神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

我はいたくおどろきて身をめぐらし、善きヴィルジリオにむかへるに、我に劣らざる怪訝(あやしみ)を顏にあらはせる外答へなかりき 五五―五七
我即ちふたゝび目をかのたふとき物にむくれば、新婦(はなよめ)にさへ負くるならんとおもはるゝほどいとゆるやかにこなたにすゝめり 五八―六〇
淑女我を責めていふ。汝いかなればかくたゞ生くる光のさまに心を燃やし、その後方(うしろ)より來るものを見ざるや。 六一―六三
このとき我見しに、白き衣を着(かくばかり白き色世にありし例(ためし)なし)、己が導者に從ふごとく後方(うしろ)より來る民ありき 六四―六六
水はわが左にかゞやき、我これを視れば、あたかも鏡のごとくわが身の左の方を映(うつ)せり 六七―六九
われ岸のこなた、たゞ流れのみ我をへだつるところにいたれるとき、なほよくみんと、わが歩みをとゞめて 七〇―七二
視しに、焔はそのうしろに彩色(いろど)れる空氣を殘してさきだちすゝみ、さながら流るゝ小旗のごとく 七三―七五
空氣は七の線(すぢ)にわかたれ、これに日の弓、デリアの帶のすべての色あり 七六―七八
これらの旌(はた)後(うしろ)の方(かた)に長く流れてわが目及ばず、またわがはかるところによれば左右の端(はし)にあるものの相離るゝこと十歩なりき 七九―八一
かく美しきさにおほはれ、二十四人の長老、百合(フイオルダリーゾ)の花の冠をつけてふたりづつならび來れり 八二―八四
みなうたひていふ。アダモの女子(むすめ)のうちにて汝は福なる者なり、ねがはくは汝の美にとこしへの福あれ。 八五―八七
かの選ばれし民、わが對面(むかひ)なるかなたの岸の花と新しき草をはなれしとき 八八―九〇
あたかも天にて光光に從ふごとく、そのうしろより四の生物(いきもの)各□頭(かしら)に縁の葉をいただきて來れり 九一―九三
皆六の翼をもち、目その羽に滿つ、アルゴの目若し生命(いのち)あらばかくのごとくなるべし 九四―九六
讀者よ、彼等の形を録(しる)さんとて我またさらに韻語を散らさじ、そは他の費(つひえ)に支(さ)へられてこの費を惜しまざること能はざればなり 九七―九九
エゼキエレを讀め、彼は彼等が風、雲、火とともに寒き處より來るを見てこれを描(ゑが)けり 一〇〇―一〇二
わがこゝにみし彼等の状(さま)もまたかれの書(ふみ)にいづるものに似たり、但し羽については、ジヨヴァンニ彼と異なりて我と同じ 一〇三―一〇五
これらの四の生物(いきもの)の間を二の輪ある一の凱旋車占む、一頭のグリフォネその頸にてこれを曳けり 一〇六―一〇八
この者二の翼を、中央(なか)の一と左右の三の線(すぢ)の間に伸べたれば、その一をも斷(た)たず損(そこな)はず 一〇九―一一一
翼は尖(さき)の見えざるばかり高く上(あが)れり、その身の中(うち)に鳥なるところはすべて黄金(こがね)にて他(ほか)はみな紅まじれる白なりき 一一二―一一四
アフリカーノもアウグストもかく美しき車をもてローマを喜ばせしことなきはいふに及ばず、日の車さへこれに比ぶれば映(はえ)なからむ 一一五―一一七
(即ち路をあやまれるため、信心深きテルラの祈りによりてジョーヴェの奇(くす)しき罰をうけ、燒盡されし日の車なり) 一一八―一二〇
右の輪のほとりには、舞ひめぐりつゝ進み來れるみたりの淑女あり、そのひとりは、火の中にては見分け難しと思はるゝばかりに赤く 一二一―一二三
次なるは、肉も骨も縁の玉にて造られしごとく、第三なるは、新たに降(ふ)れる雪に似たり 一二四―一二六
或時は白或時は赤他(ほか)のふたりをみちびくと見ゆ、しかしてその歌にあはせて、侶のゆくこと或ひはおそく或ひははやし 一二七―一二九
左の輪のほとりには、紫の衣を着てたのしく踊れるよたりの淑女あり、そのひとり頭に三の目ある者ほかのみたりをみちびきぬ 一三〇―一三二
かく擧げ來れる凡ての群(むれ)の後(うしろ)に、我はふたりの翁を見たり、その衣は異なれどもおごそかにしておちつきたる姿は同じ 一三三―一三五
ひとりは己がかのいと大いなるイッポクラテ(即ち自然がその最愛の生物のために造れる)の流れを汲むものなるをあらはし 一三六―一三八
またひとりは、川のこなたなる我にさへ恐れをいだかしめしほど光りて鋭き一の劒を持ちて、これと反する思ひをあらはせり 一三九―一四一
我は次に外見(みえ)の劣れるよたりの者と、凡ての者の後(うしろ)よりたゞひとりにて眠りて來れる氣色鋭き翁を見たり 一四二―一四四
この七者(なゝたり)は衣第一の組と同じ、されど頭を卷ける花圈(はなわ)百合にあらずして 一四五―一四七
薔薇とその他の紅の花なりき、少しく離れしところにてもすべての者の眉の上にまさしく火ありと見えしなるべし 一四八―一五〇
輦(くるま)わが對面(むかひ)にいたれるとき雷(いかづち)きこえぬ、是に於てかかのたふとき民はまた進むをえざるごとく 一五一―一五三
最初の旌とともにかしこにとゞまれり 一五四―一五六


