神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

埋(う)められし者の思出(おもひで)にとて、その上なる平地(ひらち)の墓に、ありし昔の姿刻(きざ)まれ 一六―一八
たゞ有情(うじやう)の者をのみ蹴る記憶の刺(はり)の痛みによりてしば/\涙を流さしむることあり 一九―二一
我見しに、山より突出(つきい)でて路を成せるかの處みなまた斯の如く、象(かたち)をもて飾られき、されど技(わざ)にいたりては巧みなることその比に非ず 二二―二四
我は一側(かたがは)に、萬物(よろづのもの)のうち最も尊く造られし者が天より電光(いなづま)のごとく墜下(おちくだ)るを見き 二五―二七
また一側に、ブリアレオが、天の矢に中(あた)り、死に冷(ひや)されて重く地に伏せるを見き 二八―三〇
我はティムプレオを見き、我はパルラーデとマルテを見き、彼等猶武器をとりその父の身邊(まはり)にゐて巨人等の切放たれし體(からだ)を凝視(みつ)む 三一―三三
我はネムブロットが、あたかも惑へるごとく、かの大いなる建物(たてもの)のほとりに、己と共にセンナールにてたかぶれる民をながむるをみき 三四―三六
あゝニオベよ、殺されし汝の子七人(なゝたり)と七人の間に彫られし汝の姿を路にみしときわが目はいかに憂(うれ)はしかりしよ 三四―三六
あゝサウルよ、汝の己が劒(つるぎ)に伏してジェルボエ(この山この後雨露(あめつゆ)をしらざりき)に死せるさまさながらにこゝに見ゆ 四〇―四二
あゝ狂へるアラーニエよ、我また汝が既に半(なかば)蜘蛛となり、幸(さち)なく織りたる織物の截餘(きれ)の上にて悲しむを見き 四三―四五
あゝロボアムよ、こゝにては汝の姿も、はやおびやかすあたはじとみえ、未だ人に追はれざるにいたく恐れて車を走らす 四六―四八
硬き鋪石(しきいし)はまたアルメオンが、かの不吉なる飾(かざり)の價の貴(たふと)さをその母にしらしめしさまを示せり 四九―五一
またセンナケリプをその子等神宮(みや)の中にて襲ひ、その死するや、これをかしこに殘して去れるさまを示せり 五二―五四
またタミーリの行へる殘害(そこなひ)と酷(むご)き屠(ほふり)を示せり――この時彼チロにいふ、汝血に渇きたりき、我汝に血を滿さんと 五五―五七
またオロフェルネの死せるとき、アッシーリア人(びと)の敗れ走れるさまと殺されし者の遺物(かたみ)を示せり 五八―六〇
我は灰となり窟(いはや)となれるトロイアを見き、あゝイーリオンよ、かしこにみえし彫物(ほりもの)の象(かたち)は汝のいかに低くせられ衰へたるやを示せるよ 六一―六三
すぐるゝ才ある者といふとも誰とて驚かざるはなき陰(かげ)と線(すぢ)とをあらはせるは、げにいかなる畫筆(ゑふで)または墨筆(すみふで)の妙手ぞや 六四―六六
死者は死するに生者は生くるに異ならず、面(まのあたり)見し人なりとて、わが屈(かゞ)みて歩める間に踏みし凡ての事柄を我よりよくは見ざりしなるべし 六七―六九
エーヴァの子等よいざ誇れ、汝等頭(かうべ)を高うして行き、己が禍ひの路を見んとて目をひくく垂るゝことなかれ 七〇―七二
繋(つなぎ)はなれぬわが魂のさとれるよりも、我等はなほ多く山をめぐり、日はさらに多くその道をゆきしとき 七三―七五
常に心を用ゐて先に進めるものいひけるは。頭(かうべ)が擧げよ、時足らざればかく思ひに耽りてゆきがたし 七六―七八
見よかなたにひとりの天使ありて我等の許(もと)に來らんとす、見よ第六の侍婢(はしため)の、晝につかふること終りて歸るを 七九―八一
敬(うやまひ)をもて汝の姿容(すがたかたち)を飾れ、さらば天使よろこびて我等を上に導かむ、この日再び晨(あした)とならざることをおもへ。 八二―八四
我は時を失ふなかれとの彼の誡めに慣れたれば、彼のこの事について語るところ我に明かならざるなかりき 八五―八七
美しき者こなたに來れり、その衣(ころも)は白く、顏はさながら瞬(またゝ)く朝の星のごとし 八八―九〇
彼腕(かひな)をひらきまた羽をひらきていふ。來れ、この近方(ちかく)に階(きざはし)あり、しかして汝等今より後は登り易し。 九一―九三
それ來りてこの報知(しらせ)を聞く者甚だ罕(まれ)なり、高く飛ばんために生れし人よ、汝等些(すこし)の風にあひてかく墜ちるは何故ぞや 九四―九六
彼我等を岩の截られたる處にみちびき、こゝに羽をもてわが額を打ちて後、我に登(のぼり)の安らかなるべきことを約せり 九七―九九
ルバコンテの上方(かみて)に、めでたく治まる邑(まち)をみおろす寺ある山に登らんため、右にあたりて 一〇〇―一〇二
登(のぼり)の瞼しさ段(きだ)(こは文書(ふみ)と樽板(たるいた)の安全なりし世に造られき)に破らる 一〇三―一〇五
こゝにても次の圓よりいと急に垂るゝ岸、かゝる手段(てだて)によりて緩(ゆる)まりぬ、されど右にも左にも身は高き石に觸る 一〇六―一〇八
我等かしこにむかへるとき、聲ありて、靈の貧しき者は福なりと歌へり、そのさま詞をもてあらはすをえじ 一〇九―一一一
あゝこれらの徑(こみち)の地獄のそれと異なることいかばかりぞや、こゝにては入る者歌に伴はれ、かしこにては恐ろしき歎きの聲にともなはる 一一二―一一四
我等既に聖なる段(きだ)を踏みて登れり、また我はさきに平地(ひらち)にありしときより身のはるかに輕きを覺えき 一一五―一一七
是に於てか我。師よ告げよ、何の重き物我より取られしや、我行けども殆んど少しも疲勞(つかれ)を感ぜず。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。消ゆるばかりになりてなほ汝の顏に現れるP(ピ)、その一のごとく全く削り去らるゝ時は 一二一―一二三
汝の足善き願ひに勝たるゝがゆゑに疲勞(つかれ)をしらざるのみならず上方(うへ)に運ばるゝをよろこぶにいたらむ。 一二四―一二六
頭に物を載せてあゆみ自らこれを知らざる人、他(ほか)の人々の素振(そぶり)をみてはじめて異(あやしみ)の心をおこせば 一二七―一二九
手は疑ひを霽(はら)さんため彼を助け探(さぐ)り得て、目の果し能はざる役(つとめ)を行ふ、この時わが爲せることまたかゝる人に似たりき
我はわがひらける右手(めて)の指によりて、かの鑰を持つもののわが額に刻(きざ)める文字たゞ六となれるをしりぬ 一三三―一三五
導者これをみて微笑(ほゝゑ)みたまへり


