神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

夫れその智萬物に超ゆるもの諸天を造りてこれに司るものを與へたまへり、かくて各部は各部にかゞやき 七三―七五
みな分に應じてその光を頒つ、これと同じく世にありてもまたその光輝をすべをさめ且つ導く者を立てたまへり 七六―七八
このもの時至れば空しき富貴を民より民に血より血に移し人智もこれを防ぐによしなし 七九―八一
此故にその定(さだめ)にしたがひて一の民榮え一の民衰ふ、またその定の人にかくるゝこと草の中なる蛇の如し 八二―八四
汝等の智何ぞこれに逆(さから)ふことをえん、彼先を見て定めおのが權を行ふことなほ神々のしかするに似たり 八五―八七
その推移には休歇(やすみ)なし、已むなきの力かれをはやむ、その流轉(るてん)にあふもの屡□と出づるも宜なるかな 八八―九〇
彼を讚むべきもの却つて彼を十字架につけ、故なきに難(なん)じ、汚名を負はしむ 九一―九三
されどかれ祝福(めぐみ)をうけてこれを聞かず、はじめて造られしものと共にこゝろよくその輪を轉らし、まためぐまるゝによりて喜び多し 九四―九六
いざ今より我等は尚大いなる憂ひにくだらん、わが進みしとき登れる星はみな既にかたむきはじむ、我等ながくとゞまる能はず 九七―九九
我等この獄(ひとや)を過ぎてかなたの岸にいたれるに、こゝに一の泉ありて湧きこゝより起れる一の溝(みぞ)にそゝげり 一〇〇―一〇二
水の黒(くろ)きことはるかにペルソにまさりき、我等黯(くろず)める波にともなひ慣れざる路をつたひてくだりぬ 一〇三―一〇五
この悲しき小川はうす黒き魔性の坂の裾にくだりてスティージェとよばるゝ一の沼となれり 一〇六―一〇八
こゝにわれ心をとめて見んとて立ち、この沼の中に、泥にまみれみなはだかにて怒りをあらはせる民を見き 一〇九―一一一
かれらは手のみならず、頭、胸、足をもて撃ちあひ、齒にて互に噛みきざめり 一一二―一一四
善き師曰ふ、子よ、今汝は怒りに負(ま)けしものゝ魂を見るなり、汝またかたく信すべし 一一五―一一七
この水の下に民あることを、かれらその歎息(ためいき)をもて水の面に泡立たしむ、こはいづこにむかふとも汝の目汝に告ぐる如し 一一八―一二〇
泥(ひぢ)の中にて彼等はいふ、日を喜ぶ麗しき空氣のなかにも無精(ぶせい)の水氣を衷にやどして我等鬱せり 一二一―一二三
今我黒き泥水(どろみづ)のなかに鬱すと、かれらこの聖歌によりて喉に嗽(うがひ)す、これ全き言(ことば)にてものいふ能はざればなり 一二四―一二六
かくして我等は乾ける土と濡れたる沼の間をあゆみ、目を泥を飮む者にむかはしめ、汚(きたな)き瀦(みづたまり)の大なる孤をめぐりて 一二七―一二九
つひに一の城樓(やぐら)の下(もと)にいたれり 一三〇―
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   第八曲

續いて語るらく、高き城樓(やぐら)の下(もと)を距るなほいと遠き時、我等は目をその頂に注げり 一―三
これ二(ふたつ)の小さき焔のこゝにおかるゝをみしによりてなり、又他(ほか)に一(ひとつ)之と相圖を合せしありしも距離(あはひ)大なれば我等よく認むるをえざりき 四―六
こゝにわれ全智の海にむかひ、いひけるは、この火何といひ、かの火何と答ふるや、またこれをつくれるものは誰なりや 七―九
彼我に、既に汝は來らんとすることを汚(けが)れし波の上に辨(わか)ちうべし、若し沼の水氣これを汝に隱さずば 一〇―一二
矢の絃(つる)に彈(はじ)かれ空を貫いて飛ぶことはやきもわがこの時見し一の小舟には如かじ 一三―一五
舟は水を渡りて、我等のかたにすゝめり、これを操(あやつ)れるひとりの舟子(ふなこ)よばゝりて、惡しき魂よ、汝いま來れるかといふ 一六―一八
わが主曰ひけるは、フレジアス、フレジアス、こたびは汝さけぶも益なし、我等汝に身を委ぬるは、泥(ひぢ)を越えゆく間(あひだ)のみ 一九―二一
怒りを湛へしフレジアスのさま、さながら大いなる欺罔(たばかり)に罹れる人のこれをさとりていたみなげくが如くなりき 二二―二四
わが導者船にくだり、尋(つい)で我に入らしめぬ、船はわが身をうけて始めてその荷を積めるに似たりき 二五―二七
導者も我も乘り終れば、年へし舳(へさき)忽ち進み、その水を切ること常よりも深し 二八―三〇
我等死の溝を馳せし間に、泥を被れるもの一人わが前に出でゝいひけるは、時いたらざるに來れる汝は誰ぞ 三一―三三
我彼に、われ來れども止まらず、然(さは)れ、かく汚るゝにいたれる汝は誰ぞ、答へていふ、見ずやわが泣く者なるを 三四―三六
我彼に、罰當(ばちあたり)の魂奴(たましひめ)、歎悲(なげきかなしみ)の中にとゞまれ、いかに汚るとも我汝を知らざらんや 三七―三九
この時彼船にむかひて兩手(もろて)をのべぬ、師はさとりてかれをおしのけ、去れ、かなたに、他の犬共にまじれといふ 四〇―四二
かくてその腕(かひな)をもてわが頸をいだき顏にくちづけしていひけるは、憤りの魂よ、汝を孕める女は福(さいはひ)なるかな 四三―四五
かれは世に僭越なりしものにてその記憶を飾る徳なきがゆゑに魂ここにありてなほ猛し 四六―四八
それ地上現に大王の崇(あがめ)をうけしかも記念(かたみ)におそるべき誹りを殘して泥(ひぢ)の中なる豚の如くこゝにとゞまるにいたるものその數いくばくぞ 四九―五一
我、師よ、我等池をいでざる間に、願はくはわれ彼がこの羹(あつもの)のなかに沈むを見るをえんことを 五二―五四
彼我に、岸汝に見えざるさきにこの事あるべし、かゝる願ひの汝を喜ばすはこれ適はしきことなればなり 五五―五七
この後ほどなく我は彼が泥(ひぢ)にまみれし民によりていたく噛み裂かるゝをみぬ、われこれがためいまなほ神を讚め神に謝す 五八―六〇
衆皆叫びてフィリッポ・アルゼンティをといへり、怒れるフィレンツェの魂は齒にておのれを噛めり 六一―六三
こゝにて我等彼を離れぬ、われまた彼の事を語らじ、されど此時苦患(なやみ)の一聲(ひとこゑ)わが耳を打てり、我は即ち前を見んとて目をみひらけり 六四―六六
善き師曰ひけるは、子よ、ディーテと稱ふる邑(まち)は今近し、こゝには重き邑人(まちびと)大いなる群集(むれ)あり 六七―六九
我、師よ、我は既にかなたの溪間に火の中より出でたる如く赤き伽藍をさだかにみとむ 七〇―七二
彼我に曰ふ、内に燃ゆる永久(とこしへ)の火はこの深き地獄の中にもなほ汝にみゆるごとく彼等を赤くす 七三―七五
我等はつひこの慰めなき邑(まち)を固むる深き濠(ほり)に入れり、圍(かこひ)は鐡より成るに似たりき 七六―七八
めぐり/\てやうやく一の處にいたれば、舟子(ふなこ)たかくさけびて、入口はこゝぞ、いでよといふ 七九―八一
我見しに天より降(ふ)れる千餘のもの門上にあり、怒りていひけるは、いまだ死なざるに 八二―
死せる民の王土を過ぐる者は誰ぞや、智(さと)きわが師はひそかに語らはんとの意(こゝろ)を彼等に示せるに ―八七
かれら少しくその激しき怒りをおさへ、いひけるは、汝ひとり來り、かく膽(きも)ふとくもこの王土に入りたる者を去らせよ 八八―九〇