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   第三十曲

第一天の七星(出沒(いるいづる)を知らず、罪よりほかの雲にかくれしこともなし 一―三
しかしてかしこにをる者に各□その任務(つとめ)をしらしめしこと恰も低き七星の、港をさして舵取るものにおけるに似たりき) 四―六
とゞまれるとき、是とグリフォネの間に立ちて先に進める眞(まこと)の民、己が平和にむかふごとく、身をめぐらして車にむかへば 七―九
そのひとりは、天より遣はされしものの如く、新婦(はなよめ)よリバーノより來れと三度(みたび)うたひてよばはり、ほかの者みなこれに傚へり 一〇―一二
最後の喇叭(らつぱ)の響きとともに、すべて惠(めぐ)まるゝ者、再び衣を着たる聲をもてアレルヤをうたひつゝその墓より起出づるごとく 一三―一五
かの大いなる翁(おきな)の聲をきゝて神の車の上にたちあがれる永遠(とこしへ)の生命(いのち)の僕(しもべ)と使者(つかひ)百ありき 一六―一八
みないふ。來たる者よ汝は福なり。また花を上とあたりに散らしつゝ。百合を手に滿たして撒(ま)け。 一九―二一
我かつて見ぬ、晝の始め、東の方こと/″\く赤く、殘りの空すみてうるはしきに 二二―二四
日の面(おもて)曇りて出で、目のながくこれに堪ふるをうるばかり光水氣に和(やは)らげらるゝを 二五―二七
かくのごとく、天使の手より立昇りてふたゝび内外(うちそと)に降れる花の雲の中に 二八―三〇
白き面□(かほおほひ)の上には橄欖を卷き、縁の表衣(うはぎ)の下には燃ゆる焔の色の衣を着たるひとりの淑女あらはれぬ 三一―三三
わが靈は(はやかく久しく彼の前にて驚異(おどろき)のために震ひつゝ挫(くじ)かるゝことなかりしに) 三四―三六
目の能くこれに教ふるをまたず、たゞ彼よりいづる奇(く)しき力によりて、昔の愛がその大いなる作用(はたらき)を起すを覺えき 三七―三九
わが童(わらべ)の時過ぎざるさきに我を刺し貫けるたふとき力わが目を射るや 四〇―四二
我はあたかも物に恐れまたは苦しめらるゝとき、走りてその母にすがる稚兒(をさなご)の如き心をもて、たゞちに左にむかひ 四三―四五
一滴(しづく)だに震ひ動かずしてわが身に殘る血はあらじ、昔の焔の名殘をば我今知るとヴィルジリオにいはんとせしに 四六―四八
ヴィルジリオ、いとなつかしき父のヴィルジリオ、わが救ひのためにわが身を委ねしヴィルジリオははや我等を棄去れり 四九―五一
昔の母の失へるすべてのものも、露に淨められし頬をして、涙にふたゝび汚れしめざるあたはざりき 五二―五四
ダンテよ、ヴィルジリオ去れりとて今泣くなかれ今泣くなかれ、それよりほかの劒(つるぎ)に刺されて汝泣かざるをえざればなり。 五五―五七
己が名(我已むをえずしてこゝに記(しる)せり)の呼ばるゝを聞きてわれ身をめぐらせしとき、我はさきに天使の撒華(さんげ)におほはれて 五八―
我にあらはれしかの淑女が、さながら水軍(ふなて)の大將の、艫(とも)に立ち舳(へさき)に立ちつゝあまたの船に役(つか)はるゝ人々を見てこれをはげまし
よくその業(わざ)をなさしむるごとく、車の左の縁(ふち)にゐて、流れのこなたなる我に目をそそぐを見たり ―六六
ミネルヴァの木葉(このは)に卷かれし面□(かほおほひ)その首(かうべ)より垂るゝがゆゑに、我さだかに彼を見るをえざりしかど 六七―六九
凛々(りゝ)しく、氣色(けしき)なほもおごそかに、あたかも語りつゝいと熱(あつ)き言(ことば)をばしばし控(ひか)ふる人の如く、彼續いていひけるは 七〇―七二
よく我を視よ、げに我は我はげにベアトリーチェなり、汝如何(いか)してこの山に近づくことをえしや汝は人が福(さいはひ)をこゝに受くるを知らざりしや。 七三―七五
わが目は澄める泉に垂れぬ、されどそこに己が姿のうつれるをみて我これを草に移しぬ、恥いと重く額を壓(お)せしによりてなり 七六―七八
母たる者の子に嚴(いかめ)しとみゆる如く彼我にいかめしとみゆ、きびしき憐憫(あはれみ)の味(あぢ)は苦味(にがみ)を帶ぶるものなればなり 七九―八一
彼は默せり、また天使等は忽ちうたひて、主よわが望みは汝にありといへり、されどわが足をの先をいはざりき 八二―八四
スキアヴォーニアの風に吹寄せられてイタリアの背なる生くる梁木(うつばり)の間にかたまれる雪も 八五―八七
陰を失ふ國氣を吐くときは、火にあへる蝋かとばかり、溶け滴りて己の内に入るごとく 八八―九〇
つねにとこしへの球の調(しらべ)にあはせてしらぶる天使等いまだうたはざりしさきには、我に涙も歎息(なげき)もあらざりしかど 九一―九三
かのうるはしき歌をきゝて、彼等の我を憐むことを、淑女よ何ぞかく彼を叱責(さいな)むやと彼等のいふをきかんよりもなほ明(あきら)かに知りし時 九四―九六
わが心のまはりに張れる氷は、息(いき)と水に變りて胸をいで、苦しみて口と目を過ぎぬ 九七―九九
彼なほ輦(くるま)の左の縁(ふち)に立ちてうごかず、やがてかの慈悲深き群(むれ)にむかひていひけるは 一〇〇―一〇二
汝等とこしへの光の中に目を醍(さま)しをるをもて、夜(よる)も睡りも、世がその道に踏みいだす一足をだに汝等にかくさじ 一〇三―一〇五
是故にわが答への求むるところは、むしろかしこに泣く者をしてわが言(ことば)をさとらせ、罪と憂ひの量(はかり)を等しからしむるにあり 一〇六―一〇八
すべて生るゝ者をみちびきその侶なる星にしたがひて一の目的(めあて)にむかはしむる諸天のはたらきによるのみならず 一〇九―一一一
また神の恩惠(めぐみ)(その雨のもとなる水氣はいと高くして我等の目近づくあたはず)のゆたかなるによりて 一一二―一一四
彼は生命(いのち)の新たなるころ實(まこと)の力すぐれたれば、そのすべての良き傾向(かたむき)は、げにめざましき證(あかし)となるをえたりしものを 一一五―一一七
種を擇ばず耕さざる地は、土の力のいよ/\さかんなるに從ひ、いよ/\惡くいよ/\荒る 一一八―一二〇
しばらくは我わが顏をもて彼を支(さゝ)へき、わが若き目を彼に見せつゝ彼をみちびきて正しき方(かた)にむかはせき 一二一―一二三
我わが第二の齡(よはひ)の閾(しきみ)にいたりて生を變ふるにおよび、彼たゞちに我をはなれ、身を他人(あだしびと)にゆだねぬ 一二四―一二六
われ肉より靈に登りて美も徳も我に増し加はれるとき、彼却つて我を愛せず、かへつて我をよろこばす 一二七―一二九
いかなる約束をもはたすことなき空しき幸(さいはひ)の象(かたち)を追ひつゝその歩(あゆみ)を眞(まこと)ならざる路にむけたり 一三〇―一三二
我また乞ひて默示をえ、夢幻(ゆめまぼろし)の中にこれをもて彼を呼戻さんとせしも益なかりき、彼これに心をとめざりければなり 一三三―一三五
彼いと深く墜ち、今はかの滅亡(ほろび)の民を彼に示すことを措きてはその救ひの手段(てだて)みな盡きぬ 一三六―一三八
是故にわれ死者の門を訪(と)ひ、彼をこゝに導ける者にむかひて、泣きつゝわが乞ふところを陳べぬ 一三九―一四一
若し夫れ涙をそゝぐ悔(くい)の負債(おひめ)を償(つぐの)はざるものレーテを渡りまたその水を味ふをうべくば 一四二―一四四
神のたふとき定(さだめ)は破れむ。


