神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

我はあたかも固體のごとく魂をあしらひたればなり 一三六―一三八


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   第二十二曲

我等すでに天使をあとにす(こは我等を第六の圓にむかはせ、わが顏より一の疵をとりのぞける天使なり 一―三
彼は我等に義を慕ふ者の福なることを告げたり、而してその詞はたゞシチウントをもてこれを結びき) 四―六
また我は他(ほか)の徑(こみち)を通れる時より身輕ければ、疲勞(つかれ)を覺ゆることなくしてかの足早き二の靈に從ひつゝ歩みゐたるに 七―九
このときヴィルジリオ曰ふ。徳の燃やせし愛はその焔一たび外にあらはるればまた他の愛を燃やすを常とす 一〇―一二
是故にジヨヴェナーレが地獄のリムボの中なる我等の間にくだりて汝の情愛を我に明(あか)せし時よりこの方 一三―一五
汝に對してわれ大いなる好意(よしみ)を持てり、實(げに)これより固くはまだ見ぬ者と結べる人なし、かかれば今は此等の段(きだ)も我に短しと見ゆるなるべし 一六―一八
されど告げよ――若し心安きあまりにわが手綱弛(ゆる)みなば請ふ友として我を赦し、今より友いとして我とかたれ 一九―二一
貪婪(むさぼり)はいかで汝の胸の中、汝の勵みによりて汝に滿ちみちしごとき大なる智慧の間に宿るをえしや。 二二―二四
これらの詞をききてスターツィオまづ少しく笑を含み、かくて答へて曰ひけるは。汝の言葉はみな我にとりて愛のなつかしき表象(しるし)なり 二五―二七
それまことの理(ことわり)かくるゝがゆゑに我等に誤りて疑ひを起さしむる物げにしば/\現はるゝことあり 二八―三〇
汝が我をば世に慾深かりし者なりきと信ずることは汝の問ひよく我に證(あかし)す、これ思ふにわがかの圈にゐたるによらむ 三一―三三
知るべし、我は却つてあまりに貪婪(むさぼり)に遠ざかれるため、幾千の月この放縱を罰せるなり 三四―三六
我若し汝が恰も人の性を憤るごとくさけびて、あゝ黄金(わうごん)の不淨の饑ゑよ汝人慾を導いていづこにか到らざらんと 三七―
いへる處に心をとめ、わが思ひを正さざりせば、今は轉(まろ)ばしつゝ憂(う)き牴觸を感ずるものを ―四二
かの時我は費(つひや)すにあたりて手のあまりにひろく翼を伸ぶるをうるを知り、これを悔ゆること他(ほか)の罪の如くなりき 四三―四五
それ無智のために生くる間も死に臨みてもこの罪を悔ゆるあたはず、後(のち)髮を削りて起き出づるにいたる者その數いくばくぞ 四六―四八
汝また知るべし、一の罪とともに、まさしくこれと相反する咎、その縁(みどり)をこゝに涸(か)らすを 四九―五一
是故にわれ罪を淨めんとてかの貪婪(むさぼり)のために歎く民の間にありきとも、これと反する愆(とが)のゆゑにこそこの事我に臨めるなれ。 五二―五四
牧歌の歌人いひけるは。汝ヨカスタの二重(ふたへ)の憂ひの酷(むご)き爭ひを歌へるころは 五五―五七
クリオがこの詩に汝と關渉(かゝりあ)ふさまをみるに、善行(よきおこなひ)にかくべからざる信仰未だ汝を信ある者となさざりしに似たり 五八―六〇
若し夫れ然らばいかなる日またはいかなる燭(ともしび)ぞや、汝がその後かの漁者に從ひて帆を揚ぐるにいたれるばかりに汝の闇を破りしは。 六一―六三
彼曰ふ。汝まづ我をパルナーゾの方(かた)にみちびきてその窟(いはや)に水を掬(むす)ぶをえしめ、後また我を照して神のみもとに向はしめたり 六四―六六
汝の爲すところはあたかも夜燈火(ともしび)を己が後(うしろ)に携へてゆき、自ら益を得ざれどもあとなる人々をさとくする者に似たりき 六七―六九
そは汝のいへる詞に、世改まり義と人の古歸り新しき族(やから)天より降るとあればなり 七〇―七二
我は汝によりて詩人となり汝によりて基督教徒(クリスティアーノ)となれり、されどわが概略(おほよそ)に畫(ゑが)ける物を尚良く汝に現はさんため我今手を伸(の)べて彩色(いろど)らん 七三―七五
眞(まこと)の信仰は永久(とこしへ)の國の使者等(つかひたち)に播かれてすでにあまねく世に滿ちたりしに 七六―七八
わが今引ける汝の言(ことば)、新しき道を傳ふる者とその調(しらべ)を同じうせしかば、彼等を訪(おとづ)るることわが習ひとなり 七九―八一
かのドミチアーンが彼等を責めなやまししとき、わが涙彼等の歎(なげき)にともなふばかりに我は彼等を聖なる者と思ふにいたれり 八二―八四
われは世に在る間彼等をたすけぬ、彼等の正しき習俗(ならはし)は我をして他(ほか)の教へをあなどらしめぬ 八五―八七
かくてわが詩にギリシア人(びと)を導きてテーべの流れに到らざるさきにわれ洗禮(バッテスモ)をうけしかど、公(おほやけ)の基督教徒(クリスティアーン)となるをおそれて 八八―九〇
久しく異教の下(もと)にかくれぬ、この微温(ぬるみ)なりき我に四百年餘の間第四の圈をめぐらしめしは 九一―九三
されば汝、かゝる幸(さいはひ)をかくしし葢をわがためにひらける者よ、若し知らば、我等が倶に登るをうべき道ある間に、我等の年へし 九四―
テレンツィオ、チェチリオ、プラウト及びヴァリオの何處(いづこ)にあるやを我に告げよ、告げよ彼等罪せらるゝや、そは何の地方に於てぞや。 ―九九
わが導者答ふらく。彼等もペルシオも我もその他の多くの者も、かのムーゼより最も多く乳を吸ひしギリシア人(びと)とともに 一〇〇―一〇二
無明(むみやう)の獄(ひとや)の第一の輪の中にあり、我等は我等の乳母(めのと)等の常にとゞまる山のことをしばしばかたる 一〇三―一〇五
エウリピデ、アンティフォンテ、シモニーデ、アガートネそのほかそのかみ桂樹(ラウロ)をもて額を飾れる多くのギリシア人かしこに我等と倶にあり 一〇六―一〇八
汝が歌へる人々の中(うち)にては、アンティゴネ、デイフィレ、アルジア及び昔の如く悲しむイスメーネあり 一〇九―一一一
ランジアを示せる女あり、ティレジアの女(むすめ)とテーティ、デイダーミアとその姉妹等あり。 一一二―一一四
登りをはりて壁を離れしふたりの詩人は、ふたゝびあたりを見ることに心ひかれて今ともに默(もだ)し 一一五―一一七
晝の四人(よたり)の侍婢(はしため)ははやあとに殘されて、第五の侍婢轅(ながえ)のもとにその燃ゆる尖(さき)をばたえず上げゐたり 一一八―一二〇
このときわが導者。思ふに我等は右の肩を縁(ふち)にむけ、山を□(めぐ)ること常の如くにせざるをえざらむ。 一二一―一二三
習慣(ならはし)はかしこにてかく我等の導(しるべ)となれり、しかしてかの貴き魂の肯(うけが)へるため我等いよいよ疑はずして路に就けり 一二四―一二六
彼等はさきに我ひとり後(あと)よりゆけり、我は彼等のかたる言葉に耳を傾け、詩作についての教へをきくをえたりしかど 一二七―一二九
このうるはしき物語たゞちにやみぬ、そは我等路の中央(たゞなか)に、香(にほひ)やはらかくして良き果(み)ある一本(ひともと)の木を見たればなり 一三〇―一三二
あたかも樅(もみ)の、枝また枝と高きに從つて細きが如く、かの木は思ふに人の登らざるためなるべし、低きに從つて細かりき 一三三―一三五
われらの路の塞がれる方(かた)にては、清き水高き岩より落ちて葉の上にのみちらばれり 一三六―一三八
ふたりの詩人樹にちかづけるに、一の聲葉の中よりさけびていふ。汝等はこの食物(くひもの)に事缺かむ。 一三九―一四一
又曰ふ。マリアは己が口(今汝等のために物言ふ)の事よりも、婚筵のたふとくして全からむことをおもへり 一四二―一四四
昔のローマの女等はその飮料(のみもの)に水を用ゐ、またダニエルロは食物(くひもの)をいやしみて知識をえたり 一四五―一四七
古(いにしへ)の代(よ)は黄金(こがね)の如く美しかりき、饑ゑて橡(つるばみ)を味(あぢ)よくし、渇きて小川を聖酒(ネッタレ)となす 一四八―一五〇
蜜と蝗蟲(いなご)とはかの洗禮者(バテイスタ)を曠野(あらの)にやしなへる糧(かて)なりき、是故に彼榮え、その大いなること 一五一―一五三
聖史の中にあらはるゝごとし。 一五四―一五六


