神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

心おほいなる者の魂答へて曰ひけるは、わが聽くところに誤りなくは汝のたましひは怯懦にそこなはる 四三―四五
夫れ人しば/\これによりて妨げられ、その尊きくはだてに身を背くることあたかも空しき象(かたち)をみ、臆して退く獸の如し 四六―四八
我は汝をこの恐れより解き放たんため、わが何故に來れるや、何事をきゝてはじめて汝のために憂ふるにいたれるやを汝に告ぐべし 四九―五一
われ懸垂の衆とともにありしに、尊き美しきひとりの淑女の我を呼ぶあり、われすなはち命を受けんことを請ひぬ 五二―五四
その目は星よりも燦(あざや)かなりき、天使のごとき聲をもて言(ことば)麗しくやはらかく我に曰ひけるは 五五―五七
やさしきマントヴァの魂よ(汝の名はいまなほ世に殘る、また動(うごき)のやまぬかぎりは殘らん) 五八―六〇
わが友にて命運の友にあらざるもの道を荒(さ)びたる麓に塞がれ、恐れて踵をめぐらせり 六一―六三
我は彼のことにつきて天にて聞ける所により、彼既に探く迷ひわが彼を助けんため身を起せしことの遲きにあらざるなきやを恐る 六四―六六
いざ行け、汝の琢ける詞またすべて彼の救ひに缺くべからざることをもて彼を助け、わが心を慰めよ 六七―六九
かく汝にゆくを請ふものはベアトリーチェなり、我はわが歸るをねがふ處より來れり、愛我を動かし我に物言はしむ 七〇―七二
わが主のみまへに立たん時我しば/\汝のことを譽(ほ)むべし、かくいひて默(もだ)せり、我即ちいひけるは 七三―七五
徳そなはれる淑女よ(およそ人圈(けん)最(いと)小さき天の内なる一切のものに優るはたゞ汝によるのみ) 七六―七八
汝の命ずるところよくわが心に適ひ、既にこれに從へりとなすともなほしかするの遲きを覺ゆ、汝さらに願ひを我に闢(ひら)くを須(もち)ゐず 七九―八一
たゞねがはくは我に告げよ、汝何ぞ危ぶむことなく、闊き處をはなれ歸思衷に燃ゆるもなほこの中心に下れるや 八二―八四
彼答へていひけるは、汝かく事の隱微をしるをねがへば、我はわが何故に恐れずここに來れるやを約(つゞま)やかに汝に告ぐべし 八五―八七
夫れ我等の恐るべきはたゞ人に禍ひをなす力あるものゝみ、その他(ほか)にはなし、これ恐れをおこさしむるものにあらざればなり 八八―九〇
神はその恩惠(めぐみ)によりて我を造りたまひたれば、汝等のなやみも我に觸れず燃ゆる焔も我を襲はじ 九一―九三
ひとりの尊き淑女天にあり、わが汝を遣はすにいたれるこの障礙(しやうげ)のおこれるをあはれみて天上の嚴(おごそか)なる審判(さばき)を抂ぐ 九四―九六
かれルチーアを呼び、請ひていひけるは、汝に忠なる者いま汝に頼らざるをえず、我すなわち彼を汝に薦むと 九七―九九
すべてあらぶるものゝ敵(あだ)なるルチーアいでゝわが古(いにしへ)のラケーレと坐しゐたる所に來り 一〇〇―一〇二
いひけるは、ベアトリーチェ、神の眞(まこと)の讚美よ、汝何ぞ汝を愛すること深く汝のために世俗を離るゝにいたれるものを助けざる 一〇三―一〇五
汝はかれの苦しき歎きを聞かざるか、汝は河水漲りて海も誇るにたらざるところにかれを攻むる死をみざるか 一〇六―一〇八
世にある人の利に趨り害を避くる急(はや)しといへども、かくいふをききて 一〇九―一一一
汝の言(ことば)の品(しな)たかく汝の譽また聞けるものゝ譽なるを頼(たのみ)とし、祝福(めぐみ)の座を離れてこゝに下れるわがはやさには若かじ 一一二―一一四
かくかたりて後涙を流し、その燦(あざや)かなる目をめぐらせり、わが疾(と)くとく來れるもこれがためなりき 一一五―一一七
さればわれ斯く彼の旨をうけて汝に來り、美山(うつくしきやま)の捷路(ちかみち)を奪へるかの獸より汝を救へり 一一八―一二〇
しかるに何事ぞ、何故に、何故にとゞまるや、何故にかゝる卑怯を心にやどすや、かくやむごとなき三人(みたり)の淑女 一二一―一二三
天の王宮に在りて汝のために心を勞し、かつわが告ぐるところかく大いなる幸(さち)を汝に約するに汝何ぞ勇なく信なきや 一二四―一二六
たとへば小さき花の夜寒(よさむ)にうなだれ凋めるが日のこれを白むるころ悉くおきかへりてその莖の上にひらく如く 一二七―一二九
わが萎(な)えしたましひかはり、わが心いたくいさめば、恐るゝものなき人のごとくわれいひけるは 一三〇―一三二
あゝ慈悲深きかな我をたすけし淑女、志厚きかなかれが傳へし眞の詞にとくしたがへる汝 一三三―一三五
汝言によりわが心を移して往くの願ひを起さしめ、我ははじめの志にかへれり 一三六―一三八
いざゆけ、導者よ、主(きみ)よ、師よ、兩者(ふたり)に一の思ひあるのみ、我斯く彼にいひ、かれ歩めるとき 一三九―一四一
艱き廢れし路に進みぬ 一四二―一四四
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   第三曲

我を過ぐれば憂ひの都あり、我を過ぐれば永遠(とこしへ)の苦患(なやみ)あり、我を過ぐれば滅亡(ほろび)の民あり 一―三
義は尊きわが造り主(ぬし)を動かし、聖なる威力(ちから)、比類(たぐひ)なき智慧、第一の愛我を造れり 四―六
永遠(とこしへ)の物のほか物として我よりさきに造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ 七―九
われは黒く録(しる)されしこれらの言(ことば)を一の門の頂に見き、この故に我、師よ、かれらの意義我に苦し 一〇―一二
事すべてあきらかなる人の如く、彼我に、一切の疑懼一切の怯心ここに棄つべく滅ぼすべし 一三―一五
我等はいま智能の功徳(くどく)を失へる憂ひの民をみんとわがさきに汝に告げしところにあるなり 一六―一八
かくて氣色(けしき)うるはしくわが手をとりて我をはげまし、我を携へて祕密の世に入りぬ 一九―二一
ここには歎き、悲しみの聲、はげしき叫喚、星なき空(そら)にひゞきわたれば、我はたちまち涙を流せり 二二―二四
異樣の音(おん)、罵詈(のゝしり)の叫び、苦患(なやみ)の言(ことば)、怒りの節(ふし)、強き聲、弱き聲、手の響きこれにまじりて 二五―二七
轟動(どよ)めき、たえず常暗(とこやみ)の空をめぐりてさながら旋風吹起る時の砂のごとし 二八―三〇
怖れはわが頭(かうべ)を卷けり、我即ちいふ、師よわが聞くところのものは何ぞや、かく苦患(なやみ)に負くるとみゆるは何の民ぞや 三一―三三
彼我に、この幸(さち)なき状(さま)にあるは恥もなく譽もなく世をおくれるものらの悲しき魂なり 三四―三六
彼等に混(まじ)りて、神に逆(さから)へるにあらず、また忠なりしにもあらず、たゞ己にのみ頼れるいやしき天使の族(むれ)あり 三七―三九
天の彼等を逐へるはその美に虧くる處なからんため、深き地獄の彼等を受けざるは罪ある者等これによりて誇ることなからんためなり 四〇―四二
我、師よ、彼等何を苦しみてかくいたく歎くにいたるや、答へていふ、いと約(つゞま)やかにこれを汝に告ぐべし 四三―四五
