ガリバー旅行記
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:スウィフトジョナサン 

はっとして眼をさましたが、私も多少びっくりしました。外では、

バーラム
バーラム

 という言葉が絶えず聞えてきます。と思うと、群衆を押し分けながら、宮廷の人たちが私のところへやって来ました。
「火事です。宮殿が火事です。早く来てください。」
 聞けば、皇后の御殿で、一人の女官が本を読みながらうたゝねしていると、いつのまにか火がついて、大ごとになったというのです。
 私はすぐ、はね起きました。私の通り路をあけろ、という命令は前もって出ていました。月夜で路は明るかったし、私は一人も人を踏みつけないで、宮殿まで来ました。見ると、宮殿の壁には、もう、いくつも梯子がかけられ、バケツが運ばれています。
 でも、なにぶん、水は遠くから運ばれているらしいのです。人々はどん/\バケツを私のところへ持って来ますが、バケツといっても、大きさは指袋ぐらいですから、これでは、ちょっと、あの火は消せそうもありません。私は上衣さえあれば、すぐ消してしまうのですが、急いだので、つい着てくるのを忘れたのです。着ているのは革チョッキだけでした。これでは、もう駄目かなあ、あゝ、あの立派な御殿が、みす/\焼ける、と私は悲観しかけていました。
 ところが、ふとこのとき、私には、素晴しい考えが浮んできました。その晩、私はグリミグリムという、非常においしい、お酒をたんと飲んでいました。火事騒ぎで、動きまわっていると、身体はカッカとほてって、お酒のきゝめがあらわれてきました。私は今にも、おしっこが出そうになったのです。そこで、私は思いきって、火の上に、おしっこを振りかけてゆきました。三分間もしないうちに火事はすっかり消えてしまいました。これでまず、綺麗な宮殿は、丸焼けにならないで助かったのです。
 火事が消えたとき、もう夜は明けていました。私は皇帝に、よろこびの挨拶も申し上げないで、家に戻りました。私は消防夫として、非常な手柄をたてたのですが、しかし、皇帝が私のやり方をどう思われるか、心配でたまらなかったのです。この国の法律では、たとえどんな場合でも、宮城の中で、立小便をするような者は、死刑にされることになっていました。
 しかし私はその後、皇帝から、特別に罪を許すよう取りはからってやる、と、お手紙をいたゞいたので、これで少し安心していました。けれども、それもやはり駄目でした。皇后は私のしたことを、大へん御立腹になり、
「今にきっと思いしらせてやる。」
 と、おそばの者に言われたそうです。そして、もとの建物はもう厭だから、修繕させないことにされて、宮中の一番遠い端へ引っ越されました。

 さて、私はこゝで、リリパット国の風俗を少し説明しておきたいと思います。
 この国の住民の身長は、平均して、まず六インチ以下ですが、その他の動物の大きさも、これと、正比例して出来ています。まず一番大きい牛や馬でも、せい/″\四インチか五インチぐらい、羊なら一インチ半ぐらい、鵞鳥なんか、ほとんど雀ぐらいの大きさです。だん/\こんなふうに小さくなってゆきますが、一番小さな動物など、私の眼では、ほとんど見えません。
 ところが、リリパット人の眼には、非常に小さなものでも、ちゃんと見えるのです。彼等の眼は、こまかいものなら、よく見えますが、あまり遠いところは見えません。
 雲雀は普通の蠅ほどもない大きさですが、リリパットの料理人は、ちゃんと、その毛をむしることができます。それから私が感心したのは、若い娘が、見えない針に、見えない糸を通しているのです。この国で一番高い木は七フィートぐらいで、その木は国立公園の中にありますが、私が握りこぶしを固めても、すぐ、てっぺんにとゞきます。
 ところで、この国では、学問も古くから非常に発達していますが、たゞ、文字の書き方が、実に風変りなのです。ヨーロッパ人のように、左から右へ書くのでもなく、アラビア人のように、右から左へ書くのでもなく、中国人のように、上から下へ書くのでもなく、かといって、下から上へ書くのでもありません。リリパット人は、紙の隅から隅へ、斜めに字を書いてゆくのです。
 リリパットでは、人が死ぬと、頭の方を下にして、逆さまに土に埋めます。死人は、一万一千月たつと生き返る、そのとき、世界はひっくりかえっているから、逆さまにしておけば、ちゃんと立てる、と彼等は考えているのです。もっとも、そんな馬鹿なことはないと、学者たちは笑っています。
 この国では、盗みよりも詐欺(さぎ)の方が悪いことになっています。詐欺をすれば死刑です。盗みは、こちらが馬鹿でなく用心さえしていれば、まず、物を盗まれるということはありません。ところが、こちらが正直のために、不正直なものに、騙(だま)されるのは、これはどうも防ぎようがない、だから、詐欺が一番いけないのだ、と、リリパットの人たちは考えています。それから、忘恩も死刑にされます。恩に仇をもってむくいるというようなことをする人は、生きる資格がないとされています。
 人を官職にえらぶ場合、この国では、才能より徳義の方を重く見ます。政治というものは、誰にも必要なのだから、普通の才能があればいゝとされています。けれども、徳義のない人は、いくら才能があっても、危険だから、そんな人に政治はまかせられないというのです。
 私はこのリリパット国に九ヵ月と十三日間滞在していたのですが、こゝで、ひとつ私がその間どんなふうにして暮したか、それをお話ししてみましょう。
 私は生れつき、手先は器用でしたが、どうしてもテーブルが一つ欲しかったので、帝室庭園の一番大きな木を何本か切って、手頃なテーブルと椅子をこしらえました。
 それから、二百人の女裁縫師が、私のために、シャツとシーツとテーブル掛を作ってくれました。それにはできるだけ丈夫な布を使ってくれたのですが、それでも、一番厚いのが紗よりまだ薄いのです。だから、何枚も重ねて縫い合わさねばなりませんでした。
 女裁縫師たちは、私を寝ころばしておいて、寸法をはかりました。一人が私の首のところに立ち、もう一人は、私の足のところに立ち、そして丈夫な綱を両方から、二人が持ってピンと張ります。すると、さらにもう一人の裁縫師が、一インチざしの物さしで、この綱の長さをはかってゆくのです。私は自分の古シャツを地面にひろげて見せてやったので、シャツはピッタリ私の身体に合うのが出来上りました。
 私の服をこしらえるには、また三百人の洋服屋が、つききりでやってくれました。今度もその寸法の取り方が、また振っていました。私がひざまずいていると、地面から首のところへ梯子をかけ、一人がこの梯子にのぼって、私の襟首(えりくび)から地面まで、錘(おもり)のついた綱をおろす、それがちょうど、上衣の丈になるのでした。腕と腰の寸法は、私が自分ではかりました。いよ/\、出来上ってみると、それは、寄切細工のように妙な服でした。
 食事は、私のために、三百人の料理人がついていました。彼等はそれ/″\、私の近所に小さな家を建てゝもらって、家族もろとも、そこで暮していました。そして、一人が二皿ずつ、こしらえてくれることになっていました。
 私はまず、二十人の給仕人をつまみ上げて、テーブルの上に乗せてやります。すると、下には百人の給仕が控えていて、肉の皿や葡萄酒や樽詰などを、それ/″\肩にかついで待っています。私が欲しいという品を、上にいる給仕人がテーブルから綱をおろして、うまく引き上げてくれるのです。肉の皿は一皿が一口になり、酒一樽が私にはまず一息に飲めます。こゝの羊の肉はあまり上等でないが、牛肉はなか/\おいしかったのです。三口ぐらいの大きさの肉はめったにありません。
 召使たちは、私が骨もろともポリ/\食べてしまうのを見て、ひどく驚いていました。それから、鵞鳥や七面鳥も、大がい一口で食べられますが、これはイギリスのよりずっといゝ味です。小鳥なんかは、一度に二十羽や三十羽は、ナイフの先ですくいあげて食べるのでした。
 ある日、皇帝は私の食事振りを聞かれて、では自分も皇后、皇子、皇女たちと一しょに、私と会食がしてみたいと望まれました。そこで彼等が来ると、私はみんなテーブルの上の椅子に乗せて、ちょうど私と向き合うように坐らせました。そのまわりには、見張りの兵もついていました。
 大蔵大臣のフリムナップもこの席に一しょに来ていましたが、どういうものか、彼はとき/″\、私の方を見ては、苦い顔をします。しかし私は、そんなことは気にしないで、ひとつみんなを驚かしてやれと思って、思いきりたくさん食べてやりました。これはあとで気づいたのですが、大蔵大臣は、かねてから私に反感を持っていたので、この会食のあとで陛下に言ったらしいのです。
「あんなものを陛下が養っておられては、お金がかゝって大へんです。できるだけ早く、いゝ折を見て、追放なさった方が、国家の利益でございましょう。」
 と、こんなことを言ったものとみえます。

