名人長二
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著者名:三遊亭円朝 


 三遊亭圓朝子、曾て名人競と題し画工某及女優某の伝を作り、自ら之を演じて大に世の喝采を博したり。而して爾来病を得て閑地に静養し、亦自ら話術を演ずること能わず。然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとするに当り、予に其序を需む。予常に以為く、話術は事件と人物とを美術的に口述するものにして、音調の抑揚緩急得て之を筆にすること能わず、蓋し筆以て示すを得るは話の筋のみ、話術其物は口之を演ずるの外亦如何ともすること能わずと。此故に話術家必しも話の筋を作為するものにあらず、作話者必しも話術家にあらざるなり。夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。而して此の如きは百歳一人を出すを期すべからず。圓朝子は其話術に堪能なると共に、亦話の筋を作為すること拙しとせず。本書名人長二の伝を見るに立案斬新、可笑あり、可悲あり、変化少からずして人の意表に出で、而かも野卑猥褻の事なし。此伝の如きは誠に社会現時の程度に適し、優に娯楽の具と為すに足る。然れども是れ唯話の筋を謂うのみ。其話術に至りては之を演ずる者の伎倆に依りて異ならざるを得ず。門弟子たるもの勉めずんばあるべけんや。若し夫れ圓朝子病癒ゆるの日、親しく此伝を演せば其妙果して如何。長二は木匠の名人なり、圓朝子は話術の名人なり、名人にして名人の伝を演す、其霊妙非凡なるや知るべきのみ。而して聴衆は話の主人公たる長二と、話術の演術者たる圓朝子と、両々相対して亦是れ名人競たるを知らん。
  乙未初秋
土子笑面識

[#改ページ]



        一

 これは享和(きょうわ)二年に十歳で指物師(さしものし)清兵衛(せいべえ)の弟子となって、文政(ぶんせい)の初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎(ちょうじろう)と申す指物師の伝記でございます。凡(およ)そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵(まきえ)などに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀(まれ)なものでございます。通常より少し優れた伎倆(うでまえ)の人が一勉強(ひとべんきょう)いたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手を以(もっ)て教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。さて此の長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商(ものもち)はいうまでもなく、大名方の贔屓(ひいき)を蒙(こうむ)ったほどの名人で、其の拵(こしら)えました指物も御維新(ごいっしん)前までは諸方に伝わって珍重されて居りましたが、瓦解(がかい)の時二束三文で古道具屋の手に渡って、何(ど)うかなってしまいましたものと見えて、昨今は長二の作というものを頓(とん)と見かけません。世間でも長二という名人のあった事を知っている者が少(すくの)うございますから、残念でもありますし、又先頃弁じました名人競(くらべ)のうち錦の舞衣(まいぎぬ)にも申述べた通り、何芸によらず昔から名人になるほどの人は凡人でございませぬゆえ、何か面白いお話があろうと存じまして、それからそれへと長二の履歴を探索に取掛りました節、人力車から落されて少々怪我をいたし、打撲(うちみ)で悩みますから、或人の指図で相州(そうしゅう)足柄下郡(あしがらしもごおり)の湯河原(ゆがわら)温泉へ湯治(とうじ)に参り、温泉宿伊藤周造(いとうしゅうぞう)方に逗留中、図らず長二の身の上にかゝる委(くわ)しい事を聞出しまして、此のお話が出来上ったのでございます。是が真(まこと)に怪我の功名と申すものかと存じます。文政(ぶんせい)の頃江戸の東両国大徳院(だいとくいん)前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋(りさい)の一番弟子で、江戸にまいって一時(いちじ)に名を揚げ、箱清(はこせい)といえば誰(たれ)知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事(こうず)の人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川亀住町(かめずみちょう)閻魔堂(えんまどう)地中(じちゅう)の不動院に遺(のこ)って、戒名を參清自空信士(さんせいじくうしんし)と申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿(なくな)りましたので、弟子の恒太郎(つねたろう)という器用な柔順(おとな)しい若者を養子にして、娘のお政(まさ)を娶(めあ)わせましたが、恒太の伎倆(うでまえ)はまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、皆(みん)な長二にさせます。長二は其の頃両親とも亡(なくな)りましたので、煮焚(にたき)をさせる雇婆(やといばあ)さんを置いて、独身で本所〆切(しめきり)[#「〆切」に校注、「枕橋の架してある堀の奥のところ」、ただし底本では校注が脱落、底本の親本にて確認]に世帯(しょたい)を持って居りましたが、何ういうものですか弟子を置きませんから、下働きをする者に困り、師匠の末の弟子の兼松(かねまつ)という気軽者を借りて、これを相手に仕事をいたして居りますところが、誰(たれ)いうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所(どこ)か仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様(そう)ではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、何(なん)でも不器用に造るが宜(い)い、見かけが器用に出来た物に永持(ながもち)をする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面(うわべ)は不細工(ぶざいく)に見えても、十百年(とッぴゃくねん)の後までも毀(こわ)れないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処(どこ)にか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない、是は指物ばかりではない、画(え)でも彫物(ほりもの)でも芸人でも同じ事で、銭を取りたいという野卑な根性や、他(ひと)に褒められたいという□諛(おべっか)があっては美(い)い事は出来ないから、其様(そん)な了簡を打棄(うッちゃ)って、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度(きっと)美い物が出来上るから、不器用にやんなさいと毎度申しますので、遂に不器用長二と綽名(あだな)をされる様になったのだと申すことで。