それ彼等には死の望みなし、その失明の生はいと卑しく、いかなる分際(きは)といへどもその嫉みをうけざるなし 四六―四八
世は彼等の名の存(のこ)るをゆるさず、慈悲も正義も彼等を輕んず、我等また彼等のことをかたるをやめん、汝たゞ見て過ぎよ 四九―五一
われ目をさだめて見しに一旒の旗ありき、飜り流れてそのはやきこと些(すこし)の停止(やすみ)をも蔑視(さげす)むに似たり 五二―五四
またその後方(うしろ)には長き列を成して歩める民ありき、死がかく多くの者を滅ぼすにいたらんとはわが思はざりしところなりしを 五五―五七
われわが識れるものゝ彼等の中にあるをみし後、心おくれて大事を辭(いな)めるものゝ魂を見知りぬ 五八―六〇
われはたゞちに悟(さと)りかつ信ぜり、こは神にも神の敵にも厭はるゝ卑しきものの宗族(うから)なりしを 六一―六三
これらの生けることなき劣れるものらはみな裸のまゝなりき、また虻あり蜂ありていたくかれらを刺し 六四―六六
顏に血汐の線をひき、その血の涙と混れるを汚らはしき蟲足下(あしもと)にあつめぬ 六七―六九
われまた目をとめてなほ先方(さき)を望み、一の大いなる川の邊(ほとり)に民あるをみ、いひけるは、師よねがはくは 七〇―七二
かれらの誰なるや、微(かすか)なる光によりてうかゞふに彼等渡るをいそぐに似たるは何の定(さだめ)によりてなるやを我に知らせよ 七三―七五
彼我に、我等アケロンテの悲しき岸邊に足をとゞむる時これらの事汝にあきらかなるべし 七六―七八
この時わが目恥を帶びて垂れ、われはわが言(ことば)の彼に累をなすをおそれて、川にいたるまで物言ふことなかりき 七九―八一
こゝに見よひとりの翁(おきな)の年へし髮を戴きて白きを、かれ船にて我等の方に來り、叫びていひけるは、禍ひなるかな汝等惡しき魂よ 八二―八四
天を見るを望むなかれ、我は汝等をかなたの岸、永久(とこしへ)の闇の中熱の中氷の中に連れゆかんとて來れるなり 八五―八七
またそこなる生ける魂よ、これらの死にし者を離れよ、されどわが去らざるをみて 八八―九〇
いふ、汝はほかの路によりほかの港によりて岸につくべし、汝の渡るはこゝにあらず、汝を送るべき船はこれよりなほ輕し 九一―九三
導者彼に、カロンよ、怒る勿れ、思ひ定めたる事を凡て行ふ能力(ちから)あるところにてかく思ひ定められしなり、汝また問ふこと勿れ 九四―九六
この時目のまはりに炎の輪ある淡黒(うすぐろ)き沼なる舟師(かこ)の鬚多き頬はしづまりぬ 九七―九九
されどよわれる裸なる魂等はかの非情の言(ことば)をきゝて、たちまち色をかへ齒をかみあわせ 一〇〇―一〇二
神、親、人およびその蒔かれその生れし處と時と種(たね)とを誹(そし)れり 一〇三―一〇五
かくて彼等みないたく泣き、すべて神をおそれざる人を待つ禍ひの岸に寄りつどへり 一〇六―一〇八
目は熾火(おきび)のごとくなる鬼のカロン、その意(こゝろ)を示してみな彼等を集め、後るゝ者あれば櫂にて打てり 一〇九―一一一
たとへば秋の木(こ)の葉の一葉(ひとは)散りまた一葉ちり、枝はその衣(ころも)を殘りなく地にをさむるにいたるがごとく 一一二―一一四
アダモの惡しき裔(すゑ)は示しにしたがひ、あひついで水際(みぎは)をくだり、さながら呼ばるゝ鳥に似たり 一一五―一一七
かくして彼等黯(くろず)める波を越えゆき、いまだかなたに下立(おりた)たぬまにこなたには既にあらたに集まれる群(むれ)あり 一一八―一二〇
志厚き師曰ひけるは、わが子よ、神の怒りのうちに死せるもの萬國より來りてみなこゝに集(つど)ふ 一二一―一二三
その川を渡るをいそぐは神の義これをむちうちて恐れを願ひにかはらしむればなり 一二四―一二六
善き魂この處を過ぐることなし、さればカロン汝にむかひてつぶやくとも、汝いまその言の意義をしるをえん 一二七―一二九
いひ終れる時黒暗(くらやみ)の廣野(ひろの)はげしくゆらげり、げにそのおそろしさを思ひいづればいまなほわが身汗にひたる 一三〇―一三二
涙の地風をおこし、風は紅(くれなゐ)の光をひらめかしてすべてわが官能をうばひ 一三三―一三五
我は睡りにとらはれし人の如く倒れき 一三六―一三八
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   第四曲

はげしき雷(いかづち)はわが頭(かうべ)のうちなる熟睡(うまい)を破れり、我は力によりておこされし人の如く我にかへり 一―三
たちなほりて休める目を動かし、わが在るところを知らんとて瞳を定めあたりを見れば 四―六
我はげにはてしなき叫喚の雷をあつめてものすごき淵なす溪の縁(へり)にあり 七―九
暗く、深く、霧多く、目をその深處(ふかみ)に注げどもまた何物をもみとむるをえざりき 一〇―一二
詩人あをざめていひけるは、いざ我等この盲(めしひ)の世にくだらむ、我第一に汝第二に 一三―一五
われその色を見、いひけるは、おそるゝごとに我を勵ませし汝若しみづから恐れなば我何ぞ行くをえん 一六―一八
彼我に、この下なる民のわづらひは憐みをもてわが面(おもて)を染めしを、汝みて恐れとなせり 一九―二一
長途我等を促せばいざ行かむ、かくして彼さきに入り、かくして我をみちびきぬ、淵をめぐれる第一の獄(ひとや)の中に 二二―二四
耳にてはかるに、こゝにはとこしへの空(そら)をふるはす大息(ためいき)のほか歎聲(なげき)なし 二五―二七
こは苛責の苦なきなやみよりいづ、またこのなやみをうくるは稚兒(をさなご)、女、男の數多き、大いなる群(むれ)なりき 二八―三〇
善き師我に、汝これらの魂をみてその何なるやを問はざるならずや、いざ汝なほさきに行かざるまに知るべし 三一―三三
彼等は罪を犯せるにあらず、嘉(よみ)すべきことはありとも汝がいだく信仰の一部なる洗禮(バッテスモ)をうけざるが故になほたらず 三四―三六
またクリストの教へのさきに世にありたれば神があがむるの道をつくさゞりき、我も亦このひとりなり 三七―三九
われらの救ひを失へるはほかに罪あるためならず、たゞこの虧處(おちど)のためなれば我等はたゞ願ひありて望みなき生命(いのち)をこゝにわぶるのみ 四〇―四二
われこの言をきくにおよびてリムボに懸れるいとたふとき民あるをしり、深き憂ひはわが心をとらへき 四三―四五
我は一切の迷ひに勝つ信仰にかたく立たんことをおもひ、いひけるは、我に告げよわが師、我に告げよ主(きみ) 四六―四八
おのれの功徳(くどく)によりまたは他人(ひと)の功徳により、かつてこの處をいでゝ福(さいはひ)を享くるに至れるものありや、かれわが言(ことば)の裏をさとり 四九―五一
答へて曰ひけるは、われこゝにくだりてほどなきに、ひとりの權能(ちから)あるもの勝利(かち)の休徴(しるし)を冠(かうむ)りて來るを見たり 五二―五四
この者第一の父の魂、その子アベルの魂、ノエの魂、律法(おきて)をたてまたよく神に順へるモイゼの魂 五五―
族長アブラアム、王ダヴィーデ、イスラエルとその父その子等およびラケーレ(イスラエルかれの、ために多くの事をなしたりき)
その外なほ多くの者の魂をこゝよりとりさり、彼等に福(さいはひ)を與へたりき、汝しるべし、彼等より先には人の魂の救はれしことあらざるを ―六三
