菊模様皿山奇談
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著者名:三遊亭円朝 

作「これ權六、どうも怪(け)しからん奴だて手前は何か気でも違ったか、狂気致したに相違ない、此皿(これ)は一枚毀(こわ)してさえも指一本を切るという大切な品を、二拾枚一時(いちじ)に砕くというのは実に怪しからん奴だ、さ何ういう心得か、御先祖の御遺言状(おかきもの)に対しても棄置かれん、只今此の処に於いて其の方の首を斬るから左様心得ろ、權六を取遁(とりにが)すな」
 と烈(はげ)しき下知に致方(いたしかた)なく、家の下僕(おとこ)たちがばら/\/\と權六の傍へ来て見ますと、權六は少しも驚く気色もなく、縁側へどっさりと腰を掛けまして作左衞門の顔をしげ/\と見て居りましたが、
權「旦那さま、貴方(あんた)は実にお気の毒さまでごぜえます」
作「なに……いよ/\此奴(こやつ)は狂気致して居(お)る、手前気の毒ということを存じて居(お)るかい、此の皿を二十枚砕くと云うのは……予(かね)て御先祖よりの御遺言状(おかきもの)の事も少しは聞いているじゃアないか、仮令(たとえ)気違でも此の儘には棄置かんぞ」
權「はい、私(わし)ア気も違いません、素(もと)より貴方(あんた)さまに斬られて死ぬ覚悟で、承知して大事(でえじ)のお皿を悉皆(みんな)打毀(ぶちこわ)しました、もし旦那さま、私ア生国(もと)は忍(おし)の行田(ぎょうだ)の在で生れた者でありやすが、少(ちい)さい時分に両親(ふたおや)が亡(なく)なってしまい、知る人に連れられて此の美作国(みまさかのくに)へ参(めえ)って、何処(どこ)と云って身も定まりやしねえで居ましたが、縁有って五年前(あと)当家(こゝ)へ奉公に参(めえ)りまして、長(なげ)え間お世話になり、高(たけ)え給金も戴きました、お側にいて見れば、誠にどうも旦那さまは衆人(ひと)にも目をかけ行届きも能く、どうも結構な旦那さまだが、此の二十枚の皿が此処(こゝ)の家(うち)の害(げえ)だ、いや腹アお立ちなさるな、私は逃匿(にげかく)れはしねえ、素(もと)より斬られる覚悟でした事だが、旦那さま、あんた此の皿はまア何で出来たものと思召(おぼしめ)します、私ア土塊(つちっころ)で出来たものと考(かんげ)えます、それを粗相で毀したからとって、此の大事(でえじ)な人間の指い切るの、足い切るのと云って人を不具(かたわ)にするような御遺言状(おかきもの)を遺(のこ)したという御先祖さまが、如何(いか)にも馬鹿気た訳だ」
作「黙れ、先祖の事を悪口(あっこう)申し、尚更棄置かんぞ」
權「いや棄置かねえでも構わねえ、素(もと)より斬られる覚悟だから、併(しか)し私(わし)だって斬られめえと思えば、あんた方親子二人がゝりで斬ると云っても、指でも附けさせるもんじゃアねえ、大(でっ)けい膂力(ちから)が有るが、御当家(こちら)へ米搗奉公をしていて、私ア何も知んねえ在郷(ざいご)もんで、何の弁別(わきめえ)も有りやしねえが、村の神主さまのお説教を聴きに行(ゆ)くと、人は天(あめ)が下の霊物(みたまもの)で、万物の長だ、是れより尊(とうと)いものは無い、有情物(いきあるもの)の主宰(つかさ)だてえから、先(ま)ず禁裏さまが出来ても、お政治をなさる公方様が出来ても、此の美作一国の御領主さまが出来やしても、勝山さまでも津山さまでも、皆人間が御政治(ごせいじ)を執(と)るのかと私は考(かんげ)えます、皿が政治を執ったてえ話は昔から聞いた事がねえ、何様(どん)な器物(もの)でも人間が発明して拵(こしら)えたものだ、人間が有ればこそ沼ア埋めたり山ア掘崩したり、河へ橋を架けたり、田地田畠(でんじでんばた)を開墾(けえこん)するから、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、168-6]も実って、貴方様(あんたさま)も私も命い継(つな)いで、物を喰って生きていられるだア、其の大事(でえじ)なこれ人間が、粗相で皿ア毀したからって、指を切って不具(かたわ)にするという御先祖様の御遺言(ごゆいごん)を守るだから、私ア貴方(あんた)を悪くは思わねえ、物堅(ものがて)え人だが余(あんま)り堅過ぎるだ、馬鹿っ正直というのだ、これ腹ア立っちゃアいけねえ/\、どうせ一遍腹ア立ってしまって、然(そ)うして私を打斬(ぶっき)るが宜うがすが、それを貴方が守ってるから、此の村ばっかりじゃアない、近郷の者までが貴方の事を何と云う、あゝ東山は偉い豪士(ごうし)だが、家(いえ)に伝わる大事(でえじ)な宝物(たからもの)だって、それを打毀(ぶちこわ)せば指い切るの足い切るのって、人を不具(かたわ)にする非道な事をする、東山てえ奴は悪人だと人に謂(い)わせるように、御先祖さまが遺言状(かきつけ)を遺(のこ)したアだね、然うじゃアごぜえませんか、乃(そこ)でどうも私も奉公して居(い)るから、人に主人の事を悪党だ非道だと謂われゝば余(あん)まり快くもごぜえません、御先祖さまの遺言が有るから、貴方はそれを守り抜いてゝ、証文を取って奉公させると、中には又喰うや喰わずで仕様がねえ、なに指ぐらい打切(ぶちき)られたって、高(たけ)え給金を取って命い継(つな)ごう、なに指い切ったってはア命には障らねえからって、得心して奉公に来て、つい粗相で皿を打毀(ぶちこわ)すと、親から貰った大切(でえじ)な身体に疵うつけて、不具(かたわ)になるものが有るでがす、実にはア情(なさけ)ねえ訳だね、それも皆(みん)な此の皿の科(とが)で、此の皿の在(あ)る中(うち)は末代までも止まねえ、此の皿さえ無ければ宜(い)いと私は考えまして、疾(とう)から心配(しんぺえ)していました、所で聞けば、お千代どんは齢(とし)もいかないのに母(かゝ)さまが塩梅(あんばい)が悪(わり)いって、良(い)い薬を飲まねば癒らない、どうか母さまを助けたい、仮令(たとえ)指を切られるまでも奉公して人参を買うだけの手当をしてえと、親子相談の上で証文を貼り、奉公に来た者を今指い切られる事になって、誠にはア可愛そうにと思ったから、私が此の二十枚の皿を悉皆(みんな)打砕(ぶっくだ)いたが、二十人に代って私が一人死ねば、余(あと)の二十人は助かる、それに斯うやって大切(でえじ)な皿だって打砕(ぶちくだ)けば原(もと)の土塊(つちッころ)だ、金だって銀だって只形を拵えて、此の世の中の手形同様に取遣(とりや)りをするだけの物と考(かんげ)えます、金だって銀だって人間程大切(たいせつ)な物でなえから、お上(かみ)でも人間を殺せば又其の人を殺す、それでも尚(な)お助けてえと思う心があるので、何とやらさまの御法事と名を付けて助かる事もありやす、首を打斬(ぶっき)る奴でも遠島で済ませると云うのも、詰り人間が大切だから、お上でも然うして下さるのだ、それを無闇に打斬(ぶちき)るとは情ねえ話だ、あなたの御先祖さまは東山将軍義政さまから戴いた、東山という大切な御苗字だという事は米を搗きながら蔭で聞いて知って居ますが、あの東山は非道だ、土塊(つちッころ)と人間と同じ様に心得ていると云われたら、其の東山義政のお名前までも汚(けが)すような事になって、貴方(あんた)は済むめえかと考(かんげ)えますが、何卒(どうか)して此の風儀を止めさせてえと思っても、他に工夫が無(ね)えから、寧(いっ)そ禍(わざわい)の根を絶とうと打砕(ぶっくだ)いてしまっただ、私一人死んで二十人助かれば本望でがす、私も若(わけ)え時分には、心得違(こころえちげ)えもエラ有りましたが、漸(ようや)く此の頃本山寺(ほんざんじ)さまへ行って、お説法を聞いて、此の頃少し心も直って参(めえ)りましたから、大勢の人に代って私一人死にます、どうか其の代り、お千代さんを助けてやって下せえまし、親孝行な此様(こん)な人は国の宝で土塊(つちッころ)とは違います、さ私を斬って下せえまし、親戚(みより)兄弟親も何も無(ね)え身の上だから、別に心を置く事もありません、さ、斬っておくんなせえまし」