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   第三十一曲

あゝ汝聖なる流れのかなたに立つ者よ、いへ、この事眞(まこと)なりや否や、いへ、かくきびしきわが責(せめ)に汝の懺悔のともなはでやは 一―三
彼は刃(は)さへ利(と)しとみえしその言(ことば)の鋩(きつさき)を我にむけつゝ、たゞちに續いてまた斯くいひぬ 四―六
わが能力(ちから)の作用(はたらき)いたく亂れしがゆゑに、聲は動けどその官を離れて外(そと)にいでざるさきに冷えたり 七―九
彼しばらく待ちて後いふ。何を思ふや、我に答へよ、汝の心の中の悲しき記憶を水いまだ損(そこな)はざれば。 一〇―一二
惑ひと怖れあひまじりて、目を借らざれば聞分けがたき一のシをわが口より逐へり 一三―一五
たとへば弩(いしゆみ)を放つとき、これを彎(ひ)くことつよきに過ぐれば、弦(つる)切れ弓折れて、矢の的に中る力の減(へ)るごとく 一六―一八
とめどなき涙大息(といき)とともにわれかの重荷(おもに)の下にひしがれ、聲はいまだ路にあるまに衰へぬ 一九―二一
是に於てか彼我に。われらの望みの終極(いやはて)なるかの幸(さいはひ)を愛せんため汝を導きしわが願ひの中に 二二―二四
いかなる堀またはいかなる鏈を見て、汝はさきにすゝむの望みをかく失ふにいたれるや 二五―二七
また他(ほか)の幸の額にいかなる慰(なぐさめ)または益のあらはれて汝その前をはなれがたきにいたれるや。 二八―三〇
一のくるしき大息(といき)の後、我にほとんど答ふる聲なく、唇からうじてこれをつくれり 三一―三三
我泣きて曰ふ。汝の顏のかくるゝや、眼前(めのまへ)に在る物その僞りの快樂(けらく)をもてわが歩履(あゆみ)を曲げしなり 三四―三六
彼。汝たとひ默(もだ)しまたは今の汝の懺悔をいなみきとすとも汝の愆(とが)何ぞかくれ易からん、かのごとき士師(さばきづかさ)知りたまふ 三七―三九
されど罪を責むる言(ことば)犯せる者の口よりいづれば、我等の法廷(しらす)にて、輪はさかさまに刃(は)にむかひてめぐる 四〇―四二
しかはあれ汝今己が過ちを恥ぢ、この後シレーネの聲を聞くとも心を固うするをえんため 四三―四五
涙の種を棄てて耳をかたむけ、葬られたるわが肉の汝を異なる方にむかしむべかりし次第を聞くべし 四六―四八
さきに我を包みいま地にちらばる美しき身のごとく汝を喜ばせしものは、自然も技(わざ)も嘗て汝にあらはせることあらざりき 四九―五一
わが死によりてこのこよなき喜び汝に缺けしならんには、そも/\世のいかなる物ぞその後汝の心を牽(ひ)きてこれを求むるにいたらしめしは 五二―五四
げに汝は假初(かりそめ)の物の第一の矢のため、はやかゝる物ならざりし我に從ひて立昇るべく 五五―五七
稚(をさな)き女そのほか空しきはかなきものの矢を待ちて翼をひくく地に低るべきにあらざりき 五八―六〇
それ二の矢三の矢を待つは若き小鳥の事ぞかし、羽あるものの目のまへにて網を張り弓を彎(ひ)くは徒爾(いたづら)なり。 六一―六三
我はあたかもはぢて言なく、目を地にそゝぎ耳を傾けて立ち、己が過ちをさとりて悔ゆる童(わらべ)のごとく 六四―六六
立ちゐたり、彼曰ふ。汝聞きて憂ふるか、鬚を上げよ、さらば見ていよ/\憂へむ。 六七―六九
たくましき樫の木の、本土(ところ)の風またはヤルバの國より吹く風に拔き倒さるゝ時といふとも、そのこれにさからふこと 七〇―七二
わが彼の命をきゝて頤(おとがひ)をあげしときに及ばじ、彼顏といはずして鬚といへるとき、我よくその詞の毒を認めぬ 七三―七五
我わが顏をあげしとき、わが目は、かのはじめて造られし者等が、ふりかくることをやめしをさとり 七六―七八
また(わが目なほ定かならざりしかど)ベアトリーチェが、身たゞ一にて性(さが)二ある獸のかたにむかふを見たり 七九―八一
面□(かほおほひ)におほはれ、流れのかなたにありてさへ、彼はその未だ世にありし頃世の女等(たち)に優(まさ)れるよりもさらに己が昔の姿にまされりとみゆ 八二―八四
悔(くい)の刺草(いらくさ)いたく我を刺ししかば、すべてのものの中にて最も深く我を迷はしわが愛を惹けるものわが最も忌嫌(いみきら)ふものとはなりぬ 八五―八七
我かく己が非をさとる心の痛みに堪へかねて倒れき、此時我のいかなるさまにてありしやは我をこゝにいたらしめし者ぞ知るなる 八八―九〇
かくてわが心その能力(ちから)を外部(そと)に還せし時、我は先に唯獨りにて我に現れし淑女をば我上(うへ)の方(かた)に見たり、彼曰ふ。我を捉(とら)へよ我をとらへよ。 九一―九三
彼は流れの中に既に我を喉まで引入れ、今己が後(うしろ)より我を曳きつゝ、杼(ひ)のごとく輕く水の上を歩めるなりき 九四―九六
われ福(さいはひ)の岸に近づけるとき、汝我に注ぎ給へといふ聲聞えぬ、その麗はしさ類(たぐひ)なければ思出づることだに能はず何ぞ記(しる)すをうべけんや 九七―九九
かの美しき淑女腕(かひな)をひらきてわが首(かうべ)が抱き、なほも我を沈めて水を飮まざるをえざらしめ 一〇〇―一〇二
その後我をひきいだして、よたりの美しき者の踊れるなかに、かく洗はれしわが身をおき、彼等は各□その腕(かひな)をもて我を蔽へり 一〇三―一〇五
こゝには我等ニンフェなり、天には我等星ぞかし、ベアトリーチェのまだ世に降らざるさきに、我等は定まりきその侍女(はしため)と 一〇六―一〇八
我等汝を導いて彼の目の邊(ほとり)に到らむ、されどその中(うち)なる悦びの光を見んため、物を見ること尚深き彼處(かしこ)の三者(みたり)汝の目をば強くせむ。 一〇九―一一一
かくうたひて後、彼等は我をグリフォネの胸のほとり、ベアトリーチェの我等にむかひて立ちゐたるところに連行(つれゆ)き 一一二―一一四
いひけるは。汝見ることを惜しむなかれ、我等は汝を縁の珠の前におけり、愛かつて汝を射んとてその矢をこれより拔きたるなりき。 一一五―一一七
火よりも熱き千々(ちゞ)の願ひわが目をしてかのたえずグリフォネの上にとまれる光ある目にそゞがしむれば 一一八―一二〇
二樣の獸は忽ち彼忽ち此の姿態(みぶり)をうつしてその中にかゞやき、そのさま日輪の鏡におけるに異なるなかりき 一二一―一二三
讀者よ、物みづから動かざるにその映(うつ)れる象(かたち)變るを視しとき我のあやしまざりしや否やを思へ 一二四―一二六
いたくおどろき且つまた喜びてわが魂この食物(くひもの)(飽くに從ひていよ/\慾を起さしむ)を味へる間に 一二七―一二九
かのみたりの女、姿に際(きは)のさらにすぐれて貴(たか)きをあらはし、その天使の如き舞の詞(しらべ)につれてをどりつゝ進みいでたり 一三〇―一三二
むけよベアトリーチェ、汝に忠實(まめやか)なるものに汝の聖なる目をむけよ、彼は汝にあはんとてかく多くの歩履(あゆみ)をはこべり 一三三―
ねがはくは我等のために汝の口を彼にあらはし、彼をして汝のかくす第二の美を辨(わきま)へしめよ。是彼等の歌なりき ―一三八
あゝ生くるとこしへの光の輝(かゞやき)よ、パルナーゾの蔭に色あをざめまたはその泉の水をいかに飮みたる者といふとも 一三九―一四一
汝が濶(ひろ)き空氣の中に汝の面□(かほおほひ)を脱(ぬ)ぎて天のその調(しらべ)をあはせつゝ汝の上を覆ふ處に現はれし時の姿をば寫し出さんとするにあたり 一四二―一四四
豈その心を亂さざらんや