        二

 不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七(さかくらやすけしち)と申す大家(たいけ)の主人が聞きまして、面白い職人もあるものだ、予(かね)て御先祖のお位牌を入れる仏壇にしようと思って購(もと)めて置いた、三宅島の桑板があるから、長二に指(さ)させようと、店の三吉(さんきち)という丁稚(でっち)に言付けて、長二を呼びにやりました。其の頃蔵前の坂倉屋と申しては贅沢を極(きわ)めて、金銭を湯水のように使いますから、諸芸人はなおさら、諸職人とも何卒(どうか)贔屓を受けたいと願う程でございますゆえ、大抵の職人なら最上等のお得意様が出来たと喜んで、何事を措(お)いても直(すぐ)に飛んでまいるに、長二は三吉の口上を聞いて喜ぶどころか、不機嫌な顔色(かおつき)で断りましたから、三吉は驚いて帰ってまいりました。助七は三吉の帰りを待ちかねて店前(みせさき)に出て居りまして、
 助「三吉何故(なぜ)長二を連れて来ない、留守だったか」
 三「いゝえ居りましたが、彼奴(あいつ)は馬鹿でございます」
 助「何(なん)と云った」
 三「坂倉屋だか何だか知らないが、物を頼むに人を呼付けるという事アない、己(おら)ア呼付けられてへい/\と出て行くような閑(ひま)な職人じゃアねえと申しました」
 助「フム、それじゃア何か急ぎの仕事でもしていたのだな」
 三「ところが左様(そう)じゃございません、鉋屑(かんなくず)の中へ寝転んで煙草を呑んでいました、火の用心の悪い男ですねえ」
 助「はてな……手前何と云って行った」
 三「私(わたくし)ですか、私は仰しゃった通り、蔵前の坂倉屋だが、拵えてもらう物があるから直に来ておくんなさい、蔵前には幾軒も坂倉屋があるから一緒にまいりましょうと云ったんでございます」
 助「手前入ると突然(いきなり)其の口上を云って、お辞儀も挨拶もしなかったろう」
 三「へい」
 助「それを失礼だと思ったのだろう」
 三「だって旦那寝転んでいる方が余(よっ)ぽど失礼でしょう」
 助「ムヽそれも左様(そう)だが、何(なん)か気に障った事があるんだろう」
 三「左様じゃアございません、全体馬鹿なんです」
 助「むやみに他(ひと)の事を馬鹿なんぞというものではございませんぞ」
 と丁稚を誡(いまし)めて奥に這入りましたが是まで身柄のある画工でも書家でも、呼びにやると直に来たから、高の知れた指物職人と侮(あなど)って丁稚を遣(や)ったのは悪かった、他(ほか)の職人とは異(かわ)っているとは聞いていたが、それ程まで見識のある者とは思わなんだ、今の世に珍らしい男である、御先祖様のお位牌を入れる仏壇を指させるには此の上もない職人だと見込みましたから、直に衣服を着替えて、三吉に詫言を云含めながら長二の宅へ参りました。長二は此の時出来上った書棚に気に入らぬ所があると申して、才槌(さいづち)で叩き毀(こわ)そうとするを、兼松が勿体ないと云って留めている混雑中でありますから、助七は門口に暫く控えて立聞きをして居りますと、
 長「兼公、手前(てめえ)は然(そ)ういうけれどな、拵(こせ)えた当人が拙(まず)いと思う物で銭を取るのは不親切というものだ、何家業でも不親切な了簡があった日にア、□(うだつ)のあがる事アねえ」
 兼「それだって此のくれえの事ア素人にア分りゃアしねえ」
 長「素人に分らねえから不親切だというのだ、素人には分らねえから宜(い)いと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人(ぬすっと)も同様だ、手前(てめえ)盗人をしても銭が欲しいのか、己(おら)ア此様(こん)な職人だが卑しい事ア大嫌(でえきら)いだ」
 と丹誠を凝(こら)して造りあげた書棚をさい槌でばら/\に打毀(うちこわ)しました様子ゆえ、助七は驚きましたが、益々(ます/\)並の職人でないと感服をいたし、やがて表の障子を明けまして、
 助「御免なさい、私(わたくし)は坂倉屋助七と申す者で、少々親方にお願い申したい事があって、先刻出しました召使の者が、早呑込みで粗相を申し、相済みません、其のお詫かた/″\まいりました」
 と丁寧に申し述べましたから、流石(さすが)の長二も驚き、まご/″\する兼松に目くばせをして、其の辺に飛散っている書棚の木屑を片付けさせながら、
 長「へい、これはどうも恐入りました、此の通り取散かしていますが、何卒(どうぞ)此方(こちら)へ」
 と蓆(ござ)の上の鉋屑を振(ふる)って敷直しますから、助七は会釈をして其処(そこ)へ坐りました。

        三

 助「御高名は予(かね)て承知していましたが、つい掛違いまして」
 長「私(わたくし)もお名前は存じて居りますが、用がありませんからお目にかゝりませんでした、シテ御用と仰しゃるのは」
 助「はい、お願い申すこともございますが先刻のお詫をいたします……三吉……そこへ出てお詫をしろ」
 三吉は不承々々な顔付で上り口に両手をつきまして、
 三「親方さん先刻(さっき)は口上を間違えまして失礼を致しました、何卒(どうか)御免なさい」
 とお辞儀をいたしますを、長二は不審そうに見ておりましたが、[#「、」は底本では「。」]
 長「へい何(なん)でしたか小僧さん、何も謝る事アありません……えゝ旦那……先刻(さっき)お迎いでしたが、出ぬけられませんからお断り申したんで」
 助「それが間違いで、先刻(せんこく)三吉(これ)に、親方に願いたい事があるから宅(うち)に御座るか聞いて来いと申付けたのを間違えて、親方に来てくださるように申したとの事でございます」
 長「ムヽ左様(そう)いう事ですか、訳さえ分れば宜(い)いじゃアありませんか、それより御用の方をお聞き申しましょう」
 助「そんならお話し申しますが、実は私(わたくし)先年から心掛けて、先祖の位牌を入れて置く仏壇を拵えようと思って、三宅島の桑板の良いのを五十枚ほど購(もと)めましたが、此の仏壇は子孫の代までも永く伝わる物でもあり、又火事に焼けてならんものですから、非常の時は持って逃げる積りです、混雑の中では取落す事もあり、又他から物が打付(ぶッつか)る事もありますゆえ、余ほど丈夫でなければなりませんが、丈夫一式で木口(きぐち)が橋板のように馬鹿に厚くっては、第一重くもあり、お飾り申した処が見にくゝって勿体ないから、一寸(ちょっと)見た処は通例の仏壇のようで、大抵な事では毀(こわ)れませんように、極(ごく)丈夫に拵えたいという無理な注文でもございますし、それに位牌を入れる物ですから、成るべくは根性の卑しい粗忽(そこつ)な職人に指させたくないと思って、職人を捜して居りました処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にも優(まさ)るという評判を聞及びましたから、此の仕事をお願い申したいので、手間料には糸目をかけません、何うぞ私(わたくし)が先祖への孝行にもなる事でございますから、この絵図面を斟酌(しんしゃく)して一骨(ひとほね)折ってはくださるまいか」
 と仏壇の絵図面を見せますと、長二は寸法などを見較べまして、
 長「成程随分難かしい仕事ですが、宜(よ)うがす、此の工合(ぐあい)に遣(や)ってみましょう…だが急いじゃアいけませんよ、兎も角も板を遣(よこ)してお見せなさい、板の乾き塩梅(あんばい)によっちゃア仕事の都合がありますから」
 助「はい、承知いたしました……そんなら明朝(みょうあさ)板をよこすことに致しましょう……えゝ是は少のうございますが、御注文を申した印までに上げて置きます」
 と金子を十五両鼻紙に載せて差出しますを、長二は宜(よ)く見もいたさずに押戻しまして、
 長「板をよこして注文なさるんですから手金なんざア要(い)りません、出来上って見なければ手間も分りませんから、是はお預け申して置きます」
 助「左様いう事ならお預かり申して置きますから、御入用(ごいりよう)の節は何時(なんどき)でも仰しゃってお遣(つか)わしなさい」
 と金子を懐中に納めまして、
 助「これはお仕事のお邪魔を致しました……そんなら何分(なにぶん)宜しくお願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」
 と暇(いとま)を告げて助七は立帰り、翌日桑の板を持たせて遣りましたが、其の後(のち)長二から何(なん)の沙汰もございません。助七は待遠(まちどお)でなりませんが、長二が急いではいけないと申した口上がありますから、下手に催促をしたら腹を立つだろうと我慢をして待って居りますと、七月目(なゝつきめ)に漸々(よう/\)出来上って、長二が自身に持ってまいりましたから、助七は大喜びで、長二を奥の座敷へ通しました。此の時助七は五十三歳で、女房は先年歿(なくな)って、跡に二十一歳になる忰(せがれ)の助藏(すけぞう)と、十八歳のお島(しま)という娘があります。助七は待ちに待った仏壇が出来た嬉しさに、助藏とお島は勿論、店の番頭手代までを呼び集めて、一々長二に引合わせ、仏壇を見せて其の伎倆(うでまえ)を賞(ほ)め、長二を懇(ねんごろ)にもてなしました。

