琉球の宗教
■暇つぶし何某■
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著者名:折口 信夫
御嶽は、神人(カミンチユ)の外は入れない地方と、女ならば出入を自由にしてあるところとがある。女には、神人となる事の出来る資格を認めるからと思はれる。どの地方でも、男は絶対に禁止である。島尻の斎場(サイフア)御嶽でも、近年までは、女装を学ばねば這入れぬ事になつてゐた。
大きな御嶽(オタケ)なら、其中に、別に歌舞(アソビ)をする場処がある。久高の仲の御嶽(オタケ)の如きが其である。併し多くは、其為に神あしゃげがある。
神あしゃげ多くは、神あさぎと言ふ。神あしあげの音転である。建て物の様式から出た名であらう。此建て物は、原則として、柱が多く、壁はなく、床を張らぬ事になつてゐる。天地根元宮造りの、掘(ホ)つ立ての合掌式の、地上に屋根篷(トマ)の垂れたのから、一歩進めたものであらう。古式なのは、桁行(ケタユキ)長く、梁間(ハリマ)の短い三尺位の高さのもので、地に掘つ立てた数多い叉木(マタギ)で、つき上げた形に支へられてゐる。つまり伏せ廬の足をあげたものであるからの名と思はれる。此式は国頭(クニガミ)地方に多いが、外の地方は、大抵屋根は瓦葺き、柱は厚さの薄い物に、緯(ヌキ)を沢山貫いて、柱間一つだけを入り口として開けてゐる。勿論丈も高くなつて、屈むに及ばない。中はたゝきになつて居て、一隅に火の神の三つ石を、炉の形にした凹みに据ゑてある。大抵御嶽(オタケ)からは遠く、祝女殿内(ノロドンチ)からは近い。御嶽(オタケ)に影向あつたり、海から来た神を迎へて、此処で歌舞(アソビ)をする。其中では、祝女(ノロ)を中心に、根神おくで其他の神人(カミンチユ)が定まつた席順に居並ぶ。其中のあすびたもとと言ふ神人(カミンチユ)が、のろ等の謳ふ神歌(オモロ)(おもろ双紙の内にあるものでなく、其地方々々の神人の間に伝承してゐるもの)で、舞ふのである。舞ふのは勿論、右のあしゃげ庭(ナア)と言ふ建て物の外の広場でゞある。又、唯あしゃげとばかり言ふ建て物がある。此は、根所々々の先祖を祀つてゐる建て物で、一軒建ちの、住宅と殆ど違ひのない、床もかいてある物である。此は正しくは、殿と言ふべきもので、根所之殿・里主所之殿など、書物にあるのが、其であらう。
殿(トノ)(又、とん)と言ふのにも、色々ある。右のやうな殿もあり、又、祝女殿内(ノロドンチ)(ぬるどのち=ぬんどんち)の様に、祝女の住宅を斥(サ)す事もある。が、畢竟、神を斎いてあるからの名で、なみの住宅には、殿とは言はぬ。琉球神道では、旧跡を重んじて、城趾・旧宅地などの歴史的の関係ある処には、必殿を建てゝ、祭日にのろ以下の神人の巡遊には、立ちよつて一々儀式がある。
殿・あしゃげと区別のない建て物か、又建て物なしに必拝む場処がある。其が海中である事も、道傍の塚である事も、崖の窟(ガマ)である事もある。総称してをがんといふ。拝所即をがみである。
人形遣ひをちょんだらあと言ひ、其子孫を嫌つてゐるが、此に似て一種の特殊部落の如きねんぶつちゃあと言ふのが、首里の石嶺に居る。此は葬式の手伝ひをし、亦人形を遣ふ。人形を踊らせる箱をてらと称するが、内地のほこらと同じやうなもので、寺とは全く違うてゐる。
七 神祭りの処と霊代と
神の目標となるものは香炉である。建築物の中には、三体の火の神(カン)が置かれてあると同様に、神の在す場所には、必香炉が置いてある。それ故、その香炉の数によつて、家族の集合して居る数が知れる。琉球の遊廓へ、税務所の官吏が出張して尾類(ズリ)(遊女)の数を見定めるには、竈の側に置いてある香炉の数で知る事が出来ると言ふ。