かれかたる間も我等歩みを停(とど)めず、たえず林を分けゆけり、即ち繁き魂の林なり 六四―六六
睡りのこなた行く道いまだ長からぬに、我は半球の闇を服せる一の火を見き 六七―六九
我等なほ少しくこれと離れたりしもその距離(へだゝり)大ならねば、我はまたこの處の一部にたふとき民の據れるを認めき 七〇―七二
汝學藝のほまれよ、かくあがめをうけてそのさま衆と異なるは誰ぞや 七三―七五
彼我に、汝の世に響くかれらの美名(よきな)はその惠みを天にうけ、かれらかく擢んでらる 七六―七八
この時聲ありて、いとたふとき詩人を敬へ、出でゝいにしその魂はかへれりといふ 七九―八一
聲止みしづまれるとき我見しに四(よつ)の大いなる魂ありて我等のかたに來れり、その姿には悲しみもまた喜びもみえざりき 八二―八四
善き師曰ひけるは、手に劒(つるぎ)を執りて三者(みたり)にさきだち、あたかも王者(わうじや)のごとき者をみよ 八五―八七
これならびなき詩人オーメロなり、その次に來るは諷刺家オラーチオ、オヴィディオ第三、最後はルカーノなり 八八―九〇
かの一の聲の稱(とな)へし名はかれらみな我と等しくえたるものなればかれら我をあがむ、またしかするは善し 九一―九三
我はかく衆を超えて鷲の如く天翔(あまがけ)る歌聖の、うるはしき一族のあつまれるを見たり 九四―九六
しばらくともにかたりて後、かれらは我にむかひて會釋す、わが師これを見て微笑(ほゝゑ)みたまへり 九七―九九
かれらはまた我をその集(つどひ)のひとりとなしていと大いなる譽を我にえさせ、我はかゝる大智に加はりてその第六の者となりにき 一〇〇―一〇二
かくて我等はかの時かたるに適(ふさ)はしくいまは默(もだ)すにふさはしき多くの事をかたりつゝ光ある處にいたれり 一〇三―一〇五
我等は一の貴き城のほとりにつけり、七重(なゝへ)の高壘これを圍み、一の美しき流れそのまはりをかたむ 一〇六―一〇八
我等これを渡ること堅き土に異ならず、我は七(なゝつ)の門を過ぎて聖(ひじり)の群(むれ)とともに入り、緑新しき牧場(まきば)にいたれば 一〇九―一一一
こゝには眼(まなこ)緩(ゆるや)かにして重く、姿に大いなる權威をあらはし、云ふことまれに聲うるはしき民ありき 一一二―一一四
我等はこゝの一隅(かたほとり)、廣き明(あかる)き高き處に退きてすべてのものを見るをえたりき 一一五―一一七
對面(むかひ)の方(かた)には緑の※藥(えうやく)[#「さんずい+幼」、34-3]の上にわれ諸□の大いなる魂をみき、またかれらをみたるによりていまなほ心に喜び多し 一一八―一二〇
我はエレットラとその多くの侶(とも)をみき、その中に我はエットル、エーネア、物具(ものゝぐ)身につけ眼(まなこ)鷹の如きチェーザレを認めぬ 一二一―一二三
またほかの處に我はカムミルラとパンタシレアを見き、また女(むすめ)ラヴィーナとともに坐したる王ラティーノを見き 一二四―一二六
我はタルクイーノを逐へるブルート、またルクレーチア、ユーリア、マルチア、コルニーリアを見き、また離れてたゞひとりなる 一二七―
サラディーノを見き、我なほ少しく眉をあげ、哲人の族(やから)の中に坐したる智者の師を見き ―一三二
衆皆かれを仰ぎ衆皆かれを崇む、われまたこゝに群(むれ)にさきだちて彼にいとちかきソクラーテとプラートネを見き 一三三―一三五
世界の偶成を説けるデモクリート、またディオジェネス、アナッサーゴラ、ターレ、エムペドクレス、エラクリート、ツェノネ 一三六―一三八
我また善く特性を集めしもの即ちディオスコリーデを見き、またオルフェオ、ツルリオ、リーノ、道徳を設けるセネカ 一三九―一四一
幾何學者エウクリーデまたトロメオ、イポクラーテ、アヴィチェンナ、ガリエーノ、註の大家アヴェルロイスを見き 一四二―一四四
いま脱(おち)なくすべての者を擧げがたし、これ詩題の長きに驅られ、事あまりて言足らざること屡□なればなり 一四五―一四七
六者(むたり)の伴侶(なかま)は減(へ)りて二者(ふたり)となれり、智(さと)き導者異なる路によりて我を靜なる空より震ひゆらめく空に導き 一四八―一五〇
我は光る物なき處にいたれり 一五一―一五三
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   第五曲

斯く我は第一の獄(ひとや)より第二の獄に下れり、是は彼よりをさむる地少なく苦患(なやみ)ははるかに大いにして突いて叫喚を擧げしむ 一―三
こゝにミノス恐ろしきさまにて立ち、齒をかみあはせ、入る者あれば罪業(ざいごふ)を糺(たゞ)し刑罰を定め身を卷きて送る 四―六
すなはち幸(さち)なく世に出でし魂その前に來れば一切を告白し、罪を定むる者は 七―九
地獄の何處(いづこ)のこれに適(ふさは)しきやをはかり、送らむとする獄(ひとや)の數(かず)にしたがひ尾をもて幾度も身をめぐらしむ 一〇―一二
彼の前には常に多くの者の立つあり、かはる/″\出でゝ審判をうけ、陳べ、聞きて後下に投げらる 一三―一五
ミノス我を見し時、かく重き任務(つとめ)を棄てゝ我にいひけるは、憂ひの客舍に來れる者よ 一六―一八
汝みだりに入るなかれ、身を何者に委ぬるや思ひ見よ、入口ひろきによりて欺かるるなかれ、わが導者彼に、汝何ぞまた叫ぶや 一九―二一
彼定命に從ひてゆく、之を妨ぐる勿れ、思ひ定めたる事を凡て行ふ能力(ちから)あるところにてかく思ひ定められしなり、汝また問ふこと勿れ 二二―二四
苦患(なやみ)の調(しらべ)はこの時あらたに我にきこゆ、我はこの時多くの歎聲(なげき)の我を打つところにいたれり 二五―二七
わがいたれる處には一切の光默(もだ)し、その鳴ることたとへば異なる風に攻められ波たちさわぐ海の如し 二八―三〇
小止(をやみ)なき地獄の烈風吹き荒れて魂を漂はし、旋(めぐ)りまた打ちてかれらをなやましむ 三一―三三
かれら荒ぶる勢ひにあたれば、そこに叫びあり、憂ひあり、歎きあり、また神の權能(ちから)を誹る言(ことば)あり 三四―三六
我はさとりぬ、かゝる苛責の罰をうくるは、理性を慾の役(えき)となせし肉の罪人(つみびと)なることを 三七―三九
たとへば寒き時椋鳥(むくどり)翼に支へられ、大いなる隙(すき)なき群をつくりて浮び漂ふごとく、風惡靈を漂はし 四〇―四二
こゝまたかしこ下また上に吹送り、身をやすめまたは痛みをかろむべき望みのその心を慰むることたえてなし 四三―四五
またたとへば群鶴(むらづる)の一線長く空(そら)に劃し、哀歌をうたひつゝゆくごとく、我は哀愁の聲をあげ 四六―
かの暴風(はやち)に負(お)はれて來る魂を見き、すなはちいふ、師よ、黒き風にかく懲さるゝ此等の民は誰なりや ―五一
この時彼我にいふ、汝が知るをねがふこれらの者のうち最初(はじめ)なるは多くの語(ことば)の皇后(きさい)なりき 五二―五四
かれ淫慾の非に耽り、おのが招ける汚辱を免かれんため律法(おきて)をたてゝ快樂(けらく)を囘護(かば)へり 五五―五七
かれはセミラミスなり、書にかれニーノの後を承く、即ちその妻なる者なりきといへるは是なり、かれはソルダンの治むる地をその領とせり 五八―六〇
