菊模様皿山奇談
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著者名:三遊亭円朝 


 大奸は忠に似て大智は愚なるが如しと宜なり。此書は三遊亭圓朝子が演述に係る人情話を筆記せるものとは雖も、其の原を美作国久米郡南条村に有名なる皿山の故事に起して、松蔭大藏が忠に似たる大奸と遠山權六が愚なるが如き大智とを骨子とし、以て因果応報有為転変、恋と無常の世態を縷述し、読む者をして或は喜び或は怒り或は哀み或は楽ましむるの結構は実に当時の状況を耳聞目撃するが如き感ありて、圓朝子が高座に上り、扨て引続きまして今晩お聞きに入れまするは、とお客の御機嫌に供えたる作り物語りとは思われざるなり。蓋し当時某藩に起りたる御家騒動に基き、之を潤飾敷衍せしものにて、其人名等の世に知られざるは、憚る所あって故らに仮設せるに因るならん、読者以て如何とす。
  明治二十四年十一月
春濤居士識

[#改ページ]



        一

 美作国(みまさかのくに)粂郡(くめごおり)に皿山という山があります。美作や粂の皿山皿ほどの眼(まなこ)で見ても見のこした山、という狂歌がある。その皿山の根方(ねがた)に皿塚ともいい小皿山ともいう、こんもり高い処がある。その謂(いわ)れを尋ねると、昔南粂郡(みなみくめごおり)の東山村(ひがしやまむら)という処に、東山作左衞門(ひがしやまさくざえもん)と申す郷士(ごうし)がありました。頗(すこぶ)る豪家(ごうか)でありますが、奉公人は余り沢山使いません。此の人の先祖は東山将軍義政(よしまさ)に事(つか)えて、東山という苗字を貰ったという旧家であります。其の家に東山公から拝領の皿が三十枚あります。今九枚残っているのが、肥後(ひご)の熊本の本願寺支配の長峰山(ちょうほうざん)随正寺(ずいしょうじ)という寺の宝物(ほうもつ)になって居ります。これは彼(か)の諸方で経済学の講釈をしたり、平天平地(へいてんへいち)とかいう機械をもって天文学を説いて廻りました佐田介石(さだかいせき)和尚が確かに見たと私(わたくし)へ話されました。何(ど)の様な皿かと尋ねましたら、非常に良い皿で、色は紫がゝった処もあり、また赤いような生臙脂(しょうえんじ)がゝった処があり、それに青貝のようにピカ/\した処もあると云いますから、交趾焼(こうちやき)のような物かと聞きましたら、いや左様(そう)でもない、珍らしい皿で、成程一枚毀(こわ)したら其の人を殺すであろうと思うほどの皿であると云いました。其の外(ほか)にある二十枚の皿を白菊と云って、極(ごく)薄手の物であると申すことですが、東山時分に其様(そん)な薄作(うすさく)の唐物はない筈、決して薄作ではあるまいと仰しゃる方もございましょうが、ちょいと触っても毀れるような薄い皿で、欠けたり割れたりして、継いだのが有るということです。此の皿には菊の模様が出ているので白菊と名づけ、あとの十枚は野菊のような色気がある処から野菊と云いました由で、此の皿は東山家伝来の重宝(ちょうほう)であるゆえ大事にするためでも有りましょう、先祖が此の皿を一枚毀す者は実子たりとも指一本を切るという遺言状をこの皿に添えて置きましたと申すことで、ちと馬鹿々々しい訳ですが、昔は其様なことが随分沢山有りましたそうでございます。其の皿は実に結構な品でありますゆえ、誰(たれ)も見たがりますから、作左衞門は自慢で、件(くだん)の皿を出しますのは、何(ど)ういうものか家例(かれい)で九月の節句に十八人の客を招待(しょうだい)して、これを出します。尤(もっと)も豪家ですから善(よ)い道具も沢山所持して居ります。殊に茶器には余程の名器を持って居りますから自慢で人に見せます。又御領主の重役方などを呼びましては度々(たび/\)饗応を致します。左様な理由(わけ)ゆえ道具係という奉公人がありますが、此の奉公人が頓(とん)と居附きません。何故(なぜ)というと、毀せば指一本を切ると云うのですから、皆道具係というと怖れて御免を蒙(こうむ)ります。そこで道具係の奉公人には給金を過分に出します。其の頃三年で拾両と云っては大した給金でありますが、それでも道具係の奉公人になる者がありません。中には苦しまぎれに、なんの小指一本ぐらい切られても構わんなどゝ、度胸で奉公にまいる者がありますが、薄作だからつい過(あや)まっては毀して指を切られ、だん/\此の話を聞伝えて奉公に参る者がなくなりました。陶器と申す物も唐土(から)には古来から有った物ですが、日本では行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が始まりだとか申します。この行基菩薩という方は大和国(やまとのくに)菅原寺(すがわらでら)の住僧(じゅうそう)でありましたが、陶器の製法を発明致されたとの事であります。其の後(ご)元祖藤四郎(とうしろう)という人がヘーシを発明致したは貞応(ていおう)の二年、開山道元(どうげん)に従い、唐土へ渡って覚えて来て焼き始めたのでございましょうが、これが古瀬戸(こせと)と申すもので、安貞(あんてい)元年に帰朝致し、人にも其の焼法(やきほう)を教えたという。是(こ)れは今(こん)明治二十四年から六百六十三年前(ぜん)のことで、又祥瑞五郎太夫(しょんずいごろだゆう)頃になりまして、追々と薄作の美くしい物も出来ましたが、其の昔足利の時代にも極(ごく)綺麗な毀れ易い薄いものが出来ていた事があります。丁度明和(めいわ)の元年に粂野美作守(くめのみまさかのかみ)高義公(たかよしこう)国替で、美作の国勝山(かつやま)の御城主になられました。その領内南粂郡東山村の隣村(りんそん)に藤原村(ふじわらむら)と云うがありまして、此の村に母子(おやこ)暮しの貧民がありました。母は誠に病身で、千代(ちよ)という十九の娘がございます、至って親孝行で、器量といい品格といい、物の云いよう裾捌(すそさば)きなり何うも貧乏人の娘には珍らしい別嬪で、他(た)から嫁に貰いたいと云い込んでも、一人娘ゆえ上げられないと云う。尤も其の筈で、出が宜しい。これは津山(つやま)の御城主、其の頃松平越後守(まつだいらえちごのかみ)様の御家来遠山龜右衞門(とおやまかめえもん)の御内室の娘で、以前は可なりな高を取りました人ゆえ、自然と品格が異(ちが)って居ります。浪人して二年目に父を失い永らくの間浪々中、慣れもしない農作や人の使いをして僅(わず)かの小畠(こはた)をもって其の日をやっと送って居(お)る内に、母が病気附きまして、娘は母に良い薬を飲ませたいと、昼は人に雇われ、夜は内職などをして種々(いろ/\)介抱に力を尽しましたが、母は次第に病が重(おも)りました。こゝに以前此の家に奉公を致していました丹治(たんじ)と申す老爺(じゞい)がありまして、時々見舞に参ります。
丹「えゝお嬢様、何うでがす今日(こんち)は……」
千「おや爺(じい)やか、まアお上りな、爺や此間(こないだ)は誠に何よりの品を有難うよ」
丹「なに碌なものでもございませんが、少しも早く母(かあ)さまの御病気が御全快になれば宜(よ)いと心配していますが、何うも御様子が宜くねえだね」
千「何うかして少しお気をお晴しなさると宜(い)いが、私はもういけない、所詮死ぬからなんて御自分の気から漸々(だん/″\)御病気を重くなさるのだから困るよ、今朝はお医者様を有難う、早速来て下すったよ」
丹「参りましたかえ、あのお医者さまはえらい人でごぜえまして、何でもはア此の近辺の者で彼(あ)の人に掛って癒(なお)らねえのはねえと云う、宅(うち)も小さくって良いお出入場(でいりば)も無(ね)えようだが、城下から頼まれて、立派なお医者さまが見放した病人を癒した事が幾許(いくら)もありやすので、諸方へ頼まれて往(ゆ)きますが、年い老(と)って居るから診(み)ようが丁寧だてえます、脉(みゃく)を診るのに両方の手を押(つか)めえて考えるのが小一時(こいっとき)もかゝって、余り永いもんだで病人が大儀だから、少し寝かしてくんろてえまで、診るそうです」
千「誠に御親切に診て下さいますけれども、爺や彼の先生の仰しゃるには、朝鮮の人参の入ってるお薬を飲ませないとお母(っか)さまはいけないと仰しゃったよ」

