神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

その額(ひたひ)は尾をもて人を撃つ冷やかなる生物(いきもの)に象(かたど)れる多くの珠(たま)に輝けり 四―六
また我等のゐたる處にては、夜はその昇(のぼり)の二歩を終へ、第三歩もはやその翼を下方に枉げたり 七―九
このとき我はアダモの讓(ゆづり)を受くるによりて睡りに勝たれ、我等五者(いつたり)みな坐しゐたりし草の上に臥しぬ 一〇―一二
そのかみの憂ひを憶ひ起すなるべし可憐(いとほし)の燕朝近く悲しき歌をうたひいで 一三―一五
また我等の心、肉を離るゝこと遠く思にとらはるゝこと少なくして、その夢あたかも神(しん)に通ずるごとくなる時
我は夢に、黄金(こがね)の羽ある一羽の鷲の、翼をひらきて空(そら)に懸(かゝ)り、降らんとするをみきとおぼえぬ 一九―二一
また我はガニメーデが攫(さら)はれて神集(かんづとひ)にゆき、その侶(とも)あとに殘されしところにゐたりとおぼえぬ 二二―二四
我ひそかに思へらく、この鳥恐らくはその習ひによりて餌をこゝにのみ求むるならむ、恐らくはこれを他(ほか)の處に得て持(もち)て舞上(まひのぼ)るを卑しむならむと 二五―二七
さてしばらく□(めぐ)りて後、このもの電光(いなづま)のごとく恐ろしく下り來りて我をとらへ、火にいたるまで昇るに似たりき 二八―三〇
鳥も我もかの處にて燃ゆとみえたり、しかして夢の中なる火燒くことはげしかりければわが睡りおのづから破れぬ 三一―三三
かのアキルレが、目覺めてそのあたりを見、何處(いづこ)にあるやをしらずして身をゆるがせしさまといふとも 三四―三六
(こはその母これをキロネより奪ひ、己が腕(かひな)にねむれる間にシロに移せし時の事なり、その後かのギリシア人(びと)これにかしこを離れしむ) 三七―三九
睡(ねむり)顏より逃(に)げしときわがうちふるひしさまに異ならじ、我はあたかも怖れのため氷に變る人の如くに色あをざめぬ 四〇―四二
わが傍には我を慰むる者のみゐたり、日は今高きこと二時(ふたとき)にあまれり、またわが顏は海のかたにむかひゐたりき 四三―四五
わが主曰ふ。おそるゝなかれ、心を固うせよ、よき時來りたればなり、汝の力をみなあらはして抑(おさ)ふるなかれ 四六―四八
汝は今淨火に着けり、その周邊(まはり)をかこむ岩をみよ、岩分るゝとみゆる處にその入口あるをみよ 四九―五一
今より暫(しば)し前(さき)、晝にさきだつ黎明(あけぼの)の頃、汝の魂かの溪を飾る花の上にて汝の中に眠りゐたるとき 五二―五四
ひとりの淑女來りて曰ふ、我はルーチアなり、我にこの眠れる者を齎らすを許せ、我斯くしてその路を易からしめんと 五五―五七
ソルデルとほかの貴き魂は殘れり、淑女汝を携へて日の出づるとともに登り來り、我はその歩履(あゆみ)に從へり 五八―六〇
彼汝をこゝに置きたり、その美しき目はまづ我にかの開きたる入口を示せり、しかして後彼も睡りもともに去りにき。 六一―六三
眞(まこと)あらはるゝに及び、疑ひ解けて心やすんじ、恐れを慰めに變ふる人のごとく 六四―六六
我は變りぬ、わが思ひわづらふことなきをみしとき、導者岩に沿ひて登り、我もつづいて高處(たかみ)にむかへり 六七―六九
讀者よ、汝よくわが詩材のいかに高くなれるやを知る、されば我さらに多くの技(わざ)をもてこれを支へ固むるともあやしむなかれ 七〇―七二
我等近づき、一の場所にいたれるとき、さきにわが目に壁を分つ罅(われめ)に似たる一の隙(ひま)ありとみえしところに 七三―七五
我は一の門と門にいたらんためその下に設けし色異なれる三の段(きだ)と未だ物言はざりしひとりの門守(かどもり)を見たり 七六―七八
またわが目いよ/\かなたを望むをうるに從ひ、我は彼が最高き段(きだ)の上に坐せるをみたり、されどその顏をばわれみるに堪へざりき 七九―八一
彼手に一の白刃(しらは)を持てり、この物光を映(うつ)してつよく我等の方に輝き、我屡□目を擧ぐれども益なかりき 八二―八四
彼曰ふ。汝等何を欲するや、その處にてこれをいへ、導者いづこにかある、漫りに登り來りて自ら禍ひを招く勿れ。 八五―八七
わが師彼に答へて曰ふ。此等の事に精(くは)しき天の淑女今我等に告げて、かしこにゆけそこに門ありといへるなり。 八八―九〇
門守(かどもり)ねんごろに答へていふ。願はくは彼幸(さいはひ)の中に汝等の歩みを導かんことを、さらば汝等我等の段(きだ)まで進み來れ。 九一―九三
我等かなたにすゝみて第一の段(きだ)のもとにいたれり、こは白き大理石にていと清くつややかなれば、わが姿そのまゝこれに映(うつ)りてみえき 九四―九六
第二の段は色ペルソより濃き、粗(あら)き燒石にて縱にも横にも罅裂(ひゞ)ありき 九七―九九
上にありて堅き第三の段は斑岩(はんがん)とみえ、脈より迸る血汐のごとく赤く煌(きらめ)けり 一〇〇―一〇二
神の使者(つかひ)兩足(もろあし)をこの上に載せ、金剛石とみゆる閾のうへに坐しゐたり 一〇三―一〇五
この三の段をわが導者は我を拉(ひ)きてよろこびて登らしめ、汝うやうやしく彼に□(とざし)をあけんことを請へといふ 一〇六―一〇八
我まづ三度(みたび)わが胸を打ち、後つゝしみて聖なる足の元にひれふし、慈悲をもてわがために開かんことを彼に乞へり 一〇九―一一一
彼七のP(ピ)を劒(つるぎ)の尖(さき)にてわが額に録(しる)し、汝内に入らば此等の疵を洗へといふ 一一二―一一四
灰または掘上(ほりあげ)し乾ける土はその衣と色等しかるべし、彼はかゝる衣の下より二の鑰(かぎ)を引出(ひきいだ)せり 一一五―一一七
その一は金、一は銀なりき、初め白をもて次に黄をもて、かれ門をわが願へるごとくにひらき 一一八―一二〇
さて我等にいひけるは。この鑰のうち一若し缺くる處ありてほどよく□(とざし)の中(なか)にめぐらざればこの入口ひらかざるなり 一二一―一二三
一は殊(こと)に價貴(たふと)し、されど一は纈(むすび)を解(ほぐ)すものなるがゆゑにあくるにあたりて極めて大なる技(わざ)と智(さとり)を要(もと)む 一二四―一二六
我此等をピエルより預かれり、彼我に告げて、民わが足元にひれふさば、むしろ誤りて開くとも誤りて閉(と)ぢおく勿れといへり。 一二七―一二九
かくて聖なる門の扉を押していひけるは。いざ入るべし、されど汝等わが誡めを聞け、すべて後方(うしろ)を見る者は外(そと)に歸らむ。 一三〇―一三二
聖なる門の鳴(なり)よき強き金屬(かね)の肘金(ひぢがね)、肘壺(ひぢつぼ)の中にまはれるときにくらぶれば 一三三―一三五
かの良きメテルロを奪はれし時のタルペーアも(この後これがために瘠す)その叫喚(わめ)きあらがへることなほこれに若かざりしなるべし 一三六―一三八
我は最初(はじめ)の響きに心をとめてかなたにむかひ、うるはしき調(しらべ)にまじれる聲のうちにテー・デウム・ラウダームスを聞くとおぼえぬ 一三九―一四一
わが耳にきこゆるものは、あたかも人々立ちて樂(がく)の器(うつは)にあはせてうたひその詞きこゆることあり 一四二―一四四
きこえざることある時の響きに似たりき 一四五―一四七