     6 ハイ さようなら

 私はこの国を去るようになったのですが、それを述べる前に、まず、二ヵ月前から、私をねらっていた陰謀のことを語ります。
 私がちょうどブレフスキュ皇帝を訪ねようと、準備しているときのことでした。ある晩、宮廷の、ある大官がやって来ました。(この大官が、以前、皇帝の機嫌を損じたとき、私は彼のために大いに骨折ってやったことがあるのです)彼は車で、こっそり、私の家を訪ねて来たのです。
 ぜひ、内証でお話ししたいことがあると言うので、従者たちは遠ざけました。私は彼を乗せた車をポケットに入れ、召使に命じて戸口をしっかり閉めさせました。それから、テーブルの上に車を置いて、その側に坐りました。一通り挨拶をすませてから、相手の顔を見ると、非常に心配そうな顔色をしているのです。
「一たいどうしたのです。何か変ったことでもあるのですか。」
 と私は尋ねました。
「いや、なにしろ、あなたの名誉と生命にかゝわる問題ですから、これはどうか、ゆっくり聞いてください。」
 と言って、彼は次のように話しだしました。
「まずお知らせしたいのは、あなたのことで、近頃、秘密の会議が数回ひらかれましたが、陛下が、いよ/\決心されたのは、つい二日前のことです。
 御存知のとおり、ボルゴラム提督(ていとく)は、あなたがこの国に到着以来、あなたをひどく憎んでいます。どうしてそんなに怨むのかは、私にはよくわからないのですが、あなたが、ブレフスキュで大手柄をたてられて以来、彼の提督としての人気が減ったように考え、それからいよ/\憎みだしたのでしょう。この人と大蔵大臣のフリムナップ、それからまだあります、陸軍大将リムトック、侍従長ラルコン、高等法院長バルマッフ、これらの人々が一しょになって、あなたを罪人にしようとして、弾劾文(だんがいぶん)を書きました。」
 こゝまで彼の話を聞いていると、私はむしゃくしゃしてきたので、
「何だって、みんなは私を罪人にしようとするのか、私はそんなに……」
 と言いかけました。
「まあ、黙って聞いていてください。」
 と、彼は私を黙らせました。
「私はいつかあなたの御恩になったので、こんなことを打ち明けるのですが、もしかすると、そのために私まで罪になるかわかりません。が、それも覚悟でお知らせするのです。こゝに、その弾劾文の写しを手に入れていますから、今それを読みあげてみましょう。
 
人間山に対する弾劾文
 第一条
 カリン・デファー・プリューン陛下の御代に作られた法律によると、宮城の中で立小便をした者は、死刑にされることになっている。それなのに、人間山は皇后の御殿が火事のとき、火を消すことを口実にして、不埒(ふらち)千万にも、小水で宮殿の火を消しとめた。
 第二条
 人間山はブレフスキュ国の艦隊を引っ張って持って戻ったが、その後、陛下は残りの敵も全部捕えて来いと命令された。陛下はブレフスキュ国を征服して属国にしてしまう、お考えだった。すると人間山は不忠にも、陛下のお考えに反対し、その命令に従わなかった。罪のない人民の自由や生命は奪えません、と、こんなことを言うのであった。
 第三条
 ブレフスキュ国から講和の使節がやって来たとき、その使節は敵国の皇帝の使であることを知っていながら、人間山は、まるで叛逆者のように、これを助けたり慰めたりした。
 第四条
 人間山は近頃、ブレフスキュ国へ渡ろうとして航海の準備をしている。陛下はたゞ、口先で、ちょっと許可されただけなのだ。それをいゝことにして、彼は敵国の皇帝と会い、敵国を助けようと企んでいる。