        四

 助「時に親方、つかん事を聞くようだが、先頃尋ねた折(おり)台所(だいどこ)にいたのは親方のお母(ふくろ)さんかね」
 長「いゝえ、お母は私(わたくし)が十七の時死にました、あれは飯焚(めしたき)の雇い婆さんです」
 助[#「助」は底本では「長」と誤記]「そんなら未だ家内は持たないのかね」
 長「はい、嚊(かゝあ)があると銭のことばかり云って仕事の邪魔になっていけませんから持たないんです」
 助「親方のように稼げば、銭に困ることはあるまいに」
 長「銭は随分取りますが、持っている事が出来ない性分ですから」
 助「職人衆は皆(みん)な然(そ)うしたものだが、親方は何が道楽だね」
 長「何も道楽というものあないんですが、只正直な人で、貧乏をしている者を見ると気の毒でならないから、持ってる銭をくれてやりたくなるのが病です」
 助「フム良(い)い病だ……面白い道楽だが、貧乏人に余(あんま)り金を遣りすぎると却(かえ)って其の人の害になる事があるから、気を付けなければいけません」
 長「其のくれえの事ア知っています、其の人の身分相応に恵まないと、贅沢をやらかしていけません」
 助「感心だ……名人になる人は異(かわ)ったものだ、のうお島」
 島「左様(さよう)でございます、誠に善(よ)いお心掛で」
 と長二の顔を見る途端に、長二もお島の顔を見ましたから、お島は間の悪そうに眼もとをぽうッと赧(あか)くして下を向きます。長二は此の時二十八歳の若者で、眼がきりゝとして鼻筋がとおり、何処(どこ)となく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌いで、他の職人達が婦人の談(はなし)でもいたしますと怒(おこ)るという程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見(みえ)も飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞(めくらじま)の股引に、垢染みた藍(あい)の万筋(まんすじ)の木綿袷(もめんあわせ)の前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂(かぎざき)のある印半纏(しるしばんてん)を引掛(ひっか)けていて、動くたんびに何処からか鋸屑(のこぎりくず)が翻(こぼ)れるという始末でございますから、お島は長二を美(い)い男とは思いませんが、予(かね)て父助七から長二の行いの他(ひと)に異(かわ)っていることを聞いて居ります上に、今また年に似合わぬ善(よ)い心掛なのを聞いて深く心に感じ、これにひきかえて兄の助藏が放蕩に金銭を使い捨てるに思い較べて、窃(ひそ)かに恥じましたから、ちょっと赤面致したので、また長二もお島を見て別に美しいとも思いませんが、是まで貧民に金銭を施すのを、職人の分際で余計な事だ、馬鹿々々しいから止せと留める者は幾許(いくら)もありましたが、褒める人は一人もありませんでしたに、今十七か十八のお嬢さんが褒めたのでありますから、長二は又お島が褒めた心に感心を致して、其の顔を見たのでございます。助七はそれらの事に毫(すこし)も心づかず、
 「親方の施し道楽は至極結構だが、女房を持たないと活計向(くらしむき)に損がありますから、早く良(い)いのをお貰いなさい」
 長「そりゃア知っていますが、女という奴ア吝(けち)なもんで、お嬢さんのように施しを褒めてくれる女はございませんから持たないんです」
 助「フム左様さ、女には教えがないから、仁だの義だのという事は分らないのは道理(もっとも)だ、此の娘なぞは良(よ)い所へ嫁に遣ろうと思って、師匠を家(うち)へ呼んで、読書(よみかき)から諸芸を仕込んだのだから、兎も角も理非の弁別がつくようになったんだが、随分金がかゝるから大抵の家では女にまでは行届(ゆきとゞ)きません、それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥(たんす)三重(みかさね)と用箪笥を親方に願いたい、何卒(どうか)心懸けて木の良(い)いのを見付けてください」
 長「畏(かしこ)まりましたが、先達(せんだっ)て職人の兼という奴が、鑿(のみ)で足の拇指(おやゆび)を突切(つッき)った傷が破傷風(はしょうふう)にでもなりそうで、甚(ひど)く痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから、私(わたくし)も幼(ちい)さい時怪我をした背中の旧傷(ふるきず)が暑さ寒さに悩みますので、一緒に行って序(つい)でに湯治をして来ようと思いますので、お急ぎではどうも」
 助「いゝや今が今というのではありません、行儀を覚えさせるため来月お出入邸(やしき)の筒井様の奥へ御奉公にあげる積りですから、娘(これ)が下(さが)るまでゞ宜(い)いんです」
 長「そんなら拵えましょう」
 助「湯河原は打撲(うちみ)と金瘡(きりきず)には能(い)いというから、緩(ゆっく)り湯治をなさるが宜(い)い、就(つい)てはこの仏壇の作料を上げましょう、幾許(いくら)あげたらよいね」
 長「左様……別段の御注文でしたから思召(おぼしめし)に適(かな)うように拵えましたので、思ったより手間がかゝりましたが……百両で宜(よ)うございます」
 其の頃の百両と申す金は当節の千両にも向う大金で、如何に念入でも一個(ひとつ)の仏壇の細工料が百両とは余り法外でございますから、助七は恟(びっく)りして、何(なん)にも云わず、暫く長二の顔を見詰めて居りました。