        二

 其の時に丹治は首を前へ出しまして、
丹「へえー何を飲ませます」
千「人参の入ってるお薬を」
丹「何(ど)のくらい飲ませるんで」
千「一箱も飲ませれば宜(よ)いと仰しゃったの」
丹「それなら何も心配は入りません、一箱で一両も二両もする訳のものじゃアございやせん、多寡(たか)の知れた胡蘿蔔(にんじん)ぐらいを」
千「なに胡蘿蔔ではない人参だわね」
丹「人参てえのは何だい」
千「人の形に成って居るような草の根だというが、私は知らないけれども、誠に少ないもので、本邦(こっち)へも余り渡らない物だけれども、其のお薬をお母(っか)さまに服(た)べさせる事もできないんだよ」
丹「何うかして癒らば買って上げたいもんだが、何(ど)の位のものでがす」
千「一箱三拾両だとさ」
丹「そりゃア高(たけ)えな、一箱三拾両なんて魂消(たまげ)た、怖ろしい高え薬を売りたがる奴じゃアねえか」
千「なに売りたがると云う訳ではないが、其のお薬を飲ませればお母さまの御病気が癒ると仰しゃるから、私は其れを買いたいと思うが買えないの」
丹「むゝう三拾両じゃア仕様がねえ、是れが三両ぐらいのことなら大事な御主人の病(やめえ)には換えられねえから、宅(うち)を売ったって其の薬を買って上げたいとは思いますが、三拾両なんてえらい話だ、そんな出来ねえ相談を打(ぶ)たれちゃア困ります、御病人の前で高(でけ)え声じゃア云えねえが、殊(こと)に寄ったら其様(そん)な事を機会(しお)にして他(ほか)へ見せてくんろという事ではないかと思うと、誠に気が痛みやすな」
千「私も実は左様(そう)思っているの、それに就(つ)いて少しお前に相談があるからお母さまへ共々(とも/″\)に願っておくれな、私が其のお薬を買うだけの手当を拵(こしら)えますよ」
丹「拵えるたって無いものは仕様があんめえ」
千「そこが工夫だから、兎も角お母さまの処へ一緒に」
 と枕元の屏風を開け、
千「もしお母様(っかさま)、二番が出来ましたから召上れ、少し詰って濃くなりましたから上り悪(にく)うございましょう、お忌(いや)ならば半分召上れ、あとの滓(おり)のあります所は私が戴きますから」
母「此の娘(こ)は詰らんことを云う、達者な者がお薬を服(た)べて何うする、私は幾ら浴(あび)るほどお薬を飲んでも効験(きゝめ)がないからいけないよ、私はもう死ぬと諦らめましたから、お前其様(そんな)に薬を勧めておくれでない」
千「あら、またお母さまはあんな事ばかり云っていらっしゃるんですもの、御病気は時節が来ないと癒りませんから、私は一生懸命に神さまへお願掛(がんが)けをして居ますが、あなた世間には七十八十まで生きます者は幾許(いくら)も有りますよ」
母「いゝえ私は若い時分に苦労をしたものだからの、それが矢張(やっぱ)り身体に中(あた)っているのだよ」
千「あの爺やが参りましたよ」
母「おゝ丹治、此方(こっち)へ入っておくれ」
丹「はい御免なせえまし、何うでござえますな、些(ちっ)とは胸の晴(はれ)る事もござえますかね、お嬢さんも心配しておいでなさいますから、能(よ)くお考えなせえまし、併(しか)しま旧(もと)が旧で、あゝいう生活(くらし)をなすった方が、急に此様(こん)な片田舎へ来て、私(わし)のような者を頼みに思って、親一人子一人で僅かな畠を持って仕つけもしねえ内職をしたりして斯(こ)うやって入らっしゃるだから、あゝ詰らねえと昔を思って気を落すところから御病気になったものと考えますが、私だって貧乏だから金ずくではお力になれませんが、以前はあなたの処へ奉公した家来だアから、何うかして御病気の癒るように蔭ながら信心をぶって居りますが、お嬢さまの心配は一通りでないから、我慢してお薬を上んなせえまし」
母「有難う、お前の真実は忘れません、他にも以前勧(つと)めた[#「勧(つと)めた」は「勤(つと)めた」の誤記か]ものは幾許(いくら)もあるが、お前のように末々(すえ/″\)まで力になってくれる人は少ない、私は死んでも厭(いと)いはないけれども、まだ十九(つゞ)や廿歳(はたち)の千代を後(あと)に残して死ぬのはのう……」
丹「あなた、然(そ)う死ぬ死ぬと云わねえが宜うごぜえます、幾ら死ぬたって死なれません、寿命が尽きねえば死ねるもんではねえから、どうも然う意地の悪い事ばかり考えちゃア困りますなア、死ぬまでも薬を」
千「何だよう、死ぬまでもなんて、そんな挨拶があるものか」
丹「はい御免なせえまし、それじゃア、死なねえまでもお上んなせえ」
千「お前もう心配しておくれでない」
丹「はい」
千「お母さま、あの先刻桑田(くわだ)さまが仰しゃいました人参のことね」
母「はい聞いたよ」
千「あれをあなた召上れな、人参という物は、なに其様(そんな)に飲みにくいものでは有りませんと、少し甘味がありまして」
母「だってお前、私は飲みたくっても、一箱が大金という其様(そん)なお薬が何うして戴かれますものか」
千「その薬をあなた召上るお気なら、私(わたくし)が才覚して上げますが……」
母「才覚たってお前、家(うち)には売る物も何も有りゃアしないもの」
千「私(わたくし)をあのう隣村の東山作左衞門という郷士の処へ、道具係の奉公に遣(や)って下さいましな」
 其の時母は皺枯れたる眉にいとゞ皺を寄せまして、
母「お前、飛んでもない事をいう、丹治お前も聞いて知ってるだろうが、作左衞門の家(うち)では道具係の奉公人を探していて、大層給金を呉れる、其の代りに何とかいう宝物(たからもの)の皿を毀すと指を切ると云う話を聞いたが、本当かの」
丹「えゝ、それは本当でごぜえます、旧(もと)の公方(くぼう)さまから戴いた物で、家(いえ)にも身にも換えられねえと云って大事にしている宝だから、毀した者は指を切れという先祖さまの遺言状(かきつけ)が伝わって居るので、指を切られた奴が四五人あります」
母「おゝ怖いこと、其様(そん)な怖い処へ此の娘(こ)を奉公に遣(や)られますかね、とても遣られませんよ、何うして怖(おっか)ない、皿を毀した者の指を切るという御遺言(ごゆいごん)だか何だか知らんけれども、其の皿を毀したものゝ指を切るなんぞとは聞いても慄(ぞっ)とするようだ、何うして/\、人の指を切ると云うような其様な非道の心では、平常(ふだん)も矢張(やっぱ)り酷(ひど)かろう、其様な処へ奉公がさせられますものか、痩せても枯れても遠山龜右衞門の娘(むすめ)じゃアないか、幾許零落(おちぶれ)ても、私は死んでも生先(おいさき)の長いお前が大切で私は最(も)う定命(じょうみょう)より生延びている身体だから、私の病気が癒ったって、お前が不具(かたわ)になって何うしましょう、詰らぬ事を云い出しましたよ、苦し紛れに悪い思案、何うでも私は遣りませんよ」
千「然(そ)うではありましょうけれども、なに気を附けたら其様な事は有りますまい、私(わたくし)も宜く神信心(かみしん/″\)をして丁寧に取扱えば、毀れるような事はありますまいと存じますからねお母さま、私は一生懸命になりまして奉公を仕遂(しおお)せ[#「仕遂せ」は底本では「仕逐せ」]、其の中(うち)あなたの御病気が御全快になれば、私が帰って来て、御一緒に内職でもいたせば誠に好(よ)い都合じゃアございませんか、何卒(どうぞ)遣って下さいまし、ねえお母さま、あなた私の身をお厭(いと)いなすって、あなたに万一(もしも)の事でも有りますと、矢張(やっぱ)り私が仕様がないじゃア有りませんか」
母「はい、有難うだけれども遣れません、亡(なくな)ったお父(とっ)さんのお位牌に対して、私の病を癒そうためにお前を其様な恐ろしい処へ奉公に遣って済むものじゃアない、のう丹治」
丹「へえ、あんたの云う事も道理でごぜえます、これは遣れませんな」
千「だけども爺や、お母さんの御病気の癒らないのを見す/\知って、安閑として居られる訳のものではないから、私は奉公に往(ゆ)き仮令(たとえ)粗相で皿を一枚毀した処が、小指一本切られたって命にさわるわけではなし、お母さまの御病気が癒った方が宜(よ)いわけじゃアないか」
丹「うん、これは然(そ)うだ、然う仰しゃると無理じゃアない、棄置けば死ぬと云うものを、あなたが何う考えても打棄(うっちゃ)って置かれねえが、成程是れは奉公するも宜うごぜえましょう」
母「お前馬鹿な事ばかり云っている、私が此の娘(こ)を其様な処へ遣られるか遣られないか考えて見なよ、指を切られたら肝心な内職が出来ないじゃアないか、此の困る中で猶々(なお/\)困ります、遣られませんよ」
丹「成程是れはやれませんな、何う考えても」
千「あらまア、あんな事を云って、何方(どっち)へも同じような挨拶をしては困るよ」
丹「へえ、是れは何方とも云えない、困ったねえ…じゃア斯うしましょう、私(わし)がの媼(ばゞあ)を何卒(どうか)お頼ん申します、私がお嬢さまの代りに奉公に参(めえ)りまして、私が其の給金を取りますから、お薬を買って下せえまし」
千「女でなければいけない、男は暴々(あら/\)しくて度々(たび/\)毀すから女に限るという事は知れて居るじゃアないか」
丹「然(そ)うだね、男じゃア毀すかも知れねえ、私等(わしら)は何うも荒っぽくって、丼鉢を打毀(うちこわ)したり、厚ぼってえ摺鉢(すりばち)を落して破(わ)った事もあるから、困ったものだアね」
千「お母さん、何卒(どうぞ)やって下さいまし」
 と幾度(いくたび)も繰返しての頼み、段々母を説附(ときつ)けまして丹治も道理(もっとも)に思ったから、
丹「そんならばお遣んなすった方が宜かろう」
 と云われて、一旦母も拒みましたが、娘は肯(き)かず、殊(こと)に丹治も倶々(とも/″\)勧めますので、仕方がないと往生をしました。幸い他(た)に手蔓(てづる)が有ったから、縁を求めて彼(か)の東山作左衞門方へ奉公の約束をいたし、下男の丹治が受人(うけにん)になりまして、お千代は先方へ三ヶ年三十両の給金で住込む事になりましたのは五月の事で、母は心配でございますが、致し方がないので、泣く/\別れて、さて奉公に参って見ると、器量は佳(よ)し、起居動作(たちいふるまい)物の云いよう、一点も非の打ち処(どこ)がないから、至極作左衞門の気に入られました。