 このほかにもまだあるのですが、主なところを今読みあげてみたのです。
 ところで、あなたの罪状について、この弾劾文をめぐって、何度も議論が行われたのですが、陛下は、あなたがこれまで立派な手柄をたてゝいられるので、まあ、大目にみて罪は軽くしてやれ、と言われるのです。しかし、大蔵大臣と提督の二人は、夜中にあなたの家に火をつけて、焼き殺してしまった方がいゝ、と、ひどいことを言うのです。それから、陸軍大将は、そのときには毒矢を持った二万の兵をひきいて、あなたの手や顔を攻撃する、と、こんなことを言うのです。
 それからまた、あなたの味方の宮内大臣レルドレザルは、こんなことを言います。殺すのは、どうもひどすぎるから、たゞ、あなたの両方の眼をつぶすことにしたらどうでしょうか、と、こんなことを陛下に申し上げたのです。すると、これには議員たちがみな反対しました。
 君は叛逆者の生命を助けようとするのか、と、ボルゴラムはどなりだしました。皇后の御座所の火事を立小便で消すことのできるような男なら、いつ大水を起して宮城を水浸しにしてしまうかもわからない、それに、敵艦隊を引っ張って来たあの力では、一たん何か腹を立てゝ暴れだしたら大へんなことになる、と、ボルゴラムは死刑を説くのです。
 大蔵大臣も、あんな男を養っていては、間もなく国が貧乏になってしまうと言って、死刑を主張しました。しかし、陛下はどこまでも、あなたを死刑にはしたくないお考えでした。
 両方の眼をつぶしただけでは、刑が軽すぎるというのなら、食物を減して、だん/\やせ衰えさせるといゝでしょう、身体が半分以上も小さくなって死ねば、死骸から出る臭だって、そう恐ろしくはないし、骸骨だけは記念物として残しておけます、と、宮内大臣は言いました。
 そんなわけで、とにかく、みんなの意見はまとまりましたが、この、あなたを餓死さす、計画は、ごく/\秘密にされているのです。
 あと三日すると、あなたの味方の大臣がこゝへ訪ねて来るでしょう。そして、弾劾文を読んで聞かせ、それから、陛下のおかげで、あなたの罪は両眼を失くするだけですむことになった、と告げることになっています。陛下は、あなたがよろこんで、この刑に服すだろうと思っていられます。そこで外科医二十名が立会のうえで、あなたを地面に寝かせ、あなたの眼球に、鋭く尖った矢を、何本も射込む手筈(てはず)になっています。
 私はたゞ、ありのまゝを、あなたにお知らせしたのですが、どうか、そのつもりでいてください。あまり長居をしていると、人から疑われますから、これで失礼いたします。」
 そう言って、大官は帰ってゆきました。あとに残された私は、どうしたらいゝのかしらと、いろ/\悩みました。
 とう/\私は逃げ出すことに決心しました。三日が来ないうちに、私は宮内大臣に手紙を送り、明日の朝ブレフスキュ島へ出発するつもりだ、と言ってやりました。もう返事など待ってはいられません。そのまゝ海岸の方へ歩いて行きました。
 そこで大きな軍艦を一隻つかまえ、綱を結びつけ、錨を上げると、裸になって、着物は軍艦に積み込みました。それから、その船を引っ張って、歩いたり泳いだりしながら、ブレフスキュの港に着きました。
 向うでは私の来るのを待ちかねていたところです。二人の案内者をつけて、首都まで案内してくれました。私は二人を両手に乗せて、城の近くまで行きましたが、こゝで、誰か大臣に知らせてきてくれ、と頼みました。
 しばらく待っていると、皇帝御自身が私を出迎えになるということでした。私は百ヤードばかり歩いて行きました。皇帝とその従者たちは、馬からおりられました。皇后は馬車からおりられました。みんな、少しも私を怖がっている様子はありません。私は地面に横になって、陛下の手にキスしました。それから、いつかの約束どおり、リリパット皇帝の許しを得て、今このとおりブレフスキュ大帝にお目にかゝりに来ました、私の力でできることなら何でもいたします、と、私はこう申し上げました。
 私がブレフスキュ島へ来てから三日目のことでした。
 島の北東の岸をぶら/\歩いて行ってみると、沖の方にボートのような物のひっくりかえっているのが見えます。さっそく、靴を脱いで、二三百ヤード海の中を歩いて行ってみると、その物は潮に乗って、だん/\近づいて来るように見えます。よく見ると、ほんとのボートです。たぶん、これは嵐にあって本船から流されたのでしょう。
 私はすぐ首府へ引っ返して、皇帝にお願いして、二十隻の軍艦と三千人の水兵を借りてきました。それから私は海に入って、ボートのところへ泳いで行きました。水兵たちが軍艦から綱の端を投げてくれたので、それをボートの穴に結びつけ、もう一方の端は、軍艦に結びつけました。さらに私は泳ぎながらいろ/\骨を折って、九隻の軍艦にボートの綱を結びつけました。ちょうど風向きもよかったので、私はボートを押し、水兵は引っ張り、こうして、とう/\海岸に来ました。
 それから十日ばかりかゝって、オールをこしらえ、それでやっと、ブレフスキュの港へ、ボートを漕いで入ったわけです。私が港へ着くと、大へんな人出で、なにしろ、あんまり大きな船なので、すっかり仰天していました。私は皇帝に向い、
「天の祐(たすけ)で、ボートが手に入りました。これに乗って行けば、私の故国へ帰れるところまで行けるでしょう。つきましては、出発の許可をいたゞいて、いろ/\準備することをお許しください。」
 とお願いしました。
 皇帝は思いとゞまってはどうかと言われましたが、ついに喜んで許してくださいました。
 さて、リリパット国では、私がブレフスキュ国皇帝のところへ行ったのは、それはただ、前の約束をはたすために行ったので、二三日すれば帰って来るだろう、と思っていました。ところが、いつまでたっても、私が戻らないので、とう/\やきもきして、大臣一同が会議を開きました。その相談のあげく、一人の使者が、リリパット皇帝の手紙を持って、ブレフスキュ皇帝に会いにやって来ました。その手紙は、私の手足をしばって、リリパットへ送り返してくれというのでした。