次は戀のために身を殺しシケーオの灰にむかひてその操を破れるもの、次は淫婦クレオパトラースなり 六一―六三
エレーナを見よ、長き禍ひの時めぐり來れるもかれのためなりき、また戀と戰ひて身ををへし大いなるアキルレを見よ 六四―六六
見よパリスを、トリスターノを、かくいひてかれ千餘の魂の戀にわが世を逐はれし者を我にみせ、指さして名を告げぬ 六七―六九
わが師かく古の淑女騎士の名を告ぐるをきける時、我は憐みにとらはれ、わが神氣(こゝろ)絶えいるばかりになりぬ 七〇―七二
我曰ふ、詩人よ、願はくはわれかのふたりに物言はん、彼等相連れてゆき、いと輕く風に乘るに似たり 七三―七五
かれ我に、かれらのなほ我等に近づく時をみさだめ、彼等を導く戀によりて請ふべし、さらば來らむ 七六―七八
風彼等をこなたに靡かしゝとき、われはたゞちに聲をいだして、あはれなやめる魂等よ、彼もし拒まずば來りて我等に物言へといふ 七九―八一
たとへば鳩の、願ひに誘(さそ)はれ、そのつよき翼をたかめ、おのが意(こゝろ)に身を負はせて空(そら)をわたり、たのしき巣にむかふが如く 八二―八四
情(なさけ)ある叫びの力つよければ、かれらはディドの群(むれ)を離れ魔性(ましやう)の空(そら)をわたりて我等にむかへり 八五―八七
あゝやさしく心あたゝかく、世を紅に染めし我等をもかへりみ、暗闇(くらやみ)の空をわけつつゆく人よ 八八―九〇
汝我等の大いなる禍ひをあはれむにより、宇宙の王若し友ならば、汝のためにわれら平和をいのらんものを 九一―九三
すべて汝が聞きまたかたらんとおもふことは我等汝等にきゝまた語らむ、風かく我等のために默(もだ)す間(あひだ)に 九四―九六
わが生れし邑(まち)は海のほとり、ポーその從者(ずさ)らと平和を求めてくだるところにあり 九七―九九
いちはやく雅心(みやびごゝろ)をとらふる戀は、美しきわが身によりて彼を捉へき、かくてわれこの身を奪はる、そのさまおもふだにくるし 一〇〇―一〇二
戀しき人に戀せしめではやまざる戀は、彼の慕はしきによりていと強く我をとらへき、されば見給ふ如く今猶我を棄つることなし 一〇三―一〇五
戀は我等を一の死にみちびきぬ、我等の生命(いのち)を斷てる者をばカイーナ待つなり、これらの語を彼等われらに送りき 一〇六―一〇八
苦しめる魂等のかくかたるをきゝし時、我はたゞちに顏をたれ、ながく擧ぐるをえざりしかば詩人われに何を思ふやといふ 一〇九―一一一
答ふるにおよびて我曰ひけるは、あはれ幾許(いくそ)の樂しき思ひ、いかに切(せち)なる願ひによりてかれらこの憂ひの路にみちびかれけん 一一二―一一四
かくてまた身をめぐらしてかれらにむかひ、語りて曰ひけるは、フランチェスカよ、我は汝の苛責を悲しみかつ憐みて泣くにいたれり 一一五―一一七
されど我に告げよ、うれしき大息(といき)たえぬころ、何によりいかなるさまにていまだひそめる胸の思ひを戀ぞと知れる 一一八―一二〇
かれ我に、幸(さち)なくて幸ありし日をしのぶよりなほ大いなる苦患(なやみ)なし、こは汝の師しりたまふ 一二一―一二三
されど汝かくふかく戀の初根(うひね)をしるをねがはゞ、我は語らむ、泣きつゝかたる人のごとくに 一二四―一二六
われら一日こゝろやりとて戀にとらはれしランチャロットの物語を讀みぬ、ほかに人なくまたおそるゝこともなかりき 一二七―一二九
書(ふみ)はしば/\われらの目を唆(そゝの)かし色を顏よりとりされり、されど我等を從へしはその一節(ひとふし)にすぎざりき 一三〇―一三二
かの憧(あこが)るゝ微笑(ほゝゑみ)がかゝる戀人の接吻(くちづけ)をうけしを讀むにいたれる時、いつにいたるも我とはなるゝことなきこの者 一三三―一三五
うちふるひつゝわが口にくちづけしぬ、ガレオットなりけり書(ふみ)も作者も、かの日我等またその先(さき)を讀まざりき 一三六―一三八
一(ひとつ)の魂かくかたるうち、一はいたく泣きたれば、我はあはれみのあまり、死に臨めるごとく喪神し 一三九―一四一
死體の倒るゝごとくたふれき 一四二―一四四
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   第六曲

所縁の兩者をあはれみ、心悲しみによりていたくみだれ、そのため萎(な)えしわが官能、また我に返れる時 一―三
我わがあたりをみれば、わが動く處、わが向ふ處、わが目守(まも)る處すべて新(あらた)なる苛責新(あらた)なる苛責を受くる者ならぬはなし 四―六
我は第三の獄(ひとや)にあり、こは永久(とこしへ)の詛ひの冷たきしげき雨の獄なり、その法(のり)と質(さが)とは新なることなし 七―九
大粒(おほつぶ)の雹、濁れる水、および雪はくらやみの空よりふりしきり、地はこれをうけて惡臭(をしう)を放てり 一〇―一二
猛き異樣の獸チェルベロこゝに浸れる民にむかひ、その三(みつ)の喉によりて吠ゆること犬に似たり 一三―一五
これに紅の眼、脂ぎりて黒き髯、大いなる腹、爪ある手あり、このもの魂等を爬き、噛み、また裂きて片々(きれ/″\)にす 一六―一八
雨はかれらを犬のごとくさけばしむ、かれら幸(さち)なき神なき徒(ともがら)、片脇(かたわき)をもて片脇の防禦(ふせぎ)とし、またしば/\反側す 一九―二一
大いなる蟲チェルベロ我等を見し時、口をひらき牙をいだしぬ、その體(からだ)にはゆるがぬ處なかりき 二二―二四
わが導者雙手(もろて)をひらきて土を取り、そのみちたる土を飽くことなき喉の中に投げ入れぬ 二五―二七
鳴いてしきりに物乞ふ犬も、その食物(くひもの)を噛むにおよびてしづまり、たゞこれを喰ひ盡さんとのみおもひてもだゆることあり 二八―三〇
さけびて魂等を驚かし、かれらに聾(みゝしひ)ならんことをねがはしめし鬼チェルベロの汚(きたな)き顏もまたかくのごとくなりき 三一―三三
我等ははげしき雨にうちふせらるゝ魂をわたりゆき、體(からだ)とみえてしかも空(くう)なるその象(かたち)を踏みぬ 三四―三六
かれらはすべて地に臥しゐたるに、こゝにひとり我等がその前を過ぐるをみ、坐(すわ)らんとてたゞちに身を起せる者ありき 三七―三九
この者我にいひけるは、導かれてこの地獄を過行くものよ、もしかなはゞわが誰なるを思ひ出でよ、わが毀たれぬさきに汝は造られき 四〇―四二
我これに、汝のうくる苦しみは汝をわが記憶より奪へるか、われいまだ汝を見しことなきに似たり 四三―四五
然(され)ど告げよ、汝いかなる者なればかく憂き處におかれ又かゝる罰を受くるや、たとひ他(ほか)に之より重き罰はありともかく厭はしき罰はあらじ 四六―四八
彼我に、嫉み盈ち/\てすでに嚢(ふくろ)に溢るゝにいたれる汝の邑(まち)は、明(あか)き世に我を收めし處なりき 四九―五一
汝等邑民(まちびと)われをチヤッコとよびなせり、害多き暴食の罪によりてわれかくの如く雨にひしがる 五二―五四
また悲しき魂の我ひとりこゝにあるにあらず、これらのものみな同じ咎によりて同じ罰をうく、かくいひてまた言(ことば)なし 五五―五七
われ答へて彼に曰けるは、チヤッコよ、汝の苦しみはわが心をいたましめわが涙を誘(いざな)ふ、されどもし知らば、分れし邑(まち)の邑人(まちびと)の行末 五八―六〇
