神曲
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著者名:ダンテアリギエリ 

   第一曲

かのごとく酷(むご)き海をあとにし、優(まさ)れる水をはせわたらんとて、今わが才の小舟(をぶね)帆を揚ぐ 一―三
かくてわれ第二の王國をうたはむ、こは人の靈淨(きよ)められて天に登るをうるところなり 四―六
あゝ聖なるムーゼよ、我は汝等のものなれば死せる詩をまた起きいでしめよ、願はくはこゝにカルリオペ 七―
少しく昇りてわが歌に伴ひ、かつて幸(さち)なきピーケを撃ちて赦(ゆるし)をうるの望みを絶つにいたらしめたる調(しらべ)をこれに傳へんことを ―一二
東の碧玉(あをだま)の妙(たへ)なる色は、第一の圓にいたるまで晴れたる空ののどけき姿にあつまりて 一三―一五
我かの死せる空氣――わが目と胸を悲しましめし――の中よりいでしとき、再びわが目をよろこばせ 一六―一八
戀にいざなふ美しき星は、あまねく東をほゝゑましめておのが伴(とも)なる雙魚を覆へり 一九―二一
われ右にむかひて心を南極にとめ、第一の民のほかにはみしものもなき四の星をみぬ 二二―二四
天はその小(ちひ)さき焔をよろこぶに似たりき、あゝ寡(やもめ)となれる北の地よ、汝かれらを見るをえざれば 二五―二七
われ目をかれらより離して少しく北極――北斗既にかしこにみえざりき――にむかひ 二八―三〇
こゝにわが身に近くたゞひとりの翁(おきな)ゐたるをみたり、その姿は厚き敬(うやまひ)を起さしむ、子の父に負ふ敬といふともこの上にはいでじ 三一―三三
その長き鬚には白き毛まじり、二(ふたつ)のふさをなして胸に垂れし髮に似たり 三四―三六
聖なる四(よつ)の星の光その顏を飾れるため、我彼をみしに日輪前にあるごとくなりき 三七―三九
彼いかめしき鬚をうごかし、いひけるは。失明(めしひ)の川を溯りて永遠(とこしへ)の獄(ひとや)より脱(のが)れし汝等は誰ぞや 四〇―四二
誰か汝等を導ける、地獄の溪を常闇(とこやみ)となす闌(ふ)けし夜(よる)よりいづるにあたりて誰か汝等の燈火(ともしび)となれる 四三―四五
汝等斯くして淵の律法(おきて)を破れるか、將(はた)天上の定(さだめ)新たに變りて汝等罰をうくといへどもなほわが岩に來るをうるか。 四六―四八
わが導者このとき我をとらへ、言(ことば)と手と表示(しるし)をもてわが脛(はぎ)わが目をうや/\しからしめ 四九―五一
かくて答へて彼に曰ふ。我自ら來れるにあらず、ひとりの淑女天より降れり、我その請(こひ)により伴(とも)となりて彼をたすけぬ 五二―五四
されど汝は我等のまことの状態(ありさま)のさらに汝に明(あ)かされんことを願へば、我もいかでか汝にこれを否むをねがはむ 五五―五七
それこの者未だ最後の夕(ゆふ)をみず、されど愚(おろか)にしてこれにちかづき、たゞいと短き時を殘せり 五八―六〇
われさきにいへるごとく、わが彼に遣はされしは彼を救はんためなりき、またわが踏めるこの路を措きては路ほかにあらざりき 六一―六三
我はすべての罪ある民をすでに彼に示したれば、いまや汝の護(まもり)のもとに己を淨むる諸□の靈を示さんとす 六四―六六
わが彼をこゝに伴(ともな)ひ來れる次第は汝に告げんも事長し、高き處より力降りて我をたすけ、我に彼を導いて汝を見また汝の詞を聞かしむ 六七―六九
いざ願はくは彼の來れるを嘉(よみ)せ、彼往きて自由を求む、そもこのもののいと貴(たふと)きはそがために命(いのち)をも惜しまぬもののしるごとし 七〇―七二
汝これを知る、そはそがためにウティカにて汝は死をも苦しみとせず、大いなる日に燦(あざや)かなるべき衣(ころも)をこゝに棄てたればなり 七三―七五
我等永遠(とこしへ)の法(のり)を犯せるにあらず、そはこの者は生く、またミノス我を繋(つな)がず、我は汝のマルチアの貞節(みさを)の目ある獄(ひとや)より來れり 七六―
あゝ聖なる胸よ、汝に妻とおもはれんとの願ひ今なほ彼の姿にあらはる、されば汝彼の愛のために我等を眷顧(かへり)み ―八一
我等に汝の七(なゝつ)の國を過ぐるを許せ、我は汝よりうくる恩惠(めぐみ)を彼に語らむ、汝若し己が事のかなたに傳へらるゝをいとはずば。 八二―八四
この時彼曰ふ。われ世にありし間、マルチアわが目を喜ばしたれば、その我に請へるところ我すべてこれをなせり 八五―八七
今彼禍ひの川のかなたにとゞまるがゆゑに、わがかしこを出でし時立てられし律法(おきて)に從ひ、またわが心を動かすをえず 八八―九〇
されど汝のいふごとく天の淑女の汝を動かし且つ導くあらば汝そがために我に求むれば足るなり、何ぞ諛言(へつらひごと)をいふを須(もち)ゐん 九一―九三
されば行け、汝一本(もと)の滑かなる藺(ゐ)をこの者の腰に束(つか)ねまたその顏を洗ひて一切の汚穢(けがれ)を除け 九四―九六
霧のために□(かす)める目をもて天堂の使者(つかひ)の中なる最初の使者の前にいづるはふさはしからず 九七―九九
この小さき島のまはりのいと/\低きところ浪打つかなたに、藺ありて軟(やはら)かき泥(ひぢ)の上に生(お)ふ 一〇〇―一〇二
この外には葉を出しまたは硬くなるべき草木(くさき)にてかしこに生を保つものなし、打たれて撓(たわ)まざればなり 一〇三―一〇五
汝等かくして後こなたに歸ることなかれ、今出づる日は汝等に登り易き山路(やまぢ)を示さむ。 一〇六―一〇八
かくいひて見えずなりにき、我は物言はず立ちあがりて身をいと近くわが導者によせ、またわが目を彼にそゝげり 一〇九―一一一
彼曰ふ。子よ、わが歩履(あゆみ)に從へ、この廣野(ひろの)こゝより垂れてその低き端(はし)におよべばいざ我等後(うしろ)にむかはむ。 一一二―一一四
黎明(あけぼの)朝の時に勝ちてこれをその前より走(わし)らしめ、我ははるかに海の打震ふを認めぬ 一一五―一一七
我等はさびしき野をわけゆけり、そのさま失へる路をたづねて再びこれを得るまでは 一一八―一二〇
たゞ徒(いたづら)に歩むことぞと自ら思ふ人に似たりき
露日と戰ひ、その邊(わたり)の冷かなるためにたやすく消えざるところにいたれば 一二一―一二三
わが師雙手(もろて)をひらきてしづかに草の上に置きたり、我即ちその意(こゝろ)をさとり 一二四―一二六
彼にむかひて涙に濡るゝ頬をのべしに、彼は地獄のかくせる色をこと/″\くこゝにあらはせり 一二七―一二九
かくて我等はさびしき海邊(うみべ)、その水を渡れる人の歸りしことなきところにいたれり 一三〇―一三二
こゝに彼、かの翁の心に從ひ、わが腰を括(くゝ)れるに、奇なる哉謙遜の草、彼えらびてこれを採るや 一三三―一三五
その抜かれし處よりたゞちに再び生(お)ひいでき 一三六―一三八