 と沓脱石(くつぬぎいし)へピッタリ腰をかけ、領(えり)の毛を掻上げて合掌を組み、首を差伸ばしまして、口の中で、
權「南無阿弥陀仏/\/\/\/\/\/\」
 斯(かゝ)る殊勝(しゅしょう)の体(てい)を見て、作左衞門は始めて夢の覚めたように、茫然として暫く考え、
作「いや權六許してくれ、どうも実に面目次第もない、能(よ)く毀してくれた、あゝ辱(かたじ)けない、真実な者じゃ、なアる程左様……これは先祖が斯様な事を書遺(かきのこ)しておいたので、私(わし)の祖父(じゞい)より親父も守り、幾代となく守り来(きた)っていて、中指を切られた者が既に幾人(いくたり)有ったか知れん、誠に何とも、ハヤ面目次第もない、權六其方(そなた)が無ければ末世末代東山の家名は素(もと)より、其方の云う通り慈昭院(じしょういん)殿(東山義政公の法名)を汚す不忠不義になる所であった、あゝ誠に辱ない、許してくれ、權六此の通り……作左衞門両手を突いて詫るぞ、宜くマ思い切って命を棄て、私の家名を汚さんよう、衆人(ひと)に代って斬られようという其の志、実に此の上もない感服のことだ、あゝ恥入った、実に我が先祖は白痴(たわけ)だ、斯様な事を書遺すというは、許せ/\」
 と縁先へ両手をついて詫びますと、傍に聞いて居りました忰の長助が、何と思ったかポロリと膝へ涙を落して、權六の傍へ這ってまいりました。
長「權六、あゝー誠に面目次第もない、中々其方(そなた)を殺すどころじゃアない、私(わし)が生きては居(い)られん、お千代親子の者へ対しても面目ないから、私が死にます」
 と慌(あわ)てゝ短刀を引き抜き自害をしようとするから、權六が驚いて止めました。

        八

 權六は長助の顔を視(み)つめまして、
權「貴方(あんた)何をなさりやアす」
長「いや面目ないが、実は此の皿を毀したのはお父様(とっさま)、此の長助でございます」
作「なに……」
長「唯今此の權六に当付けられ、実に其の時は赤面致しましたけれども、誰(たれ)も他に知る気遣いは有るまいと思いましたが、実はお千代に恋慕を云いかけたを恥(はじ)しめられた恋の意趣(いし)、お千代の顔に疵を付け、他(た)へ縁付(えんづき)の出来ぬようにと存じまして、家の宝を自分で毀し、其の罪を千代に塗付けようとした浅ましい心の迷い、それを權六が存じて居りながら、罪を自分の身に引受けて衆人(しゅうじん)を助けようという心底、実に感心致しました、それに引換え私(わたくし)の悪心面目もない事でございますから……」
作「暫く待て/\」
權「若旦那様、まゝお待ちなせえまし、貴方(あんた)が然(そ)う仰しゃって下されば、權六は今首を打斬(ぶっき)られても名僧智識の引導より有難く受けます、何卒(どうぞ)お願(ねげ)えでごぜえますから私(わし)が首を……」
作「どう致して、手前は世の中の宝だ、まゝ此処(これ)へ昇(あが)ってくれ」
 と是れから無理やりに權六の手を把(と)って、泥だらけの足のまゝ畳の上へ上げ、段々お千代母子(おやこ)にも詫びまして、百両(此の時(ころ)だから大したもので)取り出して台に載せ、
作「何卒(どうぞ)此の事を世間へ言わんよう、内聞にしてくれ」
 と云うと、母子(おやこ)とも堅いから金を受けません、それでは困ると云うと。
權「そんなら私(わし)が志(こゝろざ)しが有りますから、此のお金をお貰い申し、昨年から引続きまして、当御領地の勝山、津山、東山村の辺は一体に不作でごぜえまして、百姓も大分(だいぶ)困っている様子でございますから、何うか施しを出したいものでがす、それに此の皿のために指を切られたり、中には死んだ者も有りましょうから、どうか本山寺様で施餓鬼(せがき)を致し、乞食(こつじき)に施行(せぎょう)を出したいと思います」
作「あゝ、それは感心な事で、入費の処は私(わし)も出そう」
 と云うので、本山寺という寺へまいりまして、和尚さまに掛合いますと、方丈も大きに感心して、そんならばと、是れから大施餓鬼(おおせがき)を挙げました。多分に施行も出しました事でございまして、彼(か)の砕けた皿を後世のためにと云うので、皿山の麓方(ねがた)のこんもりとした小高き処へ埋(うず)めて、標(しる)しを建て、これを小皿山(こざらやま)と[#「小皿山と」は底本では「小皿山を」]名づけました。此の皿山は人皇(にんのう)九十六代後醍醐天皇(ごだいごてんのう)、北條九代の執権(しっけん)相摸守高時(さがみのかみたかとき)の為めに、元弘(げんこう)二年三月隠岐国(おきのくに)へ謫(てき)せられ給いし時、美作の国久米の皿山にて御製(ぎょせい)がありました「聞き置きし久米の皿山越えゆかん道とはさらにおもひやはせむ」と太平記に出てありますと、講談師の放牛舎桃林(ほうぎゅうしゃとうりん)に聞きましたが、さて此の事が追々世間に知れて来ますと、他人(ひと)が尊(とうと)く思い、尾に尾を付けて云い囃(はや)します。時に明和(めいわ)の元年、勝山の御城主にお成りなさいました粂野美作守さまのお城普請(しろぶしん)がございまして、人足を雇い、お作事(さくじ)奉行が出張(でば)り、本山寺へ入らっしゃいまして方々御見分が有ります。其の頃はお武家を大切にしたもので、名主年寄始め役人を鄭重(ていちょう)に待遇(もてな)し、御馳走などが沢山出ました。話の序(ついで)に彼(か)の皿塚の事をお聞きになりまして、山川廣(やまかわひろし)という方が感心なされて、
山「妙な奴もあるものだ、其の權六という者は何処(どこ)に居(お)る」
 とお尋ねになりますと、名主が、
名「へえ、それは当時遠山と申す浪人の娘のお千代と云う者と夫婦になりまして、遠山の家名を相続して居ります、至って醜男(ぶおとこ)で、熊のような、毛だらけな男でございますが、女房はそれは/\美くしい女で、權六は命の親なり、且(かつ)其の気性に惚れて夫婦になりたいと美人から望まれ、即(すなわ)ち東山作左衞門が媒妁人(なこうど)で夫婦になり親子睦ましく暮して居ります、東山のつい地面内へ少しばかりの家を貰って住んで、農業を致し、親子の者が東山のお蔭で今日では豊かに暮して居ります」
 と聞いて廣は猶々(なお/\)床(ゆか)しく思い、会いたいと申すのを名主が、
