神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

眞中(まなか)におのが胸をみるはアキルレをはぐゝめる大いなるキロン、いまひとりは怒り滿ち/\しフォーロなり 七〇―七二
彼等千々(ちゞ)相集まりて濠をめぐりゆき、罪の定むる處を越えて血より出づる魂あればこれを射るを習ひとす 七三―七五
我等は此等の疾(と)き獸に近づけり、キロン矢を取り、※(はず)[#「弓+肖」、78-1]にて鬚を腮(あぎと)によせて 七六―七八
大いなる口を露はし、侶(とも)に曰ひけるは、汝等見たりや、かの後(あと)なる者觸るればすなはち物の動くを 七九―八一
死者の足にはかゝることなし、わが善き導者この時既に二の象(かたち)結び合へる彼の胸ちかくたち 八二―八四
答へて曰ひけるは、誠に彼は生く、しかもかく獨りなるにより、我彼にこの暗闇の溪をみせしむ、彼を導く者は必須なり娯樂にあらず 八五―八七
ひとりのものアレルヤの歌をはなれてこの新しき任務(つとめ)を我に委ねしなり、彼盜人にあらず、我また盜人の魂にあらず 八八―九〇
さればかく荒れし路を傳ひて我に歩みを進ましむる權威(ちから)によりこゝに我汝に請ふ、群のひとりを我等にえさせよ、我等その傍(かたへ)にしたがひ 九一―九三
彼は我等に渉るべき處ををしへ、また空ゆく靈にあらねばこの者をその背に負ふべし 九四―九六
キロン右にむかひネッソにいひけるは、歸りてかく彼等を導け、もしほかの群(むれ)にあはゞそれに路を避けしめよ 九七―九九
我等は煮らるゝものゝ高く叫べる紅の煮の岸に沿ひ、このたのもしき先達(しるべ)と共に進めり 一〇〇―一〇二
我は眉まで沈める民を見き、大いなるチェンタウロいふ、彼等は妄りに血を流し産を掠めし暴君なり 一〇三―一〇五
こゝに彼等その非情の罪業を悼(いた)む、こゝにアレッサンドロあり、またシチーリアに患(うれへ)の年を重ねしめし猛きディオニシオあり 一〇六―一〇八
かの黒き髮ある額はアッツォリーノなり、またかの黄金(こがね)の髮あるはげに上の世にその繼子(まゝこ)に殺されし 一〇九―
オピッツオ・ダ・エスティなり、この時われ詩人の方(かた)にむかへるに、彼曰ひけるは、この者今は汝のために第一となり我は第二となるべし ―一一四
なほ少しく進みて後チェンタウロは煮ゆる血汐の外に喉まで出せる如くなりし一の民のあたりに止まり 一一五―一一七
片側なるたゞ一の魂を我等に示していひけるは、彼はターミーチにいまなほ崇(あがめ)をうくる心臟(こゝろ)を神の懷(ふところ)に割きしものなり 一一八―一二〇
やがて我は河の上に頭(かうべ)を出し、また胸をこと/″\く出せる民を見き、またその中にはわが知れる者多かりき 一二一―一二三
斯くこの血次第に淺くなりゆきて、遂にはたゞ足を燒くのみ、我等の濠を渉るところはすなはちこゝなりき 一二四―一二六
チェンタウロいふ、こなたにては煮ゆる血汐のたえず減(へ)ること汝見る如し、またこれに應じ 一二七―一二九
かなたにては暴虐(しひたげ)の呻吟(うめ)く處と再び合ふにいたるまで水底(みなそこ)次第に深くなりまさるを汝信ずべし 一三〇―一三二
神の義こゝに地の笞(しもと)なりしアッティラとピルロ、セストを刺し、また大路(おほぢ)をいたくさわがしし 一三三―
リニエール・ダ・コルネート、リニエール・パッツオを煮、その涙をしぼりて永遠(とこしへ)にいたる ―一三八
かくいひて身をめぐらし、再びこの淺瀬を渉れり 一三九―一四一
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   第十三曲

ネッソ未だかなたに着かざるに我等は道の跡もなき一の森をわけて進めり 一―三
木の葉は色黯(くろず)みて緑なるなく、枝は節だちくねりて直く滑かなるなく、毒をふくむ刺(とげ)ありて實なし 四―六
チェチーナとコルネートの間なる耕せる處を嫌ふ猛き獸の栖(すみか)にもかくあらびかくしげれる※薈(しげみ)[#「くさかんむり/翳」、81-6]はあらじ 七―九
穢(きたな)きアルピーエこゝにその巣を作れり、こは末凶なりとの悲報をもてトロイア人(びと)をストロファーデより追へるものなり 一〇―一二
その翼はひろく頸と顏とは人にして足に爪、大いなる腹に羽あり、彼等奇(く)しき樹の上にて歎けり 一三―一五
善き師我にいひけるは、遠くゆかざるさきに知るべし、汝は第二の圓にあるなり 一六―
また恐ろしき砂にいたるまでこの圓にあらん、この故によく目をとめよ、さらばわが言(ことば)より信を奪ふべきものをみん ―二一
われ四方に叫喚を聞けども、これを上ぐる人を見ざれば、いたく惑ひて止まれり 二二―二四
思ふにかく多くの聲はかの幹の間我等のために身をかくせし民よりいでぬと我思へりと彼思へるなるべし 二五―二七
師乃ち曰ふ、汝この樹の一より小枝を手折らば、汝のいだく思ひはすべて斷たるべし 二八―三〇
この時われ手を少しく前にのべてとある大いなる荊棘(いばら)より一の小枝を採りたるに、その幹叫びて何ぞ我を折るやといふ 三一―三三
かくて血に黯(くろず)むにおよびてまた叫びていひけるは、何ぞ我を裂くや、憐みの心些(すこし)も汝にあらざるか 三四―三六
いま木と變れども我等は人なりき、またたとひ蛇の魂なりきとも汝の手にいま少しの慈悲はあるべきを 三七―三九
たとへば生木(なまき)の一端(かたはし)燃え、一端よりは雫(しづく)おち風聲を成してにげさるごとく 四〇―四二
詞と血と共に折れたる枝より出でにき、されば我は尖(さき)を落して恐るゝ人の如くに立てり 四三―四五
わが聖(ひじり)答へて曰ひけるは、しひたげられし魂よ、彼若しわが詩の中にのみ見しことを始めより信じえたりしならんには 四六―四八
汝にむかひて手を伸ぶることなかりしなるべし、たゞ事信じ難きによりて我彼にすすめてこの行あらしむ、わが心これが爲に苦し 四九―五一
されど汝の誰なりしやを彼に告げよ、さらば彼汝の名を上の世に(彼かしこに歸るを許さる)新にし、これを贖(あがなひ)のよすがとなさん 五二―五四
幹、かゝる麗しき言(ことば)にさそはれ、われ口を噤み難し、願はくは心ひかるゝまゝにわが少しく語らん事の汝に累となるなからんことを 五五―五七
我はフェデリーゴの心の鑰(かぎ)を二ながら持てる者なりき、我これをめぐらして或ひは閉ぢ或ひは開きその術(わざ)巧みなりければ 五八―六〇
殆ど何人と雖も彼の祕密に係(たづさ)はるをえざりき、わがこの榮(はえ)ある職(つとめ)に忠なりし事いかばかりぞや、我之がために睡りをも脈をも失へり 六一―六三
阿諛(おもねり)の眼(まなこ)をチェーザレの家より放ちしことなく、おしなべての死、宮の罪惡なる遊女(あそびめ)は 六四―六六
すべての心を燃やして我に背かしめ、燃えし心はアウグストの心を燃やし、喜びの譽悲しみの歎きとかはりぬ 六七―六九
わが精神(たましひ)は怒りに驅られ、死によりて誹りを免かれんことを思ひ、正しからざることを正しきわが身に行へり 七〇―七二
この樹の奇(く)しき根によりて誓ひて曰はん、我はいまだかく譽をうるにふさはしかりしわが主の信に背けることなしと 七三―七五