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   第二十三曲

我はあたかも小鳥を逐ひて空しく日を送る者の爲すごとくかの青葉に目をとめゐたれば 一―三
父にまさる者いひけるは。子よ、いざ來れ、我等は定まれる時をわかちて善く用ゐざるをえざればなり。 四―六
われ目と歩(あゆみ)を齊(ひと)しく移して聖達(ひじりたち)に從ひ、その語ることを聞きつゝ行けども疲れをおぼえざりしに 七―九
見よ、歎(なげき)と歌ときこえぬ、主よわが唇をと唱ふるさま喜びとともに憂ひを生めり 一〇―一二
あゝやさしき父よ、我にきこゆるものは何ぞや。我斯くいへるに彼。こは魂なり、おそらくは行きつゝその負債(おひめ)の纈(むすび)を解くならむ。 一三―一五
たとへば物思ふ異郷の族人(たびびと)、路にて知らざる人々に追及(おひし)き、ふりむきてこれをみれども、その足をとゞめざるごとく 一六―一八
信心深き魂の一群(むれ)、もだしつゝ、我等よりもはやく歩みて後方(うしろ)より來り、過ぎ行かんとして我等を目安(まも)れり 一九―二一
彼等はいづれも眼(まなこ)窪みて光なく、顏あをざめ、その皮(かは)骨の形をあらはすほどに痩せゐたり 二二―二四
思ふに饑(う)ゑを恐るゝこといと大いなりしときのエリシトネといふともそのためにかく枯れて皮ばかりとはならざりしならむ 二五―二七
我わが心の中にいふ。マリアその子を啄(ついば)みしときイエルサレムを失へる民を見よ。 二八―三〇
眼窩(めあな)は珠(たま)なき指輪に似たりき、OMO(オモ)を人の顏に讀む者M(エムメ)をさだかに認めしなるべし 三一―三三
若しその由來を知らずば誰か信ぜん、果實(このみ)と水の香(かをり)、劇しき慾を生みて、かく力をあらはさんとは 三四―三六
彼等の痩すると膚(はだ)いたはしく荒るゝ原因(もと)未だ明(あきら)かならざりしため、その何故にかく饑ゑしやを我今異(あや)しみゐたりしに 三七―三九
見よ、一の魂、頭(かうべ)の深處(ふかみ)より目を我にむけてつら/\視、かくて高くさけびて、こはわがためにいかなる恩惠(めぐみ)ぞやといふ 四〇―四二
我何ぞ顏を見て彼の誰なるを知るをえむ、されどその姿の毀てるものその聲にあらはれき 四三―四五
この火花はかの變れる貌(かたち)にかゝはるわが凡ての記憶を燃やし、我はフォレーゼの顏をみとめぬ 四六―四八
彼請ひていふ。あゝ、乾ける痂(かさぶた)わが膚(はだ)の色を奪ひ、またわが肉乏しとも、汝これに心をとめず 四九―五一
故に汝の身の上と汝を導くかしこの二の魂の誰なるやを告げよ、我に物言ふを否むなかれ。 五二―五四
我答へて彼に曰ふ。死(しに)てさきに我に涙を流さしめし汝の顏は、かく變りて見ゆるため、かの時に劣らぬ憂ひを今我に與へて泣かしむ 五五―五七
然(され)ば告げよ、われ神を指(さ)して請ふ、汝等をかく枯(か)らす物は何ぞや、わが異(あやし)む間我に言(い)はしむる勿れ、心に他(ほか)の思ひ滿つればその人いふ事宜(よろ)しきをえず。 五八―六〇
彼我に。永遠(とこしへ)の思量(はからひ)によりて我等の後方(うしろ)なるかの水の中樹の中に力くだる、わがかく痩するもこれがためなり 六一―六三
己が食慾に耽れるため泣きつゝ歌ふこの民はみな饑ゑ渇きてこゝにふたゝび己を清くす 六四―六六
果實(このみ)より、また青葉にかゝる飛沫(みづけぶり)よりいづる香氣(かをり)は飮食(のみくひ)の慾を我等の中(うち)に燃やすなり 六七―六九
しかして我等のこの處を□(めぐ)りて苦しみを新たにすることたゞ一度(たび)にとゞまらず――われ苦しみといふ、まことに慰(なぐさめ)といはざるべからず 七〇―七二
そはクリストの己が血をもて我等を救ひたまへる時、彼をしてよろこびてエリといはしめし願ひ我等を樹下(このもと)に導けばなり。 七三―七五
我彼に。フォレーゼよ、汝世を變へてまさる生命(いのち)をえしよりこの方いまだ五年(とせ)の月日經ず 七六―七八
若し我等を再び神に嫁(とつ)がしむる善き憂ひの時到らざるまに、汝の罪を犯す力既に盡きたるならんには 七九―八一
汝いかでかこゝに來れる、我は汝を下なる麓、時の時を補(おぎな)ふところに今も見るならんとおもへるなりき。 八二―八四
是に於てか彼我に。わがネルラそのあふるゝ涙をもて我をみちびき、苛責の甘き茵□(いんちん)を飮ましむ 八五―八七
彼心をこめし祈祷(いのり)と歎息(ためいき)をもて、かの魂の待つ處なる山の腰より我を引きまた我を他の諸□の圓より救へり 八八―九〇
わが寡婦(やもめ)わが深く愛せし者はその善行(よきおこなひ)の類(たぐひ)少なきによりていよ/\神にめでよろこばる 九一―九三
そは婦人(をんな)の愼(つゝしみ)に於ては、サールディニアのバルバジアさへ、わがかの女を殘して去りしバルバジアよりはるかに上にあればなり 九四―九六
あゝなつかしき兄弟よ、我汝に何を告げんや、今を昔となさざる未來すでにわが前にあらはる 九七―九九
この時到らば教壇に立つ人、面皮(めんぴ)厚きフィレンツェの女等の、乳房(ちぶさ)と腰を露(あら)はしつゝ外(そと)に出るをいましむべし 一〇〇―一〇二
いかなる未開の女いかなるサラチーノの女なりとて、靈または他(ほか)の懲戒(こらしめ)なきため身を被はずして出でし例(ためし)あらんや 一〇三―一〇五
されどかの恥知らぬ女等、若し□轉(めぐり)早き天が彼等の爲に備ふるものをさだかに知らば、今既に口をひらきてをめくなるべし 一〇六―一〇八
そはわが先見に誤りなくば、今子守歌(ナンナ)を聞きてしづかに眠る者の頬に鬚生(お)ひぬまに彼等悲しむべければなり 一〇九―一一一
あゝ兄弟よ、今は汝の身の上を我にかくすことなかれ、見よ我のみかは、これらの者皆汝が日を覆ふところを凝視(みつ)む。 一一二―一一四
我即ち彼に。汝若し汝の我と我の汝といかに世をおくれるやをおもひいでなば、その記憶は今も汝をくるしめむ 一一五―一一七
わが前にゆく者我にかゝる生を棄てしむ、こは往日(さきつひ)これの――かくいひて日をさし示せり――姉妹の圓く現はれし時の事なり 一一八―一二〇
彼我を彼に從ひてゆくこの眞(まこと)の肉とともに導いて闌(ふ)けし夜(よ)を過ぎ、まことの死者をはなれたり 一二一―一二三
我彼に勵まされてかしこをいで、汝等世の爲に歪める者を直くするこの山を登りつつまた□りつゝこゝに來れり 一二四―一二六
彼はベアトリーチェのあるところにわがいたらん時まで我をともなはむといふ、かしこにいたらば我ひとり殘らざるをえず 一二七―一二九
かく我にいふはこの者即ちヴィルジリオなり(我彼を指ざせり)、またこれなるは汝等の王國を去る魂なり、この地今 一三〇―一三二
その隅々(すみ/″\)までもゆるげるは彼のためなりき。