名「いえ中々一国(いっこく)もので、少しも人に媚(こび)る念がありませんから、今日(こんにち)直(すぐ)と申す訳には参りません」
 というので、是非なく山川も一度(ひとたび)お帰りになりまして、美作守さまの御前に於(おい)て、自分が実地を践(ふ)んで、何処(どこ)に何ういう事があり、此処(こゝ)に斯ういう事があったとお物語を致し、彼(か)の權六の事に及びますと、美作守さま殊の外(ほか)御感心遊ばされて、左様な者なら一大事のお役に立とうから召抱えて宜かろうとの御意がござりましたので、山川は早速作左衞門へ係(かゝ)ってまいりました。其の頃は御領主さまのお抱えと云っては有難がったもので、作左衞門は直(すぐ)に權六を呼びに遣(つか)わし、
作「是れは權六、来たかえ、さア此方(こっち)へ入(はい)んな」
權「はい、ちょっくら上(あが)るんだが、誠に御無沙汰アしました、私(わし)も何かと忙しくってね」
作「此の間中お母(っか)さんが塩梅が悪いと云ったが、最(も)う快(よ)いかね」
權「はい、此の時候の悪いので弱え者は駄目だね、あなた何時(いつ)もお達者で結構でがす」
作「扨(さ)て權六、まア此の上もない悦び事がある」
權「はい、私(わし)もお蔭で喰うにゃア困らず、彼様(あんな)心懸の宜(い)い女を嚊(かゝあ)にして、おまけに旦那様のお媒妁(なこうど)で本当は彼(あ)のお千代も忌(いや)だったろうが、仕方なしに私の嚊に成っているだアね」
作「なに否(いや)どころではない、貴様の心底を看抜(みぬ)いての上だから、人は容貌(みめ)より唯(たゞ)心じゃ、何しろ命を助けてくれた恩人だから、否応なしで」
權「併(しか)し夫婦に成って見れば、仕方なしにでも私(わし)を大事にしますよ」
作「今此処(こゝ)で惚(のろ)けんでも宜(よ)い兎に角夫婦仲が好(よ)ければ、それ程結構な事はない、時に權六段々善い事が重なるなア」
權「然(そ)うでございます」
作「知っているかい」
權「はい、あのくらい運の宜(い)い男はねえてね、民右衞門(たみえもん)さまでございましょう、無尽(むじん)が当って直(すぐ)に村の年寄役を言付かったって」
作「いや左様(そう)じゃアない、お前だ」
權「え」
作「お前が倖倖(しあわせ)[#「倖倖」は「僥倖」の誤記か]だと云うは粂野美作守様からお抱えになりますよ、お召しだとよ」
權「へえ有難うごぜえます」
作「なにを」
權「まだ腹も空(す)きませんが」
作「なに」
權「お飯(めし)を喰わせるというので」
作「アハ……お飯ではない、お召抱えだよ」
權「えゝ然(そ)うでござえますか、藁の中へ包んで脊負(しょ)って歩くのかえ」
作「なにを云うんだ、勝山の御城主二万三千石の粂野美作守さまが小皿山の一件を御重役方から聞いて、貴様を是非召抱えると云うのだが、人足頭が入(い)るというので、貴様なら地理も能(よ)く弁(わきま)えて居って適当で有ろうというのだ、初めは棒を持って見廻って歩くのだが、江戸屋敷の侍じゃアいかないというので、お召抱えになると、今から直(すぐ)に貴様は侍に成るんだよ」
權「はゝゝそりゃア真平(まっぴら)御免だよ」
作「真平御免という訳にはいかん、是非」
權「是非だって侍には成れませんよ、第一侍は字い知んねえば出来ますめえ、また剣術も知らなくっちゃア出来ず、それに私(わし)ゃア馬が誠に嫌(きれ)えだ、稀(たま)には随分小荷駄(こにだ)に乗(のっ)かって、草臥(くたびれ)休めに一里や二里乗る事もあるが、それでせえ嫌えだ、矢張(やっぱり)自分で歩く方が宜(い)いだ、其の上いろはのいの字も書くことを知らねえ者が侍(さむれえ)に成っても無駄だ」
作「それは皆先方(むこう)さまへ申し上げてある、山川廣様というお方に貴様の身の上を話して、学問もいたしません、剣術も心得ませんが、膂力(ちから)は有ります、人が綽名(あだな)して立臼(たてうす)の權六と申し、両手で臼を持って片附けますから、あれで力は知れますと云ってあるが、其の山川廣と云うのはえらい方だ」
權「へえ、白酒屋(しろざけや)かえ」
作「山川廣(口の中(うち)にて)山川白酒と聞違えているな」
權「へえー其の方が得心で、粂野さまの御家来になるだね」
作「うん、下役(したやく)のお方だが、今度の事に就いては其の上役(うわやく)お作事奉行が来て居ますよ、有難い事だのう」
權「有難い事は有難いけんども、私(わし)ゃア無一国(むいっこく)な人間で、忌(いや)にお侍(さむれえ)へ上手を遣(つか)ったり、窮屈におっ坐(つわ)る事が出来ねえから、矢張(やっぱり)胡坐(あぐら)をかいて草臥(くたび)れゝば寝転び、腹が空(へ)ったら胡坐を掻いて、塩引の鮭(しゃけ)で茶漬を掻込(かっこ)むのが旨(うめ)えからね」
作「其様(そんな)ことを云っては困る、是非承知して貰いたい」
權「兎に角母にも相談しましょう、お千代は否(いや)と云いますめえが、お母(ふくろ)も有りますし、年い老(と)っているから、貴方(あんた)から安心の往(い)くように話さんじゃア承知をしません、だから其の前に私(わし)がお役人さまにも会って、是れだけの者だがそれで勤まる訳なら勤めますとお前さまも立会って証人に成って、三人鼎足(みつがなわ)で緩(ゆっ)くら話しをした上にしましょう」
作「鼎足という事はありませんよ、宜しい、それではお母(ふくろ)には私(わし)が話そうから、直(すぐ)に呼んだら宜かろう」
 とこれから母を呼んで段々話をしましたが、もと遠山龜右衛門という立派な侍の御新造に娘ゆえ大いに悦び、
母「お屋敷へお抱えに成るとは此の上ない結構な事で」
 と早速承知を致しましたので、是れからお抱えに成りましたが、私(わたくし)は頓と心得ませんが、棒を持って見廻って歩き、大した高ではございません、十石三人扶持、御作事方賄(まかな)い役と申し、少禄では有りますが、段々それから昇進致す事になるので、僅(わずか)でも先(ま)ず高持(たかもち)に成りました事で、毎日棒を持って歩きますが、一体勉強家でございまして、少しも役目に怠りはございません、誠に宜く働き、人足へも手当をして、骨の折れる仕事は自分が手伝いを致して居りました。此の事が御重役秋月喜一郎(あきづききいちろう)というお方の耳に入りどうか權六を江戸屋敷へ差出して、江戸詰の者に見せて、惰(なま)け者の見手本(みでほん)にしたいと窃(ひそ)かに心配をいたして居ります。

        九