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   第十三曲

我等階(きざはし)の頂にいたれば、登りて罪を淨むる山、こゝにふたゝび截りとられ 一―三
一の臺(うてな)邱(をか)を卷くこと第一の圈の如し、たゞ異なるはその弧線(アルコ)のいよ/\はやく曲(まが)るのみ 四―六
こゝには象(かた)も文(あや)もみえず、岸も路も滑(なめら)かにみえて薄黒き石の色のみあらはる 七―九
詩人曰ふ。我等路を尋ねんためこゝにて民を待たば、我は我等の選ぶことおそきに過ぐるあらんを恐る。 一〇―一二
かくて目を凝らして日を仰ぎ、身をその右の足に支へ、左の脇(わき)をめぐらして 一三―
いふ。あゝ麗しき光よ、汝に頼恃(よりたの)みてこの新らしき路に就く、願はくは汝我等を導け、そは導く者なくば我等この内に入るをえざればなり ―一八
汝世を暖(あたゝ)め、汝その上に照る、若し故ありて妨げられずば我等は汝の光をもて常に導者となさざるべからず。 一九―二一
心進むによりて時立たず、我等かの處よりゆくこと既にこの世の一哩(ミーリア)にあたる間におよべり 二二―二四
この時多くの靈の、愛の食卓(つくゑ)に招かんとて懇に物いひつゝこなたに飛來る音きこえぬ、されど目には見えざりき 二五―二七
飛過ぎし第一の聲は、彼等に酒なしと高らかにいひ、これをくりかへしつゝ後方(うしろ)に去れり 二八―三〇
この聲未だ遠く離れて全く聞えざるにいたらざるまに、いま一つの聲、我はオレステなりと叫びて過行き、これまた止まらず 三一―三三
我曰ふ。あゝ父よ、こは何の聲なりや。かく問へる時しもあれ、見よ第三の聲、汝等を虐(しひた)げし者を愛せといふ 三四―三六
この時善き師。この圈嫉妬(ねたみ)の罪をむちうつ、このゆゑに鞭(むち)の紐愛より採(と)らる 三七―三九
銜(くつわ)は必ず響きを異にす、我の量(はか)るところによれば、汝これを赦(ゆるし)の徑(こみち)に着かざるさきに聞くならむ 四〇―四二
されど目を据(す)ゑてよくかなたを望め、我等の前に坐する民あり、各□岩にもたれて坐せり。 四三―四五
このとき我いよ/\大きく目を開きてわが前方(まへ)を望み、その色石と異なることなき衣(ころも)を着たる魂を見き 四六―四八
我等なほ少しく先に進める時、マリアよ我等の爲に祈り給へと喚(よば)はりまたミケーレ、ピエル及び諸□の聖徒よと喚ばはる聲を我は聞きたり 四九―五一
思ふに今日地上を歩むいかに頑(かたくな)なる人といふとも、このときわがみしものをみて憐憫(あはれみ)に刺されざることはあらじ 五二―五四
我彼等に近づきてその姿をさだかに見しとき、重き憂ひは涙をわが目よりしぼれり 五五―五七
彼等は粗(あら)き毛織を纏へる如くなりき、互ひに身を肩にて支へ、しかして皆岸にさゝへらる 五八―六〇
生活(なりはひ)の途なき瞽(めしひ)等が赦罪の日物乞はんとてあつまり、彼(かれ)頭を此(これ)に寄せ掛け 六一―六三
詞の節(ふし)によるのみならず、その外見(みえ)によりてこれに劣らず心に訴へ、早く憐(あはれみ)を人に起さしめんとするもそのさままた斯(かく)の如し 六四―六六
また日が瞽の益とならざるごとく、わがいま語れるところにては、天の光魂に己を施すを好まず 六七―六九
鐡(くろがね)の絲凡ての者の瞼(まぶた)を刺し、これを縫ふこと恰もしづかならざる鷹を馴らさんとする時に似たりき 七〇―七二
我はわが彼等を見、みづから見られずして行くの非なるをおもひてわが智(さと)き議者(はからひびと)にむかへるに 七三―七五
彼能くいはざる者のいはんと欲するところをしり、わが問ひを待たずしていふ。語れ約(つづ)まやかにかつ適(ふさ)はしく。 七六―七八
ヴィルジリオは臺(うてな)の外側(そとがは)、縁(ふち)高く繞(めぐ)るにあらねば落下る恐れあるところを行けり 七九―八一
わが左には信心深き多くの魂ありき、その恐ろしき縫線(ぬひめ)より涙はげしく洩れいでて頬を洗へり 八二―八四
我彼等にむかひていふ。己が願ひの唯(たゞ)一の目的(めあて)なる高き光を必ず見るをうる民よ 八五―八七
願はくは恩惠(めぐみ)速かに汝等の良心の泡沫(あわ)を消し、記憶の流れこれを傳ひて清く下るにいたらむことを 八八―九〇
汝等の中にラチオ人(びと)の魂ありや、我に告げよ、我そのしらせを愛(め)で喜ばむ、また我これを知らば恐らくはその者に益あらむ。 九一―九三
あゝわが兄弟よ、我等は皆一の眞(まこと)の都の民なり、汝のいへるは族客(たびびと)となりてイタリアに住める者のことならむ。 九四―九六
わが立てるところよりやゝ先にこの答へきこゆるごとくなりければ、我わが聲をかなたにひゞくにいたらしむ 九七―九九
我は彼等の中にわが言(ことば)を待つ状(さま)なる一の魂を見き、若し人いかなる状ぞと問はば、瞽(めしひ)の習ひに從ひてその頤(おとがひ)を上げゐたりと答へむ 一〇〇―一〇二
我曰ふ。登らむために己を矯(た)むる魂よ、我に答へし者汝ならば、處または名を告げて汝の事を我に知らせよ。 一〇三―一〇五
答へて曰ふ。我はシエーナ人(びと)なりき、我これらの者と共にこゝに罪の生命(いのち)を淨め、御前(みまへ)に泣きて恩惠(めぐみ)を求む 一〇六―一〇八
われ名をサピーアといへるも智慧なく、人の禍ひをよろこぶこと己が福ひよりもなほはるかに深かりき 一〇九―一一一
汝我に欺かると思ふなからんため、わがみづからいふごとく愚なりしや否やを聞くべし、わが齡の坂路(さかみち)はや降(くだり)となれるころ 一一二―一一四
わが邑(まち)の人々その敵とコルレのあたりに戰へり、このときわれ神に祈りてその好みたまへるものを求めき 一一五―一一七
彼等かしこに敗れて幸(さち)なくも逃(に)ぐれば、我はその追はるゝを見、身に例(ためし)なき喜びをおぼえて 一一八―一二〇
あつかましくも顏を上げつゝ神にむかひ、さながら一時(ひととき)の光にあへる黒鳥(メルロ)のごとく、今より後我また汝を恐れずと叫べり 一二一―一二三
我わが生命(いのち)の極(はて)に臨みてはじめて神と和(やはら)がんことを願へり、またもしピエル・ペッティナーイオその慈愛の心よりわがために悲しみその聖なる祈りの中にわが身の上を憶はざりせば、わが負債(おひめ)は今も猶苦楚(くるしみ)に減(へ)らさるゝことなかりしなるべし 一二四―一二六
されど汝は誰ぞや――汝我等の状態(ありさま)をたづね、氣息(いき)をつきて物いふ、またおもふに目に絆(きづな)なし。 一三〇―一三二
我曰ふ。わが目もいつかこゝにて我より奪はるゝことあらむ、されどそは暫時(しばし)のみ、その嫉妬(ねたみ)のために動きて犯せる罪少(すく)なければなり 一三三―一三五
この下なる苛責の恐れはなほはるかに大いにしてわが魂を安からざらしめ、かしこの重荷いま我を壓(お)す。 一三六―一三八
彼我に。汝かなたに歸るとおもはば、誰か汝を導いてこゝに登り我等の間に入らしめしや。我。我と倶にゐて物言はざる者ぞ是なる 一三九―一四一
我は生く、されば選ばれし靈よ、汝若し我の己が死すべき足をこの後汝のために世に動かすことをねがはば我に請へ。 一四二―一四四
答へて曰ふ。あゝこは耳にいと新しき事にて神の汝をめで給ふ大いなる休徴(しるし)なれば、汝をりふしわがために祈りて我を助けよ 一四五―一四七
我また汝の切(せち)に求むるものを指して請ふ、若しトスカーナの地を踏むことあらば、わが宗族(うから)の中に汝再びわが名を立てよ 一四八―一五〇
汝は彼等をタラモネに望みを寄する虚榮の民の間に見む(この民その望みを失ふことディアーナを求めしときより大いならむ 一五一―一五三
されどかしこにて特(こと)に危險(あやふき)を顧みざるは船手を統(す)ぶる人々なるべし)。 一五四―一五六