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   第二十四曲

言(ことば)歩(あゆみ)を、歩言をおそくせず、我等は語りつゝあたかも順風に追はるゝ船のごとく疾(と)く行けり 一―三
再び死にし者に似たる魂等はわが生くるを知り、我を見て驚愕(おどろき)を目の坎(あな)より吐けり 四―六
我續いてかたりていふ。彼若し伴侶(とも)のためならずは、おそらくはなほ速かに登らむ 七―九
されど知らば我に告げよ、ピッカルダはいづこにありや、また告げよ、かく我を視る民の中に心をとむべき者ありや。 一〇―一二
わが姉妹(その美その善いづれまされりや我知らず)は既に高きオリムポによろこびて勝利(かち)の冠をうく。 一三―一五
彼まづ斯くいひて後。我等の姿斷食のためにかく搾(しぼ)り取らるゝがゆゑに、こゝにては我等誰(た)が名をも告ぐるをう 一六―一八
此は――指ざしつゝ――ボナジユンタ、ルッカのボナジユンタなり、またその先のきはだちて憔悴(やつれ)し顏は 一九―二一
かつて聖なる寺院を抱けり、彼はトルソの者なりき、いま斷食によりてボルセーナの鰻(うなぎ)とヴェルナッチヤを淨む。 二二―二四
その他(ほか)多くの者の名を彼一々我に告ぐるに、彼等皆名をいはるゝを厭はじとみえ、その一者(ひとり)だに憂(う)き状(さま)をなすはあらざりき 二五―二七
我はウバルディーン・デラ・ピーラと、杖にて多くの民を牧せしボニファーチョとが、饑ゑの爲に空しくその齒を動かすを見たり 二八―三〇
我はメッセル・マルケーゼを見たり、この者フォルリにありし頃はかく劇しき渇(かわき)なく且つ飮むに便宜(たより)多かりしかどなほ飽く事を知らざりき 三一―三三
されど恰も見てその中よりひとりを擇ぶ人の如く我はルッカの者をえらびぬ、彼我の事を知るを最(いと)希ふさまなりければ 三四―三六
彼はさゝやけり、我は彼がかく彼等を痩せしむる正義の苦痛(いたみ)を感ずるところにてゼントゥッカといふを聞きし如くなりき 三七―三九
我曰ふ。あゝかく深く我と語るを望むに似たる魂よ、請ふ汝のいへることを我にさとらせ、汝の言葉をもて汝と我の願ひを滿たせよ。 四〇―四二
彼曰ふ。女生れていまだ首□(かしらぎぬ)を被(かづ)かず、この者わが邑(まち)を、人いかに誹るとも、汝の心に適(かな)はせむ 四三―四五
汝この豫言を忘るゝなかれ、もしわが低語(さゝやき)汝の誤解を招けるならば、この後まことの事汝にこれをときあかすべし 四六―四八
されど告げよ、かの新しき詩を起し、戀を知る淑女等とそのはじめにいへる者是即ち汝なりや。 四九―五一
我彼に。愛我を動かせば我これに意を留めてそのわが衷(うち)に口授(くじゆ)するごとくうたひいづ。 五二―五四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、我今かの公(おほやけ)の證人(あかしびと)とグイットネと我とをわが聞く麗はしき新しき調(しらべ)のこなたにつなぐ節(ふし)をみる 五五―五七
我よく汝等の筆が口授者(くじゆしや)にちかく附隨(つきしたが)ひて進むをみる、われらの筆にはげにこの事あらざりき 五八―六〇
またなほ遠く先を見んとつとむる者も彼と此との調(しらべ)の區別(けぢめ)をこの外にはみじ。かくいひて心足れるごとく默(もだ)しぬ 六一―六三
ニーロの邊(ほとり)に冬籠(ふゆごも)る鳥、空に群(むらが)り集(つど)ひて後、なほも速かに飛ばんため達(つらな)り行くことあるごとく 六四―六六
その痩すると願ひあるによりて身輕きかしこの民は、みな首(かうべ)をめぐらしつゝふたゝびその歩履(あゆみ)をはやめぬ 六七―六九
また走りて疲れたる人その侶におくれ、ひとり歩みて腰の喘(あへぎ)のしづまる時を待つごとく 七〇―七二
フォレーゼは聖なる群(むれ)をさきにゆかしめ、我とともにあとより來りていひけるは。我の再び汝に會ふをうるは何時(いつ)ぞや。 七三―七五
我彼に答ふらく。いつまで生くるや我知らず、されどわが歸ること早しとも、我わが願ひの中に、それよりはやくこの岸に到らむ 七六―七八
そはわが郷土(ふるさと)となりたる處は、日に日に自ら善を失ひ、そのいたましく荒るゝことはや定まれりとみゆればなり。 七九―八一
彼曰ふ。いざ行け、我見るに、この禍ひに關(かゝ)はりて罪の最も大いなるもの、一の獸の尾の下(もと)にて曳かれ、罪赦さるゝ例(ためし)なき溪にむかふ 八二―八四
獸はたえずはやさを増しつゝ一足毎にとくすゝみ、遂に彼を踏み碎きてその恥づべき躯(むくろ)を棄つ 八五―八七
これらの輪未だ長く□(めぐ)らざるまに(かくいひて目を天にむく)、わが言(ことば)のなほよく説明(ときあか)す能はざるもの汝に明(あきらか)なるにいたらむ 八八―九〇
いざ汝あとに殘れ、この王國にては時いと尊し、汝と斯く相並びてゆかば、わが失ふところ多きに過ぎむ。 九一―九三
たとへば先登(さきがけ)の譽をえんとて、馬上の群(むれ)の中より一人(ひとり)の騎士、馳せ出づることあるごとく 九四―九六
彼足をはやめて我等を離れ、我は世の大いなる軍帥(ぐんすゐ)なりし二者(ふたり)とともに路に殘れり 九七―九九
彼既に我等の前を去ること遠く、わが目の彼に伴ふさま、わが心の彼の詞にともなふごとくなりしとき 一〇〇―一〇二
いま一本(もと)の樹の、果(み)饒(ゆたか)にして盛なる枝我にあらはる、また我この時はじめてかなたにめぐれるなればその處甚だ遠からざりき 一〇三―一〇五
我見しに民その下にて手を伸べつゝ葉にむかひて何事をかよばはりゐたり、罪なき嬰兒(をさなご)物を求めて 一〇六―
乞へども乞はるゝ人答へず、かへつて願ひを増さしめんためその乞ふ物をかくさずして高く擡(もた)ぐるもこの類(たぐひ)なるべし ―一一一
かくて彼等はあたかも迷ひ覺めしごとく去り、我等はかく多くの請(こひ)と涙を卻(しりぞ)くる巨樹(おほき)のもとにたゞちにいたれり 一一二―一一四
汝等過ぎゆきて近づくなかれ、エーヴァのくらへる木この上にあり、これはもとかの樹よりいづ。 一一五―一一七
誰ならむ小枝の間よりかくいふ者ありければ、ヴィルジリオとスターツィオと我とは互ひに近く身を寄せつゝ聳ゆる岸の邊(ほとり)を行けり 一一八―一二〇
かの者またいふ。雲間に生れし詛(のろひ)の子等即ち飽いてその二重(ふたへ)の腰をもてテゼオと爭へる者を憶へ 一二一―一二三
また貪り飮みしため、マディアンにむかひて山を下れるゼデオンがその侶となさざりし希伯來人(エブレオびと)を憶へ。 一二四―一二六
かく我等は二の縁(へり)の一を傳ひて、幸(さち)なき報(むくい)のともなへる多食の罪の事をきゝつゝこゝを過ぎ 一二七―一二九
後身を寛(ゆるやか)にしてさびしき路を行き、いづれも言葉なく思ひに沈みて裕(ゆたか)に千餘の歩履(あゆみ)をはこべり 一三〇―一三二
汝等何ぞたゞみたり行きつゝかく物を思ふや。ふと斯くいへる聲ありき、是に於てか我は恰もおぢおそるゝ獸の如く顫(ふる)ひ 一三三―一三五
その誰なるやを見んとて首(かうべ)を擧ぐればひとりの者みゆ、爐の中なる玻璃または金屬(かね)といふとも斯く光り 一三六―
かく赤くみゆるはあらじ、彼曰ふ。汝等登らんことをねがはばこゝより折れよ、往いて平和をえんとする者みなこなたにむかふ。 ―一四一
彼の姿わが目の力を奪へるため、我は身をめぐらして、あたかも耳に導かるゝ人の如く、わがふたりの師の後(うしろ)にいたれり 一四二―一四四
曉告ぐる五月の輕風(そよかぜ)ゆたかに草と花とを含み、動きて佳(よ)き香(か)を放つごとくに 一四五―一四七
うるはしき風わが額の正中(たゞなか)にあたれり、我は神饌(アムプロージャ)の匂(にほ)ひを我に知らしめし羽の動くをさだかにしれり 一四八―一五〇
また聲ありていふ。大いなる恩惠(めぐみ)に照され、味(あぢはひ)の愛飽くなき慾を胸に燃やさず常に宜(よろ)しきに從ひて饑うる者は福(さいはひ)なり。 一五一―一五三