 粂野美作守さまの御舎弟に紋之丞前次(もんのじょうちかつぐ)さまと云うが有りまして、当時(そのころ)美作守さまは御病身ゆえ御控えに成って入らっしゃるが、前(ぜん)殿さまの御秘蔵の若様でありましたから、御次男でも中々羽振りは宜うございますが、誠に武張ったお方ゆえ武芸に達しておられますので、馬を能(よ)く乗るとか、槍を能く使うとか云う者があると、近付けてお側を放しません。所で件(くだん)の權六の事がお耳に入りますと、其の者を予が傍(そば)へ置きたいとの御意ゆえ、お附の衆から老臣へ申し立て、上(かみ)へも言上(ごんじょう)になると、苦しゅうないとの御沙汰(ごさた)で、至急に江戸詰を仰付けられたから、母もお千代も悦びましたが、悦ばんのは遠山權六でございます。窮屈で厭(いや)だと思いましたが、致し方がありませんから、江戸谷中(やなか)三崎(さんさき)の下屋敷(しもやしき)へ引移ります。只今は開けまして綺麗に成りましたが、其の頃梅を大層植込み、梅の御殿と申して新らしく御普請が出来て、誠にお立派な事でございます。前次様は權六が江戸着という事をお聞きになると、至急に会いたいから早々呼出せという御沙汰でございます。是れから物頭(ものがしら)がまいりまして、段々下話(したばなし)をいたし、權六は着慣れもいたさん麻上下(あさがみしも)を着て、紋附とは云え木綿もので、差図(さしず)に任せお次まで罷(まか)り出(い)で控えて居ります。外村惣江(とのむらそうえ)と申すお附頭(つきがしら)お納戸役(なんどやく)川添富彌(かわぞいとみや)、山田金吾(やまだきんご)という者、其の外(ほか)御小姓が二人居ります。侍分(さむらいぶん)の子で十三四歳ぐらいのが附いて居り、殿様はきっと固く鬢(びん)を引詰(ひッつ)めて、芝居でいたす忠臣蔵の若狭之助(わかさのすけ)のように眼が吊(つる)し上っているのは、疳癪持(かんしゃくもち)というのではありません。髪を引詰めて結うからであります、誠に活溌な良い御気象の御舎弟さまで、
小姓「えゝ、お召によりまして權六お次まで控えさせました」
前「あゝ富彌、早速其の者を見たいな、ずっと連れてまいって予に見せてくれ、余程勇義なもので、重宝(じゅうほう)の皿を一時(いちじ)に打砕いた気象は実に英雄じゃ、感服いたした早々此処(これ)へ」
富「えゝ、田舎育ちの武骨者ゆえ、何とお言葉をおかけ遊ばしても御挨拶を申し上ぐる術(すべ)も心得ません無作法者で、実に手前どもが会いましても、はっと思います事ばかりで、何分にも御前体(ごぜんてい)へ罷出(まかりい)でましたら却(かえ)って御無礼の義を……」
前「いや苦しゅうない、無礼が有っても宜しい、早く会いたいから呼んでくれ、無礼講じゃ、呼べ/\」
富「はっ/\權六/\」
權「はい」
富「お召しだ」
權「はい、おめしと云うのは御飯(おまんま)を喰うのではない、呼ばれる事だと此の頃覚えました」
富「其様(そん)な事を云ってはいかん、極(ごく)御疳癖が強く入(いら)っしゃる、其の代り御意に入(い)れば仕合せだよ」
權「詰り気に入られるようにと思ってやる仕事は出来ましねえ」
富「其様なことを云ってはいかん、何でも物事を慇懃(いんぎん)に云わんければなりませんよ」
權「えゝ彼処(あすこ)で隠元小角豆(いんげんさゝぎ)を喰うとえ」
富「丁寧に云わんければならんと云うのだ」
權「そりゃア出来ねえ、此の儘にやらして下せえ」
富「此の儘、困りましたなア、上下(かみしも)の肩が曲ってるから此方(こっち)へ寄せたら宜かろう」
權「之れを寄せると又此方へ寄るだ、懐へこれを納(い)れると格好が宜(い)いと、お千代が云いましたが、何にも入(へい)っては居ません」
富「此の頃は別して手へ毛が生えたようだな」
權「なに先(せん)から斯ういう手で、毛が一杯(いっぺい)だね、足から胸から、私(わし)の胸の毛を見たら殿様ア魂消(たまげ)るだろう」
富「其様な大きな声をするな、是から縁側づたいにまいるのだ、間違えてはいかんよ、彼処(あれ)へ出ると直(すぐ)にお目見え仰せ付けられるが、不躾(ぶしつけ)に殿様のお顔を見ちゃアなりませんよ」
權「えゝ」
富「いやさ、お顔を見てはなりませんよ、頭(かしら)を擡(あげ)ろと仰しゃった時に始めて首を上げて、殿様のお顔をしげ/″\見るのだが、粗□(ぞんざい)にしてはなりませんよ」
權「そんならば私(わし)を呼ばねえば宜(い)いんだ」
富「さ、私(わし)の尻に尾付(くッつ)いてまいるのだよ曲ったら構わずに……然(そ)う其方(そっち)をきょと/\見て居ちゃアいかん、あ痛い、何だって私の尻へ咬付(くいつ)いたんだ」
權「だってお前(めえ)さん尻へ咬付(くッつ)けって」
富「困りますなア」
 と小声にて小言を云いながら御前へ出ました。富彌は慇懃に両手を突き、一礼して、
富「へい、お召に依って權六罷出(まかりで)ました、お目見え仰付けられ、權六身に取りまして此の上なく大悦(たいえつ)仕(つかまつ)り、有難く御礼(おんれい)申上げ奉ります」
殿「うん權六、もっと進め/\」
 と云いながら見ると、肩巾の広い、筋骨の逞(たくま)しい、色が真黒(まっくろ)で、毛むくじゃらでございます。実に鍾馗(しょうき)さまか北海道のアイノ人(じん)が出たような様子で有ります。前次公は見たばかりで大層御意に入りました。
殿「どうも骨格が違うの、是は妙だ、權六其の方は国で衆人の為めに宝物(たからもの)を打砕いた事を予も聞いておるが、感服だのう、頭(かしら)を擡(あ)げよ、面(おもて)を上げよ、これ權六、權六、如何(いかゞ)致した、何も申さん、返答をせんの」
富「はっ、これ御挨拶を/\」
權「えゝ」
富「御挨拶だよ、お言葉を下(くだ)し置かれたから御挨拶を」
權「御挨拶だって……」
 と只きょと/\して物が云えません。
殿「もっと前へ進め、遠くては話が分らん、ずっと前へ来て、大声で遠慮なく云え、頭(かしら)を上げよ」
權「上げろたって顔を見ちゃアなんねえと云うから誠に困りますなア、何うか此の儘で前の方へ押出して貰(もれ)いてえ」
小姓「此の儘押出せと、尋常(なみ)の人間より大きいから一人の手際(てぎわ)にはいかん、貴方(あなた)そら尻を押し給え」
權「さアもっと力を入れて押出すのだ」
殿「これ/\何を致す其様(そん)なことをせんでも宜しいよ、つか/\歩いてまいれ、成程立派じゃなア」
權「えゝ、まだ頭(かしら)を上げる事はなんねえか」
殿「富彌、余り厳(やか)ましく云わんが宜(い)い、窮屈にさせると却(かえ)って話が出来ん、成程立派じゃなア、昔の勇士のようであるな」
權「へえー、なんですと」
殿「古(いにしえ)の英雄加藤清正とも黒田長政とも云うべき人物じゃ、どうも顔が違うのう」
權「へえーどうも誠に違います」
富「誠に違いますなんて、自分の事を其様な事を云うもんじゃア有りませんよ」
殿「これ/\小声で然(そ)うぐず/\云わんが宜(よ)い」
權「衆人(みんな)が然う云います、へえ嚊(かゝあ)は誠に器量が美(い)いって」
富「これ/\家内の事はお尋ねがないから云わんでも宜(よ)い」
權「だって話の序(ついで)だから云いました」
富「話の序という事がありますか」
殿「其の方生国(しょうこく)は何処(どこ)じゃ、美作ではないという事を聞いたが、左様(さよう)か」
權「何でごぜえます」
殿「生国」
權「はてな……何ですか、あの勝山在にいる医者の木村章國(きむらしょうこく)でがすか」
殿「左様ではない、生れは何処だと申すのじゃ」
權「生れは忍の行田でごぜえますが、少(ちい)せえ時分に両親が死んだゞね、それから仕様がなくって親戚(みより)頼りも無(ね)えもんでがすが、懇意な者が引張(ひっぱ)ってくれべえと、引張られて美作国(みまさかのくに)へ参(めえ)りまして、十八年の長(なげ)え間大(えか)くお世話さまでごぜえました」
富「これ/\お世話さまなんぞと云う事は有りませんよ」