        三

 作左衞門はお千代の様子を見まして、是れならば手篤(てあつ)く道具を取扱ってくれるだろう、誠に落着いてゝ宜(よ)い、大切な物を扱うに真実で粗相がないから宜いと、大層作左衞門は目をかけて使いました。此の作左衞門の忰(せがれ)は長助(ちょうすけ)と申して三十一歳になり、一旦女房を貰いましたが、三年前(ぜん)に少し仔細有って離別いたし、独身(ひとりみ)で居ります所が、お千代は何うも器量が好(よ)いので心底(しんそこ)から惚れぬきまして真実にやれこれ優しく取做(とりな)して、
長「あれを買ってお遣(や)んなさい、見苦しいから彼(あ)の着物を取換えて、帯を買ってやったら宜かろう」
 などと勧めますと、作左衞門も一人子(ひとりっこ)の申すことですから、其の通りにして、お千代/\と親子共に可愛がられお千代は誠に仕合せで丁度七月のことで、暑い盛りに本山寺(ほんざんじ)という寺に説法が有りまして、親父(おやじ)が聴きに参りました後(あと)で、奥の離れた八畳の座敷へ酒肴(さけさかな)を取り寄せ、親父の留守を幸い、鬼の居ないうちに洗濯で、長助が、
長「千代や/\、千代」
 と呼びますから、
千「はい若殿様、お呼び遊ばしましたか」
長「一寸(ちょっと)来い、/\、今一盃(いっぱい)やろうと云うんだ、お父(とっ)さんのお帰りのない中(うち)に、今日はちとお帰りが遅くなるだろう、事に寄ると年寄の喜八郎(きはちろう)の処へ廻ると仰しゃったが村の年寄の処へ寄れば話が長くなって、お帰りも遅くなろう、ま酌をして呉れ」
千「はい、お酌を致します」
長「手襷(たすき)を脱(と)んなさい、忙がしかろうが、何もお前は台所(だいどこ)を働かんでも、一切道具ばかり取扱って居(お)れば宜(よ)いんだ」
千「あの大殿様がお留守でございますから宜いお道具は出しませんで、粗末と申しては済みませんが、皆此の様な物で宜しゅうございますか」
長「酌は美女(たぼ)、食物(くいもの)は器で、宜(い)い器でないと肴が旨く喰えんが、酌はお前のような美しい顔を見ながら飲むと酒が旨いなア」
千「御冗談ばかり御意遊ばします」
長「酔わんと極りが悪いから酔うよ」
千「お酔い遊ばせ、ですが余り召上ると毒でございますよ」
長「まだ飲みもせん内から毒などと云っちゃア困るが、実にお前は堅いねえ」
千「はい、武骨者でいけません」
長「いや、お父さんがお前を感心しているよ、親孝行で、何を見ても聞いても母の事ばかり云って居るって、併(しか)しお前のお母(ふくろ)の病気も追々全快になると云う事で宜(よ)いの」
千「はい、御当家(こなた)さまのお蔭で人参を飲みましたせいか、段々宜しくなりまして、此の程病褥(とこ)を離れましたと丹治がまいっての話でございますが、母が申しますに、其方(そち)のような行届(ゆきとゞ)きません者を置いて下さるのみならず、お目を掛けて下さいまして、誠に有難いことで、種々(いろ/\)戴き物をしたから宜しく申上げてくれと申しました」
長「感心だな、お前は出が宜(い)いと云うが………千代/\千代」
千「はい」
長「どうも何(なん)だね、お前は十九かえ」
千「はい」
長「ま一盃酌(つ)いで呉んな」
千「お酌(しゃく)を致しましょう」
長「半分残してはいかんな、何うだ一盃飲まんか」
千「いえ、私(わたくし)は些(ちっ)とも飲めません、少し我慢して戴きますと、顔が青くなって身体が震えます」
長「その震える処がちょいと宜しいて、私(わし)は酔いますよ、お前は色が白いばかりでなく、頬の辺(へん)眼の縁(ふち)がぼうと紅いのう」
千「はい、少し逆上(のぼ)せて居りますから」
長「いや逆上(のぼせ)ではない、平常(ふだん)から其の紅い処が何とも言われん」
千「御冗談ばっかり……」
長「冗談じゃアない、全くだ、私(わし)は三年前(まえ)に家内を離別したて、どうも心掛けの善くない女で、面倒だから離縁をして見ると、独身(ひとりみ)で何かと不自由でならんが、お前は誠に気立が宜しいのう」
千「いゝえ、誠に届きませんでいけません」
長「此の間私(わし)が……あの…お前笑っちゃア困るが、少しばかり私が斯う五行(いつくだり)ほどの手紙を、……認(したゝ)めて、そっとお前の袂(たもと)へ入れて置いたのを披(ひら)いて読んでくれたかね」
千「左様でございましたか、一向存じませんで」
 長助は少し失望の体(てい)で、
長「左様でございますかなどゝ、落着き払っていては困る、親に知れては成らん、知っての通り親父は極(ごく)堅いので、あの手紙を書くにも隠れて漸(ようよ)う二行(にぎょう)ぐらい書くと、親父に呼ばれるから、筆を下に置いて又一行(ひとくだり)書き、終(しま)いの一行は庭の植込(うえご)みの中で書きましたが、蚊に喰われて弱ったね」