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   第二十五曲

時は昇(のぼり)の遲きを許さず、そは子午線を日は金牛に夜は天蠍にはや付(わた)したればなり 一―三
さればあたかも必要の鞭(むち)にむちうたるゝ人、いかなる物あらはるゝとも止まらずしてその路を行くごとく 四―六
我等はひとりづつ徑(こみち)に入りて階(きざはし)を登れり(階狹きため昇る者並び行くをえず) 七―九
たとへば鸛(こうづる)の雛、飛ぶをねがひて翼をあぐれど、巣を離るゝの勇なくして再びこれを收むるごとく 一〇―一二
わが問はんと欲する願ひ燃えてまた消え、我はたゞいひいださんと構ふる者の状(さま)をなすに過ぎざりき 一三―一五
歩(あゆみ)速かなりしかどもわがなつかしき父は默(もだ)さで、汝鏃(やじり)までひきしぼれる言(ことば)の弓を射よといふ 一六―一八
この時我これにはげまされ、口を啓きていふ。滋養(やしなひ)をうくるに及ばざるものいかにして痩するを得るや。 一九―二一
彼曰ふ。汝若しメレアグロの身が、炬火(たいまつ)の燃え盡くるにつれて盡きたるさまを憶ひ出でなば、この事故にさとりがたきにあらざるべく 二二―二四
また鏡に映(うつ)る汝等の姿が、汝等の動くにつれて動くを思はば、今硬くみゆるもの汝に軟かにみゆるにいたらむ 二五―二七
されど汝望むがまゝに心を安んずることをえんため、見よ、こゝにスターツィオあり、我彼を呼び彼に請ひて汝の傷を癒さしむべし。 二八―三〇
スターツィオ答ふらく。我この常世(とこよ)の状態(ありさま)を汝のをる處にて彼に説明(ときあか)すとも、こは汝の請(こひ)をわが否む能はざるが爲なれば咎むるなかれ。 三一―三三
かくてまたいふ。子よ、汝の心わが詞を見てこれを受けなば、これは即ち汝の質(たゞ)す疑ひを照す光とならむ 三四―三六
それ血の完全にして、渇ける脈に吸はるゝことなく、あたかも食卓(つくゑ)よりはこびさらるゝ食物(くひもの)のごとく殘るもの 三七―三九
人の諸□の肢體を營む力をば心臟の中に得(う)、これ此等の物とならんため脈を傳ひて出づるにいたるものなればなり 四〇―四二
いよ/\清くなるに及びて、この血は人のいふを憚かる處にくだり、後又そこより自然の器(うつは)の中なる異なる血の上にしたゝり 四三―四五
二の血こゝに相合ふ、その一には堪ふる性(さが)あり、また一にはその出づる處全きがゆゑに行ふ性あり 四六―四八
此(これ)彼と結びてはたらき、まづ凝固(こりかた)まらせ、後己が材としてその固(かた)め整(とゝの)へる物に生命(いのち)を與ふ 四九―五一
活動の力恰も草木の魂の如きものとなりて(但し一は道程にあり一は彼岸に達す、異なるところたゞこれのみ)後 五二―五四
なほその作用(はたらき)をとゞめず、この物動きかつ感ずること海の菌の如きにいたれば、さらに己を種として諸□の力を組立てはじむ 五五―五七
子よ、生む者の心臟即ち自然が諸□の肢體に意を用ゐる處よりいづる力は今や既に弘がりて延ぶ 五八―六〇
されど汝は未だ生物のいかにして人間となるやを聞かず、こは汝よりさとかりし者の嘗て誤れる一の點なり 六一―六三
そは彼靜智に當つべき何の機官をも見ざるによりて、その教への中にこれを魂より離れしめたればなり 六四―六六
汝わが陳ぶる眞(まこと)にむかひて胸をひらき、而して知るべし、胎兒における腦の組織(くみたて)全く成り終るや否や 六七―六九
第一の發動者、自然のかく大いなる技(わざ)をめでてこれにむかひ、力滿ちたる新しき靈を嘘入(ふきい)れたまひ 七〇―七二
靈はかしこにはたらきゐたるものを己が實體の中にひきいれ、たゞ一の魂となりて、且つ生き且つ感じ且つ自ら己をめぐる 七三―七五
汝この言(ことば)をふかくあやしむなからんため、思ひみよ、太陽の熱葡萄の樹よりしたゝる汁と相混(あひまじ)りて酒となるを 七六―七八
ラケージスの絲盡くる時は、この魂、肉の繋(つなぎ)を離れ、人と神とに屬するものをその實質において携ふ 七九―八一
他(ほか)の能力(ちから)はみな默(もだ)せども、記憶、了知及び意志の作用(はたらき)は却つてはるかに前よりも強し 八二―八四
かくて止まらずしてあやしくも自ら岸の一に落ち、こゝにはじめて己が行くべき路を知る 八五―八七
處一たび定まれば、構成(いとなみ)の力たゞちにあたりを輝かし、その状(さま)もその程(ほど)も、生くる肢體におけるに同じ 八八―九〇
しかしてたとへば空氣雨を含むとき、日の光これに映(うつ)るによりて多くの色に飾らるるごとく 九一―九三
あたりの空氣はそこにとゞまれる魂が己の力によりてその上に捺(お)す形をうく 九四―九六
かくてあたかも火の動くところ焔これにともなふごとく、新しき形靈にともなふ 九七―九九
この物この後これによりてその姿を現すがゆゑに影(オムブラ)と呼ばれ、またこれによりて凡ての官能をとゝのへ、見ることをさへ得るにいたる 一〇〇―一〇二
我等これによりて物言ひ、これによりて笑ふ、またこれによりて我等に涙あり歎息(なげき)あり(汝これをこの山の上に聞けるなるべし) 一〇三―一〇五
諸□の願ひまたはその他の情の我等に作用(はたらき)を及ぼすにしたがひ、影も亦姿を異にす、是ぞ汝のあやしとする事の原因(もと)なる。 一〇六―一〇八
我等はこの時はや最後の曲路にいたりて右にむかひ、心を他(ほか)にとめゐたり 一〇九―一一一
こゝにては岸焔の矢を射、縁(ふち)は風を上におくりてこれを追返さしめ、そこに一の路を空(あ)く 一一二―一一四
されば我等は開きたる處を傳ひてひとり/″\に行かざるをえざりき、我はこなたに火を恐れかなたに下に落(おつ)るをおそれぬ 一一五―一一七
わが導者曰ふ。かたく目の手綱を緊(し)めてこゝを過ぎよ、たゞ些(すこし)の事のために足を誤るべければなり。 一一八―一二〇
この時こよなき憐憫(あはれみ)の神と猛火の懷(ふところ)にうたふ聲我にきこえてわが心をばまたかなたにもむかはしむ 一二一―一二三
かくて我見しに焔の中をゆく多くの靈ありければ、我は彼等を見またわが足元(あしもと)をみてたえずわが視力をわかてり 一二四―一二六
聖歌終れば、彼等は高くわれ夫を知らずとさけび、後低く再びこの聖歌をうたひ 一二七―一二九
これを終ふればまた叫びて、ディアーナ森にとゞまりて、かのヴェーネレの毒を嘗めしエリーチェを逐へりといふ 一三〇―一三二
かくて彼等歌に歸り、後またさけびて、徳と縁(えにし)の命ずる如く貞操(みさを)を守れる妻と夫の事を擧ぐ 一三三―一三五
おもふに火に燒かるゝ間は、彼等たえずかく爲すなるべし、かゝる藥かゝる食物(くひもの)によりてこそ 一三六―一三八
その傷(きず)つひにふさがるなれ 一三九―一四一