汝等のうち若し世に歸る者あらば、嫉みに打たれていまなほ地に伏すわが記憶を慰めよ 七六―七八
待つこと須臾(しばらく)にして詩人我に曰ひけるは、彼默(もだ)すために時を失ふことなく、なほ問ふことあらばいひて彼に問へ 七九―八一
我乃ち彼に、汝我心に適ふべしと思ふ事をば請ふわがために彼に問へ、憐み胸にせまりて我しかするあたはざればなり 八二―八四
此故に彼又曰ひけるは、獄裏の魂よ、願はくは此人ねんごろに汝のために汝の言(ことば)の乞求むるものをなさんことを、請ふ更に 八五―八七
我等に告げて魂此等の節(ふし)の中に繋がるゝに至る状(さま)をいへ、又若しかなはゞそのかゝる體(からだ)より解放たるゝ事ありや否やをもいへ 八八―九〇
この時幹はげしく氣を吐けり、この風(かぜ)聲に變りていふ、約(つゞま)やかに汝等に答へん 九一―九三
殘忍なる魂己を身よりひき放ちて去ることあればミノスこれを第七の口におくり 九四―九六
このもの林の中に落つ、されど定まれる處なく、たゞ命運の投入るゝ處にいたりて芽(めざ)すこと一粒の麥の如く 九七―九九
若枝(わかえ)となり後野生の木となる、アルピーエその葉を食みてこれに痛みを與へまた痛みに窓を與ふ、我等はほかの者と等しく 一〇〇―
我等の衣の爲めに行くべし、されど再びこれを着る者あるによるに非ず、そは人自ら棄てし物をうくるは正しき事に非ざればなり ―一〇五
我等これをこゝに曳き來らむ、かくて我等の體(からだ)はこの憂き林、いづれも己を虐げし魂の荊棘(いばら)の上に懸けらるべし 一〇六―一〇八
幹のなほ我等にいふことあらんを思ひて我等心をとめゐたるに、この時さわがしき物音起り、我等の驚かされしこと 一〇九―一一一
さながら野猪(しゝ)と獵犬と己が立處(たちど)にむかふをさとり、獸と枝との高き響きを聞くものの如くなりき 一一二―一一四
見よ、左に裸なる掻き裂かれたるふたりの者あり、あらゆる森のしげみをおしわけ、逃げわしることいとはやし 一一五―一一七
さきの者、いざ疾(と)く、死よ、疾くと叫ぶに、ほかのひとりは己がおそくして及ばざるをおもひ、ラーノ、トッポの試藝(しあひ)に 一一八―
汝の脛(はぎ)はかく輕くはあらざりしをとさけび、呼吸(いき)のせまれる故にやありけむ、その身をとある柴木と一團(ひとつ)になしぬ ―一二三
後(うしろ)の方(かた)には飽くことなく、走ること鏈(くさり)を離れし獵犬にひとしき黒き牝犬林に滿ち 一二四―一二六
かの潛める者に齒をくだしてこれを刻み、後そのいたましき身を持ち行けり 一二七―一二九
この時導者わが手をとりて我をかの柴木のほとりにつれゆけるに、血汐滴たる折際(をれめ)より空しく歎きていひけるは 一三〇―
あゝジャーコモ・ダ・サント・アンドレーアよ、我を防禦(ふせぎ)となして汝に何の益かありし、汝罪の世を送れりとて我身に何の咎あらんや ―一三五
師その傍(かたへ)にとゞまりていひけるは、かく多くの折際(をりめ)より血と共に憂ひの詞をはく汝は誰なりしや 一三六―一三八
彼我等に、あゝこゝに來りてわが小枝を我よりとりはなてる恥づべき虐(しひたげ)をみし魂等よ 一三九―一四一
それらを幸(さち)なき柴木のもとにあつめよ、我は最初(はじめ)の守護(まもり)の神をバーティスタに變へし邑(まち)の者なりき、かれこれがために 一四二―一四四
その術(わざ)をもて常にこの邑を憂へしむ、もしその名殘のいまなほアルノの渡りにとゞまるあらずば 一四五―一四七
アッティラが殘せる灰の上に再びこの邑(まち)を建てたる邑人(まちびと)の勞苦は空しかりしなるべし 一四八―一五〇
我はわが家(や)をわが絞臺(しめだい)としき 一五一―一五三
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   第十四曲

郷土の愛にはげまされ、落ちちらばりし小枝を集めて既に聲なきかの者にかへせり 一―三
さてこゝよりすゝみて第二と第三の圓のわかるゝところなる境にいたればこゝに恐るべき正義の業(わざ)みゆ 四―六
めなれぬものをさだかに知らしめんためさらにいはんに、我等は一草一木をも床(ゆか)に容れざる一の廣野につけり 七―九
憂ひの林これをめぐりて環飾(わかざり)となり、さながら悲しみの濠の林に於ける如くなりき、こゝに我等縁(ふち)いと近き處に足をとゞめぬ 一〇―一二
地は乾ける深き砂にてその状(さま)そのかみカートンの足踏めるものと異なるなかりき 一三―一五
あゝ神の復讎よ、わがまのあたり見しことを讀むなべての人の汝を恐るゝこといかばかりなるべき 一六―一八
我は裸なる魂の多くの群(むれ)を見たり、彼等みないと幸(さち)なきさまにて泣きぬ、またその中に行はるゝ掟(おきて)一樣ならざるに似たりき 一九―二一
仰(あふの)きて地に臥せる民あり、全(また)く身を縮めて坐せるあり、またたえず歩めるありき 二二―二四
めぐりゆくものその數(かず)いと多し、また臥して苛責をうくるものはその數いと少なきもその舌歎きによりて却つて寛(ゆる)かりき 二五―二七
砂といふ砂の上には延びたる火片(ひのひら)しづかに降りて、風なき峻嶺(たかね)の雪の如し 二八―三〇
昔アレッサンドロ、インドの熱き處にて焔その士卒の上に落ち地にいたるも消えざるをみ 三一―三三
火はその孤なるにあたりて消し易かりしが故に部下に地を踏ましめしことありき 三四―三六
かくの如く苦患(なやみ)を増さんとて永遠(とこしへ)の熱おちくだり、砂の燃ゆることあたかも火打鎌の下なる火口(ほくち)にひとしく 三七―三九
忽ちかなたに忽ちこなたに新(あらた)なる焔をはらふ幸(さち)なき雙手(もろて)の亂舞(トレスカ)にはしばしの休みもあることなかりき 四〇―四二
我曰ふ、門の入口にて我等にたちむかへる頑(かたくな)なる鬼のほか物として勝たざるはなき汝わが師よ 四三―四五
火をも心にとめざるさまなるかの大いなる者は誰なりや、嘲りを帶び顏をゆがめて臥し、雨もこれを熟(う)ましめじと見ゆ 四六―四八
われ彼の事をわが導者に問へるをしりて彼叫びていひけるは、死せる我生ける我にかはらじ 四九―五一
たとひジョーヴェ終りの日にわが撃たれたる鋭き電光(いなづま)を怒れる彼にとらせし鍛工(かぢ)を疲らせ 五二―五四
またはフレーグラの戰ひの時の如くに、善きヴルカーノよ、助けよ、助けよとよばはりつゝモンジベルロなる黒き鍛工場(かぢば)に 五五―
殘りの鍛工等をかはる/″\疲らせ、死力を盡して我を射るとも、心ゆくべき復讎はとげがたし ―六〇
この時わが導者聲を勵まして(かく高らかに物言へるを我未だ聞きしことなかりき)いひけるは、カパーネオよ、汝の罰のいよ/\重きは汝の慢心の盡きざるにあり、汝の劇しき怒りのほかはいかなる苛責の苦しみも汝の怒りにふさはしき痛みにあらじ 六一―六六
かくいひて顏を和らげ、我にむかひていひけるは、こはテーベを圍める七王の一(ひとり)にて神を侮れる者なりき 六七―
いまも神を侮りて崇(あが)むることなしとみゆ、されどわが彼にいへる如く彼の嘲りはいとにつかしきその胸の飾なり ―七二