        五

 助七は仏壇の細工は十分心に適って丈夫そうには出来たが、百両の手間がかゝったとは思えません、これは己が余り褒めすぎたのに附込んで、己の家(うち)が金持だから法外の事をいうのであろう、扨(さて)は此奴(こいつ)は潔白な気性だと思いの外(ほか)、卑しい了簡の奴だなと腹が立ちましたから、
 助「おい親方、この仏壇の板は此方(こっち)から出したのだよ、百両とはお前間違いではないか」
 長「へい、板を戴いた事ア知っています、何も間違いではございません」
 助「是だけの手間が百両とは少し法外ではないか」
 長「そう思召しましょうが、それだけ手間がかゝったのです、百両出せないと仰しゃるなら宜うがす元の通りの板をお返し申しますから仏壇は持って帰ります……素人衆には分りますまいよ」
 と云いながら仏壇を持ちて帰ろうといたしますから、助七が押留(おしと)めまして、
 助「親方、まア待ちなさい、素人に分らないというが、百両という価値(ねうち)の細工が何処にあるのだえ」
 長「はい……旦那御注文の時何と仰しゃいました、この仏壇は大切の品だから、火事などで持出す時、他の物が打付(ぶッつか)っても、又落(おっ)ことしても毀(こわ)れないようにしたいが、丈夫一式で見てくれが拙(まず)くっては困ると仰しゃったではございませんか、随分無理な注文ですが、出来ない事はありませんから、釘一本他手(ひとで)にかけず一生懸命に精神(たましい)を入れて、漸々(よう/\)御注文通りに拵え上げたのです……私(わたくし)ア注文に違ってる品を瞞(ごま)かして納めるような不親切をする事ア大嫌(でえきれ)えです……最初手間料に糸目をつけないと仰しゃったから請負ったので、斯ういう代物(しろもの)は出来上ってみないと幾許(いくら)戴いて宜(い)いか分りません、此の仏壇に打ってある六十四本の釘には一本/\私の精神が打込んでありますから、随分廉(やす)い手間料だと思います」
 助「フム、その講釈の通りなら百両は廉いものだが、火事の時竹長持(たけながもち)の棒でも突(つッ)かけられたら此の辺の合せ目がミシリといきそうだ」
 長「その御心配は御道理(ごもっとも)ですが、外から何様(どん)な物が打付(ぶッつか)っても釘の離れるようなことア決してありませんが中から強(ひど)く打付けては事によると離れましょう、併(しか)し仏壇ですから中から打付かるものは花立が倒れるとか、香炉が転(ころが)るぐれえの事ですから、気遣(きづけ)えはございません、嘘だと思召すなら丁度今途中で買って来た才槌(せいづち)を持ってますから、これで打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい」
 と腰に挿していた樫(かし)の才槌(さいづち)を助七の前へ投出しました。助七は今の口上を聞き、成ほど普通の品より、手堅く出来てはいようが、元々釘で打付(うちつ)けたものだから叩いて毀れぬ事はない、高慢をいうにも程があると思いましたゆえ、
 助「そりゃア親方が丹誠をして拵(こさ)えたのだから少しぐらいの事では毀れもしまいが、此の才□(さいづち)で擲(なぐ)って毀れないとは些(ちっ)と高言(こうげん)が過(すぎ)るようだ」
 と嘲笑(あざわら)いましたから、正直一途(いちず)の長二はむっと致しまして、
 長「旦那……高言か高言でねえか打擲(ぶんなぐ)ってごらんなせい、打擲って一本でも釘が弛(ゆる)んだ日にゃア手間は一文も戴きません」
 助「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」
 と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、
 島「お父(とっ)さん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」
 助「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀(ぶちこわ)すのだ」
 島「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」
 助「ムヽ左様(そう)かな」
 と助七は一時(いちじ)お島の言葉に立止りましたが、扨(さて)は長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮して吾(われ)が打つまいと思って、斯様(かよう)な高言を吐(は)いたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥(ひんむ)いてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退(おしの)けながら、
 助「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら/\にして見せるから」
 と助七は才槌を揮(ふ)り上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板に瑕(きず)が付くばかりで、止口(とめぐち)釘締(くぎじめ)は少しも弛(ゆる)みません。助七は大家(たいけ)の主人で重い物は傘の外(ほか)持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌を投(ほう)り出して其処(そこ)へ尻餅をつき、せい/\いって、自分で右の手首を揉みながら、
 助「お島……水を一杯……速く」
 と云いますから、お島が急いで持ってまいった茶碗の水をグッと呑みほして太息(おおいき)を吐(つ)き、顔色を和(やわら)げまして、
 助「親方……恐入りました……誠に感服……名人だ……名人の作の仏壇、千両でも廉(やす)い、約束通り千両出しましょう」
 長「アハヽヽ精神(たましい)を籠めた処が分りましたか、私(わっちゃ)ア自慢をいう事ア大嫌(だいきら)いだが、それさえ分れば宜(よ)うがす、此様(こんな)に瑕が付いちゃア道具にはなりませんから、持って帰って其の内に見付かり次第、元の通りの板はお返し申します」
 助「そりゃア困る、瑕があっても構わないから千両で引取ろうというのだ」
 長「千両なんて価値(ねうち)はありません」
 助「だって先刻(さっき)賭(かけ)をしたから」
 長「そりゃア旦那が勝手に仰しゃったので、私(わたくし)が千両下さいと云ったのじアねえのです、私(わっち)ア賭事ア性来(うまれつき)嫌いです」
 助「左様(そう)だろうが、これは別物だ」
 長「何だか知りませんが、他(ひと)の仕事を疑ぐるというのが全体(ぜんてえ)気にくわないから持って帰るんです、銭金(ぜにかね)に目を眩(く)れて仕事をする職人じゃアございません」
 と仏壇を持出しそうにする心底の潔白なのに、助七は益々感服いたしまして、
 助「まア待ってください……親方……私(わし)がお前の仕事を疑ぐって、折角丹誠の仏壇を瑕物にしたのは重々わるかった、其処んところは幾重にもお詫をしますから、何卒(どうぞ)仏壇は置いて行ってください」
 長「だって此様(こんな)に瑕が付いてるものは上げられねえ」
 助「それが却って貴いのだ、聖堂の林様はお出入だから殿様にお願い申して、私(わし)が才槌で瑕をつけた因由(いわれ)を記(か)いて戴いて、其の書面を此の仏壇に添えて子孫に譲ろうと思いますから、親方機嫌を直して下さい」
 と只管(ひたすら)に頼みますから、長二も其の考えを面白く思い、打解けて仏壇を持帰るのを見合せましたから、助七は大喜びで、無類の仏壇が出来た慶(よろこ)びの印として手間料の外に金百両を添えて出しましたが、長二は何うしてもこれを受けませんで、手間料だけ貰って帰りました。助七は直(すぐ)に林大學頭(はやしだいがくのかみ)様の邸(やしき)へ参り、殿様に右の次第を申上げますと、殿様も長二の潔白なる心底と伎倆(ぎりょう)の非凡なるに感服されましたから、直に筆を執(と)って前の始末を文章に認(したゝ)めて下さいました。其の文章は四角な文字ばかりで私(わたくし)どもには読めませんが、是も亦(また)名文で、今日(こんにち)になっては其の書物(かきもの)ばかりでも大層な価値(ねうち)があると申す事でございます。斯様に林大學頭様の折紙が付いている宝物(ほうもつ)で、私も一度拝見しましたが御維新後坂倉屋が零落(おちぶ)れまして、本所横網(よこあみ)辺へ引込(ひっこ)みました時隣家より出た火事に仏壇も折紙も一緒に焼いてしまったそうで、如何にも残念な事でございます。それは後(のち)の話で此の仏壇の事が江戸市中の評判となり、大學頭様も感心なされて、諸大名や御旗下(おはたもと)衆へ吹聴をなされましたから、長二の名が一時に広まって、指物師の名人と云えば、あゝ不器用長二かというように名高くなりまして、諸方から夥(おびたゞ)しく注文がまいりますが、手伝の兼松は足の疵(きず)で悩み、自分も此の頃の寒気のため背中の旧疵(ふるきず)が疼(いた)み、当分仕事が出来ないと云って諸方の注文を断り、親方清兵衛に後(あと)を頼んで、文政三辰年(たつどし)の十一月の初旬(はじめ)、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。