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   第二十六曲

我等かく縁(ふち)を傳ひ一列(ひとつら)となりて歩める間に、善き師しば/\いふ。心せよ、わが誡めを空しうするなかれ。 一―三
はや光をもて西をあまねく蒼より白に變ふる日は、わが右の肩にあたれり 四―六
我は影によりて焔をいよ/\赤く見えしめ、また多くの魂のかゝる表徴(しるし)にのみ心をとめつゝ行くを見たり 七―九
彼等のわが事を語るにいたれるもこれが爲なりき、かれらまづ、彼は虚(むな)しき身のごとくならずといふ 一〇―一二
かくていくたりか、燒かれざる處に出でじとたえず心を用ゐつゝ、その進むをうるかぎりわが方(かた)に來れる者ありき 一三―一五
あゝ汝おそき歩履(あゆみ)のためならずして恐らくは敬(うやまひ)のために侶のあとより行く者よ、渇(かわき)と火に燃ゆる我に答へよ 一六―一八
汝の答を求むる者我獨りに非ず、此等の者皆これに渇く、そのはげしきに比(くら)ぶればインド人(びと)又はエチオピア人の冷(つめた)き水にかわくも及ばじ 一九―二一
請ふ我等に告げよ、汝未だ死の網(あみ)の中に入らざるごとく、身を壁として日を遮(さへぎ)るはいかにぞや。 二二―二四
その一(ひとり)斯く我にいへり、また若しこの時新しき物現はれて心をひくことなかりせば、我は既にわが身の上をあかせしなるべし 二五―二七
されどこの時顏をこの民にむけ燃ゆる路の正中(たゞなか)をあゆみて來る民ありければ、我は彼等をみんとて詞をとゞめぬ 二八―三〇
我見るにかなたこなたの魂みないそぎ、たがひに接吻(くちづけ)すれども短き會釋(ゑしやく)をもて足れりとして止まらず 三一―三三
あたかも蟻がその黒める群(むれ)の中にてたがひに口を觸れしむる(こはその路と幸(さち)とを探(さぐ)るためなるべし)に似たり 三四―三六
したしみの會釋をはれば、未だ一歩も進まざるまに、いづれも競うてその聲を高くし 三七―三九
新しき群(むれ)は、ソッドマ、ゴモルラといひ、殘りの群は、牡牛をさそひて己の慾を遂げんためパシフェの牝牛の中に入るといふ 四〇―四二
かくてたとへば群鶴(むらづる)の、一部はリフエの連山(やま/\)にむかひ、また一部は砂地(すなぢ)にむかひ、此(これ)氷を彼(かれ)日を厭ひて飛ぶごとく 四三―四五
民の一群(むれ)かなたにゆき、一群こなたに來り、みな泣きつゝ、さきにうたへる歌と、彼等にいとふさはしき叫びに歸れり 四六―四八
また我に請へるかの魂等は、聽くの願ひをその姿にあらはしつゝ前の如く我に近づきぬ 四九―五一
我斯く再び彼等の望みを見ていひけるは。あゝいつか必ず平安を享くる魂等よ 五二―五四
熟(う)めるも熟まざるもわが身かの世に殘るにあらず、その血その骨節(ふし)みな我とともにこゝにあり 五五―五七
我こゝより登りてわが盲(めしひ)を癒さんとす、我等の爲に恩惠(めぐみ)を求むる淑女天に在り、是故にわれ肉體を伴ひて汝等の世を過ぐ 五八―六〇
ねがはくは汝等の大望速かに遂げ、愛の滿ち/\且ついと廣く弘がる天汝等を住(すま)はしむるにいたらんことを 六一―六三
請ふ我に告げてこの後紙にしるすをえしめよ、汝等は誰なりや、また汝等の背(せ)の方(かた)にゆく群(むれ)は何ぞや。 六四―六六
粗野なる山人(やまびと)都に上れば、心奪はれ思ひ亂れて、あたりをみつゝ言葉なし 六七―六九
かの魂等またみなかくのごとく見えき、されど驚愕(おどろき)(貴き心の中にてはそのしづまること早し)の重荷おろされしとき 七〇―七二
さきに我に問へる者またいひけるは。福なる哉汝生を善くせんとてこの地の經驗を船に載す 七三―七五
我等と共に來らざる民の犯せる罪は、そのかみ勝誇れるチェーザルをして王妃といへる罵詈(のゝしり)の叫びを聞くにいたらしめしものなりき 七六―七八
是故に汝等の聞けるごとく彼等自ら責めてソッドマとさけびて去り、その恥をもて焔をたすく 七九―八一
我等の罪は異性によれり、されど獸の如く慾に從ひ、人の律法(おきて)を守らざりしがゆゑに 八二―八四
我等彼等とわかるゝ時は、かの獸となれる板の内にて獸となれる女の名を讀み、自ら己をはづかしむ 八五―八七
汝既に我等の行爲(おこなひ)と我等の犯せる罪を知る、恐らくはさらに我等の名を知るを望むべけれど告ぐるに時なく又我然(しか)するをえざるなるべし 八八―九〇
たゞわが身に就(つい)ては我汝の願ひを滿(みた)さむ、我はグイード・グィニツェルリなり、未だ最後(いまは)とならざる先に悔いしため今既に罪を淨む。 九一―九三
我及び我にまさりて愛のうるはしきけだかき調(しらべ)が奏(かな)でしことある人々の父かく己が名をいふを聞きしとき 九四―
我はさながらリクルゴの憂ひのうちに再び母をみしときの二人(ふたり)の男の子の如くなりき、されど彼等のごとく激せず ―九九
たゞ物を思ひつゝ長く彼を見てあゆみ、聞かず語らず、また火をおそれてかなたに近づくことをせざりき 一〇〇―一〇二
かくてわが目飽くにおよび、われかたく誓ひをたてて彼のために能くわが力を盡さんと告ぐれば 一〇三―一〇五
彼我に。わが汝より聞ける事の我心にとゞむる痕跡(あと)いとあざやかなるをもてレーテもこれを消しまたは朦朧(おぼろ)ならしむるあたはず 一〇六―一〇八
されど今の汝の詞我に眞(まこと)を誓へるならば、請ふ告げよ、汝の我を愛すること目にも言(ことば)にもかくあらはるゝは何故ぞや。 一〇九―一一一
我彼に。汝のうるはしき歌ぞそれなる、近世(ちかきよ)の習ひつゞくかぎりは、その文字(もじ)常に愛せらるべし。 一一二―一一四
彼曰ふ。あゝ兄弟よ、わが汝にさししめす者は(前なる一の靈を指ざし)我よりもよくその國語(くにことば)を鍛(きた)へし者なり 一一五―一一七
戀の詩散文の物語にては彼(かれ)衆にぬきんず、レモゼスの人をもてこれにまさるとなすは愚者なり、彼等をそのいふにまかせよ 一一八―一二〇
彼等は眞(まこと)よりも評(うはさ)をかへりみ、技(わざ)と理(ことわり)を問はざるさきにはやくも己が説を立つ 一二一―一二三
多くの舊人(ふるきひと)のグイットネにおけるも亦斯の如し、さらに多くの人を得て眞(まこと)の勝つにいたれるまでは彼等たゞ響きを傳へて彼のみを讚(ほ)めぬ 一二四―一二六
さて汝ゆたかなる恩惠(めぐみ)をうけて、僧侶の首(かしら)にクリストを戴くかの僧院に行くことをえば 一二七―一二九
わが爲に彼に向ひて一遍の主の祈(パーテルノストロ)を唱へよ、但しこの世界にて我等の求むる事にて足る、こゝにては我等また罪を犯すをえざれば。 一三〇―一三二
かくいひて後、後方(うしろ)に近くゐたる者を己に代らしむるためなるべし、恰も水底(みなそこ)深く沈みゆく魚の如く火に入りて見えざりき 一三三―一三五
我は指示されし者の方(かた)に少しく進みて、わが願ひ彼の名のためにゆかしき處を備へしことを告ぐれば 一三六―一三八
彼こゝろよく語りて曰ふ。汝の問ひのねんごろなるにめでて、我は己を汝にかくすこと能はず、またしかするをねがはざるなり 一三九―一四一
我はアルナルドなり、泣きまた歌ひてゆく、われ過去(こしかた)をみてわが痴(おろか)なりしを悲しみ、行末(ゆくすゑ)をみてわが望む日の來るを喜ぶ 一四二―一四四
この階(きざはし)の頂まで汝を導く權能(ちから)をさして今我汝に請ふ、時到らばわが苦患(なやみ)を憶(おも)へ。 一四五―一四七
かくいひ終りて彼等を淨むる火の中にかくれぬ 一四八―一五〇