權「だってお世話になったからよ」
殿「これ富彌控えて居れ、一々咎めるといかん、うん成程、武州の者で、長らく国許(くにもと)へ参って居ったか、其の方は余程力は勝れて居(お)るそうじゃの」
權「私(わし)が力は何(ど)の位あるか自分でも分りませんよ、何なら相撲でも取りましょうか」
富「これ/\上(かみ)と相撲を取るなんて」
權「だって、力が分らんと云うからさ」
殿「誠にうい奴だ、予が近くにいてくれ、予が側近くへ置け」
富「いえ、それは余り何(なん)で、此の通りの我雑(がさつ)ものを」
殿「苦しゅうない、誠に正直潔白で宜(よ)い、予が傍(そば)に居れ」
權「それは御免を願いてえもんで、私(わし)には出来ませんよ、へえ、此様(こん)な窮屈な思いをするのは御免だと初手から断ったら、白酒屋さんの、えゝ……」
殿「山川廣か」
權「あの人よ」
富「あの人よと云う事が有るかえ、上(かみ)のお言葉に背く事は出来ませんよ」
權「背くたって居(い)られませんよ」
富「居(お)られんという事は有りません、御無礼至極じゃアないか」
權「御無礼至極だって居(い)られませんよ」
殿「マ富彌控えて居れ、然う一々小言を申すな、面白い奴じゃ」
權「私(わし)ア素(もと)米搗(こめつき)で何(なん)も知んねえ人間で、剣術も知んねえし、学問もした事アねえから何うにも斯うにもお侍(さむれえ)には成れねえ人間さ、力はえらく有りますが、何でも召抱えてえと御領主さまが云うのを、無理に断れば親や女房に難儀が掛るというから、そりゃア困るが、これ/\で宜くばと己(おら)がいうと、それで宜(い)いから来いと云われ、それから参(めえ)っただねお前(めえ)さま…」
 富彌ははら/\いたしまして、
富「お前(めえ)さまということは有りませんよ、御前様(ごぜんさま)と云いなさい」
權「なに御前と云うのだえ、飯だの御膳だのって何方(どっち)でも宜(い)いじゃアないか」
殿「これ富彌止めるな、宜しいよ、お前(まえ)も御前も同じことじゃのう」
權「然うかね、其様な事は存じませんよ、それから私(わし)が此処(こゝ)の家来(けれえ)になっただね、して見るとお前様(めえさま)、私のためには大事(でえじ)なお人で、私は家来(けらい)でござえますから、永らく居る内にはお互(たげ)えに心安立(こゝろやすだ)てが出て来るだ」
富「これ/\心安立てという事がありますか」
權「するとお大名(でえみょう)は誠に疳癪持だ」
富「これ/\」
殿「富彌又口を出すか、宜しい、控えよ、実に大名は疳癪持だ、疳癪がある、それから」
權「殿様に我儘が起(おこ)れば、私(わし)にも疳癪が有りますから、主人に間違った事を云われると、ついそれから仲が悪くなります、時々逢うようにすれば、人は何となく懐かしいもので、あゝ会いたかった、宜く来たと互(たげ)えに大騒ぎをやるが、毎日(めえにち)傍にいると、私が殿様の疳癪をうん/\と気に障らねえように聞いていると、私が胡麻摺になり、□諛(へつれえ)になっていけねえ、此処にいる人に偶(たま)には些(ちっ)とぐれえ腹の立つ事があっても、主人だから仕方がねえと諦め、御前さまとか御飯(おまんま)とかいう事になって、実の所をいうと然ういう人は横着者だね」
殿「成程左様じゃ、至極左様じゃ、正道(せいどう)潔白な事じゃ、これ權六、以来予に悪いことが有ったら其の方諫言(かんげん)を致せ、是が君臣の道じゃ、宜しい、許すから居てくれ」
權「尊公(あんた)がそれせえ御承知なら居ります」
殿「早速の承知で過分に思う、併し其の方は剣道も心得ず、文字(もんじ)も知らんで、予の側に居(お)るのは、何を以て君臣の道を立て奉公を致す心得じゃ」
權「他に心得はねえが、夜夜中(よるよなか)乱暴な奴が入(へえ)るとなりませんから、私(わし)ゃア寝ずに御殿の周囲(まわり)を内証(ないしょう)で見廻っていますよ、もし狐でも出れば打殺(ぶっころ)そうと思ってます」
殿「うん、じゃが戦国の世になって戦争の起った時に、若(も)し味方の者が追々敗走して敵兵が旗下(はたもと)まで切込んでまいり、敵兵が予に槍でも向けた時は何う致す」
權「然うさね、其処(そこ)が大切だ」
殿「さ何う致して予を助ける」
權「そりゃア尊公(あんた)どうも此処に一つ」
 と權六は胸をたゝき、
「忠義という刄物が有るから、剣術は知らねえでも義という鎧を着ているから、敵が槍で尊公に突掛(つきか)けて参(めえ)れば、私(わし)ア掌(て)で受けるだ、一本脇腹へ突込まして、敵を捻(ひね)り倒して打殺(ぶちころ)してやるだ、其の内に尊公を助けて逃がすだけの仕事よ」
殿「うん成程、立派な事だ、併(しか)し然う甘(うま)く口でいう通りに行(ゆ)くかな」
權「屹度(きっと)行(や)ります、其処は主(しゅう)家来の情合だからね」
殿「うん面白い奴じゃ、然(しか)らば敵が若し斯様に致したら何うする」
 とすっと立ち上って、欄間に掛けて有りました九尺柄(え)の大身(おおみ)の槍を取って、スッ/\と二三度しごいて、
「斯様に突き掛けたら何う致す」
 と真に突いて蒐(かゝ)った時に權六が、
權「然うすれば斯う致します」
 と少しも動かずに、ジリ/\と殿様の前へ進むという正直律義の人でございます。

        十

 粂野紋之丞前次と仰しゃる方は、未だお部屋住では有りますが、勇気の優れた方で、活溌なり学問もあり、実に文武兼備と講釈師なら誉(ほめ)る立派な殿様でございますなれども、そこはお大名の疳癪で、甚(ひど)く逆らって参ると、直(すぐ)に抜打(ぬきうち)に御家来の首がコロリなどゝいう事が有るもので、只今の華族さまは開(ひら)けて在(いら)っしゃいますから、其様(そん)な野蛮な刄物三昧(はものざんまい)などはございませんが、前次様は御勇気のお方だけあって、九尺柄の大身の槍をすっと繰出した時に、權六は不意を打たれ、受くるものが有りませんから左の掌(て)で、
權「むゝ」
 と受けましたが剛(ひど)い奴で、中指と無名指(くすりゆび)の間をすっと貫かれたが、其の掌で槍の柄を捕まえて、ぐッと全身の力で引きました。前次公は蹌(よろ)めいて前へ膝を突く処を、權六が血だらけの手で捕(おさ)え付け、
權「其の時は斯う捻り倒して敵を酷(ひど)え目に遇(あ)わして、尊公(あんた)を助けるより他はねえ、何うだ、敵も魂消(たまげ)るか」
 と大力(だいりき)でグックと圧(お)すから前次公も堪(た)えかねまして、
殿「權六宥(ゆる)せ、宥せ」
 と云うは余程苦しかったと見えます。これを見るとお側に居りました川添富彌、山田金吾も驚きましたが、御側小姓の外村惣江が次の間に至り、一刀を執(と)って立上り、
惣「棄置かれん奴」
 とバラ/\/\と二人来(きた)って權六へ組付こうとするを睨(にら)み付け、
權「寄付くと打殺(ぶっころ)すぞ」
惣「斬ってしまえ、無礼至極な奴だ、御前を何と心得る、如何(いか)に物を心得んとは申しながら、余りと申せば乱暴狼藉」
 と立ちかゝるを、殿様は押されながら、
殿「いやなに惣江、手出しをする事は必ずならんぞ、權六放してくれ、あ痛い、放せ、予が悪かった、宥せ/\」