        四

千「それはまアお気の毒さま」
長「なに全くだよ、親父に知れちゃア大変だから、窃(そっ)とお前の袂へ入れたが、見たろう/\」
千「いゝえ私(わたくし)は気が附きませんでございました、何だか私の袂に反古(ほご)のようなものが入って居ましたが、私は何だか分りませんで、丸めて何処(どこ)かへ棄てましたよ」
長「棄てちゃア困りますね、他人(ひと)が見るといけませんな」
千「そんな事とは存じませんもの、貴方(あなた)はお手紙で御用を仰付(おおせつ)けられましたのでございますか」
長「仰付けられるなんて馬鹿に堅いね、だがね、千代/\」
千「何でございます」
長「実はね私(わし)はお前に話をして、嫁に貰いたいと思うが何うだろう」
千「御冗談ばっかり御意遊ばします、私(わたくし)の母は他に子と申すがありませんから、他家(わき)へ嫁にまいる身の上ではございません、貴方は衆人(ひと)に殿様と云われる立派なお身の上でお在(いで)遊ばすのに、私のようなはしたない者を貴方此様(こん)な不釣合で、釣合わぬは不縁の元ではございませんか、お家(うち)のお為めに成りません」
長「なに家の為めになってもならんでも不釣合だって、私(わし)は妻を定むるのに身分の隔てはない事で、唯お前の心掛けを看抜(みぬ)いて、此の人ならばと斯う思ったから、実はお前に心のたけを山々書いて贈ったのである、然(しか)も私は丹誠して千代尽しの文で書いて贈ったんだよ」
千「何でございますか私(わたくし)は存じませんもの」
長「存じませんて、私(わし)の丹誠したのを見て呉れなくっちゃア困りますなア、どうかお前の母に会って、母諸共引取っても宜しいや」
千「私(わたくし)の母は冥加至極有難いと申しましょうけれども、貴方のお父様(とっさま)が御得心の有る気遣(きづか)いはありますまい、私のようなはしたない者を御当家(こちら)さまの嫁に遊ばす気遣いはございませんもの」
長「いえ、お前が全く然(そ)う云う心ならば、私(わし)は親父に話をするよ、お前は大変親父の気に入ってるよ、どうも沈着(おちつき)があって、器量と云い、物の云いよう、何や角(か)や彼(あ)れは別だと云って居るよ」
千「なに、其様(そん)な事を仰しゃるものですか」
長「なに全く然う云ってるよ、宜(よ)いじゃアないか、ね千代/\千代」
 と雀が出たようで、無理無態にお千代の手を我(わが)膝へグッと引寄せ、脇の下へ手を掛けようとすると、振払い。
千「何をなさいます、其様な事を遊ばしますと、私(わたくし)は最(も)うお酌にまいりませんよ」
長「酔った紛れに、少しは酒の席では冗談を云いながら飲まんと面白うないから、一寸(ちょっと)やったんだが、どうもお前は堅いね、千代/\」
千「はい最うお酌を致しますまいと思います、最うお止し遊ばせ、お毒でございますよ」
長「千代/\」
千「また始まりました」
長「親さえ得心ならば何も仔細はあるまい、何うだ」
千「そうではありますが、まア若殿様、私(わたくし)の思いますには、夫婦の縁と云うものは仮令(たとえ)親が得心でも、当人同志が得心でない事は夫婦に成れまいかと思います」
長「それは然うさ、だがお前さえ得心なら宜(よ)いが、いやなら否(いや)と云えば、私(わし)も諦めが附こうじゃアないか」
千「私(わたくし)のような者を、私の口から何う斯うとは申されませんものを、余り恐入りまして」
 其の時お千代は身を背(そむ)けまして、
千「何とも申上げられませんものを、余り恐入りまして」
長「恐入らんでも宜しいさ、お母(ふくろ)さえ得心なら、母諸共此方(こっち)へ引取って宜しい、もし窮屈で否(いや)ならば、聊(いさゝ)か田地(でんじ)でも買い、新家(しんや)を建って、お母に下婢(おんな)の一人も附けるくらいの手当をして遣ろうじゃアないか。此の家(うち)は皆私(わし)のもので、相続人の私だから何うにもなるから、お前さえ応(おう)と云えば、お母に話をして安楽にして遣ろうじゃアないか、若(も)しお母は堅いから遠山の苗字を継ぐ者がないとでもいうなら、夫婦養子をしたって相続人は出来るから、お前が此方(こっち)へ来ても仔細ないじゃアないか」
千「それは誠に結構な事で」
長「結構なれば然(そ)うしてくれ」
千「お嬉しゅうは存じますが」
長「さ、早くお父さまの帰らん内に応(うん)と云いな、酔った紛れにいう訳じゃアない、真実の事だよ」
千「私(わたくし)は貴方に対して申上げられませんものを、御主人さまへ勿体なくって……」
長「何も勿体ない事は有りませんから早く云いなさいよ」
千「恐入ります」
長「其様(そん)なに羞(はず)かしがらんでも宜しいよ」
千「貴方私(わたくし)のような卑しい者の側へお寄り遊ばしちゃアいけません、私が困ります、そうして酒臭くって」
長「ね千代/\千代」
千「それじゃア貴方、本当に私(わたくし)が思う心の丈(たけ)を云いましょうか」
長「聞きましょう」
千「それじゃア申しますが、屹度(きっと)、…身分も顧りみず大それた奴だと御立腹では困ります」
長「腹などは立たんからお云いよ、大それたとは思いません、小(しょう)それた位(ぐらい)に思います、云って下さい」
千「本当に貴方御立腹はございませんか」
長「立腹は致しません」
千「それなれば本当に申上げますが、私(わたくし)は貴方が忌(いや)なので……」
長「なに忌だ」
千「はい、私(わたくし)はどうも貴方が忌でございます、御主人さまを忌だなどと云っては済みませんけれども、真底私は貴方が忌でございます、只御主人さまでいらっしゃれば有難い若殿さまと思って居りますが、艶書(てがみ)をお贈り遊ばしたり、此の間から私にちょい/\御冗談を仰しゃることもあって、それから何うも私は貴方が忌になりました、どうも女房に成ろうという者の方で否(いや)では迚(とて)も添われるものじゃアございませんから、素(もと)より無い御縁とお諦め遊ばして、他(わき)から立派なお嫁をお迎えなすった方が宜しゅうございましょう、相当の御縁組でないと御相続の為になりませんから、確(しか)とお断り申しますよ」
長「誠にどうも……至極道理(もっとも)……」
 と少しの間は額へ筋が出て、顔色(がんしょく)が変って、唇をブル/\震わしながら、暫く長助が考えまして、