いざ我に從へ、またこの後愼みて足を熱砂に觸れしむることなく、たえず森に沿ひて歩むべし 七三―七五
我等また語らず、さゝやかなる一の小川の林の中より迸る處にいたれり、その赤きこといまもわが身を震へしむ 七六―七八
さながらブリカーメより細き流れ(罪ある女等ほどへてこれをわけもちふ)の出づる如く、この川砂を貫いて下り 七九―八一
その水底(みなそこ)、傾ける兩岸、縁(ふち)はみな石と成れり、此故に我こゝに行手の路あるを知りき 八二―八四
閾を人のこゆるに任(まか)す門より内に入りしこのかた、凡てわが汝に示せるものゝうちすべての焔をその上に消すこの流れの如くいちじるしきは汝の目未だ見ず 八五―八七
これわが導者の言なりき、我乃ち彼に請ひ、慾を我に惜しまざりし彼の、食をも惜しむなからんことを求めぬ 九一―九三
この時彼曰ふ、海の正中(たゞなか)に荒れたる國あり、クレータと名づく、こゝの王の治世の下(もと)、世はそのかみ清かりき 九四―九六
かしこにそのかみ水と木葉(このは)の幸(さち)ありし山あり、イーダと呼ばる、今は荒廢(あれすた)れていと舊(ふ)りたるものゝごとし 九七―九九
そのかみレーアこれをえらびてその子の恃(たのみ)の搖籃となし、その泣く時特に善くかくさんためかしこに叫びあらしめき 一〇〇―一〇二
この山の中には一人(ひとり)の老巨人の直立するあり、背をダーミアータにむけ、ローマを見ること己が鏡にむかふに似たり 一〇三―一〇五
その頭は純金より成り、腕と胸とは純銀なり、そこより跨(また)にいたるまでは銅 一〇六―一〇八
またその下はすべて精鐡なれどもたゞ右足のみは燒土にてしかも彼の直く立つ却つて多くこれによれり 一〇九―一一一
黄金(こがね)の外はいづこにも罅(さけめ)生じて涙したゝり、あつまりてかの窟(いはや)を穿ち 一一二―一一四
岩また岩を傳はりてこの溪に入り、アケロンテ、スティージェ、フレジェトンタとなり、その後この狹き溝によりて落ち 一一五―一一七
またくだるあたはざる處にいたりてそこにコチートと成る、この池の何なるやは汝見るべし、この故にこゝに語らず 一一八―一二〇
我彼に、若しこの細流かくわが世より出でなば何故にこの縁(へり)にのみあらはるゝや 一二一―一二三
彼我に、汝此處のまろきを知る、汝の來る遠しといへども常に左に向ひて底にくだるが故に 一二四―一二六
未だあまねく獄をめぐらず、されば新しきもの我等にあらはるとも何ぞあやしみを汝の顏に見するに足らむ 一二七―一二九
我また、師よ、フレジェトンタとレーテはいづこにありや、汝默(もだ)してその一のことをいはず、また一は此雨より成るといへり 一三〇―一三二
彼答へて曰ひけるは、汝問ふところの事みなよくわが心に適ふ、されど、煮ゆる紅(くれなゐ)の水はよく汝の問の一に答へん 一三三―一三五
レーテは汝見るをうべし、されどこの濠(ほり)の外(そと)、罪悔によりて除かれし時魂等己を洗はんとて行く處にあり 一三六―一三八
又曰ひけるは、いまは森を離るべき時なり、汝我に從へ、燃えざる縁(ふち)路を造り 一三九―一四一
一切の炎その上に消ゆ 一四二―一四四
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   第十五曲

堅き縁(ふち)の一は今我等を負(お)ひゆけり、小川の烟はおほひかゝりて水と堤とを火より救へり 一―三
グイッツァンテとブルッジアの間なるフィアンドラ人(びと)こなたに寄せくる潮(うしほ)を恐れ海を走らしめんため水際(みぎは)をかため 四―六
またはブレンタの邊(ほとり)なるパードヴァ人キアレンターナの熱に觸れざる間にその邑(まち)その城を護らんためまたしかするごとく 七―九
この堤は築かれき、たゞ築けるもの(誰にてもあれ)之をかく高くかく厚くなさゞりしのみ 一〇―一二
我等既に林を離るゝこと遠くわれ後(うしろ)を顧みれどもそのいづこにあるやを見るをえざりしころ 一三―一五
我等は堤に沿ひて來れる一群(ひとむれ)の魂にいであへり、さながら夕間暮れ新月(にひづき)のもとに人の人を見る如く 一六―
彼等みな我等を見、また老いたる縫物師(ぬひものし)の針眼(はりのめ)にむかふごとく目を鋭くして我等にむかへり ―二一
かゝる族(やから)にかくうちまもられ我はそのひとりにさとられき、彼わが裾をとらへ叫びて何等の不思議ぞといふ 二二―二四
彼その腕(かひな)を我にむかひてのべし時、われ目を燒けし姿にとむるに、顏のたゞれもなほわが智(さとり)を妨げて 二五―
彼を忘れしむるにはたらざりき、われわが顏を彼の顏のあたりに低れて、セル・ブルネットよ、こゝにゐ給ふやと答ふ ―三〇
彼、わが子よ、ねがはくはブルネット・ラティーニしばらく汝と共にあとにかへりてこの群(むれ)をさきに行かしめん 三一―三三
我彼にいふ、これわが最も希ふところなり、汝またわが汝と共に坐(すわ)らん事を願ひその事彼の心に適はゞしかすべし、我彼と共に行けばなり 三四―三六
彼曰ふ、あゝ子よ、この群の中縱(たと)ひ束の間なりとも止まる者あればその者そののち身を横たゆる百年(もゝとせ)に及び火これを撃つとも扇ぐによしなし 三七―三九
されば行け、我は汝の衣につきてゆき、永劫の罰を歎きつゝゆくわが伴侶(なかま)にほどへて再び加はるべし 四〇―四二
我は路をくだり彼とならびてゆくを得ず、たゞうや/\しく歩む人の如くたえずわが頭(かうべ)を低れぬ 四三―四五
彼曰ふ、終焉(をはり)の日未だ至らざるに汝をこゝに導くは何の運何の定(ぢやう)ぞや、また道を教ふるこの者は誰ぞや 四六―四八
我答へて彼に曰ふ、明(あか)き上の世に、わが齡未だ滿たざるに、我一の溪の中に迷へり 四九―五一
わが背(そびら)を之にむけしはたゞ昨日(きのふ)の朝の事なり、この者かしこに戻らんとする我にあらはれ、かくてこの路により我を導いて我家(わがや)に歸らしむ 五二―五四
彼我に、美しき世にてわが量れること違はずば汝おのが星に從はんに榮光の湊を失ふあたはず 五五―五七
またわが死かく早からざりせば天かく汝に福(さいはひ)するをみて我は汝の爲すところをはげませしなるべし 五八―六〇
されど古(いにしへ)、フィエソレを下りいまなほ山と岩とを含める恩を忘れしさがなき人々 六一―六三
汝の善き行ひの爲に却つて汝の仇とならむ、是亦宜なり、そは酸きソルボに混(まじ)りて甘き無花果の實を結ぶは適(ふさ)はしき事に非ざればなり 六四―六六
彼等は世の古き名によりて盲(めしひ)と呼ばる、貪り嫉み傲(たかぶり)の民なり、汝自ら清くしてその習俗(ならひ)に染むなかれ 六七―六九
汝の命運大いなる譽を汝のために備ふるにより彼黨此黨いづれも飢ゑて汝を求めむ、されど草は山羊より遠かるべし 七〇―七二
フィエソレの獸等に己をその敷藁(しきわら)となさせ、若し草木のなほその糞(ふん)の中より出づるあらばこれに觸れしむるなかれ 七三―七五
この處かく大いなる邪惡の巣となりし時こゝに殘れるローマ人(びと)の聖き裔(すゑ)これによりて再び生くべし 七六―七八
我答へて彼に曰ふ、若しわが願ひ凡て成るをえたらんには汝は未だ人の象(かたち)より逐はるゝことなかりしものを 七九―八一