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   第二十七曲

今や日はその造主(つくりぬし)血を流したまへるところに最初(はじめ)の光をそゝぐ時(イベロは高き天秤(はかり)の下にあり 一―
ガンジェの浪は亭午(まひる)に燒かる)とその位置を同じうし、晝既に去らんとす、この時喜べる神の使者(つかひ)我等の前に現はれぬ ―六
彼焔の外(そと)岸の上に立ちて、心の清き者は福なりとうたふ、その聲爽(さわや)かにしてはるかにこの世のものにまされり 七―九
我等近づけるとき彼曰ひけるは。聖なる魂等よ、まづ火に噛まれざればこゝよりさきに行くをえず 一〇―
汝等この中に入りまたかなたにうたふ歌に耳を傾けよ。かくいふを聞きしとき我はあたかも穴に埋(いけ)らるゝ人の如くになりき ―一五
手を組合(くみあは)せつゝ身をその上より前に伸べて火をながむれば、わが嘗て見し、人の體(からだ)の燒かるゝありさま、あざやかに心に浮びぬ 一六―一八
善き導者等わが方にむかへり、かくてヴィルジリオ我に曰ふ。我子よ、こゝにては苛責はあらむ死はあらじ 一九―二一
憶(おも)へ、憶へ……ジェーリオンに乘れる時さへ我汝を安らかに導けるに、神にいよいよ近き今、しかするをえざることあらんや 二二―二四
汝かたく信ずべし、たとひこの焔の腹の中に千年(ちとせ)の長き間立つとも汝は一筋(すぢ)の髮をも失はじ 二五―二七
若しわが言(ことば)の僞なるを疑はば、焔にちかづき、己が手に己が衣の裾をとりてみづからこれを試みよ 二八―三〇
いざ棄てよ、一切の恐れを棄てよ、かなたにむかひて心安く進みゆくべし。かくいへるも我なほ動かずわが良心に從はざりき 三一―三三
わがなほ頑(かたくな)にして動かざるをみて彼少しく心をなやまし、子よ、ベアトリーチェと汝の間にこの壁あるを見よといふ 三四―三六
桑眞紅(しんく)となりしとき、死に臨めるピラーモがティスベの名を聞き目を開きてつらつら彼を見しごとく 三七―三九
わが思ひの中にたえず湧(わ)き出づる名を聞くや、わが固き心やはらぎ、我は智(さと)き導者にむかへり 四〇―四二
是に於てか彼首(かうべ)を振りて、我等此方(こなた)に止まるべきや如何(いかに)といひ、恰も一の果實(このみ)に負くる稚兒(をさなご)にむかふ人の如くにほゝゑみぬ 四三―四五
かくて彼我よりさきに火の中に入り、またこの時にいたるまでながく我等の間をわかてるスターツィオに請ひて我等の後(あと)より來らしむ 四六―四八
我火の中に入りしとき、その燃ゆることかぎりなく劇しければ、煮え立つ玻璃の中になりとも身を投入れて冷(ひや)さんとおもへり 四九―五一
わがやさしき父は我をはげまさんとて、ベアトリーチェの事をのみ語りてすゝみ、我既に彼の目を見るごとくおぼゆといふ 五二―五四
かなたにうたへる一の聲我等を導けり、我等はこれにのみ心をとめつゝ登るべきところにいでぬ 五五―五七
わが父に惠まるゝ者よ來れ。かしこにありてわが目をまばゆうし我に見るをえざらしめたる一の光の中にかくいふ聲す 五八―六〇
またいふ。日は入り夕(ゆふべ)が來る、とゞまるなかれ、西の暗くならざる間に足をはやめよ。 六一―六三
路直く岩を穿ちて東の方に上(のぼ)るがゆゑに、すでに低き日の光を我はわが前より奪へり 六四―六六
しかしてわが影消ゆるを見て我もわが聖等(ひじりたち)も我等の後方(うしろ)に日の沈むをしりたる時は、我等の試みし段(きだ)なほ未だ多からざりき 六七―六九
はてしなく濶(ひろ)き天涯未だ擧(こぞ)りて一の色とならず、夜その闇をことごとく頒ち與へざるまに 七〇―七二
我等各一の段(きだ)を床となしぬ、そはこの山の性(さが)、登るの願ひよりもその力を我等より奪へばなり 七三―七五
食物(くひもの)をえざるさきには峰の上に馳せ狂へる山羊も、日のいと熱き間蔭にやすみて聲をもいださず 七六―
その牧者(彼杖にもたれ、もたれつゝその群(むれ)を牧(か)ふ)にまもられておとなしく倒嚼(にれが)むことあり ―八一
また外(そと)に宿る牧人、そのしづかなる群のあたりに夜を過(すご)して、野の獸のこれを散らすを防ぐことあり 八二―八四
我等みたりもまたみな斯(かく)の如くなりき、我は山羊に彼等は牧者に似たり、しかして高き岩左右より我等をかこめり 八五―八七
外(そと)はたゞ少しく見ゆるのみなりしかど、我はこの少許(すこし)の處に、常よりも燦(あざや)かにしてかつ大なる星を見き 八八―九〇
我かく倒嚼(にれが)み、かく星をながめつゝ睡りに襲はる、即ち事をそのいまだ出來(いでこ)ぬさきにに屡□告知らす睡りなり 九一―九三
たえず愛の火に燃ゆとみゆるチテレアがはじめてその光を東の方よりこの山にそゝぐ頃かとおもはる 九四―九六
我は夢に、若き美しきひとりの淑女の、花を摘みつゝ野を分けゆくを見しごとくなりき、かの者うたひていふ 九七―九九
わが名を問ふ者あらば知るべし、我はリーアなり、我わがために一の花圈(はなかざり)を編まんとて美しき手を動かして行く 一〇〇―一〇二
鏡にむかひて自ら喜ぶことをえんため我こゝにわが身を飾り、わが妹ラケールは終日(ひねもす)坐してその鏡を離れず 一〇三―一〇五
われ手をもてわが身を飾るをねがふごとくに彼その美しき目を見るをねがふ、見ること彼の、行ふこと我の心を足(たら)はす。 一〇六―一〇八
異郷の旅より歸る人の、わが家(や)にちかく宿るにしたがひ、いよ/\愛(め)づる曉(あかつき)の光 一〇九―一一一
はや四方より闇を逐ひ、闇とともにわが睡りを逐へり、我即ち身を起(おこ)せば、ふたりの大いなる師この時既に起きゐたり 一一二―一一四
げに多くの枝によりて人のしきりに尋ね求むる甘き果(み)は今日汝の饑(う)ゑをしづめむ。 一一五―一一七
ヴィルジリオかく我にいへり、またこれらの語(ことば)のごとく心に適(かな)ふ賜(たまもの)はあらじ 一一八―一二〇
わが登るの願ひ願ひに加はり、我はこの後一足毎に羽生(は)えいでて我に飛ばしむるをおぼえき 一二一―一二三
我等階(きざはし)をこと/″\く渡り終りて最高(いとたか)き段(きだ)の上に立ちしとき、ヴィルジリオ我にその目をそゝぎて 一二四―一二六
いふ。子よ、汝既に一時(ひととき)の火と永久(とこしへ)の火とを見てわが自から知らざるところに來れるなり 一二七―一二九
われ智(さとり)と術(わざ)をもて汝をこゝにみちびけり、今より汝は好む所を導者となすべし、汝嶮(けは)しき路を出で狹き路をはなる 一三〇―一三二
汝の額を照す日を見よ、地のおのづからこゝに生ずる若草と花と木とを見よ 一三三―一三五
涙を流して汝の許に我を遣はせし美しき目のよろこびて來るまで、汝坐するもよし、これらの間を行くもよし 一三六―一三八
わが言(ことば)をも表示(しるし)をもこの後望み待つことなかれ、汝の意志は自由にして直く健全(すこやか)なればそのむかふがまゝに行はざれば誤らむ 一三九―一四一
是故にわれ冠と帽を汝に戴かせ、汝を己が主たらしむ。


