討(あだうち)一件今日(こんにち)にて落着、一同立ちませい」
 これで此の事件は落着になり、玄石と茂二作夫婦は八丈島へ遠島になって、玄石は三年目に死去し、茂二作夫婦も四五年の内に死去いたしたのは天罰、斯(か)くあるべき筈でございます。さて長二郎は死罪を覚悟で駈込訴えをいたしました処、もとより毛筋程(けすじほど)も悪心のないのは天道様が御照覧になって居りますから、筒井様のお調べ、清兵衛のお慈悲願いから、林大學頭様の御理解等にて到頭実父の復讐(かたきうち)となり、御褒美を戴いた上、計らず大身代(おおしんだい)の龜甲屋を相続いたす事になりまして、公儀から指物御用達(ごようたし)を仰付けられましたので、長二郎は名前を幼名の半之助と改め、非業に死んだ実父半右衞門と、悪人なれど腹を借りた縁故により、お柳の菩提を葬(とむら)うため、紀州の高野山へ供養塔を建立(こんりゅう)し、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました。右様(みぎよう)の事がなくとも、長二郎の名は先年林大學頭様の折紙が付いた仏壇で、江戸中に響き渡りました処、又今度林大學頭様が礼記の講釈で復讐(ふくしゅう)という折紙を付けられました珍らしい裁判で、一層名高くなったので、清兵衞達の喜びはいうまでもなく、坂倉屋助七も大(おおき)に喜び、或日筒井侯のお邸(やしき)へ伺いますと、殿様が先日腰元島路の申した口上もあれば、今は職人でない長二郎ゆえ、島路を彼方(かれかた)へ遣わしては如何(いかゞ)との仰せに助七は願うところと速(すみや)かに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五午年(うまどし)三月一日(いちにち)に婚礼を執行(とりおこな)い、夫婦睦(むつま)じく豊かに相暮しましたが、夫婦の間に子が出来ませんので、養子を致して、長二郎の半之助は根岸へ隠居して、弘化(こうか)二巳年(みどし)の九月二日(ふつか)に五十三歳で死去いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士(こうとくいんちょうよぎしゅうこじ)と題して、谷中の天竜寺に残ってございます。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:161 KB

担当:FIRTREE