權「宥せと云って敵じゃア許せねえけれども、先(ま)ず仕方話だから許します、さ何うだね」
殿「ハッ/\」
 と殿様は稍(ようや)く起上りましたが、血だらけでございます。是は權六の血だらけの手で押付けられたから、顔から胸から血だらけで、これを見ると御家来が驚きまして、呆れて口が利けません。
殿「ハッ/\、至極道理(もっとも)だ」
權「道理だって、私(わし)が何も手出し仕たじゃアねえのに、押(おせ)えるの斬るのと此処にいる人が云うなア分んねえ、咎(とが)も報いも無(ね)えものを殿様が手出しいして、槍で突殺(つッころ)すと云うだから、敵が然うしたら斯うだと仕方話いしてお目に掛けたゞ、敵なら捻り殺すだが、仕方話で、ちょっくら此の位(くれえ)なものさ」
殿「至極正道(しょうどう)潔白な奴じゃ、勇気なものじゃ、何と申しても宜しい、予に悪い事があったら一々諫言をしてくれ、今日(きょう)より意見番じゃ、予が側を放さんぞ」
 と有難い御意で、それからいよ/\医者を呼び、疵の手当を致して遣(つか)わせと、殿様も急に血だらけですからお召替になる。大騒ぎでござります。御褒美として其の時の槍を戴きましたから、是ばかりでも槍一筋の侍で、五十石に取立てられ、頭取下役(とうどりしたやく)という事に成りましたが、更に□(へつら)いを致しませんが、堅い気象ゆえ、毎夜人知れず刀を差し、棒を提げて密(そ)っと殿様のお居間の周囲(まわり)を三度ずつ不寝(ねず)に廻るという忠実なる事は、他の者に真似は出来ません立派な行いでございます。又お供の時は駕籠に附いてまいりません。
權「私(わし)ア突張(つッぱ)ったものを着て、お駕籠の側へ付いてまいっても無駄でごぜえます、お側には剣術を知ってる立派なお役人が附いているだから、狼藉者がまいっても脇差を引抜いて防ぎましょうが、私ア其の警衛(けいえい)の方々に狼藉者が斬付けるとなんねえから、若(も)し怪しい奴が来るといかねえから私ア他の人の振(ふり)で先へめえりましょう、袴(はかま)などア穿(は)くのは廃(よ)して貰(もれ)えましょう、刀は差せと云わば仕方がねえから差しますが、私だけはお駕籠の先へぶら/\往(い)きます」
 と我儘を云うてなりませんが、左様な我儘なお供はござりませんから、權六も袴を付け、大小を差し、紺足袋(こんたび)福草履(ふくぞうり)でお前駆(さきとも)で見廻って歩きます、お中屋敷は小梅で、此処(これ)へお出でのおりも、未だお部屋住ゆえ大したお供ではございませんが、權六がお供をして上野の袴腰(はかまごし)を通りかゝりました時に、明和三年正月も過ぎて二月になり、追々梅も咲きました頃ですから、人もちら/\出掛けます。只今權六が殿様のお供をして山下の浜田と申す料理屋(今の山城屋)の前を通りかゝり、山の方(かた)の観物小屋(みせものごや)に引張る者が出て居りますが、其方(そちら)へ顔も向けず四辺(あたり)に気を附けてまいると、向うから来ました男は、年頃二十七八にて、かっきりと色の白い、眼のきょろ/\大きい、鼻梁(はなすじ)の通った口元の締った、眉毛の濃い好(い)い男で、無地の羽織を着(ちゃく)し、一本短い刀を差し、紺足袋雪駄穿(せったばき)でチャラ/\やって参りました。不図(ふと)出会うと中国もので、矢張素(も)と松平越後様の好(よ)い役柄を勤めました松蔭大之進(まつかげだいのしん)の忰、同苗(どうみょう)大藏(だいぞう)というもので、浪々中互いに知って居りますから、
權「大藏さん/\」
 と呼びますから大藏は振向いて、
大「いや是れは誠に暫らく、一別已来(いらい)[#「已来」は底本では「己来」]……」
權「うっかり会ったって知んねえ、むお変りがなくって……此処(こゝ)で逢おうとは思いませんだったが、何うして出て来たえ」
 と立止って話をして居りますから、他の若侍が、
若「これ/\權六殿/\」
權「えゝ」
若「お供先だから、余り知る人に会ったって無闇に声などを掛けてはなりませんよ」
權「はい、だがね国者(くにもの)に逢って懐かしいからね、少し先へ往っておくんなせえ、直ぐに往くと殿様に然う申しておくんなせえ、まお前(めえ)達者で宜(い)い、何処(どこ)にいるだ」
大「お前も達者で何処に居(お)らるゝか、実に立派な事で、お抱えになったことは聞いたが、立派な姿(なり)で、此の上もない事で、拙者に於ても悦ばしい[#「悦ばしい」は底本では「悦しばい」]」
權「ま悦んでくんろ、今じゃア奉公大切に勤めているだが、お前(めえ)さんは何処にいるだ」
大「拙者は根岸の日暮(ひぐれ)ヶ岡(おか)に居(お)る、あの芋坂(いもざか)を下りた処に」
權「私(わし)の処へは近(ちけ)えから些(ちっ)と遊びに来なよ、其の内私も往くから」
若「これ/\其様(そん)なことを云っては成りません」
權「今日は大将がいるから此処で別れるとしよう、泣く子と地頭にゃア勝(かた)れねえ」
 と他の家来衆も心配して彼是云いますので、其の日は別れ、翌日大藏は權六の家(うち)へまいりましたから、權六悦びました。此の大藏はもと越後守様の御家来で、遠山龜右衞門とは同じ屋敷にいた者ゆえ、母もお千代も見知りの事なれば、
「お互いに是は思い掛けない、縁と云うものは妙だ、国を出たのは昨年の秋で、貴方も国にお在(いで)のないという事は人の噂で聞きました」
大「お前も御無事で、殊(こと)に御夫婦仲も宜し、結構で」
權「まアね、お母(ふくろ)も誠に安心したし、殿様も贔屓にしてくれるだが、扶持も沢山(たんと)は要(い)らない、親子三人喰うだけ有れば宜(い)いてえに、其様な事を云わずに取って置くが宜いって、種々(いろ/\)な物をくれるだ、貰わねえと悪いと云うから、仕方なしに貰うけれども、何でも山盛り呉れるだ、喰物(くいもの)などは切溜(きりだめ)を持ってって脊負(しょ)って来(こ)ねえばなんねえだ、誠にはア有難(ありがて)え事になって、勿体ねえが、他に恩返(おんげえ)しの仕様がねえから、旦那様を大切(でえじ)に思って、不寝(ねず)に奉公する心得だが、貴方(あんた)は今の若さで遊んでいずに、何処かへ奉公でもしたら宜かろう」
大「拙者も然(そ)う思ってる、迚(とて)も国へ往ったっていけんから、何処ぞへ取付こうと思うが、御当家でお羽振の宜(い)いお方は何というお方だね」
權「私(わし)ア其様な事は知んねえ、お国家老の福原數馬(ふくはらかずま)様、寺島兵庫(てらじまひょうご)様、お側御用神原五郎治(かんばらごろうじ)様とかいう奴があるよ」
大「奴とは酷(ひど)いね」
權「それに此間(こねえだ)ちょっくら聞いたが、御当家には智仁勇の三人の家来があるとよ、渡邊織江(わたなべおりえ)さんという方は慈悲深い人だから是が仁で、秋月喜一郎(あきづききいちろう)かな是はえら剛(きつ)い人で勇よ、えゝ何とか云いッけ……戸村主水(とむらもんど)とかいう人は智慧があると云いやした、此者(これ)が羽振の宜(い)い処だ、其の人らの云う事は殿様も聴くだ、御家来に失策(しくじり)が有っても、渡邊さんや秋月さんが取做(とりな)すと殿様も赦(ゆる)すだ、秋月さんは槍奉行を勤めているが、成程剛(つよ)そうだ、身丈(せい)が高くってよ」