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   第十曲

我等門の閾の内に入りし後(魂の惡き愛歪(ゆが)める道を直(なほ)く見えしむるためこの門開かるゝこと稀なり) 一―三
我は響きをききてその再び閉されしことを知りたり、我若し目をこれにむけたらんには、いかなる詫(わび)も豈この咎にふさはしからんや 四―六
我等は右に左に紆行(うね)りてその状(さま)あたかも寄せては返す波に似たる一の石の裂目(さけめ)を登れり 七―九
わが導者曰ふ。我等は今縁(ふち)の逼らざるところを求めてかなたこなたに身を寄するため少しく技(わざ)を用ゐざるをえず。 一〇―一二
この事我等の歩みをおそくし、虧けたる月安息(やすみ)を求めてその床に歸れる後 一三―一五
我等はじめてかの針眼(はりのめ)を出づるをえたり、されど山後方(しりへ)にかたよれる高き處にいたりて、我等自由に且つ寛(ゆるや)かになれるとき 一六―一八
われ疲れ、彼も我も定かに路をしらざれば、われらは荒野(あらの)の道よりさびしき一の平地(ひらち)にとゞまれり 一九―二一
空處に隣(とな)れるその縁(へり)と、たえず聳ゆる高き岸の下(もと)との間は、人の身長(みのたけ)三度(たび)はかるに等しかるべし 二二―二四
しかしてわが目その翼をはこぶをうるかぎり右にても左にてもこの臺(うてな)すべて斯(かく)の如く見えき 二五―二七
我等の足未だその上を踏まざるさきに、我は垂直にして登るあたはざるまはりの岸の 二八―三〇
純白の大理石より成り、かのポリクレートのみならず、自然もなほ恥づるばかりの彫刻(ほりもの)をもて飾らるゝをみたり 三一―三三
天を開きてその長き禁(いましめ)を解きし平和(許多(あまた)の年の間、世の人泣いてこれを求めき)を告げしらせんとて地に臨める天使の 三四―三六
うるはしき姿との處に刻(きざ)まれ、ものいはぬ像と見えざるまで眞に逼りて我等の前にあらはれぬ 三七―三九
誰か彼が幸(さち)あれといひゐたるを疑はむ、そは尊き愛を開かんとて鑰を□(まは)せる女の象(かたち)かしこにあらはされたればなり 四〇―四二
しかして神の婢(はしため)を見よといふ言葉、あたかも蝋に印影(かた)の捺(お)さるゝごとくあざやかにその姿に摺(す)られき 四三―四五
汝思ひを一の處にのみ寄する勿れ。人の心臟(こゝろ)のある方(かた)に我をおきたるうるはしき師斯くいへり 四六―四八
我即ち目をめぐらして見しに、マリアの後方(うしろ)、我を導ける者のゐたるかなたに 四九―五一
岩に彫りたる他(ほか)の物語ありき、このゆゑに我はこれをわが目の前(さき)にあらしめんとてヴィルジリオを超えて近づきぬ 五二―五四
そこには同じ大理石の上に、かの聖なる匱(はこ)を曳きゐたる事と牛と刻(きざ)まれき(人この事によりて委(ゆだ)ねられざる職務(つとめ)を恐る) 五五―五七
その前には七の組に分たれし民見えたり、彼等はみなわが官能の二のうち、一に否と一に然り歌ふといはしむ 五八―六〇
これと同じく、わが目と鼻の間には、かしこにゑりたる薫物(たきもの)の煙について然と否との爭ひありき 六一―六三
かしこに謙遜(へりくだ)れる聖歌の作者衣(きぬ)ひき□(かゝ)げて亂れ舞ひつゝ恩惠(めぐみ)の器(うつは)にさきだちゐたり、この時彼は王者(わうじや)に餘りて足らざりき 六四―六六
對(むかひ)の方(かた)には大いなる殿(との)の窓の邊(ほとり)にゑがかれしミコル、蔑視(さげすみ)悲しむ女の如くこれをながめぬ 六七―六九
我わが立てる處をはなれ、ミコルの後方(うしろ)に白く光れる一の物語をわが近くにみんとて足をはこべば 七〇―七二
こゝには己が徳によりてグレゴーリオを動かしこれに大いなる勝利(かち)をえしめしローマの君の榮光高き事蹟を寫せり 七三―七五
わが斯くいへるは皇帝トラヤーノの事なり、ひとりの寡婦(やもめ)涙と憂ひを姿にあらはし、その轡のほとりに立てり 七六―七八
君のまはりには多くの騎馬武者群(むら)がりて押しあふごとく、またその上には黄金(こがね)の中なる鷲風に漂(たゞよ)ふごとく見えたり 七九―八一
すべてこれらの者のなかにてかの幸(さち)なき女、主よわがためにわが子の仇を報いたまへ、彼死にてわが心いたく傷(いた)むといひ 八二―八四
彼はこれに答へて、まづわが歸るまで待てといふに似たりき、また女、あたかも歎きのために忍ぶあたはざる人の如く、我主よ 八五―八七
若し歸り給はずばといひ、彼、我に代る者汝の爲に報いんといひ、女又、汝己の爲すべき善を思はずば人善を爲すとも汝に何の係(かゝはり)在らん 八八―
といひ、彼聞きて、今は心を安んぜよ、我わが義務(つとめ)を果して後行かざるべからず、正義これを求め、慈悲我を抑(と)むといふに似たりき ―九三
未だ新しき物を見しことなきもの、この見るをうべき詞を造りたまへるなり、こは世にあらざるがゆゑに我等に奇(めづら)し 九四―九六
かく大いなる謙遜を表はしその造主(つくりぬし)の故によりていよ/\たふときこれらの象(かたち)をみ、われ心を喜ばしゐたるに 九七―九九
詩人さゝやきていふ。見よこなたに多くの民あり、されどその歩(あゆみ)は遲し、彼等われらに高き階(きざはし)にいたる路を教へむ。 一〇〇―一〇二
眺(なが)むることにのみ凝(こ)れるわが目も、その好む習ひなる奇(めづら)しき物をみんとて、たゞちに彼の方(かた)にむかへり 一〇三―一〇五
讀者よ、げに我は汝が神何によりて負債(おひめ)を償はせたまふやを聞きて己の善き志より離るゝを願ふにあらず 一〇六―一〇八
心を苛責の状態(ありさま)にとむるなかれ、その成行(なりゆき)を思へ、そのいかにあしくとも大なる審判(さばき)の後まで續かざることを思へ 一〇九―一一一
我曰ふ。師よ、こなたに動くものをみるに姿人の如くならず、されどわが目迷ひて我その何なるを知りがたし。 一一二―一一四
彼我に。苛責の重荷(おもに)彼等を地に屈(かゞ)ましむ、されば彼等の事につきわが目もはじめ爭へるなり 一一五―一一七
されど汝よくかしこをみ、かの石の下になりて來るものをみわくべし、汝は既におのおののいかになやむやを認むるをえむ。 一一八―一二〇
噫□心傲(たかぶる)が基督教徒(クリステイアン)よ、幸(さち)なき弱れる人々よ、汝等精神(たましひ)の視力衰へ、後退(あとじさり)して進むとなす 一二一―一二三
知らずや人は、裸(はだか)のまゝ飛びゆきて審判(さばき)をうくる靈體の蝶を造らんとて生れいでし蟲なることを 一二四―一二六
汝等は羽ある蟲の完(まつた)からず、這ふ蟲の未だ成り終らざるものに似たるに、汝等の精神(たましひ)何すれぞ高く浮び出づるや 一二七―一二九
天井または屋根を支ふるため肱木(ひぢき)に代りてをりふし一の像の膝を胸にあて 一三〇―一三二
眞(まこと)ならざる苦しみをもて眞の苦しみを見る人に起さしむることあり、われ心をとめて彼等をみしにそのさままた斯の如くなりき 一三三―一三五
但し背に負ふ物の多少に從ひ、彼等の身を縮むること一樣ならず、しかして最も忍耐強(しのびづよ)しと見ゆる者すら 一三六―一三八
なほ泣きつゝ、我堪へがたしといふに似たりき 一三九―一四一