 その返事はこうでした。私をしばって送り返すことなど、とてもできないことは、すでにリリパット皇帝も知られるとおりだし、それに間もなく、私はブレフスキュ国を去ることになっているので、御安心ください、というのでした。
 とにかく、私はなるべく早く出発しようと思いました。宮廷の方でも一日も早く行ってもらいたいのでいろ/\手助けをしてくれます。五百人の職人がかゝって、ボートにつける二枚の帆をこしらえました。私の指図にしたがい、一番丈夫な布を、十三枚重ねて縫い合わせました。私は一番丈夫な太い綱を、十本、二十本、三十本と、一生懸命に、ない合わせました。それから海岸を探しまわって、錨の代りになりそうな、大きな石を見つけました。ボートに塗ったり、そのほかいろんなことに使うため、三百頭の牛の脂をもらいました。何より骨の折れたのは、オールとマストにするため、大きな木を伐り倒すことでした。しかし、これは陛下の船大工が手伝ってくれて、私がたゞ粗けずりすれば、あとは大工が綺麗に仕上げてくれました。
 一月もすると、準備はすっかり出来上りました。私はいよ/\出発の許可の御命令がいたゞきたい、と陛下に願いました。陛下は皇族たちと一しょに宮殿から、わざ/\出て来られました。私は皇帝の手にキスしようとして、うつ伏せに寝ました。
 陛下は快く手を貸してくださいます。皇后も、皇子たちも、みな手にキスを許してくださいました。それから、皇帝は二百スプラグ入りの金袋を五十箇と、陛下の肖像画を私にくださいました。肖像画の方は、いたまないように、すぐ片一方の手袋の中にしまっておきました。
 私はボートの中に、牛百頭、羊三百頭の肉と、それに相当するパンと飲物を積み込みました。それから四百人のコックの手でとゝのえてくれた肉なども積み込みました。それから、生きた牝牛六頭と牡牛を二頭、それから牝羊六頭と牡羊二頭を、これらは国へ持って帰って、飼ってみようと思いました。船の中で食べさせるために、乾草を一袋と麦を一袋、用意しました。
 私はこの国の人間も、十人ばかり、つれて行きたかったのですが、これはどうしても、陛下がお許しになりません。それどころか、私のポケットをすっかり調べられ、たとえ志願する者があっても、人民は決してつれて行かないと誓わされました。
 そんなふうに、できるかぎりの準備をとゝのえ、いよ/\、一七○一年九月二十日の朝六時、私は出帆しました。風は南東だったので、北へ向けて四リーグばかり行くと、ちょうど午後六時頃、小さな島の影が見えてきました。ぐん/\進んで行って、その島のそばで、ボートの錨をおろしました。こゝは誰も住んでいない無人島らしいのです。私は軽い食事をすませ、ぐっすり眠りました。六時間も眠った頃、目がさめ、それから二時間ばかりすると、夜が明けました。日の出前に朝飯をすまし、錨を上げて、風向もよかったので、羅針盤をたよりに、昨日と同じ進路をつゞけて行きました。私の考えでは、ヴァン・ディーメンズ・ランドの北東にある群島の、どれか一つに、たどりつこうと思っていたのです。だが、その日はついに何も見えませんでした。
 翌日、午後三時頃、ブレフスキュから二十四リーグばかりも来たかと思える海上で、一隻の帆船を見つけました。船は南西に向って進んでいます。私は大声で呼んでみましたが、返事してくれません。しかしちょうど、風が凪(な)いだので、私の船はだん/\向うへ近づいて行くのでした。私はありったけの帆を張りました。半時間もすると、向うの船でも気がついて、合図に旗を出し鉄砲を打ちました。
 私はもう一度、故国が見られ、あの懐しい人たちとも会えるのかと思うと、うれしさがこみあげてきました。船は帆をゆるめました。それで私はその船に追いつきました。その時刻は九月二十六日の夕方の五時か六時頃でした。私はイギリスの国旗を見ただけで、胸がワク/\しました。牛と羊を上衣のポケットに入れると、私は食料の小さな荷物を抱えて、向うの船に乗り移りました。
 この船はイギリスの商船で、北海、南海を通って、日本から帰る途中でした。船長のジョン・ビデルはデットフォッド生れで、大へん親切な男でした。乗組員は五十人ばかりいましたが、そのなかに私の以前の仲間のウィリアムがいたのです。このウィリアムが私のことを船長に大へんよく言ってくれました。
 船長は私をよくもてなしてくれました。一たい、どこから来て、どこへ行くつもりだったか、話してくれと言うので、私は今までのことをごく簡単に話しました。だが、船長は、私の頭がどうかしている、と思ったようです。いろんな危険に会ったので、気が変になったと思って、ほんとにしてくれません。そこで私はポケットから黒い牛や羊を出して見せてやりました。これには船長も非常に驚いて、私の言うことが嘘でないと納得したようです。それから私は、ブレフスキュ皇帝からもらった金貨や肖像画や、その他いろ/\珍しい品を取り出して見せました。私は二百スプラグ入りの金袋を船長にやりました。
 船は無事におだやかに進み、一七〇二年四月十日、私たちはダウンスに着きました。ただ、途中でちょっと不幸な事件が起きました。それは船にいる鼠どもが、私の羊を一頭、引いて行ってしまったことです。きれいに肉をむしりとられた羊の骨は、穴の中で見つかりました。
 残りの家畜はみんな無事にイギリスへ持って戻りました。私はそれをグリニッジの球場の芝生に放してやりました。こゝの草でも食べるかしら、と心配でしたが、放してみると、家畜たちは、こゝの草が綺麗なので、喜んで食べるのでした。
 私が長い航海の間、この家畜を無事に飼ったのは、全く船長のおかげでした。私は船長から特別製のビスケットを分けてもらい、それを粉にして水でこねて、家畜に食べさせていたのです。イギリスにしばらく滞在している間に、私はこの家畜を見世物にして、かなりお金をもうけました。が、また、私は航海に出ることになって、六百ポンドで売り払いました。
 私が妻子と一しょに暮したのは、たった二ヵ月でした。もっと/\外国を見たいという気持がうず/\して、どうしても、私は家にじっとしていられなくなりました。そこで、私は商船『アドベンチュア号』乗組員になりました。この航海の話は、次の『大人国』を読んでください。