 と手真似をして物語る内、大藏は掌(てのひら)の底に目を附けました。

        十一

大「足下(そっか)掌(て)を何うした、穴が開いているようだが」
權「これか、是は殿様が槍を突掛(つッか)けて掌(て)で受けるか何うだと云うから、受けなくってというので、掌で受けたゞ」
大「むゝ、そうか、そして御家来の中(うち)仁は渡邊織江、勇は秋月、智は戸村、成程斯ういう事は珍らしいから書付けて往(ゆ)きましょう」
 と細かに書いて暇乞(いとまごい)を致し、帰る時に權六が門まで送り出してまいりますと、お役所から帰る渡邊に出会いましたから、權六も挨拶する事ぐらいのことは心得て居りますから、丁寧に挨拶する。渡邊も答礼して行過(ゆきす)ぎるを見済(みすま)して、
大「彼(あれ)は」
權「彼(あれ)が渡邊織江様よ、慈悲深い方で、家来に難儀いする者が有ると命懸で殿様に詫言をしてくれるだ、困るなら銭い持って行けと助けてくれると云うだ、どうも彼(あ)の人には敵(かな)わねえ」
大「成程寛仁大度(かんじんたいど)、見上げれば立派な人だね」
權「なにい、韓信(かんしん)が股ア潜(くゞ)りだと」
大「いえ中々お立派なお方だ、最(も)う五十五六にもなろうか……拙者も近い所にいるから、また度々(たび/\)お尋ね下さい、拙者も亦(また)お尋ね申します」
權「お前辛抱しなよ、お女郎買におっ溺(ぱま)ってはいかねえよ、国と違ってお女郎が方々に在(あ)るから、随分身体を大事(でえじ)にしねば成んねえ」
大「誠に辱(かたじ)けない、左様なら」
 と松蔭大藏は帰りました。其の後(ご)渡邊織江が同年の三月五日に一人の娘を連れて、喜六(きろく)という老僕(じゞい)に供をさせて、飛鳥山(あすかやま)へまいりました。尤(もっと)も花見ではない、初桜(はつざくら)故余り人は出ません、其の頃には海老屋(えびや)、扇屋(おうぎや)の他に宜(よ)い料理茶屋がありまして、柏屋(かしわや)というは可なり小綺麗にして居りました。織江殿は娘を連れて此の茶屋の二階へ上(あが)り、御酒(ごしゅ)は飲みませんから御飯(ごぜん)を上っていました。此の娘は年頃十八九になりましょうか、色のくっきり白い、鼻筋の通った、口元の可愛らしい、眼のきょろりとした……と云うと大きな眼付で、少し眼に怖味(こわみ)はありますが、是(もっと)も巾着切(きんちゃくきり)のような眼付では有りません、堅いお屋敷でございますから好(よ)い服装(なり)は出来ません、小紋の変り裏ぐらいのことで、厚板の帯などを締めたもので、お父(とっ)さまは小紋の野掛装束(のがけしょうぞく)で、お供は看板を着て、真鍮巻(しんちゅうまき)の木刀を差して上端(あがりばな)に腰をかけ、お膳に酒が一合附いたのを有難く頂戴して居ります。二階の梯子段の下に三人車座になって御酒を飲んでいる侍は、其の頃流行(はや)った玉紬(たまつむぎ)の藍(あい)の小弁慶(こべんけい)の袖口がぼつ/\いったのを着て、砂糖のすけない切山椒(きりざんしょ)で、焦茶色の一本独鈷(いっぽんどっこ)の帯を締め、木刀を差して居るものが有ります。火の燃え付きそうな髪(あたま)をして居るものも有り、大小を差した者も有り、大髷(おおたぶさ)の連中(れんじゅう)がそろ/\花見に出る者もあるが、金がないので往(ゆ)かれないのを残念に思いまして、少しばかり散財(ざんざい)を仕ようと、味噌吸物(みそずいもの)に菜のひたし物香物(こう/\)沢山(だくさん)という酷い誂(あつら)えもので、グビーリ/\と大盃(おおもの)で酒を飲んで居ります。二階では渡邊織江が娘お竹と御飯(ごぜん)が済んで、
織「これ/\女中」
下婢「はい」
織「下に従者(とも)が居(お)るから小包を持って来いと云えば分るから、然(そ)う云ってくれ」
下婢「はい畏(かしこ)まりました」
 とん/\/\と階下(した)へ下りまして、
下婢「あの、お供さん、旦那があの小さい風呂敷包を持って二階へ昇(あが)れと仰しゃいましたよ」
喜「はい畏まりました」
 と喜六と云う六十四才になる爺さんが、よぼ/\して片手に小包を提げ、正直な人ゆえ下足番が有るのに、傍(わき)に置いた主人の雪踏(せった)とお嬢様の雪踏と自分の福草履三足一緒に懐中(ふところ)へ入れたから、飴細工の狸見たようになって、梯子を上(あが)ろうとする時、微酔機嫌(ほろよいきげん)で少し身体が斜(よこ)になる途端に、懐の雪踏が辷(すべ)って落(おち)ると、間の悪い時には悪いもので、彼(か)の喧嘩でも吹掛(ふっか)けて、此の勘定を持たせようと思っている悪浪人(わるろうにん)の一人が、手に持っていた吸物椀の中へ雪踏がぼちゃりと入ったから驚いて顔を上げ、
甲「これ怪(け)しからん奴だ、やい下(おり)ろ、二階へ上(あが)る奴下ろ」
 と云いながら喜六の裾を取ってぐいと引いたから、ドヽトンと落ち、
喜「あ痛いやい……」
甲「不礼至極(ぶれいしごく)な奴だ、人が酒を飲んでいる所へ、屎草履(くそぞうり)を投込むとは何の事だ」
 と云いながら二つ三(み)つ喜六の頭を打つ喜六は頭を押えながら、
喜「あ痛い……誠に済みませんが、懐から落ちたゞから御勘弁を願(ねげ)えます」
甲「これ彼処(あすこ)に下足を預(あずか)る番人があって、銘々下足を預けて上(あが)るのに、懐へ入れて上る奴があるものか、是には何か此の方に意趣遺恨があるに相違ない」
喜「いえ意趣も遺恨もある訳じゃねえ、お前様(めえさま)には始めてお目に懸って意趣遺恨のある理由(わけ)がござえません、私(わし)は何(なん)にも知んねえ田舎漢(いなかもの)で、年も取ってるし、御馳走の酒を戴き、酔払いになったもんだから、身体が横になる機(はず)みに懐から雪踏が落ちただから、どうか御勘弁を」
 と詫びましたが、浪人は肩を怒らせまして、
甲「勘弁罷(まか)りならん、能く考えて見ろ、人の吸物の中へ斯様に屎草履を投込んで、泥だらけにして、これを何うして喰うのだ」
喜「誠に御道理(ごもっとも)……併(しか)し屎草履と仰しゃるが、米でも麦でも大概(たいげえ)土から出来ねえものはねえ、それには肥料(こやし)いしねえものは有りますめえ、あ痛い、又打ったね」
甲「なに肥料(こやし)をしないものはないが、直接(じか)に肥料を喰物(くいもの)に打(ぶっ)かけて喰う奴があるか、怪(け)しからん理由(わけ)の分らん奴じゃアないか」
乙「これ/\其様(そん)な者に何を云ったって、痛いも痒(かゆ)いも分るものじゃアない、家来の不調法は主人の粗相だから、主人が此処(こゝ)へ来て詫るならば勘弁して遣(や)ろう、それまで其の小包を此方(こちら)へ取上げて置け、なに娘を連れて年を老(と)っている奴だと、それ/\今も云う通り家来の不調法は主人の不調法だから、主人が此処へ来て、手前に成り代って詫るなれば勘弁を仕まいものでもないが、それ迄包を此方(こっち)へ預かる、一体家来の不調法を主人が詫んという事は無い」
喜「詫ん事は無いたって、私(わし)が不調法をして、旦那様を詫に出しては済みません、それに包を取上げられてしまっては旦那様に申訳がないから、どうか堪忍しておくんなせえましな、私が不調法を為(し)たんだから、二つも三つも打叩(ぶちたゝ)かれても黙って居やすんだ、人間の頭には神様が附いて居ますぞ、其処(そこ)を叩くてえ事はねえ」