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   第十一曲

限らるゝにあらず、高き處なる最初(はじめ)の御業(みわざ)をいと潔く愛したまふがゆゑに天に在(いま)す我等の父よ 一―三
願はくは萬物(よろづのもの)うるはしき聖息(みいき)に感謝するの適(ふさ)はしきをおもひ、聖名(みな)と聖能(みちから)を讚(ほ)めたたへんことを 四―六
爾國(みくに)の平和を我等の許(もと)に來らせたまへ、そは若し來らずば、我等意(こゝろばせ)を盡すとも自ら到るあたはざればなり 七―九
天使等(みつかひたち)オザンナを歌ひつゝ己が心を御前(みまへ)にさゝげまつるなれば、人またその心をかくのごとくにさゝげんことを 一〇―一二
今日(けふ)も我等に日毎のマンナを與へたまへ、これなくば、この曠野(あらの)をわけて進まんとて、最もつとむる者も退く 一三―一五
我等のうけし害(そこなひ)をわれら誰にも赦すごとく、汝も我等の功徳(くどく)を見たまはず、聖惠(みめぐみ)によりて赦したまへ 一六―一八
いとよわき我等の力を年へし敵の試(こゝろみ)にあはせず、巧みにこれを唆(そゝの)かす者よりねがはくは救ひ出したまへ 一九―二一
この最後(をはり)の事は、愛する主よ、我等祈(ね)ぎまつるに及ばざれども、かくするはげに己の爲にあらずしてあとに殘れる者のためなり。 二二―二四
斯く己と我等のために幸(さち)多き旅を祈りつゝ、これらの魂は、人のをりふし夢に負ふごとき重荷(おもに)を負ひ 二五―二七
等しからざる苦しみをうけ、みな疲れ、世の濃霧(こききり)を淨めつゝ第一の臺(うてな)の上をめぐれり 二八―三〇
彼等もし我等のためにかしこにたえず幸(さいはひ)を祈らば、己が願ひに良根(よきね)を持つ者、こゝに彼等のために請ひまた爲しうべき事いかばかりぞや 三一―三三
我等は彼等が清く輕くなりて諸□の星の輪にいたるをえんため、よく彼等を助けて、そのこゝより齎(もた)らせし汚染(しみ)を洗はしむべし 三四―三六
あゝ願はくは正義と慈悲速かに汝等の重荷(おもに)を取去り、汝等翼を動かして己が好むがまゝに身を上ぐるをえんことを 三七―三九
請ふいづれの道の階(きざはし)にいとちかきやを告げよ、またもし徑(こみち)一のみならずば、嶮(けは)しからざるものを教へよ 四〇―四二
そは我にともなふこの者、アダモの肉の衣(ころも)の重荷(おもに)あるによりて、心いそげど登ることおそければなり。 四三―四五
我を導く者斯くいへるとき、彼等の答への誰より出でしやはあきらかならざりしかど 四六―四八
その言にいふ。岸を傳ひて我等とともに右に來(こ)よ、さらば汝等は生くる人の登るをうべき徑(こみち)を見ん 四九―五一
我若しわが傲慢(たかぶり)の項(うなじ)を矯(た)め、たえずわが顏を垂れしむるこの石に妨げれずば 五二―五四
名は聞かざれど今も生くるその者に目をとめ、わが彼を知るや否やをみ、この荷のために我を憐ましむべきを 五五―五七
我はラチオの者にて、一人(ひとり)の大いなるトスカーナ人(びと)より生れぬ、グイリエルモ・アルドブランデスコはわが父なりき、この名汝等の間に 五八―
聞えしことありや我知らず、わが父祖の古き血と讚(ほ)むべき業(わざ)我を僭越ならしめ、我は母の同じきをおもはずして ―六三
何人をもいたく侮りしかばそのために死しぬ、シエーナ人(びと)これを知り、カムパニヤティーコの稚兒(をさなご)もまたこぞりてこれをしる 六四―六六
我はオムベルトなり、たゞ我にのみ傲慢(たかぶり)害をなすにあらず、またわが凡ての宗族(うから)をば禍ひの中にひきいれぬ 六七―六九
神の聖心(みこゝろ)の和(やは)らぐ日までわれ此罪のためにこゝにこの重荷を負ひ、生者(しやうじや)の間に爲さざりしことを死者の間になさざるべからず。 七〇―七二
我は聞きつゝ頭(かうべ)を垂れぬ、かれらのひとり(語れる者にあらず)そのわづらはしき重荷の下にて身をゆがめ 七三―七五
我を見て誰なるやを知り、彼等と倶に全く屈(かゞ)みて歩める我に辛うじて目を注ぎつゝ我を呼べり 七六―七八
我彼に曰ふ。あゝ汝はアゴッビオの譽(ほまれ)、巴里(パリージ)にて色彩(しきさい)と稱(とな)へらるゝ技(わざ)の譽なるオデリジならずや。 七九―八一
彼曰ふ。兄弟よ、ボローニア人(びと)フランコの描けるものの華(はなや)かなるには若かじ、彼今すべての譽(ほまれ)をうく、我のうくるは一部のみ 八二―八四
わが生ける間は我しきりに人を凌(しの)がんことをねがひ、心これにのみむかへるが故に、げにかく讓(ゆづ)るあたはざりしなるべし 八五―八七
我等こゝにかゝる傲慢(たかぶり)の負債(おひめ)を償ふ、もし罪を犯すをうるときわれ神に歸らざりせば、今もこの處にあらざるならむ 八八―九〇
あゝ人力の榮(さかえ)は虚(むな)し、衰へる世の來るにあはずばその頂(いたゞき)の縁いつまでか殘らむ 九一―九三
繪にてはチマーブエ、覇を保たんとおもへるに、今はジオットの呼聲(よびごゑ)高く、彼の美名(よきな)微(かすか)になりぬ 九四―九六
また斯の如く一のグイード他のグイードより我等の言語(ことば)の榮光を奪へり、しかしてこの二者(ふたり)を巣より逐ふ者恐らくは生れ出たるなるべし 九七―九九
夫れ浮世(うきよ)の名聞(きこえ)は今此方(こなた)に吹き今彼方(かなた)に吹き、その處を變ふるによりて名を變ふる風の一息(ひといき)に外ならず 一〇〇―一〇二
汝たとひ年へし肉を離るゝため、パッポ、ディンディを棄てざるさきに死ぬるよりは多く世にしらるとも 一〇三―一〇五
豈千年(ちとせ)に亙らむや、しかも千年を永劫に較ぶればその間の短きこと一の瞬(またゝき)をいとおそくめぐる天に較ぶるより甚し 一〇六―
路を刻(きざ)みてわが前をゆく者はかつてその名をあまねくトスカーナに響かせき、しかるに今はシエーナにても(その頃たかぶり今けがるゝフィレンツェの劇しき怒(いかり)亡ぼされし時彼はかしこの君なりき)殆んど彼のことをさゝやく人なし ―一一四
汝等の名は草の色のあらはれてまたきゆるに似たり、しかして草をやはらかに地より生(は)え出(いで)しむるものまたその色をうつろはす。 一一五―一一七
我彼に。汝の眞(まこと)の言(ことば)善き謙遜をわが心にそゝぎ、汝わが大いなる誇(ほこり)をしづむ、されど汝が今語れるは誰の事ぞや。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。プロヴェンツァン・サルヴァーニなり、彼心驕りてシエーナを悉くその手に握らんとせるがゆゑにこゝにあり 一二一―一二三
彼は死にしより以來(このかた)かくのごとく歩みたり、また歩みて休(やす)らふことなし、凡て世に膽(きも)のあまりに大(ふと)き者かゝる金錢(かね)を納めて贖(あがなひ)の代(しろ)とす。 一二四―一二六
我。生命(いのち)の終り近づくまで悔ゆることをせざりし靈かの低き處に殘り、善き祈りの助けによらでは 一二七―
その齡(よはひ)に等しき時過ぐるまで、こゝに登るあたはずば、彼何ぞかく來るを許されしや。 ―一三二
彼曰ふ。彼榮達を極めし頃、一切の恥を棄て、自ら求めてシエーナのカムポにとゞまり 一三三―一三五
その友をカルロの獄(ひとや)の中にうくる苦しみの中より救ひいださんとて、己が全身をかしこに震はしむるにいたれり 一三六―一三八
我またいはじ、我わが言(ことば)の暗きを知る、されど少時(しばらく)せば汝の隣人(となりびと)等その爲すところによりて汝にこれをさとるをえしめむ 一三九―一四一
この行(おこなひ)なりき彼のためにかの幽閉を解きたるものは。 一四二―一四四