[#改丁]






  第二、大人国(ブロブディンナグ)




     1 つまみ上げられた私

 私はイギリスに戻って二ヵ月もすると、また故国をあとに、ダウンスを船出しました。私の乗った船は、『アドベンチュア号』でした。
 船がマダガスカル海峡を過ぎる頃までは、無事な航海でしたが、その島の北あたりから、海が荒れだしました。そして二十日あまりは、難儀な航海をつゞけました。が、そのうち風もやむし、波もおだやかになったので、私たちは大へん喜んでいました。ところが、船長は、この辺の海のことをよく知っている男でした。暴風雨が来るから、すぐ、その用意をするよう命令しました。はたして、次の日から暴風雨がやって来ました。
 船は荒れ狂う風と波にもまれ、私たちは一生懸命、奮闘しましたが、なにしろ、恐ろしい嵐で、海はまるで気狂のようでした。船はずん/\押し流されて、どこに自分たちがいるのやら、もう見当がつかなくなりました。
 私たちの船は、どこともしれない海の上を、陸を求めて進んでいました。まだ、船には食糧も充分あるし、船員はみんな元気でしたが、たゞ困るのは水でした。ある日、マストに上っていた少年が、
「陸が見える!」
 と叫びました。
 それが一七〇三年六月十六日のことでした。翌日になると、何か大きな島か陸地らしいものが、みんなの目の前に見えてきました。その南側に小さな岬が海に突き出ていて、浅い入江が一つ出来ていました。
 私たちは、その入江から一リーグばかり手前で、錨をおろしました。みんな水を欲しがっていたので、船長は十二人の船員に、水桶を持たせて、ボートに乗せて、水探しに出しました。私もその国が見たいのと、何か発見でもありはしないかと思ったので、一しょにそのボートに乗せてもらいました。
 ところが、上陸してみると、川もなければ、泉もなく、人ひとり住んでいる様子もないのでした。船員たちは、どこか清水がないかと、海岸をあてもなく歩きまわっていましたが、私は別の方角へ一マイルばかり、一人で歩いてみました。だが、あたりは石ころばかりの荒地でした。面白そうなものも別に見つからないし、そろ/\疲れてきたので、私は入江の方へブラ/\引っ返していました。海が一目に見わたせるところまで来てみると、船員たちは、もうちゃんとボートに乗り込んで、一生懸命に、本船めがけて漕いでいるのです。
 おーい待ってくれ、と私は大声で呼びかけようとして、ふと気がつきました。恐ろしく大きな人間がグン/\海を渡って、ボートを追っかけているのです。膝のあたりしかない海の中を、その男は恐ろしい大股で歩いて行きます。だが、ボートは半リーグばかりも先に進んでいたし、あたりは鋭い岩だらけの海だったので、この怪物も、ボートに追いつくことはできなかったのです。
 もっとも、これはあとから聞いた話なのです。そのときの私は、そんなものを見ているどころではありません。もと来た道を夢中で駈けだし、それから私は、とにかく、嶮(けわ)しい山の中をよじのぼりました。山の上にのぼってみると、あたりの様子が、いくらかわかりました。土地は見事に耕されていますが、何より私を驚かしたのは、草の大きいことです。そこらに生えている草の高さが、二十フィート以上ありました。
 やがて、私は国道へ出ました。国道といっても、実は、麦畑の中の小路なのでしたが、私には、まるで国道のように思えたのです。しばらく、この道を歩いてみましたが、両側とも、ほとんど何も見えないのでした。とりいれも近づいた麦が、四十フィートからの高さに、伸びています。一時間ばかりもかゝって、この畑の端へ出てみると、高さ百二十フィートもある垣で、この畑が囲まれているのがわかりました。だが、樹木などは、あんまり高いので、私には見当がつきませんでした。
 この畑から隣りの畑へ通じる段々があり、それが四段になっていて、一番上の段まで行くと、一つの石をまたぐようになっていました。一段の高さが六フィートもあって、上の石は二十フィート以上もあるので、とても私には、そこは通れませんでした。
 どこか垣に破れ目でもないかしら、と探していると、隣りの畑から、一人の人間がこちらの段々の方へやって来ました。人間といっても、これは、さっきボートを追っかけていたのと同じくらいの大きな怪物です。背の丈は、塔の高さくらいはあり、一歩あるく幅が、十ヤードからありそうです。私は胆をつぶし、麦畑の中に逃げ込んで、身を隠しました。
 そこから見ていると、その男は段々の上に立ち上って、右隣りの畑の方を振り向いて、何か大声で叫びました。その声のもの凄いこと、私ははじめ雷かと思ったくらいでした。
 すると、手に/\鎌を持った、同じような、七人の怪物が、ぞろ/\と集ってくるではありませんか。鎌といっても、普通の大鎌の六倍からあるのを持っているのです。が、この七人は、あまり身なりもよくないので、召使らしく思えました。はじめの男が何か言いつけると、彼等は私の隠れている畑を刈りだしました。
 私は、できるだけ遠くへ逃げようとしましたが、この逃げ路が、なか/\難儀でした。なにしろ、株と株との間が一フィートしかないところもあります。これでは、私の身体でも、なか/\通りにくいのでした。どうにかこうにか進んでいるうちに、麦が風雨で倒れてしまっているところへ出ました。もう、私は一歩も前進できません。茎がいくつも絡み合っていて、潜り抜けることもできないし、倒れた麦の穂先は、ナイフのように尖っていて、それが、洋服ごしに、私の身体を突き刺しそうなのです。
 そうこうしているうちに、鎌の音は、百ヤードとない後から、近づいて来ます。私はすっかり、へたばって、もう立っている力もなくなりました。畝(うね)と畝との間に横になると、いっそ、このまゝ死んでしまいたい、と思いました。私は、残してきた妻や子供たちのことが、眼に浮んできました。みんながとめるのもきかないで、航海に出たのが、今になって無念でした。ふと、私はリリパットのことも思い出しました。あの国の住民たちは、この私を、驚くべき怪物として、尊敬してくれたし、あの国でなら、一艦隊をそっくり引きずって帰ることだってできたのです。
 だが、こゝでは、こんな、とてつもない、大きな連中に会っては、この私はまるで芥子粒(けしつぶ)みたいなものです。今に誰かこの大きな怪物の一人につかまったら、私は一口にパクリと食われてしまうでしょう。しかし、この世界の果てには、リリパットより、もっと小さな人間だっているかもしれないし、その世界の果てには、今こゝにいる大きな人間より、もっと/\大きな人間だっているかもしれないと、私は恐怖で気が遠くなっていながら、こんなことを思いつゞけていました。
 そのうちに、刈手の一人が、私の寝ている畝(うね)から、十ヤードのところまで、近づいて来ました。もう、この次には、足で踏みつぶされるか、鎌で真二つに切られるかもわかりません。その男が動きかけると、私は大声でわめきちらし、助けを求めました。
 巨人は立ちどまって、しばらく、あたりを見まわしていましたが、ふと、地面にひれふしている私を、見つけました。この小さな、危険な、動物を、騒がれないように、噛まれないように、つかまえるには、どうしたらいゝのかしら、といった顔つきで、彼はしばらく考えていました。私もイギリスで、いたちや鼠をつかまえるときには、ちょっとこんなふうにしたものです。