一人(ひとり)だにこゝに義者(たゞしきもの)ありや、またかく大いなる不和のこゝを襲ふにいたれる源(もと)を我に告げよ 六一―六三
かれ我に、長き爭ひの後彼等は血を見ん、鄙(ひな)の徒黨(ともがら)いたく怨みて敵を逐ふべし 六四―六六
かくて三年(みとせ)の間にこれらは倒れ、他はいま操縱(あやな)すものゝ力によりて立ち 六七―六九
ながくその額を高うし、歎き、憤りいかに大いなりとも敵を重き重荷の下に置くべし 七〇―七二
義者二人(ふたり)あり、されどかへりみらるゝことなし、自負、嫉妬、貪婪は人の心に火を放てる三の火花なり 七三―七五
かくいひてかれその斷腸の聲をとゞめぬ、我彼に、願はくはさらに我に教へ、わがために言(ことば)を惜しむなかれ 七六―七八
世に秀でしファーリナータ、テッギアイオ、またヤーコポ・ルスティクッチ、アルリーゴ、モスカそのほか善を行ふ事にその才をむけし者 七九―八一
何處にありや、我に告げ我に彼等をしらしめよ、これ大いなる願ひ我を促し、天彼等を甘くするや地獄彼等を毒するやを知るを求めしむればなり 八二―八四
彼、彼等は我等より黒き魂の中にあり、異なる罪その重さによりて彼等を深處(ふかみ)に沈ましむ、汝下りてそこに至らば彼等をみるをえん 八五―八七
されど麗しき世にいづる時、ねがはくは汝我を人の記憶に薦めよ、われさらに汝に告げず、またさらに汝に答へず 八八―九〇
かくてかれその直(すぐ)なりし目を横に歪め、少しく我を見て後頭(かうべ)をたれ、これをほかの盲(めしひ)等とならべて倒れぬ 九一―九三
導者我に曰ふ、天使の喇叭(らつぱ)ひゞくまで彼ふたゝび身を起すことなし、仇なる權能(ちから)來るとき 九四―九六
かれら皆悲しき墓にたちかへり、ふたゝびその肉その形をとりてとこしへに鳴渡るものをきくべし 九七―九九
少しく後世(ごせ)のことをかたりつゝ我等は斯く魂と雨と汚(きたな)く混(まじ)れるなかを歩(あゆみ)しづかにわけゆきぬ 一〇〇―一〇二
我すなはちいふ、師よ、かゝる苛責の苦しみは大いなる審判(さばき)の後増すべきか減(へ)るべきかまたはかく燃ゆべきか 一〇三―一〇五
彼我に汝の教にかへるべし、曰く、物いよ/\全きに從ひ、幸を感ずるいよ/\深し、苦しみを感ずるまた然りと 一〇六―一〇八
たとひこの詛ひの民眞(まこと)の完全(まつたき)にいたるをえずとも、その後は前よりこれにちかゝらむ 一〇九―一一一
我等迂囘してこの路をゆき、こゝにのべざる多くの事をかたりつゝ降るべき處にいたり 一一二―一一四
こゝに大敵プルートを見き 一一五―一一七
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   第七曲

パペ、サタン、パペ、サタン、アレッペ、聲を嗄らしてプルートは叫べり、萬(よろづ)のことを知りたまへるやさしき聖(ひじり) 一―三
我を勵まさんとていひけるは、汝おそれて自ら損ふなかれ、彼にいかなる力ありとも、汝にこの岩を降らしめざることあらじ 四―六
またかの膨るゝ顏にむかひいひけるは、默(もだ)せ、冥罰(みやうばつ)重き狼よ、その怒りをもて己が心を滅ぼし盡せ 七―九
かく深處(ふかみ)にゆくは故なきにあらず、こはミケーレが仇を不遜の非倫にかへせる天にて思ひ定められしなり 一〇―一二
たとへば風にはらめる帆の檣碎けて縺れ落つるごとく、かの猛き獸地に倒れぬ 一三―一五
かくして我等は宇宙一切の惡をつゝむ憂ひの岸をすゝみゆき、第四の坎(あな)に下れり 一六―一八
あゝ神の正義よ、かく多くの新なる苦しみと痛みとを押填(おしつ)むるは誰ぞ、我等の罪何ぞ我等をかく滅ぼすや 一九―二一
かの逆浪(さかなみ)に觸れてくだくるカリッヂの浪の如く、斯民(このたみ)またこゝにリッダを舞はではかなはじ 二二―二四
我はこゝに何處よりも多くの民のかなたこなたにありていたくわめき、胸の力によりて重荷をまろばすをみき 二五―二七
かれらは互に打當り、あたればたゞちに身を飜し、何ぞ溜むるや何ぞ投ぐるやと叫び、もときしかたにまろばせり 二八―三〇
かくて彼等はかなたこなたより異なる方向(むき)をとりてまたも恥づべき歌をうたひ、暗き獄(ひとや)を傳ひてかへり 三一―三三
かくして圈の半(なかば)にいたればふたゝびこゝに渡り合ひ、各□その身をめぐらせり、心刺さるゝばかりなりしわれ 三四―三六
いひけるは、わが師よ、これ何の民なりや、また我等の左なる髮を削れるものらすべてこれ僧なりしや、いま我に示したまへ 三七―三九
彼我に、かれらは悉く第一の世に心ゆがみて程よく費すことをなさざりしものなり 四〇―四二
こはこの地獄の中表裏(うらうへ)なる咎かれらを分つ二の點にいたる時かれらその吠ゆる聲によりていと明かならしむ 四三―四五
頭に毛の蔽物(おほひ)なき者は僧なりき、また法王、カルディナレあり、慾その衷に權を行ふ 四六―四八
我、師よ、わが識れるものにてこの罪咎に汚るゝものかならずかれらの中にあらん 四九―五一
かれ我に、汝空しき思ひを懷けり、彼等を汚せる辨別(わきまへ)なき生命(いのち)はいまかれらを昧(くらま)し、何者もかれらをわきまへがたし 五二―五四
かれら限りなくこの二の牴觸をみん、此等は手を閉ぢ、これらは髮を短くして墓よりふたゝび起きいづべし 五五―五七
あしく費しあしく貯へしことは美しき世をかれらより奪ひ、かれらにこの爭ひあらしむ、われこゝに言(ことば)を飾りてそのさまをいはじ 五八―六〇
子よ、汝いま知りぬらん、命運に委ねられ、人みなの亂(みだれ)の本なる世の富貴のただ苟且(かりそめ)の戲(たはぶれ)を 六一―六三
そは月の下に今ありまた昔ありし黄金(こがね)こと/″\く集まるともこれらよわれる魂の一にだに休みをえさすることはよくせじ 六四―六六
我彼に曰ふ、師よ、さらにいま我に告げよ、汝謂ふ所の命運とはこれいかなるものにて斯く世の富貴をその手の裡にをさむるや 六七―六九
彼我に、あゝ愚(おろか)なる人々よ、汝等を躓かすは何等の無智ぞや、いざ汝この事についてわがいふところのことを含め 七〇―七二
夫れその智萬物に超ゆるもの諸天を造りてこれに司るものを與へたまへり、かくて各部は各部にかゞやき 七三―七五
みな分に應じてその光を頒つ、これと同じく世にありてもまたその光輝をすべをさめ且つ導く者を立てたまへり 七六―七八
このもの時至れば空しき富貴を民より民に血より血に移し人智もこれを防ぐによしなし 七九―八一
此故にその定(さだめ)にしたがひて一の民榮え一の民衰ふ、またその定の人にかくるゝこと草の中なる蛇の如し 八二―八四
汝等の智何ぞこれに逆(さから)ふことをえん、彼先を見て定めおのが權を行ふことなほ神々のしかするに似たり 八五―八七
その推移には休歇(やすみ)なし、已むなきの力かれをはやむ、その流轉(るてん)にあふもの屡□と出づるも宜なるかな 八八―九〇
彼を讚むべきもの却つて彼を十字架につけ、故なきに難(なん)じ、汚名を負はしむ 九一―九三
されどかれ祝福(めぐみ)をうけてこれを聞かず、はじめて造られしものと共にこゝろよくその輪を轉らし、まためぐまるゝによりて喜び多し 九四―九六