甲「なに……」
 と又打(ぶ)つ。
喜「あ痛い、又打(ぶ)ったな」
甲「なにを云う、其様な小理窟ばかり云っても仕様がねえ、もっと分る奴を出せ」
喜「あ痛い……だからま一つ堪忍しておくんなせえましよ」
甲「勘弁罷りならん」
喜「勘弁ならんて、此の包を取られゝば私(わし)がしくじるだ」
甲「手前が不調法をしてしくじるのは当然(あたりまえ)だ、手前が門前払いになったて己の知った事かえ、さ此方(こっち)へ出さんか」
喜「あ……あれ……取っちまった、其の包を取られちゃア私(わし)が済まねえと云うに、あのまア慈悲知らずの野郎め」
甲「なに野郎だ……」
 と尚(な)お事が大きくなって、見ちゃア居られませんから茶屋の女中が、
下婢「鎌(かま)どんを遣(や)っておくれな」
鎌「なに斯ういう事は矢張(やッぱ)り女が宜(い)いよ」
下婢「其様なことを云わずに往っておくれよ」
鎌「客種(きゃくだね)が悪い筋だ、何(なん)かごたつこうとして居る機(はず)みだから、どうも仕様がない」
 下婢(おんな)どもがそれへ参り、
下婢「ね、あなた方」
甲「何だ、何だ手前は」
下婢「貴方(あなた)申しお供さん、お気を附けなさらないといけませんよ、貴方ね、此方(こちら)は下足番の有るのを御存じないものですから、履物(はきもの)を懐へ入れて梯子段を昇(あが)ろうとした処を、つい酔っていらっしゃるもんですから、不調法で落ちたのでしょう、実にお気の毒さま、何卒(どうぞ)ね、ま斯ういうお花見時分で、お客さまが立込んで居りますから、御機嫌を直していらっしゃいよ、何ですよう、ちょいと貴方ア」
甲「なんだ不礼至極な奴め、愛敬が有るとか器量が好(よ)いとか云うならまだしも、手前の面を見ろい、手前じゃア分らんから分る人間を出せ」
下婢「誠にどうも、あのちょいと清次(せいじ)どん」
清「そら、己の方へ来た」
下婢「取っても附けないよ、変な奴だよ」
清「女でも宜(よ)いのに、仕様がないね」
 と若い者が悪浪人(わるろうにん)の前へ来て、額へ手を当て、
若「えへゝゝ」
甲「変な奴が出て来た、手前は何だ」
若「今日(こんにち)は生憎(あいにく)主人が下町までまいって居りませんから、手前は帳場に坐っている番頭で、御立腹の処は重々御尤(ごもっとも)さまでございますが、何分にもへえ、全体お前さんが逆らっては悪い、此方(こなた)で御立腹なさるのは御尤もで仕方がない謝まんなさい、えへ……誠に此の通り何も御存じないお方で相済みませんが…」
甲「只相済まん/\と云って何う致すのだ」
若「どうか旦那さま」
甲「うん何だと、何が何うしたと、此椀(これ)を何う致すよ、只勘弁しろたって、泥ぽっけにした物が喰えるかい」
清「左様なら旦那さま、斯様致しましょう、お料理を取換えましょう、ちょいとお芳(よし)どん、是をずっと下げて、何か乙(おつ)な、ちょいとさっぱりとしたお刺身と云ったような[#「ような」は底本では「なうな」]もので、えへゝゝ」
甲「忌(いや)な奴だな、空笑(そらわら)いをしやアがって」
清「ずっとお料理を取換え、お燗の宜(よ)い処を召上り、お心持を直してお帰りを願います」
 それより他に致し方がないので、酒肴(さけさかな)を出しまして、
清「是は手前の方の不調法から出来ました事でげすから、其のお代は戴きません、皆様へ御馳走の心得で」
乙「黙れ、不礼至極なことを云うな、御馳走なんて、汝(てまえ)に酒肴(しゅこう)を振舞って貰いたいから立腹致したと心得て居(お)るか、振舞って貰いたい下心で怒(おこ)ってる次第じゃアなえぞ」
清「いえその最初(はじまり)は上げて置いて、あとで代を戴きます」
甲「汝(てまえ)では分らんもっと分る者を遣(よこ)せ」
 二階では織江殿も心配して居りますところへ、喜六が泣きながら昇(あが)ってまいりました。

        十二

 喜六は力無げに二階へ上(あが)ってまいり、
喜「はい御免下せえまし」
織「おゝ喜六か、是へ来い/\」
喜「はい、誠に何ともはア申訳のねえ事をしました、悪い奴にお包を奪(と)られて」
織「困ったものじゃアないか、何故(なぜ)草履を懐へ入れて二階へ上ったのだよ、草履を懐へ入れて上へ昇(あが)るなどという事があるかえ」
喜「はい、田舎者で何も心得ませんから」
織「何も心得んとて、先方で立腹するところは尤(もっと)もじゃアないか、喰物(くいもの)の中へ泥草履を投入れゝば、誰だって立腹致すのは当然(あたりまえ)のことじゃ、それから何う致した」
喜「へえ、三人ながら意地の悪い奴が揃ってゝ、家来の不調法は主人の不調法だから、余所目(よそめ)に見て二階に居ることはねえ、此処(これ)へまいり、成り代って詫をしたら堪忍してくれると云いまして、お包を取上げましたから、渡すめえと確(しっ)かり押えると、あんた傍に居た奴が私(わし)の頭を叩いて、無理やりに引奪(ひったく)られましたから、大切な物でも入(へえ)って居(お)ろうかと心配して居ります」
織「何も入って居らん空風呂敷(からぶろしき)ではあるが、不調法をして詫をせずに置く訳にもいかん、手前の事から己が出ると、拙者は粂野美作守家来渡邊織江と申す者でござると、斯う姓名を明かさんければならん、己の名前は兎も角も御主人の名を汚(けが)す事になっちゃア誠に済まん訳じゃアないか、手前は長く奉公しても山出しの習慣(しぐせ)が脱(ぬ)けん男だ、誠に困ったもんだの」
喜「へえ、誠に困りました、然(そ)うして私(わし)が頭ア五つくらしました」
織「打(う)たれながら勘定などをする奴が有りますか」
喜「余り口惜(くやしゅ)うございます、中央(まんなか)にいた奴の叩くのが一番痛うござえました」
織「誠に困るの」
竹「お父(とっ)さま、斯う致しましょうか、却(かえ)って先方が食酔(たべよ)って居りますところへ貴方が入らっしゃいますより、私(わたくし)は女のことで取上げもいたすまいから、私が出て見ましょうか」
織「いや、己がいなければ宜(よ)いが、己がいて其の方を出しては宜しくない」
竹[#「竹」は底本では「喜」]「いゝえ、喜六と私(わたくし)と二人で此処(こゝ)へまいりました積りで、誠に不調法を致しましたと一言申したら宜かろうと存じます、のう喜六」
喜「はい、お嬢様が出れば屹度(きっと)勘弁します、皆(みん)な助平そうなものばかりで」
織[#「織」は底本では「竹」]「こら、其様(そん)なことを云うから物の間違になるんだ」
竹「じゃア二人の積りで宜(い)いかえ、私(わたくし)は手前を連れてお寺参りに来た積りで」
喜「どうか何分にも願います」
 とお竹の後(あと)に附いて悄々(しお/\)と二階を下りる。此方(こちら)は益々哮(たけ)り立って、
甲「さア何時までべん/\と棄置くのだ、二階へ折助(おりすけ)が昇(あが)った限(ぎ)り下りて来んが、さ、これを何う致すのだ」
 と申して居(お)るところへお竹がまいり、しとやかに、
竹「御免遊ばしませ」

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