 とう/\、彼は思いきって、人差指と親指で、私の腰の後の方をつまみあげると、私の形をもっとよく見るために、目から三ヤードのところへ、持ってゆきました。私は、彼のしていることがよくわかったので、安心して落ち着いていました。こうして、地上から六十フィートの高さにつまみ上げられている間は、じっとしていよう、と思いました。ただ、苦しかったのは、私を指からすべり落すまいとして、ひどく、脇腹をしめつけられていることでした。
 私はたゞ、天を仰ぎ両手を合せながら、お願いするように、哀れっぽい調子で、何かと言ってみました。というのは、私たちが厭な虫など殺す場合、よく地面にパッとたゝきつけるものですが、あれを今やられはすまいかと、心配でならなかったのです。
 だが、幸いなことに、彼には私の声や身振りが気に入ったようでした。私がはっきり言葉を話すので、その意味は彼にはわからなかったのですが、ホウ、ものが言えるのか、と驚いたような顔つきで、彼は珍しげに私を眺めるのでした。私は、彼の指で、脇腹をしめつけられているのが苦しくなったので、うめいたり、泣いたりして、一生懸命、そのことを身振りで知らせました。
 すると、彼にもその意味がわかったらしく、上衣の垂れをつまみ上げて、その中に、そっと私を入れました。それから大急ぎで、主人のところへ駈けつけて行きました。主人というのは、私が最初に畑で見た男でした。
 その主人は、召使が話すのを、じっと聞いていましたが、杖ほどもある藁(わら)すべを取って、それで、私の上衣の垂れを、めくりあげました。この洋服は、私の身体に、生れつきくっついているものと思ったのでしょう。それから、私の髪の毛に、フーと息を吹きかけて、髪を分けると、顔をしげ/\眺めました。それから、(これはあとになって、わかったのですが)召使たちを呼び集めると、これまでこんな小さな動物を畑で見たことがあるかと、みんなに、尋ねました。それから、私を、そっと、四つ這いのまゝの恰好で、地面におろしてくれました。
 私はすぐに立ち上って、逃げ出すつもりのないことを見せるために、ゆる/\とあたりを歩きまわりました。すると、みんなは、私の動きぶりをよく見ようとして、私を囲んで、坐り込んでしまいました。私は帽子を取って、百姓にていねいに、おじぎをしました。それから、ひざまずいて、両手を高く差し上げ、天を仰いで大声で、二言、三言話しかけました。そして、ポケットから、金貨の入った財布を取り出して、うや/\しく彼のところへ持って行きました。
 彼はそれを掌で受け取ってくれましたが、目のそばへ持って行って、何だろうかと、眺めていました。袖口からピンを一本抜き取って、その先で何度も、掌の上の財布をひっくりかえしていましたが、やはり、何だかわからないようでした。
 そこで、私は手まねで、その掌の財布を下に置いてくれ、と言いました。財布が下に置かれると私はそれを手に取って、中を開いて、金貨をみんな彼の掌の上にばらまきました。四ピストルのスペイン金貨が六枚と、ほかに小銭が二三十枚ありました。見ると彼は小指の先を舌で濡しては、大きい方の金貨を一枚々々つまみ上げていましたが、やはり、それが何だか、さっぱりわからないらしいのです。
 彼は手まねで私に、もう一度これを財布におさめて、ポケットに入れておけ、と言うのでした。私は何度も、そのお金を彼に差し出してみましたが、やはり、彼の言うとおりに、おさめておきました。
 そのうちに、もう百姓には、私が理性的な生物(人間)だ、ということが、わかっていたのです。彼は何度も私に話しかけましたが、その声は、まるで水車の響のようで、私の耳は破れそうでした。私も、知っているかぎりのいろんな外国語を使って、力一ぱいの大声で、話しかけてみました。すると向うは、耳をすぐ私のそばに持って来て、聞いてくれるのですが、駄目でした。私たちの言い合っている言葉は、お互に意味が通じないのでした。
 召使たちはまた麦刈に取りかゝりましたが、主人はポケットから、ハンカチを取り出し、二つ折りにして、左手の上にひろげ、その掌を地面の上に差し出して、この中に入って来いと、手まねで私に合図をします。その掌の厚さは一フートぐらいでしたから、私も、らくにのぼれるのです。今はとにかく主人の言うとおりにしていようと思いました。
 それで、私は落っこちないように用心しながら、ハンカチの上に長くなって寝ころびました。すると、彼はハンカチの端で、私の頭のところを大切そうにくるんでしまい、そのまゝ、家に持って行きました。
 家に帰ると、彼はさっそく、細君を呼んで、ハンカチの中のものを見せました。ちょうど、イギリスの女が、ひきがえるやくもを見たときのように、「きゃあ……」と叫んで、細君は跳びのきました。しかし、しばらくそばで見ているうちに、主人の手まねで私がいろんなことをするのを見て、細君はすっかり感心してしまいました。そして今度は、だん/\と私にやさしくしてくれるようになりました。
 正午頃になると、一人の召使が、食事を持って来ました。それはいかにも、お百姓の食事らしく、肉をたっぶり盛った皿が、たゞ一つだけ出されたのでした。しかし、それは直径が二十四フィートもある、大きなお皿でした。
 食堂には主人と細君と、子供が三人、それに、年寄の祖母がやって来ました。みんながテーブルに着くと、主人は私をテーブルの上にあげて、少し彼から離れたところに置きました。そのテーブルは高さ三十フィートもあるのですから、私は怖くてたまらないのです。落っこちないように、できるだけ、真中の方へよって行きました。
 細君は肉を少し、小さく刻んで、それから、パンをこな/″\に砕くと、それを私の前に置いてくれました。そこで、私は細君に向って、ていねいに、おじぎをして、ポケットから、ナイフとフォークを取り出して食べはじめました。みんなは、私の有様が面白くてたまらないようでした。
 細君は女中を呼んで、小さなコップを持って来させました。小さいといっても、三ガロン(約五升)は入りそうなコップですが、それに飲物を注いでくれました。それを私はやっと両手でかゝえあげると、まず、英語で、できるだけ大きな声を張り上げて、細君の健康を祝しました。それから、うや/\しくコップを頂戴しました。すると、みんなはお腹をかゝえて笑いだしましたが、その笑い声のもの凄さ、私は耳がつんぼになるばかりでした。
 この飲物はサイダーのような味なので、私はおいしく、いたゞきました。しばらくすると、主人は私を手まねで、彼の皿のところへ来い、と招きました。しかし、なにしろ私はテーブルの上をビク/\しながら歩いているのでしたから、パンの皮に躓(つまず)くと、うつ伏せに、ペたんと倒れてしまいました。けれども、怪我はなかったのです。すぐに起き上りましたが、みんながひどく心配してくれるので、私は小脇にかゝえていた帽子を手に取り、頭の上で振りながら、「万歳!」と叫びました。これは転んでも、怪我はなかったということを、みんなに知ってもらうためでした。
 そのとき、主人の隣りに坐っていた、一番下の息子で、まだ十ばかりのいたずら児が、私の方へ手を伸したかとおもうと、いきなり、私の両足をつかまえ、宙に高くぶら下げました。私は手も足も、ブル/\ふるえつゞけました。しかし、主人は息子の手から、私を取り上げ、同時に彼の左の耳をピシャリと殴りつけました。それは、ヨーロッパの騎兵なら、六十人ぐらい叩きつけてしまいそうな殴り方でした。それから主人は息子に、向うへ行ってしまえ、と命令するのでした。