        六

 湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村(みやかみむら)と申す処にございまして、当今は土肥次郎實平(どいじろうさねひら)の出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村(しろほりむら)にある實平の城山は、真鶴港(まなづるみなと)から上陸して、吉浜(よしはま)を四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りの路(みち)で一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉(かとうひろきち))藤屋(加藤文左衛門(かとうぶんざえもん))藤田屋(加藤林平(かとうりんぺい))上野屋(渡邊定吉(わたなべさだきち))伊豆屋(八龜藤吉(やかめとうきち))などで、当今は伊藤周造に天野(あまの)某(なにがし)などいう立派な宿も出来まして、何(いず)れも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出(わきだ)しまして、石垣で積上げてある所を惣湯(そうゆ)と申しますが、追々開(ひら)けて、当今は河中(かわなか)の湯、河下(かわしも)の湯、儘根(まゝね)の湯、下(しも)の湯、南岸(みなみぎし)の湯、川原(かわら)の湯、薬師(やくし)の湯と七湯(しちとう)に分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度乃至(ないし)百五度ぐらいで、打撲(うちみ)金瘡(きりきず)は勿論、胃病、便秘、子宮病、僂麻質私(りょうまちす)などの諸病に効能(きゝめ)があると申します。西は西山、東は上野山、南は向山(むこうやま)、北は藤木山(ふじきやま)という山で囲まれている山間(やまあい)の村で、総名(そうみょう)を本沢(ほんざわ)と申して、藤木川、千歳川(ちとせがわ)などいう川が通っております。此の藤木川の流(ながれ)が、当今静岡県と神奈川県の境界(さかい)になって居ります。千歳川の下(しも)に五所(ごしょ)明神という古い社(やしろ)があります。此の社を境にして下の方(かた)を宮下村(みやしたむら)と申し、上(かみ)の方を宮上村と申すので、宮下の方(ほう)は戸数八十余(あまり)、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外は近傍(もより)の山々から石を切出したり、炭を焼いたり、種々(しゅ/″\)の山稼ぎをいたして活計(くらし)を立っている様子です。此の所から小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半余(よ)で、何(いず)れへまいるのにも路(みち)は宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。さて長二と兼松は温泉宿藤屋に逗留して、二週(ふたまわり)ほど湯治をいたしたので、忽(たちま)ち効験(きゝめ)が顕(あら)われて、両人とも疵所(きずしょ)の疼(いた)みが薄らぎましたから、少し退屈の気味で、
 兼「長(ちょう)兄い……不思議だな、一昨日(おとゝい)あたりからズキ/\する疼みが失(なくな)ってしまった、能く利く湯だなア」
 長「それだから此様(こん)な山ん中へ来る人があるんだ」
 兼「本当に左様(そう)だ、怪我でもしなけりゃア来る処じゃアねえ、此処(こけ)え来て見ると怪我人もあるもんだなア」
 長「ムヽ、伊豆相模(さがみ)は石山が多いから、石切職人(いしきりじょくにん)が始終怪我をするそうだ、見ねえ来ている奴ア大抵石切だ、どんな怪我でも一週(ひとまわり)か二週で癒(なお)るということだが、好(い)い塩梅にしたもんじゃアねえか、そういう怪我を度々(たび/\)する処にゃア、斯ういう温泉が湧くてえのは」
 兼「それが天道(てんとう)人を殺さずというのだ、世界(せけえ)の事ア皆(み)んな其様(そん)な塩梅(あんべい)に都合よくなってるんだけれど、人間というお世話やきが出てごちゃまかして面倒くさくしてしまッたんだ」
 長「旨い事を知ってるなア、感心だ」
 兼「旨いと云やア、それ此処(こけ)え来る時、船から上って、ソレ休んだ処(とこ)ア何(なん)とか云ったっけ」
 長「浜辺の好(い)い景色の処(ところ)か」
 兼「左様(そう)よ」
 長「ありゃア吉浜という処よ」
 兼「それから飯を喰った家(うち)は何とか云ったッけ」
 長「橋本屋よ」
 兼「ムヽ橋本屋だ、彼家(あすこ)で喰った※(めばる)[#「魚へん+君」、21-6]の煮肴(にざかな)は素的(すてき)に旨かったなア」
 長「魚が新らしいのに、船で臭(くせ)え飯を喰った挙句(あげく)だったからよ」
 兼「そうかア知らねいが、今に忘れられねえ、全体(ぜんてい)此辺(こけいら)は浜方(はまかた)が近いにしちゃア魚が少ねえ、鯛に比目魚(ひらめ)か※(めばる)[#「魚へん+君」、21-8]に□(むつ)、それでなけりゃア方頭魚(あまでい)と毎日の御馳走が極っているのに、料理方(かた)がいろ/\して喰わせるのが上手だぜ」
 長「そういうと豪気(ごうぎ)に宅(うち)で奢ってるようだが、水洟(みずッぱな)をまぜてこせえた婆さんの惣菜(そうざい)よりア旨かろう」
 兼「そりゃア知れた事だが、湯治とか何とか云やア贅沢が出るもんだ」
 長「贅沢と云やア雉子(きじ)の打(うち)たてだの、山鳩や鵯(ひよどり)は江戸じゃア喰えねえ、此間(こねえだ)のア旨かったろう」
 兼「ムヽあれか、ありゃア旨かった、それに彼(あ)の時喰った大根(でいこ)さ、此方(こっち)の大根は甘味があって旨(うめ)え、それに沢庵もおつだ、細くって小せえが、甘味のあるのは別だ、自然薯(じねんじょ)も本場だ、こんな話をすると何(なん)か喰いたくなって堪らねえ」
 長「よく喰いたがる男だ、折角疵が癒りかけたのに油濃(あぶらッこ)い物を喰っちゃア悪いよ」
 兼「毒になるものア喰やアしねいが、退屈だから喰う事より外ア楽(たのし)みがねえ……蕎麦粉の良(い)いのがあるから打ってもらおうか」
 長「己(おら)ア喰いたくねえが、少し相伴(つきあ)おうよ」
 兼「そりゃア有難い」
 と兼松が女中を呼んで蕎麦の注文を致します。馴れたもので程なく打あげて、見なれない婆さんが二階へ持ってまいりました。