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   第十二曲

我はかの重荷を負へる魂と、あたかも軛(くびき)をつけてゆく二匹の牡牛のごとく並びて、うるはしき師の許したまふ間歩めり 一―三
されど師が、彼をあとに殘して行け、こゝにては人各□帆と櫂をもてその力のかぎり船を進むべしといへるとき 四―六
我は行歩(あゆみ)の要求(もとめ)に從ひ再び身を直(なほ)くせり、たゞわが思ひはもとのごとく屈みてかつ低かりき 七―九
我既に進み、よろこびてわが師の足にしたがひ、彼も我も既に身のいかに輕きやをあらはしゐたるに 一〇―一二
彼我に曰ふ。目を下にむけよ、道をたのしからしめむため、汝の足を載する床(ゆか)を見るべし。 一三―一五
埋(う)められし者の思出(おもひで)にとて、その上なる平地(ひらち)の墓に、ありし昔の姿刻(きざ)まれ 一六―一八
たゞ有情(うじやう)の者をのみ蹴る記憶の刺(はり)の痛みによりてしば/\涙を流さしむることあり 一九―二一
我見しに、山より突出(つきい)でて路を成せるかの處みなまた斯の如く、象(かたち)をもて飾られき、されど技(わざ)にいたりては巧みなることその比に非ず 二二―二四
我は一側(かたがは)に、萬物(よろづのもの)のうち最も尊く造られし者が天より電光(いなづま)のごとく墜下(おちくだ)るを見き 二五―二七
また一側に、ブリアレオが、天の矢に中(あた)り、死に冷(ひや)されて重く地に伏せるを見き 二八―三〇
我はティムプレオを見き、我はパルラーデとマルテを見き、彼等猶武器をとりその父の身邊(まはり)にゐて巨人等の切放たれし體(からだ)を凝視(みつ)む 三一―三三
我はネムブロットが、あたかも惑へるごとく、かの大いなる建物(たてもの)のほとりに、己と共にセンナールにてたかぶれる民をながむるをみき 三四―三六
あゝニオベよ、殺されし汝の子七人(なゝたり)と七人の間に彫られし汝の姿を路にみしときわが目はいかに憂(うれ)はしかりしよ 三四―三六
あゝサウルよ、汝の己が劒(つるぎ)に伏してジェルボエ(この山この後雨露(あめつゆ)をしらざりき)に死せるさまさながらにこゝに見ゆ 四〇―四二
あゝ狂へるアラーニエよ、我また汝が既に半(なかば)蜘蛛となり、幸(さち)なく織りたる織物の截餘(きれ)の上にて悲しむを見き 四三―四五
あゝロボアムよ、こゝにては汝の姿も、はやおびやかすあたはじとみえ、未だ人に追はれざるにいたく恐れて車を走らす 四六―四八
硬き鋪石(しきいし)はまたアルメオンが、かの不吉なる飾(かざり)の價の貴(たふと)さをその母にしらしめしさまを示せり 四九―五一
またセンナケリプをその子等神宮(みや)の中にて襲ひ、その死するや、これをかしこに殘して去れるさまを示せり 五二―五四
またタミーリの行へる殘害(そこなひ)と酷(むご)き屠(ほふり)を示せり――この時彼チロにいふ、汝血に渇きたりき、我汝に血を滿さんと 五五―五七
またオロフェルネの死せるとき、アッシーリア人(びと)の敗れ走れるさまと殺されし者の遺物(かたみ)を示せり 五八―六〇
我は灰となり窟(いはや)となれるトロイアを見き、あゝイーリオンよ、かしこにみえし彫物(ほりもの)の象(かたち)は汝のいかに低くせられ衰へたるやを示せるよ 六一―六三
すぐるゝ才ある者といふとも誰とて驚かざるはなき陰(かげ)と線(すぢ)とをあらはせるは、げにいかなる畫筆(ゑふで)または墨筆(すみふで)の妙手ぞや 六四―六六
死者は死するに生者は生くるに異ならず、面(まのあたり)見し人なりとて、わが屈(かゞ)みて歩める間に踏みし凡ての事柄を我よりよくは見ざりしなるべし 六七―六九
エーヴァの子等よいざ誇れ、汝等頭(かうべ)を高うして行き、己が禍ひの路を見んとて目をひくく垂るゝことなかれ 七〇―七二
繋(つなぎ)はなれぬわが魂のさとれるよりも、我等はなほ多く山をめぐり、日はさらに多くその道をゆきしとき 七三―七五
常に心を用ゐて先に進めるものいひけるは。頭(かうべ)が擧げよ、時足らざればかく思ひに耽りてゆきがたし 七六―七八
見よかなたにひとりの天使ありて我等の許(もと)に來らんとす、見よ第六の侍婢(はしため)の、晝につかふること終りて歸るを 七九―八一
敬(うやまひ)をもて汝の姿容(すがたかたち)を飾れ、さらば天使よろこびて我等を上に導かむ、この日再び晨(あした)とならざることをおもへ。 八二―八四
我は時を失ふなかれとの彼の誡めに慣れたれば、彼のこの事について語るところ我に明かならざるなかりき 八五―八七
美しき者こなたに來れり、その衣(ころも)は白く、顏はさながら瞬(またゝ)く朝の星のごとし 八八―九〇
彼腕(かひな)をひらきまた羽をひらきていふ。來れ、この近方(ちかく)に階(きざはし)あり、しかして汝等今より後は登り易し。 九一―九三
それ來りてこの報知(しらせ)を聞く者甚だ罕(まれ)なり、高く飛ばんために生れし人よ、汝等些(すこし)の風にあひてかく墜ちるは何故ぞや 九四―九六
彼我等を岩の截られたる處にみちびき、こゝに羽をもてわが額を打ちて後、我に登(のぼり)の安らかなるべきことを約せり 九七―九九
ルバコンテの上方(かみて)に、めでたく治まる邑(まち)をみおろす寺ある山に登らんため、右にあたりて 一〇〇―一〇二
登(のぼり)の瞼しさ段(きだ)(こは文書(ふみ)と樽板(たるいた)の安全なりし世に造られき)に破らる 一〇三―一〇五
こゝにても次の圓よりいと急に垂るゝ岸、かゝる手段(てだて)によりて緩(ゆる)まりぬ、されど右にも左にも身は高き石に觸る 一〇六―一〇八
我等かしこにむかへるとき、聲ありて、靈の貧しき者は福なりと歌へり、そのさま詞をもてあらはすをえじ 一〇九―一一一
あゝこれらの徑(こみち)の地獄のそれと異なることいかばかりぞや、こゝにては入る者歌に伴はれ、かしこにては恐ろしき歎きの聲にともなはる 一一二―一一四
我等既に聖なる段(きだ)を踏みて登れり、また我はさきに平地(ひらち)にありしときより身のはるかに輕きを覺えき 一一五―一一七
是に於てか我。師よ告げよ、何の重き物我より取られしや、我行けども殆んど少しも疲勞(つかれ)を感ぜず。 一一八―一二〇
答へて曰ふ。消ゆるばかりになりてなほ汝の顏に現れるP(ピ)、その一のごとく全く削り去らるゝ時は 一二一―一二三
汝の足善き願ひに勝たるゝがゆゑに疲勞(つかれ)をしらざるのみならず上方(うへ)に運ばるゝをよろこぶにいたらむ。 一二四―一二六
頭に物を載せてあゆみ自らこれを知らざる人、他(ほか)の人々の素振(そぶり)をみてはじめて異(あやしみ)の心をおこせば 一二七―一二九
手は疑ひを霽(はら)さんため彼を助け探(さぐ)り得て、目の果し能はざる役(つとめ)を行ふ、この時わが爲せることまたかゝる人に似たりき
我はわがひらける右手(めて)の指によりて、かの鑰を持つもののわが額に刻(きざ)める文字たゞ六となれるをしりぬ 一三三―一三五
導者これをみて微笑(ほゝゑ)みたまへり