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   第三十二曲

十年(ととせ)の渇(かわき)をしづめんため、心をこめてわが目をとむれば、他の官能はすべて眠れり 一―三
またこの目には左右に等閑(なほざり)の壁ありき、聖なる微笑(ほゝゑみ)昔の網をもてかくこれを己の許に引きたればなり 四―六
このときかの女神等(めがみたち)、汝あまりに凝視(みつむ)るよといひてしひてわが目を左の方にむかはしむ 七―九
日の光に射られし目にてたゞちに物を見る時のごとく、我やゝ久しくみることあたはざりしかど 一〇―一二
視力舊(もと)に復(かへ)りて小(ちひ)さき輝(かゞやき)に堪ふるに及び(わがこれを小さしといへるはしひてわが目を離すにいたれる大いなる輝に比ぶればなり) 一三―一五
我は榮光の戰士(つはもの)等が身をめぐらして右にむかひ、日と七の焔の光を顏にうけつゝ歸るを見たり 一六―一八
たとへば一の隊伍の、己を護らんとて盾(たて)にかくれ、その擧りて方向(むき)を變ふるをえざるまに、旗を持ちつゝめぐるがごとく 一九―二一
かの先に進める天の王國の軍人(いくさびと)等は、車がいまだその轅(ながえ)を枉げざるまに、皆我等の前を過ぐ 二二―二四
是に於てか淑女等は輪のほとりに歸り、グリフォネはその羽の一をも搖(ゆる)がさずしてたふとき荷をうごかし 二五―二七
我をひきて水を渉れる美しき淑女とスターツィオと我とは、轍(わだち)に殘せし弓の形の小さき方(かた)なる輪に從ひ 二八―三〇
かくしてかの高き林、蛇を信ぜし女の罪に空しくなりたる地をわけゆけば、天使のうたふ一の歌我等の歩履(あゆみ)を齊(とゝの)へり 三一―三三
彎(ひ)き放たれし矢の飛ぶこと三度(たび)にして屆くとみゆるところまで我等進めるとき、ベアトリーチェはおりたちぬ 三四―三六
衆皆聲をひそめてアダモといひ、やがて枝に花も葉もなき一本(もと)の木のまはりを卷けり 三七―三九
その髭は森の中なるインド人(びと)をも驚かすばかりに高く、かつ高きに從ひていよ/\伸び弘(ひろ)がれり 四〇―四二
福なるかなグリフォネよ、この木口に甘しといへどもいたく腹をなやますがゆゑに汝これを啄(ついば)まず。 四三―四五
たくましき木のまはりにて衆かくよばはれば、かの二樣の獸は、すべての義の種かくのごとくにして保たるといひ 四六―四八
曳き來れる轅(ながえ)にむかひつゝこれを裸なる幹の下(もと)にひきよせ、その小枝をもてこれにつなげり 四九―五一
大いなる光天上の魚の後(うしろ)にかゞやく光にまじりて降るとき、わが世の草木(くさき) 五二―五四
膨れいで、日がその駿馬(しゆんめ)を他の星の下に裝はざるまに、各□その色をもて姿を新たにするごとく 五五―五七
さきに枝のさびれしこの木、薔薇(ばら)より淡(うす)く菫より濃き色をいだして新たになりぬ 五八―六〇
このときかの民うたへるも我その歌の意(こゝろ)を解(げ)せず――世にうたはるゝことあらじ――またよく終りまで聞くをえざりき 六一―六三
我若しかの非情の目、その守(まもり)きびしきために高き價を拂へる目が、シリンガの事を聞きつゝ眠れる状(さま)を寫すをうべくば 六四―
我自らの眠れるさまを、恰も樣式(かた)を見てゑがく畫家の如くに録(しる)さんものを、巧みに睡りを現はす者にあらざればこの事望み難きがゆゑに ―六九
わがめさめし時にたゞちにうつりて語るらく、とある光の煌(きらめき)と起きよ汝何を爲すやとよばはる聲とはわが睡りの幕を裂きたり 七〇―七二
林檎(諸□の天使をしてその果(み)をしきりに求めしめ無窮の婚筵を天にいとなむ)の小さき花を見んため 七三―七五
ピエートロとジヨヴァンニとヤーコポと導かれて氣を失ひ、さらに大いなる睡りを破れる言葉をきゝて我にかへりて 七六―七八
その侶の減りたる――モイゼもエリアもあらざれば――とその師の衣の變りたるとをみしごとく 七九―八一
我もまた我にかへりてかの慈悲深き淑女、さきに流れに沿ひてわが歩履(あゆみ)をみちびけるもののわがほとりに立てるを見 八二―八四
いたくあやしみていひけるは。ベアトリーチェはいづこにありや。彼。新しき木葉(このは)の下にてその根の上に坐するを見よ 八五―八七
彼をかこめる組(くみ)をみよ、他はみないよ/\うるはしき奧深き歌をうたひつゝグリフォネの後(あと)より昇る。 八八―九〇
我は彼のなほかたれるや否やをしらず、そはわが心を塞ぎてほかにむかはしめざりし女既にわが目に入りたればなり 九一―九三
彼はかの二樣の獸の繋げる輦(くるま)をまもらんとてかしこに殘るもののごとくひとり眞(まこと)の地の上に坐し 九四―九六
七のニンフェは北風(アクイロネ)も南風(アウストロ)も消すあたはざる光を手にし、彼のまはりに身をもてまろき圍(かこひ)をつくれり 九七―九九
汝はこゝに少時(しばらく)林の人となり、その後かぎりなく我と倶にかのローマ即ちクリストをローマ人(びと)の中にかぞふる都の民のひとりとなるべし 一〇〇―一〇二
さればもとれる世を益せんため、目を今輦(くるま)にとめよ、しかして汝の見ることをかなたに歸るにおよびて記(しる)せ。 一〇三―一〇五
ベアトリーチェ斯く、また我はつゝしみてその命に從はんとのみ思ひゐたれば、心をも目をもその求むるところにむけたり 一〇六―一〇八
いと遠きところより雨の落つるとき、濃き雲の中より火の降るはやしといへども 一〇九―一一一
わが見しジョーヴェの鳥に及ばじ、この鳥木をわけ舞ひくだりて花と新しき葉と皮とをくだき 一一二―一一四
またその力を極めて輦(くるま)を打てば、輦はゆらぎてさながら嵐の中なる船の、浪にゆすられ、忽ち右舷忽ち左舷に傾くに似たりき 一一五―一一七
我また見しにすべての良き食物(くひもの)に饑うとみゆる一匹の牝狐かの凱旋車の車内にかけいりぬ 一一八―一二〇
されどわが淑女はその穢(けがら)はしき罪を責めてこれを逐ひ、肉なき骨のこれに許すかぎりわしらしむ 一二一―一二三
我また見しにかの鷲はじめのごとく舞下りて車の匣(はこ)の内に入り己が羽をかしこに散(ちら)して飛去りぬ 一二四―一二六
この時なやめる心よりいづるごとき聲天よりいでていひけるは。ああわが小舟(をぶね)よ、汝の積める荷はいかにあしきかな。 一二七―一二九
次にはわれ輪と輪の間の地ひらくがごときをおぼえ、またその中より一の龍のいで來るをみたり、この者尾をあげて輦(くるま)を刺し 一三〇―一三二
やがて螫(はり)を收むる蜂のごとくその魔性の尾を引縮め車底の一部を引出(ひきいだ)して紆曲(うね)りつつ去りゆけり 一三三―一三五
殘れる物は肥えたる土の草におけるがごとく羽(おそらくは健全(すこやか)にして厚き志よりさゝげられたる)に 一三六―一三八
おほはれ、左右の輪及び轅(ながえ)もまたたゞちに――その早きこと一の歎息(ためいき)の口を開く間にまされり――これにおほはる 一三九―一四一
さてかく變りて後この聖なる建物(たてもの)その處々(ところ/″\)より頭を出せり、即ち轅よりは三、稜(かど)よりはみな一を出せり 一四二―一四四
前の三には牡牛のごとき角あれども後の四には額に一の角あるのみ、げにかく寄(くす)しき物かつてあらはれし例(ためし)なし 一四五―一四七
その上には高山(たかやま)の上の城のごとく安らかに坐し、しきりにあたりをみまはしゐたるひとりのしまりなき遊女(あそびめ)ありき 一四八―一五〇
我また見しにあたかもかの女の奪ひ去らるゝを防ぐがごとく、ひとりの巨人その傍に立ちてしば/\これと接吻(くちづけ)したり 一五一―一五三
されど女がその定まらずみだりなる目を我にむくるや、かの心猛き馴染(なじみ)頭より足にいたるまでこれを策(むちう)ち 一五四―一五六
かくて嫉みと怒りにたへかね、異形(いぎやう)の物を釋き放ちて林の奧に曳入るれば、たゞこの林盾(たて)となりて 一五七―一五九
遊女(あそびめ)も奇(くす)しき獸も見えざりき 一六〇―一六二