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   第二曲

日は今子午線のそのいと高きところをもてイエルサレムを蔽ふ天涯にあらはれ 一―三
これと相對(あひむか)ひてめぐる夜(よ)は、天秤(はかり)(こは夜の長き時その手より落つ)を持ちてガンジェを去れり 四―六
さればわがゐしところにては、美しきアウローラの白き赤き頬、年ふけしため柑子(かうじ)に變りき 七―九
我等はあたかも路のことをおもひて心進めど身止まる人の如くなほ海のほとりにゐたるに 一〇―一二
見よ、朝(あした)近きとき、わたつみの床(ゆか)の上西の方(かた)低きところに、濃き霧の中より火星の紅(あか)くかゞやくごとく 一三―一五
わが目に見えし一の光(あゝ我再びこれをみるをえんことを)海を傳ひていと疾く來れり、げにいかなる羽といふとも斯許(かくばかり)早きはあらじ 一六―一八
われわが導者に問はんとて、しばらく目をこれより離し、後再びこれをみれば今はいよ/\燦(あざや)かにかついよ/\く大いなりき 一九―二一
その左右には何にかあらむ白き物見え、下よりもまた次第に白き物いでぬ 二二―二四
わが師なほ物言はざりしが、はじめの白き物翼とみゆるにいたるにおよび、舟子(ふなこ)の誰なるをさだかに知りて 二五―二七
さけびていふ。いざとく跪き手を合すべし、見よこれ神の使者(つかひ)なり、今より後汝かかる使者等(つかひたち)をみむ 二八―三〇
見よかれ人の器具(うつは)をかろんじ、かく隔たれる二の岸の間にも、擢を用ゐず翼を帆に代ふ 三一―三三
見よ彼これを伸べて天にむかはせ、朽つべき毛の如く變ることなきその永遠(とこしへ)の羽(はね)をもて大氣を動かす。 三四―三六
神の鳥こなたにちかづくに從ひそのさまいよ/\あざやかになりて近くこれを見るにたへねば 三七―三九
われ目を垂れぬ、彼は疾(と)く輕くして少しも水に呑まれざる一の舟にて岸に着けり 四〇―四二
艫(とも)には天の舟人(ふなびと)立ち(福(さいはひ)その姿にかきしるさるゝごとくみゆ)、中には百餘の靈坐せり 四三―四五
イスラエル、エヂプトを出でし時、彼等みな聲をあはせてかくうたひ、かの聖歌に録(しる)されし殘りの詞をうたひをはれば 四三―四五
彼は彼等のために聖十字を截りぬ、彼等即ち皆汀(みぎは)におりたち、彼はその來れる時の如くとく去れり 四九―五一
さてかしこに殘れる群(むれ)は、この處をば知らじとみえ、あたかも新しきものを試むる人の如くあたりをながめき 五二―五四
日はそのさやけき矢をもてはや中天(なかぞら)より磨羯を逐ひ、晝を四方に射下(いくだ)せり 五五―五七
この時新しき民面(おもて)をあげて我等にむかひ、いひけるは。汝等若し知らば、山に行くべき路ををしへよ。 五八―六〇
ヴィルジリオ答へて曰ふ。汝等は我等をこの處に精(くは)しとおもへるならむ、されど我等も汝等と同じ旅客なり 六一―六三
我等は他(ほか)の路を歩みて汝等より少しく先に來れるのみ、その路のいと粗(あら)く且つ艱(かた)きに比(くら)ぶれば今よりこゝを登らんは唯戲(たはぶれ)の如くなるべし。 六四―六六
わが呼吸(いき)によりて我のなほ生くるをしれる魂等はおどろきていたくあをざめぬ 六七―六九
しかしてたとへば報告(しらせ)をえんとて橄欖をもつ使者(つかひ)のもとに人々むらがり、その一人(ひとり)だに踏みあふことを避けざるごとく 七〇―七二
かの幸(さち)多き魂等はみなとゞまりてわが顏をまもり、あたかも行きて身を美しくするを忘るゝに似たりき 七三―七五
我はそのひとりの大いなる愛をあらはし我を抱かんとて進みいづるを見、心動きて自らしかなさんとせしに 七六―七八
あゝ姿のほか凡て空しき魂よ、三度(みたび)われ手をその後(うしろ)に組みしも、三度手はわが胸にかへれり 七九―八一
思ふに我は怪訝(あやしみ)の色に染まれるなるべし、かの魂笑ひて退き、我これを逐ひて前にすゝめば 八二―八四
しづかに我に止(や)めよといふ、この時我その誰なるをしり、しばらくとゞまりて我と語らんことを乞ふ 八五―八七
彼答ふらく。我先に朽つべき肉の中にありて汝を愛せる如く今紲(きづな)を離れて汝を愛す、此故に止まらむ、されど汝の行くは何の爲ぞや。 八八―九〇
我曰ふ。わがカゼルラよ、我のこの羈旅(たびぢ)にあるは再びこゝに歸らんためなり、されど汝何によりてかく多く時を失へるや。 九一―九三
彼我に。時をも人をも心のまゝにえらぶもの、屡□我を拒みてこゝに渡るを許さゞりしかどこれ我に非をなせるにあらず 九四―九六
その意正しき意より成る、されど彼はこの三月(みつき)の間、乘るを願ふものあれば、うけがひて皆これを載せたり 九七―九九
さればこそしばしさき、我かのテーヴェロの水潮(うしほ)に變る海の邊(ほとり)にゆきたるに、彼こころよくうけいれしなれ 一〇〇―一〇二
彼今翼をかの河口(くち)に向く、そはアケロンテの方(かた)にくだらざるものかしこに集まる習ひなればなり。 一〇三―一〇五
我。新しき律法(おきて)汝より、わがすべての願ひを鎭むるを常とせし戀歌の記憶またはその技(わざ)を奪はずば 一〇六―一〇八
肉體とともにこゝに來りて疲(つかれ)甚しきわが魂を、ねがはくは少しくこれをもて慰めよ。 一〇九―一一一
「わが心の中にものいふ戀は」と彼はこのときうたひいづるに、そのうるはしさ今猶耳に殘るばかりに妙(たへ)なりき 一一二―一一四
わが師も我も彼と共にありし民等もみないたくよろこびて、ほかに心に觸るゝもの一だになきごとくみゆ 一一五―一一七
我等すべてとゞまりて心を歌にとめゐたるに、見よ、かのけだかき翁さけびていふ。何事ぞ遲(おそ)き魂等よ 一一八―一二〇
何等の怠慢(おこたり)ぞ、何ぞかくとゞまるや、走(わし)りて山にゆきて穢(けがれ)を去れ、さらずば神汝等にあらはれたまはじ。 一二一―一二三
たとへば食をあさりてつどへる鳩の、聲もいださず、その習ひなる誇(ほこり)もみせで、麥や莠(はぐさ)の實を拾ふとき 一二四―一二六
おそるゝもののあらはるゝあれば、さきにもまさる願ひに攻められ、忽ち食を棄て去るごとく 一二七―一二九
かの新しき群(むれ)歌を棄て、山坂にむかひてゆきぬ、そのさま行けども行方(ゆくへ)をしらざる人に似たりき 一三〇―一三二
我等もまたこれにおくれずいでたてり 一三三―一三五