        七

 兼「こりゃア早い、いや大きに御苦労……兄い一杯(いっぺい)やるか」
 長「己(おら)ア飲まないが、手前(てめえ)一本やんない」
 兼「そんなら婆さん、酒を一合つけて来てくんねえ」
 婆「はい、下物(さかな)はどうだね」
 兼「何があるえ」
 婆「鯛(たえ)と鶏卵(たまご)の汁(つゆ)があるがね」
 兼「それじゃア鯛(たい)の塩焼に鶏卵の汁を二人前(ふたりまえ)くんねえ」
 婆「はい、直(すぐ)に持って来やす」
 と婆さんは下へ降りてまいりました。
 長「兼公(かねこう)見なれねえ婆さんだなア」
 兼「宅(うち)の婆さんよりア穢(きた)ねえようだ、あの婆さんの打った蕎麦だと醤汁(したじ)はいらねいぜ」
 長「なぜ」
 兼「だって水洟(みずッぱな)で塩気がたっぷりだから」
 長「穢ねいことをいうぜ」
 と蕎麦を少し摘(つま)んで喰ってみて、
 兼「そんなに馬鹿にしたものじゃアねえ、中々旨(うめ)え……兄い喰ってみねえ……おゝ婆さん、お燗(かん)が出来たか」
 婆「大きに手間取りやした、お酌をしますかえ」
 兼「一杯(いっぺい)頼もうか……婆さんなか/\お酌が上手だね」
 婆「上手にもなるだア、若(わけ)い時から此家(こっち)でお客の相手えしたからよ」
 兼「だってお前今日初めて見かけたのだぜ」
 婆「左様(そう)だがね、私(わし)イ三十の時から此家(こっち)へ奉公して、六年前(ぜん)に近所へ世帯(しょたい)を持ったのだが、忙(せわ)しねえ時ア斯うして毎度(めいど)手伝に来るのさ、一昨日(おとつい)おせゆッ娘(こ)が塩梅(あんべい)がわりいって城堀(しろほり)へ帰(けえ)ったから、当分手伝(てつで)えに来たのさ」
 兼「ムヽ左様(そう)かえ、そうして婆さんお前(めえ)年は幾歳(いくつ)だえ」
 婆「もうはア五十八になりやす」
 兼「兄い、田舎の人は達者だねえ」
 長「どうしても体に骨を折って欲がねえから、苦労が寡(すくね)いせいだ」
 婆「お前(めえ)さん方は江戸かえ」
 長「そうだ」
 婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」
 長「不自由だが湯の利くのには驚いたよ」
 婆「左様(そう)かねえ、お前(めえ)さん方の病気は何(なん)だね」
 兼「己(おれ)のア是だ、この拇指(おやゆび)を鑿(のみ)で打切(ぶッき)ったのだ」
 婆「へえー怖(おっか)ねいこんだ、石鑿は重いてえからねえ」
 兼「己(おら)ア石屋じゃアねえ」
 婆「そんなら何(なん)だね」
 兼「指物師よ」
 婆「指物とア…ムヽ箱を拵(こせ)えるのだね、…不器用なこんだ、箱を拵える位(ぐれ)えで足い鑿い打貫(ぶっとお)すとア」
 長「兼公一本まいったなア、ハヽヽ」
 婆「笑うけんど、お前(めえ)さんのも矢張(やっぱり)其の仲間かね」
 長「己のは左様じゃアねえ、子供の時分の旧疵(ふるきず)だ」
 婆「どうしたのだね」
 長「どうしたのか己も知らねえ」
 婆「そりゃア変なこんだ、自分の疵を当人が知らねいとは……矢張足かね」
 長「いゝや、右の肩の下のところだ」
 婆「背中かね……お前(めい)さん何歳(いくつ)の時だね」
 長「それも知らねいのだが、この拇指の入(へえ)るくれえの穴がポカンと開(あ)いていて、暑さ寒さに痛んで困るのよ」
 婆「へいー左様(そう)かねえ、孩児(ねゝっこ)の時そんな疵うでかしちゃアおっ死(ち)んでしまうだねえ、どうして癒ったかねえ」
 長「どうして癒ったどころか、自分に見えねえから此様(こん)な疵のあるのも知らなかったのさ、九歳(こゝのつ)の夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前(てめえ)の背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので、初めて疵のあるのを知ったのよ、それから宅(うち)へ帰(けえ)ってお母(ふくろ)に、何うして此様な穴があるのだ、友達が馬鹿にしていけねえから何うかしてくれろと無理をいうと、お母が涙ぐんでノ、その疵の事を云われると胸が痛くなるから云ってくれるな、他(ひと)に其の疵を見せめえと思って裸体(はだか)で外へ出したことのねえに、何故泳ぎに行ったのだと云って泣くから、己もそれっきりにしておいたから、到頭分らずじまいになってしまったのよ」
 という話を聞きながら、婆さんは長二の顔をしげ/\と見詰めておりました。

        八

 婆「はてね……お前(めえ)さんの母様(かゝさま)というは江戸者かねえ」
 長「何故だえ」
 婆「些(ち)と思い出した事があるからねえ」
 長「フム、己の親は江戸者じゃアねえが、何処(どこ)の田舎だか己(おら)ア知らねえ、何でも己(おれ)が五歳(いつゝ)の時田舎から出て、神田の三河町へ荒物店(みせ)を出すと間もなく、寛政九年の二月だと聞いているが、其の時の火事に全焼(まるやけ)になって、其の暮に父(とっ)さんが死んだから、お母(ふくろ)が貧乏の中で丹誠して、己が十歳(とお)になるまで育ってくれたから、職を覚えてお母に安心させようと思って、清兵衞親方という指物師の弟子になったのだ」
 婆「左様(そう)かねえ、それじゃア若(も)しかお前(めえ)さんの母様はおさなさんと云わねいかねえ」
 長「あゝ左様だ、おさなと云ったよ」
 婆「父様(とっさま)はえ」
 長「父(とっ)さんは長左衛門(ちょうざえもん)さ」
 婆「アレエ魂消(たまげ)たねえ、お前(めえ)さん……長左衛門殿の拾児(ひろいッこ)の二助どんけえ」
 長「何だと己が拾児だと、何ういうわけでお前(めえ)そんな事を」
 婆「知らなくってねえ、此の土地の棄児(すてご)だものを」
 長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だというのかえ」
 婆「そうさ、此の先の山を些(ちっ)と登ると、小滝の落ちてる処があるだ、其処(そこ)の蘆(あし)ッ株の中へ棄てられていたのだ、背中の疵が証拠だアシ」
 兼「これは妙だ、何処(どこ)に知ってる者があるか分らねえものだなア」
 長「こりゃア思いがけねえ事だ……そんなら婆さんお前(めえ)己の親父やお母を知ってるかね」
 婆「知ってるどころじゃアねい」
 長「そうして己の棄てられたわけも」
 婆「ハア根こそげ知ってるだア」
 長「左様(そう)かえ……そんなら少し待ってくんな」
 と長二は此の先婆さんが如何様(いかよう)のことを云出すやも分らず、次第によっては実(まこと)の両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子を窺(うかゞ)いますと、隣座敷の客達は皆(みん)な遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、
 長「婆さん、こりゃア少ねえがお前(めえ)に上げるから煙草でも買いなさい」
 婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」
 長「其の代り今の話を委(くわ)しく聞かしてください、他(ひと)に聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」
 婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者は無(ね)いだけんどね、私(わし)イ一番よく知ってるというのア、その孩児(ねゝっこ)……今じゃア此様(こん)なに大(でか)くなってるが、生れたばかりのお前(めえ)さんを苛(むご)くしたのを、私イ眼の前に見たのだから」
 長「そんならお前(めえ)、己の実(ほんと)の親達も知ってるのか、何処の何(なん)という人だえ」
 婆「何処の人か知んねえが、私(わし)が此家(こっち)へ奉公に来た翌年(あくるとし)の事(こん)だから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年前(めえ)のこんだ、何でも二月の初(はじめ)だった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家(はなれ)に泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥(くたび)れたから、次の間に打倒(うちたお)れて寝てしまって、夜半(よなか)に眼イ覚(さま)すと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、好(い)い塩梅(あんべい)に云いくるめて、旦那に押(おっ)かぶして置いたが、此の児(こ)はお前(めい)さんの胤(たね)に違(ちげ)い無(ね)いというと、男の方では月イ勘定すると一月(ひとつき)違うから己の児じゃア無(ね)い、顔まで好(よ)く彼奴(あいつ)に似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違(まちげ)える事もあるもんだ、お前(めえ)のように実(じつ)の無(ね)いことを云われちゃア苦労をした効(けい)がねい、私(わし)イもう彼(あ)の家(うち)に居ねい了簡だから、此の児はお前(めえ)の勝手にしたが宜(え)えと孩児を男の方へ打投(ぶんな)げたと見えて、孩児が啼(な)くだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン/\と音がアして、果(はて)にア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外の事(こッ)てねえから魂消ているうち、ぐず/\口小言を云いながら夫婦とも眠(ね)てしまった様子だったが、翌日(あくるひ)の騒ぎが大変さ」
 長「フム、どういう騒ぎだッたね」
 婆「これからお前(めえ)さんの背中の穴の話になるんだが、此の前(めえ)江戸から来た何(なん)とか云った落語家(はなしか)のように、こけえらで一節(ひときり)休むんだ、喉(のど)が乾いてなんねいから」
 兼「婆さん、なか/\旨(うめ)えもんだ、サアこゝへ茶を注(つ)いで置いたぜ」
 婆「ハアこれは御馳走さま……一息ついて直(すぐ)に後(あと)を話しますべい」