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   第三十三曲

神よ異邦人(ことくにびと)は來れり、淑女等涙を流しつゝ、忽ちみたり忽ちよたり、かはる/″\詞を次ぎてうるはしき歌をうたひいづれば 一―三
ベアトリーチェは憐み歎きて、さながら十字架のほとりのマリアのごとく變りつゝ、彼等に耳をかたむけぬ 四―六
されどかの處女(をとめ)等彼にそのものいふ機(をり)を與へしとき、色あたかも火のごとく、たちあがりて 七―九
わが愛する姉妹等よ、少時(しばらく)せば汝等我を見ず、またしばらくせば我を見るべしと答へ 一〇―一二
後七者(なゝたり)をこと/″\くその前におき、我と淑女と殘れる聖(ひじり)とをたゞ表示(しるし)によりてその後(うしろ)におくれり 一三―一五
彼かくして進み、その第十歩の足いまだ地につかじとおもはるゝころ、己が目をもてわが目を射 一六―一八
容(かたち)を和らげて我に曰ふ。とく來れ、さらば我汝とかたるに、汝我に近くしてよくわが言(ことば)を聽くをえむ。 一九―二一
我その命にしたがひて彼の許にいたれるとき、彼たゞちにいふ。兄弟よ、汝今我と倶にゆきて何ぞ敢て我に問はざるや。 二二―二四
たとへば長者のまへに、敬ひはゞかりてものいふ人の、その聲を齊(とゝの)ふるをえざるごとく 二五―二七
我もまた言葉を亂していひけるは。わが淑女よ、汝はわが求むるものとこれに適(ふさ)はしきものとを知る。 二八―三〇
彼我に。汝今より後怖れと恥の縺れをはなれよ、さらば再び夢見る人のごとくものいふなからむ 三一―三三
知るべし蛇の破れる器(うつは)はさきにありしもいまあらず、されど罪ある者をして、神の復讐がサッピを恐れざるを信ぜしめよ 三四―三六
羽を輦(くるま)に殘してこれを異形(いぎやう)の物とならしめその後獲物(えもの)とならしめし鷲は常に世繼なきことあらじ 三七―三九
そは一切の妨碍障礙を離れし星の、一の時を來らせんとてはや近づくを我あきらかに見ればなり(此故に我これを告ぐ) 四〇―四二
この時來らば神より遣はされし一の五百と十と五とは、かの盜人をばこれと共に罪を犯す巨人とともに殺すべし 四三―四五
おそらくはわが告ぐることテミ、スフィンジェの如くおぼろにて、その智を暗ます状(さま)また彼等と等しければ汝さとるをえじ 四六―四八
されどこの事速かに起りてナイアーデとなり、羊、穀物(こくもつ)の損害(そこなひ)なくしてこのむづかしき謎を解かむ 四九―五一
心にとめよ、しかして死までの一走(ひとはしり)なる生をうけて生くる者等にこれらの語(ことば)をわがいへるごとく傳へよ 五二―五四
またこれを録(しる)すとき、こゝにて既に二度(たび)までも掠められたる樹についてすべて汝の見しことを隱すべからざるを忘るゝなかれ 五五―五七
凡そこれを掠め又はこれを折る者は行爲(おこなひ)の謗※(ばうとく)[#「讀+言」、209-8]をもて神に逆らふ、そは神はたゞ己のためにとてこれを聖なる者に造りたまひたればなり 五八―六〇
これを噛めるがゆゑに第一の魂は、噛める罪の罰を自ら受けしものを待ちつゝ、苦しみと願ひの中に五千年餘の時を經たりき 六一―六三
若しことさらなる理によりてこの樹かく秀でその頂かくうらがへるを思はずば汝の才は眠れるなり 六四―六六
また若し諸□の空しき想(おもひ)汝の心の周邊(まはり)にてエルザの水とならず、この想より起る樂しみ桑を染めしピラーモとならざりせば 六七―六九
たゞかく多くの事柄によりて、汝はこの樹の禁制(いましめ)のうちに神の正義の眞(まこと)の意義を認めしものを 七〇―七二
我見るに汝の智石に變り、石となりてかつ黒きがゆゑに、わが言(ことば)の光汝の目をしてまばゆからしむ、されどわがなほ汝に望むところは 七三―
汝がこの言を心に畫(ゑが)きて(たとひ書(しる)さざるも)こゝより携へ歸るにあり、かくするは巡禮が棕櫚にて卷ける杖を持つとその理(ことわり)相同じ。 ―七八
我。あたかも印の形をとゞめてこれを變へざる蝋のごとく、わが腦は今汝の捺(お)せし象(かた)をうく 七九―八一
されどなつかしき汝の言の高く飛びてわが目およはず、いよ/\みんとつとむればいよ/\みえざるは何故ぞや。 八二―八四
彼曰ふ。こは汝が汝の學べるところのものをかへりみて、その教へのわが語(ことば)にともなふをうるや否やを見 八五―八七
しかして汝等の道の神の道に遠ざかることかのいと高き疾き天の地を離るゝごとくなるをさとるをえんためぞかし。 八八―九〇
是に於てか我答へて彼に曰ふ。我は一度(たび)も汝を離れしことあるを覺えず、良心我を責めざるなり。 九一―九三
彼笑(ゑ)みつゝ答へて曰ふ。汝覺ゆるあたはずば、いざ思ひいでよ今日(けふ)この日汝がレーテの水を飮めるを 九四―九六
それ烟をみて火あるを知る、かく忘るゝといふことは他(ほか)に移りし汝の思ひに罪あることをさだかに證(あかし)す 九七―九九
げにこの後はわが詞いとあらはになりて、汝の粗(あら)き目にもみゆるにふさはしかるべし。 一〇〇―一〇二
光いよ/\はげしくして歩(あゆみ)いよ/\遲き日は、見る處の異なるにつれてこゝかしこにあらはるゝ亭午の圈を占めゐたり 一〇三―一〇五
この時あたかも導者となりて群(むれ)よりさきにゆく人が、みなれぬものをその路に見てとゞまるごとく 一〇六―一〇八
七人(なゝたり)の淑女は、とある仄闇(ほのぐら)き蔭(縁の葉黒き枝の下なる冷やかなる流れの上にアルペの投ぐる陰に似たる)果(はつ)る處にとゞまれり 一〇九―一一一
我は彼等の前にエウフラーテスとティーグリと一の泉より出で、わかれてゆくのおそきこと友のごときを見しとおぼえぬ 一一二―一一四
あゝ光よ、すべて人たる者の尊榮(さかえ)よ、かく一の源よりあふれいでてわかれ流るゝ水は何ぞや。 一一五―一一七
わがこの問ひに答へて曰ふ。マテルダに請ひ彼をしてこれを汝に告げしめよ。この時かの美しき淑女、罪を辨解(いひひら)く人のごとく 一一八―
答ふらく。さきに我この事をもほかの事をも彼に告げたり、またレーテの水いかでかこれを忘れしめんや。 ―一二三
ベアトリーチェ。さらにつよく心を惹(ひ)きてしば/\記憶を奪ふもの、彼の智(さとり)の目を昧(くら)ませしなるべし 一二四―一二六
されど見よかしこに流るゝエウノエを、汝かなたに彼をみちびき、汝の常に爲す如く、その萎(な)えたる力をふたゝび生かせ。 一二七―一二九
たとへば他人(ひと)の願ひ表示(しるし)となりて外部(そと)にあらはるゝとき、尊(たふと)き魂言遁(いひのが)るゝことをせず、たゞちにこれを己が願ひとなすごとく 一三〇―一三二
美しき淑女我を拉(ひ)きてすゝみ、またスターツィオにむかひてしとやかに、彼と倶に來(こ)よといふ 一三三―一三五
讀者よ、我に餘白の滿(みた)すべきあらば、飮めども飽かざる水の甘(うま)さをいさゝかなりともうたはんものを 一三六―一三八
第二の歌に充(あ)てし紙はやみなこゝに盡きたるがゆゑに、技巧の手綱にとゞめられて我またさきにゆきがたし 一三九―一四一
さていと聖なる浪より歸れば、我はあたかも若葉のいでて新たになれる若木のごとく、すべてあらたまり 一四二―一四四
清くして、諸□の星にいたるにふさはしかりき 一四五―一四七


[#改丁]