長「千代、至極道理(もっとも)だ、最う千代/\と続けては呼ばんよ、一言(ひとこと)だよ、成程何うもえらい、賢女だ、成程どうも親孝心、誠に正しいものだ、心掛けと云い器量と云い、余り気に入ったから、つい迷いを起して此様(こん)な事を云い掛けて、誠に羞入(はじい)った、再び合す顔はないけれども、真に思ったから云ったんだよ、併(しか)しお前に然(そ)う云われたから諦めますよ確(しか)と断念しましたが、おまえ此のことを世間へ云ってくれちゃア困りますよ、私(わし)は親父に何様(どん)な目に遇うか知れない、堅い気象の人だから」
千「私(わたくし)は世間へ申す処(どころ)じゃア有りませんが、あなたの方で」
長[#「長」は底本では「千」]「私(わし)は決して云わんよ、云やア自ら恥辱(はじ)を流布するんだから云いませんが、あゝ……誠に愧入(はじい)った、此の通り汗が出ます、面目次第もない、何卒(どうぞ)堪忍して下さい」
千[#「千」は底本では「長」]「恐入ります、是れから前々(もと/\)通り主(しゅう)家来、矢張千代/\と重ねてお呼び遊ばしまして、お目をお掛け遊ばしまして……」
長「そう云う事を云うだけに私(わし)は誠に困りますなア」
千「誠に恐入ります、大旦那さまのお帰り遊ばしません内に、お酒の道具を隠しましょうか」
長「あゝ仕舞っておくれ/\」
千「はい」
 とそれ/″\道具を片附けましたが、是れから長助が憤(おこ)ってお千代につれなく当るかと思いました処、情(つれ)なくも当りませんで、尚更宜く致しまして、彼(あ)の衣類は汚い、九月の節句も近いから、これを拵えて遣るが宜(い)いと、手当が宜いので、お千代もあゝーお諦めになったか、有難い事だ、あんな事さえないと結構な旦那様であると一生懸命に奉公を致しますから、作左衞門の気にも入られて居りました。月日流るゝが如くで、いよ/\九月の節句と成りました。粂野美作守の重役を七里先から呼ばんければなりません、九の字の付く客を二九十八人招待(しょうだい)を致し、重陽(ちょうよう)を祝する吉例で、作左衞門は彼(か)の野菊白菊の皿を自慢で出して観(み)せます。美作守の御勘定奉行九津見吉左衞門(くづみきちざえもん)を初め九里平馬(くりへいま)、戸村九右衞門(とむらくえもん)、秋元九兵衞(あきもとくへえ)其の他(ほか)御城下に加賀から九谷焼を開店した九谷正助(くたにしょうすけ)、菊橋九郎左衞門(きくはしくろうざえもん)、年寄役村方で九の字の附いた人を合せて十八人集めまして、結構な御馳走を致し、善い道具ばかり出して、頻(しき)りに自慢を致します事で、実に名器ばかりゆえ、客は頻りに誉めます。此の日道具係の千代は一生懸命に、何卒(どうぞ)無事に役を仕遂(しおお)せますようにと神仏に祈誓(きせい)を致して、皿の毀れんように気を附けましたから、麁相(そそう)もなく、彼(か)の皿だけは下(さが)ってまいります。自分は蔵前の六畳の座敷に居って、其処(そこ)に膳棚道具棚がありますから、口分(くちわけ)をして一生懸命に油汗を流して、心を用い働いて、無事に其の日のお客も済んで、翌日になりますと、作左衞門が、
作「千代」
千「はい」
作「昨日(きのう)は大きに御苦労であった、無事にお客も済んだから、今日は道具を検(あらた)めなければならん」
千「はい、お番附のございますだけは大概片付けました」
作「うむ、皿は一応検めて仕舞わにゃならん、何かと御苦労で、嘸(さぞ)骨が折れたろう」
千「私(わたくし)は一生懸命でございました」
作「然(そ)うであったろう、此の通り三重の箱になってるが、是は中々得難い物だよ、何処(どこ)へ往ったって見られん、女で何も分るまいが、見て置くが宜(よ)い」
千「はい、誠に結構なお道具を拝見して有難い事で」
作「一応検めて見よう」
 と眼鏡をかけて段々改めて、
作「あゝー先(ま)ず無事で安心を致した、是れは八年前(ぜん)に是れだけ毀したのを金粉繕(ふんづくろ)いにして斯うやってある、併(しか)し残余(あと)は瑕物(きずもの)にしてはならんから、どうかちゃんと存(そん)して置きたい、是れだけ破(わ)った奴があって、不憫にはあったが、何うも許し難いから私(わし)は中指を切ろうと思ったが、それも不憫だから皆(みん)な無名指(くすりゆび)を切った」
千「怖い事でございます、私(わたくし)は此のお道具を扱いますとはら/\致します」
作「是れは無い皿だよ、野菊と云って野菊の色のように紫がゝってる処で此の名が有るのじゃ、種々(いろ/\)先祖からの書附もあるが、先ず無事で私(わし)も安心した」
 と正直な堅い人ゆえ、検めて道具棚へ載せて置きました。すると長助が座敷の掛物を片附けて、道具棚の方へ廻って参(ま)いりました。
長「お父(とっ)さま」
作「残らず仕舞ったか」
長「お軸物は皆仕舞いました」
作「客は皆道具を誉めたろう」
長「大層誉めました、此の位の名幅(めいふく)を所持している者は、此の国にゃア領主にも有るまいとの評判で、お客振りも甚(ひど)く宜しゅうございました」
作「皆良い道具が見たいから来るんだ、只呼んだって来るものか、権式振(けんしきぶ)ってゝ、併し土産も至極宜かったな」
長「はい、お父様(とっさま)、あの皿を今一応お検めを願います、野菊と白菊と両様共(りょうようとも)お検めを願います」
作「彼(あれ)は先刻(さっき)検めました」
長「お検めでございましょうが、少し訝(おか)しい事が有りますと云うは棚の脇に蒟蒻糊(こんにゃくのり)が板の上に溶いて有って、粘っていますから、何だか案じられます、他の品でありませんから、今一応検めましょうかね、秋(あき)、お前たちは其方(そちら)へ往(い)きなさい、金造(きんぞう)、裏手の方を宜く掃除して置け、喜八(きはち)、此方(こちら)へ参らんようにして、最う大概蔵へ仕舞ったか、千代や」
千「はい/\はい」
長「先刻(さっき)お父(とっ)さんがお検めになったそうだが、彼(あ)の皿を此処(こゝ)へ持って来い」
千「はい、先刻(さっき)お検めになりました」
長「検めたが、一寸(ちょっと)気になるから今一応私(わし)が検めると云うは、祝いは千年だが、お父さまのない後(のち)は家の重宝(じゅうほう)で、此の品は私が守護する大事な宝物(たからもの)だから、私も一応検めます」
千「大旦那さまがお検めになりまして、宜しい、少しも仔細ないと御意遊ばしましたのに、貴方何う云う事でお検めになります」
長「先程お父さまがお検めになっても、私(わし)は私で検めなければ気が済まん」
千「何う云う事で」
長「何う云う事なんてとぼけるな、千代汝(てまえ)は皿を割ったの」