        九

 兼「婆さん、それから何うしたんだ、早く話してくんなせえ」
 婆「ハア、それからだ、其の翌日(あくるひ)の七時(なゝつさがり)であったがね、吉浜にいる知合(しりえい)を尋ねて復(また)帰(けえ)って来るから、荷物は預けて置くが、初めて来たのだからと云って、勘定をして二人が出て行ったサ、其の日長左衛門殿(どん)が山へ箱根竹(はこねだけ)イ芟(き)りに行って、日暮(ひくれ)に下りて来ると、山の下で孩児の啼声(なきごえ)がするから、魂消て行って見ると、沢の岸の、茅(かや)だの竹の生(へ)えている中に孩児が火の付いたように啼いてるから、何うしたんかと抱上げて見ると、どうだんべい、可愛そうに竹の切株(きッかぶ)が孩児の肩のところへ突刺(つッさゝ)っていたんだ、これじゃア大人でも泣かずにゃア居られねい、打捨(うちゃっ)て置こうもんならおッ死(ち)んでしまうから、長左衛門殿が抱いて帰(けえ)って訳え話したから、おさなさんも魂消て、吉浜の医者どんを呼びにやるやらハア村中の騒ぎになったから、私(わし)が行って見ると、藤屋の客人の子だから、直(すぐ)に帰(けえ)って何処の人だか手掛(てがゝり)イ見付けようと思って客人が預けて行った荷物を開けて見ると、梅醤(うめびしお)の曲物(まげもの)と、油紙(あぶらッかみ)に包んだ孩児の襁褓(しめし)ばかりサ、そんで二人とも棄児(すてご)をしに来たんだと分ったので、直に吉浜から江の浦小田原と手分(てわけ)えして尋ねたが知んねいでしまった、何でも山越しに箱根の方へ遁(ぬ)げたこんだろうと後(あと)で評議イしたことサ、孩児は背中の疵が大(でけ)えに血がえらく出たゞから、所詮助かるめいと医者どんが見放したのを、長左衛門殿夫婦が夜も寝ねいで丹誠して、湯へ入れては疵口を湯でなでゝ看護をしたところが、効験(きゝめ)は恐ろしいもんで、六週(むまわり)も経っただねえ、大(でけ)え穴にはなったが疵口が癒ってしまって、達者になったのだ、寿命のある人は別なもんか、助かるめいと思ったお前(めい)さんが此様(こん)なに大(でか)くなったのにゃア魂消やした」
 兼「ムヽそれじゃア兄いは此の湯河原の温泉のお蔭で助かったのだな」
 長「左様(そう)だ、温泉の効能も効能だがお母や親父の手当が届いたからの事だ、他人の親でせえ其様(そん)なに丹誠してくれるのに、現在(げんぜえ)血を分けた親でいながら、背中へ竹の突通るほど赤坊(あかんぼ)を藪の中(なけ)え投(ほう)り込んで棄(すて)るとア鬼のような心だ」
 と長二は両眼に涙を浮(うか)めまして、
 長「婆さん、そうしてお前(めえ)その児を棄てた夫婦の形(なり)や顔を覚えてるだろう、何様(どん)な夫婦だったえ」
 婆「ハア覚(おべ)えていやすとも、苛(むご)い人だと思ったから忘れねいのさ、男の方は廿五六でもあったかね。商人(あきゅうど)でも職人でも無(ね)い好(い)い男で、女の方は十九か廿歳(はたち)ぐらいで色の白い、髪の毛の真黒(まっくろ)な、眼(まなこ)が細くって口元の可愛(かえい)らしい美(い)い女で、縞縮緬(しまちりめん)の小袖に私(わし)イ見たことの無(ね)い黒(くれ)え革の羽織を着ていたから、何という物だと聞いたら、八幡黒(やわたぐろ)の半纒革だと云ったっけ」
 兼「フム、少し婀娜(あだ)な筋だな、何者だろう」
 長「何者だって其様(そん)な奴に用はねえ、婆さん此の疵は癒っても乳の無(ね)いので困ったろうねえ」
 婆「そうだ、長左衞門殿(どん)とおさなさんが可愛(かわえ)がって貰い乳(ぢ)イして漸々(よう/\)に育って、其の時名主様をしていた伊藤様へ願って、自分の子にしたがね、名前(なめえ)が知んねいと云ったら、名主様が、お前(めえ)達二人の丹誠で命を助けたのだから二助としろと云わしゃった、何がさて名主様が命名親(なつけおや)だんべい、サア村の者が可愛(かわえ)がるめいことか、外へでも抱いて出ると、手から手渡しで、村境(むらざかい)まで行ってしまう始末さ、私(わし)らも宜(よ)く抱いて守(もり)をしたんだが、今じゃア大(でか)くなってハア抱く事ア出来ねい」
 兼「冗談じゃアねえ、今抱かれてたまるものかナ……そうだが兄い……不思議な婆さんに逢ったので、思いがけねえ事を聞いたなア」
 長「ウム、初めて自分の身の上を知った、道理で此の疵のことをいうとお母が涙ぐんだのだ……兼(かね)……己の外聞(げいぶん)になるから此の事ア決して他(ひと)に云ってくれるなよ」