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   第十四曲

死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意(こゝろ)のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。 一―三
誰なりや我知らず、我たゞその獨りならざるをしる、汝彼に近ければ自ら問ふべし、快く彼を迎へてものいはしめよ。 四―六
たがひに凭(もた)れし二の靈右の方(かた)にてかくわが事をいひ、さて我に物いはむとて顏をあげたり 七―九
その一者(ひとり)曰ふ。あゝ肉體につゝまれて天にむかひてゆく魂よ、請ふ愛のために我等を慰め、我等に告げよ 一〇―一二
汝いづこより來りしや、また誰なりや、我等汝の恩惠(めぐみ)をみていたく驚く、たえて例(ためし)なきことのかく驚かすは宜(うべ)なればなり。 一三―一五
我。トスカーナの中部をわけてさまよふ一の小川あり、ファルテロナよりいで、流るゝこと百哩(ミーリア)にしてなほ足れりとなさず 一六―一八
その邊(ほとり)より我はこの身をはこべるなり、我の誰なるを汝等に告ぐるは、わが名未だつよく響かざれば、空しく言(ことば)を費すに過ぎず。 一九―二一
はじめ語れるものこの時我に答へて曰ふ。我よく智をもて汝の意中を穿つをえば、汝がいへるはアルノの事ならむ。 二二―二四
その侶(とも)彼に曰ふ。この者何ぞかの流れの名を匿すこと恰も恐るべきことを人のかくすごとくするや。 二五―二七
かく問はれし魂その負債(おひめ)を償(つぐの)ひていふ。我知らず、されどかゝる溪の名はげに滅び失するをよしとす 二八―三〇
そはその源、ペロロを斷たれし高山(たかやま)の水豐(ゆたか)なる處(かの山の中(うち)これよりゆたかなる處少なし)より 三一―三三
海より天の吸上ぐる物(諸□の川これによりてその中に流るゝものを得(う))を返さんとて、その注ぐ處にいたるまで 三四―三六
地の幸(さち)なきによりてなるか、または惡しき習慣(ならはし)にそゝのかさるゝによりてなるか、人皆徳を敵と見做して逐出(おひいだ)すこと蛇の如し 三七―三九
此故にかのあはれなる溪に住む者、いちじるしくその性(さが)を變へ、あたかもチルチェに飼(か)はるゝに似たり 四〇―四二
人の爲に造られし食物(くひもの)よりは橡實(つるばみ)を喰ふに適(ふさ)はしき汚(きたな)き豚の間に、この川まづその貧しき路を求め 四三―四五
後くだりつゝ群(むらが)る小犬の己が力をかへりみずして吠え猛るを見ていやしとし、その顏を曲げて彼等をはなる 四六―四八
くだり/\て次第に水嵩(みづかさ)を増すに從ひ、この詛はるゝ不幸の溝(みぞ)、犬の次第に狼に變はるをみ 四九―五一
後また多くの深き淵を傳ひてくだり、智の捕ふるを恐れざるばかりに欺罔(たばかり)滿ちたる狐の群(むれ)にあふ 五二―五四
われ聞く者あるがために豈口を噤まんや、この者この後眞(まこと)の靈の我にあらはすところを想はば益をえむ 五五―五七
我汝の孫を見るに、彼猛き流れの岸にかの狼を獵り、かれらをこと/″\く怖れしむ 五八―六〇
彼その肉を生けるまゝにて賣り、後これを屠ること老いたる獸に異ならず、多くの者の生命(いのち)を奪ひ自ら己が譽(ほまれ)をうばふ 六一―六三
彼血に塗(まみ)れつゝかの悲しき林を出づれば、林はいたくあれすたれて今より千年(ちとせ)にいたるまで再びもとのさまにかへらじ。 六四―六六
いたましき禍ひの報(しらせ)をうくれば、その難いづれのところより襲ふとも、聞く者顏を曇らすごとく 六七―六九
むきなほりて聞きゐたるかの魂もまたこの詞にうたれ、氣色をかへて悲しみぬ 七〇―七二
一者(ひとり)の言(ことば)と一者の容子(けはひ)は、彼等の名を知らんとの願ひを我に起させき、我はかつ問ひかつ請へり 七三―七五
最初(はじめ)に我に物いへる靈即ち曰ふ。汝は汝のわがために爲すを好まざることを、枉げて我に爲さしめんとす 七六―七八
されど神の聖旨(みむね)によりてかく大いなる恩惠(めぐみ)汝の中に輝きわたれば我も汝に寄に吝(やぶさか)ならじ、知るべし我はグイード・デル・ドゥーカなり 七九―八一
わが血は嫉妬(ねたみ)のために湧きたり、我若し人の福ひを見たらんには、汝は我の憎惡(にくしみ)の色に被(おほ)はるゝをみたりしなるべし 八二―八四
我自ら種を蒔きて今かゝる藁を刈る、あゝ人類よ、侶(とも)を除かざるをえざるところに何ぞ汝等の心を寄するや 八五―八七
此はリニエールとてカールボリ家の誇また譽なり、彼の力を襲(つ)ぐものその後かしこよりいでざりき 八八―九〇
ポーと山と海とレーノの間にて、眞(まこと)と悦びに缺くべからざる徳をかくにいたれるものたゞその血統(ちすぢ)のみならず 九一―九三
有毒(うどく)の雜木(ざつぼく)これらの境界(さかひ)の内に滿つれば、今はたとひ耕すともたやすく除(のぞ)き難からむ 九四―九六
善きリーチオ、アルリーゴ・マナルディ、ピエール・トラヴェルサーロ、グイード・ディ・カルピーニア今何處(いづこ)にかある、噫□庶子となれる 九七―
ローマニア人(びと)等よ、フアッブロの如き者いつか再びボローニアに根差(ねざ)さむ、賤しき草の貴き枝ベルナルディン・ディ・フォスコの如き者
いつか再びファーエンツァよりいでむ、トスカーナ人(びと)よ、かのグイード・ダ・プラータ、我等と住めるウゴリーン・ダッツォ
フェデリーゴ・ティニヨーソ及びその侶(とも)、トラヴェルサーラ家アナスタージ(いづれの族(やから)も世繼なし)
また淑女騎士、人の心かく惡しくなりし處にて愛と義氣にはげまされて我等が求めし苦樂を憶ひ出づる時、我泣くともあやしむなかれ ―一一一
あゝブレッティノロよ、汝の族(やから)と多くの民は罪を避けてはや去れるに、汝何ぞ亡びざるや 一一二―一一四
バーニアカヴァールは善し、再び男子(なんし)を生まざればなり、カストロカーロは惡し、而してコーニオは愈□あし、今も力(つと)めてかゝる伯等(きみたち)を 一一五―
生めばなり、パガーニはその鬼去るの後よからむ、されど無垢(むく)の徴(しるし)をあとに殘すにいたらじ ―一二〇
あゝウゴリーン・デ・ファントリーンよ、汝の名は安し、そは父祖に劣りてこれを辱(はづか)しむる者いづるの憂ひなければなり 一二一―一二三
いざ往けトスカーナ人よ、われらの談話(ものがたり)いたく心を苦しめたれば、今はわれ語るよりなほはるかに泣くをよろこぶ。 一二四―一二六
我等はかの愛する魂等がわれらの足音を聞けるを知れり、されば彼等の默(もだ)すをみて路の正しきを疑はざりき 一二七―一二九
我等進みてたゞふたりとなりしとき、空を擘(つんざ)く電光(いなづま)のごとき聲前より來り 一三〇―一三二
およそ我に遇ふ者我を殺さむといひ、雲遽(にはか)に裂くれば音(おと)細(ほそ)りてきゆる雷(いかづち)のごとく過ぐ 一三三―一三五
この聲我等の耳に休歇(やすみ)をえさせし程もなく見よまた一の聲、疾(と)く續く雷に似て高くはためき 一三六―一三八
我は石となれるアグラウロなりといふ、この時われ身を近く詩人に寄せんとて一歩あとに(まへに進まず)退きぬ 一三九―一四一
四方(よも)の空はや靜かになりぬ、彼我に曰ふ。これは硬き銜(くつわ)にて己が境界(さかひ)の内に人をとどめおくべきものなり 一四二―一四四
しかるに汝等は餌をくらひ、年へし敵の魚釣(はり)にかゝりてその許に曳かれ、銜(くつわ)も呼(よび)も殆んど益なし 一四五―一四七
天は汝等を招き、その永遠(とこしへ)に美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、されど汝等の目はたゞ地を見るのみ 一四八―一五〇
是に於てか萬事(よろづのこと)をしりたまふもの汝等を撃つ。 一五一―一五三