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   第十三曲

我等階(きざはし)の頂にいたれば、登りて罪を淨むる山、こゝにふたゝび截りとられ 一―三
一の臺(うてな)邱(をか)を卷くこと第一の圈の如し、たゞ異なるはその弧線(アルコ)のいよ/\はやく曲(まが)るのみ 四―六
こゝには象(かた)も文(あや)もみえず、岸も路も滑(なめら)かにみえて薄黒き石の色のみあらはる 七―九
詩人曰ふ。我等路を尋ねんためこゝにて民を待たば、我は我等の選ぶことおそきに過ぐるあらんを恐る。 一〇―一二
かくて目を凝らして日を仰ぎ、身をその右の足に支へ、左の脇(わき)をめぐらして 一三―
いふ。あゝ麗しき光よ、汝に頼恃(よりたの)みてこの新らしき路に就く、願はくは汝我等を導け、そは導く者なくば我等この内に入るをえざればなり ―一八
汝世を暖(あたゝ)め、汝その上に照る、若し故ありて妨げられずば我等は汝の光をもて常に導者となさざるべからず。 一九―二一
心進むによりて時立たず、我等かの處よりゆくこと既にこの世の一哩(ミーリア)にあたる間におよべり 二二―二四
この時多くの靈の、愛の食卓(つくゑ)に招かんとて懇に物いひつゝこなたに飛來る音きこえぬ、されど目には見えざりき 二五―二七
飛過ぎし第一の聲は、彼等に酒なしと高らかにいひ、これをくりかへしつゝ後方(うしろ)に去れり 二八―三〇
この聲未だ遠く離れて全く聞えざるにいたらざるまに、いま一つの聲、我はオレステなりと叫びて過行き、これまた止まらず 三一―三三
我曰ふ。あゝ父よ、こは何の聲なりや。かく問へる時しもあれ、見よ第三の聲、汝等を虐(しひた)げし者を愛せといふ 三四―三六
この時善き師。この圈嫉妬(ねたみ)の罪をむちうつ、このゆゑに鞭(むち)の紐愛より採(と)らる 三七―三九
銜(くつわ)は必ず響きを異にす、我の量(はか)るところによれば、汝これを赦(ゆるし)の徑(こみち)に着かざるさきに聞くならむ 四〇―四二
されど目を据(す)ゑてよくかなたを望め、我等の前に坐する民あり、各□岩にもたれて坐せり。 四三―四五
このとき我いよ/\大きく目を開きてわが前方(まへ)を望み、その色石と異なることなき衣(ころも)を着たる魂を見き 四六―四八
我等なほ少しく先に進める時、マリアよ我等の爲に祈り給へと喚(よば)はりまたミケーレ、ピエル及び諸□の聖徒よと喚ばはる聲を我は聞きたり 四九―五一
思ふに今日地上を歩むいかに頑(かたくな)なる人といふとも、このときわがみしものをみて憐憫(あはれみ)に刺されざることはあらじ 五二―五四
我彼等に近づきてその姿をさだかに見しとき、重き憂ひは涙をわが目よりしぼれり 五五―五七
彼等は粗(あら)き毛織を纏へる如くなりき、互ひに身を肩にて支へ、しかして皆岸にさゝへらる 五八―六〇
生活(なりはひ)の途なき瞽(めしひ)等が赦罪の日物乞はんとてあつまり、彼(かれ)頭を此(これ)に寄せ掛け 六一―六三
詞の節(ふし)によるのみならず、その外見(みえ)によりてこれに劣らず心に訴へ、早く憐(あはれみ)を人に起さしめんとするもそのさままた斯(かく)の如し 六四―六六
また日が瞽の益とならざるごとく、わがいま語れるところにては、天の光魂に己を施すを好まず 六七―六九
鐡(くろがね)の絲凡ての者の瞼(まぶた)を刺し、これを縫ふこと恰もしづかならざる鷹を馴らさんとする時に似たりき 七〇―七二
我はわが彼等を見、みづから見られずして行くの非なるをおもひてわが智(さと)き議者(はからひびと)にむかへるに 七三―七五
彼能くいはざる者のいはんと欲するところをしり、わが問ひを待たずしていふ。語れ約(つづ)まやかにかつ適(ふさ)はしく。 七六―七八
ヴィルジリオは臺(うてな)の外側(そとがは)、縁(ふち)高く繞(めぐ)るにあらねば落下る恐れあるところを行けり 七九―八一
わが左には信心深き多くの魂ありき、その恐ろしき縫線(ぬひめ)より涙はげしく洩れいでて頬を洗へり 八二―八四
我彼等にむかひていふ。己が願ひの唯(たゞ)一の目的(めあて)なる高き光を必ず見るをうる民よ 八五―八七
願はくは恩惠(めぐみ)速かに汝等の良心の泡沫(あわ)を消し、記憶の流れこれを傳ひて清く下るにいたらむことを 八八―九〇
汝等の中にラチオ人(びと)の魂ありや、我に告げよ、我そのしらせを愛(め)で喜ばむ、また我これを知らば恐らくはその者に益あらむ。 九一―九三
あゝわが兄弟よ、我等は皆一の眞(まこと)の都の民なり、汝のいへるは族客(たびびと)となりてイタリアに住める者のことならむ。 九四―九六
わが立てるところよりやゝ先にこの答へきこゆるごとくなりければ、我わが聲をかなたにひゞくにいたらしむ 九七―九九
我は彼等の中にわが言(ことば)を待つ状(さま)なる一の魂を見き、若し人いかなる状ぞと問はば、瞽(めしひ)の習ひに從ひてその頤(おとがひ)を上げゐたりと答へむ 一〇〇―一〇二
我曰ふ。登らむために己を矯(た)むる魂よ、我に答へし者汝ならば、處または名を告げて汝の事を我に知らせよ。 一〇三―一〇五
答へて曰ふ。我はシエーナ人(びと)なりき、我これらの者と共にこゝに罪の生命(いのち)を淨め、御前(みまへ)に泣きて恩惠(めぐみ)を求む 一〇六―一〇八
われ名をサピーアといへるも智慧なく、人の禍ひをよろこぶこと己が福ひよりもなほはるかに深かりき 一〇九―一一一
汝我に欺かると思ふなからんため、わがみづからいふごとく愚なりしや否やを聞くべし、わが齡の坂路(さかみち)はや降(くだり)となれるころ 一一二―一一四
わが邑(まち)の人々その敵とコルレのあたりに戰へり、このときわれ神に祈りてその好みたまへるものを求めき 一一五―一一七
彼等かしこに敗れて幸(さち)なくも逃(に)ぐれば、我はその追はるゝを見、身に例(ためし)なき喜びをおぼえて 一一八―一二〇
あつかましくも顏を上げつゝ神にむかひ、さながら一時(ひととき)の光にあへる黒鳥(メルロ)のごとく、今より後我また汝を恐れずと叫べり 一二一―一二三
我わが生命(いのち)の極(はて)に臨みてはじめて神と和(やはら)がんことを願へり、またもしピエル・ペッティナーイオその慈愛の心よりわがために悲しみその聖なる祈りの中にわが身の上を憶はざりせば、わが負債(おひめ)は今も猶苦楚(くるしみ)に減(へ)らさるゝことなかりしなるべし 一二四―一二六
されど汝は誰ぞや――汝我等の状態(ありさま)をたづね、氣息(いき)をつきて物いふ、またおもふに目に絆(きづな)なし。 一三〇―一三二
我曰ふ。わが目もいつかこゝにて我より奪はるゝことあらむ、されどそは暫時(しばし)のみ、その嫉妬(ねたみ)のために動きて犯せる罪少(すく)なければなり 一三三―一三五
この下なる苛責の恐れはなほはるかに大いにしてわが魂を安からざらしめ、かしこの重荷いま我を壓(お)す。 一三六―一三八
彼我に。汝かなたに歸るとおもはば、誰か汝を導いてこゝに登り我等の間に入らしめしや。我。我と倶にゐて物言はざる者ぞ是なる 一三九―一四一
我は生く、されば選ばれし靈よ、汝若し我の己が死すべき足をこの後汝のために世に動かすことをねがはば我に請へ。 一四二―一四四
答へて曰ふ。あゝこは耳にいと新しき事にて神の汝をめで給ふ大いなる休徴(しるし)なれば、汝をりふしわがために祈りて我を助けよ 一四五―一四七
我また汝の切(せち)に求むるものを指して請ふ、若しトスカーナの地を踏むことあらば、わが宗族(うから)の中に汝再びわが名を立てよ 一四八―一五〇
汝は彼等をタラモネに望みを寄する虚榮の民の間に見む(この民その望みを失ふことディアーナを求めしときより大いならむ 一五一―一五三
されどかしこにて特(こと)に危險(あやふき)を顧みざるは船手を統(す)ぶる人々なるべし)。 一五四―一五六