       註


    第一曲

ダンテ、ウェルギリウスと淨火の海濱に立ち、こゝに島守カトーにあふ、カトー詩人等のこゝに來れる次第をききてその登山を許し且つウェルギリウスに命じまづ岸邊の藺をダンテの腰に束ねまた彼の顏を洗ひて地獄の穢れを除かしむ
一―三
【酷き海を】地獄の刑罰の如き恐ろしき詩材をはなれ
【優れる水を】淨火の歌をうたはんとて
四―六
【第二の王國】淨火即ち救はれし魂天堂にいたるの前まづその罪を淨むる處。當時寺院の教ふるところによれば淨火は地獄に接してこれと同じく地下にあり、これをかく南半球の孤島に聳ゆる美しき山となせるはダンテの創意なり
七―一二
【ムーゼ】ムーサ、詩・音樂等を司る女神(地、二・七―九註參照)
【汝等のもの】汝等を尊崇するもの
【死せる詩】滅亡の民を歌へる詩。これを再起せしむるは望み絶えざる淨火の民をうたはんためなり
【カルリオペ】ムーサの一にして史詩を司る
【ピーケ】テッサリア王ピロスの九人の女。ムーサを侮りこれと歌を競(くら)べんことを求む、カルリオペ即ちムーサの代表者となりこれに應じて勝ち、彼等のなほ罵るを惡み變じて鵲となす(オウィディウスの『メタモルフォセス』五・三〇二以下)
【赦】彼等の僭上に對する
一三―一五
【碧玉】ブーチの註に曰。碧玉に二種あり、一を東の碧玉といふ、東の方メディアの産なればなり、この珠他の一種のものにまさりて光を透さず云々
【第一の圓】地平線。即ち地平線にいたるまで一天蒼碧となれるをいふ
ムーア本には「清き中空(なかぞら)より第一の圓にいたるまでのどけき姿にあつまりて」とあり
一六―一八
【死せる空氣】暗き地獄の空氣
一九―二一
【戀にいざなふ】その光によりて(天、八・一以下參照)
【美しき星】金星即ちこゝにては明(あけ)の明星
【雙魚】金星の光強くしてこれとともにめぐる雙魚宮の星の光を消せるなり
以上四月十日早朝の景を敍せるなり、金星この時雙魚宮にありとすれば時は日出前一時と二時の間即ち午前四時と五時の間の頃なるべし(地、一一・一一二―四註參照)
二二―二四
【第一の民】アダムとエヴァ。彼等樂園を逐はれし後は南半球に人の住めることなし
【四の星】想像の四星。註繹者曰、四星は四大徳即ち思慮、公義、剛氣及び節制を表はすと
二五―二七
【北の地】人の住む處なる北半球。星を見ざるは徳の光を失へるなり
三一―三三
【翁】マルクス・ポルチウス・カトー・ウティチェンシス(前九五―四六年)。自由を唱道してポムペイウスに與(くみ)せしがポムペイウス、カエサルに敗らるゝに及びウティカに退き自刃して死す
カトーは自由の保護者として淨火の島の島守となり、罪の覊絆を脱却して靈の自由を求むる魂等を勵ますなり、ダンテは他の著作に於ても屡□カトーを激賞せり(『デ・モナルキア』二、五・一三二以下。『コンヴィヴィオ』四、二八・一二一以下等)
又カトーは自殺者として地獄の第七圈に罰せらるべきものなれども古來俗衆の間にてもまた寺院内にても彼の尊重せらるゝこと深く且つウェルギリウス自身その『アエネアス』の中に彼を敬虔なる者の首長となして彼等に法を與へしめたれば(八・六七〇)ダンテも彼にかゝる大切なる地位を保たしめしなり
四〇―四二
カトーは兩詩人を地獄より逃げ來れる魂なりとおもへるなり
【失明の川】闇を流るゝ地下の小川(地、三四・一二七以下)
四六―四八
【淵の律法】地獄の律法即ち地獄に罰せらるゝものその刑場を離るゝをえざるをいふ
四九―五一
【目】原文、眉。ウェルギリウスはダンテをして跪き且つ目を垂れしめしなり
五二―五四
【淑女】ベアトリーチェ(地、二・五二以下參照)
五八―六〇
【最後の夕をみず】死せるにあらず。神恩全く絶えて靈的生命を失へるにあらざる意を寓せり
【たゞいと短き】或ひは、今少時(しばらく)せばその踵をめぐらしがたし
六一―六三
【路ほかに】地、一・九一以下及び一一二以下參照
六七―六九
【詞】教へ(九四行以下)
七〇―七二
【自由】罪を離れて靈の自由を得ること
七三―七五
【そがために】カトーは自由を失ひて世に生きんより自由の身として世を去らんとて死せるなり(『デ・モナルキア』二、五・一三六以下參照)、その求めし自由は政治上の自由なれども靈の自由と基づくところ相同じ
【大いなる日】最後の審判の日
【衣】肉體
七六―八一
【ミノス】地獄の法官(地、五・四以下)
【マルチア】カトーの妻(『コンヴィヴィオ』四、二八・九七以下參照)リムボにあり(地、四・一二八)
八二―八四
【七の國】淨火の七圈
八五―八七
【世に】原文、かなたに。以下この例多し、一々註せず
八八―九〇
【禍ひの川】アケロンテ(地、三・七〇以下參照)
【かしこを出し】リムボを出し
スカルタッツィニ曰。カトーの死はキリスト(クリスト)の死より早きこと約八十年なり、而してキリストの地獄を訪はざりしさきには人の魂救はれしことなし(地、四・六三)さればカトーもまた多くの魂とともにリムボにありて救ひの日即ち權威ある者の地獄に來る日を待てるなるべし
【律法】救はれし者は地獄に罰をうくるもののためにその心を動かすをえず(ルカ、一六・二六參照)
九四―九六
【齎】罪を淨むるにあたりて最も主要の徳なる謙遜のしるし
【汚穢】地獄の空氣よりうけし
九七―九九
【霧】地獄の
【最初の使者】淨火の門を守る天使(淨、九・七六以下)
一〇三―一〇五
【打たれて】浪に。藺はよく屈折して打つ浪に逆はざるが故に水際に生を保てども他の草木は然らず
謙遜の人は心を屈して神に從ふがゆゑによく刑罰に耐へてその罪を淨むるをうれども、この徳は有せざる人はしからず
一一二―一一四
【端】水際
【後に】詩人等北極の方に向ひてカトーを見、後うしろにむかひて海濱にいたる、知るべし彼等のはじめ島の南方にあらはれしを
一一五―一一七
【朝の時】l'ora mattutina 曉の前、明方(あけがた)近き夜の時をいふ。殘りの闇曉に追はれて逃げゆき、海のさゞ波みゆるなり
或日。ora は微風なり、日出前の微風黎明に追はれて海原遠く小波をたゝふるをいふと
一二一―一二三
【日と戰ひ】長く日の光に耐ふるをいふ
一二七―一二九
【涙】地獄にて流せる
【色】本來の色。ウェルギリウスは地獄の惡氣のために汚れしダンテの顏を露にて洗ひ、再びもとの色にかへせり
一三〇―一三二
【歸りしことなき】地、二六・一三九―四一並びに註參照
一三三―一三六
【かの翁】原文、他の者(altrui)
【再び】穗は頒つによりて減ずることなし