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   第二十八曲

あらたに出し日の光を日にやはらかならしむる茂れる生ける神の林の内部(うち)をも周邊(まはり)をも探(さぐ)らんとて 一―三
我ためらはず岸を去り、しづかに/\野を分けゆけば、地はいたるところ佳香(よきか)を放てり 四―六
うるはしき空氣變化(かはり)なく動きてわが額を撃ち、そのさまさながら軟かき風の觸るゝに異ならず 七―九
諸□の枝これに靡きてふるひつゝ、みな聖なる山がその最初(はじめ)の影を投ぐる方(かた)にかゞめり 一〇―一二
されどはなはだしく撓(たわ)むにあらねば、梢(こずゑ)の小鳥その一切の技(わざ)を棄つるにいたらず 一三―一五
いたくよろこびて歌ひつゝ、そよふく朝風を葉の間にうけ、葉はエオロがシロッコを解き放つとき 一六―
キアッシの岸の上なる松の林の枝より枝に集まるごとき音をもてその調(しらべ)にあはせぬ ―二一
しづかなる歩履(あゆみ)我を運びて年へし林の中深く入らしめ、我既にわがいづこより入來れるやを見るあたはざりしとき 二二―二四
見よわが行手を遮れる一の流れあり、その細波(さゞなみ)をもて、縁(ふち)に生(は)え出し草を左に曲げぬ 二五―二七
日にも月にもかしこを照すをゆるさざる永劫の蔭に蔽はれ、黒み黒みて流るれども 二八―
一物として隱るゝはなきかの水にくらぶれば、世のいと清き水といふともみな雜(まじり)ありとみゆべし ―三三
わが足とどまり、わが目は咲ける木々の花の類(たぐひ)甚だ多きを見んとて小川のかなたに進めるに 三四―三六
このときあたかも物不意にあらはれて人を驚かし、他(ほか)の思ひをすべて棄てしむることあるごとくかしこにあらはれし 三七―三九
たゞひとりの淑女あり、歌をうたひて歩みつゝ、その行道(ゆくみち)をこと/″\くいろどれる花また花を摘みゐたり 四〇―四二
我彼に曰ふ。あゝ美しき淑女よ、心の證(あかし)となる習ひなる姿に信を置くをうべくば愛の光にあたゝまる者よ 四三―
ねがはくは汝の歌の我に聞ゆるにいたるまで、この流れのかたにすゝみきたれ ―四八
汝は我にプロセルピーナが、その母彼を彼春を失へるとき、いづこにゐしやいかなるさまにありしやを思ひ出でしむ。 四九―五一
たとへば舞をまふ女の、その二の蹠(あしうら)を地にまた互ひに寄せてすゝみ、ほとんど一足(かたあし)を一足の先に置かざるごとく 五二―五四
彼は紅と黄の花を踏みてこなたにすゝみ、そのさま目をしとやかにたるゝ處女(をとめ)に異ならず 五五―五七
かくて麗はしき聲その詞とともに我に聞ゆるまで近づきてわが願ひを滿たせり 五八―六〇
まさしく草がかの美しき流れの波に洗はるゝところに來るやいなや、彼わがためにその目を擧げぬ 六一―六三
思ふにヴェーネレのあやまちてわが子に刺されし時といふとも、その眉の下に輝ける光かく大いならざりしなるべし 六四―六六
彼は種なきにかの高き邱(をか)に生ずる色をなほも己が手をもて摘みつゝ、右の岸に微笑(ほゝゑ)みゐたり 六七―六九
流れは三歩我等を隔てき、されどセルセの渡れる(このこと今も人のすべての誇りを誡しむ)エルレスポントが 七〇―七二
セストとアビードの間の荒浪のためにレアンドロよりうけし怨みも、かの流れが、かの時開かざりしために我よりうけし怨みにはまさらじ 七三―七五
彼曰ふ。汝等は今初めて來れる者なれば、人たる者の巣に擇ばれしこの處に我のほほゑむをみて 七六―七八
驚きかつ異(あや)しむならむ、されど汝我を樂しませ給へりといへる聖歌は光を與へて汝等の了知(さとり)の霧を拂ふに足るべし 七九―八一
また汝先に立つ者我に請へる者よ、聞くべきことあらばいへ、我はいかなる汝の問ひにも足(たら)はぬ事なく答へんと心構(こゝろがまへ)して來れるなれば。 八二―八四
我曰ふ。水と林の響きとはあらたに起せるわが信を攻む、そはわが聞けるところ今見るところと異なればなり。 八五―八七
是に於てか彼。我は汝のあやしむものにそのいで來る原因(もと)あるを陳べて汝を蔽ふ霧をきよめむ 八八―九〇
それ己のみ己が心に適(かな)ふ至上の善は人を善にまた善行の爲に造り、この處をこれに與へて限りなき平和の契約となせり 九一―九三
人己が越度(をちど)によりてたゞ少時(しばらく)こゝにとゞまり、己が越度によりて正しき笑ひと麗はしき悦びを涙と勤勞(ほねをり)に變らせぬ 九四―九六
水より地よりたちのぼりてその力の及ぶかぎり熱に從ひゆくもののこの下に起す亂(みだれ)が 九七―九九
人と戰ふなからんため、この山かく高く天に聳えき、しかしてその鎖(とざ)さるゝところより上はみなこれを免かる 一〇〇―一〇二
さて空氣は、若しその□(まは)ることいづこにか妨げられずば、こと/″\く第一の囘轉とともに圓を成してめぐるがゆゑに 一〇三―一〇五
かゝる動き、純なる空氣の中にありて全く絆(ほだし)なやこの高嶺(たかね)を撃ち、林に聲を生ぜしむ、これその繁きによりてなり 一〇六―一〇八
また撃たれし草木(くさき)にはその性(さが)を風に滿たすの力あり、この風その後吹きめぐりてこれをあたりに散らし 一〇九―一一一
かなたの地は己が特質と天の利にしたがひて孕み、性(さが)異なる諸□の木を生む 一一二―一一四
かゝればわがこの言(ことば)を聞く者、たとひ見ゆべき種なきにかしこに萌えいづる草木を見るとも、世の不思議とみなすに足らず 一一五―一一七
汝知るべし、この聖なる廣野(ひろの)には一切の種滿ち、かの世に摘むをえざる果(み)のあることを 一一八―一二〇
また汝の今見る水は、漲(みなぎ)り涸(か)るゝ河のごとくに、冷えて凝れる水氣の補(おぎな)ふ脈より流れいづるにあらず 一二一―一二三
變らず盡きざる泉よりいづ、而して泉は神の聖旨(みむね)によりて、その二方の口よりそゝぐものをば再び得(う) 一二四―一二六
こなたには罪の記憶を奪ふ力をもちてくだりゆき、かなたには諸□の善行(よきおこなひ)を憶ひ起さしむ 一二七―一二九
こなたなるはレーテと呼ばれ、かなたなるをエウノエといふ、この二の水まづ味はれざればその功徳(くどく)なし 一三〇―一三二
こは他(ほか)の凡ての味(あぢはひ)にまさる、我またさらに汝に教ふることをせずとも、汝の渇(かわき)はや全くやみたるならむ、されど 一三三―一三五
己が好(このみ)にまかせてなほ一の事を加へむ、思ふにわが言(ことば)たとひ約束の外にいづとも汝の喜びに變りはあらじ 一三六―一三八
いにしへ黄金(こがね)の代(よ)とその幸(さち)多きさまを詩となせる人々、恐らくはパルナーゾにて夢にこの處を見しならむ 一三九―一四一
こゝに罪なくして人住みぬ、こゝにとこしへの春とすべての實(み)あり、彼等の所謂ネッタレは是なり。 一四二―一四四
我はこの時身を後方(うしろ)にめぐらしてわがふたりの詩人にむかひ、彼等が笑を含みつゝこの終りの言をきけるを見 一四五―一四七
後ふたゝび目をかの美しき淑女にむけたり 一四八―一五〇