        五

 お千代は呆れて急に言葉も出ませんでしたが、
千「何うもまア思い掛けない事を仰しゃいます私(わたくし)は割りました覚えはございません、ちゃんと一々お検めになりまして、後(あと)は柔かい布巾で拭きまして、一々彼(あ)の通り包みまして、大殿様へ御覧に入れました」
長「いや耄(とぼ)けるなそんなら如何(いかゞ)の理由(わけ)で棚に糊付板(のりつけいた)が有るのだ」
千「あれはお箱の蓋の棧が剥(と)れましたから、米搗(こめつき)の權六(ごんろく)殿へ頼みまして、急拵(きゅうごしら)えに竹篦(たけべら)を削って打ってくれましたの」
長「耄けるな、其様(そん)なことを云ったって役には立たん、巧(うま)く瞞(ごま)かそうたって、然(そ)うはいかんぞ、此方(こちら)は確(しか)と存じておる、これ千代、其の方が怪しいと認めが附いて居(お)ればこそ検めなければならんのだ早く箱を持って来い/\」
 と云われてお千代はハッとばかりに驚きましたが、何ゆえ長助が斯様(こん)なことを云うのか分りませんでしたが、彼(あ)の通り検めたのを毀したと云うのは変だなと考えて、よう/\思い当りましたのは、先達(せんだっ)て愛想尽(あいそづか)しを云った恨みが、今になって出て来たのではないか、何事も無ければ宜(よ)いがと怖々(こわ/″\)にお千代が野菊白菊の入った箱を長助の眼の前へ差出しますと、作左衞門が最前検めて置いた皿の毀れる気遣いはない、忰は何を云うのかと存じて居りますと、長助は顔色(かおいろ)を変えて、
長「これ千代、それ道具棚にある糊付板を此処(こゝ)へ持って来い……さ何う云う訳で此板(これ)を道具棚へ置いた」
千「はい、只今申上げます通り、あのお道具の箱の棧が剥(と)れましたから、打附けて貰おうと存じますと、米搗の權六が己(おれ)が附けて遣ろうと申して附けてくれましたので」
長「いゝや言訳をしたって役には立たん、其の箱の紐をサッサと解け」
千「そうお急ぎなさいますと、また粗相をして毀すといけませんもの」
長「汝(おのれ)が毀して置きながら、又其様(そん)なこと申す其の手はくわぬぞ、私(わし)が箱から出す、さ此処(これ)へ出せ」
千「あなた、お静かになすって下さいまし、暴々(あら/\)しく遊ばして毀れますと矢張(やっぱ)り私(わたくし)の所為(せい)になります」
作「これこれ長助、手暴くせんが宜(よ)い、腹立紛れに汝(てまえ)が毀すといかんから、矢張(やっぱ)り千代お前検めるが宜(い)い」
千「はい/\」
 と是れから野菊の箱の紐を解いて蓋を取り、一枚/\皿を出しまして長助の眼の前へ列(なら)べまして。
千「御覧遊ばせ、私(わたくし)が先刻(さっき)検めました通り瑾(きず)は有りゃアしません」
長「黙れ、毀した事は先刻(さっき)私(わし)が能(よ)く見て置いたぞ、お父さま、迂濶(うっか)りしてはいけません、此者(これ)は中々油断がなりません、さ、早く致せ」
千「其様(そん)なに仰しゃったって、慌てゝ不調法が有るといけません、他のお道具と違いまして、此品(これ)が一枚毀れますと私(わたくし)は不具(かたわ)になりますから」
長「不具になったって、受人(うけにん)を入れて奉公に来たんじゃアないか、さ早く致せ」
千「早くは出来ません」
 と申して検めに掛りましたが、急がれる程尚(な)おおじ/\致しますが、一生懸命に心の内に神仏(かみほとけ)を念じて粗相のないようにと元のように皿を箱に入れてしまい、是れから白菊の方の紐を解いて、漸々(だん/″\)三重箱迄開け、布帛(きれ)を開いて皿を一枚ずつ取出し、検めては布帛に包み、ちゃんと脇へ丁寧に置き、
千「是で八枚で、九枚で十枚十一枚十二枚十三枚十四枚十五枚十六枚」
 と漸々勘定をして十九枚と来ると、二十枚目がポカリと毀れて居たから恟(びっく)り致しました。
千「おや……お皿が毀れて居ります」
長「それ見ろ、お父様(とっさま)御覧遊ばせ、此の通り未(ま)だ粘りが有ります此の糊で附着(くっつ)けて瞞(ごま)かそうとは太い奴では有りませんか」
千「いえ、先程大殿様がお検めになりました時には、決して毀れては居りません」
長「何う仕たって此の通り毀れて居るじゃアないか」
千「先刻(さっき)は何とも無くって、今毀れて居るのは何う云う訳でしょう」
作「成程斯う云う事があるから油断は出来ない、これ千代毀(わ)りようも有ろうのに、ちょっと欠いたとか、罅(ひゞ)が入った位ならば、是れ迄の精勤の廉(かど)を以(もっ)て免(ゆる)すまいものでもないが、斯う大きく毀れては何うも免し難い、これ、何は居らんか、何や、何やでは分らん、おゝそれ/\辨藏(べんぞう)、手前はな、千代の受人の丹治という者の処へ直(すぐ)に行ってくれ、余り世間へぱっと知れん内に行ってくれ、千代が皿を毀したから証文通りに行うから、念のために届けると云って、早く行って来い」
辨「へえ」
 と辨藏は飛んで行って、此のことを気の毒そうに話をすると、丹治は驚きまして、母の処へ駈込んでまいり。
丹「御新造(ごしんぞ)さまア……」
母「おや丹治か、先刻(さっき)は誠に御苦労、お蔭で余程(よっぽど)宜(よ)いよ」
丹「はっ/\、誠にはや何ともどうも飛んだ訳になりました」
母「ドヽ何うしたの」
丹「へえ、お嬢様が皿ア割ったそうで」
母「え……丹治皿を彼(あれ)が……」
丹「へえ、只今彼家(あちら)の奉公人が参りまして、お千代どんが皿ア割っただ、汝(われ)受人だアから何(なん)ぼ証文通りでも断りなしにゃア扱えねえから、ちょっくら届けるから、立合うが宜(え)いと云って来ました、私(わし)が考えますに、先方(むこう)はあゝ云う奴だから、詫びたっても肯(き)くまいと思って、私が急いでお知らせ申しに来やしたが、お嬢さまが彼家(あそこ)へ住込む時、虫が知らせましたよ、門の所まで私送り出して来たアから、貴方(あんた)皿ア割っちゃアいけないよと云ったら、お嬢様が余程(よっぽど)薄いもんだそうだし、原土(もとつち)で拵えたもんだから割れないとは云えないから、それを云ってくれちゃア困るよと仰しゃいましたが、何とまア情(なさけ)ねえ事になりましたな、どうか詫をして見ようかと思います」
母「それだから私が云わない事じゃアない、彼(あ)の娘(こ)を不具者(かたわ)にしちゃア済まないから、私も一緒に連れてっておくれ」
丹「連れて行けたって、あんた歩けますまい」
母「歩けない事もあるまい、一生懸命になって行きますよ、何卒(どうぞ)お願いだから私の手を曳いて連れてっておくれ」