        十

 長「婆さん、お願いだからお前(めえ)も己のことを此家(こっち)の人達へ内(ねえ)しょにしていてくんなせえ……これは己の少(ちい)さい時守をしてくんなすったお礼だ」
 とまた幾許(いくら)か金を包んで遣りますと、婆さんは大喜びで、
 婆「此様(こんな)に貰っちゃア気の毒だが、お前(めえ)さんも出世イして、斯(こ)んな身分になって私(わし)も嬉しいからお辞儀イせずに戴きやす……私イ益(えき)もねいこんだ、お前さんのことを何で他(ひと)に話すもんかね、気遣(きづけ)えしねいが宜(え)い」
 長「何分頼むよ、お前(めえ)のお蔭で委(くわ)しい事が知れて有難(ありがて)え……ムヽそうだ、婆さん、お前その、長左衛門の先祖の墓のある寺を知ってるか」
 婆「知ってますよ、泉村(いずみむら)の福泉寺(ふくせんじ)様だア」
 長「泉村とア何方(どっち)だ、遠いか」
 婆「なアにハア十二丁べい下(しも)だ、明日(あす)私(わし)が案内しますべいか」
 長「それには及ばねえよ」
 婆「左様(そう)かね、そんなら私(わし)イ下へめえりやすよ、用があったら何時でも呼ばらッしゃい」
 と婆さんが下へ降りて行った後(あと)で、長二は己を棄てた夫婦というは何者であるか、又夫婦喧嘩の様子では、外に旦那という者があるとすれば、此の男と馴合(なれあい)で旦那を取って居たものか、但(たゞ)しは旦那というが本当の亭主で、此の男が奸夫(かんぷ)かも知れず、何(なん)にいたせ尋常の者でない上に、無慈悲千万な奴だと思いますれば、真(まこと)の親でも少しも有難くございません、それに引換え、養い親は命の親でもあるに、死ぬまで拾(ひろい)ッ子ということを知らさず、生(うみ)の子よりも可愛がって養育された大恩の、万分一も返す事の出来なかったのは今さら残念な事だと、既往(こしかた)を懐(おも)いめぐらして欝(ふさ)ぎはじめましたから、兼松が側(はた)から種々(いろ/\)と言い慰めて気を散じさせ、翌日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗(そうどうしゅう)で、清谷山(せいこくざん)福泉寺と申して境内は手広でございますが、土地の風習で何(いず)れの寺にも境内には墓所(はかしょ)を置きませんで、近所の山へ葬りまして、回向(えこう)の時は坊さんが其の山へ出張(でば)る事ですから、長二も福泉寺の和尚に面会して多分の布施を納め、先祖の過去帳を調べて両親の戒名を書入れて貰い、それより和尚の案内で湯河原村の向山にある先祖の墓に参詣いたしたので、婆さんは喋りませんが、寺の和尚から、藤屋の客は棄児の二助だということが近所へ知れかゝって来ましたから、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬(はじめ)に江戸へ立帰りました。さて長二はお母が貧乏の中で洒(すゝ)ぎ洗濯や針仕事をして養育するのを見かね、少しにても早くお母の手助けになろうと、十歳の時自分からお母に頼んで清兵衛親方の弟子になったのですから、親方から貰う小遣銭(こづかいぜに)はいうまでもなく、駄菓子でも焼薯(やきいも)でもしまって置いて、仕事場の隙(すき)を見て必ずお母のところへ持ってまいりましたから、清兵衞親方も感心して、他の職人より目をかけて可愛がりました。斯様(かよう)に孝心の深い長二でございますから、親の恩の有難いことは知って居りますが、今度湯治場で始めて長左衛門夫婦は養い親であるということを知ったばかりでなく、実(まこと)の親達の無慈悲を聞きましたから、殊更(ことさら)に養い親の恩が有難くなりましたが、両親とも歿(な)い後(のち)は致し方がございませんから、切(せ)めては懇(ねんごろ)に供養でもして恩を返そうと思いまして、両親の墓のある谷中三崎(さんさき)の天竜院(てんりゅういん)へまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机(きょうづくえ)磐台(きんだい)など造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風を厭(いと)わず必ず墓まいりをいたしました。

        十一

 斯様な次第でございますから、何となく気分が勝(すぐ)れませんので、諸方から種々(いろ/\)注文がありましても身にしみて仕事を致さず、其の年も暮れて文政四巳年(みどし)と相成り、正月二月と過ぎて三月の十七日は母親(おふくろ)の十三年忌に当りますから、天竜院に於(おい)て立派に法事を営み、親方の養子夫婦は勿論兄弟弟子一同を天竜院へ招待(しょうだい)して斎(とき)を饗(ふるま)い、万事滞(とゞこお)りなく相済みまして、呼ばれて来た人々は残らず帰りましたから、長二は跡に残って和尚に厚く礼を述べて帰ろうといたすを、和尚が引留めて、自分の室(へや)に通して茶などを侑(すゝ)めながら、長二が仏事に心を用いるは至極奇特(きどく)な事ではあるが、昨年の暮頃から俄かに仏三昧(ざんまい)を初め、殊に今日の法事は職人の身分には過ぎて居(お)るほど立派に営みしなど、近頃合点(がてん)のいかぬ事種々あるが是には何か仔細のある事ならん、次第によっては別に供養の仕方もあれば、苦しからずば仔細を話されよと懇(ねんごろ)に申されますゆえ、長二も予(かね)て機(おり)もあらば和尚にだけは身の上の一伍一什(いちぶしじゅう)を打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々(かく/\)の棄児(すてご)にて、長左衛門夫婦に救われて養育を受けし本末(もとすえ)を委(くわ)しく話して居りますところへ、小坊主が案内して通しました男は、年の頃五十一二で、色の白い鼻準(はなすじ)の高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万(いとおりあいまん)の袷(あわせ)に、琉球紬(りゅうきゅうつむぎ)の下着を袷重ねにして、茶献上の帯で、小紋の絽(ろ)の一重羽織を着て、珊瑚(さんご)の六分珠(ろくぶだま)の緒締(おじめ)に、金無垢の前金物(まえがなもの)を打った金革の煙草入は長門の筒差(つゝざし)という、賤(いや)しからぬ拵えですから、長二は遠慮して片隅の方に扣(ひか)えて居(お)ると、其の男は和尚に雑(ざっ)と挨拶して布施を納め、一二服煙草を呑んで本堂へお詣(まい)りに行きました。其の容体(ようだい)が頗(すこぶ)る大柄(おおへい)ですから、長二は此様(こん)な人に話でもしかけられては面倒だ、此の間に帰ろうと思いまして暇乞(いとまごい)を致しますと、和尚は又其の人に長二を紹介(ひきあわ)して出入場(でいりば)にしてやろうとの親切心がありますから、
 和「まア少しお待ちなさい、今のお方は浅草鳥越(とりこえ)の龜甲屋(きっこうや)幸兵衛(こうべえ)様というて私(わし)の一檀家じゃ、なか/\の御身代で、苦労人の上に万事贅沢にして居られるから、お近附になって置くが好(え)い」
 長「へい有難うございますが、少し急ぎの仕事が」
 和「今日は最(も)う仕事は出来はすまい、ムヽ仕事と云えば私(わし)も一つ煙草盆を拵(こさ)えてもらいたいが、何ういうのが宜(え)いかな……これは前住(せんじゅう)が持って居ったのじゃが、暴(あろ)うしたと見えて此様(こない)に毀(こわ)れて役にたゝんが、落板(おとし)はまだ使える、此の落板に合わして好(え)い塩梅に拵えてもらいたいもんじゃ」

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