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   第十五曲

暮(くれ)にむかひてすゝむ日のなほ殘せる路の長さは、たえず戲るゝこと稚子(をさなご)のごとき球のうち 一―
晝の始めより第三時の終りに亙りてあらはるゝところと同じとみえたり、かしこは夕(ゆふべ)こゝは夜半(よは)なりき ―六
我等既に多く山をめぐり、いまはまさしく西にむかひて歩めるをもて光まともに我等をてらしゐたりしに 七―九
我はその輝(かゞやき)ひときは重くわが額を壓(お)すをおぼえしかば、事の奇(くす)しきにおどろきて 一〇―一二
雙手(もろて)を眉のあたりに翳(かざ)し、つよきに過ぐる光を減(へ)らす一の蔽物(おほひ)をわがために造れり 一三―一五
水または鏡にあたりて光反する方に跳(は)ぬれば、くだるとおなじさまにてのぼり 一六―
その間隔(あはひ)をひとしうして垂線をはなるゝは、學理と經驗によりてしらる ―二一
我もかゝる時に似て、わが前に反映(てりかへ)す光に射らるゝごとくおぼえき、さればわが目はたゞちに逃げぬ 二二―二四
われいふ。やさしき父よ、かの物何ぞや、我これを防ぎて目を護らんとすれども益なし、またこはこなたに動くに似たり。 二五―二七
答へて我に曰ふ。天の族(やから)今なほ汝をまばゆうすとも異(あや)しむなかれ、こは人を招きて登らしめんために來れる使者(つかひ)なり 二八―三〇
これらのものをみること汝の患(うれ)へとならずして却つて自然が汝に感ずるをえさするかぎりの悦樂(たのしみ)となる時速かにいたらむ。 三一―三三
我等福(さいはひ)なる天使の許にいたれるに、彼喜ばしき聲にていふ。汝等こゝより入るべし、さきの階(きざはし)よりははるかに易き一の階そこにあり。 三四―三六
我等既にかしこを去りて登れるとき、慈悲ある者は福なり、また、悦べ汝勝者(かつもの)よとうたふ聲後(うしろ)に起れり 三七―三九
わが師と我とはたゞふたりにて登りゆけり、我は行きつゝ師の言(ことば)をききて益をえんことをおもひ 四〇―四二
これにむかひていひけるは。かのローマニアの魂が除くといひ侶といへるは抑□何の意(こゝろ)ぞや。 四三―四五
是に於てか彼我に。彼は己の最大(いとおほ)いなる罪より來る損害(そこなひ)を知る、此故にこれを責めて人の歎(なげき)を少なからしめんとすとも異(あや)しむに足らず 四六―四八
それ汝等の願ひの向ふ處にては、侶と頒(わか)てば分減ずるがゆゑに、嫉妬(ねたみ)鞴(ふいご)を動かして汝等に大息(といき)をつかしむれども 四九―五一
至高(いとたか)き球の愛汝等の願ひを上にむかはしむれば、汝等の胸にこのおそれなし 五二―五四
そはかしこにては、我等の所有(もちもの)と稱(とな)ふる者愈□多ければ、各自(おの/\)の享(う)くる幸(さいはひ)愈□多く、かの僧院に燃ゆる愛亦愈□多ければなり。 五五―五七
我曰ふ。我若しはじめより默(もだ)したりせば、斯く足(た)らはぬことなかりしものを、今は却つて多くの疑ひを心に集む 五八―六〇
一の幸(さいはひ)を頒つにあたり、これを享くる者多ければ、享くる者少なき時より所得多きは何故ぞや。 六一―六三
彼我に。汝は心を地上の物にのみとむるがゆゑに眞(まこと)の光より闇を摘む 六四―六六
かの高きにいまして極(きはみ)なくかつ言ひ難き幸(さいはひ)は、恰も光線の艶(つや)ある物に臨むがごとく、馳せて愛にいたり 六七―六九
熱に應じて己を與ふ、されば愛の大いなるにしたがひ永劫の力いよ/\その上に加はる 七〇―七二
心を天に寄する民愈□多ければ、深く愛すべき物愈□多く、彼等の愛亦愈□多し、而して彼等の互ひに己を映(うつ)すこと鏡に似たり 七三―七五
若しわが説くところ汝の饑(うゑ)を鎭(しづ)めずば、汝ベアトリーチェを見るべし、さらば彼は汝のために全くこれらの疑ひを解かむ 七六―七八
今はたゞ、痛みの爲にふさがる五の傷(きず)の、とくかの二のごとく消ゆるにいたる途を求めよ。 七九―八一
我はこのとき我よくさとるといはんとおもひしかど、わがすでに次の圓に着けるを見しかば、目の願ひのために默(もだ)せり 八二―八四
こゝにて我俄かにわが官能をはなれて一の幻(まぼろし)の中に曳かれ、多くの人を一の神殿(みや)の内にみしごとくなりき 八五―八七
母たる者のやさしさを姿にあらはせしひとりの女、入口に立ち、わが子よ、何ぞ我等にかくなしたるや 八八―九〇
見よ、汝の父と我と憂へて汝を尋ねたりといひ、いひをはりて默(もだ)せしとき、第一の異象消ゆ 九一―九三
次にまたひとりの女わが前にあらはれき、はげしき怒りより生るゝとき憂ひのしたたらす水その頬をくだれり 九四―九六
彼曰ふ。汝實(まこと)にかゝる都――これが名について神々の間にかのごとき爭ひありき、また凡ての知識の光この處より閃(きらめ)きいづ――の君ならば 九七―九九
ピシストラートよ、我等の女(むすめ)が抱きたる不敵の腕(かひな)に仇をむくいよ。されど君は寛仁柔和の人とみえ 一〇〇―一〇二
さわぐ氣色(けしき)もなくこれに答へて、我等己を愛する者を罪せば、我等の禍ひを求むる者に何をなすべきやといふごとくなりき 一〇三―一〇五
我また民が怒りの火に燃え、殺せ/\とのみ聲高く叫びあひつゝ石をもてひとりの少年(わかもの)を殺すをみたり 一〇六―一〇八
死はいま彼を壓しつゝ地にむかひてかゞましむれど、彼はたえず目を天の門となし 一〇九―一一一
かゝる爭ひのうちにも憐憫(あはれみ)を惹(ひ)く姿にてたふとき主に祈り、己を虐(しひた)ぐる者のために赦しを乞へり 一一二―一一四
わが魂外部(そと)にむかひ、その外部(そと)なる眞(まこと)の物に歸れる時、我は己の僞りならざる誤りをみとめき 一一五―一一七
わが導者は、眠りさむる人にひとしきわが振舞をみるをえていふ。汝いかにせる、何ぞ自ら身をさゝふるあたはずして 一一八―一二〇
半レーガ餘の間、目を閉ぢ足をよろめかし、あたかも酒や睡りになやむ人のごとく來れるや。 一二一―一二三
我曰ふ。あゝやさしきわが父よ、汝耳をかたむけたまはば、我かく脛(はぎ)を奪はれしときわが前にあらはれしものを汝に告ぐべし。 一二四―一二六
彼。汝たとひ百の假面(めん)にて汝の顏を覆ふとも、汝の思ひのいと微小(さゝやか)なるものをすら、我にかくすことあたはじ 一二七―一二九
それかのものの汝に見えしは、汝が言遁(いひのが)るゝことなくしてかの永遠(とこしへ)の泉より溢(あふ)れいづる平和の水に心を開かんためなりき 一三〇―一三二
わがいかにせると汝に問へるも、こは魂肉體を離るれば視る能はざる目のみをもて見るものの問ふごとくなせるにあらず 一三三―一三五
たゞ汝の足に力をえさせんとて問へるなり、總て怠惰にて覺醒(めざめ)己に歸るといへどもこれを用ゐる事遲き者はかくして勵ますを宜しとす。 一三六―一三八
我等は夕(ゆふべ)の間、まばゆき暮(くれ)の光にむかひて目の及ぶかぎり遠く前途(ゆくて)を見つゝ歩みゐたるに 一三九―一四一
見よ夜の如く黒き一團の煙しづかに/\こなたに動けり、しかして避くべきところなければ 一四二―一四四
我等は目と澄める空氣をこれに奪はれき 一四五―一四七