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   第三曲

彼等忽ち馳せ、廣野(ひろの)をわけて散り、理性に促(うなが)されて我等の登る山にむかへるも 一―三
我は身をわがたのもしき伴侶(とも)によせたり、我またいかで彼を觸れて走(わし)るをえんや、誰か我を導いて山に登るをえしめんや 四―六
彼はみづから悔ゆるに似たりき、あゝ尊き清き良心よ、たゞさゝやかなる咎もなほ汝を刺すこといかにはげしき 七―九
彼の足すべての動作(ふるまひ)の美をこぼつ急(いそぎ)を棄つれば、さきに狹(せば)まれるわが心 一〇―一二
さながら求むるものある如く思ひを廣くし、我はかの水の上より天にむかひていと高く聳ゆる山にわが目をそゝぎぬ 一三―一五
後方(うしろ)に赤く燃ゆる日は、わがためにその光を支(さ)へられて碎け、前方(まへ)にわが象(かたち)を殘せり 一六―一八
我わが前方(まへ)にのみ黒き地あるをみしとき、おのが棄てられしことを恐れてわが傍(かたへ)にむかへるに 一九―二一
我を慰むるもの全く我に對(むか)ひていふ。何ぞなほ疑ふや、汝はわが汝と共にありて汝を導くを信ぜざるか 二二―二四
わがやどりて影を映(うつ)せる身の埋(うづ)もるゝ處にてははや夕(ゆふ)なり、この身ナポリにあり、ブランディツィオより移されき 二五―二七
さればわが前に今影なしとも、こはたがひに光を堰(せ)かざる諸天に似てあやしむにたらず 二八―三〇
そも/\威力(ちから)はかゝる體(からだ)を造りてこれに熱と氷の苛責の苦しみを感ぜしむ、されどその爲す事の次第の我等に顯はるゝことを好まず 三一―三三
もし我等の理性をもて、三にして一なる神の踏みたまふ無窮の道を極めんと望むものあらばそのもの即ち狂へるなり 三四―三六
人よ汝等は事を事として足れりとせよ、汝等もし一切を見るをえたりしならば、マリアは子を生むに及ばざりしなるべし 三七―三九
また汝等は、己が願ひをかなふるにふさはしかりし人々にさへ、その願ふところ實を結ばず却つて永遠(とこしへ)に悲しみとなりて殘るを見たり 四〇―四二
わがかくいへるはアリストーテレ、プラトー、その外多くのものの事なり。かくいひて顏を垂れ、思ひなやみてまた言(ことば)なし 四三―四五
かゝるうちにも我等は山の麓に着けり、みあぐれば巖(いはほ)いと嶮しく、脛(はぎ)の疾(はや)きもこゝにては益なしとみゆ 四六―四八
レリーチェとツルビアの間のいとあらびいと廢(すた)れし徑(こみち)といふとも、これに此(くら)ぶれば、寛(ゆるや)かにして登り易き梯子(はしご)の如し 四九―五一
わが師歩みをとゞめていふ。誰か知る、山の腰低く垂れて翼なき族人(たびびと)もなほ登るをうるは何方(いづかた)なるやを。 五二―五四
彼顏をたれて心に路のことをおもひめぐらし、我はあふぎて岩のまはりをながめゐたるに 五五―五七
この時わが左にあらはれし一群(ひとむれ)の魂ありき、彼等はこなたにその足をはこべるも、來ることおそくしてしかすとみえず 五八―六〇
我曰ふ。師よ目を擧げてこなたを見よ、汝自ら思ひ定むるあたはずば彼等我等に教ふべし。 六一―六三
彼かれらを見、氣色(けしき)晴(はれ)やかに答ふらく。彼等の歩履(あゆみ)おそければいざ我等かしこに行かん、好兒(よきこ)よ、望みをかたうせよ。 六四―六六
我等ゆくこと千歩にして、かの民なほ離るゝこと巧みなる投手(なげて)の石のとゞくばかりなりしころ(六七)
彼等はみな高き岸なる堅き岩のほとりにあつまり、互ひに身をよせて動かず、おそれて道を行く人の見んとて止まる如くなりき 七〇―七二
ヴィルジリオ曰ふ。あゝ福(さいはひ)に終れるものらよ、すでに選ばれし魂等よ、我は汝等のすべて待望む平安を指して請ふ 七三―七五
我等に山の斜(なゝめ)にて上りうべきところを告げよ、そは知ることいと大いなる者時を失ふを厭ふことまたいと大いなればなり。 七六―七八
たとへば羊の、一づつ二づつまたは三づつ圈(をり)をいで、殘れるものは臆してひくく目と口を垂れ 七九―八一
而して最初の者の爲す事をばこれに續く者皆傚ひて爲し、かの者止まれば、聲なく思慮(こゝろ)なくその何故なるをも知らで、これが邊(あたり)に押合ふ如く 八二―八四
我はこの時かの幸(さち)多き群(むれ)の先手(さきて)の、容端(かたち)正(たゞしく)歩履(あゆみ)優(いう)にこなたに進み來るをみたり 八五―八七
さきに立つ者、わが右にあたりて光地に碎け、わが影岩に及べるをみ 八八―九〇
とゞまりて少しく後方(うしろ)に退(すさ)れば、續いて來れる者は故をしらねどみなかくなせり 九一―九三
汝等問はざるも我まづ告げむ、汝等の見るものはこれ人の體(からだ)なり、此故に日の光地上に裂く 九四―九六
あやしむなかれ、信ぜよ、天より來る威能(ちから)によらで彼この壁に攀(よ)ぢんとするにあらざるを。 九七―九九
師斯く、かの尊(たふと)き民手背(てのおもて)をもて示して曰ふ。さらば身をめぐらして先に進め。 一〇〇―一〇二
またそのひとりいふ。汝誰なりとも、かく歩みつゝ顏をこなたにむけて、世に我を見しことありや否やをおもへ。 一〇三―一〇五
我即ちかなたにむかひ、目を定めて彼を見しに、黄金(こがね)の髮あり、美しくして姿けだかし、されど一の傷ありてその眉の一を分てり 一〇六―一〇八
我謙(へりく)だりていまだみしことなしとつぐれば、彼はいざ見よといひてその胸の上のかたなる一の疵を我に示せり 一〇九―一一一
かくてほゝゑみていふ。我は皇妃コスタンツァの孫マンフレディなり、此故にわれ汝に請ふ、汝歸るの日 一一二―一一四
シチーリアとアラーゴナの名譽(ほまれ)の母なるわが美しき女(むすめ)のもとにゆき、世の風評(さた)違はば實(まこと)を告げよ 一一五―一一七
わが身二の重傷(いたで)のために碎けしとき、われは泣きつゝ、かのよろこびて罪を赦したまふものにかへれり 一一八―一二〇
恐しかりきわが罪は、されどかぎりなき恩寵(めぐみ)そのいと大いなる腕(かひな)をもて、すべてこれに歸るものをうく 一二一―一二三
クレメンテに唆(そその)かされて我を狩りたるコセンツァの牧者、その頃神の聖經(みふみ)の中によくこの教へを讀みたりしならば 一二四―一二六
わが體(からだ)の骨は、今も重き堆石(つみいし)に護られ、ベネヴェントに近き橋のたもとにありしなるべし 一二七―一二九
さるを今は王土の外(そと)ヴェルデの岸邊(きしべ)に雨に洗はれ風に搖(ゆす)らる、彼消(け)せる燈火(ともしび)をもてこれをかしこに移せるなり 一三〇―一三二
それ望みに緑の一點をとゞむる間は、人彼等の詛ひによりて全く滅び永遠(とこしへ)の愛歸るをえざるにいたることなし 一三三―一三五
されどげに聖なる寺院の命に悖(もと)りて死する者、たとひつひに悔ゆといへども、その僭越なりし間の三十倍の時過ぐるまで 一三六―一三八
必ず外(そと)なるこの岸にとゞまる、もし善き祈りによりて時の短くせらるゝにあらずば 一三九―一四一
請ふわが好(よ)きコスタンツァに汝の我にあへる次第とこの禁制(いましめ)とをうちあかし、汝がこの後我を悦ばすをうるや否やを見よ 一四二―一四四
そはこゝにては、世にある者の助けによりて、我等の得るところ大なればなり。 一四五―一四七