いざ今より我等は尚大いなる憂ひにくだらん、わが進みしとき登れる星はみな既にかたむきはじむ、我等ながくとゞまる能はず 九七―九九
我等この獄(ひとや)を過ぎてかなたの岸にいたれるに、こゝに一の泉ありて湧きこゝより起れる一の溝(みぞ)にそゝげり 一〇〇―一〇二
水の黒(くろ)きことはるかにペルソにまさりき、我等黯(くろず)める波にともなひ慣れざる路をつたひてくだりぬ 一〇三―一〇五
この悲しき小川はうす黒き魔性の坂の裾にくだりてスティージェとよばるゝ一の沼となれり 一〇六―一〇八
こゝにわれ心をとめて見んとて立ち、この沼の中に、泥にまみれみなはだかにて怒りをあらはせる民を見き 一〇九―一一一
かれらは手のみならず、頭、胸、足をもて撃ちあひ、齒にて互に噛みきざめり 一一二―一一四
善き師曰ふ、子よ、今汝は怒りに負(ま)けしものゝ魂を見るなり、汝またかたく信すべし 一一五―一一七
この水の下に民あることを、かれらその歎息(ためいき)をもて水の面に泡立たしむ、こはいづこにむかふとも汝の目汝に告ぐる如し 一一八―一二〇
泥(ひぢ)の中にて彼等はいふ、日を喜ぶ麗しき空氣のなかにも無精(ぶせい)の水氣を衷にやどして我等鬱せり 一二一―一二三
今我黒き泥水(どろみづ)のなかに鬱すと、かれらこの聖歌によりて喉に嗽(うがひ)す、これ全き言(ことば)にてものいふ能はざればなり 一二四―一二六
かくして我等は乾ける土と濡れたる沼の間をあゆみ、目を泥を飮む者にむかはしめ、汚(きたな)き瀦(みづたまり)の大なる孤をめぐりて 一二七―一二九
つひに一の城樓(やぐら)の下(もと)にいたれり 一三〇―
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   第八曲

續いて語るらく、高き城樓(やぐら)の下(もと)を距るなほいと遠き時、我等は目をその頂に注げり 一―三
これ二(ふたつ)の小さき焔のこゝにおかるゝをみしによりてなり、又他(ほか)に一(ひとつ)之と相圖を合せしありしも距離(あはひ)大なれば我等よく認むるをえざりき 四―六
こゝにわれ全智の海にむかひ、いひけるは、この火何といひ、かの火何と答ふるや、またこれをつくれるものは誰なりや 七―九
彼我に、既に汝は來らんとすることを汚(けが)れし波の上に辨(わか)ちうべし、若し沼の水氣これを汝に隱さずば 一〇―一二
矢の絃(つる)に彈(はじ)かれ空を貫いて飛ぶことはやきもわがこの時見し一の小舟には如かじ 一三―一五
舟は水を渡りて、我等のかたにすゝめり、これを操(あやつ)れるひとりの舟子(ふなこ)よばゝりて、惡しき魂よ、汝いま來れるかといふ 一六―一八
わが主曰ひけるは、フレジアス、フレジアス、こたびは汝さけぶも益なし、我等汝に身を委ぬるは、泥(ひぢ)を越えゆく間(あひだ)のみ 一九―二一
怒りを湛へしフレジアスのさま、さながら大いなる欺罔(たばかり)に罹れる人のこれをさとりていたみなげくが如くなりき 二二―二四
わが導者船にくだり、尋(つい)で我に入らしめぬ、船はわが身をうけて始めてその荷を積めるに似たりき 二五―二七
導者も我も乘り終れば、年へし舳(へさき)忽ち進み、その水を切ること常よりも深し 二八―三〇
我等死の溝を馳せし間に、泥を被れるもの一人わが前に出でゝいひけるは、時いたらざるに來れる汝は誰ぞ 三一―三三
我彼に、われ來れども止まらず、然(さは)れ、かく汚るゝにいたれる汝は誰ぞ、答へていふ、見ずやわが泣く者なるを 三四―三六
我彼に、罰當(ばちあたり)の魂奴(たましひめ)、歎悲(なげきかなしみ)の中にとゞまれ、いかに汚るとも我汝を知らざらんや 三七―三九
この時彼船にむかひて兩手(もろて)をのべぬ、師はさとりてかれをおしのけ、去れ、かなたに、他の犬共にまじれといふ 四〇―四二
かくてその腕(かひな)をもてわが頸をいだき顏にくちづけしていひけるは、憤りの魂よ、汝を孕める女は福(さいはひ)なるかな 四三―四五
かれは世に僭越なりしものにてその記憶を飾る徳なきがゆゑに魂ここにありてなほ猛し 四六―四八
それ地上現に大王の崇(あがめ)をうけしかも記念(かたみ)におそるべき誹りを殘して泥(ひぢ)の中なる豚の如くこゝにとゞまるにいたるものその數いくばくぞ 四九―五一
我、師よ、我等池をいでざる間に、願はくはわれ彼がこの羹(あつもの)のなかに沈むを見るをえんことを 五二―五四
彼我に、岸汝に見えざるさきにこの事あるべし、かゝる願ひの汝を喜ばすはこれ適はしきことなればなり 五五―五七
この後ほどなく我は彼が泥(ひぢ)にまみれし民によりていたく噛み裂かるゝをみぬ、われこれがためいまなほ神を讚め神に謝す 五八―六〇
衆皆叫びてフィリッポ・アルゼンティをといへり、怒れるフィレンツェの魂は齒にておのれを噛めり 六一―六三
こゝにて我等彼を離れぬ、われまた彼の事を語らじ、されど此時苦患(なやみ)の一聲(ひとこゑ)わが耳を打てり、我は即ち前を見んとて目をみひらけり 六四―六六
善き師曰ひけるは、子よ、ディーテと稱ふる邑(まち)は今近し、こゝには重き邑人(まちびと)大いなる群集(むれ)あり 六七―六九
我、師よ、我は既にかなたの溪間に火の中より出でたる如く赤き伽藍をさだかにみとむ 七〇―七二
彼我に曰ふ、内に燃ゆる永久(とこしへ)の火はこの深き地獄の中にもなほ汝にみゆるごとく彼等を赤くす 七三―七五
我等はつひこの慰めなき邑(まち)を固むる深き濠(ほり)に入れり、圍(かこひ)は鐡より成るに似たりき 七六―七八
めぐり/\てやうやく一の處にいたれば、舟子(ふなこ)たかくさけびて、入口はこゝぞ、いでよといふ 七九―八一
我見しに天より降(ふ)れる千餘のもの門上にあり、怒りていひけるは、いまだ死なざるに 八二―
死せる民の王土を過ぐる者は誰ぞや、智(さと)きわが師はひそかに語らはんとの意(こゝろ)を彼等に示せるに ―八七
かれら少しくその激しき怒りをおさへ、いひけるは、汝ひとり來り、かく膽(きも)ふとくもこの王土に入りたる者を去らせよ 八八―九〇
狂へる路によりて彼ひとりかへり、しかなしうべきや否やを見しめ、かくこの暗き國をかれに示せる汝はこゝに殘るべし 九一―九三
讀者よ、この詛ひの言をきゝて再び世にかへりうべしと信ぜざりし時、わが心挫けざりしや否やをおもへ 九四―九六
我曰ふ、あゝ七度(なゝたび)あまり我を安全(やすき)にかへらしめ、たちむかへる大難より我を救ひいだせし愛する導者よ 九七―
かくよるべなき我を棄てたまふなかれ、もしなほさきに行くあたはずは、我等疾(と)く共に踵をめぐらさん ―一〇二
我をかしこに導ける主曰ひけるは、恐るゝなかれ、何者といへども我等の行方(ゆくへ)を奪ふをえず、彼これを我等に與へたればなり 一〇三―一〇五
さればこゝにて我を待ち、よわれる精神(たましひ)をはげまし、眞(まこと)の希望(のぞみ)を食(は)め、我汝をこの低き世に棄てざればなり 一〇六―一〇八
かくてやさしき父は我をこの處に置きて去り、我は疑ひのうちに殘れり、然と否とはわが頭(かうべ)の中に爭へるなりき 一〇九―一一一
彼何をかれらにいへるや、我は聞くをえざりき、されど彼かれらとあひてほどなきに、かれ等みな競ひて内にはせいりぬ 一一二―一一四