丹「だがはア、是れから一里もある処で、なか/\病揚句(やみあげく)で歩けるもんじゃアねえ」
母「私は余り恟(びっく)りしたんで腰が脱(ぬ)けましたよ」
丹「これはまア仕様がねえ、私(わし)まで腰が脱けそうだが、あんた腰が脱けちゃア駄目だ」
母「何卒(どうぞ)お願いだから……一通り彼(あれ)の心術(こゝろだて)を話し、孝行のために御当家(こちら)さまへ奉公に来たと、次第を話して、何処までも私がお詫をして指を切られるのを遁(のが)れるようにしますから、丹治誠にお気の毒だが、負(おぶ)っておくれな」
丹「負ってくれたって、ちょっくら四五丁の処なれば負って行っても宜(え)いが……よし/\宜(よ)うごぜえます、私(わし)も一生懸命だ」
 と其の頃の事で人力車(くるま)はなし、また駕籠(かご)に乗るような身の上でもないから、丹治が負ってせっせと参りました。此方(こちら)は最前から待ちに待って居ります。
作「早速庭へ通せ」
 という。百姓などが殿様御前などと敬い奉りますから、益々増長して縁近き所へ座布団を敷き、其の上に座して、刀掛に大小をかけ、凛々(りゝ)しい様子で居ります。両人は庭へ引出され。
丹「へえ御免なせえまし、私(わし)は千代の受人丹治で、母も詫びことにまいりました」
作「うむ、其の方は千代の受人丹治と申すか」
丹「へえ、私(わし)は年来勤めました家来で、店請(たなうけ)致して居(お)る者でごぜえます」
作「うん、其処(それ)へ参ったのは」
母「母でございます」
 と涙を拭きながら、
「娘が飛んだ不調法を致しまして御立腹の段は重々御尤(ごもっとも)さまでござりますが、何卒(どうぞ)老体の私(わたくし)へお免じ下さいまして、御勘弁を願いとう存じます」
作「いや、それはいかん、これはその先祖伝来の物で、添書(そえがき)も有って先祖の遺言が此の皿に附いて居(お)るから、何うも致し方がない、切りたくはないけれども御遺言には換(か)えられんから、止むを得ず指を切る、指を切ったって命に障(さわ)る訳もない、中程から切るのだから、何も不自由の事もなかろう」
母「はい、でございますけれども、此の千代は親のために御当家様へ御奉公にまいりましたので、と申すは、私(わたくし)が長煩(ながわずら)いで、人参の入った薬を飲めば癒ると医者に申されましたが、長々の浪人ゆえ貧に迫って、中々人参などを買う手当はございませんのを、娘(これ)が案じまして、御当家のお道具係を勤めさえすれば三年で三拾両下さるとは莫大の事ゆえ、それを戴いて私(わたし)を助けたいと申すのを、私(わたくし)も止めましたけれども、此娘(これ)が強(た)ってと申して御当家さまへ参りましたが、親一人子一人、他に頼りのないものでございます、今此娘(これ)を不具に致しましては、明日(あす)から内職を致すことが出来ませんから、何卒(どうぞ)御勘弁遊ばして、私(わたくし)は此娘(これ)より他に力と思うものがございませんから」
長「黙れ/\、幾回左様な事を云ったって役に立たん、其のために前々(まえ/\)奉公住みの折に証文を取り、三年に三拾金という給金を与えてある、斯(かく)の如く大金を出すのも当家の道具が大切だからだ、それを承知で証文へ判を押して奉公に来たのじゃアないか、それに粗相でゞもある事か、先祖より遺言状の添えてある大切の宝を打砕(うちくだ)き、糊付にして毀さん振をして、箱の中に入れて置く心底(しんてい)が何うも憎いから、指を切るのが否(いや)なれば頬辺(ほッぺた)を切って遣(や)る」
母「何卒(どうぞ)御勘弁を……」
 と泣声にて、
「顔へ疵(きず)が附きましては婿取前の一人娘で、何う致す事も出来ません」
長「指を切っては内職が出来んと云うから面(つら)を切ろうと云うんだ、疵が出来たって、後(あと)で膏薬を貼れば癒る、指より顔の方を切ってやろう」
 と長助が小刀(ちいさがたな)をすらりと引抜いた時に、驚いて丹治が前へ膝行(すさ)り出まして、
丹「何卒(どうぞ)お待ちなすって下せえまし」
長「何だ、退(の)け/\」
丹「お前さまは飛んだお方だアよ」
長「何が飛んだ人だ」
丹「成程証文は致しやしただけれども、人の頬辺(ほッぺた)を切るてえなア無(ね)え事です」
長「手前は何のために受人に成って、印形(いんぎょう)を捺(つ)いた」
丹「印形だって、是程に厳(やかま)しかアねえと思ったから、印形を捺きやした、ほんの掟(おきて)で、一寸(ちょっと)小指へ疵を附けるぐれえだアと思いやしたが、指を打切(ぶっき)られると此の後(のち)内職が出来ません、と云って無闇に頬辺なんて、どう云うはずみで鼻でも落したらそれこそ大変だ、情ねえ事で、嬢さんの代りに私(わし)を切っておくんなせえ」
長「いや手前を切る約束の証文ではない、白痴(たわけ)た事を云うな、何のための受人だ」
丹「受人だから私(わし)が切られようというのだ」
長「黙れ、証文の表に本人に代って指を切られようと云う文面はないぞ、さ顔を切って遣る」
 と丹治と母を突きのけ、既に庭下駄を穿(は)いて下(お)りにかゝるを、母は是れを遮(さえぎ)り止めようと致すを、千代が、
千「お母様(っかさま)、是れには種々(いろ/\)理由(わけ)がありますんで、私(わたくし)が少し云い過ぎた事が有りまして、斯(こ)う云う事に成りまして済みませんが、お諦め遊ばして下さいまし、さア指の方は内職に障って母を養う事が出来ませんから顔の方を……」
長「うん、顔(つら)の方か、此方(こっち)の所望(のぞみ)だ」
作「これ/\長助、顔を切るのは止せ」
長「なに宜しい」
作「それはいかん、それじゃア御先祖の御遺言状に背(そむ)く、矢張指を切れ/\、不憫(ふびん)にも思うが是れも致し方がない、従来切来(きりきた)ったものを今更仕方がない、併し長助、成丈(なるたけ)指を短かく切ってやれ」
長「さ切ってやるから、己(おれ)の傍(そば)へ来て手を出せ」
千「はい何うぞ……」
母「いえ/\私(わたくし)を切って下さいまし、私は死んでも宜(い)い年でござります」
丹「旦那ア、私(わし)の指を五本切って負けておくんなせえ」
長「控えろ」
 と今千代の腕を取って既に指を切りにかゝる所へ出て来た男は、土間で米を搗(つ)いていました權六という、身の丈(たけ)五尺五六寸もあって、鼻の大きい、胸から脛(すね)へかけて熊毛(くまげ)を生(はや)し、眼の大きな眉毛の濃い、髯(ひげ)の生えている大の男で、つか/\/\と出て来ました。