香炉は、其置く場所を、臨時に変へることは出来ない。女は各自、必香炉を所有して居る。女には、香炉は附き物である。香炉がなければ、神の在る所がわからない。其ほど、香炉に対する信仰がある。形は壺の如きものや、こ穢い茶碗の縁の欠けた物等が、立派に飾られてある。香炉がある所には、神が存在すると信じて居る故、香炉が神の様になつて居る。拝所には、幾種類もの香炉がある。八重山のいびと言ふ語は、香炉の事であると思ふが、先輩の意見は各異つて居る。
八重山には、御嶽に三つの神がある。又、かみなおたけ・おんいべおたけと言ふのがある。八重山のみ、いび又はいべと言ふ事を言ふが、他所のいびとうぶとは異つて居る。うぶは、奥の事である。沖縄では、奥武と書いて居る。どれがいびであるか、厳格に示す事は出来ないが、うぶの中の神々しい神の来臨する場所と言ふ意味であると思ふ。八重山の老人の話では、御嶽のうぶではなくて、門にある香炉であると言つて居る。即、香炉を神と信ずる結果、香炉自体をいびと言ふのである。処が火の神にも香炉がある。中には香炉だけの神もあるが、要するに自然的に香炉を神と信じて居る。其香炉が、又幾つにも分れる。香炉が分れるけれども、分れたとは言はないで、彼方の神を持つて来たと言ふ、言ひ方をする。つまり、嫁に行つたり、比較的長い間家を出て居るものは、香炉を作つて持つて行く。尾類(ズリ)(遊女)は、此例によつて、香炉を各自持参するのである。
沖縄には、遥拝所がある。三平(ミヒラ)の大阿母(ウフアム)しられの殿内(ドンチ)即、南風(ハエ)の平(ヒラ)には首里殿内(シユンドンチ)、真和志の比等(ヒラ)には真壁殿内(マカンドンチ)、北(ニシ)の比等(ヒラ)には儀保殿内(ギボドンチ)なる巫女の住宅なる社殿を据ゑ、神々のおとほしとして祀つてある。即、遠方より香炉を据ゑて、本国の神を遥拝するのである。此遥拝する事から、色々の問題が出て来る。例へば、祝(ノロ)の家にも香炉があり、御嶽にも香炉がある。のろは、家の香炉に線香を立てゝ御嶽に行く。時によると、香炉を中心にして社を造る事がある。沖縄の辺でも、久高島を遥拝する為に、べんが御嶽を作つて居り、八重山の中でも、よなぎ島より来た人々は、よなぎおほんを作り、宮良村では、小浜村より渡来したのであるから、小浜おほんを作り、各香炉を据ゑて、遥拝所として居る。又、白保(スサブ)村の波照間おほんの如きも其である。此等は皆、御嶽に属して居るけれども、個人で言へば、尾類(ズリ)が竈に香炉を置いて遥拝するのと同様である。
一族の神を祀るは、女の役目である。其家の香炉を拝するのは、其家の女であると言ふ観念が先入主となつて、女の旅行には必、此香炉を持つて行く。此は男にはよく訣らないが、女は秘密裡に此等を保存して居る。家によると、香炉が沢山ある所がある。中には、理由の訣らぬ香炉が出て来る。大昔、其家を造つたと称する者の香炉が二つある。嫁した娘の若死によつて、持つて行つた香炉が戻つて来る。さうして居る間に、何年も経ると理由の訣らぬ香炉が出来て来る。八重山では、香炉の格好が大分異つて来る。香炉に、ふんじんと、かんじん(又はこんじん)の二種類がある。ふんじんは、其家の分れて後の先祖を祀るもので、本神とも言ふ意味である。こんじんの名義は不明である。かんじんは、女でなければ触れる事すら出来ない。其に供へた物は、女のみが食し得るものである。此は女でなければ、供へ物をする事は出来ないと言ふ意味である。かんじんは、女の人の喰べ余りと言ふ解釈にもなる。かんじんは、女の嫁入りする時に持つて行く。而して、仏壇が別である。ふんじんは男も拝する事が出来るけれども、かんじんは女の専有物である。