    第二曲

詩人等なほ汀に立てるに、ひとりの天使船をあやつりて岸に着き一群の魂を置きて去る、ダンテの友カセルラこの魂の中にあり、請はれて戀歌をうたふ、衆その聲のうるはしきにめで、とゞまりてこれに耳を傾け、つひにカトーの戒めを受く
一―三
四月十日午前六時に近き頃即ち淨火の朝イエルサレム(ゼレサレムメ)の夕、イスパニアの晝、インドの夜なり
【天涯】イエルサレムは北半球の子午線のいと高き處にあり(地、三四・一一二―七註參照)、しかして淨火はイエルサレムの反對面にあるが故にその地平線は即ち聖都の地平線と同じ
四―六
【夜】夜(即ち夜半)は日と反對の天にあり(地、二四・一―三註參照)而して日は此時白羊宮にあるがゆゑに夜はその反對面の天宮即ち天秤宮にあり、日の登るに從つて夜はインドなるガンジスの河口を去り、次第に西に向ふ
【その手より落つ】秋分にいたれば日天秤宮に入る、これ故に天秤夜の手を離るといへり、秋分以降夜は次第に晝より長し
七―九
【アウローラ】エオス、明方(あけがた)の空色を朝の女神と見做せるなり。この色始め白く後赤く日出づるに及びて橙黄色となる、恰も女神の老ゆるにつれてその頬の色變るに似たり
一〇―一二
【路のことをおもひて】路定かならざるため
一三―一五
【濃き霧】火星の赤色に濃淡あるはこれを蔽ふ水氣の厚薄によるといふこと『コンヴィヴィオ』二、一四・一六一以下に見ゆ
一六―一八
【光】天使
【あゝ我】死後救はるゝものの群に入りて再びこの光を見るをえんことを
二二―二四
【白き物】光の左右の白き物は天使の翼下方の白き物はその衣なり
三一―三三
【隔たれる】テーヴェレ(テーヴェル・テーヴェロ)の河口(一〇〇―一〇二行並びに註參照)と淨火の島の間の如く遠くへだたれる
三四―三六
【朽つべき毛】鳥の羽等
三七―三九
【神の鳥】天使。翼あるによりて鳥といふ
四三―四五
【福その】parea beato per iscripto 消えざる福その姿にあらはる
異本。far□a beato pur descritto その姿振舞いと尊ければ彼を見ずともたゞそのありさまを聞くのみにて人福をえんとの意
四六―四八
【イスラエル】詩篇一一四の初めにあり、イスラエルの族エヂプトを出で奴隷の境界を脱して神の自由民となれりとの聖經の歴史には魂罪の絆を離れ榮光かぎりなき自由を得るの意含まるゝがゆゑに(『コンヴィヴィオ』三、一・五二以下及びダンテがカン・グランデ・デルラ・スカーラに與ふる書一四九行以下參照)新たに來れる魂等特にこの聖歌をうたへるなり
五五―五七
【磨羯】白羊宮地平線上にある時磨羯宮は中天にあり、白羊宮の太陽次第に登るに從ひ磨羯宮は中天より次第に西方に傾きはじむ
六七―六九
【呼吸】地、二三・八八參照
七〇―七二
【橄欖】橄欖の枝は古へ平和のしるしとして用ゐしものなりしがダンテの時代にては平和勝利等おしなべて吉報を齎らす使者これを手にする例なりきといふ
七三―七五
【美しくする】罪を淨むる
七六―七八
【ひとり】カセルラ。ダンテの親友にして歌を善くす、傳不詳
七九―八一
【三度】『アエネイス』(六・七〇〇以下)にアエネアス冥府にくだりて父アンキセスの魂にあひ三度これを抱かんとせることいづ、その一節に曰く
抱けどかひなし父の姿はたゞ輕き風かりそめの夢にひとしく三度(みたび)その手をはなれたり
八八―九〇
【紲】肉體の
九一―九三
【再び】この旅路の教訓に基づきて徳の生涯を送り、死後救ひを得て魂再びこの處に歸らんため
【かく多く時を】汝の死せるは久しき以前のことなるに今漸くこゝに來れるは何故ぞや
異本、「かく大いなる國」(即ち淨火)とあり、意の歸する所同じ
九四―九六
【もの】載すべき時を定め載すべき魂をえらびてこれを船に載せ淨火の島に送る天使
九七―九九
【正しき意】天意
【三月の間】法王ボニファキウス八世の令旨の中なる大赦の初めの日、即ち一二九九年のキリスト降誕祭より(地、一八・二八―三〇註參照)一三〇〇年四月十日まで三箇月餘の間をいふ。大赦の恩惠に浴するもの悉く天使の船に乘るをうるなり
テーヴェレの河口に集まる魂皆船に乘るをうれども生前の徳不徳によりてその乘るに先後あり、さればカセルラも屡□天使に拒まれて空しく時をすごせるうちジユビレーオの年いたりて特に渡海を許されしなり
一〇〇―一〇二
【テーヴェロ】ローマを過ぐる著名の川なればローマの寺院を代表す、地獄に下らざるもの萬國よりこの河口にあつまるといへるは寺院が救はるゝ魂を神と結びて淨めの途につかしむるを示せるなり
一〇三―一〇五
【アケロンテ】地獄の川(地、三・七〇以下)
一〇六―一〇八
【律法】境遇の變化にともなひて新たなる天の律法のもとにおかれ、そのため昔の技能をあらはす能はざるにあらずば
一一二―一一四
【わが心の中に】Amor che ne la mente mi ragiona ダンテの歌集にある歌の始めの一行なり、『コンヴィヴィオ』第三篇にこの歌の解釋いづ、古註にはカセルラこれが譜を作れりといへり
一一八―一二〇
【翁】カトー
一二一―一二三
【穢】scoglio 蛇の皮魚の鱗等のごとく魂をつゝむ罪の汚れ
一二七―一二九
【まさる願ひ】危きを避くるの願ひ食を求むるの願ひに勝ちて