狂へる路によりて彼ひとりかへり、しかなしうべきや否やを見しめ、かくこの暗き國をかれに示せる汝はこゝに殘るべし 九一―九三
讀者よ、この詛ひの言をきゝて再び世にかへりうべしと信ぜざりし時、わが心挫けざりしや否やをおもへ 九四―九六
我曰ふ、あゝ七度(なゝたび)あまり我を安全(やすき)にかへらしめ、たちむかへる大難より我を救ひいだせし愛する導者よ 九七―
かくよるべなき我を棄てたまふなかれ、もしなほさきに行くあたはずは、我等疾(と)く共に踵をめぐらさん ―一〇二
我をかしこに導ける主曰ひけるは、恐るゝなかれ、何者といへども我等の行方(ゆくへ)を奪ふをえず、彼これを我等に與へたればなり 一〇三―一〇五
さればこゝにて我を待ち、よわれる精神(たましひ)をはげまし、眞(まこと)の希望(のぞみ)を食(は)め、我汝をこの低き世に棄てざればなり 一〇六―一〇八
かくてやさしき父は我をこの處に置きて去り、我は疑ひのうちに殘れり、然と否とはわが頭(かうべ)の中に爭へるなりき 一〇九―一一一
彼何をかれらにいへるや、我は聞くをえざりき、されど彼かれらとあひてほどなきに、かれ等みな競ひて内にはせいりぬ 一一二―一一四
我等の敵は門をわが主の前に閉せり、主は外(そと)に殘され、その足おそくわが方にかへれり 一一五―一一七
目は地にむかひ、眉に信念の跡をとゞめず、たゞ歎きて憂ひの家を我に拒めるは誰ぞといふ 一一八―一二〇
また我にいひけるは、わが怒るによりて汝恐るゝなかれ、いかなる者共内にゐて防ぎ止めんとつとむとも、我はこの爭ひにかつべし 一二一―一二三
彼等の非禮を行ふは新しきことにあらず、かく祕めらるゝことなく今も□(とざし)なき門のほとりにそのかみ彼等またこれを行へり 一二四―一二六
汝がかの死の銘をみしは即ちこの門の上なりき、いまそのこなたに導者なく圈また圈を過ぎて坂を降るひとりのものあり 一二七―一二九
かれよくこの邑を我等のためにひらくべし 一三〇―一三二
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   第九曲

導者の歸り來るを見てわが面(おもて)を染めし怯心の色は彼の常ならぬ色をかへつてはやくうちに抑へき 一―三
彼は耳を欹つる人の如く心してとゞまれり、これその目、黒き空、濃き霧をわけて遠くかれを導くをえざりしによりてなり 四―六
彼曰ふ、さばれ我等必ずこの戰ひに勝つべし、されどもし……彼なりき進みて助けを約せるは、あゝかの一者(ひとり)の來るを待つ間(ま)はいかに長いかな 七―九
我は彼が先(さき)と異なれることを後(あと)にいひ、これをもてその始めを蔽へるさまをさだかに知れり 一〇―一二
彼かくなせるもそのいふ事なほ我を怖(おぢ)しめき、こはわが彼の續かざる言(ことば)に彼の思ひゐたるよりなほ惡き意義を含ませし故にやありけん 一三―一五
罰はたゞ望みを絶たれしのみなる第一の獄(ひとや)より悲しみの坎(あな)かく深くくだるものあることありや 一六―一八
われこの問を起せるに彼答へて曰ひけるは、我等の中にはかゝる旅路につくものあることまれなり 一九―二一
されどまことは我一たびこゝに降れることあり、こは魂等を呼びてその體(からだ)にかへらしめし酷(むご)きエリトンの妖術によれり 二二―二四
わが肉我を離れて後少時(しばし)、ジュダの獄より一の靈をとりいださんため彼我をこの圍(かこひ)の中に入らしめき 二五―二七
この獄はいと低くいと暗く萬物を廻らす天を距ることいと遠し、我善く路をしる、この故に心を安んぜよ 二八―三〇
はげしき惡臭(をしう)を放つこれなる沼は、我等がいま怒りをみずして入るをえざる憂ひの都をかこみめぐる 三一―三三
このほかなほいへることありしも我おぼえず、これわが目はわが全心を頂もゆる高き城樓(やぐら)にひきよせたればなり 三四―三六
忽ちこゝに血に染みていと凄き三のフーリエ時齊しくあらはれいでぬ、身も動作(ふるまひ)も女性(によしやう)のごとく 三七―三九
いと濃き緑の水蛇(イドラ)を帶とす、小蛇チェラスタ髮に代りてその猛き後額(こめかみ)を卷けり 四〇―四二
この時かれ善くかぎりなき歎きの女王の侍婢(はしため)等を認めて我にいひけるは、兇猛なるエーリネを見よ 四三―四五
左なるはメジェラ右に歎くはアレットなり、テシフォネ中にあり、斯く言ひて默せり 四六―四八
彼等各□と爪をもておのが胸を裂き掌(たなごゝろ)をもておのが身を打てり、その叫びいと高ければ我は恐れて詩人によりそひき 四九―五一
俯(うつむ)き窺(うかゞ)ひつゝみないひけるは、メヅーサを來らせよ、かくして彼を石となさん、我等テゼオに襲はれて怨みを報いざりし幸(さち)なさよ 五二―五四
身をめぐらし後(うしろ)にむかひて目を閉ぢよ、若しゴルゴンあらはれ、汝これを見ば、再び上に歸らんすべなし 五五―五七
師はかくいひて自らわが身を背かしめ、またわが手を危ぶみ、おのが手をもてわが目を蔽へり 五八―六〇
あゝまことの聰明(さとり)あるものよ、奇(くす)しき詩のかげにかくるゝをしへを見よ 六一―六三
この時既にすさまじく犇(ひし)めく物音濁れる波を傳ひ來りて兩岸これがために震へり 六四―六六
こはあたかも反する熱によりて荒れ、林を打ちて支ふるものなく、枝を折り裂き 六七―
うち落し吹きおくり、塵を滿たしてまたほこりかに吹き進み、獸と牧者を走らしむる風の響きのごとくなりき ―七二
かれ手を放ちていひけるは、いざ目をかの年へし水沫(みなわ)にそゝげ、かなた烟のいと深きあたりに 七三―七五
たとへば敵なる蛇におどろき、群居(むれゐ)る蛙みな水に沈みて消え、地に蹲まるにいたるごとく 七六―七八
我は一者(ひとり)の前を走れる千餘の滅亡(ほろび)の魂をみき、この者徒歩(かち)にてスティージェを渡るにその蹠(あしうら)濡るゝことなし 七九―八一
かれはしば/\左手(ゆんで)をのべて顏のあたりの霧をはらへり、その疲れし如くなりしはたゞこの累(わづらひ)ありしためのみ 八二―八四
我は彼が天より遣はされし者なるをさだかに知りて師にむかへるに、師は我に示して口を噤ましめ、また身をその前にかゞめしむ 八五―八七
あゝその憤りいかばかりぞや、かれ門にゆき、支ふる者なければ一の小さき杖をもてこれをひらけり 八八―九〇
かくて恐ろしき閾の上よりいふ、あゝ天を逐はれし者等よ、卑しき族(うから)よ、汝等のやどす慢心はいづこよりぞ 九一―九三
その目的(めあて)削(そ)がるゝことなく、かつしば/\汝等の苦患(なやみ)を増せる天意に對ひ足を擧ぐるは何故ぞ 九四―九六
命運に逆ふ何の益ぞ、汝等のチェルベロいまなほこれがため頤(おとがひ)と喉(のんど)に毛なきを思はずや 九七―九九
かくて彼我等に何の言だになく汚れし路をかへりゆき、そのさまさながらほかの思ひに責め刺され 一〇〇―
おのが前なる者をおもふに暇なき人のごとくなりき、聖語を聞いて心安く、我等足を邑(まち)のかたにすゝめ ―一〇五
戰はずして内に入りにき、我はまたかゝる砦(とりで)の内なるさまのいかなるやをみんことをねがひ 一〇六―一〇八