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   第四曲

心の作用(はたらき)の一部喜びまたは憂ひを感ずる深ければ、魂こと/″\こゝにあつまり 一―三
また他の能力(ちから)をかへりみることなしとみゆ、知るべし、我等の内部(うち)に燃ゆる魂、一のみならじと思ふは即ち誤りなることを 四―六
この故に聞くこと見るもの、つよく魂をひきよすれば、人時の過ぐるを知らず 七―九
そは耳をとゞむる能力(ちから)は魂を全く占(し)むる能力(ちから)と異なる、後者はその状(さま)繋(つな)がるゝに等しく前者には紲(きづな)なし 一〇―一二
我かの靈のいふところをきき且つはおどろきてしたしくこの事の眞(まこと)なるをさとれり、そは我等かの魂等が我等にむかひ 一三―
聲をあはせて、汝等の尋ぬるものこゝにありと叫べる處にいたれる時、日はわがしらざる間に裕(ゆたか)に五十を上(のぼ)りたればなり ―一八
葡萄黒むころ、たゞ一束(たば)の茨(いばら)をもて、村人(むらびと)の圍(かこ)ふ孔(あな)といふとも、かの群(むれ)我等をはなれし後 一九―
導者さきに我あとにたゞふたり登りゆきし徑路(こみち)よりは間々(まま)大いなるべし ―二四
サンレオにゆき、ノーリにくだり、ビスマントヴァを登りてその頂にいたるにもただ足あれば足る、されどこゝにては飛ばざるをえずと 二五―二七
即ち我に望みを與へ、わが光となりし導者にしたがひ、疾き翼深き願ひの羽を用ゐて 二八―三〇
我等は碎けし岩の間を登れり、崖(がけ)左右より我等に迫り、下なる地は手と足の助けを求めき 三一―三三
我等高き陵(をか)の上縁(うはべり)、山の腰のひらけしところにいたれるとき、我いふ。わが師よ、我等いづれの路をえらばむ。 三四―三六
彼我に。汝一歩をも枉ぐるなかれ、さとき嚮導(しるべ)の我等にあらはるゝことあるまで、たえず我に從ひて山を登れ。 三七―三九
巓(いただき)は高くして視力及ばず、また山腹は象限(しやうげん)の中央(なかば)の線(すぢ)よりはるかに急なり 四〇―四二
我疲れて曰ふ。あゝやさしき父よ、ふりかへりて我を見よ、汝若しとゞまらずば、我ひとりあとに殘るにいたらむ。 四三―四五
わが子よ、身をこの處まで曳き來れ。彼は少しく上方(うへ)にあたりて山のこなたをことごとくめぐれる一の高臺(パルツオ)を指示しつゝかくいへり 四六―四八
この言(ことば)にはげまされ、我は彼のあとより匍匐(はひ)つゝわが足圓の上を踏むまでしひて身をすゝましむ 四九―五一
我等はこゝに、我等の登れる方(かた)なりし東に向ひて倶に坐せり、そは人顧みて心を慰むる習ひなればなり 五二―五四
我まづ目を低き汀(みぎは)にそゝぎ、後これを擧げて日にむかひ、その光我等の左を射たるをあやしめり 五五―五七
詩人はわがかの光の車の我等とアクイロネの間を過ぐるをみていたく惑へることをさだかにさとり 五八―六〇
即ち我にいひけるは。若しカストレとポルルーチェ、光を上と下とにおくるかの鏡とともにあり 六一―六三
かつかのものその舊き道を離れずば、汝は赤き天宮の今よりもなほ北斗に近くめぐるをみるべし 六四―六六
汝いかでこの事あるやをさとるをねがはば、心をこめて、シオンとこの山と地上にその天涯を同じうし 六七―
その半球を異にするを思へ、さらば汝の智にしてもしよく明(あきらか)にこゝにいたらば、かのフェートンが幸(さち)なくも
車を驅るを知らざりし路は何故に此の左、彼の右をかならず過ぐるや、汝これを知るをえむ。 ―七五
我曰ふ。わが師よ、才の足らじとみえしところを、げに今にいたるまで我かくあきらかにさとれることなし 七六―七八
さる學術にて赤道とよばれ、常に日と冬の間にありていと高くめぐる天の中帶は 七九―八一
汝の告ぐる理(ことわり)により、この處を北に距ること、希伯來人(エブレオびと)がこれをみしとき彼等を熱き地の方(かた)に距れるに等し 八二―八四
されど我等いづこまで行かざるをえざるや、汝ねがはくは我にしらせよ、山高くそびえてわが目及ぶあたはざればなり。 八五―八七
彼我に。はじめ常に艱しといへども人の登るに從つてその勞を少うするはこれこの山の自然なり 八八―九〇
此故に汝これをたのしみ、上(のぼ)るの易きことあたかも舟にて流れを追ふごときにいたれば 九一―九三
すなはちこの徑路(こみち)盡(つ)く、汝そこにて疲れを休むることをうべし、わが汝に答ふるは是のみ、しかして我この事の眞(まこと)なるを知る。 九四―九六
彼その言葉を終(を)へしとき、あたりに一の聲ありていふ。おそらくは汝それよりさきに坐せざるをえざるなるべし。 九七―九九
かくいふをききて我等各□ふりかへり、左に一の大いなる石を見ぬ、こは我も彼もさきに心をとめざりしものなりき 一〇〇―一〇二
我等かしこに歩めるに、そこには岩の後(うしろ)なる蔭に息(いこ)へる群(むれ)ありてそのさま怠惰(おこたり)のため身を休むる人に似たりき 一〇三―一〇五
またそのひとりはよわれりとみえ、膝を抱いて坐し、顏を低くその間に垂れゐたり 一〇六―一〇八
我曰ふ。あゝうるはしきわが主、彼を見よ、かれ不精(ぶせい)を姉妹とすともかくおこたれるさまはみすまじ。 一〇九―一一一
この時彼我等の方(かた)に對ひてその心をとめ、目をたゞ股(もゝ)のあたりに動かし、いひけるは。いざ登りゆけ、汝は雄々(をゝ)し。 一一二―一一四
我はこのときその誰なるやをしり、疲れ今もなほ少しくわが息(いき)をはずませしかど、よくこの障礙(しやうげ)にかちて 一一五―一一七
かれの許(もと)にいたれるに、かれ殆んど首(かうべ)をあげず、汝は何故に日が左より車をはするをさとれりやといふ 一一八―一二〇
その無精(ぶせい)の状(さま)と短き語(ことば)とは、すこしく笑(ゑみ)をわが唇にうかばしむ、かくて我曰ふ。ベラックヮよ、我は今より 一二一―
また汝のために憂へず、されど告げよ、汝何ぞこゝに坐するや、導者を待つか、はたたゞ汝の舊(ふ)りし習慣(ならひ)に歸れるか。 ―一二六
彼。兄弟よ、登るも何の益かあらむ、門に坐する神の鳥は、我が苛責をうくるを許さざればなり 一二七―一二九
われ終りまで善き歎息(なげき)を延べたるにより、天はまづ門の外(そと)にて我をめぐる、しかしてその時の長さは世にて我をめぐれる間と相等し 一三〇―一三二
若し恩惠(めぐみ)のうちに生くる心のさゝぐる祈り(異祈(あだしいのり)は天聽かざれば何の效(かひ)あらむ)、これより早く我を助くるにあらざれば。 一三三―一三五
詩人既に我にさきだちて登りていふ。いざ來れ、見よ日は子午線に觸れ、夜は岸邊(きしべ)より 一三六―一三八
はやその足をもてモロッコを覆(おほ)ふ。