そは世にありて我にしば/\人不朽に入るの道を教へたまひし當時の慕はしき善きあたゝかきおも影はわが記憶を離るゝことなく 八二―
今わが胸にせまればなり、われこの教へを徳とするいかばかりぞや、こは生ある間わが語ることによりてあきらかなるべし ―八七
わが行末に關(かゝ)はりて汝の我に告ぐる所は我之を録(しる)し他(ほか)の文字と共に殘し置くべし、かくして淑女のわがそのもとにいたるに及びて 八八―
知りて義を示すを待たん、願はくは汝この一事を知るべし、曰く、わが心だに我を責めずば、我はいかなる命運をも恐れじ ―九三
かゝる契約はわが耳に新しき事に非ざるなり、この故に命運は己が好むがまゝに其輪を轉らし農夫は鋤をめぐらすべし 九四―九六
この時我師右の方(かた)より後(うしろ)にむかひ我を見て、善く聽く者心をとむといふ 九七―九九
かゝる間も我はたえずセル・ブルネットとかたりてすゝみ、その同囚(なかま)の中いと秀でいと貴き者の誰なるやを問へり 一〇〇―一〇二
彼我に、知りて善き者あり、されど他(ほか)はいはざるを善しとす、これ言(ことば)多くして時足らざればなり 一〇三―一〇五
たゞ知るべし、彼等は皆僧と大いなる名ある大いなる學者の同じ一の罪によりて世に穢れし者なりき 一〇六―一〇八
プリシアンかの幸なき群にまじりて歩めり、フランチェスコ・ダッコルソ亦然り、また汝深き願ひをかゝる瘡(かさ)によせしならんには 一〇九―一一一
僕(しもべ)の僕によりてアルノよりバッキリオーネに遷され、惡の爲に竭せる身をかしこに殘せる者を見たりしなるべし 一一二―一一四
その外なほ擧ぐべき者あれど行くも語るもこの上にはいで難し、かしこに砂原より立登る新しき烟みゆ 一一五―一一七
こはわが共にあることをえざる民來れるなり、我わがテゾーロによりて生く、ねがはくは之を汝に薦めん、また他を請はず 一一八―一二〇
かくいひて身をめぐらし、あたかも緑の衣をえんとてヴェロナの廣野(ひろの)を走るものゝ如く、またその中にても 一二一―一二三
負くる者ならで勝つ者の如くみえたりき 一二四―一二六
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   第十六曲

我は既に次の獄(ひとや)に落つる水の響きあたかも蜂□(はちのす)の鳴る如く聞ゆるところにいたれるに 一―三
この時三(みつ)の魂ありてはしりつゝ、はげしき苛責の雨にうたれて過ぎゆく群を齊しくはなれ 四―六
我等の方にむかひて來り、各□叫びていひけるは、止まれ、衣によりてはかるに汝は我等の邪(よこしま)なる邑(まち)の者なるべし 七―九
あはれ彼等の身にみゆるは何等の傷ぞや、みな焔に燒かれしものにて新しきあり、古きあり、そのさま出づればいまなほ苦し 一〇―一二
我師彼等のよばゝる聲に心をとめ顏をわが方にむけていひけるは、待て、彼等は人の敬ひをうくべきものなり 一三―一五
さればもし處の性(さが)の火を射るなくば我は急(いそぎ)は彼等よりもかへつて汝にふさはしといふべし 一六―一八
我等止まれるに彼等は再び古歌をうたひ、斯くて我等に近づける時三者(みたり)あひ寄りて一の輪をつくれり 一九―二一
裸なる身に膏(あぶら)うちぬり將に互に攻め撲たんとしてまづおさゆべき機會(すき)をうかゞふ勇士の如く 二二―二四
彼等もまためぐりつゝ各□目を我にそゝぎ、頸はたえず足と異なる方にむかひて動けり 二五―二七
そのひとりいふ、この軟かき處の幸なさ、黯(くろず)み爛れし我等の姿、たとひ我等と我等の請ひとに侮りを招く事はありとも 二八―三〇
願はくは我等の名汝の意(こゝろ)を枉げ、生くる足にてかく安らかに地獄を擦(す)りゆく汝の誰なるやを我等に告げしめんことを 三一―三三
見らるゝ如く足跡を我に踏ましむるこのひとりは裸にて毛なしといへども汝の思ふよりは尚際(きは)貴(たか)き者なりき 三四―三六
こは善きグアルドラーダの孫にて名をグイード・グエルラといひ、その世にあるや智と劒をもて多くの事をなしたりき 三七―三九
わが後(うしろ)に砂を踏みくだく者はその名上の世に稱(たゝ)へらるべきテッギアイオ・アルドブランディなり 四〇―四二
また彼等と共に十字架にかゝれる我はヤーコポ・ルスティクッチといへり、げに萬(よろづ)の物にまさりてわが猛き妻我に禍す 四三―四五
我若し火を避くるをえたりしならんには身を彼等の中に投げ入れしなるべく思ふに師もこれを許せるなるべし 四六―四八
されど焦され燒かるべき身なりしをもて、彼等を抱かんことを切(せち)に我に求めしめしわが善き願ひは恐れに負けたり 四九―五一
かくて我曰ひけるは、汝等の状態(さま)はわが衷(うら)に侮りにあらで大いなる俄に消え盡し難き憂ひを宿せり 五二―五四
こはこれなる我主の言(ことば)によりてわが汝等の如き民來るをしりしその時にはじまる 五五―五七
我は汝等の邑(まち)の者なり、常に心をとめて汝等の行(おこなひ)と美名(よきな)をかたり且つきけり 五八―六〇
我は膽(ゐ)を棄て眞(まこと)の導者の我に約束したまへる甘き實をえんとてゆくなり、されどまづ中心(たゞなか)までくだらではかなはじ 六一―六三
この時彼答ふらく、ねがはくは魂ながく汝の身をみちびき汝の名汝の後に輝かんことを 六四―六六
請ふ告げよ、文と武とは昔の如く我等の邑(まち)にとゞまるや、または廢れて跡なきや 六七―六九
そはグイリエールモ・ボルシエーレとて我等と共に苦しむ日淺くいまかなたに侶とゆく者その言(ことば)によりていたく我等を憂へしむ 七〇―七二
新(あらた)なる民不意(おもはざる)の富は、フィオレンツァよ、自負と放逸を汝のうちに生み、汝は既に是に依りて泣くなり 七三―七五
われ顏を擧げて斯くよばゝれるに、かの三者(みたり)これをわが答と知りて互に面(おもて)を見あはせぬ、そのさま眞(まこと)を聞きて人のあひ見る如くなりき 七六―七八
皆答へて曰ひけるは、かく卑しき價をもていづれの日にかまた人の心をたらはすをえば、かく心のまゝに物言ふ汝は福(さいはひ)なるかな 七九―八一
此故に汝これらの暗き處を脱れ、再び美しき星を見んとて歸り、我かしこにありきと喜びていふをうる時 八二―八四
ねがはくは我等の事を人々に傳へよ、かくいひてのち輪をくづしてはせゆきぬ、その足疾(と)きこと翼に似たりき 八五―八七
彼等は忽ち見えずなりにき、アーメンもかくはやくは唱へえざりしなるべし、されば師もまた去るをよしと見たまへり 八八―九〇
我彼に從ひて少しく進みゆきたるに、この時水音いと近く、たとひ我等語るとも聲聞ゆべくはあらざりき 九一―九三
モンテ・ヴェーゾの東にあたりアペンニノの左の裾より始めて己の路をわしり 九四―九六
その高處にありて未だ低地にくだらざる間アクアケータと呼ばれ、フォルリにいたればこの名を空しうする川の 九七―九九
たゞ一落(ひとおち)に落下りて千を容るべきサン・ベネデット・デル・アルペの上に轟く如く 一〇〇―一〇二
かの紅の水はほどなく耳をいたむるばかりに鳴渡りつゝ一の嶮しき岸をくだれり 一〇三―一〇五
我は身に一筋の紐を卷きゐたり、嘗てこれをもて皮に色ある豹をとらへんと思ひしことありき 一〇六―一〇八