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   第十六曲

地獄の闇または乏しき空(そら)に雲みち/\て暗き星なき夜(よ)の闇といふとも 一―三
我等をおほへる烟のごとく厚き粗(あら)き面□(かほおほひ)を造りてわが目を遮りわが官に觸れしことはあらじ 四―六
われ目をひらくあたはざれば、智(さと)き頼(たのも)しきわが導者は我にちかづきてその肩をかしたり 七―九
我は瞽(めしひ)が路をあやまりまたは己を害(そこな)ふか殺しもすべき物にうちあたるなからんためその相者(てびき)に從ふごとく 一〇―一二
苛(から)き濁れる空氣をわけ、わが導者の、汝我と離れざるやう心せよとのみいへる言(ことば)に耳を傾けて歩めり 一三―一五
こゝに多くの聲きこえぬ、各□平和と慈悲とを、かの罪を除きたまふ神の羔(こひつじ)に祈るに似たりき 一六―一八
祈りはたえずアーグヌス・デイーにはじまり、詞も節もみな同じ、さればすべての聲全く相和せるごとくなりき 一九―二一
我曰ふ。師よ、かくうたふは靈なりや。彼我に。汝のはかるところ正し、彼等は怒りの結(むすび)を解くなり。 二二―二四
我等の烟を裂き、いまだ時を月に分つ者のごとく我等の事を語る者よ、汝は誰ぞや。 二五―二七
一の聲斯く曰へり、是に於てかわが師曰ふ。汝答へよ、しかして登りの道のこなたにありや否やを問ふべし。 二八―三〇
我。あゝ身を麗しうして己が造主(つくりぬし)に歸らんため罪を淨むる者よ、汝我にともなはば奇(くす)しき事を聽くをえむ。 三一―三三
答へて曰ふ。我汝に從ひてわが行くをうる間はゆかむ、烟は見るを許さずとも聞くことこれに代りて我等を倶にあらしめむ。 三四―三六
このとき我曰ふ。我は死の解く纏布(まきぎぬ)をまきて登りゆくなり、地獄の苦しみを過ぎてこゝに來れり 三七―三九
神はわがその王宮を、近代(ちかきよ)に全く例(ためし)なき手段(てだて)によりて見るを好(よみ)したまふまで、我をその恩惠(めぐみ)につゝみたまへるなれば 四〇―四二
汝死なざる前(さき)は誰なりしや請ふ隱さず我に告げよ、また我のかくゆきて徑(こみち)にいたるや否やを告げて汝の言を我等の導(しるべ)とならしめよ。 四三―四五
我はロムバルディアの者にて名をマルコといへり、我よく世の事を知り、今はひとりだに狙(ねら)ふ人なき徳を慕へり 四六―四八
汝登らんとてこなたにゆくはよし。かく答へてまたいふ。高き處にいたらば請ふ汝わがために祈れ。 四九―五一
我彼に。我は誓ひて汝の請ふところをなさむ、たゞ我に一の疑ひあり、我もしこれを解かずば死すべし 五二―五四
こは初め單(ひとへ)なりしも今二重(ふたへ)となりぬ、そは汝の言(ことば)、これと連(つら)なる事の眞(まこと)なるをこゝにもかしこにも定かに我に示せばなり 五五―五七
世はげに汝のいふごとく全く一切の徳を失ひ、邪惡を孕みてかつこれにおほはる 五八―六〇
されど請ふ我にその原因(もと)を指示(さししめ)し、我をして自らこれを見また人にみするをえしめよ、そは或者これを天に歸し或者地に歸すればなり。 六一―六三
憂ひの噫(あゝ)に終らしむる深き歎息(ためいき)をつきて後彼曰ひけるは。兄弟よ、世は盲(めしひ)なり、しかして汝まことにかしこより來る 六四―六六
汝等生者は一切の原因(もと)をたゞ上なる天にのみ歸し、この物必然の力によりてよく萬事を定むとなす 六七―六九
若し夫れ然らば自由の意志汝等の中に滅ぶべく、善のために喜び惡のために悲しみを得るは正しき事にあらざるべし 七〇―七二
天は汝等の心の動(うごき)に最初(はじめ)の傾向(かたむき)を與ふれども、凡てに於て然るにあらず、また假りに然りと見做すも汝等には善惡を知るの光と 七三―七五
自由の意志と與へらる(この意志もしはじめて天と戰ふ時の疲勞(つかれ)に堪へ後善く養はるれば凡ての物に勝つ) 七六―七八
汝等は天の左右しあたはざる智力を汝等の中に造るもの即ち天より大いなる力、まされる性(さが)の下(もと)に屬して而して自由を失はず 七九―八一
此故に今の世(よ)路を誤らば、その原因(もと)汝等の中にあり、汝等己が中にたづねよ、我またこの事について今明かに汝に告ぐべし 八二―八四
それ純なる幼(をさな)き魂は、たゞ己を樂しますものに好みてむかふ(喜悦(よろこび)の源なる造主(つくりぬし)よりいづるがゆゑに)外(ほか)何事をも知らず 八五―
あたかも泣きつゝ笑ひつゝ遊び戲るゝ女童(めのわらは)のごとくにて、その未だあらざるさきよりこれをめづる者の手を離れ ―九〇
まづ小(さゝ)やかなる幸(さいはひ)を味ひてこれに欺かれ、導者か銜(くつわ)その愛を枉げずば即ち馳せてこれを追ふ 九一―九三
是に於てか律法(おきて)を定めて銜となし、またせめて眞(まこと)の都の塔を見分くる王を立てざるあたはざりき 九四―九六
律法なきに非ず、されど手をこれにつくる者は誰ぞや、一人(ひとり)だになし、これ上(かみ)に立つ牧者□(にれが)むことをうれどもその蹄(つめ)分れざればなり 九七―九九
このゆゑに民は彼等の導者が彼等の貪る幸(さいはひ)にのみ心をとむるをみてこれを食(は)み、さらに遠く求むることなし 一〇〇―一〇二
汝今よく知りぬらむ、世の邪(よこしま)になりたる原因(もと)は、汝等の中の腐れし性(さが)にあらずして惡しき導(みちびき)なることを 一〇三―一〇五
善き世を造れるローマには、世と神との二の路をともに照らせし二の日あるを常とせり 一〇六―一〇八
一は他(ほか)の一を消しぬ、劒(つるぎ)は杖と結ばれぬ、かくして二を一にすとも豈宜(よろ)しきをうべけんや 一〇九―一一一
これ結びては互ひに恐れざればなり、汝もし我を信ぜずば穗を思ひみよ、草はすべて種によりて知らる 一一二―一一四
アディーチェとポーの濕ほす國にては、フェデリーゴがいまだ爭ひを起さざりしころ、常に武あり文ありき 一一五―一一七
今は善き人々と語りまたは彼等に近づくことを恥ぢて避くる者かしこをやすらかに過ぐるをう 一一八―一二〇
されど古をもて今を責め、神の己をまさる生命(いのち)に復(かへ)し給ふを遲しとおもふ三人(みたり)の翁(おきな)なほまことにかしこにあり 一二一―一二三
クルラード・ダ・パラッツオ、善きゲラルド及びフランス人(びと)の習ひに依(よ)りて素樸のロムバルドの名にて知らるゝグイード・ダ・カステル是なり 一二四―一二六
汝今より後いふべし、ローマの寺院は二の主權を己の中に亂せるにより、泥士におちいりて己と荷とを倶に汚(けが)すと。 一二七―一二九
我曰ふ。あゝわがマルコよ、汝の説くところ好(よ)し、我は今レーヴィの子等がかの産業に與かるあたはざりしゆゑをしる 一三〇―一三二
されど汝が、消えにし民の記念(かたみ)に殘りて朽廢(くちすた)れし代(よ)を責むといへるゲラルドとは誰の事ぞや。 一三三―一三五
答へて曰ふ。汝の言(ことば)我を欺くか將(はた)我を試むるか、汝トスカーナの方言(くにことば)にて我と語りて而して少しも善きゲラルドの事をしらざるに似たり 一三六―一三八
我彼に異名(いみやう)あるをしらず――若し我これをその女(むすめ)ガイアより取らずば――願はくは神汝と倶にあれ、我こゝにて汝と別れむ 一三九―一四一
烟をわけてはや白く映(さ)す光を見よ、天使かしこにあり、我はわが彼に見えざるさきに去らざるをえず。 一四二―一四四
斯くいひて身をめぐらし、わがいふところを聞かんともせざりき 一四五―一四七