我等の敵は門をわが主の前に閉せり、主は外(そと)に殘され、その足おそくわが方にかへれり 一一五―一一七
目は地にむかひ、眉に信念の跡をとゞめず、たゞ歎きて憂ひの家を我に拒めるは誰ぞといふ 一一八―一二〇
また我にいひけるは、わが怒るによりて汝恐るゝなかれ、いかなる者共内にゐて防ぎ止めんとつとむとも、我はこの爭ひにかつべし 一二一―一二三
彼等の非禮を行ふは新しきことにあらず、かく祕めらるゝことなく今も□(とざし)なき門のほとりにそのかみ彼等またこれを行へり 一二四―一二六
汝がかの死の銘をみしは即ちこの門の上なりき、いまそのこなたに導者なく圈また圈を過ぎて坂を降るひとりのものあり 一二七―一二九
かれよくこの邑を我等のためにひらくべし 一三〇―一三二
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   第九曲

導者の歸り來るを見てわが面(おもて)を染めし怯心の色は彼の常ならぬ色をかへつてはやくうちに抑へき 一―三
彼は耳を欹つる人の如く心してとゞまれり、これその目、黒き空、濃き霧をわけて遠くかれを導くをえざりしによりてなり 四―六
彼曰ふ、さばれ我等必ずこの戰ひに勝つべし、されどもし……彼なりき進みて助けを約せるは、あゝかの一者(ひとり)の來るを待つ間(ま)はいかに長いかな 七―九
我は彼が先(さき)と異なれることを後(あと)にいひ、これをもてその始めを蔽へるさまをさだかに知れり 一〇―一二
彼かくなせるもそのいふ事なほ我を怖(おぢ)しめき、こはわが彼の續かざる言(ことば)に彼の思ひゐたるよりなほ惡き意義を含ませし故にやありけん 一三―一五
罰はたゞ望みを絶たれしのみなる第一の獄(ひとや)より悲しみの坎(あな)かく深くくだるものあることありや 一六―一八
われこの問を起せるに彼答へて曰ひけるは、我等の中にはかゝる旅路につくものあることまれなり 一九―二一
されどまことは我一たびこゝに降れることあり、こは魂等を呼びてその體(からだ)にかへらしめし酷(むご)きエリトンの妖術によれり 二二―二四
わが肉我を離れて後少時(しばし)、ジュダの獄より一の靈をとりいださんため彼我をこの圍(かこひ)の中に入らしめき 二五―二七
この獄はいと低くいと暗く萬物を廻らす天を距ることいと遠し、我善く路をしる、この故に心を安んぜよ 二八―三〇
はげしき惡臭(をしう)を放つこれなる沼は、我等がいま怒りをみずして入るをえざる憂ひの都をかこみめぐる 三一―三三
このほかなほいへることありしも我おぼえず、これわが目はわが全心を頂もゆる高き城樓(やぐら)にひきよせたればなり 三四―三六
忽ちこゝに血に染みていと凄き三のフーリエ時齊しくあらはれいでぬ、身も動作(ふるまひ)も女性(によしやう)のごとく 三七―三九
いと濃き緑の水蛇(イドラ)を帶とす、小蛇チェラスタ髮に代りてその猛き後額(こめかみ)を卷けり 四〇―四二
この時かれ善くかぎりなき歎きの女王の侍婢(はしため)等を認めて我にいひけるは、兇猛なるエーリネを見よ 四三―四五
左なるはメジェラ右に歎くはアレットなり、テシフォネ中にあり、斯く言ひて默せり 四六―四八
彼等各□と爪をもておのが胸を裂き掌(たなごゝろ)をもておのが身を打てり、その叫びいと高ければ我は恐れて詩人によりそひき 四九―五一
俯(うつむ)き窺(うかゞ)ひつゝみないひけるは、メヅーサを來らせよ、かくして彼を石となさん、我等テゼオに襲はれて怨みを報いざりし幸(さち)なさよ 五二―五四
身をめぐらし後(うしろ)にむかひて目を閉ぢよ、若しゴルゴンあらはれ、汝これを見ば、再び上に歸らんすべなし 五五―五七
師はかくいひて自らわが身を背かしめ、またわが手を危ぶみ、おのが手をもてわが目を蔽へり 五八―六〇
あゝまことの聰明(さとり)あるものよ、奇(くす)しき詩のかげにかくるゝをしへを見よ 六一―六三
この時既にすさまじく犇(ひし)めく物音濁れる波を傳ひ來りて兩岸これがために震へり 六四―六六
こはあたかも反する熱によりて荒れ、林を打ちて支ふるものなく、枝を折り裂き 六七―
うち落し吹きおくり、塵を滿たしてまたほこりかに吹き進み、獸と牧者を走らしむる風の響きのごとくなりき ―七二
かれ手を放ちていひけるは、いざ目をかの年へし水沫(みなわ)にそゝげ、かなた烟のいと深きあたりに 七三―七五
たとへば敵なる蛇におどろき、群居(むれゐ)る蛙みな水に沈みて消え、地に蹲まるにいたるごとく 七六―七八
我は一者(ひとり)の前を走れる千餘の滅亡(ほろび)の魂をみき、この者徒歩(かち)にてスティージェを渡るにその蹠(あしうら)濡るゝことなし 七九―八一
かれはしば/\左手(ゆんで)をのべて顏のあたりの霧をはらへり、その疲れし如くなりしはたゞこの累(わづらひ)ありしためのみ 八二―八四
我は彼が天より遣はされし者なるをさだかに知りて師にむかへるに、師は我に示して口を噤ましめ、また身をその前にかゞめしむ 八五―八七
あゝその憤りいかばかりぞや、かれ門にゆき、支ふる者なければ一の小さき杖をもてこれをひらけり 八八―九〇
かくて恐ろしき閾の上よりいふ、あゝ天を逐はれし者等よ、卑しき族(うから)よ、汝等のやどす慢心はいづこよりぞ 九一―九三
その目的(めあて)削(そ)がるゝことなく、かつしば/\汝等の苦患(なやみ)を増せる天意に對ひ足を擧ぐるは何故ぞ 九四―九六
命運に逆ふ何の益ぞ、汝等のチェルベロいまなほこれがため頤(おとがひ)と喉(のんど)に毛なきを思はずや 九七―九九
かくて彼我等に何の言だになく汚れし路をかへりゆき、そのさまさながらほかの思ひに責め刺され 一〇〇―
おのが前なる者をおもふに暇なき人のごとくなりき、聖語を聞いて心安く、我等足を邑(まち)のかたにすゝめ ―一〇五
戰はずして内に入りにき、我はまたかゝる砦(とりで)の内なるさまのいかなるやをみんことをねがひ 一〇六―一〇八
たゞちに目をわがあたりに投ぐれば、四方に一の大なる廣場(ひろには)ありて苦患(なやみ)ときびしき苛責を滿たせり 一〇九―一一一
ローダーノの水澱むアルリ、またはイタリアを閉してその境を洗ふカルナーロ近きポーラには 一一二―一一四
多くの墓ありて地に平らかなる處なし、こゝもまた墓のためにすべてかくの如く、たゞ異なるはそのさまいよ/\苦(にが)きのみ 一一五―一一七
そは多くの焔墓の間に散在して全くこれを燒けばなり、げにいかなる技工(わざ)といへどもこれより赤くは鐡(くろがね)を燒くを需(もと)めぬなるべし 一一八―一二〇
蓋は悉く上げられ幸(さち)なき者苦しむ者にふさはしきはげしき歎聲(なげき)内より起れり 一二一―一二三
我、師よ、これらの墓の中に葬られ、たゞ憂ひの歎息(ためいき)を洩すのみなるこれらの民は何なりや 一二四―一二六
彼我に、邪宗の長(をさ)等その各流の宗徒とともにこゝにあるなり、またこれらの墓の中には汝の思ふよりも多くの荷あり 一二七―一二九
みな類にわかちて葬られ、塚の熱度一樣ならず、かくいひて右にむかへり 一三〇―一三二
我等は苛責と高壘の間を過ぎぬ 一三三―一三五