われ導者の命に從ひてこと/″\くこれを解き、結び束(たば)ねて彼にわたせり 一〇九―一一一
彼乃ち右にむかひ、少しく縁(ふち)より離してこれをかの深き溪間に投入れぬ 一一二―一一四
我謂へらく、師斯く目を添へたまふ世の常ならぬ相圖には、應ふるものもまた必ず世の常ならぬものならむと 一一五―一一七
あゝたゞ行ひを見るのみならで、その智よく衷(うち)なる思ひをみる者と共にある人心を用ふべきこといかばかりぞや 一一八―一二〇
彼我に曰ふ、わが待つものたゞちに上(のぼ)り來るべし、汝心に夢みるものたゞちに汝にあらはるべし 一二一―一二三
夫れ僞(いつはり)の顏ある眞(まこと)については人つとめて口を噤むを善しとす、これ己に咎なくしてしかも恥を招けばなり 一二四―一二六
されど我今默し難し、讀者よ、この喜劇(コメディア)の詞によりて(願はくは世の覺(おぼえ)ながく盡きざれ)誓ひていはむ 一二七―一二九
我は濃き暗き空氣の中にいかなる堅き心にもあやしとなすべき一の象(かたち)の泳ぎつゝ浮び來るを見たり 一三〇―一三二
そのさまたとへば岩または海にかくるゝほかの物よりこれを攫める錨を拔かんとをりふしくだりゆく人の 一三三―一三五
身を上にひらき足は窄(すぼ)めて歸る如くなりきと 一三六―一三八
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   第十七曲

尖れる尾をもち山を越え垣と武器(うちもの)を毀つ獸を見よ、全世界を穢すものを見よ 一―三
わが導者かく我にいひ、さて彼に示して踏來れる石の端(はし)近く岸につかしむ 四―六
この時汚(きたな)き欺罔(たばかり)の像(かたち)浮び上りて頭と體(からだ)を地にもたせたり、されど尾を岸に曳くことなかりき 七―九
その顏は義しき人の顏にて一重の皮に仁慈(いつくしみ)をみせ、身はすべて蛇なりき 一〇―一二
二の足には毛ありて腋下に及び、背胸(せむね)また左右の脇には蹄係(わな)と小楯と畫かれぬ 一三―一五
タルターロ人(びと)またはトルコ人の作れる布(きぬ)の浮織(うきおり)の裏文表文(うらあやおてあや)にだにかく多くの色あるはなく、アラーニエの機(はた)にだに 一六―
かゝる織物かけられしことなし、たとへばをりふし岸の小舟の半(なかば)水に半陸(くが)にある如く、または食飮(くひのみ)しげきドイツ人(びと)のあたりに
海狸戰ひを求めて身を構ふる如く、いとあしきこの獸は砂を圍める石の縁(ふち)にとゞまりぬ ―二四
蠍(さそり)の如く尖(さき)を固めし有毒(うどく)の叉(また)を卷き上げて尾はこと/″\く虚空に震へり 二五―二七
導者曰ふ、いざすこしく路を折れてかしこに伏せるあしき獸にいたらむ 二八―三〇
我等すなはち右にくだり、砂と炎を善く避けんため端(はし)をゆくこと十歩にしてやがて 三一―三三
かしこにいたれる時、我はすこしくさきにあたりて空處に近く砂上に坐せる民を見き 三四―三六
師こゝに我にいひけるは、汝この圓の知識をのこりなく携ふるをえんためゆきて彼等の状態(ありさま)をみよ 三七―三九
彼等とながくものいふなかれ、我はこれと汝の歸る時までかたりてその強き肩を我等に貸さしむべし 四〇―四二
斯くて我はたゞひとりさらに第七の獄(ひとや)の極端(いやはし)をあゆみて悲しみの民坐したるところにいたれり 四三―四五
彼等の憂ひは目より湧き出づ、彼等は手をもてかなたにこなたに或ひは火氣或ひは焦土を拂へり 四六―四八
夏の日、蚤、蠅または虻に刺さるゝ犬の忽ち口忽ち足を用ふるも、そのさまこれと異なることなし 四九―五一
われ目を數ある顏にそゝぎて苦患(なやみ)の火を被むる者をみしもそのひとりだに識れるはなく 五二―
たゞ彼等各□色も徽號(しるし)もとり/″\なる一の嚢(ふくろ)を頸に懸けまたこれによりてその目を養ふに似たるを認めき ―五七
我はうちまもりつゝ彼等のなかをゆき、一の黄なる嚢の上に獅子の面(かほ)と姿態(みぶり)とをあらはせる空色(そらいろ)をみき 五八―六〇
かくてわが目のなほ進みゆきし時、我は血の如く赤き一の嚢の、牛酪よりも白き鵞鳥を示せるをみき 六一―六三
こゝにひとり白き小袋に空色の孕める豚を徽號(しるし)とせる者我にいひけるは、汝この濠(ほり)の中に何を爲すや 六四―六六
いざ去れ、しかして汝猶生くるがゆゑに知るべし、わが隣人(となりびと)ヴィターリアーノこゝにわが左にすわらむ 六七―六九
これらフィレンツェ人(びと)のなかにありて我はパードヴァの者なり、彼等叫びて三の嘴の嚢をもて世にまれなる武夫(ますらを)來れといひ 七〇―
わが耳を擘(つんざ)くこと多し、かく語りて口を歪めあたかも鼻を舐(ねぶ)る牡牛の如くその舌を吐けり ―七五
我はなほ止まりて我にしかするなかれと誡めしものゝ心を損はんことをおそれ、弱れる魂等を離れて歸れり 七六―七八
かくて既に猛き獸の後(しり)に乘りたるわが導者にいたれるに、彼我に曰ひけるは、いざ心を強くしかたくせよ 七九―八一
この後我等かゝる段(きだ)によりてくだる、汝は前に乘るべし、尾の害をなすなからんためわれ間にあるを願へばなり 八二―八四
瘧をわづらふ人、惡寒(さむけ)を覺ゆる時迫れば、爪既に死色を帶び、たゞ日蔭を見るのみにてもその身震ひわなゝくことあり 八五―八七
我この言(ことば)を聞けるときまた斯くの如くなりき、されど彼の戒めは我に恥を知らしめき、善き主の前には僕強きもまたこの類(たぐひ)なるべし 八八―九〇
我はかの太(ふと)く醜(みにく)き肩の上に坐せり、ねがはくは我を抱きたまへといはんと思ひしかどもおもふ如くに聲出でざりき 九一―九三
されど危きに臨みてさきにも我を助けし者、わが乘るや直ちにその腕(かひな)をもて我をかかへ我をさゝへ 九四―
いひけるは、いざゆけジェーリオン、輪を大きくし降りをゆるくせよ、背にめづらしき荷あるをおもへ ―九九
たとへば小舟岸をいでゝあとへ/\とゆくごとく彼もこの處を離れ、己が身全く自由なるをしるにいたりて 一〇〇―一〇二
はじめ胸を置ける處にその尾をめぐらし、これをひらきて動かすこと鰻の如く、また足をもて風をその身にあつめき 一〇三―一〇五
思ふにフェートンがその手綱を棄てし時(天これによりて今も見ゆるごとく焦(こが)れぬ)または幸なきイカーロが 一〇六―
蝋熱をうけし爲め翼腰をはなるゝを覺え、善からぬ路にむかふよと父よばゝれる時の恐れといへども
身は四方大氣につゝまれ萬象消えてたゞかの獸のみあるを見し時のわが恐れにはまさらじ ―一一四
いとゆるやかに泳ぎつゝ彼進み、めぐりまたくだれり、されど顏にあたり下より來る風によらでは我之を知るをえざりき 一一五―一一七
我は既に右にあたりて我等の下に淵の恐るべき響きを成すを聞きしかば、すなはち目を低れて項(うなじ)をのぶるに 一一八―一二〇
火見え歎きの聲きこえ、この斷崖(きりぎし)のさまいよ/\おそろしく、我はわなゝきつゝかたく我身をひきしめき 一二一―一二三
我またこの時四方より近づく多くの大いなる禍ひによりてわがさきに見ざりし降下(くだり)と廻轉(めぐり)とを見たり 一二四―一二六
ながく翼を驅りてしかも呼ばれず鳥も見ず、あゝ汝下るよと鷹匠(たかづかひ)にいはるゝ鷹の 一二七―一二九