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   第十七曲

讀者よ、霧峻嶺(たかね)にて汝を襲ひ、汝物を見るあたかも□鼠(もぐら)が膜を透してみるごとくなりしことあらば、憶(おも)へ 一―三
濕(しめ)りて濃き水氣の薄らぎはじむるころ、日の光微かにその中に入り來るを 四―六
しかせば汝の想像はわが第一に日(このとき沈みかゝりぬ)を再び見しさまを容易(たやす)く見るにいたるべし 七―九
我は斯くわが歩履(あゆみ)をわが師のたのもしきあゆみにあはせてかゝる雲をいで、はや低き水際(みぎは)に死せる光にむかへり 一〇―一二
あゝ千の喇叭(らっぱ)あたりに響くもしらざるまでに人をしば/\外部(そと)より奪ふ想像の力よ 一三―一五
若し官能汝に物を與へずば誰ぞや汝を動かすは、天にて形造(かたちづく)らるゝ光或ひは自ら或ひはこれを地に導く意志によりて汝を動かす 一六―一八
歌ふを最もよろこぶ鳥に己が形を變へたる女の殘忍なりし事の蹟(あと)わが想像の中にあらはれぬ 一九―二一
このときわが魂はみな己の中にあつまり外部(そと)より來るところのものを一だに受けざりき 二二―二四
次にひとりの十字架にかゝれる者わが高まれる想像の中に降(ふ)りぬ、侮蔑と兇猛を顏にあらはし、死に臨めどもこれを變へず 二五―二七
そのまはりには大いなるアッスエロとその妻エステル、及び言(ことば)行(おこなひ)倶に全き義人マルドケオゐたり 二八―三〇
あたかも覆(おほ)へる水の乏しくなれる一の泡(あわ)のごとくこの象(かたち)おのづから碎けしとき 三一―三三
わが幻の中にひとりの處女(をとめ)あらはれ、いたく泣きつゝいひけるは。あゝ王妃よ、何とて怒りのために無に歸するを願ひたまひたる 三四―三六
汝ラヴィーナを失はじとて身を殺し、今我を失ひたまへり、母上よ、かの人の死よりさきに汝の死を悼(いた)むものぞ我なる。 三七―三九
新しき光閉ぢたる目を俄かに射れば睡りは破れ、破れてしかしてその全く消えざるさきに搖(ゆら)めくごとく 四〇―四二
我等の見慣るゝ光よりもなほはるかに大いなるものわが顏にあたるに及びてかの想像の象(かたち)消えたり 四三―四五
我はわがいづこにあるやを知らんとて身をめぐらせるに、この時一の聲、登る處はこゝぞといひて凡ての他(ほか)の思ひよりわが心を引離し 四六―四八
語れる者の誰なるをみんとのわが願ひを、顏を合すにあらざれば絶えて鎭(しづ)まることなきばかり深くせしかど 四九―五一
あたかも我等の視力を壓(あつ)し、強きに過ぐる光によりてその形を被ひかくす日にむかふ時のごとくにわが力足らざりき 五二―五四
こは天の靈なり、己が光の中にかくれ、我等の請ふを待たずして我等に登(のぼり)の道を示す 五五―五七
彼人を遇(あしら)ふこと人の自己(おのれ)をあしらふに似たり、そは人は乏しきを見て乞はるゝを待つ時、その惡しき心より早くも拒まんとすればなり 五八―六〇
いざ我等かゝる招きに足をあはせて暮れざるさきにいそぎ登らむ、暮れなば再び晝となるまでしかするあたはじ。 六一―六三
わが導者かくいへり、我は彼と、足を一の階(きざはし)にむけたり、かくてわれ第一の段(きだ)を踏みしとき 六四―六六
我は身の邊(ほとり)に翼の如く動きてわが顏を扇ぐものあるを覺え、また、平和を愛する者(惡しき怒りを起さざる)は福なりといふ聲をききたり 六七―六九
夜をともなふ最後の光ははや我等をはなれて高き處を照し、かなたこなたに星あらはれぬ 七〇―七二
あゝわが能力(ちから)よ、汝何ぞかく消ゆるや。我自らかくいへり、そは我わが脛(はぎ)の作用(はたらき)の歇(や)むを覺えたればなり 七三―七五
我等はかの階(きざはし)登り果てしところに立てり、しかして動かざること岸に着ける船に似たりき 七六―七八
また我はこの新しき圓に音する物のあらんをおもひてしばし耳を傾けし後、わが師にむかひていふ 七九―八一
わがやさしき父よ告げたまへ、この圓に淨めらるゝは何の咎ぞや、たとひ足はとゞめらるとも汝の言(ことば)をとどむるなかれ。 八二―八四
彼我に。幸(さいはひ)を愛する愛、その義務(つとめ)に缺くるところあればこゝにて補(おぎな)はる、怠りて遲(おそ)くせる櫂(かい)こゝにて再び早めらる 八五―八七
されど汝なほ明かにさとらんため心を我にむかはしめよ、さらば我等の止まる間に汝善き果(み)を摘むをうべし。 八八―九〇
かくて又曰ふ。子よ、造主(つくりぬし)にも被造物(つくられしもの)にも未だ愛なきことなかりき、これに自然の愛あり、魂より出づる愛あり、汝これを知る 九一―九三
自然の愛は常に誤らず、されど他はよからぬ目的(めあて)または強さの過ぐるか足らざるによりて誤ることあり 九四―九六
愛第一の幸(さいはひ)をめざすか、ほどよく第二の幸をめざす間は、不義の快樂(けらく)の原因(もと)たるあたはず 九七―九九
されど逸(そ)れて惡に向ふか、または幸を追ふといへどもその熱適(よろしき)を失ひて或ひは過ぎ或ひは足らざる時は即ち被造物(つくられしもの)己を造れる者に逆(さから)ふ 一〇〇―一〇二
是故に汝さとるをうべし、愛は必ず汝等の中にて凡ての徳の種となり、また罰をうくるに當るすべての行爲(おこなひ)の種となるを 一〇三―一〇五
さてまた愛はその主體の福祉より目をめぐらすをえざるがゆゑにいかなる物にも自ら憎むの恐れあるなく 一〇六―一〇八
いかなる物も第一者とわかれて自ら立つの理なきがゆゑにその情はみなこれを憎むことより斷たる 一〇九―一一一
わがかく説分(ときわく)る處正しくば、愛せらるゝ禍ひは即ち隣人(となりびと)の禍ひなる事亦自(おのづ)から明かならむ、而して汝等の泥(ひぢ)の中にこの愛の生ずる状(さま)三あり 一一二―一一四
己が隣人の倒るゝによりて自ら秀でんことを望み、たゞこのためにその高きより墜つるを希ふ者あり 一一五―一一七
人の高く登るを見て己が權(ちから)、惠(めぐみ)、譽(ほまれ)及び名を失はんことをおそれ悲しみてその反對(うら)を求むる者あり 一一八―一二〇
また復讐を貪るほどに損害(そこなひ)を怨むとみゆる者あり、かゝる者は必ず人の禍ひをくはだつ 一二一―一二三
この三樣の愛この下に歎かる、汝これよりいま一の愛即ち程度(ほど)を誤りて幸を追ふもののことを聞け 一二四―一二六
それ人各□己が魂を安んぜしむる一の幸をおぼろにみとめてこれを望み、皆爭ひてこれに就(つ)かんとす 一二七―一二九
これを見または求むるにあたりて汝等を引くところの愛鈍(にぶ)ければ、この臺(うてな)は汝等を、正しく悔いし後に苛責す 一三〇―一三二
また一の幸(さいはひ)あり、こは人を幸にせざるものにて眞(まこと)の幸にあらず、凡ての幸の果(み)またその根なる至上の善にあらず 一三三―一三五
かゝる幸に溺るゝ愛この上なる三の圈にて歎かる、されどその三に分るゝ次第は 一三六―一三八
我いはじ、汝自らこれをたづねよ。 一三九―一四一