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   第二十九曲

彼かたりをはれるとき、戀する女のごとく歌ひて、罪をおほはるゝものは福なりといひ 一―三
かくてたとへばひとりは日を見ひとりはこれを避けんとて林の蔭をあゆみゆきしさびしきニンファの群(むれ)のごとくに 四―六
岸をつたひ流れにさかのぼりて進み、また我はわが歩みを細(こまか)にしてそのこまかなる歩みにあはせ、これと相並びて行けり 七―九
ふたりの足數合せて百とならざるさきに、岸兩つながら等しくその方向(むき)を變へたれば、我は再び東にむかへり 一〇―一二
またかくしてゆくことなほ未だ遠からざりしに、淑女全くわが方にむかひて、わが兄弟よ、視よ、耳を傾けよといふ 一三―一五
このとき忽ち一の光かの大なる林の四方に流れ、我をして電光(いなづま)なるかと疑はしめき 一六―一八
されど電光はその現はるゝごとく消ゆれど、この光は長くつゞきていよ/\輝きわたりたれば、我わが心の中に是何物ぞやといふ 一九―二一
また一のうるはしき聲あかるき空をわけて流れぬ、是に於てか我は正しき憤りよりエーヴァの膽の大(ふと)きを責めたり 二二―二四
彼は造られていまだ程なきたゞひとりの女なるに、天地(あめつち)神に遵(したが)へるころ、被物(おほひ)の下に、しのびてとゞまることをせざりき
彼その下に信心深くとゞまりたりせば、我は早くまた永くこのいひがたき樂しみを味へるなるべし 二八―三〇
かぎりなき樂しみの初穗かく豐かなるに心奪はれ、たゞいよ/\大いなる喜びをうるをねがひつゝ、我その間を歩みゐたるに 三一―三三
我等の前にて縁の技の下なる空氣燃ゆる火のごとくかゞやき、かのうるはしき音(おと)今は歌となりて聞えぬ 三四―三六
あゝげに聖なる處女(をとめ)等よ、我汝等のために饑ゑ、寒さ、または眠りをしのびしことあらば、今その報(むくい)を請はざるをえず 三七―三九
いざエリコナよわがためにそゝげ、ウラーニアよ、歌の侶とともに我をたすけて、おもふだに難き事をば詩となさしめよ 四〇―四二
さてその少しく先にあたりてあらはれし物あり、我等と是とはなほ離るゝこと遠かりければ、誤りて七の黄金(こがね)の木と見えぬ 四三―四五
されど相似て官能を欺く物その時性の一をも距離(へだゝり)のために失はざるまで我これに近づけるとき 四六―四八
理性に物を判(わか)たしむる力は、これの燭臺なるとうたへる歌のオザンナなるをさとりたり 四九―五一
この美しき一組の燭臺、上より焔を放ちてその燦(あざや)かなること澄みわたれる夜半(よは)の空の望月(もちづき)よりもはるかにまされり 五二―五四
我はいたくおどろきて身をめぐらし、善きヴィルジリオにむかへるに、我に劣らざる怪訝(あやしみ)を顏にあらはせる外答へなかりき 五五―五七
我即ちふたゝび目をかのたふとき物にむくれば、新婦(はなよめ)にさへ負くるならんとおもはるゝほどいとゆるやかにこなたにすゝめり 五八―六〇
淑女我を責めていふ。汝いかなればかくたゞ生くる光のさまに心を燃やし、その後方(うしろ)より來るものを見ざるや。 六一―六三
このとき我見しに、白き衣を着(かくばかり白き色世にありし例(ためし)なし)、己が導者に從ふごとく後方(うしろ)より來る民ありき 六四―六六
水はわが左にかゞやき、我これを視れば、あたかも鏡のごとくわが身の左の方を映(うつ)せり 六七―六九
われ岸のこなた、たゞ流れのみ我をへだつるところにいたれるとき、なほよくみんと、わが歩みをとゞめて 七〇―七二
視しに、焔はそのうしろに彩色(いろど)れる空氣を殘してさきだちすゝみ、さながら流るゝ小旗のごとく 七三―七五
空氣は七の線(すぢ)にわかたれ、これに日の弓、デリアの帶のすべての色あり 七六―七八
これらの旌(はた)後(うしろ)の方(かた)に長く流れてわが目及ばず、またわがはかるところによれば左右の端(はし)にあるものの相離るゝこと十歩なりき 七九―八一
かく美しきさにおほはれ、二十四人の長老、百合(フイオルダリーゾ)の花の冠をつけてふたりづつならび來れり 八二―八四
みなうたひていふ。アダモの女子(むすめ)のうちにて汝は福なる者なり、ねがはくは汝の美にとこしへの福あれ。 八五―八七
かの選ばれし民、わが對面(むかひ)なるかなたの岸の花と新しき草をはなれしとき 八八―九〇
あたかも天にて光光に從ふごとく、そのうしろより四の生物(いきもの)各□頭(かしら)に縁の葉をいただきて來れり 九一―九三
皆六の翼をもち、目その羽に滿つ、アルゴの目若し生命(いのち)あらばかくのごとくなるべし 九四―九六
讀者よ、彼等の形を録(しる)さんとて我またさらに韻語を散らさじ、そは他の費(つひえ)に支(さ)へられてこの費を惜しまざること能はざればなり 九七―九九
エゼキエレを讀め、彼は彼等が風、雲、火とともに寒き處より來るを見てこれを描(ゑが)けり 一〇〇―一〇二
わがこゝにみし彼等の状(さま)もまたかれの書(ふみ)にいづるものに似たり、但し羽については、ジヨヴァンニ彼と異なりて我と同じ 一〇三―一〇五
これらの四の生物(いきもの)の間を二の輪ある一の凱旋車占む、一頭のグリフォネその頸にてこれを曳けり 一〇六―一〇八
この者二の翼を、中央(なか)の一と左右の三の線(すぢ)の間に伸べたれば、その一をも斷(た)たず損(そこな)はず 一〇九―一一一
翼は尖(さき)の見えざるばかり高く上(あが)れり、その身の中(うち)に鳥なるところはすべて黄金(こがね)にて他(ほか)はみな紅まじれる白なりき 一一二―一一四

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