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   第十四曲

死いまだ羽を與へざるに我等の山をめぐり、己が意(こゝろ)のまゝに目を開きまた閉づる者は誰ぞや。 一―三
誰なりや我知らず、我たゞその獨りならざるをしる、汝彼に近ければ自ら問ふべし、快く彼を迎へてものいはしめよ。 四―六
たがひに凭(もた)れし二の靈右の方(かた)にてかくわが事をいひ、さて我に物いはむとて顏をあげたり 七―九
その一者(ひとり)曰ふ。あゝ肉體につゝまれて天にむかひてゆく魂よ、請ふ愛のために我等を慰め、我等に告げよ 一〇―一二
汝いづこより來りしや、また誰なりや、我等汝の恩惠(めぐみ)をみていたく驚く、たえて例(ためし)なきことのかく驚かすは宜(うべ)なればなり。 一三―一五
我。トスカーナの中部をわけてさまよふ一の小川あり、ファルテロナよりいで、流るゝこと百哩(ミーリア)にしてなほ足れりとなさず 一六―一八
その邊(ほとり)より我はこの身をはこべるなり、我の誰なるを汝等に告ぐるは、わが名未だつよく響かざれば、空しく言(ことば)を費すに過ぎず。 一九―二一
はじめ語れるものこの時我に答へて曰ふ。我よく智をもて汝の意中を穿つをえば、汝がいへるはアルノの事ならむ。 二二―二四
その侶(とも)彼に曰ふ。この者何ぞかの流れの名を匿すこと恰も恐るべきことを人のかくすごとくするや。 二五―二七
かく問はれし魂その負債(おひめ)を償(つぐの)ひていふ。我知らず、されどかゝる溪の名はげに滅び失するをよしとす 二八―三〇
そはその源、ペロロを斷たれし高山(たかやま)の水豐(ゆたか)なる處(かの山の中(うち)これよりゆたかなる處少なし)より 三一―三三
海より天の吸上ぐる物(諸□の川これによりてその中に流るゝものを得(う))を返さんとて、その注ぐ處にいたるまで 三四―三六
地の幸(さち)なきによりてなるか、または惡しき習慣(ならはし)にそゝのかさるゝによりてなるか、人皆徳を敵と見做して逐出(おひいだ)すこと蛇の如し 三七―三九
此故にかのあはれなる溪に住む者、いちじるしくその性(さが)を變へ、あたかもチルチェに飼(か)はるゝに似たり 四〇―四二
人の爲に造られし食物(くひもの)よりは橡實(つるばみ)を喰ふに適(ふさ)はしき汚(きたな)き豚の間に、この川まづその貧しき路を求め 四三―四五
後くだりつゝ群(むらが)る小犬の己が力をかへりみずして吠え猛るを見ていやしとし、その顏を曲げて彼等をはなる 四六―四八
くだり/\て次第に水嵩(みづかさ)を増すに從ひ、この詛はるゝ不幸の溝(みぞ)、犬の次第に狼に變はるをみ 四九―五一
後また多くの深き淵を傳ひてくだり、智の捕ふるを恐れざるばかりに欺罔(たばかり)滿ちたる狐の群(むれ)にあふ 五二―五四
われ聞く者あるがために豈口を噤まんや、この者この後眞(まこと)の靈の我にあらはすところを想はば益をえむ 五五―五七
我汝の孫を見るに、彼猛き流れの岸にかの狼を獵り、かれらをこと/″\く怖れしむ 五八―六〇
彼その肉を生けるまゝにて賣り、後これを屠ること老いたる獸に異ならず、多くの者の生命(いのち)を奪ひ自ら己が譽(ほまれ)をうばふ 六一―六三
彼血に塗(まみ)れつゝかの悲しき林を出づれば、林はいたくあれすたれて今より千年(ちとせ)にいたるまで再びもとのさまにかへらじ。 六四―六六
いたましき禍ひの報(しらせ)をうくれば、その難いづれのところより襲ふとも、聞く者顏を曇らすごとく 六七―六九
むきなほりて聞きゐたるかの魂もまたこの詞にうたれ、氣色をかへて悲しみぬ 七〇―七二
一者(ひとり)の言(ことば)と一者の容子(けはひ)は、彼等の名を知らんとの願ひを我に起させき、我はかつ問ひかつ請へり 七三―七五
最初(はじめ)に我に物いへる靈即ち曰ふ。汝は汝のわがために爲すを好まざることを、枉げて我に爲さしめんとす 七六―七八
されど神の聖旨(みむね)によりてかく大いなる恩惠(めぐみ)汝の中に輝きわたれば我も汝に寄に吝(やぶさか)ならじ、知るべし我はグイード・デル・ドゥーカなり 七九―八一
わが血は嫉妬(ねたみ)のために湧きたり、我若し人の福ひを見たらんには、汝は我の憎惡(にくしみ)の色に被(おほ)はるゝをみたりしなるべし 八二―八四
我自ら種を蒔きて今かゝる藁を刈る、あゝ人類よ、侶(とも)を除かざるをえざるところに何ぞ汝等の心を寄するや 八五―八七
此はリニエールとてカールボリ家の誇また譽なり、彼の力を襲(つ)ぐものその後かしこよりいでざりき 八八―九〇
ポーと山と海とレーノの間にて、眞(まこと)と悦びに缺くべからざる徳をかくにいたれるものたゞその血統(ちすぢ)のみならず 九一―九三
有毒(うどく)の雜木(ざつぼく)これらの境界(さかひ)の内に滿つれば、今はたとひ耕すともたやすく除(のぞ)き難からむ 九四―九六
善きリーチオ、アルリーゴ・マナルディ、ピエール・トラヴェルサーロ、グイード・ディ・カルピーニア今何處(いづこ)にかある、噫□庶子となれる 九七―
ローマニア人(びと)等よ、フアッブロの如き者いつか再びボローニアに根差(ねざ)さむ、賤しき草の貴き枝ベルナルディン・ディ・フォスコの如き者
いつか再びファーエンツァよりいでむ、トスカーナ人(びと)よ、かのグイード・ダ・プラータ、我等と住めるウゴリーン・ダッツォ
フェデリーゴ・ティニヨーソ及びその侶(とも)、トラヴェルサーラ家アナスタージ(いづれの族(やから)も世繼なし)
また淑女騎士、人の心かく惡しくなりし處にて愛と義氣にはげまされて我等が求めし苦樂を憶ひ出づる時、我泣くともあやしむなかれ ―一一一
あゝブレッティノロよ、汝の族(やから)と多くの民は罪を避けてはや去れるに、汝何ぞ亡びざるや 一一二―一一四
バーニアカヴァールは善し、再び男子(なんし)を生まざればなり、カストロカーロは惡し、而してコーニオは愈□あし、今も力(つと)めてかゝる伯等(きみたち)を 一一五―
生めばなり、パガーニはその鬼去るの後よからむ、されど無垢(むく)の徴(しるし)をあとに殘すにいたらじ ―一二〇
あゝウゴリーン・デ・ファントリーンよ、汝の名は安し、そは父祖に劣りてこれを辱(はづか)しむる者いづるの憂ひなければなり 一二一―一二三
いざ往けトスカーナ人よ、われらの談話(ものがたり)いたく心を苦しめたれば、今はわれ語るよりなほはるかに泣くをよろこぶ。 一二四―一二六
我等はかの愛する魂等がわれらの足音を聞けるを知れり、されば彼等の默(もだ)すをみて路の正しきを疑はざりき 一二七―一二九
我等進みてたゞふたりとなりしとき、空を擘(つんざ)く電光(いなづま)のごとき聲前より來り 一三〇―一三二
およそ我に遇ふ者我を殺さむといひ、雲遽(にはか)に裂くれば音(おと)細(ほそ)りてきゆる雷(いかづち)のごとく過ぐ 一三三―一三五
この聲我等の耳に休歇(やすみ)をえさせし程もなく見よまた一の聲、疾(と)く續く雷に似て高くはためき 一三六―一三八
我は石となれるアグラウロなりといふ、この時われ身を近く詩人に寄せんとて一歩あとに(まへに進まず)退きぬ 一三九―一四一
四方(よも)の空はや靜かになりぬ、彼我に曰ふ。これは硬き銜(くつわ)にて己が境界(さかひ)の内に人をとどめおくべきものなり 一四二―一四四
しかるに汝等は餌をくらひ、年へし敵の魚釣(はり)にかゝりてその許に曳かれ、銜(くつわ)も呼(よび)も殆んど益なし 一四五―一四七
天は汝等を招き、その永遠(とこしへ)に美しき物を示しつゝ汝等をめぐる、されど汝等の目はたゞ地を見るのみ 一四八―一五〇
是に於てか萬事(よろづのこと)をしりたまふもの汝等を撃つ。 一五一―一五三