さきにいさみて舞ひたてるところに今は疲れて百(もゝ)の輪をゑがいてくだり、その飼主を遠く離れ、あなどりいかりて身をおくごとく 一三〇―一三二
ジェーリオネは我等を削れる岩の下(もと)なる底におき、荷なるふたりをおろしをはれば 一三三―一三五
弦(つる)をはなるゝ矢の如く消えぬ 一三六―一三八
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   第十八曲

地獄にマーレボルジェといふところあり、その周圍(まはり)を卷く圈の如くすべて石より成りてその色鐡に似たり 一―三
この魔性の廣野(ひろの)の正中(たゞなか)にはいと大いなるいと深き一の坎(あな)ありて口をひらけり、その構造(なりたち)をばわれその處にいたりていはむ 四―六
されど坎と高き堅き岸の下(もと)との間に殘る處は圓くその底十の溪にわかたる 七―九
これ等の溪はその形たとへば石垣を護らんため城を繞りていと多くの濠ある處のさまに似たり 一〇―一二
またかゝる要害には閾より外濠(そとぼり)の岸にいたるまで多くの小さき橋あるごとく 一三―一五
數ある石橋(いしばし)岩根より出で、堤(つゝみ)と濠をよこぎりて坎にいたれば、坎はこれを斷ちこれを集めぬ 一六―一八
ジェーリオンの背より拂はれし時我等はこの處にありき、詩人左にむかひてゆき我はその後(うしろ)を歩めり 一九―二一
右を見れば新(あらた)なる憂ひ、新なる苛責、新なる撻者(うちて)第一の嚢(ボルジヤ)に滿てり 二二―二四
底には裸なる罪人等ありき、中央(なかば)よりこなたなるは我等にむかひて來り、かなたなるは我等と同じ方向(むき)にゆけどもその足はやし 二五―二七
さながらジュビレーオの年、群集(ぐんじゆ)大いなるによりてローマ人(びと)等民の爲に橋を渡るの手段(てだて)をまうけ 二八―三〇
片側(かたがは)なるはみな顏を城(カステルロ)にむけてサント・ピエートロにゆき、片側なるは山にむかひて行くごとくなりき 三一―三三
黯(くろず)める岩の上には、かなたこなたに角ある鬼の大なる鞭を持つありてあら/\しく彼等を後(うしろ)より打てり 三四―三六
あはれ始めの一撃(ひとうち)にて踵(くびす)を擧げし彼等の姿よ、二撃(ふたうち)三撃(みうち)を待つ者はげにひとりだにあらざりき 三七―三九
さて歩みゆく間、ひとりわが目にとまれるものありき、我はたゞちに我嘗て彼を見しことなきにあらずといひ 四〇―四二
すなはち定かに認(したゝ)めんとて足をとむれば、やさしき導者もともに止まり、わが少しく後(あと)に戻るを肯ひたまへり 四三―四五
この時かの策(むちう)たるゝもの顏を垂れて己を匿さんとせしかども及ばず、我曰ひけるは、目を地に投ぐる者よ 四六―四八
その姿に詐りなくば汝はヴェネディーコ・カッチヤネミーコなり、汝を導いてこの辛(から)きサルセに下せるものは何ぞや 四九―五一
彼我に、語るも本意(ほい)なし、されど明かなる汝の言(ことば)我に昔の世をしのばしめ我を強ふ 五二―五四
我は侯(マルケーゼ)の心に從はしめんとてギソラベルラをいざなひし者なりき(この不徳の物語いかに世に傳へらるとも) 五五―五七
さてまたこゝに歎くボローニア人(びと)は我身のみかは、彼等この處に滿つれば、今サヴェーナとレーノの間に 五八―六〇
シパといひならふ舌もなほその數これに及びがたし、若しこの事の徴(しるし)、證(あかし)をほしと思はゞたゞ慾深き我等の胸を思ひいづべし 六一―六三
かく語れる時一の鬼その鞭をあげてこれを打ちいひけるは、去れ判人(ぜげん)、こゝには騙(たら)すべき女なし 六四―六六
我わが導者にともなへり、かくて數歩にして我等は一の石橋の岸より出でし處にいたり 六七―六九
いとやすく之に上(のぼ)りて破岩をわたり右にむかひ此等の永久(とこしへ)の圈を離れき 七〇―七二
橋下空しくひらけて打たるゝ者に路をえさするところにいたれば、導者曰ひけるは、止まれ 七三―七五
しかしてこなたなる幸なく世に出でし者の面(おもて)を汝にむけしめよ、彼等は我等と方向(むき)を等しうせるをもて汝未だ顏を見ず 七六―七八
我等古き橋より見しに片側(かたがは)を歩みて我等のかたに來れる群ありてまたおなじく鞭に逐はれき 七九―八一
善き師問はざるに我に曰ひけるは、かの大いなる者の來るを見よ、いかに苦しむとも彼は涙を流さじとみゆ 八二―八四
あゝいかなる王者の姿ぞやいまなほ彼に殘れるは、彼はヤーソンとて智と勇とによりてコルコ人(びと)より牡羊を奪へる者なり 八五―八七
レンノの島の膽太(きもふと)き慈悲なき女等すべての男を殺し盡せし事ありし後、彼かしこを過ぎ 八八―九〇
さきに島人を欺きたりし處女(おとめ)イシフィーレを智と甘(あま)きことばをもてあざむき 九一―九三
その孕むにおよびてひとりこれをこゝに棄てたり、この罪彼を責めてこの苦をうけしめ、メデーアの怨みまた報いらる 九四―九六
すべて斯の如く欺く者皆彼と共にゆくなり、さて第一の溪とその牙に罹るものをしる事之をもて我等足れりとなさん 九七―九九
我等は此時細路第二の堤と交叉し之を次の弓門(アルコ)の橋脚(はしぐひ)となせるところにいたれるに 一〇〇―一〇二
次の嚢(ボルジヤ)の民の呻吟(うめ)く聲、あらき氣息(いき)、また掌(たなごゝろ)にて身をうつ音きこえぬ 一〇三―一〇五
たちのぼる惡氣岸に粘(つ)き、黴(かび)となりてこれをおほひ、目を攻めまた鼻を攻む 一〇六―一〇八
底は深く窪みたれば石橋のいと高き處なる弓門(アルコ)の頂に登らではいづこにゆくもわきがたし 一〇九―一一一
我等すなはちこゝにいたりて見下(みおろ)せるに、濠の中には民ありて糞(ふん)に浸(ひた)れり、こは人の厠より流れしものゝごとくなりき 一一二―一一四
われ目をもてかなたをうかゞふ間、そのひとり頭いたく糞によごれて緇素を判(わか)ち難きものを見き 一一五―一一七
彼我を責めて曰ひけるは、汝何ぞ穢れし我侶(とも)を措きて我をのみかく貪り見るや、我彼に、他に非ずわが記憶に誤りなくば 一一八―一二〇
我は汝を髮乾ける日に見しことあり、汝はルッカのアレッショ・インテルミネイなり、この故にわれ特(こと)に目を汝にとゞむ 一二一―一二三
この時頂(いたゞき)を打ちて彼、我をかく深く沈めしものは諂(へつらひ)なりき、わが舌これに飽きしことなければなり 一二四―一二六
こゝに導者我に曰ひけるは、さらに少しく前を望み、身穢れ髮亂れかしこに不淨の爪もて 一二七―一二九
おのが身を掻(か)きたちまちうづくまりたちまち立ついやしき女の顏を見よ 一三〇―一三二
これ遊女(あそびめ)タイデなり、いたく心に適(かな)へりやと問へる馴染(なじみ)の客に答へて、げにあやしくとこそといへるはかれなりき 一三三―一三五
さて我等の目これをもて足れりとすべし 一三六―一三八
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   第十九曲

あゝシモン・マーゴよ、幸なき從者(ずさ)等よ、汝等は貪りて金銀のために、徳の新婦(はなよめ)となるべき 一―三