たゞちに目をわがあたりに投ぐれば、四方に一の大なる廣場(ひろには)ありて苦患(なやみ)ときびしき苛責を滿たせり 一〇九―一一一
ローダーノの水澱むアルリ、またはイタリアを閉してその境を洗ふカルナーロ近きポーラには 一一二―一一四
多くの墓ありて地に平らかなる處なし、こゝもまた墓のためにすべてかくの如く、たゞ異なるはそのさまいよ/\苦(にが)きのみ 一一五―一一七
そは多くの焔墓の間に散在して全くこれを燒けばなり、げにいかなる技工(わざ)といへどもこれより赤くは鐡(くろがね)を燒くを需(もと)めぬなるべし 一一八―一二〇
蓋は悉く上げられ幸(さち)なき者苦しむ者にふさはしきはげしき歎聲(なげき)内より起れり 一二一―一二三
我、師よ、これらの墓の中に葬られ、たゞ憂ひの歎息(ためいき)を洩すのみなるこれらの民は何なりや 一二四―一二六
彼我に、邪宗の長(をさ)等その各流の宗徒とともにこゝにあるなり、またこれらの墓の中には汝の思ふよりも多くの荷あり 一二七―一二九
みな類にわかちて葬られ、塚の熱度一樣ならず、かくいひて右にむかへり 一三〇―一三二
我等は苛責と高壘の間を過ぎぬ 一三三―一三五
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   第十曲

さて城壁と苛責の間のかくれたる路に沿ひ、わが師さきに我はその背に附きて進めり 一―三
我曰ふ、あゝ心のまゝに我を導き信なき諸□の獄(ひとや)をめぐる比類(たぐひ)なき功徳(くどく)よ、請ふ我に告げわが願ひを滿たせ 四―六
墓の中に臥せる民、われこれを見るをうべきか、蓋みな上げられて守る者なし 七―九
彼我に、かれら上(うへ)の世に殘せる體(からだ)をえてヨサファットよりこゝにかへらば皆閉ぢん 一〇―一二
こなたにはエピクロとかれに傚ひて魂を體とともに死ぬるとなす者みな葬らる 一三―一五
さればたゞちにこの中にて汝は我に求めしものをえ、默して我にいはざりし汝の願ひもまた成るべし 一六―一八
我、善き導者よ、言少なきを希ふにあらずばわれ何ぞわが心を汝に祕むべき、汝かく我に思はしめしは今のみならじ 一九―二一
恭しくかたりつゝ生きながら火の都を過ぎゆくトスカーナ人よ、ねがはくはこの處にとゞまれ 二二―二四
汝は汝の言によりて尊きわが郷土(ふるさと)(恐らくはわが虐げし)の生れなるをしらしむ 二五―二七
この聲ゆくりなく一の墓より出でければ、我はおそれてなほ少しくわが導者に近づけり 二八―三〇
彼我に曰ひけるは、汝何をなすや、ふりかへりてかしこに立てるファーリナータを見よ、その腰より上こと/″\くあらはる 三一―三三
我はすでに目をかれの目にそゝぎゐたるに、かれはその胸と額をもたげ起してあたかもいたく地獄を嘲るに似たりき 三四―三六
この時導者は汝の言(ことば)を明かならしめよといひ、臆せず弛(たゆみ)なき手をもて我を墓の間におしやりぬ 三七―三九
われ彼の墓の邊(ほとり)にいたれるとき、彼少しく我を見てさて蔑視(さげすむ)ごとく問ひていひけるは、汝の祖先は誰なりや 四〇―四二
我は從はんことをねがひてかくさず、一切をかれにうちあけしに、少しく眉をあげて 四三―四五
いひけるは、かれらは我、わが祖先、またわが黨與の兇猛なる敵なりき、さればわれ兩度(ふたゝび)かれらを散らせることあり 四六―四八
我答へて彼に曰ひけるは、かれら逐はれしかども前にも後にも四方より歸れり、されど汝の徒(ともがら)は善くこの術(わざ)を習はざりき 四九―五一
この時開ける口より一の魂これとならびて頤(おとがひ)まであらはせり、思ふにかれは膝にて立てるなるべし 五二―五四
我とともにある人ありや否やをみんとねがへる如くわが身のあたりをながめたりしが、疑ひ全く盡くるにおよびて 五五―五七
泣きて曰ひけるは、汝若し才高きによりてこの失明(くらやみ)の獄(ひとや)をめぐりゆくをえば、わが兒はいづこにありや、かれ何ぞ汝と共にあらざる 五八―六〇
我彼に、われ自ら來れるにあらず、かしこに待つ者我を導きてこゝをめぐらしむ、恐らくはかれは汝のグイードの心に侮りし者ならん 六一―六三
かれの言(ことば)と刑罰の状(さま)とは既にその名を我に讀ましめ、わが答かく全きをえしなりき 六四―六六
かれ忽ち起きあがり叫びていひけるは、汝何ぞ「りし」といへるや、彼猶生くるにあらざるか、麗しき光はその目を射ざるか 六七―六九
わがためらひてとみに答へざりしをみ、かれは再び仰(あふの)きたふれ、またあらはれいづることなかりき 七〇―七二
されど我に請ひて止まらしめし心大いなる者、顏をも變へず頸をも動かさずまた身をも曲げざりき 七三―七五
かれさきの言を承けていひけるは、彼等もしよくこの術(わざ)を習はざりきとならば、その事この床(とこ)よりも我を苦しむ 七六―七八
されどこゝを治むる女王の顏燃ゆることいまだ五十度(いそたび)ならぬ間(ま)に、汝自らその術(わざ)のいかに難きやをしるにいたらむ 七九―八一
(願はくは汝麗しき世に歸るをえんことを)請ふ我に告げよ、かの人々何故に凡てその掟(おきて)により、わが宗族(うから)をあしらふことかく殘忍なりや 八二―八四
我すなはち彼に、アルビアを紅(あけ)に色採(いろど)りし敗滅(ほろび)と大いなる殺戮(ほふり)とはかかる祈りを我等の神宮(みや)にさゝげしむ 八五―八七
彼歎きつゝ頭(かうべ)をふりていひけるは、そもかの事に與(あづか)れるはわれひとりにあらざりき、また我何ぞ故なくして人々とともに動かんや 八八―九〇
されどフィレンツェを毀たんとて人々心をあはせし處にては、これをあらはに囘護(かば)ひたる者たゞわれひとりのみなりき 九一―九三
我彼に請ひていひけるは、あゝねがはくは汝の裔(すゑ)つひに安息(やすき)をえんことを、請ふここにわが思想(おもひ)の縺(もつれ)となれる節(ふし)を解け 九四―九六
我善く汝等のいふところをきくに、汝等は時の携へ來るものをあらかじめみれども現在にわたりてはさることなきに似たり 九七―九九
彼曰ふ、我等遠く物をみること恰も光備はらざる人のごとし、これ比類(たぐひ)なき主宰いまなほ我等の上にかく輝くによりてなり 一〇〇―一〇二
物近づきまたはまのあたりにある時我等の智全く空し、若し我等に告ぐる者なくば世のありさまをいかでかしらん 一〇三―一〇五
この故に汝會得(ゑとく)しうべし、未來の門の閉さるゝとともに我の知識全く死ぬるを 一〇六―一〇八
この時われいたく我咎を悔いていひけるは、さらば汝かの倒れし者に告げてその兒いまなほ生ける者と共にありといへ 一〇九―一一一
またさきにわが默(もだ)して答へざりしは汝によりて解かれし迷ひにすでに心をむけたるが故なるをしらしめよ 一一二―一一四
わが師はすでに我を呼べり、われすなはちいよ/\いそぎてこの魂にともにある者の誰なるやを告げんことを請ひしに 一一五―一一七
彼我にいひけるは、我はこゝに千餘の者と共に臥す、こゝに第二のフェデリーコとカルディナレあり、その他はいはず 一一八―一二〇
かくいひて隱れぬ、我はわが身に仇となるべきかの言(ことば)をおもひめぐらし、足を古(いにしへ)の詩人のかたにむけたり 一二一―一二三