 しかし私は、この子供に怨まれはしないかと、心配でした。私はイギリスの子供たちも、雀や、兎や、小猫や、小犬に、よくいたずらをするのを知っています。そこで、私は主人の前にひざまずいてその息子を指さしながら、どうか、許してあげてください、と手まねで、私の気持を伝えました。私は息子のところへ行き、その手にキスしました。主人はその息子の手を取って、私をやさしくなでさせました。
 ちょうどこの食事の最中に、細君の飼っている猫がやって来て、細君の膝の上に跳び上りました。私はすぐ後の方で、何か十人あまりの職人が仕事でもはじめたような物音を聞きました。振り返ってみると、この猫が咽喉(のど)をゴロ/\鳴らしているのです。細君が食物をやったり、頭をなでている間に私はそっと、その猫を眺めてみましたが、その大きさは、まず、牡牛の三倍はありそうでした。私は五十フィートも離れて、猫から一番遠いところに、立っていたのですが、そして、細君は、猫が私に跳びかゝったり、爪を立てたりしないように、しっかり猫を押えていてくれたのですが、それでも、私はそのもの凄い顔が恐ろしくてならなかったのです。しかし危険なことは起らなかったのです。
 主人はわざと、私を猫の鼻の先三ヤードもないところに置きました。しかし、猫は見向きもしませんでした。猛獣というものは、こちらが逃げ出したり、怖がると、かえって追っかけて来て跳びかゝるものだ、ということを私は前に人から聞いて知っていました。それで、私は今いくら恐ろしくても知らん顔をしていよう、と決心しました。
 私は、猫の鼻先をわざと、五六回、行ったり来たりしてやりました。それから、ずっと側(そば)まで近づいて行ってみました。と、かえって猫の方が怖そうに後しざりするのでした。そのときから、私はもう、猫や犬を怖がらなくなりました。犬も、この家には、三四頭ばかりいたのです。それが部屋の中に入って来ても、私は平気でした。一匹はマスティフで、大きさは象の四倍ぐらいありました。もう一匹は、グレイハウンドで、これはとても背の高い犬でした。
 食事がしまい頃になると、乳母が赤ん坊を抱いてやって来ました。赤ん坊は、私を見つけると、玩具に欲しがって、泣きだしました。その赤ん坊の泣声は、なんとももの凄い声でした。母親は私をつまみ上げて、赤ん坊の傍に置きました。赤ん坊は、いきなり、私の腰のあたりを引っつかんで、頭を口の中に持ってゆきました。私がワッと大声でうめくと、赤ん坊はびっくりして、手を離します。そのとき細君が前掛をひろげて、うまく受けてくれたので、私は助かりました。でなかったら、首の骨ぐらい折れたでしょう。
 乳母はガラ/\を持って来て、赤ん坊の機嫌をとろうとしました。そのガラ/\というのは、空鑵に大きな石を詰めたようなもので、それを綱で子供の腰に結びつけるのでした。でも、赤ん坊はまだ泣きつゞけていました。それで、とう/\乳母は胸をひろげて、乳房を出し、赤ん坊の口に持ってゆきました。私はその乳房を見て、びっくりしました。
 大きさといゝ、形といゝ、色合いといゝ、とても気味の悪いものでした。なにしろ、六フィートも突き出ているので、まわりは十六フィートぐらいあるでしょう。乳首だって、私の頭の半分ぐらいあります。それに、乳房全体が、あざやら、そばかすやら、おできやらで、しみだらけなのです。見ていると、気持が悪くなるくらいでした。乳母は乳を飲ましいゝような姿勢で、赤ん坊を抱いていますが、私はテーブルの上にいるので、その乳房はすぐ目の前にはっきりと見えるのでした。
 それで私はふと、こんなことがわかりました。イギリスの女が美しく見えるのは、それは私たちと身体の大きさが同じだからなのでしょう。もし虫眼鏡でのぞいて見れば、どんな美しい顔にも凸凹やしみが見えるにちがいありません。
 そういえば、リリパットに私がいた頃、あの小人たちの肌の色は、とても美しかったのを、私はよくおぼえています。リリパットの友達も、この私の顔が、小人の目から見ると、どんなに見えるか、教えてくれたことがあります。私の顔は、地上からはるかに見上げている方が、美しいそうです。私の掌に乗せられて、近くで見ると、私の顔は大きな孔だらけで、髯の根はいのしゝの毛の十倍ぐらいも堅そうで、顔の色の気味の悪いことゝいったらないそうです。
 ところで、いまこのテーブルに坐っている巨人たちは、なにも片輪などではないのです。顔だちはみんなよくとゝのっていました。ことに主人など、私が六十フィートの高さから眺めてみると、なかなか立派な顔つきでした。
 食事がすむと、主人は仕事に出かけて行きました。彼は細君に、私の面倒をみてやれ、と命令しているようでした。その声や身振りで、私にはそれがわかったのです。私は大へん疲れて、睡くなりました。すると細君は、私の睡そうな顔に気がつき、自分のベッドに寝かして、綺麗な白いハンカチを私の上にかけてくれました。ハンカチといっても、軍艦の帆よりまだ大きいくらいで、ゴツ/\していました。
 私は二時間ばかりも眠りました。私は国へ帰って妻子と一しょに暮している夢をみていました。ふと目がさめて、あたりを見まわすと、私は、広さ二三百フィート、高さ二百フィート以上もある、がらんとした、大きな部屋に、たった一人、幅二十ヤードもある大きなベッドで、寝ているのに気がつきました。すると、私はなんだか悲しくなってしまいました。
 細君は家事の用で外に出て行ったらしく、姿が見えません。私は錠をおろした部屋に、一人、とじこめられているのです。このベッドは床から八ヤードもあります。私は下へおりたかったのですが、声を出して叫ぶ元気もなくなっていました。しかし、たとえ呼んでみても、とても私の声では、この部屋から家族のいる台所までは、とゞかなかったでしょう。
 ところが、そのとき、鼠が二匹、ベッドの帷(とばり)をのぼって来ると、ベッドの上をあちこち嗅ぎまわって、ちょろ/\走り出しました。一匹などは、も少しで、私の顔に這(は)いのぼろうとしたのです。私はびっくりして跳び起きると、短剣を抜いて、身構えました。だが、この恐ろしい獣どもは、左右からドタ/\とおそいかゝって来て、とう/\、一匹は私の襟首に足をかけました。しかし、私は幸運にも、彼に噛みつかれる前に、彼の腹に、プスリと短剣を突き刺していました。
 たちまち、彼は私の足許に倒れてしまいました。もう一匹の方は、仲間が殺されたのを見ると、あわてゝ逃げ出しました。逃げようとするところを、私は肩に一刀浴せかけたので、タラ/\血を流しながら行ってしまいました。この大格闘のあとで、私はベッドの上をあちこち歩きながら、息をしずめ、元気を取り戻しました。鼠といっても、大きさはマスティフ種の犬ぐらいあって、それに、とても、すばしこくて、獰猛(どうもう)な奴でした。もし私が裸で寝ていたら、きっと八つ裂きにされて食べられたでしょう。
 死んだ鼠の尻尾をはかってみると、二ヤードぐらいありました。まだ血を流して横になっている死骸を、ベッドから引きずりおろすのは、実に、厭なことでした。それに、まだ、少し息が残っているようでしたが、これは、首のところへ深く剣を突き刺して、息の根をとめてしまいました。
 それから間もなく、細君が部屋に入って来ました。私が血まみれになっているのを見て、細君は駈けよって、抱き上げてくれました。私は鼠の死骸を指さし、そして、笑いながら、怪我はなかったと手まねで教えました。細君は大喜びでした。女中を呼ぶと、死骸を火箸ではさんで、窓から捨てさせました。それから、彼女は私をテーブルの上に乗せてくれました。私は血だらけの短剣を見せ、上衣の垂れで拭いて鞘におさめました。