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   第十五曲

暮(くれ)にむかひてすゝむ日のなほ殘せる路の長さは、たえず戲るゝこと稚子(をさなご)のごとき球のうち 一―
晝の始めより第三時の終りに亙りてあらはるゝところと同じとみえたり、かしこは夕(ゆふべ)こゝは夜半(よは)なりき ―六
我等既に多く山をめぐり、いまはまさしく西にむかひて歩めるをもて光まともに我等をてらしゐたりしに 七―九
我はその輝(かゞやき)ひときは重くわが額を壓(お)すをおぼえしかば、事の奇(くす)しきにおどろきて 一〇―一二
雙手(もろて)を眉のあたりに翳(かざ)し、つよきに過ぐる光を減(へ)らす一の蔽物(おほひ)をわがために造れり 一三―一五
水または鏡にあたりて光反する方に跳(は)ぬれば、くだるとおなじさまにてのぼり 一六―
その間隔(あはひ)をひとしうして垂線をはなるゝは、學理と經驗によりてしらる ―二一
我もかゝる時に似て、わが前に反映(てりかへ)す光に射らるゝごとくおぼえき、さればわが目はたゞちに逃げぬ 二二―二四
われいふ。やさしき父よ、かの物何ぞや、我これを防ぎて目を護らんとすれども益なし、またこはこなたに動くに似たり。 二五―二七
答へて我に曰ふ。天の族(やから)今なほ汝をまばゆうすとも異(あや)しむなかれ、こは人を招きて登らしめんために來れる使者(つかひ)なり 二八―三〇
これらのものをみること汝の患(うれ)へとならずして却つて自然が汝に感ずるをえさするかぎりの悦樂(たのしみ)となる時速かにいたらむ。 三一―三三
我等福(さいはひ)なる天使の許にいたれるに、彼喜ばしき聲にていふ。汝等こゝより入るべし、さきの階(きざはし)よりははるかに易き一の階そこにあり。 三四―三六
我等既にかしこを去りて登れるとき、慈悲ある者は福なり、また、悦べ汝勝者(かつもの)よとうたふ聲後(うしろ)に起れり 三七―三九
わが師と我とはたゞふたりにて登りゆけり、我は行きつゝ師の言(ことば)をききて益をえんことをおもひ 四〇―四二
これにむかひていひけるは。かのローマニアの魂が除くといひ侶といへるは抑□何の意(こゝろ)ぞや。 四三―四五
是に於てか彼我に。彼は己の最大(いとおほ)いなる罪より來る損害(そこなひ)を知る、此故にこれを責めて人の歎(なげき)を少なからしめんとすとも異(あや)しむに足らず 四六―四八
それ汝等の願ひの向ふ處にては、侶と頒(わか)てば分減ずるがゆゑに、嫉妬(ねたみ)鞴(ふいご)を動かして汝等に大息(といき)をつかしむれども 四九―五一
至高(いとたか)き球の愛汝等の願ひを上にむかはしむれば、汝等の胸にこのおそれなし 五二―五四
そはかしこにては、我等の所有(もちもの)と稱(とな)ふる者愈□多ければ、各自(おの/\)の享(う)くる幸(さいはひ)愈□多く、かの僧院に燃ゆる愛亦愈□多ければなり。 五五―五七
我曰ふ。我若しはじめより默(もだ)したりせば、斯く足(た)らはぬことなかりしものを、今は却つて多くの疑ひを心に集む 五八―六〇
一の幸(さいはひ)を頒つにあたり、これを享くる者多ければ、享くる者少なき時より所得多きは何故ぞや。 六一―六三
彼我に。汝は心を地上の物にのみとむるがゆゑに眞(まこと)の光より闇を摘む 六四―六六
かの高きにいまして極(きはみ)なくかつ言ひ難き幸(さいはひ)は、恰も光線の艶(つや)ある物に臨むがごとく、馳せて愛にいたり 六七―六九
熱に應じて己を與ふ、されば愛の大いなるにしたがひ永劫の力いよ/\その上に加はる 七〇―七二
心を天に寄する民愈□多ければ、深く愛すべき物愈□多く、彼等の愛亦愈□多し、而して彼等の互ひに己を映(うつ)すこと鏡に似たり 七三―七五
若しわが説くところ汝の饑(うゑ)を鎭(しづ)めずば、汝ベアトリーチェを見るべし、さらば彼は汝のために全くこれらの疑ひを解かむ 七六―七八
今はたゞ、痛みの爲にふさがる五の傷(きず)の、とくかの二のごとく消ゆるにいたる途を求めよ。 七九―八一
我はこのとき我よくさとるといはんとおもひしかど、わがすでに次の圓に着けるを見しかば、目の願ひのために默(もだ)せり 八二―八四
こゝにて我俄かにわが官能をはなれて一の幻(まぼろし)の中に曳かれ、多くの人を一の神殿(みや)の内にみしごとくなりき 八五―八七
母たる者のやさしさを姿にあらはせしひとりの女、入口に立ち、わが子よ、何ぞ我等にかくなしたるや 八八―九〇
見よ、汝の父と我と憂へて汝を尋ねたりといひ、いひをはりて默(もだ)せしとき、第一の異象消ゆ 九一―九三
次にまたひとりの女わが前にあらはれき、はげしき怒りより生るゝとき憂ひのしたたらす水その頬をくだれり 九四―九六
彼曰ふ。汝實(まこと)にかゝる都――これが名について神々の間にかのごとき爭ひありき、また凡ての知識の光この處より閃(きらめ)きいづ――の君ならば 九七―九九
ピシストラートよ、我等の女(むすめ)が抱きたる不敵の腕(かひな)に仇をむくいよ。されど君は寛仁柔和の人とみえ 一〇〇―一〇二
さわぐ氣色(けしき)もなくこれに答へて、我等己を愛する者を罪せば、我等の禍ひを求むる者に何をなすべきやといふごとくなりき 一〇三―一〇五
我また民が怒りの火に燃え、殺せ/\とのみ聲高く叫びあひつゝ石をもてひとりの少年(わかもの)を殺すをみたり 一〇六―一〇八
死はいま彼を壓しつゝ地にむかひてかゞましむれど、彼はたえず目を天の門となし 一〇九―一一一
かゝる爭ひのうちにも憐憫(あはれみ)を惹(ひ)く姿にてたふとき主に祈り、己を虐(しひた)ぐる者のために赦しを乞へり 一一二―一一四
わが魂外部(そと)にむかひ、その外部(そと)なる眞(まこと)の物に歸れる時、我は己の僞りならざる誤りをみとめき 一一五―一一七
わが導者は、眠りさむる人にひとしきわが振舞をみるをえていふ。汝いかにせる、何ぞ自ら身をさゝふるあたはずして 一一八―一二〇
半レーガ餘の間、目を閉ぢ足をよろめかし、あたかも酒や睡りになやむ人のごとく來れるや。 一二一―一二三
我曰ふ。あゝやさしきわが父よ、汝耳をかたむけたまはば、我かく脛(はぎ)を奪はれしときわが前にあらはれしものを汝に告ぐべし。 一二四―一二六
彼。汝たとひ百の假面(めん)にて汝の顏を覆ふとも、汝の思ひのいと微小(さゝやか)なるものをすら、我にかくすことあたはじ 一二七―一二九
それかのものの汝に見えしは、汝が言遁(いひのが)るゝことなくしてかの永遠(とこしへ)の泉より溢(あふ)れいづる平和の水に心を開かんためなりき 一三〇―一三二
わがいかにせると汝に問へるも、こは魂肉體を離るれば視る能はざる目のみをもて見るものの問ふごとくなせるにあらず 一三三―一三五
たゞ汝の足に力をえさせんとて問へるなり、總て怠惰にて覺醒(めざめ)己に歸るといへどもこれを用ゐる事遲き者はかくして勵ますを宜しとす。 一三六―一三八
我等は夕(ゆふべ)の間、まばゆき暮(くれ)の光にむかひて目の及ぶかぎり遠く前途(ゆくて)を見つゝ歩みゐたるに 一三九―一四一
見よ夜の如く黒き一團の煙しづかに/\こなたに動けり、しかして避くべきところなければ 一四二―一四四
我等は目と澄める空氣をこれに奪はれき 一四五―一四七