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   第五曲

我既にかの魂等とわかれてわが導者の足跡(あしあと)に從へるに、このとき一者(ひとり)、後方(うしろ)より我を指ざし 一―三
叫びていふ。見よ光下なるものの左を照さず、彼があたかも生者のごとく歩むとみゆるを。 四―六
我はこの言(ことば)を聞きて目をめぐらし、彼等のあやしみてわれひとり、ただわれひとりと、碎けし光とを目守(まも)るをみたり 七―九
師曰ふ。汝何ぞ心ひかれて行くことおそきや、彼等の私語(さゝやき)汝と何の係(かゝはり)あらんや 一〇―一二
我につきて來れ、斯民(このたみ)をその言ふに任(まか)せよ、風吹くとも頂(いただき)搖(ゆる)がざるつよき櫓(やぐら)の如く立つべし 一三―一五
そは思ひ湧き出でて思ひに加はることあれば、後の思ひ先の思ひの力をよわめ、人その目的(めあて)に遠ざかる習ひなればなり。 一六―一八
我行かんといふの外また何の答へかあるべき、人にしば/\赦(ゆるし)をえしむる色をうかめてわれ斯くいへり 一九―二一
かゝる間に、山の腰にそひ、横方(よこあひ)より、かはる/″\憐れみたまへを歌ひつゝ、我等のすこしく前に來れる民ありき 二二―二四
彼等光のわが身に遮(さへぎ)らるゝをみしとき、そのうたへる歌を長き嗄れたるあゝに變へたり 二五―二七
しかしてそのうちより使者(つかひ)とみゆるものふたり、こなたにはせ來り、我等にこひていふ。汝等いかなるものなりや我等に告げよ。 二八―三〇
わが師。汝等たちかへり、汝等を遣はせるものに告げて、彼の身は眞(まこと)の肉なりといへ 三一―三三
若しわが量(はか)るごとく、彼の影を見て彼等止まれるならば、この答へにて足る、彼等に彼をあがめしめよ、さらば彼等益をえむ。 三四―三六
夜の始めに澄渡る空(そら)を裂き、または日の落つるころ葉月(はづき)の叢雲(むらくも)を裂く光といふとも、そのはやさ 三七―三九
かなたに歸りゆきし彼等には及ばじ、さてかしこに着くや彼等は殘れる者とともに恰も力のかぎり走る群(むれ)の如く足をこなたに轉(めぐ)らせり 四〇―四二
詩人曰ふ。我等に押寄する民數(かず)多し、彼等汝に請はんとて來る、されど汝止まることなく、行きつゝ耳をかたむけよ。 四三―四五
彼等來りよばはりていふ。あゝ幸(さいはひ)ならんため生れながらの身と倶に行く魂よ、しばらく汝の歩履(あゆみ)を停(とゞ)めよ 四六―四八
我等の中に汝嘗て見しによりてその消息(おとづれ)を世に傳ふるをうる者あるか、噫(あゝ)何すれぞ過行くや、汝何すれぞ止まらざるや 四九―五一
我等は皆そのかみ横死を遂げし者なり、しかして臨終(いまは)にいたるまで罪人(つみびと)なりしが、この時天の光我等をいましめ 五二―五四
我等は悔いつゝ赦しつゝ、神即ち彼を見るの願ひをもて我等の心をはげますものと和(やは)らぎて世を去れるなり。 五五―五七
我。われよく汝等の顏をみれども、一だにしれるはなし、されど汝等の心に適(かな)ひわが爲すをうる事あらば、良日(よきひ)の下(もと)に生れし靈よ 五八―六〇
汝等いへ、さらば我は、かゝる導者にしたがひて世より世にわが求めゆく平和を指してこれをなすべし。 六一―六三
一者(ひとり)曰ふ。汝誓はずとも我等みな汝の助けを疑はず、もし力及ばざるため意斷たるることなくば 六四―六六
この故に我まづひとりいひいでて汝に請ふ、汝ローマニアとカルロの國の間の國をみるをえば 六七―六九
汝の厚き志により、わがためにファーノの人々に請ひてよき祈りをささげしめ、我をしてわが重き罪を淨むるをえしめよ 七〇―七二
我はかしこの者なりき、されど我の宿れる血の流れいでし重傷(ふかで)をばわれアンテノリの懷(ふところ)に負へり 七三―七五
こはわがいと安全(やすらか)なるべしとおもへる處なりしを、エスティの者、正義の求むる範圍(かぎり)を超えて我を怨みこの事あるにいたれるなり 七六―七八
されどオリアーコにて追ひ及(し)かるゝとき、若しはやくラ・ミーラの方(かた)に逃げたらんには、我は息通(いきかよ)ふかなたに今もありしなるべし 七九―八一
われ澤に走りゆき、葦(あし)と泥(ひぢ)とにからまりて倒れ、こゝにわが血筋(ちすぢ)の地上につくれる湖(うみ)を見ぬ。 八二―八四
この時また一者(ひとり)いふ。あゝねがはくは汝を引きてこの高山(たかやま)に來らしむる汝の願ひ成就せんことを、汝善き憐(あはれみ)をもてわが願ひをたすけよ 八五―八七
我はモンテフェルトロの者なりき我はボンコンテなり、ジヨヴァンナも誰もわが事を思はず、此故にわれ顏を垂れて此等の者と倶に行く。 八八―九〇
我彼に。汝の墓の知られざるまで、カムパルディーノより汝を遠く離れしめしは、そも/\何の力何の運ぞや。 九一―九三
彼答ふらく。あゝカセンティーノの麓に、横さまに流るゝ水あり、隱家(かくれが)の上なるアペンニノより出で、名をアルキアーノといふ 九四―九六
われ喉を刺されし後、徒(かち)にて逃げつゝ野を血に染めて、かの流れの名消ゆる處に着けり 九七―九九
わが目こゝに見えずなりぬ、わが終焉(をはり)の詞はマリアの名なりき、われこゝに倒れ、殘れるものはたゞわが肉のみ 一〇〇―一〇二
われ眞(まこと)を汝に告げむ、汝これを生者(しやうじや)に傳へよ、神の使者(つかひ)我を取れるに地獄の使者よばはりて、天に屬する者よ 一〇三―
汝何ぞ我物を奪ふや、唯一滴(しづく)の涙の爲に彼我を離れ、汝彼の不朽の物を持行くとも我はその殘りをばわが心のまゝにあしらはんといふ ―一〇八
濕氣空に集りて昇り、冷えて凝る處にいたれば、直ちに水にかへること、汝のさだかに知るごとし 一〇九―一一一
さてかの者たゞ惡をのみ圖る惡意を智に加へ、その性(さが)よりうけし力によりて霧と風とを動かせり 一一二―一一四
かくて日暮れしとき、プラートマーニオよりかの大いなる連山にいたるまで、彼霧をもて溪を蔽ひ、上なる天を包ましむれば 一一五―一一七
密雲變じて水となり、雨降(ふ)りぬ、その地に吸はれざるものみな狹間(はざま)に入れ 一一八―一二〇
やがて多くの大いなる流れと合し、たふとき川に向ひて下るに、その馳することいとはやくして、何物もこれをひきとむをえざりき 一二一―一二三
たくましきアルキアーンははや強直(こはばり)しわが體をその口のあたりに見てこれをアルノに押流し、わが苦しみにたへかねしとき 一二四―
身をもて造れる十字架を胸の上より解き放ち、岸に沿ひまた底に沿ひて我を轉(まろ)ばし、遂に己が獲物(えもの)をもて我を被ひ且つ卷けり。 ―一二九
この時第三の靈第二の靈に續いて曰ふ。あゝ汝世に歸りて遠き族程(たびぢ)の疲れより身を休めなば 一三〇―一三二
われピーアを憶へ、シエーナ我を造りマレムマ我を毀(こぼ)てるなり、こは縁(えにし)の結ばるゝころまづ珠の指輪をば 一三三―一三五
我に與へしものぞしるなる 一三六―一三八