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   第十八曲

説きをはりて後たふとき師わが足れりとするや否やをしらんと心をとめてわが顏を見たり 一―三
我はすでに新しき渇(かわき)に責められたれば、外(そと)に默(もだ)せるも内(うち)に曰ふ。恐らくは問ふこと多きに過ぎて我彼を累(わづら)はすならむ。 四―六
されどかの眞(まこと)の父はわが臆して闢(ひら)かざる願ひをさとり、自ら語りつゝ、我をはげましてかたらしむ 七―九
是に於てか我。師よ、汝の光わが目をつよくし、我は汝の言(ことば)の傳ふるところまたは陳ぶるところをみな明かに認むるをう 一〇―一二
されば請ふ、わが愛する麗しき父よ、すべての善惡の行の本(もと)なりと汝がいへる愛の何物なるやを我にときあかしたまへ。 一三―一五
彼曰ふ。智の鋭き目をわが方にむけよ、しかせば汝は、かの己を導者となす瞽(めしひ)等の誤れることをさだかに見るべし 一六―一八
夫れ愛し易く造られし魂樂しみのためにさめてそのはたらきを起すにいたればたゞちに動き、凡て己を樂します物にむかふ 一九―二一
汝等の會得(ゑとく)の力は印象を實在よりとらへ來りて汝等の衷(うち)にあらはし魂をこれにむかはしむ 二二―二四
魂これにむかひ、しかしてこれに傾けば、この傾(かたむき)は即ち愛なり、樂しみによりて汝等の中に新たに結ばるゝ自然なり 二五―二七
かくて恰も火がその體(たい)の最や永く保たるゝところに登らんとする素質によりて高きにむかひゆくごとく 二八―三〇
とらはれし魂は靈の動(うごき)なる願ひの中に入り、愛せらるゝものこれをよろこばすまでは休まじ 三一―三三
汝是に依りてさとるをえむ、いかなる愛にても愛そのものは美(ほ)むべきものなりと斷ずる人々いかに眞(まこと)に遠ざかるやを 三四―三六
これ恐らくはその客體常に良(よし)と見ゆるによるべし、されどたとひ蝋は良とも印影(かた)悉くよきにあらず。 三七―三九
我答へて彼に曰ふ。汝の言(ことば)とこれに附隨(つきしたが)へるわが智とは我に愛をあらはせり、されどわが疑ひは却つてこのためにいよ/\深し 四〇―四二
そは愛外部(そと)より我等に臨み、魂他(ほか)の足にて行かずば、直く行くも曲りてゆくも己が業(ごふ)にあらざればなり。 四三―四五
彼我に。理性のこれについて知るところは我皆汝に告ぐるをう、それより先は信仰に關(かゝ)はる事なればベアトリーチェを待つべし 四六―四八
それ物質と分れてしかしてこれと結び合ふ一切の靈體は特殊の力をその中にあつむ 四九―五一
この力はその作用によらざれば知られず、あたかも草木(くさき)の生命(いのち)の縁葉(みどりのは)に於ける如くその果(くわ)によらざれば現はれず 五二―五四
是故に最初の認識の智と、慾の最初の目的(めあて)を求むる情とは恰も蜜を造る本能蜂の中にある如く汝等の中にありて 五五―
そのいづこより來るや人知らず、しかしてこの最初の願ひは譽(ほめ)をも毀(そしり)をもうくべきものにあらざるなり ―六〇
さてこれに他(ほか)の凡ての願ひの集まるためには、謀りて而して許諾(うけがひ)の閾(しきみ)をまもるべき力自然に汝等の中に備はる 六一―六三
是即ち評價の源(みなもと)なり、是が善惡二の愛をあつめ且つ簸(ひ)るの如何によりて汝等の價値(かち)定まるにいたる 六四―六六
理をもて物を究めし人々この本然の自由を認めき、このゆゑに彼等徳義を世界に遣(のこ)せるなり 六七―六九
かかればたとひ汝等の衷(うち)に燃ゆる愛みな必須より起ると見做すも、汝等にはこれを抑(おさ)ふべき力あり 七〇―七二
ベアトリーチェはこの貴き力をよびて自由の意志といふ、汝これを憶ひいでよ、彼若しこの事について汝に語ることあらば。 七三―七五
夜半(よは)近くまでおくれし月は、その形白熱の釣瓶(つるべ)のごとく、星を我等にまれにあらはし 七六―七八
ローマの人がサールディニアとコルシーカの間に沈むを見る頃の日の炎をあぐる道に沿ひ天に逆ひて走れり 七九―八一
マントヴァの邑(まち)よりもピエートラを名高くなせる貴き魂わが負はせし荷をはやときおろし 八二―八四
我わが問ひをもて明(あきら)かにして解(げ)し易き説をはや刈り收めたれば、我は恰も睡氣(ねむけ)づきて思ひ定まらざる人の如く立ちゐたり 八五―八七
されど此時後方(うしろ)よりはやこなたにめぐり來れる民ありて忽ちわが睡氣(ねむけ)をさませり 八八―九〇
テーベ人(びと)等バッコの助けを求むることあれば、イスメーノとアーソポがそのかみ夜その岸邊(きしべ)に見しごとき狂熱と雜沓とを 九一―九三
我はかの民に見きとおぼえぬ、彼等は善き願ひと正しき愛に御せられつゝかの圓に沿ひてその歩履(あゆみ)を曲ぐ 九四―九六
かの大いなる群(むれ)こと/″\く走り進めるをもて、彼等たゞちに我等の許に來れり、さきの二者(ふたり)泣きつゝ叫びていひけるは。 九七―九九
マリアはいそぎて山にはせゆけり。また。チェーザレはイレルダを服(したが)へんとて、マルシリアを刺しし後イスパニアに走れり。 一〇〇―一〇二
衆つゞいてさけびていふ。とく來れとく、愛の少なきために時を失ふなかれ、善行(よきおこなひ)をつとめて求めて恩惠(めぐみ)を新たならしめよ。 一〇三―一〇五
あゝ善を行ふにあたりて微温(ぬるみ)のためにあらはせし怠惰(おこたり)と等閑(なほざり)を恐らくは今強き熱にて償ふ民よ 一〇六―一〇八
この生くる者(我決して汝等を欺かず)登り行かんとてたゞ日の再び輝くを待つ、されば請ふ徑(こみち)に近きはいづ方なりや我等に告げよ。 一〇九―一一一
是わが導者の詞なりき、かの靈の一曰ふ。我等と同じ方(かた)に來れ、しかせば汝徑を見む 一一二―一一四
進むの願ひいと深くして我等止まることをえず、このゆゑに我等の義務(つとめ)もし無禮(むらい)とみえなば宥(ゆる)せ 一一五―一一七
我は良きバルバロッサが(ミラーノ彼の事を語れば今猶愁ふ)帝國に君たりし頃ヴェロナのサン・ヅェノの院主なりき 一一八―一二〇
既に隻脚(かたあし)を墓に入れしひとりの者程なくかの僧院のために歎き、權をその上に揮(ふる)ひしことを悲しまむ 一二一―一二三
彼はその子の身全からず、心さらにあしく、生(うまれ)正しからざるものをその眞(まこと)の牧者に代らしめたればなり。 一二四―一二六
彼既に我等を超えて遠く走り行きたれば、そのなほ語れるやまたは默(もだ)せるや我知らず、されどかくいへるをきき喜びてこれを心にとめぬ 一二七―一二九
すべて乏しき時のわが扶(たすけ)なりし者いふ。汝こなたにむかひて、かのふたりの者の怠惰(おこたり)を噛みつゝ來るを見よ。 一三〇―一三二
凡ての者の後方(うしろ)にて彼等いふ。ひらかれし海をわたれる民は、ヨルダンがその嗣子(よつぎ)を見ざりしさきに死せり。 一三三―一三五
また。アンキーゼの子とともに終りまで勞苦を忍ばざりし民は、榮(はえ)なき生に身を委ねたり。 一三六―一三八
かくてかの魂等遠く我等を離れて見るをえざるにいたれるとき、新しき想ひわが心に起りて 一三九―一四一
多くの異なる想ひを生めり、我彼より此とさまよひ、迷ひのためにわが目を閉づれば 一四二―一四四
想ひは夢に變りにき 一四五―一四七