神の物を穢れしむ、今喇叭(らつぱ)は汝等のために吹かるべし、汝等第三の嚢(ボルジヤ)にあればなり 四―六
我等はこの時石橋の次の頂(いたゞき)まさしく濠の眞中(まなか)にあたれるところに登れり 七―九
あゝ比類(たぐひ)なき智慧よ、天に地にまた禍ひの世に示す汝の技(わざ)は大いなるかな、汝の權威(ちから)の頒(わか)ち與ふるさまは公平なるかな 一〇―一二
こゝに我見しに側(かは)にも底にも黒める石一面に穴ありて大きさ皆同じくかついづれも圓(まろ)かりき 一三―一五
思ふにこれらは授洗者(じゆせんじや)の場所としてわが美しき聖ジョヴァンニの中に造られしもの(未だ幾年(いくとせ)ならぬさき我その一を碎けることあり 一六―一八
こはこの中にて息絶えんとせし者ありし爲なりき、さればこの言(ことば)證(あかし)となりて人の誤りを解け)より狹くも大きくもあらざりしなるべし 一九―二一
いづれの穴の口よりも、ひとりの罪ある者の足およびその脛腓(はぎこむら)まであらはれ、ほかはみな内にあり 二二―二四
二の蹠(あしうら)火に燃えて關節(つがひめ)これがために震ひ動き、そのはげしさは綱(つな)をも組緒(くみを)をも斷切るばかりなりき 二五―二七
油ひきたる物燃ゆれば炎はたゞその表面(おもて)をのみ駛するを常とす、かの踵(くびす)より尖(さき)にいたるまでまた斯くの如くなりき 二八―三〇
我曰ふ、師よ、同囚(なかま)の誰よりも劇しく振り動かして怒りをあらはし猛き炎に舐(ねぶ)らるる者は誰ぞや 三一―三三
彼我に、わが汝をいだいて岸の低きをくだるを願はゞ汝は彼によりて彼と彼の罪とを知るをうべし 三四―三六
我、汝の好むところみな我に好(よ)し、汝は主なり、わが汝の意(こゝろ)に違ふなきを知り、またわが默(もだ)して言はざるものを知る 三七―三九
かくて我等は第四の堤にゆき、折れて左にくだり、穴多き狹き底にいたれり 四〇―四二
善き師は我をかの脛(はぎ)にて歎けるものゝ罅裂(われめ)あるところに着かしむるまでその腰よりおろすことなかりき 四三―四五
我曰ふ、悲しめる魂よ、杙(くひ)の如く插されて逆(さか)さなる者よ、汝誰なりとももしかなはば言(ことば)を出(いだ)せ 四六―四八
我はあたかも埋(いけ)られて後なほ死を延べんとおもへる不義の刺客に呼戻されその懺悔をきく僧の如くたちゐたり 四九―五一
この時彼叫びていひけるは、汝既にこゝに立つや、ボニファーチョよ、汝既にこゝに立つや、書(ふみ)は僞りて數年を違へぬ 五二―五四
斯く早くもかの財寶(たから)に飽けるか、汝はそのため欺いて美しき淑女をとらへ後虐(しひた)ぐるをさへ恐れざりしを 五五―五七
我はさながら答をきゝてさとりえずたゞ嘲りをうけし如く立ちてさらに應(こた)ふるすべを知らざる人のさまに似たりき 五八―六〇
この時ヴィルジリオいひけるは、速かに彼に告げて我は汝の思へる者にあらず汝の思へる者にあらずといへ、我乃ち命ぜられし如く答へぬ 六一―六三
是に於て魂足をこと/″\く搖(ゆる)がせ、さて歎きつゝ聲憂はしく我にいふ、さらば我に何を求むるや 六四―六六
もしわが誰なるを知るをねがふあまりに汝此岸を下れるならば知るべし、我は身に大いなる法衣(ころも)をつけし者なりしを 六七―六九
まことに我は牝熊(めぐま)の仔なりき、わが上(うえ)には財寶(たから)をこゝには己を嚢(ふくろ)に入るゝに至れるもたゞひたすら熊の仔等の榮(さかえ)を希へるによりてなり 七〇―七二
我頭の下には我よりさきにシモニアを行ひ、ひきいれられて石のさけめにかくるゝ者多し 七三―七五
わがゆくりなく問をおこせる時汝とおもひたがへたるもの來るにいたらば、我もかしこに落行かむ 七六―七八
されどわがかく足を燒き逆(さかさ)にて經し間の長さは、彼が足を赤くし插されて經ぬべき時にまされり 七九―八一
これその後(あと)に西の方より法(おきて)を無みしいよ/\醜き行ひありて彼と我とを蔽ふに足るべきひとりの牧者來ればなり 八二―八四
彼はマッカベエイの書(ふみ)のうちなるヤーソンの第二とならむ、また王これに甘(あま)かりし如くフランスを治むるもの彼に甘かるべし 八五―八七
我はこの時わがたゞかゝる歌をもて彼に答へし事のあまりに愚なるわざなりしや否やを知らず、曰く、あゝいま我に告げよ 八八―九〇
我等の主鑰(かぎ)を聖ピエートロに委ぬるにあたりて幾許(いくばく)の財寶(たから)を彼に求めしや、げにその求めしものは我に從への外あらざりき 九一―九三
また罪ある魂の失へる場所を補はんとて鬮(くじ)にてマッティアを選べる時、ピエルもほかの弟子達(でしたち)も彼より金銀をうけざりき 九四―九六
此故にこゝにとゞまれ、罰をうくるは宜(うべ)なればなり、かくして汝にカルロを侮らしめし不義の財貨(たから)をかたくまもれ 九七―九九
若し喜びの世にて汝が手にせし比類(たぐひ)なき鑰の敬(うやまひ)いまなほ我を控(ひか)ゆるなくば 一〇〇―一〇二
これより烈(はげ)しき言(ことば)をこそもちゐめ、汝等の貪りは世界に殃(わざはひ)し善(よき)を踏みしき悖(もと)れるを擧ぐ 一〇三―一〇五
女水の上に坐し淫を諸王に鬻ぐを見し時、かの聖傳を編める者汝等牧者を思へるなり 一〇六―一〇八
すなはち生れて七の頭あり、その夫の徳を慕ふ間十の角(つの)よりその證(あかし)をうけし女なり 一〇九―一一一
汝等は己の爲に金銀の神を造れり、汝等と偶像に事ふるものゝ異なる處いづこにかある、彼等一を拜し汝等百を拜す、これのみ 一一二―一一四
あゝコスタンティーンよ、汝の歸依ならず、最初の富める父が汝よりうけしその施物(せもつ)はそもいかなる禍ひの母となりたる 一一五―一一七
我この歌をうたへる間、彼は怒りに刺されしか或ひは恥に刺されしか、はげしく二の蹠(あしうら)を搖(ゆ)れり 一一八―一二〇
思ふにこの事必ずわが導者の意をえたりしなるべし、かれ氣色(けしき)いとうるはしくたえず耳をわがのべし眞(まこと)の言に傾けき 一二一―一二三
かくて雙腕(もろかひな)をもて我を抱き、我を全くその胸に載せ、さきにくだれる路をのぼれり 一二四―一二六
またかく抱きて疲るゝことなく、第四の堤より第五の堤に通ふ弓門(アルコ)の頂(いたゞき)まで我を載せ行き 一二七―一二九
石橋粗く嶮しくして山羊(やぎ)さへたやすく過ぐべきならねば、しづかにこゝにその荷をおろせり 一三〇―一三二
さてこゝよりみゆるは次の大いなる溪なりき 一三三―一三五
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   第二十曲

新(あらた)なる刑罰を詩に編(あ)み、これを第一の歌沈める者の歌のうちなる曲(カント)第二十の材となすべき時は至れり 一―三
こゝにわれよく心をとめて望み見しに、くるしみの涙を浴(あ)びし底あらはれ 四―六
まろき大溪(おほたに)に沿ひて來れる民泣いて物言はず、足のはこびはこの世の祈祷(いのり)の行列に似たりき 七―九
わが目なほひくゝ垂れて彼等におよべば、頤(おとがひ)と胸との間みな奇(く)しくゆがみて見ゆ 一〇―一二
すなはち顏は背(うしろ)にむかひ、彼等前を望むあたはで、たゞ後方(うしろ)に行くあるのみ 一三―一五