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   第六曲

ヅァーラの遊戲(あそび)果つるとき、敗者(まくるもの)は悲しみて殘りつゝ、くりかへし投げて憂ひの中に學び 一―三
人々は皆勝者(かつもの)とともに去り、ひとり前(まへ)に行きひとり後(うしろ)よりこれを控(ひか)へひとり傍(かたへ)よりこれに己を憶はしむるに 四―六
かの者止まらず、彼に此に耳を傾け、また手を伸べて與ふればその人再び迫らざるがゆゑに、かくして身をまもりて推合(おしあ)ふことを避(さ)く 七―九
我亦斯の如く、かのこみあへる群(むれ)の中にてかなたこなたにわが顏をめぐらし、約束をもてその絆(きづな)を絶てり 一〇―一二
こゝにはアレッツオ人(びと)にてギーン・ディ・タッコの猛(たけ)き腕(かひな)に死せるもの及び追ひて走りつゝ水に溺れし者ゐたり 一三―一五
こゝにはフェデリーゴ・ノヴェルロ手を伸べて乞ひ、善きマルヅッコにその強きをあらはさしめしピサの者またしかなせり 一六―一八
我は伯爵(コンテ)オルソを見き、また自らいへるごとく犯せる罪の爲にはあらで怨みと嫉みの爲に己が體(からだ)より分たれし魂を見き 一九―二一
こはピエール・ダ・ラ・ブロッチアの事なり、ブラバンテの淑女はこれがためこれより惡しき群(むれ)の中に入らざるやう世に在る間に心構(こゝろがまへ)せよ 二二―二四
さてすべてこれ等の魂即ちはやくその罪を淨むるをえんとてたゞ人の祈らんことを祈れる者を離れしとき 二五―二七
我曰ひけるは。あゝわが光よ、汝はあきらかに詩の中にて、祈りが天の定(さだめ)を枉ぐるを否むに似たり 二八―三〇
しかしてこの民これをのみ請ふ、さらば彼等の望み空なるか、さらずば我よく汝の言(ことば)をさとらざるか。 三一―三三
彼我に。健(すこやか)なる心をもてよくこの事を思ひみよ、わが筆解(げ)し易く、彼等の望み徒(あだ)ならじ 三四―三六
そは愛の火たとひこゝにおかるゝもののたらはすべきことをたゞしばしのまに滿すとも、審判(さばき)の頂垂れざればなり 三七―三九
またわがこの理(ことわり)を陳べし處にては、祈り、神より離れしがゆゑに、祈れど虧處(おちど)補はれざりき 四〇―四二
されどかく奧深き疑ひについては、眞(まこと)と智(さとり)の間の光となるべき淑女汝に告ぐるにあらずば心を定むることなかれ 四三―四五
汝さとれるや否や、わがいへるはベアトリーチェのことなり、汝はこの山の巓(いただき)に、福(さいはひ)にしてほゝゑめる彼の姿をみるをえむ。 四六―四八
我。主よいそぎてゆかむ、今は我さきのごとく疲れを覺えず、また山のはやその陰を投ぐるをみよ。 四九―五一
答へて曰ふ。我等は日のある間に、我等の進むをうるかぎりすゝまむ、されど事汝の思ふところと違ふ 五二―五四
いまだ巓にいたらざるまに、汝は今山腹にかくれて汝のためにその光を碎かれざる物また歸り來るを見む 五五―五七
されど見よ、かしこにたゞひとりゐて我等の方(かた)をながむる魂あり、かの者我等にいと近き路を教へむ。 五八―六〇
我等これが許にいたりぬ、あゝロムバルディアの魂よ、汝の姿は軒昂(けだか)くまたいかめしく、汝の目は嚴(おごそか)にまた緩(ゆるや)かに動けるよ 六一―六三
かの魂何事をもいはずして我等を行かしめ、たゞ恰もやすらふ獅子のごとく我等を見たり 六四―六六
されどヴィルジリオこれに近づき、登るにいと易きところを我等に示さむことを請へるに、その問ひに答へず 六七―六九
たゞ我等に我等の國と状態(ありさま)をたづねき、このときうるはしき導者マントヴァ……といひかくれば、己ひとりを世とせし魂 七〇―七二
立ちて彼のかたにむかひてそのゐし處をはなれつゝ、あゝマントヴァ人よ、我は汝の邑(まち)の者ソルデルロなりといひ、かくて二者(ふたり)相抱きぬ 七三―七五
あゝ屈辱のイタリアよ、憂ひの客舍、劇しき嵐の中の水夫(かこ)なき船よ、汝は諸州(くに/″\)の女王にあらずして汚れの家なり 七六―七八
かのたふとき魂は、たゞ己が生れし邑(まち)の麗しき名のよばるゝをきき、かく歡びてこの處に同郷人(ふるさとびと)を迎へしならずや 七九―八一
しかるに今汝の中には生者(しやうじや)敬ひをやむる時なく、一の垣一の濠に圍まるゝもの相互(あひたがひ)に噛むことをなす 八二―八四
幸(さち)なきものよ、岸をめぐりて海の邊(ほとり)の地をたづね、後汝の懷(ふところ)を見よ、汝のうちに一なりとも平和を樂しむ處ありや 八五―八七
かのユスティニアーノ汝のために銜(くつわ)を調(とゝの)へしかど、鞍空しくば何の益あらむ、この銜なかりせば恥は却つて少(すく)なかるべし 八八―九〇
あゝ眞心(まごゝろ)をもて神を崇(あが)めかつチェーザレを鞍に載すべき(汝等もしよく神の言(ことば)をさとりなば)人々よ 九一―九三
汝等手綱をとれるよりこのかた、拍車によりて矯(た)めらるゝことなければ、見よこの獸のいかばかり悍(たけ)くなれるやを 九四―九六
あゝドイツ人(びと)アルベルトよ、汝は鞍に跨るべき者なるに、この荒き御しがたき獸を棄つ 九七―九九
ねがはくは正しき審判(さばき)星より汝の血の上に降り、奇(くす)しく且つ顯著(あらは)にて、汝の後を承(う)くる者恐れをいだくにいたらんことを 一〇〇―一〇二
そは汝も汝の父も貪焚(むさぼり)のためにかの地に抑(と)められ、帝國の園をその荒るゝにまかせたればなり 一〇三―一〇五
來りて見よ、思慮なき人よ、モノテッキとカッペルレッティ、モナルディとフィリッペスキを、彼等既に悲しみ此等はおそる 一〇六―一〇八
來れ、無情の者よ、來りて汝の名門の虐(しひた)げらるゝを見、これをその難より救へ、汝またサンタフィオルのいかに安全(やすらか)なるやをみん 一〇九―一一一
來りて汝のローマを見よ、かれ寡婦(やもめ)となりてひとり殘され、晝も夜も泣き叫びて、わがチェーザレよ汝何ぞ我と倶にゐざるやといふ 一一二―一一四
來りて見よ、斯民(このたみ)の相愛することいかに深きやを、若し我等を憐れむの心汝を動かさずば、汝己が名に恥ぢんために來れ 一一五―一一七
また斯く言はんも畏(かしこ)けれど、あゝいと尊きジョーヴェ、世にて我等の爲に十字架にかゝり給へる者よ、汝正しき目を他(ほか)の處にむけたまふか 一一八―一二〇
はたこは我等の全く悟る能はざる福祉(さいはひ)のためいと深き聖旨(みむね)の奧に汝の設けたまふ備(そなへ)なるか 一二一―一二三
そは專横の君あまねくイタリアの諸邑(まち/\)に滿ち、匹夫朋黨に加はりてみなマルチェルとなればなり 一二四―一二六
わがフィオレンツァよ、汝この他事(あだしこと)をきくともこは汝に干係(かゝはり)なければまことに心安からむ、汝をこゝにいたらしむる汝の民は讚むべきかな 一二七―一二九
義を心に宿す者多し、されど漫りに弓を手にするなからんためその射ること遲きのみ、然るに汝の民はこれを口の端(はし)に置く 一三〇―一三二
公共(おほやけ)の荷を拒むもの多し、然るに汝の民は招かれざるにはやくも身を進めて我自ら負はんとさけぶ 一三三―一三五
いざ喜べ、汝しかするは宜(うべ)なればなり、汝富めり、汝泰平なり、汝智(さと)し、わがこの言(ことば)の僞りならぬは事實よくこれを證(あかし)す 一三六―一三八
文運かの如く開け、且つ古の律法(おきて)をたてしアテーネもラチェデーモナも、汝に比(くら)ぶればたゞ小(さゝ)やかなる治國の道を示せるのみ 一三九―
汝の律法(おきて)の絲は細(こまや)かなれば、汝が十月に紡(つむ)ぐもの、十一月の半(なかば)まで保たじ ―一四四
げに汝が汝のおぼゆる時の間に律法(おきて)、錢(ぜに)、職務(つとめ)、習俗(ならはし)を變へ民を新たにせること幾度(いくたび)ぞや 一四五―一四七
汝若しよく記憶をたどりかつ光をみなば、汝は自己(おのれ)があたかも病める女の軟毛(わたげ)の上にやすらふ能はず、身を左右にめぐらして 一四八―一五〇
苦痛(いたみ)を防ぐに似たるを見む 一五一―一五三