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   第十六曲

地獄の闇または乏しき空(そら)に雲みち/\て暗き星なき夜(よ)の闇といふとも 一―三
我等をおほへる烟のごとく厚き粗(あら)き面□(かほおほひ)を造りてわが目を遮りわが官に觸れしことはあらじ 四―六
われ目をひらくあたはざれば、智(さと)き頼(たのも)しきわが導者は我にちかづきてその肩をかしたり 七―九
我は瞽(めしひ)が路をあやまりまたは己を害(そこな)ふか殺しもすべき物にうちあたるなからんためその相者(てびき)に從ふごとく 一〇―一二
苛(から)き濁れる空氣をわけ、わが導者の、汝我と離れざるやう心せよとのみいへる言(ことば)に耳を傾けて歩めり 一三―一五
こゝに多くの聲きこえぬ、各□平和と慈悲とを、かの罪を除きたまふ神の羔(こひつじ)に祈るに似たりき 一六―一八
祈りはたえずアーグヌス・デイーにはじまり、詞も節もみな同じ、さればすべての聲全く相和せるごとくなりき 一九―二一
我曰ふ。師よ、かくうたふは靈なりや。彼我に。汝のはかるところ正し、彼等は怒りの結(むすび)を解くなり。 二二―二四
我等の烟を裂き、いまだ時を月に分つ者のごとく我等の事を語る者よ、汝は誰ぞや。 二五―二七
一の聲斯く曰へり、是に於てかわが師曰ふ。汝答へよ、しかして登りの道のこなたにありや否やを問ふべし。 二八―三〇
我。あゝ身を麗しうして己が造主(つくりぬし)に歸らんため罪を淨むる者よ、汝我にともなはば奇(くす)しき事を聽くをえむ。 三一―三三
答へて曰ふ。我汝に從ひてわが行くをうる間はゆかむ、烟は見るを許さずとも聞くことこれに代りて我等を倶にあらしめむ。 三四―三六
このとき我曰ふ。我は死の解く纏布(まきぎぬ)をまきて登りゆくなり、地獄の苦しみを過ぎてこゝに來れり 三七―三九
神はわがその王宮を、近代(ちかきよ)に全く例(ためし)なき手段(てだて)によりて見るを好(よみ)したまふまで、我をその恩惠(めぐみ)につゝみたまへるなれば 四〇―四二
汝死なざる前(さき)は誰なりしや請ふ隱さず我に告げよ、また我のかくゆきて徑(こみち)にいたるや否やを告げて汝の言を我等の導(しるべ)とならしめよ。 四三―四五
我はロムバルディアの者にて名をマルコといへり、我よく世の事を知り、今はひとりだに狙(ねら)ふ人なき徳を慕へり 四六―四八
汝登らんとてこなたにゆくはよし。かく答へてまたいふ。高き處にいたらば請ふ汝わがために祈れ。 四九―五一
我彼に。我は誓ひて汝の請ふところをなさむ、たゞ我に一の疑ひあり、我もしこれを解かずば死すべし 五二―五四
こは初め單(ひとへ)なりしも今二重(ふたへ)となりぬ、そは汝の言(ことば)、これと連(つら)なる事の眞(まこと)なるをこゝにもかしこにも定かに我に示せばなり 五五―五七
世はげに汝のいふごとく全く一切の徳を失ひ、邪惡を孕みてかつこれにおほはる 五八―六〇
されど請ふ我にその原因(もと)を指示(さししめ)し、我をして自らこれを見また人にみするをえしめよ、そは或者これを天に歸し或者地に歸すればなり。 六一―六三
憂ひの噫(あゝ)に終らしむる深き歎息(ためいき)をつきて後彼曰ひけるは。兄弟よ、世は盲(めしひ)なり、しかして汝まことにかしこより來る 六四―六六
汝等生者は一切の原因(もと)をたゞ上なる天にのみ歸し、この物必然の力によりてよく萬事を定むとなす 六七―六九
若し夫れ然らば自由の意志汝等の中に滅ぶべく、善のために喜び惡のために悲しみを得るは正しき事にあらざるべし 七〇―七二
天は汝等の心の動(うごき)に最初(はじめ)の傾向(かたむき)を與ふれども、凡てに於て然るにあらず、また假りに然りと見做すも汝等には善惡を知るの光と 七三―七五
自由の意志と與へらる(この意志もしはじめて天と戰ふ時の疲勞(つかれ)に堪へ後善く養はるれば凡ての物に勝つ) 七六―七八
汝等は天の左右しあたはざる智力を汝等の中に造るもの即ち天より大いなる力、まされる性(さが)の下(もと)に屬して而して自由を失はず 七九―八一
此故に今の世(よ)路を誤らば、その原因(もと)汝等の中にあり、汝等己が中にたづねよ、我またこの事について今明かに汝に告ぐべし 八二―八四
それ純なる幼(をさな)き魂は、たゞ己を樂しますものに好みてむかふ(喜悦(よろこび)の源なる造主(つくりぬし)よりいづるがゆゑに)外(ほか)何事をも知らず 八五―
あたかも泣きつゝ笑ひつゝ遊び戲るゝ女童(めのわらは)のごとくにて、その未だあらざるさきよりこれをめづる者の手を離れ ―九〇
まづ小(さゝ)やかなる幸(さいはひ)を味ひてこれに欺かれ、導者か銜(くつわ)その愛を枉げずば即ち馳せてこれを追ふ 九一―九三
是に於てか律法(おきて)を定めて銜となし、またせめて眞(まこと)の都の塔を見分くる王を立てざるあたはざりき 九四―九六
律法なきに非ず、されど手をこれにつくる者は誰ぞや、一人(ひとり)だになし、これ上(かみ)に立つ牧者□(にれが)むことをうれどもその蹄(つめ)分れざればなり 九七―九九

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