かれは歩めり、かくてゆきつゝ汝何ぞかく思ひなやむやといふ、われその問に答へしに 一二四―一二六
聖(ひじり)訓(さと)していひけるは、汝が聞けるおのが凶事を記憶に藏(をさ)めよ、またいま心をわが言にそゝげ、かくいひて指を擧げたり 一二七―一二九
美しき目にて萬物を見るかの淑女の麗しき光の前にいたらば汝はかれによりておのが生涯の族程(たびぢ)をさとることをえん 一三〇―一三二
かくて彼足を左にむけたり、我等は城壁をあとにし、一の溪に入りたる路をとり、内部(うち)にむかひてすゝめり 一三三―一三五
溪は忌むべき惡臭(をしう)をいだして高くこの處に及ばしむ 一三六―一三八
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   第十一曲

碎けし巨岩(おほいは)の輪より成る高き岸の縁(ふち)にいたれば、我等の下にはいよ/\酷(むご)き群(むれ)ありき 一―三
たちのぼる深淵の惡臭(をしう)たへがたく劇しきをもて、我等はとある大墳(おほつか)の蓋の後方(うしろ)に身を寄せぬ 四―
われこゝに一の銘をみたり、曰く、我はフォーチンに引かれて正路を離れし法王アナスターショを納むと ―九
我等ゆるやかにくだりゆくべし、かくして官能まづ少しく悲しみの氣息(いき)に慣れなば、こののち患(うれへ)をなすことあらじ 一〇―一二
師斯く、我彼に曰ふ、時空しく過ぐるなからんため補充(おぎなひ)の途を求めたまへ、彼、げに我もまたその事をおもへるなり 一三―一五
又曰ひけるは、わが子よ、これらの岩の中に三の小さき獄(ひとや)あり、その次第をなすこと汝が去らんとする諸□の獄の如し 一六―一八
これらみな詛ひの魂にて滿たさる、されどこの後汝たゞ見るのみにて足れりとするをえんため、彼等の繋がるゝ状(さま)と故(ゆゑ)とをきけ 一九―二一
夫れ憎(にくみ)を天にうくる一切の邪惡はその目的(めあて)非を行ふにあり、しかしてすべてかゝる目的は或は力により或は欺罔(たばかり)によりて他を窘(くるし)む 二二―二四
されど欺罔は人特有の罪惡なれば、神意に悖ること殊に甚し、この故にたばかる者低きにあり、かれらを攻むる苦患(なやみ)また殊に大なり 二五―二七
第一の獄(ひとや)はすべて荒ぶる者より成る、されど力のむかふところに三の者あれば、この獄また三の圓にわかたる 二八―三〇
力の及びうべきところに神あり、自己(おのれ)あり、隣人(となりびと)あり、こは此等と此等に屬(つ)けるものゝ謂なることわれなほ明かに汝に説くべし 三一―三三
力隣人に及べば死となりいたましき傷となり、その持物におよべば破壞、放火、また不法の掠奪となる 三四―三六
この故に人を殺す者、惡意より撃つ者、荒らす者、掠むる者、皆類にわかたれ、第一の圓これを苛責す 三七―三九
人暴(あらび)の手を己が身己が産にくだすことあり、この故に自ら求めて汝等の世を去り 四〇―
またはその産業を博奕によりて盡し、費し盡し、喜ぶべき處に歎く者徒(いたづら)に第二の圓に悔ゆ ―四五
心に神を無(な)みし神を誹り、また自然と神の恩惠(めぐみ)をかろんずるは、これ人神にむかひてその力を用ふるものなり 四六―四八
この故に最小の圓はその印をもてソッドマ、カオルサ、また心より神を輕んじかつ口にする者を封ず 四九―五一
欺罔(たばかり)は(心これによりて疚(やま)しからぬはなし)人之を己を信ずるものまたは信ぜざるものに行ふ 五二―五四
後者はたゞ自然が造れる愛の繋(つなぎ)を斷つに似たり、この故に僞善、諂諛、人を惑はす者 五五―
詐欺、竊盜、シモエア、判人(ぜげん)、汚吏、およびこのたぐひの汚穢(けがれ)みな第二の獄(ひとや)に巣(す)くへり ―六〇
前者にありては自然の造れる愛と、その後これに加はりて特殊の信を生むにいたれるものとともにわすらる 六一―六三
この故に宇宙の中心ディーテの座所ある最小の獄にては、すべて信を賣るもの永遠(とこしへ)の滅亡(ほろび)をうく 六四―六六
我、師よ、汝の説くところまことに明かに、この深處(ふかみ)とその中なる民をわかつことまことによし 六七―六九
されど我に告げよ、泥深き沼にあるもの、風にはこばるゝもの、雨に打たるゝもの、行當りて罵るもの 七〇―七二
もし神の怒りに觸れなば何ぞ罰を朱(あけ)の都の中にうけざる、またもし觸れずば何故にかゝる状態(さま)にありや 七三―七五
彼我に曰ふ、汝の才何ぞその恆(つね)をはなれてかく迷ふや、またさにあらずば汝の心いづこをか視る 七六―七八
汝は天の許さゞる三の質(さが)、即ち放縱、邪惡、狂へる獸心をつぶさにあげつらひ 七九―
また放縱は神の怒りにふるゝこと少なく誹りを招くこと少なきをいへる汝の倫理の言を憶(おも)はずや ―八四
汝善くこの教へを味ひ、かつ上に外(そと)に罰をうくるものゝ誰なるやを恩ひ出でなば 八五―八七
また善く何故に彼等この非道の徒(ともがら)とわかたれ、何故に彼等を苛責する神の復讎の怒りかへつて輕きやを見るをえん 八八―九〇
我曰ふ、あゝ一切のみだるゝ視力を癒す太陽よ、汝解くにしたがひて我心をたらはすが故に、疑ひの我を喜ばすこと知るにおとらじ 九一―
請ふなほ少しく溯りて、高利を貪るは神恩にさからふものなりとの汝の言に及び、その纈(むすび)を解け ―九六
彼我に曰ふ、哲理はこれを究むる者に自然が神の智とその技(わざ)よりいづるを處々に示せり 九七―
汝また善く汝の理學を閲(けみ)せば、いまだ幾葉ならざるに汝等の技(わざ)のつとめて
自然に從ふこと弟子のその師における如く、汝等の技は神の孫なりともいひうべきを見ん ―一〇五
人みな生の道をこの二のものに求め、しかして進むべきなり、汝『創世記』の始めにこの事あるを思ひ出づべし 一〇六―一〇八
しかるに高利を貪るものは、これと異なる道を踏みて望みを他(ほか)に置き、自然とその從者をかろんず 一〇九―一一一
されどいざ我に從へ、われ行くをねがへばなり、雙魚天涯に煌(きら)めき、北斗全くコーロの上にあり 一一二―一一四
しかもくだるべき斷崖(きりぎし)なほこゝより遠し 一一五―一一七
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   第十二曲

岸をくだらんとて行けるところはいと嶮しく、あまつさへこゝに物ありていかなる目にもこれを避けしむ 一―三
トレントのこなたに、或は地震へるため、或は支ふる物なきため、横さまにアディーチェをうちし崩壞(くづれ)あり 四―六
(くづれはじめし山の巓より野にいたるまで岩多く碎け流れて上なる人に路を備ふるばかりになりぬ) 七―九
この斷崖(きりぎし)の下るところまたかくの如くなりき、くだけし坎(あな)の端には模造(まがひ)の牝牛の胎に宿れる 一〇―
クレーチの名折(なをれ)偃(ふ)しゐたり、彼我等を見て己が身を噛みぬ、そのさま衷(うち)より怒りにとらはれし者に似たりき ―一五
わが聖(ひじり)彼にむかひて叫びていひけるは、汝を地上に死なしめしアテーネの公(きみ)こゝにありと思へるか 一六―一八
獸よ、たち去れ、彼は汝の姉妹(いも)の教へをうけて來れるならず、汝等の罰をみんとて行くなり 一九―二一