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   第七曲

ふさはしきうれしき會釋(ゑしやく)三度(みたび)と四度(よたび)に及べる後、ソルデルしざりて汝は誰なりやといふ 一―三
登りて神のみもとにいたるを魂等未だこの山にむかはざりしさきに、オッタヴィアーンわが骨を葬りき 四―六
我はヴィルジリオなり、他(ほか)の罪によるにあらずたゞ信仰なきによりてわれ天を失へり。導者この時斯く答ふ 七―九
ふと目の前に物あらはるればその人あやしみて、こは何なり否あらずといひ、信じてしかして疑ふことあり 一〇―一二
かの魂もまたかくのごとくなりき、かくて目を垂れ、再びうや/\しく導者に近づき、僕(しもべ)の抱くところをいだきて 一三―一五
いひけるは。あゝラチオ人(びと)の榮(さかえ)よ――汝によりて我等の言葉その力の極(きはみ)をあらはせり――あゝわが故郷(ふるさと)の永遠(とこしへ)の實よ 一六―一八
我を汝に遭はしめしは抑□何の功徳何の恩惠(めぐみ)ぞや我若し汝の言(ことば)を聞くの幸(さいはひ)をえば請ふ告げよ汝地獄より來れるかそは何の圍(かこひ)の内よりか。 一九―二一
彼これに答ふらく。我は悲しみの王土の中(うち)なる諸□の獄(ひとや)をへてこゝに來れり、天の威力(ちから)我を動かしぬ、しかしてわれこれとともに行く 二二―二四
爲すによるにあらず爲さざるによりて我は汝の待望み我の後れて知るにいたれる高き日を見るをえざるなり 二五―二七
下に一の處あり、苛責のために憂きにあらねどたゞ暗く、そこにきこゆる悲しみの聲は歎息(ためいき)にして叫喚(さけび)にあらず 二八―三〇
かしこに我は、人の罪より釋(と)かれざりしさきに死の齒に噛まれし稚兒(をさなご)とともにあり 三一―三三
かしこに我は、三の聖なる徳を着ざれど惡を離れ他(ほか)の諸□の徳を知りてすべてこれを行へる者とともにあり 三四―三六
されど汝路をしりかつ我等に示すをうべくば、請ふ我等をして淨火のまことの入口にとくいたるをえせしめよ。 三七―三九
答へて曰ふ。我等は定まれる一の場所におかるゝにあらず、上(のぼ)るも□(めぐ)るも我これを許さる、われ導者となりて汝と倶に 四〇―
わが行くをうる處までゆくべし、されど見よ日は既に傾きぬ、夜登る能はざれば、我等うるはしき旅宿(やどり)を求めむ ―四五
右の方(かた)なる離れし處に魂の群(むれ)あり、汝肯(うけが)はば我は汝を彼等の許に導かむ、汝彼等を知るを喜びとせざることあらじ。 四六―四八
答へて曰ふ。いかにしてこの事ありや、夜登らんとおもふ者は他(ほか)の者にさまたげらるゝかさらずば力及ばざるため自ら登る能はざるか。 四九―五一
善きソルデルロ指にて地を擦(す)りていふ。見よ、この線(すぢ)をだに日入りて後は汝越えがたし 五二―五四
されど登(のぼり)の障礙(しやうげ)となるもの夜の闇のほかにはあらず、この闇能力(ちから)を奪ひて意志をさまたぐ 五五―五七
天涯晝をとぢこむる間は、汝げに闇とともにこゝをくだりまたは迷ひつゝ山の腰をめぐるをうるのみ。 五八―六〇
この時わが主驚くがごとくいひけるは。さらば請ふ我等を導き、汝の我等に喜びてとゞまるをうべしといへる處にいたれ。 六一―六三
我等少しくかしこを離れしとき、我は山の窪みてあたかも世の大溪(おほたに)の窪むに似たるところを見たり 六四―六六
かの魂曰ふ。かなたに山腹のみづから懷(ふところ)をつくるところあり、我等かしこにゆきて新たなる日を待たむ 六七―六九
忽ち嶮(けは)しく忽ち坦(たひらか)なる一條の曲路我等を導いてかの坎(あな)の邊(ほとり)、縁(ふち)半(なかば)より多く失せし處にいたらしむ 七〇―七二
金、純銀、朱、白鉛、光りてあざやかなるインドの木、碎けし眞際(まぎは)の新しき縁の珠も 七三―七五
各□その色を比ぶれば、かの懷の草と花とに及ばざることなほ小の大に及ばざるごとくなるべし 七六―七八
自然はかしこをいろどれるのみならず、また千の良(よ)き薫(かをり)をもて一の奇しきわけ難き香(にほひ)を作れり 七九―八一
我見しにこゝには溪のため外部(そと)よりみえざりし多くの魂サルウェ・レーギーナを歌ひつゝ縁草(あをくさ)の上また花の上に坐しゐたり 八二―八四
我等をともなへるマントヴァ人(びと)いふ。たゞしばしの日全くその巣に歸るまでは、汝等我に導かれてかしこにゆくをねがふなかれ 八五―八七
汝等窪地(くぼち)にくだりてかの衆と倶にあらんより、この高臺(パルツオ)にありて彼等を見なば却つてよくその姿と顏を認むるをえむ 八八―九〇
いと高き處に坐し、その責務(つとめ)を怠りしごとくみえ、かつ侶(とも)の歌にあはせて口を動かすことをせざる者は 九一―九三
皇帝ロドルフォなりき、かれイタリアの傷を癒すをえたりしにその死ぬるにまかせたれば、人再びこれを生かさんとするともおそし 九四―九六
また彼を慰むるごとくみゆるは、モルタ、アルビアに、アルビア、海におくる水の流れいづる地を治めし者にて 九七―九九
名をオッタケッルロといへり、その襁褓(むつき)に裹(つゝ)まれし頃も、淫樂安逸をむさぼるその子ヴェンチェスラーオの鬚ある頃より遙に善かりき 一〇〇―一〇二
姿いと貴(たふと)き者と親(した)しく相かたらふさまなるかの鼻の小さき者は百合の花を萎(しを)れしめつゝ逃げ走りて死したりき 一〇三―一〇五
かしこに此(これ)のしきりに胸をうつをみよ、また彼のなげきつゝその掌(たなごゝろ)をもて頬の床となすを見よ 一〇六―一〇八
彼等はフランスの禍ひの父と舅なり、彼等彼の邪(よこしま)にして穢れたる世を送れるを知りこれがためにかく憂ひに刺さる 一〇九―一一一
身かの如く肥ゆとみえ、かつかの鼻の雄々しき侶(とも)と節(ふし)をあはせて歌ふ者はその腰に萬の徳の紐を纏ひき 一一二―一一四
若し彼の後(うしろ)に坐せる若き者その王位を繼ぎてながらへたりせば、この徳まことに器(うつは)より器に傳はれるなるべし 一一五―一一七
但し他(ほか)の嗣子(よつぎ)についてはかくいひがたし、ヤーコモとフェデリーゴ今かの國を治む、いと善きものをばその一(ひとり)だに繼がざりき 一一八―一二〇
それ人の美徳は枝を傳ひて上(のぼ)ること稀なり、こはこれを與ふるもの、その己より出づるを知らしめんとてかく定めたまふによる 一二一―一二三
かの鼻の大いなる者も彼と倶にうたふピエルと同じくわがいへるところに適(かな)ふ、此故にプーリアもプロヴェンツァも今悲しみの中にあり 一二四―一二六
げにコスタンツァが今もその夫に誇ること遠くベアトリーチェ、マルゲリータの上に出づる如くに、樹は遠く種に及ばじ 一二七―一二九
簡易の一生を送れる王、イギリスのアルリーゴのかしこにひとり坐せるを見よ、かれの枝にはまされる芽(め)あり 一三〇―一三二
彼等のうち地のいと低きところに坐して仰ぎながむる者は侯爵(マルケーゼ)グイリエルモなり、彼の爲なりきアレッサンドリアとその師(いくさ)とが 一三三―一三五
モンフェルラートとカナヴェーゼとを歎かしむるは。 一三六―一三八