げに人中風(ちゆうぶ)のわざによりてかく全くゆがむにいたれることもあるべし、されど我未だかゝることをみず、またありとも思ひがたし 一六―一八
讀者よ(願はくは神汝に讀みて實(み)を摘むことをえしめよ)、請ふ今自ら思へ、目の涙背筋(せすぢ)をつたひて 一九―二一
臂(ゐさらひ)を洗ふばかりにいたくゆがめる我等の像(かたち)をしたしく見、我何ぞ顏を濡らさゞるをえん 二二―二四
我はげに堅き石橋の岩の一に凭(もた)れて泣けり、導者すなはち我に曰ふ、汝なほ愚者に等しきや 二五―二七
夫れこゝにては慈悲全く死してはじめて敬虔生く、神の審判(さばき)にむかひて憐みを起す者あらばこれより大いなる罪人あらんや 二八―三〇
首(かうべ)をあげよ、あげてかの者を見よ、テーベ人(びと)の目の前にて地そのためにひらけしはこれなり、この時人々皆叫びて、アンフィアラーオよ 三一―三三
何處(いづこ)におちいるや何ぞ軍(いくさ)を避くるやとよべるもおちいりて止まるひまなく、遂に萬民をとらふるミノスにいたれり 三四―三六
見よ彼は背を胸に代ふ、あまりに前(さき)をのみ見んことをねがへるによりていま後(あと)を見後方(うしろ)にゆくなり 三七―三九
ティレージアを見よ、こは體(からだ)すべて變りて男より女となり、その姿あらたまるにいたれるものなり 四〇―四二
この事ありて後、再び雄々しき羽をうるため、彼まづ杖をもて二匹の縺(もつ)れあへる蛇をふたゝび打たざるをえざりき 四三―四五
背を彼の腹に向くるはアロンタなり、ルーニ山の中、その下に住むカルラーラ人の耕すところに 四六―四八
白き大理石のうちなる洞(ほら)を住居(すまゐ)とし、こゝより星と海とを心のまゝに見るをえき 四九―五一
みだれし髪をもて汝の見ざる乳房(ちぶさ)をおほひ、毛ある肌(はだへ)をみなかなたにむけしは 五二―五四
マントといへり、多くの國々をたづねめぐりて後わが生れし處にとどまりき、されば請ふ少しくわがこゝに陳(の)ぶることを聞け 五五―五七
その父世を逝(さ)りバーコの都奴婢(はしため)となるにおよびてかれはひさしく世にさすらへり 五八―六〇
上(うへ)なる美しきイタリアの中、ティラルリに垂れて獨逸(ラーマニア)を閉すアルペの裾に一湖あり、ベナーコと名づく 六一―六三
ガルダとヴァル・カーモニカの間にはおもふに千餘の泉あるべし、その水みなアペンニノを洗ひてこの湖に湛ふ 六四―六六
湖の中央に一の處あり、トレント、ブレシヤ、ヴェロナの牧者等若しこの路を取ることあらば各□こゝに祝福を與ふるをえん 六七―六九
美しき堅き城ペスキエーラはブレシヤ人ベルガーモ人を防がんとてまはりの岸のいと低き處にあり 七〇―七二
ベナーコの懷(ふところ)にあまるものみな必ずこゝに落ち、川となりて緑の牧場をくだる 七三―七五
この水流れはじむればベナーコと呼ばれず、ゴヴェルノにいたりてポーに入るまでミンチョとよばる 七六―七八
未だ遠く進まざるまにとある窪地(くぼち)をえて中にひろがり沼となり、夏はしば/\患ひを釀す恐れあり 七九―八一
さてこの處を過ぐとてかの猛き處女(をとめ)沼の中央に不毛無人の地あるを見 八二―八四
すべて世の交際(まじらひ)を避けおのが術(わざ)を行はんためその僕等と共にとゞまりてこゝに住みこゝにその骸(むくろ)を殘せり 八五―八七
この後あたりに散りゐたる人々みなこの處にあつまれり、これ四方に沼ありてその固(かため)強かりければなり 八八―九〇
彼等町を枯骨の上に建て、はじめてこの處をえらべるものに因(ちな)み、占(うら)によらずして之をマンツアと呼べり 九一―九三
カサロディの愚未だピナモンテの欺くところとならざりし頃は、この中なる民なほ多かりき 九四―九六
されど我汝を戒む、たとひ是と異なるわが邑(まち)の由來を聞くことありとも、汝僞(いつはり)をもて眞(まこと)となすなかれ 九七―九九
我、師よ、汝の陳ぶること我にあきらかに、善くわが信をえたり、さればいかなる異説出づとも我には消えし炭に過ぎじ 一〇〇―一〇二
されど我に告げよ、汝は歩みゆく民の中に心をとむべきものを見ずや、そはわが思ひたゞこの事にのみむかへばなり 一〇三―一〇五
この時彼我に曰ふ、髯を頬より黯(くろず)める肩に垂るゝものはギリシアに男子なく 一〇六―一〇八
搖籃滿つるにいたらざりし頃の卜者にて、カルカンタと共にアウリーデに最初の纜(ともづな)解かるべき時を卜せり 一〇九―一一一
彼名をエウリピロといひき、わが高き悲曲の調(しらべ)はいづこにか彼をかく歌へることあり、汝この詩を知り盡せばまたよくこの事を知らん 一一二―一一四
雙脇(もろわき)いたく痩せたるはミケーレ・スコットといひ、惑はし欺く無益(むやく)の術(わざ)にまことに長けし者なりき 一一五―一一七
見よグイード・ボナッティを、見よアスデンテを(彼革と絲とに心をむけし事を願ひ今悔ゆれどもおそし) 一一八―一二〇
針、杼(ひ)、紡錘(つむ)を棄てゝ卜者となりし幸なき女等を見よ、彼等は草と偶人(ひとがた)をもてその妖術を行へり 一二一―一二三
されどいざ來れ、カイーノと茨(いばら)は既に兩半球の境を占め、ソビリアのかなたの波に觸る 一二四―一二六
昨夜既に月は圓かりき、こは低き林の中にてしば/\汝に益をえさせしものなれば汝いかでか忘るべき 一二七―一二九
かく彼我に語り、語る間も我等は歩めり 一三〇―一三二
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   第二十一曲

このほかわが喜曲(コメディア)の歌ふを好まざる事どもかたりつゝ、かく橋より橋にゆき、頂(いたゞき)にいたるにおよびて 一―三
我等はマーレボルジェなる次の罅裂(われめ)と次の空しき歎きを見んとてとゞまれり、我見しにこの處あやしく暗かりき 四―六
たとへば冬の日ヴェネーツィア人の船廠(アールセーナ)に、健(すこや)かならぬ船を塗替へんとて、粘(ねば)き脂(やに)煮ゆるごとく 七―九
(こは彼等海に浮ぶをえざるによる、すなはち之に代へてひとりは新(あらた)に船を造り、ひとりはあまたの旅をかさねし船の側(わき)を塞ぎ 一〇―一二
ひとりは舳(へさき)ひとりは艫(とも)に釘うち、彼櫂を造り是綱を縒(よ)り、ひとりは大小の帆を繕(つくら)ふ) 一三―一五
下には濃き脂(やに)火によらず神の技(みわざ)によりて煮え、岸いたるところこれに塗(まみ)れぬ 一六―一八
我之を見れども、煮られて浮ぶ泡の外には一としてその中に見ゆる物なく、たゞこの脂の一面に膨れいでゝはまた引縮むさまをみるのみ 一九―二一
われ目を凝らして見おろしゐたるに、あれ見よあれ見よといひてわが導者わが立處(たちど)より我をひきよす 二二―二四
しきりに見んことをねがへども、そは逃げて避くべきものにしあれば、俄におそれていきほひ挫(くじ)け 二五―
見るまも足を止めざる人の如く、われ身を返して後方(うしろ)をみしに石橋をわたりてはせきたれる一の黒き鬼ありき ―三〇

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