        六

 此の時權六は、作左衞門の前へ進み出まして、
權「はい少々御免下さいまし、權六申上げます」
長「なんだ權六」
權「へえ、実は此の皿を割りました者は私(わし)だね」
長「なに手前が割った……左様な白痴(たわけ)たことを云わんで控えて居れ」
權「いや控えては居(い)られやせん、よく考えて見れば見る程、あゝ悪い事をしたと私(わし)ゃア思いやした」
長「何を然(そ)う思った」
權「大殿様皿を割ったのは此の權六でがす」
作「え……其の方は何うして割った」
權「へえ誠に不調法で」
作「不調法だって、其の方は台所にばかり居て、夜は其の方の部屋へまいって寝るのみで、蔵前の道具係の所などへ参る身の上でない其の方が何うして割った」
權「先刻(さっき)箱の棧が剥(と)れたから、どうか繕(つくろ)ってくんろてえから、糊をもって私(わし)が繕ろうと思って、皿の傍へ参(めえ)ったのが事の始まりでごぜえます」
千「權六さん、お前さんが割ったなどと……」
權「えーい黙っていろ」
丹「誠に有難うごぜえます、私(わし)は此の千代さんの家(うち)の年来の家来筋で、丹治と云う者で、成程是れは此の人が割ったかも知れねえ、割りそうな顔付だ」
權「黙って居なせえ、お前(めえ)らの知った事じゃアない、えゝ殿様、誠に羞(はず)かしい事だが、此の千代が御当家(こちら)へ奉公に参(めえ)った其の時から、私(わし)は千代に惚れたの惚れねえのと云うのじゃアねえ、寝ても覚めても眼の前(さき)へちらつきやして、片時も忘れる暇もねえ、併し奥を働く女で、台所へは滅多に出て来る事はありやせんが、時々台所へ出て来る時に千代の顔を見て、あゝ何うかしてと思い、幾度(いくたび)か文(ふみ)を贈っちゃア口説(くど)いただアね」
長「黙れ、其の方がどうも其の姿や顔色(がんしょく)にも愧(は)じず、千代に惚れたなどと怪(け)しからん奴だなア、乃(そこ)で手前が割ったというも本当には出来んわ、馬鹿々々しい」
權「それは貴方(あんた)、色恋の道は顔や姿のものじゃアねえ、年が違うのも、自分の醜(わる)い器量も忘れてしまって、お千代へばかり念をかけて、眠(ね)ることも出来ず、毎晩夢にまで見るような訳で、是程私(わし)が方で思って文を附けても、丸めて棄てられちゃア口惜(くや)しかろうじゃアござえやんせんか」
長「なんだ……お父(とっ)さまの前を愧(は)じもせんで怪(け)しからん事をいう奴だ」
 と口には云えど、是れは長助がお千代を口説いても弾(はじ)かれ、文を贈っても返事を遣(よこ)さんで恥(はず)かしめられたのが口惜しいから、自分が皿を毀したんであります。罪なきお千代に罪を負わせ、然(そ)うして他へ嫁に往(ゆ)く邪魔に成るようにお千代の顔へ疵を附けようとする悪策(わるだくみ)を權六が其の通りの事を申しましたから、長助は変に思いまして、
長「手前は全く千代に惚れたか」
權「え、惚れましたが、云う事を肯(き)かねえから可愛さ余って憎さが百倍、嫁に行く邪魔をして呉れようと、九月のお節句にはお道具が出るから、其の時皿を打毀(うちこわ)して指を切り不具(かたわ)にして生涯亭主の持てねえようにして遣(や)ろうと、貴方(あなた)の前だが考えを起しまして、皿検(さらあらた)めの時に箱の棧が剥(と)れたてえから、糊でもって貼(つ)けてやる振をして、下の皿を一枚(いちめえ)毀して置いたから、先(ま)ず恋の意趣晴しをして嬉しいと思い、実は土間で腕を組んで悦んでいると、此の母(かゝ)さまが飛んで来て、私(わし)が病苦を助けてえと危(あぶね)え奉公と知りながら参って、人参とかを飲まそうと親のために指を切られるのも覚悟で奉公に来たアから、代りに私(わし)を殺して下せえ、切って下せえと子を思うお母(ふくろ)の心も、親を助けてえというお千代の孝行も、聴けば聴く程、あゝー実に私(わし)ア汚ねえ根性であった、何故此様(こん)な意地の悪い心になったかと考えたアだね、私が是れを考えなければ狗畜生(いぬちくしょう)も同様でごぜえますよ、私ア人間だアから考えました、はアー悪(わり)い事をしたと思いやしたから、正直に打明(ぶんま)けて旦那さまに話いして、私が千代に代って切られた方が宜(い)いと覚悟をして此処(こけ)え出やした、さアお切んなせえ、首でも何でもお切んなせえまし」
長「妙な奴だなア、手前(てめえ)それは全くか」
權「へえ、私(わし)が毀しやした」
作「成程長助、此者(これ)が毀したかも知れん、懺悔(ざんげ)をして自分から切られようという以上は、然(そ)うせんければ宜しくない、併(しか)し久しく奉公して居(い)るから、平生(へいぜい)の気象も宜く知れて居(お)るが、口もきかず、誠に面白い奴だと思っていた、殊(こと)に私(わし)に向って時々異見(いけん)がましい口答えをする事もあり、正直者だと思って目を掛けていたが、他人の三層倍(さんぞうばい)も働き、力も五人力とか、身体相応の大力(だいりき)を持っていて役にも立つと思っていたに、顔形には愧(は)じず千代に恋慕を仕掛るとは何の事だ、うん權六」
權「はい誠に面目次第もない訳で、何卒(どうぞ)私(わし)を………」
千「權六さん/\、お前私へ恋慕を仕掛けた事もないのに、私を助けようと思って然(そ)う云ってお呉れのは嬉しいけれども、それじゃア私が済みません」
權「えゝい、其様(そん)なことを云ったって、今日(こんにち)誠実(まこと)を照す世界に神さまが有るだから、まア私(わし)が言うことを聞け」
長「いや、お父さまは何と仰しゃるか知らんが、どうも此の長助には未(ま)だ腑に落ちない事がある權六手前(てまえ)が毀したと云う何ぞ確(たしか)な証拠が有るか」
權「えゝ、証拠が有りやすから、其の証拠を御覧に入れやしょう」
長「ふむ、見よう」
權「へえ只今……」
 と云いながら、立って土間より五斗張(ごとばり)の臼を持ってまいり、庭の飛石の上にずしーりと両手で軽々と下(おろ)したは、恐ろしい力の男であります。
權「これが証拠でごぜえます」
 と白菊の皿の入った箱を臼の中へ入れました。
長「何を致す/\」
權「なに造作(ぞうさ)ア有りません」
 と何時(いつ)の間(ま)に持って来たか、杵(きね)の大きいのを出して振上げ、さくーりっと力に任せて箱諸共に打砕いたから、皿が微塵に砕けた時には、東山作左衞門は驚きました。其処(そこ)に居りました者は皆顔を見合せ、呆気(あっけ)に取られて物をも云わず、
一同「むむう……」
 作左衞門は憤(おこ)ったの憤らないのでは有りません。突然(いきなり)刀掛に掛けて置いた大刀を提(ひっさ)げて顔の色を変え、
作「不埓至極の奴だ、汝(おのれ)気が違ったか、飛んだ奴だ、一枚毀してさえ指一本切るというに、二十枚箱諸共に打砕(うちくだ)くとは……よし、さ己が首を斬るから覚悟をしろ」
 と詰寄せました。權六は少しも憶する気色(けしき)もなく、縁側へどっさり腰をかけ、襟を広げて首を差し伸べ、
權「さ斬って下せえ、だが一通り申上げねばなんねえ事があるから、是れだけ聞いて下せえ、逃げも隠れもしねえ、私(わし)ゃア米搗の權六でござえます、貴方(あんた)斬るのは造作もねえが、一言(いちごん)云って死にてえことがある」
 と申しました。

        七

 さて權六という米搗(こめつき)が、東山家に数代伝わるところの重宝(じゅうほう)白菊の皿を箱ぐるみ搗摧(つきくだ)きながら、自若(じじゃく)として居りますから、作左衞門は太(ひど)く憤(おこ)りまして、顔の色は変り、唇をぶる/\顫(ふる)わし、疳癖(かんぺき)が高ぶって物も云われん様子で、

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