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   第八曲

なつかしき友に別れを告げし日、海行く者の思ひ歸りて心やはらぎ、また暮るゝ日を悼(いた)むがごとく 一―三
鐘遠くより聞ゆれば、はじめて異郷の旅にある人、愛に刺さるゝ時とはなりぬ
我は何の聲をもきかず、一の魂の立ちて手をもて請ひて、耳をかたむけしむるを見たり 七―九
この者手を合せてこれをあげ、目を東の方(かた)にそゝぎぬ、そのさま神にむかひて、われ思ひをほかに移さずといふに似たりき 一〇―一二
テー・ルーキス・アンテその口よりいづるに、信念あらはれ調(しらべ)うるはしくして悉くわが心を奪へり 一三―一五
かくて全衆これに和し、目を天球にむかはしめつゝ、聲うるはしく信心深くこの聖歌をうたひをはりき 一六―一八
讀者よ、いざ目を鋭くして眞(まこと)を見よ、そは被物(おほひ)はげに今いと薄く、内部(うち)をうかがふこと容易なればなり 一九―二一
我はかの際(きは)貴(たか)き者の群(むれ)の、やがて色蒼(あを)ざめ且つ謙(へりくだ)り、何者をか待つごとくに默(もだ)して仰ぎながむるを見き 二二―二四
また尖(さき)の削りとられし二の焔の劒(つるぎ)をもち、高き處よりいでて下り來れるふたりの天使を見き 二五―二七
その衣(ころも)は、今萌(も)えいでし若葉のごとく縁なりき、縁の羽に打たれ飜(あふ)られて彼等の後方(うしろ)に曳かれたり 二八―三〇
そのひとりは我等より少しく上方(うへ)にとゞまり、ひとりは對面(むかひ)の岸にくだり、かくして民をその間に挾(はさ)めり 三一―
我は彼等の頭(かうべ)なる黄金(こがね)の髮をみとめしかど、その顏にむかへば、あたかも度を超ゆるによりて能力(ちから)亂るゝごとくわが目眩(くら)みぬ ―三六
ソルデルロ曰ふ。彼等ふたりは溪をまもりて蛇をふせがんためマリアの懷(ふところ)より來れるなり、この蛇たゞちにあらはれむ。 三七―三九
我これを聞きてそのいづれの路よりなるを知らざればあたりをみまはし、わが冷えわたる身をかの頼もしき背に近寄せぬ 四〇―四二
ソルデルロまた。いざ今より下りてかの大いなる魂の群(むれ)に入り、彼等に物言はむ、彼等はいたく汝等を見るを悦ぶなるべし。 四三―四五
下ることたゞ三歩ばかりにて我はやくも底につきしに、こゝにひとり、わが誰なるを思出さんと願ふ如く、たゞ我をのみ見る者ありき 四六―四八
はや次第に空の暮行く時なりしかど、その暗さははじめかくれたりしものを彼の目とわが目の間にあらはさざるほどにあらざりき 四九―五一
彼わが方(かた)に進み我彼の方に進めり、貴き國司ニーンよ、汝が罪人(つみびと)の中にあらざるを見て、わが喜べることいかばかりぞや 五二―五四
我等うるはしき會釋(ゑしやく)の數をつくせしとき、彼問ひていふ。汝はるかに水を渡りて山の麓に來れるよりこの方いくばくの時をか經たる。 五五―五七
我彼に曰ふ。あゝ悲しみの地を過ぎてわが來れるは今朝(けさ)の事なり、我は第一の生をうく、かく旅して第二の生をえんとすれども。 五八―六〇
わが答を聞けるとき、俄に惑へる人々のごとく、ソルデルロもかれもあとにしざりぬ 六一―六三
その一(ひとり)はヴィルジリオに向へり、また一(ひとり)は彼處(かしこ)に坐せる者にむかひ、起きよクルラード、來りて神の惠深き聖旨(みむね)より出し事を見よと叫び 六四―六六
後我にむかひ。渉(わた)るべき處なきまで己が最初(はじめ)の故由(ゆゑよし)を祕(ひ)めたまふものに汝の負ふ稀有(けう)の感謝を指して請ふ 六七―六九
汝大海(おほうみ)のかなたに歸らば、わがジョヴァンナに告げて、罪なき者の祈り聽かるゝところにわがために聲をあげしめよ 七〇―七二
おもふに彼の母はその白き首□(かしらぎぬ)を變へしよりこのかた(あはれ再びこれを望まざるをえず)また我を愛せざるなり 七三―七五
人この例(ためし)をみてげにたやすくさとるをえむ、女の愛なるものは見ること觸るゝことによりて屡□燃やされずば幾何(いくばく)も保つ能はざるを 七六―七八
ミラーノ人(びと)を戰ひの場(には)にみちびく蝮蛇(まむし)も、ガルルーラの鷄のごとくはかの女の墓を飾らじ。 七九―八一
ほどよく心の中に燃ゆる正(たゞ)しき熱(あつ)き思ひの印を姿に捺(お)してかれ斯くいへり 八二―八四
わが飽かざる目は天にのみ、あたかも軸いとちかき輪のごとく星のめぐりのいとおそき處にのみ行けり 八五―八七
わが導者。子よ何をか仰ぎながむるや。我彼に。かの三の燈火(ともしび)なり、南極これが爲にこと/″\く燃ゆ。 八八―九〇
彼我に。今朝(けさ)汝が見たる四のあざやかなる星かなたに沈み、此等は彼等のありし處に上(のぼ)れるなり。 九一―九三
彼語りゐたるとき、ソルデルロ彼をひきよせ、我等の敵を見よといひて指ざしてかなたをみせしむ 九四―九六
かの小さき溪の圍(かこひ)なきところに一の蛇ゐたり、こは昔エーヴァに苦(にが)き食物(くひもの)を與へしものとおそらくは相似たりしなるべし 九七―九九
身を滑(なめらか)ならしむる獸のごとくしば/\頭を背にめぐらして舐(ねぶ)りつゝ草と花とを分けてかの禍ひの紐(ひも)は來(き)ぬ 一〇〇―一〇二
天の鷹の飛立ちしさまは我見ざればいひがたし、されど我は彼も此も倶に飛びゐたるをさだかに見たり 一〇三―
縁の翼空(そら)を裂く響きをききて蛇逃げさりぬ、また天使等は同じ早さに舞ひ上(のぼ)りつゝその定まれる處に歸れり ―一〇八
國司に呼ばれてその傍にゐたる魂は、この爭ひのありし間、片時(かたとき)も瞳を我より離すことなかりき 一〇九―一一一
さていふ。願はくは汝を高きに導く燈火(ともしび)、汝の自由の意志のうちにて、かの※藥(えうやく)[#「さんずい+幼」、60-8]の巓に到るまで盡きざるばかりの多くの蝋をえんことを 一一二―
汝若しヴァル・ディ・マーグラとそのあたりの地のまことの消息(おとづれ)をしらば請ふ我に告げよ、我は昔かしこにて大いなる者なりき ―一一七
われ名をクルラード・マラスピーナといへり、かの老(らう)にあらずしてその裔(すゑ)なり、己が宗族(うから)にそゝげるわが愛今こゝに淨(きよ)めらる。 一一八―一二〇
我彼に曰ふ。我は未だ汝等の國を過ぎたることなし、されどエウロパ全洲の中苟も人住む處にその聞(きこえ)なきことあらんや 一二一―一二三
汝等の家をたかむる美名(よきな)は、君をあらはし土地をあらはし、かしこにゆけることなきものもまた能くこれを知る 一二四―一二六
我汝に誓ひて曰はむ(願はくはわれ高きに達するをえんことを)、汝等の尊き一族(やから)は財布と劒(つるぎ)における譽(ほまれ)の飾を失はず 一二七―一二九
習慣(ならはし)と自然これに特殊の力を與ふるがゆゑに、罪ある首(かしら)世を枉(ま)ぐれどもひとり直く歩みて邪(よこしま)の道をかろんず。 一三〇―一三二
彼。いざゆけ、牡羊(をひつじ)四の足をもて蔽ひ跨がる臥床(ふしど)の中に、日の七度(なゝたび)やすまざるまに 一三三―一三五
ねんごろなるこの意見(おもひ)は、人の言(ことば)よりも大いなる釘をもて汝の頭(かうべ)の正中(たゞなか)に釘付けらるべし 一三六―一三八
審判(さばき)の進路(ゆくて)支へられずば。 一三九―一四一


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   第九曲

年へしティトネの妾(そばめ)そのうるはしき友の腕(かひな)をはなれてはや東の臺(うてな)に白(しら)み 一―三
その額(ひたひ)は尾をもて人を撃つ冷やかなる生物(いきもの)に象(かたど)れる多くの珠(たま)に輝けり 四―六

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