撲たれて既に死に臨むにおよびて絆(きづな)はなれし牡牛の歩む能はずしてかなたこなたに跳(は)ぬることあり 二二―二四
我もミノタウロのしかするを見き、彼機(とき)をみてよばゝりていふ、走りて路を得よ、彼狂ふ間(ま)にくだるぞ善き 二五―二七
かくて我等はくづれおちたる石をわたりてくだれり、石は例(つね)ならぬ重荷を負ひ、わが足の下に動くこと屡□なりき 二八―三〇
我は物思ひつゝゆけり、彼曰ひけるは、恐らくは汝はわがしづめし獸の怒りに護らるゝこの崩壞(くづれ)のことを思ふならん 三一―三三
汝今知るべし、さきに我この低き地獄に下れる時はこの岩いまだ落ちざりき 三四―三六
されどわが量るところ違はずば、ディーテに課して第一の獄(ひとや)に大いなる獲物(えもの)をえし者の來れる時より少しく前の事なりき 三七―三九
深き汚(けがれ)の溪四方に震ひ、我は即ち宇宙愛に感ぜりとおもへり(或人信ずらく 四〇―
世はこれあるによりて屡□と渾沌に變れりと)、此時この古き岩こゝにもほかのところにもかく壞(くづ)れしなりき ―四五
されど目を下に注げ、血の河近ければなり、すべて暴(あらび)によりて人を害(そこな)ふものこの中に煮らる 四六―四八
あゝ惡き狂へる盲(めしひ)の慾よ、苟且(かりそめ)の世にかく我等を唆(そゝの)かし、後かぎりなき世にかく幸(さち)なく我等を漬(ひた)すとは 四九―五一
われ見しに導者の我に告げし如く、彎曲して弓を成し全く野を抱くに似たる一の廣き濠ありき 五二―五四
岸の裾と是との間にはあまたのチェンタウロ矢を持ち列をくみて駛せゐたり、そのさま恰も世にすみて狩にいでし時の如し 五五―五七
我等の下(くだ)るを見てみなとゞまりぬ、群のうちよりみたりの者まづ弓矢をえらびこれをもてすゝめり 五八―六〇
そのひとり遙かに叫びていひけるは、汝等崖(がけ)を下る者いかなる苛責をうけんとて來れるや、その處にて之をいへ、さらずば弓彎(ひ)かむ 六一―六三
わが師曰ひけるは、我等近づきそこにてキロンに答ふべし、汝は心常にかく燥(はや)るによりて禍ひをえき 六四―六六
かくてわが身に觸れていひけるは、彼はネッソとて美しきデイアーニラのために死し、自ら怨みを報いしものなり 六七―六九
眞中(まなか)におのが胸をみるはアキルレをはぐゝめる大いなるキロン、いまひとりは怒り滿ち/\しフォーロなり 七〇―七二
彼等千々(ちゞ)相集まりて濠をめぐりゆき、罪の定むる處を越えて血より出づる魂あればこれを射るを習ひとす 七三―七五
我等は此等の疾(と)き獸に近づけり、キロン矢を取り、※(はず)[#「弓+肖」、78-1]にて鬚を腮(あぎと)によせて 七六―七八
大いなる口を露はし、侶(とも)に曰ひけるは、汝等見たりや、かの後(あと)なる者觸るればすなはち物の動くを 七九―八一
死者の足にはかゝることなし、わが善き導者この時既に二の象(かたち)結び合へる彼の胸ちかくたち 八二―八四
答へて曰ひけるは、誠に彼は生く、しかもかく獨りなるにより、我彼にこの暗闇の溪をみせしむ、彼を導く者は必須なり娯樂にあらず 八五―八七
ひとりのものアレルヤの歌をはなれてこの新しき任務(つとめ)を我に委ねしなり、彼盜人にあらず、我また盜人の魂にあらず 八八―九〇
さればかく荒れし路を傳ひて我に歩みを進ましむる權威(ちから)によりこゝに我汝に請ふ、群のひとりを我等にえさせよ、我等その傍(かたへ)にしたがひ 九一―九三
彼は我等に渉るべき處ををしへ、また空ゆく靈にあらねばこの者をその背に負ふべし 九四―九六
キロン右にむかひネッソにいひけるは、歸りてかく彼等を導け、もしほかの群(むれ)にあはゞそれに路を避けしめよ 九七―九九
我等は煮らるゝものゝ高く叫べる紅の煮の岸に沿ひ、このたのもしき先達(しるべ)と共に進めり 一〇〇―一〇二
我は眉まで沈める民を見き、大いなるチェンタウロいふ、彼等は妄りに血を流し産を掠めし暴君なり 一〇三―一〇五
こゝに彼等その非情の罪業を悼(いた)む、こゝにアレッサンドロあり、またシチーリアに患(うれへ)の年を重ねしめし猛きディオニシオあり 一〇六―一〇八
かの黒き髮ある額はアッツォリーノなり、またかの黄金(こがね)の髮あるはげに上の世にその繼子(まゝこ)に殺されし 一〇九―
オピッツオ・ダ・エスティなり、この時われ詩人の方(かた)にむかへるに、彼曰ひけるは、この者今は汝のために第一となり我は第二となるべし ―一一四
なほ少しく進みて後チェンタウロは煮ゆる血汐の外に喉まで出せる如くなりし一の民のあたりに止まり 一一五―一一七
片側なるたゞ一の魂を我等に示していひけるは、彼はターミーチにいまなほ崇(あがめ)をうくる心臟(こゝろ)を神の懷(ふところ)に割きしものなり 一一八―一二〇
やがて我は河の上に頭(かうべ)を出し、また胸をこと/″\く出せる民を見き、またその中にはわが知れる者多かりき 一二一―一二三
斯くこの血次第に淺くなりゆきて、遂にはたゞ足を燒くのみ、我等の濠を渉るところはすなはちこゝなりき 一二四―一二六
チェンタウロいふ、こなたにては煮ゆる血汐のたえず減(へ)ること汝見る如し、またこれに應じ 一二七―一二九
かなたにては暴虐(しひたげ)の呻吟(うめ)く處と再び合ふにいたるまで水底(みなそこ)次第に深くなりまさるを汝信ずべし 一三〇―一三二
神の義こゝに地の笞(しもと)なりしアッティラとピルロ、セストを刺し、また大路(おほぢ)をいたくさわがしし 一三三―
リニエール・ダ・コルネート、リニエール・パッツオを煮、その涙をしぼりて永遠(とこしへ)にいたる ―一三八
かくいひて身をめぐらし、再びこの淺瀬を渉れり 一三九―一四一
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   第十三曲

ネッソ未だかなたに着かざるに我等は道の跡もなき一の森をわけて進めり 一―三
木の葉は色黯(くろず)みて緑なるなく、枝は節だちくねりて直く滑かなるなく、毒をふくむ刺(とげ)ありて實なし 四―六
チェチーナとコルネートの間なる耕せる處を嫌ふ猛き獸の栖(すみか)にもかくあらびかくしげれる※薈(しげみ)[#「くさかんむり/翳」、81-6]はあらじ 七―九
穢(きたな)きアルピーエこゝにその巣を作れり、こは末凶なりとの悲報をもてトロイア人(びと)をストロファーデより追へるものなり 一〇―一二
その翼はひろく頸と顏とは人にして足に爪、大いなる腹に羽あり、彼等奇(く)しき樹の上にて歎けり 一三―一五
善き師我にいひけるは、遠くゆかざるさきに知るべし、汝は第二の圓にあるなり 一六―
また恐ろしき砂にいたるまでこの圓にあらん、この故によく目をとめよ、さらばわが言(ことば)より信を奪ふべきものをみん ―二一
われ四方に叫喚を聞けども、これを上ぐる人を見ざれば、いたく惑ひて止まれり 二二―二四
思ふにかく多くの聲はかの幹の間我等のために身をかくせし民よりいでぬと我思へりと彼思へるなるべし 二五―二七
師乃ち曰ふ、汝この樹の一より小枝を手折らば、汝のいだく思ひはすべて斷たるべし 二八―三〇