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   第十曲

さて城壁と苛責の間のかくれたる路に沿ひ、わが師さきに我はその背に附きて進めり 一―三
我曰ふ、あゝ心のまゝに我を導き信なき諸□の獄(ひとや)をめぐる比類(たぐひ)なき功徳(くどく)よ、請ふ我に告げわが願ひを滿たせ 四―六
墓の中に臥せる民、われこれを見るをうべきか、蓋みな上げられて守る者なし 七―九
彼我に、かれら上(うへ)の世に殘せる體(からだ)をえてヨサファットよりこゝにかへらば皆閉ぢん 一〇―一二
こなたにはエピクロとかれに傚ひて魂を體とともに死ぬるとなす者みな葬らる 一三―一五
さればたゞちにこの中にて汝は我に求めしものをえ、默して我にいはざりし汝の願ひもまた成るべし 一六―一八
我、善き導者よ、言少なきを希ふにあらずばわれ何ぞわが心を汝に祕むべき、汝かく我に思はしめしは今のみならじ 一九―二一
恭しくかたりつゝ生きながら火の都を過ぎゆくトスカーナ人よ、ねがはくはこの處にとゞまれ 二二―二四
汝は汝の言によりて尊きわが郷土(ふるさと)(恐らくはわが虐げし)の生れなるをしらしむ 二五―二七
この聲ゆくりなく一の墓より出でければ、我はおそれてなほ少しくわが導者に近づけり 二八―三〇
彼我に曰ひけるは、汝何をなすや、ふりかへりてかしこに立てるファーリナータを見よ、その腰より上こと/″\くあらはる 三一―三三
我はすでに目をかれの目にそゝぎゐたるに、かれはその胸と額をもたげ起してあたかもいたく地獄を嘲るに似たりき 三四―三六
この時導者は汝の言(ことば)を明かならしめよといひ、臆せず弛(たゆみ)なき手をもて我を墓の間におしやりぬ 三七―三九
われ彼の墓の邊(ほとり)にいたれるとき、彼少しく我を見てさて蔑視(さげすむ)ごとく問ひていひけるは、汝の祖先は誰なりや 四〇―四二
我は從はんことをねがひてかくさず、一切をかれにうちあけしに、少しく眉をあげて 四三―四五
いひけるは、かれらは我、わが祖先、またわが黨與の兇猛なる敵なりき、さればわれ兩度(ふたゝび)かれらを散らせることあり 四六―四八
我答へて彼に曰ひけるは、かれら逐はれしかども前にも後にも四方より歸れり、されど汝の徒(ともがら)は善くこの術(わざ)を習はざりき 四九―五一
この時開ける口より一の魂これとならびて頤(おとがひ)まであらはせり、思ふにかれは膝にて立てるなるべし 五二―五四
我とともにある人ありや否やをみんとねがへる如くわが身のあたりをながめたりしが、疑ひ全く盡くるにおよびて 五五―五七
泣きて曰ひけるは、汝若し才高きによりてこの失明(くらやみ)の獄(ひとや)をめぐりゆくをえば、わが兒はいづこにありや、かれ何ぞ汝と共にあらざる 五八―六〇
我彼に、われ自ら來れるにあらず、かしこに待つ者我を導きてこゝをめぐらしむ、恐らくはかれは汝のグイードの心に侮りし者ならん 六一―六三
かれの言(ことば)と刑罰の状(さま)とは既にその名を我に讀ましめ、わが答かく全きをえしなりき 六四―六六
かれ忽ち起きあがり叫びていひけるは、汝何ぞ「りし」といへるや、彼猶生くるにあらざるか、麗しき光はその目を射ざるか 六七―六九
わがためらひてとみに答へざりしをみ、かれは再び仰(あふの)きたふれ、またあらはれいづることなかりき 七〇―七二
されど我に請ひて止まらしめし心大いなる者、顏をも變へず頸をも動かさずまた身をも曲げざりき 七三―七五
かれさきの言を承けていひけるは、彼等もしよくこの術(わざ)を習はざりきとならば、その事この床(とこ)よりも我を苦しむ 七六―七八
されどこゝを治むる女王の顏燃ゆることいまだ五十度(いそたび)ならぬ間(ま)に、汝自らその術(わざ)のいかに難きやをしるにいたらむ 七九―八一
(願はくは汝麗しき世に歸るをえんことを)請ふ我に告げよ、かの人々何故に凡てその掟(おきて)により、わが宗族(うから)をあしらふことかく殘忍なりや 八二―八四
我すなはち彼に、アルビアを紅(あけ)に色採(いろど)りし敗滅(ほろび)と大いなる殺戮(ほふり)とはかかる祈りを我等の神宮(みや)にさゝげしむ 八五―八七
彼歎きつゝ頭(かうべ)をふりていひけるは、そもかの事に與(あづか)れるはわれひとりにあらざりき、また我何ぞ故なくして人々とともに動かんや 八八―九〇
されどフィレンツェを毀たんとて人々心をあはせし處にては、これをあらはに囘護(かば)ひたる者たゞわれひとりのみなりき 九一―九三
我彼に請ひていひけるは、あゝねがはくは汝の裔(すゑ)つひに安息(やすき)をえんことを、請ふここにわが思想(おもひ)の縺(もつれ)となれる節(ふし)を解け 九四―九六
我善く汝等のいふところをきくに、汝等は時の携へ來るものをあらかじめみれども現在にわたりてはさることなきに似たり 九七―九九
彼曰ふ、我等遠く物をみること恰も光備はらざる人のごとし、これ比類(たぐひ)なき主宰いまなほ我等の上にかく輝くによりてなり 一〇〇―一〇二
物近づきまたはまのあたりにある時我等の智全く空し、若し我等に告ぐる者なくば世のありさまをいかでかしらん 一〇三―一〇五
この故に汝會得(ゑとく)しうべし、未來の門の閉さるゝとともに我の知識全く死ぬるを 一〇六―一〇八
この時われいたく我咎を悔いていひけるは、さらば汝かの倒れし者に告げてその兒いまなほ生ける者と共にありといへ 一〇九―一一一
またさきにわが默(もだ)して答へざりしは汝によりて解かれし迷ひにすでに心をむけたるが故なるをしらしめよ 一一二―一一四
わが師はすでに我を呼べり、われすなはちいよ/\いそぎてこの魂にともにある者の誰なるやを告げんことを請ひしに 一一五―一一七
彼我にいひけるは、我はこゝに千餘の者と共に臥す、こゝに第二のフェデリーコとカルディナレあり、その他はいはず 一一八―一二〇
かくいひて隱れぬ、我はわが身に仇となるべきかの言(ことば)をおもひめぐらし、足を古(いにしへ)の詩人のかたにむけたり 一二一―一二三
かれは歩めり、かくてゆきつゝ汝何ぞかく思ひなやむやといふ、われその問に答へしに 一二四―一二六
聖(ひじり)訓(さと)していひけるは、汝が聞けるおのが凶事を記憶に藏(をさ)めよ、またいま心をわが言にそゝげ、かくいひて指を擧げたり 一二七―一二九
美しき目にて萬物を見るかの淑女の麗しき光の前にいたらば汝はかれによりておのが生涯の族程(たびぢ)をさとることをえん 一三〇―一三二
かくて彼足を左にむけたり、我等は城壁をあとにし、一の溪に入りたる路をとり、内部(うち)にむかひてすゝめり 一三三―一三五
溪は忌むべき惡臭(をしう)をいだして高くこの處に及ばしむ 一三六―一三八
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   第十一曲

碎けし巨岩(おほいは)の輪より成る高き岸の縁(ふち)にいたれば、我等の下にはいよ/\酷(むご)き群(むれ)ありき 一―三
たちのぼる深淵の惡臭(をしう)たへがたく劇しきをもて、我等はとある大墳(おほつか)の蓋の後方(うしろ)に身を寄せぬ 四―

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