沖縄本島では、自分の家の香炉を有つて来ても、別の場所に置いてある。自分の家の神は亭主が祀つてもよいが、嫁の持つて来た香炉は、女以外の人間の、全くどうする事も出来ないものである。こんじんは、根神より出たものではなからうかと思ふ。
八 色々の巫女
琉球の神話では、天地の初め、日の神下界を造り固めようとして、あまみきょ・しねりきょに命じて、数多くの島を造らせた。それが後の有名な御嶽或は、森となつた。さうして其二柱の産んだ三男・二女が、人間の始めとなつてゐる。長男は国主の始め、二男は諸侯の始め、三男は百姓の始め、長女は君々(キミ/″\)の始め、二女は祝々(ノロ/\)の始めと称せられてゐる。
のろは、始終ゆたと対照して考へられる所から、君々(キミ/″\)はゆたの元と考へられ勝ちであるが、男の方でも、三つの階級に分けて考へてゐる以上、女の方も亦、上級・下級二組の区別を見せたものと見てよいはずである。君(キミ)と祝(ノロ)とは、女官御双紙を見ても知れるやうに、琉球の女官と言ふ考へには、普通の后妃・嬪・夫人以下の女官と聞得大君(キコエウフキミ)・島尻の佐司笠按司(サスカサアジ)・国頭の阿応理恵按司(アオリヱアジ)などの神職を等しく女官として登録してゐる。思ふに君(キミ)と言ふのは、右の三神職の外に、首里三比等(ミヒラ)の大阿母(ウフアム)しられ其他、歴史的に意味のついてゐる地方の大阿母(ウフアム)・阿母加奈志(アンガナシ)(伊平屋島)・君南風(ミキハエ)(久米島)など言ふ重い巫女たちを斥すものであらう。君南風(キミハエ)は、南君と言ふのと同じ後置修飾格で、南方に居る高級巫女の意である。毎年十二月、君々(キミ/″\)御玉改めと言ふ事があつて、三平等(ミヒラ)の大阿母(ウフアム)しられの玉かわら(巫女のつける勾玉)を調べたよし、由来記に見えてゐる。又、君(キミ)に三十三人あつた事は、女官御双紙に出てゐる。君々(キミ/″\)の祖、祝々(ノロ/\)の祖とあるのは、巫女の起原を説いたので、巫女に高下あるのは、其祖の長幼の順によつたのだ、とするのである。
女官の中、皇后の次に位し、巫女では最高級の聞得大君(チフイヂン)(=きこえうふきみ)は、昔は王家の処女を用ゐて、位置は皇后よりも高かつたのを、霊元院の寛文七年に当る年、席順を換へたのである。王家の寡婦が、聞得大君(チフイヂン)となる事になつたのも、可なり古くからの事と思はれる。昔は、琉球神道では、巫祝の夫を持つ事を認めなかつたのであらうが、段々変じて、二夫に見(まみ)えない者は、許す事になつたのである。地方豪族の妻を大阿母(ウフアム)・祝女(ノロ)などに任じた事も、可なり古くからの事らしい。唯形式だけでも、いまだに、独身を原則として居るのは、国頭(クニガミ)の巫女たちで、今帰仁(ナキジン)の阿応理恵(アオリヱ)は独身、辺土のろは表面独身で、私生の子を育てゝゐる。其外のろの夫の夭折を信じてゐる事も、国頭地方に強い。神の怨みを受けると信じてゐたのである。此は、国頭(クニガミ)地方が、北山時代からの神道を伝へて、幾分、中山・南山の神道と趣きを異にしてゐる所があるからであらう。久高島では、結婚の時、嫁が壻を避けて逃げ廻る習慣があつたが、其は夜分のことで、昼の間は現れて為事を手伝うたりした。夜になつて壻が大勢の友人と嫁を捜すのをとじとめゆん即嫁(ヨメ)さがしと称する。此島には現在のろが二人居るが、其一人の老婆は、七十余日の間逃げ廻つたと言ふので有名である。
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