この時われ手を少しく前にのべてとある大いなる荊棘(いばら)より一の小枝を採りたるに、その幹叫びて何ぞ我を折るやといふ 三一―三三
かくて血に黯(くろず)むにおよびてまた叫びていひけるは、何ぞ我を裂くや、憐みの心些(すこし)も汝にあらざるか 三四―三六
いま木と變れども我等は人なりき、またたとひ蛇の魂なりきとも汝の手にいま少しの慈悲はあるべきを 三七―三九
たとへば生木(なまき)の一端(かたはし)燃え、一端よりは雫(しづく)おち風聲を成してにげさるごとく 四〇―四二
詞と血と共に折れたる枝より出でにき、されば我は尖(さき)を落して恐るゝ人の如くに立てり 四三―四五
わが聖(ひじり)答へて曰ひけるは、しひたげられし魂よ、彼若しわが詩の中にのみ見しことを始めより信じえたりしならんには 四六―四八
汝にむかひて手を伸ぶることなかりしなるべし、たゞ事信じ難きによりて我彼にすすめてこの行あらしむ、わが心これが爲に苦し 四九―五一
されど汝の誰なりしやを彼に告げよ、さらば彼汝の名を上の世に(彼かしこに歸るを許さる)新にし、これを贖(あがなひ)のよすがとなさん 五二―五四
幹、かゝる麗しき言(ことば)にさそはれ、われ口を噤み難し、願はくは心ひかるゝまゝにわが少しく語らん事の汝に累となるなからんことを 五五―五七
我はフェデリーゴの心の鑰(かぎ)を二ながら持てる者なりき、我これをめぐらして或ひは閉ぢ或ひは開きその術(わざ)巧みなりければ 五八―六〇
殆ど何人と雖も彼の祕密に係(たづさ)はるをえざりき、わがこの榮(はえ)ある職(つとめ)に忠なりし事いかばかりぞや、我之がために睡りをも脈をも失へり 六一―六三
阿諛(おもねり)の眼(まなこ)をチェーザレの家より放ちしことなく、おしなべての死、宮の罪惡なる遊女(あそびめ)は 六四―六六
すべての心を燃やして我に背かしめ、燃えし心はアウグストの心を燃やし、喜びの譽悲しみの歎きとかはりぬ 六七―六九
わが精神(たましひ)は怒りに驅られ、死によりて誹りを免かれんことを思ひ、正しからざることを正しきわが身に行へり 七〇―七二
この樹の奇(く)しき根によりて誓ひて曰はん、我はいまだかく譽をうるにふさはしかりしわが主の信に背けることなしと 七三―七五
汝等のうち若し世に歸る者あらば、嫉みに打たれていまなほ地に伏すわが記憶を慰めよ 七六―七八
待つこと須臾(しばらく)にして詩人我に曰ひけるは、彼默(もだ)すために時を失ふことなく、なほ問ふことあらばいひて彼に問へ 七九―八一
我乃ち彼に、汝我心に適ふべしと思ふ事をば請ふわがために彼に問へ、憐み胸にせまりて我しかするあたはざればなり 八二―八四
此故に彼又曰ひけるは、獄裏の魂よ、願はくは此人ねんごろに汝のために汝の言(ことば)の乞求むるものをなさんことを、請ふ更に 八五―八七
我等に告げて魂此等の節(ふし)の中に繋がるゝに至る状(さま)をいへ、又若しかなはゞそのかゝる體(からだ)より解放たるゝ事ありや否やをもいへ 八八―九〇
この時幹はげしく氣を吐けり、この風(かぜ)聲に變りていふ、約(つゞま)やかに汝等に答へん 九一―九三
殘忍なる魂己を身よりひき放ちて去ることあればミノスこれを第七の口におくり 九四―九六
このもの林の中に落つ、されど定まれる處なく、たゞ命運の投入るゝ處にいたりて芽(めざ)すこと一粒の麥の如く 九七―九九
若枝(わかえ)となり後野生の木となる、アルピーエその葉を食みてこれに痛みを與へまた痛みに窓を與ふ、我等はほかの者と等しく 一〇〇―
我等の衣の爲めに行くべし、されど再びこれを着る者あるによるに非ず、そは人自ら棄てし物をうくるは正しき事に非ざればなり ―一〇五
我等これをこゝに曳き來らむ、かくて我等の體(からだ)はこの憂き林、いづれも己を虐げし魂の荊棘(いばら)の上に懸けらるべし 一〇六―一〇八
幹のなほ我等にいふことあらんを思ひて我等心をとめゐたるに、この時さわがしき物音起り、我等の驚かされしこと 一〇九―一一一
さながら野猪(しゝ)と獵犬と己が立處(たちど)にむかふをさとり、獸と枝との高き響きを聞くものの如くなりき 一一二―一一四
見よ、左に裸なる掻き裂かれたるふたりの者あり、あらゆる森のしげみをおしわけ、逃げわしることいとはやし 一一五―一一七
さきの者、いざ疾(と)く、死よ、疾くと叫ぶに、ほかのひとりは己がおそくして及ばざるをおもひ、ラーノ、トッポの試藝(しあひ)に 一一八―
汝の脛(はぎ)はかく輕くはあらざりしをとさけび、呼吸(いき)のせまれる故にやありけむ、その身をとある柴木と一團(ひとつ)になしぬ ―一二三
後(うしろ)の方(かた)には飽くことなく、走ること鏈(くさり)を離れし獵犬にひとしき黒き牝犬林に滿ち 一二四―一二六
かの潛める者に齒をくだしてこれを刻み、後そのいたましき身を持ち行けり 一二七―一二九
この時導者わが手をとりて我をかの柴木のほとりにつれゆけるに、血汐滴たる折際(をれめ)より空しく歎きていひけるは 一三〇―
あゝジャーコモ・ダ・サント・アンドレーアよ、我を防禦(ふせぎ)となして汝に何の益かありし、汝罪の世を送れりとて我身に何の咎あらんや ―一三五
師その傍(かたへ)にとゞまりていひけるは、かく多くの折際(をりめ)より血と共に憂ひの詞をはく汝は誰なりしや 一三六―一三八
彼我等に、あゝこゝに來りてわが小枝を我よりとりはなてる恥づべき虐(しひたげ)をみし魂等よ 一三九―一四一
それらを幸(さち)なき柴木のもとにあつめよ、我は最初(はじめ)の守護(まもり)の神をバーティスタに變へし邑(まち)の者なりき、かれこれがために 一四二―一四四
その術(わざ)をもて常にこの邑を憂へしむ、もしその名殘のいまなほアルノの渡りにとゞまるあらずば 一四五―一四七
アッティラが殘せる灰の上に再びこの邑(まち)を建てたる邑人(まちびと)の勞苦は空しかりしなるべし 一四八―一五〇
我はわが家(や)をわが絞臺(しめだい)としき 一五一―一五三
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   第十四曲

郷土の愛にはげまされ、落ちちらばりし小枝を集めて既に聲なきかの者にかへせり 一―三
さてこゝよりすゝみて第二と第三の圓のわかるゝところなる境にいたればこゝに恐るべき正義の業(わざ)みゆ 四―六
めなれぬものをさだかに知らしめんためさらにいはんに、我等は一草一木をも床(ゆか)に容れざる一の廣野につけり 七―九
憂ひの林これをめぐりて環飾(わかざり)となり、さながら悲しみの濠の林に於ける如くなりき、こゝに我等縁(ふち)いと近き處に足をとゞめぬ 一〇―一二
地は乾ける深き砂にてその状(さま)そのかみカートンの足踏めるものと異なるなかりき 一三―一五
あゝ神の復讎よ、わがまのあたり見しことを讀むなべての人の汝を恐るゝこといかばかりなるべき 一六―一八
我は裸なる魂の多くの群(むれ)を見たり、彼等みないと幸(さち)なきさまにて泣きぬ、またその中に行はるゝ掟(おきて)一樣ならざるに似たりき 一九―二一
仰(あふの)きて地に臥せる民あり、全(また)く身を縮めて坐せるあり、またたえず歩めるありき 二二―二四