    第三曲

詩人等やがて山の麓にいたれるに岩石高くして登るをえざればかなたより歩み來れる一群の靈を迎へてこれに路を問ひその教へをきく、彼等の一なるマンフレディ己が身の上をダンテにあかし且つ寺院に背きて死せるものの刑罰をうくるさまを述ぶ
一―三
【理性】理性の聲人をはげまして淨めの道に就かしむ
或日。ragion は神の正義なり fruga は懲すなり、神の正義淨火の山に人を懲すをいふと
四―六
【伴侶】ウェルギリウス
七―九
【みづから】船より下れる魂等はカトーの戒めをききて悔い、ウェルギリウスは自ら省みて悔ゆ
一〇―一二
【狹まれる】カセルラの事及びカトーの戒めにのみその思ひの集中せるをいふ
一三―一五
【求むる】こゝにては處のさまを知るを願ふこと
一九―二一
【棄てられし】ウェルギリウスに。ダンテはウェルギリウスの靈にして影なきを思はず、己獨りを殘して去れるにあらずやと疑へるなり
二五―二七
【夕】淨火の午前六時過はイエルサレムの午後六時過にあたる、イタリアは聖都とイスパニアの中央にあればこの時既に夕(午後三時過)なり(淨、一五・一―六註參照)
【ブランディツィオ】ブルンディジウム、ブリンディシ。イタリアの南アドリアティコ海濱の町
紀元前一九年ヴェルギリウス、ブルンディジウムに死す、皇帝オクタウィアヌス・アウグストゥス命を下してその遺骸をナポリに移し厚くこゝにこれを葬る
二八―三〇
【光を堰かざる】諸天は透明なれば一天より出る光他の天のためにせかるゝことなし
三一―三三
【威力】神の
【かゝる】わが體(からだ)の如く影もなき
【されど】神の大能のいかなるさまにはたらくやは人知らず
三四―三六
若し人智をもて神のきはみなきみわざを知り盡しうべしとおもふ者あらば
三七―三九
【事を事として】al quia(=ch□)たゞ事物の事物たるを知りて何故に然るやを究めんとせざるをいふ
【マリアは子を】キリストの出現によりて人はじめて天啓をうくるに及ばざりしなるべし
四〇―四二
リムボにとゞまる聖賢の如く一切を知るの願ひを果すに最も適せる人々すら世にその願ひを成就するにいたらず、今や却つて望みなき願ひのために(地、四・四二)永遠の憂ひをいだく
四三―四五
【アリストーテレ、プラトー】アリストテレス、プラトン。倶にリムボにあり(地、四・一三一―二及び一三四)
【思ひなやみて】ウェルギリウスも彼等と境遇を同じうすればなり(地、四・三七―九參照)
四九―五一
【レリーチェとツルビア】レリーチェはスペチア灣(ゼノーヴァの東南)に臨める古城、ツルビアはフランス領ニースに近き町。この兩地の間はほゞリグーリアの海濱といふに同じく、東西リヴィエーラに分たれ、連山高くゼーノヴァ灣上に突出す
五八―六〇
【一群の魂】悔い改めて世を去れるも寺院と和することをせざりし者
【おそく】救ひに入るのおそきを表示す
六四―六六
【望み】路を聞くをうるの望み
七〇―七二
【岸】山側
【動かず】道行く人、物におそれてその足をとゞむる如く魂等は詩人等が彼等に路を問はんとて左に進みいづるを見、その淨火の通則に反するをあやしみてとゞまれるなり
滅亡(ほろび)の路は常に左にむかひ(地、九・一三〇―三二註參照)救ひの路は常に右にむかふ
七三―七五
【福に終れる】神と和して死せる
【選ばれし】えらばれて救ひの路にある
七六―七八
【知ること】路を知らずして歩めば時を失ふ、しかして人はその智進むに從つていよ/\時の重んずべきを知る
八八―九〇
【右に】詩人等路を問はんとて左にむかへるがゆゑに山右に、日左にあり
九七―九九
【壁】山の嶮なるをいへり
一〇三―一〇五
【ひとり】マンフレディ。皇帝フリートリヒ二世の庶子、一二三一年の頃シケリアに生れ一二五八年より同六六年までナポリ及びシケリアに王たり、ローマの寺院その放逸を惡みこれと相敵視すること久し、法王クレメンス四世、フランス王聖ルイの弟なるシャルル・ダンジューを招きてこれにマンフレディの領地を與ふることを約す、一二六六年一月シヤルル、ナポリ王國を攻む、マンフレディ敗れ、同年二月ベネヴェントの戰ひに死す(地二八・一三―八註參照)
一一二―一一四
【コスタンツァ】コンスタンツェ。皇帝ハインリヒ六世の妃にしてフリートリヒ二世の母なり(天、三・一一八―二〇並びに註參照)。マンフレディは庶子なればこゝに父の名をいはずして祖母の名ないへるなり
一一五―一一七
【名譽の母】王位に登れる者の母
【女】マンフレディの女にして曾祖母と同じく名をコンスタンツェといふ、アラゴン(イスパニア)王ペドロ(ピエートロ)三世の妃となりアルフォンソ、ヤーコモ、フェデリーコの三子を生めり、一二九一年アルフォンソ死して後ヤーコモはアラゴンにフェデリーコはシケリアに王たり(淨、七・一一五以下並びに註參照)
【實】寺院の破門をうけしをもて世の人我を地獄に罰せらると思はば、汝コスタンツァに我の淨火にあるを告げよ
一一八―一二〇
身は戰場に殪れ、魂神のもとに歸れり
一二一―一二三
【されど】神は喜びてすべてそのもとにかへるものをうけいれ給ふ
一二四―一二六
【コセンツァの牧者】コセンツァはイタリアの南カラブリア州にある町の名なり、牧者(コセンツァの大僧正)の誰なりしやはあきらかならず
法王クレメンス四世の命によりてかの大僧正、マンフレディの遺骸をベネヴェント附近なるその墓より掘出しこれをヴェルデの川邊に棄てたりとの説あるによれるなり
【この教へ】原文、この頁。註釋者多くはヨハネ、六・三七を引照す。かの大僧正その頃もしよくこの聖語をさとりたらんには敢てわが遺骨に侮辱を加ふることなかりしなるべし
一二七―一二九
【堆石】シヤルル・ダンジューの兵士等がその遺骸の上に積める小石
一三〇―一三二
【王土】ナポリ王國
【ヴェルデ】ナポリ王國國境の一部を洗ふガリリアーノ川のことなるべしといふ、異説多し
【消せる燈火】普通の葬儀の時と異なり蝋燭に火を點せざるをいふ
一三三―一三五
【縁の一點】植物の全く枯れ果てずして縁なるところあるごとく人未だ死せずして悔いて神に歸るをうべき一縷の望みある間は
【彼等】牧者等
【永遠の愛】神の恩愛再びその人に臨む能はざるにいたることなし
一三六―一四一
寺院に破門せられしものはたとひ悔いて後死すともその破門の中にへし年月の三十倍の間は淨火門外の山麓にとゞまるのみにて罪の淨めをうくるをえず
【善き祈り】世に住む善人彼等のために神に祈れば彼等は三十倍の時過ぎざる先に淨火門内に入ることをう
一四二―一四四
【コスタンツァ】即ちマンフレディの女
【禁制】世人の祈りによらざれば、定まれる時過ぐるまで淨火の門内に入るあたはざること
【悦ばす】わがために善人の祈りを求めて
一四五
【こゝ】淨火全體を指す、善人祈りによりて淨火の靈をたすくるをうとは當時寺院の教へしところなり、この事以下處々にいづ(淨、四・一三〇以下、六・二五以下、一一・三一以下等)


    第四曲

詩人等狹き岩間の路をのぼりてとある高臺にいたりその上にいこふ、導者こゝに日の左よりいづる所以をダンテに説きあかし、後共に一巨岩に近づきて多くの魂をそのうしろに見る、即ち怠惰のため死に臨みてはじめて悔改めし魂なり、彼等の一ベラックワ、ダンテとかたりこれに己が境遇を告ぐ
一―六
喜び又は悲しみ等の強き刺激をうけて魂心の能力の一(即ち喜び又は悲しみを感ずる)に集まれば他の能力のはたらきすべて止むに似たり、さればプラトン學派の唱ふる如く人に多くの魂ありとなすは誤りなり、そをいかにといふにもし魂多からば一の魂一方に集まるとも他の魂よく他方を顧みるをうればなり
一〇―一二
單なる視聽の能力は強き刺激をうけて魂を獨占する能力と異なる、後者にありてはその能力刺激を與ふるものに固定し(繋がる)て活動の自由を失へども前者にありてはしからず
一三―一八
【かの靈】マンフレディの
【五十度】日の登ること一時間に十五度なれば今は日出後三時二十分即ち年前九時過なり
一九―二四
【たゞ一束】原文、たゞ一熊手
葡萄熟する頃農夫垣根の孔を塞ぎて盜人の入るを防ぐなり
二五―二七
【サンレオ】ウルビーノ市(中部イタリア)附近の小さき町にて嶮しき山の上にあり
【ノーリ】西リヴィエーラ(淨、三・四九―五一註參照)の中サーヴォナとアルベンガの間にある小さき町にて絶壁の下にあり
【ビスマントヴァ】エミリア州レッジオ地方の嶮山の名
二八―三〇
【わが光となりし】理性の光によりてわが行路を照らせる
こゝを登らんとするものはわがなせる如く信頼すべき導者に從ひ徳に進まむとの深き願ひをその羽翼として飛ばざるべからず
三一―三三
【崖】原文、端。即ち左右の岩の縁(ふち)
三四―三六
【高き陵】山の下方を指す
【上縁】岩間の狹路盡くるところ
三七―三九
【枉ぐる】歩を左右に轉ずる
四〇―四二
【象限の中央の線】原文、半象限より中心(圓の)にいたる線。即ち四十五度の角度
四六―四八
【バルツォ】balzo 岩石の山腹より突出せる處。詩人等の目の及ぶかぎり一帶をなして山を圍繞せり
四九―五一
【圓】即ちバルツォ
五五―五七
【あやしめり】わが世界にては東に向ふ人日が右の方(即ち南の方)にかたよるを見る例なればなり
五八―六〇
【光の車】太陽
【アクイロネ】北の風。こゝにては北を指す
六一―六三
【若し】もし太陽雙兒宮にありて
【カストレとポルルーチェ】カストルとポリュデウケース。ゼウスとレダの間の二子。化して宿星(雙兒宮の)となれりといふ
【鏡】太陽。
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