不思議な帽子
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:豊島与志雄 

      四

 紳士は大事な帽子が風に吹き飛ばされたのを見て、後を追っかけてきました。悪魔にとっては、つかまえられたら一大事です。一生懸命に転がって逃げました。紳士はどんど[#「どんど」はママ]追っかけてきます。そのうちに、立派な紳士と帽子とが駆けっこをしてるのを見て、大勢(おおぜい)の人がおもしろがってついて来ました。
「よく転がる帽子(ぼうし)だな」
「まるで生きてるようだな」
「おかしな帽子だな」
「つかまえてやれ、つかまえてやれ」
 大勢(おおぜい)の人が紳士と一緒になって追っかけてきます。つかまったら最後だ、と悪魔(あくま)は思って、くるくるくるくるまわりながら、一生懸命に逃げ出しました。あまり転がったので眼がまわって、めくら滅法(めっぽう)に逃げてるうち、ある橋のところへやってきて、道をあやまったものですから、あっというまに川の中へ落ち込みました。
「川に落っこった、川に落っこった」
「ぽかんとして浮いてやがる」
「竿(さお)を持って来い、竿を」
 大勢の人ががやがや騒ぎ立てました。
 悪魔は川に落っこって、眼を白黒さしていましたが、やがて気が静まると、きらきら光ってる太陽が見えます。岸に立って騒いでる大勢の人が見えます。うらめしそうな顔をしてるハイカラ紳士も見えます。
「はてどこへ逃げたらいいかしら」
 そう思って見廻すと、川の岸の石垣に、大きな円い穴が口を開いて、汚い水が中から流れ出ています。嗅(か)ぎなれたくさい匂(にお)いがしています。
「これだ」と悪魔(あくま)は心の中で叫びました。「俺の住居(すまい)だ。下水道の出口だ」
 そして、帽子(ぼうし)が水に流されるようなふうをして、つーっと泳ぎだして、下水道の口の中に飛びこみました。
 それを見て、岸の上では大変な騒ぎになりました。
「帽子が泳いだ」
「下水道の中に飛び込んだ」
「お化(ば)けの帽子だ、お化けだ」
「不思議な帽子だ」
 わいわい騒ぎ立てて下水道の口をのぞいています。しかしいつまでたっても、もう帽子は二度と出て来ませんでした。
 帽子はもうちゃんともとの悪魔の姿になって、下水道の口からちょっとのぞいて大勢(おおぜい)の人を見ると、こそこそと中の方へはいってゆきました。
「あぶないところだった。だがここまでくればもう大丈夫(だいじょうぶ)だ。どうも変に寒い。珍しいごちそうを食べて、あの男の頭の上で居眠(いねむ)りをしたので、風邪(かぜ)でも引いたのかな」
 そしてそこの下水道の奥のまっ暗な中で、悪魔は、また大きなくしゃみをしました。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:9502 Bytes

担当:undef