めぐりゆくものその數(かず)いと多し、また臥して苛責をうくるものはその數いと少なきもその舌歎きによりて却つて寛(ゆる)かりき 二五―二七
砂といふ砂の上には延びたる火片(ひのひら)しづかに降りて、風なき峻嶺(たかね)の雪の如し 二八―三〇
昔アレッサンドロ、インドの熱き處にて焔その士卒の上に落ち地にいたるも消えざるをみ 三一―三三
火はその孤なるにあたりて消し易かりしが故に部下に地を踏ましめしことありき 三四―三六
かくの如く苦患(なやみ)を増さんとて永遠(とこしへ)の熱おちくだり、砂の燃ゆることあたかも火打鎌の下なる火口(ほくち)にひとしく 三七―三九
忽ちかなたに忽ちこなたに新(あらた)なる焔をはらふ幸(さち)なき雙手(もろて)の亂舞(トレスカ)にはしばしの休みもあることなかりき 四〇―四二
我曰ふ、門の入口にて我等にたちむかへる頑(かたくな)なる鬼のほか物として勝たざるはなき汝わが師よ 四三―四五
火をも心にとめざるさまなるかの大いなる者は誰なりや、嘲りを帶び顏をゆがめて臥し、雨もこれを熟(う)ましめじと見ゆ 四六―四八
われ彼の事をわが導者に問へるをしりて彼叫びていひけるは、死せる我生ける我にかはらじ 四九―五一
たとひジョーヴェ終りの日にわが撃たれたる鋭き電光(いなづま)を怒れる彼にとらせし鍛工(かぢ)を疲らせ 五二―五四
またはフレーグラの戰ひの時の如くに、善きヴルカーノよ、助けよ、助けよとよばはりつゝモンジベルロなる黒き鍛工場(かぢば)に 五五―
殘りの鍛工等をかはる/″\疲らせ、死力を盡して我を射るとも、心ゆくべき復讎はとげがたし ―六〇
この時わが導者聲を勵まして(かく高らかに物言へるを我未だ聞きしことなかりき)いひけるは、カパーネオよ、汝の罰のいよ/\重きは汝の慢心の盡きざるにあり、汝の劇しき怒りのほかはいかなる苛責の苦しみも汝の怒りにふさはしき痛みにあらじ 六一―六六
かくいひて顏を和らげ、我にむかひていひけるは、こはテーベを圍める七王の一(ひとり)にて神を侮れる者なりき 六七―
いまも神を侮りて崇(あが)むることなしとみゆ、されどわが彼にいへる如く彼の嘲りはいとにつかしきその胸の飾なり ―七二
いざ我に從へ、またこの後愼みて足を熱砂に觸れしむることなく、たえず森に沿ひて歩むべし 七三―七五
我等また語らず、さゝやかなる一の小川の林の中より迸る處にいたれり、その赤きこといまもわが身を震へしむ 七六―七八
さながらブリカーメより細き流れ(罪ある女等ほどへてこれをわけもちふ)の出づる如く、この川砂を貫いて下り 七九―八一
その水底(みなそこ)、傾ける兩岸、縁(ふち)はみな石と成れり、此故に我こゝに行手の路あるを知りき 八二―八四
閾を人のこゆるに任(まか)す門より内に入りしこのかた、凡てわが汝に示せるものゝうちすべての焔をその上に消すこの流れの如くいちじるしきは汝の目未だ見ず 八五―八七
これわが導者の言なりき、我乃ち彼に請ひ、慾を我に惜しまざりし彼の、食をも惜しむなからんことを求めぬ 九一―九三
この時彼曰ふ、海の正中(たゞなか)に荒れたる國あり、クレータと名づく、こゝの王の治世の下(もと)、世はそのかみ清かりき 九四―九六
かしこにそのかみ水と木葉(このは)の幸(さち)ありし山あり、イーダと呼ばる、今は荒廢(あれすた)れていと舊(ふ)りたるものゝごとし 九七―九九
そのかみレーアこれをえらびてその子の恃(たのみ)の搖籃となし、その泣く時特に善くかくさんためかしこに叫びあらしめき 一〇〇―一〇二
この山の中には一人(ひとり)の老巨人の直立するあり、背をダーミアータにむけ、ローマを見ること己が鏡にむかふに似たり 一〇三―一〇五
その頭は純金より成り、腕と胸とは純銀なり、そこより跨(また)にいたるまでは銅 一〇六―一〇八
またその下はすべて精鐡なれどもたゞ右足のみは燒土にてしかも彼の直く立つ却つて多くこれによれり 一〇九―一一一
黄金(こがね)の外はいづこにも罅(さけめ)生じて涙したゝり、あつまりてかの窟(いはや)を穿ち 一一二―一一四
岩また岩を傳はりてこの溪に入り、アケロンテ、スティージェ、フレジェトンタとなり、その後この狹き溝によりて落ち 一一五―一一七
またくだるあたはざる處にいたりてそこにコチートと成る、この池の何なるやは汝見るべし、この故にこゝに語らず 一一八―一二〇
我彼に、若しこの細流かくわが世より出でなば何故にこの縁(へり)にのみあらはるゝや 一二一―一二三
彼我に、汝此處のまろきを知る、汝の來る遠しといへども常に左に向ひて底にくだるが故に 一二四―一二六
未だあまねく獄をめぐらず、されば新しきもの我等にあらはるとも何ぞあやしみを汝の顏に見するに足らむ 一二七―一二九
我また、師よ、フレジェトンタとレーテはいづこにありや、汝默(もだ)してその一のことをいはず、また一は此雨より成るといへり 一三〇―一三二
彼答へて曰ひけるは、汝問ふところの事みなよくわが心に適ふ、されど、煮ゆる紅(くれなゐ)の水はよく汝の問の一に答へん 一三三―一三五
レーテは汝見るをうべし、されどこの濠(ほり)の外(そと)、罪悔によりて除かれし時魂等己を洗はんとて行く處にあり 一三六―一三八
又曰ひけるは、いまは森を離るべき時なり、汝我に從へ、燃えざる縁(ふち)路を造り 一三九―一四一
一切の炎その上に消ゆ 一四二―一四四
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   第十五曲

堅き縁(ふち)の一は今我等を負(お)ひゆけり、小川の烟はおほひかゝりて水と堤とを火より救へり 一―三
グイッツァンテとブルッジアの間なるフィアンドラ人(びと)こなたに寄せくる潮(うしほ)を恐れ海を走らしめんため水際(みぎは)をかため 四―六
またはブレンタの邊(ほとり)なるパードヴァ人キアレンターナの熱に觸れざる間にその邑(まち)その城を護らんためまたしかするごとく 七―九
この堤は築かれき、たゞ築けるもの(誰にてもあれ)之をかく高くかく厚くなさゞりしのみ 一〇―一二
我等既に林を離るゝこと遠くわれ後(うしろ)を顧みれどもそのいづこにあるやを見るをえざりしころ 一三―一五
我等は堤に沿ひて來れる一群(ひとむれ)の魂にいであへり、さながら夕間暮れ新月(にひづき)のもとに人の人を見る如く 一六―
彼等みな我等を見、また老いたる縫物師(ぬひものし)の針眼(はりのめ)にむかふごとく目を鋭くして我等にむかへり ―二一
かゝる族(やから)にかくうちまもられ我はそのひとりにさとられき、彼わが裾をとらへ叫びて何等の不思議ぞといふ 二二―二四
彼その腕(かひな)を我にむかひてのべし時、われ目を燒けし姿にとむるに、顏のたゞれもなほわが智(さとり)を妨げて 二五―
彼を忘れしむるにはたらざりき、われわが顏を彼の顏のあたりに低れて、セル・ブルネットよ、こゝにゐ給ふやと答ふ ―三〇
彼、わが子よ、ねがはくはブルネット・ラティーニしばらく汝と共にあとにかへりてこの群(むれ)をさきに行かしめん 三一―三三
我彼にいふ、これわが最も希ふところなり、汝またわが汝と共に坐(すわ)らん事を願ひその事彼の心に適はゞしかすべし、我彼と共に行けばなり 三四―三六