     2 見世物にされた私

 この家には九つになる娘がいました。年のわりには、とても器用な子で、針仕事も上手だし、赤ん坊に着物を着せたりすることも、うまいものでした。この娘と母親の二人が相談して、赤ん坊の揺籃(ゆりかご)を私の寝床に作りなおしてくれました。私を入れる揺籃を箪笥(たんす)の小さな引出に入れ、鼠に食われないように、その引出をつるし棚の上に置いてくれました。私がこの家で暮している間は、いつもこれが私の寝床でした。もっとも、私がこの国の言葉がわかるようになり、ものが言えるようになると、私はいろ/\と頼んで、もっと便利な寝床になおしてもらいました。
 この家の娘は大へん器用で、私が一二度その前で洋服を脱いでみせると、すぐに私に着せたり脱がせたりすることができるようになりました。もっとも、娘に手伝ってもらわないときは、私は自分ひとりで、着たり脱いだりしていました。彼女は私にシャツを七枚と、それから下着などをこしらえてくれました。一番やわらかい布地でこしらえてくれたのですが、それでも、ズックよりもっとゴツ/\していました。そして、その洗濯も彼女がしてくれるのでした。
 彼女は私の先生になって、言葉を教えてくれました。何でも、私が指さすものを、この国の言葉で言ってくれます。そんなふうにして教えられたので、二三日もすると、私はもう欲しいものを口で言えるようになりました。
 彼女は大へん気だてのいゝ娘で、年のわりに小柄で、四十フィートしかなかったのです。彼女は私に、グリルドリッグという名前をつけてくれました。やがて家の人々も、この名を使うようになるし、後には国中の人がみな、私のことをそういって呼びました。このグリルドリッグという言葉は、イギリスでなら、マニキン(小人)という言葉と同じ意味でした。
 私がこの国で無事に生きていられたのは、一つには、この娘のおかげでした。私たちはこゝにいる間じゅう、決して離れなかったものです。私は彼女のことを、グラムダルクリッチ(可愛いお乳母さん)と呼びました。彼女が私につくしてくれた、親切のかず/\は、特に、こゝに書いておきたいと思います。私はぜひ、折があったら、彼女に恩返ししたいと、心から願っているのです。
 さて、私の主人が畑で不思議な動物を見つけたという噂は、だん/\、ひろがってゆきました。
 その動物の大きさは、スプラクナク(この国の綺麗な動物で、長さはおよそ六フィートほど)ぐらいで、形はまるで人間と同じ形だし、動作も人間とそっくり、何だか可愛い言葉をしゃべるし、それにこの国の言葉も今は少しおぼえたようだし、二本足でまっすぐ立って歩くし、おとなしくて、すなおで、呼べば来るし、言いつけたことは何でもするし、とても、きゃしゃな手足を持っていて、顔色は三つになる貴族の娘より、もっと綺麗だ、などと、私の評判は、だん/\、ひろまっていました。
 ところで、主人の親友の農夫が、このことを聞くと、ほんとかどうか、見にやって来ました。私はさっそくつれ出されて、テーブルの上に乗せられました。私は言いつけどおりに、歩いて見せたり、短剣を抜いたり、おさめたりして見せました。それから、お客に向って、うや/\しく、おじぎをして、
「よくいらっしゃいました。御機嫌はいかゞですか。」
 と、可愛い乳母さんから教えられたとおりの言葉で言ってやりました。
 そのお客は年寄で目がよく見えないので、もっとよく見ようと眼鏡をかけました。それを見ると、私は腹をかゝえて笑わないではいられなくなりました。というのは、彼の目が、二つの窓から射し込む満月のように見えたからです。みんなは、私のおかしがるわけがわかると、一しょになって笑いだしました。すると、老人はムッとして顔色を変えました。
 この老人は、けちんぼうだとの評判でしたが、やはりそうでした。そのため、私はとんだ目に会うことになりました。こゝから二十二マイルばかり、馬でなら、半時間かゝる、隣りの町の市日に、私をつれて行って、ひとつ見世物にするがいゝ、と、彼は主人にすゝめたのです。
 主人とその男は、とき/″\、私の方を指さして、長い間、ひそ/\とさゝやき合っていました。私はそれを見て、これは何か悪いことを相談し合ってるな、と思いました。じっと気をつけていると、とき/″\、もれて聞える二人の言葉は、なんだか私にもわかるような気がしました。しかし、ほんとのことは、次の朝、グラムダルクリッチが私に話してくれたので、それで、すっかりわかったのでした。
 私が見世物にされるということを、グラムダルクリッチは、母親から聞き出したのでした。彼女は私と別れることを、大へん悲しがり、私を胸に抱きしめて泣きだしました。
「見物人たちは、どんな乱暴なことをするかわかりません。あなたを押しつぶしてしまうかもしれないし、もしかすると、手を取って、あなたの手足を一本ぐらい折ってしまうかもわかりません。」
 と、彼女は私のことを心配してくれるのでした。
「あなたは遠慮ぶかい、おとなしい、そして、気位の高い人でしょう。それなのに、見世物なんかにされて、お金のために、卑しい連中の前でなぐさみにされるなんて、ほんとうに口惜しいことでしょう。お父さんもお母さんも、私にグリルドリッグをあげると言って約束したくせに、今になって、こんなことをするのです。去年も子羊をあげると言っておきながら、その羊が肥えてくると、すぐ肉屋に売り払ってしまった、あれと同じようなことをしようとしてるのです。」
 と、彼女は私のことを嘆くのでした。
 しかし、私は、この乳母さんほどには、心配していなかったのです。いつかは、きっと自由の身になってみせると、私は強い希望を持っていました。それに、私が怪物として、あちこちで見世物にされても、私はこの国には知人ひとりあるわけではなし、私がイギリスに帰ってからも、何も、このことは非難されるはずがないと思います。イギリスの国王でも、今の私と同じようなことになったら、やはり、これくらいの苦労はするだろう、と私は思いました。
 主人は友達の意見にしたがって、私を箱に入れて、次の市日に隣りの町まで運んで行きました。私の可愛い乳母さん(娘)も、父親の後に乗って、一しょについて来ました。私の入れられた箱は、四方とも塞(ふさ)がれていて、たゞ、出入口の小さな戸口のほかには、空気抜きのため錐(きり)の穴が二つ三つつけてありました。娘は私が寝られるように、箱の中に赤ん坊の蒲団を敷いてくれました。
 この箱の旅は、たった半時間の旅行でしたが、身体がひどく揺られたので、私はくた/\になってしまいました。なにしろ、馬は一歩に四十フィートも飛んで、しかも非常に高く跳ねるので、私の箱は、まるで大暴風雨の中を、船が上ったり下ったりするようなものでした。
 さて、町に着くと、主人は、行きつけの宿屋の前で馬をおり、しばらく、宿の亭主と相談していました。それから、いろんな準備が出来上ると、東西屋をやとって、町中に触れ歩かしました。
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい、世にも不思議な生物、身の丈はスプラクナク(この国の綺麗な動物)ほどもないのに、頭のてっぺんから足の先まで、身体は人間にそっくりそのまゝ、言葉が話せて面白い芸当をいたします。」
 と、こんなふうなことをしゃべらせたのです。
 私は宿屋で、三百フィート四方もありそうな、大広間につれて行かれ、テーブルの上に乗せられました。私の乳母は、テーブルのそばの腰掛の上に立って、私の面倒をみたり、いろ/\と指図をしてくれるのでした。そのうちに、見物人がぞろ/\と押しかけて来ましたが、あまり混雑するので、主人は一回に三十人だけ見せることに決めました。
 私は乳母の言いつけどおりに、テーブルの上を歩きまわったり、私にものを言わそうとして、彼女がいろ/\質問をすると、私は力一ぱいの声で、それに答えるのでした。それから、何度も見物人の方を振り向いて、ていねいにおじぎして、「よくいらっしゃいました。」と言ったり、そのほか、教わったとおりの挨拶をします。そしてグラムダルクリッチが、指貫(ゆびぬき)に酒を注いで渡してくれると、私はみんなのために乾盃をしてやります。かとおもえば、短剣を抜いて、イギリスの剣術使のまねをして、振りまわします。私の乳母が、藁の切れっぱしを渡してくれると、私はそれを槍のつもりにして、若い頃習った槍の術をして見せます。
 その日の見物人は、十二組あったので、私は十二回も、こんなくだらないまねを繰り返さねばならなかったのです。そう/\、私は疲れて腹が立って、すっかり、へばってしまいました。
 私を見た連中が、これは素晴しいという評判を立てたものですから、見物人はどっと押しかけて、大入満員でした。主人は、私の乳母以外には、誰にも私に指一本さわらせません。そのうえ、危険を防ぐために、テーブルのまわりを、ぐるりとベンチで取り囲んで、誰の手にもとゞかないようにしました。
 それでも、いたずらの小学生が、私の頭をねらって榛の実を投げつけたものです。あたらなかったので助かりましたが、もしあたったら、私の頭は滅茶苦茶にされたでしょう。なにしろ榛の実といっても、南瓜ぐらいの大きさだし、それに猛烈な勢で飛んで来たのです。しかし、このいたずら小僧は、なぐられて部屋から追い出されてしまいました。
 市日がすんで、私たちは家に戻りましたが、主人はこの次の市日にも、またこの見世物をやるという広告を出しました。そして、それまでに、私のためにもっと便利な乗り物を用意してくれました。だが、それはあたりまえのことで、なにぶんこの前の旅行で、私は非常に疲れ、八時間もぶっとおしに見世物にされたので、ヘト/\になってしまいました。私が元気を取り返すには、少くとも三日はかゝりました。
 ところが、私の評判を聞いて、あちこちの紳士たちが、百マイルも先から、今度は主人の家に押しかけて来ました。私は家でも休めなくなりました。毎日々々、私はほとんど身体の休まる暇はなかったのです。
 これはもうかりそうだ、と主人は、今度は私を街から街へつれ歩いて見世物にすることを思いつきました。長い旅行に必要な支度をとゝのえ、家の始末をつけると、細君に別れを告げて、一七〇三年の八月十七日(これは私がこの国へ着いてからちょうど二ヵ月目でした)に出発しました。主人は、この国のほゞ真中にある、首都をめざして行くのでしたが、家からそこまでは、三千マイルの道のりでした。

次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:244 KB

担当:undef