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   第十九曲

晝の暑(あつさ)地球のために、またはしば/\土星のために消え、月の寒(さむさ)をはややはらぐるあたはざるとき 一―三
地占者(ゼオマンテイ)等が、夜の明けざるさきに、その大吉と名(な)づくるものの、ほどなく白む道を傳ひて、東に登るを見るころほひ 四―六
ひとりの女夢にわが許に來れり、口吃(ども)り目眇(すが)み足曲(まが)り手斷(た)たれ色蒼し 七―九
われこれに目をとむれば、夜の凍(こゞ)えしむる身に力をつくる日のごとくわが目その舌をかろくし 一〇―
後また程なくその全身を直くし、そのあをざめし顏を戀の求むるごとく染めたり ―一五
さてかく詞の自由をえしとき、彼歌をうたひいづれば、我わが心をほかに移しがたしとおもひぬ 一六―一八
その歌にいふ。我はうるはしきシレーナなり、耳を樂しましむるもの我に滿ちみつるによりて海の正中(たゞなか)に水手(かこ)等を迷はす 一九―二一
我わが歌をもてウリッセをその漂泊(さすらひ)の路より引けり、およそ我と親しみて後去る者少なし、心にたらはぬところなければ。 二二―二四
その口未だ閉ぢざる間に、ひとりの聖なる淑女、これをはぢしめんとてわが傍(かたへ)にあらはれ 二五―二七
あゝヴィルジリオよ、ヴィルジリオよ、これ何者ぞやとあららかにいふ、導者即ち淑女にのみ目をそゝぎつゝ近づけり 二八―三〇
さてかの女をとらへ、衣(ころも)の前を裂き開きてその腹を我に見すれば、惡臭(をしう)これよりいでてわが眠りをさましぬ 三一―三三
われ目を善き師にむかはしめたり、彼いふ。少なくも三たび我汝を呼びぬ、起きて來れ、我等は汝の過ぎて行くべき門を尋ねむ。 三四―三六
我は立てり、高き光ははや聖なる山の諸□の圓に滿てり、我等は新しき日を背にして進めり 三七―三九
我は彼に從ひつゝ、わが額をば、あたかもこれに思ひを積み入れ身を反橋(そりはし)の半(なかば)となす者のごとく垂れゐたるに 四〇―四二
この人界にては開くをえざるまでやはらかくやさしく、來れ、道こゝにありといふ聲きこえぬ 四三―四五
かく我等に語れるもの、白鳥のそれかとみゆる翼をひらきて、硬き巖の二の壁の間より我等を上にむかはしめ 四六―四八
後羽を動かして、哀れむ者はその魂慰(なぐさめ)の女主となるがゆゑに福なることを告げつつ我等を扇(あふ)げり 四九―五一
我等ふたり天使をはなれて少しく登りゆきしとき、わが導者我にいふ。汝いかにしたりとて地をのみ見るや。 五二―五四
我。あらたなる幻(まぼろし)はわが心をこれにかたむかせ、我この思ひを棄つるをえざれば、かく疑ひをいだきてゆくなり。 五五―五七
彼曰ふ。汝はこの後唯一者(ひとり)にて我等の上なる魂を歎かしむるかの年へし妖女を見しや、人いかにしてこれが紲(きづな)を斷つかを見しや 五八―六〇
足れり、いざ汝歩履(あゆみ)をはやめ、永遠(とこしへ)の王が諸天をめぐらして汝等に示す餌に目をむけよ。 六一―六三
はじめは足をみる鷹も聲かゝればむきなほり、心食物(くひもの)のためにかなたにひかれ、これをえんとの願ひを起して身を前に伸ぶ 六四―六六
我亦斯の如くになりき、かくなりて、かの岩の裂け登る者に路を與ふるところを極め、環(めぐ)りはじむる處にいたれり 六七―六九
第五の圓にいでしとき、我見しにこゝに民ありき、彼等みな地に俯(うつむ)き伏して泣きゐたり 七〇―七二
わが魂は塵につきぬ、我はかく彼等のいへるをききしかど、詞ほとんど解(げ)しがたきまでその歎息(なげき)深かりき 七三―七五
あゝ神に選ばれ、義と望みをもて己が苦しみをかろむる者等よ、高き登の道ある方(かた)を我等にをしへよ。 七六―七八
汝等こゝに來るといへども伏すの憂ひなく、たゞいと亟(すみや)かに道に就かんことをねがはば、汝等の右を常に外(そと)とせよ。 七九―八一
詩人斯く請ひ我等かく答へをえたり、こは我等の少しく先にきこえしかば、我その言(ことば)によりてかのかくれたる者を認め 八二―八四
目をわが主にむけたるに、主は喜悦(よろこび)の休徴(しるし)をもて、顏にあらはれしわが願ひの求むるところを許したまへり 八五―八七
我わが身を思ひのまゝになすをえしとき、かの魂即ちはじめ詞をもてわが心を惹ける者にちかづき 八八―九〇
いひけるは。神のみ許(もと)に歸るにあたりて缺くべからざるところの物を涙に熟(う)ましむる魂よ、わがために少時(しばらく)汝の大いなる意(こゝろばせ)を抑へて 九一―九三
我に告げよ、汝誰なりしや、汝等何ぞ背を上にむくるや、汝わが汝の爲に世に何物をか求むるを願ふや、我は生(いき)ながら彼處(かしこ)よりいづ。 九四―九六
彼我に。何故に我等の背を天が己にむけしむるやは我汝に告ぐべきも、汝まづ我はペトルスの繼承者なりしことを知るべし 九七―九九
一の美しき流れシェストリとキアーヴェリの間をくだる、しかしてわが血族(やから)の稱呼(となへ)はその大いなる誇をばこの流れの名に得たり 一〇〇―一〇二
月を超ゆること數日、我は大いなる法衣(ころも)が、これを泥(ひぢ)に汚さじと力(つと)むる者にはいと重くして、いかなる重荷もたゞ羽と見ゆるをしれり 一〇三―一〇五
わが歸依はあはれおそかりき、されどローマの牧者となるにおよびて我は生の虚僞(いつはり)多きことをさとれり 一〇六―一〇八
かく高き地位をえて心なほしづまらず、またかの生をうくる者さらに高く上(のぼ)るをえざるをみたるがゆゑにこの生の愛わが衷(うち)に燃えたり 一〇九―一一一
かの時にいたるまで、我は幸(さち)なき、神を離れし、全く慾深き魂なりき、今は汝の見るごとく我このためにこゝに罰せらる 一一二―一一四
貪婪(むさぼり)の爲すところのことは我等悔いし魂の罪を淨むる状(さま)にあらはる、そも/\この山にこれより苦(にが)き罰はなし 一一五―一一七
我等の目地上の物に注ぎて、高く擧げられざりしごとくに、正義はこゝにこれを地に沈ましむ 一一八―一二〇

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