彼曰ふ、あゝ子よ、この群の中縱(たと)ひ束の間なりとも止まる者あればその者そののち身を横たゆる百年(もゝとせ)に及び火これを撃つとも扇ぐによしなし 三七―三九
されば行け、我は汝の衣につきてゆき、永劫の罰を歎きつゝゆくわが伴侶(なかま)にほどへて再び加はるべし 四〇―四二
我は路をくだり彼とならびてゆくを得ず、たゞうや/\しく歩む人の如くたえずわが頭(かうべ)を低れぬ 四三―四五
彼曰ふ、終焉(をはり)の日未だ至らざるに汝をこゝに導くは何の運何の定(ぢやう)ぞや、また道を教ふるこの者は誰ぞや 四六―四八
我答へて彼に曰ふ、明(あか)き上の世に、わが齡未だ滿たざるに、我一の溪の中に迷へり 四九―五一
わが背(そびら)を之にむけしはたゞ昨日(きのふ)の朝の事なり、この者かしこに戻らんとする我にあらはれ、かくてこの路により我を導いて我家(わがや)に歸らしむ 五二―五四
彼我に、美しき世にてわが量れること違はずば汝おのが星に從はんに榮光の湊を失ふあたはず 五五―五七
またわが死かく早からざりせば天かく汝に福(さいはひ)するをみて我は汝の爲すところをはげませしなるべし 五八―六〇
されど古(いにしへ)、フィエソレを下りいまなほ山と岩とを含める恩を忘れしさがなき人々 六一―六三
汝の善き行ひの爲に却つて汝の仇とならむ、是亦宜なり、そは酸きソルボに混(まじ)りて甘き無花果の實を結ぶは適(ふさ)はしき事に非ざればなり 六四―六六
彼等は世の古き名によりて盲(めしひ)と呼ばる、貪り嫉み傲(たかぶり)の民なり、汝自ら清くしてその習俗(ならひ)に染むなかれ 六七―六九
汝の命運大いなる譽を汝のために備ふるにより彼黨此黨いづれも飢ゑて汝を求めむ、されど草は山羊より遠かるべし 七〇―七二
フィエソレの獸等に己をその敷藁(しきわら)となさせ、若し草木のなほその糞(ふん)の中より出づるあらばこれに觸れしむるなかれ 七三―七五
この處かく大いなる邪惡の巣となりし時こゝに殘れるローマ人(びと)の聖き裔(すゑ)これによりて再び生くべし 七六―七八
我答へて彼に曰ふ、若しわが願ひ凡て成るをえたらんには汝は未だ人の象(かたち)より逐はるゝことなかりしものを 七九―八一
そは世にありて我にしば/\人不朽に入るの道を教へたまひし當時の慕はしき善きあたゝかきおも影はわが記憶を離るゝことなく 八二―
今わが胸にせまればなり、われこの教へを徳とするいかばかりぞや、こは生ある間わが語ることによりてあきらかなるべし ―八七
わが行末に關(かゝ)はりて汝の我に告ぐる所は我之を録(しる)し他(ほか)の文字と共に殘し置くべし、かくして淑女のわがそのもとにいたるに及びて 八八―
知りて義を示すを待たん、願はくは汝この一事を知るべし、曰く、わが心だに我を責めずば、我はいかなる命運をも恐れじ ―九三
かゝる契約はわが耳に新しき事に非ざるなり、この故に命運は己が好むがまゝに其輪を轉らし農夫は鋤をめぐらすべし 九四―九六
この時我師右の方(かた)より後(うしろ)にむかひ我を見て、善く聽く者心をとむといふ 九七―九九
かゝる間も我はたえずセル・ブルネットとかたりてすゝみ、その同囚(なかま)の中いと秀でいと貴き者の誰なるやを問へり 一〇〇―一〇二
彼我に、知りて善き者あり、されど他(ほか)はいはざるを善しとす、これ言(ことば)多くして時足らざればなり 一〇三―一〇五
たゞ知るべし、彼等は皆僧と大いなる名ある大いなる學者の同じ一の罪によりて世に穢れし者なりき 一〇六―一〇八
プリシアンかの幸なき群にまじりて歩めり、フランチェスコ・ダッコルソ亦然り、また汝深き願ひをかゝる瘡(かさ)によせしならんには 一〇九―一一一
僕(しもべ)の僕によりてアルノよりバッキリオーネに遷され、惡の爲に竭せる身をかしこに殘せる者を見たりしなるべし 一一二―一一四
その外なほ擧ぐべき者あれど行くも語るもこの上にはいで難し、かしこに砂原より立登る新しき烟みゆ 一一五―一一七
こはわが共にあることをえざる民來れるなり、我わがテゾーロによりて生く、ねがはくは之を汝に薦めん、また他を請はず 一一八―一二〇
かくいひて身をめぐらし、あたかも緑の衣をえんとてヴェロナの廣野(ひろの)を走るものゝ如く、またその中にても 一二一―一二三
負くる者ならで勝つ者の如くみえたりき 一二四―一二六
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   第十六曲

我は既に次の獄(ひとや)に落つる水の響きあたかも蜂□(はちのす)の鳴る如く聞ゆるところにいたれるに 一―三
この時三(みつ)の魂ありてはしりつゝ、はげしき苛責の雨にうたれて過ぎゆく群を齊しくはなれ 四―六
我等の方にむかひて來り、各□叫びていひけるは、止まれ、衣によりてはかるに汝は我等の邪(よこしま)なる邑(まち)の者なるべし 七―九
あはれ彼等の身にみゆるは何等の傷ぞや、みな焔に燒かれしものにて新しきあり、古きあり、そのさま出づればいまなほ苦し 一〇―一二
我師彼等のよばゝる聲に心をとめ顏をわが方にむけていひけるは、待て、彼等は人の敬ひをうくべきものなり 一三―一五
さればもし處の性(さが)の火を射るなくば我は急(いそぎ)は彼等よりもかへつて汝にふさはしといふべし 一六―一八
我等止まれるに彼等は再び古歌をうたひ、斯くて我等に近づける時三者(みたり)あひ寄りて一の輪をつくれり 一九―二一
裸なる身に膏(あぶら)うちぬり將に互に攻め撲たんとしてまづおさゆべき機會(すき)をうかゞふ勇士の如く 二二―二四
彼等もまためぐりつゝ各□目を我にそゝぎ、頸はたえず足と異なる方にむかひて動けり 二五―二七
そのひとりいふ、この軟かき處の幸なさ、黯(くろず)み爛れし我等の姿、たとひ我等と我等の請ひとに侮りを招く事はありとも 二八―三〇
願はくは我等の名汝の意(こゝろ)を枉げ、生くる足にてかく安らかに地獄を擦(す)りゆく汝の誰なるやを我等に告げしめんことを 三一―三三
見らるゝ如く足跡を我に踏ましむるこのひとりは裸にて毛なしといへども汝の思ふよりは尚際(きは)貴(たか)き者なりき 三四―三六
こは善きグアルドラーダの孫にて名をグイード・グエルラといひ、その世にあるや智と劒をもて多くの事をなしたりき 三七―三九
わが後(うしろ)に砂を踏みくだく者はその名上の世に稱(たゝ)へらるべきテッギアイオ・アルドブランディなり 四〇―四二
また彼等と共に十字架にかゝれる我はヤーコポ・ルスティクッチといへり、げに萬(よろづ)の物にまさりてわが猛き妻我に禍す 四三―四五
我若し火を避くるをえたりしならんには身を彼等の中に投げ入れしなるべく思ふに師もこれを許せるなるべし 四六―四八
されど焦され燒かるべき身なりしをもて、彼等を抱かんことを切(せち)に我に求めしめしわが善き願ひは恐れに負けたり 四九―五一
かくて我曰ひけるは、汝等の状態(さま)はわが衷(うら)に侮りにあらで大いなる俄に消え盡し難き憂ひを宿せり 五二―五四
こはこれなる我主の言(ことば)によりてわが汝等の如き民來るをしりしその時にはじまる 五五―五七

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